できちゃった結婚 赤ちゃんポスト 共通するのは 両者とも 合法なのに 当事者が責められるとうことであり 共通するのは 法の介入が認められず 国がその問題を放置している そして共通するのは セックス 共通するのは 諸悪の根源は教育である そして共通するのは そのネーミング 例えばフリーターやニートなど 仕事をしない若者に名付けた事で なんだか横文字でカッコイイ先入観を植え付け 現状はご覧の通り かのみうらじゅん氏は 暴走族という呼び名を ウンコプープー族に呼び名を変えれば 誰もなりたがらないと説き 一部メディアでは珍走団と名称変更を主張しており つまり 現状はなんてことはない無職なのに それをニートなんて横文字にする事で その罪悪感を鈍感にさせてしまうわけだ 赤ちゃんポスト できちゃった婚同様 本来は恥ずべき事なのに そういった名称をつけることで その存在を認可して肯定してしまう事になり 案の定 早速子供が捨てられ アイドルは契約を無視して子供を作ってしまう 勿論 赤子が心無い親に殺され放置され捨てられる それと比べるなら 赤ちゃんポストに捨て子として 施設や里子として育てられたほうが 赤子の将来には役に立つかも知れぬ ときには 結婚前に赤子を作る事で よりよい絆が深まるのかもしれない ただそれはあくまで結果論であり 施設や里子のシステムが 現在構築されていない日本では時期尚早であり できちゃった婚が原因で 仕方なく結婚した結果 その後の家庭不和だって 往々にしてある話であり つまりその原因 無計画に子供を作ることにある ではその当事者に原因があるのか ノン では何故若者は安易に妊娠し 安易に育児放棄をするのか それは やはり教育 性教育の問題で 避妊の大切さよりも 倫理上宗教上 中絶は悪という教育のおかげで そうゆう結果に至るわけである では何故 性教育改正に国家が乗り出さないのか 勿論 基本的人権の尊重 個人の性生活にまで足を踏み入れるのは 人権侵害であり 全て個人の自由であるから などというのは 表向きで 勿論中国のように ひとりっこ政策を謳い文句に 小さな村村の10代の少女から熟女まで 生理あるもの全ての女性に 強制的に避妊手術を行なわせれば 立派な世界的社会的問題であるが 共産主義国家の中国とは違い 民主主義国家の日本に そこまで人権を否定する事などないわけで むしろ HIV感染者数と発症者数が飛躍的に右肩上がりのなか 国家が性教育に乗り出さない事の方が不自然極まりなく では何故 日本は性教育改正に乗り出さないか イッツ政治 勿論中国でさえも 止まらない人口増加に加えそれに伴う食糧事情 小さな自治区の政治的背景も加えて そんな非人道的な処置を行ったのだが 日本は事情が違う 勿論食料自給率は低いんだろうけど 少子化問題とは言うけれど 少子化の何がいけないのか それは子孫繁栄といった類のものではなく 税収の減収 さらには団塊の世代たちの年金支給の拡大 つまり 支出は拡大するが収入は激減 ただでさえ借金大国の国家の保持の危機意識であるからで つまり 中絶するくらいなら 子供を産め 育てられないなら 殺す前に施設に 子供さえ生きて成長すれば そのぶん将来の税収確保が容易になるからに過ぎず それを倫理だとか宗教観念というフィルターをかけて 誤魔化しているに過ぎないのである そこまで切羽詰ってしまった日本に ホントに未来なんてないんだよあぽーん さて どうやら本格的な薄着の季節 私が できちゃった婚や赤ちゃんポスト以上に 憂れいてるのが Tバック ラインが細めのパンツの流行や 白いパンツ・スカートの流行により 女性はパンティラインを必要以上に気にして 故に Tバックが流行しているのだとも思う また AVにおいても 特に熟女モノにおけるTバック普及率というもの HIVの感染者数以上に右肩上がりを示しており 熟女におけるTバック価値観というもの 欲求不満だとかセクシーだとか 明らかに男に性行為に 我如何に貪欲か 我如何に今日ヤリたいか を示すオシャレ感覚の若年層Tバック価値観の相違に 非常に興味深いわけだが 尻フェチで女性下着フェチである私にとって 