堀井On-Line
2016年01月31日(日)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * エゴの対応 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。 スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、 ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、 目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。 それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、 内容は誰も同じような自問自答? 〜その辺りから〜 ≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で 自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。 対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に 精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、 「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。 教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者 がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。 これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。 これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、 まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気 づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係 ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地 からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを 希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」 と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。 ▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの 対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。 ・・・・・・ 2015年01月31日(土) 5070,閑話小題 〜夜明けのスキャット 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章 ≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、 先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを 持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、 目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の 光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、 実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、 私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、 光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう 不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・ ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。 〜これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫ ▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、 横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。 その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、 際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは? そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ 直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け 止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた? ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、 三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症? ・・・・・・ 2014年01月31日(金) 4705,末期がん、その日のための予習を ー3 ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』 に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように 過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと! * 第二章がんになって見えてくるもの がんとの闘い・自分自身との闘い ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分 がんは人を哲学者にする ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする ムダを捨てれば頭も心もクリアに ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと がんだからこそ手に入るものがある ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。 まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう? がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学 ほんとうの自分を見つける旅 ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる 使命感があれば充実した日々 ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる 自分が「なすべきこと」は何か ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。 その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。 暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時 自分を変えることは感動のドラマ ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる がんは「人間力」を高めるチャンス ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。 辛いががんは親しい人たちを大きく育てる ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・ がんになっても「与える喜び」はある ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝 最高のプレゼントは笑顔 ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ((〃゚艸゚) 本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが あった本と、読みたかった本を手に取ること 許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、 「人に会うこと」と答える人が一番多い 「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に すがりたい患者がいるが、あるわけがない? 死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。 なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll))怖ァ・・ 死は敗北ではない ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか? これは何故生きる?の問いと同じ 人生の目的は「品性の完成」 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。 死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、 それまでの一生分を生きることになる! 「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人 の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。 ▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。 その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い 体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、 これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?((;◔ᴗ◔;)) ・・・・・・ 2013年01月31日(木) 4338, 嘘と真実 * 嘘は真実の糸を織り込んである 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。 私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、 その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。 伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色 したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、 更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、 それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。 何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。 ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。 ・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド ・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない ーバイロン ・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、 誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ ・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム ・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。 だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル ・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。 そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー ・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。 そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル ・ 半分の真実は嘘より恐い ーフォイヒタースレーベン ・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。 ーショウペンハウェル それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。 『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、 何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。 事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、 真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」 ということか。深入りしないこと! ・・・・・・ 2012年01月31日(火) 3963, 貧乏ばあさん 「女一生の働き方」―貧乏(BB)ばあさんから 働くハッピーばあさん(BA)へ ー 樋口 恵子 (著) * 核家族の果ての貧乏ばあさん 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピー ではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと楽しくはないようだ。 が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在している。 そこそこ蓄えと、知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。 ー内容紹介ー ≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知って いますか?そう、日本の高齢女性は、実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかり。 日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、 夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。さらに、 多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど雇用が不安定なため、年金をはじめ とする社会保障につながりにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあ) に甘んじていないで、自らの手で幸せをつかみとる「HP」(ハッピーばあ さん) になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。 老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 これこそがこれからの日本女性が目指す道です。本書では、人生100年時代を 迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を 多数紹介。また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も 本書を読めばよくわかります。≫ ▼ 世界一の長寿国になった日本。平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳。 その中でリッチの年寄りは僅かであり、男より7歳も長生きする女性は、収入は 僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉 が生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの 6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。しかし、その中にあって人生の 過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られる という。本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、 その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。 ・・・・・・・ 2011年01月31日(月) 3598、 閑話小題 * 日本の自殺率は、世界で何番目 ? 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は 自殺率はどの位かと調べてみた。以前にも書いたことがあるが、一位から四位が 旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。ちなみに韓国が日本の八割 で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、英国が三割で52位。 イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に 抜かれたとしても世界第三位。旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。 北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに 直面してないことが重なっているため。日本の自殺率の多さは北欧病に似ている ためか? 日本の都道府県では秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。 * 中国にエジプト全土デモが飛び火? チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、 飛び火が中国全土に全土デモが広がり、(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など 2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは? という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満) が山のように積み上がっている。それがネットで瞬く間に火を噴く可能性がある。 「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。 それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が 理解できる。この見方も決してオーバーでない。」という脳の奥からの言葉が 不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ 消滅を始めてきた。20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、 人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が存在して いるかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 激変は辛いが、しかし ? ? ! ・・・・・・・ 2010年01月31日(日) 3233, 死は‘別れ’のとき ー2 * あなたと出会って良かった ! 昨日は高校の同級生の葬儀。150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。 通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。それぞれが 背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の 葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。 ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。 実は、この場面が好き。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。 故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの 声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。 ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を 焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ 切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、これほどの感動的な悲しい場面は 初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。奥さんと家族の感情が 自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が 止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 無いだろう!ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を!
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2016年01月30日(土)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 心の本質、純粋意識の経験 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快 でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、 座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜 ≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、 感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの 特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。 それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された 自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在 でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって 生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。 特別に存在するのか。 答えは否である。 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対 の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識 に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考 ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。 「思考をゼロにする目的は何か」 「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安 や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて 後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。 このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。 それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が 理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。 この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟 するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、 どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に 妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く 聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた 概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、 仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫ ▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に 没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の 眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、 どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、 考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。 これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。 ・・・・・・ 5069,あわいの力 ー� 2015年01月30日(金) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * 日本の「心(こころ)の三重構造」 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、 < 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、 「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜 ≪ 「心」は、三層構造である。 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり) ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。 ― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう 違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。 こころ変わりという言葉があるでしょう。 ― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」 という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、 その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が 戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら 「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。 言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍 された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍 された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの 「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。 ― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも 通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫ ▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、 「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、 現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、 渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で! * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。 ・・・・・・ 4704,「考える」と、「思う」の違い 2014年01月30日(木) *「考える」と、「思う」の違い ー『散文』谷川俊太郎著より 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。 「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を 組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝 した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 ーその辺りから 《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には 余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。 けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう 未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として 理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を 置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、 思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと 考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに 補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ! ▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、 「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」 「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と ◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ (必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」 「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。 英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。 だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。 「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。 積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン ・・・・・ 4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」 2013年01月30日(水) * 「私には友人が一人もいません」 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が 何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。 だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、 その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる タイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。 大方が飲み友達だが・・ しかし、堂々とTVの前で「私には友人がいません!」 と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、独り部屋の 中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。 別に友人など求めず、単独に徹すれば、これほど自由なものは無いはず。 一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。 仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に 数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを見るぐらい。情報化の時代に逆に、 こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。 糖尿で片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、外出をいないという。 ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうも私が先。 時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽい のが目だってきた。 * アップル株が アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手のエクソンモービルが返り咲き。 「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になった が、週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少。 カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、ここで表面化したのだろうか。 問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。 「あれは、ジョブスの強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が 出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、居間の テレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。 検索が出来ない上に、それ以前に無気力な人が目だってきた。」とか。 それも、iPhoneが解決する。 ・・・・・・ 3962, ゲーミフィケーション 2012年01月30日(月) 【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜クローズアップ現代】 * ビジネス、日常生活にゲームを持ち込む 最近クローズアップ現代が面白い。先回はビジネスや科学の分野などにゲームの 手法を取り入れ活用している事例を紹介している。私も以前より事業や人生に 「ゲーム化」を取り入れてきたこともあり、非常に興味を持って番組をみた。 ここでも、ゲーム化について何度か取上げてきた。ネットが世界的に普及して きた中で、ゲーム感覚で多くの人が協力する時代でもある。 驚いたのは、この番組の中で、コンビニの監視カメラを公開し、万引き監視を ゲーム感覚で察知し、店に知らせるシステム。ポイント制にして最高で月3万円が 貰える。先に見つけ連絡したものが勝ち、ポイントがつく。 −まずは、クローズアップ現代のHPより ≪人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外” の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。その名も “ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術 を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を搭載した新型車が登場。ゲーム的な 手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界の グローバル企業の70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質 の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかったエイズ治療の カギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決する アイデアを競わせるゲームを通じて、人類が直面する課題の克服に役立てていこう という試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。≫ ■ 人生のゲーム化といえば、目を剥いて怒る人もいようが、人生は、その人に とっての物語を生きることである。最期には死が待っているが、生老病死の 人生のサイクルとして、それぞれの障害を乗り越えるゲームが人生。そう思えば、 難関も、乗り越えるための壁として対処を想定ができるもの。何ごとも準備が 重要だが、その準備をゲーム化するのがミソ。何事も楽しまなくては続かない。 楽しむには過程の難関をゲーム化し乗り越えることである。ゲーム化すれば苦難 は数分の一になる。航空会社が販促として「乗った距離をポイント制にして 恩典をつける「マイ・レージ」というサービスがあるが、顧客の「私は、これだけ ポイントを集めている!」という自尊心と、特典で旅行できる恩典がヒットし、 今では、当たり前のように使われている。これもゲーム感覚で、ポイント集めを 楽しんでいる。 私も早朝から就寝まで、日程を組んで習慣化し、そのチェック として手帳に書き込んでいるが、実は一種のゲーム感覚で実行している。 倒産劇も、途中から手順に落として実行しているうち、ゲーム感覚になって しまい、自分で驚いた。他人から見たら、変じゃないかと思われて当然。 とにもかくも長期にわたり一つずつ壁を乗り越えなければならないのだから、 ゲーム感覚で冷静でなければ神経衰弱になる。毎日書いているこれも、 まずテーマ探し、材料集め、それを起承転結に仕上げ、何ども修正、 完成するゲームである。 ・・・・・・ 3597, 誤訳口臭論 2011年01月30日(日) 仏文学者の鹿島茂のコラムに「誤訳と口臭」論があった。面白い切り口である。 ≪ その昔、手がけた翻訳書における誤訳の指摘がされると、気が気ではなかった。 最初の翻訳書が出された時、誤訳の指摘に関する記事が専門の学会誌に掲載された。 読んでみるといちいちもっともな指摘で批判を甘んじて受けるしかないわけだが、 実際に指摘した人物の試訳を見ると、むしろそちらの方が誤訳だらけだ。 この程度のレベルかと、少し安心する一方で、無性に怒りが込み上げてきて、 その人間の過去の翻訳文章における誤訳の指摘を、今度は対抗して学会誌に掲載 すべく、原稿を書き始めたが途中で馬鹿らしくなって、結局やめてしまった。 このように、人の誤訳というのは見つけやすいものの、自分の誤訳は他人から 指摘されるまで分からないことが多い。 誤訳というのは「口臭」に似ていると 思われ、自分口臭に気がつかないまま「おまえの口は臭いぞ」と言うことに 似ているという。「だから、非常に攻撃的に他人の誤訳を指摘している人を見ると、 この人は、たぶん自分の口臭には気がつかないタイプの人なんだろうなと思う」。 「口臭のない人がいないのと同様に誤訳のない翻訳はない。これだけは真実である」 と、思いやられる。≫ 〜 だいたい、こんなことだが、政治家の足の引っ張りあいの国会答弁、 これって口臭でなく・・ これから思いつくのが「陰口口臭論」「悪口口臭論」 がある。これは、世間とかいう現象社会にドップリ漬かっている基礎教養の欠落 している人たちの放つ毒。放っている連中は面白いが、その毒をまかれた方は・・ 毒には毒をもって制するというが、それ以前に、毒婦、毒男には近づかない方が よい! 彼らには、それが全世界でしかない。これも口臭か! このブログをネットを通した口とすると、口臭を放ち放題ということか。 凄い口臭なのだろう!自分では気づかないが! だから誰も、ブログなど書かない! 素裸で、大通りに大の字で寝る覚悟が無ければ、もの書きになれないと、 瀬戸内寂聴が書いていたが。 私など無理無理! 絶対に無理!
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2016年01月29日(金)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 *エゴのベール 〜投影という防御機能 これからすると世間は、「精神の錯乱を錯乱と気づいていない、ごく普通の 人たち」になるが、問題は自覚しているかどうか。誰もが、それぞれ屈折した レンズの眼鏡をかけ、それを現実と勘違いをし、一生、気づくことなく終える ことになる。そこで瞑想を身につけるべきと、いう。要するに、世の中の殆ど が、実は精神の錯乱者? と、すると、私だけでは、ないのか(笑)。 錯乱はエゴのベールが、原因。 〜その辺りから〜 ≪ 精神の錯乱とは、現実の姿を正しく見ることを妨げ、事物の本質に対する 理解を曇らせるベール、と表現できるだろう。具体的には、幸福を見つけ だして、苦しみを避けるにはどう行動すべきか、という判断のできない状態。 外界に目を向けるとき、本来備わっている特性など不在であるにもかかわらず、 自分が目にする世界には確固たる実体が備わっているというふうに見てしまう。 また、内側に目を向けるとき、もう存在していない過去、そして未だ存在して いない未来の間に「私」を存在させて、意識の流れをそこに凍結してしまう。 事物を見るとき、目に見える表面の姿を実体として信じ込み、滅多に疑う ことをしない。また、人や物を見るとき、「これは美しい」とか「これは醜い」 と考えるが、それらの人や物に自分が感知したままの特性を焼き付けている だけであることには気がつかない。 そして「美しい」や「醜い」が人と物の根源的な特性ででもあるかのように、 自動的に当てはめてしまう。人間はまた、世界全体を「好ましい」と 「好ましくない」とに区別して見たがる。しかも、短命で儚い存在を永続 する存在と受け取ったり、世の中が実際には常に変化し続け、相互依存の 関係で成り立っているのに、どこにも無関係に独立した固有の性質がある、 というふうに見たがる。また、事象、状況あるいは人間の特定の側面だけを 取りだして、その面の性質に焦点を合わせて、「敵」「善入」「悪人」などの レッテルを貼りつけ、これらを本来の属性と勘違いしてそれにとらわれてしまう。 そうせずに、現実の姿を注意深く観察するなら、物事がそれほど単純なもので ない、ということが明らかになるだろう。 仮に、自分の目に入る対象が真に美しいか快適で、そうした価値が純粋に その対象に属しているなら、その対象はいつどこでも望ましいものであるはず だろう。とはいえ、誰も異議を唱えずに、「美しい」と普遍的に認められる ものがこの地球上に存在するだろうか。 仏教詩の中に次の一節がある。 「美女とは、恋人にとっては欲望の対象、修行者にとっては乱心の元、 狼にとっては格好の獲物」。 同様のことが嫌悪についても言える。 対象が本質的に嫌悪すべきものなら、もっともらしい理屈をつけて、誰もが それを避けるだろう。だが、物や人間にそうした性質や特性を単純に当て はめているに過ぎない、ということに気がつけば、すべてが変わってくる。 すべての美しい対象が、元々精神的に有益な価値が備わっているか、 というとそうではない。逆に、醜い対象物だからといって、それが精神を 阻害する性質が根本的に備わっているというものでもない。 同じく、今現在、自分にとって敵である相手でも、他の誰かにとっては 愛の対象である可能性は十分にある。今日の敵と、ある日、友情の絆を結ぶ 日が来るかもしれない。自分が勝手に対象に貼り付けた特性が、対象とは 切っても切れない属性であるかのように反応する。かくして、現実の姿から 自らを遠ざけ、自分の心の状態を他者や物に映しだす、投影という防衛機能を 容赦なく活動させながら、目に入る対象に対して、これは魅力あるとか、 これは嫌悪すべき、と感じつつけるのである。 ≫ ▼ 世間、社会のありようを、そのまま描写した内容である。これからして、 あまり世間原理主義教徒を、とやかく言うべきでない。要するに誰もかも が無知なだけ。問題は、その無知を自覚できるかどうか?家庭内で、それが 露出するため、親子、夫婦間で鬱憤が蓄積される。で、欧米では一神教が 発明され、絶対神の名のもとに、何とか破壊を防いでいる。 誰もかもが、 精神錯乱者と思えば、それも自分が最たる者と自覚すれば、許し許される? 内観を怠らず、瞑想と、分析を日常に取り入れるべし!ということか。 ・・・・・・ 5068,あわいの力 ー③ 2015年01月29日(木) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * 「道具」を持たないワキ 〜身体が道具 身体そのものが「道具」というワキの存在が面白い。 これは何もワキに限ったことではなく、すべての人間に当てはまること。 アスリートは、肉体が道具!、いかに勝利につながる道具に身体をつくり 上げていくのが勤め。 人生を演劇に喩えると、役割が道具になる。 その役割としての道具には道が備わっている。 ーその辺りから抜粋ー ≪・「お道具」ということばですが、能の世界では鼓や笛を楽器といわずに 「お道具」といいます。「道具」というのは「道が具わっている」から 「道具」だといわれることがあります。語源としては間違っていますが、 しかし「お道具」の性格をよくあらわしています。お道具は、それ自体で既に 道が具わっている。しかし、それを演奏する自分の道が具わっていなければ、 いい音が出ない。何年もの修行によって自分の道が具わったときに、はじめて 「お道具」が本来の輝きを発し始める。つまり、シテ方や笛方、鼓方は、 「道具」を通じて能楽師としての道を歩んでいくことができる。 しかし、道具を持たないワキ方は、それができない。 ・こんなふうにして、ある程度自分の音を鳴らせるようになると、 その人の弟子にまた笛を譲り渡し、その弟子が何十年もかけて自分の音を 十分に鳴らせるようになると、また次の弟子に笛を受け継いでいきます。 そうやって、数百年にもわたって、「道具」を次につないでいくわけですが、 ワキはそのための「道具」が何もないじゃないか。そう、シテ方や笛方、 鼓方の人たちは言うのです。 が、じつはワキ方にも「道具」はあります。 それは、自分の身体です。自分の身体と「道具」として向き合い、いかに つきあっていくか、というのがワキとしての道の歩み方です。さらにいうと、 このことは何もワキにかぎったことではなく、すべての人間にとって当て はまること。どんな人間も、身体を持たずして生きることはできませんから。 ・能の笛というのは、わざと音が出づらいようにつくられているんじゃないか と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた 結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、 人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫ ▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。 今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。 その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能」 の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。 文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、 時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が 多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。 それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。
・・・・・・ 4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題 2014年01月29日(水) * 若年女性”の貧困問題 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する “若年女性”の貧困〜」を放送していた。隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者 より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られている のを日々、実感する。 (まずは、NHKのHPの番組趣旨より) 《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、 早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を 抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。 中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだ シングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化 していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫り にしていく。 ーあるプレビュー \(;$д$@)\ カ.金-\\\ 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、 57.5%と男性の2倍以上。そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満と いわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。 朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。 コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円前後の仕事です。 別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは 考えられないという。 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代の シングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円 未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた 風俗店の話が衝撃的でした。風俗店で働く女性の中には、店側が提供する 住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いという。 公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼る というのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。 ▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦が やむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、困窮者の数が増えている。 実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、その実態を 垣間見てきた。 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に 置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に 「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てている人がいる」という話を 聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として 現れてきている。「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、 しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという! ・・・・・・ 4336, 自己とつきあうということ −4 2013年01月29日(火) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。 この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、 2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。 そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。 * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め) ≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。 なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期 ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、 「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、 探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の 次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。 彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。 「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。 (断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。 しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。 よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。 「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて 購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三) ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。 人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、 自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫ ▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。 その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、 そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。 ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、 殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩 という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目 には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は 守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」 「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、していた。 このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と 「神」と「自然」についてである。「私の事業」が崩壊して、残ったのは 「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、 問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。 これも気づくかどうかの問題だが・・「欲する者を魂[命]をかけて購う」、 その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。 ・・・・・・ 3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか 2012年01月29日(日) あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というのがあった。 私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、身につまされるテーマである。その子供 たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として社会の中核を占めている。 そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の 人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。その中で団塊世代の母親は 核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内 離婚を含めて過半数以上が家族崩壊をしているのが現状である。 ー 次の部分は考えさせられる内容である。 ≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、 男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に提案はあるか、 と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに 失敗した世代なので、その贖罪のために孫育てに励んで、働く次世代の女性を 支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。不登校や引きこもり、児童虐待、少年 犯罪、DVなど、家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた 団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の 伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。これまでは、自然に生まれていた 地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の 荒波から個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士の男性たちを 企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。それは日本社会独特の 家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。 今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声を そろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。 だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。 そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、子育てである。 なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」 に集約されると言ってもいいかもしれない。そして、その子育ての目標は、 すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波 へと押し出す役割である。けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、 この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなす ことと、子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうと したのは、結局、無謀な話だったのだ。そして、親の介護。 長寿社会では、 介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、 担いきれなかった。・・ 目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族 まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・ 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが 「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を家族の進化と考え、 知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、 本気で求められいると考えるべきだ。≫ ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。 一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない男女関係を 含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。 あまりに価値観が多様化したこともあるが。 ・・・・・・・・ 3596, お絵かきロボット 2011年01月29日(土) * 画像転換ソフト 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で 加工するのに凝っている。カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を 一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、 百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すれば するほど、その出来栄えに驚いている。これは人間のカタチはしてなくても、 「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵に すると、別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい 加工をするのだから、有料のものを使えば・・ 特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、 既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、イラストに転換してくれる。 旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思って いたのが、そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。何故に、 この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?というと、秘境の 一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った 写真が、数年を経った現在でも水彩画や、クレヨン画に変換出来るのが不思議で、 奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、 当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の 美しさを改めて意識させてくれる。気楽に使っている転換ソフトには限りない ノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の 中に流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。 現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。
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5431,人生で最も大切な技術 ー⑪ 〜苦しみを最大限に利用する |
