おひさまの日記
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2009年12月31日(木) |
よい年をお迎えください |
やー、大晦日だなー。
なんなんだ、この実感のなさは。
ああ、今年も終わるな…とか、
新しい年がやってくるな…とか、
そんな感慨深さ、ほとんどなし。
今日も、明日も、仕事なんだもの、郵便局。
仕方ないけどさ、郵便局なんだから。
子供の頃は、もっと、こう、なんて言うんだろう、
季節の変わり目とか、こういう行事に、
感慨深いものがあったんだよな。
しみじみ感じていたし、それを重んじる空気の中にいたと言うか。
もっと文化を味わっていたと言うか。
いかん、いかん。
おせちも正月料理も作ってない。
風邪で寝てて大掃除もしてない(abuとアンナがしてくれた)。
年越しそばもなし。
アンナのお年玉もさっき用意した有様。
気を利かせてピン札を用意してやることもできなかった、とほほ…
アンナ、ごめんよ、子供の頃からそういうものを、
親が背中で見せて、子供にも体験させてやることが、
すっごく大切だと頭ではわかってるんだがよ…
それでも、NHKの「ゆく年来る年」だけはどうしても見たい!
オープニングで鐘が「ゴーン…」と鳴ると、ああ新年だ…としみじみする。
せめて、あれだけは見よう。
今はアンナが紅白歌合戦見てるからな、後で合流しよう。
今年はここ何年かの底辺を這うような生活の中でも、
これからやってくる「なにか」を感じながら過ごす年だった。
そう、兆しの年だった。
いつもの生活に追われ、生活のために動き回る日々だったんだけど、
その中でも感じる「なにか」があって、
私の目は確実に遠い、見えない、でも、感じる未来を見るようになった。
だから、目の前の毎日は何も変わらない日々だったんだけど、
「なにか」に向けての選択が少しずつ始まった。
選択が始まって、そのための行動が始まって、
今、少しだけ「なにか」に触れ始めたような気がする。
もう行くしかない。
「なにか」が待ってる方向へ。
それ以外の方向に行ったって、自分が自分じゃなくなることは、
イヤっていうほどわかった。
何の保証もないその方向へ。
言うなればこうだ。
「そうささやくのよ、私のゴーストが」
来年はなぁ、うん、こわいけど、頑張ろうっと。
なんとかなるさー。
なんとかなるためにあれこれするさー。
勝負の年、なんて、大げさなことは言いたくないけど、
やっぱ、勝負の年なんだろうな。
好きなことをするのがこんなにこわいなんて。
好きなことをするのにこんなに勇気がいるなんて。
子供の頃ならこんなふうに感じなかっただろう。
ただひたすらに突き進んだだろう。
それでも、せずにいたらもうダメになってしまうんだもの、
やってみよう、好きなこと。
そう決めたのだから、いっそのこと思いつくことはみんなやってみよう。
やってする後悔と、やらないでする後悔は、
やってする後悔の方がうんといいって、誰かが言ってた。
と、自分を勇気づけてみる(笑)
来年が、みんなにとっても、素敵な年になりますように。
ひとりじゃない。
どこかの誰か、みんな、あなたと同じこと考え、思ってる。
同じこと悩み、苦しんでる。
そして、そこから旅立つ時が来る。
みんなの飛躍の年になりますように。
心から、そう思う。
よい年をお迎えくださいね。
来年もよろしくお願いします。
2009年12月29日(火) |
与えられている恩恵に気づくために |
ひさびさに風邪をひいた。
今年の1月以来だ。
やー、ひさしぶり、風邪クン。
だるくてぐらぐらー。
鼻ずるずるー。
ぐるじー。
月並みだけど、体調を崩すと健康のありがたさを実感する。
普段はそれがあたりまえなので、
ありがたいだの、素晴らしいだの、思いもせずに過ごしている。
けれど、それを失ってみて、
初めてそのありがたさ、素晴らしさがわかる。
人生もそんなもんなのかもしれない。
なんとなく過ごしている毎日、
不平も不満も、心配も不安もある。
でも、ひょっとしたら、それは、違う目で見ると、
かけがえのない素晴らしい時間なんじゃないかと思う。
そう思うと、自分の毎日は本当に恵まれてるんだろうなって思う。
色々あったとしても。
真の恩恵は穏やかであったかくて静かだから、
その存在に気づきにくいのかもしれない。
春の日だまりがそぉっとそこにあるから、
それが心地よいことがあたりまえに思えてしまうように。
私は幸せなんだなぁ。
私の人生にはありったけの贈り物が届けられてるんだなぁ。
与えられている恩恵に気づくために、
それがありがたいものなのだとわかるために、
たとえばこんな風邪も時々はいいもんなんだなって思う。
人生のありとあらゆる心地よくない状態が教えてくれること、
いっぱい、いっぱいある。
熱も上がってきたし、今日はよいこで早く寝ようっと。
2009年12月27日(日) |
きっかけは天使のいたずら |
私が写真を始めたきっかけは、実は、すごくくだらない。
キムタクの出ていたNikonD80のCMを見て、
あああっ、カメラかっこいい!なんか欲しい!写真撮ってみたい!
そう思ったからだった。
ぶっちゃけ、ただそれだけ。
コンデジ(小さくてシャッター押すだけで撮れるデジカメね)でさえ、
それまで、まともに扱うことのできなかった私。
あれー?どこを押したら電源入るの?
あれー?なんでこんな色になっちゃうの?