幾ばくかの疑問を感じるのだが まず第一に 下着として機能していない点 陰毛や性器がハミだし また下着の醍醐味は その材質の触感はもとより 性行為時 脱がして上げる瞬間の 剛毛でありませんように ピンク色でありますように などといったギャンブル的要素にあり 脱がす前からそれがわかってしまっては 興ざめも甚だしく 第二に 世の中そんな完璧な人間などおらず ビシっとファッションをキメていても パンティラインやブラ透け程度のミスがあるくらいのほうが 人間として好感が持てるわけで しかし これは私だけの感覚だろうか それとも男性全員の意見なのか それとも 時代の潮流に取り残された私の妄想なのだろうか 私の父親世代が 私の感覚を理解できないように 私もまた 若者を理解できなくなってしまっているのだろうか いけない これではいけない 若者に迎合する必要など無いが 若者の感覚を受け入れられないという事は 自らの老化を認めてしまう事である そう 思い Tバックの良さを 理解するために 調べる為に 若くありたいが為に そう 思い 自ら Tバックを 最近履くように しているのです 勿論男性用の しかし しかし 食い込むのです 痛いのです 座薬を入れているような 違和感を感じるのです それだけならまだいい それだけなら良くある話で 同僚や はたまた女性に見せると 笑われるのです 嘲笑されるのです それだけならまだいい それだけなら良くある話で なんなら なんなら 気持ち悪がられるのです キモイ と3文字で済まされるのです 結句 Tバックというもの 生半可な気持ちではいてはいけない オシャレの為に 性欲の決起表明の為に 確固たる 意志がなければ 否 意思があっても Tバックは いわば パワーリストパワーアンクルのような それでも それでも オシャレや性欲の為に Tバックを自ら課して履き続ける女性に できちゃった婚や赤ちゃんポストに捨てられた赤子 そんなものにまで 税収を頼らざるを得ないニッポンに 社会的地位の低さや生理の重さのセクハラ痴漢などの 社会的苦痛がありながら更に Tバックの食い込みの苦痛まで背負う Tバックの女性のストイックさがあれば まだ まだ大丈夫だと エスカレーターでOLさんの尻を眺めながら がんばれよ と 心の中で エールを送るのです 女性に そして 日本に。
映画「バベル」はもとより その監督の前作「21g」 さらには昨年のアカデミー賞の なんとか賞を受賞した「クラッシュ」 これらの作品のテーマは 連鎖 またこうした作品が大衆に受け入れられやすいのも 負の連鎖 をテーマにしているからで 自分の行なった行為が もしくは自分の思考が 知らず知らずの内に実は さらに他人の行為や思考に影響を与え さらに連鎖していく無限ループ やり場のない怒り ふお これまさしく現代社会 大衆が共感するのも至極道理であるわけで バベルにおいては 負だけではなく 正が連鎖していくところに 幾ばくかの救いがあるのだが 連鎖しよる 阿呆も 連鎖しよる 阿呆が連鎖しよるのだよ 無論 私はオタクと言うほどの映画好きで 週に最低一度は映画館に足を運ぶし 観たい映画がなければ 観たくない映画すら観たりもするし 1日で3本映画館をハシゴすることも少なくない 勿論ひとりでねエヘヘたはは で まあ幸か不幸か 映画というものは当然先払いシステムであり まあ普通の人々は 予告編や宣伝CMもしくは情報誌で ある程度の情報を得てからようやく映画館に足を運ぶのだけれど 本来ならば 監督や役者、タイトルである程度映画のデキは判断できるわけで 私はあまり情報を仕入れずに 映画を観るようにしているのも 予告編というもの 実は予告編専門の製作会社が存在し 企業ならば収益をあげるのは当然 勿論 高名な監督高名な役者が出ていれば 宣伝は簡単なわけなのだが マニアには知られているけれど世間的にはあまり認知のない もしくは 高名な役者は出ているけれどもまるっきりの駄作 そして まるっきりの駄作 である場合 それでも客足を伸ばす為には やはり予告編で 結句 