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2016年01月28日(木)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみを最大限に利用する 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。 父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか? ≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。 【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。 心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。 私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で 燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福 を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを 理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、 肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを 発見させてくれるのである。】 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。 逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、 心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。 こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に 受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、 というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応 を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと 失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、 シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに 何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫ ▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き 出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、 『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔 で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕? は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている 日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が経験 したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。この、心の内外、精神と 肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。 娑婆は、それぞれが、それぞれの知識、経験しか見えないため成立っている。 ・・・・・・ 3230, 死は‘別れ’のとき 2010年01月28日(木) 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の 近藤さんの訃報が入ってきた。癌である。これで5人目、2割強が亡くなった。 ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録を残した学者がいる。 岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身の臨終 の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り 組んだ人。癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことで致命的な癌。 あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書ク。 「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。昼はまだ良い。夜が問題だった、 夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた 私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を もたげてきたことを知った。腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくない という強烈な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、 そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、 私は身をもって知らされた。」 岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、 ・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、 ・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。 ≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、 人はそれを耐えて、乗り越えてゆく。死はつらく悲しいことだが、それは人生に いろいろある‘別れ’の一種に過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。 今までの様々の ″別れ″と本質的に異ったものではないのではないか。 普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、死に対しても心の 準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活ができる と感じがする」≫ という。 〜〜 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛が あっただろう。もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を! ・・・・・ 3595, 閑話小題 2011年01月28日(金) * 危機感が無さ過ぎる日本 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。 その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海 地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。 そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的 思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では 2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。 ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない? * 10人を11人の年金で賄う? 先日の新聞記事を見て、目を疑った。 「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が 背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。 去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに 悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。 * チュニジアの政変について 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと 見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの 情報化が背景にある。その影響がアルジェリア・リビア・エジプトにも波及、 暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国 連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融 恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。
・・・・・・ 5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い 2015年01月28日(水) * つれづれに 〜雑念そのままに ― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。 ― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、 餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、 ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、 枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした 起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。 枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求 不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。 ―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに 30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。 今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。 この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で 見る限り、飛躍的進化の兆しはない。 ―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、 「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。 次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ? 何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。 ―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに 従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を 振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく! 恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*) ・・・・・・ 4702,漂流者たち 2014年01月28日(火) * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ ー『散文』谷川俊太郎著より ーこれは全文であるー 【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代) の心境に似ている?】 《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。 むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく 知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を 考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。 それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、 生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、 ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を 造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、 牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、 こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく 生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、 正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念 の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは 今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の 中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。 彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港 からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい 若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、 おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康 であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、 わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。 そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。 エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世 にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を 求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛 の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、 若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。 おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》 ▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。 仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と 他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望 がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった! など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。 そして、今は家の中の漂流者? (>_<)ゞ (ノ_<。)うっ ・・・・・・ 4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン 2013年01月28日(月) * ドラマ メイドインジャパン 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 三回シリーズの一回目。粗筋といえば ≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。 財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏 に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業が タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、 現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫ 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニック、ソニー、 シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。 10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では 28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前 の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、 時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。 それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから 恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは 私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、 付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、 ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻 を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、 何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラーに なったタブレットPCやスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気 自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気 スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を 早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に なるものなど、発想の転換(カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、 中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。 制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。 ・・・・・・ 3960,ファイナル・クラッシュ ー7 2012年01月28日(土) * 日本をいかに安楽死させるか ー 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾 【2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクという 名の小姿員会が開かれ、そこに日本の大使が呼ばれた。アメリカ議会では、 日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリカとしてどう対応すぺきかという 問題を公式に研究しているのである。誰がどう見ても、日本政府の財政破綻は 防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の 津波が押し寄せてくる。その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から 切り離し、日本を安楽死させるか、そのためのメソッドを研究している。 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を 聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、アメリカ政府では すでに彼らなりの崩壊のシナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する 一環として日本の大使を呼んだのだろう。日本を単独で安楽死させる方法として、 どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債の格付けを一気に一〜 二段階下げてしまうやり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱。 しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後なら、日本国債がデフォルト しても「やっぱりね」ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・ 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。 市場の国債の価格がそれだけ下がると、長期金利が上がってくる。 5%になったら何が起こるか。この金利は、世界的に見ればごく普通の金利。 既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円のアップである。・・・ それは国債と同額の金額になる。】 ▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく 政争に明け暮れるしかない日本。偶然だが、去年の今日(下記)に 「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。当時、そんなことより、 自分の会社が大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が出ている 内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、どっちにしても 同じ結果でしかなかったことも事実である。もう今さら国家天下でもないが・・ 小高い中腹の山から大津波がよく見えるから、同じようなことを書いている。 金融関係のトップクラスの人たちは、一番よく分かっているが。何も言えない。
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5430,閑話小題 〜腰痛をおしての除雪作業2時間! |
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2016年01月27日(水)
* 甘利経済相の汚職問題、これ、おかしくないか? 明らかにアメリカとのTPP交渉で宗主国の尾っぽを踏んだ見返りの 謀略? たまたま、日曜の夜に放映された冷戦時代のCIAとKGBの謀略の 秘密映像の録画を、昨日、見たが、時もぴったり。見せしめのたの計画? 甘利というだけ、‘あまり’にも無防備。 * 腰痛をおしての除雪作業2時間! 積雪が1mあり、一昨日、スポーツジムに出かけようとしたが、 駐車場の出入口は除雪をしないと、外出は無理。そこで、ジムのトレーニング 替わりの除雪と割切ることにした。 除雪も結構、面白いが、しかし腰痛には 要注意い! 仕方がない、痛むなら痛めと、恐々始めた。道路の除雪した雪が、 幅7〜8mはある駐車場の出入り口に1m以上もあるため、除雪に2時間を 要した。その後、出入りに余裕をもたせるため、あと1時間は、要すると判明。 腰痛もあり、かって2時間の除雪経験は初めて。昨日あたりに腰痛が出る のでは、と不安だったが、今のところ大丈夫。 ヨガと、エアロビの効果が あったのか。 元もと腰痛は、昭和38年の「長岡三八豪雪」で、長岡高校の 校舎の除雪で痛めたもの。 雪道をジムへの道すがらユックリと運転したが、 雪道は凸凹で、後でみたら、後部は擦った傷跡がシッカリとついていた。 気をつけても、つくのはつく。 * 70からは、診療負担が2割に減額 新しい健康保険証が送られてきた。70歳からの診療負担が3割から 2割負担に減額と、あった。ただ、それだけの話だが、切替日が今月末、 「週末の歯科の予約、来週に変更すれば一割御得!」と、家内が睨む。
・・・・・・ 5066,閑話小題 〜何気ない一日の使い方 2015年01月27日(火) * つれづれに ー何気ない一日の使い方 ― ご隠居生活に入って、あと二ヶ月で4年になる。家内は専業主婦歴42年。 その生態が見えてくる。毎日のように、医院、スポーツジム、お友達とお茶、 スーパーやショッピングセンターに外出。ふと姿が見えないと、200m先の スーパーに夕方の値下げ品を探しに出かけている。こういう隙間時間の使い 方は、私の10倍以上のキャリアが成せる技。とにかく足が軽い。 で、昨日も、一昨日に続いて、年二回の恒例の乗り放題の格安切符で東京に! 昨日は、孫の顔をみて、予めネットで調べていたホットスポットを回った後、 大宮まで長野新幹線に乗って、上越新幹線に乗り換えて帰ってきたという。 やはり乗っている人種?が上越新幹線と、ちょっと違うとか。東京の名所は、 どこもかしこも外国人だらけ!というのは、この数年で入国者が二倍になった から、そうだろうが。ところで、ご隠居生活は社会からのドロップアウト。 元もとアウトサイダーを標榜していたので、疎外感とか、戸惑いは殆どない。 日常の生活習慣を決め、大方、その通りに、こなしているからである。 読書と、ネットで、知らない事を知る時間があるのが良い。 ― 20時過ぎに就寝し、夜半の0〜1時に目が覚め、4時位まで、顕在意識と、 潜在意識が混濁した半睡状態の中にいるが、これは機中の座席の時間帯と 同じような感覚だが、濃さが薄い。 最近、週に4回はSJでヨガで、 死体のポーズを、最後の5分間していることも、その時間帯の意識に影響を しているのだろか。死体になったつもりで宇宙を漂うポーズ。 ― 最近になって、当り前のことが、当り前に思えるようなってきた。 思い込みの深さと、その軽さの自覚? 最後の結果が、格好が悪かった ことが、多くの気づきを喚起してくれているようだ。逆に言えば、大方は、 その自覚を経験していない。だから、それが面白い。 思い込みの深さと、その軽さの自覚のなさ! ― ちなみの思うことは、両親の有難さ。これだけで、充分に 生まれてきて良かったと実感できる。八人兄姉の末っ子で、孫のような 感覚だったのだろう。とにかく、優しかった。現在、小中学校の同級生を 思いやると、芸者置屋の子、戦災で孤児になってお寺の養子とか、 継母のためヒネタ子や、小さな居酒屋の2Fに住んでいた子とか、戦争 の爪あとが、そのまま子供を直撃していた。それにしても、貧しかった。 〜6年前の同月同日分を見たら、偶然だが、以下の内容があった。 ―――― 2854, 格差世襲 −2 2009年01月27日(火) リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。 ・特に教育方針に違いが表れている。 「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」 「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、 子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ―― 2853, 格差世襲 −1 2009年01月26日(月) ー 貧困とは溜めのない状態 ー 格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木) 階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。 他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、 半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。 (字数制限のためカット 2016年1月27日) ・・・・・・ 4701,閑話小題 ー夕方がいちばん楽しめるとき! 2014年01月27日(月) * 残照の中で! 「日の名残り」カズオイシグロ <2167, 「日の名残り」読書日記 2007/03/10 >の、 老執事が旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がよい! 「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。 だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろ を振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。 何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。 わしを見てごらん。引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたも わしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー 「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。足を伸ばして、 のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらん。 夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」 男が立ち去ってから20分ほど になります。私はここに残り、いまの瞬間を ー桟橋のあかりが点燈するのをー 待ってました。~~(-。-;)y-~~. さきほど申し上げましたが、楽しみを求めて この桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。 その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、 多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間かもしれません。 では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された 時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。 ―― 「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える 能力だと言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発された だけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人 にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。 ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、 中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。 外部の出来事には ーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしく とも、動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るようにー 執事職を 身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえごろつき 相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、 自ら脱ごうと思ったとき意外にはなく、それは自分が完全に一人のときに 限られます。まさに『品格』の問題なのです。」 ▼ これを書いた7年前と、色いろあった現在では、味わいが違っている。 御隠居生活という夕方では、前向きな気持ちで、残された時間を最大限 楽しむこと。私のように、最後は、この様な終り方で、うわべが剥げ落ち、 中の演技者の生の私がむき出しになった状態でも、楽しみだけは充分ある。 自分に誠実にあることしか頼るすべなく、独り立ち竦み、残照で世界を眺め 直し、湧き出てきたきた言葉は? 肯定、肯定、絶対肯定。 そして、人生万歳! である。 ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ ヾ(_ _)ノ モヒトツ ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪ <ー kryaΣ(´д ` メ)アホダー!! ・・・・・・ 4334, 自殺者増加の意外な要因 2013年01月27日(日) 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。 去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる 思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を 重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという 隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、 ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、 身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの 介入が、その防止につながる。 ーこの記事をまとめるとー ○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。 ○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。 ○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。 ○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、 首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。 ○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、 5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの 共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 また県民性もある。 ○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と 不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに 抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を 評価するー住民気質が、必要。 ▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。 ≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、 自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。 ・・・・・・ 3959, 閑話小題 2012年01月27日(金) * マイウェイ マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが 面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、 あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中 戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。 またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。 この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、 やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人 がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に 奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、 凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが 出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な 動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。 あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。 そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。 * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡 閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、 欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と 高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が 停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌 のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は 別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に 何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、 ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。 それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。 ・・・・・・・・ 3594, 教養とは何か? 2011年01月27日(木) これまで、何回か教養について書いてきた。一番に納得したのは 「18歳までに洗脳された思い込みから自由になるための知識と経験の蓄積」。 塩野七生著の「生き方の演習」の中に次のような一節があった。これも面白い。 「生き方の演習」 塩野七生著 P−45 ≪ 立花隆さんが東大で「東大法学部の学生は教養がない」と言ったら、 法学部の学生たちが、「先生、教養とは何ですか」と問い返したそうで、 それに怒って、彼の考える教養とは何かを『文藝春秋』にかいたんです。 立花隆さんは私の友人でもあり、たいへんに尊敬しておりますが、やはり考えが 違う時は違う。彼は「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、 これは、私に言わせると十九世紀的な教養の概念だと思うんです。十九世紀と いうのは、ヨーロッパの有産階級ができ上がった時期。その人たちは有産階級 ですから、お金があって、家もあった。働く働かないにかかわらず裕福だった わけです。そういう人たちが、「教養は役に立たないものである。しかし、 教養は大切である」っていうことを言っていたわけです。けれど、私の関心の的 である、それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。 たとえば、ルネサンス時代には、教養というものは役ところが、ルネサンス 時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに 盛んだったのが工房でした。ミケランジェロもそこで修業しているし、 レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつ だけを専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手 ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、画家などの仕事にも 通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻でも、画家的な視点で 人間を見れば、また別の見方ができると考えたわけ。・・つまり彫刻では、 建築家は、彫金家ではどんなふうにするか、とすべてを押さえると、今度、 絵を描く時、それまでと違った絵か描けると、彼らは思ったわけです。 そういうルネッサンス時代の教養が、教養の原点だろうと考えるのです。 ▼ 一つ穴を深く掘ろうとしたら、穴そのものを大きくするか、それなりの技術 と道具が必要になる。ダ・ヴィンチが、あらゆる分野に精通していたのは有名 だが・・ 地球に何をするため生まれてきたか?の問いに、「世界を知るため、 その人しか創れないものを創ること、そして子孫を残すこと」と答えが出るが、 「その人しか残せないものを残したとしても、千年、一万年単位でみれば、 泡でしかない。それを悟ることが教養」が、今日の落ち!
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5429,人生で最も大切な技術 ー⑩ 苦悩と不幸の違い |
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2016年01月26日(火)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみと不幸の違い ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕 と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、 〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を 俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、 不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに 気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜 ≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別 する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。 サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、 定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、 痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。 【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、 まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。 私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、 そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、 当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、 自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】 自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する 動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で 何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として 生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、 等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。 なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と 関連するとはいえ、本質的な関係はない。 四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が 自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。 残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸 と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する 仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。 人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、 人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫ ▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、 【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により 日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄 に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。 四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】 とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは! 四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と 内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか? 急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、 一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、 その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。 ・・・・・・ 5065,あわいの力 ー② 2015年01月26日(月) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * お能の世界とは この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に 魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、 <芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹 から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、 その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。 猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの 「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」 として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある ≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。 ・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。 ・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに シテ方を演じるようなことはありません。 ・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫ ▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄 の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。 『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』 〜〜 4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人! 2014年01月26日(日) * 映画館貸切?の念願成就! 映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、 その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が 入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に 私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。 内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。 若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される 感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい? とすると、一割以下のコストは価値がある! * 近所の喫茶店 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店 『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは 何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって 夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、 価値がある。コーヒー・パンレストランという風。 * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、 これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。 ―― 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ ・・・・・ 4333, 自己とつきあうということ −3 2013年01月26日(土) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること! ≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を 意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ 存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の 途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを 問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような 方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、 自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己 といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。 そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や 変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、 状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて 何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する 自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が あらわれてくるであろう。・・・ ≫ ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、 書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が 出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。 その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、 書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を 決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’ と実感できるかだ。 ・・・・・・ 3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4 2012年01月26日(木) * 「他責的」な新型うつの病理 ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー ≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような 幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、医師のもとを訪れる消費者、 いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。 なぜ、この欲望はこんなに強くなったか? まず、消費社会が購買意欲をかき 立てるために「あきらめるな」「すべて可能である」といったメッセージを送り 続けた結果、あきらめきれない人が増えた。断念せずにすむ手っ取り早い方法が 開発されたことが宣伝されればされるほど、以前であればあきらめを受け人れ ざるをえなかった人も、あきらめきれなくなった。とりわけ、「こうありたい」 という自己愛的イメージにとらわれている人ほど、「自分はこんなもんじゃない」 という思いが強いので、自分を「底上げ」してくれる手段にすがって、あきらめを 何とか回避しようとする。当然、自己愛の強い人ほどあきらめきれないが、現在、 こういうタイブが増えている。少子化の影響もあって、子育ての失敗が許されなく なり、親の期待がもろに子供の肩にのしかかるようになったからである。 親の期待とは親の自己愛の再生にほかならず、敗北感や不全感にさい悩まれて いる親ほど、自分自身が放棄せざるをえなかった自己愛を、よりいっそうわが子 に投影する。 子供は、親の期待に応えなければ愛してもらえないと肌で知って いるので、親から投影された自己愛を引きずったまま成長していくわけである。 子供が多くの時間を過ごす学校という場で、自己愛的イメージを徐々に断念 させて現実の自分を受け人れさせる、つまり「身の程を知る」ようにさせる システムが機能しているかというと、現状は正反対。何しろ、「やれぱできる」 「誰にも無限の可能性がある」といった類の幻想を盛んに吹き込んでいるから。 こういう幻想を吹さ込まれ続けて「なりたい自分」のイメージだけが肥大して いくと、現実の壁にぶつかって自己愛的イメージと現実の自分のギャップに 直面したとき、ふくらむだけふくらんだ自己愛の風船をどうやってしぼぽせたら いいかわからず、落ち込んでうつになる。おまけに、現実の自分が 「これだけでしかない」のは、オ能、努力、意欲が足りなかったせいなどとは 決し思えない、いや思いたくないので、他人にせいにして責める。 これが「他責的」な新型うつの病理である。≫ ▼ 私も八人兄姉の末っ子で、両親から特に大事にされ育ったため、 心のどこかで常に親の期待に答えようと意識していた。青年期は、その葛藤の 中で常に、「自分はこんなものじゃない」と、自分の「底上げ」を心掛けていた。 27歳で父が亡くなった時、創業の激務もあったが、何かから解き放たれた ような気持ちがあった。 当時は高度成長期、誰もが坂の上の雲を目指していた。 先日、青年期に読んだ「精神論」について書いたが、「誰も無限の可能性がある」 の刷り込みだったか、右上がりに必要だったのか? 偶然だが、下記の去年の 文章が関連している。 アメリカそのものが、深刻なノイローゼである。 ・・・・・・・ 3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −1 2011年01月26日(水) 「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著) 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている 内容とは大きな隔たりがある。度々、アメリカに滞在した普通の目線で 平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させている という論には納得する。 ーアマゾンの内容紹介よりー ≪ なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか? アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。 経済格差の国・アメリカと、 幸福格差の国・日本。世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本… 長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の 第一人者の著者が、そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、 初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。 〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、 米国の一般の人々の社会における価値観、その元になる宗教、特にプロテス タンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が 抱える最重要課題、日本における人々の社会への不信感について論じている。 そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で 大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。 では日本における心の問題を 社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性に ついて述べているが、日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける 存在になっていない〉 ▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本 主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。そのほんの少しの患者を、 一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が 出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。 この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。 日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」 を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、 カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく ・・・・・・・ 3228, フリー −5 2010年01月26日(火) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 * フリーワールド ー誘発された陳腐化ー(p271) ≪ 中国では、不正コピーが音楽消費の95パーセント占めているといわれる。 といって、ミュージシャンは動じない。彼等は多くの人が聞いてもらえるほど、 そのコンサートツアーのギャラが高くなるから、別に困らない。困るのは音楽 会社だけ。経済学には「海賊版パラドック」という用語がある。ファッション業界 を下支えする根本的なジレンマから生まれている。 つまり、「消費者は今年の デザインを気に入らなければならない。そのうえに、直ぐにそれに不満を持ち、 翌年のデザインを買いたいと思う必要がある。技術商品と違って、アパレル メーカーは翌年の製品が優れているとは主張できない。見た目が違うだけ。 そこで、消費者に熱を冷まさせる理由が必要となる。その解決策は偽物が多く 出回ることで、高級だったデザインが大衆向けのコモディティになることなのだ。 そうすると、そのデザインの神秘性が失われ、目の肥えた消費者は何か特権的で 新しいものを探さなければならなくなる。これが「誘発された陳腐化」と呼ぶもの。 コピー商品の登場で、そのファッションが流行に敏感な人のものから大衆のもの へとすばやく移り、敏感な人は何か新しいものを見つけなければならない。 中国では敏感の人とは。新興の富裕層と、中流階級で、10億の大衆はまだ、 その偽物を持つことで高級品の市場に足を踏み入れたばかりである。本物と 偽物の異なるセグメントをターゲットにし、互いに相手の役に立っている。 ≫ ▼ 偽ブランド品はメーカーにとって不可欠な存在だったのだ。 「偽ものが出回るほど、一般の人が憧れる商品としての価値の 証明になる」 上に、更に「誘発した陳腐化をうながしてくれる」。 悪役が善玉を引き 立ててくれる上に、善玉の次なる善行を引き出す役割になっている。
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2016年01月25日(月)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福は可能か インド独立の父 マハトマ・ガソディの以下の言葉が良い。 < 手に入れられる外的自由の大きさは、ある瞬間の成長段階で獲得済の 内的自由の大きさに比例している。それが自由についての正しい考え方なら、 自己の内側を変革することにエネルギーのすべてを集中すべきである。> 外的自由から、逆に内的自由を得ることも、しばしばあったが、やはり、 内的自由から入るのが順当だろう。節目を打つというのは、挫折や、成功から、 これまでのステージから次の段階への変化にエネルギーを集中すること、 外的自由から、内的自由を得るための行為と思索をいう。読書で、著者の 世界にトリップするのは内的世界の自由を得る身近な手段。また、瞑想も しかりである。今ではTVも、インターネットもある。 〜その辺りから〜 ≪ 精神的な修行は、驚くほど多くの結果をもたらす。日々わずかの時間を 瞑想に割くだけで、精神を鍛えることができる。想像以上に多くの人たちが 通常の家庭生活を営み、仕事に励みながらこうした訓練を続けている。 このような生活態度のプラス面は、煩わしい時間のやりくりといったマイナス 面をはるかに超えている。こうした訓練を続けることで、現実的な日常生活の 中で心の変革の旅に乗りだすことができるのである。パストゥール研究所で 研究に取り組みながら、パリの生活にどっぷり漬かっていた頃、数分しか実行 しなかったにもかかわらず、毎日の瞑想は非常に有益だった。 日々の活動の中に、芳香が漂い、これまでにない価値を見出すことになった。 ここで言う瞑想とは、単なるリラクゼーションではなく、内面に目を転じる ことである。思考がどのようにして生まれるのかを静観し、憂うつなものも 陽気なものも、すべての思考の裏に常に潜んでいる平安、静寂、純粋な心の 様相をじっくりと見つめる作業である。それは思ったほどに複雑で難しいこと ではない。ほんのわずかな時間を割くだけで、瞑想がもたらす効果を実感し、 結果を認識するようになる。自分の中で起こっていることを内観する、その 経験を少しずつ身につけることで、思考経路をよりよく理解するようになる。 その結果、心の毒を洗い流すコツがつかめるようになる。 心の平和を少しでも感じられるようになれば、生気溢れる感覚の維持と煩雑 な職業を両立することが難なくこなせるようになる。同様に、心身が不安定で 不安感の強い状態(過度の自己中心としばしば関連する)から自分を開放する ことができたとき、恐怖心は弱まり、人に対して自然に心を開き、「人智を 超えた存在の気まぐれ」と呼ばれる運命に翻弄されずに、それに直面できる ようになる。国だろうが教会だろうが、あるいは専制君主でさえも、 人々に人間性向上を義務づける権力を持たない。これは本人の意思で選択する しかない。統計遺伝学者のルカ・キャヴァリ・スフォルツァとその息子 フランチェスコが雄弁に述べている。 【心の自由は、自分が制限するか、制限することを許した他者が制限する場合 を除けば、限界がない。その自由は偉大な力をもっている。個人を変革させ、 その能力を最大限に伸ばし、人生のあらゆる瞬間に、完全な満足感をもたらす。 個人が意識を成熟させれば、世界も変わる。なぜなら世界は個人の集合体だから。】 ▼ 私にとっての午前中の読書や、ネットや、寝室や居間でみるTVドラマと 映画も、内的世界を自由に飛びまわっていることになる。それに比例して、 外的世界が広がっていることも確かだが、瞑想で、心の内から、広大な宇宙と つながることは、外的自由より遥かに解放されることも確かである。 ・・・・・・ 5064,あわいの力 ー 2015年01月25日(日) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * シテの「あわい」の役割 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした 半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。 そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜 《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。 「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、 人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか? シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。 古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が 「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。 あっちとこっちをつなぐ不思議な力! 異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、 古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、 「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫ ▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について 書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」 の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、 「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが? この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。 ・・・・・・ 4699,末期がん、その日のための予習を ー2 2014年01月25日(土) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。 人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された 救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、 好きなDVDの用意か? シリアス過ぎる? 第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より ・日本人の2人に1人がかかる国民病 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない! ・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。 遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし! ・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく ー長生きの負の部分と割り切るしかない! ・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし! ・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、 少しでも減らす算段を!その差は大きい ・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく ・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に ・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・ ・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、 目の前にある「いま」を大事に生きる ・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する ・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と 生きれば、怖れは減る ・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 罰が当たったと思う必要はない ・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責 ・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ ・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割 ・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る ・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏! ・「看板かじり」は精神的に脆い ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし ・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし ・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。 感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる ・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという 気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を ・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある ・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ ・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう 意図的にコントロールする ・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ! ▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が 来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟ ・・・・・・ 4332, 自己とつきあうということ −2 2013年01月25日(金) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜 することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。 特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。 戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。 そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。 * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー ≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。 「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。 彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、 忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。 オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退 すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に 引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」 との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、 他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が 強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの 考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。 われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」 や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、 その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 ・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に 向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束 され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、 両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、 生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、 この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫ ▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を 避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に 沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに 行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、 一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、 人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、 音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている 時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。 社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。 ・・・・・・・ 3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3 2012年01月25日(水) * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。 ≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には 100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。 うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、 中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。 アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、 1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと 40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫ ▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断 基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん 止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、 その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に 仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした 落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人 が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の 発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の 数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用 があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。 ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの 副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、 気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。 合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。 これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 うつを和らげるが、身体に蓄積していく。 ・・・・・・・ 3592, 閑話小題 2011年01月25日(火) * ワールドカップとオリンピックの差 「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」 と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を 上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。 見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。 勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし 金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。 * ところ変われば、意味が違う (字数制限のためカット 2012年1月25日) ・・・・・・・ 3227, フリー −4 2010年01月25日(月) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 * 数百万点の中古品をタダで提供 ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー(p249) ≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに 住むデロン・ビールは、地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、 衛生面で問題があるということで拒否をされた。そこで、彼はゴミを減らすため、 フリーサイクルを立ち上げた。 ・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、 ・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは 非営利で、グーグルによるスポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入 から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル) 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって 運営されている。会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を 記さないと会員になれない。一たび会員になると、沢山の無料のモノが まっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的な プラットフォームはない。2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、 合計800万点になっている。≫(字数制限のためカット 2012年1月25日)
