おひさまの日記
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2010年07月31日(土) 「ありのままでオッケー」への考察

ここ最近の私は、毎日6時に起きて、
朝ごはんを作り、家の中のことを一通りやって、
また2、3時間寝る、というようなリズムだ。
決していいリズムではないんだろうけど、
寝るのが遅い分、そんな形で睡眠を6時間前後取っている。

今日も10時頃起き出して、もさーっと下に降りていった。
アンナがダイニング(つか、台所・笑)にいるのを見て、
あらー、母さん二度寝してこんな時間に起きてきて、
なんか恐縮だわよ、と思い、彼女に言った。

「こんな時間に起きてきて、
 だらしないとこ見せちゃってる気がする。
 ママ全然お母さんらしくなくてごめんねー」

すると、アンナが言った。

「ううん、お母さんらしいよ」

「こんなんでどこがさ!?(笑)」

「ママはそこにいるのがママらしいんだよ」

思わぬ言葉に母さん胸がグッとなった。
あんたどこでそんな言葉覚えたんでしょうか?
目頭熱くなっちゃうぢゃないか!

「ありがとうね」

不思議なもんで、肯定されると、
ああ、もっとよくなろう、
まずいと思ってる部分を改めよう、
そんな気持ちになる。
アンナの言葉には「北風と太陽」の太陽みたいな
あったかくてやさしい力があった。

お礼に(笑)午前のおやつにコーヒーフロートを作った。
ミルクたっぷりカフェオレに、バニラアイスをどぼん、どぼん。
ふたりであっつい台所でコーヒーフロートを食べた。
うまっ!!!

子供に教わることって本当に多い。

そこにいるのが自分らしい、か。
その時「ありのままでオッケー」って言葉が思い浮かんだ。

その言葉、よく読んだり聞いたりすると思う。
そして、その通りだと思う。
でも、それは時に難しい言葉だ。

たとえば、会社に勤めていて、遅刻欠勤は当たり前、
仕事中も途中で抜け出してさぼってばかり、
約束を守らない、仕事を終わらせない、
なんて人がいたとしたら、オッケーじゃない。
その人に「ありのままでいいんだよ」なんて口が裂けても言えない。

けれど、中には「ありのままでいい」という言葉を、
どんな自分でいても構わない、好きにやればいい、
その時その時そのままでいいという解釈をしている人もいると感じる。
あ、それ、かつての私でもあるんだけど(爆)

精神世界で言うところの「ありのままでオッケー」ってのは、
捉え方を間違えると実にコワい。
誤解されやすい言葉なんだと思う。

私、20代の終わり頃、精神世界にどっぷりなことがあって、
しかも自分に都合良くそれらの色々を解釈して実行して、
思い出すと、俺、ヤバかった;とマジで思うのだ。

うん、かわいいね、恥ずかしい自分(笑)
それがあったから今がある、だからよしとする ( ̄▽ ̄)

じゃあ「ありのままでオッケー」って何!?ってことになる。
私は、その言葉がスイッチみたいなもんだと思ってる。

私も経験があるけど、自分がどうもよろしくない状態の時、
端から見て「お前そりゃねーだろ」ってなるんだろうけど、
実は、自分でもそれがどこかわかってたりするんだよね、誰より。
これじゃダメだ、私はダメだ、そう思ってる。
でも、そうなってしまう自分なりの理由もある。
たとえその理由が人から見たら「はぁ?」なことだったとしても。

そして、その理由があるから抜けられない。
その理由の多くは、根底にうねうねぐにぐにしたものがあって、
ま、片っ端からあげると日記が終わらないので省くけど、
その根底のさらに根底には、自己否定があったりするんだと思う。
少なくとも私の場合はそうだなぁ。

そんな時に、

「ありのままでオッケーだよ」

その言葉が心に届くと、今はダメダメな自分だけど、
そのダメダメな自分の根底にあるうねうねぐにぐにしたものが、
ほわぁんとほどけるような気がするのだ。
じめっとした苦しい場所にうずくまってる自分と、
そうなってしまう理由の数々も全部ひっくるめて、
まるっと肯定されたような気持ちになる。
はっきりとそう言われたわけでもないのに、

「今そうなってるのは仕方ないよ。
 あなたの葛藤や苦しみ、わかるよ」

そう言われたような感覚になる。
そして、ああ、わかってもらえたんだ.。゚+..。゚+.
そんな感覚に。
その時、自分の中でしゅわしゅわと何が溶けて、気持ちが楽になる。
冷静に穏やかに自分を眺めたりする。
妙に斜に構えてひねくれていた自分が、
今現在のありのままの自分を認めるようになる。

ハイ、ひねくれてました、
ハイ、すねてました、
ハイ、世の中に背を向けてました、
ハイ、現実逃避してました、
ハイ、もうすべてが何でもよくなってました、
ハイ、周りの人間バカでイヤなヤツばっかって思ってました、
ハイ、誰もわかってくれないって思ってました、
ハイ、なにもかもつまんねーって思ってました、
そして、私にも原因がありました、
私にも変えていったらもっとよくなることがあります…

って。
パチン、ってスイッチが入るのだ。

「ありのままでオッケー」って言葉は、
少なくとも私にとっては、そういうふうにスイッチになってくれる言葉だ。

「ありのままでオッケー」って言われてるのに、
今ここにいるありのままの自分から、もっと違う自分になろうって思い始める。
もっとよくなろう、って。
頑張ってみよっかな、って。

「ありのままでオッケー」ってのは、真の意味で人を動かす言葉だと思う。
表向きの何かが、それでいいのよー♪ってんじゃなく、
存在そのもの、その中にあるあらゆる葛藤や苦悩、すべてがオッケーで、
それでも大丈夫、あなたはうんとよくなれるんだもの、
そんな信頼と愛を与えてくれる言葉なんじゃないかと。

だから、アンナの言葉を聞いて、
暑い夏の日、私の胸の辺りは、
冷たくて心地よい炭酸の泡がグラスの底から舞い上がるように、
しゅわぁぁぁ…ってなったんだと思う。
そして、うん、しゃんとしよう!って素で思えた。
改善できるところは改善して、もっといい感じになろう、って。

手始めに近所を軽くウォーキングしてみますた。
それだけっ!?って思ったんだけど、
暑くてなーんもしない自分より、半歩前に進んだ気がして、
心がほっこりしたのだった。
そして、明日はもっといい感じの自分に…
そんな気持ちが奥の方でほわんほわんしているのを感じた。
久しぶりに晴れ晴れとした気分。

アンナマジックに心から感謝。

その言葉で始まることがあるから、
私からも、この日記を読みにきてくださるあなたに感謝を込めて。

ありのままでオッケー!


