おひさまの日記
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2009年08月31日(月) さよなら、夏休み

今日で小学校の夏休みが終わる。

子供達にとってはイヤなことだろうけど、
世の中のお母さん達にとっては、
実はほっとすることでもあるんじゃないだろうか。
少なくとも私はそうだ。

子供はかわいいけど、
子供が家にいると、その分手間はかかるので、
息が抜けないってのは、正直ある (;´∀`)アハハハハ…
子供がいなきゃいないでさびしいのに、母さん、ワガママ。

さよなら、夏休み。

夏の終わりって、なぜだろう、なんかほんのりさびしいの。

ちなみに、アンナは、
あと1時間もすれば9月って今も、
終わらない宿題をやっとります。
だから最初からやりゃーいいのに。
って、私も子供の頃はそうだったよな(笑)


2009年08月28日(金) なすとにがうり

今日、ある人から、なすとにがうりをもらった。
朝、畑から取ってきたばかりのものだと言う。
えみやさんに食べてほしくて、と。

すごくうれしかった。

帰って袋を開けてみると、
みずみずしい緑のにがうりと、ぴかぴかのなすがたくさん入っていた。

それを眺めていたら涙がじわぁっとにじんだ。

その人の気持ちがうれしかった。
朝起きて、私を思い出して、畑に行って野菜をもいで、袋に詰めてくれた。
自分に何かをしてくれようとする人がいる。
こんなにあったかいことがあるだろうか。

その人との関係の中で、
お互いがお互いのつらさを知っていたり、同じ痛みを感じていたりと、
ちょっとだけ深くつながってるってのもあって、
余計にそう感じるんだと思うんだけどね。

感謝の気持ちに包まれると、不思議な感じがする。
世界が違って見える。
その瞬間、私に足りないものは何ひとつなかった。
そんな瞬間をつなげていったら、なんだか素敵な未来が生まれそうな気がした。
なんだか不思議な感覚だった。
不思議で、そして、まさにこれだ、という、そんな感覚。

おとといの日記にあるけど、
Oshoトランスフォーメーションタロットの言葉で、

「生がもたらすすべてを感謝をもって受け容れる瞬間、
 人はひとりの覚者になる」

その意味が少し分かったような気がした。


2009年08月26日(水) 「神はやって来る、あなたは拒絶し続けている」

ふと思い立ち、Oshoトランスフォーメーションタロットのページに行った。
クリックして出てきたのは「感謝」のカードだった。
そこにはこんなことが書いてあった。


*****


■Oshoトランスフォーメーションタロット■

「感謝」

禅の究極を達成した女性たちはごくわずかしかいない。
蓮月はそうした女性たちのひとりだ。

彼女は巡礼の旅をしていた。
日が暮れるころある村に着いたので、一夜の宿を求めた。
だが、村人たちは扉を手荒く締めた。
彼らは町の伝統的な仏教徒だったにちがいない。
彼らはこの禅の女性がそこに泊まるのを許さなかった。
彼らは彼女を村から追い出した。

寒い夜で、年老いた女性には泊まるところがなかった。
それに空腹でもあった。
彼女は野原に立っている一本の桜の樹を拠りどころにしなければならなかった。
ほんとうに寒くて、彼女はよく眠れなかった。
それに危険でもあった、野性の獣やなにもかもが。

彼女は真夜中に目が覚めた。
とても寒かった。
そして、春の夜空に満開になった桜の花がおぼろ月に向かって笑っているのを見た。
その美しさに圧倒されて、彼女は起きあがり、村の方角に向かってお辞儀をした。

 私が泊まるのを断るという
 彼らの親切さゆえに
 私はこのおぼろ月の夜に
 花の下にいる自分に気がついた

非常に感謝して、彼女は自分の宿泊を断った人たちに礼を言った。
さもなければ、彼女は普通の屋根の下で寝ていて、
この祝福を、この桜の花、おぼろ月とのささやき合い、そして夜の沈黙、
夜のこの完全な沈黙を逃していたことだろう。

彼女は怒ってはいない。
彼女はそれを受け容れる。
それを受け容れるだけでなく、それを喜んで迎え入れる。
彼女は感謝する。

生は途方もない。
そして毎瞬、それはあなたへの千とひとつの贈りものを持ってやってくる。

だがあなたは、欲しがっている自分のマインドで非常に忙しく、
心を奪われ、自分の考えであまりにもいっぱいになっているために、
その贈りものをすべて拒絶する。
神はやって来る。
あなたは拒絶し続けている。

生がもたらすすべてを感謝をもって受け容れる瞬間、
人はひとりの覚者になる。


*****


これを読んで、大切なことを忘れそうになっていた自分に気づいた。

うれしいこともイヤなこともある、
そして、どちらでもない普通のことはもっとごろごろ転がっている日々の中、
流されるように毎日を過ごしていた。
ルーティンワークの中で足りないものを数えため息をついていた。

そして、いつしか、すべきことをするのではなく、
すべきことに追いかけられるようになっていた。
義務の中にいた。

本当はわかっていた。
生きる本質はそこにないと。
だから、いつもどこかで虚しくて、
精一杯のことをしていても、何かが違うように思えて仕方なかった。
そして、そんな欠乏感を埋めたくて、でも、どうしたらいいかわからなくて、
もっともっと、何かを、そして、安全を、安心を、お金を、素晴らしい何かを…
そうやって虚空に向かって手を伸ばしていた。

けれど、それは、自分のやっている何か、
たとえば、仕事とか家事とか何か、それが違うのではなく、
自分がそれを「どう」やるのかが違っていただけなのだと思った。

カードの言葉、

「あなたは、欲しがっている自分のマインドで非常に忙しく、
 心を奪われ、自分の考えであまりにもいっぱいになっているために、
 その贈りものをすべて拒絶する。
 神はやって来る。
 あなたは拒絶し続けている」

私はそれそのものになっていたように感じた。

「生がもたらすすべてを感謝をもって受け容れる瞬間、
 人はひとりの覚者になる」

その道を行こう。
その道の先にあるものを手にしよう。
その時初めて、エゴが必死になって求めていた以上のものが、
静かに静かに人生に流れ込んでくるに違いない。


2009年08月24日(月) こめへん、りっしんべんへの変貌

仕事から帰ると、アンナが勢いよく駆け寄ってきた。

「ママーっ、お習字の宿題頑張ってやったんだよ。
 見て見てーっ」

墨汁がいっぱい付いた手で、誇らしげに作品を披露した。
そこにはこう書いてあった。


「強い情神」


「???
 ね、アンナ、これ、なんて書いてあるの?」


「つよいせいしん」


ぷっ。
こめへんりっしんべんになっておりますでございます(笑)

