その男は、かつて「ミスタータイガースに最も近い男」と称されていた。 今岡誠は、「天才」というよりも「異能の打者」だと思っている。 03年には首位打者、05年には阪神球団記録を更新する147打点を叩き出して打点王を獲得。両年のリーグ制覇に大きく貢献した右の強打者だ。00年代序盤〜中盤における阪神最大の功労者の一人であり、阪神の顔と言ってもいい存在感を放っていた。 今岡のバッティングを語る上で欠かせないシーンがある。99年のシーズン開幕戦、東京ドームで行われた巨人戦で……と言えば、多くの人が同じシーンを思い浮かべるのではないだろうか。 巨人先発のマウンドには、巨人史上初の外国人開幕投手となったバルビーノ・ガルベスが立っていた。2回表、シーズン最初の打席に立った今岡。ガルベスが投じた得意のシュートは内角高めに抜けてくる明らかなボール球になったが、曲芸のような捌き方でバットを一閃すると、ボールは満員の阪神ファンが埋め尽くすレフトスタンドに叩き込まれた。 マウンド上のガルベスは、悔しさを表すというより、唖然茫然としているような感じだったように記憶している。テレビ座敷で観戦していた私は、目の前で何が起こったのかを正しく理解することができなかった。涼しい顔でダイヤモンドを一周する今岡。あの嘘のようなバッティングは、恐らく一生忘れることができない。それぐらいのインパクトを私に残した。 悪球打ちで、気持ちが乗っている時は初球からどんどんバットを振っていく。「なんでこんな球を」というようなボール球を簡単にヒットにしたかと思えば、ど真ん中にスーッと入ってきた甘いボールを何の気なしにあっさり空振りしたりもする。一流のバットマンであることに間違いはないが、送り出すベンチも、対戦するバッテリーも、そして観戦するファンも、全く予測ができない、そんな奇妙奇天烈な選手だ。 あの野村克也をして「天才」と称された打棒は、一方で「あいつの真似をすると打撃が狂うからやめておけ」と楽天監督時代に評されたとも言われる。驚異的なヒットゾーンの広さと神懸かり的な内角球の捌き方は、確かに天才的な匂いを芳醇に発していた。だが、決して優等生的な洗練されたイメージがない打棒であったのも実感としてあり、ムラッ気が強いことも相まって「異能の打者」というイメージを私は持っている。 故障の影響もあり、06年以降はタイトルホルダーとしての打棒どころか、一軍戦力としても満足する数字を残せなくなっていった今岡からは、徐々に得体の知れない怖さ、何をしでかすかわからない不気味さが感じられなくなっていった。撫でるような弱々しいバットスイングは、元々の鈍足も相まって度々併殺打の餌食になった。かつてはチーム屈指の強肩を誇っていた内野守備は、バネ指の影響でまともなスローイングすらできなくなり、何でもない悪送球も度々見られた。チャンスで打てなくなり、飄々と、というよりあっさりと凡打を繰り返す度、阪神ファンの溜息は深くなっていた。 それでも私は、今岡が打席に立つ度に「今度は何かやらかしてくれるんじゃないか」と思って、そのバッティングを見つめていたような気がしている。テレビに映し出される打率は、1割台というおよそスタメン野手とは思えないもの。阪神ファンからの今岡に対する風当たりが強くなっていったのも、実感としてある。それでも何かを期待せずにはいられない、そんな打者が今岡誠という男だった。 09年限りで阪神を退団した。2年続けて打率は1割台に終わり、09年は自己最低の23試合出場とシーズンの大半をファームで過ごした。事実上の戦力外通告だった。 正直なところ、今岡は終わったと思った。トライアウトを経て、今年のキャンプ中にロッテが獲得を発表した時でさえ、今岡に活躍の期待を抱くことはできなくなっていた。もはやサードの守備を任せることはできず、ポジションはDHかファーストしかない。ロッテには新加入のキム・テギュン、長年レギュラーを張ってきたバットマン福浦和也というDH・ファースト候補の実力者がいる。