2010年07月28日(水) たけしの名言

ツイッターで読んだビートたけしの言葉で、
ガツンと来るのがあった。

「感情というのは抑えるのが当然なのに
 解放するのがいいって風潮になってしまった」

って言葉だった。

セラピーをやってると、
押し殺していた感情を解放していくことが大切であることは多い。
私も押し殺していた感情があることに気づいて、
それを受け止め解放してきた。
それによって、気づいたことがいっぱいあるし、
ずいぶんと楽になったこともいっぱいある。

それに逆行するようなたけしの言葉。

でも。

私は、たけしのその言葉は正しいと思った。

線引きが難しく思われるかもしれないけれど、
感情を解放するということにはふたつあると思う。

ひとつは、自分が秘めている感情に気づいて、それがあることを受け止めること。
もうひとつは、自分の感情をただあらわにすること。

セラピーで行っていくのは前者だと思う。
たけしが言っているのは後者のことなんじゃないかしら、なんて、ひとり考えた。

スピリチュアル的な在り方が批判されることもよくあるけれど、
それはそうした線引きが曖昧になって、
後者も前者と同じ意味合いとして受け入れられてしまって、
現実に反映しているからではないかと思う。

セッションをしていて、何度か質問を受けたことがある。
じゃあ、感情をどんどん出していいんですよね?と。
その感情があることを認めて、それと共にいることと、
出てくるままの感情をただガンガン外にぶつけるのとは違う。
最終的にその感情と一緒にいて自分がどうあるかが大切なのだ。
そうした質問を受けると、私はそれを説明する。

上に書いた前者と後者がごちゃごちゃになってしまうと、
たとえば、私は今すごく怒っているから暴れていい、
相手を無視していい、傷つけていい、ってことになる。
それは違う。

たけしの言葉は、そうした部分を鋭く指摘したものに思えた。
私の勝手な解釈かもしれないけれど。

そして、たけし、たけし、と、敬称略で連発(笑)
北野たけし氏、お許しを。
私、あの人好きなんだよなぁ。

最近、めんどうくさいのがキライ。
何かをするという行動においてではなく、
誰かとのつながりや、やりとり、そうしたものにおいて。
スパッとまっすぐにシンプルなものがいい。

腹探られるような言葉を投げてこられたり、 
あることを言ってほしいと明らかにわかる言い回しで何か言われたり、
○○ですよね?と聞いてくるのに、そうじゃないという返事を待つ言葉だったり、
遠回しにコントロールされるようなのが本当にイヤ。
昔より冷たくなったのかもしれない。
と言うか、昔より正直になったのかもしれない。
それも言わば、静かではあるものの感情をあらわにする行為だと感じる。

私も実はよくやっちまって、その度abuに指摘されます(笑)
そして、そんな彼と長く一緒にいるうちに、ずいぶんそういう部分が減ったと思う。

たけしが言うところの「感情を抑える」ということは、
私も心がけて行動に移したいもののひとつね。


2010年07月27日(火) カウンセリングの対面セッションをお休みします

今日はお知らせです。

セッションのうち、カウンセリングの対面セッションをお休みし、
9月下旬までスカイプセッションのみとさせていただきます。

なぜなら!
事務所エアコンないから(笑)

涼しくなったらまた対面セッションを再開する予定です。

今日はこれからアンナの学校の二者面談。
いってきまーす。


2010年07月25日(日) カッコイイぜ、アンナ

アンナは少し前からダンスを始めた。
ヒップホップだと誘われて行ってみたら、祭り系だったんだけど(笑)
まぁ、それでも楽しいからと続けることにして頑張っていた。

今日もダンスの練習日。
練習の合間、暑いという話の時にアンナがこうもらした時のこと。

「暑いなぁ、髪切りたいなぁ」

すると、そのダンスチームの代表者の奥さんがアンナに言ったそうだ。

「えーっ、髪切るの!?
 ダメ、絶対に切っちゃダメ!
 大会で髪を結うんだから伸ばさなくちゃダメ!」

その様子を私に話した後、アンナが言った。

「アンナ、(髪型は)ショートが好きなんだ。
 でも、絶対に切っちゃダメって言われて…」

そう言って考え込んだ。

「髪を切れないならやめたいなぁ。
 ダンスは楽しいけど、髪はショートがいいんだ」

自分で考えて、自分なりに結論を出そうとしているアンナが頼もしく思えた。
そして、私は言った。

「いいんじゃないかな。
 アンナにとって何が大切かってのが重要なんだから自分で決めなよ。
 もし、何が何でもダンスがやりたいと思えば髪を伸ばすだろうけど、
 今はダンスを続けるより、好きな髪型をする方が大切なんでしょ?」

「うん、そう。
 だから、やめようと思う。
 でも、やめるって言ったら、じゃあ切っていいって言われるかもしれない」

「そうしたらどうする?」

「でもやめる。
 一度ダメって言ったのに、後で変えていいって言われるのがイヤ。
 それなら最初から言わなければいいんだもん」

それを聞いて、おおおっ、アンナ、カッコいいじゃん!って思った。
小学6年生、毎日色々ある中で成長してるんだなぁ。

「ママもアンナだったら同じように感じるな」

そう私が言うと、アンナはうれしそうだった。

「じゃあ自分でやめるって言いなよ。
 理由もね」

「うん、そうする」

私達は祭りの雑踏の中を手をつないで歩いた。
私の手にはabuへのお土産に買ったお好み焼き、
アンナの手には宝石つかみでもらったキラキラのおもちゃ、
私達はそれぞれ袋をぶらぶらさせながら、
黙ってはいたけれど、恐らく同じようなことを感じていたのだろう、
顔を見合わせて、うふふ、と笑った。
共犯者みたいなシンパシーと言うか、何かそんなものを。

おっきくなったね、アンナ。
ママはそんなふうに感じて考えるアンナがカッコいいと思ったよ。
これからも色々あるだろうけど、
そうやって自分の気持ちに正直に進んで行ってね。
何があっても大丈夫なように産んであるからさ(笑)

そして、現実的で打算的な母さんは、
感動とは別のところで、
ああ、ウン万円するチームの衣装作らなくて済みそうだと、
心の中でほっとしていた(笑)


2010年07月22日(木) 暑い夏の脈絡のない話

あづぐでうだってます…

abuに「暑いね」と言うと「夏だからね」と冷たく返されるので、
言わないことにしている。
もちろん、半ばギャグ的に返してくるんだけどね。

彼は「暑い」だの「寒い」だの言って、
うだうだするのが好きじゃないので、
基本、自分でもそういうことを言わない。
黙って汗だらだら(笑)