「アンナ、頑張ったのに残念だけど、
 こりゃもう一度やり直しだ」

「なんで?」

「よーく漢字見てみ」

「え?
 間違ってないよ」

「お手本よく見てみなよ」

アンナががさごそとお手本を見る。

「あ…
 えへへへへ;」

その後一緒におやつを食べて(もうくじけてるおやつ断ち・爆)、
またアンナのお習字タイムになったのであった。

う〜ん、かぁいいのぉ、子供のこういうとこ。


2009年08月23日(日) 明るいその場所から

昔の自分を思い出した。
昔の未熟な自分を。

あんなことを言ったっけ。
あんなことをしたっけ。
今の自分ならあり得ないことを普通にしていたな。

過ぎた人生の中のあちこちで、そんな自分を見つけた。
あの時も、この時も、ああ、あちこちで、なんとまぁ、未熟なことを、と。

情けなく、恥ずかしくなった。
未熟で、無知で、傲慢で、自己中心的で、
今私の周りにそんなヤツがいたら確実にパンチだよな(心の中で・笑)って思った。

何年も、何十年も前の自分だったり、
はたまたつい最近、ついさっきの自分だったり。

だけど…

今そんなふうに思い出せるってことは、
その時から成長したってことだよなって思った。
成長したから、その時の自分の未熟さがわかるんだよなって。

そう思ったら、うふふ、って笑いたくなった。
そうか、いくらかでも成長してるのか。

未来の私も、今の私のことを思い出して、同じように感じるのだろう。
今わからないこともわかるようになっていて、
今どうしようもないと思っていることもどうにかなっていて、
きっと、今の私を笑ってくれるのだろう。
明るいその場所から。


2009年08月22日(土) 神様からの贈り物

強い風が吹いて、急に雨が降り出した。

風に流されそこらかしこのものを叩く雨の音。
激しく揺れながら雨に打たれる木々の音。

なんだかすごく心地いい。

なんとなく過ぎてゆく毎日からスッと抜けて、
引き戻されたような、そんな感じ。
どこに引き戻されたのかはわからないけど、あるべき場所に。
ハッとさせられたような。

いいなぁ、この感じ。
まるで、目に見えない、聞こえてもそれとわからない、
そんなシグナルが自然の音の中にあって、
それに触れた魂がカチッとズレを直すのかもしれない。

たとえば、同じ雨風の音でも、
受け取る人によって、贈り物の中身が違うのだろう。
今その人が必要なものをそこから受け取るのだろう。

世界には神様からの贈り物が溢れてる。


2009年08月21日(金) 原因と結果

少し前、体重増加を気にして、WiiFitを始めたんだけど、
それでもなお体重はじわりじわりと増え、理想体重から2キロオーバー。
落ち込んだ。

食事も気をつけてるのに、少しだけど体も動かしてるのに、
体重が増えるなんておかしい!

けれど、ふと、思った。

そういう結果があるということは、そうなる原因があるということ。
体重増加という結果を生んだ原因が私に必ずあるはず、そう考えた。

自分の生活を振り返ると…うんうん、思い当たる。

食事には気をつけているけど、おやつが多い(笑)
ゆうゆう窓口はおやつの宝庫、そうだ、そうだった。
ちょっとずつ食べてるつもりでも、それが積み重なると結構なカロリーになる。
帰って来てからは、なんだかんだちょこちょこつまんでたよな。

それか、原因は。
多分(笑)

ということで、今日からおやつ断ち。

そして、思った。

どんなことにも言えるけど「つもり」はこわい、と。
頑張ってるつもり、ちゃんとやってるつもり、正しいつもり、
自分がそう思っているだけで、実は全然それがお門違いなことってある。
結果がそれをしっかり物語る。

あはははは;

ってことで、おやつ断ち、頑張る。
あ、あとね、立ってる時、歩いてる時の、姿勢にも気をつけることにした。
インナーマッスルを意識しながら、うつくすぃおばあちゃんになる日を夢見ながら(笑)


2009年08月20日(木) 隠した人形

なぜか、ふと、子供の頃のある出来事を思い出した。

確か、小学校に上がった頃だったかな。
いや、もっと小さかったかもしれない。

友達と遊んでいて、近所のおもちゃ屋さんに行こうという話になった。
おもちゃ屋さんの前まで来て、リカちゃん人形を持っていた私は、
それを持って入ったら、店のものを盗んだと思われてしまうと思った。

そこで、私は自分の服をまくり上げ、お腹の辺りにリカちゃん人形を隠した。
そして、みんなでおもちゃ屋さんに入っていった。

盗んだと思われないように人形を隠したのに、
隠しているということで、なんだかいけないことをしているような気がした。
ふくらんだ洋服を隠すように、私はこそこそ歩いた。

しばらくすると、お店の人が飛んできて、私の腕を捕まえた。

「ちょっとこっちに来なさい!」

私の心臓は破裂しそうなほどドクンドクンとした。

「その洋服の下には何があるの?
 何か盗ったんじゃないの?」

子供の私はしっかり隠したつもりでも、
大人から見れば、様子がおかしいのは一目瞭然だ。
私は黙っていた。

「出しなさい!」

私は震える手で洋服の中に隠したリカちゃん人形を差し出した。

「あら、これは、お店のじゃないんだね…」

私の人形はずいぶん遊んで汚れていたし、髪の毛もぐちゃぐちゃだったので、
盗んだものではないとすぐにわかったようだ。

「なんで隠したりしたの?」

私は消え入りそうな小さな声でおどおどと答えた。

「持っていたら泥棒したと思われるから」

「そうだったの。
 でも、そうやって隠していたら、
 お店で泥棒して、それを隠していると思われるんだよ。
 今度からはちゃんと出して持っていなきゃね」

お店の人は私を諭した。

私はかろうじてうなずくと、おもちゃ屋さんを飛び出した。
恥ずかしかった。
消えてしまいたかった。
そのまま走って逃げた。
どこへ逃げるともなく逃げた。

記憶はそこで途切れている。

今でも覚えてる。

お店の人の言葉にうなずいただけで逃げ出した私だったけど、
言葉にならないたくさんの思いや感情が、小さい胸の中で渦巻いていた。

自分なりに一生懸命考えたてしたことが、
結果、泥棒と勘違いされる原因になってしまったショック。
そして、そんな過ちを犯してしまった恥ずかしさ。
自分が考えていたことをうまく説明できなかったことの悔しさ。
おもちゃ屋さんが父や母にこのことを話して、
家に帰った怒られるんじゃないかという恐怖。
もう二度とこんなことするもんかという激しい後悔。

そんなたくさんの思いや感情を言葉にするには、私はあまりにも幼かった。
走って逃げ出すのが精一杯だった。

大人になった今の私が、
もし、目の前でそんな子供を見かけたら、
きっとこう思うだろう。

「何も言わないで黙って逃げてしまって、感じの悪い子だな」

大人の感覚で。
大人の都合で。
大人の目線で。

でも、そんな子がいたら、きっとその子の中には、
言葉にならないたくさんの大切なものがあるに違いない。
けれど、まだ、それを言葉にすることも、態度で示すこともできず、
いたたまれないその場から逃げるのが精一杯なのだろう。