恐らくロッテは手薄な右の代打要員として今岡を獲得したのだろうが、今岡は代打というより4打席のトータルで結果を残すタイプ。今岡が復活する光景というものを、どうしてもイメージすることができなかった。 だから、今年のシーズンを開幕1軍で迎えた時は驚いた。序盤は代打やDHで起用され、前監督のボビー・バレンタインが付けていた背番号2を与えられたことからも、ロッテの今岡に対する期待が窺えた。それでもかつての打棒の片鱗すら発揮できず、交流戦期間中にファームに落ちたという一報を聞いて、これで今岡に対するチームの期待も萎むのかなと思った。 チームがクライマックスシリーズ進出を賭け、瀬戸際の戦いを繰り返してた秋口、今岡は1軍に戻ってきた。2度のリーグ優勝に貢献し、アトランタ五輪というギリギリの戦いを味わっている経験を買ったのかもしれないと思った一方、ロッテにはWBCや五輪を経験している百戦錬磨の選手が揃っている。活躍の機会があるのか疑問だった。勝てばクライマックスシリーズ出場が決まるシーズン最終戦で2安打を放ち、気迫満点のヘッドスライディングでホームに生還してきた今岡を見ても、「まだまだこんなもんじゃないだろう」と思っていた。 クライマックスシリーズ第2ステージ初戦、今岡は6番DHでスタメンに名を連ねた。対戦するソフトバンクの先発は、日本を代表する左腕である杉内俊哉。 第1打席、その杉内の外角低めのストレートにきれいにバットを合わせた今岡の打球は、右中間を深々と切り裂いていった。それは、リードオフマンとして打線を牽引し首位打者を獲得した03年に多く見られた、今岡独特の打球だった。プレイボールと同時に、度々甲子園球場の広い右中間を越していったツーベースと同じ打球の軌跡。先制の口火を切り、結果的にはシリーズの主導権をさらっていったきれいなツーベースの弧。それを見て、久し振りに「このシリーズの今岡はやるかもしれない」と思った。得体の知れない、「何かやらかしてくれるんじゃないか」という期待感が、私の中に甦った。 第4戦では陽耀勲から先制のホームランをレフトスタンドにしばき上げ、一方で5年ぶりとなる犠牲バントも決めた。このシリーズ、ロッテは1勝3敗という剣が峰から息を吹き返して日本シリーズ進出を果たしたが、その中心には確かに今岡誠という奇妙奇天烈な異能の打者が存在した。 正直なところ、日本シリーズで今岡の出番があるかは、まだ保障されていないだろう。今岡が昨年まで阪神に在籍していたことは経験値としてあるだろうが、ここ数年の今岡はファーム暮らしが長く、本格化してきた後のチェンや吉見一起という左右のエース級とは対戦の経験がほとんどない筈である。キム・テギュン、福浦といった実力者を差し置いて再びスタメン起用されるかどうかは、かなり微妙なところだろう。 それでも、今の今岡なら、何かをしでかしてくれそうな気がする。シーズン中の活躍は、お世辞にも充分チームに貢献したとは言い難い数字しか残っていない水準のもの。年齢的にも活躍的にも、来年以降の契約すら微妙な立場かもしれない。それでも、杉内からツーベースを打ってセカンドベース上でプロテクターを外す今岡、移籍後初のホームランを打ってダイヤモンドを一周する今岡は、阪神時代の晩年を忘れさせてくれる程にいい表情をしていた。かつて「ミスタータイガースに最も近い男」と呼ばれていた頃を思い出した。 阪神時代、今岡は「もうこの試合はダメか……」というような状況を、平気な顔で引っ繰り返す打球を度々放ってきた。乗っている時の今岡は、周囲の状況などお構いなしに、涼しい顔をして何かをやらかす。阪神ファンの友人が、今岡に対して「何度裏切られても、何度ヘマしても、それでも今岡にはなんとなく期待しちゃうんだよなぁ。何だかんだで、阪神ファンは今岡のことが気になるし、好きなんだよなぁ」とボヤいていたことを思い出す。 誰が言ったか「開けてビックリ今岡誠」――玉手箱のような得体の知れない怖さ、そして期待感は、ガルベスから神懸かり的なホームランを打って度肝を抜いたあの日から、まだ繋がっていた。短期決戦におけるジョーカーとして、奇妙奇天烈な異能の打者は、私達の思惑とはかけ離れたところでとんでもないことをしでかすかもしれない。 そんなささやかな期待を、日本シリーズの今岡誠に対して、私はかけている。今年の日本一を決める日本シリーズは、いよいよ明後日10月30日、開幕――。