何か言わしたろと思って、
代わりに「今日は気温が高いね」と投げてみると、
abuは「そうだね、今日は今年最高気温らしいよ」と返してくる。

同じ内容のことを言ってるんだけど、
言葉ひとつ変えるだけで相手の反応が違う。
これってすべてに言えると、汗流しながら思う。

暑いつながりで関連しているようで話は飛ぶ。

ある人のメルマガに、
自分は暑いと作業効率が落ちるので、
常にエアコンを稼働させている、というくだりがあった。
もちろん電気代はぐんと上がるけれど、
作業効率が上がって気持ちよく仕事できるなら安いものだ、と。

うん。
確かに。

電気代押さえたいからエアコンつけないんだ、なんて思ってたけど、
時にはそういうのもありだよね。
基本、チームマイナス6%、そして天然風派で、
いつもエアコンってのは逆に苦手だしイヤだし、
それだと体調も狂うから避けてるんだけど、
ここ数日のようにあまりに暑い日は、
自分の居心地を整えるという意味で、エアコンつけるって大切ね、と思う。

そして、先日。
ようやく今年初のエアコン、スイッチオン!と、
元気よくリモコンのボタンを押したら、温風がぶわぁぁぁ〜〜〜。
エアコン壊れてますた。
(/´Д`)/イヤァ〜

なもんで、ここ数日ホントお世話になってるのがバブシャワー
この中の青いボトル、エクストラクール。
これ、お風呂の最後に体にぬりぬりして、後は流すだけ。
そうすると、しばらくの間、体がスーッとして涼しいの。
汗もかかない。
メンソールのベールに包まれ続けて、熱帯夜が快適な夜に早変わり!
時間にするとどのくらいだろう、30分は涼しいよ。
だから、私は寝る前にお風呂入って、これぬりぬりして流して出る。
私は二度塗り。
説明書にある量よりもたっぷり塗るし。
(塗りすぎると寒くなるので・笑
 使いながら自分にいい量を見つけて調整しながら塗ってね)
これ使うとね、寝る時すっごく涼しいの!
エアコンなしで快適に寝られる。

寝てしまえばこっちのもんだ、暑くても爆睡こけば気づかない(笑)
絶対オススメだよ!!!
使ってみて、だまされたつもりで。
ドラックストア系に置いてあることが多いかな。
入浴剤の辺りにあるよ。
こんないいモン開発してくれた人に心から感謝だ〜。
ありがとう!

もちろん、朝のお出かけ前なんかすごくいいだろうね。
暑い日中も。

自分を快適にするという意味でちまちまと色々しております、最近。

仕事の時間を減らしたのもそのひとつ。
それでも悪いことは起こらないとわかった。
恐れていたことは何も。
恐れから必要以上にこなそうとしてたんだ、と、改めて思う。
そして、自分を追い詰めていたのだと。
最近仲良しになったママ友と遊んだり、ぷらぷら買い物したり、
ご飯をいつもより時間かけて一生懸命作ったり、庭の植木に水をやったり、
そんな時間が豊かだなぁ〜と、しみじみ思うのだった。

そんなふうにしてると、ちっちゃいことが楽しいんだよね。
チャリで風切ることとか、冷えた水を飲むこととか、
水まきして乾いた土が湿ることとか、空が青いこととか。

そして、そんなこんなしてると、いい話が来たりしてね。
あんなに目くじら立てて1日中パソコンいじってた時より、うんといい感じ。

「怯えていただけなんだよね」

ナウシカが言ってました(笑)

そう、私、怯えていただけなんです。
うまくいかないんじゃないか、
こんなんじゃダメなんじゃないか、
って。

あるある、よくある。
怯えてるからしていること。
減らしていこう。

そして、一見無意味に思えても、一見ダメじゃんなことでも、
心が動いたら、それをしてみよう。
それには何の意味がなくても、布石になって何かにつながることもある。
と言うか、そんなことばっかり(笑)

今日は正式に空手を習うために申込みしてきた。
まったりなおじいさん師匠で、これがまたいい感じで。
お店のホームページを作ったことで友達になったペットサロンのオーナーと、
一緒に通うことにして、ふたりでワクワク。
ちびっ子に混じっておっかさんふたりで頑張るよ。
心の奥では秘かに黒帯を狙っている(笑)

ああ、最近新しい気持ちのいい出会いが多いなぁ。
ペットサロンのHちゃんもだし、ママ友のYちゃんもだし。
動いているのね。
自分の環境を見ると自分の状態がわかる。
流れ始めてるんだな。

今日はホント文章が全然つながってない(笑)

みなさん、バブシャワーはぜひ試してね、マジ涼しいから♪


2010年07月19日(月) マッチョな日焼け

今日はアンナのお友達ファミリーと海に行った。

この夏一番の猛暑と言われた日だけあって、
みんなの日焼けは立派だった。
軽い火傷ね。

私?
ええ、そりゃあもう、アリーを全身に塗りまくって、
日焼けで痛いとうめくみんなを横目に涼しい顔で帰宅っスよ。
あの炎天下でも焼けてないんだから、アリー、すごい。

でね、生まれて初めての面白い日焼けを見た。
マッチョな日焼け。
abuはマッチョで体の凹凸(おうとつ)が激しいもんだから、
もりっと筋肉がある下が影になって、そこは焼けてないわけだよ。
だから、赤と白が線になってまだらなの。
しかも、顔の彫りが深いもんだから、顔も赤と白(笑)

しかし、abuもアンナも痛そうだねぇ。
日焼けはほどほどにね。

あたすはとことん紫外線ブロックで行きます、今年の夏も ( ´∀`)


2010年07月16日(金) 激突!

今日はバス停に激突した。
いや、車の事故とかそういうんじゃないんだよ。
チャリで(笑)

今、車の事情で学区外通学のアンナの送り迎えがチャリ。
行きはふたりで歩いて送っていって、ひとりでチャリに乗って帰り、
帰りはひとりでチャリで迎えに行って、ふたりで歩いて帰る。
徒歩だと40分、チャリだと15分ってとこかな。

数日そんな送迎が続いた今日。

アンナのお迎えに遅れ気味で、
やや坂道も脚がぷるぷるするのをこらえ必死にこいだ。
すると、目の前にバス停が。
それをよけようとハンドルを切ったつもりがバランスを崩し、
避けるはずのバス停にそのまま突っ込み激突。

ぶつかった瞬間、なにがなんだかわからないまま、
その衝撃で隣の草むらにずざざざざーっと倒れ込んだ。
一段低くなってて、さらにずぼぼぼぼーっ。
チャリのカゴに入ってた買い物袋の中身も飛び出す始末。

車の往来が激しい通りの脇の草むらに、
放り出されたままのカッコで固まる。
痛くてしばらく動けなかった。
朝からへとへとで、それでも無理して頑張ったせいで張りつめてたものが、
こけたってことと、肉体的な痛みで、パチンと切れて、涙が出た。
自分がひどい目にあってるって思った。
草むらで、うわーん、と声を上げて泣いた。

だけど、母は強い。

「やべっ、時間過ぎてるんだ!」

と思ったら、すくっと立ち上がり、
飛び散った買い物袋の中身を拾いカゴに戻し、チャリを起こすと、
またキコキコとこいで学校に向かった(笑)

その時の自分の中の葛藤が面白い。

どうする?
どっちの自分になる?

