ヤクルトの古田敦也と、西武の伊東勤。90年代のセ・パを代表するスーパーキャッチャーは、度々その配球面が比較された。 古田の配球は、内角攻めを有効に使った強気の攻め。伊東の配球は、外角低めを基本線に置いた無難でオーソドックスな攻め。そう括られることが多いが、その背景にあるものは、2人がリードした投手の差という見方が強い。 渡辺久信、郭泰源、工藤公康、石井丈裕らから、松坂大輔、西口文也、森慎二、豊田清らという現在の系譜まで、90年代以降の西武の投手陣はストレートに頼れる本格派がズラリと並ぶ。対して古田の在籍したヤクルトは、テリー・ブロス、石井一久、伊藤智仁らを擁した一時期を除き、ストレートに頼れる投手がズラリ揃うということはなかった。 この点が、困った時は外角低めのストレートでいいという伊東のリードと、抑える為には内角も鋭く衝いて揺さぶりをかけねばならないという古田のリードに現れている。それが一般的な見方だろう。 「再生工場」という言葉がクローズアップされたように、野村政権下以降のヤクルトでは、故障明けの選手や他球団から放出された選手をうまく活用しては戦力として機能させてきた。日本一になった97年を例に挙げると、投手で言えば、田畑一也、吉井理人、加藤博人、野中徹博、廣田浩章らが「再生組」に挙げられる。共通点としては、かつては速球派で鳴らしたにしろ元々速球派ではなかったにしろ、当時は150km級のストレートを操る力を持っていなかったという点だろう。 古田の配球で注目度が上がった球種に、シュートが挙げられる。今年引退した川崎憲次郎が99年に17勝を挙げて最多勝に輝いた時、躍進の要因に挙げられたのがシュート習得だった。特に顕著なのが、元々スライダーを得意としていた投手にスライダーと逆方向の変化球であるシュートを習得させることで、ベースの横幅を広く使った攻め方を可能にさせること。 ヤクルトに移籍した選手、特に実績のない投手が好投した際、決まって口にするのが「古田さんのミットだけ目掛けて投げた」ということ。投手から絶大な支持を集める古田のリードは、その投手の死球数が飛躍的に増える傾向からも、内角を攻める率が他の捕手に比べて高い傾向がある。 本来、内角を厳しく攻め続けるには、シュートを使う使わないに限らず、ボールが抜けないだけの確かなコントロールが前提となる。死球が多くなるのは、内角を攻め抜いた副産物でもあるが、単純に投手のコントロールが悪いという要因もあるだろう。 それでも古田の配球が注目され、賞賛された点は、古田敦也という捕手としての絶対的なカリスマ性によるところが大きい気がする。投手が集中力として挙げる「古田さんの配球なら間違いない」という思い。死球が増えようが内角攻めが裏目に出ようが、揺らぐことのない古田への信頼感は、結果的には投手の迷いを拭い去り、能力を120%発揮させてきた。それこそが「再生工場」発の投手における真実の側面だと、私は考えている。 今年の日本シリーズは、多くの場面で捕手の配球がプレイバックされた。最も顕著だったのは第三戦、西武・中日両チームから満塁弾が飛び出し、ランニングスコアが10-8となったあの試合だろう。率直な印象として、荒れた試合になった最大の要因は、バッテリーの野球偏差値の低さだったように思う。 先に被弾したのは西武。長田秀一郎−野田浩輔のバッテリーが谷繁元信から打たれたのは、カウント1−3からのストレート。野田のミットの寄り方から見て、恐らく内角ギリギリのコースに要求したストレートが真ん中に入ったのだろう。 初球からスローカーブでカウントを稼ごうとしたものの、それが外れて結果カウント0-2になった時点で、バッテリーは相当苦しくなったに違いない。結果的には谷繁に1-3まで待たれ、押し出しだけは絶対に避けたいバッテリーが苦し紛れに選択したストレートを、中日応援団のトランペットに合わせたかのように狙い撃ち。