世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年07月31日(水) ラ・バーンズ フィッシュキャンプへ出発

7時に行動開始。昨夜はひどいいびきをかく人がいてやや寝不足だ。
静かに荷物からいろいろと取り出して、身仕度、7時半、タクシーに電話。電話で英語を話すってすごくにがてだけど、まあ旅英語で慣れだ。
今日は、空港に行って飛行機で、コッツビューという北極圏ライン上にある町に行く。町の人口の80%がエスキモーだ。この町からさらに5マイルほど行ったところにフィッシュキャンプはある。名の通り、鮭を捕るキャンプだ。

AIEがとってくれたチケットはエレクトリックチェックイン。(日本ではEチケットというのかな?)
簡単です、大丈夫という話だったが、挑戦するも、受け付けてくれない。
クレジットカード番号を入れると受け付けられません、と出るのだ。
カウンターに申し出たら、キーボードから入れてくれた。
話と違うよ、ヤレヤレだ。

ゲートに行く入り口はセキュリティに手間取ってすごい列だ。
ゲートにたどり着くまで40分近くかかった。
ボディチェックまであった、勿論フィルムは荷物から抜いたし。
とにかく厳しい。
昨年のセッテンバーエレブンから。しかたない。
でも、まあ、アメリカの飛行機って、昔から他の国の飛行機よりセキュリティは厳しかった気がするが。恨みもつらみの嫌われ者の国だからな、これまたしかたない。

またまたヤレヤレで、シナボンとコーヒーをかって朝ご飯。

17A,ウインドウシート。
天気がすごいので景色がすごい。
地は海へあるいは、川へいつの間には没していく、定かならず。水が地を飲み込んでいる。やっぱり、大地って水から生まれたのね、と感じるでかい景色だ。
ユーコン川が見えてきた。
氷河がうがったくぼみを水が流れ川となり、大蛇のように蛇行し・・山の頂は噴火の後も生々しく・・・
地理と地学の学習をしている気がする。
それにしても、北の果ての山々や大地がこんなにも赤く不毛とは。
エジプトの砂漠とよく似ているのだ。
「フォレストファイヤー!!」
前の席の男性が教えてくれた。
煙が上がって、赤い色が見えている。
木と木の摩擦で山火事が起きる。
ものすごく乾燥しているのだろう。

飛行機は予定通り、10時50分くらいに着いたが、迎えのラ・バーンさんが来ていない。
外で10分ばかりウロウロしていたが、ちょうどきたツアーバスの女の子に聞いたら「アラスカ航空のフロントデスクで聞け」と。
行ってたずねたら、電話してあげるけど、今は忙しいちょっと待て、と。
そんなことをしていたら「らしき」ボロイ車がやってきた。
外に出たら、フロントドアに「ラ・バーンズフィッシュキャンプ」と書いてある。

しゃきしゃき動く金髪の女性と、日本のその辺にもいそうなおばさんが二人してやってきて私の名前をいう。
「そうです、私はあなたを待っていた、心配でした」
といったら、ごめんなさいと謝られた。
車に荷物と共にのって「私はたくさん、早く英語が話せない、ゆっくりと話して下さい」とお願いした。
ラバーンさん、OK。
元気で活発そうな人である。
おばさんは、ビューラーさんといって、エスキモーの人だった。
すぐに、町中を案内してもらった。
ほこりっぽい道、平屋の木造住宅・・家の回りに散らばるゴミやいろいろな品物。
まるで、中国かタイの田舎町のようだ。人の顔も大半モンゴロイドだし。(翌日アンカレジからきたおじさんがこのクレージータウンにようこそっていっていたけど、一見そんな感じだよね、これもアメリカ?!)
町中には、チャイニーズレストランやコリアンが経営するガソリンスタンドがある。
毎度ながら、彼らのバイタリティに感心。

途中、この町のエスキモーで一番長寿だというビューラーさんのおばあちゃん(94歳)に会った。
すごくお元気。冬はここではなくてフェアバンクスで過ごすのだという。
白人きたばかりの頃の話(はじめの病院はベッドがひとつだった、キャンプばっかりで大きな建物はなんかなかった等々)をしてくれた。
ビュラーさんとは、エスキモー語で話す。
ごつごつした、ア行音系の言語、という印象。
ラバーンさんは、もともと看護婦さんなので、高齢の彼女の身体の心配をしていた。
ビュラーさんに「エスキモー語はどこで習ったのか」と聞いたら、家で。今は学校でもやるが、不十分だ、といっていた。
すごく不思議だったこと。
人口3500人ほどの町に教会が10個もある。「何故?」とラバーンさんに聞いたが「わからない」とのこと。
なんか、この未開の地に、野蛮人たちに「正しき教え・導き」を施さねば、というキリスト教の伝道者独特の意図が見えるような気がして・・・。初期の頃は、もしかしたら、布教を口実に金や毛皮の交易をしていたのかも知れない。歴史的には、よくあった(今もある?)話だし。

あれが、老人ホーム、DV(ドメステックバイオレンス)のシェルター、新しいアパートメント、新しい病院。
と話を聞くと、ここはやっぱり、タイや中国じゃない、確かにアメリカだ、と思った。
興味深かったのは、できたばかりの病院が地域の人たちの交流の場、になっていたことだ。

私は、ラバーンさんとビューラーさんが着ているお洋服が同じデザインなのが気になっていた。
さらに出会う女の人がかなりの割合できている。
綿で柄は違うけど、フード付きのウインドブレーカーの下に短いスカートが付いているような可愛いというか不思議なデザインなのだ。
聞いたら、この辺のエスキモーの人の伝統衣装なんだという。
「可愛いし、私も欲しい」
といったら「わかった、では木地を買いに行こう」ということで、ラバーンさん、朗らかに即決。
町のよろず屋さんのようなところで黄色の花柄を買った。
ビューラーさんが作ってくれるらしい。
オオやったね。

車は、町をはずれて、ほこりっぽい道をとばす。静かな海ぞいの道(勿論ダートである)を進む。
やがて、ラバーンさん、ほらあれがネット、後で魚(サーモン)を取りに来る。
人気のないところにキャンプはあった。
しばらくして、ホントに魚を網からはずしに行った。
ネットを100メートルほど流してあるだけなのに。何の仕掛けもないのに、その網の穴に、鮭がはいってばたばた。引き上げてはずす。ぬめりのある鮭は逃げるし、なかなか大変だ。
ジョージというでかいアメリカ人と、ラバーンさん、ターニアというアイダホからきた女の子と3人ではずす。
大漁、6,70匹はつかまえた。
だだし、後で聞いた話では、とれた鮭の大半は白鮭(日本では新巻鮭になる)で、アラスカでは、犬が食うサーモンということでドッグサーモンというらしい・・・あれあれ。

ターニアとゆっくり話しながら帰った。

夕食後、今度は鮭の解体だ。
せなかから裂いて、骨をはずす。(エスキモーのやり方)
日本人の私から見ると、もったいないほどおおざっぱ。身がたくさん付いてる骨をばんばん捨てる。
包丁は、ウルという、半月型のエスキモー独特のものだ。
ビューラーさんに教えてもらいながらやるが、すべるのでやりにくい。
日が傾きかけた11時近くになっても、終わらず。私は疲れたので休んでいいか・と聞いたら、もちろん、あなたは、シャワーを浴びて終わりにしなさい、といってもらって、ほっ。
最後には、イクラを海鳥に投げてあげていたよ、ああ、もったいなあ。

マジにつかれた。
長い一日だった。
でも、静かな海、澄み切った空気、人気のない浜辺、あおい空。
すかっとする。
時間の流れも遅いかがするし・・・
ラバーンさんも、彼女のご主人も、ビューラーさんも、いい人だし。
ここに3泊、なかなかよいチョイスだったのでは?と思う・・もちろん終わってみないとワカランが。
普通の観光よりずっとおもしろい。



2002年07月30日(火) アラスカ鉄道に乗る

今朝は昨夜爆睡のおかげで早起き。
せこせこと、ハガキ書きだ。全30枚。
とりあえず、これを出さねば、とチェックアウトして荷物を預けてから、アラスカ鉄道の切符をとって(結局昨日の夕方モーターコーチの予約を断って鉄道にした、お金がないのにこの無駄よ、ああ情けない、多分1ドルも戻ってこんのだろうよ)スワードの郵便局へ行った。
「なんまい?」と聞かれて30枚と答えたら、「13枚じゃないの、30枚?友だちがたくさんいるんだね」と、窓口係の男の人にいわれた。
「日本は今暑いの、これはサマーグリーティングカード」といったらうなずいていた。でも、これだけ乾燥して、涼しいアラスカの人に「湿度が高い、暑い」なんて実感わかんだろうと思った。

田舎町である。
空気がうまい。
お次は今日のメイン、シーライフセンターである。
シーライフセンターは、エクソンが1989年にここの沖で「原油流失事故」を起こして海や動物たちに多大な被害をもたらした償いとしてたてた研究施設もかねた水族館だ。
とりあえず、11時半出発の水族館の舞台裏を見るガイドツアーに申し込んだ。
早めのお昼をサンドイッチとコーヒーですませて参加した。
舞台裏は、さすがにリサーチと研究もやっているとあって、研究室と工場を合わせたようなつくりになっている。
なかなかおもしろかった。
その後、水族館の中見学。
大きな水そうのアザラシがかわいい。
トドもいい。
トドなんて、害獣という感じでどこがかわゆいのだ?と思っていたのだが、なかなかにチャーミングである。

エクソンの私たちが汚した海はこんなにきれいになったんだよ、という宣伝が少々うるさい気がしたが、夕方近くまで楽しめた。

アラスカ鉄道、5時50分発。
サンドイッチとコーラを買い込んで乗った。
展望車がオープンになったので即、そちらへ。
ものすごい景色の中を走る。
切り立った山々、氷河、湖、大木、森、時々見えるムースの姿。
手つかずの自然という言葉があるが、この場合「ちっぽけな人間なんぞに手がつけられない大自然」という感じだ。
シベリア鉄道が時速50キロ前後で走るのだが、このアラスカ鉄道もそんな感じだ。何しろ、ゆっくりじゃないと湖に落ちるよ、がけがせまるよ、みたいなところがたくさんあるのだ。
おかげで、景色が飛んで去らない。
堪能した。
隣りに自閉症の子どもを連れた父親がいた。
しっかりと手すりにつかまって、息子は景色を見ていた。
父はそんな息子を見ていた。

時々、昔に使われたらしい送電線が傾いて通り過ぎる。
人のしたことのちっぽけさ。醜さがこのでかい自然の中で際だつ。
金鉱掘りも入った土地柄だし。

アンカレジ着午後10時25分。
日没まで後30分ほど。陽が傾きかけて空はオレンジに染まっている。
美しい。
YHまで、トコトコ歩く。
あぶなくない、アンカレジって、アメリカだけど、治安いいよ。



2002年07月29日(月) スワードへ・そして6時間クルーズ

スワードは、キーナイフィヨルド国立公園観光の拠点だ。
今日はそこに1泊。
目的は、クジラを見る、シャチを見る!!
朝、6時45分のモーターコーチなので、静かに支度をして6時15分にYHを出た。
バスの出発場所であるイーガンセンターの前にはすでにアメリカ人のおばさん4人ぐみがいた。
「あなた達もスワードに行くのですか?」
と聞いたら、ヤー!と元気なお返事。
どこの国もおばさんはお元気ね。

7時前に動き出したバス、市内を抜けて森林を両側に見る道路を走る。
しかし、ここはアメリカ。実によい道路、快適だ。
時々アラスカ鉄道と交差する。
見ているうちに帰りはバスをキャンセルしてあれで帰りたくなった。
10時前着。
小さい町だが、やけにあたたかい。風もないし。
フィヨルド湾の奥のせいかな。
予約してあった港の真ん前のモーテルにチェックイン。11時過ぎに、クルーズのバウチャーをチケットに替えて、「グレイシア・エクスプローラー」という名前の船に乗船した。11時半、6時間のクルーズの始まり、始まり。
お客はかなり満員。
インド人の団体がいる。
出てすぐに、アザラシがいた。
何でもすぐにいる感じがする。
まずは昼食。
パン、ポテトチップス、チキンナゲット、リンゴ、ス−プ、ココア、そんなものを順番にもらいに行く。
私のすぐそばにはアメリカ人の親子がいたんだけど、厳格に順番を守る。
それも、親が行きたがる子どもを静止して、あの人の後って感じで。
その辺は日本の甘い親とひと味違う気がした。

お昼が終わってすぐに、アザラシのコロニーを通過。そして、いよいよお待ちかねのキラーホエール(シャチ・土佐ではサカマタという)の登場だ。
少なくとも4頭はいる。1頭は小型なので、もしかして子どもか?
結構頻繁に身体を出す。
白と黒のストライプの美しいこと!!そして、あの独特の背びれ。
キラーホエールの名の通り、シャチは海の殺し屋と思っている人は多い。しかし、あのほかの鯨にない美しさ、家族愛の深さ、狩りをするときの統率のとれた動き・・私はシャチをもっとも好きな鯨類のひとつにあげたい。
その美しさに惚れます。

シャチが出たのでお客は大喜びなのだが、追いかけていくうちにハンプダック(ザトウクジラ)も出た。
  *注 ホエールウオッチャーは鯨が現れることを「出た」と言う。
補食の最中。オキアミだ。
しきりにあのアコーデオンのついたでかい口をパクン・パクンとやって大暴れしている。何しろ15メートル級が暴れるのだから、迫力だ。
独特のわきビレをひらひらさせて、ペックスラップしている。
船の客たちは「バイバイ」「バ〜イ!」などと喜んで大騒ぎをしているが、あれはバイバイではないのだぞ。そばにきたキラーホエールへの威嚇だ。
おじずにシャチさんたちは静かに落ち着いてハンプダックに近づく。
ボヤボヤしていると、自分の半分しかないシャチにザトウもかじられるのだ。
ハンプダック、ますます暴れる。
そうすると、アクションがものすごく派手になる。
大受けだ。
私も楽しみました。
と言うか、鯨好きには願ってもないドラマチックなシーンなのでした。

やがて船は、巨大なハーデング氷原から舌状にせり出すホルゲイト氷河を目指した。
途中、海辺にグリズリーがえさをあさりにきているのが見えた。
ホルゲイト氷河は崩れ落ちる、絶えず。
内部から押し出してくる音はまるで発破をかけているような、ドドン、ドカンという音。そうして、ガラガラと氷河が海に崩れ落ちていく。
美しい崩壊だが、一方で不安になる。何だか、地球の崩壊もまた近いような気がして・・・。
ホンの30分ばかりの間に何回も崩れた。
船の客たちは静かに見守る。
何を感じて静かになったのだろう。

船はゆっくりと崩れ続ける大氷河を後にした。

帰りはアザラシやトドのコロニー、海鳥を観察した。
イルカ(多分ホワイトブレークドルフィン・・アイスランドで見たヤツ)がたくさん出てきて舳先で波乗りをして遊んでくれた。
ウイヤツ、ウイヤツ・・ありがとうさん!!

