あやのLA Diary
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2004年05月31日(月) Memorial Day Weekend にポルシェ3時間耐久レース

遅れに遅れてる日記でございます。言い訳なしね。。
もういっそ現在時間で書いたろかとも思っていますが、アメリカの5月最終週末はMemorial Day Weekend(戦争記念日)で、イベントがめじろ押しでしたので、ちょっと書き記しとこうと思います。

多くのアメリカ人は友達同士や家族で集まってBBQをしながらTVでゲームを見たりするのですが、モイエスが親友でお巡りさん(前にも登場しました。)のマイクのポルシェの3時間耐久レースのピットクルーをする事になったので、私達はLAから1時間半来たへ向かったButtonwillowと言うレースサーキットへ出かけました。とってもいい天気だし、1時間半のドライブ。コブラで出かけましょう。

行きは長〜〜〜〜い登り坂。サイドにはオーバーヒートで止まってしまったらしい車が随分見当たりましたが、コブラはへっちゃら。450馬力ですいすい登って行きます。気持ち良い〜〜。



お昼は、Freewayを降りたすぐ近くのInternational House Of Pancake(通称IHOP)で私はBuckwheatのパンケーキを、モイエスはPatymelt(パンにバーガーミートが挟んであるもの。)を頼んで食べました。美味しかった〜〜。

食事後、Drive再開。10分くらいでButtonwillowへ着きました。
皆んな揃って打ち合わせと顔合わせをして、ピットに入ります。まあ今回は小規模なレースで8月に行われるThunderhillで行われる24時間耐久の練習なので本格的ではありませんが、チームにとっては記録を取る大切なレースです。いつもはにこにこしているマイクの表情も真剣になって来ました。

さてスタート!!マイクは絶好調。今回のレースの主催チームはAlfa 。マイクのクラスはこのAlfaとViperに勝たなければいけません。Alfaは敵にはならないですが、Viperがあなどれません。。
マイクとクルーチーフはワイヤレスで緻密に連絡を取り合っています。ピットインのタイミング、他の車の状況の詳細を伝えていました。

1時間の後にピットイン。




ボディースーツを通す水を変えたり、エンジン、タイヤをチェックしと5分間(規定)がとても短く感じられます。ピットクルーはもちろんレーススーツ、ヘルメット着用。なんとも暑そう。。ブルーがモイエスです。似合うんだ、これが。ウルトラマン体型を強調するみたいで格好良い事。。もー。

マイクの奥さんと二人の可愛い娘達も応援に来ていました。すっごく可愛。1歳と3歳ですって。そこらへん駆ずるわ、泣いちゃうわ、まあ奥さんは大変そうでしたが。3歳の子はとてもひとなつっこく”トイレに連れて行って”と本人に頼まれ”いいよ”と答えると自分から手を繋いで来てちょこちょこ歩くんです。座っていると私の膝の上に座りに来たり。可愛過ぎ!

3時間もの間、神経を集中させて同じコースを廻るってとても大変そうです。
ちょっとしたミスが事故にいたったり、抜かされてしまったりするのも分かります。

Viperが不調により5回ピットインしたりとアクシデントが続き、結局マイクはクラスで一位でした。素晴らしい!!
最後の方ではタイヤがいかれてしまい、

こんな状態でしたが


なにはともあれめでた〜〜〜い。




マイクは娘に”Daddy,you did great job!"とキスされ、でれでれになってました。
さてさて、この後BBQが用意されており、皆んなでテーブルを囲んでお食事。
モイエスはもう次のレースの豊富を既に語り始め。。。まあ彼らしい。

ピットを間近で見れたには初めて。小さいレースでしたが、テンションが張りつめており、やはり真剣勝負なのは一緒。何よりもマイクが勝ってくれて嬉しかったし。クルーとして素晴らしい仕事をしたモイエスに拍手〜。(適役らしい。)とてもエキサイティングな1日でした。


2004年05月25日(火) 宝物な人達

なんだかもう収集がつかなくなっちゃうくらい遅れてるこの日記です。
いい加減良い訳から始まる日記よそうよ。。
現在6月2日になってしまっていますが、一応書くスペースがいっぱいあるし、先週なんだか色々あったし。。という事で今すこしずつ頑張って穴埋めをしているというところ。

この頃、懐かしい人が電話をくれたりメールをくれたりという、いわゆるReunionの時期みたいで、ボストン時代からの友達は第一子誕生の報告のメールをくれたり、2年前くらいにつきあってた人から突然電話がきたり、(それもえらい上機嫌で世の中にたいする不平をたれていた。なんだかいつも唐突でよく分からん奴なのです。)長〜〜いつきあいのMusician友達がツアー先から電話をくれたりと(それもEarth Wind &Fireのバンドに入ったと。わーー。Guitar Playerです。日本にもツアーに行くので宜しくしてあげて下さい。名前はVadimといいます。)、こんな時期もあるんだなあって不思議に思ってしまった。。。電話が全くならない週もあるのに。
私の真ん中の妹も私の日記の更新の遅れっぷりを見て、心配(っていうか飽きれてたのかもしれん。私三日坊主だし。)してメールくれました。彼女とは最近お話してなかったので、近況報告をし合ったり。

やっぱり神様がコネクションを大切にするように知らせてくれてるのかな。
私は自分の世界にどっぷりつかってしまうタイプなので、外界からのコンタクトをシャットアウトしてしまいがちなのです。まあ妹とは良い距離と関係が保てているのでここでは問題外ですが、やはり友達となると大切にしなくちゃいけないよなあ、、と思ってしまう今日この頃。
私、もとがもの凄くいい加減で、縁があれば頑張らなくても繋がるだろうと考えてしまっているので、気が付いてみると廻りに誰もいなかったりしてしまう状況もしばしば。それはそれで寂しいのだけれど安全だったりして。
人間関係って難しいようで簡単なようで、やっぱり難しい。