打った瞬間に谷繁が右腕を掲げたのを見ても、張った球種が張ったコースに来たのだろう。 なぜあそこで内角なのか。それは恐らく、あの試合を中継した全てのテレビやラジオで解説者が首を傾げたところだろう。スコアは谷繁を打席に迎えた時点で4-1で西武リード、イニングは6回表。1点をやってもアウトカウント1つ、という計算は充分に許された状況だった筈で、結果論とは言え、リスクとリターンの釣り合いが取れた配球だったとは言い難い。 全般的にこのシリーズでは、バッター有利のカウントから四球を嫌って苦し紛れに投じた甘めのストレートを、ことごとく痛打された場面が目立った。この第三戦のシーンは、それを象徴的に表すものだった。 野田の配球は、伊東の下で育ちながら、恐らく「古田型」に近い。出場試合数から考えると、野田がマスクをかぶって許した死球5という数字は若干多い。同僚の細川亨も、今シーズンの印象からするとやや「古田型」に寄ってきている気がする。 今年の西武の課題にまず挙げられたのが、現役引退して監督に就任した伊東の後継者争い。野田も細川も、去年辺りからから既に候補には挙げられていた。伊東勤という神通力が現場から完全に消え、実績に乏しい同クラスの捕手がレギュラー争いをするという状況下、野田も細川も配球面については来る日も来る日も考え続けた筈だ。 「古田型」の特徴である内角攻めは、それが嵌れば抜群に見栄えよく映る。内角攻めで抑え切れば、打者の裏をかいて攻め続けたように見えやすいからだ。そして内角攻めに必ずと言っていいほど付いてまわるフレーズが「強気の攻め」。 弱気よりは強気の方がアピール度が高いというのは分かりやすいが、内角攻め・ストレートで押すのが強気、外角攻め・変化球でかわすのが弱気という単純な二元論で語るのは、配球というディテールの大きな落とし穴だろう。 7回裏にカブレラに満塁弾を浴びた谷繁の配球は、自身が満塁弾を打った6回表のシチュエーションと全く同じだった。マウンド上で苦しんでいた岡本真也は、ストレートの制球はバラついていたが、縦に鋭く割れるスライダーとフォークボールは低めに集まっていた。だが、谷繁がカブレラを抑える為に要求したのは、“強気”のストレート。瞬く間に場外に消されたその1球は、配球の難しさより、バッテリーの野球偏差値の低さを如実に示していたように思う。 あの場面、落合監督は岡本をなぜ代えなかったのか、ということが何度もクローズアップされた。落合は、恐らく全て分かっていて代えなかったのだろう。恐らくこうなるということも、そして全ての批判が自分に飛んでくるということも、全て分かっていた上で敢えて岡本に続投させたのだと思う。 「オレ流」などという言葉では片付けられない落合の信念は、それでも岡本がカブレラを抑える可能性があるという期待も含み、岡本も変化球に関してはそれだけのものを投げている、という眼によるものだったと思う。 結果的に、落合の判断は“予想通り”になった。だが、それ以上に、両チームのバッテリーに対して無性に腹が立った。格好をつけているんじゃないのか。本人はそう思っていなくても、何が何でもこのシリーズを勝つんだという率直な貪欲さが、それ故に苦しみあがくというものが見えてこなかったからだ。 「古田型」の影響は、特に2000年以降、実績のないキャッチャーに対しては特に大きな影響を与えたように思う。「古田型」の配球で抑えれば、レギュラー獲得への大きなアピールになるからだ。 しかし「古田型」配球の難しさは、その投手がその局面で本当に打者を攻め切れるか、という見極めにある。単純にストレートやシュートで内角を攻めれば強気ということでもないように、「古田型」の定義は難しい。難しい中で結果を残しているからこそ、古田への信頼感が揺るぎないということも言える。 「伊東型」の攻めは、「古田型」に比べて地味でオーソドックスだという印象が強いが、実際はストレートに力がある投手と組まないとできない配球だった。