そんな私がいきなり立派そうなカメラを買ってもいいのか、
不安はほんの少しあったけど、
キムタクの宣伝してるカメラ欲しい、写真撮ってみたい、
その衝動があまりに強く、近所のカメラ屋さんに駆け込んだ。
その時も、ボディとレンズが別売りだなんて知らなかった。
お店の人に、
「あれ、これレンズついてませんよ」
と、平気で言い放った。
店員さん、苦笑。
一眼レフって何のことかさえわからなかった。
レンズに種類があるってことも知らなかった。
つか、レンズってカメラにくっついてるもんだと思ってた。
でも、カメラ買って写真を撮るんだ、
そう考える時の自分の奥の方が沸騰するような感覚、
それに導かれたとしか言い様がない。
カメラが手元に来て、パシャパシャ撮る日々。
すべて独学。
写真が面白くて、fotologueという写真サイトに登録してみて、
そこで知り合った人達に少しずつカメラや写真のことを教わる。
そんなある日、本屋である写真雑誌を手に取った。
そこで衝撃的な1枚を目にする。
その写真が私の中に重くて心地よいくさびを打ち込んだ。
引き込まれるというのはこういうこと。
私は異空間に入り込んだかのように現実を離れ、
写真を見て生まれた感覚の海を漂った。
それが、私に多大な影響を与えた写真家、
細江英公氏の写真だった。
なんなの、これ!
どうやったらこんな写真が撮れるんだ!?
撮ってみたい、こんな写真!
いつまでも本屋でその写真を眺めていた。
ふと、我に帰り、あ、この雑誌買えばいいんじゃん(笑)と気づき、
買って帰った。
そして、数年が経ち、今に至る。
突然、ある日、その細江英公氏に会うチャンスが巡ってきた。
いや、会うと言っても、もちろん個人的にじゃない、恐れ多い(笑)
同じ会場に居合わせることができるかもしれない、ということ。
もし幸運の女神が味方してくれたなら、
自分の写真が見てもらえることもあるかもしれない、
そんなチャンス。
見てもらえなくても、同じ場所で同じ空気の中、
そのエネルギーを感じられたら、
それだけでも何かつかめるかもしれない、そう思った。
そして、私は、あるポートフォリオレビューに参加を申し込んだ。
ポートフォリオレビューってのは、
写真家が自分の写真を持ち込んで、
レビュアーと言われる評価する側の人達に自分の写真を見てもらって、
意見をもらったり、自分を知ってもらったりするイベント。
才能のある人はそこで誰かの目に留まってチャンスをつかむこともあるだろう。
そんな恐れ多いイベントに申し込んだのも、
そもそも、レビュアーに細江氏が名を連ねていたからだ。
でなかったら、小心者の私は、
人に写真を評価してもらうような場には出て行かなかったはずだ。
だってー、こわいもーん(笑)
でも、まるでカメラを突然買った時のように、
あーっ、あの写真家さんにナマで会えるかもーっ!会いたいーっ!
不安に勝るそんな心の奥が沸騰するような感覚が後押しして、
思わず申し込みメールを送ってしまった。
そうしたら、参加できることになってしまった。
「しまった」と言うのも、申し込んだ後、こわくなって、
やっぱり落ちればいいな、選考からもれたらいいな、って、
考えたりしていたのだ、あはは…
まぁ、選考と言っても、先着順ということなので、
つまりは、申し込みが早かったということなんだけどね。
とにかく、もぐりこめたんだからよしとする。
レビュアーリストから希望レビュアーを10名選んで伝えて、
その中の人に写真を見てもらえるんだけど、
私は希望レビュアーの中に細江英公氏の名前を入れてメールを送った。
希望リストのいちばん上にね。
参加者52名が色々な人を希望するわけだから、
自分が選んだ人のリストのトップの人に見てもらえるかどうかわからない。
あとは神様にお任せ。
まだ結果は出ていない。
これで、直接話はできなくても、
細江氏と同じ会場にいることはできるようになった。
遠くからでも細江氏を見ることができる。
空気からでも何かを学びたい、感じたい、そう思う。
今は郵便局の仕事の合間をぬって、
そのポートフォリオレビューの準備に追われている。
寝足りないけど、楽しいね。
日々、
「郵便局行ってる場合じゃねーよ。
年賀状売ってる場合じゃねーよ。
書留やゆうパック交付してる場合じゃねーよ。
お客様に怒鳴られてる場合じゃねーよ」
そう思いながら仕事してるのであった。
そして、そのイベントには、abuも一緒に参加する。
実は、私が申し込む前に、abuにその話が持ちかけられた。
abuはレビュアーの中のひとりの方の推薦枠に入っていて、
参加しないかと、突然その話が持ちかけられたのだ。
自分のダンナながらスゴイ…
そして、私はそのイベントを知り、一般公募で申し込んだのだ。
レビュアーに細江氏がいなかったら絶対に申し込まなかったよ。
だって、そんな大それた場所で写真見せるなんて、こわいもん。
(((( ;゚Д゚))) ガクガクブルブル
私が写真を始めたきっかけは実にくだらなく、
キムタクが「いいわ、ニコン」と言ったからだった。
それが私の人生をすっかり変えてしまった。
写真を始めてから私の人生は、
ジェットコースターに乗ったみたいに、
激しくめまぐるしく動き出したのだから。
今回のオープンポートフォリオレビューへの参加も、
きっかけは実におこちゃまじみて、
尊敬する細江英公氏と同じ場所に立てるんだー!という気持ちだけだった。
立派な意思と情熱と、確固たる写真への信念、
そんなものも私には語れず、
