月の輪通信 日々の想い
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毎日。好天気が続く。 「ただいま」と帰ってきた子ども達が冷蔵庫へ直行する事が多くなった。牛乳と冷やしたお茶の消費量がぐぐんと増える。 また夏がくるんだな。
「おかあさん、今日の宿題、本読みぃー!」とアプコが飛んでくる。 一年生の宿題といえば、ノート1ページ分のひらがなの練習と簡単な一ケタの足し算のプリント、そして国語の教科書の本読みだ。 ほんの数行の文章を音読みしては「本読み表」に読んだ回数と保護者のサインを記入する。 本読みとはいいながら、授業や宿題で何度も何度も繰り返し読む文章はほとんど暗記していて、教科書がなくても暗誦できるくらいになっている。 ちゃらちゃらと教科書を片手でぶら下げて、歌うように節をつけて教科書の文章を繰り返し読む。
「おかあさん、この文章ちょっと嫌いなんだよ」アプコが浮かない顔で教科書を見せる。 「ともだち いるよ/いっぱい いるよ/いちねんせいだよ/みんな みんな/あっはっはっは/いっぱい いっぱい」という単元。「ちっちゃい『つ』」といわれる促音を始めて習うページらしい。 「『いっぱい いっぱい』でお話が終わるのって、なんか変だなぁ。ここじゃなくて、どこかほかのところに入れたほうが読みやすいのに・・・」 と不満そうに言う。 「それにね、『あっはっはっは』っていうのもね、『は』が一回多いんじゃないかな、なんか変なんだ。」 どうやら繰り返し本読みを繰り返すうちに、読みにくい発音や言葉のリズムの合わないところが出てきて、それが気になって仕方がないらしい。 確かに普段アプコが音読するのを聞いていると、なんだかいつも同じところで微妙な違和感を感じたり、微妙にリズムが外れたりして気にかかる箇所がある。 ようやく五十音を学んだばかりの一年生にも、文章のリズムの心地よさや、素直に書かれた文章の面白さを味わう力は確かに育っているのだなと改めて驚く。
「国語の本ってね、他にもへんなところがいっぱいあるよ」 と、さらにアプコが教えてくれた。 「さるの だいじな/かぎの たば。/げんかん うらぐち/まど とだな/どれが どれだか/わからない」 これは、濁点のつく文字を習う「かきとかぎ」という単元。 「なんでこのお話には『かき』は出てこないのに、『かきとかぎ』っていう題なんだろう。『さるのかぎ』でいいのに・・・。」 確かに隣のページには、「猿とザル」などとともに、濁点のあるなしで意味のかわる言葉として「柿と鍵」の挿絵も載せられている。 大人の視点からすれば、「かきとかぎ」は挿絵も含めたその単元の名前であって、お猿のお話の題名ではないので、なんの矛盾もない。 けれども、「かきとかぎ」という題名をふくめて何度も何度も音読する子どもにとっては、なんだか余分のものがくっついたへんてこりんな題名と感じられるらしかった。
アプコの指摘にしたがって、久しぶりに一年生の国語の教科書を初めからじっくりと読んでみる。 特に新入学当初の単元は、文字の数そのものも少なくて、一ページにほんの数行。きれいな挿絵はあるものの文章の内容そのものには、あまり面白みも驚きもなくて、なんだかなぁと思ったりする。 子ども達が普段手にする絵本や赤ちゃん向けの絵本などの中には、同じくらいの文字数でも、もっともっと文章そのもののリズムや音読の楽しさに配慮された文章がたくさんあるのになぁ。
えらい先生たちがたくさん集まってお決めになる天下の教科書だ。 これはこれなりに、いろいろと教育的な配慮がたくさん盛り込まれた優秀な教科書なのだろうとは思うけれど・・・。 初めて文字を習う子ども達と同じ目線で、同じくらいたくさん音読して、同じくらい新鮮な思いで評価、改良された教科書であってほしいなぁと思う。
「ひらがな、ぜーんぶならったよ!」と新しいことを学んできた事を嬉々として母に語ってくれるアプコ。 「へんな教科書」に躓くことなく、学ぶ楽しさをいつまでも持ち続けていて欲しいと心から願う。
日曜日のお茶会の準備に忙しい。茶室の庭や工房の玄関の掃除に精を出す。 「若葉茂れる」のこの季節になっても、茶室の垣根の根元や植え込みの中には落ち葉がいっぱい溜まっている。小型の熊手やブロワーで掻きだして集めて谷へ捨てる。秋の落ち葉かきは、木の葉の量も大量で大掛かりな作業だけれど、この時期の落ち葉かきは量は少ないけれど入り組んだ枝の間や石組みの中に入り込んでいて、手間と根気が必要だ。 地面に膝をついて几帳面に小さな落ち葉まで拾い集める義母と違って、何かと大雑把な私に春の落ち葉かきはあまり向いていないように思う。 この時期の落ち葉はほとんどが常緑の木の落ち葉。秋に色づいてワッと葉を落とす落葉樹と違って、常緑の木は新しい若葉が出揃った頃に静かにハラハラと古い葉を落とす。 後進の成長を見届けて人知れずハラハラと地に落ち朽ちていく。常緑の樹のその静かなたたずまいが、私はなんとなく好きだ。お掃除するのは苦手だけれど・・・。
5月27日(金)ゲンの自転車 前編 ゲンの自転車はオニイのお古のマウンテンバイク。ボディも錆さびだし、前カゴもひん曲がっている。おまけにサイズもそろそろ小さくなってきそうだ。「新しい、自転車が欲しいなぁ」といいながら、どうせ買うなら次は中学の通学にも使える大人用のシティサイクルを・・・とサイズが合うようになるのを待って、なんとか乗っている。 小学生の男の子にとって、マイちゃりんこは結構大事なアイテムだ。特に我が家は友だちの家や学校などから少し離れた山の中にあるので、遊びに行ったり習い事に出かけたりするのに自転車は重要な「足」でもある。
今日、ゲンの自転車が壊れた。 友だちの家に行く途中でチェーンが外れ、おまけに外れたチェーンを噛んで変速機の金具が捻じ曲がり、後ろのタイヤが全く回転しなくなった。 困ったゲンを見かねて近所のオニイの友だちのMくんちのおじいちゃんが故障の具合を見てくださったのだけれど、どうにも直せない。ふだんの整備不良のせいでチェーン付近の錆もひどく、がっちり食い込んでしまったチェーンはなかなか外れもしない。 「これはダメかも知れんなぁ。」との宣告を受けて、ゲンはそのままMくんちに自転車を置かせてもらい、後ろ髪を惹かれる思いで友だちとの約束の場所に歩いて向かったのだという。 後で聞くと、Mくんのおじいちゃんは若い頃自転車屋さんを営んでおられたそうで、元プロフェッショナルのご託宣とあらば、本当にゲンの自転車は再起不能となるのかもしれない。
炎天下に動かなくなった自転車をずるずると引きずって歩き友達の家まで走ってたどり着いたお疲れのせいか、愛車を失った喪失感のせいか、ゲンは意気消沈してしまい、とうとう夜の剣道を休んでしまった。 後で自転車を引き取りに言ったMくんのうちで、帰り際におじいちゃんから「こんなになるまでに時々油でも差して手入れしてやらにゃぁ。」とお小言を言われたのも胸にズシンと堪えたようだ。 あまりの落ち込みように、「しょうがないなぁ、ちょうど誕生日も近いことだし、新しいのを買うか?」と提案してみたりもするのだけれど、ゲンは愛車を壊してしまった自分を責めるばかりで、なかなか表情が晴れない。 取り合えず来週、ダメもとで自転車屋さんに修理に出す事にする。
5月30日(月)ゲンの自転車 後編 昼間ゲンが学校に言っている間に父さんがゲンの自転車を車に積んで、近所の自転車屋へ持って行ってくれた。 自転車屋のおじさんの口ぶりでは変速機の部品が一つダメになっているので、新しい部品を取り寄せる事になる。直せない事はないけれど、すぐに成長して乗れなくなる事を考えれば、部品代をかけるよりは新しい自転車を買ったほうがよくはないかという話だった。そのお店にはおじさんが修理整備したピカピカの中古の自転車も安く売られていて、金額だけ考えればおじさんの言う事ももっともだと思われる。 「新車を買う」 「新しい部品を購入して修理する。」 「変速機を外してしまって『変速機なし』で間に合わせる」 3つの選択肢が示されたが、どれも最善とも言い切れず、ゲンの帰宅を待って自分で決めさせる事にして、持ち帰ってきた。
あんなに新しい自転車を欲しがっていたゲンのことだから、新車購入の話に二つ返事で飛びつくかと思っていたけれど、結局ゲンが選んだのは代替部品を取り寄せて、古い自転車を修理してもらう事だった。 「やっぱり新しい自転車を買うのは、大人用の自転車に乗れるようになってからにしたいんだ。」 小さい頃からオニイのお古ばかりでおニューの自転車を買ってもらった事のなかったゲン。ぶつぶつ文句を言う事も多かったけれど、彼なりにおんぼろになった自転車への愛着もあるのだろう。 廃車寸前の古い自転車に高価な代替部品はもったいないかなぁとも思いつつ、ゲンの意見を尊重して再び自転車屋さんに持ち込むことにする。