アンナを思い出す。

何かを注意したり、叱ったりしている時、黙り込んでしまうことが多い。
そんな彼女にイライラすることがある。
こんなに言ってるのに、何も思わないのかな、何も感じないのかな、と。
心の奥の方ではそうじゃないってわかってるけど、
私の感情的な部分が彼女をそうジャッジする。

けれど、アンナは私が思う以上にたくさんの思いや感情を持っていて、
でも、それを言葉にするには、まだ幼く、まだ未熟なのだろう。

私に問いただされて、なんとかひねり出した言葉が、
彼女の本当の心を表現するにはちょっと違ったものになってしまって、
それによって私に誤解され、また叱咤されることが、
今までにも何度もあっただろう。

きっと彼女は貝になることを覚え、そして、それを選ぶようになるだろう。
今、きっと、彼女はもう貝になり始めているのだと思う。
父に怯えていたあの頃の私のように。

黙ってただそこに座っている彼女の中にある大切なものをもっと感じて、
言葉にならないそれを、大人の言葉で引き出したり諭したりせず、
一緒に、黙ったままでいい、いやむしろ黙ったままがいい、
言葉のない世界で、彼女に寄り添いたいと思った。
そのとき初めて、彼女の口から、彼女なりの精一杯の言葉がこぼれるのだと思った。

私は彼女の言葉だけを見て、心を見ないできてしまった。
そして、事ある度に、こんこんと話して聞かせることばかりしていた。
言葉に頼り過ぎていた。
自分の過ちに気づいた。

私はあの日人形を隠した。
それは、未熟な私が思い付いた、世界で最高に素晴らしいことだった。

アンナは親から見たらおかしなことをする、いけないことをする。
それは、未熟な彼女が思い付く、世界で最高に素晴らしいことかもしれない。

そのことを忘れまいと心に誓った。

愛してるよ、アンナ。
まだ間に合うよね、あなたの心に触れること。


2009年08月19日(水) 泣いた

今日は泣いた。
本当によく泣いた。
子供みたいに泣いた。
つらくて、悲しくて、情けなくて、悔しくて、いっぱい泣いた。

色々なことが重なった。
重なり過ぎたよ。
家でのこと、仕事のこと、母親とのこと、色々、色々。
ダメージがダメージを呼び、痛みを怒りにすり替える。

普段ならなんでもないことも、
今日はひとつひとつがつらいことに感じられた。
信号が赤になっただけでも悲しくなる。
ペンを落としただけでも悲しくなる。
そんな日もある。

すべてわかってる。
体験した出来事で感じる感情は、私の反応。
自己責任において感じているもの。
誰のせいでもない。
それをわかった上で、自分に訪れた出来事と感情に心ゆくまで翻弄された。

私は泣くのが好きだ。
泣くと心の痛い痛いが涙と一緒に流れ出していく。
だから、私は泣くのが好きだ。

abuにだっこしてもらって気が済むまで泣いた。
いっぱい背中をとんとんしてもらった。
泣き止んだ時、私の心は静かな湖のようになっていた。
悲しいすべてのことはまだそこにあるままだったけど、
それを静かに眺めていられるようになっていた。

泣く場所があることを心から幸せに思った。

泣く場所もなく、泣くことも忘れたあの頃の私は、
ひりひりと痛む心をごまかすことで精一杯だったっけ。

泣いた、泣いた、いっぱい泣いた。
幸せだ、泣けるって。
自分の中で滞っていたものがみんな流れてゆくんだもの。

泣こう、泣こう、悲しい時はいつも。


2009年08月18日(火) やりたくないことの中にある「やりたいこと」と「やりたくないこと」

今、パートで郵便局のゆうゆう窓口にいるけれど、
この仕事が死ぬほど好きってわけじゃない。
これが天職だわ!なんて生き生きとして通ってるるわけでもない。

でも、今まで色々なところにパートに出た時のように、
耐え難くなって辞めなければ自分がおかしくなってしまうような、そんな感じでもない。

言ってみれば、なんか身を置くことはできる、そんな感じだろうか。

最初の1ヶ月はものすごくつらかった。
慣れない環境、慣れない人、わからない仕事、
休み明けの朝は決まって泣きたい気持ちだった。

そんな私も郵便局で働いて6ヶ月が過ぎた。
案外続いた(笑)
周りの人達のおかげだよなぁ。

今の私は、よく本にあるような、夢や目標に向かって、とか、
高いモチベーションでアクションを起こして、とか、
そんな素敵なことからは果てしなく遠いような気がする (; ̄∇ ̄) アハアハ…

正直言えば、自分が何を欲して何に向かっているのかもわからないまま、
目の前にある生活を守るために髪振り乱してる部分が大きい。
イヤだろうが何だろうが歯を食いしばってやれ!って自分に言い聞かせてる。
今は甘っちょろいことを言ってる場合じゃないと思うんだ。

でもね、実は、すごくイヤなわけじゃないの、この状態が。
それは、たとえ今が不本意な状態ではあっても、そこでの体験によって、
自分が確実に大切なことを学んでいると感じられるからなのだと思う。

それに、実は、やりたくないことの中にも「やりたいこと」と「やりたくないこと」があって、
それを見極めて選択しているからなのだと思う。

やりたくないことの中の「やりたいこと」を選択すると、
やりたくないこともできてしまうという不思議があることを、私はしみじみ感じる。

その「やりたいこと」と「やりたくないこと」をどう見極めるのかと言うと、
それはもう感覚や直感でしかない。
やりたくないことではあるけど、それでもこれならやってもいいかな、って感じ。
郵便局はまさにそうだった。
よくわかんないけど、これ、これならいい、これしたい、って。

その感覚や直感は、現実に向かい合い、時には不本意ながらも頑張ろうと、
崇高なあきらめ(笑)と勇気を持って動き出した時に訪れるものだと感じる。

今は、自分が選んだやりたくないことの中の「やりたいこと」の中で、
できることを精一杯やろうと思って頑張ってる。

やりたくないことの中の「やりたくないこと」は、
自分をすり減らし、疲れさせ、追い詰めてゆく。

でも、やりたくないことの中の「やりたいこと」は、
やりたいことをやっている時以上の贈り物を与えてくれる気がする。
今、私は、それを受け取って、
自分の中に財産として積み重ねているような、そんな気が。

だから、私は郵便局に通う。
行けば行ったで案外楽しかったりもするのだし。

さあ、未来に向かって行こう、行こう。
そのために、まずは郵便局に行こう(笑)