すべてが曖昧なまま、けれど写真が大好き、撮り続けていきたい、
そんな気持ちだけ持っていて。
けれど、きっかけはどうあれ、
自分に訪れたものは自分に必要なもの。
逆に言えば、その必要なものをつかむためには、
きっかけはどんなものであってもいい。
うん、きっかけは天使のいたずらなんだと思うんだ。
ある方向へ導くためのね。
そして、今回、私はきっとつかんだのだ、必要なものを。
写真の道に進むことを、改めて自分に言い聞かせるためにも、
宇宙への意思表示のためにも、
参加することに意義がある、ということで、
結果がどうあれ、私は勇気を出して行ってこようと思う。
そのために急遽emaのサイトもリニューアルしたし。
そんな作業も楽しいのだけどね。
まあ、まとまりのない日記だけど、
そっちの方向に進んでいる私なのだった。
2009年12月24日(木) |
古いものが去ろうとする中、 新しいものが訪れようとする |
日記を書きたいし、ネタもいっぱいあるのに、
それに時間を費やすことができてないここ最近。
郵便局の繁忙期もピークとなり、心身ともに疲労困憊。
時間がないように感じるのは、
疲れていて何をする気にもなれず時間が過ぎてしまうからってこともあるけど、
心にゆとりがないからだとも思う。
私から心のゆとりを奪う原因がもうすぐひとつなくなる。
もうすぐ終わりだ、郵便局。
頑張れ、俺。
出口は見えているぞ。
郵便局がフェードアウトする中、
私の人生にフェードインしてくるものもある。
古いものが去ろうとする中、
新しいものが訪れようとする。
それが、変化の流れなのだろう。
新しいものは、その全貌をつかむことができず、
でも、その片鱗を見せることで、
こっちにおいでとまるで私をいざなうようだ。
それについてはまたゆっくり書こう。
クリスマスイブは家族で過ごした。
私が受け取ったプレゼントは、
家族それぞれが用意してくれたプレゼントもそうだけど、
寒い夜、心の中に咲いた冬の花がいちばん素敵なプレゼントだった。
みんな、みんな、メリークリスマス。
すっげーイヤだと思ってる人が私にしてることと、
自分がアンナにしてることが同じだと気づいた日。
自分はあの人とは違う!
あんなふうにするなんてひどい!
…と思ってたのに、まんま同じだった;
そして、自分がその人にされてが不快になっているのと同じに、
アンナも私にされて不快になっていると気づいた。
苦しんでいるのだと。
自分が苦しんで初めて、
自分以外の人の苦しみがわかる。
わかって初めてできることがある。
だから、自分を変えようと思った。
その人のことがイヤで仕方ないけど、
でも、それに気づくためにその人と出会ったんだと思ったら、
ま、イヤだという気持ちは変わらないんだけど、
必然な出会いだったんだと思えて、
感謝の気持ちでその関係を手放そうと思った。
さよなら、反面教師。
たくさん学ばせてもらいました。
そして行くのだ。
もっと素敵な自分になるために。
まだ見ぬ未来のために。
夜になってハナがにゃーにゃー外で鳴いていた。
ずっとずーっと。
ハナは成田にいた頃から飼っていた猫。
家猫だったハナも、今ではすっかり外猫の生活になじんでいる。
かなり長い時間が経っても鳴き止まない。
エサも食べたのに、どうしたんだろう、
そう思って外に出てみた。
ハナはいっそう大きな声でにゃーにゃー鳴いた。
一緒に遊ぶことにした。
いい子ね、ハナはかわいいね、って、なでなでした。
ハナは喉をごろごろ鳴らしていた。
少し遊んで、私はハナにバイバイして家に入った。
ハナの鳴き声はぴたっと止まった。
そんなハナの様子を見て母が言った。
「えみや行くといつもかまってやるから、
満足するんだろうよ」
きっとそうなんだろうなぁ。
動物はさびしい時に遠慮なんかしない。
かまってもらいたい、遊んでよ、そう訴えてくる。
いつまでもいつまでも、満たされるまで訴えてくる。
さびしいのをこらえてしまうのは、人間だけなのかもしれないなぁ。
さびしい気持ちってのは、大人子供関係なく感じるもの。
私だってしょっちゅう感じる。
心もとない時、
すごくうれしくて何かをシェアしたい時、
つらい時、
abuとコミュニケーションやスキンシップしたくなる。
他愛のないことでもいいからおしゃべりしたい時、
話を聞いてほしい時、
自分の方を向いてほしい時、
いわゆる、彼の気持ちがこちらを向いていると感じたい時に、
abuが忙しくしていたり、
ずっとパソコンに向かっていたり、
仕事に熱中していて話しかけても返事がなかったり、
別のことをしていて空返事だったりすると、
すごくさびしくなる。
悲しくなる。
それは別に彼が悪いわけじゃない。
間が悪いってやつだ。
彼が私をないがしろにしているわけでもなんでもないのに、
私は勝手にさびしくなる。
abuは私をとても大切にしてくれているし、かまってくれる。
よく話もするし、スキンシップもする。
とても仲がいい。
それなのに、自分の気持ちがそれを欲している時に、
たまたま受け取れないと感じてしまうと、
普段すごく仲良しで満たされた気持ちで過ごしているのに、
それとは別世界のようなブルーな世界に行ってしまうのだ。
そんな時に思う。
43歳になるいい大人がこんなにさびしくなるんだから、
子供なんてもっとさびしいんだろうな、って。
おしゃべりしてほしいだろうし、かまってほしいだろうし、
いっぱいスキンシップしてほしいだろうし、
