てらさき雄介の日記
DiaryINDEX|past|will
2007年03月29日(木) |
そして新たなる決意で |
ついにこの時を迎えました。地盤・看板・カバンのない私が活動を続けることが出来たのは、一重に皆様から頂いた多くのご支援や励ましによります。改めて感謝申し上げます。
「なぜ政治に挑戦するのだろう?」何度も考えました。今回新たる決意を持って再挑戦できるのは、自らの思いが出世欲や名誉欲そして利権に基づくものでないと、はっきり確信が持てたからです。
経済大国でありがら貧富の格差が広がり、拝金主義が蔓延し、子どもたちにストレスを感じさせてしまう社会。このままではいけません。真面目に生きている人が報われる社会をつくらねばなりません。
今こそ改革のときです。2世・3世・官僚のみに任せてはおけません。強い決意で臨んでまいります。今後4月8日まで広い相模原を駆け巡り、街頭から訴えを行います。
ご支援を何とぞよろしくお願い申し上げます。
(公職選挙法の規定により選挙期間中はホームページの更新が出来ません。日記や掲示板への新たな書き込みも更新とみなされます。本日でしばらく休止させて頂きます。4月9日に「神奈川県議会議員てらさき雄介」として再開する決意です。)
投票率を上げねばならない。低い投票率のなかで良い政治は生まれない。それが原則だ。また私の信念だ。
高ければ高いほどいい。一部の勢力に大きな影響力を持たせずに、多くの意見を政治に反映するためにも。
今地方の時代と呼ばれている。確かにそうだろう。日本の将来をしっかりしたものにする処方箋は、地域主権堅社会をつくることだ。
それは住民の参加なくしては果たされない。政治やまちづくりに参加する手法はたくさんあるが、民主主義の基本はやはり選挙であろう。
あきらめないで欲しい。人がする政治ゆえ不完全な点はある。しかしだからこそ変えることも出来る。誰がやっても同じではない。
この4年間、自分の未熟さを知った。政治家もまた主権者に監視される必要があるのだ。
ひとりでは何も出来ない。しかし一人からでないと何も始まらない。主権者にもその決意を持っていただくことを切に願う。
政治改革の目的とは、「政策による選挙」「政策による議会」「政策による政治」を実現することに他ならない。
どれも至らずだが、少しずつは前進していると思う。特に厳しい社会情勢の昨今、多くの方から目を皿にしながらチェックを受けていることを実感する。
今回の県議選についても、政策を訴えることを中心にして運動をしていく。それこそが他候補者との差別化であるし、選挙本来の目的だからだ。
色々な支援は喉から手が出るほど欲しい。率直な気持ちだ。しかし政策的整合性が取れない各種団体には、推薦依頼自体を行うわないでここまできた。
その姿勢については支援者から心配を受けたが、政策は政治家にとっての命だからこそ、ここはやせ我慢が必要だろう。
しかしそれが選挙のマイナスになるとは考えない。むしろ自分の訴えをより尖鋭化できるし、何より守りではなく攻めるために県政に挑戦するのだ。
私自身数回の選挙を行い、他候補支援も数十回はやったろう。残念ながら今の日本の選挙は、候補者を中心にどこまでしがらみをつくれるかの勝負になっている。
だからこそ当選回数を重ねるほど得票を多くとるほど、そのしがらみの中で身動きが出来なくなっていくのだ。
ホームページのトップに記載した‘県民との約束’は、言い回しや項目数について、表現の弱さや課題があるとのご意見を頂いた。
しかし出来ない約束をすることは、政治家として信条が許さない。ここに記載してあることは、ぎりぎりだが必ず4年間で訴えることが出来る。
冠婚葬祭政治と金帰火来をを否定してここまで来た。地道な有権者との意見交換は政治の原点ではある。しかしそれは一杯飲んで「やあやあ」のみでなく、政治と政策に対するつながりをつくるためのものだ。
