おひさまの日記
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2004年01月30日(金) 母、ウチにやってくる

さっき、長い日記を書いた。
送信しようとしたら、データがアップできない。
「ん?これは…」と思い、アップロードを断念した。

こういうことはよくある。
今、私がアップするべきでない情報が含まれている時、
その情報は送信できなくなる。
内容を変えた途端にデータが上がったりする。

私が書いたのは、
父と母と私についてのことだった。

私はここ数日で、とても貴重な体験をした。
それは、私が人生の中で直面しなければならなかった大きなテーマだった。
そして、その体験によって、私が求めてき続けてた答えを得たように思う。

でも、日記が上がらないということは、
今はそれを書くべきではないということ?
とってもシェアしたかったのにな…

また日を改めて再度チャレンジ。






母が医師から在宅介護の打ち切りをするように言われ、
昨日から父が病院のショートステイで介護を受けている。
私は母をゆっくり楽しませようと、自分の家に連れて来た。

私は母を、私のお気に入りの場所へと連れ回している。
母は、行く所、行く所、こんなの初めてだ!と連発し、感激している。
そして、昨日の夜、こう言った。
「なんだか目の前がパーッと開けていて、草原にいるみたい。
 広がっていてなんにもないの。
 こんなことってあるんだねぇ。
 こんなにゆったりすることなんて、あるんだねぇ」
そして、こんな状態でいたらバチが当たりそうだと。
こういう気持ちになったのは、生まれて初めてなのだそうだ。
何もしなくていいという信じられない現実を目の前にして、
母は少し戸惑っている様子だった。
けれど、新しい現実を、心から喜んでいる。

今日は一緒に買い物をした。
母は私が見立てた服をいっぱい買った。
服を買うことも許されなかった母は、子供みたいにはしゃいでいた。
スターバックスのコーヒーを、おいしいと言って一気飲みした。
念願のアンナの保育園の送り迎えをした。
銀行に行く私について来て、とても楽しいと言った。
私の作ったごはんを食べた。
昨日はラクアでリフレクソロジーを受けた。
夜は7bitで夕食を取った。
コースターを知らないで、おしぼりを乗せるものだと思った。
生まれて初めて飲んだジンジャエールが大好きになった。
ただリビングのソファーに座っていることが幸せだと言った。

ウチでも、ちょっと物音がすると、ビクッとしてきょろきょろする。
そして言う。
「ああ、お父さんに呼ばれたんじゃないんだね。
 ここは恵美の家なんだね。
 よかった…」
夜中に、父が自分の名前を呼ぶ幻聴を聞き、母は怯える。
そして、一瞬、今自分がどこにいるのかわからなくなるという。
母には40年近く続いて来た苦しい生活がしみこんでいた。
とても悲しくなった。

新しい希望に満ちたデータを、少しでも多く母にインプットしたい。
そして、知ってもらいたい。
もう幸せになっていいのだと。
自分に多くを許していいのだと。

明日はトレカフェにでも連れて行ってあげよう。


2004年01月25日(日) 羽ばたけ、母ちゃん!

昨日母を大きい病院に連れていった。
脳梗塞の可能性があると言われていたが、
CTの結果、その可能性は低いということだった。
ただ、MRIでさらに精密検査をしないと絶対大丈夫とは言えないそうなので、
また、明日、母を連れて検査に行ってくる。

老いて体が不自由になり、痴呆が始まってもなお暴力的な父に殴られ、
アザまで作りながらの介護に疲れ切って限界に来ている母を、
検査の名目で連れ出せるのが嬉しい。
母は家から出られることが嬉しいそうだ。
だから、昨日、まっすぐに帰らず、食事をしてうんと遠回りして帰った。
明日もそうしてやろうと思う。

私は母に言った。
「お母さん、こうやって具合悪くなってよかったよ。
 もし具合悪くならなかったら『もう介護イヤ』って言えなかったでしょ。
 これは、神様がお母さんにくれたチャンスだと思うよ。
 これを機にお父さんのケアに病院を利用したりすればいいじゃない」
って。
そうしたら母もしみじみ共感してくれた。
「本当にそうだねぇ。
 いちばん大事にしなくちゃならないのは自分だねぇ」
そう言ってた。