何の根拠も裏付けもない私の中の感覚が言うのだ。
今の体験がとてもいい体験なのだと。
そして、なんの根拠も裏付けもない私の中の感覚がそれを信頼するのだ。


2009年08月16日(日) 煮干し

最近のお気に入り。

煮干し。

カルシウムたっぷり、そして、カロリー低めってことで、
おやつにいいだろうと買ってみたんだけど、う、うまい。
夏の日差しがまぶしいキッチンで、煮干しをそもそ食べる午後。
ダシ取るんじゃないの、そのまま食べるの。

もちろん、そのままもいいけど、
玄米ごはんに乗せておしょうゆをかけて食べるのがうまい。

卵かけご飯に乗せて食べるのもうまい。
卵のとろんとした食感と煮干しの固い食感がなんかマッチする。

バターで炒めて最後におしょうゆを回しかける調理法もなかなかイケる。
(どこぞの煮干しの袋の後ろに書いてあった)

納豆にも混ぜちゃうよ、あのデカイまま。

色々なメーカーで煮干しを出してるけど、
最近買うのは名古屋のサカモトって会社の無添加の煮干し。
無添加ゆえ、魚の味しかしない(あたりまえ・笑)
でも、うまい。

abuとアンナにも強制煮干し(笑)
案外おいしそうに煮干しに付き合ってくれるナイスな家族。


2009年08月15日(土) 緊張感

お客様に注意を受けた。
お詫びをし、月曜日に対応することになった。
厳しいお客様だった。

その人が声を張り上げた時、ぴーんと緊張感が走った。
理不尽に怒鳴り散らすのではなく、
理にかなったことを、言うなれば、とても高度なことを要求してきた。
うっ…と思ったし、そこまでする必要があるのかとも思ったけど、
接客業においてはとても大切なことだったし、そこまでできれば立派なもんだ。

勤務を終えると、車が停めてある実家まで、暗い気持ちでとぼとぼ歩いた。
叱られるのはやっぱりこたえる。

歩きながら思った。
緊張感って大切だな、って。
仕事にも慣れて、なんとなく毎日を過ごしていた私には緊張感が欠けていた。
もし、私が緊張感を持って仕事をしていたら、
ひょっとしたら、お客様が要求してきたことが、
事前にできていたかもしれないと思った。

そう思ったら、私の生活全般に緊張感が欠けているような気がした。
仕事だけでなく、プライベートでも。

緊張感が欠けると、気配りが欠ける。
できることもやらないでしまうなぁなぁさが出てくる。
だらしなくなる。
相手に対して遠慮がなくなり、礼を欠く部分も出てくる。

仕事に対してもそうだし、家族や大切な人に対しても、
そんなふうになっていなかっただろうか、と、自分を振り返った。

そうだ、そうだよな、最近、自分の生活全般において、
何に対しても、誰に対しても、そういう傾向があったような気がする。
うん、あった、あったよな。

反省した。

昔、自動車ディーラーの営業をしていた頃、店長がよく言っていた。

「緊張感を持って仕事しろ」

と。
ああ、本当にその通り。
その言葉の重大さが、十数年経ってしみるなぁ…

まずは家族を大切にすることを改めて意識していこうと思った。
そう、緊張感を持って。
気を使い過ぎて張り詰めて疲れるような、そういう緊張感じゃなく、
相手に対して気配りを忘れない、礼節を持って接する、そんな緊張感を。
そして、仕事にも、私に関わる周りの人にも、同じようにしていこう。
色々なこと、初心に戻って、またやっていこう。

そう思えた今日は本当にいい日だった。

abu、アンナ、お母さん、
ごめんね、私、遠慮がなくなって、イヤな思いさせてなかったかな。
また明日から素敵な奥さん、ママ、娘になれるように、頑張るよ。


2009年08月14日(金) 頑張れ、WiiFit!

去年の暮れ、ゆうパック配達の仕事をして、あまりのハードさに一気にやせた。
4キロ以上減っただろう。

生まれて初めて、理想とも言える体型になって大喜びしてたのに、
ゆうパックの仕事の契約期間が終わってからじわじわと体重は戻り始め、
夏の帰省のおいしいもの攻撃で追い打ちがかかり、元の体重に近づいてきてしまった。

ヒジョーに危険だ。

ってことで、今日からWiiFitを始めた。
いやね、ずっと前に買ったんだけど、たまーにしかやらなくて、
これを機に運動不足解消のためにも、筋トレのためにも、
そして、体重を落とすためにも、頑張ろうかなと。

久しぶりにやって思った。

「こんなんで筋トレになるのかよ。
 こんなんで体重落ちるのかよ」

と。
以前ジムでやってたウエイトトレーニングと比べて、
なんとなまぬるいトレーニングなんだろうと思った。

が、しかーし。

まじめにやるとWiiFit結構きつい!
終わった後はへろへろ、そんな自分のくたばり具合を見て思った。
続ければこりゃ効くな、と。
ナメてかかってごめんなさい(笑)

それに、WiiFitが終わった後、体重が0、2キロ減ったんだよ(喜)

もう2年以上きちんと運動してないんだから、
ちょっとした運動でも継続すれば体力も筋力もつくはず。
自然に体型も整うはず。
食事も気をつけながら地道に頑張ろうと思うのだった。

宣言しないとね、続かないから(笑)

ところで、暮れに激やせした時は、おっぱいが一気になくなった。
それはさみし過ぎる。
なくなっただけじゃなく、皮がたるんとして悲しいおっぱいになった。
それを見てさすがに焦った。

ただやみくもにやせるんじゃなく、
バランスよくきれいに体重を落とすのが大事なんだなー。
年齢のせいだろう、むやみにやせると皮がたるんとしてしまうので、
(悲しいおっぱいで体験済み)
そういうのも考えないと…と思うのだった。

千里の道も一歩から、できることから始めて、
ゆっくりじっくり調整していきますかね。
WiiFitならタダだし。

おばあちゃんになってもabuに写真を撮ってもらえるような、
そんな女性でありたいと思うのだった。


2009年08月13日(木) 生きてきた証

年齢を重ねるということは、わかることが増えるということだと思う。

今日は迎え盆、家族でお墓参りに行った。
その時、父の兄、私にとってはおじさんに当たる人、宏兄さんの話になった。
彼は戦争で亡くなった。
海軍にいて乗っていた船が撃沈されたそうだ。

彼が亡くなった朝、父は夢を見た。

電車に乗った宏兄さんが、

「俺は遠くに行かなくちゃならない。
 お父さんとお母さんを頼んだぞ」

そう言って窓から手を振った。
父は、

「兄ちゃん、行かないで!」

と、電車を追いかけたが、はいていた下駄の歯が折れて転び、
電車はそのまま遠くに走り去っていった。

そんな夢。

両親にその話をすると、縁起でもないことを言うなと怒られたそうだ。
しばらくして、兄の戦死の悲しい知らせが届き、
乗っていた船が沈没したのが、父がその夢を見た日だとわかったのだという。

