月の輪通信 日々の想い
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深夜、突然に目覚めた。 嫌な夢を見たような気もするけど、思い出せない。 息詰まるような不安な思いに駆られて、眠れなくなった。
傍らには、早朝の窯詰めに備えて仮眠をとる父さんの規則正しい寝息。 明日は和歌山の展示会の搬入。 工房では、ぎりぎり滑り込みで持ち込む作品をまだ焼いている。 窯は夜昼問わず、フル回転。 その合間を縫って、父さんは家で短時間の仮眠を取る。 分刻みのタイマーを仕掛けて、目覚めればすぐに工房へ戻っていく。 その繰り返し。
何が苦しいというわけでもない。 それなのに時々熱病のように湧いてくる漠然とした不安。 黒く圧し掛かる想いを一人では抱えかねて、眠っている父さんの側に添う。 静かな寝息を聴きながら、胸の上に置かれた父さんの手にそっと触れてみた。 眠っているはずの父さんの手がゆっくりと動いて、遠慮がちに触れた私の手を暖かく包んだ。 「しまった、起こしてしまったか」とも思ったけれど、規則正しい寝息のリズムはそのままで目覚めたような気配はない。
疲れ果てて熟睡しているときでさえ、私はこの人に守られているのだな。 眠っている父さんの暖かな手を通して、私の中に静かな力が満ちてくる。 怯むことはない。 この人がそばに居る限り、多分明日も大丈夫。 満たされた思いで父さんの寝息の数を数えながら、いつの間にか私も眠りに落ちた。
それだけのお話。
次の展示会に向けて急ピッチの仕事が続く。 作業台、乾燥室、窯場と慌しく行き来しながら最後の追い込み仕事に励む父さんの傍らで、数物のお皿の釉薬掛けを続ける。
私が仕事をするのは、相変わらずひいばあちゃんの作業場。ひいばあちゃんが使っていらした道具類や前掛けもまだそのまんま。うっすらと埃をかぶって作業台の一部のように溶け込んで鎮座している。 ほんの数年前までひいばあちゃんは、ここでキイキイと鳴る古い作業椅子に座り、来る日も来る日も土をひねり、黙々と釉薬掛けをしておられた。 その同じ椅子に腰掛け、見習い職人はたどたどしく刷毛を動かす。 刷毛にたっぷりと白い釉薬を含ませ、栗茶のかかった素焼きの生地を撫でる。見る間に染み透っていく釉薬を乾ききらぬうちに手早く円を描く。
この場所はもう、ひいばあちゃんの作業場ではなくなってしまったのだなぁと改めて思う。 生前は、ふいに思い出したように作業場へ降りてきて土をひねっていかれるひいばあちゃんを迎えるために、何となく借り物の落ち着かない気分で腰掛けていた作業椅子。 ひいばあちゃんがおられなくなった今、もうこの場所は紛れもなく私の仕事場。これから先何年も、この場所で私は釉薬をあわせ、父さんの背中を見ながら釉掛けの仕事をしていくのだろう。
「仕事は楽しい。 夜、寝るときに『明日はどんなものを作ろうか』『明日は何の仕事をしようか』と考えるのが、何より楽しい。」 97歳の春、ひいばあちゃんは入院中のベッドの上でこんなことを話してくれた。生涯職人としての気概を失わなかった偉大な先人であるひいばあちゃんを想う。 私には、この人の席に座る資格が本当にあるのだろうか。 私に与えられたこの椅子は、まだ今一つ、落ち着かない。
バレンタインデーが近い。 数日前からアプコが 「ねぇ、おかあさん、今年はチョコレート、作りたいんだけど」 とうるさい。 いつもは近くのスーパーやお菓子屋で可愛い包装済みのチョコを買って来て父さんやオニイたちに配る程度が定例なのだけれど。 今年は、お葬式やら父さんの個展やら何かと忙しかったし、いつも指揮を執ってくれるアユコも受験生ということでバレンタインは自粛するらしい。 何となく気乗りがしなくて、ズルズルとおざなりに聞き流していたのだけれど。