明日はどんなお店に連れていってあげようかな。
だってさ、昨日、サイザリヤで感激してたんだよ。
今まで本当に外に出られなかったんだな、って哀れになったよ(笑)
サイゼリヤだよ。
こんなにおいしいものは食べたことがないって言ってた。
こんな味初めてだよ、って。
確かにサイゼリヤは、まぁ、おいしいけど、
世界にはもっとおいしいものがあるんだぜ。
ドリンクバーも知らないんだぜ。
オーダーの時にテーブルにあるボタンをピンポーンって押すのも知らないんだぜ。
ここ十数年、父に家に軟禁された結果がこれだ。

今回の具合の悪さが発端で、きっと母は自分を大切にすることを知るだろう。
切にそう願う。

羽ばたけ、母ちゃん!
女は71歳からだよ。
悔いなく死ぬために、今から羽ばたけ!
後は任せろ。


2004年01月23日(金) いつか来る日のために今日私がしたこと

今日、実家に帰ると、母の様子がおかしい。
ろれつが回っていない。
天井が回るような激しいめまいもするらしく、立ち上がるのにも苦労している。
母は弱々しく、一気に老いたようにも見える。
私はものすごく心配になった。
原因ははっきりせず、また検査をして詳しく調べるそうなのだが。

私は、いつも、いつも、どこか自分の中で考えてはいたけれど、
それでも見ないようにしてきたものに直面した。
それは、母の死だ。
母は今年で72歳になる。
死んでもおかしくない年齢だ(爆)
いや、本当に。

私は、実家から帰る時、
門の外で見送って手を振る母を車のドアミラーで見ながら、
これが生きた母を見る最後かもしれない、と、いつもどこかで思ってる。
でも、絶対に言葉にしなかった。
言葉にするのが恐かった。
そんなことあるはずがない、そうかき消した。
どこかで自分の親が死ぬなんてあり得ないと信じていた。

でも、今日は違った。
「いつかお母さんは死ぬんだ」と、とてもリアルに思った。

そして、ドキドキしながら母に言った。
「お母さんが死んでしまった時のために、話し合いしようよ」と。
すると、母はあっさり、
「大切なことだよね。ちゃんと話しておかなきゃ」と答えた。

私がそう切り出したことで、母は今まで私に黙ってたことを話し出した。
へそくりのありか(笑)、通帳や印鑑の保管場所、
自分が死んだら私に渡そうと思っているものを隠している場所、
家に関する色々なこと、
たくさん、たくさん、話してくれた。

とても悲しいことが前提にある話し合いなんだけど、
私と母はなんだか楽し気だった。
実は、私も母も、この日を待っていたのかもしれない。

私はすごくホッとした。
これからいつか訪れるであろう母の死を受け入れられたからだ。
そして、きっと、母を安心させることができたのではないかと思ったからだ。
私はひとりっこ。
そんな私を置いてこの世を去る母親の想いがどれほど苦しいものなのか、
自分がひとりっこの母親になってよくわかっている。
この子は私が死んだらどれほど悲しみ、よりどころを失い、寂しくなるだろう、
そう思うと、母は胸が張り裂けそうな想いだっただろう。
ずっと心を傷めてきたに違いない。
だから、私は母に伝えた。
「悲しいことだけど、いつか必ず来ることだし、ちゃんと準備したいんだ」
母はそれを聞いて、
娘が自分の死を受け入れる覚悟と準備ができていることを知ったのだろう。
私は、間違いなく母に安堵が訪れたことを感じた。

私の夢は、そんな母をディズニーランドと温泉に連れていくこと。
それが絶対に叶うと信じながら、私はいつか来る母の死と向かい合った。

帰りに車に乗ると、窓を開け母に言った。
「お母さん、こういう話したから言うけど、
 私はこの家にお母さんの子供に生まれてよかったよ。
 小さい頃はお父さんの暴力で辛かったけど、
 そのおかげで今の仕事するようになったし、
 私は今とっても幸せなんだ。
 お母さん、大好きだよ」
そして握った母の手は、
冬の空気でひんやりして、しわしわして、かさかさだった。
でも、やさしい手だった。
母は私の手を強く握り返した。
「逝く時は、安心してぽっくり逝ってくれ」
私がそう付け足すと、母は大笑いした。
「本当にそうだねぇ」
と言って。

