みょうの日記
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2006年11月17日(金) つまるところ教師も人間なんだよね

テレビを見ながらふと思った。まぁ当たり前のことなんだけど。

最近、特に教師の問題が取りざたされているけれど、問題は先生側にだけあるんだろうか、なんてね。
もちろん、先生だけのせいじゃない。

とある小学校の授業風景で、最近授業中フラフラ歩き回る生徒が当たり前のようにいる〜なんてのをやっていてね。しかもそれが別に特殊なことじゃないらしいのよ。
これってどうかねぇ〜と思う。
近頃の子どもって、どうも我慢するということをさせられていないようだ。
少なくとも、私が小さい頃に教室を徘徊するような子はいなかったし、教師が教室に入ってくれば静かになったものだ。
これね、昔の子どもにできて今の子どもにできないってことはない。

今は、けじめをつけられない子どもが多すぎるのよ。これは子どものせいなんかじゃなく、けじめを教えない大人に責任がある。
大人は自由という言葉を何か勘違いして子どもに接している。自由というのは、ルールと秩序の上にあって初めて行使できる権利だ。
躾も行き届かない獣のような行動を許すのは自由といわず勝手というのだ。

そんな傍若無人どもを預かって、なおかつ「ちゃんとした人間にしろ」などと押しつけられた教師はそれだけでも十分ストレス溜まるっていうのに、何かといえば親から「体罰反対」だとか「暴力反対」だとかで脅されて、ろくな手出しもできないんだから、鬱屈するものは生半可なものじゃないだろう。手足しばられて「あれしろ」「これしろ」なんて、私だったら「ふざけんな、やれるもんなら自分でやってみろ」と言いたくもなる。

子どもだって何をやってもろくに叱られることもなく許されていたところから、いきなり「あれはだめ」「これはだめ」「ああしなさい」「こうしなさい」と言われりゃ、ストレス溜まるだろう。

つまり学校というところは、教師側も子ども側も今やストレス溜める場所でしかないんじゃなかろうか。

そんなストレスが、教師をおかしな方向へ歪ませ、子どもをおかしな方向へ歪ませてしまってるんじゃなかろうか。


うちの親は教師によく言っていたもんだ。
「悪いところがあったら遠慮なくひっぱたいてください」
卒業のとき先生は、その言葉だけでも気が楽になったと言っていたらしいよ。


2006年11月16日(木) 光陰矢のごとし

先人はよく言ったものだ。
気がつけば街は早くもクリスマスソングが流れている。
気がめいるな。

会社のオヤヂが帰り際、こう声をかけてきた。
「今度の休みはどれ持って帰る?」

誰が仕事なんか持ち帰るか!

……言えない自分が悲しいぜ。


2006年11月07日(火) やっぱりさ、教育がおかしいのよ

小学生用の資料をつくっているんだけど。

「g、アリンコじゃないg使って」と言われた。
アリンコgって、今表示されてる形のgのことね。で、そうじゃないgってのは、9みたいな形のg。教科書体で表示されるgのこと。あとaも上がカギにならないa。これも教科書体のa。でも教科書体は太さが気に入らないから別の書体でって、おかしなところでこだわるのよ。
反対に算数に使用のyxは数式書体を使って、とかl(小文字エル)は筆記体を使って・・・とか。
もはやPCに入っている書体じゃ対応しきれない。多少の妥協も許してくれないのだ。で、この字はこのフォント、これは別フォント、などとめまいがするような指示のオンパレード。
一文字ずつ違うフォント使ってたらどうしようもないよ。

「なんで?」と思わず聞いてしまった。
そうしたらさ「教科書のフォントと違うから」だって!
「はぁ!? 違うに決まってるじゃん。現物見てないのにどこのフォント使ってるってわからんもん。ちょっとは妥協できないの?」
「できない。子どもたちが混乱するんだって。教科書と違うフォントだと」
「????」
「だから9型gしか知らないからgってわからないんだって。教科書に載ってる字と違うと、子どもたちはわからないアリンコgはもう教えてないんだって」
「はぁぁぁぁぁ!?」
つまり子どもたちは、もうCentry系の書体がわからないってことなんかい。
んなばかなっ。てか、9とgが同じ文字だって教えるのにどれほど時間かかるんだっていうんだい。
そういや、私らが教わっていた筆記体も今はまったく教えてないから筆記体英文は今の子たちは読めないらしいよ。たしかにGとSが区別しづらい書体だったけどさ。

私らって余計なことをいろいろ詰め込まれてたのねぇ〜・・・しみじみ。

・・・なんて思うかいっ!
ゆとり教育って、教える側が楽したいから教育じゃないか。

ついでに、選択問題のアイウ(ア〜ウから選びなさいってやつ)は箇条書き部分も本文中も必ずゴシックで。
なぜなら、子どもたちは○○○(自主規制)だから同じ書体にしておかないと、どこを示しているのかわからないから。

理由を聞いたときは目が点になってしまったよ。
気を使うところが間違ってるんじゃないの?