政策をもって選挙を戦う。このこだわりをあくまで大切にしたい。
支援者の皆さんが疲れている。少人数で全力でやって頂いているためだ。活動内容については、すべてお任せしているので把握していないが、色々な場所でお声掛け頂いていることを実感する。
結果を出すことが責任と考えているので、残された期間については更に多くの活動をして頂ける段取りと聞く。とてもありがたく感謝している。
そして目に見える支援者の方は会ってお礼を言うことも出来るが、更に多くの見えない皆様については心で感謝するしかない。
民主政治においては、人は理念や理想のためにこそ動くべきなのだろうが、それは空理空論なのかもしれない。私たちは人間だ。人は人のためにこそ動くのではないか。最近の実感だ。
人のためにする政治、それは単なる利益誘導ではなく、心に対するご恩返しなのかもしれない。
2007年03月25日(日) |
青山コミュニティセンター |
青山のコミュニティーセンターで行われる会合に参加した。大沢から城山向原、そして根小屋を抜けて約30分。意外と近い。
かつて津久井町が設置したので、確認はしてないが恐らく相模原市立なのだろう。交通の便が余り良くない地域だからこそ、こういう地域の拠点は大切だ。
選挙公約である【県民との約束】(HPトップ参照)の第一項目のなかで、地域格差の解消を訴えた。特に津久井地域をはじめ、市の地理的周辺部には大切なことだ。
民営化をはじめとする採算ベースの話しは、それでサービス向上が図れる分野で行えばいい。しかし逆効果になる事業は、しっかり行政が責任を持つべきだ。政治家の役割は、その線引きをすることにある。
さて津久井地域の皆さんは、合併したことは当然すでにご存じだが、県議選を同じ選挙区ですることは、意外に知られていない。昨今公営掲示板が立って「あれっ?」という感じだ。
今日の参加者からも、その点について質問を受けた。毎日候補者は必死でやっているつもりでも、大きな相模原の隅々までは行き届いていないのだ。より謙虚にならねばなるまい。
統一選挙間近だ。多くの政党や候補者が入り乱れている。インパクトとしては党所属候補の方があるが、一方地道ながら無所属で頑張っている皆さんもいる。
無所属にも民主系と自民系がいるが、それも政令市移行に向けて、自然に二大政党に集約されていくだろう。
そのような中、私自身民主党員でありながら天の邪鬼な言い方かもしれないが、無所属の皆さんの重要性も議会のなかではある。
地方議会は国レベルの対立軸ではないし、党利党略で行っていいものではない。しかしそれでも影響は受ける。今回の地方選挙が‘国政選挙の前哨戦’と誤った認識で捉えられるのもそのためだ。
しかし選挙事情など消極意的な理由ではなく、信念で無所属を張るのはとても大変だと思う。
つい先日神戸市議会議員の井坂信彦氏から政策資料が送られてきた。5年ほど前に、森山浩行前大阪府議(当時堺市議)・泉健太衆議院議員(当時浪人)・土井達也大阪府議(当時阪南市議)ともどもフィリピンの選挙を体験に行った仲間だ。
彼は無所属だが、議会内会派を組んでいる。そして会派としてマニフェストをつくっているのだ。それが選挙前の取り繕いでないことは、4年間にわたって会派として活動報告をしてきたことでもわかる。
さて政党人として思うことは、党内において常に多様性を失わないことだ。いつも言っていることだが、「バラバラだ」という批判を恐れずに、意見集約の過程をしっかり情報公開していくべき。
将来二大政党を発展させて、民主党が本部直轄ではなく、それぞれの地域ごとに神奈川民主党・東京民主党・埼玉民主党・・・をつくることが利理想だ。
その時はもっとウィングを広げて、無所属の皆さんとも政策提携出来るかもしれない。
県議会改革の中身は、一般的には3点と言われている。
1、費用弁償の実費支給への切り替え 2、政務調査費の使途報告について領収書を添付すること 3、議員特権の見直し
