最強の星の真下

2002年09月29日(日) 嫌気。

書類なんてもう見たくない。

けれど小人さんがやってくれる訳でもないので、とにかく自分でやらなくては終わらない。

だから今夜は家でも仕事!とにかくやるのだ!

・・・と、自分で自分を鼓舞しようとしても、もう奮起出来ない。でもだらだらもたもたと仕事をしたとしても少しは進むから、それでいい。進まないよりはいい。多分。


気力というのは、一体どこから生まれてくるものなのだろう。達成感のない仕事をするとき、気力を奮い起こすことは可能なのだろうか。

50cmの書類の山と、30cmのファイルの山を、思いっ切りぶわっと屋上から放り投げたら爽快だろうなあ・・・。



2002年09月28日(土) 逃避の旅行。

この仕事のヤマが終わったら、何処かに旅行に行こう。

逃避願望も手伝って、海外旅行のパンフレットを山のように貰ってきた。
のは1週間前。それらは顧みられる事もなく、部屋のゴミと化した。
ヤマが終わった途端にすぐ休暇を取らないと、また暫く休めない事が判明したのだ。ヤマがずれ込んだら旅行日程なんて吹っ飛んでしまう。
それ以前に旅行などという余力が残らないかも。

今日は喉が死んでいた。風邪、流行っているからなあ。でも1日くらい休んだって治る訳がないので、同じ治らないなら仕事進めた方が建設的だ。よって明日も出勤ナリ。

・・・年末こそ絶対何処か遠くへ行ってやる・・・。



昨日友人から思いがけなく葉書が届いた。何でもない時に、何でもない手紙が届くのは愉しく嬉しい。

ヤマの後、休暇・・・って夏休みなのだけど・・・を取ったら、私も何でもない手紙を書いてみようかな。
それより国内旅行に出掛けようか。神戸で買いたい物があったんだっけ。秋芳洞まで足をのばすのもいいなあ。温泉とか。何もない場所で呆然と過ごすというのもなかなか。
そういえば愛蘭では、見に行った教会で暫し呆と時間を過ごしたっけ。脳味噌が疲れている時は蓬けているのが気持ちいい。となるとお寺かな。いやいや博物館や美術館も捨て難い。


取れるか分からない休暇中の予定に思いを馳せるのは楽しい逃避なのだ。



2002年09月27日(金) さあ皆さんご一緒に!と言いたくなったひととき。

昨夜は頭痛でダウン。睡眠不足ですな。

そして今週末は、週末ではない。

こんな時、げっつげつか〜すいもっくきんきん♪と歌いたくなってくるのは私だけであろうか・・・?いやきっと他にもこれを口ずさんでいる人は沢山いるはずだ。

さて、明日に備えて寝ようかの・・・。



2002年09月25日(水) 帰り道の楽しみ。

空気の中のあちこちに金木犀が紛れ込んでいて、和む帰り道になってきた。

忙しくてナニカが麻痺してきたので、上司Aの馬鹿っぷりも邪魔っぷりも気にならなくなった。
今の状況を乗り切るためにはいい傾向である。

この嵐が終わったら、絶対休む!


そして今日も終電。



2002年09月23日(月) 疲労。

午前様だった。というかギリギリ終電だった。
・・・さんれんきう・・・。いや言うまい。

どーも既に脳味噌が動いていない。
書こうと思っていた事も忘れてしまったし。

脳味噌が疲れている時は素直に休むべし。そうしないと危険だ。何が危険かといえば、疲れ以外に他のストレス(例えば上司Aとか!)もあるから、精神状態の危機に陥る可能性大。

友人が発病してから色々と調べたので、折角だから自分にもその知識を反映させた方が良いだろう。活用してこその知識なり。
結構人間って、危ういバランスで均衡を保っているのかもしれない、と思うようになった。仕事が山積みで馬車馬のように働いている時の自分を思い返すと、感情の動きが消えている事がよく分かる。
寝て起きて仕事して寝て起きて・・・そんなこんなで気付くと1ヶ月位経っている。
無理に感情の起伏を惹起して自分を誤魔化す事もある。

こんな状態は病的で不健康だから、休む必要がある時はきちんと休もう。
具体的には、自分の脳味噌が「怠い、限界!」と叫んでいる時は休む。

最近時間があればいつでもどこでも眠ってしまうので、やはり脳味噌が疲れているのだろうと思う。

でも布団に入ると上手く眠れない、という日も多い。電車などですぐ眠ってしまうから夜眠れないのか・・・?
嫌な悪循環だなあ。



2002年09月21日(土) 誠意。その他雑事。

・・・今日は休日出勤。

明日は休む!休むったら休む!!・・・でも休んだら間に合わないかも。いやいや心を鬼にして(?)休むのだ!

