てらさき雄介の日記
DiaryINDEX|past|will
「4月」は特別な響きがあります。次期神奈川県議選に挑戦する私だけでなく、統一地方選挙に深く関係している方はそうでしょう。
「4月」を基準に一年、二年と無意識に数えますし、あと二年で勝負です。
花粉症がはやってから、というよりも私が花粉症になってから、すこしミソがついた“春”という季節ですが、年間の中で最もすごしやすいことに変わりはありません。
相模原で一番大きな桜まつりも、統一地方選挙の年は5月開催の「わかばまつり」になったりもします。
民間でいう決算の時期とでもいうのでしょうか。点数を数字で出すのは難しいですが、一年を振り返ってみます。
2005年03月30日(水) |
共産党のモバイルページはすごい |
電車に乗って携帯サイトを見ていました。議員個人のページでお気に入りものは、定期的にチェックしています。
そんな中、ふと日本共産党(勝手にリンクはると怒られそうなので割愛します。別に偏見ではありません。)のページをみてみると、その内容の充実ぶりには驚かされました。
現代日本にとって身近な問題もそうでない問題も、政党としてどう考えているかが、わかりやすくまとめられています。
一問一答形式のページなどは、確かに共産党にはこんなことを聞いてみたいという質問が、きちんとまとめられていました。
そういう意味でも、この情報公開の仕方は、政治家のひとりとしてまねすべきだと思いました。
しかし相模原市長選挙のときの、反共攻撃はすごかったですね。その内容よりも、そんな作戦が通用しているところが、相模原市民としては情けなかったです。
最後に良い悪いではなく、私は共産党が好きではありません。理由はいつの日か。
2005年03月29日(火) |
リチャード・ギアの発言 |
リチャード・ギアが新作の披露目で、先日来日いたしました。彼の主演作で印象に残っているものは余りありませんが、しいて言えば「愛と青春の旅立ち」ですかね。古いですね。
彼がマスコミのインタビューに答えて、中国政府が決めた反国家分裂法に対して異議を唱え、EUの中国との交易の仕方を批判いたしました。
日本がアジアで、中国に近いことからの発言でしょう。
マイケル・ムーアの映画のときもそうでしたが、アメリカでは、いわゆる芸能人が社会問題に対して発言をよくします。
クリント・イースドウッドなども全米ライフル協会の会長として、共和党の応援団を自他ともに認める存在です。
さて日本ではどうでしょうか。「チャリティー」など、皆んなが皆んな賛成することについては動きがありますが、賛否がわかれる政治性のあることについては、あまり発言もありません。
特に意見がないならばあえて言うこともありませんが、もし言いたいことがあるのならば、芸能人だからと言って自粛することはありません。
特に人権保護法案など、自分たちの仕事に密接に関係する政治問題もあります。
日頃見ているあの人が、一体どんな考え方なのか。非常に興味がある一面、その面をしってこそのファンでしょう。
2005年03月28日(月) |
「てらの会」結成ありがとうございます |
若手の支援者の皆様で、「てらの会」を結成していただきました。今日の第一回会議には、年度末のなか多くの方に参加いただき、感謝で一杯です。
少し時間をいただき、初パワーポイントで政策発表をいたしました。例によって少し硬くなってしまいましたが、緊張しながらも大切な事柄は伝えられたと思います。
いわゆる“候補者”と“支援者”の関係のみでなく、友人同士でもあります。助けていただいていることを忘れず、次期に向けて全力を尽くします。
2005年03月27日(日) |
役員は早めに交代すべき |
母校である明大中野八王子高校の校友会長を、今期で辞めることにいたしました。過去六年にわたって勤めたこともあり、かつ一期も3年と長いことから、今回決めました。
私が初代ですので、交代は初めてのことです。新会長については、どんな決め方をするのかが今後のルールにもなってしまうため、しっかりと合意を形成する努力をするつもりです。
といっても、ボランティア組織ですから、やり手が大勢いるわけでもないところに難しさもあります。
相模原市農業委員会をはじめ、地域での役職も常識を逸脱して、一人の方が長期にわたってつとめられることがあります。
他に人材がいないではなく、辞めることによって、初めて人材が出てくるのです。これは、引退したいと言いながら、惰性で続けている各種議員にも言えることです。
世間様には全く影響のない、今回の役職辞任ですが、改めて考えさせられました。
