DOTFAMILYの平和な日々
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2006年01月14日(土) 愚息は勉強をしない

以前、『僕は勉強ができない』という本を読んだことがある。読み返そうとまでは思わないが、結構面白かった。が、あれは『僕は勉強ができない』というより『僕は勉強をしない』の方が適切ではないか、と思った記憶がある。

で、愚息。彼は勉強をしない。誇張表現ではない。本当にしないのだ。やらないのだから、できるのかできないのかわからない。(実はわかっている。やらない=できない、である。)当然成績は悪い。彼は一応高校生なのである。あそこまで勉強しない高校生を高校生と呼んで良いのだろうか?高校に通っていれば高校生なのだろうか?私は家で愚息が勉強をしている姿を見たことがない。そして、先生によると授業中は寝ているそうである。う〜ん。

私だって学生時代、ろくに勉強はしなかった。成績だって良くなかった。(ちなみに、ダンナはお勉強好きな優等生であったそうである・・・ナードじゃねぇか!)愚息は私に似たのだろう。とは思うのだが、私だってあれほどではなかった。徒然草や枕草子等の冒頭部分は今でも空で言えるし、『水兵リーベ僕の船・・・』だって暗記しようとした記憶がある。(暗記したという記憶はない。今では・・・1番水素、2番ヘリウム・・・おしまい。あれ?あってる?)微分積分が理解できなくて、グラフを書きながら問題を解いた記憶もある。(公式丸暗記という選択肢は私にはなかった。)宿題だってやった記憶がある。(卒論だって書いたぞ!)という具合に、全くしなかった訳ではない。必要最低限はやっていた・・・と思う。

そもそも、社会に出て必要な知識というのは中学までに学ぶことで十分だと私は考えている。高校で学んだ知識を社会に出て使ったという記憶は無い。微分積分や元素記号を使ったことはないし、これからも使うことは99.9%無い。そりゃ、それを専門にしている人は使うだろうが、彼らは特に努力して記憶しなくても、基本は反復学習によって自然に覚えるのではないだろうか。私が代表的な古典の一部を未だに覚えているのも、中学時代に一生懸命暗記したからではなく、反復学習の結果であろう。(国文専攻。国語教師の免許も取ったし・・・それにしては文章が下手すぎる?アメリカ生活20年だもん・・・言い訳。)話を元に戻そう。つまり、高校で学ぶことは、将来その世界で生きていかない限り必要はない、と考えているので、愚息が高校で何も学ばなくても、実はそれほど心配してはいない。じゃ、高校で勉強する必要はないと思っているのか?と聞かれると、答えは否である。高校レベルの勉強はとても大切だと思っている。

中学までの知識は一般常識として必要だと思ったので、愚息が中学を卒業するまでは、無理やり頭に詰め込んでおいた。だから、あれほど成績が悪い愚息でも高校卒業資格テストは一発で合格した。このテスト、合格しなければ、いくら高校で必要な単位を取っていても高校卒業証書はもらえないのだが、実は中学までの知識で十分合格できる程度のテストなのである。

知識に関してはそれほど心配していないのだが・・・もっと根本的なことが心配なのだ。あれほど脳を使わないと、馬鹿になるのではないだろうか?だろうか?ではない。なるに決まっている!体は使わなければ鈍ってくる。頭だって同だ!

日々、愚息の脳と反比例に大きく膨らんでいく私の不安。でもなぁ、「馬を(牛だっけ?)川辺までつれていくことはできても、水を飲ませることはできない。」とかなんとかいう諺、あったでしょう?あれだよなぁ、あれ。

謙遜や誇張でなく「家の子も全く勉強しないんですよ。」というお子様をお持ちの方、他にいらっしゃらないだろうか?