夕方、自転車屋さんからの電話。 明日は定休日だから、今日のうちに取りにきてくれないかという。 部品を取り寄せると聞いていたのでもっと日数が掛かるかと思っていたので、あわててゲンと一緒に直行する。 「ありあわせの部品でなおしてみたんやけどなぁ、これで勘弁してくれるかなぁ。」 自転車屋のおじさんは、新しい部品を取り寄せる前に手持ちの中古の部品でなんとか修理を試みてくれたらしかった。てっきり廃車の運命かと諦めかけていたゲンにとっては、部品が中古だろうが新品だろうが、贅沢はいえない。 おじさんがからからとペダルを回すと、軽やかにタイヤが回り、変速機がカタンカタンと動き出す。 「わ、直ってる!」と大喜びのゲン。 「こんなもんでええかなぁ、部品は中古やけど・・・」と気にするおじさんに、「いいよ、いいよ」と二つ返事。 「あー、この子はなかなか融通の利く子やなぁ。」 とおじさんの方もあっさり大喜びするゲンに感嘆しておられる。 「あと1年半、頑張って乗ろうと思ってた自転車でね、直していただいてとっても嬉しいんですよ。よく直してくださいました。 と重ね重ねお礼を言う。
「お代は1000円、貰っていいかな。」 あらかじめ聞いていた新品の部品代の数分の一。 何度も汚れた自転車のタイヤをはずして、あれこれ整備に時間を割いてくださったはずなのに、手間賃も含めてたったそれだけしか請求されなかった。 そればかりか、「中古なのに部品代貰って悪いね。」というような口ぶりにただただ恐縮して頭を下げる。 さっそく乗って帰りたいというゲンに「気ぃつけて乗りや」と笑って自転車を引き渡すおじさんは、最後まで「今度新車を買う時には・・・」という言葉を言わなかった。 商売っ気のないおじさんだなぁ。
「快調!快調!」 ビューンと自転車を飛ばして帰ってきたゲンの晴れやかな笑顔。 「よかったねぇ、あの自転車屋のおじさん、ただもんじゃないね」 自転車を直してもらった嬉しさとともに、ありあわせの材料で鮮やかに古い自転車を再生させる確かな職人技に心温まる思いをさせていただいた。
「今夜はごちそう」というとき、自分の食べたいものよりはオニイやゲンの好物のメニューを思い浮かべるようになったのはいつからだろう。 自分の普段着の服を買うよりは、アユコのスリムなジーンズを買うほうが楽しくなったのはいつからだろう。 花屋の店先で、自分の好きな儚げな草花よりはアプコが欲しがる原色のチューリップの球根やいちご苗を選ぶ事が増えたのはいつからだろう。 自分の誕生日より子ども達の誕生日の方が嬉しく思えるようになったのはいつからだろう。 5月25日、誕生日。42歳になった。
手作りのカード、庭で摘んだ花束、夕食の一品、おめでとうのメール。 子ども達からの思い思いのバースデイプレゼント。 数日前から続く「お母さん、何が欲しい?」というリサーチの質問を、「別になんにいらんよ。」とさらりとかわして通してみた。いつもなら、靴下とか文庫本とか、子ども達にも選びやすい手ごろなリクエストを提案してみたりするのだけれど・・・。 自転車を飛ばして隣町のショッピングセンターまでプレゼント探しに行ったけど何も買えなくて「ごめんな」とメールをくれたオニイ。 「あたし、母の日とか父の日とかお誕生日とか、やらないことにする」と勝手に宣言して、夕食のお吸い物を手作りしてくれたアユコ。 「いつ渡そっかなぁ。」と数日前から作っていたらしい手作りのポップアップのバースデイカードを得意げに差し出すゲン。 庭の草花を摘んでくるりとリボンで束ね、「はい。お母さんのために摘んできたの」と笑っている調子のいいアプコ。 どの子もその「プレゼント」の選び方に、その子なりの一生懸命考えた成果と個性が溢れていて楽しかった。 「いつも同じもので悪いけど。」 と父さんがくれたのは陶器で作ったバレッタ。 いつもこの時期はお茶会の準備や個展の作品製作で大忙しのはずなのに、家族にも仕事場の人たちにも見つからずに、いつの間に焼いてくれたのだろう。 青空に木々の梢のシルエットの浮かぶ美しいバレッタは、普段アクセサリー類は身につけない私が唯一愛用する髪留めだ。
「お前が生まれたとき、お母さんは産褥熱というやつで死にそうになってな。」 父は私の誕生の日のことを語るときに、いつも最後に付け加えた。 「もしあの時『母親と生まれたばかりの赤ん坊とどちらを助けたい』と聞かれたら、悪いがお母さんを助けてもらいたいと思ったよ。」 初めての出産で生命の危険に曝された妻と、生まれたばかりの赤ん坊。 そうだなぁ、男親だったらきっと妻を選ぶだろうなぁと納得しつつ、何度も何度も聞かされるうち、父に「最優先の一番」に選ばれなかった誕生の瞬間をなんだかつまらなく思えた時期があった。
よく、ドラマやなんかで死の病につくヒロインが自分の生命に代えても愛しい人の子どもを生みたいという設定があるけれど、実際には残されるものにとってはしんどい話だなぁと思う。女にとっては生まれてくる子どもは十月十日ともに過ごした自分の分身のようなものだけれど、男にとっては子どもは女の生命の残り火を独り占めして生まれてくる異星人だ。慣れぬ育児の困難さや、その後の生活の束縛を考えると、「赤ん坊より母体」は至極当たり前の選択だろうと今は思う。
それは男親に限った事ではなく、女親にとっても基本は夫婦なのだと近頃思うようになった。 「この子の命とお前の命、どちらを選ぶか」といわれたとき、私は迷わず子どもの命と言うだろうか。私はその子の母であると同時に他の子たちにとっても母であり、父さんにとっての妻でもある。自分なき後の家族のことを思うと、迷わず「子ども」とも言いがたい。 子ども達は可愛いけれど、いつか巣立って自分の家庭を築いていく者達だ。 どこかで夫婦の絆からは離れていく子ども達を「お前が一番」の最優先に選ぶ事を私はしないだろう。
次女を病気で失おうとしていたとき、父は私に 「しっかりしろ。かわいそうだが赤ん坊はお前の子どもの4分の一だ。ほかのの3人の子どもたちのために、しっかり赤ん坊を看取れ。」 と叱ってくれた。 母が子を「自分の命と引き換えにしても救いたい」という美談を、現実問題としてはすっぱりと切り捨てて、生きている今の家族を守り続ける。 そういう決断の方法を父は私に教えてくれたのではないかと思うようになった。
「まず夫婦ありき」 私はあの日の父のように、ときどき子ども達に言う。 「一番大事はお父さん。子ども達はその次よ」 子ども達にとっては、自分達が「いつも一番」ではないという事はつまらないことかもしれないけれど、子ども達にとっての「いつも一番」になる相手はいつまでも父や母であってはいけない。 子ども達がいつの日か出会う生涯の伴侶のために、「あなたが一番」のポジションはあけておいてやらなければならないのかもしれない。
今朝、一番に実家の父母から電話があった。 たまたま、うちにいたオニイが電話を取って、「お母さんに『誕生日おめでとう』を伝えておいて。」と私に取り次がせる事もなく電話は切れた。 「子どもは巣立っていくもの」といいながら、40を過ぎた娘の誕生日の朝に「おめでとう」のメッセージをくれる父。 その少し距離を置いた、言い捨てるような愛情表現がいかにも頑固な父らしい。嫁いだ私が築いてきた今の家族の「一番」をそっと見守ってくれているのだろう。この歳になってもまだまだ、父母には大事に育てて頂いているのだなぁと思ったりする。 ありがたい。 私もそんな母でありたい。
朝早く、オニイが修学旅行に旅立った。2泊3日沖縄の旅。 パイナップルも大嫌い、アウトドアも苦手。暑さにはバテバテのオニイだけれど、友だちとワイワイ過ごす3日間はさぞかし楽しいことだろう。 どうやら沖縄の天候は3日ともあまりよくないようだけれど。
おんぼろトッポのワイパーの調子がよくない。 といっても、老朽化したゴムを新しいものと取り替えればいいだけなのはよくわかっている。 助手席側のゴムは少し前に交換したので、調子がいい。今度は運転席側のゴムが古くなって、水滴をぬぐっても微妙に視界に水滴が残る。かといって、今すぐ交換しないと不便というほどでもなくて、ついつい交換を伸ばしのばしにして現在に至っている。
「お母さん、これって微妙にイライラするね。」 久しぶりに助手席に乗ったアユコがフロントガラスを指差す。几帳面なアユコは片方だけ微妙に水滴の残る車窓が気になって仕方がないのだ。 ふと思いついてアユコにへんてこりんな謎をかける。 「ねぇ、アユコ、アンタはどっちのワイパーの気持ちが分かる? こつこつ一生懸命仕事をして自分の所はきれいにしているのに相棒のせいでなかなかきれいにならないと思っているそっちのワイパーと、自分なりに一生懸命やっているつもりなのにできのいい相棒の仕事と比べるといつも自分の方が見劣りしていると思っているこっち側のワイパーと。」 アユコはう〜んとかんがえていたけれど、 「どっちも分かる。両方かな。」 と当たり障りのない答えを返した。
ホントは、アユコは出来のいいワイパーのほうなんじゃないかな。 何でも一生懸命で、そこそこ器用だからたいていは人から褒められるような結果が出せて、自分のやった努力にはやった分だけの成果が感じられて・・・。 それだけで充分「出来がいい」娘なのだけれど、時々この子は一生懸命やってもなかなか結果が出せない人の痛みをあまりよく知らないんじゃないかなぁと思うことがある。 努力をしさえすればそれなりの結果は当然ついてくるものと思っていて、出来ないのはその人の努力不足のせいだと思い込む。 そういう一直線の真面目さが、他人のダメさを許容できない堅さになる。 もしそんな固い思い込みがアユコの中にあるのなら、どこかで柔らかく突き崩してやらなくてはと時々思う。