*正式には6月の総会にて次期会長に引継ぎになります。
2005年03月26日(土) |
相模原のビジョンをつくることに |
民主党支部では組織対策、市民運動、政策調査の3つの委員会をつくり、各役員はいずれかに所属することになります。
私は政策調査委員会(委員長小池義和市議)の副委員長になりました。
今日は本年度第一回の会議を開催し、昨年からの引継ぎをあわせ、今年一杯の目標として、相模原のビジョンをつくることを申し合わせました。
現在の市行政のビジョンは、総合計画にある「輝きと愛があふれる人間都市さがみはら」ですが、まあこれでは一体何を言っているかわかりません。
具体的政策におとしていくことを考えると、ある程度は幅がなくてはなりませんが、芯はピシッととおっているものにしたいです。
次回は、各々委員が自分の案を持ち寄ることになりました。さてさて、改めて考えると難しいものです。
2005年03月25日(金) |
暴力団対策法の矛盾と効果 |
学生時代に「暴力団対策法」ができ、当時議論をしたのを覚えています。
特定の団体に所属していることにより、一般とは別の法律が適用されることについて、“法の下の平等”に反するのではという意見もありました。
しかし一方で「暴対法」の効果は大きく、民事介入暴力は既に過去のものになりつつあります。
政治は、あくまで私たちの生活を向上させるためにあります。そのために法をつくり、政策を実行するわけですが、価値観の多様化する時代に法理念と政策の整合性がとれないこともあるわけです。
だからこそ権力(政治)に対する有権者の監視が、今までよりも一層に必要になります。
国会で審議中の「人権保護法案」についても同じことが言えます。法律の内容はもちろん大切ですが、一方で有権者の関心がしっかりと及んでいれば、施行されても問題はありません。
一方では、有権者の関心がしっかり及んでいれば、こんな法律はいらないとも言えますが。
2005年03月24日(木) |
青年会議所担当例会でした |
青年会議所の担当例会で、津久井青年会議所との合併について意見交換をいたしました。
相模原と津久井のメンバーが、「行政がひとつなのに、JCが二つあるメリットとデメリット」について、それぞれの意見を紙に書いていきます。
青年会議所はあくまで任意団体であり、別に行政の枠組みにあわせることは、必ずしもありません。
しかし、政党もそうですが「運動体」ですから、自らの組織を守ることに意味があるわけでもありません。会の結成された目的である、まちづくりをするために、一緒になった方がいいのかどうか。ここが議論の中心になるべきです。
私は、相模原と津久井は地域性が大きく異なるからこそ、青年会議所も合併して、今後の新相模原のまちづくりを考えるべきだと思います。
そのためには、大きい側の相模原が我を捨てて、例えば自らも解散し新設合併にするとか、あるいは名称を変更するとかの手段も講じるべきです。
今後対応が問われているのは、大きな相模原JCの側です。
北朝鮮に旅行に行くと、ふたつの所に住所などがインプットされます。ひととつは日本政府公安調査庁であり、もうひとつは朝鮮総連です。
「中国や朝鮮と、真の友好関係を持ちたい。」私が政治を目指した動機のひとつです。
朝鮮総連の神奈川県央支部から、新年会などのご案内をいただきますが、毎年行くかどうか迷い、結果欠席を続けております。
北朝鮮という国のあり方については、多くの疑問を持っていますし、一日も早い体制転換を望んでいます。そして現在仮想敵国になってしまったのも、止むを得ないことです。
しかし私が迷うのは、そういう政治問題を超えることこそ、真の友好関係を築く基本だからです。
友人にも在日朝鮮人がいますが、彼が金正日に対して影響力を持っているわけでもなく、総連事務所に写真を飾ってあっても尊敬しているわけでもありません。
異国で暮らすひとつの方便として、朝鮮総連や金正日の顔写真を利用しているだけです。
これからも案内をもらうのでしょうが、おそらく行かないでしょう。その対応については、万全の自信を持っているわけではありません。
今の時代に、値上げしているのは公共料金くらですが、色々なものの値段にも高いものと安いものがあります。言い方を代えれば、割安感と割高感を覚えるものです。
(高いもの) 携帯電話料金、電報料金、マンションの管理費、インターネット使用料、タクシー代、NHKの受信料、レンタルビデオの延滞料、ハードカバーの本、などなど
(安いもの) 電車賃、バス賃、定食屋さん、パソコンのプリンター、非常勤特別職消防団の報酬(一ヶ月3000円位)、印刷物、飛行機代、写真の現像、などなど