疲れたが、とっても楽しい6時間クルーズでした。
なんてたって、鯨としゃちのドラマをみたし、満足、満足だ。

久しぶりのプライベートルーム。
つかれていたので、頭を使うレストランはやめて、近くにあったサブウエイでサンドイッチをテイクアウト。
ああ、爆睡。



2002年07月28日(日) 26氷河クルーズへ

今日のメインは氷河クルーズだ。
氷河はアイスランドに1ヶ月いたときにいやんなるほど見たし、氷河の上も歩いた。だから、あんまり情熱的になれないが、とりあえず行くか、というところ。
11時、アンカレジのランドマークともいえるキャプテンクックホテルの前、10時45分集合。
しかし、こん。バスが来たのは11時過ぎ、アラスカ時間てあるみたいね。
座ったとたんに眠くなり、バスのドライバーが右手の崖にゴートがいると言っているが目が開かない。
フィヨルドの入り江沿いの道路をずんずん走り、アラスカ鉄道の線路ぞいにいく。しかしトンネル前で停車。
またまたドライバーの説明。
どうやら、アラスカ鉄道とトンネルをシェアしている・・見たい。ええ、ホントかい。そんで、今ちょうどアラスカ鉄道の通過タイムなので待つ、ということらしい。(おぼろげながら、の聞き取り・・昨日から聞き取れなくて苦戦しているのだ、私には毎度のことながらアメリカ人の英語が一番わからん、つらい、トホ)

見ていたら、来ました、アラスカ鉄道。濃いブルーと黄色の車体が鮮やかだ。
乗りたいねえ。
ごつごつとしたアラスカの自然をバックにした鉄道は絵になる。
以前ここはフェリーでわたったらしい。
でも、2000年にこのトンネルが開通となったみたいだ。(私のヒアリングはあやしいが・・そんなことをいうてたぞい)
頭をしょちゅう翻訳状態にするのってつかれるわ。
それも、聞き取れる単語で内容を想像?するのはマジ、シンド。

氷河クルーズの船は満員御礼。
鉄道待ちをしていた我がバスは一番遅い到着。
いい席はもう空いていない。それどころか、席を探すのにも苦労した。
ジョージアから来たという、ブラックの親子のとなりに入れてもらった。
眠い・寒いで、フリーサービスのアメリカ的うすいコーヒーがうまい。

船、1時出航。
静かな湾を進む。
景色は2000年の旅「ノルウエー・フェロー・アイスランド」を思い出させる。
海に舌状にせり出している氷河が美しい。
水にせり出す氷河のこれほど美しいものは2000年の旅では見なかった。
氷河の神秘的な水色。
アイスランドではあの上を歩いたよなあ・・・
2000年前の氷河のかたまりを食べたよなあ。なつかし。
時々、流木のようなモノが浮いている。しかし、動く・・なんとラッコだった。
あの独特の仰向けの形で、こちらを見ている。
群でいると、見応えあり。船すれすれのところでも悠然と浮いていた・・・
私がラッコをはじめてみたのは江ノ島水族館だけど、君たちはこんなところを故郷にしていたのね、という感じ。日本の水族館にいるラッコたちは「ずいぶん遠くに来たモノだ」と実は望郷の念に駆られているかもしれぬ。

このクルーズで目にする氷河、実はアメリカの名門大学の名前が付けられているモノが多い。
最後のサプライズ氷河のところでアザラシのコロニーに遭遇。
崩れた氷山の固まりの上でころころ、ゴロンゴロンしている。
そののんびり度は流木のごときラッコさんと似ている。
私は次に生まれるときは、クジラかクラゲが望みだけど、ラッコやアザラシもいいかも。なごむよ、見ているだけで。
こんな静かな海で日がな一日、ごろごろごろんって優雅で贅沢だぜ。

夕方7時30分帰着。陽は高い。
氷河が崩れるのを見たかったが、それはかなわなかった。

日本レストラン熊五郎で「キングサーモンの塩焼定食」。
おいしゅうございました。



2002年07月27日(土) アラスカ、第二日目

何でアラスカ第二日目なんだ?という感じだが、日付け変更緯線で一日戻った。
昨日着いたのが、26日夕方。(日本出発日)
予約していた町の中心に近いYHにチェックイン。一夜を過ごしたというわけ。
きれいなYHじゃないが、何かと便利なロケーションがありがたい。
9時に出て、近くのセルフのカフェで、デカカップのコーヒーとシナモンマフィン。アメリカ的朝食である。甘いものを食べると、頭が時差から立ちなおってしゃんとする。
10時、AIEのオフィスへ。
何度かのメールのやりとりでスワードのクジラツアーだの、フィッシュキャンプを決めた。
全料金、1825ドル、だ。もう高い、めちゃ。
なにがつらいといっても、私のようなバックパッカーあがりの旅人にはアラスカのツアー料金の高さがこたえるなあ。
まあ、夏で冬の分までかせぎださないといけないのだから仕方ないのだろうが。

明日からのチケット等を受け取った後に、バスで、アラスカ・ネイティブヘリテイジセンターへ行く。
バスはハワイで走っているようなレトロなやつだ。
それにしてもアラスカの町はわかりやすい。
通りの東西は、1,2,3,で南北はA.B.Cで表示されている。
迷いようがない。
高い建物はあんまりないし、あおい空が広々としている気がする。

ヘリテイジセンターは、要するにアラスカ全土のネイチブの人たち(エスキモー、インデアン、アリュート族など)の住居の野外博物館。屋内では、南の人(アカバインデアン)のダンスもあった。
ダンスは、4世堂々で、曾婆ちゃんから孫まで総出演。なかなか楽しかった。

3時過ぎ、AIEですすめられた土曜マーケットに行った。
サーモンのホットサンドが美味だった。
なにがいいったって、歩きながら食べるのが楽しい。
マーケット自体は、田舎の市場、である。
野菜から、鞄まで何でもあり、だ。

9時半には爆睡していたが、夜中に目が覚めた。時差18時間はやっぱりきつい。
日中は、さわやかで涼しいが日差しはきつい。夜は、涼しいというより寒い。やっぱりここはアラスカ、だ。

YHの部屋は6人部屋。夕べは斜め下のベッドの子から、明日の朝早く起きるんだったら、お越してなどと頼まれた。









2002年07月26日(金) 暑い日本の夏をワープ!!いってきます

昨夜は4時間はねたかな。
でも、まだ終わっていない。
フライトは夕方、諸々を昼過ぎまでにはかたずけて、うちを出発したい。

アラスカ、トロント、ウィーン、アムス、バルト、みんな涼しい。
それは少しうれしい。
でも、なにもかけなくても、ごろんと寝て風邪をひかない日本の夏も捨てがたい。

そういうわけで、しばらく日記の更新ありません。
8月半ばにアムステルダムの友人宅に行ったときに少しするやも?ですが?わかりません。

ではでは、みなさん、お体ご自愛の上、よい夏をお過ごし下さいませ。

いってきます。
9月の初めには戻りたい・・が・・まだ帰国便が確保できていない・・のです。
でも多分とれます、ハイ、大丈夫です。



2002年07月25日(木) 帰宅したが・・・

朝のお勤めの時にまた行者の前田さんと会う。
いろいろとお話しして、住所を交換、遍路道沿いのお方だった。今度寄りなさいといわれた。奥さんが、岡山の白桃まで下さった。

善通寺9時37分の南風4号。10時45分岡山発ひかり、うち着3時半。
新幹線の中で、メールの処理と日記のアップ。忙しかった。合間に眠ったりで。

洗濯、電話、メールでのカナダ宿の予約確認、アラスカにツアーのメール確認、アムステテルダムに帰国便のオーダー等々。
とにかくすること山積。
まだしたくもできていないのだよ。
やるよ、やるよ、今日も徹夜か?
昨日は、ぜん息ジュン君のすごい咳き深夜3時に起こされて、40分せなかさすり。あのこのつらさを思えば、微々たるものだが、ゆっくりねたいよう。

横浜は善通寺より少し涼しかった。
夜、伊丹のNさんよりわざわざ気をつけてのお電話を頂いた。

少しおもしろい話。
私が藤原新也氏の夢をみた日(南の島の民宿の大広間で彼のお姉さんの話をしている)彼はオキナワから2しゅうかんぶりにおかえりになった日なんだという。
夢のことをおネエさんのNさんに手紙で書いたら、おネエさんよりfaxがはいっていた。
不思議。時々こういうことが起きるんだけど、おもしろいよねえ。



2002年07月24日(水) ★善通寺2日目★

朝5時。まだ、外は本当に明け切っていないのに、「起きてください」放送が入る。
眠い、これがほんとにつらいんだよね。
となりのぜんそくのぼっちゃんジュンくんを起こすが、ほとんど死んだように眠っている。
昨晩は、深夜1時半まで、体を動かしていた。トイレに行って、それから本格的に寝入ったはずだから、数時間しかねてない。
揺り起こすと、寝ぼけて、わたしの膝の上にちょこんと座る。
おいおい、君の母ではないぞ。
額にさわったり、呼吸の様子を見るがどうやら大丈夫らしい。

5時半、御影堂にておつとめが始まる。
なんと、捨て犬が迷い込んでいて、大変だった。
みんな眠そうだが、しいんとして、座り、意味の分からないお経に聞き入っている。
このへんがこの合宿にくる子の偉いところだ。
普段、自分たちと遊んだりふざけたり、いろいろと教えてくれるお坊さんたちが袈裟を着て粛々とお経をよむ姿を見るのはいいと思う。

7時朝食。
ご飯の後に、坂出埋蔵文化センターへ。
土器の組立、火起こしなどをした。
バスの中で、高松にホームステイしていて昨日から参加しているジェニファーとしゃべった。
フロリダから、高校を卒業してこの秋から大学らしい。
久しぶりの片言英語。
なんかアラスカに行く前の言語トレーニングみたい。
それにしても今日も暑い。
帰りがけに、ジェニファーに「火が起こせたか」ときいたら、だめだった、難しいといった。
お寺への帰り、彼女にわびを入れて寝て帰った。疲れているわ。

昼からはプール。涼しい部屋で昼寝していたいところだが、まあそういうわけにも行かぬ。プールが毎年予定に入っていることはわかっている私だが、水着のことなんかすっかり忘れていたので見学だ。
おばさんは、夏の日差しの中で無力だ。気おくれを感じるんだよね。
1時20分出発。

プールの水温31度、気温33,5度。ほとんど温泉ではないか。
病気が移るのが心配なくらいの水温だ。 
もちろん、あつい。
集まって準備体操のところを「適当にやって入って」と、指導のお坊さん、みんなおおわらい。それでもちょこっとだけやるのがこの子たちのかわいいところ。いきなり飛び込む子はいない。
指導員のお姉さんたちの数人はお昼寝。数人はプール。私はシグマリオンで昨日の日記を書く。

3時半、帰る。
スイカを食べた後、それぞれ、班行動だ。
私は少しだけ居眠りした。ずいぶん楽になった。
伊予北条の鎌大師をたずねたS氏が寄ると行っていたのだが、時間がなくてキャンセル電話が入った。

さて、夕方、食事の前に事件が勃発した。
男子2班のウミ君が動けなくなった、ということでお呼びがかかった。
行ってみると、遊んでいて、みんなに罰ゲームということでガシガシたたかれて、おなかが痛くて立てないということだ。
部屋の隅っこに泣いて座っている。
ホントに立てない。
イロイロ聞くうちに要するに自分はバツゲームで力一杯たたかれたのに、次の奴は喘息だから(あのジュン君)ということで免除されたのがショックで、プライドを傷つけられて、孤独感、らしいのだ。
「私はウミ君の味方だから、そりゃきついね、つらかったね。ごはんをたべにいって、たべられなかったらおうちにかえろう、いっしょにいてやるから、うしろでまもってやるからたべてみようよ」
ということで、スタンダップ。
でも体はグニャグニャ。
しっかりと身を寄せてきて、すっかり幼児返りだ。
しっかりと抱いて、いろいろと聞くと今回は一人での参加。デリーケート系の子で、やっぱり孤独感が強い。

体を支えて食堂に行って、食べている最中ずっと背中にいてやった。どこか、体の部分が付いていると安心して食べるのだ。
ああ、男の子が弱くなっていると心の内でため息。

食堂で、思わぬ再会。
お遍路の時に石土神社であった行者のおじさんが声をかけてきてくれたのだ。
「あんたらがどこらいへん歩いておるかと気にかけておった、」
ということ、前田さんとおっしゃる。ご縁を感じた。
うれしかった。

ウミは夜の部、手品と英会話教室ですっかり元気になった。
よかった、でもずっとそばにいたけどね。
もうひとりの問題児、よこた君、お母さん恋しで泣きそう。
一人で泣け、ここで泣くな、5年だし、とさとして、我慢させた。去年からのつきあいの子だ。

夜、ジュン君が来てまた寝ている。しかし今日はつかれているのでぐっすりだ。

反省宴会はまだ続いている。

明日、私は早めに帰してもらうことにした。
まだ準備が・・・だ。 

  



2002年07月23日(火) ★ 善通寺少年少女合宿にて★

8時46分、のぞみで新神戸から善通寺へ向かう。
善通寺着、10時27分。
用意することがたくさんあるので、早く行かないと、思っていたのだがよかった。
マーブリングを溶かす液、紙に塗る定着液、のり、などをお湯溶きしておかないと何かとさしつかえるのだ。