何が嫌かって人に自分を合わせる事が嫌って時ありませんか?相手の時間に合わせて自分の生活を変えなければ行けない事とか。起きる時間を早めたり、しなくては行けない事を放っておいてでも相手に合う時間を作ったり。
考え方が違う人と一緒にお話していて、ストレスに感じちゃったり、したくない事を断らなかったがためにしなくてはいけなくなっちゃったりとかね。

これが重なると誰とも喋ったりコンタクトを取ったりしたくなくなってしまう、もう泥沼に片足が入っている状態なんです。

自分がもっと簡単になれれば一番なんでしょうね。
怒ってストレスを作るのも自分。プレッシャーを作ってがんじがらめになるのも自分。それを"Pleasure"に換えられるのも自分なのも分かってるんだけど。。

で、最近決めたのは、はっきり意思表示をしようって事と、正直に友達(だけじゃなくて、皆んなとだな。)とつきあおうって事、そして私のする事を優先させる事、なんです。
全て”頼まれたから”とか”しょうがないから”、じゃなくて”自分が出来るから”とか”やりたいから”するんだって事。
わざわざ口に出さなくても分かっていれば簡単な事なんだけど、私にとってはとても大変な事だったりして。

こんな私を理解してくれて、大切にしてくれている友達、家族(モイエスも含めて)は本当に私の宝物です。”元気か〜?””家にばっか籠ってないで、コーヒーでも行こうよ””Recording、頑張って始めましょう!””皆んな集まってるよ、おいで!”って電話くれた友達、有難う〜!”忙しいの?”って心配してくれた妹、有難う〜!
皆んな愛してるよ〜〜。





2004年05月21日(金) またまたまたIrwindaleへ

昨日はお仕事もなく、何をする予定もなかったので一日中モイエスのShopで遊んでいました。そして午後になって、彼が現在手掛けている66’MustangのパーツをピックアップしにLA郊外にある"City of Industry"というところまでドライブへ行くから”一緒においで”と言われて”勿論”と髪を後ろで束ねて(そうしないと高速ドライブ中に髪が顔に当たっていたい思いをする事になるのです。。)早速乗り込みました。




今日のLAはこんな感じ。からっと晴れていていい気持ち。ドライブ日和です。ところが郊外に入った辺りからまた渋滞が。。”しょうがないし、お陰でゆっくり二人でお話できるよね。”とモイエス。まあそうだね。。
そこで彼が私をエンターテインするべく大声で歌を歌い始めました。
彼の歌は上手いんです。(大きな声で。)shopにいても作業をしながらいつも大きな声で歌っています。本当は彼は本職で、元JourneyのボーカリストSteve Perryのバンドメンバーだったのです。このソロアルバムでモイエスはドラマーとしてだけではなく、ボーカリストとしてもクレジットされているんです。おそらく皆さん聞いた事があると思う曲が沢山入っている私も大好きなアルバムです。
大きな声で歌ってくれると私も大きな気持ちになります。神様は本当に二物以上の才能を彼に与えたのねえ。。。

まあそうこうしているうちにCalifornia Mustangへ。




ところが!!我々着いたのが5時丁度だったのですが、その店は5時閉店と言う事で全員もう帰ってしまった後だったのです。なんともアメリカらしい。。しょうがない、私が明日出直す事になりました。モイエスはまたLarry Carltonのギグで明日はFloridaに出発してしまうのです。。

しょうがないなあ。それじゃ近い事だし、またBenのレースを見にIrwindaleにでも行こう!と言う事でそこから20分程ドライブでしてDrag Raceを見にいきました。でもあれ?Benの車はみえども姿は見えず。。。おや?ま、そのうち会えるだろうとグランドスタンドへ向かったらBenの姿が。今日は息子連れなので観戦Onlyと言う事。じゃあ一緒に見ようよと隣に腰掛け、よしよし。じっくり楽しみましょう。Benのガイドで早速観戦です。




"Aya,あの車速いからみてなよ”とBen。うわ、速い速い。空飛んでるみたい。何をどうしているのかは相変わらず分かりませんが、とにかくBenのお友達だそうで、凄まじく速かった。それをみていたモイエス。”自分も出たくなってきたなあ。。”と。だから言ってるんじゃん。やろうよ〜〜。
そんなこんなでBenは息子さんを連れて早めに帰ってしまい、私達も明るいうちに家へと戻りました。
なんだかまた面白い1日を過ごしました。


2004年05月19日(水) 愛しのStevie

さあ、とうとう我が愛しのStevie Wonderについて書きましょう。
(日記じゃないけどね。)


私が一番最初に買った彼のアルバムは”In squre circle”でした。彼のバイオグラフィーによると85年リリースだそうです。
おそらく高校生か大学に入った頃、ちょうど洋楽への憧れが強くなって来たある日、FM Radioで"Part Time Lover"を聞いて彼の声が好きだったのと、リズムの乗りが良く、これはアルバムを買わなくちゃ!!とレコード屋さんに走ったのを覚えています。
家へ帰ってCDを聞いてぶっ飛びました。なんてダイレクトにメッセージが伝わってくるのでしょう。聞いた途端に涙が出てきました。一つ一つの歌詞の意味がとても重たいのです。
"I just call to say I love you"の歌詞を書いてみましょう。

No New Year's Day to celebrate
No chocolate covered candy hearts to give away
No first of spring
No song to sing
In fact here's just another ordinary day

No April rain
No flowers bloom
No wedding Saturday within the month of June
But what it is, is something true
Made up of these three words that I must say to you

I just called to say I love you
I just called to say how much I care
I just called to say I love you
And I mean it from the bottom of my heart

No summer's high
No warm July
No harvest moon to light one tender August night
No autumn breeze
No falling leaves
Not even time for birds to fly to southern skies

No Libra sun
No Halloween
No giving thanks to all the Christmas joy you bring
But what it is, though old so new
To fill your heart like no three words could ever do

I just called to say I love you
I just called to say how much I care, I do
I just called to say I love you
And I mean it from the bottom of my heart

