「音楽とは」 - 2001年09月18日(火) いきなりですが、僕は昔から他人と生き方のスピードや価値観に微妙な誤差があることを常に実感しながら生きてきました。 この「誤差」というのはたちがわるいのです。 人と自分に大きな違いがあれば、それはあからさまにわかります。わかりやすいし、わかられやすくもあります。しかし、誤差程度だとそれはなかなか気付かれません。それなりに人と協調して生きてゆけてしまいます。だけれども一度僕が心を開いてしまうと、何かのちょっとしたきっかけで、人に「あれ、へんだな」と思わせてしまうことが往々にしてあるのです。そういうとき僕は「あぁ、またか・・」と思ってしまうし、相手はちょっと戸惑ってしまうでしょう。慣れてしまえば何てことはないんですけど、辛いことはたしかです。 ここで僕が、いわゆる日本の(形にはなっていなくとも、無意識にできあがった)お約束的な価値観や、常識とされているものさしに自分を合わせてゆけばそこそこ人ともうまくやってゆけるのですが、そうすればするほど、今度は自分自身に違和感を感じてきてしまいます。あくまで自分は自分らしくありたいのです。どうしてなのかは後で述べます。 自分が自分でいつづけること、すなわち自分らしく生きつづけるためにはどうすればよいか。そのためのひとつの方法として、人と違った技能を身につけてなおかつそれを世間に認めてもらうというやり方があります。まあ意地の悪い言い方をするなら、それによって自分を正当化することができるわけです。幼い頃からの体験で僕はそれを無意識に肌で感じ取ってきました。そして毎日その事ばかりを考えて生きてきました。僕にとってのそれとは、自分の頭からしか生まれ得ないものを「目に見える形」にすることでした。世間との違和感に我慢ができなくなり、それと同時に自分の頭から生まれてきたものが初めて決定的な「音」という形になったその瞬間、僕は音楽の道へ進むことを決意しました。17歳の時でした。 だいたいのことはもう言ってしまいましたが、僕にとっての音楽とは、そういうものです。自分らしく生きるための剣であり、盾でもあるのです。自分の音が受け入れられることで、僕自身も受け入れられていると感じたし、たとえ嫌なことがあっても、自分が自分でいつづけようとするうちは、僕の音楽は僕を裏切らない。だからたとえ全てを失っても、頭から音楽が涌き出る限りは、また前を向いて生きてゆけるのです。 書きすぎました。最後にひとつだけ。よく聞かれることですが、「音楽で何を伝えたいのか」。それは、 「あなたは、あなたであり、あなたでしかない。」 ということです。あなたがあなたらしくあれば、僕も堂々と自分らしくいられる。人はそれぞれ違ってあたりまえです。その違いを認め合い、尊敬しあうことこそが本当のコミュニケーションだと僕は考えたい。本当の意味で人と人とがわかりあうというのはそういう事です。安易なグローバル化にはちょっと疑問を感じます。世界平和だって、全ての人間がみんな違うのだということを理解することからはじまるのだと思います。 別に僕だけが世の中に違和感を抱えて生きているわけではないのです。誰だって何かしらの違和感を抱えている。それに忠実であるかそうでないか、我慢できるかできないか、もしくはめくるめく勢いで頭に飛びこんでくる様々な情報にある意味洗脳されてしまって忘れちゃった気分になっているのか。まあわからないけれども、少なくとも「自分らしく生きたい」と自発的に思っている人達には、自分にもっと自信をもってもらいたい。そしてあなたが今いるその場所にも安易に絶望してもらいたくはない。今いるその場所で、そうやって生きることは十分可能です。まずは、無意識のうちにあなたの背中に入ってるお約束や建前のものさしをいい意味でとっぱらってもらいたい。そしてその次は、目の前にいる人のものさしをとっぱらってあげてほしい。僕は自分の音楽の力を使って、その輪をもっと大きくしてゆきたいのです。まあやや馬鹿げたことを言ってるかもしれないけど。 -
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