いねぇよな。いたからってそれがどうした、という気もするし・・・


2006年01月13日(金) DOTMAN in Valley High (2)

で、今年の話である。冬休みも終わり、1月9日に愚息はあくびをしながら学校へ出かけていった。そしてそろそろ帰ってくるな、と思っていたら携帯電話にメッセージが入った。「ちょっと遅くなる。」

そういうことはあるだろう。高校生のお子様をお持ちの方なら、「ちょっと遅くなるくらいで連絡入れるなんて、マメねぇ。」とお思いになるかもしれない。別に夜遅いというわけではないのである。真昼間である。それが普通だろう。が、愚息は普通ではない。愚息が普通の高校へ通っていた頃は、私が送り迎えをしていたのだが、いつ学校からお呼び出しの電話がかかるかとビクビクものだった。で、オフィシャル不良高校Valley Highに移ってからは・・・いつ警察からお呼び出しの電話がかかるかと愚息が帰ってくるまで心休まる時間がないのである。だから愚息が少しでも遅くなると、こっちから連絡を入れる。が、学校は携帯電話禁止という建前があるので、学校で電話が鳴るのはまずいらしい。で、愚息の方からマメに連絡を入れるのである。

ところで、愚息はValley Highに移ってしばらく友人がいなかった。週末に遊ぶ連中は同じ高校の連中ではなかった。が、シニアになってから気の合う友人が出来たらしい。RとMである。で、学校外でも一緒に遊ぶようになった。学校内でもいつも一緒につるんでいるのであろう。だから、RとMがサボると愚息も一緒だと思われるのだろう。

話を戻して・・・と、愚息は夕方帰ってきた。

愚母「何やってたの?」
愚息「RとMがこの前学校サボったから、罰で居残りだったの。で、帰りの足がないから待ってくれっ言われて・・・」
愚母「で、ボケーっと待ってたの?」
愚息「いや、先生に捕まって・・・どうせ学校にいるんなら、お前も居残りやってけって言われた。」
愚母「で、一緒にお勉強してたの?」
愚息「いや、僕は先生の手伝いで、オフィスの在庫調べやらされてた。」

先生、居残りさせるのは大いに結構だけど・・・勉強させてくれない?


2006年01月12日(木) DOTMAN in Valley High (1)

去年の話である。明日から冬休みという日、学校から電話がかかって来た。「お宅の息子さん、今週二日も学校に来ていません!」・・・うへぇ、怒ってる!

そうなのである。愚息はナント風邪をひいて二日も学校を休んだのだ。実は私も風邪をひいていて、二人で寝込んでいたのである。が、休んだ日の朝、学校へ休みますと電話を入れ、学校へ行った日には私のサイン入りの欠席届を持たせたはずである。(Valley Highは欠席にうるさいのだ。)そりゃ、高校生にもなって風邪で学校を休むなんて軟弱だとは思う。が、そんなに怒らなくても良いじゃないか。

事情を聞いてみると、その日愚息の友人二人も学校に来ていなかったというのだ。つまり、3人で学校をサボった、と思われていたのである。でも・・・いたよ、愚息は家に。私もずっと家にいたのだからこれは確かだ。電話もしたし、欠席届も出したじゃないですか、と言うと、「あれはあなたが書いたのか?」なんて言われてしまった。一体どうしてそんなに怒ってるの?「とにかく、ミセス・ギルバートソンがもの凄く怒ってますからね!」と言って彼女は電話を切った。

そうか、ミセス・ギルバートソンがそんなに怒ってるんだ・・・ん?ミセス・ギルバートソンって誰だ?

愚母「ねぇねぇ、今日学校から電話があったよ。君、月・火と学校休んだでしょう。それで、ミセス・ギルバートソンがもの凄く怒ってるって。」
愚息「誰?」
愚母「ミセス・ギルバートソン。それって・・・誰?」
愚息「ははは・・・Rの母ちゃん。」
愚母「どうして君が風邪ひいたらRの母ちゃんが怒るの?」
愚息「同じ日にRとMが学校をさぼったんだって。で、母ちゃんが怒ってるんだろうな。」
愚母「で、どうして母さんが怒られなきゃいけないの?」
愚息「僕も一緒にサボってたって思われてる。」
愚母「Rの母ちゃんに電話して、弁解しときなさい!」

って、そんなことするわけないよな。

私思うに・・・Rの母親は自分の息子が学校をサボった怒りを学校の事務員さん(私に電話をしてきた人)にぶつけたのだろう。で、事務員さんとて自分が怒られる覚えはないから、行き場のない怒りを私にぶつけたのだろう。んじゃ、私は?受け止めてあげようじゃないか、皆さんの怒り。気持ちはわかるもん。でもみんなもちっと大人になって欲しいですな。


2006年01月11日(水) 日本のDVDは・・・

アメリカのDVDプレイヤーで見ることはできない!
そんなのって、あり?