私はその話を小さい頃に聞かされた。
この世にはそんな不思議なことがあるんだと感じ入ったものだった。

今、改めて、お墓に手を合わせ、そんな話を思い出す時、
私は小さい頃には感じなかったたくさんのことを感じる。

宏兄さん、戦争に行くのがどんなにかイヤだっただろう…
立派に出征したと聞いたけど、本当なら逃げ出したかったんじゃないだろうか…
乗っていた船が攻撃を受けて絶望的だとわかった時どんな思いだっただろう…
体験しない者には察することのできない壮絶な苦しみがあったはず…

そして、家族を戦地に送り出す家族の張り裂けそうな思い…
その家族が戻らぬ人となった時の言葉にならない悲しみ…
私が知ることのない痛みを背負ったおじいちゃんとおばあちゃん、父とその兄弟、
壮絶な体験と感情を背負いながら、みんなみんな生き抜いてきたんだ…

そうしたことに思いを馳せると、
胸が詰まるような感覚を覚え、目の奥の方が熱くなる。
お盆はひとつの行事とも言えるものだけれど、
それがとても大切で重みのあるものだと感じる。
大切にしていきたいものだと思った。

子供の頃はこうした考えも感覚も感情もなかった。
何もわからなかった。
でも、今は、昔わからなかったことがわかるようになった。
私は年齢を重ねたのだな…と思った。
それは、生きて多くを体験したことで、確実に積み重ねたものがあるということ。
それがその人に深みを与え、人生に重みが増すのだと思う。

わからないことがわかるようになる、それは、自分が生きてきた証だと思った。
自分なんてダメだ、そう思うこともまだまだある。
けれど、わかること、感じられることが増えた自分を知った時、
よく頑張って生きてきたね、自分にそう言いたい気持ちになった。
切なくてうれしい涙で目頭が熱くなった。


2009年08月12日(水) 字はていねいに書きましょー

先日、ウチのアンナさんが11歳になった。
早いものよぉ。
昔は座布団でハンドタオルをかけて寝てたのに。

誕生日の前に、

「プレゼントするから、
 欲しいものを教えてね」

そう伝えておいたら、
家族の連絡用ホワイトボードに、
欲しいものが書いてあった。

「トエダチコレクショソ」

はい?
トエダチコレクショソ、なんじゃそりゃ!?

よくよく聞いてみたら、DSのソフト「トモダチコレクション」のことだった。
でも、アンナは殴り書きのきったない字で書いたので、
「モ」が「エ」に、「ン」が「ソ」に見えたのだった。

   トエダチコレクショソ
    ↓       ↓
   トモダチコレクション

うーん、そういうことね。

誕生日には彼女の元にしっかり「トモダチコレクション」が届いたんだけど、
ウチではそのゲームのことを「トエダチ」と呼んでいる。

おねいさん、字はていねいに書きましょー。
その乱雑な字はママにそっくり、って、やっぱ私か、親の背中を見て…か(笑)
はーい、字はていねいに書きまーす。


2009年08月11日(火) ぜひ実験してみて

苦手な人、ムカつく人、嫌いな人、尊敬できない人、批判したい人、
そういう人を好きになる必要はないし、仲良くする必要もない。

けれど、そういう人にこそ礼節を持って接することが大切だと、最近しみじみ思う。

悔しいさ、ムカッとくるさ、そう感じながらでもいい、
イヤな相手にほど礼節を持って接することで、色々なことが変わってゆく。
最低限のことでいいと思う、いや、最低限がいい、
でないとムリすることになるから。

大きな声で笑顔であいさつをする。
時間を守る。
約束を守る。
お礼やお詫びを形にする。
ありがとうございます、すみませんを、しっかり伝える。

探せば、本当に小さいけれど、感謝できること、必ずあると思う。
相手との関係の中で何にフォーカスするのかを自分の意志で変えてみる。

実る稲ほど頭(こうべ)を垂れると言うように、
そんな相手と同じ土俵で相撲を取るより、一歩先に行くつもりで、
自分からペコリと頭を下げるような相手を重んじる態度を示すことで、
色々なことが変わってゆく。

キライなことと、相手をないがしろにすることは、別のことだ。
尊敬できないことと、相手をバカにした態度を取るのは、別のことだ。

私はそれを郵便局で仕事しながら学んだ。
よくよく考えれば、聞いたり読んだりしてきたことじゃないか(笑)

下手に出るんじゃない、胸を張るんだ。
恥ずかしくない生き方を自分がしていればいい。
それでいい。
そうした姿勢でいると、それに見合ったものが必ずやってくる。

自分が手に入れるものは、自分が招いたもの。
相手のせいじゃない。
自分が選んだ在り方が呼び寄せたもの。
嫌悪と憎悪の果てにあるものを手に入れるのか、
それとも、凛として生きた結果やってくるものを手に入れるのか。

まぁ、そんな屁理屈こねこねは脇に置いて、
苦手だ、イヤだ、ムカつく、尊敬できない、つい見下したくなる、
そんな人にこそ礼節を持って接してみて。
ぜひ実験してみて。
案外面白いことが起こるかもよ。
一度きりじゃなくて、やり続けるの。

面白いこと、私も体験済み。
そういう相手こそ、
実は自分によきことを運んでくるということを付け足しておこう。
色々な意味で行き詰まった自分の突破口になるということを。


2009年08月10日(月) いいわけ

いいわけって、すると苦しくなる。

いいわけをする理由は色々ある。
私なんかは衝動的にしてしまうことが多い。

でも、いいわけは、それをする本人が、
自分がよくないこと、よくなかったことを、
いちばんよくわかりながらしてしまうもの。

わかりながらも、だって…、そんな気持ちでしてしまう。

けれど、いいわけした後は、きまって重たい気持ちになる。
そして、思う。
自分の過ちを素直に認める方がうんと楽だ、と。
そして、ごめんなさい、と謝る方がうんと気持ちいい、と。

責められるのはイヤだ。
否定されるのイヤだ。
怒られるのはイヤだ。

イヤだけど、いいわけする自分がいちばんイヤだ。

その瞬間は痛くても、過ちを認めて、ごめんなさい、と、
すぐに言える人でありたいと、そう心から思った。


2009年08月08日(土) 私が私であるということ

最近、自分が誰でもなくても、
例えば、セラピストの肩書きがなくても、先生と呼ばれなくても、
自分がどういう在り方でいるのかを決めて、
その通りに生きれば、それでいいと思うようになった。

昔は、肩書きや周りから見て自分がどういう立場かということが、
私にはとても重要なことだった。
それが私に価値を与えてくれたからだ。

逆に、そうしたものが、私がセラピストをやめる時に、
いつまでも後ろ髪を引っ張ったものでもあった。
やめたら自分は何もない人間になってしまう、そんな風に感じたのだ。