セ・リーグ優勝を果たした中日ドラゴンズが、クライマックスシリーズ第2ステージを控えた今、一軍登録されている全選手を登録抹消したという。以下はサンケイスポーツの記事の引用である。 セ・リーグ優勝の中日が4日、出場選手登録していた全28選手を登録から外した。 これまでに例を見ない奇策であるが、落合らしい合理精神に基づいた考え方でもある。しかし同時に、落合博満という人物は、「理解しづらい」タイプの人物でもある。何故かというと、落合の言動や行動様式には、ひどくひねくれた天邪鬼的な部分があるからだ。 現役時代から落合の言動は、巷の野球人や野球ファンに波紋を投げかけ続けてきたように思う。それは、落合の言動がいわゆる“球界の常識”から逸脱した価値観に彩られ続けているからだろう。 ロッテ時代は史上最多となる3度の三冠王という輝かしい実績を築き、「人気のセ」と呼ばれたセ・リーグへの価値観――それは巨人中心の球界という価値観も含まれていたであろう――に真っ向からアンチテーゼを唱えていた落合。だが、後に落合はトレードで中日に移籍し、中日躍進の原動力として存在感を示した後、FA資格を行使して巨人への移籍を果たす。 憧れの対象だからこそ、それを克服する為に真逆の態度を取る……本人は認めないだろうが、落合が40歳にしてFA宣言をし、「憧れの長嶋(茂雄・現巨人終身名誉監督)さんに誘われたらやるしかない」と巨人へ移籍したことを振り返ると、落合の根底には常に注目を浴びるセ・リーグ的価値観、その頂点にいる巨人的価値観に対する、強い憧れがあったことが窺える。 ロッテ時代の無頼派のような落合に惹かれていたファンにしてみれば、落合が巨人的価値観に身を染めていった流れは、変節、或いは裏切りという言葉に置き換えられるものかもしれない。しかし私は、落合の根底というものは年月を経ても、盤石の実績を積み重ねても、さほど変わってはいないように見える。憧れや嫉妬があれば、それを見せないように敢えて突き放す……そういう人間臭さが、落合の根底ではないかと思うからだ。 95年に名球会への入会資格を得ながら、落合は名球会への入会を拒んでいる。資格を有しながら名球会の会員になっていないのは、落合と榎本喜八、江夏豊の3人だけである。名球会は野球人の憧れであり、入れて頂けるだけでもありがたいという球界の価値観……もっと言えば“球界の常識”に対して、落合は何らかの理由でノーを突き付けたのではないだろうか。 特に江夏にも感じることだが、落合は権力や巨大な価値観というものに対して、旺盛な反発心を発揮したがるような部分があるように見える。周囲が当たり前と思っていることに対して、「オレはそう思わねえな」という部分があれば、強烈なねじれを発揮してひねくれたがる性分があるように思えて仕方ないのだ。 今回のクライマックスシリーズ前に全選手の一軍登録を抹消するというのも、恐らく“球界の常識”から捉えたら前例がないし、考えられなかったことだろう。一軍選手の危機感を煽り、二軍選手のモチベーションを上げる方策としては、確かに合理的ではある。ただし、セ・リーグの大柿統括が懸念するように、FA資格取得の日数などの面から、選手にとっての不利益が生じるのも事実だろう。 「やってはいけないっていう決まりがないんだから、やっていいだろう」というのが落合の価値観だろうと思う。