これらは意味のあることだし、既に神奈川県議会では改革の方向に進んでいる。しかし加えて本論に切り込んでいくことも大切。
条例の作成と予算のチェックを、しっかりと出来る体制にすることだ。それこそが議会本来の仕事だ。まずは議会スタッフの充実や、調査権の付与などが必要だろう。
もちろん議員自身の意識が第一だが、制度としても改善すべき点はある。「政治家とはどうあるべきか。」に拘りを持ってきた者として、議会のなかで多くの発言をしていきたい。
県知事選挙が告示になった。例によって法の規定で候補者名は書けないが、ある候補者のポスターはりを行った。
上溝地域は私自らはったが、他候補のポスターをはっている方とも数か所でバッティング。皆さん地域の顔なじみだ。「お互いに頑張ろう!」と言われる。
気にして頂いていてありがたい。ただスポーツのように爽やかな戦いではなく、泥にまみれながら日々ぶつかり合っている。
夜同じく上溝でミニ集会をして頂いた。「近所に住んでるのに初めて会ったね。」と言われた。反省している。
小沢党首の言う‘どぶ板’とは、そこに利益誘導しろという意味ではなく、小さなコミュニティこそ社会の縮図ということ。広く全体を見るためにも足元も大事だ。
この日記もあと数日だ。“まとめ”をするようなものではないが、最終回(もちろん県議として4月9日以降再開するつもりだが)から逆算して明日からは書いてみよう。
小川勇夫市長がご逝去された。ご冥福を心よりお祈りしたい。
今から10年前に市議当選の際、小川市長と一緒に当選証書を受け取った。私と小川市長たった二人だった。当時の舘盛市長も同席のもと、選挙管理委員長から証書を受け取った。
いつかも書いたが、過去の色々な流れのながで、市長個人については知る機会があまりにも少なかった。反省している。政治は人がするのだから、議会の中だけで話をしても、それは一部でしかなく総合的な意見交換をもっとすべきだった。
人からは「野党」と言われ続けたが、自分ではそのつもりはない。地方議会に与野党はなく、常に市長と行政に対して意見を言うのが役割だ。
ご体調の良くないことは、数年前から聞いていた。合併や政令市について、政治家の執念を見た気がする。何かを自ら達成するときは、ここまでの覚悟が必要なのだろう。
落ち着いたらもう少し深く回想してみようと思う。
相模原市葬を行うそうだが、日時は未定とのこと。決まり次第、市のホームページにアップされる。22日と23日の8:30〜17:00の時間帯で、相模原市役所ロビーにて、市民の記帳を受け付ける。私も行くつもりだ。
告示前最後の街頭を行った。明日から県知事選挙が始まり、マイクが使えなくなるためだ。
場所は相模大野駅。市内最大の乗客数の駅だ。1時間少しだが、ビラも配布した。止めどなく人が通るところは、相模原広と言えどここ位だ。
思えばこの半年間、多くの方々にお手伝い頂いた。感謝に堪えない。今後は街頭以外の活動が主になるが、告示後は再び駅に立つ。
市役所前で街頭活動を行った。ご通行の方もいるが、主に市の職員皆様に向って訴えた。特に政令市移行についてだ。
先日ある県幹部と話すと、すでに政令市移行の作業を始めているそう。堅調と市役所、行政同士はプロだからスムーズに行くのだろうが、課題はいかに市民を巻き込んでいくか。
合併協議会ならぬ「政令市協議会」でもつくって、政令市移行をどう住民サービスの向上に結び付けていくか議論すべきだ。
また市議会も改選後は、政令市の委員会を設置すべきだろう。この話には党派をこえて相模原選出の県議も、積極的に関わっていくべきだろう。
演説をしながら思うのは、目の前にある市議会で仕事をしていたのが、ずっと昔のように思える。4年間色々なことがあった。
告示日に向けての運動について、その中身と段取りは支援者皆様にお任せしている。私自身は一人でも多くの方と話、考えを伝えるしかない。