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5427,人生で最も大切な技術 ー⑧ 快楽は見せかけの友人 |
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2016年01月24日(日)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福と快楽 …重大な混同 「安楽こそ幸福」といえば、欧米の長期のバカンスがある。合理的日常から 離れて、ひたすらボ〜っとする。遊び慣れ快楽など今さらの人が求めるのは、 生活の雑事から開放され、ひたすら大自然と一体になること。それが安楽。 文化人の行きついたところが、「安楽」なら、未開人と何処が違うのか。 で、構造主義に到達する。〜その辺を抜粋〜 ≪ 外的な要因と精神的態度、すなわち心構えのうち、どれが本当の幸福を もたらすもので、どれがそれを阻害するものかを見分せようとする場合、 「幸福とそれに似て非なる特定の状況」とをはっきり区別することが必要。 最も起こしやすい間違いは、「快楽を幸福」と取り違えること。 ヒンズー教には、「快楽とは幸福の影に過ぎない」という教えがある。 快楽は、肉体的、美的、知的な刺激を受けた直接の結果である。 場所とか瞬間などの条件が揃った特定の状況において、束の間の快楽を 経験することができる。快楽は本来、一定で、快楽に誘引される感動は 直ぐにかすんで無色になり、ついには不快感さえ味わうようになる。 ・・(略)快楽はまた個人的な経験でもある。その大部分が自己中心的で あるがゆえに、自分本位に陥り、時には他者の幸せと矛盾することもある。 性的行為は、快感を相手と交換しあうことで相互に快楽を得る。しかし、 この種の快楽も、相互関係と利他の心が中心にある場合にのみ純粋な幸福を 感じられるものである。他者を犠牲にし、快楽を経験することもできるが、 そこから幸福を得ることはまずない。 快楽は、残酷、暴力、傲慢、欲、 その他の心情と結びつくこともあり、本当の幸福とは両立しない。 フランスの作家で批評家のドールヴィイは、「快楽とは狂人の幸福であり、 幸福は聖人の喜びである」と書いている。中には復讐や拷問を楽しむ人間 もいる。同様に、競争相手の破滅に有頂天になるビジネスマンもいれば、 盗品を肴に祝杯を傾ける盗賊もいるし、闘牛の観客は牛の死を見て狂喜する。 そのどれもが束の間の快楽に過ぎず、時にはそれが病的な高揚状態をもたらす。 これらも幸福とはまったく無縁である。・・・(略) 快楽とは異なり、心が純粋に生気に溢れた状態は、たとえ状況に影響 されることがあっても、支配されることはなく、意気消沈することはない。 持続性があり、経験を積むうちに鍛えられる。時間の経過でそれは第二の 天性と呼ばれ習慣として体得され、達成感という副産物をもたらしてくれる。 本物の幸福は、活動とは無縁である。それは人間の在り様、すなわち、 心がどのように機能するかについて正しい理解に到達することで、感情の バランスが見事にとれている状態を指す。 普通の快楽は、快適な対象と 接したときに生じるが、その接触がなくなると快楽は消滅する。 反対に、永続的な安楽は、内なる本質と完全に調和している期間中ずっと 持続する。 安楽は、自己への執着を超えて、内側から発散してくる平安な 無我の状態を一つの側面とする。自分とうまく調和できている人は、 家族、隣人、場合によっては社会全体とも良好な関係を維持するために 自発的に貢献しようとする。 要するに、快楽と幸福は直接的な関係がない。 だからといって快適な感覚を求めてはならないということはない。 壮大な景色、海水浴、バラの香りの楽しみをすべて止めなければならない 理由はない。ただ、心の平静さが損なわれ、満足感を得ることに執着し、 快楽の妨げとなる何事をも毛嫌いするようになると、快楽は障害となる。 快楽は、幸福どは本質的に異なるとはいえ敵ではない。ただ問題になるのは、 快楽がどのように経験されるかである。所有に取りつかれるとき、あるいは、 心の自由が妨げられるとき、食欲と依存症の兆候が頭をもたげ、幸福が妨害 される。一方、心地よい瞬間とか、心が平静で自由な状態で経験される快楽は、 幸福に影を投げかけることはなく、かえって幸福を引き立てることになる。≫ ▼ 40歳半ば、母親の軽い痴呆症や、病など家庭内問題が山積し、兎に角、 目先のストレスを解消する必要性があった。 そこで見つけ出したのが、 秘・異郷ツアー。未知への旅の不安は並大抵ではないが、大自然との邂逅が、 ストレスへの即効薬に気づいた。それまで、年一回のツアーが、2〜3回に なっていた。極限の日々が、想像を絶する大自然や、異文化、異文明の出会い に導いてくれた。あと講釈としても、「この大自然と出会うため、この日々 のストレスがある」と、思わせるほど強烈なインパクトがあった。 それらの邂逅での一瞬の至高体験から湧き出て蓄積された『安楽の池』が、 心の奥に静かに佇んいるから、何ごとにも平然としていられる。 『快楽の池』は、あるか? 〜以下が偶然だが、脈絡として続いていく。 『快楽の池』『安楽の池』『地獄の池』の管理のため、人は神をつくった? ・・・・・・ 5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜③ 2015年01月24日(土) ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー * 日本人と宗教 以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。 これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、 人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という 避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想を つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の 世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー ≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど 特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、 「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように 答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も 意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた 「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、 結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」 と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、 あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在 としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに 対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の 言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道 などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米 であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。 このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫ ▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として 我々を支配する。 ・・・・・・・ 4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を 2014年01月24日(金) * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 ーその辺りを抜粋 《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の 6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。 さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳 となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は 12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで 人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の 大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで (1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは 如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を 毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》 ▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。 で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、 何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに 個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。 男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている 人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。 お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺 の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、 ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した! * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だ 「滑稽」 高橋新吉 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉 ・・・・・ 4331, 自己とつきあうということ ー1 2013年01月24日(木) * 自己への思考の旅 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら 「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、 【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから 逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて 読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を 振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。 一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。 そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、 今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも 道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、 目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、 手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、 自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか 少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を 説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して 自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている 他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた 出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように 違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが 自己への旅の醍醐味であろう。》 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの 45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。 非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、 実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番 知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、 後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の 経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。 要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。 ・・・・・・ 3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2 2012年01月24日(火) 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、 それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。たまたま周辺の何人かの異様な 言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、 周辺に怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤としてプライドが異常に高いのが特徴。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩き つけ潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、 情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、怒りの原因を探しやすい ためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と 自然災害と現在でも信じている。借入総額の七割を返済しても、残り三割の 総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも 言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 以前書いた、文章をコピーしてみる。 ≪ 2011/06/28 閑話小題 ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに出る のが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には「あなた群」 というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たち からの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、 その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、今回の倒産劇の 「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。 そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・ 原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの輪で、 「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは 数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明である。 それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫ ▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りを ブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか? ・・・・・・ 3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2 2011年01月24日(月) * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、 ー3分ルールー ボクシングの1ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円。 これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本 を読むときに、いま一度、前書き、後書き、これから読もうとするページに目を 通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。これもポイントに集中 して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。 ー90秒ルールー これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。 驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束 するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような 行動をせず、じっと脳の興奮が収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。 私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い 習慣として身につけたい時に、学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を 与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。 ー30秒ルールー コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正 の時間である。これ以上になると、間延びをしてしまうし、それ以下では情報量 が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、 知らないうちに慣らされている面もあるが。そういえば、人と人間と、時と時間 の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
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5426,閑話小題 〜シネマ、『白鯨との闘い』が面白い! |
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2016年01月23日(土)
* シネマ、『白鯨との闘い』が面白い! 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、 【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラ。マッコウクジラ の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が 白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。 一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが 反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長 ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に 鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命 ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、 食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で 「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】 ▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に 引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流 する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、 「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。 * 4日間乗り放題の新幹線で 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で 乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。 当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば 東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。 このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、 良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分 を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生! 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、 『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』 私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の 持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、 独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち? ・・・・・・ 5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜 2015年01月23日(金) < 本日「いいかげん」日和 一日一話 >ひろさちや(著) * 貧・病・争と宗教 「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、 優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、 何ごとも良い方向に運ぶということ。 ≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ― と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、 そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が 治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。 わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった 本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、 嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。 宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。 嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫ ▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方 でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん 即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω ・・・・・・ 4697,末期がん、その日のための予習を ー1 2014年01月23日(木) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。 父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え 去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、 何度か、ここで書いてきた。 【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、 死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。 だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、 ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者 との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。 『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に 取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい! まずは ーアマゾン〜内容紹介ー 《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」 の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで 死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の 患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。 余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族 ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という 命題をつきつける。 ●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている ●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い ●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ ●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか ●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな ●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。 宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。 これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。 末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。 がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、 それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。 ・・・・・ 4330, 弧族の人たち 2013年01月23日(水) 「孤族の国 ーひとりがつながる時代へ」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著) NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 全国53の事例でつづった渾身のルポ。太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入 させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人。 繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。 65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と過去最高を記録 し、全世帯に占める 割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に 自殺率が急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、 定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。 ー内容紹介(amazon)ー 急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。 高齢になったら、病気になったら、職を失ったら―その先には孤立という罠が 待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、 39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に 離散した集落、独身無職女性の苦悩など多数の事例から変容する家族と社会の あり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死 … 他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。 朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。 【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた 軽自動車の後部座席から遺体で発見された佐藤正彦さん、享年55。 DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、 遺骨を保管。司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さん は、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班がその足取りを追い、 浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。 ▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。 高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、いちばん低いのが独り暮らし という。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。 ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを 紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。最後は県外にいる娘の近くの アパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と 高齢化社会の中で、大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題。 麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。 ・・・・・ 3955, 他人を責める「新型うつ」について 2012年01月23日(月) * 生存適応戦略だった「ユウウツ」 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で 何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、 なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・ 【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大・野村総一郎教授の 著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である 「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために 獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、 うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという 無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。 また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。 ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。 その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、 あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。 このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、 かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、 マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、 悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。 人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、 ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを 得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに 関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。 野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】 ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より ▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、 大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。 それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、 独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。 しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。 これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。 それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。 「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に 集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻 撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。 振り返れば節目時は鬱だった! ・・・・・・・ 3590, 戦略ネット会議システム −2 2011年01月23日(日) K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、 大手銀行に応募をして入社した人物の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に 対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、 掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、 その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、 探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚 が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り 入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いている だけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに知恵を出しあえば、 多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題も あるだろうが、互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、 内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。 その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、 新たに顕在化すること」こそ、企業にしろ、個人としても革新ポイントのコア。 この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいること は何? それを練り上げあげているのか?この恐慌の一番底が来年に到達しようと する中で、どうする?」そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。 ・・・・・・・・ 3225, 死もまた愉し 2010年01月23日(土) 孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」 の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」。 そして、還暦をむかえて一人「もとをとった!」と、ほくそ笑んだ。 今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、 次の絶対言明が見つからないのである。しかし「死もまた愉し」の中の、 次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。 ≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を 立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。とりあえずは1年だけ考える。 あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。 1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。 新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、 つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。 これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことでは ないかと思うんです。 ≫ 若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活 をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。ーそのような境遇で、会得したことは、 【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、 日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。私には、どうも無理のよう だが・・。彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。内容は毎年同じで、 原稿用紙。 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」 結核療養所で石田波郷、福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた ・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり ・風船の まぎれむ雲も なかりけり ・緑陰に 置かれて空の 乳母車 ・降る雪や 余生といふも やすからず ・來し方の見わたすかぎりおぼろかな ・花あんず 母と旅せし 記憶なく ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ ・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人 ・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし ・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
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2016年01月22日(金)
* 年明け早々に何かが? 4年前の同月同日のファイナル・クラッシュを読み返すと、極論と、 思われるが、これも今まで、リンゲルをうって、それを延期しただけ? そのマグマが、さらに溜まっている。先日のTVのニュースで、 阿部首相と、麻生副首相と、黒田日銀総裁が、テーブルに並んでいたが、 麻生と、黒田が伏目顔で、何か重大な事態が、起きようとしているのを、 知っている素振りにみえた。 これだけ、金融緩和をして、年明けから3千円 の株価の下落である。〜ある経済ジャーナリストの、ブログのコメント ≪ NY株も上海株も小康状態の中で、日本株が急落している。 日本株も「弱気相場圏」入りしたと思われる。 投資家の心理的ダメージ修復には時間を要する。 日経平均1万6千円、円115円、原油25ドル近傍へ相場が一斉に 大きく揺れるときが、全員弱気による売りのクライマックスになりそうな展開。 それにしても、新年から日本株 2勝10敗 となると、未体験ゾーンである。 米利上げと中国経済は、政策対応で、少なくとも止血剤的効果は見込める。 問題は、政策対応が効かず、制御不能に陥った原油相場だ。 原油安は原油輸入国の日本にはプラスといったところで、投機主導の相場 には軽くスル―されてしまう。先物空売りが急増すれば買戻しが入るという 市況の法則も通用しない。下がったら、もっと売る、というモードに入っている。 俯瞰すれば、原油市場は、新常態の需給均衡価格を荒っぽく模索している。 20ドル台では、供給サイドの新規油田開発がストップするので、長期的に 需給は締まると分かっていても、相場は下方へオーバーシュートしてしまう。≫ かなり、厳しい局面に入っているようだ。≫ ▼ この文章は、数日前に書かれたが、あれよとというまに、 「日経平均1万6千円、為替115円、原油25ドル」へ相場はふれている。 「前もって決断した5年前の事業清算は正解」と思わせる大津波の本格到来か。 で、これも偶然、以下の2013年01月22日(火)、2012年01月22日(日)の < * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 > < * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は 大破局に向かっている!」〜3954, ファイナル・クラッシュー6 > に、脈絡がつながっていく。 納得である。 ・・・・・・ 4329, 財政恐慌 −5 2013年01月22日(火) * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち 終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 ーまずは、その辺からー ≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、 人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が 引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、 なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。 ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、 国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処 しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。 その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、 かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度 ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。 そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避 のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、 見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを 流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、 政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。 経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。 その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。 要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う 恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、 内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。 数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて ない勢いで内から外へ流れ出す。≫ ▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも 日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。 しかし茹で蛙状態の日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。 ・・・・・ 3954, ファイナル・クラッシュ ー6 2012年01月22日(日) * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は 大破局に向かっている!」 ≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、 アメリカの浪費型経済システムと見ている。まずアメリカ、そしてイギリス を含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な 破局に巻き込まれる見通し。しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に 借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まる ことも、あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの 経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体がファイナル・ クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険 要因が存在する。日本である。私の予想では日本政府はもう一段階の格下げに あい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。その後、日本に引きずられて アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、 日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。この点が著者ヒューゴと私の見解の相違 である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけ、最終的な結末は大差ない。 日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。 懸念されているのは、日本政府の財政状況。日本政府の負債は、財務省の発表 によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、 二〇一一年にも国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用 により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を上回る。 そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、 今以上に支出を増やそうとしているのだ。日本では報道されていないが、 海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。 IMFの発表を見ていても、東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因と みなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに 世界経済のメルトダウンの引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。 震災後に行われたG20の会合でも、その方向でミーティングが進行していた。 ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の 不振を、政府が財政支出の増加でカパーしようとしたことだ。 これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、 日本が生き残ってきたこと。それは政府の財政支出の拡大により支えられていた。 これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が日本経済を 破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。これについては世上、 金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、 私見では少子高齢化である。日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、 老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故という のは想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、 これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、 もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化 せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの過剰消費という 外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが 今、まさに止まろうとしている。 ≫ ▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。 前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。それも電気料金の 値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態。 時流が先行して現れ出る仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、 毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと 事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、 その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。 結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。 ・・・・・・ 5061,閑話小題 〜何を慌てている? 2015年01月22日(木) * 何を今さら イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが 世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの 首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、 展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを 画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と 異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも 分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は 許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、 この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを 狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、 映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが 世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、 東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』 と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、 生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、 世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、 直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作 が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として 必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。 ・・・・・・ 4696, 悲観のプロセス12の段階 2014年01月22日(水) * 悲観のプロセス12の段階 『心を癒やす言葉の花束』デーケン著 ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。 挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、ほぼ同じ悲観のプロセスを 経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? ーまずはその辺りからー 《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、 自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。この階段は個人差 があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも 順番を飛び越えることもある。 1段階:精神的打撃と麻痺状態: 愛する人の死という衝撃によって、 一時的に現実感覚が麻痺状態になる。心身のショックを少しでも 和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒り を感じる。「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」 5段階:敵意とルサンチマン(妬み): 周囲の人々や個人に対して、 敵意という形で、やり場のない感情をぶつける 6段階:罪意識:悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い 込み、実生活でもそのように振る舞う 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、 早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心):日々の生活目標を見失った空虚 さから、どうしていいかわからなくなる 10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、 現実に勇気を持って直面しようとする 11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは 健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、悲嘆プロセスを 乗り切りつつあるしるし 12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生: 以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、 より成熟した人格者として生まれ変わる 》 ▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが 『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。 ・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。 ・怒り: なぜ自分が死ななければならないかという怒りを周囲に向ける段階。 ・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。 何かにすがろうという心理状態である。 ・抑うつ:なにもできなくなる段階である。 ・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。 これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を 「明らか」にして、受容することで心安らかになることが最終の段階。 その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 それを果たして楽しめる?