「あのね、チョコ、作って、あげよっかなって思ってる子がいるの」 え?え? 何ですと? 「クラスの女の子達、結構みんな男の子にチョコあげるみたい。Tちゃんなんか2,3人で集まって男の子の家まで直接持っていくんだってよ。」 はぁ。 近頃の3年生はおませですな。 で、アプコは誰にあげたいの? 「んー。名前は言わない。その子、あたしのこと好きやねんて。まわりの人がみんなそういうねん。」 ふむふむ、噂のカップルというわけですな。 それで?アプコもその子のこと好きなん? 「いっつもよくしゃべってるし、おもしろい子やねん。」 それって、ラブラブ? 「う〜ん、違う。友だち。」
「ねえねえ、ラブラブと友だちはどこが違うの?」 だんだん楽しくなってきた母が、アプコに食い下がる。 「いっつも一緒に居るのがラブラブ。時々お話しするのが友だち。」 「あら、そう。じゃ、遠く離れて住む遠距離恋愛はラブラブじゃないの?」 「あ、そっか。」 考え込むアプコ。 「わかった!おしゃべりしてて、ドキドキするのがラブラブ。普通に喋って楽しいのが友だち!」 「ほう、ずいぶん考えたね。ドキドキか。いいねぇ。」 と、感心していたら 「あ、でもね、ラブラブでも、結婚したら普通に喋ってもドキドキしなくなるんだよ。」 と慌てて付け足すアプコ。 「あらそう?そうなの? おかあさんは結婚してるけど、まだ時々お父さんにドキドキするんだけどな。」 といったら、アプコ、キャッキャと笑って止まらなくなった。
「ラブラブ」だとか「ドキドキ」だとか、そういう言葉を口にするだけで嬉しくなっちゃうお年頃。 バレンタインのチョコレートも、3年生の女の子達にとっては楽しい遊びの延長なのだろう。 ラブラブと友だちの境界も、彼女らなりのものさしでちゃんと振り分けているらしいところがなんとも可愛い。
「ねぇ、アプコ。 今年はやっぱり手作りチョコはやめておこうよ。 アプコが初めて作る手作りチョコは、やっぱり初めてラブラブのドキドキになった男の子にあげたいじゃん。 そう思わん?」
うふふ、手作りチョコ回避の決定打。 首尾よく成功。
アプコは、大きな声を出してワァワァと泣いた。 アユコは、アプコの肩を抱いてしゃくりあげていた。 その後ろでゲンは唇をへの字に結び、宙空を見上げていた。 部活から全速力で自転車を飛ばして帰ってきたオニイは、人のいないところで眼鏡をはずし、拳で頬をぬぐっていた。 ひいばあちゃんが逝ってしまった。
子ども達にとってひいばあちゃんは、居間のドアを開けるといつもTVの前に座っていて、顔を見ると「やぁ、きたきた!」と喜んで到来物のお菓子を勧めてくれる優しい存在だった。 そして窯元という仕事を意識し始めているオニイにとっては、偉大なる先代夫人、生涯変わらず職人仕事を極めた尊敬すべき先人だった。 ただ眠っているかのように横たわっている穏やかなひいばあちゃんが、もう物言わぬ、遠い存在になってしまったということを、このとき子ども達は本当に実感として理解していたのだろうか。
通夜、告別式があわただしく過ぎていった。 ひいばあちゃんのお線香番を代わる代わる務め、おじいちゃんおばあちゃんのそばに付き添い、子ども達はそれぞれに自分達の役割をよく果たしくれた。知らぬ間に怒涛のように進んでいく葬儀の流れの中で、ひいばあちゃんとの別れの悲しさとは別に、何となく新しいイベントに臨む様な独特の高揚感が漏れていた気がする。 棺にちんまりと収まったひいばあちゃんを見て、弔問の人たちは「きれいなお顔をなさって・・・」と口々におっしゃってくださったけれど、ひいばあちゃんはまるでついさっきふいと居眠ってしまわれたばかりのようで、子ども達は誰もドライアイスで冷たくなったお顔に手を触れようとはしなかった。
告別式を終え、火葬場へゆく。 読経のあと、エレベーターの扉のような火葬炉の中へひいばあちゃんの棺は消えた。 「ねぇ、おかあさん、ひいばあちゃんはどこへいくの?」 葬儀場へいったん帰るマイクロバスの中で、アプコが小声で私に聞いた。 天国?極楽?あの世?黄泉の国?そんな答えがあれこれグルグル私の頭をよぎったけれど、アプコが求めていた答えはそういう類のものではなかった。 火葬に立ち会ったことのないアプコは、ひいばあちゃんの棺を扉の向こうにすでに埋葬してきたものかと思ったらしい。いつもお墓参りに行くお墓に入れるはずなのに、何故ひいばあちゃんの棺を置いてみんなが帰ってきてしまうのかがよく判らなかったのだろう。 言葉を選び選び、埋葬までの流れを説明してやった。 そういえばアプコ以外のほかの子たちも、何度かお葬式には出たことがあるものの、お骨上げの場には立ち会ったことがなかったかもしれない。