ママやパパが自分を見てくれている、自分に心を向けてくれている、
そう感じたくて仕方ないに違いない。
それをガマンしなさいなんて、無理な話。
ガマンして強くなりなさい、なんて。
さびしい気持ちが満たされて、からっぽな心が満たされて、
初めて人は強くなれる。
心がエンプティなまま強くなりなさいなんて言われても無理だ。
もしそれができるとすれば「フリ」をするしかないのだろう。
平気なフリ、強いフリ、さびしくないフリ。
さびしいって気持ちはみんなが感じる気持ち。
子供に向かって、もう○歳なんだから、とか言うのは違うと思う。
大人だってさびしがり屋で、でも、それじゃいけなって自分を禁めるから、
子供にも同じことをしてしまう。
大人も子供と同じくらい本当はさびしいのだ。
私もだもん。
それを隠してしまうからおかしくなる。
いつまでもにゃーにゃー鳴くハナを見て、
うらやましいと思った。
いいねぇ、さびしいって声に出したらいやがられるなんて思わず、
心のままに求められるんだから、って。
そして、少し遊んだら、心が充電できたのだろう、おとしくなった。
素直だからこそなんだなぁ、って思った。
きっと、みんな、同じ。
動物は葛藤がないって聞いたことがある。
飼い犬がかろうじて少しあるとか。
それ以外の動物は葛藤しないのだそうだ。
人間くらいだよね。
さびしくて、でも、それを表現できなくて、
すねてみたり、ねじれてみたり、代替行為に走ってみたり。
ハナみたいになりたいな。
いつでもにゃーにゃーはちょっとだけど(笑)
上手にさびしがれたらいいな。
写真って感情そのものだと思うことがある。
昔の写真を見ると、
忘れいてたその時ことやその時の感情をふと思い出す。
リアルにその時の想いがよみがえる。
特に、自分が撮る側である時の写真は、
それが強烈であるように思う。
それは、自分が撮るという行為をするからなのだろうけど。
ここ数日、外付けハードの中の昔の写真を眺めたりしている。
ウェブにアップしている写真はほんの一部で、
人の目に触れることのないもののほうが圧倒的に多い。
そんなものを時々眺めることがある。
そんな写真は、私がかつてそれを撮った時へと私を連れてゆく。
その頃に置いてきてしまった大切な気持ちを、
その時の情景と一緒に思い出す。
ある写真を見て涙ぐんでしまった。
それは、アンナの写真だった。
写真の中のアンナは、母の作ったご飯をおいしそうにほおばっていた。
お茶碗を持ってくったくなく笑うアンナは、
今よりもうんどあどけなくて、
過ぎ去ってしまった時間の中でも失われることない輝きを放っていた。
存在の美しさ、存在の尊さを。
そして、どれほど彼女を愛してるかということを思い出した。
私は、慌ただしい毎日の中、当たり前過ぎて忘れてしまう。
そんな大切なものを。
自分に心のゆとりがないと、
周りにあるそんな輝きに目を向けることもできない。
ひょっとしたら、その写真を撮った時も、
特別な思い入れもなく、何気なく彼女を撮ったのかもしれない。
けれど、時を越えてその写真を見た時、
私は、その写真を撮った時には見えていなかったかもしれないものを、
時空を超えて見た気がした。
時差があるからこそ、そこに見えるものを。
写真は魔法だと思った。
タイムカプセルみたい。
人生の中の決してとどまることない瞬間を、
ほんの一瞬だけ切り取って、形にして残してくれる。
それは、時空を超えて届く贈り物のよう。
私は決して難しいことを考えて写真を撮るわけではない。
撮りたいと感じた瞬間に、撮りたいものを撮る。
特別な写真哲学を持っているわけでもなく、
自分の写真のコンセプトを語れと言われても口ごもるだろう。
ただ、なんとなく撮りました、それが本当のところだ。
すべての写真がそんなもんだ。
それでも、後から見た時、
たった1枚の写真が、
大切な何かを思い出させてくれることがよくある。
今日のように。
無数にある過去の写真の中で、
ただ、ふうん、と眺める写真と、
見ているだけで涙が出てきてしまうような写真がある。
たくさんたくさん撮る中で、
恐らく、天使が通る瞬間があって、
そんな瞬間に撮った写真は、
未来の自分へ向けての贈り物が写り込んでいるのかもしれない。
今日、私が、自分が昔撮った写真から贈り物を受け取ったように。
たくさん撮るから、撮り続けるから、
天使が通る瞬間にシャッターを押すこともあるのだろう。
そういう意味では、天使が通らなかった時の写真も多いだろうし(笑)
その贈り物が、自分だけでなく、
いつかは誰かの贈り物にもなったらいいな、そんなことを考えた。
どんな仕事をしているの?
誰かにそう聞かれた時、
恥じることなく、卑下することなく、
「写真家です」と答えられたら、
どんなにいいだろう、そう思った。
魔法の写真が撮れるようになったら、いいな。
誰かの心に何かが届く、そんな写真、撮れるようになれたら。
誰かの感情がよみがえるような、そんな写真を。
父の出血は止まり、悪化することなく落ち着いている。
明日以降の検査の結果で今後の治療方針が決まり、
状態が良ければ、年内の退院も視野に入りそうだ。
ただ、毎日なんらかの形で病院に行くのは結構つらい。
自分が付き添わない日も、今度は母の送り迎えで、
私かabuが片道1時間近い道のりを1日2往復することになる。
仕事して送り迎えして、その間にアンナの送り迎えもして(学区外通学)…
となると、それだけでへとへと。
ああん、ごはんはレトルトカレーでいいかしらー?いいともー!