・・・明後日は出よう・・・ふう。


今日WEBニュースで読んだ話。
韓国でも、某国による拉致事件の被害者と思われる方々の家族が政府に要望を出したとか。日本での拉致事件が大きな問題として取り上げられたことで、ようやく彼らも糸口を掴めたのだろうか。
日本の拉致被害者家族の方々の長年に渉る地道な活動がようやく実を結んで国内で注目され解決の糸口を掴めただけでなく、他の国の被害者家族の方々の力にもなりつつあるというのは、素敵な事だと思う。

どちらの国の政府も頭を抱えているだろうけれど、それは被害者を今まで等閑にきたツケなので仕方のないことだろう。
日頃から地道に誠実に活動していれば、「それをここ一番の正念場の今言うか?!」な時期に大問題として持ち出されることもなかった訳で。
誠意って、大事だなあ。


愛蘭日記の第5日目を書く気力がない。旅行中唯一の余暇っぽい日だったのでとても書いておきたいのだけど。・・・疲れていない時に書こう。


今日は仕事前に、久々にチーズを買いに行った。最近かなり涼しくなってきたのでチーズ気分が復活したのだ。
暑い時は、チーズはあんまり食べる気にならない。濃厚な味を想像すると何となく敬遠してしまう。熟成も速すぎるし。
やはり暑い時はさっぱり味が嬉しい。

お気に入りのチーズが入っていたので購入した。

・・・なのに。今日は夕方から暑かった。何故だ・・・。



2002年09月20日(金) 近くて遠い国の歴史。

昨日はセキュリティ対策用アップデートファイルのダウンロードとインストールで終わってしまった。
時間かかるのなんの・・・これだからアナログ回線は。



今日は本の事をちょっと書いておこう。
今日から『閔妃暗殺』(角田房子)という本を読み始めた。近代の、朝鮮王朝時代に起こった暗殺事件のドキュメンタリーだ。

ホンの100年ほど前、日本人の集団による王妃の暗殺テロがあった。
知らなかった。

私が通っていた中学、高校は、文部省検定のキョウカショなんて使わずに先生が全てのレジュメを用意して歴史の授業を行う学校だった。
しかも近代の歴史に非常に力を入れていて、古代などは撫でるだけ。ほとんどの時間を近代史に費やすような授業だった。自分でも調べさせられたし、興味を持って自分から調べもした。おかげで近代に起こった戦争のいきさつや国同士の駆け引き、背景などはかなり充実した教育を受けたと思っていた。
高校の世界史では、欧州その他はざっと流して半分以上の時間が中国史に費やされた。
とある文化比較のエッセイに触発され、今までに韓国の生活習慣に関する本なども何冊か読んでいる。


自分がこんなにも朝鮮半島の近代史を知らないなんて、知らなかった。



私は、知らない事は罪悪であり、暴力だと思っている。

自分が知らないということを自覚してさえいれば調べる事も出来るが、知らないという自覚がなければ学習機会を得ることも出来ない。

自分が知らないと自覚していれば、良く知らないから自分の判断を保留する、という選択も出来る。

自覚無く無知であり、知ろうとする努力すら出来ないのは、何て大きな機会損失なのだろう。
私は、今まで自分が失ってきたであろうその機会を、惜しいと思う。



近くて遠い国、という言葉が今日ほど実感できた日はなかった。



2002年09月18日(水) 空。価値。

今日は、懐かしい歌を思い出して歌いながら帰った。
そういえば子供の頃は、本当に翼が欲しいと思っていたなあ・・・などと感慨に耽ってしまった。

空が自由だなんて、幻想なのだけどね。
空を飛びたかっただけ。コドモだったので。

何で白い翼でなきゃいけないのだ、と内心、歌詞に突っ込んでいた。
小生意気なコドモだったので。

今は身が重くなって空を飛びたいと思わなくなった。それでも飛行機が大好きなのは、あの頃の名残りだろうか。

空の上から地上を眺めると、人間って、小さいなあ、と実感する。み〜んな小さいから、だからこそ一人一人が大事なんだよなあ、と思う。

ちっぽけな存在が、ちっぽけな悩みや欲や満足や哲学をそれぞれに抱えて、それぞれに一生懸命生きているから、だからこそ一人一人に価値があるのだと思う。

勿論、無能な上司は邪魔だから目の前から消えてくれ、と願ったりするけれど。そういう上司も種の多様性なので。会社にいる価値はなくても、生きる上での価値はあるのだろう。・・・と思う。



・・・小泉氏、どんどん馬脚を顕わしている。馬の脚は4本のはずなのだけど、彼には2桁位も付いているらしく思われる。次は何をやるのやら。



2002年09月17日(火) 連休はゲーム。旅行日記第四日目。

連休中にようやく『王子さまLv.1』を終わらせた。
ダンジョンあと一つ!というところまで来て、ずーーーっと放置していたのだ。・・・途中でゲームをやろうという熱情が消えてしまったので。最初は「ヨシ!やるぞ!!」と思って買ってくるのだけどね・・・。
まあよくある話ではある。斯くして途中で放置されるゲームがじわじわと増え続けるのであった。