I just called to say I love you
I just called to say how much I care, I do
I just called to say I love you
And I mean it from the bottom of my heart, of my heart,
of my heart

I just called to say I love you
I just called to say how much I care, I do
I just called to say I love you
And I mean it from the bottom of my heart, of my heart,
baby of my heart

どんな環境の元、そして別になんて事もない普通の日、この3つの単語がどれだけのパワーを持っているか、伝える事、そしてその言葉を聞く事によって心にどれだけのエネルギーを両方の側に与えるか。。ね。重たいでしょう。

その後色々な雑誌や資料から彼が盲目の人である事を知るのです。
人間の様々な感情やこの世の中で行われている動向に繊細で、言葉を選りすぐりメッセージを伝えている彼の背景が分かりました。

そしてこちらでプロとして活動するようになって、Top40やFunk Bandでお仕事するようになって、もっとFunkyで格好良い"I Wish"、"Sir Duke""Higer Ground"等を自分でプレイするようになり、Stevie自身のキーボード(Fender Rhodes)を勉強して、うわ〜〜、どう頑張ったらこんなFunkyに弾けるんだろうと特訓に追い込まれてしまったのでした。。。とほほ。。。
ましてや彼、Drumも誰よりも上手いし、歌いながらあれだけFunkyに弾けるなんて。レコーディングの仮録りは彼が全てDrumをplayしているそうですね。。(Songs in the Key of LifeのMakingビデオが出ています。アマゾンで見てみて下さい。実際にStevie叩いてます。)
こうして私はStevie狂になってしまったのでした。。
今では自分自身のバンドでもStevieの曲がやりたいが為にわざわざVocalistを雇ってしまう程なのです。。でも本当は彼のバンドに参加出来ればいいのになあ。。。私の周りには彼のバンド出身者が何人かいますが、皆んなどの人も彼の素晴らしさ、音楽性の高さを教えてくれるのです。



この"Songs in the Key Of Life"が一番彼の音楽に入りやすいと思いますが、どれをとっても本当に全てお勧めですので、もう言う事はないですが、一つ、チェックアウトしてみて欲しい歌詞をリンクします。
涙無くして読めない素直な美しい歌詞です。

Heaven is 10 zillion light years Away


2004年05月17日(月) おかえり

はあ。まだまだ追い着くのには時間がかかるぞ。こりゃ。怠け者は困るね。全く。

さて、漸くモイエスが帰ってきました。3時過ぎにLAXに到着予定だったのですが、それでは彼の仕事場に着く頃には4時過ぎでしまう。。で、朝早くからスタンバってなるべく早い便で帰るから。。との知らせが朝7時過ぎにあり、Seatleからだったら2時間なので乗る前の電話をくれるように頼んで待機していました。
結局は11時出発、1時半到着で、空港が混雑していたらしくなかなか出てこなくって私も結局1時間少しラゲッジチェックのところで彼のシンバルケース、スーツケースと一緒に待つ事になりました。”早く会いたいなあ”の気持ちに輪がかかったみたい。見なれた荷物はすぐそこにいるのに。。

”漸く降りれたよ〜〜。。”と電話がかかって来て5分後には肩からコンピューターバッグを提げた彼がこちらに歩いて来ました。お〜〜、ご苦労さん。長い週末だったね。

LAXを後にすると、モイエスは”今日は働きたくないなあ、家に帰ろう。”と言うので私はにやにや。だって一緒にゆっくり出来るのだもの。嬉しい〜。

まずはTrader Joesへお買い物へ。果物とワインを入手。
ここは独自のシステムを持ったマーケットで、新鮮な果物、野菜からお買得なビール、ワイン、ペットフードからドライフルーツ、キャンドルやら食器洗剤、冷凍食品までなんでも揃います。家から2ブロックのところにあるのでしょっちゅういってしまうマーケットなのです。
今回も買ってしまったのは通訳の先輩に教えていただたワイン。
一本$2、99で$7、8と変わらない(それより美味しいかも。)ワインがTrader Joe's オリジナルであるんです。私いっつも買いだめしてしまうんだけど。飲みやすくて一人で一本簡単に開いちゃいます。(あ、、秘密ね。)で、そのワインがこれ。。




是非試して見て下さい。日本からいらっしゃるお客さまや妹達にも勧めています。ワインボックスが安く入手出来るのでおみやげにも最適だと思います。最初に飲んだ時に先輩に”これ、幾らか分かる?”と聞かれ、私は少しワインの勉強をしているので”う〜〜ん。$10くらいかな?(本当は$8くらいだろうと思ったけど、それじゃ質問にならないだろうなと考え)と言ったら”$2。信じられる?”との事。びっくり!!
全然分からないくらい美味しい!お勧めです。

それを楽しみながらテレビを見たり、彼はウェブショップで車のパーツ等をオーダーしたりして、私は果物をサーブしたり彼の不在期間にした事や考えた事なんかを彼に伝えたりといつもより少しゆっくりの時間を楽しめました。
世界中の人に彼がどれだけ素晴らしいMusicianかを分かってもらえるのは嬉しいけど、一緒にいれないと寂し過ぎ。やっぱり一緒にいれて幸せです。
(っていつまでのろけてるんだろうね。)


2004年05月16日(日) Ellaの新しいお宅へ

そうだそうだ。忘れるところだった。
金曜日、Ellaの新しいLong BeachのコンドミニアムでHouse Warming Partyがあったのでお祝いしに行って来ました。
Long Beachのど真ん中。どでかいベランダからはQueen Mary号が右手に。目の前には綺麗にライトアップされた油田(?)が見えます。