疲れてるのに頑張ってチャリこいで遠くまで来て、
こんな目にあって、もうイヤだ!!!ってなる?
被害者になってみる?

それとも、笑いのネタにする?
じゅうぶん笑える話だよ?

フキゲンな自分になる?
ゴキゲンな自分になる?

どうする?
どうする?
さぁ、どうする?
って。

なんでこーなるんだよ、って気持ちが強かった。
今日は体力的にさすがにキツイなぁ、そんな日だった。
そのキツさに追い討ちをかけるような出来事。
だから、被害者になる方が簡単なポジションにいた。
実際、9割被害者モードだった。

仏頂面で校門の前までくると、アンナが手を振っている。
チャリから降りると足取りよれよれ。
まだ葛藤していた。

朝からボロボロで様子がおかしい私を感じていたであろうアンナ、
こけてさらによれよれな私を見て、

「ママ、少し休もうよ。
 こっち、こっち」

と、学校の前の公民館の駐車場に私を連れて行こうとする。
はっ…いけない!
アンナがなんだか不安げな顔をしてる。

私はありったけの力を振り絞って、めっちゃ笑って言った。

「ママさぁ、バス停に激突してコケちゃったーっ、がはははは」

アンナが笑顔になった。
あ、笑った。
うれしい。

その瞬間、パチンとモードが切り替わって、
私はフキゲンではなくゴキゲンになった。

面白いもので、気持ちはともかく、
勢いで無理矢理ゴキゲンモードになってしまうと、
だんだん本当にゴキゲンになってくる。

私はどうやってバス停に突っ込んだかや、
追い討ちをかけるように下の草むらに落ちたことを、
アンナにおもしろおかしく話して聞かせた。

だんだん楽しくなってきた。
バス停激突事件は「ひどい目にあった」ことから「ネタ」に昇華した。
私はすっかりゴキゲンになった。

空は青くて入道雲が夏って感じで、田んぼの稲は風になびいて、
アンナときれいだねぇ、って話した。
気持ちよかった。
ああ、これでいいんだな、と思った。

私達は自分で決められる。
ひとつの出来事が自分に起こった時、
たとえそれがどんな出来事であったにしても、
その後、自分がフキゲンになるのか、ゴキゲンになるのかを。

楽しい出来事で、何もしなくてもゴキゲンになれるならいちばんいい。
でも、そんなことばかりじゃない。
世の中イヤなことだって結構ある。
そんなフキゲンになる要素がそろってしまった時こそ、
フキゲンになるか、ゴキゲンになるか、
自分で決められるんだ、そう思った。

結局どうなりたいのよ?
それを考えた時、ハッピーになりたい、と思う。
でも、自分の心に巣食っているのはドロドロした感情。
そして、その感情は絶大な力を持つ。
ハッピーになりたいのに、ハッピーになれない感情が勝ちそうになる。

そんな時、勇気って使うものなんだな。
力や強さも。

今日の自分を、やったね、すごいじゃん、とほめてみた。
そして、これからもゴキゲンを選ぼうと、心に決めた。
ま、どうしても落ちた気分が強くてフキゲンを選んでしまっても、
その後またゴキゲンを選べばいいんだし。

私のゴキゲンテンションは上がってしまってなかなか下がらず、
夕食の時も、バス停激突武勇伝をしつこく話していた。
アンナとabuとばあちゃんと3人に話したので、
みんな3回ずつ聞かされた。
ご清聴ありがとう、みなさん。

朝はフキゲンが勝ったけど、夕方はゴキゲンが勝った。
本当は朝からゴキゲンを選べればよかったんだけど、まあ、いいだろう(笑)
毎日が自分と向き合う作業なのね。
当たり前のフツーの毎日の中にはワークがいっぱいだ。

改めて、その時の自分の機嫌を選べるということに気づいて、
そして、行動して体験した。
なんか、これ、すごいじゃん、いい体験じゃん、と、ひとり悦に入る。

激突してよかった(笑)

結果オーライなんだよなぁ、結局どんなことも。


2010年07月15日(木) きっと未来にある素晴らしい何かを知っている

昨日はひさしぶりに一切の仕事をしないちゅてきなホリデイになった。

朝、商工会に入るために話を聞きに行って帰宅。
10時だった。
玄関の前に立つ私。
あることに気づいた。

「鍵持ってねーし」

ばあちゃんも、abuも外出、夕方6時くらいまで帰らない。
鍵を持たずに家を出た私の目の前に、鍵のかかったドア。
素敵過ぎる。
瞬時に悟った。
私はこの炎天下、夕方まで閉め出しを食らったのだと(笑)

ウチには車が1台。
昨日はabuが乗って出かけた。
学区外のアンナのお迎えはチャリで行くことになっていた。
帰って来たら、ふたりで閉め出し(笑)

幸い別棟の事務所(昔母が立ち食いそば屋をやっていたボロ小屋)は開いていたので、
ひとまず入る。

もわぁーん。
あ、あづい…
窓を開けてなんとか風を通す。

前の日の睡眠時間は2時間、寝たい、なんとかして寝たい、
でも、下はコンクリート、寝られない。
仕方なく椅子を3つ並べて、横になってみた。

ごりごり。
い、痛い…
でも、めげずに横になってみる。
狭い椅子なので腕は落ちるわー、体はずり落ちるわー、
寝られん…

仕方なく隣の酒屋でタバコとコーヒーを買って一服。
財布だけは持って出てよかった。

することない。
あああ、家に入れたらパソコンでやることいっぱいあるのになー。
とほほ…
ひま。

ぽぉーっとすること1時間半。
椅子で意識が遠のいて、少しは寝たらしい。

ひま。
あ、トイレ行きたい。
でも、家に入れない。

仕方なくばばチャリを拝借、近所のコンビニまでこぐ。

「すいません、トイレ使わせてくださーい」

笑顔でトイレも拝借。

まだ12時。
アンナのお迎えに出るのは15時10分。
帰って3時間以上ぼーっとしてても仕方ないので、
さらにばばチャリをこいで、
近くの田舎ショッピングセンターに。
ダイソーで涼みながら時間をつぶすことにした。