9:00相模原市ダンス協会5周年記念大会(中央) 支援者の方にお誘い頂き初めて参加した。健康にも良いということでダンス人口は増加の一途。少し興味がある。今後の発展に寄与していきたい。
11:00NPO法人さがみはら市民会議バーべQ(大島) 十数名で和気あいあいだった。周辺環境も良くリラックス出来た。バーベキューセットの貸出有料化は問題もあるが、一方炭を売ったりしてサービス向上も図られている。
13:00市議候補予定者渡辺良一事務所開き(田名) 仲間の事務所開きだ。中小零細業者・障害者など社会的弱者の立場で市政にチャレンジする。頑張って支援したい。
14:00街頭演説(上溝) 22日からは県知事選が始まり、規定により街頭演説は出来なくなる。この場所では今日で最後だ。自然に気合が入る。‘県民との約束’以外に上溝特有の課題についても訴えた。
18:00相模原市議会議員小池義和市政報告会&決起大会(清新) 多くの支援者を誘い合わせて参加した。気合の入った決意を聞けた。4年間にわたりお世話になった恩は選挙で返していきたい。
21:00支援者と会食 今後の情報交換を食事をしながら行った。明日も頑張ろう。
支援者の方に誘っていただき、ある本の読者会に参加した。有名な市内のホテルの一室で、夕食を食べながら感想を述べあったりする。
正直進められるまでは、その月刊誌を知らなかったので、どんな会か不安だった。行ってみると真剣かつ知的な会だ。参加者は十数名だったが、知っている方もいた。
良い本なので今後も読み続けていくが、それを通じて多くの方と知り合えるのは更に嬉しいことだ。
相模原には様々な会がある。その一握りしか知らないが、自ら垣根をつくずに多く参加していきたい。
夕方相模原駅北口で街頭活動をした。基地側だ。駐輪場はこちら側にあるが、余り人通りがない。
しかしどの駅も同じだが、その方がビラをとって下さる割合は多い。今日もかなりの枚数が配れた。
場所柄基地返還の話をした。返還すべきかどうかではなく、今回一部返還となった土地をどう有効利用するかだ。
まだ国との協議が整っていないので、返還時期は未定だが‘一部’と言っても広大な土地だ。市民にとって資する利用にしたい。
市行政で跡地利用計画をつくっている。しかしあくまで全面返還用である。今後の返還が不透明な以上、‘一部’に限定したゼロからの利用計画にすべきだろう。
そんな話をして午後7時になった。以後8時までは南口(大きい方)ですべく移動すると、仲間の市議候補予定者「池谷たけし」さんがやっていた。一緒にしばらくビラを配った。
ある団体から推薦を頂いた。(先方から許可を頂いていないので名前は記さない)他の推薦候補者と一緒に政策発表会を行った。
5名推薦とは聞いていたが、控え室に行くと民主党候補は私だけ。他は皆自民党候補だ。何と過去もあわせ、自民以外では初推薦とのこと。
今後を考えると大きな責任を感じ、事前に決められたテーマに加え、急きょ民主党の基本的要件についても訴えた。格差是正と社会保障についてだ。
集まっていた数百名の方々が、じっと話を聞いている。中にはメモをとっている方も。制限時間は10分しかなかったが、大方基本的考えはお伝え出来たと思う。
過去半年間にわたり、多くの街頭演説を行った。原稿など書くわけでなく、日々の思いを率直に訴えてきた。
数か月前から配布ビラには、三つの基本政策を書いてきた。社会保障・教育・行政改革についてだ。しかしビラの性質上、抽象的な表現になっていた。
県議会議員選挙の告示を間近に控え、ここで選挙公約をA4裏表の1枚にまとめた。15のテーマについてだ。
議員は首長ではないので、「達成する」という約束は出来ない。そこで「4年間の任期で必ず訴える」というカタチにした。必ず実行する決意だ。
内容については、HP上に近日中にアップする。是非ご覧いただきたい。
夕方市役所に行ったら、玄関ロビーに人が多くいる。すべてが市の職員だ。知人に「何?」と尋ねると、「助役の退任見送り」とのこと。
