みょうの日記
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2005年11月29日(火) クリスマスを前に鬱な話を

・・・・・・・・・・。
私には癖がある。
よくない癖だ。自分が買ったモノをコロッと忘れて同じモノを買ってしまうのだ。
一番多いのが本。
しかも、ふと思い立って衝動的に買ってしまったりすることもある上、新刊とかまったく関係なく買ってしまうわけなので、何年か前に買っただろー!? というものでも買ってしまう。
で、読みすすめていくうちに「あれ? なんかこれ、知ってる話によく似てる」と思うのだ。さらに「ラストまで一緒ジャン!」と驚愕し、「前に買った雑誌に載っていたのが本になったのかな?」と考え・・・、しばらくするとしまったはずの本棚と別のところから同じ本が出てきて固まるのだ。
気が乗らないと流し読みして読んだ気になることもあるので、まったく気づかないまま同じ本が二冊出て来て愕然とすることもある。

新書から文庫版になったのに気づかず買うこともある。これはまぁ、書きおろしが入ってたりすればまったくの損というわけじゃないからまだ許せるかな。

ところが。

ついに本以外でやってしまった。
よりにもよってマッサージ器。コンパクト仕様なのがまだ救いだけど、先月オークションで入札したことをコロッと忘れて買ってしまったのだ。同じ品を。
で、忘れた頃にやってきた「おめでとうございます」メール。
昨日届いた購入分は家族には不評だった。
「まぁこんだけ安いわけだから仕方ないけどね〜」程度の使用感。
それなのに同じモノが届いた日には、いったいどれだけ罵倒されることやら。どうかどうか私が休みの日に届きますように。うわわーん。

とりあえず購入分より半額で落とせたのが何よりだけど・・・。
フ、フリマにでも出すかな。


2005年11月17日(木) 貝たくさん!

某パン屋さんで昼食を買った。
ふと冷蔵コーナーを覗くと何種類課の美味しそうなサラダが置いてある。
その中の一つに『貝たくさんサラダ』があった。

いろんな貝が入ってるのかな?
ちょっと高めだけど、たまにはいいか〜♪

早速パンと一緒にサラダを買った。

貝たくさん〜♪♪


お昼になって袋から取り出したサラダにはこう書いてあった。
『具だくさんサラダ』

・・・・・・・もちろん、貝は一つも入ってなかった。


2005年11月14日(月) 月日が経つのは

残酷よねぇ・・・。
気がついたら2週間、お休みがなかった。
やっとこ休めた昨日、目がさめたら夕方だった。

仕事があるのはいいことだ。
だけど一度に集中すると期待に応えられないこともある。
手は二本しかないからねぇ。
せめて振り分けてもらえるとありがたい。
まぁ、出るところが違うからそうも言えないけどね。

疲れを越えると神経が休めなくなってくるのも困ったもんで、
家に帰ってすぐに布団にもぐっても小一時間は悶々している。

この間、会社帰りに商店街を歩いていたらクリスマスの音楽が
流れていた。
地下食に行ったらクリスマスケーキの予約コーナーがあって
ショボンな気分になった。
さらに奥まで歩いていったら・・・。
お節料理の予約コーナーまで!!!

正直、ゾッとしてしまった。
月日が経つのって・・・。


2005年11月08日(火) 体って正直よね・・・

朝方、ひどく心地好かった。
「今日はお休みよん。もうちょっとゆっくり寝てていいのよん」
3日から数えてはや5日、明日は土曜日じゃない〜と体が訴えてるのだ。
・・・あれ? とすると「今日はお休み♪」はいかんな・・・。

イスに座りつづけていると、体がガチガチに固まってしまう。
「ああいかん。このままじゃ体が縮んじゃうよ」
とブツブツ言っていたら、オヤヂと社長がボソッと言った。
「もとからじゃん」