「お母さんっていう仕事はね、どっちもちゃんと分かってないと務まらない仕事だとつくづく思うわねぇ。 みんなと同じ努力をしているのにちゃんとできない子もいるし、言われなくても何でもちゃんと出来ちゃう子どもも居る。 どっちも自分の子どもだから、おんなじように大事に抱えていかなくちゃならないもんねぇ。」 今はまだ、アユコに本当に教えたいことを母の「自分への戒め」という形で謎をかけて伝えておく。 賢いアユコは母の謎かけの意味をいつの日かもう一度自分の中で問い返す事をしてくれるだろうか。 雨の日のおんぼろワイパーの中途半端な仕事振りを見たときに・・・。
2005年05月21日(土) |
銀ちゃんアリとダンゴ虫 |
山の中に住んでいるせいか、いつまでも子どもの食べこぼしがなくならないせいか、この時期になると必ず家の中にアリが発生する。 「あちゃーっ、アリが出たよ」とあわてて食品庫のお菓子や調味料の密封を確認し、部屋のあちこちの食べこぼしやお菓子のかけらを一つ残らず掃除機で吸い込む。そそくさと蟻用の殺虫剤を買ってきて、蟻の侵入口とおぼしき床面にべたべたと並べ立てる。 毎年毎年のお決まりの大騒ぎ。
「あ、そのアリさん、殺したら駄目!」 一掃処分の残党の蟻を見つけて指先でつぶそうとしたら、アプコが慌てて止めに入った。 「そのアリさん、もしかしたら銀ちゃんアリかもしれないでしょ。」 去年、アプコが飼っていた金魚の銀ちゃんが死んで、庭の隅に埋めておいたら翌日アリがたくさんたかっていた。 「銀ちゃんは死んでしまったけれど、銀ちゃんの体を食べて今度はアリの赤ちゃんが生まれてくるのよ。」と教えたら、生まれてくるアリはきっと「銀ちゃんアリ」なのねとアプコは納得したようだった。 もうずいぶん前のことだから、すっかり忘れているだろうと思っていたら、はっきり覚えていたのでびっくりした。 「銀ちゃんを食べて生まれてきた銀ちゃんアリをつぶして殺してしまったら、銀ちゃんはどうなるの?」 かさねてアプコに問われて、テーブルの上に見つけたアリをぷちっとひねりつぶす事が出来なくなってしまった。 「う〜ん、どうなるんだろうね。よくわかんないからこのアリさんは外に逃がしてあげようね。」 命拾いした小さなアリをメモ用紙の端っこでそっとすくって、窓の外にピッと飛ばした。
その後、父さんとアプコと3人で買い物に出かけた。 車中で父さんにアプコの銀ちゃんアリの話を教えて、「ふぅん、アプコも小さいなりにいろんなことを考えているんだねぇ」と二人で笑う。 「不用意にアリ一匹もつぶせないね」と話をしながらスーパーに着いた。 駐車場で車から降りたアプコ、さっそく足下の地面に何かを見つけてしゃがみこむ。 「ダンゴ虫だぁ」 あらら、ほんとだ。こんな所に居たら車に轢かれちゃうねと言おうとしたら次の瞬間、いきなりアプコがブンとダンゴ虫を踏み潰した。
え?! 今さっき、「アリ一匹もつぶせないね」と言っていた父さんと私は突然のアプコの暴挙にしばし呆然。 「あ、つぶしちゃったのね・・・。」 「かわいそ・・・」 当のアプコは父母の驚愕に気づきもせずに、自分の靴裏をひっくり返して自分の踏み潰したダンゴ虫を確認している。 「だって、あたし、ダンゴ虫嫌いだモン。」
ああそうですか。 幼い子どもの「生命への畏敬」なんて所詮そんなモンですかね。 父も母も、あっけらかんとしたアプコの変わり身に、なんだかがっかりしたような、ちょっとホッとしたような。
小学校の授業参観。
アプコ、ひらがなの授業。 小さい子ども達が背中をぴんと伸ばしてよそいきのおすまし顔で緊張して授業を受けている様は可愛い。中高生になるとさすがに、デレンとねじれたままひじを突いてよそ見をしていたり、先生の話を聞こえない振りをしてカッコつけたりする子も出てくるのだろうけれど、さすがにぴかぴかの一年生の始めての参観日というのはなんとも初々しい。 心なしか参観する保護者の皆さんまで姿勢がよくなって、私語や雑音も少なない気がする。 お利巧さんね。
ゲン、「石」という詩の授業。 実はT先生の同じ教材での授業を、オニイの参観の時にも見せていただいていて、ああ懐かしいという想いでじっくり見せていただいた。 「いろんな欠点や弱点がいっぱいあってもいいんだよ。 足りない所を補いながら、自分のことを大事に大事に思っていてもいいんだよ」というT先生のおおらかで優しいメッセージが伝わる授業だった。 クイズやら工作やらダジャレやらを織り交ぜた楽しい授業に、子ども達も後ろの保護者もぐっと引き込まれるように気持ちのいい時間を過ごさせてもらった。 授業の最後に、一人の男の子が 「これ、国語の授業とちゃうやん」 と大きな声で発言した。 「国語の授業」という形を借りて、T先生が一編の詩に寄せて贈ったメッセージの意味を、ちゃんと受け止めて呑み込むことの出来る力を子ども達はちゃんと持っているんだなぁと思う。 「よい授業というのは子どもの心を耕す」 学生時代に聞いた言葉を思い出した。
誰にもあまり好かれていなくて、私も「苦手だな」と思っている人がある。 ちまたの評判は確かによくないけれど、私自身は直接にはその人から嫌な思いをさせられたというわけではなくて、何で私がその人のことが苦手なのかその理由ははっきりしない。 今日、その人がはっとするような素晴らしい発言をする瞬間に居合わせた。 その発言の詳細をここで書く事はできないけれど、一人の人間を見るときに、他人の言う評判や偏った一面からだけの判断で全てを分かった気になってはいけないのだなと気がついた。
学校という所は、子にも親にもはっとするような輝かしい学びの瞬間をいつも用意してくれる場所であって欲しい。 そういう学びの空間に、今日も触れさせていただけた事が嬉しい。
オニイとアユコ、中間テストの結果が帰ってくる。 初めての定期テストで、ドキドキしながら試験勉強をしていたアユコ、思わぬ高得点を持ち帰ってきて得意げに父母に見せる。 こつこつと計画を立てて、一つ一つ確実にこなしていくアユコの日頃の努力あればこそ。良し良し。 かたや、オニイ。 浮かない顔でPCの画面をにらんでいる。 「今回はずいぶん頑張って試験勉強したぞ」と言っていたのに、結果はあまり思わしくなかったらしい。三年生になって、オニイも今までよりはずっと頑張っていたけれど、まわりもみんな急に頑張るようになってきてるんだよ。 アユコの弾んだ声が癇に触って、イライラをあたりに吐き散らすオニイ。 あ〜あ、また落ち込んじゃったよ。 デキる妹をもつととオニイは辛いね。
「かあさんは、また僕とアユコを比べるやろう。」とオニイが言う。 私自身は学校の成績の良いアユコと努力がなかなか点数につながらないオニイの事を、比較して叱ったりせきたてたりしているつもりは無いのだけれど、長男として後を追ってくる弟妹達のデキをいちいち気にするオニイから見ると、中学に入って急に間近に追い上げをかけてくるアユコの存在はやはり鬱陶しい脅威なのだろう。 本当は妹と比べて卑下したり落ち込んだりしているのは、母ではなく、オニイ自身のプライドなのだ。
あのなぁ、オニイ。 母にとっては、どの子にも一番輝いているように見える時があってな。今はもしかしたテストで高得点を取ってくるアユコが一番キラキラ輝いて見えるかもしれん。時には絵を描いたり物を作ったりすることに熱中しているゲンがキラキラ輝いて見えるときもある。 もちろん君にだって、これまでに何度もひときわキラキラと輝いて見せてくれたときがあったんよ。
人はね、学校の成績がよくて輝くこともある。 学校の成績はさっぱりだったけど、社会に出て仕事を始めたらイキイキと活躍できるという人もある。 幼い子どものときに、その才能や能力がひときわ輝きを放つ人も居る。 ことさら、目だった輝きはないけれど、日々の静かな営みや穏やかでやさしいその人柄が、時を経て次第に輝きを増す人も居る。 もしかしたら、一生涯いいとこなしで、本当に人生の間際になってようやく小さな輝きを放つ人も居るかもしれない。
たまたま今の君にとっては、アユコは輝いて見えるかもしれないけれど、 母が本当に見ているのは今だけのアユコじゃない。今だけの君じゃない。 これまでだって、母は君が一番輝いていたときをいっぱい知ってるよ。 アユコが凹んでペシャンコになってるときだって知ってるよ。 それから、君やアユコがこれから先、もっともっとキラキラ輝くときがくるだろうという事もちゃんと知っているんだ。 今の君、今のアユコだけを見て、比較したり見下したり誉めそやしたりを母はしない。 どの子も同じくらい大事。 どの子にも同じくらい期待してる。 どの子も母の希望の星なんだ。
オニイ、そんなに落ち込むな。 悔やむなら、アユコと比べて卑下するのではなく、自分の力不足や努力不足をまっすぐに悔やめ。 君はいつ、輝く?