今日、私と母は、一歩前に進んだのかもしれないと思った。

母の今の調子の悪さが大した病気ではなく、
すぐに治ることを祈りつつ、いつか来る別れも覚悟し、
私は今、やさしく悲しく、なんだか穏やかな気持ちでいる。

お母さんの子供に生まれてよかった。
お母さん、大好き。
ありがとう。

とは言え、私の母ちゃんなんだから絶対に長生きするよ。
長寿でギネスに載れよ、って、いつも言ってるの。


2004年01月22日(木) 親子文通

最近アンナはひらがなが書けるようになって、毎日手紙をくれる。
いつも
「ママいつまでもだいすきだよずとあんなのそばにいてね」
と書いてくれる。

読めるようにもなったので、私も手紙を書く。
アンナはママからの手紙がとても嬉しいみたい。
私もいつも
「あんな、だいすきだよ。
 いつもいっしょにいようね」
と書く。

そんな親子文通が、今、とっても楽しくて嬉しい。
我が子の成長に驚きつつ、新しい世界が開けていく喜びを味わっている。

昨日のこと。
朝からアンナにキツイことを言ってしまい、
保育園から帰ってきた彼女に、
朝はイライラして言い過ぎたよ、ごめん、と謝った。
それから少ししてふと気付くと、パソコンの上に手紙が置いてある。
開いてみると、
「あさのことわわすれていんだよあんなわすーごくでんきですママだいすきだよ」
と書いてあった。

それを読んで涙がにじんじゃった。
「げんき」と書きたかったであろう「でんき」はあまりに可愛らしい間違いで、
私の心にまさに「でんき」をポッと灯してくれた。
「わすれていんだよ」か。
どこでそんな言葉を覚えたんだろう。
なんだかとてもズッシリとくる言葉だった。

寝る前に、顔を見ていたら愛おしくなって、
「生まれてきてくれてありがとう」
ってアンナに言ったら、
「生まれてきてよかった」
と言って彼女は泣き出した。
私も泣けてきた。
「なんだかよくわからないけど涙が出るね」って、
ふたりで話しながら抱き合って眠った。

私は毎日アンナに癒される。
心の奥に灯るあたたかい「でんき」に、
いつも私は照らされる。

神様が私にくれた贈り物、アンナ。


2004年01月21日(水) 新たな選択

今日のクライアントさんが言った。
「手放さなくちゃならないのかなぁ」
って。

私達はよく「手放す」という言葉を使う。
傷を手放す、痛みを手放す、恐れを手放す、観念を手放す、
それを自分からなくしていく、そんなニュアンスで。
それは、それらがなくなればいい、そんな想いかもしれない。
そして、その先には、
今と違った素晴らしい自分、今と違った理想の自分が存在する、
そんなイメージもあるのかもしれない。

それは、人の切なる願いと言ってもいいかもしれない。
こんな私じゃなかったら、こんな気持ちじゃなかったら、
私はうまくいくのに、こんなものを手放せたら…
人はそんなことを考え、苦しむ。
自分が持っているものによって、自分が苦しんでいるから。

彼女は続けた。
「私は手放したくないんだ。
 過去があって今の私がいるから。
 それも私だから」

その言葉は私の中にスーッとしみてきた。
そして、私は「手放さなくていいよ」と答えた。

彼女とのやりとりが、
私の中にあって揺るぎのないものとなりつつあったそれを確固たるものにした。
去年の後半あたりから、常に常に思い、心を砕いてきたこと。
そう、手放さなくていいということを。

私達は心の中にある手放そうとしているものを手放さなくてもいい。
共存していけば。
それが自分を苦しめるものでもいい。
自分が嫌いな自分さえ。
そばに置いて眺めて、
仕方がないとあきらめて、
それでいいんだと思ってみると、
私達は新しい世界を手に入れる。