2006年11月05日(日) 古代地名の読み仮名

社会の資料をつくっているとき、「あれ?」と思った。

百済・新羅・・・。
さて、この地名、自分はなんと教わっただろう。
戸惑うことはない。
「くだら」・「しらぎ」だ。
ところが、私の手元にある資料には「ペクチェ」「シルラ」と振り仮名が振ってある。そこに「くだら」「しらぎ」の字はかけらもない。
まさかとは思うが、今、百済はペクチェ、新羅はシルラと教えているのだろうか。
おかしくはないか?
なんで韓国語読みしてるの?
朝鮮の地名だから?
どこかから圧力でもかかったの?

あのさ、百済も新羅も千年以上も昔から伝えられてきた古い地名。古い時代の地名というのは伝わった音に近いものの当て字だったはず。
つまり、「ペクチェ」「シルラ」よりも「くだら」「しらぎ」の方が(たぶん)もとの発音に近い言葉なんじゃないの?
古語の地名に韓国の現代発音を当てはめるのはおかしい。
百済人、新羅人、高句麗人はまったくの別民族で同じ言語を共有していたわけではないといわれている。
日本のように一つの言語が続いているわけではないのだ。
だから安易に現代発音に変えるのはおかしいと思う。ましてや、子供の教科書や資料だ。

そういえば、日本の古語と韓国現代発音を比較して同じ発音だから日本語の原語は朝鮮半島にあるって指摘している人もいるらしいけど・・・。


2006年11月01日(水) 未履修・・・

うーん・・・うーん・・・。
未履修問題で、補習時間70時間は生徒たちに負担だとかなんとか、国会でも喧々囂々らしいけど。
うーん・・・。
まぁね、確かにこの時期に受験に関係ない授業は負担だよねぇ・・・。

でもさ。
そうすると、ちゃんと受けていた子たちはどうなのかなぁとか考えるわけ。
たしかにこの件で生徒たちは被害者だろうけど、未履修の子たちは本来受けなきゃいけない授業の代わりに受験対策授業をしていたんだよね。

でもって中には350時間分も足りないところがあるんでしょ?
よしんばそれで大学に合格しても、今度は大学の教授が苦労するよね。本来高校までに習得しているはずの知識なしの状態で高次の授業はなかなかできないよ。そう考えると、これまで未履修で進学しちゃった子たちは、授業苦労しなかったのかなぁ〜とか問題起きなかったのかなぁ〜とか思うね。

それにしても。
時々、テレビなんかで日本が戦争したことがあることも知らない高校生が増えている、なんて冗談なんだかヤラセなんだかで面白おかしく取り上げられたりしてるけど、こんなの見る限りマジで知らない子もいるだろうななんて思わずにいられない。杞憂ならいいんだけどさ。

子どもに勉強を教えるということが、先生主体になってるんだよねぇ・・・。

国語にしても「この文を読んで意味をとらえよ」なんて問題も選択問題なんだよ。いや、びっくりだ。答えは千差万別のはずなのにねぇ。先生が採点しやすいように答えをつくってるの。今回の問題だって、先生の・・・学校の進学率を上げたいがための違法行為なわけでしょ?
色々理由つけたってつまるところそういうこと。

もうさ。
義務教育っていうより、基本教育っていうのを設けて「最低この水準の知識は習得しておかなければ」ってラインを決めたら?
ないがしろにされがちな国語、社会なんてさ、本当は理数より大事なんじゃないの?
この間、某ネット掲示板を覗いたらさ。
ゲームの中で「月夜ばかりと思うなよ」ってセリフが出てくるシーンがあるんだけど、この言葉の意味がわからないって本気で聞いてる人がいたよ。
「冗談だろうけど〜」って答えてた人の後に、さらに何人かが「そういう意味だったんだ!」ってレスが入っていてね・・・。

説明するまでもないはずの言葉さえ、注意書き入れつつ・・・になり出したら、そりゃあ確かに本なんか読めんだろうなぁ・・・って、ちょっと遠い目になってしまった。


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