困った時に外角を攻めきる配球は、投手の球に本当に力がなければ1試合を押し通すことができない。 「古田型」も「伊東型」も、投手の状態や持ち球、そして局面を充分に考慮しなければ威力を発揮しない。その意味では、「古田型」という配球も「伊東型」という配球も、本当の意味では存在しないのだろう。彼らが90年台以降を代表するキャッチャーとして君臨し続けてきたのは、多種多様の投手とバッテリーを組み続け、それぞれの力を十二分に発揮させ続けてきたからだ。 タイプというものに縛られることなく投手の力を引き出し続けた捕手が、配球面でタイプ分けされ、その影響という名の“呪縛”に囚われた捕手が織り成すアイロニー。野田と細川は“強気”を前面に出して頭角を表し、2人との経験の差が強調された谷繁の配球も“強気”の2文字が付いて回る。 その2文字に縛られた捕手が織り成した、豪快なようで荒っぽい試合。4勝3敗で西武優勝という結果を見れば、この試合は確かに分水嶺になったと見られてもおかしくないが、内角を攻め切れない投手に内角ストレートを要求し続ける配球は、とても日本チャンピオンを決めるシリーズの配球とは思えない稚拙さが目立った。 「古田型」と「伊東型」。“強気”と“弱気”。解釈をどこか取り違えていないか。 90年代以降の野球に確固たる足跡を残した2人のキャッチャーが残した影響は、思った以上に、重たいのかもしれない。そんなことを考えた今年の日本シリーズだった。
いやはや、今日はイチロー一色である。 もちろん私も、ちゃんとテレビの前で釘付けになっていた。 観ている方は勝手なもので、あのイチローなんだから残り3試合でタイ記録まであと1本となれば新記録作って当たり前、なんて思ったりするものだが、それってフツーに考えたらとんでもないことだと考えていい。 外から見ている立場としては、記録への挑戦が騒がれるようになっても、イチローって割といつものように淡々とした姿勢を崩さないように見えた。 けど、実際はやっぱり意識の中にはあったんじゃないかな、と思う。 ただ、イチローの場合、そういう記録への挑戦とか、厳しくなるピッチャーの攻めとか、ブーイングの中で敬遠されることとか、そういう状況を楽しんでいるようには見えた。 単純な話、根っから野球好きな人なんだなぁ、と感じる。 当たり前過ぎる程に当たり前なんだけど、「イチローだから」という言葉で安易に流して見過ごしてきたこと、もしかしたら山の如くあったのかもしれない。 それはイチローがメジャーに移籍した時にも、嫌という程に考えたことなんだが。 しかし、毎度思うが、あのメジャーの球場の雰囲気は凄い。 ベースボールというスポーツへの愛がある。ベースボールラヴなんて言うとちゃっちくなってしまうが。 畏怖と畏敬の念を感じる。 イチローが初回にヒットを打ってタイ記録に並んだ時と、3回に一気に新記録を塗り替えた時の、あの球場の空気と言ったら筆舌に尽くしがたいものがあったんじゃないかな、とすら感じてしまうあの凄まじさ。 テレビで観ていてもそれが伝わってきたんだから、現地で生で観ている人たちや、そのフィールドでプレーしている選手、球場の職員さんたちにとっては、言葉にすることすらできないようなムードだったんじゃないか。 歴史の証人たるべきその瞬間に、同じ空気を共有することって、一体どういう感覚なんだろう。 きっと、鳥肌が立って、ただ立って拍手をすることしかできないんだろうな、と思う。 私があの場にいたら、きっと興奮で泣いているのか笑っているのか分からないような顔になっているような気がする。 あの時、あの場にいた人たちは、生きている限り「俺はあの時、セーフコフィールドでイチローが年間安打の新記録を打ち立てた瞬間を見たんだ。84年間開かなかった扉が開かれた瞬間に、新しい安打王が歴史に刻まれた瞬間に立ち会ったんだ」ということを語っていくに違いない。 