これじゃ分からないかな。もうちょっと良いデジカメ欲しいよ。。ま、いいや。3BedroomでOceanview。1millionだって。ひやあああ。でも目の前のViewを見ると納得。これは価値があるかもしれない。
私達は相当迷って(番地が見当たらず、Patは行った事があったにも関わらず場所を忘れてしまっていたので逆方向をひた走った為。)時間がかかったので、着いた時にはもう家族の皆さんはとっくにくつろいじゃっている状態でした。
Ellaは私を見て”Oh~~My baby~~~”といつものハグとキスをくれた後、”どう?気に入った?July 4thには花火が目の前で見えるのよ。泊まりに来てね。”とぴょんぴょん飛び跳ねながら迎えてくれました。でも流石に疲れが見えます。何日もかけて引っ越し、掃除、新しいお家のデコレーションに取りかかってたのだもの。今日はゆっくり家族とくつろぎましょうね。
彼女は人をおもてなしするのが大好きなので、ホステスとして気を使ってしまうのです。私達にもワインを勧めたりBBQをサーブしてくれようとするので、まあ、座って座って。。彼女をなだめながら席に着かせました。

彼女の家族も皆顔見知り。近況を報告しあいながらBBQリブ、チキン、Beef Steak, 沢山のサイドディッシュ(カラーグリーン、ビーンズ、Mac'n Cheese,)山盛りのサラダ、ピーチコブレットがデザート。皆んなで新しいキッチンに備え付けの電子レンジの使い方に四苦八苦しながら銘々の皿に欲しいだけ取り分け、私は美味しい白ワインを飲みながら(BBQには赤の方が良かったんだけど、白ワインが驚く程美味しかったのでこれを続けて飲む事に。)食事を楽しみました。

こんな生活もあるのね。もしも私が1millionのコンドを買える身分だったとしてもここに住みたいと思うかなあなどと思いながら、ロングビーチの潮風がぴったり合う白ワインの酔いに身を任せました。大体私がその身分になったら。。なんて考えてる事自体身分不相応過ぎて、酔っぱらってる事の証明みたいなものだもんな〜。。あ〜あ。頑張ってLotto買わなくちゃ。

Ellaの伯父さんが日本に住んだ事がある人で、日本の話を暫く楽しみました。まだ日本語を沢山覚えていらしてびっくり。モイエスよりも全然話せてました。(モイエスも結構話せます。日本に何度もツアーに行ってるからだって。なんでも一度ビヤホールで日本人の会社員の団体さん相手にビールの飲み比べをやって勝ったんだって。)とても良い思い出が沢山あるそうで(酔っぱらっていたのできちんとは覚えてません。。)懐かしそうにお話してらっしゃいました。

そんなこんなで夜はふけて、Ellaにご挨拶をしてJuly4thの約束をしておいとましました。
帰ってツアー中のモイエスに電話をして、報告をしたら”え!!そこってもしかしたらLong Beach Grand Prix 目の前じゃない?”と。そうだね。その話も出てたよ。ベランダから真正面に見えるね。と答えたら”その期間泊めてくれるかなあ?”と。私も同じ事を考えてそれはもう聞いといたので、”絶対来てねって言われたよ。””うわ〜〜”来年楽しみ。

幸せそうなEllaの顔が見れたので嬉しいです。彼女の新しい出発にかんぱ〜〜い。


2004年05月15日(土) Miles Davis

Jazzを始めてから皆んな口々に、Milesを聞かなきゃ。。と言います。
そうかあ。。と思っていたら、ピアノ課の期末テストの課題が出ました。
”In your own sweet way" ふ〜〜む。周りの人に言ってみたら"Working"に入っているよ。”と。成る程。。そのままタワーレコードに直行して早速CDを買いました。




。。。なんて素直な音なんでしょう。もちろんピアノを練習しなくてはいけなくて買ったCDですが、何よりも彼の音に私の音楽観を覆されました。
それまでは何も知らなくて、弾いている内容、テクニック(勿論大切。)に耳がいっており、語りたい事を自分の音で聞かせるという大切なテーマを考えた事がなかったのです。なんて説得力でしょう。

1音1音彼の音はピュアで繊細で暖かく切なく鋭く、音楽が流れている空気に選ばれて私達の耳に届いているのです。
彼のCDを聞く時間は夜。電話のコンセントを引っこ抜き、ステレオ以外のエアコンや電気製品を一切消して、お気に入りのワインを注いだワイングラスだけ見えるくらいの照明だけをつけて音楽と一緒に呼吸をしながら楽しみたいです。聞き進むうちに彼のトランペットを聞いて息を吸い、彼の音と音の間にため息を吐くのに気が付くでしょう。。。

何を聴いても素晴らしいのでお勧めですが、入門編として”'in"シリーズから入ればいいと思います。”Cookin" "Relaxin""Wokin"。。そして私のお気に入りは永遠に”Kind of Blue"です。

マイルスは古いスタイルのJazzにこだわらず、常に時代と共に新しいJazzの形を作って来ました。
Be Bop時代の次にはHerbie Hancock,Ron Carter, Tony Williams,Wayne Shorterを使ったバンドでインプロビゼーション(即興)主体のモダンジャズを展開しました。このバンドは未だに私の中で一番大好きなハ−ビーを聴けるバンドです。"Plugged Nickel 1965"を一度聴いてみて下さい。

私のピアノの先生であり大親友であるJohn BeasleyというLA在住の素晴らしいキーボードプレーヤー兼プロデューサーがいますが(綾戸智絵さんのプロデューサーをしています。)、彼もマイルスバンドの出身です。彼と話をしていると沢山の楽しいマイルズバンドの頃の話がきけます。




さて、明日はStevie Wonderのお話でもしましょうか。


2004年05月14日(金) 私がJazzを始めたいきさつ。。

どうにかして追い着かないとな。。今日現在19日の水曜日です。
でも今回はどうしても私のJAZZについて書きたかったので、お許しを。
(どうしてJazzを始めたか。。からいきましょう。また長くなるかね。)

BostonにあるBerklee音楽院に入学して、沢山の先輩達がまだ無知であった私に知識をくれました。まあ私のEducationはそこから始まりましたが、もともとと言えば。。。