それは確かに間違いではないが、選手や周囲の関係者とのコンセンサスがきちんと取れているかというと、恐らく取れていないだろう。落合にしてみれば「そんなことの同意なんて、いちいち取る必要がない」ということなのだろうが、時にそんな受け答えが落合という監督のイメージを冷淡なものにしている印象がある。 「勝つ為にやっているんだから、勝てば全て認められる」というのが、監督としての落合の基本理念であると思う。それ故に、落合の策というのは理解しづらい面があるのも確かだろう。 代表的な“事件”は、07年の日本シリーズ第5戦で、8回までパーフェクトピッチングをしていた山井大介を9回で降板させた件だろう。あの継投は、当時も様々な議論を巻き起こした。勝利の為には最善の策だったという声もあれば、あそこで山井を降ろすなんて山井本人にもファンに対しても失礼だという声もあった。 落合にしてみれば「勝つ為にやった」ということだろうし、賛同する声も批判する声もどちらも間違いではないと私は思った。ただし、あそこで山井の日本シリーズでの完全試合という快挙のチャンスを奪ったことで、山井という投手の将来を一つ潰したとは思ったし、スイッチした岩瀬仁紀がもし逆転でも許していたら岩瀬にも多大な傷を負わせることになっただろうなとも思った。その意味で、落合というのは選手に対して冷徹な監督なんだなという印象を、あの時から持っている。 昨年のペナントレースでは、防御率1位を独走するチェンを先発させて、最多勝争いを繰り広げていた吉見一起に勝ち星を誘導させたこともあった。チェンを3〜4回まで投げさせた後、吉見にスイッチして勝ち星を吉見に付けようとしたというものだ。 確かに、勝ち星を与える為には手っ取り早いし合理的でもある。しかし、左のエースでありながら吉見の最多勝の為に“利用された”チェンのプライドは傷付いただろうと思うし、そうまでして勝ち星を与えられた吉見自身も右のエースとしてのプライドが傷付いたのではないかと思った。吉見は結果として最多勝を手にしたが、そのタイトルに翳りを作ることにもなり得るし、ファンの目も厳しくなるだろうと思った。 第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)への代表選手派遣に対して、非協力的な態度を貫いたのも昨年だ。「文句がある奴はオレのところに来い。説明してやるよ」という尊大な態度は、サムライジャパンに対して期待していたファンを少なからず不愉快にするものであったし、WBC連覇を果たした歓喜から中日だけ取り残されたのは、単純に選手のモチベーションに悪影響を与えるのではないかと思った。 監督としての落合は、「勝てばいい」という行動原理によって、あらゆることを動かしているように見える。確かに冷静になって考えれば、その合理性は一般社会の常識と重なり合う部分も少なくない。それでも理解されづらいのは、合理性に全てを集約するが故に選手の将来性や帰属意識、選手やファンも含めた人に対しての気配りを蔑ろにし過ぎているというように見えてしまうからではないだろうか。 “球界の常識”から逸脱し続け、そのことに対するブレがないというのが、落合博満という野球人の特色であると思う。そして、落合は監督に就任後、その逸脱っぷりを維持したまま結果を残し続けている。在任7年目でBクラスに転落したことはなく、優勝は今年を含め3回、日本一にも1度輝いている。この実績は半端なものではなく、球団史上に残る名監督の成績だろう。 それでも落合という監督の評価が難しいのは、落合の采配や言動、更に言えば選手や球界に対するスタンスが理解されづらく、時に傲慢で配慮に欠けているように見えてしまうからではないだろうか。“球界の常識”と決して相容れない落合は、存在そのものが球界へのアンチテーゼである。恐らく落合が落合でいる限り、球界で理解を得ることはほとんどないようにすら思う。 “球界の天邪鬼”と言っていい落合は、実は球界でもトップレベルの常識人なのではないかと思っている。