私は昔そういうものを手放そうと必死だった。
それを憎んだ。
それさえなければと思った。
それは私から剥離して記憶の彼方で泣いている私だった。
私は私を突き放し、消してしまおうとしていた。
けれど、土台無理な話で、そうしようとすればするほど、
それはやめてほしいとすがってきた。
悲鳴は段々大きくなった。
抱きしめた時、それは、依然として私を苦しめるものだったけど、
新しい道を示してくれた。

今日「手放したくない」と言った彼女は、
無意識に手放していたものを取り戻した。
目を開けた彼女を見た時、
私は彼女を待っている新しい世界があることを確信した。

通り越すものを通り越した人が自然に体得する「あるがまま」でいいということ、
この言葉を武器に違う意味であるがままでいてしまうこともできて、
別の考え方をすれば、時に、とても怖い言葉だけど、
それでも、人は、様々な段階を踏んで、そこに辿り着こうとする。
無意識の衝動で。

私達は苦しみと共に生きていけるのだ。
それを選択し、共に生きた時、それはもはや苦しみではなく、
愛おしい自分の一部になる。

きっと、誰もがいつか体験する。


2004年01月15日(木) 上手く生きる

私のことを好きな人がいる。
私のことを嫌いな人がいる。

私のことが気にかかる人がいる。
私のことはどうでもいい人がいる。

私と合う人がいる。
私と合わない人がいる。

私に好感を持つ人がいる。
私に反感を持つ人がいる。

私に賛同する人がいる。
私に反論する人がいる。

私を素敵だと思う人がいる。
私をダメだと思う人がいる。

私をスゴイと思う人がいる。
私をたいしたことないと思う人がいる。

私が、いつも、常に、その時々の自分でいることで、
それを肯定する人と、それを否定する人と、その両方が存在する。
そして、そんなことはどうでもいいという人も存在するし、
私の存在を知らず、ゆえに私のことなどどうでもいい人も存在する。
生きるってそんなもんだ。

昔、私は、
人に嫌われるのが怖かった。
人に否定されるのが辛かった。
人に誤解されるのが悲しかった。
そして、それは今も変わらない。

けれど、嫌われることや、否定されること、誤解されることを、
自分の人生からなくすのは不可能だと思う。
人は、黙ってそこに立っているだけで、
相手の単なる反応よって恨まれることだってあるのだ。
それを、考える、喋る、行動する、あらゆる表現をしていくとなれば、
なんらかの反応を引き起こす確率はどんどん高くなっていく。
つまり、生きてゆけばゆくほど、人の反応にさらされるということになる。
「犬も歩けば棒にあたる」なのだ。

そう思うことで、私は少し楽になった。
それらは「仕方のないこと」だと考えられるようになった。
かと言って「すべての反応をただ受け入れるわ」という
素晴らしく崇高なモードでいるわけでもない。
イヤなもんはイヤだ。
どちらかと言うと、あきらめがついた、そんな感じかもしれない。
仕方のないものには太刀打ちできないし、
太刀打ちしてる時間ももったいないので、
人はそこから案外早く抜けられるもんだ。
あきらめるってのはこんなにも楽なもんかと驚いてる。

人の意見を聞いて自分の改善点を見つめていくことと、
人の反応に翻弄されて自己卑下するのは別モノであり、
前者は成長すること、後者は自分を見失うことだ。
傷付きながらでも前者を選択するために、
そして、精神的ダメージを最小限にするために、
「仕方のないこと」とあきらめた時、
そこには、なんだか今までと違う世界があったように思う。

よろよろ頼りなく不格好に歩いているようで、
ひょっとしたら、実は、それが、
上手く生きるってことのひとつじゃないのか、なんて思ったりした。


2004年01月08日(木) 自然の摂理

どのクライアントさんも私に示唆を与えてくれる。
その人の存在を通して、その人のセッションを通して、
私が見るべきものを明確に見せてくれているのだと思う。

今日のセッションもそうだった。

私は彼女と話していると、
「人間はありのままでいい」という事実をグッと深くねじ込まれる感覚を覚える。
それは理屈なんかじゃなく、
生まれた瞬間から呼吸をしているという事実を再認識するような感覚だ。