・・・・・ 3589, ユダヤ人 魔法のコトバ 2011年01月22日(土) 「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。 世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも 及ばない説得力を持つ。 ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー * 成程! 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上 のことだから」ー米国投資家・ベルナルド・バル−ナ 解)逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。 40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。 * 笑うしか術がない時 人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。 ところで、笑えるのは本当に深刻だろうか? 愚問か! * 物忘れ 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを 上げるのを忘れるようになる。そして最後には、ジッパーを下ろすのを 忘れるようになる」 コメディアン ージョージ・ハーンズ 解)これ、笑っていられない年齢になってきた! * 口の軽い奴 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」ータルムード 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を 聞く人、そして対象になっている人」 解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。 酒が入ると、他人事ではないか・・ * 夢も悪夢もあったけど 「夢も悪夢もあったが、夢があればこそ悪夢を乗り切れた」ージョナス・ソーク 解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと 挫折が待っている。「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ (夢)がかなったのだ」も、道理。
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2016年01月21日(木)
* 世界の貧富 欧米の貧富の格差は「上層が3%、中流・30%、その他」という。 日本も、バブル崩壊以降、これに近づきつつある、日本は3分の2が下流? 先日のTVニュースで、<世界の金持の62人の資産総額が206兆円で、 世界の下位半数の36億人の総額と同じ>と報じていた。金持の一人当りは、 3・3兆円で、下位の36億人の平均は5万7千円。6年前は、388人が下位 半数と同額というから、更に少数に絞られた。 『世界がもし100人の村だったら』に < すべての富のうち、100人のうち、6人が59%をもっていて、 みんなアメリカ人で、74人が39%を、20人が、たったの2%を 分けあっています >とある。この本の出版から大分、前なので、より 格差が広がって、そこにはロシア、中東などが多く入っているだろう。 先進国の一員だった日本も、冷戦終了以降、地政学的有利性が小さく なった上に、グローバル化もあって、国内格差が更に大きくなっている。 TPP問題も中長期的にみて、日本にとっては大問題。アメリカの経済的、 軍事的支配力は、ますます強くなるのは自然の成り行き。 * 終末医療 先日の‘「クローズアップ現代」の終末医療の“最期のとき”をどう決める’ で、末期患者が苦痛で頭を掻き毟っている場面が映像で流されていた。 これが死に際の現実である。それもNHKのゴールデンタイムに。その現場に、 5〜6歳の子供が涙を流しながら立合っていたが、身近の人の死に際の苦闘は、 幼児教育として一番の教えになる。その人は、撮影当時71歳、私より2歳上。 3〜7年?以内に、自分にも起こる死に際でもある。〜NHK・HPの内容紹介〜 ≪クローズアップ現代“最期のとき”をどう決める“終末期鎮静”をめぐる葛藤! いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が 静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、 眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなった がん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。 自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、 遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせて しまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。 自宅で最期を迎えるがん患者が増る中、終末期医療はどうあるべきか考える。≫ ▼ 父親が苦痛で頭を掻き毟っている姿が目に焼きついている。 最期は、医師が近親者の同意の上に、呼吸を止めることが多い。 壮絶な死に際が現実だからこそ、「ピンピンコロリ!」が理想になる。 だからこそ、「いま」「ここ」の「わたし」を慈しむしかない。 で、以下につづく! ・・・・・・ 5060,閑話小題 ー樹海のふたり 2015年01月21日(水) * 映画「樹海のふたり」 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。 富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、 WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。 〜ネット検索の内容より〜 ≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き 出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は 高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち 掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、 そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫ ▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと 接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、 「自殺は、自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」 ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、 思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・ ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画は国内の製作は無理! 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。 (陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。 そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先 と高をくくっていられるうち、これは長年の蓄積が必要。』と答えていたが。 「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を 続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、 9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、 妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ! ―― 503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ 2013年07月15日(月) 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様 なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。 軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、 初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、 インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、 死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、 決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が 痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。 生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが 迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が 水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、 このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して 浮かび上がってくる。 ーウィキペディアによるとー ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。 観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の 様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に 向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、 映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、 橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、 遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。 中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか 語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが その中で分かる。≫ ▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、 それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が 河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人 がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、 シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず! ・・・・・・ 4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある 2014年01月21日(火) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 企業家と経営者との違い! 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的 判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的 アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類 あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる 《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」 の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的 な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解 しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が 可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら 通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。 しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生 すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、 その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測 とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。 一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば 設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して 絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると 説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、 「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。 彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。 これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて 投資する態度につながります。・・・ 》 ▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災 (リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。 これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、 行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然? 創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、 この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、 20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が 良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! のは、ご覧の通り。 「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。 「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。 ・・・・・・ 4328, 財政恐慌 −4 2013年01月21日(月) ー次の質問群よりー 『財政恐慌』浜矩子著 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか ● 我々はここで立ち止まりたいのか ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからである。 日本経済は成熟した。大人の経済になった。 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。 * 我々はここで立ち止まりたいのか それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かに かかっわっている。「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで 経っても立ち止まっていたい場所にはならない。成熟した経済社会が、居心地の 悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。 * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
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5423,人生で最も大切な技術 ー⑦ 心の内側を熟視する |
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2016年01月20日(水)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は 「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、 この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて 毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、 内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜 ≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。 アリストテレスいわく、 「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択 するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」 それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、 幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、 最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福 「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。 それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。 苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を 立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。 こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。 無知は、向上心を歪める。 チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。 「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、 ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の 固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。 仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と 苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。 例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、 自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の 満足感をもたらしてくれると期待している。 悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。 にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人 は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、 ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。 こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。 唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。 この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと 自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的 健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様 と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革 への燃えるような願望を抱くことが望ましい。 瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間 保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を 静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ 味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。 あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない 人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成 の瞑想はどれも未完成に終る。≫ ▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない 気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、 分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い! この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの! ・・・・・・ 5059,花嫁への3つの母の教え 〜① 2015年01月20日(火) 【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】 ひろさちや(著) これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー < 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、 笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。 わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。 ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を 楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと 「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」 につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。 極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。 それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)> * 花嫁への3つの母の教え 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・ ≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。 三つ、絶えず鏡を見なさい。 これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。 こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、 結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、 美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後 の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫ ▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。 ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。 許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。 ・・・・・・ 4694, 知恵と、教養と、知性の違い 2014年01月20日(月) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 知恵と、教養と、知性の違い この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー ・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 教育とは「今日行くところがある」 【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。 ・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、 人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」 知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、 なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと 努めている、という。 ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、 神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。 ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的 活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・ 芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて 積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な 音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。 ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。 「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた 素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。 これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは 年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。 ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、 自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。 ・・・・・ 4327, 10年日記も最終年 2013年01月20日(日) 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。 2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期 滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした 部屋の一つの出来上がりが不満。 2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで 再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。 2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想 の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活 救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。 2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。 騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。 2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。 積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。 2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、 駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。 2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の 長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。 合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 私は、欠席にする。 2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。 山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。 2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」 (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。 その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。 ▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の 時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を 死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。 2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。 9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル にする様子が窺われる。記録は記憶!である。 ・・・・・・ 3952, 閑話小題 2012年01月20日(金) * ロボジー ーシネマ感想 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め近未来の私たち世代の姿として、 考えさせられた。科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に 入れてロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンス で日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・ 独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手の ミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。無機化したロボットと 孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺に なってしまう瀬戸際で、最後は何とか落ちがついている。評価は80〜85点。 年末年始の映画は私の見たいのは少なかったが、また面白そうなのが目白押し。 千 円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを 題材に描くオリジナルのコメディドラマ。弱小家電メーカー・木村電器で働く 小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」 を開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、 一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に入ってもらうことにする。 しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中 から注目を浴びてしまう。ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、 ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。ロボット開発を担当する 3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】評価 ★★★★☆ * 大相撲初場所 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで 大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。その中で、幕下、十両に日本人 の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出て くるはず。これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け 知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで関取になる初めての 力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも 何人か相撲力の強いのがいる。しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並み の力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで 面白くなる。それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が勝てるわけがない。 今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 とはいえ日本人になり手がいない。 ・・・・・・・・ 3587, 東京ウォーク 2011年01月20日(木) * 無料カフェ JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。 家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。二日間は妹と、 三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月 にできた御煎餅屋の無料カフェ。家内曰く「去年に行った時もタダだったが、 今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。 去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、 有料化のためか、少なくなっていた。」最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ 無料のカフェを出したとニュースにあった・・ 煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 現に家内は、まず、そこでコーヒーと煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。 こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に会いにいくとか、歌舞伎、美術館 廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、 「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、 一歩外に出る方が疲れがとれるはず。帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、 非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが! 飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館 などを廻り、夕方は浅草あたりの居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰って くるのも面白そうである。新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、 地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける結果になっている。 これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。 全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか! ・・・・・・・ 3222, フリー −2 2010年01月20日(水) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、 大変なことになる。一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して 変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。 三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 デジタルのため圧縮をすれば幾らでも付け加えることが可能になり、カメラ機能は 限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラ の値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し 進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が出現したと見ると分かりやすい。 その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速し だしたというのである。それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を 推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。 私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。アマゾンのネットを通して売り主 から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の 手数料が利益になる。アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に 売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに 移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は 時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。ネット新聞を 見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで 80枚1万円で通販で販売されている。ほぼ無料である。それらは図書館に 行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンで みれるコーナーもある。面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 アメリカで始ったものだが・・・・ ーつづく
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2016年01月19日(火)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜現実と洞察 現実と同察の間には、必ず差異がある。その差異で間違いを起こして、 それを埋めていく過程が人生だが、その差異が、ますます大きくなった結果、 不幸が現れ出る。恋愛など無明同士の儚い感情の結果は、ご覧のとおり。
≪ 現実とは何か。仏教では、現実とは、物事のあるがままの姿のことを言う。 人間の心は、いろいろな層が重なりあい、絡まりあって構成されているが、 そうした心の構成に修正されないあるがままの状態を指している。 表面に見えているものと、あるがままの本当の姿との間にギャップがあれば、 人間はこの世と永遠に対立し続けることになる。タゴール〔インドの思想家〕 は、「自分たちが世界を誤って見ておいて、世界が自分たちを裏切る、と嘆く」 と書いているが、人間はとかく、つかの間の儚いものを永久不変と勘違いして、 苦しみの原因である富、権力、名誉、快楽へのあくなき欲望を、幸福の目的と 受け取ってしまう。知識というと、大量の情報を手にすることとか、学問に 秀でることと考えがちだが、真実は、物事のあるがままの姿を理解すること なのである。私たちは、表に現れている仮の姿を、そのものに本来備わった 性質をもった、何ものにも依存せずに独立して存在するもの、と勘違いする 悪習からなかなか抜け出ることができない。何が「善」で何が「悪」かを 日常の経験から判断するし、その善悪を区別する「私」についても同じように 具体的な実体ある存在と考えてしまう。 仏教では、この誤解を「無知 (または無明)」と呼ぶ。無知は、苦しみを導く根源である執着と嫌悪を 強力に反映している。エテイ・ヒレスムは、簡潔な表現でこう述べている。 「そのような大障害は、常に仮の姿に過ぎず、現実の姿ではない」。 無知と苦しみの世界は、サンスクリット語でサンサーラ(輪廻転生)、 すなわち、存在の本来の姿ではないものを真実の姿と妄想する、 人間の誤った見方から起こる心の世界のことである。 目に見える外面的世界は無常に変化する無限の原因と条件が絡まり あって構成されている。例えば、太陽が雨のカーテンを横切って輝くときに 虹が出るのを考えてみよう。その虹を作りだす要因の一つでも消滅すれば虹は 見えなくなる。いかなる現象も原理はそれと同じで、独立した固有のものは 何一つなく、相亙依存の関係で存在している。この世のあらゆるものは因果の 力の影響を受けている。この基本的な考え方が正しく把握できたとき、この世 に対する見当違いの見方が修正され、物事のあるがままの姿を正しく見られる ようになる。これこそが真の洞察である。洞察は、単なる哲学的な論理の 組み立てとは違う。精神的な盲目とか苦しみの最大の原因である、心を乱す 感情を一掃するための根本的なアプローチなのである。 どの一粒のゴマからも油が抽出できるのと同じで、生物はすべて完成に至る 潜在性を秘めている。このように物事を捉えるなら、無知とは、単に完成の 可能性に気づかない状態だ、ということがわかるだろう。ちょうど、自分の 小屋の床下に埋められた宝の存在を知らずに、どん底の生活をする乞食と同じ である。自分本来のあるがままの姿を実現することは、隠された宝を手に 入れるのと同じことで、本当に意義深い人生を送ることを可能にしてくれる。 それは、心の平和を得る最も確実な方法であり、純粋な利他心を引き出す方法。 ジョージ.ベルナノス〔20世紀前半の仏国のカトリック作家〕はこう述べる。 「まるで、嵐の真っ只沖にあっても、静まり返っている巨大な湖の底のように、 何ものもそれを変えることができない」。安らかで心地よいこうした状態に ある幸福感をサンスクリット語で「スカ(安楽)」という。安楽とは、聡明さに 欠けた状態と苦痛の感情から自らを解き放つときに自然に現れる、精神の健全 さが永続する状態をいう。私たちが、ベールを通さず、偏見もなしに世界を あるがままに見るための叡智ともいえる。そしてまた、心の自由と利他の 心に向かって、歩を進める喜びなのである。 ≫ ▼ ご隠居生活に入って、準備を含めた45年間の肩の荷がおりたためか、 毎日をより新鮮に味わうことが出来るようになった。しかし、45年も 決して否定してはいない。面白く、充実していたためもあり、 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と諦念の心境になっている。 せっかく「地球旅行」に参加できたのだから、可能な限り、知り、味わい 尽くさなければ、生きてきた甲斐がないじゃないか。 色即是空、空即是色! で、去年の同月同日の文章につづく! ・・・・・・ 5058,閑話小題 〜中の人・外の人 2015年01月19日(月) ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜 * 着ぐるみの「中と、外」 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。 異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような 不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。 ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が 何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。 常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 〜その辺りから〜 ≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。 僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。 真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部 にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」 と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの 真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は 「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた 一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。 内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域 を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、 お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間 領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら 目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と 「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の 循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。 「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。 そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫ ▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、 『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人 =よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。 そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、 これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重? ・・・・・・ 4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 2014年01月19日(日) * がん哲学外来科なるもの 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。 その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、 その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが 見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。 亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』 なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。 がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想 日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、 何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど 土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、 その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。 それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い! といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。 100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって 膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ? * パソコン売り場にて iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。 しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、 iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、 この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり 入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型 でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。 次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。 やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの 可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。 消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。 これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! ・・・・・・ 4326, つれづれに ー歯医者 2013年01月19日(土) * 歯医者 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。 通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。 現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、 やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉 をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。 それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが 無くなってきた。 * 血圧計 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は 100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、 えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130 の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。 運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、 晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 * 大相撲ーつれづれに 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに 逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。 横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。 10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。 ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、 どんどん落とせば、これまた面白いか? ・・・・・・ 3951, 閑話小題 2012年01月19日(木) * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、 細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、 本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間 以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産 ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に 伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。 バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・ 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、 老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人 が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる 「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り 込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では 銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で 客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減 すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。 おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、 公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・ * 日本に再び大地震があるか? 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について 仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する 内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」 と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、 その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで 起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に 東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に 巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。 ・・・・・・ 3586, 閑話小題 2011年01月19日(水) * 何故、ここでタブレット式パソコンか 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他の メーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。何故ここで薄い 板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか? を考えてみた。まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと 重ねて何処にでも気楽に持っていける。そして書籍もネットを通して購入でき、 かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの 「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、 ソーシャルネットがセットでブレイクする。それにツイッターである。 それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。 無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まった ということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。 * 迷ったら、やる! 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測? で私のところに来ているようだ。30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んで いるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。 そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が 起こると、神妙な顔をして相談に来る。ノートを開いて二時間ほど私と対話 をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。 ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスを しようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」の一言で、助けられた ことがあった。年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは 今度書く。その時に「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と 話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、 「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で 判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。「なるほど!」と、 合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても 行動面で一歩下がってしまう。そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、 丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、 「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。炬燵の中でTVも良いが。
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2016年01月18日(月)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜あるがまま 5年前の節目時以来、少し気持ちは沈んではいたが、比較的冷静であった。 学生時代からの早朝の2〜3時間の読書習慣や、ネットサーフィン、スポーツ ジムなどの日程を組み、只管、その積み重ねてきたが、それが内面的世界= 「心のシェルター」の役割にになっていた。このブログが、その形跡になるが、 逆に、逆照射してみえてくる上っ面の世界の好い加減な面白さを味わうことが できた。 というより、自分の上っ面の好い加減を合せ鏡で見えてきた。 〜以下の内容は、現在の気持ちそのままに代弁のようである。 で、これはこれで得がたい貴重な体験と思えるようになっている。 ≪ 心の平和を維持する技を体得した人は、成功して鼻高々になることも なければ、失敗して意気消沈することもない。そのような人は、どのような 経験もつかの間のものに過ぎず、それにこだわることがどれほど無意味かを十分 に理解している。そのため、どのような経験でも、深く平穏な心の状態を保つ ための修行の一つにしてしまうのである。事態が悪化したり、逆境に置かれたり しても、「激突」して破滅する危険はない。その人の幸福は確固たる土台に 根ざしているため、心がぐらつかず抑うつの底に沈み込むこともない。 オランダの若き女性、エッヒ・ヒレスムは、アウシュビッツ収容所で 命を落とす1年前に次のような注目すべき心境を書き残している。 「内面的な生活を体得したなら、収容所の塀の外側にいようが内側にいようが、 一向にへこたれない。私は、既に数千の強制収容所で数千回の死を心の中で 経験している。私の心はすべてを知っている。どのような新しい情報も、 もはや私を苦しめることはない。とにかく、私はこの世のあらゆることを 知っている。それでも、この人生は美しいと感じられるし、あらゆる瞬間が 意義深いものと思える。あらゆる瞬間がそうである」。 香港で開かれた公開セミナーに出席した折、聴衆の中から一人の若者が私を 名指してこう質問した。「人が生き続けなければならない理由を一つあげて ください」。この本は、その若者の質問に対するささやかな回答と言って差し 支えない。 というのは、幸福とは、命を慈しむことに他ならないからである。 生きる理由を見失うということは、底知れぬ苦しみのどん底に突き落とされる ことである。外的な条件が幸福を左右するのと同じくらい大きな影響力を、 苦しみが心の状態に与えるのである。このことを正しく理解することは、 生きる価値のある人生を謳歌するための前提条件である。 では、どのような心の状態が生きる喜びを奪い、逆に、どのような 状態が喜びを膨らませてくれるのだろうか。 世界観を変えるということは、短絡的な楽観主義に切り替えることでも、 逆境を軽減するために人工的な陶酔感に浸ることでもない。 不満や欲求不満の奴隷になってしまうと、心はとりとめなく混乱してしまう。 それは、廃嘘の壁を塗りたくるように愚かな行為であり、ただ、「幸せだ、 幸せだ」と繰り返し自分に言い聞かせるような無駄な試みに過ぎない。 幸福を探求することは、ばら色の眼鏡を通して人生を見ることでも、世の中に はびこる痛みや不完全なものに目を閉ざすことでもない。幸福はまた、 あらゆる犠牲を払って狂喜を長続きさせようとする試みとも異なる。 憎しみや執着などの、心をゆがめる毒素を浄化することであると同時に、 実体のない上辺の姿とあるがままの真実の姿の間のギャップをなくす作業 であり、物事を大きな視野で展望する方法を学ぶことである。 そのためには、心がどのように機能するかをよりよく理解し、物事の本質を 正確に洞察する力を体得することが必要となる。なぜなら、苦しみは、 その最も深い部分で、現実についての本当の性質を誤って把握してしまう ことと密接につながっているからである。≫ ▼ 人生は生きてきたとおり老いて、死んでいくものと実感する。 〜幸福とは、命を慈しむことに他ならない〜 人生は命を慈しむこと である。そのためには、物事の本質を把握しなくてはならない。 学び続けなければならないのである。世界は広くて深い。 ・・・・・・ 5057,閑話小題 〜「字のない葉書」 2015年01月18日(日) * 「字のない葉書」 向田邦子のエッセイ、「字のない葉書」がよい。 〜途中からだが・・ ≪ ・・終戦の年の四月、小学校一年の末妹が甲府に学童疎開をすることに なった。すでに前年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、 下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったが、三月十日 の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家 全滅するよりは、と心を決めたらしい。妹の出発が決まると、暗幕を垂らした 暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を 付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。 「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ポストに入れなさい」と言ってきかせた。 妹は、まだ字が書けなかった。あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束を リュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くように はしゃいで出かけていった。 一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。 紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って 行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださった とかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の 小マルは、ついにバツに変わった。 そのころ、少し離れた所に疎開していた 上の妹が、下の妹に会いに行った。下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干し のたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いた そうな。まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行った とき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に 寝かされていたという。(略)・・ 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。 茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、 やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて 泣くのを初めて見た。あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に 近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのか それともなくなったのか、私は一度も見ていない。≫ ▼ 字のない○×だけの葉書でも、書かれてない空白に情報が詰まっている。 ○×だけで、多くの感情を表現できるもの。自分は分からないが、14年間の、 このブログにも、エネルギーだけは十分に詰め込んだため、多くの情報が 詰まっていたのだろう?成るほど、後で読み返すと、経験の痕跡は言葉で 残すことが可能と実感する。ダイアリーに心の天気図を◎○△×を付けて おくのもよい。で、昨日は○のち×!気象も、記録が可能で、△×。夕飯? シネマ評、TV観戦の大相撲もドラマ評も、可能。 問題はするかしないか。 ・・・・・・ 4692, 中年期の8つの危機 2014年01月18日(土) 『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、 晩年の老年の危機になる。以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、 老醜として現れ出ることになる。 ーまずは、その8つの危機から � 時間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める) � 自分の役割意識の危機(多くは中年期までに社会的に一つの役割をはたす) � 対人関係における危機(協調や柔軟性が失われ対人関係が巧くいかなくなる) � 価値観の危機(若い頃の価値観が揺らぎ始める) � 思いわずらう危機(健康や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える) � 平凡な人生の危機(仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち) � 死に直面する危機(段々と死に向かっていることを意識させられる) � 真面目になりすぎる危機 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、 この問いかけの内容と言ってよい。 還暦後の問題は、まさに、この問題。 「�先が少ない �粗大ゴミ化 �他人が煩わしいが、寂しい �人生への否定的鳥瞰(後悔)�将来への不安 �平凡な日々 �死の恐怖(無知) �真面目になりすぎ 」とすると、私のこと?かと、心の中を見透かされた ような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い 解決方法は読書習慣。長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えて きた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて 向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」8割以上の既婚カップルが、 「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。 しかし配偶者の75%が、「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、 より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が必要という。 そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間 を共有性を説いている。 そういえば、�の真面目になりすぎる危機、 禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に 求めると、�〜�をクリアーするしかない。それも自分との格闘の中で。 そうすると、�になってしまう、ということ。それも、これも森林から、 サバンナへの移行時の危機。�の平凡な日々でも、読書生活の質もある。 そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。 ・・・・・ 4325, 財政恐慌 −3 2013年01月18日(金) ー次の質問群であるー 『財政恐慌』浜矩子著 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか、 ● 我々は地図を持っているのか ▽まずは「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか」より * さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、 行くべきところに近づいている。現象的には、すでにもう随分遠くまできている。 日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。経常収支の 黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 日本の資本が海外で稼ぎ出した利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしら になっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。 最近の流行り言葉が「絆」であることは、決して偶然ではないだろう。 日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。 ▽「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか」 * これはなかなか難問。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。 自分にとって最適な場所に着いているのに、それに気づかない。これは怖い ことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。 そう願う思いのあまり、対応のしようによっては、せっかく行きたかった はずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。 ▽ 「我々は地図を持っているのか」 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。 それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、「ハングリー精神」の復活を 夢見る思いである。 ▼「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。 そして既に下り坂に入っている。したがって、経済成長という言葉は方向を 間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になった のは、憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業。 あくまで憲法改正の最後の機会のため。著者の立場からみれば、成長を再びと 願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。ただ、最終目的は、 憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く 動乱には適してない」のが、私の見方。 ・・・・・・ 3950, 未婚時代の婚活 ー2 2012年01月18日(水) * 女性は二ランク上を狙う 「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が? って何時も話題になります」という。それに対して男女共いえるが、自分を ワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上 を求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を 逸してしまう。 若い時から周囲の男からチヤホヤされているうちに一番の 女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。 逆に内面は熟し素敵である。そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵 な女性が売れ残ってしまう。その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。 収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、 その焦りを見せられない。そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも 相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。 「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。結婚した今でも、 王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。人間は、そんなものかもしれない。 1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、 誰ひとりも、そのことを疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、 以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。 女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない 厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、焦りで満ちているが、 誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、 どうしても婚活は二の次になる。逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を 良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのならフリをするしかない。 女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。まずは、 自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 妥協すること。 自信のある何かを持つこと。 ・・・・・・・ 3585, 「とりあえず、5年」の生き方 2011年01月18日(火) 「とりあえず、5年」の生き方 ―諸富祥彦 (著) ーアマゾンの内容紹介ー あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか? それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか? 以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら 後悔とともに人生を終えるかもしれません。 □自分の大好物を最後までとっておく人 □「将来のために今日はガマン」と考える人 □「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人 □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人 □30代で1000万円以上貯金がある人 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。 たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、ほんの 少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。そのヒントを「仕事」「お金」 「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」といった分野ごとにまとめてある。 ▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。そして「とりあえず、還暦までに残り の人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。 まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、 達成できなかったが、43回までは達成した。更に50歳半ばで個人のHPをつくり 思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。 反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえた とき、心の中で独り万歳をした。その直後は、何をしてよいか分からなくなった。 そこで出てきた言葉が「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。 そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で 中途半端の状態になってしまった。 で、後半。「来年は無い。今年中にやる べきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の 峠の到達地点とした。ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが 書いてあったので驚いてしまった。ここまできたら人生の喜劇化もよいだろう。 いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると! ・・・・・・・・ 3210, デフレ時代の商売 −2 2010年01月18日(月) * 鯛焼き屋 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題 になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。投資金額が格安 で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 加盟料金40万、指導料20万、その他・・(店舗内装、取得は別) 《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、 開業資金が500万」というから、内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、 ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率 10パーセント以下だから、当たると、これほど面白い商売はない。 パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それ。手間はかかるが、原価が安い。 鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザ そのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に売るものもある。 たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの 生地、中味は餡の、これまでは無かった鯛焼きチェーンもある。 これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で 資金回収が可能。これは世界にも通用する可能性がある。誰もが手軽に出来る ということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に 行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。誰も知らない地で、ゼロから 再出発するのだから、尊敬に値する。 * アウトレット専門のショッピングセンター (字数制限のためカット 2012年01月18日)
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2016年01月16日(土)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福の探求 目次をそのまま掲載したことはあまりないが、深く立入り、全体を俯瞰する ためにも、あえて載せることにした。目次をランダムに、いずれのページを 開いても、深い響きが届いてくる。「著名な哲学者の父親があってこそ、この 人物あり」を思わせる構成である。西欧文明の真只中で英才教育?の素養が あればこそ、チベット仏教の真髄が見える。 中村天風の『積極一貫』 『絶対肯定』の人生への姿勢と似ている。中村天風も、チベットで偉大な師 について修行している。 〜目次〜 ●幸福の探求 はじめに 第1章 幸福に関する名言 第13章 羨望 第2章 幸福は人生の目的から 第14章 自由への大いなる飛躍 第3章 両面の鏡 内から外から 第15章 幸福の社会学 第4章 見せかけの友 第16章 幸福の実験 第5章 幸福は可能か 第17章 幸福と利他心 第6章 苦しみの錬金術 第18章 幸福と謙遜 第7章 エゴのべール 第19章 楽観主義、悲観主義、世間知らず 第8章 自分の考えが一番の敵になるとき 第20章 黄金の時間、鉛の時間、 第9章 感情の川 第21章 時の流れと共に 第10章 厄介な感情とその治療法 第22章 幸福の倫理学 第11章 欲望 第23章 死を意識した幸福 第12章 憎しみ 第24章 道 瞑想の実践 あとがき ーー 「まえがき」の、何ゆえ、順調なキャリアを捨て、チベット仏教徒に なったのか? 親子の葛藤はどうか? 〜その辺りを抜粋する〜 《 ・・前途洋々に滑り出したかに見えたキャリアを唐突に放り投げて しまおうとする私に対し、父は失望を禁じえないようすだった。しかも、 「仏教に反対するつもりは毛頭ない。純粋で率直な仏教的教えは、各種 の宗教的教義の中でも独特の立場を確立している。究極の厳密さを要求する、 西欧の哲学者からも重視されていることは事実」と好意的に話しているとは いえ、確信的な不可知論者である父が、仏教を真剣に受けとめる日が来よう とは夢にも思わなかった。久しく顔を会わせないのは当り前で、父のほう からダージリンとブータンまで足を伸ばして会いにきてくれたこともあった。 記者の質問に対して、「息子との間をさえぎる雲があるとすれば、それは アジアのモンスーンだけだ」と応じている。 こうして私が発見したものは、盲目的な信仰心の強要ではなく、 豊かで実際的な心の科学、利他の心に基づいて生きる技術、深遠な哲学、 内側を本質的に変革する精神的鍛錬などと表現できるだろう。この35年間、 私が理解してきた科学的精神と矛盾すると感じたことは一度もない。 <仏教とは要するに、経験主義的な真理の探求に他ならない>のである。 こちらに来て、「常に幸福」な状態が続いている、という人物に何人も 出会っている。これらの人たちは、一般的に考えられている幸福な人とは 異なり、現実とは何か、何が心の本質か、などを深く洞察し、他者に対する 慈悲心に満たされた状態にある人たち、と呼ぶに相応しいだろう。生まれつき 人一倍幸福を感じることのできる人は世間にたくさんいる。だが、彼らの幸福 は脆くて不完全なものである。これに対し、永続的な幸福を体得するには技術が 必要であること、内側の平静さ、今この瞬間の気付き、利他の心に根ざした愛、 といった人間に本来備わっている能力を開発するには、それなりの努力と訓練が 必要であること、などが次第にわかり始めた。深遠で静寂な観想の方法論と 英知を言葉と行動で具体的に範を示してくれる生きた見本に直に触れる、 という経験は、間違いなく充実した人生を歩むためのお膳立てができた、 といっても過言でない。「私の行動は真似せずに言葉にだけ従え」といった、 真理の探究者を失望させる、多くの教えとは一線を画す本物の教えに 出会ったのだった。 》 ▼ 「意味ある偶然の一致」としても、前年の新年明けの 同月同日に、この幸福論に丁度良い回答をテーマにしていた。 <「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。> このことに気づくため瞑想をし、「永遠のいのち」に宿る「わたし」に 気づいた状態が幸福という。これ以上の明快な答えは見当たらない。 これを知り、〔「わたし」<「いのち」〕という発想に私も、少し近づけた。 「遺伝子は生物の体を借りて、代々、生き延びてきた」という遺伝子の科学者 のいうのが、遺伝子の「いのち」が、生物のからだ(いのち)に例えると、 少し理解できる。「わたし」が80年の人生を終えても、遺伝子という 「いのち」が生き延びていく、と思えば、死の恐怖は減る。 「いのち」−「わたし」=「永遠のわたし」 か? 「いのち」+「わたし」=「有限のわたし」 になるのか? 何か、岸本葉子と、リカールの妖術にかかったようである。 ・・・・・・ 5055,生と死をめぐる断想 ー6 2015年01月16日(金) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 時代という背景 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。 著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。 癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜 ≪「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編) という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。 「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、 第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。 取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。 坐 岡田虎二郎と岡田式静坐法 霊 大本と鎮魂帰神 心 森田療法の心と癒し 食 マイクロビデオテックの世界観 気 野口晴哉と「全生」思想 ・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。 ・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、 ・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。 ・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。 ・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一 が発展させた、狭義には食事療法だ。 ・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。 ・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。 ・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。 ・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも 一定の 成功をおさめている。 ≫ ▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、 多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに 人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった 経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。 ・・・・・・ 4690, 身近な貧困 ー4 2014年01月16日(木) * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」 ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと 同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。 あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を 絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という 逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。 まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。 ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。 ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐 マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に 使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。 そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。 しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。 チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な 面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処 が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、 充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」 さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、 秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、 『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。 ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。 帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、 そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな 肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。 これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、 聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。 一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。 決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、 以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。 ・・・・・・ 4323, 財政恐慌 −1 2013年01月16日(水) 『財政恐慌』浜矩子著 ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。 現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮び上がらせている。 * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう ー まずは、「人生の不確実性」について ー ≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。 その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家である。 交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物。 彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に 異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー「ミスタービーン」として、 彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。 だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄 の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。 ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、 ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも 今日の日本を語っているがごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来 最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。 なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、 「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、憤懣が溜まり、あらゆる試練 に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が 消える時、準備万端整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに 決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」ここから、 その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。 ーそれらを、この紙面上に再現してみようー ● 我々は今どこにいるのか ● いかにしてここにきたのか ● なぜ、ここにきたのか ● 我々はどこに行きたいのか ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 どうすればわかるのか ● 我々は地図を持っているのか ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか ● 我々はここで立ち止まりたいのか ● それとも我々は元に戻って 最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫ ▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。人生の8〜9合目 に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、 立ち止まっていて良いのか、などを考えるに良い質問群になる。最初から 出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。 両親の生き様を見て、ある程度は、解っていたが・・ 次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。 ・・・・・・ 3948, 未婚時代の婚活 2012年01月16日(月) * 普通の男性は1パーセントしかいない! 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが 分析をしていた。それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業 にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。伴侶を決めるのは、女性も 男性も、一生の一大事。そうそう満足できる相手には巡りあえることはない。 そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。 この歳になっても、今だ・・ 著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚 できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、 「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 「いい男は、なぜか皆んな早婚」「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォー で独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」 確かに、現象面 から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしか いないことになる。普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。 :普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感: 普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。 「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすとすると、 :会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。 それぞれを高望みをしなくとも、全てを満たす人は100人に一人になる。 そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも 取り上げているが、グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚 か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が一目でわかるもの。 ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。 200〜400万の6割が未婚。200万以下は7割以上が独身だった。 「いい男が早婚」なのは、年収だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。 女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。 一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性にはモテるわけでないが、 それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢 を収めてしまう。また女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢 を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに目立たない うちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。 ーつづく ・・・・・ 3583, アート画像転換システム 2011年01月16日(日) カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の 広告記事をたて続けに出している。そこで会員登録をし、HPのソフトを使って 驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換。 (字数制限のためカット 2016年01月16日) ・・・・・・ 2843, 雲屯庵 −3 2009年01月16日(金) 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。外見は茫洋としているが、この男がなかなか の博識で、俗にいう玉。最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の 養子になったか?、名前だけ継いだのか?この人が語った「異世界」の話しが 面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。 《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。そこで僧侶の 感覚で、朝6時に出社。他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も前に来て働いているのだから、上司に直ぐに認められ、一〜二年も しないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。別に、必死に働いた のではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、 激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、ショックであった。何時の間にか、 周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのよう。 また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。 その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと「何?の方の世界」はシステム (風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚 のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。そういえば 「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と能力が 十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。 この歳になっても、少し綺麗な女性が身辺に来ると「直ぐに手をつける?」等々、 なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。更には、預金通帳には ?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、 この位にしておくが、40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して 変わらない。名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの
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2016年01月15日(金)
* 世界的不況が更に深刻のようだ ☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、 120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が 背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、 株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。 ☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で隣席の有名な夏はゴルフ場、 冬はスキー場で某リゾートホテルを経営している人に、 『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、 奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』 と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』 と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。 地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 ☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光 発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を 知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック 規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、 株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、まず年金生活者 など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。 * 今日で満70歳 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、 一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。 そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。 そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を 噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重みを実感する。 60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、 これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。 <楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した <「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」は妄想で しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻! これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。 まあ、我ながら、本当に真面目、いや馬鹿真面目なことだ。 喩えでいうと、「精神的な腰痛もちが、日々を生きていくための杖代わり に、書き続けている」が、よくも15年も毎日、飽きもせず。
・・・・・・ 2006年01月15日(日) 1748, あ~あ60歳代! 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w (⌒_⌒; タラタラ 60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、 感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。 昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。 去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が 「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に、『エッ!』驚いた。 サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、 そうかもしれないが。 何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、 1、とにかく恵まれていた。 時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。 2、ついていた。 3、面白かった。 4、悔いはない!である。
人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして 自分の家庭、職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。 人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。 少しは大人しくしなければ! それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い! 「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」 それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。 ★:゜o( ̄▽ ̄*)>* ・・・・・・ 1月15日 1969年 今日は学生時代最後の誕生日だ。 毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。 このよう見るのは最後だろう。 内容と評価を、メモをしながらみた。 ・北海道代表の武田(女)さんの主張 あまりハッキリした意志が感じられないー65点 ・東北代表の清水さん 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から 自分を見つめられる人間になりたい −70点 ・四国代表の中西さん(女)ー実習教官 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点 ・東海代表の須田さん(女) 女である自分の農業の立場 75点 ・東京代表の守屋さん 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方 若さの代名詞は可能性 75点 ・沖縄代表の宮城さん(女) 沖縄県民の心情ー85点 ・近畿 林さん 精薄施設の女指導員 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点 ・関東代表の関谷さん 自分1人で生きていく心構え 70点 ・九州 河嶋(女) 生活の為働かなくてはならない姉妹について 老人対策など 90点 ・中国代表の吉原さん 非行少年の観察員の主張 心が病んでいる少年達ー80点
〜以上が私のつけた評価の点数である。 現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと 広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。 可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。 流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。 そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。 そこで自己建設をしていくことになる。 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。 何故、そんなことをしなくてはならないか? 人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。 それが義務といってよいからだ。 その立場によって、それぞれが違って当然である。 私は今、そのスタートラインに立っている。 誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。 ・・・・・・ 5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2 2015年01月15日(木) * 古稀ですか ー2 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ 気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、 同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。 当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな 文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆? どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が 亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、 母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が 面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折? の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、 己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、 「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・ この程度としても、恵まれていたし、面白かった! 現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。 それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、 面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? ・・・・・・ 4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜 2014年01月15日(水) * 68歳に、つれづれに〜 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、 同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、 それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。 日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居 になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、 情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、 もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。 他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、 この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている 自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、 自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、 「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう? そのイメージで書くと・・ 〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。 今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。 そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した ・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」 であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、 この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話 になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった! ・・・・・・ 4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き 2013年01月15日(火) * ネットカフェ難民から、マック難民へ * 住宅ローンの破綻と立ち退き * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略) * 67歳か〜 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。 最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。 父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、 自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。 これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、 欧米と日本の経済惨状。世の中変わった! ・・・・・ 3947, つれづれに ー66歳か 2012年01月15日(日) * 66歳の誕生日に 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の 大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡 を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、 去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの 風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。 10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打 で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを 大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは 欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。 66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。 仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に 思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、 若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、 考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを 見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在 しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・ もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の 経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き 連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない! ・・・・・・・ 3582, 65歳か〜! 2011年01月15日(土) 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。 二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。 60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年 を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代 に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。 リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも 深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、 見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、 還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で 一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。 とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。 父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」 として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。 特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」 この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」 それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。 ・・・・・・ 3207, 64歳か〜! 2010年01月15日(金) 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。 現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。 毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。 それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の 蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。 この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業 直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。 20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を 御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの 入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。 これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には 65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が 集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。 ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。 加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。 そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。 現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 充分、狂ってきたが?! ・・・・・・・ 2842, つれづれなるままに -63歳か〜 2009年01月15日(木) * 63歳の誕生日か〜 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。 「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、 姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、 人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を 見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。 (以下、字数制限のためカット2011年1月15日)
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2016年01月14日(木)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著 * 「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション! 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー②」をテーマに書いた。 ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの 幸福論につながる丁度よい答えであった。 < 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が 「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。> 何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で はないか!と。・・> ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、 帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を 書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の 対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に 感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の 経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。 秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感 などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、 余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は 恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、 <「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という 発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた 何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。> リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、 後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の 半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。 それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い! ・・・・・・ 5053,閑話小題 ー古希ですか! 2015年01月14日(水) * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。 よくぞ無事?に到達したもの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が 70歳前半までに亡くなる。それでも生きているの人は、刃物が入っている人? 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。 仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは! 気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」 (酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。 (しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。 還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲 ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」 との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、 あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。 9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」 という思いは意外と少ない。 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした 『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり (49) 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50) 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51) ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や (52) 夢幻や 南無三宝(53) くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54) 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55) 現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、 うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、 『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん! ・・・・・・ 4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末! 2014年01月14日(火) * 奇跡的逆転勝ち 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で 追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 ーまずは、ネットの記事よりー 【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝 を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一 は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ 一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって 富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。 延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘 に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一 は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】 ▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま 勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。 ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝 として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で 同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会 の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。 この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。 下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。 あのような場面では、何かが乗り移るのだろう! ・・・・・・ 4321, 病気の9割は薬なしで治る ー2 2013年01月14日(月) * 医者のマジック 「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著) この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。 この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。 ー目に付いた箇所を抜粋してみるー ・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため) 8割方が大丈夫とみてよい。 ・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、 短めに告げた方が無難のため。 ・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。 ・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。 ・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。 ・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。 ・生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。 決して薬だけでは治らない。 ▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。 ・・・・・・ 3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3 2012年01月14日(土) * 陸と海のたたかい 「終わりなき危機」 水野和夫著 「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。 これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」 の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20 世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、 「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、 米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。 そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。 膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、 「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、 リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、 第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊 の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、 「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、 日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま 一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。 その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。 ▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。 その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、 その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。 その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。 それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って 攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。 ・・・・・・・・ 3581, 閑話小題 2011年01月14日(金) * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない! 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解 しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。 恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは? 10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える 力が以前に比べ少しついた。毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返して いると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。 そこで、その範囲でしか 理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を 深めておかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶 することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに 唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに 見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが 普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。 知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で 消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、 無ければ、情報のまま消え去ってしまう。 * 辺野古の移設先は「原子力空母」 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案 を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、 沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島 に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は 広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。 今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、 中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される! ・・・・・・・・ 3206, 閑話小題 2010年01月14日(木) * ツイッター、その後 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。 ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、 ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え 文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。 キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど 「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、 その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け 可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。 どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。 自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。 連動するので親子ブログのようになる。。 * 日本航空の破綻 (字数の関係でカット2012年1月14日)
