NONBIRI My Life

2005年01月26日(水) 寒い

午後から風が吹いて、すごく寒かった。

夜ご飯は、天心鍋。

最近、バナナジュースと抹茶にこっている。
抹茶は京都で飲んでおいしかったので。
夜ご飯の後、茶せんでたてて、やっちゃんとみーちゃんと三人で飲む。

みーちゃん、風邪がひどくなったのか、
寝る前に何度も何度も咳。



2005年01月25日(火) いい身分

バイトをやめたことを園長先生に報告。
次の仕事を見つけるまで、どういう手続きがあるのか聞きに行った。
「クビになったの?」と聞かれて
「イヤになってやめました」と答えたら、
「簡単にやめられていいねぇー」と言われてしまった。
園長先生も「やってられない!」って気持?
でも、バイトじゃないし時給710円じゃないし、
定年までがんばって!園長先生。

夜、やっちゃんにも言われる。
「キューピーはいいねぇー」
だけどお風呂水を入れてくれたやっちゃん。

確かに・・・。

私っていいわぁー!!!

イヤだといって仕事をやめられるし、
すぐに仕事を探さなきゃいけない訳でもないし。

でも、ちょっとだけ言い訳。
みーちゃんのお母さんだし。
病気持ってるし。
だから、今度はもう少しだけ楽なしごとをさがそう。
時給は安くてもいいから。
・・・今まで710円だったけど。



2005年01月23日(日) 日帰り京都

家族三人で京都に行きました。
やっちゃんが、ずっと行きたがっていました。
私がバイトをしていた頃の日曜日、京都に行くことにしていた日があったのですが、家の中のことが何も出来ていないのが気になり、
行くのをやめてしまったことがありました。
今日の京都行きも、もしもバイトを続けていたら行けませんでした。
次の日は休み、という気持があるから行けた京都。
やっちゃんの旅行の計画は、私にとってはとてもハードで、
夕方頃になるとくたびれ果ててしまうのです。

今日の旅行。
新幹線に乗って京都駅へ行く。
まず西本願寺。修復工事中でした。
せまい通路を通り唐門などを見る。
そのあとタクシーにのって北野天満宮へ。
ちょうど受験シーズンなので、行列が出来ていました。
そこで抹茶とおもちを食べました。
みーちゃんが、すごくおいしそうに抹茶を飲むのでおどろきました。
私がみーちゃんの年の頃は、抹茶は苦くて飲めませんでした。
これ以降の移動はひたすら歩き。
平野神社、おみくじをひくみーちゃん。
千本釈迦堂、「柱に戦の時の槍のあとがあるよ」と受付のおじさんが教えてくれました。六観音がありました。
昼ご飯はお店には入らず、コンビニのおにぎりを歩きながら食べる。
途中で見つけたベーカリーに入り、
そこで買ったパンをかじりながらまた歩く。
「旅行らしくていいでしょう」と言うやっちゃん。
大徳寺、「足が痛い」とみーちゃん、ゴキゲンナナメ。
今宮神社、スタンプをたくさん押して喜ぶみーちゃん。
金閣寺、ここでもおみくじをひくみーちゃん。キティおみくじだ。
また、コンビニに入り肉まんや唐揚げ、だんごを買う。
それも歩きながら食べる。
みさちょふのダンナさんは学生時代このへんを歩いたのかなぁ、などと
やっちゃんと話しながら次のお寺に到着。
等持院、きれいなお庭にでる。子どもにはちょっと大きいつっかけを履き、庭に落ちているドングリをひろうみーちゃん。
移動の途中、すれちがった外人さんがみーちゃんを見てほほえむ。
龍安寺、石庭を見る。
みーちゃんより少し小さい子がいて、その子が気になるみーちゃん。
仁和寺。ガイドさんの説明を途中から聞く。
もうこの頃、私はヘロヘロ。
そこからバスに乗って壬生寺に。
新撰組の手ぬぐいを買うやっちゃん。
そしてまた、バスで京都駅へ。
地下街のうどん屋さんで夕食をとり、
お団子と八つ橋をおみやげに買って帰ってきました。



2005年01月22日(土) 最後の昼食

アルバイト、とうとうやめてしまいました。
今日が最後の日でした。
やっぱり私の本業は「みーちゃんのお母さん」だし、
体力的にはかなりムリをして通っていたことと、
やっぱり私には向かない職場だということで、やめる決心をしたのでした。

今日は土曜日で、特別出勤の日でした。
仕事が終わってから、全員が食堂で昼ご飯を食べていくことになりました。
それぞれ好きな料理をとって席につくのですが、
私が行くと、みんなのテーブルはいっぱいになっていて、
私だけが座れない状態。
私ひとりが他のひとたちからポツンとはなれて
違うテーブルで食べることになりました。