ウソ大げさ紛らわしいが横行するのも仕方が無いのだけれど 学生時代 映画技術表現の実習で 3分ほどの素材フィルム まったく同じフィルムが生徒全員に配られ それを編修して一分ほどの作品に仕上げよ という授業があった 不思議なもので 素材は同じフィルムにもかかわらず できあがった作品にひとつとして同じモノはなく 音楽をつけることで 1つの素材から 何十本もの別の作品 つまりストーリーが仕上がってしまったわけで つまり それだけ 映画の予告編はアテにならない 客を集める為に意味ありげなシーンと音楽を繋ぎ合わせ 全く別の作品に仕立てている だけならまだいい それだけならまだしも あまりにも重要なシーンを繋いだ為に 予告編だけで 内容と結果が安易に理解できてしまう それゆえ本編は観なくて済む本末転倒の予告編まで 数多く存在する始末 阿呆ちゃうかと 思いませんか え?思いませんか で 予告編にある 宣伝文句キャッチコピー 主役の誰某、初の悪役に兆戦! みたいな文句 ってこれもおかしくないですか 映画で言う悪役というのは 主役に対しての悪役であるわけで つまり敵役こそ悪役 主役が刑事なら悪役は犯罪者 主役が犯罪者なら悪役は刑事であるはずなのに 主役なのにただ悪人役というだけで 悪役という文句に 違和感を覚えるのは 私だけでしょうかフィーチャリングだいたひかる それだけならまだいい そんなことなら笑って許せるだけの 包容力が私にはあるのだけれど 先日見た予告編及び本編 日本映画の場合 役者の名前が表記される場合 主役→準主役→脇役 の順であるのだが 海外 特にアメリカ映画の場合 チラシや映画本編に表記される役者の名前は 役の大小ではなく ギャラの順番であることが通例で 必ずしも最初に表記される人間が 主役とは限らないことくらい 映画を観る人間にとっては 少女が女になること以上に ぎく普通のことであるのに 先日観た映画 いやさ 映画紹介をするFMのDJすら 明らかに脇役の役者に対して 主役ですっっ なんて紹介しているのであり 本来宣伝すべき人間が 本編を観ていないことがまるわかりな 阿呆の連鎖極まりなく またそんな阿呆宣伝の映画だから 映画館には全く客がいなく いるのは 映画中に大声で喋りイチャつく阿呆カップルのみであり さらには 客もいないのに指定席制となっています なんて受け付けの姉ちゃんが手配した座席は そんな阿呆カップルの隣席 は はあ ホアット ホワイ ガラガラの劇場に何故そんな座席を用意するのだ ちょっと座席をずらすか 私に隣がカップルですと 何故注意できないのか 全く阿呆極まりなく 他人のことすら慮れない阿呆が連鎖して 私は 哀しくて哀しくて とてもやりきれないのですが 確かに DVDって便利よね 薄いし小さいし軽いし 容量もあるからビデオみたいに 全編後編ってなることないしね 勿論 科学は発展し淘汰されていくもの ベータやLDがそうだったように VHSすら衰退していくのも仕方ないわよね ただ ただそれによって 失われた連鎖ってのもあるわけよ シンクロニシティ共時性ってやつね 勿論 VHSでさえ レンタル店に返すときや友達に貸借するときは 頭まで巻き戻しが基本なんだけれど たまに たまあにね 巻き戻し忘れってのがあるよね そりゃ人間ですもの そんなミスくらい誰だってあるもの でもねそこで連鎖が生まれるの そもそも ってAVの話よ そもそも AVを最後まで観る人間は少ない 何故 AVは鑑賞用ではなく 実用品であるから 何の 勿論オナニーの 勿論 オナニーの方法は多種多様 いつどこで あるいはどの女でどの場面で 発射時期に命をかける者あれば 最初に全編鑑賞してから お気に入りの場面まで巻き戻し 発射する保守的オナニー しかしいずれも共通することは 男は発射した直後 無論 ティッシュでキレイに拭き拭きしている時間や その余韻に浸る者 多少のタイムラグはあるが その発射直後にビデオを停めるわけで つまり 巻き戻し忘れたビデオは その再生した前後で 必ずオナニーフィニッシュされているわけで おおお前もか といった共感や えこんなとこで といった驚き じゃあ俺はここでイってやる