abuができる限り送迎をしてくれるように頑張ってくれているし、
家事全般も、私よりやってるじゃん、ってくらいやってくれているので、
なんとか体力気力がもってるようなもんだ。
そう思うと、健康って本当にありがたい。
自分が健康でいることって家族への貢献でもあるのだなぁって思ったり。
平凡な日って特別これといった素晴らしいことはないような気がするけど、
でも、実は、健康でいるという、それだけでありがたい状態なんだよな。
それに、忙しいと何も自分のことできないと思いがちだけど、
振り返ると、ヒマなときの方が時間があるはずなのに、
そういう時は案外ボーッとして何もしなかったりするんだよなぁ。
だから、言い訳せず、自分のしたいことも、
そんな中でしっかり手をつけていけたらと思ってる。
去年の今頃のことを思えば、あーんてことねーだよ(笑)
ゆうパックの配達に明け暮れ、早朝から深夜まで走り回ってたからね。
あのつらさ思えば今は楽、楽。
本当にいい体験だった、ゆうパックの配達。
もう二度とやらないけどね、ふっ…( ´_ゝ`)
とは言え、自分のしたいことを十分にするには、
やっぱりもっと時間が欲しい。
それに、何より、気持ちのゆとりが欲しい。
生活の手段としてだけの仕事をして、つらさに打ちのめされて、
疲れて帰ってボーッ…として寝るだけの生活をしていると、
自分の好きなことさえも忘れてしまうんだ。
そのためにも、郵便局を辞めることを決めたのだし。
人生の道は歩くことでできてくる。
道がないのなら、道を作るために歩くしかない。
じっとそこにいるだけじゃ何も見えてこない。
道がないから行かないんじゃなくて、
行って道を作ろうと、最近思うようになった。
道がない、道がわからない、だから行かない、少し前までの私はそうだった。
でも、本当に色々あって、道がない、道はわからない、
だけど、行きたい方向はある、
それなら、道はないし、どっちに行ったらいいかわからないけど、
歩き出すという行動を起こすしかないと思った。
だって、そうしなかったら心が死んでしまうと思ったから。
私が私でなくなってしまうと。
こわかったよー、すごく。
何の保証も、何の方法も、何のあてもないまま、
それでもその道を行く選択をするのは本当にこわかった。
でも、歩き出してよかった。
行動を起こすと、その連鎖反応で、
必要なものがどんどん引き寄せられてくる。
私は、約2年、まるですべてが停滞しているかのような状態の中にいた。
長い長い2年だった。
それまで、自分のものであったもの、自分が関わっていたもの、
そんなものがすべて終焉を迎え、自分からなくなってゆく。
その終焉は、自らの選択だったり、訪れたものだったり。
丸裸になったような感じだった。
なんにもなくなっちゃった…って。
それは、恐らく、abuも同じだろう。
私にあったのは家族だけだった。
そして、この2年、その家族が私の支えだった。
住む家があり、食べるものがあり、
決してやりたいことではなかったものの、日銭を稼げる仕事があった。
そして、家族がいた。
だから私はやってこられた。
本当にどん底であるなら、そんなものさえなかっただろう。
恵まれている、本当に私は恵まれている。
この2年で、いったんあらゆるものをリセットしたような気がする。
そして、本当に充実した2年だったな、と。
いや、過ごしてる時は充実してるなんて思わなかったよ。
むしろ、何もかもうまくいかないと思ってた。
でも、それは、私にとって必要なプロセスだった。
今だから、わかる。
どんなことも、過ぎて初めてわかる。
基本、私は、つらい状態の渦中にいる時、
無理してポジティブにはなろうとしない。
むしろ、ネガティブな気持ちはそのまま感じるようにしていて、
で、じゃあどうするわけ?と持っていくと言うか。
そして、結局どうにもならないので、ま、いっか、と。
ま、いっか、と、それなりに暮らしている中でも、
気づかないうちに本当にたくさんの貴重な体験をしているわけで。
つらい時は、これも大切なプロセスね、なんてみじんも思わないもんね、つらいから。
人は、つらい中、みじめな中、どうしていいかわからない中、
その気持ちといることによって、本当に多くを得ていると思う。
その日を生き延びるために仕方なくすることの中にさえ、
その先に必要なものがたくさんあることを確信している。
停滞しているように感じた2年の間に、
なんとなく始めて、ただ楽しいからと続けてきたフリッカー(写真投稿サイト)が、
今私達に多くを与えていることを実感しているし、
生活のために仕方なくやったパートでも、
そこでしかできない体験の中に必要なものがいっぱい詰まってた。
停滞期ばんざーい。
いやぁ、しかし、本当につらかった…
万事塞翁が馬とはこのことでござんす。
尻切れとんぼになったけど、今日はもう寝るんだー。
明日仕事だし。
おやすみんちょ。
2009年12月11日(金) |
だから、私から、言おう |
先日、下血して病院に運ばれた父。
直腸のポリープが原因とのことだったので、
それを切除して、もう大丈夫、ということで施設に戻っていた。
ところが、また大量に下血、
今日、病院に運ばれ、緊急入院となった。
切除したポリープの周りに潰瘍ができていて、
それが直接の原因なのだそうだ。
病院に駆けつけると、父は集中治療室にいた。
車いすの生活によって、常に同じ姿勢でいるために、
排泄物が直腸の同じ場所にとどまって腸壁を圧迫し、
潰瘍ができることがあるそうだ。
父のように、高齢で動けないお年寄りが発病することがあるという。
その潰瘍から常に出血が続いている状態で、輸血一歩手前の貧血。
それが続くと危険だと言われた。
治療として、まず排泄物を通過しなくするために、絶食。
患部が圧迫を受けない状態にして、経過を見るのだそうだ。
ずっと同じ姿勢もよくないということで、
寝たまま時々体勢を変えて体を動かすことが大切なのだそうだが、
父はひとりで体が動かせない。
先生が言った。
