小さい頃から新婚旅行では絶対ギリシャかエジプトに行きたいと思っていた。 じゃないと他では行けない気がしていた。 父の影響でギリシャ神話やエジプトの遺跡に興味があったので、いつか自分の この目で本物を見てみたいと思っていた。 が、短大時代語学研修で行ったハワイでダイアモンドヘッドを登った時 旦那さんになる人に、この景色を見せてあげたいと思い、それ以来ハワイに しようと思った。 実はその語学研修、私にとってはとても悲惨な思い出であり、憧れの場所で ありながら、帰った直後は2度と行きたくないと思ったほどである。 で、唯一の楽しかった思い出が研修で教えてくれた先生達の登った ダイアモンドヘッドから見た風景が、テレビや雑誌で見た風景そのものだった と言うこと。 苦労して登ったから余計にきれいに思ったのかもしれない。 でも頂上に立って海を見下ろした時、「いつか旦那さんになる人に見せて あげたい」そう思った。 それから4年後に新婚旅行で、ハワイに行ったのだが、現実決める段階で 迷ってしまった。 やっぱり憧れのギリシャやエジプトをそう簡単には捨てきれなかった。 旦那様になる人も、話してるうちに「ピラミッド見たいかも」とかどんどん 乗り気になってくるし、そうなるとどこが良いか選べなくなってしまった。 が、結局予算と飛行機に乗ってる時間を考え、相手が「ハワイにしよう」と 決めてしまった。 確かに予算は・・・高い。 飛行機だってえらく乗ってる・・・ 相手は飛行機が嫌いなのだ。 その時点で私はギリシャとエジプトに行くチャンスを失ってしまった。 まぁ、でも最初はハワイに行こう!!!って盛り上がってたのは私だし、 ダイアモンドヘッドから見える風景がきれいなのよ-と言って、その気にも させたし。 ・・・が、結局新婚旅行では、ダイアモンドヘッドには登らなかった。 途中までツア−の車で連れて行ってくれたんだけど、結局自力で今度は その場所に行かなきゃいけないってことで、拒否してしまった-。 旦那様には「連れて行ってくれるって言ったのに」と散々言われてしまった。 なので、「じゃぁ次の時ね」と。 ・・・で、また登らなかった(笑) この時もイヤミを言われた。 早い話前回同様行く手段が自力ってとこが嫌だったの-。 あのバスに乗らなきゃいけないのが、嫌なの。 なので、次に行くことを決めた時、ダイアモンドヘッドまで行く手段がある トロリ−があるツア−にした。 毎度行くたびにとても気になっていたトロリ-で、それはそのツア-の人しか 乗れないもので、結構あっちこっち行く手段になっている。 で、やっと3度目にしてダイアモンドヘッドに登ることが出来た。 おかげでかなり満足してもらえましたが!!! 本と辛い分、達成感はかなりのものです。 絶対ハワイに行く人は、登るべきだと思うけどな(笑)
昨日チビたちを抱っこしたりしたので、腕が痛い(笑) 挙句にご飯作ったり掃除したりしたのがたたったのか、 ものすごく疲れ果ててしまって、旦那が仕事に出掛けて また眠ってしまった・・・ それも12時過ぎまで1度も目が覚めなかった-(笑) はぁ、本と疲れた-・・・ 人呼ぶってことは結構疲れるもんなのね、って身にしみましたわ。
今日は雨が降るって言ってたのに、やっとさっきから降り出した。 はぁ来週1週間は雨らしい・・・ 雨の日に外出るのは嫌だな-。
今日、友達が子供を連れて遊びに来た。 8ヶ月の子と、9ヶ月の子。 以前勤めてた職場が同じで、結局彼女達はすぐ辞めてしまったけど ずっとご飯を食べに行ったり、彼氏・旦那の文句を言ったりしていた 仲間。 同級生の子と2つ上の先輩。 2人とも出産のお見舞いに行った時以来だから、久々。 子供も1人は初めて見る。 かわいい-・・・ 私は結婚してもうすぐ5年になるけど、まだ子供はいない。 決して子供が嫌いな人ではない。 むしろ大好きな方・・・ 結婚しての年月や、年を考えると周りから否応なしに子供のことは 言われる。 