A列車も、THE ATLASも、シヴィライゼーションも、COCKTAIL HARMONYもシムシティもFFも、999も、途中で中断している。
根気のなさがこんなところに如実に顕れている。
こんなだから英会話も上達しないのだな・・・。う〜む。TOEIC・・・結果が出るのは1ヶ月後か。結果が出たらまたそれについて書こう。それまではTOEICは忘れておこう。そうしよう。


友人の状態が今ひとつらしい。鬱の波の底に当たっているだけだと良いのだけれど。このところ好調だと喜んでいただけに、反動で落ち込んでいるようだ。話をただ聞くしか出来ない自分が歯痒いけれど、でも仕方がない。私には他に出来る事はないのだから。



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さて。旅行の記録。
愛蘭旅行第4日目は金曜日だった。驚くべき事に、オフィスにおける愛蘭人の金曜日は、遅くとも15時で終わる。早ければお昼で終わる。15時を過ぎると、見事なまでに人影が消えていく。
・・・優雅だ・・・。

早々と撤収した(撤収させられた!)私も、長い金曜日の余暇を楽しむべく街を散策することにした。迷子にはなりたくないので判る道からは大きく逸れないように真っ直ぐ進む。
ショッピングストリートのようなものがあったのでその道を真っ直ぐ。
一軒一軒丹念に眺めながら歩く。延々歩く。30分で通りは終わってしまった。・・・短い。
が、その頃になって仕事の緊張が緩んだのか、頭痛が始まったのでゆるりと引き返す事にした。
店を眺めながらのんびり引き返す。というのも、早くホテルに帰ってもルームメイクが終わっていないので入れないのだ。
大道芸をやっている所に行き当たった。何をやっているのだろう・・・?と興味津々で眺めやったが、ちょうど一区切り付いたところらしく芸を見損ねた。残念。

またやらないかな〜・・・と、傍のアクセサリーショップのウィンドウをのぞき込んでいると、自転車を押した小柄な赤ら顔のオジイサンが声を掛けてきた。手の汚れからして肉体労働に従事しているお方らしい。
クラダリングを買うのか?と聞かれたので、いいのがあったらね、と軽く返した。

向こうにいい店があるよ、案内しようか。陽気なオジイサンである。
今日は疲れてるから明日にでも行ってみるね。
今から案内しようか?
いや、もう帰る所だから。(店の呼び込み・・・??)
どこから来たんだ、日本か?
ん〜そう、・・・日本から。(←このあたりちょっと警戒。日本人はお金持ってると思われたら困るし。実際持ってないし。)
バケーションか?
仕事なの。
そうか、そりゃ大変だ。でもここはいいところだろう?
うんとってもね。
どこに泊まってるんだ?
・・・向こう。(←かなり警戒。)
そうか、何処かで逢わなかったか?
・・・多分逢ってないと・・・思うけど。
ええっ?本当に?!そうかなあ?
(ホテルの近所とか?ホテルのお掃除の人とか?・・・いや心当たりない・・・よね)うん、逢ってないと思う。
そうか〜。いや話せて愉しかったよ、じゃあいい旅を!
ありがとう!さよなら〜。
こうして謎のオジイサンは自転車で颯爽と去っていったのであった。

・・・まさかとは思うが・・・ナンパ??
としたら、オジイサン、元気だね・・・。推定年齢70歳くらいだしなあ。まさかね。

その後、頭痛が着々と勢いを増してきたので、飲み物を買って大人しくホテルに戻った。そういえばこの日は夕食を摂らなかった。



2002年09月14日(土) 食欲の春夏秋冬。

熱発。しかし風邪を引く心当たりは全くない。
・・・知恵熱か?!
昨日のテストが原因だろうか・・・。

いやあ、最近寒くなったからね。冷えたんだよ、と自分に言い聞かせる。
実際、今日はかなり肌寒い。秋だなあ。

しかし秋の風物である台風は、今年は明後日の方向に暴走してばかりでこちらには来ない。
何となく、暦と季節が昔に逆戻りしているような気がする。実際に昔の気候を知っている訳ではないのだけれど。

元寇は台風で失敗しました。と、教科書に書いてあったし。あれは確か秋の話だ。つまりその時代、秋の台風は東シナ海の方に抜けていたという事だろう。

まあ元寇はどうでもいいのだが、秋である。
梨もそろそろ味が落ちてきた。葡萄が美味しくなってきた。柿も既に売っている。秋だ。
しかしパイナップルや林檎、蜜柑まで売っている。・・・季節感ないなあ。

果物について考えていてふと気付いた。
我が家はどうやら果物にうるさいらしい。

安い物を買おうが気張ってお値段高めを買おうが、食卓を囲んで果物を食すと必ず「この前の方が美味しかった」だとか「今回のは高いのに不味い」だとか口々に言い出す。しかも前に食べた果物の味をしっかり覚えているので、その感想は大抵正確だ。