といったライバル意識 即ち これ友情 顔も知らない相手への戦友意識 こうしたオナニーの連鎖こそ 自らの発射スポットが実に小さな世界であるのか 惹いては 世の中にはいろんな性癖の人間があり たとえ60分90分なりの 1本のビデオでさえも 観る側にとって全く異なる作品ともなり オナニーの世界が如何に広いものであるか また 自らのオナニーに如何に可能性があるのか そう 思わせてくれたものだが 残念ながら VHSは衰退し DVDは巻き戻す必要もなくなった 確かに 確かに便利は必要なんだけれど 便利と引き換えに 失うものもあるわけで 巻き戻す必要のなくなったAV世代は どおゆう性行為に影響を与えるのか 性的いたずら 性的暴行 などという抽象的な表現のニュース 要はレイプ 海外の話だったレイプが 現実的に頻発する日本 その要因こそ VHSを知らない アダルトDVDの連鎖で無いことを チンコを握りながら 思うのであるのだが 人生そう悲観してはいけない 映画バベルのように 人生はそんなに哀しくプログラムされちゃいない オナニーにだって救いはある はたまた 救いの為にオナニーするのか そんなこたどうだっていい つまり 私がオナニーが 誰かのオナニーにつながり そのまた誰かのオナニーに繋がり オナニーによって 勇気付けられ オナニーによって 生きる希望を見出し オナニーによって 別れることもある そんな思いを 具現化する場所が 実はもうすでに存在し それこそが オナニークラブこと オナクラ 一生懸命オナニーするところを 一生懸命女性が見守ってくれる 一生懸命オナニーするところを 一生懸命応援してくれる 一生懸命オナニーするところを ときには複数の女性が視姦してくれる ああそうか 私は見られたいのか 私は見られたかったのか ここのところ精神的に忙しかったもんな ここんところ疲れてたもんな ここんところそれでも頑張ったもんな そうだ 私のオナニーを見てもらいに行こう 視姦してもらいに行こう と 思わず たかだかオナニーに 残り少ない大枚をはたくところで気が付いた 女がいないからオナニーするのであり 女がいるのなら風俗にいけばイイじゃないか わざわざ女性にオナニー見てもらう必要がどこにあるのか もちろんそおゆうプレイは好きなんだけれども 「気をつけよう 疲れてるときの 性欲連鎖」 血迷っちゃうからね。 金使っちゃうからね。 気をつけないと 気をつけNIGHT。
注射が好きです ぶっとい注射が好きなのです いえ 隠語でなくて ぶっとい肉棒注射を 私のアナルにねじ込んでええええ ってんでなくてね 例えば採決注射の場合 赤い血が 否 紅い血が それが自分が人間であることを 認識させてくれるわけで 仮性包茎でも プチEDでも チンコ小さくても 加藤鷹やチョコボール向井と 同じ血が流れているとわかると 少し勇気がでてくるのです 少しチンコに 自信が持てるわけですよ そもそも ここ数週間続くオカズ不足 夜のオカズ不足 に ともなうオナニー不調 不調オナニー 婦長のオナニー それは私の情緒の不安定 及び それからくる体調不良に拠るもの だと思い 否 そうだそうに違いないと疑いもなく だがしかし 本当にそうなのか 原因があれば結果があり 結果があれば原因がある だからこそその原因の思い当たるフシナンバーワンこそ 情緒不安定及び体調不良 そう思い込むのも仕方がなく 否 勿論何%かはその要因もあるだろう だがしかし かといって 不調オナニーを他人の責任に転嫁してはいけない 否むしろ 情緒不安定の体調不良というもの 社会的に言う ストレスというものなのだから ストレスというもの 社会で生活している以上 多少の軽減はするものの 完全消滅というものは難しく だからこそ 全ての責任をけして無くなることの無いストレスになすりつけると 2度と脱出することのできない無間地獄に陥りかねないので むしろ 隊長が不調なら 今度は隊員達がサポートしてやらねばならず それでこそ チームであり 隊長が婦長なら 隊員はナースで 退院は許可できますか先生 って 何の話だ ともあれ その要因の可能性を残しつつも 他に 原因はないのか 全裸になり 座禅を組み チンコの皮を引っ張って さあみんなで考えてみよう そもそも 興奮のメカニズムは 非日常にあり つまり 普段は下着や洋服で隠されている女性の身体 また一糸まとわぬ姿を見せてくれるのは 心を許した あるいは 高額なお金を支払える ごく限られた一部の人間限定であるという社会風潮から デートや駆け引きなど 紆余曲折を経て たどりつく女体 そう簡単に手に入らない非日常 であるからこそ男は興奮し 逆もまた真なり 女はじゅんっとなるわけで がしかし 幸か不幸か 日本はAV先進国であり 欲すれば 安価で女性の身体を観ることができる ただ手で触れることはできないのだけれど しかしばがら 興奮する為には視覚というのも重要な要素であり だからこそ視姦がときには興奮したりするのだが ともあれ いくら非日常であれど それを毎日繰り返せば それはやがて日常となり ともすれば 人間とは愚かな生き物で 一度手に入れると ついそのぬるま湯にどっぷりと いつしかそれは慣れとなり 慣れのつぎには だれ がくる つまり 私のチンコも AVを観過ぎるあまり 女性の体に慣れてしまい 挙句 女性の体に だれてしまっている と考えられるわけで 勿論 AVの醍醐味は女体だけではなく 女性の喘ぎ声や喘ぎ顔 女性の着衣及びそんな顔して大胆な下着 あられもない姿 潮吹き挿入姿 女性の様々な姿を発見することができ AV自体を否定するものではなく ただ ただ 一度チンコがだれてしまうと 視覚のみでは なかなか興奮はおぼつかないわけで じゃあじゃあじゃあじゃあ ではではではでは 庭には庭のニワトリがいるように AVを観なけりゃ 女体を 日常から非日常に戻せばいのではないか といった概念は 病気になったらただひたすら投薬の 対処療法でしかなく 日本古来の伝統臭いものにはフタ主義であり 仮に AVをしばらく休止して チンコが元に戻ったとしても それは一時的なもので 風邪と同様に また近い将来 同じような状況になるに過ぎないのであり そもそも オナニー不調でありながら チンコ不調でありながら でわ何故 オナニーを続けるのか それは ハッキリ明確とした性欲が 私の中に私の股間に存在するからで また AVを観たい なんなら本物の女性とも性行為したい それが叶わないなら やはり AVを観たい 女体が観たい という明確な意思がチンコにあり そのくせ 不調であるから こうした精神スパイラルに陥っているわけなんだよ さて 暖冬のわりには なかなか朝晩の冷え込みは厳しく 異常気象を二酸化炭素にのみ責任を押し付けて と思えば 5月でありながら 大阪では日中の気温が30度を超える真夏日になり 暖かく いやさ 暑くなれば 青姦の季節 否 薄着の季節なわけで 薄着になると 分厚いコートで隠された ボディーラインや 下着のライン ときには下着そのものが露出され つまり 女性とはいえ 全ての女性には 色は違えど乳首があり カタチや大きさは違えど尻があり それを覆っている下着があり そしてその中には おまんまんさんがあり クリトリスがあり ビラビラがあり それを覆っている陰毛がある これこそ 神が与えたもうた唯一公平な要素である つまり 女体が日常であるからといって それを拒否するのではなく 日常であるからこそ 忘れがちなその魅力について 考える必要があるのであり 何故 女性のおっぱいは 誰しも膨らみがあり そして柔らかいのか そしてスイッチのような乳首があるのか グミのようなフグのような食感があるのか 何故女性の尻には 流線型でハリがあるのか 触っていると飽きないのか 否むしろ 乳首はそんなに感じるのか れろれろするのがいいのか 噛むのがいいのか 否むしろ 尻はまず触る前に叩け それから舐めまわせ つまり キレイなあの娘も ブサイクなあの娘にも やさぐれたあの娘にも ワイルドなあの娘も しわがれた熟女にも 女を捨てたはずの熟女でさえも 誰にでもあり 誰にでも感じる 誰にでもあるからこそ 変態だろうが 犯罪者だろうが 小市民だろうが 同じ人間だと共感する そして共鳴するわけで つまり 私は 否 私達は 我々は オナニーしているのではない 誰にでもある 誰でもある おっぱいや 乳首や 尻や おまんまんさんや 女体全て そういったもののおかげで オナニーさせていただいてる 常に 感謝と ありがたみを忘れず 女性の身体で 女性が様々な事情でAVに出演してくれたおかげで オナニーさせていただく そおゆう気持ちこそが ストレスの多い 現代社会には 必要なのでは ないのでしょうか。