私は本や映画が好きだ。が読むのも見るのも、もっぱら軽いエンターテイメントだけ。恋愛物には全く興味がない。ベストセラーだというとちょっと読みたいかな、と思うのだが、自分の金を使ってまで読もうとは思わない。

さて、去年のことである。愚息の友人達が家に来ていた時、その中の一人が「今、会いにゆきます」という本を持っていた。おっ、これは確か日本で流行った本ではないか!「ねぇねぇ、これ読み終わったら貸して!」無料なら読みたいのだ。薄いし・・・多分1、2時間あれば読める。

という訳で、借りて読んでみた。・・・結構面白かった。不覚にも目頭が熱くなってしまった。

で、別の日。やはり愚息の友人達が家に来ていた時、本の持ち主も来ていたので本を返した。それを見ていた別の子が「あっ、これDVDで見た!よかったよぉ〜。」

ん?君はDVDを持ってるのかね?では、今度はそれを貸しなさい、それを!

という訳で、DVDも借りたのだが・・・家のDVDプレイヤーでは見ることができない。DVDを入れると「設定が違います。読み込めません。」と出てくるのである。他の人に聞いてみたが、家のプレイヤーが特別だという訳ではなかった。

私は日本のDVDなんぞは見たことがないので気づかなかったのだが、知り合いの日本人は日本のテレビや映画を良く見るようである。で、数人に聞いてみたら、彼らはアメリカのDVDプレイヤーの他に、日本のDVDが見れる専用のプレイヤーを別に持っていたのだった。ねぇねぇ、そんなことってあってよいと思います?国際化社会の中、英語は大丈夫だけど日本語はダメ、なんて!どこがどう違うわけ?両方というか何語でもOKというふうには作れないわけ?すっごく不親切だぞ!

で、私は「今、会いにゆきます」を見ることができない。でも見たい・・・そうだ!そうなのだ。コンピュータで見れば良いのだ!メディアプレイヤーを使えば見ることができるに違いない!恐る恐るDVDを入れてみる。うん、大丈夫。ちゃんと見れる。

という訳で、一人コンピュータの前に座り、小さな画面で正しい姿勢で「今、会いにゆきます」を見てしまった。面白かった・・・できれば、ソファでリラックスして見たかった。

余談だが、途中で愚息がやって来て、たっくん(だっけ?)を見て、「おっ、日本版タランティーノ!」と喜んでいた。そう言えば、似てる気もする。


2006年01月10日(火) DOTMOBILE (5)

高校生の男の子と言えば、車。車と言えば事故である。愚息の友人の半分以上は既に事故経験者だ。幸い大きな事故を起こした子はいない。みんなコッツン事故である。いや、車が廃車になるほどの事故をやったのが三人いるな。でも皆かすり傷しか負っていない。最近の高校生は車より丈夫なのかな?

という訳で、愚息も例外ではなく、先日ちゃんとぶつけた。と言っても、対人対車ではない。カーブを曲がりきれずに、歩道との段差にぶつかったらしい。それでもリム(っていうのかな?タイヤの真ん中についてるヤツ)がへこんだ・・・らしい。(見た目にはわからない。)軸も曲がったらしい。そうとう酷くぶつけたんだろうな。