昨日のドライブのときの事。
父さんの車についているナビの調子が悪い。 時々、画面が全く表示されない事があって「ディスクを確認してください」と指示が出る。 どこかの接触が悪いか、なにかだろう。 父さんのナビは既に5年目。入れてあるディスクも99年版とあるから、時には新しく出来た道路が表示されていなかったり、混雑状況までは教えてくれなかったりする。 普段、近隣を走ることが多いので、本当にナビを頼って目的地を探す事はめったにないのだけれど、たまに必要だなというときに限って、ナビさんのご機嫌が悪くて、「ディスクを確認してください」と宣う。 なんどかCDを出し入れしてみたり、スイッチを入れなおしたりしてみるが、なかなかいつもの地図の表示が出てこない。 「ま、いいや、」と渋々、リアシートから分厚い地図帳を引っ張り出してくる羽目になる。
法隆寺までの最短コースを知りたくてさっそくナビをと思ったのだけれど、今日もやっぱりナビさんはストライキ中らしい。 助手席に乗っている人力ナビの私は、残念、地図が読めない女。 「ちょっと持ってて」と渡された地図をひっくり返したり裏返したりしているうちに、すぐに現在地を見失ってしまう。そのうち「もういいや。」と父さんが笑い出してしまい、地図無しで父さんの勘と方向感覚に任せて車を飛ばす。 結局これが一番確かだったりして・・・。
大体、カーナビってとっても高飛車で失礼。 「調べてやったんだから、ちゃんとその通り走れよ」って口調だもの。 違った道を選ぶとチッと舌打ちして「またかよ。」ってな具合で「再検索いたします」なんておっしゃる。 新しく出来たばかりの道を通ると、「そこ、道路じゃないよ。」とばかりに慌てふためく。 自分の持ち合わせているデータが5年も前の古いデータだということに気づきもしないで、「この行き方で間違いないんだから」といつも自信満々。 そのくせ、新しく覚えた情報は自分から取り入れようとはしないんだ。 これって、誰かに似てる?
半日ドライブする間中、父さんのナビは青い始動画面のまま、何の情報も表示してくれなかった。 あちこちまわって帰り道で買い物をして、自宅の近所の磐船街道まで帰ってきたとき、ふと気がつくと、ナビの画面がいつの間にかなじみの地図の画面を表示している。 「あれぇ。今頃、直ってるよ、このナビ。」 と父さんと笑う。 「知ってるところへ帰ってきたら急にやる気、出したんだな。」 「ふふ、こんなご近所で道案内してもらってもねぇ。あ〜あ、使えないナビだなぁ。」 と可笑しい、可笑しい。 知らない話題の時にはむっつり押し黙っちゃって、知ってる話題になると俄然元気になってペラペラしゃべりまくる。 これって、確かに誰かに似てる。
2005年05月17日(火) |
「いいこと、あってん」 |
子どもらを学校へ送り出してから、久しぶりに父さんとドライブに出かけた。今月末のお茶会に出すための作品の取材が目的。一直線に法隆寺へ向かい、修学旅行生の波に何度も呑まれそうになりながら、エンタシスの柱に触れ、塔の写真を撮り、夢殿の秘仏公開の列に並ぶ、超特急の斑鳩の旅。 大きなカメラバックを抱えて撮影ポイントをあれこれ探す父さんを横目に、どっしりと地にそびえる飛鳥の人の信仰の偉功の証を晴れ晴れと見上げる。 程よい気分転換の旅だった。
夕方、バタバタと帰宅したゲンがツンツンと私の肩を突く。 「あのな、あのな、今日、すンごくいいこと、あってん。」 なんだかニヤニヤ嬉しそうだ。 「何があったん?」と何度訊いても、「教えてあ〜げない」と下あごを突き出して嬉しそうに笑っている。 散々訊いても教えてくれないので、「もういいよ、別に分からなくても」と突き放すと、今度は自分からそばへ寄ってきて、「あ〜、すンごくいいことなんだけどな。」といいながらうろちょろしてる。要するにもっとしつこく聞きただして欲しいのだ。 「知りたかったら、T先生に訊いてみてよ。」 とヒントもどきのことを小出しにして、ニヤニヤと付きまとってくる。 馬鹿だなぁ。 なんだかとっても楽しい事が合ったのだろう。 楽しくてたまらない、自然と顔がにやけてくる。 こういうくすぐったい嬉しさをコロコロと手の中で転がして楽しんでいる、ゲンの笑い顔がそれだけで母にとっては「とってもいいこと」
この間、子どもらの遊び場となっている神社の清掃の呼び出しがあって、ちょうどその場でお喋りしていたU君母が同じような話を教えてくれた。 塾帰りの迎えを呼ぶ電話で、Uくんが「今日、とってもいいことがあったよ」と嬉しそうに報告してくれたという。うれしくて嬉しくて仕方がないくせに、帰りの車中で問いただしても「とってもいいこと!教えてあ〜げない!」と楽しそうに口をつぐむ。 塾のテストでとってもいい点でもとったのかしらん。 U君母もいろいろ「いいこと」の内容を推理しては見たけれど、結局「いいこと、教えてあ〜げない」のやり取りを嬉しそうに続けるU君の様子に、肝心の「いいこと」の正体が分からないまま、なんだか楽しい気分になってしまったという。 ホントにホントにそうだなぁ。 「いいことあったよ!」といの一番に報告しにきてくれる子どもの笑顔って、なんだかいい。とっても嬉しい。それだけでいい。
・・・・・追記・・・・・ 18日。クラスの仕事で下校時間が遅くなったからとT先生がわざわざゲンを車で家まで送ってきてくださった。 そのT先生に「昨日なんだかとってもいいことがあったらしいんだけど、ちっともおしえてくれないんですぅ。」とお話したら、T先生にも心当たりは無いという。 先生と二人でゲンに「教えて、教えて」と訊いてみて、どうやら、昨日のゲンのいいことの正体が判明した。 前日の放課後、T先生はゲン達数人の子ども達と一緒に教室の蛍光灯の交換をしていたのだという。その時いたずら心を起こしたゲンが、失礼にも蛍光灯でT先生のふくよかな部分を突っついて、とても楽しかったのだそうだ。 大好きなT先生にちょっといたずらして一緒に笑う。 その楽しい気分をそのまま大事に家まで持ち帰って、母にもおすそ分けしてくれたのだろう。 その内容を母に説明してしまったら、もしかしたら「あ、そう」で済まされてしまいそうな嬉しい気持ちを大事に大事に小出しにして伝えてくれたんだな。 わが息子ながら、ゲンってホントに面白いヤツだ。
雪柳も終わった。都忘れも盛りを過ぎた。宗旦ウツギが今年は思いがけなくたくさん花をつけた。 アジサイや甘茶が小さなつぼみをびっしりとつけ始めている。 春は終わっていくのだなぁ。 アプコに訊かれて「紫蘭」という花の名を教えたら、 「『知らん』って、へんな名前!それ、ウソ?ホント?」と信じようとしない。お約束のようなダジャレだけれど、最初に「紫蘭」の名を教えるとどの子も同じ反応をしてケラケラ笑う。オニイもアユコもゲンも・・・。 赤紫の派手な色合いの紫蘭は、白やブルー系統の花の多い我が家の庭ではいつもぱっと目立ちすぎて居心地が悪そうなのだけれど、「しらん」というダジャレの面白さを楽しむために、もう何年もでんと居座って花を咲かせる。 今年はことさら、花つきがよかった。