善通寺のおひるは、香川らしく、うどんだ。
それを2玉食べて、パワー充填、とまでは行かないが昼からの作業に耐えられそう・・となった。

4時過ぎに、今治のKさんより携帯の連絡が入る。
お琴の奉納を今日御影堂で行うようになっていたのだった。
仕事を頼んで、いく。短い時間だったが、いい時間だった。
ことの奉納をなさった、U氏は、5月には破磐神社と生石神社でも奉納をなさったのだという。思わず、私も昨日行きました。さわやかな、涼やかな気の気配が漂っていますね、といったら、そうですね。と話が合った。

打ち合わせなどを挟んで、すべての作業終了5時過ぎ。
なじみとなった小佐野さんがいろいろと手伝ってくださった。

6時半過ぎに「世界に一つしかないマーブリングのうちわ」作り開始。
今度の合宿のスペシャルゲストであるアメリカからの親善留学生ジェニファー、イギリスからのエドワードの一緒に作る。
マーブリング自体はそう難しくないがはじめてなのと、人数の多さがネックとなって時間がオーバーとなった。
またうちわの縁紙はりも、3年生には難しかったらしい。
でもまあ全員完了だ。やれやれ。

寝る前、例のごとく、男の子が一人、うちに帰りたいと泣いている。
4年生。
毎年いるけど、男なんだよね。
去年泣いた、島田君という男の子、今年も来ている。
「5年だし、今年は心が成長で大丈夫だよね」
といったら、「成長してないよ、我慢している」と少しウルウル系の目になっている。どうも胸にこみ上げるモノがあるらしい。
今年の泣き男は結局、10時近くにお母さんが観音寺市から迎えにこられて帰っていった。
来年は5年だし、またおいで、友だちとおいで、といったら大きくうなずいていた。

夜、9時半過ぎには部屋で暴れすぎた3年生の男の子、ジュンくんが喘息を出した。
たぶん、部屋の埃が原因だと思うので、私の部屋につれてきて寝かせた。
深夜1時過ぎまで、眠れなかったらしい。最後にトイレにつれて行ったのは1時35分だった。
私も、彼の呼吸をきくのがつらいのと、心配とで眠れず。
隣りの部屋で、若い指導員さん、お坊さんがアルコール付きの反省会でもりあがっているが、昨日のお疲れが残る私はもちろんパス。喘息のジュンくんもいるしで・・・。
彼はこんなに具合が悪いのに帰る、といわないのが偉いといえば、偉い。

部屋の電気が明るいと彼が眠れないだろうとメールの返事も、日記もやらず。

(明日は5時おき。おつとめ。なにがつらいったってこの5時おきほどつらいものはない)



2002年07月22日(月) ★姫路・神戸・大阪まで 

朝、というより、深夜2時、起き出して、仕事の後始末。眠ると寝坊の可能性あるのでそのまま起きていて、はがきを書く。
早朝5時50分過ぎにうちを出た。
むああ、と暑い。

6時50分、新横浜発、岡山行き。
眠いが、寒くて、目が覚めた。仕方ないので、新聞を体にかけてまたお休み。まるでホームレスのおばさんだ・・・
も一つ、眠りを妨げるモノ・・力一杯はしゃぐ子どもの声。家族旅行だろうか。前の方に4人ボックス席にして乗っている。
夏休みなんだなあ。

大阪で、阿波公方さんサイズのアメリカンの団体20人ばかり乗車。
荷物も、体もでっかい。
きいたら、姫路城見学だという。
私が5月に見学に行ったときも、外国人のお客さんは多かった。世界文化遺産になるとやっぱり観光客が増えるのは確かだ。
四国遍路道がそうなるか、また四国のお寺や行政にその準備があるかといえば、それも疑問だ。

姫路着 10時18分。Dさんが駅で待っていてくださった。
西国札所圓教寺からの下山道でお会いし、おしゃべりして、このネット日記を検索をいれてくださりメール。それで何度かメール交換させていただきまた再会、となった。ネットがあったからこその2回目の出会いなのだ。まあ不思議なご縁。
今日のめあては、破磐神社、生石神社だ。

さっそく破磐神社へ。祖股間も忙しくおしゃべり、で、私は、どこを走ったかようわからん。ただ、播州の風景は、何か中国的だ。突如として、まるで桂林のような景色が出てきたりする。
破磐神社で、もう一人、あのときにお会いしたIさんとも再会。
早速3人で、割れ岩まで。
ご神体的岩の割れ目に竹が生えているのが不思議で風雅な・・・・
熱い「気」を感じるところだ。

また破磐神社に戻りお参りをした。
すがすがすく整備された境内の奉納殿みたいなところで、神主ご夫妻が夏のお祭りにおつかいになる竹を切る作業にお忙しかった。ご挨拶をした。今回は、お忙しいということで正式参拝がかなわなかったが、また次回、ということでお話をした。
お昼。神主さんが用意してくださっていた木陰の風がよくとうるテーブルで。
Dさんと、Iさんご用意してくださった手作りの品々、とビールで乾杯だ。
おにぎり、サラダ、煮物、揚げ物、デザートまで。ありがたくいだだいた。
久しぶりにまとうなモノを食べたって感じだ。
もう、かけないくらいたくさんのことをお話しした。
時間があっという間にすぎた。
神主さんの奥さんがスイカを出してくださったので、ありがたくこれもいただき、ここにしかない竹炭のお守りを求めた、無事に帰国できますように、ということで。
ちなみにこの社殿、境内の地は「涼しい気」がくる。竹の気と同じ。神主さんが竹にこだわられるのはよくわかる。
私が「ここの気は涼しい」と行ったら、神主さんの奥さんがそういわれる人は多いですよということだった。

2時過ぎ、Iさんとお別れして、生石(いいしこ)神社へ。
「宝殿」と駅の名前にもなっている「謎の石造物」がご神体だ。
前から行きたかったところだ。ネットで見たり、本で読んだりして知ってはいたが、でかいテレビブラウン管のような形の石を見るにつけ、何だろう?みたいな気になる。

山頂へ。
ほとんど一枚岩のようなお山。
気が強い。
360度の展望が開ける。
あついが、いい気分だ。
Dさんと、秋の月のいい晩、ここで寝袋にくるまって一夜遊びましょうよ、という話になった。
楽しみ。

宝殿駅でDさんともお別れ。4時過ぎの電車に乗って、三宮のホテル、チェックイン。
一応、支度を取り替えて、次のお約束へ。
Y氏に吉兆でおいしい夕食をごちそうになった。
一応、6時に大阪駅近くでもう一つ約束があるので間に合うようにしたいといったら、Dさんが予定をくんでくださった。それが完璧で感動。

さらに最後の約束、熊野を一緒に歩いたS氏との待ち合わせ。10時45分。
それまで、辻占で遊ぶ。
黙って手を出したら、当たらない。いろいろと大はずれ。
それでも人が並んでいるのは、場所がいいのと、強引なのと・・そんな理由かな。
S氏と再会。今度は彼の行きつけの居酒屋。なんか懐かしい雰囲気のお店。

三宮のホテル帰着1時50分。
ああ疲れた、長い一日でした。
でも、楽しかったけどね。





2002年07月21日(日) あじい、あじい!!

あさはやくから、宅急便2個も出しに行く。
PC原稿、8月分四本、送る。
(あと2本書かねば・・ネタが、ネタが・・・(-_-))
アラスカに予約メール、しかし、あちらはやっと土曜だし、返事、来ないな、あさってくらいまで、ヤレヤレ。時機を逸した。なるようにしかならん。
faxを入れたトロントのYHからなんも返事がこない。多分いけるんだろう。ちゃんと返事おくれって書いたのに。あたしの英語に問題があったのか?
そもそもメルアドがない(地球の歩き方にはのっていない)のが信じられん。

洗濯をし、一部足の踏み場がない部屋のかたずけ。おわんないよ、きたなくて。
生きて帰国しないとな・・・、はじかし。

明日のしたくも、旅のしたくもあるのに、こまった。
汗をたっぷりかきながら、掃除をしながら、のこり野菜で、カレーを作る。
ヤッパ、夏はカレーだ。
しかし、今日は暑い。

ヤレヤレと休みながらこれを書いている。
十分休んだらまたやるよ。
と、気合いを入れるのであった。

趣味の石集め、熊野で拾ったちっこい(1,5センチくらい)水晶みたいなやつ、今日しみじみとみたら、どうもフッ石のようだ。
以前、紀伊国屋の石屋で購入したスコレスフッ石によく似ている。
同じだと思うのだが。
フッ石は温泉成分が石となったもの。
加熱すると、沸騰するようになる石だ。
やったね。
鮎喰川で拾った石も、流紋岩系だけど、石英のはいったヤツはきれい。
眺めてしまった。
赤に白縞のは、なんか「名石」系だと思うけどわからない。
室戸にまっ黒けに白がペンキで塗ったように入っているヤツもおもしろい。
室戸のあたりは、地質学的にも変わっていて、明星石とか言うのがあるんだよね。
これが、そうかどうかはしらない。
カッパドキアのオニキスの原石を眺めていると行きたい、無性に。
北京は司馬台長城で拾った細かい水晶の固まり、日は当たるとよい感じ。
なんてことをしているから、おわんないのだよね。

今日もまた粗日記でした。
お許しを・・・





2002年07月20日(土) チップ談義

今日も朝から暑い。
起き抜けでインターネットから、交通事故関係、医療事故関係のサイトをさがして登録する。
一応、これをすると、一通り終わる。
だいたい終わったところに、スヌちゃんより電話。
夕方、あってごはんをたべることになった。
何しろ、メールと電話はするけど、あうのは2月からあってない。
忙しいけど、しばらくまたいなくなるし、彼女に渡すものが沢山あるし、話もしたいし。
彼女が都内からうちの近くまで来てくれることになった。
ありがとうさん。

昼から、マーブリングうちわ作り。よい子合宿見本だ。
まあマアのでき。
しかし、これを7,80人の子どもにさせるのはまた、計画を詰めないと・・・
はあ、先生時代の研究授業を思い出すよ。

夕方。
うちの中を絶対死ねないよ、状態にしてでかける。
一部、足の踏み場もない。
スヌちゃん、いつもジーンズなのに、スカートなんかはいているのでびっくり。
「だって、暑いんだモン」なのだそう。
ごはんを食べながら、アメリカのスヌーピーフェスの話を聞いた。
彼女は、一緒にいった日本の女の子のことに怒っていた。
「彼女、チップおくのがイヤだから、部屋の掃除してもらわないんだって、」
「だって、数ドルでしょ、それで生活している人もいるのに・・・けち・・」
「でも、飛行機はビジネスとかだよ」
 そういうの、よく聞く話だ。
空港のトイレのチップを払うのが惜しくて、トイレのおばさんとケンカしているきれいな日本人のご婦人、とかいるもん。
要するに、チップをおかない国から行った人間のせこさ、だ。
よく「地球の歩き方」なんかで、チップをおかなかったら、部屋掃除のおばさんがチップを要求して追いかけてきたという読者のお怒り話を読むけど、それはおばさんが悪いのではない。おくべきホテルや部屋に泊まって、おかなかった非常識さが問題なのだ。
おくのがイヤだったら、おかなくていいところ(YH・モーテルなど)に泊まればいいし、そういうところ(セルフ、ファストフード店)で食べればいい。
しかるべきホテルや、レストランの場合、それがその国のやり方だったら、するべきだ。現実にそれも読み込んでかの国のお給料システムはできあがっているのだし。
 いつか、ボストンのお寿司やさんアメリカの女性が、カードの支払いをしているのにチップは現金でおいているのをみた。
私もマネをして支払ったんだけど、(外国での私の基本、現地の人のマネをせよ、だ)みていたら、そうしているアメリカ人は多い。
アメリカ暮らしが長かったスヌちゃんにそのわけを訊いた。
「アメリカはチップも税金の申告の対象だし、いろいろな収入層から均一に国税局の鑑査が入る、カードでチップを払うともらう側も申告しないといけないの、現金だとしなくていいでしょ、だから、みんなもらう人のことを考えて、チップは現金にするのよ」
そうだったのか。
きょうは、ひとつ賢くなった。
でも、まあ、チップって計算がめんどう。
タクシーに乗って、降りるときにすばやくチップを、10から15%計算して支払いに足し算するのってすごく大変。おっくうになる日本人の気持ちは分かる。
細かいお金がなかったら「いくらいくらはチップ。いくらいくらは返して」というのも日本人にはやりずらいのだろう。(私はするけど)
 だからチップをやりすぎてバカにされる日本人の話ができていくるんだと思う。でも、どう見ても日本人より賢くないアメリカ人がやってんだから、日本人ができないわけがない、要するには小さい頃からそういう親の姿を見て育ったということなんだろう。

いつか、メキシコシティの空港でのこと。
前の紳士が、タクシーの列に並びながらポケットにすばやく小紙幣を詰め込んだ。
あっチップ。
マネをした。
彼は、荷物を載せてもらうとき、赤帽さんにさっと手渡して乗った。
かっこいい。
わたしも、ぎこちないけど、マネした。
だって、日本円にすれば100円にもならない額だモン。
バスの列ではなくてタクシーの列に並ぶ以上するべき、なんだろう。
あちこちで、注意深くみていると、彼らはさっとめだたないようにぽっけのチップがなくなると補充している。
そうか、それなりの苦労なんだ。

なんて今日はチップ談義。

藍屋で和食。
彼女はお酒を飲まないけど、私はビールと一杯の久保田。
うまかーーー。

夕方まで、ぎっちりとお仕事だったのでさすがに眠くて、帰ってきて眠った。
そして今。
深夜2時過ぎ。
少しだけ、いろいろとしてもう一度眠ろう。



2002年07月19日(金) お台場に片足踏み入れる!

昼から、エア・カナダのオフィスに行くために、はじめて、ゆりかもめに乗った。一駅、竹芝まで乗った。
たった一駅だけど、狭い、こんでた、観光客も多し。見える景色は、アリバイのない土地って感じで好きじゃない。

エアカナダのオフェスは、竹芝を出てすぐのサウスタワーって高層ビルで、なんかオフィスって感じがしないほど閑静。
ややお年はいっているが受付デスクのきれいな女性の向こうには、大きな窓から絵のような景色、これぞウオーターフロントという感じの風景。高層ビル、運河、運河を行く船。
応対してくれた女性は、昨日のヒラタさんではなくて、別の窓口担当の人。この方も親切だった。20分ばかりで、航空券の変更処理が終わり、一件落着となった。
本来、5万円ほどかかるはずが、変更手数料や空港タックスを入れて1万円と少し。すごく得したって感じだ。
世界一周チケットが、マイル計算でランクずけされていて、私のチケットのマイルにゆとりがあったから、こういうことができたのだが、そこまで調べてくれたヒラタさんに感謝だ。

帰りの車窓から、劇団四季の四季劇場が見えた。
フーンだ。こんなとこ、きたくないなあ。
見上げるような高層ビルが多し。
やっぱり、昨年のテロ事件のあの飛行機がつっこむ、映画を見るようなシーンを思い出す。この国のビルもやられそう・・・
それに、地震がコワイよな。地震国にこの高さはいいのか?
わたしの本能が怖がっている。
自然は人のテクノロジーをいつも越えるんだから・・。
ああ、旧約聖書にあるバベルの塔を思い出すよ。

おなじみの銀座線に乗ってホッコリ。
盲導犬を連れた人が乗ってきた。
犬、すごくおとなしい、というか静かな哲学者のような風情。
できてるのう、お主。

帰りに美容院へ、暑くて・・・髪を切った。もう少し我慢すれば涼しい?寒いお国へ行くのに我慢が足りない私であった。

今日も明るいうちにビール。
たまらん、ねえ。



2002年07月18日(木) じきに梅雨明けか?

朝イチ、たまちゃんのページにいって、昨日のコンサートが感動的に大成功だと読んで嬉しかった。
たまちゃん、つぐちゃんのフルートで涙を流したという。感受性がするどくてやわらかいから・・そしてつぐちゃんの音が本物だから・・・私もじんときた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 うちからでないでPCの前で煮詰まった仕事。もういやんなる、とヨーカ堂に食料の調達。目がかゆい。光がまぶしい。肩が痛い。首が痛い。もう典型PCストレス。
ああ、旅人したい!!!
明日はお台場だ!!といってもエアカナダのオフィスを尋ねるだけだけど、いったことないから嬉しい。お台場へ旅人するぞ。

それにしても、すべてが後手、後手・・・ため息しかでない。

今日、ネタさがしでインターネットで「ダイエット」と入れたら、50万件もヒットした。
なんという数だ。
この国、ホントに飽食だね。
怪しげなダイエット食品や薬を売るサイトがたくさんあったけど、やばいよね。
また、人が死ぬよ。
よかったのは「医師が教える1分ダイエット」というサイト。
1ヶ月に2キロ以上やせるな、とかリバウンドはして当たり前とか、そうだよね、とうなずけることが書いてあった。

あかるいけど、ビール飲んで一休みしてがんばるどお。

今日は、粗日記、お許しを。 <(_ _)>
しばらく粗日記になりそうでござる。



2002年07月17日(水) エア・カナダはご親切です

7時半に起き出してすぐに今日のノルマのお仕事をして午後から、マジに旅について考えた。何しろ、まだとりあえず、アンカレジのYH4泊しか決めてない。そんなのありかって感じで・・・・。

まず、アムスのクリエイティブツアーに帰国便・バルト経由のついての問い合わせをメールでした。
次にエア・カナダへ電話。しかし大変混み合ってます、状態だ。
ならばと、ネットサイトにつないで、トロントから、ケベックシティのタイムテーブルをチェック。
はじめナイヤガラだけでいいや、と思っていたのだがケベックシティの先にベルーガ(白イルカ)の生息地があるとガイドブックで読んだ。もちろん行きたい。
一週間もいないのにトロントからの移動はきついがしかたない。行き当たりばったりのつけが回ってきたよ。
サイトのタイムテーブルによると、5本ほど飛んでるが、もしかしてケベックシティよりもっと近いところに寄港地があるかもということで、やっぱりエア・カナダに電話。
いろいろと事情を話したら、どうしたら安く早く移動できるかと調べてくれて、なんとアラウンド・ザ・ワールドチケットを変更すれば、(トロントをトランジットにして、ケベックシチィまで直行する・北米は5箇所までのストップオーバーが可能)75ドルを出せばどうやらいけるらしいということが判明。オオ!!5万円ほどかかりそうだとため息をついていたのに・・ありがたや。
電話で応対してくれたヒラタさんという女性、すごく親切であった。
チケットはUAで予約しているから、ACは全然もうかんないのに、すごく時間をかけてくれた。感謝。
アラスカの旅行社は問い合わせメールの返事は全部来たし、エア・カナダのこのご親切なサービス。とりあえず、もうかりはしないけどサービスを提供することで次の利用を待つ・・という姿勢、正しい。だって、ここまで親切にされると、次は絶対エア・カナダ使うよと私、思うもん。
商売って、この積み重ねだろう。
思わず、昨日の学校商売のF教材さんの無神経、ずれ具合をかんがえる。
やっぱり、あれはおかしいよ。
あんなことをしてたら、明日はないと思うよ。それとも学校相手で超安定だから関係ないのかしらん。ガッコの先生たちには腰低くしてお伺い立てているからいいのかしらん。いやらしかあ、ね。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
そのほかの旅課題

*アラスカ・アンカレジ4泊以降の予定。それで、アンカレジ4泊、シャチを見 に行く以外はどうする? なにする?
*カナダはトロントのYHの手配。カナダのYHサイトにつながないと・・
*ウイーンではどうする?ザルツブルグに行くんだったら、宿は早めだわよ。
*バルトはアムスについてからでいいか・・・田舎だし、行けば何とかなりそう だし・・・

ウィーンはいろいろと楽しそうで、お暇することはないだろうけど・・アラスカよね、問題は。いろいろとフル状態みたいだし。
自分の旅のアレンジをするのは楽しいが、時間がないとホントに困るのだ。
やっぱりお遍路がながすぎた?かな。反省。
22日の宿を旅の窓口で三宮に取った。ネットで取ると安い。



2002年07月16日(火) 朝から不愉快だ!!った

読む人も不愉快になるタイトルですまんこってす。

善通寺のよい子合宿に使う材料のことで、朝から川崎市内にある学校相手のF教材さんに電話した。
以前に担当してくれた人はおらずに事情を説明して切った。
10時過ぎに開口一番に「ながい電話ですな」と皮肉っぽい調子でかかってきた1本の電話。
教材屋だった。しらんヤツにそんなことをいわれる筋合いじゃないとむっとしつつ「エエ、電話があったり、その返しでかけたりでしたから」
のっけから、イヤーな応対、向こうは私以上に何かと、皮肉をこめてくるし。
例えば。
F「うちわ、紙とセットになった50本セットしか、ないです」
私「そうですか、ハンズにしようかな・・」
F「みんな先生方、そういう風にハンズというけど、ハンズはそんなにカズがないよ・・」(せせら笑うように)
私「マーブリングのセット、80人人でどのくらい?」
F「4個くらいあれば」(そんなこともしらんのかの気配)
私「そんなでありますか?」
F「先生たちは下手に使うから無駄なことするんだよね。あるさ、うまく使えば」
(言い方が皮肉ぽいんだわ、すごく)
F「22日だったよね、間に合わなかったら、また電話するから」
私「それはないでしょ、間に合うという前提で注文をお願いしているんですから、そうじゃないですか、間に合わないいんだったら、はじめかたそういうべきです」
F「送るのが間に合わないんだよ、だいたい、こういう注文は2,3週間前にするモンだろ」(すごくえらそう)
プチプチと切れたね、私。
私「間に合わなかったらどうするんですか、だって宅急便とかだったら、すぐでしょ、品はあるんだし。ものを注文してこんなにえらそうな応対されたのはじめてですね、こういうのものを売る人の態度じゃないですね」
(1週間あれば今やたいていのものが間に合うよ、海外からのものだって場所によっては来るよ・・と内心の声)
F「こっちはサービースでやってんだ、学期末でいそがしんだよ。それにテリトリーがあるんだよ、香川は香川でやるんだよ」
 だったら、最初から「今忙しいのです、お受けできませんとか、テリトリーがありますので、香川県で注文して下さい・・」とかって、ことわればいいじゃないか。アホ!!(これも内心の声だよ)
私「テリトリーのこと今初めてききましたよ、数年前からお宅に頼んでいるけど。とにかくここまで話を進めておきながら今さら恩着せがましくサービスだのテリトリーだの言うのは困ります、もう来年から頼まれてもお宅には頼みませんから今回だけはやって下さいよ、宅急便でけっこうです。有料でいいですから間に合わせて下さいよ」
F「はい、はい、はい。そうですか」(ねじ曲がった返事・・返事、3個もいらないよ)
私「公立学校相手のお仕事はさすがに腰が高いんですね。とにかく、ものを頼んでこういう応対をされたのにはびっくりです、初めてですね、気分がよくないですね、でも品物は責任を持っておくって下さいよ、いくら学校相手のように金額がはらなくてもね。でも私も学校つとめの友人が沢山いますし、こういう応対されたとついグチりますよ、きっと、ホントびっくりですもん」
 いやみっちく私も力一杯いってやったぞ。
 そもそも、初めてのうちに電話して「もしもし」の前に「長い電話ですなあ」はないでしょうが。バカにしているよね。電話のかけ方、知らない。男のぼんくら校長に時々こういう人がいるよな。
何を話してもいらつかせてくれるヤツが、さ。
でも、切ってから、ホントに送ってくれるか心配になったよ。

紹介してくれた友人(元校長)に電話して話したら、「わたしたちには腰、低いけどね」だって。ちなみに電話してきたお方はあのF教材の社長なんだと、びっくり、だ。
あさってくらいにまたあの親父、違う、社長に電話してやるぞ。
サービスでやるんだったら、もっと気持ちよくやれないのか。
おいくつか知らないが、人徳のないお人だ。
ふつうの民間は、少ない注文でもこなしている。「ありがとうございます」といって。でも、あの親父は「ありがとうございます」からすごく遠かった。
電話の基本も身に付いていなかったもんな。
学校って、外から見るとおかしなところが沢山あるが、出入りの教材屋までずれている。
私もキれないで我慢して応対すればよかったんだけど、はじめからあまりに変だったもん。
まだ、ニンゲンできていないのである。。
ケンカ、おひさしぶりねえ・・海外へ行く前に口ゲンカトレーニーングをしてしまった。もっとも、今回はケンカするようなお国には行かない感じだが。

台風一過。
暑い。
ついにクーラーを入れた。
仕事、ボチボチと・・。




2002年07月15日(月) リトアニア・インフォメーションセンターへ

長岡北発9時05分の高速バス、池袋東口1時過ぎ戻り。
弟が送ってくれたのだが、父母も乗って付いてきた。父、ますます無表情になった。動作のすべてがすごくのろくなったし。具合は良くなっていないということなんだろう。

連日の雨で、県境の山並みからはガスが立ち上り、ちょっと神秘な雰囲気だった。

帰り、西新宿にある、リトアニア・インフォメーションセンターによった。
バルト3国で唯一日本に窓口を持つ国だ。
歴史的にいえば、まだ独立して10年あまり、あのソ連邦の崩壊のどさくさのときに生まれた。もともとソ連邦に併合され、虐げられてきた国だ。
後の2国ラトビア、エストニアもそうだが、ロシア系住民が多い。比べてリトアニアは、リトアニア人が多い。だから、独立も後の2カ国より早かった。
といった歴史を知らなかったので、2000年夏アイスランドで、ラトビアの子にあったときに、私の国はよい国よ、私は祖国を愛しているわ、と聞かされて、その祖国への思いの熱さに、日本人はこうはいえんなあと感じた、どうしてこうも素直?の謎が解けたものだった。彼らは、ごく最近に勝ち取ったのだ、独立と自由を。

ところでインフォメーションセンター。観光局だと思ったのだが、なんと倶楽部ツーリズム(近畿日本ツーリスト)が運営している。観光局を自国で持つほどの力がない国がここで情報を提供している。
リビア、チュニジア、シリア、ペルー、ルーマニア、等々、興味津々の国があって
どこかで自分のうちにある「放浪のトラベラー」的マインドを押さえねばと思っているのに、逆に火をつけられた感じ。
ペルーとかチュニジア、リビア、シリアの資料をもらってきてしまった。

若い、リトアニア担当の女性に大変親切に応対してもらって、南のリトアニアの首都から、北のエストニアまでいったときに、またエストニアの直行するバスがあるのか、あるいは3国間の航空便はといった疑問にしっかりと答えてもらった。
ネットサイトも教えてもらって、まあ情報の少なさがカバーできそうだ。
ただ、旅の情報は多すぎてもつまらんし、最低のことがわかるくらいにとどめたいとは思っている。

帰宅4時。
風が吹く、空は青い、夏だ。
台風の影響とは思うが、暑いけれど爽やか。
帰宅してお昼寝してしまった。

夕方起き出して洗濯、片づけ。

明日からの1週間が、26日アラスカ行きまでの勝負。
「怠けないでやらないといけない・・ぞ」
「あい」
と、自問自答のmohejiでした。



2002年07月14日(日) ★大雨注意報の新潟★

夕べもすごかったが、今日も昼過ぎから雨。
風も吹いて、さらに激しい降りだ。
台風はまだ沖縄なのにどうして?
さらにさらに今日は、異様に湿度が高かった。90パーセント。長岡の最高気温34,5度。これって、すごいよね。従って、私は、ぐうたら昼寝三昧だった。

夕方、ミツコさんとお買い物。
夕御飯の支度。
キムチ炒飯、春雨とキュウリ、ハムの馬路村ユズぽんサラダ、ハマチと南蛮エビのお刺身、モロヘイヤのお浸し、シジミの味噌汁。枝豆も。
なんか、久しぶりにこういうこと、したわ。
キムチ炒飯とビールが合う。母が作った豆(枝豆)もうまい。
極楽だあ。