扉の向こうから引き出された台の上には、もうひいばあちゃんは居なかった。 「ここが手。ここが足。そしてここがお顔です。この部分が喉仏ですね。」 真っ白な紙細工のように燃え尽きたひいばあちゃんのお骨。 はじめて見る火葬後の姿に心を衝かれたか、子ども達は何となく後ずさって、お骨に集まる大人たちに席を譲った。 アプコは、お骨を拾うお箸をなかなか持ちたがらなかった。 アユコがアプコと一緒に手を添えて、ひいばあちゃんの手指のお骨を拾った。 オニイも口数が少なくなり、宙を見上げていた。 一人ゲンだけが私の側に寄って来て 「こんなこと、言っちゃいけないかも知れないけど、人間も『モノ』だったんだよね。」といった。
そだね。 確かに、「ヒト」も「モノ」なんだよね。 父さんも母さんも、君も兄弟達も、最後はこんな風に真っ白な「モノ」になるんだ。 でも、その「モノ」が、笑ったり悲しかったり苦しんだりするって言うのが不思議だね。 人間のモノじゃない部分は、いったいどこに行くんだろうね。 そんなことを話していたら、アプコがぎゅっと私の手を握った。 「おかあさん」 潤んだ目で見上げたきり、後の言葉が続かない。 暖かいアプコの手。 「モノ」だけど「モノ」じゃない、生きているアプコの手。
「ひいばあちゃんはどこへいくの?」 ごめん、アプコ。 お母さんにはわからない。
父さんは一日個展会場へ。 義兄は、京都のお茶会へ。 義父母とともに、ひいばあちゃんに付き添う。
朝早く、点滴のためにやってきた訪問看護の人が、 「血圧が非常に低い。手首では脈が取れない」と言われた。 呼びかけにも反応しないし、ずっと眠っておられるよう。点滴もなかなか入らなくて、長い時間かかった。 今日明日あたりが山場かもと言われた。
義兄や父さん、主治医の先生や訪問看護センターなど、あちこちに連絡を取りながら、交替でひいばあちゃんのそばにつく。 義父母も危急の事態に何となくそわそわとうろたえ始めた。 看護士さんから直接伝え聞いたこともよく理解しておられなかったり、何度も聞き返したりなさることが増えた。 私がしっかりして、ひいばあちゃんの最後を看取らなければと思うと、急に薄ら寒く怖くなってきた。
昼、訪問看護センターから電話。 「もし、呼吸が止まったら、救急車は呼ばないでセンターか主治医に電話してください。 呼吸の止まった時間を、見ておいてください。」 とシビアなお話。
小さく口を開けてただ眠っているひいばあちゃんの傍らで、お義母さんと静かに思い出話をしていた。 「あ、とまった?」と、二人同時に気がついて、ひいばあちゃんの口元に手を当てたら、もう呼吸をしておられなかった。 午後1時40分。 ご臨終だった。
「電話しなくちゃ」と部屋を出たとたん、電話がなった。 主治医の先生だった。 容態が気になってかけてきてくださったようだが、「たった今、呼吸が止まりました」と告げるとすぐに駆けつけてきてくださった。 先生が臨終を確認してくださり、死亡診断書の手配をしてくださった。 訪問看護の看護士さんに電話して、ひいばあちゃんの清拭をお願いする。
先生の車を見送ったら、わっと涙が溢れた。 でも、もう少し、泣いていられない。 玄関の外で涙をゴシゴシ拭いて、義兄や父さんに連絡を取った。
夕方、義兄が帰ってきて、義姉や義妹もやってきた。 臨終のショックも落ち着いて、義父が最後の瞬間のことを何度も話していた。気持ちが高ぶって、喋り続けずに居られないのだろう。 義母も少し落ち着くと、いつもよりハイテンションでパタパタと走り回っている。 葬儀屋がやってきて、にわかに家の中があわただしくなった。 ひいばあちゃんが、私の手の中からふわっと消えていなくなってしまわれた。
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