アプコが帰り道、「今日は席替えをしたよ」という。 「アタシのとなりはHちゃんになったよ。」 Hちゃんは、ひまわり学級という障害児学級の女の子。どんな子か私にはよくわからなかったけど、この間、急な雨で傘を持って迎えに行ったとき、自分の傘がないと先生にしがみついて泣いていたあの子らしい。 「Hちゃんのお隣はちょっと大変なんよ。自分のご飯を他の子のお茶碗に入れたり、ヘンな事するねん。」 アプコにとってはこれが障害を持った友達との始めての出会い。 「ときどきひまわり学級へいく子」とは理解しているらしいが、具体的にHちゃんに対して「障害のあるお友だち」という認識はまだないようだ。 「Hちゃんとは、よく一緒に遊ぶの?」と訊くと、「うん、いつも一緒に遊んでる。大うんていとか、Hちゃんは自分ではうまく登れないから、みんなで手伝って登るの。」という。 Hちゃんの障害そのものは理解していないけれど、何かとお手伝いの要るお友だちという認識はあるらしい。 どうもアプコは、障害のある子とそうでない子の違いをかぎ分ける感覚が他の子よりもちょっと鈍いらしい。
私自身が障害を持った子と初めて出会ったのは、公立の幼稚園に入園したときだ。 クラスに一人、Tちゃんと呼ばれる知的障害の女の子がいた。Tちゃんは大人しくて自分からはなかなか人に話しかけたりしないのだけれど、何となくクラスの中では一人浮いている感じがあった。 手洗い場で、みんな並んで手を洗っていると、何故だかTちゃんの番になると、後ろの子が順番抜かしで割り込んでいく。お弁当を食べる時にはTちゃんの机だけほんの数センチ離して配置されている。 多分クラスのほかの子達は、「Tちゃんは普通の子と違う」と言う事に入園後まもなく気がついて仲間はずれにしていたのだろう。けれども、その時何故だか私はずいぶん後になるまでTちゃんに障害があるということに気がつかなかった。 なんで他の子たちがTちゃんをのけ者にするのかがいつまでも分からなくて「手を洗いに行くときには早くしないと皆に追い越されちゃうよ。」とか、「髪の毛はちゃんと梳かしてもらってきたほうがいいよ」とか、コソッと人のいないところでTちゃんにお説教したりしていた記憶がある。 思えば私自身も今のアプコのように、友だちの障害を認知する感覚が他の子たちより少々鈍かったのかもしれない。
Tちゃんとはその後、中学3年までずーっと同じクラスだった。今思えば、多分私は「Tちゃんのお世話をしてくれる子」ということで、いつもTちゃんとセットでクラスに振り分けられていたのだろう。 障害児学級の子を特定の面倒見のいい子にくっつけてクラス配分する、そういうシステムが学校現場の中では常識なのかどうかは分からない。当時の私は「な〜んだ、またTちゃんと一緒のクラスなのか・・・。」と、先生たちのクラス編成に意図的なものを全く疑うことなく、10年間のTちゃんとのお付き合いがつづいた。その辺の先生たちの作為に対しても、私はかなり鈍感であったのだろう。 修学旅行や遠足など行事のあるごとに、Tちゃんは当然のように私と同じ班に編入された。時にはそれが原因で他の仲のいい友達と同じ班になれなかったりして、Tちゃんの存在をうっとおしく思ったり、Tちゃんの世話をいつもいつも背負わせる先生たちへの反発を感じて、本気で抗議しに行ったりすることもあった。時にはわざとTちゃんを避けるような態度を取ったり、したこともある。 それでもTちゃんは多分私のことを慕ってくれていたのだろう。中学の卒業式の朝、Tちゃんはいつものようにちょっと距離をおいた所に遠慮がちに立って、それでも決して離れることなくおずおずと私と一緒に友だちの輪に加わっていた。 あの時の私は、十年間一緒に学校生活を過ごしてそれぞれに違った進路に進んでいくTちゃんにちゃんと「さよなら」を言ったのだろうか。
今年、中一になったアユコもまた、軽い学習障害のあるSくんと同じクラスになった。小学校入学の時からずーっと同じクラスだから、今年で7年目のお付き合いだ。一年生の頃には、授業中に落ちついて座っていられなかったり集中力が保てなかったり、小さなトラブルがいくつかあったけれど、アユコはS君のことをちょっと世話のかかる弟のように、着かず離れず見守ってきたような観がある。 この春、入学式の朝、校舎の壁に張り出されたクラス編成表を見上げて、アユコは一番の仲良しのAちゃんと同じクラスになって大喜びだった。そしてそのあと、「あれ、Sくんも一緒のクラスだ。わぁ、一緒のクラスはこれで7年目だよ」とあっけらかんと驚いている。 「ホントだねぇ、よっぽど縁があるんだねぇ。」とその場では私も気にも止めずにいたけれど、後からSくんのお母さんに会った時に「うちの子は、アユちゃんと一緒のクラスにしてもらえるんじゃないかなと思ってたわ。」といわれて、初めて「あ、そうか」と思い至った。 中学生になって、普通学級から障害児学級にうつるSくんに、「仲のいい友だち」としてアユコとAちゃんの名前が小学校の先生から申し合わせがなされていたのだろう。「7年間一緒」は偶然ではなく、もしかしたらずーっと先生方の「作為」の結果だったのかもしれない。 けれども、私もアユコも今回S君母からほのめかされるまで、「いつもおんなじクラス」の偶然を疑いもしなかったし、そこに誰かの「作為」があるなど思いもつかなかった。 親子揃って、そういうことには鼻が利かないということだろう。
結果として、私が幼稚園から中学3年までTちゃんと一緒に過ごした10年間は私にとっては貴重な10年間だった。 大学卒業後、思いがけず私が飛び込んだ職場は知的障害の子ども達が学ぶ養護学校だった。重い知的障害の子や情緒障害でしょっちゅうパニックを起こす自閉症の子達と格闘する日々の中で、私はたびたびTちゃんが仲間はずれにされる理由をいつまでも理解できなかった幼い日の私の鈍感さを思い出した。 あの日の私はいつまでもTちゃんに「障害児」という名札をつける事ができなかった。他人より早く手洗い場に並ぶ事の出来ないTちゃんの要領の悪さと、小動物を苛めたり芽を出したばかりのチューリップを踏みにじったりしても心の痛まないやんちゃ坊主の無神経の違いがなかなか理解できなかった。その鈍感さのお蔭で、私は比較的抵抗無く、知的障害の子達や重い情緒障害を持つ子ども達との生活に飛び込んで行けたのかもしれない。時には「障害」に対する鈍感さは彼らと自分自身との距離を縮める最大の力になることもある。
「Hちゃんが泣いてるときは、アタシもちょっとだけ悲しくなるんよ。」 アプコはまだHちゃんに「みんなと違う子」という名札をつけていない。 「なんでかなぁ。」と首をかしげてHちゃんのそばにたたずんでいるようだ。 「Hちゃんは他の子とどこが違うんだろう。」 その疑問がアプコ自身の中からわきあがってくるまで、私は「障害児」という言葉の意味を教えないで置こうと思う。 いろいろな人の本質を公平に見る目というものは、知識ではなく経験から身につけていくものだと思うからだ。
朝剣道の帰り、汗臭い剣道着のままの息子二人を従えて、お昼前のスーパーをうろつくのが近頃の定番。 シャープペンの芯だの新しい国語のノートだの、時には替えの運動靴など、くだらないものをあれこれ買って、地下の食料品売り場へ流れ込む。 昼ごはんの焼そばを買う。 キャベツだのジャガイモだの普段は重くてうんざりする野菜のまとめ買いをする。 おやつ用の菓子パンやスナック菓子を買い込む。 日に日に消費量の増える牛乳を買う。 近頃では二人の息子達が、レジの済んだかごから買ったものをさっさとレジ袋に詰めてくれて、取り合うようにして重い荷物を持ってくれるので、楽チン、楽チン。 忠実な用心棒を二人引き連れてお買い物する有閑マダムのようで、ちょっと嬉しかったりする。 子どもってたくさん産んでおくモンね。(荷物持ち確保が目的・・・?)
