最強の星の真下

2003年08月27日(水) 火星。

今日は火星、見られなかったなあ。
少し雲の切れ間があるようだったから、もしかしたらと思ったのだけれど。

一昨日見た火星でも充分大きく光っていたし赤かったからまあいいか。
そんなに視力良くないのに、裸眼でしっかり見えるくらいだった。
綺麗だ。
まだ暫くは火星とご近所さんだし、たまには帰り道空を見上げて歩こうか。

でも見えなくても、雲の向こうで月以外の他の星が地球に近付いているんだなあ、と思うと何となく楽しい。

999に乗って、火星に、アンタレスに、アンドロメダ大星雲に行ってみたい、本当に行けたらいいのに、と思っていた昔を思い出した。
ドラえもんのどこでもドアではなく、銀河鉄道999で。
他の星に行けたらいいな、と思っているのではなく、他の星を旅することができたらいいな、と思うから。


大気と水分と鉄、山と峡谷と四季のある、地球に一番近い赤い惑星。
いつか、もしかするといるかもしれない火星の微生物が進化し火星人になって、遠い未来にどこかで地球人と遭遇したりすると楽しいのだけれど。



2003年08月23日(土) チーム不振の理由として思うこと。

風邪気味疲れ気味夏バテ気味の身体に鞭打って、久々に某球団の応援のため球場に足を運んだ。

腐れ試合だった。


選手それぞれが「何とかしなくては」とか「ここで塁に出なくては」とか、とにかくどうにかしたいと思っているという事は、彼らのプレイからよく見て取れた。
彼らは自分の打った球が凡ゴロでも凡フライでも、必死に塁に向かって走っていた。
彼らのうちの何人かは、投手の後ろで一生懸命アウトカウントを増やすために守っていた。まあ誰とは言わないが「お前もっとちゃんと取りに行け!」と言いたくなるプレイも無くはなかったけれど。
まあ大部分の選手たちは暑い中、それなりに頑張っていた。

しかし彼らには、「自分が何をしなくてはならないか」が全く頭に思い描けていないように見えた。何もビジョンが見えていない。
試合に勝ったとしても、偶然上手く数人の選手の調子の良さが重なったから、という勝ち方をしているだけであって、何をすべきか各々がしっかり自覚している様子はない。「何となく」勝っているのだ。
だから次に繋がらない。

個人個人の「何とかしなくては」「何とかしよう」という思いを纏め、その思いに方向性を付けるのは、監督の役割ではないのか?
1人1人を的確に当てはめた明確な図を描いて見せるのが監督の仕事ではないのか?

拙攻全てが監督の責任とは言わないが、試合を見ていて、その大部分について監督に責任があると確信した。

一言で言うなら「行き当たりばったり」。
といっても流石に日替わり、という程ではないが。
しかし監督自身に「何をしなくてはならないか」の認識が無いとしか思えない采配・人員配置・人員交代、言動・・・が目に付く。

監督業は初めてだからといって、そんなものが言い訳になるはずもない。
ビジョンの組み立て、人材の育成には適度の想像力、適度の現実把握、適度の人心把握が最低限必要だと思う。
今までの采配を見る限り、彼にそれらが備わっているようには全く見えないのだ。
自分にそれらの能力が備わっているかどうか、その見極め見通しが甘すぎた結果が今のこの状態なのではないか。


やる気を無くした選手ほど再生が難しいものは無い。
何とかしよう、何とかしなくては、と選手が一生懸命思っているうちに手を打つべきだ。

選手が球団に愛想を尽かす前に、フロントは監督に戦力外通告をして首脳部をすげ替えたまえ。





・・・それにしてもファンというものは本当に有り難いものだ。
こんな腐れ試合でも、こんな腐れシーズンでも、愛想を尽かしてメガホンを投げ込むこともなく、敵チームの応援の傍若無人な輩にも負けるものかと音量を競い、毎回必死で声を枯らして応援しているのだからねえ・・・。

球場だけではない。
お茶の間テレビの前で、毎試合、どんなに沢山の人が応援していることか。
良いプレイが出ればテレビの前で歓声をあげ拍手をし、下らない負け方をすれば不機嫌に無言でテレビを消す。
夜、ご近所から聞こえてくる歓声で「あ、あの家も“そう”なんだ」なんて親近感を覚えたりする。
やっと30勝、なんてチームだってえのに、そんなファンが沢山いるんだ。
ちったあ意気に感じるって事はないのかい、横浜ベイスターズよう。



2003年08月14日(木) 趣味。

今日は、土砂降りの中、街まで買い物に出た。

家の近くでは入手出来ないか、或いは入手は出来るが品質がイマイチで法外に高価い(と感じる)ので、延々電車に乗ってお買い物。
一度安い値段を知ってしまうと、その2倍から3倍の値札が付いた品を買う気は失せるものである。
しかも保存状態が悪く傷だらけのパーツである。高い値段で買いたくはない。

趣味の工作で足りないパーツがあったので、どうせ雨の中皮膚科に行くならばいっそ街まで出てしまえ、という結論に達したのだ。
ちなみに皮膚科は歩いて行けるご近所さんなのであるが、まあそれはそれ。

そして街まで出て、手が滑って、使う予定の無いモノまで購入。
あああ。

綺麗だったからつい。
なかなか行けないからつい。
またしても使う当てのないモノを、うっかり山ほど買い込んでしまった。
ああ衝動買いって怖い。



このところ、暇を見てちょびちょびと工作を愉しんでいる。
転職前は仕事上で工作の機会も多かったのだが、転職して工作とはすっかり縁が切れてしまった。
で。
ずっと何も作っていなかったので、何となく何かを作りたくなったのだ。