母が、今年はスイカを狸にやられたと嘆いていた、去年は、カラスにトウモロコシ、その前は豆だった。
私が子どもの頃、そんなこと、あんまりきかなかったのになあ。

弟は、春先に暑くて、今になって異様に雨が多いから、早生の稲がもう稲穂を出して、今年は早生の米の出来が悪い、と嘆いていた。

社会人一年生の甥は、薄給なのに、やたら飲み会が多くて財布がピンチだと嘆いていた。
私も遊び歩いているので悩みは甥に近い。
よくわかるよ、と同情しておいた。

エネルギー補充した感じだし、明日はかえってがんばるよ。
  



2002年07月13日(土) ★お久しぶりね・・新潟★

夕べはビールを飲んだらすごく眠くて朝がたまで不夜城状態で、爆睡。明るくなりかけで、電気を消して眠り直す。なんか損をした気がする。

いろいろと片づけたり、手紙を書いたりで、9時半、うちを出た。11時5分池袋東口発の高速バスで帰る。
乗っている時間が4時間あるので、本が読めると、旅のガイドブック、仕事関係の本6冊もって出た。それ以外に届いたばかりの旅行人。それでザックが重い。
新幹線は、景色はつまんないし、乗っている時間は短いので週間誌1冊も読めないときがある。
その点バスは、いい。本は読めるし、群馬は赤城山あたりからの景色はいいし、特に新潟県境の山の気配は好き。それに安い。往復で新幹線片道分だもん。
朝ちらんと降っていた雨は上がって、少し蒸し・・。

池袋に10時40分について、飛び乗り状態が好きな私はなんか時間を損したような気になってしまうのだ。困った性分だ。
土曜なのに思いの外、空いていて、空席もある。
本を出して読み始めるものの、またしても爆睡。高速にはいって目が覚めて、読書にいそしむ。
交通事故関係の本を2冊。とりあえず目をとうさねば、なのだ。
一冊は息子さんが事故にあって加害者や警察と闘かわざるを得なくなったフリーライターが書いたもの。よくわかる本。弁護士のモノよりはるかに力が入っている、当事者になるとはこういうことなんだと、改めて思った。
一応4時間で、斜めだが内容把握完了だ。
やれやれ。

いつのまにか車窓の景色は赤城山をすぎて県境へ。
緑がしたたっている。
日本の夏の色だ。

長岡北着、3時。早め着。
おおかたの客はすでに湯沢で降りているので車内はがらがら。
新潟まで後一時間、湯沢からだと2時間かかる。新潟県って広いな、と感じる。
高速を降りると、ミツコさんが迎えに来てくれた。
実家、1月以来かな。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**旅行人より・・おもしろ話****

◎ カイロの動物園にゃ、シェパード犬がおりに入れられているという。
わけ:イスラムの国は犬を汚れたモノとして嫌うので、町中にいない。だから、動物園で見る。そういえば、カイロで犬ってみかけなかったよなあ・・そういうことだったのか。猫はいたよ、猫は。
◎ イスタンブルの動物園には、豚、猫がいる。
わけ:豚、そりゃ、彼らはたべんもんねえ。めずらしいよね。猫はなんで?野良系の猫、見かけたよ。

★私の体験
 アイスランドの動物園には豚、山羊、鶏・・・別に珍しくもなんともないやつがたくさんいたよ。
 日本人が上野のパンダ舎に群がっていた頃、中国の広州や西安、上海の動物園のパンダは珍しくも何ともないらしくて、ほとんど放し飼い状態。小汚くて、やけに元気に遊んでた。全然大事にされていなかったよ。見ている人もあんまりいなかったし。中国人に人気なのは猿、猿山だ。それから、あの毛が金色の猿(キンシコウ?)。確かにパンダより、猿のほうが見ていてオモロイよね。
さすがに孫悟空の国、B型人民たちよ。
ちなみに、パンダ、中国語では「熊猫」(シュンマオ)といいますだ。

私も動物園、好きだから、けっこう行くんだけど、カイロとイスタンブルではいかんかった、ほかにみるモノがたくさんあって。次回は見てこようぞ。





2002年07月12日(金) 電車で爆睡・・はずかしや

眠い目をこすりこすりで起きて、メールチェックと洗濯。いい天気、台風は?という感じの空だ。
しかし、北海道33観音の結願にいったS氏からのメールでは北海道、昨日は大荒れ。結願はしたが、観光できず、で、飲んだくれているんだとか。そうでしょうね。かわいそう・・

昼過ぎ、仕事の打ち合わせ、都内へ。
電車ですわったのはいいが、即、爆睡。
渋谷まで、意識不明だった。

夕方帰宅。
明日は、郷里に帰る。
身体が、もう一つしっかりしないのだが・・。しかたないか。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日徳島の紀伊国屋で「四国霊場立地の謎」を入手した。
一読したが、なんか、1000円ソンしたかな?が感想だった。
だって、例えば、海岸寺を線上に入れているけど、お大師さんの頃、あそこは多分波打ちぎわか海だったというのに・・・おかしいよね。
まあ、一種の「お大師さんファンブック」と読めばほのぼのだが。
ただ、石鎚山、剣山、太龍寺の線はなんか説得力がある。



2002年07月11日(木) ★無事に帰宅!!サンクス! お大師さん★

台風一過の空は青い。
朝食後、たまちゃんに電話。昨日のお礼を言う。なんか、電波が悪くて電話がとぎれる。ここは山中を実感した。

8時すぎ、植村さんの女将さんと柳水庵へ車で向かう。
歩くとあんなにえんやこらさ・・の道も車だとはやい。
8時半過ぎには、着。
昨日、ご拝顔に伺います、とお電話していたこともあった、なんと待っていて下さった。
すでに、11番からのお遍路さんが3人着いていて、納経の高らかな声が聞こえていた。昨日泊まりの方はもうでたという。
それを聞いた植村さんが「大変やわ、そんならうちには1時には着くねえ」とあせるが「だいじょぶ、うちに来るのに11番から4時間かかったというし、そんなに早くにつかんとおもいます」
 お元気なお声だった。少しホッ。
あがらせていただいて、お茶を頂きながら肝臓の手術のお話を伺った。
3月4日に入院して、7日に2センチほどの腫瘍(悪性)を切ったのだという。
前から肝臓がお悪かったらしい。(疲れやすくてしんどくていらしたでしょうに・・・そんなことはみじんも感じさせない・・)
7日に切って29日に退院しましたのよ、とのこと。
看護婦さんたちが元気ですねえ、というんですよ。
 とにこやか。
少し目の下に隈が見えるが、声の力や好奇心の強さ、話ッぷりは変わらない。
またまた、ホッ。
ただ、お体、すこし背中が丸くなって切った方へ身体の形がまがったという感じで、それが痛々しい。
先日お医者さんに定期検診にいったら、3週間のお薬が出たらしい。順調でないと3週間も出さないだろうし・・なあ。
写真をご一緒にといったら、今度いらしたときに・・といわれた。待っていますよ、とも。代わりにおじいさんと2回とっていってくださいな、とも・・
伺った話の中に、掬水へんろ館の談話室に出てくる空我さんのことがあった。
お参りをさせていただき、30分ほどで失礼した。
Kさんと「なんか少し安心したね」。
帰路、植村さんの女将さんとも「すごい気力だよね」という話になった。
私たちがいる間にも先着の3人が立った後にまた、3人のお遍路さんが来てお参りをして休んで行かれた。そのたびにお接待で動かれる。身体が休まるヒマがないと思うが・・・気合い、気力以外の何ものでもない。
柳水庵のおばあちゃん(といってはしつれいだが)、85歳にしてバイクでオヘンロする大鶴旅館のおばあちゃん(元おかみさん)、鎌大師の妙絹尼、はへんろみちの3大女傑(快女)といっていい。
女としてはかくあるべし、のお手本だ。
私は話しに聞き入って、大失敗、なんと納経をしてお代をおいて来なかった。
ドヒャー、だ。
明日送らなくては。金平糖のおみやげまで頂いたのに、あああ、情けなや。
私も、穴がなくても入りたい・・よ。

10時47分のバスで徳島駅へ。
お昼を食べてから、十郎兵衛屋敷と木偶人形会館へいった。
ビデオで、傾城阿波の鳴門を見た。
人形会館では、人形の頭にさわらせてもらって、動かしてみた。文楽好きとしてはなんか嬉しかった。
ちなみに阿波の人形芝居に使う頭は大きい。
農村人形芝居は今や徳島でも2箇所しか残っていないのだという。
徳島市のはずれと、徳島県と高知県の県境、一度見に行きたいと思った。
この人形を使うというのも、そもそもの始まりは渡来系の技術、古代の徳島をこの人形芝居から想像したりして。
確か台湾に「布袋戯」という近縁を感じさせる伝統的人形芝居がある。

4時半のバスで空港へ。飛行機は20分遅れで発った。
乗る前に飲んだビールのおいしかったこと!!
kさんにお礼を言って、お別れする。

ヨーカ堂で買い物をして9時40分過ぎに帰宅した。
台風だったが、今回も無事に終わった。
たまちゃんにも会えたし、柳水庵のおばあちゃんにもお会いできたし。
お大師さん、サンクス!!でした。

明日から忙しいぞい。



2002年07月10日(水) ★焼山寺下、植村さんにて★

昨夜は「夜来風雨の声を聞く」状態。で、田圃のカエルは喜んで徹夜で鳴き声コンクールか、カラオケ大会か、○●パーチィかはしらんが、まあ、にぎやかであった。
朝、台風はルートを変えたようで雨は小康状態になったが、なま暖かい風がきもちわるい。
山はガスっているし、ゆうべの雨だと道は川状態だろうし、地盤のゆるんでいるところもあるかも・・天気は不安定だし・・無理はやめよう、やはり今回は残念だが、歩いて焼山寺へ行くのは見合わせようと勇気ある撤退を決めた。
それで、お母さんが午後に帰宅なさるまで、たまちゃんのお数珠作りのヘルプと演歌の鑑賞いうことで作業所休みのたまちゃんとkさんとおうちにいることになった。
9時前、お父さんがお茶やお菓子を用意してくださり、ビーズやカセットをもってたまちゃんが別棟に来た。お母さんもお仕事へ。
kさんと、3人で、おしゃべりをしたり、歌を聴いたり・・・・・・
たまちゃんは、私が河島英吾が好きなことを覚えていてくれてかけてくれた。これ、ミッチー先生もすきよ、といって・・・・。
私は、たまちゃんと話しながら、メールを書いたり、アラスカのYHを取ったりした。(とれた、とりあえず、着いてからの宿が4泊決まったのでやれやれだ)

昼、お母さんが作ってくださったお弁当を食べて、おひるねしよか、と、昼寝をしかけたら、お母さんが帰って見えた。
外はすっかり晴れて、台風一過。

出かける前に、たまちゃんの希望で腰や背中の痛いとこに、灸をした。
すごく小さいのをしたんだけど、たーいへんだった。
(もう、たまちゃん、鶏が首絞められるような声を出すんだもん・・・ショボ)
明日、柳水庵さんに行くために、12番下の植村さんまに泊まることにして駅まで送っていただいた。
たまちゃんは電車が来るまで待って送るといってくれたが、20分以上あるので「いいよ」といって、さようならをした。
あっという間の一日だった。名残を惜しんだ。
Kさん、手を振りながら、「ごめん、ありがとう」とか自然と口にできるのがすごいよねえ・・いい子だよねえ・・・
そのとおり。優しいんだよねえ。
次はいつ会えるかな。

徳島駅で5時35分の神山町寄居行きに乗り、広野で町営バスに乗り換え、6時20分植村さん着。
植村さんには今日の天気の中を焼山越えをした若い男性お遍路さんがいた。
天気は降ったりやんだり・・だったという。道はやっぱり時々川状態・・・

徳島から、ここへくると、いかにも山里に来たという風情がある。
役の行者さんやお大師さんが好きそうな深くて堂々とした山の重なりに圧倒される、やっぱり。
部屋のガラス窓にトカゲ(しっぽが切れているのがいた)が張り付いて、明かりを目指して虫が飛んでくるとパクッとやっていた。お見事!!
見ていると飽きなかった。
裏を流れる鮎喰川の音が終夜きこえる。



2002年07月09日(火) ★たまちゃんのおうちへ★

そとはいまにも降り出しそうな気配。朝6時、おつとめだというので行く。ただし、セコム管理下にあるので勝手に外に行けない。一応、インターホンで解除を確かめてから出た。

おつとめは30分あまり。立派だった。
終わってから、へんろみち保存協力会の宮崎さんのことなどをお話しした。
昨日いただいたパンで朝食。
7時15分、住職さん、奥さんに見送られて出た。奥様がご祈祷をしたお塩をくださった。
きれいだし、ご親切な宿坊でした。

雨が激しく降る。
7時46分の高知行き各停に乗車。
高知で10時40分の電車に乗るまでに買い物をしたり、コーヒーを飲んだり。むしむしと暑く、時々ジャーと激しい雨。

土讃線、阿波池田行きは、一両。
試験中で早く帰る高校生などで混んでいる。
土佐山田からはトンネル続きだ。
前に行って眺める。
止まったときに運転手さんにいったいいくつトンネルがあるのかときいたら、「トンネルばっかりですわ、いくつなんて数えたこともありません」といわれてしまった。
実際その通りだった。
途中でハプニング。高知に行くつもりで反対に乗った親子づれがいた。
運転手さんもどうしようと、山の中の駅でいわれて困惑していた。結局、県境の比較的大きな駅で反対に乗り換えた。便利ではないから大変だ。
大歩危、12時40分着。
降りたはいいが、超田舎。駅前に観光案内所とあるが名ばかり、やっていない。
川下りをしたいが、増水でやってないのではないか(運転手さんがいった)駅そばの酒屋さんできいたら、わざわざ電話してくれた。
だめだった。
かづら橋はどうかといわれたが、タクシーで片道3000円。
「往復で6000円も払って行くほどの価値があるの?」
ちょうど、停車中、弁当を食べていたマイクロバスの運転手さんにきいた。
運転手さんしばらくかんがえて「ないなあ・・・今は緑一色やしなあ・・・箸蔵さんにでも行ったらどないやろ」
きまった。
思いがけないことだが、そうすることにした。
電車も、なんとちょうど来た。飛び乗る。
タイミング良し。