ただし、一般社会の常識と“球界の常識”は、決して交わり得ない部分があるのも確かだろう。落合は史上稀に見る大選手であり、史上稀に見る名監督である。それでも、巨人と同様に巨大マスコミがバックについていながら、今の中日が巨人や阪神のような全国的な人気を得られていない理由は、そのあたりの印象も関係しているのだろう。 もしかしたら落合は、ユニフォームを着ている間ではなく、もっと先の未来に、全く違った形で評価される可能性のある野球人なのかもしれない。そうなれば、それもまた天邪鬼、アンチテーゼとしての落合らしいかなという気がしてくる。
先週9月25日、札幌ドームで行われた日本ハム×ソフトバンクの試合は、当代一と言っていい投手戦になった。日本ハム・ダルビッシュ有、ソフトバンク・杉内俊哉の投げ合いは、両者共に被安打5で完投、杉内が9、ダルビッシュが12の三振を奪い、ほぼ隙らしい隙を見せない圧巻の投げ合い。ワンプレーを飛び越えて1球にすら目を離せない張り詰めた緊張感を、観ている私に植え付けた。 私が今年観たプロ野球の中で、ベストゲームと言っていい内容だったと思う。結果は1−0でソフトバンクの勝利。7回表に1アウトから死球で出塁した長谷川勇也を田上秀則がバントで送り、川崎宗則がショートの後ろにしぶとく落として破った均衡を、杉内が最後まで守り通した。 日本ハムはダルビッシュの好投に報えなかったというより、あの投げ合いであれば先に1点を失った方が敗れる、という印象だった。それだけ投手に比重の高かった試合で、エース同士の最高の投げ合いであれば、完封された打線を責めることはできないように思えた。それだけ両投手の投球内容が素晴らしかった。 1アウト1塁から送りバントを使って決勝点をもぎ取った作戦に象徴されるように、この試合はまるで一戦必勝の高校野球のようだった。犠打自体、この試合は7回に田上が決めたもの以外に、初回に先頭の川崎がショート内野安打で出塁した後に本多雄一が決めたものしかない。しかもソフトバンクは初回を除いて、結局9回までイニングの先頭打者が出塁できなかった。ランナー自体がまともに出られない、非常に重い試合展開の中、あの7回というタイミングで得点する確率が最も高かった作戦が1死からの送りバントだったというのも、展開を追えば頷ける話と言っていい。 日本ハムは対照的に、2回・7回・9回に先頭打者を出塁させている。2回・7回は4番の小谷野栄一がヒットで出塁したが5番の糸井嘉男がランナーを動かすことができず、9回は森本稀哲がヒットで出塁し、小谷野の四球で広げたチャンスを、ここでも糸井がセカンドゴロ併殺打で潰してしまった。糸井がブレーキをかけてしまった格好になったが、この日の杉内の出来を見ればベンチが1点勝負の策を早くから徹底させていれば……と悔やまれる場面ではあった。 ちなみに、9回に糸井を4-6-3の併殺網にかけた本多と川崎の二遊間コンビの守備は、実に見事だった。一分の無駄もないプレーで、打者走者として驚異的なスピードを誇る糸井をゲッツーに仕留めた守備力は、いまや日本一の二遊間守備だろう。「ゼニの取れるプレー」というのはこういうものを言うのだな、と改めて感服した。 思うに、この見事な併殺を演出した要素には、この息詰まるようなギリギリの投手戦がもたらした緊張感も含まれているのではないだろうか。投手がテンポ良く隙のないピッチングをすれば野手の好プレーが生まれ、逆に投手のテンポが悪かったり追い込んだ後に簡単にヒットを許すようなダレたピッチングをすれば守備のリズムも悪くなる、とよく言われる。 そんなひり付くような緊張感をもたらすような投手戦というのは、誰もができるものではないように思う。誰もがエースとして認め、パ・リーグであれば予告先発の発表で当日券の売り上げが伸びるような地位を築き上げた投手同士の対戦でなければ、例えこれだけの投手戦を演じたとしてもそこに“神々しさ”のような存在感は生まれないのではないだろうか。 