意見の分かれるものもあるでしょうか、私の感覚です。
2005年03月21日(月) |
いつの間にか、若くなく |
何歳まで若いのか諸説ありますが、少なくとも33歳にもなって、自分で「若手」と言えるのは政治の世界くらいでしょう。
かくいう私も「若手」であることを意識し、選挙ではアピールいたします。
年齢的に恥ずかしくなってきた分、内容で勝負したいと思います。自分の発言や行動を毅然として行うことは大切ですし、何よりも自分のなかにある保身を考えることを、少しでも止められるようにしたいです。
「若手」政治家の話になると、よく幕末の志士の話になりますが、私は一番好きなのは高杉晋作です。
いつの時代にも転換点がありますが、倒幕維新に向けての動きは、高杉晋作の“功山寺挙兵”で出来上がったと考えます。数万の軍勢に対して数十人で兵を挙げ、結果藩政を変え維新に結びつけたのです。
この挙兵に参加した伊藤博文は維新後に、「あのときは、これで終わりだと思ったよ。」と言ったらしいですが、成算も少なかったのでしょう。
偉人と並べるのは恐縮ですが、一度しかない人生です。‘若年寄’にならずに精一杯やっていきます。
2005年03月20日(日) |
合併は自治体だけの問題ではない |
青年会議所(JC)の今年の所属委員会は、「広域まちづくり実現委員会」です。
内容は現在の相模原市と津久井4町との合併に関連して、相模原JCと津久井JCとの統合を考えることです。
今週の木曜日には両JCで合同例会を開催し、統合する際の課題などについて全メンバーで検討いたします。
どんな組織も、いざ自分のことになると保守的になってしまいますが、青年団体として相応しい結論を出せるように頑張ります。
2005年03月19日(土) |
穀物自給率がサウジより低い |
相模原地域大学の公開講座で、「食」についての講演を聴きました。
日本の穀物自給率は、何と砂漠国サウジアラビアよりも低いそうです。
先進国でもフランスは世界4位ですし、アメリカもちゃっかり100%をこえています。
軍事力による安全保障に政治の焦点は移りがりですが、それよりも大切な「食」であります。他国による圧力までも懸念されますが、ここでこそ国益を追求すべきです。
日本の国土では限界がありますが、基本的には大規模集約化を推進すべきです。そのためには、食管制度とともに発展してきた、農協などの利益団体の存在についても再検討すべきです。
相模原市長選挙の残像が、少しだけ残っています。私自身についても、良いことも悪いことも言われているようです。
覚悟して行動したので後悔はしていませんが、同じ陣営だった方からも何だかんだと言われるのは、やはり悲しいものです。皆んな自分を省みましょう・・・。
次期県政に向かって行動しているため、過去を振り返る余裕はありません。市長選挙については、結果現在の市政を変えることができなかった点において、市民に対しては申し訳ない気持ちで一杯です。
反省点はもちろん多くあります。今後の政治活動のなかで悔しさをバネに、一層改革派の自負をもって行動してまいります。
2005年03月17日(木) |
ローターリークラブとの例会 |
青年会議所で、相模原ロータリークラブとの合同例会を開催しました。メンバーの中には、お世話になっている方々もいて楽しかったです。
まちづくりや奉仕活動は、一人ではなかなかできません。JCもロータリーも、世間からは「金持ちの道楽」と揶揄されることもありますが、自分のお金で人のために何かしているわけですから、とても立派だと思います。
私自身はお金もなく、おそらく今後もないままでしょう。JCでも無理をしているのに、ましてやロータリーなどは一生縁がないと思いますが、同じ地域で仕事をする同士、様々な交流の機会は持っていきたいものです。
2005年03月16日(水) |
先輩都議のパーティーに参加 |
明治大学雄弁部の先輩である、田中良東京都議のパーティーに参加しました。いわゆる資金パーティーで、約1000名の参加で盛大でした。
会場では、森山浩行大阪府議や山崎英昭西東京市議など、以前からの友人にも会うことができました。(フォトギャラリーをご覧ください)
会場が新宿の京王プラザホテルであり、田舎者の私は少しどきどきでしたが、たまにはいいものです。
東京都は行政も議会も、日本最大の自治体としての責任を感じ、行動しているように見えます。
神奈川県も負けずに頑張るべきです。次世代の地方自治法は、地方自治体から提案されるべきです。
正確には「花粉」MAXでしょうか。とにかく、よく飛んでました。市販の薬を飲んでいますが、なかなか効かず、明日は支援者のお医者様に行くことを決意。