父も母も私もそれぞれに、スーパー等に行くと自分の好みの果物を買ってくる。父は夏蜜柑、デコポン、ネーブル等の各種柑橘類と、枇杷やブルーベリーなどちょっとお値段高めの物に手を出す。母は葡萄や林檎、梨、柿などメジャーな果物。私はプラムやらマンゴーなど。それからちょっと目新しい雰囲気の名も知らぬ果物に手を出すのも好きだ(そして食べてみて失敗を悟る)。
柿は庭でもなる。品種が良くないのか肥料をやらないからか、味は今ひとつなのだけど。

余所様から戴く果物も多い。
西瓜、梨、メロン、林檎、蜜柑などは、毎年箱で届く。少しずつあちこちにお福分けもするけれど、あとは家族だけで食べきるのだから凄い。
西瓜は特大が何玉か、メロンは2、3種類が5個位ずつ、梨は箱で2、3箱、林檎は木箱で2箱、蜜柑は段ボールで1箱は来る。たまに枇杷1箱とか、サクランボ1箱とか、イレギュラーな戴き物もある。

これだけ戴いても、自分たちでも更に買う。
一度、我が家が一年でどれだけの果物を消費しているのかを勘定してみたい気もする。絶対把握しきれない自信があるのでやらないが。
・・・一家揃って果物中毒か?
もし果物の農薬問題などがいきなり浮上したとしたら、我が家はおそらく全滅だろうな・・・。


今日も愛蘭日記を書こうと思ったけれど気力が尽きたので次回に回そう。
日頃やり慣れないこと(週末に日記書き)をするのはどうもペースが狂う。やはり日記は忙しいウィークデイの夜に「さっさと寝ればいいのに」などと思いながら書くのが一番書きやすい。
そうすると、日中のテンションを寝る前に下げる効果がある気がする。
週末に日記を書くのは、気が緩んで下がりきっているテンションを日記のために上げる努力がいるようだ。これは余分に疲れる。

以前を振り返ると、どうもテンションの下がっていない(つまりあまり休息になっていない)週末は書いているけれど、休日を堪能している週末は書いていない傾向が見られる。
なるほどね・・・書かない週末が多いほど良いという事か。



2002年09月13日(金) TOEIC・・・過ぎた事は忘れよう。旅行日記第三日目。

TOEICテストの出来具合は・・・分からないので、手応えについて。

まずリスニング。
・・・途中で魂が耳からする〜っと抜けていきそうになるのを必死で捕まえていた。
平日は定常的に睡眠不足なのに、金曜日なんてそのピークなのである。こんな状態では、エイゴなんてただの音なのである。微妙にリズミカルで単調な、眠気をさそう音である。
それでも最初の20問くらいは気張ってやっていたのだが、途中、魂の捕獲に熱中してしまい、「何でもいいか」な気分も忍び寄り、適当にマーク。最後の20問くらいはまた気張ったが、リスニングテストは100問であるからして。真ん中の60問はTOEICの王道「ヤマ勘」にて終了。

次に文法。
これは威張って言う事ではないが思い切り苦手である。集中して考えても分からない。というか、知らなければ分かる訳がないのである。4択なのに、いくら考えても全く絞れない。せめて3つに絞れれば確率は3分の1になるのに。しかも自信を持って選択しても間違うので、ヤマ勘で選んでも結果は同じ・・・か、もしかするとその方が却って結果がいいかもしれない。下手の考え休むに似たりという言葉もある。
今回は散々考えながら記入したのでおそらく惨敗であろう。

最後に長文読解。
これは大好きだ!とにかくざかっと斜めに見てそれっぽいのを選べばいいのだから愉しい。
が、文法のあたりで既に精根尽き果て脳味噌がだらーっと耳から垂れ流し状態なので、「それっぽいもの」を選ぶのも難しくなっている。しかも文法で無駄に頭を捻っているので時間もない。前回も長文問題をやる時間がほとんど無かった。今回も長文問題の後ろの方は適当に埋めた。
最初に長文をやればいいのに、学習しない奴である。

それでも問題を見もせずにとにかく塗る、というのは前回より減った。
初回は、・・・50問くらいこれ↑だったような気がする。
今回は多分20問くらいだろう。大進歩である。これだけで、もう今回のテストは満足だ。
だから結果はもう送ってくれなくていいのだが。参加することに意義があるのだ。点数じゃないさ!・・・多分。


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さて。愛蘭第三日目の話。
この日はお店が長く開いている木曜日だった。何故木曜日は遅くまで店が開いているのだろう?というか、長く営業する日が何故木曜日なのだろう。
宗教的なナニカがあるのだろうか。愛蘭はカトリック教国だし。
しかしその辺りは語学力が無くて聞けなかった。
通りは前日と異なり人が大勢いる。こんなに沢山どこにいたのかと不思議になるくらい通りにも店にも人が溢れている。
・・・といっても渋谷には程遠い密度だが。銀座くらいかな。でも道が狭いので、人数で考えるとかなり少ないかもしれない。