もとより 幼少期より神経性の病気や またフリーター期における 社会や家庭や人間関係など様々な障害により 情緒が不安定になったり まあ思春期やモラトリアム期に多くの人間がそうなるように 私も例外なく 心と体調を崩したこともあるくらい こう見えても繊細なんですよ でもね そんとき思ったのはね 例えば まだ来てもいないない未来に対する不安や アカの他人に振り回されることのイライラ そおゆう直接的起因が自分にないことで 自腹で医療費を払う事が あまりにも馬鹿馬鹿しく だからこそ 未来に対する不安はその未来が来たときに 他人に振り回されるのはその瞬間だけと割り切り プライベートな時間を 自分の為だけに使うことで いつしか 周りから強い人間だと言われるようにもなり また悩める少女達にも 気の持ちようだとアドバイスしたりしていたのだが つまり 未来に対する不安と言うものは まだ対処法が有る訳で えー 私 詐欺にあいました うん 詐欺です 勿論 金額にすれば そんな大した金額ではないんですが 勿論 警察沙汰になるほどのことでは ないと思うのですがたぶん こう見えて アタイ社会人で 会社員で つまりリーマンであるわけで 入社以来 何年も昇給も賞与もなく 安倍が実態がないという理由で 格差社会の概念から打ち消した 所謂ワーキングプアであるわけですが 先日 雇用主から 残業代を払わない旨を通告され まあその時点で詐欺なんだけれども その際にその代わり 全員の給与を見直す旨を通告され 個人面談に至ったわけで で 雇用主より お前はよく頑張っている 技術も立派な一人前になった だから昇給してやる と各種手当の金額を提示され 総額で5万近くもの昇給を提示され まあ今まで昇給がなかったのだから それに残業代もカットされるのだから それくらいの昇給も当然と言えば当然であり まあどうせ転職活動中の身であるし 忙しくなる前には退社する算段であるのだから まあ 承諾したわけだ で 給与改定後の初給料で明細を見て驚いた 先月と たいして変わらない 何が 給料が 明細を過去の明細と比較してみると 確かに 提示された金額ぶん 手当てはついているのだが その代わり 今までついていた手当てが スッポリまるまる跡形もなく消えていたわけで トータルすれば 数千円ていどしかアップしておらず 早速 雇用主に抗議したところ 給与見直しだから今までのぶんを 一旦ゼロに見直し そこから手当てをつけたのだとのたまう そんなバカな 手当と言うものは 現時点の給与からプラスされるべきものであり そもそも今までの手当てがなくなるという 事前説明がまったくなされておらず これは明らかな詐欺であり異常事態である旨を宣告すると 我が社は労基法に沿って 他社よりも高い水準で算出している などと何の根拠もない理由で逆ギレされ アップしているとはいえ 5万円が数千円なんてその差額は大きく しかも散々誉めておきながら 雇用主がその程度の増額を認めれば認めるほど 私からの信頼がなくなるということに気付いておらず まあ最初から信頼なんてないんだけれども ひたすら雇用主が如何に社員の事を考えているか GW明けに行く海外出張と言う名の 家族旅行の準備を去れながら説明している時点で 如何に社員の事を考えていないかが明白で或るわけで もはや 怒りを通り越して 辟易してしまい もう 怒りを通り越して あきれ果てるどころか なんだか哀しくなってなってくるのは 勿論 そんな会社に対しての怒りはある だが 私の中にある怒りが 雇用主に対してのものなのか それでも格差はないと言いきる阿部に対するものなのか 