おひさまの日記
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2002年10月23日(水) 年齢を感じる時

年齢を感じる時、
それは、今までは使えなかった歯間ブラシが、
歯と歯の間に入る時。
歯茎後退したんかい!?


2002年10月17日(木) 泣く

今日、色々なことが重なり、どうしようもなく辛くなった。
私はわんわん泣いた。

それがいいのか悪いのかは別として、私はアンナの前でも隠さず泣く。
なぜ泣きたくなったのか、説明して泣く。
うんと泣いたら悲しいのが出ていって早く元気になれるから、泣かせてね、と言って泣く。

日頃から、アンナが泣いた時「いっぱい泣きな、泣きたい時は泣いていいんだよ」と言っているせいか、
彼女は泣いている私を黙って私を見ている。
そして、「悲しいね、いっぱい泣いていいんだよ、ママはいい子だよ」と言って背中をとんとんしてくれる。
彼女は私の頭を膝に乗せ、私はそこに顔を埋めていっぱい泣く。
その間、とんとんされ、頭をなでなでされ、毛布をかけてもらい、無防備に泣く。

今日もそうしてずっと泣いていた。

親としては決していい親ではないのかもしれない、そういうのって。
わかってはいるけれど、甘えさせてもらって、思い切り頼ってしまう。
そして、泣きながら思う。
まだこんなに小さいのに母性があると。
アンナの膝に頭を乗せてわんわん泣いている時に見て感じて受け取る彼女の印象は、母そのものだ。
4歳の子供には見えない。
これは衝撃に近い驚きなのだ。
そんな彼女を感じて、少しの間、私はママと子供の立場を入れ替えさせてもらう。

やがて、涙も枯れると、必ずアンナにお礼を言う。
アンナのおかげで、ママ、元気になったよ、助けてくれてありがとう、って。
だって、本当にそうなんだもの。
今日も。

子供は親を助けるために生まれてくると聞く。
今日みたいな日に、私はそれを確信するのだった。
私が世界中で無条件に甘えられるのは、母、そして、さらにその母よりも、娘、アンナなのだ。


2002年10月15日(火) 私の365日の中のある1日

その時すべてがそこにあり、今すべてがここにない。
手が届き、手が届かない。

激しい雨と雷。
こんな夜、私は誰でもなくなる。
誰でもなくなって、雨風をしのぐ枝を探す夜鳴き鳥になる。
漆黒の闇に吸い込まれたくなる夜があることを、自分に許してあげたい。


2002年10月12日(土) ディーバ

今日のセッション中に、私の座っていた椅子の左側の肘掛けで、何か小さいものがぴょんと動いた。
確かに動いた。
見るといない。
でも、確かにいた、視界の端にいたのだ。

昨日、アンナがばーちゃんちで取ったからと、私に花をプレゼントしてくれた。
雑草みたいな花ばっかりだけど、すごく小さくて可愛い花束だった。
嬉しかったぁ〜!
私は、その花達を、なんとなく、セッションルームに飾ることにした。
そして、今日お会いしたクライアントさんは、花が好きな方。
私はセッションルームに花を飾ることはめったにないんだけど、
アンナのプレゼントで、そんな彼女とタイムリーに花を愛でながらのセッションと相成った。

花は彼女の中にある輝きへの入り口のように思えた。
そこに花が飾ってあることによって、自然に花の話題になった。
そう、自然に糸口が見えてきたのだった。
つくづく偶然はないものだと感じる。
アンナちん、ナイス!さすが天使の使い。

そして、私の肘掛けでぴょんと跳ねたもの、それはきっとディーバだったのだと感じた。
今まで、妖精めいたものなど感じたこともなかったし、考えもしなかった。
なのに、今日は、私の中のスクリーンで、彼等が花の上で遊んでいるのだ。
なんだか嬉しかった。