あの日の試合、マウンドに立つダルビッシュと杉内からは、エースとしての確かなオーラを感じた。この投げ合いには絶対に負けられないというオーラ。三振を奪ってマウンドで吠えるダルビッシュ、お立ち台で涙を流した杉内……その姿を見て、私の頭に浮かんだのは「矜持」の二文字だった。矜持と矜持のぶつかり合い……それは互いに認めるエースとエースがマウンド上でどちらが上かを競う“果たし合い”のように私には見えた。 今、これだけの投げ合いができる投手は、セ・リーグでは見当たらない。今年本格化した広島の前田健太は、確かにエースの風格を纏いつつあるが、盤石の実績を積んだという印象はまだない。昨年1.54という驚異的な防御率を記録した中日のチェンは、今年ここまで13勝しているものの去年のような「調子のいい時はどうしようもない」という感覚は最後までなかった。エースの風格と実績という意味で言うと、全盛期の川上憲伸(元中日)や上原浩治(元巨人)、黒田博樹(元広島)辺りまで遡る必要があるのではないか。 パ・リーグには、杉内、ダルビッシュの他に、田中将大、岩隈久志(共に楽天)、涌井秀章(西武)、和田毅(ソフトバンク)らの名前を挙げることに異論は少ないだろう。成瀬善久(ロッテ)、岸孝之(西武)も候補に挙がるだろう。 主観が入り混じっているという反論があるのは承知している。なので、少し古い話になるが、昨年行われた第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)の日本代表に選ばれた選手と当時の所属を振り返ってみる。 ダルビッシュ有(日本ハム) 馬原孝浩(ソフトバンク) 田中将大(楽天) 涌井秀章(西武) 松坂大輔(レッドソックス) 岩田稔(阪神) 岩隈久志(楽天) 藤川球児(阪神) 内海哲也(巨人) 小松聖(オリックス) 渡辺俊介(ロッテ) 山口哲也(巨人) 杉内俊哉(ソフトバンク) 先発・第二先発はパ・リーグ、リリーフはセ・リーグの選手に主眼が置かれていることがわかると思う。先発ローテーションの3人はダルビッシュ、松坂、岩隈の3人で組み、第二先発からバトンを受けるリリーフは馬原、藤川、山口で切り盛りする構成。馬原ただ1人、パ・リーグのリリーフ専門として選出されていたが、クローザーは藤川が予定されていた。 第1回WBCの時にも、この色合いはあった。こちらの代表投手も下に挙げてみよう。こちらも所属名は大会当時のものを記載する。 清水直行(ロッテ) 藤田宗一(ロッテ) 黒田博樹(広島)※途中離脱 久保田智之(阪神) 松坂大輔(西武) 上原浩治(巨人) 薮田安彦(ロッテ) 和田毅(ソフトバンク) 藤川球児(阪神) 渡辺俊介(ロッテ) 大塚晶則(レンジャーズ) 小林宏之(ロッテ) 杉内俊哉(ソフトバンク) 石井弘寿(ヤクルト)※途中離脱 馬原孝浩(ソフトバンク) ロッテが日本一になった翌年で、先発にもリリーバーにもロッテの選手が多く選出されていた。「パ・リーグ=先発、セ・リーグ=リリーフ」という程の極端さは第2回大会ほどではない。先発の3本柱は松坂、上原、渡辺の3人だったが、黒田は途中離脱したものの先発候補に挙げられていた実力者だし、藤田と薮田は重要なワンポイント要員として難しいリリーフの役割をこなした。ただし、クローザーは大塚で固定であったが、石井が東京ラウンドで離脱していなかったら、大塚に繋ぐリリーフの軸は石井と藤川が努めていた筈である。 よく言われるのがセ・リーグとパ・リーグにおけるDH制の違いだろう。周知の通り、日本ではセ・リーグにはDH制がなく、パ・リーグにはDH制がある。言い方を変えれば、セ・リーグでは投手に打順が回ってくる。攻撃の重要な局面では、試合を作っていても代打を送られて投手交代になるケースが多々ある。それが、セ・リーグがリリーフ重視の野球に変わり、パ・リーグでは先発完投型の投手が育ちやすいという下地になっているというものだ。 