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2016年01月13日(水)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福の探求 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、 24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教に ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を 行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を 任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの 言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。 〜まずは、アマゾンの内容紹介〜 ≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の 指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の 道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世の フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望 された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。 現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果 に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として 人道的プロジェクトに従事する。 ≫ 〜リチャード ギアの内容紹介より〜 ≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、 これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も 叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫ ▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見 を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に 一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を 惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。 挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。 パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に 戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを 見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる 議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、 インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか! 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。 ・・・・・・ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 2015年01月13日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久 「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。 成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。 瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。 ーその辺りから抜粋ー 〜P90 ≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。 「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。 たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、 次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは 常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。 暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」 の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。 「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。 なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、 その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命 の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、 相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。 植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、 それこそ知性によってとらえられるものだろうと。 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、 そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。 が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、 「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい ことを感じるようになってきた。・・ ≫ ▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、 自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。 地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。 その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき 宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。 ・・・・・・ 4687, エッセイ力は人生力 ー2 2014年01月13日(月) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * エッセイを書く目的と、日記との違い ーまずは、その辺りの抜粋より 《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、 おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは 十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように 書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心 の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。 きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識 されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身 がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、 書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように 客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分 以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、 もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、 ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも (つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。 それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」 しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。 だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容 こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」 に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。 人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、 そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的 であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。 ・・・・・ 4320, 病気の9割は薬なしで治る 2013年01月13日(日) 「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著) 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、 現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、それでも日本の医療制度は世界 で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いて くれた内容。大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師 の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。 ー内容説明(アマゾン)ー 「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」 「薬は10種類知っていれば何とかなる?」「みんな最後の医者にはなりたくない」 「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・浜松医大名誉教授が名誉を 捨てて?、患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫ ーまずは概要ー ≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。 日本全国 約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。今や医者から みたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」 というと、何年後かに病気になったときに、ああ言われたから、安心していた のにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。 「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは 医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、何ともないと不安になり、 「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良い のは「更年期障害」です。これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる 病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。 これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、「不摂生のためでなく、 本人の責任でない」という思いが安心感につながる。 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、 病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。その場合、ウツ病とか、 気の病とか言うのを患者は嫌う。一番、抵抗なく受け入れられるのが、 「自律神経失調症」。「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、 いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・ お医者さんが、 「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。 これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、患者さんが安心するから一応出して おきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、 運動しかよくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続けるようにしておけば、必ず治る。 そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。≫ ▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。 それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは掛離れて当然のこと。 命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。 命にかかわるなら、新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、 その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。とはいえ脳卒中やガンで倒れれば 医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 ・・・・・・・ 3945, ファイナル・クラッシュ ー4 2012年01月13日(金) 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。 彼らは、リーマンショックを大地震と例えれば、それから発生する大津波= ファイナル・クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用 利益を狙っている。その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られ ファイナル・クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。前ぶれ波の直撃で 惨事を受けた立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。 ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー 【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、 金融関係の仕事に就いてチャネル諸島(英仏海峡、イギリス王室属領)や イギリスで働き、出版当時はあるプライベートバンクのファンドマネジャー となっていた。プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる商業銀行 とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、預かり資産に対して無限責任 を負うパートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの 富裕層を顧客とし、その資産の保全や運用を主な業務としている。 ロスチルド (日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)メロンといった 家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えの ファンドマネジャーを囲っている。著者はそうしたファンドマネジャーとして、 「この地球上で最も裕福な人たち」の資産運用を担当しているという。 資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円程度は 必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。ファンドマネジャーは、 だいたいロンドンかニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックス ヘイブンであるガーンジー島に住んでいるのは、税金を嫌ってのことだろう。 おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 私はこれまでにも、 彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の 資産家には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、顧問会計士、子弟教育 コンサルタントがいる。かかりつけの家庭医がいるのと同じようなもの。 イギリスには、ファンドマネジャーを家族で引き継ぐ習慣もある。ちょうど、 執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。 私はイギリス人の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャー を繹介してもらい、それを私の日本人の顧客に紹介するようなこともしていた。 私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書ではペンネーム 「ヒューゴ」で通す。】 ▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます 豊かになるように出来ている。それがリーマンショックで一部は破綻したが、 その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、どのプロに任せればよいかを 資産家は考えていればよい。それは実績と、それに裏付けられた信用である。 世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から吸い 上げるシステムは数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。 ・・・・・・・・ 3580, 何故、民主党が駄目か! 2011年01月13日(木) 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 国家崩壊の下地を自民がつくり、その上を民主党が加速して突っ走っているのが 現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま現在に至っているため。 世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来して いる中で内向きな福祉重視では、対応できない。元もと世界は長年かけ人種格差、 国家格差、経済格差がつくられている。現に白人が有色人種を支配している 厳然たる事実がある。米英を頂点とした白人国家が、後進国援助という建前を 立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。そのことが長年の時間をかけ、 民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界 を覆い、様相が一変してきた。国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、 その結果、フラット化が始った。それが日本にも押し寄せてきている。明治来、 自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造をつくり上げ支配してきた。 そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、 三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、平等を旨とした民主左派に 政権を与えた。それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。 これまで右上がりの経済成長の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も 不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。そこに社会主義的政策を 真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。国家という枠を超えたグローバル化は、 当然弱肉強食が激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治 であって、格差そのものは、止めようがない。小泉元首相は間違った政策をとった のではなく当たり前の政策をとっただけ。何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、 日本人が優遇されるのか?それは日本人だからだ。その日本人の中でも格差が つくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。公平と平等は違うのである。 戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化 教育をされてきた。その両輪として加担したのが自民党と社会党である。 自民党も社会党も、あたかも貴族院の様相。 中国とアメリカの大国の間で、 真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、 軍備力を徹底的に補強するしかない。原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件。 現在の日本の民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として 生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・
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2016年01月12日(火)
『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * エゴレンズ 数ヶ月前、夫のエキスを一生かけて吸上げる「タガメ女」と「カエル男」を とりあげた。 まさにタガメ女は、この「エゴレンズ」を通して選定をするが、 それも時間の問題、アメリカで5割以上、ベルギーでは7割、日本は、今では 3組に1組が離婚に至る。新婚早々、夫婦の壮絶なバトルの果て優劣が決まる。 その結果は、だいたい妻が勝つ。 〜まずは、この章のポイント ≪ ★「エゴレンズ」の目的はただ一つ、自己肯定感を守ったり高めたり することです。その力強い働きのおかげで、私たちのほとんどは、自分が 平均よりも賢く、魅力的で、道徳的に優れていると思っています。 したがって、何かがうまくいくと自らの実力だと思い、失敗すると状況や 他者や不運のせいだと考えます。 あんまり感心しない面もありますが、 エゴレンズは大事な働きをしています。 ★ あなたの成功や能力がどれくらい相手の脅威となるかは、その分野が どれくらい相手と関わりがあるか(その人も同じ分野における成功や能力を 望んでいるか)、あなたとその人がどのくらい心理的に近いか(あなたが相手の 人生の主要な一部であるか)によって決まります。あなたの成功や能力が、 その人にとってさほど重要でもなく、両者の心理的距離も近くなければ、 脅威は些細なものなので、あなたはより的確に評価してもらえるでしょう。 ★ 関連性も深く距離も近いという場合は、困ったことになります。 相手は自己肯定感を守るために、あなたを(心理的に)小さな存在に するか、距離を置くかせずにはいられないからです。 ★ これら「エゴレンズ」のプロセスは、個人のレベルだけでなく、 属するグループのレベルでも起きます。自分のグループメンバーの成功は 「わが成功」となり、他のグループメンパーの成功は『脅威レとなります。 ★ したが⊃て、相手との間に言H分たち」という感覚を生じさせることが 大事です。同じグループの入間だと思ってもらえれば、あなたの成功も 能力も相手の自己肯定感を高めるものになります。 ★ 相手のエゴを脅かすことを事前に防ぐために、こちらが謙虚にふるまう こと、相手に肯定的な気持ちを伝えることなども有効なテクニックです。 ーー ▼ 「妻は本来、亭主をバカにする動物」というが、 {自己肯定感を守るために、あなたを(心理的に)小さな存在にするか、 距離を置ずにはいられないという心理}がはたらくためである。 足代わりの「アッシー」、金づるの「キャッシー」と徹底的に割切り、 間隔をおいて、上から目線で見下す。亭主は、ゴルフか、居酒屋で、妻への 憂さをはらし、家庭内アウトサイダーになっていく。遺伝子の設計図には エゴが基本構造にあり、生物の身体を通して、代々、生き延びていくため、 エゴを否定し、綺麗ごとをいうと、仮面夫婦になる。そのエゴを仮面で隠し、 良い人を演じるのが社会人としてのマナーで、本来は仮面と真の姿は別物。 ・・・・・・ 修羅場の極意 ー3 2015年01月12日(月) 『修羅場の極意』 * 私の修羅場解決法 〜正中心一点無 そういえば、修羅場にたつたび、「正中心一点無」を呟いていた。 難題にぶつかると、その中心点に気持ちを集中して、無心に考える。 そのうちに自然と何が問題かが見えてくる。4年前も、そうだった。 事業が、限界に近づいてきた時、問題の本質は何だろう? 想定外のこの 売上減は何ゆえ? これは乗越えられる壁か? もう無理? 継続断念? を無心に考えて考えて考えるしかなかった。 事業だけでなく、人生にも、 いえること。 65歳の年齢の節目時には、心構えを「正中心一点無」を 呟き、図書館で本を探して、その読書感を書いていた。 10数十年前、随想日記に「正中心一点無」の小題で書いてあった。 ≪ [110] 正中心一点無 〜2001年 15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。 あまりに奇抜で面白かったので、その人の本を買い求めた。そこにこの 正中心一点無という言葉があった。少し考えれば、この意味は解るだろう。 問題解決の時などこの言葉を唱え考えると、時間と共に自然解決してくる。 それが難解であればあるほど、無心に考えると答えが自ずと出てくる。 今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵袋の呪いと言ってよい。 ≫ ▼ 『修羅場の極意』の中にもあったが、難題に対し、その最悪の場合を 想定し、その場合の対処を幾つか考えて、そこから逆算しながら、その 対策を冷静に考える。これは、人生の難問にも可能である。難問であるほど、 人には相談しないこと。書店と図書館を歩いていると、自然と本の方から 呼びとめてくる。こういうのを因縁という。「因が難問」で、「縁は呼び とめてきた本」になる。修羅場から得た極意は、何ものにも換えがたいのは、 それが、その人の芯になるため。「まずは、修羅場は可能な限りさけること! だが、起こってしまった修羅場は、全霊をもってあたるべし」である。 考えてみれば、この随想日記も、『正中心一点無』で、自然体? で書いたもの。 〜これも偶然だが、以下の文章に続く! ・・・・・・ 4686,エッセイ力は人生力 2014年01月12日(日) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * 自分を表現できる仕合せと、自己開示 三年前の節目から今まで、長いようで短かった。 ウツにならないために、ことの本質を見つめるために様々な本を読みながら、 自分の心を整え、それそのままを、ここで書いてきた。今回の節目時の核に なったのは『自己をみつめる』で、26回にわたって書いてある。 その合間に『節目どきに』と『ジャズについて』が入っている。 その後のテーマは、哲学とユング、そして精神力などを取り上げている。 書くことで、セルフ・カウンセリングをしていたのである。現在も、同じ延長 上にある。思いを書き出すのは、心の傷から流れ出る血を凝縮する作用が働く。 今年早そうから「何だろう?この現象は」を書いたが、その過程で、気持ちが 楽になると同時に、気づきが出る。文章は何度も推敲を重ねるうちに気づきで、 新たな考えが出る。受けた傷は残るが、与えた傷は気づかないか、直ぐ忘れる。 それが書き換えているうちに、気づいてくる。この文章を書くにあたって、 当時の文章を読み返しているが、苦しい中で書いたためか、魂が篭っている。 これは私の財産。若い時分も、書いておけば良かった。いや、書いていたが、 何を血迷ったか全て捨ててしまった。後悔あとに立たず、である。 以下に当時の目次をコピーしたが、一つずつが心の記録である。 2011年04月17日(日) 3674, 自己を見つめる−2 2011年04月16日(土) 3673, 自己を見つめる−1 2011年04月15日(金) 3672, 節目どきに ー7 2011年04月14日(木) 3671, 節目どきに ー6 2011年04月13日(水) 3670, 節目どきに ー5 2011年04月12日(火) 3669, 節目どきに ー4 2011年04月11日(月) 3668, 節目どきに ー3 2011年04月10日(日) 3667, 節目どきに ー2 2011年04月09日(土) 3666, 節目どきに 2011年04月08日(金) 3665, 関係性が問題 2011年04月07日(木) 3664, 閑話小題 2011年04月06日(水) 3663, 9・11、9・15、をしのぐ3・15−2 2011年04月05日(火) 3662, 閑話小題 2011年04月04日(月) 3661, 9・11、9・15、それをしのぐ3・11 2011年04月03日(日) 3660,音信不通だった友人から連絡が! 2011年04月02日(土) 3659, つれづれに 2011年04月01日(金) 3658, 価値とは思い込み ▼ エッセイは人生に力を与えてくれる。限りない色いろな想いが混乱した 頭に浮かび上がる。一つ間違えると地獄の業火に焼き尽くされる。ひたすら、 時間と、時空を超えた誰かの魂の声を耳を澄ませて聞くしかない。 思いもよらぬ結果から、何故?と考えたのが『節目どきに』であり、それから 『自己を見つめ』を通し著者の進言を聞いていた。悲壮感は思いのほか少ない。 これは心のセフティネットである。それと、毎朝の独りの時間も。 ・・・・・・・ 4319, おれにつきあうのは、おれだって大変だよ! 2013年01月12日(土) 谷川俊太郎のエッセイで、勝新太郎を書いている文章が気に入っている。 これを読むと肩の荷が半分はおりるようだ。挫折や、大きな決断をしなければ ならない時、まず直面するのは自分の限界。それも、酷い自己嫌悪に陥った 自分もそうだが、平気で間違いをおかしてきた自分を振り返り「何だ、お前は!」 と振り返っている時の自分を見ている上から目線の視線が、つくづく俺って変だよ、 それも大変な奴だよと実感する。それでも、結構それを容認している自分もいる。 ーその辺りよりー ≪ ・・勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。「おれっていう 人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間 になったら、まずおれがつまらない。」 私はすっかり感心した。自分とつきあう のが大変だなんて考えたことがなかったからだ。私は勝さんよりのんきな人間で、 自分とも他人とも世間ともあまり衝突せずに生きてこられたと思っていたけれど、 実はそれは自分で自分をごまかしていたにすぎないのではないか。 ほんとは 誰も自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、 他人のせいにしてるだけじゃないか。大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分 と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていく のも、ひとつの生きかたかもしれないけれど。・・ 自分のこころだから分から ない筈はないと思うのは誤り。 自分のこころはもしかすると他人のこころ よりも分かりにくい。ましてこころの奥にあるというたましいなんてものは、 もっと分かりにくい。分からないまま日々私は生きている。我ながら大胆だ。≫ ▼ この随想日記の12年分を目を通すのも、けっこう大変である。 12年間の、魂を込めた?文章に見え隠れする自分と毎朝付き合うのも大きは エネルギーがいる。躁うつか分裂病を抱えている人は、まさに、自分を コントロール出来ない人。勝新太郎は薬中だったから、言葉に含みがある。 事業準備の期間を含めて45年間、前を見つめて走って来たが、リタイアで 過去を振り返る機会が圧倒的に増えている。そこで過去がフラッシュのように 湧き出てくる。面白かったことも、自己嫌悪の大失敗もである。それでも長年 かけて培ってきた趣味の世界があるので、大変なりに、日々を楽しむことが 出来ている。死に直面した最期の自分と付き合うのが一番に大変だろう・・ ! ・・・・・・・ 3944, 岐路に立つ世界経済 2012年01月12日(木) * 今年は、一日一日何が起こるか分からない 11日のNHKのクローズアップ現代、連休明けには刺激的な内容である。 昨年から欧州の金融危機が続いているが、そのダイジェスト版と、世界経済恐慌 前夜の深刻さを伝えようとする内容。恐慌が起きる起きないでなく、何時起きるか の瀬戸際。 ー まずは、NHKのHPの番組解説から ー クローズアップ現代 「2012年 岐路に立つ世界経済」 ≪ ヨーロッパの国々を脅かす国債危機「ソブリン・クライシス」。そして野火 のように広がるアメリカのデモ「ウォール街を占拠せよ」。 そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。 背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。時として制御を失い、 リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、国家を揺るがす事態を 引き起こすパワーを持つに至った。世界はいま、国家の財政危機と銀行などの 金融危機が同時に進行するただ中にある。経済危機が起きる度に“マネー”が 引き起こす新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。しかし、先進国 をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、失業が解消されず、不況が長引き、 社会保障制度まで大きく揺らいでいる。日本も、もはや“対岸の火事”ではない。 GDP国内総生産の2倍を超える財政赤字を抱える日本では、消費税増税の議論 が本格化する。世界は実体経済を凌駕し、国家をも左右する“マネー”がもたらす 困難を乗り越えることができるのか。2012年最初のクローズアップ現代は、 危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、いかに解決しなければ ならないのかを探る。(総合テレビ:2012年1月11日 19:30〜73分拡大版)≫ ▼ 欧州、米国の起きている金融恐慌の深刻さと、世界恐慌前夜の状況を映像と、 識者の対談で構成した内容。翌日の朝も録画で再びみてみた。 ○ 日本国債への波及は、あと3〜5年。 ○ イタリア、フランスに 国債危機が来ているが、 次はドイツになる。○ ECBの準備金は20兆円だが、 必要な金額は100兆円。それはECの基本理念を根本から損なう金額。それを考えると? ○ 日本の国債金利が1%、いずれにしても上がっていく。消費税の値上げ ノリシロがあるのでまだ良いが、これが出来ないと、暴落の可能性も・・・ ○ 2012年は経済的にみて、世界経済の歴史的分岐点になる・・等々である。 先日のNHKスペシャルで「東北被災者の12万人の失業問題」を取り上げていた。 NHKのメッセージは、アメリカと欧州の切迫した危機は、私たちの生活に深刻な 影響を及ぼす現実が迫っている。 最近知ったことだが、震災直後の3月15日に 関東地区の住民に避難命令を出すかどうか決断を官邸が迫られていたという。 それだけ危ない日々だった。それが決して好転したとは思われない。 ・・・・・・・・ 3579, 閑話小題 −2 2011年01月12日(水) * ある居酒屋で もう10数年、長岡で飲む魚料理の店がある。その店の三軒隣に夫婦でやって いる焼き鳥と小料理の店がある。夏は戸を開けているので店頭から中がよく見え、 一度は入ってみたいと思っていた。ところが先日、前を通ったら貸店舗の看板が 出ていたので、女店主に聞くと、「去年暮れに夫婦揃って覚醒剤常用で逮捕され、 店は閉鎖。自分の店にも刑事が聞き込みに来た」という。 飲食店の店主が薬中で つぶれた話しは聞いたことが無い。長岡駅の専門店街でトラブルを起こし、 駆けつけた警官が様子が変なので調べたら、覚醒剤の服用が発覚したとの話。 * どうでもよいことだが 何処かの?誰か。 三日間乗り放題1万2千円で、東京に毎日、通うという。 行き先をネットで下調べをして、10時に東京に着くように乗車、帰りは18時 の新幹線に乗る。 それでも数ヶ月に一度なら、安い遊びか。去年の暮れは二日 通ったが、今回は三日に挑戦というから凄い。その人の友達は、その乗り放題の 切符で、東京の子供の家に行った帰り、急に思い立ち草津に行って温泉に浸かり 帰ってきたとか。独り遊びは自由の天使の羽がつく。 * 花の平成元年組 今年大学を卒業するプロ(22歳)は、久々の当たり年のようだ。 高卒の4年目もプロ野球などで大活躍をしている。そういえば早稲田大学 の三人の投手が揃ってプロ野球で一巡で指名された。また全日本学生野球選手権 で優勝をした。全日本ラグビー選手権は決勝で破れて準優勝に終わったが、 全日本駅伝では総合優勝をした。「花の平成元年組」とでも命名されるのだろう。 大相撲でも花の三八トリオといわれた当たり年があって、同期が何人か横綱に なった。高校も10年に一度位、当たり年があって、東大など一流校に多く合格する。 考えてみたら人生でも当たり年があるか。 ・・・・・・・・ 3204, 善は悪より生まれた! 2010年01月12日(火) 「善は、悪より生まれた」の言葉が、妙に頭に残った。「悪は、善より生まれた」 なら、合点がいく。キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、 それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、一つの規範が必要。 例えば、国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内への警察という 暴力装置、そして、外に対して軍隊である。それを統治する象徴として日本なら 天皇、欧米なら大統領である。 孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、民を 内側からコントロールする教え。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に 有効に働いた。それらの規範を守ることを善というなら、それに反するのを悪という。 ということは、それができる前は、その規範をもって振り返ると悪がまかり通って いたことになるから、「善は悪より生まれた」ということになる。しかし、それも変。 キリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という 疑問が生じる。 女性の哲学者 シモーヌ・ヴェイユは 『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』彼女は悪を二元論的に見ないで神様と 自分との間を裂くものとみた。神様の愛の力を説き、愛が悪を征する力であると。 これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。悪党ほど、善の価値を知っている のだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉え かたもある。親鸞の、悪人が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方 に近くなる。キリストは、ユダヤ教の弱者(女子供、奴隷)の立場からみた 善を説いた。 善悪も立場で変わるから、ややこしい。 省みて、己の悪に 気づいて改心する善ということか。どうも、これは答えのない永遠の問い。 ・・・・・・・・ 2839, 不況の景色 −7 2009年01月12日(月) *タクシー業界の不況 一昨日の毎日新聞・社会面のトップで新潟市のタクシー業界の不況を 取り上げていた。市内の老舗二社が倒産、運転手の再就職がままならないと・・ 適正の台数が1000台のところに、1700台の過剰台数。二社で280人が 失業、最後は月に12万円の手取りだったという。全国的でも新潟、長岡の タクシー業界は厳しい状況。昨年の最終金曜日の0時過ぎの2980円の 割引に、百十数人が宿泊をした。夜半の0時過ぎにホテルの前まで行列をなして いたというから、知らない人が見たら驚くだろう。それだけ、お客はシビア。 それでは、前年に比べてプラスになっているか?といえば、前年割れである。 いかに宿泊客が少なく、シビアに商品選定をしているか、これからも見てとれる。 ホテルは装置産業の典型である。一度設備投資をすれば、30年は潰せない。 一口に30年というが、その間は世界は激変を重ねている。だから面白い。 *景気の山は07年10月 内閣府が、この景気の山が07年10月と発表した。 同11月から景気後退の局面に入ったと認定する方針だという。 (以下、字数の関係でカット2011年01月12日)
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2016年01月11日(月)
『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * パワーレンズ パワーを有効に引上げるには、よりパワーを持った人やグループに認められる 必要がある。そのためには、対象のパワーアップの手助けが可能と、アピール する必要がある。企業採用も、昇進が、これである。 社会も、結婚生活も、 パワーバランスで成立している限り、パワーを持つこと、それをデスプレーし、 アピールすることが必要である。 ーパワーレンズー項目の要約よりー ≪ ★ パワーレンズレは、誰でもつけたり外したりするのです. ★ パワーを持つ人は、あなたのことをきちんと認識してくれません。 その理由は多くの場合、相手が自分の目標達成に集中していて、ほかの人 の問題や考えにまで気がまわらないからです。ショートカットを駆使して 大まかに理解するので、他者の複雑で微妙な点までは目に入りません。 ★ パワーは状況によって変わります。ある時点であなたよりパワーを持って いた人が、別の状況ではパワーが低下することもあります。パワーは動的で常に 変化しているので、「パワーレンズ」は、誰でもつけたり外したりするのです。 ★ パワーを持つと、ステレオタイプや先入観により強く依存するようになる。 パワーのある人に自分を特別な個人として認めてもらうことは至難の業。 ★ 大きなパワーを持つ人が他者について的確に理解しようとするのは、それが 自分の目標達成のために必要なときです。だからこちらが有用な存在、つまり 相手の目標達成を助ける人になることが大事です。そうすれば相手は、時間と 精神的エネルギーを使ってあなたを正しく見極めることに意味があると思って くれます。 ≫ ――― ▼ パワーは集中と、その維持の中から生まれ出てくるため、アップ続ける には、長年かけること。生きていく必要条件である。そのパワーも、所詮は、 直ぐに消え去る一現象。特に女性の伴侶選びは、一生を左右するため、シビア なレンズになっている。で、一生かけてパワーを吸取られる浮世の無限地獄。 結果、自律神経失調症など精神がやられる。その対策として、独りを楽しめる ライフワークが必要となる。一番、手っとり早いのが、読書だが・・ ・・・・・・ 5050,生と死をめぐる断想 ー4 2015年01月11日(日) * 免疫学者・多田富雄の受苦 7〜8年前、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を 取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を 「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。 「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。 ーその辺りを抜粋するー ≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。 1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を 著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。 2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、 言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、 字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを 奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。 利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを 口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が 打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく 遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な 生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。 初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。 まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。 自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・ 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき 転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが 見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。 【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。 私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫ ▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した 実感がある。それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」 のように宙に浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナー のエネルギーの風でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』 と、呼ぶことにした。コヤツ、晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、 過去未来に平気で飛んでいく。そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。 ・・・・・・ 4685, 10年日記 2014年01月11日(土) 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、 これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、 その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。 《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、 5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い 切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅 になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想 日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。 この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、 10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。 更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を 仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』 年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年 経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、 結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、 書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。 これも加えたいが・・・ 》 ▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」 であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。 忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて 「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、 よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった? ・・・・・・ 4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6 2013年01月11日(金) 「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる 心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。 人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある ≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、 たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、 「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。 ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、 殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、 殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。 ・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の 少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。 ‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、 几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん) 魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、 自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向 の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より 数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、 その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい 課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫ ▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、 まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」 という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から 見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。 それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは 石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か 知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大 津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・ ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、 そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう 思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは 魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、 実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。 この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば 良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、 みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、 「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。 そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。 ・・・・・・ 3943, 閑話小題 2012年01月11日(水) * つれづれに ー不況景色 このところ急に身の回りが寒々としてきた。自分の状態が状態だけに、そう 見えてくることもあるが。私の甥っ子が「メガネ・スーパー」に努めているが、 先日、検索すると、株価が100円を割っており倒産の瀬戸際とあった。 銀行の株式相場を見ていたら案の定、震災地の銀行の幾つかの株価が50円前後。 あの「みずほ銀行」も100円前後。マスコミも情報コントロールをされ、 そのことを取り上げない。20年以上、屋敷内の貸家も空家になって三ヶ月目。 3月、4月の転勤時期に入居を期待しているが、どうなることか? 現在、消費税アップが問題になっているが、前の事業を考えてみても、消費税が 10%になったら借金ゼロでも存続は無理。これは他の多くの事業でも当てはまる。 増税を反対をするのは分かるが、国の税収が激減し、収入が支出の半分以下なら 上げざるをえない構図になっている。現在の日本国内では金を使わない算段は いくらでもある。これでは貧乏症の日本人の消費マインドは、大きく冷え込み、 長期の景気低迷になる。 世界的な経済の氷河期に入った。昨夜もNHKのクローズ アップ現代を一時間延長して、欧州危機、世界恐慌危機についての放送していた。 また先日も東北被災地の失業問題の特番を組んでいた。これが数十年も続く?