見ているとあれこれ欲しくなり、
帰りにはでっかいビニール袋下げてるし。
1時間くらいはつぶしたかな。

おおお、この炎天下、紫外線対策が!
今度は近くのディスカウントショップに寄って、
日焼け止めを購入、顔、首、腕、と、駐輪場で塗りたくる。
ああ、ついこの前同じ日焼け止め買ったばっかりなのになぁ、ぶつぶつ…

時計はまだ13時過ぎ。
うろうろしていても仕方ないので帰ることにした。
帰り道、チャリをこぎながら、なんかこんな日もいいなぁ、と思った。

毎日パソコンに向かって仕事。
でも、それは必ずしもすべてやる必要のある仕事じゃない。
中には自分がやっていないと落ち着かないから、
やらなくてもいいのにやっている仕事もいっぱいあるのだ。
でも、それをやめるのは勇気がいる。

ひまほどこわいものはない。
なぜなら、今の自分というものを、イヤと言うほど見てしまうから。
だから私も自分を慌ただしくしていたのだと思う。
しなくてもいいことまでやって、「何かやってる自分」を作り上げて、
自分や自分の今の状態をじっくり見つめることや、
それについて感じたり考えたりすることをやめていたんだと思う。

ある意味ハプニンクだった閉め出し。
それは、強制的に自分と向かい合う時間をくれた。
何もしないことの有意義さ。
何かをするという一見意味のあるものが、
現実から逃げるための手段で、
時に無意味、無意味より質が悪く、
逃避の手段であることもわかっていながら、
目をそらしていた私。

あああ、気づいちゃったよ、いや、気づいてたけど見ないでいた、
見ちゃったよ〜(笑)
でも、見てよかった。

神様がくれたホリデイ。
何もしないことがこわかったけれど、
何もしないその日は実に有意義だった。

恐れていた「何もしない」ことは、
別段私に悪い影響を与える風でもなく、
むしろ、私をリフレッシュし、切り替える機会を与えてくれた。

そんなことを考えながら、チャリでアンナのお迎え。
校門の前でチャリにまたがる私を
指差して笑っていた同じクラスの女の子のママ。

「遠いのに家からチャリで来たわけ!?」

彼女と立ち話するうちに、どんどん話が広がり、
携帯の番号とアドレスを交換、
昨日から今日にかけて、彼女とコミュニケーションを取ることによって、
入って来た情報が、これまた私をパソコンから遠ざけるような内容、
かつ、すごく楽しそうでワクワクすること。

そして、思った。
もっと視野を広げよう、って。
仕事以外のこともいっぱいしよう、って。
別のものを見て体験することで、
それまで見えなくて悶々としていたものが、
見えることもあるという確信めいた予感がした。

好きな言葉。

「行き詰まったら逆説を行け」

滞った時は、それまでと逆のことをするといい、という言葉。
私は昨日の閉め出しハプニングによって、それを自動的に体験した。
そして、あ、ホントだ、と思った。

仕事がもっと欲しい、収入がもっと欲しい、
だから、私は仕事と呼んでいる逃避にしかなっていない行為をやめることにした。
これまでとは逆説的な選択。

そんなこんなで、空手を習うことにもなりました(笑)
まだ申し込んでないけど、見学して話聞いてきたの、今日。
空手なんて仕事には全く関係ないけど、
することで私の人生が活性化するとすぐにわかった。
なぜって、そう思うから(爆)
体もなまってたしちょうどいい。
また、筋肉ちゃんを呼び戻す&体を引き締めるチャンス。
しかも、家から徒歩2分。

やっぱり人生はうまくできている。

ホント、思うよ。
どんな最悪なことがあっても、結局ぐるっと回ってるだけで、
真ん中のここって道に戻るんだなぁ。
最悪なことは、その道に戻るためのぐだぐだなんだなぁ。

そして、とどめ。
夕方昔からの友人から電話。
仙台の人なんだけど、近くまで来てるから寄ってくれるという。
いつもの彼の突発的な登場の仕方が、私達夫婦はすごく好きなのだ(笑)
20時過ぎに来てくれて、1時半くらいまで話し込んだ。
仕事がらみで来てくれたんだけど、色々な話をしたし、
そこから色々感じたり受け取ったり。
そして、また、何かが動き出す予感。
彼にも心から感謝です。
ありがとうね。

ああ、鍵を忘れて出かけてよかった(笑)
あれは神様からの贈り物だったんだな。
ありがとう、ありがとう、心から感謝です。
しっかり受け取りました。

明日からもいつもと同じ普通の毎日。
でも、ちょっと違う毎日。
そこから生まれる何かに早く出会いたい。
保証もない、証明もない、でも、
私はきっと未来にある素晴らしい何かを知っている。


2010年07月08日(木) 中途半端で成し遂げてきたこと

時々、昔の自分を思い出す時、
いつも思うのは、中途半端で未熟だった、ということ。

免税店に勤めていた頃も、
ディーラーの営業をしていた頃も、
セラピストになったばかりの頃も、
中途半端で未熟だった。
思い出すと、よくあんなんでやってたなって思う。
今の自分ならもっとよくできるのに、って。

でもね。
こうも思う。

中途半端で未熟だったけど、一生懸命やっていた。
だから、どんどんその仕事ができるようになった。
成長した。
すごいなぁって思う。

もし、その頃の私が完成されていて完璧に仕事をこなしていたら、
ひょっとしたらやっていなかったかもしれない。
私は、恐らく、中途半端で未熟だったからこそ、
続けてこられたし、成長できたのだと思う。

ディーラーにいた時、お客様によく言われた言葉を思い出した。

「大関さんはその一生懸命さがいいね」

そう言って私から車を買ってくださった方がいっぱいいらした。
商品知識もまだまだ乏しく、営業としては首を傾げる部分も多々あった私。
でも、仕事に取り組む姿勢だけはほめていただくことがよくあった。
それを見て家の次に高価な買い物だと言われる車を買ってくださった。

過去のすべての自分は常に中途半端で未熟だった。
でも、間違いなく、一生懸命だった、必死だった。
もちろん、落ち込んだり、投げ出したくなることだっていっぱいあった。
道に迷ったこともあった、数えきれないくらい。
辞めようと思ったことも。
それでも続けていた。
頑張ってた。

だからこそ、たくさんのことを成し遂げてきた。
立派だったなぁ。

そして、思うのだ。
中途半端で未熟でいいんだ。
だからこそやるんだ、って。
できてないからやっちゃダメなんじゃなく、
できてないからやっていいんだ。
もっともっと前に進むために。

過去のすべての自分を振り返ってそう思う。
そう思う時、なんだか勇気がわいてくる。
あ、できてなくていいんだ、へなちょこでいいんだ、って(笑)
こっからどう伸びていくか、なんだな、と。