私は車のことは全くわからない。愚息もわからない。で、行きつけのメカニックに見てもらったら、リムを取り替えなくてはならないと言われた。新しいのは高い。で、何でも良いから中古の安いのを探してもらったら・・・ムスタングのリムが1個50ドルである、ということなので、それにしてもらった。二つだけね。そして、アラインメントというのをしてもらえ、と言われた。アラインメントはタイヤ屋さんでやってくれるらしい。で、やってもらった。「出来るだけのことはしましたが、これ以上は無理です。」と言われた。ちょっと不安。

中古のリムが二つにアラインメント代。これが去年の愚息のクリスマスプレゼントである。

愚母「曲がる時にスピード出すんじゃないよ!」
愚息「出してないよ。そもそもスピード出ないよ、僕の車。」
愚母「じゃ、どうしてぶつけるの?」
愚息「・・・下手だから。」

自覚があればよろしい。


2006年01月09日(月) DOTMOBILE (4)

16歳以上の愚息の友人の95%は車を持っている。これが今時の、いや、アメリカの高校生なのだろうな。車を持っているといっても車種は様々である。おいおい、お前まだ高校生だろう!と言いたくなるような立派な車に乗っている子もいれば、ドアもちゃんと閉まらない、走るのかどうか怪しい車に乗っている子もいる。2千ドルのセリカなんて立派なもんである。で、愚息のイクリプスは・・・う〜ん、一番自慢できないタイプだな、ありゃ。ほら、ボロならボロで自慢になるじゃないですか、若者なんだから。

愚息「Rなんてベンツに乗ってるんだよ。」
愚母「えっ、高校生でベンツ?すごいねぇ。Rの家ってそんなに金持ちなの。」
愚息「うん、金持ちだよ。でも、彼女のベンツはとてもベンツには見えない。」
愚母「見えないって?」
愚息「滅茶苦茶ボロい!もうちょっと古ければクラッシックなんだけど、そこまでは古くない。ぷぷぷぷって動くの。おじいちゃんが廃車にするのが面倒だからくれたんだって。」
愚母「だから車持ってるのにこの前遊びにいく時、君が乗せてったの?」
愚息「うん、ありゃフリーウェイは無理だ。」

・・・腐ってもベンツ!

さて、愚息とある友人との会話。
友人「DOTMANの車、凄いね。」
愚息「おお、凄いぜ、音が・・・スピード出ねぇけど。」
友人「でもかっこ良いね。僕もあんな車が欲しかったなぁ。」
愚息「じゃ、交換しようぜ!」
友人「・・・」
彼は新車のレキサスに乗っているのである。

是非交換してもらってきなさい!私が欲しい!


2006年01月08日(日) DOTMOBILE (3)

でもね、ま、良いです。買っちまいました、DOTMOBILE。95年の三菱イクリプス。なんか小っこいオモチャみたいな車である。でも、走れば良いんだ、走れば。前のオーナーは新車で買ってずっと乗ってたというし、事故は一度も起こしてないというし。愚息と師匠と3人で見に行って買うことに決めた。しかし、この辺では見かけない車だな。

愚母「ねぇねぇ、イクリプスなんてあんまり見ない車だね。」
師匠「えっ、そんなことないですよ。結構走ってますよ。」
愚母「え〜っ、私、見たことない。」(見てても気づいてないのだ、車に興味がないから。)
師匠「コマーシャルにも出てるじゃないですか。」
愚母「なんの?」
師匠「髭剃り」
愚母「・・・」
師匠「映画にも出てますよ。ほら、あのストリート・カー・レースの映画の最初に出てた。最初に・・・潰れちゃうヤツ。」
愚母「・・・」
愚息「イクリプスのコマーシャル、良くテレビでやってるよ。」
愚母「どんなコマーシャル?」
愚息「金太郎みたいな腹巻したおねぇちゃん達が太鼓叩いてるヤツ。」
愚母「・・・」

走れば良いよね、走れば。


2006年01月07日(土) DOTMOBILE (2)

愚息は車を買うために週末バイトに励んでいた。それでも溜まったお金は2千ドルちょっと。そして、その2千ドルで買える車を探し始めるのである。2千ドルで車が買えるか?