私達人間はたったひとつの場所に帰るために、
人生という膨大な時間を費やし、悲喜こもごも様々な出来事に直面する。
そして、それは無意識のうちにゴール目指して誰もが行う作業なのだ。
それは私達個人の意志と選択にのみよるものであり、
だからこそ、私達個人のコントロールの及ばないエリアだ。
それはまさに自然の摂理。

私達は地球とその恵まれた自然と共存することによって、
初めて豊かに生きることができる。
その自然を支配しようとか、コントロールしようとか、
人間がそんな思惑で何かを始めてしまった時、
それらをないがしろにしてしまった時、
大切なものが壊れ始める。
それはもう私達の目には明確だろう。

人の精神の世界もそれと同じだ。
自然の摂理に反して何かをしても、そこには葛藤と破滅があるだけだ。
そこまでは言わないにしても、うまくいかない何かがある。

私達の仕事は、その自然の摂理を熟知し、それにのっとり、
ただ、ただ、謙虚に、それを見守ることなのかもしれない。
もしできることがあるとしたら、
その自然の摂理に沿って出会う人が流れていけるように、
ほんの少しだけ手を添えることなのかもしれない。
そして、それができるようになるために、
日々、自己成長をしていく努力をすることなのかもしれない。


2004年01月05日(月) 障害物競走

今日トレカフェでコーヒー飲みながら、
何かの話の流れで、
私が小学生の頃に陸上をやっていたという話題になった。

長距離よりは短距離が得意だったが、
ずば抜けて速いわけでもなく、たいしたことはなかった。
でも、ハードル競争だけは私の得意種目で、やれば大体1位だった。
ハードルを飛ぶのがメッチャうまくて速かったらしい。
走るだけなら私よりうんと早い人も、
ハードルがあると私の後ろを走るようになる。

そんなことを話していた。

するとナオミちゃんが、
「それってえみねーの人生そのものじゃん。
 障害があると燃えるのねぇ。
 それ抜けるのも得意なのねぇ」
と言った。
なるほど〜!と大笑い。
なんか納得しちゃったよ。
「障害があると燃えるし、それを抜けるのも得意」か。
うん、悪くない。

人生、障害物競走みたいだねぇ。






ちなみに、
今はヘビースモーカーだし、運動不足だし、
もう走れません。






あ〜、なんかHP飽きてきたな〜。
リニューアルしたいな〜。
いいデザインが浮かんだらやろうかな〜。
評判よかったボンカレー(わかる人は昔から来てくれてる人だね)に戻そうかな〜。


2004年01月04日(日) 素敵な他力本願

昨日の日記を自分で読んで、ぷっ、と笑った。
私ったらナニ悲壮感漂わせてるんだろう、って。
もちろん、昨日の私は悲壮感漂う女だったから、それを否定はしない。
昨日は追い詰められてて苦しかったんだなぁ、って思う。

でも、今日の私は晴れやかだ。
それは、昨日の日記に書いた「道」が見えたからだ。
早いね(笑)
私がすごいから早いのではない。
追い詰められて苦しいのが限界に達して、
もうダメ!と思って、行動したから道が訪れたのだ。

人は案外なんとなく苦しいと動けない。
追い詰められて、限界に来て、どうしようもなくなった時、
初めて抜け出すための行動ができたりする。
そう考えると、追い詰められるってのも、まんざらでもないんだな。
だから人は方向転換したり、なんらかの方法を求めたり、
新たなことをしようとすることができるんだな。

私が試練を乗り越える「道」を見たのは、人の力を借りて、だ。
私には、37年生きてきた分の体験と知恵しかない。
だから、それ以上に体験を重ね、豊かな知恵を持っている人を頼ったのだ。
そう、つまり、尊敬する先生に相談し、アドバイスをいただいたのだ。
上には上がいる。
その上にも上がいる。
自分にないものを、その先生から知恵としていただいたのだ。
路頭に迷ってうずくまっていた私は、
こっちに行くといいよ、という声を聞いて、
安堵の気持ちに包まれた。

他力本願。
人の力を持ってして自分の願いを叶えること。
これもまたいいなぁ、って思った。

でも、依存してはいけないのだと思う。

依存とは、例えて言うなら、
トイレに行きたくなった時、
トイレまで連れていってもらって、
パンツおろしてもらって、
便座にかけさせてもらって、
用を足したのをふいてもらって、
またパンツをあげてもらって、
流してもらって、
手を洗ってもらって、
連れて帰ってもらう、
そんなもんだと思う。
いつまでたっても、ひとりでトイレに行けるようにはならない。