今という地点から過去の自分を眺めて、
中途半端で未熟じゃん、そう吐き捨てる自分がいるとしたら、
それは、何もせずただ寝そべり、高い場所から能書きをたれているだけの、
理屈だけで人や物事をジャッジするへなちょこ人間なんだと思う。

私は、今という未来から、中途半端で未熟だった過去の自分に、
心を込めてエールを送りたい。
頑張ってるね、すごいね、よくやってるね、って。
とても真似できないよ、って。
あなたは中途半端で未熟だった。
でも、確実に前進していた。

ねぇ、それなら、中途半端で未熟な今の私もオッケー?
未来の私は今の私をほめてくれてるよね。
今の私だから成し遂げられることがあるんだよね。

お礼に、中途半端で未熟な今という過去の私から、
ひょっとしたら道に迷って不安になっているかもしれない未来という今の私に。

大丈夫だよ、何があっても。
あなたが振り返る過ぎてきた時間があなたを作ってきた。
常に今がいちばんいい。
あなたは今過去最高だよ。
うまくいく。


2010年07月07日(水) 幸せや成功や豊かさから遠ざかろうとするのは

何かがうまくいきそうになったのに、そこで止めてしまったり、
チャンスが巡ってきたのに、理由を付けてそれを逃したり、
行動を起こさなければならない時なのに、理由を付けて行動しなかったり、
そういう人がいると思うし、
また、誰にでもそういう時があるんじゃないかと思う。

幸せや成功や豊かさから遠ざかろうとする時が。

誰が好き好んで、幸せや成功や豊かさをぶち壊すのさ!?
そう思う人もいるかもしれないけど、

「幸せになってはいけない、
 うまくいってはいけない、
 豊かになってはいけない」

「幸せになれるはずがない、
 うまくいくはずがない、
 豊かになれるはずがない」

そんな強い観念を心の奥の奥の奥の方に持っている人がいる。
そういう人を端から見ていると、
片っ端からうまくいかなくなるように行動し、必要な行動をやめ、
片っ端からチャンスを逃し、巡ってきた幸運の流れをつぶす。
負のスパイラルの中で見事にどんどんうまく行かない方向へと向かう。

でも、本人は、うまくいかなくなる行動をいたって真面目にやっている。
また、そこには必ず正当な理由がある。
そして、その正当な理由は極めてとんちんかんだったりする。
よく言えば、よくできた言い訳のようなもの。

それなのに、本人にしてみれば、もっともな、正当な、大切な、理由だ。

たとえば、重大な何かを成立させるために、
ある場所に行かなければならない状況が訪れた時、行くのをやめたとする。
行けばチャンスのかけらのひとつもつかめるような時。
行かない理由が、

「庭の植木が枯れそうだから」

というものだったりする。
何より重大なそのチャンスのために行動すべき時なのに、
その理由ゆえにやめてしまう。
そして、その理由がもっともらしく正当化される。

「大事に育ててきた植木が弱っていて、
 今日1日いなかったら枯れてしまうかもしれない」

確かにそうかもしれない。

だが、しかし。
そのチャンスが、生活や人生に関わるような、非常に重大なものだったら?

もし、本当に植木が心配なら、朝夕の水やりを誰かに頼んででも、
行かなければならないこと。

けれど、幸せや成功や豊かさから遠ざかろうとする人は、
行かない理由を何より大切にする。
仮に「もっと重大なことが差し迫っているのだから行くべきだ」と言ったら、
多分、キレる(笑)
キレるまで行かないにしても、不機嫌になり、
なぜ自分がこんな切なる思いで行くのをやめたのに、
それをおかしいと言うのか?
という反応をする。

そうした人を見ているとわかるのは、
「うまくいかないのが好き」ということ。
「うまくいかず、不遇の中にいるのが好き」とうこと。
もちろん、意識しているわけではない。
でも、面白いくらいことごとく状況をよくない方に持っていく。
そして、その中で、膝を抱えて苦しむ。
それさえも潜在的に望むことであり。

もうひとつ、たとえ話。
10の手続きをすれば100万円がもらえたとする。
その手続きはめんどうくさいけど、やればできないことじゃない。

でも、そうした人は、そんな時手続きをせずに、100万円をあきらめる。

仮に、その手続きをする資格が自分にないなら、
では、どうやったたらその資格を持つことができるのか、
という視点で考えようとしない。
無理なのだ、できないのだ、という視点でのみ判断する。
いかに自分がその手続きができないかの正当な理由を羅列する。
その理由は、可能性を放棄するという点において完璧なものだ。

お金がもらえない自分というセルフイメージに忠実に行動している。

可能性が1%しかなかったとしても、
豊かさを手にするひとつのチャンスなら、やってみる価値があるのに、
そうした人は、いかに自分はそれができないか、
という部分にフォーカスする。
そして、そのできない理由がそういう人にとって何より正しく大切なのだ。
やってダメならそれでいい、じゃなく、
どうせダメだからやらない、なのだ。
ここ、重要ね。

なぜなら、うまくいかないために。

うまくいかないように必死に頑張っているので、
それを阻止されようものなら
(つまり、うまくいくようにアドバイスされる、アイディアをもらう等)、
すねたり、反発したり、気分を悪くしたりする。

もちろん、本人はうまくいかないように頑張っているとは思っていない。
自分なりに必死でやっているつもりになっている。
けれど、何ひとつ結果が残っていない。
当然だ。
結果につながる選択、決断、行動をしていないからだ。
そして、結果につながるそれらを回避するのがとても上手なのだ。

本人はうまくいかないことがとても苦しい。
けれど、うまくいかないことの中にいるのが心地いい。
心地いいと言うか、自分はそこにいるべきだと思っている。
「そんな中でそれでも懸命に生きる自分」が、苦しくも心地よく、
そうしたセルフイメージに絡め取られている。
そして、表面の意識ではそれに気づいていない。
気づきたくないのだ。
気づいてしまったら、そのやり方を変えなければならなくなることを、
潜在的によく知っているからだ。

そこから抜け出す最初の一歩は、
自分がそうしたセルフイメージを持っていて、
そこにフィックスされているということを「認める」こと。

そういう人を目の当たりにしているということは、
私も同じものを持っているからだ。
自分ではそう感じられないけれど、ここまで見せつけられるのは、
まさに、自分も同じものを持っているのだという証。
これは、私が向かい合う深いテーマ。
今、自分は、このテーマを清算しようとしてると感じる。

そういう人が周りにいて、おかしいと批判だけするのではなく、
今、私は、自分の中にあるものを見せられている、と受け止めている。
時に、その中に自分が巻き込まれて、
負のスパイラルに陥ったとしても、それは、そういう人のせいではない。
私の責任で起こっていることだ。