その頃愚息の友人が親に車を買ってもらった。それがナント2千ドル。しかも走るという。いやぁ、ある所にはあるもんですな。1985年のTOYOTA セリカ。えっ、20年前の車?愚息や彼の友人が生まれる前の車?でも、走れば良いよね、走れば。

という訳で、愚息は自分もあの程度の車しか手に入らないのだな、と思っていたらしい。もちろんそれでも良いと納得もしていた。走るだけでもありがたや、である。見つかれば、だが。

そんな時、愚息の師匠(何故か師匠・・・なんの師匠だ?)が良い車があるよ、と教えてくれた。で、愚息は早速詳しい話を聞きに行った。(私の車で)

愚息「ねぇねぇ、車見つかったよ。今度母さんも一緒に見に行って。」
愚母「母さんが見たってわからないよ。」
愚息「でも一緒に来て。」
愚母「どうして?」
愚息「お金がちょっと足りないの。足りない分、母さん出しといて。」
愚母「それって・・・見に行くんじゃなくて、買いに行くんじゃないの?」
愚息「うん!」
愚母「そんなに簡単に決めて大丈夫?」
愚息「うん!Kさん(師匠)が良いって言うんだから大丈夫!」
愚母「で、いくら足りないの?」
愚息「ちょっと。」
愚母「ちょっとって、いくら?」
愚息「だからちょっと・・・高い。」
愚母「一体いくらするの?!」
愚息「あのね・・・4千6百ドルだって。」

って、2千6百ドルも足りないじゃないか!それで「ちょっと」て言うか?


2006年01月06日(金) DOTMOBILE (1)

去年の話である。

カリフォルニアは車社会である。車がないと生活できない。

・・・と言い切ってしまうのは間違いだと思う。無いなら無いでそれなりに生活できるのではないかと思う。私の知り合いにも、カリフォルニア生まれにも関わらず免許も車が無い人がいる。ということは・・・車が無くても生活できるのだ、きっと!とはいえ、不便なことは確かである。経験者が言うのだから間違いない。私は愚息が生まれるまで免許を持っていなかった。ダウンタウンにある会社までバス通勤していたのである。

愚息の友人達もどんどん免許を取り、車を手に入れ始めた。それはそれで、遊びに行く時は友人が乗せていってくれるから便利である。問題は通学だ。流石に学校の送り迎えをしてくれる友人はいない。帰りは兎も角、朝は無理ね。去年の9月に愚息はシニア(高校最後の年)になり、授業数もすっかり減って、なんと1日4時間。朝8時15分に始まり、11時30分に終わってしまうようになった。家から学校までは片道30分。7時45分に家を出て、愚息を落としてすぐに家に帰ってきても、2時間ちょっとで迎えに行く時間になってしまう。スーパーに寄って買えると、買い物を片付けて洗濯をしただけで迎えの時間。まるで幼稚園児の親みたい!時間もさることながら、ガソリンが高い!1日2往復なんてとんでも話である。いう訳で、愚息にも車が必要だなぁ、と真剣に考え始めた去年の9月であった。

しかし、私は『子育ては金をかけずに手をかける』主義だったはずだ。安易の車を与えて良いものだろうか?良いはずがない!もともとの計画は、愚息が高校を卒業したら私の愛車(?)を愚息に譲り、私が新車を買う、というものであった。そもそも・・・愚息に車を買ってやる金なんかねぇよ。

それでも愚息は車を手に入れるのである...続く。


2006年01月05日(木) ダンナの腎臓

「そろそろ順番が回ってきそうですから、年末年始には予定を入れないで下さい。」と移植手術の医者から言われた。で、我が家でやることになっていた恒例のクリスマスは急遽変更して義弟の家でやることにしてもらった。すると、その医者がクリスマスのバケーションへ行ってしまった。お前が予定を入れてどうする!