それを聞いた子供たちが、イチローという偉大極まる選手の凄さを語り継いでいく。 記録に残るだけでなく、人々の手によって未来永劫語り継がれ、いつまでも身近にある。 それこそが“伝説”というもの。文字通りの意味と、それ以上に重く長い真実の記録と記憶。 私は、イチローが日本人であるということと、自分がその人と国籍が同じだという事実に、さほど誇りは感じない。多少は感じるけど。 ただ、イチローがこの国の野球で育ち、“イチロー”という国籍なんて歯牙にもかけないような絶対的な個性によって上り詰めたことは素晴らしいと思うし、イチローのプレーに触れてきたということに関しては凄く誇らしい気分になる。 それはともかく、イチローの存在に誇らしい気分になる日本人は、ナショナリズムという点だけにおいても、相当数いる筈だと思う。 それならば、イチローはその存在そのものが文化だ、ということはできないだろうか。 例えば街中で外国人、それもアメリカ人に話しかけられた時、英語なんてろくすっぽ喋れない私は、まともに受け答えはできないと思う。ヘタすればパニックにすら陥ると思う。 ただ、もしベースボール、或いはその中にイチローという単語が出てきて、その人が物凄く楽しそうに話をしていたら、きっと私は必死になって応じようとする。 違う国の人が、私と同じ国から生まれたスーパーベースボールプレーヤーを、私と同じように好きでいてくれる。ファンでいてくれる。それは多分、言いようのない誇らしさを私に与えてくれる筈だ。 恐らくそれは、ハノイで「このフォーはとてもおいしいですね」と言ったときのベトナム人の気持ちや、フェラーリを賞賛したときのイタリア人の気持ちや、ベートーベンを賞賛した時のドイツ人の気持ちと、全く同じ感情に根ざしたものだ、と思う。 食もクルマも音楽も、その国に根付いた確かな文化であるならば、だからこそ賞賛された人たちは我が事のように喜び、誇らしい気持ちになるのだろう。 だとしたら、少なくとも私に限って言うならば、イチローのプレーを見ているだけでこんなにも誇らしい気持ちになる以上、“イチロー”という選手そのものが一つの文化である、と。 私は、スポーツは文化だと思う。 しかし、そう考えない人たちがいるというのは、一向に構わない。 イチローがとてつもなく偉大なる記録を打ち立てたという事実に喜びを感じない、というのであれば。 ベースボール、そしてスポーツを文化だと考えるアメリカ人から奇異な目で見られても、挙句蔑んだ目で見られても、それでも尚平然としていられるのであれば。 レッドオクトーバーと歪な球界再編騒動。 海の向こうとこっち側で、どうしてこんなにも違うんだろう。 人が成長する為には、どんなきっかけが必要なのだろうか。 笑うことだろうか。 怒ることだろうか。 悲しむことだろうか。 喜ぶことだろうか。 憂うことだろうか。 多分、全部そうなのだろう。 そう、多分、泣くことも。 私はスポーツを観ている時、何らかの目的を設定してそれを観ることにしている。 それは、例えば単純に楽しむ為である時もあるし、お目当ての選手を見る為である時もあるし、応援しているチームの勝利を信じて観る時も当然ある。 ひいきのチームや選手を持たずにスポーツを観ること程、面白くないことはないと思う。何故なら、結局のところスポーツというのは勝ち負けを競うものだから。 ただ、自分が何の為にその試合を観ているのか分からなくなってしまうということも、時々ある。 今日のパ・リーグプレーオフ第1ステージ・第3戦は、まさしくそういう試合だった。 私は元々、このパ・リーグのプレーオフという制度には反対だった。 メジャーのように、1リーグ14〜16チームを抱え、地区も分かれているなら、レギュラーシーズンだけで優勝チームを決めずにプレーオフをやるということも分かる。 