そう感じた時、私がそれまで、
どれだけセラピストという肩書きに依存していたのかがよくわかった。

セラピーをすることが本当に好きで、やりたいと思っていたから、
ずっとやり続けてきたことも事実だけど、
セラピストという肩書きに酔ってたことも事実だ。

けれど、これ以上セラピーをしていく気持ちになれない、
いつしかそんな想いを持つようになって、
そして、それに正直に思い切ってリタイヤした。
最初は心もとなかったけれど、日々を暮らしていくうちに、
肩書きのなくなった自分の生活を楽しむようになった。
その中にもある素敵なことをたくさん感じるようになった。

肩書きにプライドを持ち、
時には、それを鼻にもかけたこともあったであろう私にとって、
それがない状態で体験するそうした感覚は、とても大切なものだった。

何もなくても、自分がどうありたいのか、
それを決めて生きていけばいい、そうしたことを日々感じ、
それを体現しようとしている。

そんな体験を重ねて、次に私はどこへ行くのだろう。
何をするのだろう。
ひょっとしたら、どこへも行かないし、特にこれと言って何もしないかもしれない。
そして、それでもいいのだろう。
私が私であれば。

でも、そのうち何かはしたいな(笑)
抑え切れない衝動に突き動かされて、これだーっ!ってのを、またいつかしてみたい。
好きなんだよなー、あの感覚。


2009年08月06日(木) ボーロぐりぐり伝説

昨日の深夜、abuとアンナが宮崎から車で帰って来た。
数日ぶりに家族がそろった。
わいわい、がやがや、ガチャガチャ、ゴチャゴチャ、やっぱり家族っていい。

そして、今日、3人そろってばあちゃんちに遊びに行った。
旅先で買った名産品をテーブルに広げて食べながら、
みんなで宮崎の旅行の思い出話に花を咲かせた。

そのうち、眠くなった私は、
リビングのソファーに座って居眠りをしてしまった。

どのくらい経っただろう、ふと目が覚めた。
部屋には誰もいなくなっていた。

するとだね。

何かが私の口にはさまっている。
ん?????
甘い。
おいしい。
半分寝ながらモグモグそれを食べた。

それは、みんなでおしゃべりしながら食べていたボーロだった。
子供のおやつであるような、あれよ、ちいさくてまぁるいお菓子。
あれのもっとでかいのが、私の口にはさまっていたのだ。

しかし、なんで私の口にボーロがはさまってんだ?

わけがわからず、ボーロを食べてしばし考えた。
だんだん意識がはっきりとしてきて、やっと事態が飲み込めた。

「ママの口にボーロはさんだの誰!?」

そう叫ぶと、遠くで、ぎゃはははははは!!!と笑い声がする。
abuがリビングに戻ってきた。

「面白いから口にボーロを入れようとしたら、
 ほとんど口閉じてて入らなかったから、
 ぐりぐりねじ込んだんだけど、ちっとも起きないんだよ。
 おっかしくてさー。
 それに今度はしっかりくわえちゃったから、取ろうにも取れなくてさー」

説明しながらひーひー笑うabu。
そうか、犯人はキミか。

私は、ほんの少しうたた寝したつもりだったのに、どうやら爆睡していたらしく、
口にぐりぐりボーロをねじ込まれても、ちっとも気づかなかった。
そして、しばらく、ボーロをくわえたままおねんねしていたという…

私は自分をいたずらっこだと自負している。
そのいたずらっこの私にこんないたずらをするとは、おぬし、なかなかやるのぉ。
復讐するは我にあり。
覚えておくんだな。

我が家は、10のうち、
1がスピリチュアル、
1が辛気くささ、
残りの8はジョークとおふざけといたずら、
そんな感じで構成されている。


2009年08月04日(火) ヒトリ映画鑑賞会「西の魔女が死んだ」

今日もひとり。
昨日はお風呂を満喫したので、
今日はDVDを借りてきてヒトリ映画鑑賞会をした。

観たのは「西の魔女が死んだ」。
以前、原作を読んでとても感動したので、
映画化されたのを知った時、ぜひ観たいと思ったんだけど、
なんとなくそのままになってしまっていた。

たくさんのあたたかい涙が流れた。
観終わった後は、とても大切なことを思い出したような、
そんな気持ちになった。

いい映画は、ぶれた自分を元に戻してくれるような気がする。
映画という仮想現実の中で、ストーリーや登場人物と自分を重ねて、
そこでの出来事や感情を疑似体験することで、
自分で何かを体験をしたのと同じくらい、大きな贈り物をくれるのだと思う。

でも、実は、心が動く映画を見るのは気が引ける。
観て心が震えるのがなんだかイヤなのだ。
イヤじゃないんだけど、イヤなのだ。
それは、心のどこかで、
感じないようにしてるものを感じてしまうのが、
わかっているからなのだろう。
いい映画を見ると、そんなものにイヤでも触れる。
私の場合、だから観る前って抵抗があるのかもしれない。

そして、観た後、必ず思う。
観てよかった、と(笑)

西の魔女が死んだ」、本当によかった。

親である自分、娘である自分、子供だった自分、色々な自分に思いを馳せた。
そして、親として、娘として、ここに在ることの喜びとありがたさを、深く感じた。

映画の後、私は母に電話をして、
日頃の自分の言葉や態度を詫び、いつも支えてくれることへの感謝を伝えた。
どんなお母さんであろうと、そこにいてくれるのがいいんだ、と。

最後に、普段なかなか言えない「お母さん、大好き」を言いたかっんだけど、
言う前に母の携帯の電池が切れ、会話は尻切れとんぼのようにそこで終わった。

お互いに電話をかけ直さないところが、親子だなぁ、と思った。
かけ直さなくても伝えたいことが伝わっている、
それを受けて母が返す言葉まで伝わってくる、そんな感じがした。

私には意地悪なまでに冷たいこともあった母だけれど、
おばあちゃんになった今、孫のアンナには想像もつかないくらいやさしい。
それは、「親も孫には甘い」なんてだけじゃなく、
時間の中での母の人間的成長もあるのだと思う。
そう思う時、私もひょっとしたら、おばちゃんになる頃には、
もっと成長して違ったものを発する人になっているのかもしれない。

人はそうやって死ぬその瞬間まで成長しながら生きていくんだろう。

ヒトリ映画鑑賞会、本当にいい時間だった。
8月中は旧作のレンタル料が100円のゲオ、明日も何か借りちゃおうかな♪
この安さ、今がチャンス!とばかりに、
攻殻機動隊 S.A.C.と S.A.C.2もまた全部観ちゃったもんね。


2009年08月03日(月) 「自分の声を聞いているか?」

今日もひとり。
なんとなく時間をつぶすのももったいない。
せっかくなら、こういう時間を楽しもうと、近所のお風呂屋さんに行った。

おっきいお風呂はいい。
足が伸ばせる(笑)