ところでダンナは膵臓も悪い。で、いつの間にか「んじゃあ、膵臓も一緒に移植してしまいましょう。」ということになっていた。膵臓は生きてる人から頂くわけにはいかないので・・・死ぬ人待ちというなんとも申し訳ないことになってしまっているのである。それでも、医者がバケーションから帰ってくる今月か来月には移植手術が実現するのではないか、とダンナは密かに喜んでいた。(だって、大っぴらに喜ぶ訳にはいかんでしょうが、死人待ちなんだから。)ところが・・・

「手術に耐える心臓かどうか検査をしますので、予約を入れてください。」という電話がかかってきたのだ。今更何を言う!そういう検査は全て去年終わったんじゃなかったんかい?そもそも去年入院までした心臓の検査は何だったのだ!

そうなのである。ダンナは去年心臓の検査の為に入院までしたのである。そもそも1日で終わる簡単なテストだったのだ。が、テストが終わってからテストの為に注入した液体(何の液体かわからないが)が体から出なくて「一晩泊まってけ。」ということになったのである。その一晩が二晩になり・・・

後で聞いたら、その病院は良く人が死ぬので有名な病院であった・・・良かったね、生きて出てこれて。

で、その検査の予約を入れるための診断の予約(何だそりゃ?)を今月の18日に入れた。この調子じゃ、今年も移植手術は無理でねぇかい?それとも秒読み開始の最終検査と楽観的に解釈するべきなのだろうか?


2006年01月04日(水) キ、キーボードが上手く打てない

私は決してタイピングが速くはないのだが、それでも手動タイプライターで学んだ世代であるから、タイピングの速度測定サイトなんかで試してみると一番上のレベルには入る。英文タイプだと1分に80語クリアの鑑定書を持っている。(実はこれって英文タイプのレベルでは決して速くない。しかも取ったのは20年以上前。)だからキーボードを操るのに決して不自由はしなかった。

ところが、去年の12月半ば辺りから、左手の右半分が痺れている。薬指はそれほどではないのだが、小指はほとんど感覚がない。が、ちゃんと動く。特に不自由はしなかったのでほっておいたら、だんだん酷くなっていくような気がする。で、久しぶりに日記を更新しようと思ってキーボートに向かったら・・・これが上手く打てないのだ。特に小指。QAZを打とうとすると変な場所を触ってしまう。これは結構不便だぞ!
そう言えば、最近皿洗いをしている時によく皿やコップを流しに落としてしまう。もしかして、これも左手の痺れに関係があるのだろうか?

愚母「ねぇねぇ、左手が痺れてるんだけど、医者に行ったほうが良いと思う?」
愚息「血液の循環が悪いんだよ。運動不足!」
愚母「やっぱり?最近キーボード触ってなかったからなぁ。」
愚息「左手の運動じゃなくて、体全体の運動!」

・・・そっか、ずっとサボってたウォーキング再開しなくっちゃ。

愚母「でも、君だって最近運動不足じゃない?」
愚息「僕は若い!」

・・・ふ〜ん


2006年01月03日(火) 大晦日の過ごし方

昨日も書いたが、アメリカでは大晦日は友人達が集まってパーティというのが一般的なようである。が、我が家はダンナの透析があるのでそういうわけにはいかない。ここ数年、地味〜に自宅で過ごしている。去年は私も最後まで大掃除でばたばたしていたので、年越しそばすら作らなかった。時間がなかったのではない。気力がなかったのだ。で、ダンナの両親と一緒に「リトル・トーキョー・レストラン」へ年越しそばを食べに行った。このレストラン、愚息の友人の両親がやってるのだが、名前に似合わず(失礼)おいしい。この辺の日本食レストランの中ではダントツ一番だと思う。おいしいおそばとお寿司を食べて帰ってきたら、とても掃除の続きをやる気にはなれない。で、残りの時間は紅白歌合戦を見て過ごしてしまった。
年越しそばを食べて紅白歌合戦を見る。これこそ正しい大晦日の過ごし方ではないだろうか。
ちなみに、愚息はさっさとパーティへ出かけていってしまった。帰ってきたのは11時である。えっ、帰ってくるのが早いって?いえ、1月1日の午前11時です、はい。
夜中の1時頃、日本の両親に電話をした後、愚息にも「ハッピィニュ〜イヤァ〜!」と電話をしてみた。電話で新年の挨拶をするなんて、とても同じ家に住んでいるとは思えない。