治安の良い愛蘭も、最近は物騒になってきたそうで、町中の大通りでも人通りが少な目のところは、夜は一人歩きしない方が無難なのだそうだ。
いずこも同じか・・・。日本だって、世界一治安がいいと言われていても、実際は結構物騒だしね。

この日は仕事相手数人と出歩いた。宿に戻ったのは夜中。
部屋の小さなソファで明け方まで眠り込んでしまい、寒さで目が覚めた。
夏なのに、明け方は本当に寒い。計った訳ではないが、推測では15度くらいかなあ。



2002年09月12日(木) TOEICが目の前。旅行日記第二日目。

TOEICなのである。
申し込んだ時は「まだまだ先〜勉強する時間は充分ある!」と余裕で構えていたのだが、はっと気付くともう目の前である。しまった・・・。
勉強する時間どころか、一度もTOEIC関連の参考書を開くことなく試験を受ける事になりそうだ。

前回(1年前)はそれでも参考書くらいは開いた。
結果は450点。
だ、大卒レベルって確かこんなものだったはず!
・・・と自分を慰めたものだった。

↑嘘である。「文系大卒新入社員レベル」、と以前なにかで読んだのだ。
「新入社員」という辺りを微妙に自分に対して誤魔化し、しかも「理系大卒新入社員レベル」は500点、と書いてあったのを故意に忘れたのだ。
更に自分は新入社員なんて可愛らしい時期は遠い昔に過ぎ去った、という事実にも目を瞑った。

誤魔化してみても虚しい。仕方がないのでここらへんで自分に正直になろう。
私のTOEICスコアは社会人○年生としては、かなり低い。
そうさ低いとも。

・・・勉強していない今回、更に下がったらどうしようという恐怖がかなりあるのだが、受験は年1度の義務なのだ。

しかし、あまりに低い点数を取って、私を海外に仕事に行かせた事を上司が後悔したらどうしよう。まだ旅費精算をしていないのに。帰ってきてすぐ、仕事なんかより先にまず精算をすべきだったのではなかろうか。
あ、でも結果が出るのはずっと先か。・・・良かった・・・。


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さて気を取り直して旅行記の続き。
Galwayの「中心地」に立つという触れ込みのホテルに到着してから。

部屋までの廊下はまるで迷路だった。変な造りである。この様子では、窓のない部屋もあるのではないか?
部屋に入ってみると、広い。全部の備品が2つずつ揃っている。カップが2つ。スプーンも2本。タオル類も2枚ずつ。ボディソープもシャンプーリンスも2本ずつ。コップも2つ。
ベッドはダブルである。キングサイズではないだろう。・・・多分。枕が3つ並んでいる。両脇にサイドテーブルとスタンド。
小さなソファが置いてある。椅子もある。
・・・シングルって、レセプショニストは確かにシングルって言った!・・・と思うのだけど。これ本当にシングルルームか?

・・・まあいいか。違ったら何か言ってくるだろう。放置放置。

人口が少ないし、町外れだからホテルの部屋が広いのだろうなあ。いいなあ。
翌日の準備をし、目覚ましを3重にかけてさっさと眠った。

翌日から仕事だったが、その辺りは省略。

愛蘭人は朝早くから働いて、夕方早くに撤収するらしい。
夕方といっても、日が長いのでまだ昼間のような雰囲気だ。
ホテルに戻っても昼間気分である。ふらふらと外に彷徨い出た。

気付かなかったが周辺には店が結構並んでいる。探索すると、すぐ近くに広場があった。地図で調べると、町の中心らしい。
・・・あのホテル、本当に中心地だったんだ・・・。
宣伝文句は正しかった。

かの有名なアイリッシュパブなるものも、あちらこちらにある。右を向いてもパブ、左を向いてもパブ、という感じである。
喫茶店は一軒もない。村の雑貨屋さん的な店に入るとポストカードが売られていた。早速購入。
ぐるっと見て回っているうちにどんどん店が閉まっていく。
・・・閉店が早いって、本当なんだ・・・。
ガイドブックも正しかった。

迷子になりたくなかったのでホテルの周辺だけをぐるりと回ったが、閉店で見る店がコンビニ以外無くなってしまった。パブだけはしっかり開いている。夕食を摂ろうとパブっぽい軽食レストランっぽい一軒に入った。
食欲は無かったがホットサンドとコーヒーを注文。購入したポストカードを使って友人達に手紙を書く。
食事を終え、まだまだ明るいなか部屋に戻った。

愛蘭は21時くらいまで日が暮れなかった。



2002年09月11日(水) 惨劇によせて。

一年前のこの日。
ボストンにもニューヨークにもワシントンにも、知人が行っていた。
それは同僚だったり友人だったり友人の恋人だったり色々だったけれど。
それぞれの無事を確認するまで。不安な時間だった。