仙台はあまりJazzが浸透している地域ではなかった(今はどうだか分かりませんが。)ので、私の初めてのJazzとの出会いは、両親の趣味からでした。
父はお友達とよくカセットを交換していたみたいで何故か沢山カセットがありました。彼のカセットに録音してあるJazzを昼間にこっそり聞いて大人の気分に浸ったものです。
母は毎日、新聞のラジオステーションガイドをチェックしてタイマーをセットし、好きなアーティストの特集等があるとダビングしていました。マンハッタントランスファー、キースジャレット、アルディメオラ(母はクラッシックギターを弾きます。)彼女の趣味はとってもハイセンスです。大学に入ってからは色々コンサートに連れて行ってくれました。

どちらが入手したのかは分かりませんが、Oscar PetersonのBlue Trainが入ったカセットをリビングで発見しました。これがめっちゃくちゃ格好良い!!こんな風にグルーブ出来たらどんなに気持ちが良いだろう。。と少しずつピアノでコピーしてみました。その頃は知識は全くないし、ただただ耳を便りに。。私は絶対音感があるのでコピーなんて簡単!と軽い気持ちで始めたもののすぐ玉砕。。やはり聞き慣れないものは難しかった。今考えてみればブルーススケール、ビバップフレーズを知らなかったので難しかったのですね。。そこで譜面を取り寄せてみました。
分からなかったのも弾けなかったのも当たり前。彼はおそらく相当手が大きい!こおりゃあ大変だ。。。でも一応できるだけを頑張って練習してみました。今考えてみるともうどっぷりJazzに漬かってしまっていたのですね。

その後、大学は英文科に入学したのですが、どうも水が肌に合わず、母が”どうせピアノ出来るんだし(クラッシックを3歳から習っていたので。)Jazzでもやってみたら?"と勧めてくれ、地元でプロの餅先生という方に就いて習う事になり、先生は師事後すぐにBerkleeに行く事を勧めてくれました。
。。今でも母は”私がJazz勧めたのよね〜〜。”と得意げです。。。ママ有難う。感謝してます。

そうして入学したBerklee。日本人の先輩達の多くは既に日本で活躍していた方々で、Berkleeは1つの質問をすれば100の答えが帰って来るという絶好の学び舎でした。最初の頃はバンドで演奏するという状況がよく分からずなかなかオーディションで良い結果が得られなかったのですが、すぐに毎日のようにリハーサルを始めだんだん楽しくなってきました。練習をしたければ夜の12時までプラクティスルームが開いています。
Berkleeのホールで行われるコンサート。毎週毎週世界中からミュージシャンが集まります。生徒のコンサートを見るだけでも今考えればレベルの高いもので、幸せな環境でした。
コンサートを見終わった後には、毎晩のようにどこかに集まりJazz談義に花を咲かせ沢山のCDを聞きました。あーでもないこーでもない。こうしてだんだんJazzが私に染み込んで来ました。

このような環境の中で私はHerbie Hancockが一番好きなんだ。。。”と気が付いたのです。


2004年05月13日(木) 私の好きな音楽について

なんだか日記の更新がえらく遅れていますねえ。なんてことはない夏バテ(嘘つけ)って言うか現実逃避です。
少し忙しくなって来たりとか、また今週もモイエスはツアーに行っちまうし、で寂しかったりとか、私の大好きなおばさまのEllaのお引っ越しのお手伝いで結構時間を取られたり(エネルギーもまなり消費。私は毎日行ってなかったから大丈夫だけど、姪であるPatは毎日かり出されかなりお疲れのよう。)とまあ色々あるのですが。
で、今日は私の大好きな音楽の話題にしようと相成った訳でございます。

私は普段ゴスペルをお仕事としてPlayしていますが、私達の教会ではサービスで3曲Performする事になっているので、毎週リハーサルで曲を学ばなくてはなりません。大抵の曲は私が聞いた事がない曲なので、もちろん勉強材料としても聞いているのですが、最近のゴスペルは流行りのR&BのリズムやFusion,Jazz等をふんだんに取り入れており、演奏するのもとてもやりがいがあって楽しいですし、聞いててもダンサブルだったりするので聞きやすいと思います。私の一番のお気に入りはFred Hammondと言う男性歌手です。
彼の声は太くてエネルギッシュでかっこ良いです。(外見は好みじゃないけどね。。ま、置いといて。)



アマゾン.comで"WOW! Gospel"シリーズが出ているので是非聞いてみて下さい。おそらく何曲かは聞けるはずです。(もちろんFred Hammondも入っています。)

しかし、私自身はJazz PlayerなのでJazzに関してはちとうるさいです。周りからも評論家だよね、とのコメントが来るくらいなもんで。(っていうか自分を棚に上げてるって結構問題あるような。。ま、エニウェイ。)
私のJazzの理想の世界はHerbie Hancockです。その昔(っていうかえらく昔。)大学に入った当初日本でHerbieを見て、なんてかっこいいんだ!!とのけぞりました。彼のJazzはそれまであった理屈っぽいJazzの世界なんかなんのその!という本当に身体からかもし出るリズムが心地よく(もちろんその理屈っぽいJazzに裏付けされた恐ろしい程のテクニックと知識と感性と耳がそれを表現してるのだけど。)なんてJazzってFunkyな音楽なんだろうと心から愛してしまったのでした。昔のボーイフレンドが私に輪をかけたHerbie狂だったので色々教えてもらい、それからは彼の作品のアナライズを夜を徹してしたり、練習したりと本当に私の今の音楽観を見事に作り上げてくれた素晴らしい大先生なんです。



"Speak like a child""Thrust"""Man Child"Mr.Hands"これらが私のお気に入りではありますが、本当は全部大好きです。ため息が出るくらい素晴らしいです。
その他、Keith Jarrett,Chick Corea,Joe Sample,Geroge Duke。。。まだまだ大好きなキーボーディストは沢山いますが。。
JazzはやはりMiles Davisを抜きには語れません。明日はMiles,そしてR&B、その他の音楽のお話をしましょう。止まんなくなっちゃいそう。おやすみなさい!!