給与に異論を唱えても何の仲裁も手助けもしない上司に向けてなのか そんな会社を就労期間に無職と言う空白を作ってまでも 辞表を出せない自分に対してなのか 或いは それ全部なのか もはや 混乱しておる そんな GW 皆さんいかがお過ごしですか 先に挙げたように 私は混乱しております 勿論 そんなときには 好きな映画を見て 好きなものを食べて 好きなAVでオナニーをして なんとかやり過ごしてきたのだけれど さすがに チンコも混乱しているのか 不調気味である 何が オナニーが どんなに心が病んでいても どんなに傷ついていても 女にフラれたときも じーちゃんが死んだときも 文字通り慰めであったオナニーが どうにも不調なのだよ 勿論 希代のオナニストである以上 なんとか勃起させて発射には至るのだけれど 気持ちがノラない オナニーに集中できない 勿論そんなときの対処法はある 目先を変えて オーソドックスならマニアモノに マニアなら逆にオーソドックスに チンコの矛先を変えてみるのだ だが 好きな女優を見ても 素人モノを見ても 女子校生モノを見ても コギャルモノを見ても OLモノを見ても 人妻モノを見ても 熟女モノをみても SMモノをみても レズモノを見ても 萌え系を見ても 痴女モノを見ても 乱交モノを見ても ニューハーフやゲイモノでさえも 俺のチンコは OKサインを出しやがらないのであり ほとほと困り果ててしまい じゃあじゃあじゃあじゃあ 生身の女でとも思うのだが 風俗に 行きたいときに 金はなし コレ実に真理であるわけで じゃあじゃあじゃあじゃあ この事態は俺のチンコの責任か 俺の精神的混乱こそその原因か ノン ともすれば ある程度フォーマットができているAV そのフォーマットに出る女性のタイプを組み合わせて 構成されているAV もはやそのネタは枯渇した感があり ハリウッド映画のように なかなか斬新なAVというものが 生産されていないのもまた事実 だがそれを非難するのもまたお門違いも甚だしく 毎月何千本もの作品がリリースされ 毎月何千本もの作品が廃棄されていく 名作と言われる作品でさえ 数ヶ月後には消えて行く そんな流動甚だしい世界で 新企画新機軸を時間をかけて制作されるわけもなく 多くの斬新な企画と言うものは 乱立する数多くの作品の制作過程で たまたま生まれたに過ぎないのだけれど いやなにも AV業界の現状を語りたいのではない 問題は 俺のチンコは 何に欲情するのか それが ここ最近の大命題であるのだけれど とある アダルトサイトで見つけたサンプル動画 メイドさんのゴスロリ服に チンコを委ねようとザッピングしてましたところ とあるアニメのキャラらしきお面 勿論 アニメキャラのコスプレは今までにあった だがしかし そのお面とも言うべきマスクは 例えばプロレスラーのような 顔面にフィットするようなマスクの類ではなく 中華街で売っているような 往年のタケシがひょうきん族でかぶっていたような あるいは ヌイグルミショーなんかで使用するような 人間の頭部より 遥かに大きな仮面 それを被って下は素っ裸 それだけでなく 喘ぎ声は 仮面をつけた女優のものではなく わざわざ声優でアテレコしている非常に凝ったつくりであり それを見た瞬間 勿論 非現実的な仮面と言うものにも さらには なのに下は素っ裸というシチュエーションにも 興奮したことは興奮したのだが 女優でありながら 顔を隠され 拘束され 潮まで吹かされておきながら あまつさえ 声まで消されている 女優でありながら 否 人間としても 判別法とも言うべき その命とも言うべき 顔と 声が 否定され それでも身体は反応し 潮まで吹いている その 女優の 胸中を察するや 私のチンコの混乱や 私の給与の問題など大した問題でなく 人間である事まで否定され もはや発射の為だけの肉奴隷と化した 彼女の姿に 私は 深い哀しみ AVに出るが為にここまでされないかんのかと そこまでしないと金が稼げ無いのかと セックスすら満足にさせてくれないのかこの国はと 社会を憎しみながらも 興奮した 興奮しました その 犬死にとも言うべき 