池田駅で「特急料金を払いたかったのに、来てくれなかった、ゴマしようかと思ったけど、おへんろさんはそういうことしたら罰が当たるし、ここで払います、いくらですか」
といったら、大笑いされた。
310円。
またまた駅前の観光案内所に飛び込んで箸蔵寺へのいき方をきく。
案内所にいたおじさん、1時27分の電車、ロープウエイ、帰りは3時36分のバス、そうしたら、穴吹に泊まる特急剣山10号に乗れると素早く書いてくれた。礼を言って、またまた走る。
電車、ジャストセーフ。
なんか、タイミングがすごくいい。お不動さんに呼ばれている感じだ。

雨はやまない。
参上の寺はガスの中だ。
ロープウエイは私たち二人と、男性一人だ。
箸蔵さんを知らないというKさんに箸蔵寺の位置を説明する。
本来なら、65番の後にくるつもりだった、と。
ガスっているが大寺、荷物をロープウエイの事務所であずかってもらい、でた。
護摩堂が立派。
不動霊場だけのことはある。
本殿への石段前でびっくり、すごい段だ。
たまちゃん、ここをあがったことをすぐに思い出す。大変だったろうな。
Kさんと、荷物を預かってもらってよかったね、と話しながらえんこらさと登った。
立派なお堂・・・。ここは霊山、だ。例のごとくに足裏がパワーを感じる。
ガスっているが気配は、荘厳。
しっかりとお参りして御影堂へ。
ここもガスっているが、広々している。

石段途中にある薬師堂や、護摩堂にお参りしていたら、あっという間に一時間が過ぎた。
納経所のおじいさん?が気持ちよさそうに昼寝、納経が悪いような気がした。

3時のロープウエイに乗って降りた。
8月の箸蔵サミット?の下見に来た感じだなあ。

バス時間まで下の売店でいろいろと話して試食品を食べさせてもらう。
買わないのに悪いですねえ・・なんていいながら。
その売店のおじさんが、ここから香川の金比羅さんに抜ける道があると教えてくださった。今度行くぞう。
バスに乗って駅に戻り、剣山乗車。
4時46分、穴吹駅でたまちゃんのお母さんとたまちゃんがでむかえてくださった。
いやいや、よかった。
たまちゃん、いいえがお。

ついて写真をいろいろと見せてもらったり、たまちゃんの演歌のテープを聴いたりして過ごした。子供時代のたまちゃんはまさに正統美少女。もちろん、今もかわいいが。
お父さんがお帰りになったので、5人で夕食、乾杯をして、いろいろとお話しし、楽しい夕食タイムだった。
たまちゃんもいつもよりたくさん食べたみたい。
その後、私はネットの怒濤の書き込みをみて、私も書き込み。阿波公方さんからの電話。ミッチー先生、愚さんともお話しする。夕べはすごく楽しかった様子。
たまちゃん、ミッチー先生に虫さされの薬を頼んでご機嫌。
お父さんがアロエをつけてくれたが、いらんと拒否の姿勢。かわいいなあ、笑った。
阿波公方さんは、箸蔵寺は晴れていたら、すばらしいといろいろと話してくださった。また行かなくては。
たまちゃんは、お父さんとお風呂、その後、お父さんと一緒にネットの書き込みをした。
「いあた、いあたい」というたまちゃんの背中をもんだ。こりこり、これは切ないだろう。

11時すぎに、別棟のおうちにもどって、休んだ。
kさん、寝ながら、いい子だよね、たまちゃん、としみじみいった。
楽しい一日だった。
思いがけず、箸蔵寺もお参りできたし。
明日の台風が心配。焼山寺越えができるかどうか・・・・。



2002年07月08日(月) ★ピカピカ 大善寺さんの宿坊★

4時半おきで日記サイトのアップと思ったら、具合が悪い。6時20分には、36番へ行こうと思っているので仕方なく、ワードに書いたものをコピーして出かける準備をした。

Kさんの納経帳と自分モノを持ち、出発。すでに池上さんはきちんとした身支度で1階のレストランあたりにおられてドアを開けてくださった。夜は遅いようだし、朝はこんなにはやくから・・・体は大丈夫か、と思う。
外はムアーとして湿度が高い。はるか眼下、太平洋は油を流したように静か。潮目だけがくっきりと見える。

スカイラインから、昨日登ってきた山道を下る。じっとりとして雨がたくさん降った後のようだ。ガスも樹間に漂っているし。木の生気が身体に来て、蒸し暑いが、かなりいい気持ちだ。
15分で下り、本堂前に。すでに灯明が、あがっている。
納札をしようと、納札箱をふっと見たら、一番上に持って行けといわんばかりに錦のお札、池上さんに進呈しようと思いいただく。
昨日も高知屋さん前で、これ一枚になったわ、という錦のお札をいただいた。それはキクチクンにあげた。通しで、マメを作りながらも、がんばっているし・・・・今回はずいぶんと錦札に当たるが、すっとあげる人に思い当たるのでそちらに回した方がいいと思って、そうしている。

本堂をお参りし、お経は、Kさんの分も読んで、下って仮大師堂になっている恵果堂をお参り、で、納経所が開くのを待つが、7時になってもあかない。見えたのは5分すぎ、でした。
36番、鬱蒼とした木立を切り払い、大師堂の新築を、ということで明るくなっていた。
登り20分弱、7時20分過ぎには土佐に帰った。ガラス張りのテラスで、Kさんとキクチクンが待っていてくれた。
ご苦労様でした、ありがとう、とねぎらわれたが、何の何の、ザックがないこの程度の登りなんてお散歩、マジに。私、つよくなったわ、熊野パワーッだ。
しゃべっていたら、池上さんも来てくれてお話する。昨日は、宴会が二つもはいいていてゆっくりお相手ができなくて・・・といわれてしまって恐縮。
でも、いいことだ。昨日もお風呂出会ったお泊まりの方が、がんばっているし応援したい・・といっておられた。
サポーターができていけば軌道にどんどんと乗っていくことだろう。
錦のお札を差し上げた。

3人でご飯をいただき、その後、インターネットでたまちゃんのページを2人に見せた。池上さんが食後のコーヒーをごちそうしてくださった。
も一晩お世話になるというキクチクンにさよならして、サイトのアップをもう一回下でやったらできた。
その間、池上さんからタイの象トレッキングの話を聞いた。乗っている象が草を食べたりして道草をしたら行け、というのがなんと「クエ」というのだと・・笑った。池上さんはタイボーダーあたりがご贔屓らしくて、その話をなさるときは本当に楽しそうだ。ここをはじめて当分行けそうもないのがつらいといわれていた。
そうだろう、わかる。
ドミトリー、朝食、夕食(豚カツ定食)で、4200円。
ありがたい、いい宿でした。

9時、送っていただいて出た。
すぐに土佐の隣にある36番、奥の院お参り。
なかなかにパワーがあるよ、ここは、っていう感じだった。

横波スカイラインをすたすた、しかしトラックがくるわ汗はぼたぼた・・・いやはや、だ。
トラックは人がいるということを想定しないスピードでとばしてくるのでまず参った。まあ、でも、大きくよけてくれたが。このへんが四国のトラック野郎の優しいところ、お礼の会釈をする。
アップダウンはあるが、トラックさえこなければいい道なのに・・・。
2時くらいには横波3里の合流点へいくという感じで、かなりゆっくりだが、休み休みでないと、むしむしだし、大変そう。
うどんとアイスクリンの店10時20分、アイスクリンを食べて20分休み。
このへん、帷子岬、というらしい。店には猫が3匹いた。

次の休憩はやっと見つけた赤い自販機、アクエリアスの一気飲み。うまーーーい!!冷え冷え感で、頭の気温?が一気に下がって回転し始める。正気に戻る。
11時半から20分休。

淡々とアップダウンの道を歩く。登りになると後ろのKさんがどんと遅れる。
ぼちぼちいこか・・です。
武市半平太像(なぜこんな寂しげなとこにあるのか?)の広場でトイレ10分休み。
またまた淡々、汗ぼとぼと、背中のアセモかゆし・・状態で進む。
15キロ、いくしかないもんな。
1時すぎに、またまた赤い自販機を見つけてご飯代わりのカリントとオレンジ、 
飲み物で休憩。たっぷり30分はやすんだ。
ご飯は食べたくない。
2人とも、飲みたいだけ。

2時すぐに国道へ合流。予定通り。
この道は寂しかったし、歩道がないという印象だったが、よくなった。

3時、押岡近くの貴船神社で休んでいたら、近所のおばあさんが飲み物とお菓子をお接待でくださった。ありがたくいただく。ポカリは冷たくてすごくおいしかった。休むうちに雨が本降りに。
須崎は町の真ん中に高速が通って景色が変わった。
駅への道をはとった。雨がかなり強く降る。ザックにはカバーがしてあるのでよし。体はぬれるにまかせる。あまりにぬれると疲れがくるが、もうそこだし。このまま。
4時50分、大善寺着。
境内までミニケーブルがついたり、下に大師堂を新築したり、宿坊を作ったり大変身をした別格5番さん。
新築の宿坊素泊まりが今夜の宿。
先に納経をして石段を登りお参り。
部屋は新しいにおいがするぴかぴかのお部屋。
若い住職さんが自ら案内してくださり、朝食にとパンのお接待までしてくださった。

夕方、大降りだった雨があがった。
今回はここでうちとめ。
次回は、そえみみずを歩きたいといっていたM氏とKさんと3人で歩く予定。
また亡きKさんのご主人の思い出話をして3人で歩きたいと思う。

明日は徳島へ。

お大師さん、ありがとうございました。





2002年07月07日(日) ★国民宿舎 土佐にて★

朝4時のサイトをアップ。昨夜は10時に寝てしまった。だんだんと夜がやっぱり早くなる。

朝6時10分、昨日から一緒のキクチさんとKさんと3人で朝御飯をいただく。
7時前に雪渓寺さんに行き打つ。納経所のおじさんがおもしろい。曰く「お大師さんの前のお賽銭箱、床時旅行をします。人が知らせてくれたんで、取りに行きましたわ」。まあ、この調子で、急がず、騒がすにゆっくりと納経帳を処理なさる。納経所にあるお釣りも時々みんな消えるのだという。

7時20分、種間寺へ。
高知屋の女将さん、見送ってくださる。今度くるのはいつになることやら・・・・今日は、ピーカンの空。まるで梅雨が上がったかのような空だ。
あつい、大変。
それでもがんばらないと・・何しろ宿にする予定の国民宿舎土佐までは、30キロ出る。おまけに36番まで、5時までに行かないといけないし。
道がよくなった。95年当時はこの道は歩道なんかなかったのに立派になった。今日は、日曜で、クリーンアップ作戦のようで地元の人が総出で道やどぶ掃除をしている。挨拶を交わす。これが四国のいいところ。西国では味わえない、よね。
9時前に34番着。でもあつくて、ついたとたん、500ミリのアクエリアスが1本あいた。
お参りをすませて休んでいたら、私たちも前にまわっていろいろといただいたから、というご夫婦が500円玉を3人に一つずつお接待くださった。ありがたいことだ。

9時半ちかくになって出た。
キクチクン、左足のまめが痛いらしく遅れがちになる。それに彼は荷物が多い感じがする。送りかえすといいよ、とKさんとともにアドバイス。

12時前後に35番について、1時前に出ないと36番5時がきつい。がんばるが何しろ暑い。仁淀川の土手にあるお地蔵さんのお堂で、20分休憩、風がきもちよくて、動きたくない。木の枝がが揺れるほどの風が来ると、もう気が遠くなりそう・・・
急げばいいモノを、Kさんが時計が欲しい(泊まったまま動かなくなった・・昨日)、ということで、トイレや涼みたいという気持ちで、家具のお店には行ってまたまた大休憩。こりゃ、だめだ、しかし、あついんだもんね。

35番までのみちは、新道などができて大いに変わっていた。
適当に行ったら、少し尾根すじが違ったけど、こんな風にも行けるのねという感じで、行けた。
最後の流汗坂はさすがにきつかったが、やっぱりほとんど息が乱れない。
kさん、キクチクン、大いに遅れて、ほとほと疲れた、きつかったと、到着した。
kさん「前はこんなにきつく感じなかった」
おいしいお水をたんといただきお参り。
その後、途中で買ってきた食料の昼食。下を見晴らしながらのご飯は涼ししくておいしい。境内で小夏を売っていたおばあちゃんがお接待で皮をむいてくださった、すごくおいしかった。

1時20分出る。
急ぎたいが、なかなか。2人ゆっくり。
かんかんでりの田圃の中を抜けて、喜久屋さんそばから36番ルートへ。いよいよあつくなる。
それぞれ、だんだんと距離が広がる。私、Kさん、キクチクン。彼は通しの疲れと豆で大変。
ツカジトンネルを3時すぎに抜けたら、36番は5時につける。とふんでいる。そのためには1時間5キロのスピードが必要なのだが・・・・・やくろう橋をわたってしばらくして、振り向いたら、2人は相当離れて、なおかつ前屈みで、もう前に倒れそうな・・・・前に赤いコカコーラの自販機が見えてきたのでやすむことにする。なんか、無理っぽくなってきたなあ・・・・
ここで、ボトル一本。きょうは、もう1リットル以上飲んでいるよ。
10分休んで、坂をのぼり始め、トンネル入り口に、整備された公園、立派なトイレ、あずまや。また、トイレ休憩。2人はかなり遅れている。これはやっぱり大休憩が必要なんだわ。
あきらめるか・・・そうすると、土佐から翌朝、また下って、登って・・・となるんだよねえ・・ふうう・・

東屋には、中村から来たという逆うちの犬連れの夫婦お遍路さんがいた。すごくかわいい犬でお話した。木立の石に座った、kさんとキクチクン根が生えたように動かず。こりゃ、完全に36番をはずしたね、まあいいよ、急がない、が3回目のテーマだったし。

ツカジトンネルはホントに立派。ガードレールがついている。
宿に遅く着くのもいやなのですたすたと進む。
どんどん距離、はなれる。
宇佐大橋のところで、調整のために待つ。
3人でさえこれだから、大勢で歩くってすごく大変だろうな、と思う。
kさん、つかれはてれた・・という感じ。彼女は外反母趾なのにえらい、のだ。
キクチクン、到着。
15分、休憩。
5時15分前。
土佐に電話して、車道を行くのがいいのか、遍路道がいいのかときいたら、へんろみち、だという。
さらにはつかれているんだったら、迎えに行くが・・という申し出を受けたがキクチクンが乗らない人なので「お遍路の友情」で私とkさんもつきあうことにして。
歩く。