2004年05月11日(火) Dietの途中報告

っていう程のものでもないけど、今回はとっても上手くいってるんでありました。自分でも分かるくらい骨がところどころに見えて来たり(普通の人だったら当たり前なんだろうけど、私はあんまりにもでっかくなっちまってるので、結構嬉しかったりする。。)、腕の筋が綺麗に見えるようになったりと段々小さくなりつつあるみたい。
でも一応他人にも分かって欲しいなあと思って、モイエスに”なんだかあんまり減ってるような気がしないんだけど(素直に私痩せて来たよねと聞きゃいいんだけど。なんだかほら。。そんな事ないよ、よく頑張ってるじゃんって誉めて欲しい時ってありません?我ながらへそ曲がりだなあ。。)どう?”とちょっと不満げに言ってみた。
答えは”いや。痩せて来てるよ。”だったのはいいんだけど、その後、”分からないんだったらもっと頑張ったら?朝エクササイズするだけじゃ足りないんじゃない?夜ももう一回歩いたら?”とか”もっとご飯食べる量減らしたら?”とか余計なサジェスチョンを頂いてしまった。。。
私は一言頑張ってるねが聞きたかっただけなんだけどなあ〜〜。これ以上のダイエットはきつすぎてくじけちゃいそう。今度から素直になった方が賢いかも。。

今回は毎日Waking Machine(ほら。通販で売ってるやつね。)で30分歩け歩けエクササイズ。30分で汗が出て来るもんですね。私はDVDを見ながらえっさえっさ歩いてます。で彼のお弁当を作って(前は作りながら自分の分を食べていました。)自分はサラダを沢山食べて、おしまい。お水は一日中沢山飲みます。モイエスがお昼を食べ終わって、4時頃にスム−ジーを飲んだりして、(果物たっぷり。ビタミンが取れるのでOK。)夜は食べないので、私はここで1日の食事終わり。モイエスも少し食べる量を考えたいと言うので、夜は彼もサラダをたっぷり食べて終わり。(映画見る時とかはポップコーンとか作ったりします。)
時間がある日には、近所のテニスコートでテニスをします。私は大学にいた頃テニスとスキーのサークルに入っていたのですが、私自身はテニスはあまり上達しなかったので、(スキーは鍛えられました。結構自信あり。)なんちゃってテニスプレーヤーです。モイエスと一緒にテニスしててもボール拾いに行く方にエネルギーを費やしてしまうくらいの勢いがあります。(?)
でも一緒に何かしてるって事だけで楽しいし、彼はとても上手なんです。(私の相手してるの可哀想かも。)

そんなこんなが今のところのダイエット途中経過です。もう10kgくらい減らしたいなあ。。。


2004年05月09日(日) 母の日日曜日。

なんと時間の経つのの早い事よ。年も取る訳だよなあ〜〜とか独り言を呟くようになったらおしまいだ。。とか一人でつぶやいてるんじゃん。結局ね。
いや。もう5月。矢の如しとはこの事なり。

今日はお仕事の日。いつものように教会へ朝9時には着いてリハーサル。。のはずだったのが、クワイヤーに伝わっていなかった為毎週一番乗りで来てお掃除をしているPatのお母さんとPatしかいず。じゃあま、またコーヒーでも買って来て(もちろんいつものカプチーノとレギュラーコーヒーのHalf and Half。レギュラーサイズで$1.30とお特。Largeだと$1.40だって。)ゆっくり飲みながらSunday Schoolが始まるのを待つ事に。

今、Sunday Schoolではヨハネの黙示録という聖書では一番最後の章を学んでいます。これは神様がまた復活なさる日が来るという予言の書で、ある意味喜び、期待、それとは正反対の意味深な予言も書かれており、とっても興味深いものがあります。今回が黙示録を読むのが初めてなので、なんだかわくわくしてしまっていますが、箇所によっては表現がシンボライズされたものがあり、(ライオンの頭とかね。)色々な人に聞いてみると実際の答えは分からないとされているものがあったり。モイエスにも聞いてみましたが、やはり分からないみたい。謎解きみたいです。

さて、今日は母の日。Pasterのお母さまもいらしています。教会の15、6歳の仲良しグループの男の子が、それぞれのお母さん(非教会メンバー)を招待し、花束贈呈をし詩を朗読してお母さんへの感謝を表わし、お母さん達は感激して涙していたのが印象的でした。15、6の頃って日頃は親に反発して言う事を素直に聞けなかったり、友達との時間の方が大事で親が鬱陶しかったりするものですよね。”母の日”に普段は照れくさくて言えなかったりする事を表現できるってある意味、良い日だよなあと思ってしまいました。

さて、教会が終わり、一応今週のお弁当の買い物を日系のマーケットで済ませモイエスに電話をしてみたところ、(週末一杯ツアーに行ってしまっていて土曜日の夜中3時半に帰って来たばっかりだった。。。その後お腹が空いたっていうもんだから私は彼にインスタントラーメンを作ったげて私も寝たの5時過ぎだったんだけど。。。)コンピューターで作業中だけど、待ってるから早く帰っておいで。。との事。

OK.さあ急いで帰ろ。その後漸く始めたアパート(or お家)探し。家から少し離れたValenciaという近郊住宅外を見学に。一件とっても気に入った物件があって、一応条件を聞いてみて考慮に入れる事に。今度はニック一緒に住める2or3Bedroomを探す事になっています。どうなる事やらまだ分かりませんが今日見た感じではとても良い所だと私は思うけど。まあ。