・・・ひどいっ。


2005年11月07日(月) 今週もつかね・・・

やっとこ小休止。
結局3日から休みなしなんだけど、今週金曜日までもつかな。
昨日も12時間PCの前に釘付け・・・。お陰でなんだかランナーズハイ状態に陥って布団に入っても寝つけなかったよ。
で、やっとこ眠ったと思った午前3時。久々にやってくれたのだ、ガチャが!
この間からお粗相ぶり返し気味だったんだけど(もう家で羽毛布団洗うのも躊躇なくなったよ・・・ははは)、ついに絨毯の上にお粗相したのだ。
ホントにもう! こんなこともあろうかと防水ダイニング絨毯を敷いておいてよかった。
しかし、許せんっ。
なんだってあんなに癖が悪いんだろう。
こんなときはついゴンを思ってしまう。
どこにトイレを置いたって、どんなトイレにしたって、当たり前のようにそこにしてくれたゴン。新品に換えて自分の匂いがついてないときだって、箱があって中に砂が入っていれば自分のトイレだって認識してくれたのに。
ちょっと腫れたまぶたをショボショボさせながら夜中に絨毯掃除していたら、だんだんだんだん腹が立ってきた。
全部終わってベッドに上がって・・・、だけど悪いことだってわかってるんだよね、ガチャも。耳をぺったり寝かせて巨大な毛玉化している背中を見たら、なんだか脱力してしまった。

今日は罰として爪切りしてやる!!!!


2005年11月04日(金) 日本人の宗教観

たまには真面目に・・・ということで。
最近聞いた話によると日本人は他国に比べて無宗教が飛びぬけて多いというデータ結果が出たそうな。
かくいう私も・・・特に信心しているものはない。しいて言えば、ご先祖さまにという典型的な日本人ではないかな。「精神安定を図るためには宗教が不可欠なのである」という意見を聞いたことがある。それでいくと日本人は拠り所となる宗教を持たずになぜ生きていけるのか。

実は日本人には日本人独特の宗教観を持っていると私は思う。
日本人は人間以外のものを人間と同等に思う思考をもっている。これは意識的に持つ感覚ではない。無意識のうちにそう感じてしまう。生き物ばかりか時に物にまで宿るものがあるのだと認識する。供養する対象が生き物ばかりか人が人形であったり針であったりと物品にまで及ぶのはそのためだ。
簡単に言えばそれは【念】という概念だ。
そこにはたぶん「自分だったらこういうときここに宿ってしまうかもしれない」と思い、であるなら誰かの念がそこに宿っていてもおかしくはないと考えてしまう。またそれをつくりあげた人がどれほどの思いを込めて完成させたのかを想像し、それだけ思い入れたものであるならその器に【念】が存在することもあるだろうと感じてしまう。
自分に置き換えて考える、というのは日本人が国際社会で「良くない」と評価されている自分を出さない性質にも顕れている。
古来、日本人は相手のちょっとした仕草で「ああ、あんな反応は自分だったらこんなときにするな」と察することで相手の感情を解していた。
言葉が足りなくても互いに感情を察しあうことで日本人は人間関係を築いてきた。
そういう文化のない国の人にとって、それは自分の意見をはっきり言えない優柔不断な人種と映るのだろう。

「神」という存在もその一つだ。
日本古来からの「神」という存在は、【念】と表裏一体だ。そこに少しでも何某かの心を感じれば、日本人は人に計り知れない何か――つまり【念】と捉え、またその一部を「神」と認識する。「神」とそれ以外の何かを分けるのはとても曖昧だ。はっきりさせない性質というのがここにも顕れている。
その曖昧さが「神」という存在から他の宗教のような絶対的なものという感覚を消す。それが絶対神をもつ人種から見れば(日本人自身でさえ)日本人は信仰心を持たないと思われる所以ではないだろうか。
日本人の「神」は遠い高見から支配する「神」ではない。時に人間よりも生々しくそこにいるものだ。
ときに過ちさえ犯すものだ。
そのため、まったく正しい絶対の神という存在に懐疑的になる。
計り知れない存在というものを完全否定できる人は存在しないだろう。それは無神論者と言われる日本人でさえ心のどこかにそういう部分を無意識にでも持っている。だから日本人が特に超現実的な人種であり、信仰心を持たない人種であるというわけではないのだ。

つまり、日本人の宗教観とは何某かの存在(それが神であれ何であれ)をごく身近に感じるものであり、他宗教観は何某かの存在を遠く遠く人智の及ばない絶対的なものと感じるものであるために、かみ合わないだけなのだと思う。
信仰の根本が違うのに、一方の思想に無理に当てはめようとするのだからお互いに違和感を覚えても仕方ない。

・・・というのが私の考えなんだけど・・・、道を歩いているときにふと思い立ったことなので、えー、自分でもあんまりまとめられなかった。何を言ってるんだろうねぇ。


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