セ・リーグの野球を観戦していると、打席に入る投手の中で、どうにも打つ気が見られない選手が時々いて、疑問に思うことがある。というより、単純にもったいないなぁと残念に思うことがある。投手だから打たなくていい、打てなくて仕方ないというのは、道理ではない。投手が打って打点を稼げば、その分だけ自分自身を楽にすることができる。 元々投手というのは、最も野球がうまい選手が努めるポジションの一つで、高校野球を見ていても「投手で4番」というのは珍しいものではない。プロで投手をこなす選手なら、打者としての才能もあって不思議でも何でもないのではないだろうか。投手による唯一の3打席連続本塁打を放ったことがある堀内恒夫(元巨人)は、通算21本塁打の強打者だった。昨年投手でありながら4本塁打、5二塁打を放ったカルロス・ザンブラーノ(カブス)は、通算3度のシルバースラッガー賞を受賞している。 通算セーブ数のトップ3を見ると、1位が高津臣吾(元ヤクルト)で286、2位が岩瀬仁紀(中日)で276、3位が佐々木主浩(元横浜)で252と、セ・リーグの選手がズラリ並んでいる。パ・リーグで主に活躍し、歴代セーブ数のトップ10に入るのは、4位小林雅英(元ロッテ、現巨人)の228、8位豊田清(元西武、現巨人)の157だけである。5位江夏豊(元阪神等)は193で5位に入っているが、そのうち69を阪神と広島で記録した点、そして時代背景もここに挙げた選手たちの時代と単純比較できない点から、一旦参考から外すべきであろう。 今シーズンに限って言うならば、10月2日現在、セ・リーグで200以上のイニングに登板しているのは、208回2/3の前田健太のみである。パ・リーグを見ると、金子千尋204回1/3、成瀬善久203回2/3、ダルビッシュ有202回、岩隈久志201回と4人がいる。 善し悪しの問題ではなく、セ・リーグとパ・リーグでは、投手についての捉え方や起用の仕方に、若干の差異があるのは間違いなさそうだということである。リリーフ投手の価値を認めない訳ではなく、軽視しているのでもない。完投を許さないチーム事情や試合展開に、セ・リーグの投手はパ・リーグよりも多く晒されている。そのことが、先発投手としての大成具合に差を生み出す一つの要因ではあるだろう。 リリーフ投手が重視されるようになったのは、ここ20年ぐらいの野球界の傾向だろう。分業制が徹底され、ブルペンの力量を厚くして覇権を握ったJFKの阪神やYFKのロッテによりその価値観は確立されたように思う。昨年・今年もソフトバンクのSBMが注目され、今年の優勝の原動力にも挙げられた。 要因は一つだけではないだろう。ただ、名勝負と言われるような――ダルビッシュと杉内が見せた、ひり付くようなエース同士の矜持というもの――が少なくなってきたのも実感としてある。もちろん、こういう極上の果たし合いは、シチュエーション的にも1年に1回観られるかどうかというものでもあるだろう。 日本の野球は、エースピッチャーにゲーム、そしてシーズンを任せてきた歴史がある。かつて大投手と呼ばれてきた投手の多くが、強烈な我と力量を持ってマウンドを守ってきた。ライバル同士で紡がれてきた数多の名勝負というのは、我と我の妥協なきぶつかり合いによる果たし合いと言えるものだった、と今は思う。 単なる懐古趣味かもしれない。スマートに、そして合理的になった野球に、魅力がない訳ではない。日本の野球は世界一になった野球である。ただ――。 ダルビッシュと杉内の果たし合いに夢中になりながら、時々はこんな強烈な果たし合いを観たいと思った。エースの矜持を引っ提げた剣豪同士の、愚直なまでにギラリと光る刃による一騎打ち……それもまた、サムライジャパンの誇りでもあると思うのだ。
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