サウナにも入った。

ただぼぉ…っと座っていると、
普段いかに忙しく頭であれこれ考えているのかがわかる。

そう言えば、最近わけもなく気持ちがどんよりしてる。
重苦しい感じが常につきまとって苦しい。
なんとかしたかった。
でも、どうしたらいいかわからなかった。

サウナの中で、ふと、昔ある人に教わったことを思い出した。
自分をサポートしている存在と対話したい時の方法だ。

それはこんなイメージワーク。

イメージの中で、自分が心地よいと感じる場所に、
テーブルと、そのテーブルを挟んで椅子をふたつ用意する。
自分がこちら側に座り、テーブルを挟んだ向こう側の椅子に、
今自分に必要な存在に座ってもらう。
そこで、対話していく。

蒸し暑いサウナの中で、やってみた。

不思議な森のような中。
木のテーブルと椅子をイメージする。
私がこちら側に座る。
気づくと、テーブルの上にキリギリスみたいな緑色のバッタがいた。

「あれ、このバッタみたいなのが今日の私に必要な存在?」
 なんだかなー、バッタかよ」

そう思いながら、浮かんでくるままにイメージを感じていた。
バッタは時々ガサゴソ動くだけで何も言わない。
私はバッタに話しかけてみた。

「こんにちは」

バッタは無反応。
でも、見ていてなんだか面白いので、じっと眺めていた。
ずいぶんしばらくしてから、バッタが言った。

「自分の声を聞いているか?」

ぎょっとした。
バッタは繰り返し言った。

「自分の声を聞いているか?」

その言葉に私の奥の方がざわざわし始めた。
バッタはまた繰り返し言った。

「自分の声を聞いているか?
 自分の声を聞いているか?
 自分の声を聞いているか?」

わかってしまった。
私はわかってしまった。
その言葉だけでわかってしまった。

バッタは続けてこう言った。

「お前はもっと自由だ」

私は目を背けていたことに直面せざるを得なかった。
自分の声を聞いているか?
その問いに対して、私の内側から声なき声がした。
声なき声と言うか、感覚のようなものだった。

「私は、自分の声ではなく、周りの声を聞いていた。
 その周りの声に従って、選択し、行動し、そこから生まれたものを自分の現実にしていた。
 自分の声を無視していた。
 自分のしたいように、ではなく、周りが望むようにしていた。
 そうすることで、相手の機嫌を損ねないようにしていた。
 相手が望む自分でいれば、問題は起こらないから。
 相手の意思に背けば、イヤな顔をされたり、不機嫌な態度を取られたりして、つらい思いをする。
 悲しくて不安で恐ろしくて、いてもたってもいられなくなる。
 だから、従順でいた。
 もし、相手の機嫌を損ねようものなら、それをなだめようと必死だった。
 自分の声ではなく、相手の声を正しいものとし、一瞬でも自分の声に従った自分への許しを乞うた。
 そうする度に、自分の声を葬り去った。
 それは自分の『死』だった。
 私の内なる声は何度も死んだ。
 もはや私は私ではなく、相手が望んで描いた私を生きていた。
 私はここにいるのに、私はここにいない。
 私は自分の声を聞いていなかった」

そんな感覚を感じた時、私は深い安堵を覚えた。
言葉にすると長いけれど、それをほんの一瞬で感じた。
そして、思った。

だから苦しかったんだ…
すべてが腑に落ちた。

バッタはもう何も言わなくなった。
すると、白髪の長い髪に白髪の長い髭の老人が現れて、
バッタを両手ですくいあげるように手のひらに乗せた。
その老人を見てハッとした。
見覚えのある老人だった。

あなたは…

そう、もう何年も前に、同じ方法でダイブした時に出会った老人だった。
あらーっ、またお世話になっちゃって…(笑)

その老人はやはり何も言わなかった。
そして、片手を伸ばして大きく振り上げると、私の頭の上から振り下ろした。
まるで頭をざっくりとえぐるように。
後頭部がぽっかりと空洞になったような気がした。
すると、その空洞になった部分にイヤな感じがしてきた。
見てみると、後頭部からミミズだのへんな長い虫みたいなのがうじゃうじゃ飛び出していて、
見るとその恐ろしさのあまり石になってしまうという、メデューサのようだった。
あまりに恐ろしくて気持ち悪くて助けを求めた。
けれど、その老人はバッタを手のひらに乗せたまま去って行った。

あああ、おじいさん、放置プレイですか〜っ!?

私は、後頭部のおぞましい状態をどうしていいかわからず、
しばらくそこでただ困惑していた。
そうだ、こういう時は天使にSOSだ!と思って、

「天使さん、これを取って!」

そう助けを求めた。
すると、天使がやって来て言った。

「ダメだ、取れないよ。
 これは、あなたが持っていたいからここにあるんだもの。
 あなたが取ると決めない限り取れないんだ」

いやぁっ、こんな気持ち悪いものいらないってば!

いらない!
いらない…
いらない?
持っていたい?
なぜ持っていたいの?
これは何なの?

私がこれを持っていたいのなら、その私に出てきてもらおうと思い、呼んでみた。

「これを持っていたい私、出てきて」

すると、出てきた。
中学生の私だった。
すぐにわかった。
おどろおどろしい絵ばかり描いて部屋中の壁に貼っていた私だった。
真っ暗な中に血走った目だけがカッと見開いている絵、
黒い沼から手だけがぬっと出ている絵、
顔半分が腐ったように崩れ落ちている女の人の絵、
楳図かずおの恐怖マンガさながらだった。

なぜそんなことをしたのか、今でもよく覚えている。

こういう気持ち悪い絵を描いて貼っておけば、
親に「この子は何かおかしい」と思ってもらえる、中学生の私はそう思っていた。
そういう絵を見せつけることで訴えたかった。
自分がどれだけ苦しいのかを。
支配者のような父親に言いたいことを言えば怒鳴られる。
思うこと、感じること、欲しいもの、したいこと、全部否定される。
そして、ただひたすら怒られる。
こわかった。
だから、ただ言いなりになるしかなかった。
そして、私の精神は崩壊寸前だった。
「助けて、自由にして!」と言う代わりに、私は絵を描いた。
おどろおどろしい絵を。
それが私の精一杯の言葉にならない言葉だった。

その中学生の私が、この後頭部の気持ち悪いのを持っていたい自分。
そうか、そうだったのか。
私の後頭部の気持ち悪いうじゃうじゃは、あの絵と同じなんだ。
これを持っていることで

