BLUE WATER
ひなが思っていること、思ってきたことを素直に書いています。
日記って言うより、つぶやきだったり、詩だったり・・・

2002年07月02日(火) 変わり果てた姿。

夕方両親と一緒に祖母のとこへ行った。
車で1時間くらいの場所。
行くと伯母さん達と姪っ子がいた。
昨夜からずっといるみたい・・・
で、祖母と対面するのに手を洗って、消毒してその部屋に入った。
中は広くたくさんの看護士さん医師の人たちが働いていた。
そして患者さんもたくさんいる。
「1人ずつ、お会いしてください」と言われ、母が先に行った。
しばらくして帰ってきた母の姿を見て、ただ事でないことを知った。
次は私、格好的に子供だと思われたのだろう、父と一緒に行った。
そこにはテレビで見る機材にいっぱい埋もれた変わり果てた祖母の
姿があった。
心電図、呼吸器、点滴などたくさんつけられ、もう意識も
ないのだろう。
目も自分で動かす力がないので、開いて乾かないようにとテ-プで
ふさがれていた。
呼吸ももう自発的には出来ないのだろう、機械によって無理やり
させられている、そんな感じさえした。
自分の知らない老人の姿があった。
元気な時とは全く違う、哀しい姿。
働いてた時に見たことのある患者さんの姿、母方の祖父の姿、
思い出してしまった。
昨日まで元気だったのに、手術をして「3、4日見て大丈夫でしょう」と
説明を受けている間に様態の急変。
確かに様態の急変は多いことだ。
この目で数え切れないほど見て来た。
が、それが身内となると信じられない・・・
この様態がいつまで続くのだろう。
長引くのは嫌だ、家族として元医療従事者としてそう思う。
回復に向かうのなら良いけど、あんな姿を見るのは辛い。



2002年07月01日(月) 祖母。

さっき実家から「祖母(父方)が心筋梗塞で倒れ、病院に運ばれた」と
電話があった。
実家の2組の祖父母は、父方の祖母しかいない。
母方の方は、結婚前に2人とも亡くなって、父の祖父は父が小さい頃に
離婚をして、ずい分前に亡くなっている。
なので、私自身には3人の祖父母の記憶しかない。
母方の2人は実家のすぐ近くだったので、会おうと思えばすぐ会える距離
だった。
しかし父の方の祖母は、同じ市内とは言えども車で行かなければいけない
場所にあった。
その上、正月、盆くらいしか行かないし、あることで我が家ともあまり
行き来しないようになってしまった。
今は違う市に住んでいる長女、次女、そして次女の娘の女ばかりの4人で
暮らしている。
なので余計に今は会うこともなくなってしまった。
心筋梗塞だから手術をするのだろう、しばらくは母と一緒に病院に
通わなければいけないかな・・・
母は一応長男の嫁だし。
身内の人には、いつまでも元気でいて欲しい、母方の祖父母を亡くした時に
そう思った。
またあの時の辛い想いはしたくないな・・・


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