どうせ作るなら心が和む美しい物がいい。
だからアクセサリーを作ることにした。
きらきら光って綺麗だし。
沢山本も出ていてレシピには事欠かないし。
・・・自分がアクセサリーをほとんど付けない、という事実は取り敢えず棚に放り上げておくとして。


暇をみてちょびちょびなので1つ出来上がるまでに少々時間が掛かるけれど、速く作らなくてはならないという義務がある訳でもないので気楽なものだ。
のんびりマイペースに、気が向いたら少し進めて、気が乗らなかったら放置して、を繰り返しながらの工作が、この数ヶ月、週末のちょっとした気晴らしになっている。

ペンチもニッパーも前職ではよく使っていたし、針金工作もよくやった。
お手製治具作りは、実験には欠かせないのだ。
それに子供の頃から私にとってラジペン、ハンダは玩具のようなものだった。
幼い頃から父の仕込みで釣りもしたので、テグスも身近なツールだ。
そして私は光る物が大好きだ。

どうやらこの工作は、なかなか私に向いていたらしい。
今のところ、飽きもせず地道にのんびり続いている。
そしてたまに手を滑らせて使う当てのないウツクシイ物を買い込んでいる。



物を作るって、やっぱりいいなあ。

人間、仕事ばかりじゃいけないよねえ。

うーん綺麗な物は心が和むねー。

・・・などと呟きながら、己の衝動買いを正当化する今日この頃なのであった。


趣味なのだから少しくらいは散財してもいいのだ。
いいんだったら。



2003年08月12日(火) 虫刺されの結果。ミュージカルの感想。

夏休みである。
休みが「取れた」のではなく、休みを「取った」のである。
この違いは大きい。
休み明け、山のような雑務が待ち受けているだろう事を今から覚悟しておこう。

土日に山へ行った。
足首から下を虫に刺された。山ほど。
刺されてすぐはあまり気にしていなかったのだが、後から驚倒。

あまり刺され慣れない虫に刺されたらしく、あちこち水ぶくれになった。
どうやら、免疫のある(刺され慣れている)虫に刺されてもあまり赤くも痒くもならないが、免疫のない(刺され慣れていない)虫に刺されると、アレルギー反応が強く出て水ぶくれになったりするらしい。

1〜1.5cm大、両手くらいの数の水ぶくれが、足首から足の甲に掛けての僅かな面積に集中しているのはなかなかの光景だ。
しかもこの水ぶくれ、何度潰れてもまた膨れるので結構大変。

皮膚科に行ったら、薬を塗布後、包帯で両足をぐるぐる巻きにされた。

ので靴に足が入らない。
休みは大人しくしておけ、という事なのだろうか・・・。
がっくり。


といいつつ、月曜日はぐるぐる巻きの足にサンダルを突っ掛け、母とミュージカルを観に行ってきた。
母が観たい観たいと騒ぐので、先行予約を調べてチケットを取ったミュージカルである。
体育王国主催の。
・・・筋立てが無いのはまあ良しとしよう。しかし。

「ミュージカル」という名を冠するなら、最低限、歌えよ、オイ。

と思ってしまったが、「ミュージカルではないもの」として観れば、面白かった。
ミュージカルではなく「パフォーマンス」と、正直に言いたまえよ、君。


感想。

オープニングは少々締まりが無く冗長だった。
あと途中のダンス関連は、正直、宝塚の完成度を、とまでは言わないが、せめてもう少し全体の動きを合わせられないものなのかと思った。
あのキャッシングのテレビ宣伝レベルを期待した私が悪いのかもしれないが。

その他の、道具を使った演目はほぼ全て面白かったし楽しめた。
完成度もなかなかだったのではなかろうか。
特に、上から下げられた布にぶら下がっての演技には魅了された。
足に布を一巻き二巻きして、その支えだけでぶら下がってみせたり、とてもアクロバティックで優雅だった。
それにしても、あの布は、一体なにで出来ているのだろう?
よほど滑らない材質なのだろうけれど、それにしてはふわりと広がるし。
ウレタン系かな?表面をビニルコートしたら重くなりそうだし。
うーん気になる。



今日明日は家でごろごろ休息の予定。
・・・どのみちこの足では遠出も出来ないし。
くくう。



2003年08月05日(火) おしろいばな。

帰り道。
雨に降られて腐りながら歩いていたら、何かの匂いがした。
嗅ぎ慣れた匂いだ。
匂いの元はなんだなんだと見回したら、道端にオシロイバナが咲いていた。

ううむ懐かしいモノが。
と思ったが、よく考えたら昔からここに咲いているのだっけ。
私がずっと忘れていただけ。
毎年、歩道の脇のお家の人が、歩道の街路樹の根元に種を播いているのだ。

幼い頃は、この花を摘んで「パラシュート!」なんて、よくやった。
今はもう桃色しか植わっていないようだけれど、以前は黄色やシマシマなんかもあったはず。
パラシュート遊びに使う花は、黄色のものが私のご贔屓だった。

種が出来たら早速収穫して、中身を出しては「白粉だ〜」と手に塗したり。
でも全然白粉っぽくなくて、これはすぐ飽きた。沢山収穫して中身を集めれば白粉っぽくなるかしらん、なんて試しもしたけれど。
(・・・この際、余所様の植えたオシロイバナだったというのは脇に置いておく)


匂いというのは、随分と記憶を刺激するものだ。
こういう懐かしいモノに遭遇するなら、雨も悪くない。かもしれない。ような気がする。うん。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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