4月22日の相模原市長選挙に出馬するために、今日辞職されたそうだ。確かにその方がケジメはつくし、市民からもわかりやすい。
不安もある。これから約1か月、市長不在でかつ筆頭助役もいなくなる。選挙にかかわりなく、行政は続いていくのだから、果たして大丈夫だろうか。
辞職表明した市長が、助役を含め新たな人事をすることはあり得ないが、何らかの方法がなかったのかと思う。
政令市への道に市民を巻き込んでいく、その最初の機会が今回の市長選挙ではないか。それぞれの候補者は“政令市を目指す”という抽象的な表現から、更に一歩踏み込んだ提案をして欲しい。
さて市長選への民主党の対応だ。特にこの件で会議をしたことはないが、党本部の方針通り、第一には独自候補の擁立を模索すべきだろう。
あわせて相模原の民主党メンバーで堅い結束のもと、一致結束した対応をすることが重要だ。
どちらにしろ市長選挙は、いわゆる後半戦だ。前半戦で勝利すべく頑張っていく。
(社)相模原青年会議所主催で、市長選挙の公開討論会を行うことになった。日本青年会議所が全国的に進めている運動だが、相模原でも前回の衆議院補選から実施している。
非常に意義深いことだ。詳細には多くの課題があるが、回数を行うなかで試行錯誤するしかない。民主主義そのものもそうだ。
本年度青年会議所内で、担当の委員会に所属している。たまたま担当の委員会に所属しているため、今後の討論会のあり方をどうすべきかとの議論もした。
そこでも言ったのだが、「中立性」をあまり気にする必要はない。もともとJCに限らず、何らかの政治的意思を団体は持っているし、ましてやまちづくりに関与しているなら尚更だ。
むしろ‘JCらしい’質問をどこまで出来るかだろう。4月8日までは残念ながら作業に参加できない。言いっ放しで申し訳ないが、成功することを期待している。
日程が決まったら、改めてHP上でご案内していきたい。
ご支援を頂いている市議候補の集会に参加した。
小池義和さん 事務所開きが開催された。多用があり妻に代理で行ってもらったが、遅れて挨拶のみ伺った。場所も中身も良い事務所だ。先日も若い仲間が大勢集まっていた。一般的にも二期目の選挙は厳しいと言われる。4年の実績をしっかり訴えるそうだ。
二木栄一さん 決起集会を市内会館で開催された。会場一杯の参加者で盛会だった。日産労連出身の方なので、組合員の方も多く参加されていた。日曜日ということもあり、子連れで来られている方も。幼少時同じような集会に、父に連れられて行った思い出が蘇ってきた。
地方選挙は現職が強い。にも関わらず、新人の私を応援してくれる皆さんには、最大限の支援も私もしていく。
そして必ず皆で力をあわせて、今の政治を変えていけるように頑張りたい。
2007年03月10日(土) |
松沢知事との合同演説会 |
数週間前に県知事から「応援に行く」と言って頂いた。ありがたいことだ。
県知事も選挙なので、互いにとっても有意義な会にしなくてはならない。「どんな形態がいいですか?」と聞くと、「何でもいい」とのこと。
すぐに「街頭演説で」とお願いした。市民や支援者から見て、遠く感じられる県知事を少しでも身近にしたかった。またハコモノ集会で○○人という運動は、私の目指すところでもない。
は相模原市最大の相模大野。午後3時から1時間行った。
1、演説 寺崎雄介 2、演説 松沢成文 3、演説 二木栄一(市議候補予定者) 4、演説 寺崎雄介 5、演説 松沢成文 6、締め 小池義一(市議会議員)
多くの方が足を停めて下さった。知事の街頭‘力’に改めて驚かされた。演説の仕方についても、知事を参考にして改善すべきと指摘を頂いた。さっそく実践していきたい。
期間中の再会(応援)を約束して下さり、次の会場に電車に乗って向かわれた。
知事と多くの議論をすることが楽しみだ。そのためにも精一杯頑張っていく!
