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はっきりとした理由もなく落ちてしまうひがある
自分がわからなくて、理由などなく、ただただ悲しくなる 嫌ならば赤ちゃんみたいにぎゃんぎゃん泣けばいいのに、大人になるとなぜかそうもならない そういうときはひたすら寝るか いやがおうにも無理矢理に自分以外の人間とかかわることで薄れる
いやなことがあったとき、子供の頃から現在に至るまで、その問題が大きければ大きいほど、さらに自分を結果的に追い込む別のものに、入っていった もちろん昔はそれが自分が救われる道と信じていたのかもしれない よく思い出せないけど けれど本当はしたくないことを、してしまう その問題から目を背けているだけで、新しいとこにいったからといってそもそもの問題が消えてなくなるわけじゃない 心から消したいだけで、けすためにもっと私の心を占めてくれるものの元にいくだけ… 幸せな気持ちやうれしい気持ちや楽しい気持ちに比べて 怒りや憎しみや悲しみ苦しみの気持ちのエネルギーはすさまじいものがある 幸せな気持ちより悲しみや怒りのほうが心を簡単に占拠してしまう あっというまに 手っ取り早く そのこと以外は何も考えられないほどになる そうあってほしくないことを、選択していったのは自分自身で、ほかのだれでもなく、 いま現在もこれから先もずっと、自分自身が選択できる可能性のほうがきわめて濃厚で…
私も幸せやうれしい楽しいを知らないわけじゃない 普通に日々感じる瞬間もある ただ、だんだんその基準もわからなくなり、何がなんだかわからない 自分の望む方向には全く進むことができないのに、実はそれ自体が望む方向なんて皮肉すぎる しだいに我慢しながらすることに平気になっていく 気付いたらずっとそんななかにいて、完全に心が麻痺していて、 あらためてじっくり考えることをしないかぎり、それに私自身が心を痛めてることにさえ気付けないことも むしろそれが平気になったら、そこが私の定位置だと思う 思ってる そこから上にも下にも右にも左にも怖くていけない 平気ならそれでいいじゃないか、になってしまう 自分でもしらずしらずのうちに、 まるでなにかに操られてるかのように自分の心を縛る自分から、逃れることが出来なくなる そうすることでしか、生きていく道がみつからない 愛がなんなのかとか、幸せがなんなのかとか、知らないほうが苦しくなかったしこわくなかったかもしれない 林檎は食べたらだめと言われたのにね そのものを失おうが、かわった世界は変わったままだ 去年ようやく気付いたことなんだが、私は救いようのないばかだということ ばかだろうなとは思っていたが、半信半疑な部分があり、認めたくないとかそんなじゃなく、本当に気付いてなかったのだ
だが、知ってしまった 気付いた瞬間の衝撃はすごかった 世紀の大発見のような、新たな境地をみたような、ってそんなこと知らないけど、よくある言い回しでしかつたえられないが、そんな心境だった この落ちてしまうのは、馬鹿を発見したがどうにも対処のしようがなく、たまにおこる発作のようだ 弱い…本当になんて弱いんだと、ただただ嘆くばかり
そしてまた再構築されていくのだろうか…
まだ状況は同じ
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