お供の息子達が時々ふらりと姿を消す。 試食販売のウインナーの匂いに惹かれて行ったり、新しく出たカップめんのチェックに行ったり。 これはこれで息子達も結構楽しいらしい。 今日出会ったのは、パンの試食販売。 おじさんが、薄く切ったパンをトースターで軽くあぶり、お客に配って売り込んでいる。このおじさん、セールスに夢中になって、焼いていたトースターのパンを焦がしたり、「ここまで焼いたらあきまへんで。」と言い訳したり、何となく素朴ですっとぼけている。その喋り口が訥々として面白いとオニイがひっかかった。 「ほい、にいちゃん」とばかり貰った試食品を頬張りながら、イヤに熱心におじさんの講釈を拝聴している。 「かあさん、このパン、ごっつううまいで。」 あ〜あ、引っかかっちゃった。 男ってどうしてこんなに試食販売に弱いんだろう。 立ち止まったら買わずに帰れなくなってしまうのは、父さんそっくりだぁ。 「ああいうおじさん、僕、なんか好きやなぁ。」 ええい、ご祝儀だ。 レーズンとくるみの入ったパン、お買い上げ。
オニイの大人を見る目はなかなか渋い。 不器用にパンを売る試食販売のおじさんとか、新任研修で大きな声で指差し確認している若い車掌さんとか、高齢で引退間近の老剣士だとか、そういうい人たちの決してかっこよくはないけれど、その一生懸命さにオニイのアンテナは動く。そういう目立たない人の目立たない一生懸命に心動かされる事が多いようだ。 多分彼自身、自分が誰からも注目を浴びる華やかさや天性の才能でもてはやされる派手なパフォーマンスとは無縁の、静かに長く続く一生懸命を生きていくだろうという事に気づいているからなのだろう。 「15歳にして、この達観はどうよ」とも思うけれど、普通の人々に向ける穏やかで暖かなオニイの視線の確かさは、彼の最大の才能でもあると私は思いたい。
汗臭い防具袋と両手いっぱいの食料品、50円缶ジュースを飲み干す子ども達を詰め込んで、おんぼろトッポで家路に着く。 けっしてかっこよくはないけれど、これはこれで豊かだよなと思ったりする。 子どもらとの買い物は楽しい。
昨日の雨もあがり、すっきりとした青空の下、小学校遠足。 我が家の前を、1・2年、3・4年がぞろぞろと山に向かって歩いていった。玄関の所に立って、手を振って見送っていたら、アプコ恥ずかしそうにニコニコしながらわざと他所をむいて通り過ぎようとする。 面白いので、「アプコ!いってらっしゃい!」と声をかけたら、照れ隠しでへらへら笑っている。 可愛い。
午後から、5年生の宿泊学習の説明会と久しぶりの和太鼓の稽古。 今年、ひょんなことから和太鼓の連絡係を引き受けていて、20人あまりの参加者と指導のT先生(アユコの5・6年の担任だったT先生)のあいだの練習日程などの連絡をメールで行っている 昨晩は、和太鼓の参加者の大部分が5年生の保護者で和太鼓の稽古に最初から参加することが出来ないということが分かって、その調整に和太鼓連絡網がフル回転だった。 結局T先生が「少人数になってもOK」と言ってくださって、5年生組は後から遅れて合流する事で収まった。
体育館で5台の和太鼓の準備だけを手伝っておいて、説明会へ。 ゲンたち5年生は、来月、淡路へ一泊二日の宿泊学習に出かける。二日間の行程やとうじつの持ち物などの説明を受け、メモを取る。 「地引網の実習では、海に入るわけではないんですが、大概一人や二人、勝手に水に入ってしまってびしょぬれになる子が出ます」と説明の先生が愉快そうに笑う。 「それって、ウチのゲンに違いない!」ととなりのお母さんとクスクス笑う。濡れるはずのないところで、知らぬ間におパンツまでびしょぬれになってくるのは幼い頃からのゲンの「お約束」だ。 いっぱい着替えを持たせておくことにしよう。
そのうち、説明会の部屋の窓から、体育館の和太鼓の音が流れ込んできて、「うわぁ、私も太鼓叩きたい!」とついついそわそわ。周りを見回すと、同じく太鼓のメンバーのお母さんと目が合って、「早く行きたいね」の目配せ。 6時間目の授業の最中に早く部活に行きたくてそわそわしてる中学生みたいで楽しい。何十年ぶりかに、学生の頃のなんだか分からないあの嬉しいそわそわ感が急に思い出されて、懐かしい気がした。
急いで合流した体育館。 心配していたよりずっと人数も集まっていて、既に新しいリズムを一通り教えていただいた後の模様。 遅刻組が交代してもらって、最初から稽古を始める。 和太鼓を叩かせてもらうのは実に半年振り。 腕に、腹に、ずし〜んと伝わる太鼓の響が心地よい。 新しく習った打ち方は微妙に難しくて、複雑なパズルを解くように頭の中で忙しくカウントしながら音を出す。 「脳の中の普段使っていない部分をフル回転させてるみたいで、頭から煙でそうだわ。」 と仲間と笑う。 その緊張感もまた、皆で太鼓を叩く事の楽しみの一つだ。 ボケ防止?ストレス発散?運動不足解消? なんとでも言ってください(笑)
明日は、先週の雨で延期になった小学校の遠足。 今、外ではザーザー雨が降っているけれど、天気予報によれば明日は晴れるらしいので、ゲンもアプコもすっかりその気になって遠足の用意を再点検している。 遠足といっても、行き先は小学校近隣の山のハイキングコース。春の遠足の定番コースで、アプコに至っては一旦学校に集合してから、再び自宅の前を通過して山へ入る。帰りは多分アプコだけ、途中下車でウチへ帰らせてもらうことになるのだろう。
雨のため一週間お預けとなっていた遠足のおやつ。 そんなにひねくり回していたら、減っちゃうよというくらい何度も出したり入れたり、充分に楽しませてもらった。 高学年も低学年もおやつは一律150円。わざわざ、遠くの駄菓子屋まで遠征して選び抜いた駄菓子の数々。 ちまちまとゼリーやらガムやら小さなお菓子を念入りに選ぶアプコに対して ゲンは去年に続いて、制限額の全てをはたいて「うまい棒」15本という破天荒なチョイスに得意満面。「皆がどんな反応するか、それが楽しみなんだ。」と今からワクワクドキドキしている。 「きっと喉が渇くから、やめなよ。」という外野の声にも関わらず、去年は、自分の買って来た「うまい棒」を友だちのほかのお菓子とトレードしたり、違う味のをミックスして食べたり、結構楽しんで帰ってきたらしい。 「今年も絶対、うまい棒15本!」 ゲンの決意は堅かったようである。
「あのな、T先生にな、うまい棒のクイズ、出してん。」 とゲンが嬉しいそうに教えてくれた。 「T先生がな、うまい棒15種類全部いえたら、僕のうまい棒一本上げることになってんねん。だいぶ、ヒント言うたからな、あと二つになってんけど、先生、分かるかな?」 とまた自分の15本を広げて、数えて見せる。 さすが、T先生、子どもに調子、合わせるのが上手だなぁ。 数日後には、班ノートで「15本、ムキになって調べて書けたんだけど、今度は15秒間で言えといわれてショゲてます。」と先生のコメントがかえってきて、大笑い。 なんだかゲンもT先生もたのしそうだなぁ。 こんな風に、子どもの「くだらないけど譲れない」こだわりに、笑って付き合ってくださるT先生のおおらかさがなんとも嬉しい。
先日、バーベキュー大会に初参加してくれたUくんのこと。 Uくんはロッジにいる間中、いつもよりずっとハイテンションで大人たちやオニイやアユコとお喋りをしていて、「ここへ来てよかったよ、楽しいよ」と何度も何度も言ってくれた。 家族の事や塾のこと、学校の友だちのことなんかも初対面の大人にいろいろ話してくれて、その幼い口調にも関わらず、ずいぶんいろんな複雑なことを考えているのだなぁと感心させられた。 と同時に、この子は、家族以外の大人たちに激しくアピールして、受け入れてもらいたいものをたくさん持っている子だなぁという感じを持った。 U君母の弁によると、低学年の頃からU君は周囲の大人から「ちょっと変わった子」という感じの受け止められ方をしていて、自分の話をちゃんと聞いてくれる大人に恵まれていないという。 だから、Uくんの話を面白がって聞いているバーベキュー仲間の中が居心地がよかったのだろう。 子どもたちは自分が面白いと思っていること、イヤだなと思っていること等を周りの大人に理解されたがっている。誰かに共感してもらう事で、相手を信頼できる人、一緒にいて楽しい人と認知していくのだと思う。 そういう意味では、ゲンの「うまい棒15本」という馬鹿馬鹿しいこだわりに、面白がって加わっていただけるT先生の存在は、ゲンにとってはとてもとてもありがたいことなのだなぁと改めて思う。 近頃、ゲンの表情がとっても明るく、なんだか何もかもが楽しくてたまらないという感じなのは、きっと自分を理解してくれる楽しい大人や友だちに恵まれていると感じているからだろう。
ところでゲンの言う「うまい棒」15種類。 調べてみたら、現在は下記の通り。
とんかつソース味・サラミ味・チーズ味・テリヤキバーガー味・コーンポタージュ味・やさいサラダ味・めんたい味・キャラメル味・たこ焼き味・ココア味・チキンカレー味・かばやき味・エビマヨネーズ味・チョコレート味・なっとう味