「まぁ、今日でやめるしね。別にいいや」と思い、
となりのテーブルに座りました。
私がやめることをまだ知らない、きれいで優雅なおねえさんが
「キューピーさんがひとりになっちゃうよ」と心配そうに言うと、
他のおばちゃんが「あとでOさんが来るからいいよ」と言いました。

Oさんは、一匹狼のパートさん。
仕事はとてもよく出来るのにぜんぜん威張らない。
でも、パート親分やその腰巾着さん達によくぼろくそに言われている。
私はバイトをはじめた頃からOさんのことは好きでした。

しばらくしてOさんが私の前に座りました。
「キューピーさん、今日でやめるんだってね。
慣れてきてがんばっていらっしゃる、って思っていたんだけどね」
「はい。すみません。お世話になりました。」

Oさんが「忙しいだけならガマンできるけど、あれこれとうるさいからね」と図星なことを言うので、思わず言葉ではなく高笑いで答えてしまった私でした。

Oさんの持ち場は、茶碗さん(過去の日記を参考にしてください)と
カメレオンさん(適当に想像してみてください)というすごいメンバー。
もちろん攻撃もものすごい。

私はOさんに「Oさんはえらいですよねー」と日頃思っていたことを言う。
するとOさんは
「私は頭悪いからねー、ぜーんぶ右から左へと抜けていくのよ」と言う。
指を耳のところに持っていって右から左へ抜けるジェスチャーをしながら
「『はーい、ごめんなさーい。はーい、すみませーん』って、
こんな感じよー。」と笑うOさん。
「まだ若いからすぐにいい仕事が見つかるわよ」と私に言う。

Oさんとの会話はつづく。
「私の亡くなった主人がね、ここのT工場で働いていたのよ」
(注、食堂ではなくて大企業のほうの社員さんだったということ)
「主人が働いていた会社に関わっていたい、という思いで
ここの食堂で働くことにしたの。
だから、その思いだけで、いままでずっとがんばってきたのよ。
そうじゃなかったら、とっくにやめているわー。」とまた笑うOさん。

私はOさんにバイトをはじめた頃、
親切にしてもらったことなどのお礼を言う。
いい人だと思ってました、などと言う。
すると「私も色んな顔をもっているからねー。
一面しか知らないからよー。」とまた笑う。

頭のいいひとだ、と思う私。
ご主人の話を聞き、Oさんの働いている姿を思い出し、
ジーンときてしまう。

帰るとき、パート親分にあいさつ。
腰巾着さんたちのうすら笑い。
それぞれの人を見てみたら、みんなそれぞれいいひとだと思う。
忙しい中、自我を丸出しにしながら、がんばっている人たち。
私には合わなかった。それだけのこと。



2005年01月19日(水) 泥のように

朝、起きたみーちゃんが咳をしている。
いつもより咳が多い。
これは風邪のひきはじめ!と思い病院に連れて行くことにした。
いつもいく病院は、今日の午後は休診。
他の病院に連れて行くのもイヤだったので、
バイトを休んで午前の診察に行くことにした。

さて、病院についてからのみーちゃん。
すごく元気。
咳ひとつしません。
問診票に書くようなことも何もなく、
何で病院に来たのかもわからなくなるくらい。
順番が来て、お医者さんに
「夜と朝は咳をしてたのですが、今、すごく元気です。すみません」
などと謝りながら診てもらう。
咳と鼻水の薬をもらって帰ってきました。

その間、私は体がだるくむしょうに眠たかった。

・・・そう。
休みたかったのは私でした。

家に戻ってから、みーちゃんがビデオを見ている間、昼寝をして、
そのあと家事もなにもしないで、ひたすら「みんゴル」。
新しいキャラクター、いっぱい出しちゃった・・・。
脳みそが腐りそうな一日でした。



2005年01月18日(火) 前進あるのみ

課題、むずかしい・・・。
他の人の作品をインターネットで見てみた。
うーん・・・、みんなすごいなぁ。
私も描くしかない。がんばろう。
描かないことには、進まない。何もはじまらない。

バイトではいまひとつ前向きな気持になれません。
結局、今までと同じ仕事をしています。
今の親分に注意されると、なんだかモチベーションが下がります。
もうちょっと違う言い方とか、ないのかなぁ・・・。
事実、どんくさいので仕方がないのだけど。
性格上、腰巾着もできないし、仕方ない。
そんな私があの職場で生き残るには・・・。