ただ、現状の日本は、セ・パ両リーグでそれぞれ6チームずつ、その半分がプレーオフに進出するとなれば、そのプレーオフの結果如何ではレギュラーシーズンの意味がほとんどなくなってしまう。 今シーズンのパ・リーグのように、1位のチームと3位のチームに相当数のゲーム差が開いても、短期決戦の結果によっては140試合近いレギュラーシーズンの道程が全て覆される可能性がある。 このことは、ペナントレースの意義、すなわち「リーグで一番強いチームを決める」という趣旨に反するのでは、と常々思っていた。 今日まで行われた第1ステージを見終わっても尚、その思いに変化は生じていない。基本的には。 ただ、お互いもう1つも落とせないという瀬戸際の中での試合に、そして、劇的にと言うにはあまりにも明と暗のコントラストがはっきりし過ぎたその結末に、私はその試合を何の為に観ているのかわからなくなってしまった。 今期、2位西武と3位北海道日本ハムのゲーム差は7.5。これだけゲーム差が開いているならば、私は西武が勝たなければペナントレースの意味がないと思う。 だから、このプレーオフ第1ステージが始まるまでは、何としても西武に勝ってもらわなければ困る、という思いでこのシリーズを捉えていた。 実際に試合を観たのは昨日・今日の2試合だけだが、私はこの試合を観て、少なくともこの試合に関しては、どちらに勝ってほしいとか、あっちは勝つべきじゃないとか、そういう邪念めいたものが知らないうちにどこかに消えてしまっていた。 両チームとも、物凄い試合をしている。互いの死力で死力を搾り出すような、そんな凄まじい試合をしている。 もうそれだけで充分だった。そこにあるのは、プレーオフとか、7.5差のチームの試合とか、そういうものではなく、純粋なプロ野球だった。 試合はサヨナラで西武が勝ち、第2ステージ進出を決めた。 当初の希望通りの展開になったのだ。が、そんなことはもう、気持ちの上ではどうでもよくなっていた。 テレビ越しに見る球場からは、勝ち負けの枠を超えた、心地いいという程に穏やかではないものの、興奮という名の傷跡が刻まれた確かな余韻があった、ように思う。 地元出身の選手には、愛着がある。 地元出身で、地元のチームに入団し、そこで芽が出ずに北海道に活躍の場を移した投手が、今年チームの抑えのエースとして、最優秀救援投手の座を掴むまでの成長を遂げた。 最後に打たれて敗戦投手になったのは、ヒルマン監督の期待と抜擢に応えてチームを支えた、その投手だった。 恐らくヒルマン監督は、彼を出して打たれたなら仕方ない、と思っているのではないかと思う。 北海道に移るまでは、素質はあってもメンタル面が弱い、マウンド上でオドオドしている、そう言われ続けたその投手は、今年はマウンド上で打者を威圧するほどのたくましさを身に付け、オールスターゲームにも出場し、リーグを代表するクローザーとしての一歩を刻んだ。 彼は、大きく変わった。 彼は恐らく、成長する為の何らかのきっかけを掴んだのだ。 その彼が今日、サヨナラ本塁打を浴びた。まるで高校球児のように、目を真っ赤に腫らして泣いていた。 彼のチームは、これで今年のシーズンを終える。その責任感を、彼はチームのクローザーという責任ある立場で、徹底的に消化しようとしたのだと思う。 地元のチームにいた時代の彼が、そのように自分の感情をストレートに表現した姿を、私は見たことがなかった。 恐らく……彼にとって、今日全ての感情をオープンにして泣いたことは、彼がまた成長する為のきっかけとして、彼に何らかの力をもたらす筈だと思う。 そうあってほしい、と切に思う。 私は本来、人に「がんばれ」と言うことは好きではない。 だけど、こう思う。彼については、こう思わせてほしい、と思う。 来年もがんばれ、横山道哉。
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