天使に続いて妖精か?
あ〜、なんか幸せだ〜。

私達人間をいざなうために、そんな存在達はきっとそこかしこで遊んでいるのだ。


2002年10月10日(木) しゃがんだら見える世界

子供と話す時、立ったままではなくしゃがむといいということは、よく言われる。

そして、目線だけでなく、心もしゃがんでみる。
すると、見える世界がなんと広がることだろう。

今日は、アンナと一緒に子供になってみた。

どんぐりが見つかって嬉しかった。
ペットボトルに水を入れて、そこに砂も入れたら楽しかった。
カマキリが新鮮だった。
赤くなった柿が宝物みたいだった。
いつもよりも喜びがどんどん増えていく。
子供は私達がうしろに置いてきたものをいっぱい持ってるんだなぁ、って思った。

ガキっぽい大人でいたいなぁ、って思った。


2002年10月03日(木) 「決断」の力

最近、私の周りで離婚が多いことは以前日記にも書いたけど、今日、そのうちのひとりのコと話した。
ダンナから離婚話が持ち上がり、やり直したいと伝えて、もめにもめ、
彼女もさんざん考えた挙げ句、2人の子供を連れの離婚を決意した。
ダンナに想いはあるものの、これ以上一緒にいたら、自分が自分でなくなるって感じたようだ。
悲痛な思いでの彼女の決断だった。

が!
決断した途端、思いも寄らぬ出会いがあり、すっごくいい彼氏ができたそうだ。
今日の彼女の顔は晴れやかだった。
子供も一緒に付き合ってくれるいい彼氏なのだそうだ。

彼女がダンナへの執着を断ち切った途端に、新しくよりよい関係が訪れた。
面白いよね。
彼女はきっとダンナとの関係の中で学ぶことは学んだのだと思う。
そして、新しい段階に、不安こそあれ、進む決意をしたのだ。
その彼女の決断は、彼女が選び、目指すところのものを即座に引き寄せ始めている。

以前、足立育朗さんの「波動の法則」で読んだんだけど、現実を動かすのは「決断」なのだそうだ。
迷いなく「決断」した瞬間に、現実は動き始めるのだそうだ。
「決断」は、すなわち「選択」であり、「迷いのない決断」とは「葛藤のない選択」、
つまり、葛藤がなければ選択を阻止する意識は働かないので、自己実現がいとも簡単に行われる。

彼女のこの一件で、私はそれを目の当たりにした。

自分を振り返ってもそうだったなぁ。
これっぽっちの迷いもなく決めたことは、本当にスムーズに進み、自分に必要なものが寄って来た。
人であれ、情報であれ、環境であれ、時にはお金であれ。

なんだかすっごく勇気が湧いてきた。

同じマンションのチョー仲良しだったので、離れるのは寂しいけど、
幸せに向かって歩き始めた彼女を見たら、そんなの屁でもないさー!と心から思えたのだった。

本当に世界はうまくできてるワ。


2002年10月01日(火) あれはなんだったのかなぁ・・・

今日はなんだか瞑想してみようかな、って気持ちになってセッションルームにこもる。
勉強したわけじゃないので、自己流で瞑想。
が、ずっと雑念&まっくらー。

以前、ミカエルさんに教わったあちらの存在と対話する方法をやってみた。
出て来たのは老賢者風のおじいさんだった。
彼は何も言わない。
でも、向かい合って座ると、私の右手を腕までさすり始めた。
するとどうだろう、涙がどんどんあふれてきた。
私は声を上げて泣いてしまった。
おなかもグーグー鳴り出す。
自分から何かが解放されてるんだなぁ、って感じた。
今日、私の中にいっぱいいっぱいになっていた感情があったんだけど、それだろうと思った。

案の定、目を開けて戻ってくると、なんだかさっぱりしている。
勿論、私の心をかき乱すものは、相変わらずそこにあるんだけど、
それでも、心は穏やかになりつつあった。

私、タダでヒーリング受けちゃったのかなん?
ラッキー!

あれはなんだったのかなぁ・・・

軽口はさておき、老賢者風のおじいさん、本当にありがとうございます。
これからも、支えていてくださいね。
辛いこともいっぱいあるから。


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