夜は消防の定期整備でしたが、メンバーの中にも、症状がひどい方がいて途中退場です。
すでに国民的病気(?)です。薬剤会社の陰謀かもしれません。(もちろん冗談です)
自然環境の破壊に、一因があるとのこと。自然環境保護については、ある程度強制力をもった対応を、国際社会も日本国内でもする必要があります。
東南アジアで、「四国と九州をあわせた面積」の森林が毎年伐採されていること。アフリカで、「日本よりも大きな面積」が毎年砂漠化していること。
常に自分のこととして、イメージすることが大切です。
2005年03月14日(月) |
松沢成文神奈川県知事来相 |
今日行われた後援会役員会にて、松沢成文知事をお迎えしイベントを開催することになりました。
詳細は今後つめていきますが、講演とディスカッションを織り交ぜた、政策系の内容にするつもりです。
「神奈川県なんていらない」という言葉に象徴される、現在の県政と県議不信を真正面にとらえながら、今後の県の役割と課題について発表いていくつもりです。
浪人の私のところに来ていただく知事と、これからお手伝いいただく皆様に感謝いたします。
*P.S. 「県政にタックル!」は知事が以前県議会議員に使っていたキャッチで、前回の県議選に臨むにあたって、お会いしたさい“拝借”し今日に至っています。
2005年03月13日(日) |
合併協議会が終わり、その感想です |
今日は相模原市にとって歴史に残る日です。合併法定協議会が、ひとまず終了したのです。
来年3月20日をもって、新しい相模原市が誕生します。(社)相模原青年会議所の代表者などの意見によって、あくまで1市4町を目指すとの付帯決議がつけられましたが、いびつなカタチでの始まりには変わりがありません。
今日ある女性委員から、協議会で初めて発言する旨の自戒をこめての、貴重なご意見がありました。ここに至るまで一度も発言しない委員は、猛省すべきです。
合併について意見がないならば、委員の委嘱を受けるべきではありません。少しとはいえ、報酬も出ているわけですから。発言したくてもできない市民も多数いるのですから。
更には、一生懸命発言している委員を、白い目で見るかのごとき人がいるのも残念でした。「協議」会なのに、議論が委員と事務局の間で行われてしまい、委員同士の「協議」にならなかったことも、この誤った雰囲気によってです。
それと最後に至るまで、「異議なし」式の合意のとり方も疑問でした。全会一致とは、連帯して責任を負う手法ではなく、連帯して無責任になることです。
大切な採決だからこそ、挙手や起立などの手法をとるべきでした。個々の責任を明確にするためにも。
今回の誤りは誤りとして、その内容と責任を明確にしたいと思います。しかし一番大切なのは、今後如何に一体化したまちづくりを行うかです。
そのために今後も努力をし続けます。
2005年03月12日(土) |
思い出の深大寺に皆んなで |
“てらさき雄介レディース”の皆様でバス旅行を企画して頂きました。
出発には、わざわざ藤井裕久代議士も見送りに来てくださいました。一日の行程の中で、一番印象的だったのは深大寺です。
伊藤達也代議士(現金融相)の秘書時代に、調布市の一部を担当していました。その中に深大寺もありました。挨拶に伺ったお店もありますし、昼ごはんを食べた店もありました。
当時を思い出しながら、今日支援者の皆さんと訪れることができたことを、とても嬉しく思いました。
夜は相模原で複数の予定があったため、夕方に恵比寿から電車で帰ってまいりましたが、夜遅くまでお付き合い頂いた皆様に感謝で一杯です。ありがとうございました。
2005年03月11日(金) |
再び学んでいる議員たち |
大学関係の方と会食をしました。その中で、現役の議員が何人も大学で再び学んでいるとの話がありました。
私の友人でもとても優秀な議員が、大学院などに行っているのを複数知ってます。
この世界に入って10年になりますが、私たちが積んでいく政治「歴」とは、とかく選挙歴であることが多いものです。
そして悪いことに、その選挙歴すらも有権者の意思を如何に体得するかではなく、有権者に如何にアピールするかという自己中心的なものです。
「もう一度勉強したい」率直にそう思うことは、今まで何度もありました。そこから一歩踏み出した方々に敬意を表します。もちろん学んだことを、活かしていくという前提ですが。
今は学校などに行くことはできませんが、近い将来は不勉強をカバーしたいです。
2005年03月10日(木) |
中西一善議員の辞職について |