顔も声もわからないその女優に ただせさえ 数多くの女優が毎月毎年デビューし 誰の目にもとまらず消えて行く中で さらに顔と声が消され 誰の記憶にも残らず消えて行く その特攻精神とも言うべき 無駄 無駄さ加減こそ 私のチンコを刺激し 結果 GW終盤にして ようやく大放出大発射でございます たとえ 不安や他人からの攻撃や 打破できない現状に 傷つき悩み ときには自らをも傷つけ 独り涙で枕を濡らす夜があったって 世の中広いもので 下には 下がいる 下には 下がある たとえ 13階の屋上から飛び降りたくなるほどの 状況に追い込まれたとしても それよりも 悲惨な状況下にある人が何処かにいると思えば まだ心に救いが出きることも その救いこそ 精神的な病から立ち直るきっかけともなることを 私は 思い出した 勿論 健康な男子であれば誰しも 人生の節目節目に あるいは人生の分岐点において 思い出に残る あるいは勇気付けてくれた 書物や音楽やAVがあるように 私にもあるわけで そう言えば 20年近くも前になるだろうか オナニーを覚えてまだ間も無い頃 つまり 小学生だか中学生だか まだ青臭く女性との経験すらなかった ルーキーオナニスト オナニストデビュー時の頃 クラスメイトから周ってきたAVには 女優全盛時代にはまだ珍しい素人モノで 一見 どこにでもいる 大学だが短大だか卒業したてのOL 清楚なOL 監督はその女性の家で部屋で撮影をしたいと言う 世はバブル末期の華やかりし頃 さぞ ゴージャスな部屋で 脳天気な性行為を見せてくれるのだろうと しかし 彼女は尻込みしている しかし お金が欲しいんだろうと監督の説得により いざ鎌倉 いざ彼女の部屋へ その道すがらインタビューしていた監督の表情が 少し曇る 彼女が私の部屋だと指差した方向には およそバブルとは似つかわしくない 古ぼけた古びた安アパート その錆びて今にも外れそうな階段を ギシギシ言わせて登った一室に彼女の部屋があり 中に入って さらに監督の表情が曇る イエス 部屋の中には 足の踏み場のないほどのゴミの山 今であれば ADDとかADHDといった病名が付くのだろうが 当時はバブル末期 片付けられない女に監督は それでも1枚のせんべい布団を敷き セックス開始 安アパートのせいなのか 周囲に声が漏れないよう声を押し殺すOL そんな状況下においても 自分の仕事を全うする男優兼監督 様々な思いとそれでも快楽におぼれる羞恥が ゴミ屋敷と言う状況が更に増幅させ つまり バブルの闇とも言うべき OLとゴミ屋敷のギャップ だからこそ身体を売ってまでも金を得ようとしたOL そんなOLを容赦なく同情心も抱かず抱いた監督 子供心に 私は大人の嫌な所を見た思いで一杯であると同時に そんな状況下での性行為に 気付けば 大放出大発射 そんなOLも 今の私よりかは切迫してたのかもしれない 今の私の状況の方が まだマシなのかもしれない 好景気だ好景気だと 晴れやかな時代の裏には その犠牲ともなった闇が 必ずある きっと 誰の目にもとまらず 忘れられて行ったそのOLと 大きなマスクで声さえも否定された女優が その後 どうなったのかは知らないし どうなろうと 私の知ったこっちゃないのかもしれない ただ ただ私だけは 名前も正式な作品タイトルやレーベルでさえも知らないが そんな女性達に勇気付けられたし またそんな女性達も どれだけの人間が癒されたかなんてことは 知る由もないし 知る必要もなく ただ メデイアでセックスをして それを見て救われた人間が少なくとも存在し その事実だけでも 彼女達の人生には意味があり そう考えると 私のこの給与詐欺事件を読んで 短小で 仮性包茎で 早漏で プチEDで 給与詐欺の会社に働いている この私を見て こいつより まだマシだ と思い生きる希望を持ってくれたら 私はチンコの皮を引っ張りながら 昔のAVもいいもんだと 私のオナニーは人々の救いだと 私は少し チンコを握りながら 嬉しくなるのです。
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