夕食はモイエスが私の大好きなSushi101に連れてってくれました。
何かと言うとここに来てしまう私のお気に入りのLAのお勧めお寿司やさん。本当に日本にいると全く変わらないサービスと、スタッフと寿司シェフ。大好きです。
前菜にお寿司をたっぷり頼んで(平目が特別美味しかった!!)Salmon Skin Salad(かつお節が上にトッピングしてあるサラダにあぶったサーモンの皮を混ぜてある私の大好きなサラダ。)をシェアして、彼はテリヤキステーキのセット、私はさば塩焼きを頼みました。もちろんビールも忘れずに。
ん〜〜〜お魚沢山食べた。満喫してしまったよ。だ〜〜い好き。このお寿司やさん。有難う。美味しかった〜〜。
ダイエットの中休みでモイエスからのご褒美ですって。
また明日からダイエット頑張るぞ〜〜(本当か?)。



2004年05月06日(木) NHRAのカーショーへ

今日はNHRA(National Hot Rod Association)Museumで毎月恒例のカーショーが開催されており、私達も参加すべく出かけてきました。特に今回はCobra Owner's Clubのリーダー、Mr.Lynn Parksから直々に参加のお誘いを受けこれは行かなきゃ!!ってな訳で、張り切って出発。

会場では以前に日記に登場したMike(PasadenaのTwin Palmsで一緒にお食事をしたMikeです。)が待っていてくれました。彼はNHRAに大きく貢献した写真家のお父様がおり、彼自身も小さい頃からこのAssociationの皆さんに囲まれて育ったそう。そこここで色々な人から話かけられて有名人です。私達は沢山の人を紹介してもらいました。

これがMr.Lynn Parksのオリジナルコブラ。本物ですよ〜。


リタッチ一切行っていないそうです。彼はオリジナルと大抵のKitのコブラのオーナーと車の記録をほぼ全てとどめており、一台一台の車の歴史(誰が作ったものか、事故の記録等)を把握しているCobra Ownerの大将的存在。彼自身は9台もCobraを所有しています。
モイエスは勿論、私も何度か彼の事務所に遊びに行き彼のコレクションを見せてもらい、会う度にかわいがってもらっています。
写真ではちょっと小さくてみづらいですが、Simple is the BEST !! 私はこの車を愛しちゃってます。(勿論2番目に。私達のが1番だもん。)

モイエスとマイクは二人はあーでもないこーでもない言いながらいつもの通り楽しそうに車を眺めては批評して歩いています。



そしてマイクの車、コルベット。


私が最期に見た時はまだ真っ黒でした。黄色のラインもFaceのラインを強調してなかなか素敵ですね。見るからにAmerican Carという感じでかっこ良いです。

とても暑い日だったので、私とモイエスはバドワイザーを片手に幸せ。喉が渇いていたのでウマイ!!マイクもソーダを飲みながら歩いていました。

暫く会場を見て歩いた後にMuseumの中に入り、アメリカのレースカーの歴史をマイクのガイドで見せてもらいました。そこには沢山のレースカーのモデルと、あちらこちらにマイクのお父様の撮影した写真が飾られており、お父様自身の(まだ私はお会いした事がないのですが)むか〜〜〜しの写真も飾られていました。
インディーカーの歴史。そして Drag Raceの初代のモデル、そして段々と進化して行く行程を説明してもらい、ほほ〜〜。。と感心。改良に改良を重ねて今の状態になったんだなあ。。

その前の日にはNASS CarとF1の歴史をモイエスに教えてもらい、なんだかお勉強をしている私。楽しいです。もっと若いうちから関わっていたかったなあ。

で、今日の #001


絶好調!!ね。とても楽しい1日を過ごしました。


2004年05月04日(火) Elder Butlerの思い出−2

2日後、彼等のお宅へ行き、憔悴しきっているEllaと、2人のお子さまを亡くされて呆然とされているElderのお母様を見舞いました。

Ellaは私に"Aya..Vaughnがどれだけあなたの事を愛していたか忘れないでね。”と言い"一生忘れません。”と応え二人で抱き合って泣きに泣きました。
お母様は上品な、可愛らしい方でそして敬虔なクリスチャン。Sunday Schoolでは聖書にまつわる色々なお話をして下さる方で、私は彼女から沢山の事を習っています。彼女も泣き腫らしたお顔でHugを下さり"Aya,Vaughnの思い出のお話をしてちょうだい。”とおっしゃったので、ツアー、コンサートの話、オーディションの後初めてお会いした時の話、そして話が昨日書いた私のスカートの話になった時、Ellaとお母様は大笑いしながらまた涙を流し始め、 "Aya..Thank you..We love you..."と3人で抱き合って暫くそのままで涙を流しました。

その後、家族代表で5人の姪達がお葬式で歌を歌う事になり、私がピアノを弾くようにEllaに頼まれました。勿論喜んでお引き受けし" Going up Yonder”という曲をパフォームする事になりました。
私達がリビングルームのグランドピアノを使って練習していると、お母様がやって来て泣きながら頷かれていました。
お2人しかいないお子様を両方見送ったお母様。そのお気持ちは計り知れないものがあります。彼女が悲しんでいらっしゃる様を見る事は胸が張り裂けんばかりに痛々しいものでした。

お葬式はその週末。LA日和の美しい10月のある日でした。お葬式所がご家族、いつもの教会のメンバー、新旧のBOBBのバンドメンバーと家族、他の教会の代表の方々、そしてレコード会社関係、他。。。人で溢れました。
Elderの生前のお人柄が偲ばれます
私達の歌はとてもエモーショナルで美しく、私は涙をながしながら演奏しました。

その後の教会のサービスでEllaは、若い女の子達にElderがどんな旦那様だったかを説明し、最期に教会の若い女の子達にメッセージを。”皆んな、きちんとあなたをTake careしてくれ、全てを受け止めてくれ、きちんとあなたが欲しいサイズのダイアモンドを指に嵌めてくれれる人を選んで下さい。私の旦那様はそんな人でした。”

そんな思い出が沢山詰まった家を引き払い、新しい人生を歩き始める準備が出来たというElla。そのお引っ越しをお手伝いしたのです。
とは言っても、このお家。4Bedroomに2Livingroom,Kitchen,3Bathroom,  地下のエンターテイメントのお部屋、もう気が遠くなるくらいの部屋に溢れんばかりの物。。。何日かかるか分かりません。私にもとても思い出深いこのお家。プールサイドでのBBQdinner,ジャクジーパーティー、歌のレッスン、Cable TVのShootingの後,テープを見に伺い、その後皆んなでテレビを見ながら家族の部屋で寛いだ事。。。

私ももう何回かお手伝いに行く予定です。彼女の新しい出発をお祝いし、Elderにも安らかに神様の元でお休みして頂く為に。

In Loving memory of Elder Vaughn Butler.
We will miss you.