「私追い詰められておかしくなってるんだ。
 助けて、自由にして!」

そう訴えてたのか。
言うのはこわいから。
言ったらイヤな目にあうから。
だから。

彼女はおどおどしていた。
私は彼女の隣に並んで座った。

「こわくて言いたいこと言えなかったもんね」

そう言うと、彼女は短く「うん」と言った。

「ねぇ、大人になっても私はあなたとおんなじなんだ。
 あの絵の代わりに、こんなのがくっついてる。
 今も変わってないの。
 私を見てどう思う?」

そう尋ねると、彼女が答えた。

「大人になったらもっと自由になれると思ってた。
 がっかりした」

彼女はひどく失望したようだった。
これじゃいけないと思った。
私は彼女の希望なのだ、未来なのだ。
この子を救うのは私しかいない。
この子は私なのだ。

私は彼女の方に体を向けて座り直し、言った。

「ねぇ、私、頑張るから。
 あなたが未来に希望を持てるように頑張るから。
 もうそんな思いしなくて済むようにするから。
 こんなものなくても、自分の言葉でちゃんと自分のこと言えるようになる。
 こわいけど、もうそんな思いしたくないもんね。
 私ももうイヤだ。
 つらかったよね」

そう言うと、中学生の私は、自分の部屋に戻り、
壁中に貼ってあった気持ちの悪い絵を全部はがして持ってきた。
そして、丸めて私に渡した。

「もう、いらない」

彼女がそう言うと、私の手の中にあった気持ちの悪い絵が、炎に包まれてボッと燃えて消えた。
彼女はちょっと笑った。
そして、いなくなった。

私の後頭部には、気持ち悪いうじゃうじゃがまだそのままあった。
さて、どうしたものか。
あの子はもういらないと絵をはがした。
あとは、私か。
決めるだけか。

こわけど、決めた。

「自分を生きよう。
 自分の声を聞いてそれを生きよう。
 どんなにこわくても、自分に背かず生きよう。
 勇気とはそういう時に使うもの」

後頭部からうじゃうじゃがなくなったような気がした。
けれど、後頭部はスカスカしてあまりいい感じじゃなかった。
なんかヘンな感じ…
そう思いながら、私は閉じていた目を開けてサウナを出た。

15分近く入っていると暑くてたまらなくなってくる(笑)
水風呂に入り、一旦体を冷やしてから、露天風呂に入った。

お風呂に浸かりながら、ぼんやりとさっきの体験のことを考えていた。

私、自分の声、聞いてなかったな…
自分の本当の気持ち、本音、そんなものの通りにしたら、
相手を怒らせたり、イヤな顔されたり、イヤな態度されたりして、つらいから、
相手に合わせてたよな。
気づいていないフリをしていたけど、本当はどこかで気づいてた。
気づいてしまったら苦しくなるから、気づかないフリをしていた。
でも、押し殺した自分の気持ちや本音は、なくなったんじゃなく、
奥の方でぶすぶすとくすぶってるだけだから、重苦しかったんだ…

大切な自分の断片を取り戻した感覚。
もう重苦しくなかった。
スッキリとして心地よかった。

でも、後頭部のうじゃうじゃがないのに、
なんかそこが気持ち悪いような、ヘンな感じは変わらなかった。

気の済むまでお風呂に浸かって帰って来た。

キッチンの定位置で煙草を吸いながら、まだあの体験のことを考えていた。
おそるおそる後頭部を触ってみた。
フツーにいつもの頭だった。
そりゃそうだろう(笑)

こわいけれど、何よりも大切なもの、自分の声、それを大切に生きよう。
改めてそう思った。
それに尽きる、それに尽きるよな、と。
そこからすべてが始まるし、私がそうあることで、
私の関わる周りの人もそうあるようになるはず、と。
私の小さな頃のつらい体験はもう終わったのだ、と。

すると、私の頭に月桂樹の冠がふんわりと乗ったイメージを感じた。

あ…

月桂樹の冠は、勝利者の頭上に輝く栄光のシンボル。
誰が乗せてくれたのか、

「よくやったね」

そう言われたような気がして、うれしかった。

そか、これでいいんだね…

私の中で何かがカチッと音を立ててシフトした気がした。

自分の中で葛藤がある時、人は苦しくなる。
私は自分の中に葛藤があることに気づいていながら、気づかないフリをした。
「自分を生きたい自分」と「人の気持ちや思いで生きる自分」との間の葛藤。
その葛藤を見て見ぬフリをした。
目を背け続ければ、苦しみはどんどん大きくなってゆく。
気づかないフリをしているから、それで苦しくなっていることにも気づけない。
なんだかよくわからないけど苦しい、そんな状態になる。

これまでも、イヤというほどそんな状態を味わってきた。
そして、何度も抜け出してきた。
そして、そして、また同じ状態になる。
今、また、そこを抜けた。
こうして繰り返すうちに、いつかもっとまっすぐに生きられるようになるんだろう。

「自分の声を聞いているか?」

その言葉を、私は忘れない(でいたい・笑)。

あのおじいさん、また出てきてくれた。
きっといつも見守ってくれている存在のひとりなのだろう。
ありがとうございます。
また大切な体験ができました。
あの椅子に座りに、またきっと行きます。


2009年08月01日(土) たくさん泣いてもいいですか?

恐ろしい夢を見た。
それは、それは、恐ろしい夢だった。
夢の中で、怯え、どうすることもできず、叫んだ。

その時だった。
夢の中に母が現れた。
母は私に「おいで」と言って、自分の布団に私を入れた。

ぶるぶる震える私を布団の中で抱きしめて、

「だいじょうぶだよ。
 だいじょうぶだよ」

と、繰り返した。

私は母に抱かれて落ち着きを取り戻した。
恐怖は消え、安堵感でいっぱいになった。
穏やかで、安らかで、あたたかくて、心地よかった。
忌まわしいすべてのことが魔法のように終わった。

「お母さん、ありがとう」

そう言った自分の声で目が覚めた。

真っ暗な中、私はベッドにひとり横たわっていた。

夢か…

毎日の中、色々ある。
本当に色々ある。
大人になり、子供の頃のように親に頼ることは少なくなった。
ましてや甘えるなど。

けれど、私が母のお腹に入った日から今日まで、
ずっと愛され続けてきたのだ。
大切に大切に見守られてきたのだ。
私はそれを改めて知った。
それがどれほど大きな愛なのかを。

そして、私自身、深い深い部分で、
どれほど親を愛し、頼りにし、心の支えにしているのかが、
よくわかった、よぉくわかった。

暗闇の中で泣いた。
あたたかい涙だった。

お父さん、お母さん、ありがとう、本当にありがとう。
私は今も愛され大切にされているんだね。
あなた達に出会ったその日から。

たくさんひどいことをされたよ、傷つけられたよ。
けれど、その根底にある愛も、たくさん受け取っていたんだね。
痛みの方が大きくて、なかなか気づけなかったけど、
その痛みをわかってほしくて、気づきたくなかったけど、
私は確かに愛されていたし、愛されている、これからも愛され続ける。
それは無償の愛。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。
心からありがとう。
お父さん、お母さん、うれしくてたくさん泣いてもいいですか?

神様、素晴らしい夢を、素晴らしい贈り物を、
ありがとう、ありがとう、ありがとう。


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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