今週から新しい人がふたり入りました。
新しい人とお友達になろう。

仕事は出来ないけど、
人間としてそんなに嫌われるようなことはしていない!
・・・・と思う・・・。



2005年01月17日(月) 粗末

絵画教室に行って来ました。
今描いている絵を市民展に出そうかと思っています。
間に合うかどうか、ちょっと心配ですが、
あと一ヶ月、がんばります。

月曜日はやっちゃんも帰りが遅いので、
実家で夜ご飯のおかずをやっちゃんにともらって帰ってきたのですが、
面倒なのでお皿にそのままラップをして
車の座席の上に置いて帰ってきたのです。
家について、車のドアを開けたら、
ガチャン・・・、皿ごとおかずはパァになりました。
ショックでした。
おいしかったのに・・・。

そして、やっちゃんの夜ご飯は、おぜんざいとチャーハンになりました。
ごめんね。やっちゃん。



2005年01月16日(日) 少しだけ

とりあえず、少しの時間でも毎日絵を描かないと・・・、と思い、
寝る前に机の上を片づけて、課題をやりました。
15分くらい。

今年は、ちょっとあることを思いつき、
実行に移すか考え中。
でも、それに向かってはまだあまり何もしていない。



2005年01月12日(水) ちょっとだけ日記

バイトのことで、ごちゃごちゃと日記に書いていた私ですが、
ここのところ、反省しています。
もっと謙虚な気持になりたいなぁ、と思っています。

みーちゃん、昨日のスイミングは新しいクラスで泳ぎました。
ニコニコしながら泳いでいました。
楽しそうでした。



2005年01月09日(日) 知らない魚

みーちゃんと一緒に実家にあそびに行ってきました。
今日は、母の誕生日でした。
いとこのしんちゃんも遊びに来て、みんなでお寿司を食べに行きました。
そのあと、母がみんなにケーキを買ってくれました。
私と姉は、ほんの少しだけ母にお小遣いをわたしました。

さて、帰るときに母が「お刺身になる魚を持っていく?」と聞きました。
私はそんなに刺身が好きではないので、
「何の魚?」と聞いてみました。
その魚は、伊勢に住んでいる母の友達が
ときどき送ってきてくれるものでした。

さて「何の魚?」以降、母と私と姉(みさちょふ)の会話です。
ちなみにカッコの中は私の心の声です。

私「お刺身って、何の魚?」
母「うーん・・・なんだったかなぁ。シーラカンスだったかな?」
(私の心の声、シ、シーラカンス?そんな庶民が食べる魚だったっけ??)
姉「おかあさん、シーラはもっと柔らかいよ」
(私の心の声、みさちょふ当たり前のように答えてる・・・。
       何のつっこみのないの!?
       それとも私が知らないだけで、シーラカンスって
       普通に一般に食べられてるの???)
私「えぇ?シーラカンスって食べられるのっ!?」
姉「キューピーちゃん、お母さんをからかうのはやめなさい」
私「だって、今、シーラカンスって・・・」

あとできくと、シーラという魚がいてその刺身は柔らかいのだそうだ。
私、知らなかった・・・、シーラなんて・・・。
それにしても、みさちょふ・・・。
間違えている母を思いやる気持は、ステキだけど・・・。
意味は一応、通じているんだけど・・・、訂正してあげようよ。
・・・って、シーラカンスをそのまま信じる私も私なのか。
この会話をしながら母は、おおきな魚のかたまりを、
包丁で切っていたのだけれど、
手足みたいな部分はどこ?と、おそるおそる探していたお間抜けな私。

で、そのあと母は、何の魚だったか、めでたく思い出したのでした。
「とんぼまぐろ」
家に帰って、やっちゃんとおいしくいただきました。



2005年01月07日(金) 新年会

木曜日からバイトが始まりました。
年末のローテーションと同じ所からはじまることになっていたので、
この二日間は同じ仕事をしました。
さて、来週からなのですが、
予定では私は違う仕事をするはずだったのに、
当たり前のように、ローテーションを組まれていました。
家に帰ってそのことをやっちゃんに言うと、
「新しい人が入るまでのつなぎで、新しい人が入ってきたら
どうぞ好きにやめてちょうだい、ってことなんじゃない?」と
言われました。
あぁ、その可能性大。
結局、私はどうしたってお人好しなのか。
来週、とりあえず栄養士さんにどうなっているのか聞いてみよう。

夜は、やっちゃんの会社のインディアカクラブの新年会。
金山でやりました。
みーちゃんが赤ちゃんの頃から参加させてもらっています。
みんなに可愛がられているみーちゃんです。
インディアカクラブのなかの二人のひとが、
それぞれ私に「やっちゃんは組合の委員長になり、
これからたいへんになるから、
奥さんがどうか支えてやって欲しい」と言いにきてくださった。
やっちゃんのことをかげで応援してくれているんだ、と思い、
とても、ありがたかった。

終わってから、私たち家族はMくんと一緒にカラオケ屋さんに行きました。
新しいカラオケ屋さんで、すごくきれい。
まるでホテルのようでした。
部屋には大きなラスカルのぬいぐるみがありました。


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