「病院は施設と違って、
まめに様子を見たり手を貸したりできないので、
できればご家族にしてもらえればそれがいちばんいいです。
お父さんは要介護ですし。
大切なのは、介護もそうですが、声がけです。
声をかけるだけで気持ちが全然違いますから」
そこで、昼間は家族が付き添って介護することになった。
郵便局に退職願も出し、
さあ、ラストスパートだ、なんて矢先、父が入院。
今日は早退させてもらったり、
明日以降シフトを調整してもらったり、
何かとバタバタしている。
流れているな…そう思う。
色々なことが流れている。
今、私は流れの中にある。
意識がもうろうとしている父に尋ねた。
「私が来てもイヤじゃない?」
父は耳も遠いので、
「あー?」
そう聞き返す。
「またここに来てもいい?」
そう尋ね直すと、
「あー?いいよー」
ろれつの回らない口調で父が答えた。
そして、言葉を覚えたばかりの子供のように短く言った。
「ごはん食べないのイヤだ」
聞き取るのが難しいほど、父の言語機能は衰えている。
脊髄性小脳変性症の症状だ。
思うように体が動かせなくなったのも、歩けなくなったのも。
「ごはん食べないのイヤだね。
でも、治すために頑張ろうね」
そう言った私に、短く答えた。
「あー」
端から見たらボケ老人だ。
でも、体が衰えているだけで、うまく喋れないだけで、
心の中は元気な頃と同じなんだと思う。
友達に介護の仕事でケアマネージャーをしているコがいる。
彼女がある亡くなった女性が書いた手紙の話を教えてくれた。
それは、その女性が、
自分を介護していた看護士に宛てて、
亡くなる前に書いたものだった。
「あなたは、私のことを、
口もきかないへんくつなおばあちゃんだと思っているでしょうね。
なにもわからないと思っているでしょうね。
でも違うのです。
黙っているけれどみんなわかっていました。
私にも心があります。
あなたのように若い頃もありました。
ぴょんぴょん跳ねるような18歳の頃があったのです」
そんな内容だったそうだ。
彼女はそれを研修で読んで号泣したという。
私はいつもその手紙のことを思い出す。
きっと、父も同じなのだろうと。
父の言葉が聞き取れないことが多くて、本当に申し訳なく思う。
何度も聞き返すと、黙ってしまう父。
話すことをあきらめてしまうのだろう。
けれど、その手紙を書いた女性のような気持ちなのだろう。
今、ここにいる私達と同じように感じ、考えているはずだ。
ただ、老いて衰えて、私達と同じように話せないだけで。
今自分に何ができるのだろうと考えてみたけれど、
何もできない気がした。
でも、ただ病院に通って、話しかけたり、手を握ったり、
それでいいのかな、って思った。
うまく話せないからあまり喋らないし、
私にはニコリともしないので、
いまだに父によく思われていないのだろうと感じてしまう。
親は子供を大切に思うもんだとわかっているのに、
証がないと、私は心もとない。
小さい頃から証が欲しかった。
お父さんは私が好きなんだ、大切なんだ、そう感じられる証が。
暴言暴力の人だった父から、私はそれを感じることができなかった。
そんな私が、今でも心の奥に、
インナーチャイルドとなってうずくまっている。
お父さん、好きって言って。
お父さん、大切って言って。
お父さん、いい子って言って。
憎らしい、殺してやる、浴びせられたそんな言葉が消えるように。
「ここに存在していてもいいですか?」
その叫びにも似た問いを消したいよ。
すごく悲しいよ。
明日病院訪れたら、手を握って言おう、私も。
お父さん、大好き、って。
お父さん、大切、って。
お父さん、立派、って。
いっぱい、いっぱい、言おう。
父も消えない叫びにも似た悲痛な問いを心に抱えた小さな子供。
私が感じている痛みはお父さんの痛みなんだね。
みんなの中に痛む心を持った小さな子供がいるね。
だから、私から、言おう。
お父さん、大好き、って。
早くよくなれよ、じじい。
2009年12月10日(木) |
その時の私にはそれが精一杯だった |
自分が原因で望んでいない状況を作ってしまうことって、ある。
言いたいことが言えなかったり、
言わなくていいことを言ってしまったり、
優柔不断だったり、
ノーって言えなかったり、
感情的になってしまったり。
そういう時って、ああ、私ってなんだかなぁ、と思う。
でも、最近では、そういう自分もかわいい自分の一部だと思って、
それを受け入れる一環として、
望んでいない状況になってしまったらそれはそれ、
その状況を受け入れてその中に入ろう、って思う。
そして、しょうがないよね、
だってその時はそれが精一杯だったんだもんね、って、
心の中で自分に言ってみる。
そんな自分に味方するには、
自分の作ってしまった状況の中で、
開き直ってそこに身を置いてしまうのがいいかなって思う。
自分が作った現実、結果なんだから、
責任を取る、と言うと、ええかっこしーだけど、
開き直って、もうしょうがないや、って構えるしかないかな、と。
それはそれ、そこでまた何か感じるだろうし、
望まない状況だったとしても、
今度はそれをどうしていくか考えればいいやって。
そうするとね、少し楽。
自分が「こんなんじゃダメだ」って思ってる部分を、
許せてあげたみたいで。
望まない状況は、イヤだったり、つらかったりするけど、
それもある意味不本意ながらも自分の選択の結果なんだし、
誰のせいでもないし。
そうしながら、次は「こうありたい」と思う自分になれるように、
頑張ってみればいいかなって思う。
最近もやっぱりそういうことがあって、
望んでいないのに、自分がぐだぐだするからそうなってしまった、
なーんてことがあった。
すごくイヤだったし、耐えられなかったんだけど、
「しょうがないよね。
だって、その時はそうするしかなかったんだもんね。
それはベストな言動じゃなかったけど、
その時はそれが精一杯だったんだもんね。
いいじゃん、それで」
そう考えることにした。