人は鏡。
自分の中を本当によく映し出す。
例外なく、だ。

おかげで、私は「認める」ことができた。
私は、幸せや成功や豊かさから遠ざかろうとする部分を持っているのだと。
今まで自分がそんな観念など持っているとはこれっぽっちも思っていなかった。
なりたい自分にならないセルフイメージを、頑に守り続けてきたのだろう。
やっと、やっと、認められた。

認めたところから始まるものを、私は育んでいこうと思う。
人を変えることはできない。
だから、私は孤独な作業をしていく。
自分の中からそうしたものが消え去る時、
私の周りの人のそうしたものも消え去る。
ホ・オポノポノの定義。

こういうひとりぼっちは嫌いじゃない。
誰も巻き込むことができない作業。
時には、さびしくて心細くなって、泣いたすることもあるけど、
なすべきは自分の責任で自分に向かい合うこと。
この世界のすべては誰のせいにすることもできない。
自分が変わることによってのみ、何かが動く。

幸せになっていいんだよ。
成功していいんだよ。
豊かになっていいんだよ。
もう、いいんだよ。

その言葉を自分に向ける時、居心地の悪さと少しの苛立ちを感じる。
は、そんなのわかってますが?みたいな。
その時点で、私の中にはそうしたものに反発するものがあるのがわかる。

成功して輝いている人を見てうらやましく思い、まぶしく感じ、
また、そうでない自分を悲しく思うかたわらで、
決して自分はそうならないであろうという確固たる信念のようなものを感じる。
そして、そういう場所にいることに安堵している部分があることを。
そういう場所にいることに何らかの理由を付けて正当化している自分がいることを。
私は知っている。

なんて大きなテーマなんだろう。
今までたくさんのテーマに取り組んできた。
これがいちばんやっかいで強大なテーマのように感じる。
私のルーツそのもののような、大きな固まり。

これを抜けたらどんな場所に出るのだろう。
今はその場所を想像することもできないけれど、
でも、抜けてそこに行くことだけは決断した。

決断したら悲しくて仕方ない。
面白いね。
私の中の何が泣いているのだろう。
これから少しづつわかってくるんだろうな。

もう疲れたんだよ。
うまくいかないものの中にい続けるのは。
もうイヤなんだよ。

この「もうイヤ」を感じた時こそが、チャンス。
私はもう逃さない。
今まで逃し続けたから。

チャンスの神様は前髪しかないって聞いたことがある。
思えばスゴイ髪型だ(笑)
ちょっと大五郎をイメージ(わかった人は同じ年代)。
だから、あ、チャンス!と思ったらすぐにつかまないと、
(前髪をね)
ちょっと遅れてつかもうとしてもつかめないのだそうだ。
(後ろ髪ないからね)

幸せや成功や豊かさから遠ざかろうとするのは、
まぎれもない私の姿。
目の前の誰かの姿を通して見つめる自分の姿。

やっと会えたね、きっとやっと会えたんだ。
助けてやんなきゃね、自分を。


2010年07月04日(日) 一見意味不明で無謀な生き方

トイレやお風呂に入っている時、
ふっ…と何かが思い浮かぶことがある。

あ、あれやってみよう、
あ、あれをああしてみよう、
あ、これっていいかも、
って。

アイディアを探し求めて考え抜いた結果じゃなく、
ほえぇぇ…っとしている時に、不意に浮かぶもの。
根拠もないのに、きっとすごくいいはず、って思う。
そして、なんだかワクワクする。

そういうものが浮かんだ時は、それを実行するようにしている。
で、その結果はいいことにつながることが多い。

昨日もひとつ浮かんだことがあって。
それは、地元の商工会に入ること。
最近仲良くなった近所のペットサロンのオーナーさんも入っていて、
なんとなくね。

その彼女のことも、以前、お風呂でふっと思い浮かんで、
大して面識ないのにいきなり無理だろ、って思ったけど、
なんだかワクワクしたし、とにかく、声をかけてみようと思った。
ホームページ制作の仕事をさせてもらうつもりで。

そして、その翌日、
いつも夕方ウチの前を通る彼女を見かけて駆け出し、
最初はあいさつ、ちょっと世間話をした後、
勇気を出して声をかけた。

「お店のホームページある?」

って。
彼女は答えた。


「あるよ」

私はがくーんと肩を落とし、やっぱ気のせいか…と思った。
彼女は名刺をくれた。
ホームページのURLがしっかり入っていた。
とほほ…

すると、彼女は言った。

「実はさ、自分で作ったんだけど、もう大変でやんなっちゃって。
 半年かけて作って、この前やっと公開したの。
 自分で作るけど、毎月お金払って、場所を借りるような感じで、
 さっきもそこのホームページの業者が来てて、
 色々支払いの話してたとこだったんだよ」

私は恐る恐る言った。

「あの、私もホームページ作る仕事してるんだけどさ、
 今、実績サイトを増やしたいから、色々な人に声かけてるんだ。
 よかったら作らせてもらおうと思って。
 でも、持ってるんじゃ仕方ないね」

「え、そうなの!?
 頼みたいかも。
 今の業者しつこくてさー、
 それに自分で色々やるの面倒だし、わかんないし。
 話聞かせて」

そこから話がトントン拍子に進んだ。
いやー、自分でびっくり。
なんだよ、この展開!?って。

実は、私が声をかけた日の夜、
今のホームページの業者に、
契約継続の返事をすることになっていたそうだ。
でも、私と話したことで、契約を打ち切って、
仕切り直しで新たにホームページを立ち上げることを考え始めたそうで。

もちろん、私はその夜のうちにトップページのデザインをした。
そう、即行動。
翌日彼女に見せたら気に入ってくれて、やらせてもらえることが決定。

すげータイミング。
私が躊躇して声がけが1日でも遅れていたら、この話はなかった。
思い立ったが吉日ってよく言うけど、ホントだね。

最初に書いた商工会のことも、ゆうべ思い浮かんだので、
今日、彼女に紹介してもらって商工会の人と話をした。
近々資料もらって、問題なければ入るつもり。

だから何なんだかはよくわからないけど、
思い浮かんでワクワクするのでそれがいい、そんな感じ。

今までを振り返ると、何か思い浮かんだら即実行がいいみたい。
時々、意味不明な行動をしているような気もするけど、
後になって振り返るとみんないいものにつながってる。

私がしていること色々端から見た人は、
あの人あんなふうで大丈夫かしら、ってきっと思うんじゃないかな。
自分でも思うもの、こんなんでいいのか!?って。
まあ、色々あるんだけどね、今も「危険過ぎる生き方だよ、この期に及んで」モード。

今ね、賭けをしてるのよ。
人生の大博打ね。
負けられない賭けだよ。
負けたら好きに生きられないことを証明してしまうんだもの。
あたしゃー勝ちまっせ。
そしたら、このおひさまで報告したい。