小川勇夫相模原市長が、ついに辞職表明をした。噂されてはいたが、過去を思い起こすと感慨深い。小川市長については、良い話も悪い話も聞いたことがある。
彼がやってきた市政の中身については、それなりの見解を持っているつもりだが、その人間性については本当に知らない。
過去同じ相模原で政治活動をしていて、それを知りうる機会を持てなかったのは、率直に言って残念だった。
地方議会に与野党はないが、政治家同士の信頼関係を築くべきだった。その責任については、私の方に多くがあるだろう。
長友義樹氏の市長選挙を行い、その後継として市議補選に立候補した経緯から、感情的に色々あったのは事実だ。しばらくは議場で顔を見るのもいやだった。
しかし2期目の市議選を終えたとき、どんな人なのか色々話してみたいと思った。何度か接近を試みたが、やはりだめだった。
党派・系列・人間関係・そして市政への基本的考え方、などどうしても越えられない壁があった。「与党」を自称する同僚議員への抵抗もあった。
二年前の市長選挙では、対立候補の選対に入った。自民党を隠そうとしない市長に対して、二大政党としての意地を見せるためだ。結果低投票率のまま、市民の関心を集めることが出来なかった。
その後体調を崩され、多くの噂が出た。品位のない話も飛び交い、政治の浅ましさを実感した。結果完敗した側として、任期一杯に仕事をされることを願った。
ここに至り、改めて過去のご功績に敬意を表するとともに、ご静養を心よりお祈り申し上げます。
今週末の合併を経て、ついに政令市への道を歩み始める。真の自立都市を目指して、精一杯頑張っていきたい。
選挙の公営掲示板が立ち始めた。県知事・県議の板が、大きな市議選用に貼り付けてある。
いよいよだ。この時が来ることを想定はしていたが、かなり遅れている現状。焦る日々だ。
さて告示日には、この板にポスターを貼る。当たり前だが、自分で(と言っても支援者の皆様が)するのだ。
約1000箇所。数も面積も膨大だ。今まで貼ったことのない津久井地域も含まれる。しかしどれも皆条件は一緒。頑張るしかない。
神奈川県の初代県知事は陸奥宗光だ。海援隊出身で政府高官になった数少ない人物。
幕末段階では目立ったエピソードはなく、坂本龍馬の仲間というくらいの印象だ。
廃藩置県により県が設置されたが、「自治」という感覚は当時まだない。県知事は政府の任命だ。
それでも初期の段階は、政治家が任命されていた。しかし官僚制度が定着するにつれ、段々と官僚出身が多くなる。
戦後選挙で知事を選ぶようになっても、多くの都道府県で官僚出身者が知事になる傾向が多かった。戦前の名残もあるのだろう。
官僚出身者の方が“相乗り”しやすいという側面もあった。政党政治家では必然的に敵も出来る。
中央から天下ってくるのは問題だが、官僚出身が悪いという訳ではない。元々その地域に愛着を持っている官僚もいる。
しかしその官僚中心の地方自治が、現在ゆがみやひずみを生んでいるのも事実。現在の時代的要請として、政治家同士が相い競い合う県知事選挙にすべきだ。
今回神奈川県知事選挙は、いい構図で争われる。東京都知事選挙もそうだ。機会を活かして議論を深めるのは、私たち議会候補の責任もある。頑張りたい。
2007年03月06日(火) |
ロマンスカー停車により |
夕刻の街頭終了後に都内へ行く用事が出来た。時間がなかったので相模大野からロマンスカーで新宿へ出た。
過去は町田しか停車しなかったのだが、数年前に市行政の要望もあって大野停車も出来た。
その際必要経費について、「市負担」分が発生した。電車内や駅ホームなどの掲示を変更することや、電算機のシステム変更などについてだ。
元々市の要望によるとはいえ、全額を税金で負担することはいかがなものかと思い、当時の担当者に意見を言った経緯がある。
しかしその後聞いた話では、この種の負担について鉄道会社に負担をさせるケースもあるそうだ。
確かにこのロマンスカーの件は、要望を受け止めた鉄道会社に分がある。しかし淵野辺駅の場合はどうだったか。青山学院が来たことにより、お客さんが増えるメリットもあるのに、駅南北自由通路の改修は全額市が負担した。