外反母趾が痛くなったkさんが遅れる。
ゆっくりと歩く。
36番前着5時25分。悔しいよね・・こうなると・・打ちたかったよね・・この見上げるような急坂を登って、明日またおりて、スカイラインの道を行くことにしているからまた登るんだよね。ああ・・むなしやなあ。
一人だったら、ゆとりで打てたのに・・とつい、ちいさい声でグチが出る・・・

少し休んで、登り。
6時少し前に車道へ。
全員土佐着6時過ぎだった。
お遍路さん用ドミトリーは景色はないが、きれいなシーツとお布団、これで十分だ。冷房もしっかりと入るし。
お風呂からの太平洋が絶景だった。
思わず、クジラを探した。
Kさん、明日またおりて登る自信がない、という。
「私、代参してきますよ」
熊野の時、M氏のスタンプ押しを代わりにしたことを話して、そんなのいいの・・という彼女にいった。
60歳だもん、いいですよ。今日は少しハードになって、もうしわけなかった。
洗濯、乾燥、食事はキクチクンと・・彼はここで、1日休もうかと思案中、それもいいよね。

インターネットで、たまちゃんとしのじんさんのところに書き込み。
アラスカのyhのhpにつなぎたいが「ノット、ファンド」が出て不可?なぜだ?
困った。
10時就寝。

サイトアップ、早朝でした。。



2002年07月06日(土) ★火渡りをした!!★

5時起きて外を見ると空は怪しい。今にも降りそう。昨日も、朝食を食べて出るか、食べないで行くか、Kさんと相談したのだが、天気が最悪にならないうちに行こうということで、6時過ぎでにしたのは正解だった。

6時15分、フロントの方に送られてでる。
安楽寺まで。
6時40分着。
すでに境内には数人、近所の方のお参りの姿がある。犬をつれてのお参りも。その犬、シベリアンハスキーが興奮している。見れば生まれてまだ数ヶ月だろうと思われる子猫が1匹フガーと毛を立てて犬をにらんでいる。やるじゃん、ちび猫!!
どうやら捨て猫らしい。見回すと、ファミリーらしくに何匹かいる。ここにすてられて繁殖した、ということらしい。

しっかりお参りして、納経所の開くのを待つ。

7時すぎにオープン。
「おまたせしてすみませんでしたな」というお言葉とともに。
猫の話をすると、やっぱり、捨て猫が繁殖して、好きな人が毎日餌をやって・・・のパターンらしい。
「やらんといてくださいというてもお参りにきがてら、餌を持ってくる人が多くて、もう土のところは猫のおしっこ臭くて、それでほら、そういうとこコンクリ−ト張りましたわ、それだと、水で流したらいいし簡単ですしなあ、子猫は死ぬんですわ、埋めてやります」とたっぷり、きかされてしまった。

高知城のわきを通り、高野寺へ。
高知城、未だいったとなし、いつかと思うのだが。
高野寺は立派なお寺だった。
お大師さんがご本尊とかですでにきれいに掃除されて、何かいい雰囲気だ。
ゆっくりお参り、納経してから、本堂前のベンチでKさんと彼女の亡きご主人が夢に出て見えるときなぜかランニング姿だという話を聞く。
「なにも考えられなくて、お棺にお遍路着とマラソンのときの支度しか入れなかったからね、お父さん、スーツがないからどこにも行けないの?とおもうのよ」
などと・・・・・。
供養だよ、な、亡き人のこと、話すのは・・・・。

ものすごく蒸してきた中を竹林寺へ、高知市中心部を歩く。風もあるし、ぼつぼつ雨が降るお天気なのだが、蒸し、蒸しだ。汗がだらだら。

竹林寺着、9時半すぎ。
途中、「田内千鶴子生誕の地」という大きな石碑があった。前にはなかったものだ。この人は、戦後すぐだったか?韓国人牧師さんと結婚してあちらにわたり、夫が亡くなっても夫が作った孤児院を維持拡大をした人、こういう方こそ「偉人」。
そうか、「ハチキン」さんだったのか、だ。
竹林寺の、遍路道、呼吸も乱さずにあがる。自分ながらびっくり。やっぱり、熊野でグレードアップした?坂の嫌いな私は、こういう坂ではすぐにハアハア、べろを出した犬状態になったのに。

竹林寺は好きなお寺だ。いと、つきづきしってかんじ。
お参りの後、本堂の前にできていた真新しい売店の横の休憩所で冷たいお茶をごちそうになった。そこで、やはり歩きの男性と話す。初めて、通し、もう疲れていますよ。穏やかな感じの人。真っ黒、いかにも夏近いお遍路って感じの色になっていた。
あっちよ、次は、と方向をお教えしてお先にと出た。
初遍路の時、なにが困るったって、どっちか、なだから。

川でやたらに魚がはねる。
絶対雨来ますよと話す。魚がはねるときはそうだもん。なんいう魚しかしらないが、かなり大きなうまそうな魚だ。

ぼつぼつ歩いて、家の門前にあった椅子で座って休ませていただいていたら、おばあちゃんがでてきていろいろとしゃべっていたら、「今日は石土神社の年一回のお祭りですごくにぎやなかなんだ、行きたいんじゃけど・・」という。
イシズチときいて、あれ行きたい・・通り道ですかときいたら、そうやな・・通るなあ・・ということだ。kさんと、よし寄りましょ、ということになった。

少しいった道沿いの自販機前で飲み物を飲んでいたら、さっき竹林寺で一緒になった男性お遍路さんが来た。
彼も、休んでコーヒータイム。しかしホントは「ビール、ないんですねえ・・」ということで、ビールが飲みたいらしい。
「あ、あるきながら飲むの?」
「昨日、そうしたら、道、間違えました」
笑いながらいう。でしょうよ。

32番への道筋にある池の蓮が花盛り、見事、見とれた。

登りが強風ではためいている石土神社着、12寺40分。
みんな何かを待っている感じ。
「なにを待っているんですか」
「お護摩じゃ、今日は1時からあるんじゃ」
へえ・・・
境内に行って見たら、確かにそうだ。山伏姿の行者さんがたくさんいる。
ご本尊は山上だというので、行こうとしたら、「あんた、遍路の話をした人じゃろう?ホンマにあるいとるなあ」と突如声をかけられた。
ええ?
ほら去年の先達の講習会で・・・
はいはいはい!
「ワシ、美人は覚えとるで」
ありがとう!!!!!
なんか奇遇だ。

参上に登り、ご本尊でおかじを受けた。
道中安全の気合いをいただいた、ありがとうございました。
してくださった人から不思議なお話を聞いた。
そして「愛媛の石鎚はここの分家なんで」といわれてエーとまたびっくりだ。
年に一回のお祭りや、ご縁じゃ、是非火渡りをして行けといわれた。
そうすることにした。
山を降りてから、今日の宿高知やさんに遅くなる旨を知らせた。
お護摩会場に行ったら、さっきの男性遍路氏もいて、高知やさん、、とまれますかね、というので電話してやった。
1時すぎに儀式が始まった。鍬うちのような仕草、矢とばし、刀の払いなど、ふーん・・すべて初めて・・で、興味深く拝見した。
1時20分近くになって火がついて、外につけてある生桧のいい匂いが漂う。そのうちにすごい煙。強風にあおられてたちまち、こわくらいの火になる。
積み上げられた、護摩木の願い事が、行者さんによって一つ一つ読み上げられ、火に投げ入れられる。
いつ終わるのか、心配になって、偉そうな年季の入った、おじいさん行者さんにきいたら、2時半過ぎには渡れるようになる、大ジョブやその後にお寺にいったほうがいいといわれた。
そうすることにした。
2時半すぎに、護摩木が終わり、塩がまかれて、いろいろと気合いが入り、わたれるようになった。
みんな靴下を脱いで待っている。
私たちもスタンバイ。
3じ少し前に、わたった。少し足裏にジワンときたけど、ほんとにあつくななかった、不思議。

餅巻きのおもちをもらって、声をかけてくれた山伏さんへご挨拶して、出た。

4時、32番着。
6時10分、種崎発乗る。
高知やさん、6時20分すぎにつく。
途中、3人でわけて、と接待を頂いた。
高知やさん、うれしい、懐かしい宿だ。

思いがけない体験ができた日であった。








2002年07月05日(金) ★ただいま、高知駅前★

夕べは、国道のトラックの音で時々目が覚めた。Kさんは、私はなれているけど・・ということだったが、mohejiは、結構睡眠不足ぎみ。
外は今にもふりだしそうだが、おちてはいない。
6時少し前に、食堂に行く。朝食をいただいて10分過ぎには出た。
かとりの女将さん、外で合掌して送ってくださった。前もそうだったな・・・
国道沿いに新しいホテルができていた。
高知黒潮ホテル開業したばかりだ。足湯、天然温泉・・いいねえ。おまけに素泊まり和室、1里4000円、シングル4800円、安い。かとりさんは大変なことだろうが、お遍路さんには朗報だ。(野市 幟立の先 0887−56−5800)
それを眺めていたら、おじさんが車から降りてきて、わざわざ道を教えてくれた。
ご親切様。
どうやら、道のわからないお遍路さんと思われていたようだ。
野市の通りにはいったら、丸米旅館さんが新しくなって開業していた。
Kさんと二人して、エー。
kさん「それだったら、昨日がんばってここまでくればよかった・・・」
私「前に電話したときに、今やっていません、といわれたんだけど。廃業といううわさも聞いたし、それって新築中だってことなんだ」
ふたりして、きれいになった丸米さんをしばし観察及びのぞきをした。
ここは、Kさんご夫婦と私が3泊目一緒だったとこ、思い出は深いのだ。

28番さん、最後のほんの少しの坂をあがるまで、もう汗がだらだら、今日もがまの油どころか、プールから上がった状態だ。
しかし、さすがに入れ違いで団体さんが帰ったら、札所境内は深閑。シーズンオフを感じる。
ゆっくりとおまいりして、納経所へ。
荷物を置かしてもらって、奥の院へお参りに行く。
ここの水は首から上にきくというが、なによりおいしい。
しっかりいただいた。

のったり、のったりとあるいて、都築さんのお宅に向かう。
都築さんには、99年冬に伺ってお話をお聞きしたことがある。
あの優しい柔和な感じ、懐の深さを感じる雰囲気がとても好きだ。訪れる人に平等に善根宿を続けられるお姿は尊敬の一言。
ぜひ、おあいしていきたい。
遍路道の魅力的な人々のおひとりだ。
ということで物部川をわたり、土佐山田の田園地帯にはいる。
都築さん宅は農家だ。ちょうど、おばあちゃんがニラの束作りをしておられた。
挨拶をして、お父さん、はおられますか・・自己紹介をしてお聞きする。
「今は石鎚のお山開きで行っているがや。10日くらいまではもどらん」
そうか、都築さんは石鎚の行者さんだった・・忘れてた・・そりゃおられんわな。
しかたない・・・

しばし休ませていただいて、部屋におかれたノートを拝見する。
しばらくしたらお母さんが帰ってきて、私が自己紹介をしたらああ・・と思いだししてくださって「あのときよりやせたね」といってくださり大喜び。
冷たい麦茶をいただき、昨日は8人泊まった、部屋に入りきらないで、ここ(作業場)にテント張って・・ということだった。すごい・・この季節に・・。
生活、苦しいよ、農家はみんなそうでしょ、だから今はマンションの管理のしごともしとるがよ、という話。・・それでもなさるのがすごい・・といったら、食べるもんはあるきに・・とこともなげにいわれるお母さん。やっぱりここのご家族はみんなただ者ではない。

雨が降るどころか、空は晴れ上がってきた。あつい、あつい、ただそれだけ。
自販機で飲み物、へんろ石饅頭でまんじゅう休憩と休み続け。
11時過ぎに29番着。
途中で中司茂兵衛のしるべ石を2基見た。
国分寺はなんかさわやかで好きなお寺。
木で囲まれた境内が、涼しかった。大師堂脇の酒断地蔵のお堂がきれいになっていた。ここ、霊験あらたかだというし、な。

あつい、あつい あっち あちち。
田圃のなかはいいが、国道に出たらもう汗が泊まらずに目にはいる。
Kさん、どうもおなかの調子がよくないという。
困った。歩けるけどね、ということだが。
丸和石材さんの前を通りかかったら、休んでいってよ、といわれて「お遍路休憩所」におじゃまする。
クーラーだあ!! 
涼しい・・冷たいお水・・・すべてがうれしい。お祭りしてある大日如来さんとお大師さんをお参りしてゆっくりと休憩。あれほどしたたっていた汗が引いていく。
kさんといろいろなお話をしてなんと45分、1時半まで。
kさんおなかも心配だが行かないと・・いつまでここにいてもつかないから、ということで30番へ向かう。
冷たいお水と体が冷えたおかげで元気が出て歩ける、すたすたと。
外も、45分の間にまた曇って今にも雨が来そうだ。その分、涼しくなった。
一宮に抜ける逢坂峠、ずいぶんと道がよくなって歩きよくなった。
前はなんか気持ち悪い気配とトラックに閉口してたのに。

30番、2時半着。
ここは、国分寺とは対照的になんか好きじゃないというか、ボサとした雰囲気でどうも・・のお寺だ。Kさんにそういったら、争いをしたからでしょ、と一言。なるほどね。
飲むだけで食べていない、二人ともおなかが空き気味になってきたので、おやつを食べて団体バス2台分の遍路さんが去るのを待った。
3時過ぎ、30番を打って高知市内へ。
途中、農家の直販ショップで田舎に「マルセイユメロン」というなんかフランスみたいなメロンを送った。甥が好き、あいつはチビの頃、発熱してもメロンを食わすと熱がさがった奇跡の人だったから。そこで、スモモの完熟も完熟、もうもちもちのやつを買ってたべる。もううまくて、ほっぺ落ちそう。またしても、買い食いだ。お行儀がよくなくても、これが一番うまいのだわ。
農家の人たちに気をつけてや、といわれてまた歩く。

駅への道でまたしても中司のしるべ石。どうしたんだろうか、目に飛び込んでくる。

駅前通り出たところにあった、ビジンネスホテルの和室部屋にチェックイン。
ホオッと。Kさんはおなかが張ると・・ずっと言っているし今日はここがちょうどいいところ。やっと25キロというところか。
4時30分。
明日は雨らしい、困ったね。