建物の崩壊は無惨だった。

反射的に、建物の階数と脱出にかかる時間を推し量っていた。
・・・上層階は無理だ。

目を背けたくなった。

目が離せなかった。

海の向こうに、悪意があった。


建物に残された人達。他人を優先して取り残された人達だろうか。おっとりのんびりしていて不器用に世の中を渡ってきた人達だったかもしれない。

崩落した瓦礫に埋まった人達。持てる力の限り救助に懸命になっている最中だったろうか。最後まで建物の中の人達の事ばかり心配していたかもしれない。


ささやかに、毎日を一生懸命に生きている人達の生を奪う権利なんて、誰にもない。
それはテロリズムでも、米軍が行っている誤爆と称する民間人殺戮でも同じだ。
他人を殺したい人間は、他人を殺したい人間同士で好きなだけ殺し合えばいい。
政治的インパクトとやらのために精一杯生きている小市民を殺すなんて、最下層の下司のやることだ。


理不尽に、無理矢理に、明日からの時間を奪われた人々に、黙祷。



2002年09月10日(火) 今日は験が悪い日。旅行日記。第一日目。目的地まで。

今日帰り道、道端で巨大なゴ○ブリと目が合ってしまった。
「何か動くものが・・・はっ!あれはっ!!」と私が硬直したのと同時に敵も動きを止め、数瞬。
・・・・見なかった。私は何も見なかった。
呪文を唱えながら動き始めたわたしを窺いつつ(?)敵も去っていったのであった。

嫌いなモノほど目に入るというのは、本当なのである。ああ嫌なものを見た。今日は験が悪い。


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さて。長い長い待ち時間を優雅にソファで過ごし、搭乗。向かうは愛蘭である。Shannon空港まで1時間半。勿論座席は窓際である。
隣の席には愛蘭人と思しき2人連れの老婦人が座っている。
窓の外の景色を気にしているので、飛行機に乗る機会があまり無い方々なのかもしれない。北なので、外はまだ明るい。明るい時の方が窓際は愉しい。宜しければ席を替わりましょうか?・・・などと申し出る語学力は無かったので、なるべく身を後ろに引いて座った。隣からも窓の外が見えやすいように。

なにしろローカル線なので、飛行機は小さい。そして揺れる。でも以前乗った、機体が壊れるかと思うような揺れ方だった某B航空ほどではなかったので上等なのだと思う。

離陸して水平飛行に移る前に飲み物のサービスがあった。お隣の老婦人方はビールを注文している。
・・・明るいうちからビールですか・・・さすが愛蘭人は違う!妙なところで異文化を感じる。
明るいと言っても既に時刻は20時を過ぎている。日本では立派な夜なのだが。

水平飛行に入った途端に眠る。
気付けば着陸態勢。あっという間であった。スムースな着陸だったが、どうも空港の整備が宜しくないのか、着陸後に結構揺れた。まあローカル線だから。

荷物を引き取って、ふと気付けば入国カウンターが無い。
英吉利に入国してしまえば愛蘭はフリーパスみたいなものだという事は調べてあったが、英吉利でも入国審査はえらく簡単であった。というか、思うに、こっちこっちと手招かれたあのカウンターしか通ってないような気がするのだが。
英吉利は、女性の一人旅だと入国審査であれこれ聞かれる、とガイドブックに載っていたが、あのチープなカウンターでは目的は何か、何処へ行くのか、何日滞在か、これしか聞かれなかった。
当然私は「フリーパスはデマか。ということは愛蘭で入国審査が・・・」と警戒していた。

しかし無い。間違った経路を辿っているんじゃあるまいな・・・?もし入国カウンターを飛ばしたりしたら、不法入国で捕まってしまうかも!びくびくしながら慎重に進む。
しかし無い。
大きなスーツケースを押しつつキョロキョロしながら進むと、もうロビーがすぐである。そのロビーに繋がる通路の終わりに簡易ゲートのようなものがあった。そこに職員の制服を着たオジサンが一人柵に凭れて立っている。
ここを通ってしまったら入国してしまうんじゃなかろうか。
大丈夫なのか?私。パスポート出しておいた方が良かないか?

ゴソゴソパスポートを引っぱり出しているとオジサンが話しかけてきた。日本から来たのか?うんそう。オッケーはいこっちこっち。良い旅を!

・・・え?終わり?

まさかあれが入国審査?いやいや、本で読んだ通り、やっぱりフリーパスだったという事か。でもほとんど審査がないと書いてなかったか?少しはあるんじゃないのか?あれが「少しの審査」だったのか??でもあれは世間話というものでは?柵に寄りかかって肘付いてるオジサンが入国審査係なんてまさかいくら何でも。
これについては未だによく分からないのである。

空港を出てタクシーに乗る。車で1時間半かかる。
周囲は既に暗くなっていたが、物珍しさから車の窓に張り付いた。30分ばかりも景色を眺めていただろうか。いつの間にか眠っていた。