そうしたら、心の中の何かがふわぁんとほどけて、
なんだかうれしい気持ちになった。
奥の方で何かが喜んでる感じがした。
しょーがねーなー、付き合うよ、望んでいない状況だけどさ、
そう開き直った時、望んでいない状況がそれまでよりつらくなくなった。
ま、いっか、そのうちまた状況が変わるよね、って思えた。
いいよね、これで。
これが私だもんね。
望んでいない状況になってしまったけれど、
どこかでほっこりとあったかい気持ちになった、そんな夜。
そう、その時の私にはそれが精一杯だったの。
2009年12月08日(火) |
細い、細い、糸が切れた今日 |
郵便局の退職を前に、
仕事や職場での色々なことのキツさが増してきている。
人間関係においても、理不尽さや怒りを感じることが増えている。
最後の洗礼は結構キツい。
繁忙期に辞めたらみんなに迷惑をかけてしまう、
だからもう少しだけ頑張ろう、
そんな気持ちも砕け散る。
いっそのこと退職を早めてしまおうか、そんなことまで考え始めている。
もう1分たりともここにはいたくない、って。
今日、ある出来事があって、
私の中で郵便局とつながっていた最後の細い糸が、
ぷつん、と切れた。
「最後も見えたしここまで頑張ったけど、
もう限界だ」
私は思った。
正式に辞表を出すのはこれから。
そこに記す希望退職年月日は、当初の予定より早くなるだろう。
私は、出来事を受け取りたいように受け取り、感じたいように感じている。
だから、何が悪いとか、誰が悪いとか、そういうことを言うつもりはない。
ただの主観だから。
でも、私にとっては大切な自分の気持ち。
出来事すべてが、周りの人すべてが、
私の内側にあるものを見せているだけで、
それに文句を言う前に、自分の内側でする作業がある。
その作業をした上で、私は決断を下したいと思う。
閉まりかかっている古いドアを少し早く閉めよう。
そして、細く開いている新しいドアに少し早く飛び込もう。
そんな私を悪く言いたい人は言えばいい。
自分勝手だろう、わがままだろう、でも、もういい。
守らなければならないものは私の中にある。
誰に伝えなくとも、私の中にある。
それは外側に見える人に評価される部分ではなく、
私の中のやわらかい大切な部分だ。
たったそれだけのことで?
人が見たらそう思うかもしれない。
でも、自分にとっては本当に大切で重要なことだってある。
細い、細い、糸が切れた今日。
2009年12月07日(月) |
遠い昔からずっとそこにあったやさしさ |
母と一緒に暮らすようになってはや1ヶ月。
やっぱり親子、ぶつかることがある。
先日も、母の言動にカチンときた私が、
感情的にキツイ言葉を吐いた。
けれど、その後、悪いことをしてしまったと反省して、母に伝えた。
「お母さん、さっきはごめんなさい。
イヤなこと言っちゃって悪かったね」
すると、母は、ペコリと頭を下げた私の腕をバシッと叩いて言った。
「そんなこと言いなさんな。
頭なんか下げるんじゃないよ」
「でも、あれはいけないよ」
「いいんだから、いいの、いいの!
家族なんだから、いいの!」
そう言うと、私の顔さえ見ず、
あの「しっしっ」とやるような追い払う手つきをして、
さっさとあっちの方に行ってしまった。
おーい、ばーさんよ、話まだ途中っス(笑)
あったかい気持ちになった。
そして、あとからじわじわときて目頭が熱くなった。
お母さん、ありがとう、って、心から思った。
決して言葉がうまい母親ではないし、
どちらかと言えば、ぶっきらぼうなところがある。
でも。
ひどいことを言った私を責めもせず、
そう、思い返せばいつもそう、どんな時も私を責めることなく、
「いいんだよ」
そう言う母。
たとえ私がどんなに感情的になって醜いことを言ったとしても、
母は言う。
「いいんだよ」
それは、遠い昔からずっとそこにあったやさしさ。
大きな大きなあったかい毛布みたいなやさしさ。
大切な母をないがしろにしていしまい、
自己嫌悪と悲しみで心が寒くて凍えそうな時、
いつも母はそうやって私を包む。
泣いている赤ちゃんが、
あったかい毛布をかけてもらって、とんとんしてもらって、
安心していつの間にかすやすやと眠ってしまうような、
そんな心地よい感覚に包まれてゆく。
私はなんて限りなく愛されているのだろう。
私はなんて限りなく許されているのだろう。
お母さんはそうやってずっと昔から私を大切にしてきてくれたんだよね。
ありがとう、お母さん。
本当にありがとう。
私はあなたの娘に生まれて幸せです。
アンナにもお母さんと同じようなやさしさ、
与えられるようになりたいよ。
2009年12月05日(土) |
サタデーナイト・スリーパー |
夕方ご飯を食べてパソコンに向かったら、
途端に猛烈な睡魔が襲ってきて、
ちょっと寝ようかとソファーに横たわったら、
爆睡してしまったらしく、
起きたら夜中の1時だった。
起こさないabuも素敵過ぎる(笑)
普段の睡眠は4、5時間の私、それより寝たじゃん。
決してショートスリーパーではないので、
慢性的な寝不足ではあったんだけど、
6時間のお昼寝なんて!(まあ、昼じゃないけど)
でも、目覚めスッキリ、気分もスッキリ。
寝るっていいなー(笑)
きっと疲れてたんだろう。
だって、今日はゆうゆう窓口の繁忙日、魔の土曜日。
年末とあって普段の土曜日よりもうんと忙しかったからなぁ。
でも、今日はイヤなお客様はあんまりいなかったし、
忙しいけど気持ちよく働けて、よかった、よかった。
明日は休み。
日曜休みってあんまりないからうれしい。
それに、明日は、abuとアンナと一緒に陶芸しに行くんだ。
しかも、帰りには成田から阿見に移転してリニューアルオープンした
「危険なそば屋」に行くんだよ。
このリンク↑張ってる写真ブログの記事「危険なそば屋」はシリーズになってて、
全部で4つあるので、よかったら読んでみてね。
もちろん、明日もカメラ持参で突撃して、
レポートは写真ブログの記事になりまっす。
あれ?