4月予定の衆議院補選が、中西議員の辞職によって三箇所になりました。
民主党もこれを機会に攻勢に転じるのでしょうが、私はこの主の問題をあげつらうことは好きではありません。
宮城の鎌田議員、福岡の古賀議員、そして今回の東京の中西議員。一体何をやってるのでしょうか。政治家が議席をかけても戦わなければならないことは、こんなことではないはずです。
まったくつまらない話です。
だからこそ、こういう低級な問題をあげつらってはいけません。有権者は今後の日本のあり方について、それぞれのビジョンを求めているのです。
互いの足を引っ張り合うような選挙はしてほしくありません。少なくとも民主党には。
2005年03月09日(水) |
松沢知事の苦境を何とかしたい |
松沢県知事がまたピンチです。知事を支援している県議会議員の皆さんは、一体何をしているのでしょうか。
抵抗勢力たる自民党他皆さんが、徹底的にかかってくるのはやむを得ないことですが、改革を進めなくてはならない側の主張が聞こえてきません。
地方議会に与党も野党もありませんし、行政に対しては厳しい姿勢で臨むのが議員のあるべき姿です。私も本会議場で、松沢知事と厳しい議論をするのが夢です。
でも県会のわけのわからない現状に、尊敬する松沢知事が足を引っ張られているのは、我慢を越えてさすがに頭にきました。
私が県議会に行ったあかつきには、あんな体たらくは許しません。ガンガンやることを改めて決意し、そのための県議選に望んでいきます。
言いすぎましたかね・・・?
2005年03月08日(火) |
市議会を傍聴しました |
今日ではなく、先週の金曜日です。「民主クラブ」の総括質疑を見に行ったはずが、予定より遅れたため、別の議員の質疑を傍聴しました。
実は市議会の傍聴は初めてです。私含め3名しか傍聴席にはいなかったですが、何人かの議員はちらほらとコチラを見ていました。
傍聴者が眠くなるほど、ある意味退屈な会議運営は、今に始まったことではありません。
前向きに、どうすれば面白く(表現は妥当か?)なるのでしょうか。ひとつは、原稿に重きを置かないこと。ふたつには再質問を回数無制限にすることです。
相模原市議会本会議は、再質問は二回までしか許されていません。従って、この回数に収まるように事前に考えをめぐらせ、結果そのことが臨場感を失わせています。
神奈川県議会は、より「伝統的」=「形式的」=「面白くない」運営がされています。何度か見に行ったときもそう感じましたし、仲間の県議に聞いてもそうです。
大切なのは議論の中身ではありますが、会議運営の方法によって、どこまで議論を深めることができるか変わってきます。
絶えず自己点検しながら、進化する議会であるべきです。
民主党は新しい政党ですが、旧○○党という感覚が残っています。
何十年と存在している党ならばともかく、結党数年でそんなことを言っているのは問題です。
周りがどういうかは別にして、私は自分の政治遍歴を「新生党→新進党→民主党」と思っています。党は変わっても、思いとしては「自民党に変わる新しい機軸政党をつくる」ことです。
皆んな、この基本的思いは同じはずです。旧○○党なる意識は、全ての民主党員が排除すべきです。
そもそも個人を「○○的」と総称すること自体が、その人間の個性を軽視し、全体主義に走る傾向を生んでいるとも言えます。
私も途中参加組ですが、過去を乗り越えてこその民主党です。
このHP上に、「フォトギャラリー」を開設していただきました。
この写真は携帯電話で撮影したものです。カメラ会社の作成した携帯で、映像も綺麗です。
メモリなども良い性能です。では、一体今までのデジカメの出番は?だんだんなくなっていくのでしょう。
先日友人にパソコンをいじってもらった際も、3年から4年経ったらパソコンも根本的に改造しなくてはだめとのこと。
これは新たな技術が年々出てくるのではなく、新商品を売り続ける経済構造の一環でしょう。
でも、なくては困る一消費者としては、買い続けるしかありません。
2005年03月05日(土) |
自衛隊新入隊員激励会に参加しました |
自衛隊新規入隊者の激励会に参加しました。
新規に自衛隊に入隊する方は、全て各地区の「募集事務所」が把握しております。そして毎年、地区毎に激励会などに参加しております。
二次会の懇談会は、ケーキなどのおやつを食べながらでした。私の前に座った新入隊員は、大学卒でPKO活動を見て志望したと言いました。
一方少し年をとった自衛隊員は、日陰者であった当時の話をよくいたします。
吉田茂は、防衛大学校の卒業式で「皆さんが日陰者であるときが平和だ」と言いました。