現に以前いた職場でも言われつづけ、それが理由の1つとして辞めたくらい。 友達の子供やテレビで見てると、かわいいな-って思う。 欲しいとも思う。 でも現実は・・・ 1番子供が欲しくなる時は、どれだけ抱っこしたり遊んであげても、 子供はいざとなると母親にすがりつく・・・ その姿を見たとき、自分がとても情けなく映る。 まだ区別とかわかんない時期でも、母親に抱かれると泣き止む。 それが友達だと余計に、そう思う。 そんな気持ちを知ってか知らずかある友達は、わざと抱きかかえたりすることも ある。 どれだけ欲しいと思っても、その工程に進めない自分がもどかしい。 気持ちと裏腹に、体が拒否してしまう・・・ そんな自分が悲しくて、辛くて情けない。 友達に会えるのは嬉しいけど、そんな光景を見るのが辛くて、帰りを見送った あと、ため息をついてしまう。
久々に日記を書きます。 パソつついてるとイヤナコトが目に付いて、何だか書くことが 嫌になってました。 でも久々に書こうかな-・・・って。
この土曜に旦那様のおじいちゃんの1周忌がありました。 去年のこの時期はお葬式が続いて、旦那様の会社の後輩くん。 おじいちゃん、階下のおじいちゃんと1ヶ月に3人も亡くなりました。 後輩くんは旦那様が仕事を教えてた子で、まだ20代前半。 なのでとってもかわいかったみたいで、悔しかったそう。 旦那様のおじいちゃんが水曜日に亡くなって、階下のおじいちゃんが亡くなったのは、その翌週の水曜日。 本とに喪服の絶えない1ヶ月。 なので、この土曜そして今度の日曜は後輩くんの1周忌。 また哀しい日が続きます。
人が亡くなるたびに、いろいろ考えることがあります。 仕事柄人が亡くなることには、普通の人より慣れていた日々。 そんな日々が7年間続きました。 その頃は哀しいと言う感情が消えてました。 当たり前のことのようになっていて、「早く済ませて次の仕事を」 そんなことすら考えていました。 その仕事から離れて約2年・・・ やっと哀しいと言う感情が戻って来ました。 そんな中でふと忘れかけていたある人の『死』を思い出しました。
まだ私が短大時代のことで、初めて身近に感じた『死』 小学校の時に英語を教えてくれていた大学生のお姉さん。 習っていた塾に先生としてアルバイトしていた人。 偶然にも叔母の同級生の人の娘さんで、母など知っていた感じ。 そう言うことで、その後のことなど何となく知っていたが、彼女の最後を ニュ-スや新聞で聞くとは思わなかった。 彼女はお父さんと同じ教師の道を選び、地元より少し遠い場所にいることは 聞いていた。 が、その地で殺されたのだ。 その場所は私が通っていた短大の近くだった。 犯人は捕まり、それなりの理由はわかったみたいだが、初めて聞いた瞬間 自分の中で抑えられないほどの怒りと哀しみを覚えた。 何の罪もなく、犯人とも面識のない彼女が何故殺されなければいけないのか、 犯人が障害を持った人だったために、あまり深く追求されないことに対して しばらくは何とも言えない日々を暮らしていた。 が、時がたち働くようになり、毎日が忙しくなると段々彼女のことも思い出さなく なってしまった。 しかし、今彼女を思い出すことが多々ある。 遠い昔なので、彼女の姿や声など全然覚えてない。 でも彼女のことは忘れてはいけないような気がする。
改めて人の死を考えると、いろんな『死』にたずさわったことを思う。 誰にも看取ってもらえなかった人、たくさんの人に看取ってもらえた人、 亡くなったあとまで問題を残した人・・・ 彼女を含め、たくさんの『死』を見てきた。 私の中でそれらは考えさせられるものばかりで、これからもずっと考えていかなければいけないものだと思う。 感情をなくした7年間・・・だけど、本当は感情を植え付けるための7年間だったのかも知れない・・・
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