2006年01月02日(月) 親戚の集まり

アメリカは、クリスマスは家族と一緒、大晦日は友人達とパーティ、というのが一般的なようである。だからクリスマスはほとんどの店やレストランは休業であるが、新年は1月1日から営業している。もちろん大晦日も開いている。
ダンナは4人兄弟で、その内3人までが近くに住んでいるので、何かある度に集まって祝う習慣がある。11月の感謝祭は妹の家、12月のクリスマスは我が家、1月のお正月は両親の家、そして同月の愚息の誕生日は何故か弟の家に集まって祝うというのが恒例となっている。
が、去年は事情があって感謝祭とクリスマスは弟の家でやることになった。そして・・・お正月は突然我が家でやることになった。・・・しかし、この「やることになった」というやつ、一体誰が「やることにしてる」のだろう?いつも決定後に私に報告が来るのである。ま、いいけどね。(と言う時は大抵「良くねぇよ!」と思っているのである。)でも、12月30日になって「お正月はそっちで集まることになったからね!」って言われてもねぇ・・・
が、「いえ、そんな事突然言われても困ります。無理です。」ときっぱり断れる私ではない。こういう場合、明るく元気に「はい、わかりました。お待ちしてます!」と答えてしまうのである。いやな性格だ。
という訳で、30日後半と31日を使って大掃除である。っつうか、普通の掃除なんだけどね、私の場合。日頃からきちんと掃除をしてないから、私が掃除をするとなると「大掃除」になってしまうのだ。
実は去年はダンナから「いつ移植手術ができるようになるかわからないから、予定は一切入れるな。」と言われていたので、人が家に来ることはなかった。(8月に突然1週間ほどお客の滞在があったのだが。)で、すっかり気を抜いて家はちらかり放題。普通は誰か来る時はちらかった物は「ジャンクルーム」と呼ばれる部屋に押し込めるという暮らしぶりなのに、それすらしなかった我が家はまるで地震の後のような荒れかたであった・・・ということに掃除をする段階になってやっと気が付いた。いまさら大掃除したって間に合わないので、人が入るであろう場所だけ掃除をしてごまかす。集まるのは親戚なんだからいいや、と自分に言い訳をする。が、考えてみたら、他人であれば家が散らかっていようが汚れていようが、何にも言われないんだよなぁ。言うのは親戚だよなぁ・・・でももう遅い!
あれ?で、何を書こうとしていたんだっけ?そうそう親戚の集まりである。という訳で、掃除も行き届かないまま正月には親戚一同15名が我が家に集まった。で、結構盛り上がったりなんかして、皆楽しく過ごしてくれたようである。
そうそう、楽しいのが一番。みんなでわいわい騒いでいれば、汚いのなんて気にならないよね!ね!
ちなみに、何故か彼らはトランプの「大貧民」をやって盛り上がる。ああいう単純なゲームは年寄りから子供まで参加できて楽しいのだが、夜中までトランプをやって騒いでいる親族一同というのは一般的なのだろうか?みんなが帰っていった後、どっと疲れてしまった。誰だ、アメリカくんだりまで来てあんなゲームを広めたヤツは!・・・って私ですけど。


2006年01月01日(日) 謹賀新年

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

昨年中は私のほとんど更新のないウェブサイトや日記に対し、暖かい励ましのお言葉やアドバイスなど色々ありがとうございました。
今年は私にとって子育て(?)最後の年となります。
実はもうすっかり放棄してしまい、自分に子供がいることなど忘れてしまおうと何度も思ったのですが、愚息の高校卒業(あるいは中退)まで後半年、切れてしまった息を何とか繋ぎながら、半年間はなんとか続けていこうと思っております。
つまらない愚痴で溢れかえったウェブサイトや日記ではありますが、今年もこれまで同様、どうか宜しくお願いいたします。

平成18年元旦


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