頭できっちりかっちり計算しながら色々考えると、
大体のことは不安になってくる、で、どんどん落ちてゆく(笑)
だって、考えれば考えるほどうまくいくはずないんだもの(爆)

で、落ち込んで、泣いて、ふて寝して、
いつの間にか元気になって、また一見意味不明で無謀な生き方に戻る。

正気に戻ると(笑)時々不安になることもあるけれど、
私は元気です(魔女の宅急便風に)


2010年07月02日(金) フォトセラピーのウェブサイト、公開しました

あああ、やっとでけたよ…

今日、フォトセラピーのサイトを公開しました。
ぜひ、見てやってくださいまし。
これっ ↓

【PHOTO THERAPY】

フォトセラピーを体験してくださる方が増えるといいなぁ。
内容は盛りだくさんなんじゃないかと思います。

まず、時間に制限のない事前カウンセリングをします。
他愛のないおしゃべりでもなんでも。
もちろん、撮影のことに関してだけではなく、
悩みや問題についてお話しいただいて構いません。
そうしたことも含めて、セッションとして進めていきます。
すべてはつながってるから。
そして、撮影、じっくり(笑)
撮った後もシェアリング大歓迎です。

茨城、千葉、埼玉、東京、神奈川エリアであればおおよそ対応可、伺います。
移動時間が2時間を超える場合は、カウンセリングはスカイプかお電話です。
さらに遠方の方はご相談くださいね。

年末までに体重落として受ける、という方もいらっしゃいました(笑)
頑張れ!

ずっとやりたかったんですよ、フォトセラピー。
でも漠然としていて現実的じゃなかった。
何をどうしたらいいのかもわからなかったし。
けれど、ひとりの方の申し出により、それがあれよあれよと言う間に形になり。
彼女なしでは生まれなかったフォトセラピー。
カメラを手にした頃から、漠然とそんなものを想い描いていた。
数年後、こうして形になった。
思いがけず。
本当にありがたいです。

フォトセラピーで感じたこと、彼女が、
2日にかけてブログに書いてくださっているので紹介させてください。
私があれこれ書くより、
よっぽどフォトセラピーとはなんぞやってのが伝わる。

読んで、俺、泣いちゃったよ。
ああ、こんなふうに感じてくれたんだ、
私のやりたかったことがこうして形になってるんだ、って。

「再会」
「再会 そして自分自身と恋に落ちる」

ありがたいです、本当にありがたい。
すごくうれしい。
どんだけ力もらったことか。

撮られる方ってね、緊張したりすると思うんですよ、きっと。
でもね、撮る方もなんです。
ああ、どんな写真になるだろう、気に入ってもらえるものが撮れるかな、
あうー、あうー、って(笑)
写真を撮る時、私はそんなふうです、ほら、びびりーだから。
ほらぁっ、あたくしがあなたを撮るわよ!ってなモードじゃない。
でも、撮りたい(笑)
撮り始めると没頭しちゃうからあれこれ考えないんだけど、
それまでは、いつもそうなのよ。
だから、セッションでは、お会いする方と、
一緒にあうーあうーしながらやっていけたらいいと思います。
つか、それじゃ心配?(爆)

あなたのこと、撮らせてください。


2010年07月01日(木) ぜひオススメしたいお気に入りブログ!

夏ですねーっ。

夏ってだけでテンション上がる。
いっそのこと、寒い時は冬眠して、夏だけ活動したい(笑)
それくらい夏が好き。

さて、今日は私のお気に入りのブログのご紹介。

***

まず、リーディングをしているアドちゃんのブログ。
一緒にウェブの仕事をしている仲間でもあります。

リコリスの日記

彼女はリーディングにカモワンタロットを使います。
ブログでは今日の1枚というタイトルで、
その日引いたカードからインスパイアされた言葉を綴ってます。
短いんだけどグッとくるんだなー。
必要以上にアクセスしとります(笑)
その他、日々の彼女のことがちらっとアップされたり。

飾らないあったかいキャラがたまらないアドちゃん。
彼女はタロットを使うけど、占いじゃなくリーディング。
チャネリングをする人は自分自身が媒体だけど、
彼女の媒体はたまたまタロットってだけで、
タロットを使いながらあらゆるものを読み取っていく人。

表面の問題だけではなく、その奥にある根本的なものにアプローチして、
霊的レベルで出来事を捉える機会を与えてくれる。
途中「あーた、今自分で喋ってないでしょ!?」って感じになってる彼女。
本人は、フツーだよ、って言ってるけど、いや、
私から見ると、明らかに自分を超えた叡智とつながってる。
でも、さりげなくぽーっとフツーに話す、それがあまりにすご過ぎる。

事実、この前も彼女のセッション受けたけど、打ち抜かれたね。
目先問題だと思っていたものの奥に横たわるものまで読み取ってくれて、
そのセッションがきっかけで私は大きくシフトしたのでした。

早く専用ウェブサイト公開して!とせかしまくり。
今はまだウェブサイト準備中で連絡が取れなけど、
彼女のリーディングを体験したい!という人は、
私のメールフォームから連絡くださいね → ここをクリック
彼女につなぎます。
と言うか、ぜひ体験していただきたい。
1時間10、000円のセッションです。
悩んでいることがある人、選択に迷っている人、転換期だと感じている人、
ぜひアドちゃんに会ってみて。
答えをくれるんじゃないの、答えを自分で見つけさせてくれるの。
真のリーディングだね。
それが本当にすごいと、いつも思うんだ。

***

次に、カラーセラピストであり、ヒプノセラピーも学んでいる、
友達のhiromiちゃんのブログ。

hiromiの言の葉モード

その日感じたことを短い言葉にしてアップしてます。
これもたまりません。

彼女の感性はもうすごくて、
起こる出来事やそこから感じることから、何かに気づく天才と言うか。
当たり前の毎日の中で彼女が拾い上げるものをシェアしてもらう時、
自分は生かされてると感じることができるし、
すべてがそのままでオッケーで、
そして、すべてが流れの中で行くべき場所へと自然に向かっていると、
心から感じることができるのです。
セラピストになるべくして生まれてきた人だよな。
これまたスーパーナチュラルな人で、
スピスピしてないのに、とても深いという、私の大好きなタイプ。

彼女はトランぺッターでもあり、
楽器をやる人の癒しにも力を入れてます。
自分でやってる分、その葛藤や苦悩がよくわかるのね。
目の前で彼女の生演奏聞かせてもらったことあるけど、たまんないね。

彼女と話していると、不思議と穏やかになって、笑顔になれるのです。
で、時に一緒に泣いたりして。
で、すぐゲラゲラ笑ったりして。

***

私の周りにいる素敵な人達に心から感謝の毎日です。
どうぞ彼女達ともつながってみてくださいまし。


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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