カメラ持つのも久しぶりじゃん(喜)
久々に寝てよう日じゃない休日、楽しみでござんす。
さ、寝よ。
つか、眠れるかな(笑)
1月末の郵便局の退職を決めて、
後は残りの時間を頑張るだけになった私。
もう少しだ、1日行けば、1日終わりに近づく、
毎日自分にそう言い聞かせて家を出る。
そうすると、仕事はハードだけど、気持ちにゆとりが出てくる。
そして、今まで髪振り乱していてゆとりがなくて、
見えなかった、いや、見えても気にしなかった自分に気づく。
私、すさんでる(笑)
主観だけで人や物事を判断したり、
口にする言葉の質が低いものだったり、
いかん、いかん。
これから自分の好きな道を行くからこそ、気を引き締めなくちゃ。
考え方、口にする言葉、それがみんな私の人生になる。
人間だから、瞬間的に醜い感情を持つことはあたりまえ。
だけど、それをどう受け止めて、
どういうものとして自分のものにするか、
どういうものとしてアウトプットするか、
それが大事、すごく大事。
そういうことに意識を向けよう。
醜い自分を受け入れながらも、
瞬間瞬間、意識を高く持つように努力しよう。
私の人生、私に責任がある。
私の人生、私が作り出す。
どうせならいい人生にしたい。
そのためには努力が必要。
好きな道に進むことに浮かれてばかりいないで、
精神を高く澄んだ状態にしておけるように、心砕いていこう。
その状態が引き寄せる世界を体験していこう。
自分を戒めよう。
ぐちゃぐちゃ、ボロボロ、ドロドロの私だからこそ。
思考を選び、言葉を選び、未来を選ぼう。
アンナの学校では、毎月最初の1週間、
よくある学童帽ではなく、
黄色いベレー帽をかぶって登下校する。
交通安全の何かの一環らしいけど。
それかぶってるアンナがどんぐりみたいでかわいい。
ベレー帽って上に、ちょん、って、つまみみたいなのがついてるじゃん。
あれが、どんぐりの下についてるのに似てて。
だから、毎月最初の1週間が楽しみなんだ。
ベレー帽をかぶったアンナを「どんぐりちゃん」って呼ぶ。
かわいくて、切なくて、大切な瞬間だ。
かわいいって思うと、どうして切ないんだろ。
愛おしくて泣けてしまうような、そんな感じで。
でも、普段はすっげーコワイおかーちゃんな私なのだった。
どんぐりちゃん、大好きだよ。
引っ越しの荷物の残りを整理していたら、
ゴミ袋の中からスニーカーが出てきた。
捨てるつもりでいたんだろう。
思い返せば、もうずいぶん前にゴミ袋に入れて、
いらないものを入れる箱の中に突っ込んでおいた気がする。
久しぶりに見つけたスニーカーは、
どう見ても捨てるようなものじゃない。
まだまだはける。
ま、少し汚れてはいるものの、
なぜ捨てようと思ったのか今となると疑問。
でも、捨てた時は「もう必要ない」と思ったんだろうな。
今日はそのスニーカーをはいてみることにした。
久しぶりにはいてびっくり。
はき心地いい、すっごくいい。
結構はき込んですり切れた部分や汚れこそあれ、
なんで捨てたんだ!?と思うほど足にフィットして軽くていい感じ。
はいてて気持ちよくて足に意識がつい向いちゃうくらい。
おかげで今日1日とてもいい気分だった。
それでも、あの頃はいらなかったのね、この靴が。
ずいぶん前にゴミにすると決めて放っておいたけれど、
今日私の目の前に再び現れて、新しい喜びをくれた。
はき込んだ靴だけど、私にとっては新しい靴。
これから違う人生の道を歩き始める私。
そう、今まで歩いてきた道に合った靴じゃなく、
これから歩く道に合う靴をはこう。
靴が違うだけで、こんなに気分が違うんだもの、
歩くだけでもうれしくなるんだもの、
これからの私に合った靴を選ぼう。
人生の道のりを行くための靴なら、きっと色々ある。
すること、そのやり方、共に行く仲間、一緒にいる人達、色々、色々。
自分が選ぶものがみんな人生の靴みたいなもの。
はき込んだ靴が、私にとっては新しい靴のようだった今日、
人生の中で昔に置いてきたもの、
そこにありはしたものの、そんなに重要視していなかったもの、
時には忘れ去っていたもの、
たとえば、かつて、気にも止めなかったものであったとしても、
それを不必要だと思っていたとしても、
きっと、これからの私にとって生きてくるものがあるに違いないと思った。
そして、それはきっと、私にの目の前に現れてくると思った。
今日の捨てるはずだった靴のように。
自分達の選んだ生き方が、おままごとのようだと思ったこともあった。
そんなのキレイごとで、現実から逃げてるだけなんじゃないか、って。
だけど、そうじゃないよ、その道でいいんだよ、って、
思わせてくれる出来事が次々に訪れて、
私達はまるで導かれるようにその方向に流れてきた。
その流れは、時には、進むんじゃなく戻っているように見えることもあった。
けれど、流れのままに来てみたら、それは自分達が望んだ方向だった。
望んでよかった、欲してよかった、そう思った。
それを形にするために具体的にどうこうしていなかった頃も、
実際どうこうするための方法さえわからなかった頃も、
心の奥で望んで欲するものはいつも同じだった。
それを感じることをかき消さなくてよかった。
好きなものは好き、したいことはしたい、その想い、持ち続けてよかった。
捨てるはずだった靴が教えてくれたんだ。
さあ、自分に合った靴をはこう。
その靴で歩きたい道を歩こう。
そして、寝不足続きだ。
まず、寝よう(笑)