元来は軍縮論者である私も、この元総理の言い方には違和感を覚えます。ただ、戦争を経験した声として貴重ではありますが。
さて「くに」と書いているのは、私の大切な政治的主張であります。「くに」と「国家」は違う存在なのです。
「国家」のあり方が変化しても、「くに」を守る精神は貴重であります。
2005年03月04日(金) |
雪が積もっても電車は動く |
雪がたくさん降りました。でも電車は動いています。
中高生の時は雪が降ると、電車が遅れたり止まったりしたものです。最近そうならないのは、技術の進歩か、あるいは雪の量が減ったのか。
自然に関わりなく。生活ができるようになっていきます。もちろん本質的には、自然に打ち勝つことはできませんが。
しかし車は滑りますね。チェーン・スタットレスなどありますが、もっと簡易に滑り止めが常設できる、新しい車が販売されないものでしょうか。
相模原だけでなく雪国においても、その量は年々減少していきます。オゾン規制は国際ルールができましたが、より強行な指針を政府が示すべきです。
2005年03月03日(木) |
安易な改憲の風潮は疑問 |
「新しい憲法をつくりたい。」政治家としての大きな目標です。ライフワークにしたいと考えています。
一昔前にこの種の主張をすると、“右翼”扱いされました。学生時代には、弁論大会などで散々やじられたものです。
しかし、現在の風潮は大きく変わりました。大新聞のほとんども「改憲」を訴え、世論調査で「改憲」支持が過半数に達していると報道しています。
この安易な変化には危機感を覚えます。ひとつひとつの総括ができないままで、時流や周辺環境のみで大勢が動いてしまう。かつての日本の過ちそのままです。
今日(社)日本青年会議所関東地区協議会関連の集いがあり、三浦半島の先端まで行ってきました。
数人のJCメンバーによるディスカッションにて、「憲法改正」がテーマになりました。私たち(社)相模原青年会議所の代表者が一番良かったです。
憲法論議の必然性を訴えながら、あわせて軍備増強に理解を求めるような表現のある、現在の日本JCのあり方には私も言い知れぬ不安を感じていました。
今日も出ましたが、一部に「アメリカ製の憲法だから根本的に問題」という意見もあります。私はこの考え方には疑問を持ってます。
どんな時にどの国でつくっても、国際社会の影響を多大に受けながらつくられるのが憲法です。今つくったとしても、アメリカを中心にする国際社会の目から逃れることはできません。
むしろ自国のみの判断では偏狭になりがちな点を、既存の国家概念を超えたところで意見を集約していく。
これこそが新しい憲法のつくり方であるべきです。大切なのは、どういう社会をつくるのか、どういう国を目指すのかです。
2005年03月02日(水) |
話は短く〜母校の卒業式にて〜 |
例年によって母校の卒業式に参加し、校友会会長として少し話してきました。
自分を棚に上げて言いますが、多くの方々の挨拶はとにかく長い・・・・。私が聞いてそうなのですから、現役高校生はもっとそうでしょう。(ああこんなことを書いて大丈夫か?)
私は日頃の活動のなかで、一つ決めていることがあります。自分が開催する政策発表の場以外は、とにかく挨拶を短くすることです。基本は1文章。長くても2〜3文章のうちに収めることです。
せっかくいい話だと思っても、その話が長くなればなるほど、終わったときは何も残ってはいないものです。
政治家も最初は短い人でも、経験を積むと、だんだん長くなるそうです。
戒めてまいります。長かったら遠慮なく指摘してください。お願いいたします。
2005年03月01日(火) |
“無理心中”は表現を改めるべき |
“無理心中”の事件がありました。テレビなどで報道しています。
さて“無理心中”の定義は何でしょうか。調べたわけではありませんが、日本独特の造語の気もします。いくつか頭の中で言葉にしてみますが、「殺人」以外のプラス要素は特にありません。
そうです。“無理心中”は「殺人」と表現を改めるべきなのです。
事実を正確に表現していなくても、その言葉を使うことによって、社会かあるいは当事者にとって意味があるならば、許される点もあります。
“無理心中”という言葉を使うことによって、それが真実に近づけるならばそれも可ということです。
しかし今回の事件をはじめとして、多くの実態は「殺人」以外の何ものでもありません。
メディアはどういう意図で“無理心中”という言葉を使うのでしょうか。おそらくは、意図はなく過去からの惰性によって使っているだけでしょう。
“無理心中”は「殺人」と表現を改めるべきです。少なくとも報道においては。
|