この場合、トイレに連れていって全部やってあげてしまう人でさえ、
相手に依存していると言えるだろう。
できない人に何かしてあげるという行為によって自分の価値を認識したい人。

私がいいなぁ、と思う他力本願は、
トイレに行きたくなったら、
トイレの場所を教えてもらうような感じのもの。
そういうふうに頼らせてくれる人は、
「じゃあトイレに連れていってください」と言うと、
「行けばわかります、自分で探してください」と答える。
ましてやパンツなんかおろしてくれない。
まさに「道」を示してくれるのだ。
一度挑戦したら、トイレまでの道は自分のものになる。

この場合のように突き放してくれる人は、
相手を信頼して、相手が相手の力によって前に進むことを応援してくれる人。

私はそんな後者の場合の、素敵な他力本願がいい。

私も道を与えてはいただいたけれど、
その道が見えただけで、まだ歩いてはいない。
ただ、歩いていく方法がわかっただけだ。
まだやってもいないので、うまくできるかわからない。
だから不安だ。
けれど、どっちに歩いていっていいかもわからない時よりも、
心は軽く、未来に挑戦する気持ちさえ湧いてくる。

人をこういう気持ちにできる人がホンモノなのだと感じた。
私はよい師を持って本当に幸せだ。


2004年01月03日(土) 試練

人生には、時々、試練がやってくる。

私にもまた試練がやってきた。
それでもこの仕事に責任を持ってやれるの?
そう問われているような、
意思確認のような、
そして、さらなるステップアップのテキストのような、試練。

逃げ出したい自分、負けたくない自分、
ふたりの自分がぐるぐる回る。

それでもきっと私は、この仕事していくんだと思う。
好きだから。

アニマル浜口がテレビで言っていた。
「人はいつも不安なんだよ」
娘をアテネオリンピックに送り出す彼は、
「だから、練習するしかない。
 練習で地獄を見れば、表彰台で天国を見られる」
と言っていた。
なんか、すごく心にしみた。

そう、人はいつも不安なの。
だからって、その不安に甘えて、
こんなに不安だから、怖いから、
できないだの、無理だの、言っていたら、
人はそこから一歩も動けない。
それは甘えだ。
人が自分を甘やかすのはまだいい。
抜けられるから。
でも、自分が自分を甘やかすのが一番怖い。
それをしている限り絶対に抜けられないから。

不安だからこそ、すべきことが必ずある。
それだけが、私達を不安から救ってくれる。

私は、怖いけど、不安だけど、
たくさんの痛みが待っているかもしれないけど、
でも、立ち向かおうと思った。
今、私の目の前に訪れた試練に。

「できないの」、「無理なの」、じゃない。
「やる」のだ。
どうしていいかわからないけれど、
「やる」と決めることだ。
そうすれば、おのずと道が開ける。

今までだってそうだった。
どうしていいかわかれないけれど、逃げないと決めた時、
必ずそこに何かが訪れた。
「やる」と決めた時に。

私は、負けない。
試練はステップアップが目の前にあるサイン。


2004年01月01日(木) 見る、言う、聞く

日光の東照宮にある3匹の猿、
見ざる、言わざる、聞かざる、は有名だね。

目を隠した猿、見ざる。
口を隠した猿、言わざる。
耳を隠した猿、聞かざる。

申年の今年、私は、この3匹の猿とは逆に、
見る、言う、聞く、これで行こうと思う。

見る。
自分のことも、人のことも、状況も。
直視すること、察すること、理解すること。

言う。
九思一言、見た上で必要なことを言葉にする。
自分を表現すること、相手に本質的なことを伝えていくこと。

聞く。
自分の声、人の声、状況の声。
言葉、言葉にならない言葉、言葉の裏にある本質。
そして、時に自分が聞きたくなくて聞き流してしまうことを。

人間だし、完璧になんて無理だけど、
でも、そういう気持ちでいたいな、と。






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