車の振動が変わり(どうやら減速したらしい)、はっと目覚めてみればもうすぐホテルであるという。
でも街無いんですけど。本当にもうすぐ?疑いの眼差しで周囲を眺める。
あ、建物が並びだした・・・と思う間もなくホテルの前だった。
ホテル・・・街の中心地にある便利なホテルって・・・中心?街の?
郊外からあっという間だったのですけど。
どうやら誇大広告だったようだ。まあ仕事なんだから何でもいいや。
支払いを済ませ、いざホテルにチェックインだ。
予約してます。これこれ。と予約番号を書いたプリントを見せたら簡単に手続き出来た。・・・しかしどーして私の名前にMr.と付いている?間違えたな、旅行会社め。


こうして日本を出て18時間半、ようやく目的地、Galwayに到着したのであった。



2002年09月09日(月) 旅行日記。第一日目。乗り換え。

今頃疲れが・・・。週末だらだらと過ごしてしまったので仕事が山積しているのである。ああ、1日だけでも出勤すべきだったかも。

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さて。空港に到着してから。
事前にWEBサイトで調べてあったので、自分が行くべき場所は判っている。第1ターミナルだ。荷物は最終地まで運んで貰えるから身軽だ。
ふふふ。完璧である。乗り換えなんてなんのその。表示に従って空港内のバスで第1ターミナルへ。乗り換えの航空会社カウンターのチェックインもスムーズである。
乗り換えなんて初めてであったが、結構何とかなるものだ。
ささ、時間潰しをしようかの。1階下にお店も沢山あるし賑やかだ!良いではないか〜。
でもまずは乗り換えゲートを確認しておこう。慎重に!
突き当たりを左に行くって言ってたな。突き当たりを・・・左?

・・・・・・どこ?

いきなり判らなかった。
階下に降りたり上ったりを繰り返したが判らない。
一番下の階に案内所のようなものが見えた。そこまで行って聞くのが早そうだ。
エレベーターで昇れ?って最初の階だ・・・。
でも昇ってすぐの所だと言われても、あるのは閑散としたローカル線のゲートのよーなもの。
え、でもローカル・・・のはずは・・・まだ余所の国に移動するのに。

挙動不審なアジア人と化してうろうろしていると、そのゲートに立っていたおじさんが何処に行きたいんだと聞いてきた。
チケットを見せると、それはここだ!とにこやかに断言され、カードは記入したか?あるね?ささ、こっちこっちと手招かれた。
・・・お店・・・いやあのね、時間まで階下の華やかなショッピングモールにね、いたいの。

・・・言えなかった。
ありがとうとにこやかに言って、寂れた風情の通路に向かった。がっくり。
一応カウンターのような箱が置いてあって、一人だけ人が座っていて、パスポートチェックを受けた。
てことは、ここをくぐったらもうこっちのフロアには戻れないんだろーな・・・。
勿論戻れなかった。

ああ、まだ搭乗まで2時間半もあるのに・・・。

寂れた感じ、と思った印象は正しく、その通路を抜けて辿り着いたのは、小さなお店が1つだけの待合室のような場所。
ああああ。さようなら、倫敦。

ぽつねんとソファに座り、ジュースを飲みながら搭乗時刻をひたすら待ったのであった。



2002年09月06日(金) 旅行日記。第一日目。着陸まで。

離陸後機内にて。
うとうとしていると、おつまみと飲み物が配られた。
・・・そーか。もしかして食事の時刻が近かったりする?
じゃあ仕方ないなあ、起きてるか〜・・・。

ぼうっと機内誌に見入る。
座席にTVのようなものも付いていたが、元々TVは観る質ではない。家に居れば両親がさっさとTVのスイッチを入れるので眺めるが、自分で進んでスイッチを入れたりチャンネルを変えたりする習慣は全くないので、機内でもそのまま放置。横に座った人は、映画か何かを早速観ていた。

頑張って起きていたが、なかなか食事は配られない。・・・なんだ、まだ時間じゃなかったのか。・・・うとうとうとうと・・・。

またしても睡魔に襲われていると、アテンダントさんがワゴンを押してきた。今度こそ食事である。
肉料理の方を選択。パンは暖めてあったので、冷める前にバターを付けてさっさと食す。
デザートは、・・・まあ、デザート付きという事実が重要なのだろう。

食後、お茶コーヒー紅茶の給仕があり、食器が下げられた後にミネラルウォーターのミニペットボトルも配られた。
どうやら「エコノミー症候群」改め「ロングフライト塞栓症」(「血栓症」だったかな?)の予防策として水分補給をこれでもかとばかりに推奨しているらしい。良い事である。これだけでも大分違うからね。

ご飯を食べたら少々目が覚めたので、英会話の本を眺めた。付け焼き刃でどーなるものでもないのだが、まあ気休めのようなものである。
眺めているうちにまた眠ったらしい。

浅い眠りと覚醒を繰り返しているうちに、機内の電気が明るくなった。起きろと言う合図である。おつまみ、ご飯の一連のサーブがあって、機体の高度が下がってきた。
12時間ちょっと(だったと思う)のフライトも終わりである。寝ている間に終わり、という感じ。うん、これは楽でよい。
地面が見えてくると、当然窓にへばりついた。おおっガイコクの街だよ!いやこれは街じゃなくて畑だが!などと眺めているうちに着陸体勢。
私は離着陸が一番好きだ。
わくわくと着陸を待つ。今回のフライトのランディングはまあまあだった。微妙に風に煽られたのか、途中左右が傾いだけど着地はきっちり決めていた。