2004年05月03日(月) Elder Butlerの思い出



ここはElder ButlerとEllaのFox Hillにあるおそらく$1millionは下らないだろう大きなお家のプールです。

今日は以前にお話したPatの叔母さん、Ellaのお引っ越しを手伝いに行ってきました。彼女は昨年11月に58歳というお若い年で亡くなった私達の教会のElder、Vaughn Butlerの愛妻で, Elderは生前Ellaをそれはもう心から大切にし、端から見ても羨ましいカップルでした。

Elderとの思い出は沢山あります。彼はBOBBの総合プロデューサーでしたので、私達のツアー、コンサート、レコーディング。。必ず彼が音作りから立ち会って下さり、特に私はMusical Directorですので、私の音がステージの上のArtistに聞こえる様、そして観客にも聞こえるようエンジニアと一緒に細心の注意を払って下さっていました。
私の髪は長いので、キーボードを弾いていると顔にかぶってしまい、顔が見えないから観客にたまに顔を見せるようにしなさいと注意された事もありましたっけ。

コンサートが終わると反省会と称した打ち上げディナー会をホテルのレストランやご自宅で開いて、私達をねぎらって下さいました。

私は普段からよくミニスカートを履いているので、教会のリハーサルにもそのままの格好で行ってしまい、ある日Patと立ち話をしていたら、Elderが”近付いていらっしゃり、あや、教会はクラブじゃないんだから、これから気をつけるんだよ。”とおっしゃり、私も(勿論そんな派手な格好はしてなかったし、大袈裟だなあとは思ったけど、やっぱりミニはいけなかったなと思い、ちょっと反省して)”これから気をつけます。”とElderを見上げると、彼はアロハシャツに短パン、サンダルとなんだかやっぱり気さくな格好。彼も私の顔を見て、”あ〜〜。。。。今日の私の格好もあまり教会向きとは言えないが。。”と、おっしゃり私とPatの顔を見て、恥ずかしそうににやっと笑い退散され、その後私とPatは笑いをこらえ暫くお互いを見つめた後数秒後大爆笑してしまいました。

。。。思い出は尽きません。。。そして忘れられないあの晩。
モイエスがツアーに行っていたある夜、彼と暫く電話でコンサートはどうだったか等のお互いの1日の報告や話を終え、一人で音楽を聞きながらワインを飲んで寛いでいると、Patから電話が。
”Aya, uncle Vaughn passed away." "Huh?" "Aya, uncle Vaughn passed away." " What?" " Aya, uncle Vaughn is gone.""What?" .......
Patの3回目の”Aya,"で漸く全てを悟り2人で電話上で号泣しました。

長くなってしまうので、明日この続きをお話しましょう。。。。


2004年05月01日(土) DVD Player当たった!!

昨晩はLAのとある教会でPatと、彼女の弟で私達の教会のReverent,Reggieのduoの伴奏のお仕事でした。

この姉弟とはBOBBで一緒にツアーに出たり、教会を廻ったり、レコーディングをしたりと色々な形で関わっていますが、PatはもちろんReggieも私の心からの友人で私が悩んじゃっている時とかに励ましてくれたり、一緒に曲を書いたりと公私共にとても親しい存在です。
知り合ってもうすぐ2年くらいになりますが、私の精神状態のUp Down(特にDownの方。。)を良く知っていて常に”頑張れ〜”と応援してくれる優しいお兄さんのようです。
もちろんGospelに関しては妥協を許さず、お互いに正直であろうと始まった関係だったので、私が教会で仕事を始めた頃は私もまだゴスペルは素人でしたし、彼は裏表なく批評してくれたのでたまに”う〜〜”と唸りたくなった事もしばしば。それでも彼は一生懸命沢山のゴスペルのCDをダビングしてくれたり、たまに一緒に練習したり音楽を聞いたりと助けてくれ、今では彼がどこにお仕事へ行くのも一緒になりました。
私のギグも必ず見に来てくれ、ある日ギグの後に彼がこの上ないメッセージをくれ、あ。。これからも頑張って行こうと心に決めたという事もありました。

さて、以前からPatのVocaslistとしての素晴らしさとSpritualityの高さはお話していましたが、このReggieもエネルギッシュで私の大好きなVocalistです。
今晩のお仕事はLAのクリスチャンが集まったMeetingで、私達はゲストでした。ReggieとPatは全員を総立ちにさせ、皆んなステップを踏みながら手を打ち鳴らし、神様を讃えエキサイティングなギグとなりました。



上の写真はここの教会のオリジナルのバンドの皆さん。このピアニストはPasterだそうです。歌がとても上手で素晴らしいリーダーでした。

その後、最後に抽選会が行われ商品はCDラジカセとDVDプレーヤーでした。
私はこの手の抽選には弱いので、一応チケットはもらったものの〜〜と傍観しているつもりでしたが、なんと司会者は私のチケットの番号を読んだのです!!え〜??私〜〜???当たっちゃったよ。DVDプレーヤー。
丁度Bedroomのが壊れてしまい、買わなきゃ〜なんて話をしていたところで、それも私はつい最近、その話をReggieにしたばかりだったのです。私のナンバーが呼ばれ、Reggieはびっくり!”Aya! We were just taking about DVD player!!"私がもっとびっくりしたっちゅうの。神様。。。素晴らしいプレゼントを有難う!!



あや |MAIL