「うまい棒」の安っぽい味は嫌いだけれど、こういう馬鹿馬鹿しい商品展開へのこだわり方はなんとなく好き。どんな人が新しい味の開発をしているんだろうといつも思う。もしかしたら、子どもの好みを子どもの目線で観察できる、遊び心溢れるおバカな大人なのかもしれない。
昨夜のバーベキューの名残を振り切って、朝からオニイとゲンの剣道の試合。ゲンは小学校高学年の部で個人戦と団体戦に、オニイは中学生の部で個人戦に出る。 送迎応援要員の母は、昨夜のお疲れでねむねむモード。試合前の長〜いご挨拶や合同の素振りの間、道場の人ごみにまぎれてコックリコックリ居眠りをする始末。 立ったまま、居眠りするなんて、ほんとに久しぶり。
ゲン個人戦。 一回戦、辛勝。 2回戦、小手を一本とって、引き分けたままずいぶん長いこと粘っていたが、最後は面をとられて惜敗。 試合が終わってもしばらく口を利かず、一人離れたところで面をはずして、汗を拭く振りをしながら面タオルでごしごしと涙をぬぐってるゲン。 よほど悔しかったらしい。 ようやく顔を洗って戻ってきたと思ったら、同じ道場の友達が2回戦を勝ち抜けたところに出くわして、悔しさ再燃、またどこかへ姿を消してしまった。 ぐいと歯を食いしばり眉根を寄せて涙をこらえるゲンの後姿は、なんとも少年らしくていい。 横でSくんのおかあさんが「みてるだけでこっちまで胸がきゅんとなっちゃうね。」と言ってくれたけれど、ほんとにそんな感じ。
オニイ、個人戦。 一回戦。前回の試合のとき、格違いの偉丈夫に初戦であっけなく敗れたオニイ、今回は体格的にもそれほど遜色のない相手に危なげなく一勝。 二回戦で、かなり競り合って健闘したが、惜しくも敗れた。 体も小さく、こつこつまじめに稽古に通っている割には飛躍的に強くなるという経験のないオニイだが、体つきも技も、そしてちょっとハスキーな掛け声もすっかり男らしい大人びた成長振りが見える。勝ち負けは別として、ずいぶんうまくなってきたなぁと感じる。傍らで見ていたゲンが、「お兄ちゃんカッコええな。」と普段使わないほめ言葉を漏らした。 接戦の末敗れて帰ってきて、「勝てない相手じゃなかったんだけどな。」とさばさばと面をとり、汗だくの髪をもしゃもしゃかきあげる仕草はいかにも「男だな」という感じ。
ゲン、団体戦。 ゲンは4〜6年の5人の混成チームの中堅(3番目)で戦う。 発表された相手チームのメンバーを見てみると、ゲンの相手は奇しくも個人戦の2回戦で敗れた同じ人。 「勝てないかも・・・」と弱気になるゲンに、「団体戦なんだから、ほかのみんなのためにも絶対勝とうという気でいなければ・・・」と叱咤激励。 先鋒次峰が一敗一分けで、ゲンの出番。ゲンの悔し紛れの勢いあふれる健闘で何とかチーム初白星。 副将のS君は、なかなか決まらず引き分け。 大将のY君は、個人戦上位入賞の女の子剣士に歯が立たず、敗れる。 結果、一勝2敗2引き分けで一回戦、敗退となった。
試合終了後、大将のY君が激しく嗚咽している。その横で、チーム唯一の白星をあげたゲンまでがふたたびごしごしと涙をぬぐっている。 美しいチームの友情に周りのおかあさんたちと感動してみていたら、どうやらYくんは「女の子に負けたのが悔しい」と泣いていたらしい。 そして、ゲンもまた、宿敵相手に念願の一勝を得た嬉し涙でもなく、チームの敗北が悔し涙でもなく、「試合中に腕の内側を思いっきり打たれてめちゃめちゃ痛かってん」という。 なんだい、なんだい。 感動の名シーンかと思ったら、涙の真相はそんなモンですか。 それとも二人とも照れ隠しのいいわけだったのかなぁ。
あとで、道場のI先生が、泣いている二人に挟まれて、一人さばさばしらけた顔をしていたSくんに、「ゲンがあれだけがんばって一勝してくれたんだから、『俺も一本決めてやる』くらいの勢いでかかっていかなくてどうする!ましてや相手の大将はなかなか勝てる相手じゃないんやから、チームの勝敗は副将のお前のがんばりにかかってたんやぞ」とお説教をしていた。 確かにS君の相手は、勝てない相手ではなかったし、その戦いぶりにもなんとなく覇気がないように見えた。 でも、今、派手に涙をぬぐっているゲンもYくんも、決してチーム全体の負けの悔しさだけで泣いているわけじゃなさそうですから。 残念!
帰り際、久しぶりにお会いした老剣士K先生に二人とも 「なかなかうまくなったなぁ」とお褒めの言葉をいただいたらしい。 何とかかんとか「出席率だけが取り柄」でがんばってきた我が家の二剣士のとりあえずは善戦振りがうれしい。 帰りに、恒例のソフトクリームとたこ焼きを振舞う。 ま、お疲れさんということで。
毎年恒例のバーベキュー大会。 近所のレクリエーション施設のロッジを借りて、家族がそれぞれに知り合いや友だちを招いて集う。 今年の参加者は、私の結婚前の同僚のHさん家族。近所の友人のM君親子、Wくん兄弟、Uくん親子。そしてアユコの友だちのAちゃん。父さんの友だちのOさん。大人6名、子ども14名。 今年は昨年のメンバーに新人のU君親子とWくん兄弟を迎えた。
U君はゲンの同級生。去年ゲンとは同じクラスで、いじめ問題やら何やら一緒に戦ってきた友達だ。今年のクラス替えでべつのクラスになって、「なんだかUちゃん、落ち込んでるみたい」とゲンがしきりに気にしていたのだけれど、思い切ってお誘いしてみたら喜んで来てくれることになって嬉しい嬉しい。 U君母もまた私の昨年度のPTA仲間。子育ての悩みや学校の事など、カラッと楽しく笑い飛ばせる気持ちのいいお母さん友だちだ。
我が家の子ども達に早めにやってきた子ども達を加えて、バーベキューの下準備。 野菜を切ったり、飲み物を準備したり。以前に比べると子供たちだけに任せておける仕事の範囲がずいぶん増えて、楽チンになった。 「アユコ、ポトフのお鍋に水を汲んできてね。アプコ、ジャガイモの皮をむいていいよ。ゲンはUちゃんといっしょにベーコンを切ってね。」 ひまな手を遊ばせて置かない人使いの荒い母を見て、U君母が呟いた。 「子ども達を動かすのがうまいなぁ。」 ・・・って、それはお褒めの言葉らしい。 日頃から「そのためにたくさん子どもを産んだのよ」と手を抜けそうな家事は片っ端から子ども達に割り振ってきたずぼら母。口先一つでおだてて子どもを働かせるのはお手の物だ。 「アタシは結婚前、養護学校の先生だからね。子ども達に自分で出来る仕事を見つけて割り振るのは、その頃に身についちゃった習慣かもね。」 といったら、 「じゃ、私は駄目だな。元看護婦だから。何でもやってあげるのが商売だものね。」 とU君母が笑う。 「そうだねぇ。患者さんに『これ、やっといて』とは言えないモンねぇ」 と納得、納得。 日々の家事を一人でこまめに切り盛りし、子ども達の健康状態や心の動きをきめ細かく見守るU君母のしっかりした主婦ぶりは、看護士さんたちのきびきびと無駄のない、しかも気配り溢れるお仕事振りに通じるものがある。 若い頃の職業経験って、結構自分ちの子育ての中にも余韻を残すものなんだな。
ホントは、初対面の子ども達と遊んだり、家族と離れて宿泊したり、そういうことが好きじゃないんじゃないかなと心配していたUくんが、何度も何度も「おばちゃん、楽しかったよ。来てよかった。」と笑顔で帰っていった。 何より何より。 山のような洗い物をやっつけながら、じわじわと嬉しくなった。
ゲンは、飛ぶものが好きだ。 紙飛行機もグライダーもペーパープレーンもペットボトルロケットも。 そして、ヘリウム風船も。
家族でデパートへ行った。 休日のデパートには人がいっぱい。 画廊で父さんの所用を済ませた後、画材コーナーに立ち寄り、女の子達の洋服をウィンドショッピングし、おもちゃ売り場をうろつき、地下の食料品売り場でテイクアウトの昼食を物色する。 田舎者の我が家の常で、じきに誰かが人ごみに酔って「頭痛〜い」「かえりた〜い」と言い出すに決まっている。ちゃっちゃと用事を済ませて早々に車にもどりたいところだ。
「おかあさん、アレ。」 とアプコが母の服のすそを引っ張って指差したのは、よその子ども達が持っているデパートのロゴの入った赤い風船。GW商戦のサービスでどこかで配っているのだろう。 「あ、ホントだ、アプコもどこかでもらえるといいね。」と適当にあしらっていたら、今度は店員のおじさんが色とりどりの風船をたくさん持って、アプコの前を通り過ぎた。 「ねぇねぇ。アプコ、風船、欲しそうだよ。」 飛びつくように訴えてきたのはゲン。なんだかとっても嬉しそうだ。 「ホントに欲しいのはアプコなの?それとも、ゲンなの?」 という母の意地悪い質問は聞こえなかった振り。 「じゃ、ゲン、アプコに貰ってきてやってよ」 と頼んだら、アプコの手を取ってピューッと風船を持った店員さんを追っかけていってしまった。 傍らで見ていると、まずはお兄さんぶってアプコを前に押しやりながら、自分もちゃっかり青い風船を選んで手にしている。 5年生のゲン、さすがに幼い妹を盾にしないと、「風船ちょうだい!」がいえないテレもある。