交渉力が問われるのだろう。少しニュアンスも違うが、官民の役割分担というのだろうか。企業としての社会的責任というのだろうか。少なくとも利益の伴う分は、負担をしてもらう必要があるだろう。
2007年03月05日(月) |
ローカルマニフェスト発表 |
相模原版ローカルマニフェストを発表した。夕方市役所で藤井先生と県会・市会の候補者一同で記者会見をした。
地方選挙に党公認で立候補するからには、その地域の政策を党としてまとめる必要がある。もちろん地方政治の性質上、個人としてのウェイトは重視すべきだが、最低限の意志統一は必要だろう。
限られた時間のなか、ここまで漕ぎ着けられたことに、改めて関係者のご尽力に敬意を表したい。
さて大切なのはここからだ。マニフェスト選挙が定着するかどうかは、それをしっかり守れるかにかかっている。今回の政策は主には市政に関わることだが、支部政策調査委員長として責任ある対応をしたい。
会見終了後には、党支部常任幹事会が開催された。選挙前の定例会議はこれで最後なので、参加者一同で勝利を誓いあった。
東京都知事選挙についてテレビでニュースが流れている。すると相模原市内でも、統一地方選挙に向けた関心が高くなった。街頭他の反応でわかる。
テレビとは凄いものだ。この情報が悪用される危険性もない訳ではないが、情報公開は民主政治の基本だから、むしろポジティブに捉えていくべきだ。
この関心の高まりを、一層確かなものにしていく、各種選挙の候補者による運動が求められる。
政令市を目指すに相応しい、高い投票率を出していきたい。
友人の結婚祝いがあり愛川中津に行った。相模川を渡ればすぐだ。基本的には厚木文化圏だが、住民同士の経済交流は相模原とも盛ん。
先日も選挙のお願いに愛川町内の会社に行くと、かなり多くの方が相模原から通勤していることがわかった。
愛川町が財政豊か(他に比べて)なのは、工業団地を中心に企業があることが大きい。どういう経緯かは承知していないが、産業振興がうまくいったのだろう。
小田急多摩線を相模原に延伸したあと、上溝から田名へつなげようという意見もある。更に愛川方面へという人も。
実現性は疑問だが、愛川から相模原への人・物の流れがあるのは事実。また政令市は大都市政策ゆえに、周辺自治体との連携も一方で大切になる。
県議になる夢は広がる。隣接自治体を含む県内多くの地域をまわって、それぞれの課題を解決していきたい。
朝はやく (駅頭活動)昨晩遅かったので少しきつかったが、話し始めたら元気になった。花粉症が出なくなったのも大きい。
午前中 (団体訪問)川崎で3件磯子で1件、支援のお願いに伺った。支援者にも同行して頂いた。人数の大小ではなく、面と向かって話をすることが大切だ。
午後 (戸別まわり)選挙の事前説明会や期間中の街宣活動などについて、市内の支援者を訪問してお願いをしてきた。 (事務作業)名簿整理や郵送物発送などを事務所で行う。
夕方 (駅頭)JR相模原駅だったが、偶然民主党参議院候補の牧山ひろえさんが来たので、互いのビラを一緒に配った。一人でするのもいいが、賑やかなのも違う意味で良い。
夜 (集会)地域連合が決起集会を催してくださった。推薦の県議・市議候補が揃い、それぞれ2分ほど訴えをした。
その後 (応援)事務所で作業していると、若手議員(候補)の仲間が手伝いに来てくれた。折ってもらったビラも助かったが、皆んなの顔を見れたことが嬉しかった。
そして今 (思案)決まった明日の予定に加え、何をどうすべきか考えている。
2007年03月01日(木) |
相模原市長に関わること |
相模原市長が再び職務代理を任命した。数日前の話だ。2度目ということもあって、色々な噂が飛び交っている。
どれが真実かはわからないが、政令市に向けてスタートきった途端に市長が不在になるのは、相模原にとって良いことではない。
状況がはっきりとわかるのは、恐らく合併(3/11)前後だろう。個人の思惑をこえて、民主党として、一致結束して責任ある対応をしなくてはなるまい。
どちらにしろ、今しばらく時間が必要だろう。
|