2002年07月04日(木) ★本日30,5キロなり★

6時02分の奈半利よりの始発電車、唐浜へ。
空は曇りだ。
駅への道で前方よりご夫婦遍路が見えた。「どこにお泊まりでした?」ときいたら、そこのビジネスですよ、今日は27番なんではやく出てきたんですよ。
と旦那さんの方がにこやかにいう。いいお顔だ。定年退職での歩きのご夫婦だろう。
11分、唐浜着。真新しい駅舎の外でおばさんが掃除をしてうれしそうだ。
駅舎の周りはウンカ(稲の虫)だらけ。おばさんにこれ、ウンカといったら、よくしっちゅうね、とほめられた。
国道に出てすぐ、若い男の子お遍路にであった。
良心市で「イクリ」と合ったプラムのような果物を買った。
小粒だが、50円で結構あった。酸っぱいが歩きには合う味。要するにソルダム小型版だ。
Kさんと立ち食いで食べるからうまいんだよね、とばきばき食べる。白衣にピンク色の汁をしっかりととばしてつけてしまった。

蒸し暑い。汗がじわじわとまるでガマの油のように流れる。いやはやだ。
海は荒れている。
台風の影響だろう。
波切不動尊で一回目休憩。神木椰(なぎ)の木を中央分離帯のところに残した考え方(思想)は今や一番現代的な環境保全のやり方に通じると思う。
それにしてもあちこちで歩道が広くなった。そして、鉄道開通のために景観が変わった。沿線の人たちにとっては待ちに待ったということでなんか、駅近くはなんかうれしそうだ。
イオキ川近くでまた買い食い、今度はミニトマトだ。甘い。細長くて甘いのだ。まるで果物を食べているよう。
kさんとこのトマトはスーパーで見ないよね。といってむしゃむしゃと一袋を食べきった。何しろ、朝ビスケットを3切れだけ食べて出てきたのでなにをたべてもうまい。ついでにコンビニでおにぎりでもと思っているのだない、コンビニが。
もしかして、高知県って日本でもコンビニ普及率の悪いほうの県ではないか。
イオキ川で網を打ったり石の下に手を突っ込んでなんか捕っているおじさんがいる。
何だろうね、とkさんとしばらく立ち止まってみていたが、たまらず、おじさーん、なにとっているんですか?と声をかけた。
「鮎じゃ」のアンサー。
おお、鮎か、天然の鮎か!!
kさんとどうやって食べるんだろね、とまたまた食い気。
何しろ、二人ともおなかが空いている。
やっと安芸の童謡トイレの前にあるファミレスに朝定食の看板を見てけてはいった。
クーラーが利いている!
冷たい水がうまい!
ご飯もよし。
ご飯、茗荷の味噌汁、納豆、あじの干物、じゃこ天みたいなやつ、キュウリ、梅干し、卵焼きと付け合わせにたっぷりのサラダ、味付け海苔。最後にミニコーヒー。結構でした。あじの干物とミョウガの味噌汁は絶品。700円也。
私はこの空腹感とおいしい!を感じにお四国に来る。

9時30分、二人とも大満足で歩き出す。
途中で逆うちの男性と会う。荷に、野宿の道具が見える。
やがて、自転車道へ。
うねりが高くて、海の潮が道にまで飛んでいる。飛沫がミストになってふりかかってくる。
八流山極楽寺着、11時すぎ。日が出てきて俄然暑くなる。汗は滝のよう。
まえにこのルートを歩いた夏遍路の時も11時をすぎると急に暑くなったという気がしたのだが今回も、だ。
極楽寺、お参りはしたが、犬がすごくたくさんいてやたらにほえて落ち着かない。トイレをお借りする。

冷たいモノがのみたい・・・と探して国道へ。
500ミリを一気。
西国のときもそうだったけど、まただ。
次は、赤野の休憩所で20分以上のお休み、で、うねりで白い飛沫をあげている海を眺める。座ると動きたくないよ。このままいたい、暑くて。
赤野橋近く、土佐黒潮鉄道の鉄道線が眼下。ここ、写真のポイントとしてはベストの一つだろう。
しばらく行くと松林の中に大きな縁台のような板敷きのお休みどころがあった。
またまた二人して上がり込んでひっくり返る。
ホント、海からの風で気持ちいいのだ。丸太の枕もあるし。
靴下も脱ぐ。きっもちいい。
寝付きのいいKさん、ぐうぐういびきかいて、寝始めた。
いや、参った。
私もつられてうとうと。
前のこのへん(確かもすこし先)で昼寝をした。
道も単調、木陰もあるし、で眠りたくなる?いや、11時過ぎの暑さでシエスタを体が要求するのは自然?
30分の昼寝で、ようやくまた動き出す気になった。
私たちが起きあがったら、男性お遍路さんが一人行った。
これで、今日は5人会った。このあついのに5人。すごいよね。
20分も行かないうちに今度は自販機とトイレを見つけた。また休憩。
ぜーんぜんまえに進まない。
地図がめくれない。
「こんなことしていたらつきませんね」と1時間、休まずに歩くことを誓ってすたすたすた。
やっと、地図がめくれた。
夜須に入ってほうえい橋そばに「ヤシイパーク」とかいう立派な公園ができていた。鉄道開業の記念らしい。

やっと、赤岡にはいって、今日の宿かとりさんもちかくなった。
国道筋かとりさんてまえのお店で、ミカンを買おうとしたら休んでいってください、といわれて奥の椅子で、冷たいカルピスのお接待をいただいた。
クラーのそばでいただいたカルピスは「極楽味」だった。
繪金祭りの話をした。
繪金は絵師、中央を追われてこの赤岡でたくさんの怪しい繪を残した。
 祭りは7月の第3土日だという。今度ゆっくり来て下さいといわれた。
マジに、そうしたい。

4寺10分。かとりさん着。
おきまりの風呂洗濯ご飯。
食後、Kさんといろいろと亡くなったご主人の思い出話をした。
私がKさんと会ったのは95年のお遍路、そのとき元気だったご主人が97ねんに、交通事故でなくなってもうおられない。
「じきに7回忌なのに、でもまだ帰って来そうな気がするのよね」
「お大師さんのとこで修行をしているうだろうけどねえ・・でもねえ」
彼女突然夫を失った心の傷はまだ癒えていない・・・。
事故のむごさをまた思う。
でもお遍路で、思い出話をいろいろとするのは、彼女の心のためにもいいし、亡くなったご主人の供養にもなると思っている。

明日は午後、雨らしい。





2002年07月03日(水) ★奈半利 二十三士温泉にて★

羽田発2時55分のANAで高知へ。
高知はむうとするが、まだそう暑くはない。
空港のバス乗り場にいたおじさんに「後免までタクシーで行って乗るのが早い」と教えられて、タクシーで真新しい後免駅まで。
そう、オンナテッチャンがはいっている私目は、開業したばかりの「土佐くろしお鉄道」の後免、奈半利線にのりたいんだもん。

高いところにある駅舎にエレベーターで上がると、ちょうど、5時01分の電車がある。
切符(奈半利まで1040円)を買って入るとすでに電車は、はいっている。
腹にかわいい小人ミカンみたいな絵がついて、一両、かわいい。
コンパートメントと、オープン席が半々、座り心地はいい。
すでにおじさん、おばさん乗っている。
それと、高校生。
社内のふつうは吊革広告が張っているところには、開業を祝って地元の小学生が描いたクレヨン画が掲示されている。
なんか、いいじゃん。

定刻に発車。
車内はほぼ埋まっている。大半は高校生、となりにいた男子高校生から「どこから来たんですか」ときかれてしまった。
乗っている人も、待っている人も、さすがに開業3日目、なんかうれしそうで華やいでいる。いかにこの開通を待っていたかということが感じられる。
駅には写真をとる人、下から手を振る子ども、犬を散歩させながら、見上げて眺める人・・・電車が通るってこういうことなのね、のシーンがいろいろと見られた。
運転手さんも「よし、ようーし!発車!」とかってぱきぱきと元気だし。
「なんか、いいですね」
と、ご同行のKさんと話す。
安芸の付近からは片側はまさに黒潮の海。
やがて、私たちが春に打ち止めた唐浜。27番さんはガスの中であった。
奈半利着、6時すぎ。
楽しい旅でした。
今日の宿、二十三士温泉は、田野町奈半利川のほとり。
ぬるぬる系の気持ちいい温泉だ。
暮れなずむ夕景の中で露天風呂につかっていると、あまりに気持ちよくて、私だけ申し訳ない、まっこと、世間に申し訳ないような気持ちになる。
すみません、お大師さん、ありがとうございます、です。
明日からがんばって歩きます。
夕ご飯は和定食、クジラのたたき。おいしかった。
クジラはミンクだそうだ。
さあ、もう一度お風呂。そして、よく寝よう。





2002年07月02日(火) 楽しいお時間 (^^)

夕方、しのじんさんとたまちゃんのお父さんと、宿泊先であるホテルでお会いした。
しのじんさんは、神田のお生まれで、そのあたりが遊び場だったらしい。
このお汁粉ヤサンは弟の同級生とかいろいろと、くわしい。
そして、すてきな和食のお店へ。
美味しかった。
途中にたまちゃんから電話。
足が湿布だらけというたまちゃん、聞いたら「まだいたい」という。
そう、この前の日曜、がんばったもんね。
その後、しのじんさんなじみの銀座のお店へ。
しのじんさんとたまちゃんパパは、お歌が上手でした。
mohejiは、先生時代に、医者から、歌は唄うな(声帯ポリープの為)というおたっしがあったので、いまだ唄わず、歌えず。
楽しく聞かせていただきました。
ここのオオママさんは、なんと75歳というが、とてもとても。
魔法遣いですね。
と言ったわたしであった。

先のグループは男5人組、交代にカラオケ。
楽しそうだし、かわいげだけど、うちに帰ったらあんなに愛想はよくないよなあ、ぶすっとするんだろうなあ。
ヤッパ、男は「逃避」だね。
しげしげと「親父の生態」を観察したのであった。

明日からお遍路というこの日、しのじんさん、たまちゃんパパといろいろとお話しできて、楽しくいい夜であった。
お大師さん ありがとうございました。
だって、これ、みんなお大師さんのご縁ですから、ね。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後、原稿を渡しに赤坂へ。
編集の方は聞き上手。しばらく旅の話で盛り上がった。
その後、渋谷ハンズへ。
善通寺のこども合宿、やるものを、「うちわ」「マーブリング」と決めた。
さんざん考えたあげくに、昨夜Mさんに相談して決定した。
何しろ、学年が3から6年、お寺なので名にもなし・・状態で・・やれるものが限られるので毎年悩む。
とりあえず試作品用材料を仕入れた。

しばらくぶりの渋谷。
やたらに外国人が多い。
やっぱりサッカーのすぐ後ということが影響しているのか。
だって、ハンズの中までけっこういるんだよ。

明日から、お遍路がんばるよ。
でも、足の感覚の鈍いところ、まだおかしいんだよ・・これがどうなるか少し心配だ。
んじゃ、お休みなさい。



2002年07月01日(月) し、七月だわ 閑古鳥ノート

まだ食べてなかった、ライチは4,5日前に食べたし、今日は、デラウエアが1房100円だったので2房買ってきて食べたし。
ちゃくちゃくと「夏はきぬ」だが、今日は蒸し暑かった。
サッカーも終わって、次はやっぱり野球かね・・で、アタシにはどうでもいいのだわ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クレーテさんが、ワタシ用の可愛いクラゲの動くアイコンをつくって下さった。
しのじんさんのHPで登録して使わせていただいている。
世界に一個しかないワタシのアイコンだ。(やった!)
すごくキュート、気にいっている。
ほとんど、プロ、だよね、クレーテさん。
このところ、家にこもって仕事めいたことをしているが、こんな感じで遊ばせていただきながらやっているから、パソコンの前で一日いても飽きない。
ありがたや・・

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トルコ・イスタンブルに行ったときにお世話になったペンションにメールした。
だんながトルコ人、奥さんは日本人・・2カ国対戦の時、サッカーの応援、どうしていたんですか?
なんてアホなメール。
トルコに行きたいよ。
帰国の時、寄り道するのはバルト3国もいいけど、トルコにしようか、なんてマジに迷っている。
絶対トルコの方がうまいもの、うまいワイン、あったかくて義理堅くて、でも時々だますトルコ人との豊穣な時間がありそうだもん・・・

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イスラエルは、ヤフーの海外ニュースを見ていると、毎日のように、小テロがある。ああ、もっと状況がいいときにいっとけばよかった。
アメリカ、アラファトの進退なんかに口出すなよ、よくない。
シャロンは悪い、悪人だよ。
独断的ご意見。
  
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

知人が、猫背を治すために毎日足をしばって寝ているんだという。
そんなので猫背が治るんだろうか?

みやけのおっちゃん様によると、歓喜天様は二股になった大根がご好物なんだという。(二ヤリ)うん、これは脈絡がある。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

藤原新也氏が日本がサッカーで負けたのは、あのユニホームの色がよくなかった、サイト日記にと書いていた。
ワタシもユニホームの色悪いよ、と感じていたから「そうだ、そうだ」とうなずいてしまった。
どぶい青・・・ワタシの日本チームの「青」への感想。青は好きだけど、あの色はイヤだなと思っていた。
藤原さんは「自殺カラー」(自殺する人はああいう青を好むんだという)だって、書いていた。ワタシより辛辣・・当たり前か・・むかし、むかし「人は犬にくわれるほど自由だ」とサントリーを揶揄ってホされたお方だからなあ。
でも、今はメジャーになってしまわれた。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
6月末に振りこまねならなかった諸々を振り込んで、買い物して・・などとしていたら、一日が終わった。
いいのか。
あさってからは四国だ。さらには、26日にアラスカに出る前にやることが山ほどあるのだが・・・。
なにより、遊び歩いてばかりだから、どんどこ出金ばかり。(ため息)
お大師さん、冬、1月になったら非常勤でお勤めしないとか、またいわれたら、この前のように断りません、働きます。
それまで、どうか心ゆくまでお遊びさせて下さいませ。合掌。


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