さて。
こんな訳で何とかHeathrow空港第3ターミナルに到着したのであった。(って、食べて寝ていただけだけど)



2002年09月05日(木) 旅行日記。第一日目。離陸まで。

前々日。
スーツケースを成田に宅配。
時間ギリギリで(というか、既に受付業務時刻は過ぎていたのだが、まだトラックが荷の積み込み途中だったので)駆け込み状態で受け付けて貰った。ありがとう猫!


初日。
早起きである。スーツケースを送ったけれど、他にデジカメとか会社のノートパソとか色々持って行かなくてはならなかったので重い大荷物を抱えて電車に乗った。

成田にて。
・・・ターミナルを間違えた。
WEBで調べたらANAは第1って書いてあったから第1に行ったのに。第1にもANAの受付カウンター(らしきもの)あるじゃない!ほらそこに!
・・・と思ったけど、これは第2ですと言われ、構内バスで第2に戻った。ロスタイム30分ナリ。
スーツケースだけはしっかり正しいターミナルに運ばれていた。便名管理だから正しいターミナルにちゃんと運ばれるらしい。なるほどね〜しっかりしてるなあ。
ついでに人も搬送して下さい。間違えなくて済むように。

チェックインカウンターは混んでいた。行列に並ぶ。
この時期に、何でこんなに沢山の人がいるんだ・・・。フーンいいね、観光だね。楽しそうだね。といかにもツアー、という集団が羨ましくなる。

2時間前までにチェックインがどーたら、というのを大幅に超過し、1時間半前にようやくチェックイン終了。

現地に着いたら夜でタクシーを使う予定。少し両替しておかなくてはならない。その両替でまた並ぶ。じーっと並ぶ。
出発時刻1時間前。

出入国カードって書かなくて良くなったのか〜それは楽でいいね・・・出国手続きを済ませ、ふと気付くと搭乗時刻までそんなに間がない。電話もしなくてはならないのに。わたわたとゲート番号を探す。
手土産買わなきゃ。トイレはどこだ。電話電話!

そして搭乗。
乗ってしまいさえすれば、後は勝手に飛行機が運んでくれる。楽なものである。
席は窓際である。私は離着陸が大好きで、トイレも頻繁に行く質ではない。となると窓際席が残っていさえすれば、もう絶対に窓際席を主張するしかないではないか。そして今回も窓際をゲット。

荷物を収納したり座り直したり。人心地ついて飛行機内を見渡すと、ほとんどの席が埋まっている。
フーンソーイイネー。あ、あのオジサンは社用族と見た!遊びじゃないね、仲間だね。でもエイゴ出来そうだね・・・。
あのオネーサンは観光だね、いかにも「私は旅慣れてます」って言いたそうに荷物をコンパクトに纏めてあるね。大きい荷物抱えて旅するなんてと思ってるね。でも仕事だと資料って嵩張って重いんだよ・・・イーネ観光で。私も夏休み取りたいなあ・・・取れるかな〜・・・無理かもな〜・・・。

周囲を見ていると段々僻みが入ってくるので機内誌(実は飛行機内のこの雑誌が大好き)を読み始める。
・・・機内販売がイマイチ。JALの方が楽しいかも。機内販売の品なんて買ったこともないのに、チェックだけは入れるのである。

そうこうするうちに飛行機が動き出した。もう雑誌なんて見ている場合ではない。窓にへばりつく。
じー・・・。
じー・・・・・・・・。
じー・・・・・・・・・・・・・。
おっ滑走路に入った!
じー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
機体が重いからなかなか浮か・・・飛んだあ!!ナイスな離陸だ!
じー・・・。
おおっ箱庭気分だね!
じー・・・・・・・・。
ここどこら辺かな。航路図は何処だ。
じー・・・・・・・・・・・・・。
・・・飽きてきた。
さて、子供じゃないんだから本でも読みますか。

そして本を開いてお休み3分で眠りの世界に落ちたのであった。



2002年09月04日(水) 多分時差ボケなし。

本日無事帰宅。

・・・長い道程であった・・・。
7泊9日。色々あったような、大した事件は無かったような。
うん、でもやっぱり色々あったかな。

帰り、乗り換えの大きな空港で生の日本語を耳にした時は正直、「やったー!帰ってきた〜!」(←ちなみにまだ思いっきり外国)と思った。気が早すぎ。
・・・日本人が一人も居ない村に居たんだから仕方ないさ・・・。

明日から暫くは旅の思い出日記にしようっと。(書く暇があればいいけど)


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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