何故だか急に面倒見がよくなったゲン兄ちゃんが、自分の分と称して余分の風船を貰ってくれたと思い込んでいるアプコ。 「二つとも持たせて」とゲンにせがむ。 「これは僕の・・・」と言えないゲンのちょっと困った顔。 「アプコ、それはゲンのだよ。ゲンが貰ってきたんだから・・・」 と横から助け舟を出す。 何やら不満ありげなアプコをよそに、ゲンがニタニタ笑いながら、照れくさそうに自分の分の風船を私に見せた。
いいよいいよ、ゲン。 ちょっと大きくなったって、風船くらい欲しがってもいいんだよ。 そんなに恥ずかしがる事はない。 ふわふわ浮かぶ風船を見ると、ワクワクしてたまらなく欲しくなる。 君のそういうところが母はたまらなく好きなんだ。
昨年、夏祭りでアプコのためにアユコが掬ってきた5匹の金魚。最初に水槽に話したときには本当に頼りない小さな金魚だったのに、たった半年あまりのあいだにみるみる成長し、アプコが幼稚園友だちのKちゃんから譲り受けた小さな水槽から飛び出さんばかりの勢いである。当然食欲も旺盛で、誰かが水槽のそばに立つと餌が撒かれるのを予測してピシャピシャと水面近くに上がってきたりする。名前を呼ぶと尻尾を振って飛んでくる子犬のようなもので、結構面白い。 近頃では本来の飼い主であるアプコにかわって、ふと見るとオニイがパラパラと小瓶に入った金魚のエサを撒いて水槽を覗き込んでいることが増えた。
「なんだかなぁ、オニイ。金魚にエサを撒いてやって妙に癒されてる中学生って、リストラで窓際に追いやられたしょぼくれたオジサンみたいだねぇ。」 と笑う。 「あはは、そうかもね。実際、何となく癒される気分になるよな、これ。」 と、オニイも笑う。 「ああ、金魚っていいよな、一日中ふらふら、泳いでいるだけでな〜んも考えてなさそうだよね。僕も、今度生まれ変わるときには金魚になろうかな。」 あのね、若者。なんだい、その覇気のない願望は! これから限りない可能性に向かって、邁進してしていこうという時に、君の夢は「金魚に生まれ変わりたい」かい? 別に「ノーベル賞を貰える人になりたい」とか、「総理大臣になりたい」とかそういうことを言えって言ってるわけではない。 でもなぁ、同じ魚類に生まれ変わるなら、サメとか鯨とかもうちょっとこう勢いのあるデッカイ物になりたいとか、言えませんか。 ・・・と、ツッコンだら、 「かあさん、鯨は哺乳類だ、魚じゃない」 と、トドメを挿されてしまった。 母、撃沈。
そんな風にオニイの癒しのために与えすぎたエサのせいか、はたまた世間の気温が上がって急激に汚れ始めた水槽の掃除を「また明日ね。」と一日伸ばしにしていた怠慢のせいか、ある朝突然4匹のうちの一匹が死んだ。 前の晩、ぷかぷかと斜めになって泳いでいたかと思ったら翌朝には水面に腹を見せて浮かんでいる。 「あ〜あ、死んじゃったよ。」 アプコが掬い上げて、庭の隅に埋める。 「また、いっぱい金魚アリが増えちゃうよ。」 アプコは、昨年の夏に死んだ金魚の銀ちゃんのことをまだ覚えているらしい。 「金魚の銀ちゃんの死骸をアリさんが食べたら、新しい銀ちゃんアリが生まれてくるよ」 と食物連鎖の運命をあどけないファンタジーとして理解していた昨夏のアプコが、「また、いっぱいアリが発生したら難儀やね。」というようなおばさん発想で金魚の死を憂えるようになったのは、果たして成長といえるのだろうか。
追い立てられるように水槽の水かえをしたら、それまで死んだ金魚と同じようにアップアップと水面近くで弱っていた他の4匹の金魚たちもあっという間に元気になった。 心なしか赤い色がさめたようになっていた一番大きい金魚も、半日立つと赤い色がほぼ元に戻った。酸素不足で衰弱して色が悪くなっていたのだろう。 「金魚にも『顔色が悪い』ってのがあるんだね。」 といったら、母よ、それは違うと、オニイからふたたび醒めたツッコミ。 相済みません、母が馬鹿でした。
生き残った金魚は、一番大きいメスの金魚と3匹のオスの金魚。 きれいな水に慣れると、翌朝にはもう水面を激しくビシャビシャ鳴らして、交尾のためのおっかけっこが始まった。この春、もう何度目の交尾行動だろう。 つい昨日、一家揃って危篤状態で息も絶え絶えになっていたというのに、全く現金なヤツラである。 三匹のオスが互いを牽制しながら激しくデットヒートして、メスの尻尾を追う。まさに逆ハーレム状態。 思えば、前日死んでしまった金魚もオス。4対1の嫁とりバトルに敗れた後の過労死だったのかもしれない。 それほど、コイツらの繁殖行動は激しい。
「元気になってよかったね」と単純に喜ぶアプコの傍らで 「紅一点というのも、なかなかつらいもんだねぇ。オスはホントに大変だ。それにしてもちょっと激しすぎるよね。」 とオニイだけに囁く。 兄弟の中で、唯一その「激しい」と言う言葉の二つ目の意味をおぼろげながら理解しつつある思春期のオニイ。ちょっと恥らってへらへら笑う。 「見てみ、オニイ。外から見ると『癒し系』の金魚の世界にも、いろいろストレスはありそうだよ。」 人間様の世界でも、昨今は適齢期なのになかなか伴侶を見つけられない非婚世代が増えている。女性よりも男性の方が理想の配偶者探しには困難を伴うのだという。 「オニイ、アンタも今からしっかり男を磨いて、かわいい彼女をゲットしてね。並み居るライバル押しのけてね。金魚なんかで癒されてないでサ。」 そちらのほうにはトンと興味のない清純派のオニイに、母の反撃。 「はいはい、判ってますよ。」 今度はオニイがあっさりと白旗を揚げて退散していく。 今年、オニイは受験生。 癒されてばかりもいられないのである。
ひいばあちゃん。 昨晩景気付けの輸血をしてもらい、念願かなって外泊許可が出た。肺に溜まっていた水もきれいにとれ、ほとんど以前通りの元気なひいばあちゃんに戻られた。 97歳。驚異的な回復力。
「世間を騒がせたかった」という理由で線路に置石をする男がいた。 「自分の存在を世間に知らしめたい」という理由で、子どもを殺める男がいた。 たとえそれが忌まわしい犯罪であっても、自分自身の「個」を不特定多数の人々に知らしめたいという欲求は、昔からこんなに蔓延していたものなんだろうか。 よくある漫才のネタに「○○さんはエライもんやなぁ、新聞に載ったそうやなぁ。」「ああ、詐欺で捕まってな」というのがあるけれど、内容がどうであれ、TVや新聞に自分の顔写真が上げられ人の口に上るということが、変わりばえのしない凡人の退屈な人生を華々しく変えてくれるような幻想がそこにはあるのだろうか。
「誰かに認められたい」 「多くの人に自分自身の存在や考えを知ってもらいたい」 webを通じて、普通の人が自分の作品や趣味の成果を広く世間に対して発信する事が容易になった。 掲示板やブログ等で、社会情勢や事件事故などに関して私見を述べたり、議論を戦わせたりする場も拡大した。 犇めき合う人の流れの中で、「私はここにいる!」と拳を振り上げて存在を主張するための画期的なアイテムがここにある。
「自分探し」という言葉はもはや手垢にまみれた死語となりつつある。 フリーターと呼ばれる若者達の多くは「自分の本当にやりたい事が見つかるまで・・・」と、自らのモラトリアムを正当化するのだそうだ。 個人の労働の成果が目に見える形で認めてもらえる仕事、自分の名前を何らかの形で残せる仕事、自分の思いや才能を表現できるクリエイティブな仕事。そんな格好のいい、華のある職業は、実際にはほんの一握りの選ばれた人だけのために存在している。 だから、闇雲に「自分らしさ」を求めるだけの若者たちには、一生続けられる魅力的な職業がいつまでも見つからない。
実際には、世界は普通の人の目立たない普通の日常の積み重ねの上に成り立っているのだ。 どこかのだれかが作った作物をどこかの誰かが作った食器で食べ、出たゴミはどこかの誰かが収集していく。 「自分らしい」とか「クリエイティブ」とは無縁の、日々のルーティンとしての仕事の成果が、普通の人の普通の生活の大部分を支えている。
ひいばあちゃんが病院で語ってくれた「仕事は楽しい」という言葉が、まだ頭を巡っている。 少女の頃から窯元の職人としての仕事を続けてきて、その手から数百数千の作品を生み出しておきながら、一つとしてその作品に自分の名を刻むことなく淡々と日々の仕事を「楽しい」といえるその偉大さ。 いきがいや他人からの評価を気にするでもなく、ただ土をひねり、自分の作ったものが、作家の手を経て作家の作品として生まれ変わって羽ばたいていくのを、単純に「面白い」と言い切ることのできる職人気質を美しいと思う。 そういう無名の人の淡々とした日々の営みを、本当に大事なものとして評価できることが現代にはもっと必要なのではないのだろうか。
誰かに褒められるわけでもない。 格段に自分らしさを主張するわけでもない。 毎日毎日が格別楽しくて仕方がないというわけでもない。 けれども改めて振り返ってみれば、そこには自分の歩んできた曲がりくねった長い道のりがある。 そういうささやかな豊かさをじっくりと見つめる事の出来る目を、私は持ちたいと思う。
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