* バンジージャンプの命綱が切れた ニュースで、南アフリカのボツナワ国境にあるザンベジ川のバンジージャンプ で、飛び降りた若い女性の命綱が切れ落下、落ちていく映像が報じられていた。 それでも奇跡的に助かり、自力で川辺に泳ぎ着いたという。よく助かったもの。 人間が川に飛び込んで助かる限度が40Mというから、一度バンドした後に 紐が切れた高さが、40M以下だった為に、奇跡的に助かったことになる。 打ちどころが少しでも悪かったら、もちろん即死である。これまで、飛び降りた 人が5万人、その一人に私も入っている。これまで、紐が切れたりした事故は 無かったという。それにしても私も50歳で、よくやったものだ。 ・・・・・・・ 3578, 10年一昔というが ー2 2011年01月11日(火) この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。 更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、 ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。 これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。 この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー 1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争 3、ネット社会の出現 4、デジタル機器の飛躍的進化 5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む 6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ 7、アメリカで初の黒人大統領が選出 8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される 10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、 たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは 想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化 の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。 それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、 それほど長く続かないと見るべき? ・・・・・・・・ 3203, 電気自動車の話 2010年01月11日(月) 「電気自動車は、パソコン、携帯電話以上の影響を社会に与える」と、 思わず疑いたくなるコメントが、NHK・TVのレポートのインタビューから 聞こえてきた。30年間電気自動車を研究してきた慶応大学教授が話していた のだから、再びびっくり。私の知る限り、パソコンと携帯電話以上のインパクト のあるマシーンは、これまで無かったし、今後とも当分無いだろうと思っていた。 家内に言ったら「そんな馬鹿なことはない」と、私と同じ意見。 しかし、本当と仮説を立てると如何いうことか? 移動空間から情報空間 としての見直しなら納得する。(希望的予測として)三年後に普及車が量産され、 10年後には重心が、エンジン車に取って変わっているという。 部品が10分の一から、更に少なくなるはず(三万ー>三千)。日本にとって、 リチウムとか、電気技術が進んでいるので、プラスに働くとか。わかず三年前 までは、「電気自動車」が、ここまで注目されるとは思っていなかった。 ガソリンエンジンは熱を持ち、スペースをとり、車形などに大きな制約があった。 しかし、それから解放されると思いもよらない車が、あらゆる業界から出現する 可能性が大というのも頷ける。さらに電気自転車とスクーターの融合したような ものや、オートバイと車の融合したものが出来るだろう。車椅子のような乗り物 が一般の移動に考え出される可能性もある。自動車の概念が根底から崩される ことになる。 家の一部としての移動式生活空間と見直されるかもしれない。 生活の中で電気自転車で驚いていた。それが電気自動車としたら、更に大きな インパクトを与えることになる。さらには電気モーターの、カヌー、舟、小型 ヨット、電気ヘリとか、電気パラグライダーも。 厳しい経済環境になっていく反面、面白い時代でもある。
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5414,閑話小題 = 寒い朝〜つれづれなるままに |
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2016年01月10日(日)
* 寒い朝〜つれづれなるままに ☆ 北朝鮮が、再び核実験をおこなったが、水爆ではなさそうだ。 今のところ不明だが、年明け早々、イラン、アラブの国交断絶や、 世界的の株式の暴落などを含めて世界は更に混沌としてきた。 米国大統領の最後の年もあって世界の混乱に拍車がかかる年になる。 ☆ ロシア、中国、欧州、米国の、どこから発火しても、その火の手 は一瞬に世界を駈け回る。原油も暴落、30ドルを割りそうな気配。 ロシア、中東など資源で潤ってきた国々も、これで資金が不足すると、 それが戦争やテロの火種になって難民を輩出する。 ☆ 積雪、多ければ多いで大変だが、無ければ無いで、水の循環に 狂いが出る。オゾン層の破壊による地球温暖化は深刻だ。 ☆ 年賀葉書が例年どおり、毎年、差出した人から、そのまま届いた。 現役時代は個人宛てが70通位だったが、今では50数通に減った。 ☆ 小学校時代の恩師から、『自分史』が送られてきた。 30年前に頂いた個人史は18pの小冊子だが、これは、一冊の本。 先生の信条は、「話すより、手紙を書く」で、筆や、ペンでスラスラと 書かれた手紙は、それだけで、一つの作品のようである。 私は、 この随想日記を墓場と見立てて、個人史的なことも書いている。 分類が項目が、目次にして、駄文を切取って、構成すれば、本になる。 まず母親の残した『自分史』を送ろうかどうか? 思案中! ☆ 今日から大相撲が始まる。一時、熱が冷めていたが、不祥事後は、 ガチンコ勝負の徹底で人気を回復させている。 人気回復に、若い女性の取り込みを戦略にしたこともあるが、観客席に、 その姿が少なく、中年女性が目に付く。
・・・・・・ 5049,生と死をめぐる断想 ー3 2015年01月10日(土) * 死に対する恐怖 ー岸本英夫氏の場合 宗教学者の故・岸本英夫氏が、東大教授であったアメリカ滞在中の1954年に 悪性の皮膚癌のが発見され、余命数ヶ月と宣言され、10年にわたる闘病生活で、 常に死を見つめてきた。〜『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』から ≪「人間にとって何より恐ろしいのは、死によって今持っている『この自分』 の意識がなくなってしまうこと。 死の問題を突き詰めていくと、それが 『この今意識している自分』が消滅することを意味すると気がついた時、 人間は愕然とする。 これは恐ろしい。何よりも恐ろしいことである。 身の毛がよだつほどおそろしい。死後の生命存続ということが、煎じつめると、 その一点にかかっている。何とかして、「この自分は」いつまでもその個体意識 をもちつづけうるということが確かめられればと願う。 これが近代的来世観。 しかし、どうであろう。死によって肉体が崩壊すると、感覚器官や神経系統も 消滅する。脳細胞もまったく自然要素に分解してしまう。生理的構造が何もなく なった後で、「この自分」という意識だけが存在することが可能だと考えようと するのは、相当に無理がある。これは近代においても、人によって、その見解の 異なるところがあるように思われる。私自身、はっきりいえば、そうしたことは 信じることはできない。そのような考え方はどうも、私の心の中にある合理性が 納得しない。私の心の中の知性は、そう考える。≫ ▼ 世界中の宗教を研究する岸本英夫。「世界の生命が何らかの形で死後も続く と主張するところが共通する」が、そう信じて死んでいくことに否定しないが、 彼自身は、それを受けいれることが出来なかった。 死によって、肉体が崩壊 すれば、脳細胞も消滅する。生理的構造が無くなれば、「この自分」の意識 だけが残るというのは相当無理があるのではと。死後の世界を否定するのは 苦痛を伴う。その結果、自分がどこに行くかを問わない、というもの。 死後の生はないと決め、人間が与えられている今、この命だけと思い定めて、 「この自分」が確かに存在している生の期間に集中する。身の毛がよだつ 死の恐怖も、充実感に溢れる生き方をしていれば克服できると、彼は言う。 その後、死は「別れのとき」という考えに到達する。人間が別れを経験し、 耐えることができた別れの、より大きく全体的なものだと。 そこまで、 心が到達して、平安を得る。私自身、父親の「生命飢餓状態」を、一年間、 身近で見ていて、父親が、煩悶の中で教えてくれた人生と、その結末。 【元気なうち、生きているうちが花! 死んでしまえば、それまでよ! ただひたすら毎日を楽しめ!】に、深く納得する。死んで花見ができようか! で、以下の一年、二年前の文章につづく! 偶然だが、そういうこと。 ・・・・・・ 4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2 2014年01月10日(金) 〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 * 私の体験例より・・ 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが 多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を 始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を 任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島 などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。 その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。 おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。 以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで 他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。 考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の 姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた 新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が 開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、 公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには 条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。 それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく 新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が 載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば 儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、 父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。 時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」 二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。 抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる! 予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、 次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、応募しない手はない」 と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると 七万人の十字路の角地の隣接地からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。 そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、 実家の会社名義で買うことになった。これも、当時の合併した直後の ジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげ。 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、 焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を立ち上げ、無我夢中で 取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、 長岡に帰ることになった。 これも私にとって大きはチャンスになった。 千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。 それが新潟駅前シリーズ の事業資金。 まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、 思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、 この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。他人を傷つけ、銀行の担当 から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのもの じゃないか?」と詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。 10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂(全身全霊の エネルギー)だけ。言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視? 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。 ・・・・・・ 4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5 2013年01月10日(木) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −� お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧に なってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、いつも金銭哲学を聞いて 育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。その一つが、時節ごとに 使うべき金は使うべし、残しても、後でみると不安を具現化した残物でしか ないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。 財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。 で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、それが正解。 満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、 それがベースになっている。 ーその辺りを抜粋するー ≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに 決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、 誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に 左右される。そのため1000ドルの利益は、たとえ額は同じでも、金持ち より貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」 富そのものは幸せに 関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには 興味ない。あるのは、こうした形態の富がもたらす、満足や喜びである。 賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。 お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。 人は絶対量でなく、相対量に敏感である。しかし効用を推定することは難しい。 それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、 心の中で自分を未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に 尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、明日に一歩 足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、 出来事が起こる前にそれを経験できる能力のおかげで、我われは誤りをおかす ことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧から ほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、実現しない細部を穴埋めを し、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていること を無視できず、あとで起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。 しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を凝らして みたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる 脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、かならずしも導いてくれない としても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫ ▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感 してきた。その効用(価値)は、経験と情報でほぼ予測可能である。 その上、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった 細部をプラスして見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに 余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、 振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。その時々を最大限、 楽しんでいた。 人生は、それでよいと、この歳になる身に沁みて思える。 ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。面子は面子で、それも可愛い。 ・・・・・・ 3942, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー2 2012年01月10日(火) 「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著 * 事実は真実の敵である ‘はじめ’の次の言葉が、この本の全てを要約している。 ≪ 我々がシュミットのいう「世界史」の終わりに近づいているに一刻一刻と 近づいているにもかかわらず、その認識がなく、グロバリゼーションを 「ヒト、モノ、カネが国境を越えるプロセス」と考えて資本の反革命の片棒を 担いでいる。・・ 「事実は真実の敵だ」といったのは、ミュージカル 「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたD・ワサーマンである。 グロバリゼーションの「事実」とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える 自由な移動」であり、その「真実」とは、帝国システムをなす中心と周辺を 結びつけるイディオロギーである。≫ ▼ ここで、二つの経済震災と、一つの自然震災を著者は「近代の自己敗北」と 「歴史における危機」とみる。近代は、過去の遺産を食い潰し、未来の利益を 横取りをしたと看破している。現在の日本のy財政や年金を例にみても、その ことが納得できる。ヒト、モノ、カネの移動をグロバリゼーションの事実だけ みて、その真実を知らないと、近代科学のもつ恐ろしい力に飲み込まれてしまう。 その上に、ひとりひとりの手には、高性能の情報端末を持つ時代になっきた。 情報化社会でグローバリゼーションを止めることは不可能。 グローバル化は金融や情報だけでない、細菌なども含まれる。 今回は大地震と津波、そして原子力発電の破壊が重なった大震災だったが、 鳥インフルエンザや、狂牛病などの細菌汚染もあるから、ことは重大になる。 それぞれの地区、国内の問題が、一瞬に世界に広がってしまう危険が増した。 帝国システムをなす中心だけでなく、最悪の問題にとって変わって世界の周辺 各国に結びつける作用になる。これこそ、グロバリゼーションの事実であり、 真実といえるのである。 従って、この本のテーマの「終わりなき危機」が グローバリゼーションの真実ということになる。インドや、中国のような膨大な 人口を広い国内に抱えている国が、最後に生き残ることになるのか? グローバリゼーションは、それぞれの文化を破壊する。 それが一番、恐ろしいことである。 きしくも、下にある二年前の 「一〇〇年前の世界一周 ー2」の文章が、それを語っている。 ・・・・・・・ 3577、10年一昔というが ー1 2011年01月10日(月) 10年一昔というが、それにしても激しい変化である。 10年前の2001年といえば、 ・前大統領のブッシュがゴアに僅差をつけて大統領になり ・9・11テロが発生、アルカイダと断定し、アメリカは アフガン攻撃をし、タリバン政権は崩壊した。 ・国内では、小泉が「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」 などのフレーズで、首相に就任。 田中真紀子が外相になったが、 直ぐに能力に問題ありと失脚。 ・イチローが大リーグのマリナーズに移籍、豪語したとおりにMVPを獲得。 ・この年に、アップルがiPodを発売し、携帯デジタル音楽プレーヤーが 爆発的に売れ始めた。 ・皇太子妃に第一子の愛子様が誕生。 これが21世紀の幕開けであった。 それから、ブッシュはアフガンに攻撃の後、イラクに侵攻、泥沼に入った。 そして、リーマンショックという大事変が起きてしまった。 その結果、失われた10年をそのまま引きづり、失われた20年と日本経済と 社会は疲弊してしまった。首相は、小泉の後、一年ごとに交代し、現在に 至っている。その間の失政による混乱は、あまりに悲惨である。戦後、 間接的アメリカによる統治で日本そのものが骨抜きにされたことは言う までもない。小泉元首相の改革で垣根が低くなったが、格差は拡大。 これも仕方がないこと。 ・・・・・・・・ 3202, 一〇〇年前の世界一周 ー2 2010年01月10日(日) 先日の新幹線の行き帰りの車中で、旅行記の文章を読みおえた。 8割が117枚の写真で埋められていたので、70ページぐらいの文章で しかなかった。その半分は、この本をまとめあげたドイツの文筆家の フォローの文章であり、読みやすい。アベクが50年後に、この写真と昔の メモを見ながら書いた文章で、旅行中はカメラに思いを込めていた。 そのため、その写真の向こうからアベクの思いが、そのまま出ているよう でもある。この中で日本の写真は20枚あり、当時の庶民の姿が何ともリアル。 彼は旅行を通して、自分の住む世界に疑問を持つようになり、旅も終わりに なるにつれて、考えが大きく変化したことに気づく。 「旅を始めたとき、彼は欧州文明が正しいという確信を持ち、その一員である ことに誇りを持っていた。そして海を渡り、彼方で暮らす人々と知り合うよう になった。すると、欧州の本当の姿は、安っぽい民族主義に包まれ、まるで 動物ででもあるかのように万国博覧会の見せ物になっていた世界の人とは、 大きく異なることを見いだしたのだ。彼等は貧しくとも、言葉が理解できなく とも、奇妙な風習があっても、ワルデマールは彼等と心を交わすようになった。 インディアンの青年、快活なアメリカ女性、別府で過ごした二人の芸者、 日本の職人、友となったナカノ、北京で雇った少年、バラナシにいた敬虔な 信徒たち、そして、ジャワで見かけた花のような人たち・・」 「 シナ海やマラッカ海峡と比べたら、地中海には何の夢も描けない。 黄浦江から見た上海と比べたら、世界で最も美しいといわれたナポリでさえ 色あせて見える。ベスビオ山はせいぜい小さな丘で、インドネシアのセメル山 を見たときのような興奮を覚えない 」等々。 このリーマンショックは、 欧米中心で周っていた世界の崩壊過程の大きなキッカケである。彼は旅行を 通して、それまでの欧州中心の世界観が、いかに歪んでいたかに気づいた。 私の趣味が「世界異境、秘境ツアー」である。そこでみるのは、自分の世界が いかに小さいか、そして歪んでいるかを再確認することである。 それより、大自然のパノラマの魅力もあるが。100年前の、この経験は、 それまでの価値観を根底から破壊するのは当然である。近代哲学の一群が、 いち早く、それに気づいている。 構造主義、脱構造主義などである。 アマゾンの原住民の風習と、欧米とどちらが優れているのか? もしかしたら、彼らの方が?という疑問が出てきた。 100年前に、アベクは、それに気づいたのである。 タダ、彼は哲学者ではなかったのである。
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2016年01月09日(土)
『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * 信用レンズ まず、この3つのレンズを簡潔に要約すると・・ ・信用レンズ: 初対面の相手を評価する際に働く、温かみと、 それを伝える能力が大事。誠実でウソをつかないこと。 話しをしている間、目を逸らさないことがポイント。 ・パワーレンズ: 会社における上司など権力者が持っている認知の特徴。 例えば、「私にとって役に立つことを示せ。さもなくば消えろ」 「自分を守ってくれるパワーがあるか」 ・エゴレンズ: 自分の過去の意思決定や立場を守るための認知の特徴。 このレンズの目的は、ただ一つ、自己肯定感を守ったり、 高めることが可能かどうか。このお陰で、私たちの殆どが、 自分が平均より賢く、魅力的で、道徳的に優れていると 思っている。したがって、何かうまくいけば自らの実力と思い、 うまくいかないと、状況や誰かのせいだと考える ー他に ・予防レンズ: 失敗を回避することに重きをおく特徴。 慎重でリスクや問題がよく見える。 ・促進レンズ: チャレンジして成功することに重きをおく のが特徴。リスクが見えづらく、楽観視しがち。 誰でも、今より良い暮らしを手に入れることと、今あるものを守る ことの両方を同時に望むが、どちらかに偏るもの。 一番大事なことは、ある人にとって「向上すること」だが、 ある人にとって「安全であること」。 ーー まずは、「安全で、安心できる相手かどうか?」の「信用レンズ」より。 そのポイントを、以下のように上げる。−P130− ☆「信用レンズ」= 初対面の相手があなたを見極めようとするときに 最初に考えるのは、「信用できる人間かどうか」ということです。 早く言ってしまえば、「敵か味方か」ということです。 ☆ 人を信用するかどうかの判断は、ほぼ完全に無意識のうちに行なわれ、 それは「人間的温かみ」と「能力」の印象に基づきます。「温かみ」は、 相手の味方になろうとしていることの表れで、「能力」はそういう意図を 実践できることを意味します。 ☆「温かみ」を伝えるには、相手に注意を払います。話している間は目を 合わせること、微笑むこと、うなずいて理解を示すことなどです。 またそれが適切なら、共感を示したり相手を気遣つたりします。 一番大事なのは、誠実でウソがないこと。こちらが先に相手を信用して 安心させることも、場合によっては効果的です。 ☆ 目を合わせるというのは、「能力」を示すことにも有効です。そして、 背筋を伸ばして座りましょう。個人的な心配事などをやたら話しては いけません。あまり卑下するのも、自慢もよくありません。少々謙虚な くらいにすると、相手は感心してくれます。自分をあまり有能だと 思えないという人は、「パワーポーズ」を試してみてください。 ☆ リーダーとして部下から信頼と忠誠を得たいと思うなら、 「能力」よりも「温かみ」のイメージを優先的に発信することです。 ーー ▼「だれもわかってくれない」のは当然のこと。少しはわかってくれて、 友人で、わかってくれなくとも、一緒にいるだけでホッとするのが親友? この3つのレンズは、大方、直感で判断するが、この選定の結果、過半数 以上が、間違いだったことに気づき、『男(女)運が悪かった!』と嘆く。 運が悪いのでなく、頭が悪いだけだが、その自覚がないから始末が悪い。 その鬱積を周辺の噂話の創作に向けるため、ガスが湧くヘドロのドブとなる。 挑戦、変化、戦い続け、脱皮しないと、肥大し歪んだ、あの世間人に陥る。 ・・・・・・ 5048,修羅場の極意 −2 2015年01月09日(金) 『修羅場の極意』佐藤優著 *「夫のアル中」と「カネがない」のが最大の修羅場 西原理恵子との対談の表題にある『修羅場の極意は、「最悪」の シュミレーションをすればよい』だが、修羅場はいつ来るか、どういう 状況の下にくるかもわからない。準備のしようがないように思えるが、 長期的な体質づくりは可能である。そこで、自分が何をしたくて生きて いるのか、を明確にして、優先順位を決め「最悪」状態になっても「やる」 と決めれば、何とかなるもの。 ーその辺りからー ≪ 佐藤 西原さんの最大の修羅場はいつですか? 西原 戦場カメラマンだった夫がアルコ孟依存症で、家の中で暴れていたとき ですねアルコール依存症って大変な病気で、理性が吹飛んで、野生の生き物 みたいになっちゃう。だから強い者にはペコペコして、弱い者は徹底的に いじめる、という動物のような人格になってしまう。二十四時間、私のことを 罵倒していました。私はアルコール依存症という病気の知識がなくて、この人 は著しく性格の悪い人だと思い込んで、二人の子どもを守るために離婚した。、 佐藤 酒は怖いですよ。僕もロシアで山ほどアルコール依存症の人を見ました。 あの国は男の平均寿命がものすごく短い。64歳くらいです。そして、死因に ウオッカが関係しているケ支が多い。アルマル依存症による内臓疾患だけで なく、酔っ払って交通事故や機械に巻き込まれる事故も少なくない。 またはアルコール依存症に関係があると思われる自殺も多い。 西原 アルコール依存症患者の生還率は二、三割とされています。 佐藤 でも旦那さんは帰ってきた。 西原 そうなんです。治療を終えて、「ただいま」って帰ってきた。 最初は怖くて目も合わ軸せられなくて。でも二日目くらいで結婚する前の優し かった頃に戻っていることに気づいた。 西原 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。病気に ならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、この世の中 には存在しません。そのとき専業主婦だったら家の中は滅茶苦茶になる。 夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、家庭は修羅場になります。 専業主婦は極めて危険なお仕事です。夫を治すために莫大なおカネがかかり、 半年後にちゃんと死なせるためにも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。おカネがないと、たいていの人は獣に なってしまいます。おカネがないと男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる 危険性が高くなる。 佐藤 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を シミュレーションしておくと。それで、原因を理性的に分析して、その危険が ある芽を潰していくということですね。これはすべてのことに応用できる。 西原 子どもを東大に行かせようなどと高望みしない。いい子に育てようといった 漠然とした理想も描かない。最悪の危機管理から逆算するのであって、上は 想定していません。 西原 人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身につけば いいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。それと、 女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、それさえ気に しないで生きていける強度があればいいと思っています。 ≫ ▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい! だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター? 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。 ・・・・・・ 4683, スマート革命 ー4 2014年01月09日(木) 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を 読むまでは知らなかった。半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行 を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。今では 中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。ーその辺りから 《 既存SNSのミクシィ、既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。 ミクシィは2013年4−6月期が赤字となっただけではなく、通期の赤字見通しを 発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、 200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、 スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)への対応が後手に回ったという 指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。 一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの 新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、中国では微信、韓国はカカオトーク、 米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップなどが台頭。 筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、 多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに移って高速で指を動かして 入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って 高速で指を動かすと言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの組み合わせ」 が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型 ソーシャルゲーム」を滅す原因となるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに 基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか? 筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」 (仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、国内のフェースブックとLINEの 企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字 になっています。調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・ ローソン フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人 Au フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人 LINEが優位であり、1桁違いますね。大手企業はマーケティング、広告投資を フェースブックでこれからも続けるでしょうか? また初のインターネット 選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。 この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。 明らかに日本のLINEが先行しています。米国で対話アプリが本格的に広告を含む 企業マーケティングに乗りだしたらフェースブック収益は足元を揺さぶられる。》 ▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目 されたが、その内容はリアルそのもの。先日、一年ぶりに新潟のSEをしている 知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、 若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後には スマートフォンとタブレットPCの変化がある。更にメガネ型PCなどの装着式PCが 普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。 動きは激しい! ・・・・・・ 4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4 2013年01月09日(水) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー� 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に 移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、 あまり変わりはしないことに気づかない。ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。 ≪ ・・何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろうとし、 相手はできるだけ安く買おうとしただろう・・ 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと 思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する 科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年 にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、 赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな 国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな 国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用 逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は 増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。 ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。 でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに 働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。 われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり 食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力 をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが 一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、 どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や 装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、 いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫ ▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。 それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、 常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。 だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。では中流と上流との幸福感は、 どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は 思いのほか大きい。中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも 買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。 一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。 心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。 ・・・・・ 3941, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー1 2012年01月09日(月) 「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」水野和夫著 * 9・11、9・15、3.11の意味するもの=「近代の敗北」の記念碑 私にとって10年前の9・11、3年前の9・15、去年の3・11の三連打で 呆気なく事業人生を終焉をした。それぞれの震災が起こるたびに売り上げが翌日から 右下がりになってしまう。その都度、政府が打ち出す政策などで持ちこたえてきた。 しかし最後の東北大震災で止(とどめ)めをさされてしまった。売り上げの推移は 正直である。最近、二つの経済震災と、原発事故をともなった東北大震災の三つは 関連しているのでは?と考えた。 ところが先日、図書館で借りてきた水野和男著 の『君はグローバリゼーションの真実を見たか』の中に、私が知りたいことが、そ のままあった。 ーここで書かれていることを大雑把にまとめるとー ≪ 500年前に、ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、 近代化を始まった。これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う 超長期のブーム」の出発と捉えることができる。それは「陸の時代」から 「海の時代」の転換を示唆していた。海の時代には、アメリカ、アジア、インド 大陸などに侵略をしていた。それを欧米では近代化といっていた。 そして2008年のリーマン・ショックと、去年の3・11の原発事故で、 その近代化の終焉を迎えた。 9・11はそのアメリカに対する、弱者からの 反撃でもあった。本来1970年半ばで終わっていたアメリカの時代も、金との 兌換の中止を宣言したニクソンショックで終了したはずだった。その1974年に 自動車や家電製品に使われる粗鋼消費量がピークを向えていた。 これが 「地理的・物理的空間」の膨張の止まりであった。近代社会とは、膨張し成長 し続けることを前提とした。≫ ーまず、そのへんの部分を抜粋してみるー 【 9・11(米国同時多発テロ)、9・15(リーマン・ショック)、3.11 (福島原発事故)を「真の危機」と認識し、その原因を考えないと、これらを 上回る大きな危機が襲ってくる。 * 9・11ではテロリストによってジット旅客機がミサイルに、 * 9・15ではサブプライムローンが略奪的貸付として、 CDSが「金融版大量破壊兵器」として、 * 3・11では原発が「放射能兵器」へ姿を変えて、弱者に牙をむいた。 −字数制限のため中間カット 2016年01月16日 】 ▼ この3つの震災は、大きな時代の変わり目であり、アメリカの衰退の象徴。 この3つが「近代の敗北」の道標として歴史に残る。我われは、その場面に現在 進行で直面しているのである。この節目(カオス)が今後数十年、続くことになる。
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2016年01月08日(金)
『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 *「信用レンズ」「パワーレンズ」「エゴレンズ」 世間とは、一般的に、個々の立場から延長する人間関係を言い、 本人、家族、近所、その知り合いと広がった人たちの繋がりを総称する。 人間は複雑で、この3つをベースにした歪んだレンズを通した世界に住む。 個々人にとって、それが現実で、全世界になるが、それを客観視できない ため、小さな世界から一歩も外に出ることが出来ない世間という名の牢獄で、 一生を終えることになる。 そのレンズを、著者は、「信用レンズ」 「パワーレンズ」「エゴレンズ」の3つに分けて、ここに前向きな 「促進レンズ」と、後ろ向きの「予防レンズ」を加える。のっけから、 そんなレンズの視線を気にしないで、自分のレンズを冷静にみて、 生きていくべきだが、これが難しい。 〜アマゾンの内容より〜 ≪ そんなつもりで言ったのじゃないのに、勝手にそうと決めつけられたり、 自分では笑顔でいるつもりでも、だれも話しかけてくれなかったり…。 こういった「誤解」は、オフィスでも、学校でも、家庭でも、老若男女関係 なく、つねに起こる問題です。ところが近年、その仕組みは科学的にかなり 解明され、予測することが可能になってきています。社会心理学の研究に よると、人は育った環境や性格によって、大きく3つのレンズ「信用レンズ」 「パワーレンズ」「エゴレンズ」をつけ世の中を見ていることがわかりました。 あなたがコミュニケーションしようとしている相手はどのレンズをつけて いるのか、あなた自身はどのレンズを通して相手を見ているのか、まずは それを理解することが、スムーズなコミュニケーションにつながる秘訣だと、 著者は言います。 本書は、モチベーションと目標達成分野の第一人者で、 コロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとる社会心理学者が、誤解の原因と 解消法について具体的事例を挙げながらわかりやすく解説した実践的な1冊。≫ ▼ この3つのレンズで、世間の視線を分けると、その嫌らしい縄目が透けて 見えてくる。多くの人が、この歪んだレンズの共同幻想の飼殺しで終わる。 3つのレンズを、連れあい相手を探す時のレンズと例えると、解りやすい。 ・一生の伴侶として信用してよいか、温かみがあるか? 「信用レンズ」 ・自分の望む生活を維持できるパワーを持っているか? 「パワーレンズ」 ・我がままを許容してくれるか?のレンズで、相手を見定める。「エゴレンズ」 ライオンの群れが、ボスライオンが失踪したとき、メスグループが、新たな ボスを選定するプロセスを映しだしたTVドキュメントを見たことがあった。 メスにすれば、外部の強いオスにボスが群れから追い出されれば、子供は 皆殺しになるため、ボスの選定は当然、厳しくなる。これが人間社会だと、 一つ間違えると、一生をボウにふることになる。「貴方の事など誰も解って くれない!」 そこで、努力をするか、壁をつくるか? どうでもいいか? ・・・・・・ 5047,閑話小題 〜全人類と全アリンコの重さは同じ 2015年01月08日(木) * 全人類と全アリンコの重さは同じ どうでもよい話だが、全アリンコと全人類の体重は同じぐらいで、地球上に、 一京(一兆の一万倍)のアリが存在し、他の昆虫の総体重の10倍はあるそうだ。 ケニアの草原にはアリズカの山が延々とあり、それを餌にするアリクイという 動物までいる。 アリには奴隷アリもいて、他のアリに強制的に働かされている のもいる。地下に葉っぱを発酵させ、コケを栽培させているアリもいる。 ある意味、地下社会の支配者でもある。 * つれづれに 〜アベノミクスって大丈夫? 犬も歩けば保守にあたる、って感じになってきた。景気と国勢が右下がりも あって、20数年かけて総中流社会が総下流に下がっている。世界全体が 重苦しく停滞していく中、不安心理の裏返しなのだろう。アベノミクスの金融 緩和で、株高、円安、物価高に重心が動き出したが、地方には景気浮揚の実感は なく、どんよりとした黒い雲が、覆いかぶってきた。 隠居の身、40年以上の 緊張感から開放され、フワフワ浮いたような毎日。それが思いのほか良くもある。 そして原油が50ドル以下とは驚き!ロシアなど輸出の8割を占める資源大国は 一挙に変になってきた。ちなみに、最近、モノを買わなくなった。買わなくとも 済むからだ。税収の二倍の国家予算で、国の借金が国民一人当たり7百数十万と いえば、誰もが不安になろうというもの。目先を、6年後の東京オリンピックに 向けて何とか乗り切ろうというのだろうが。 ・・・・・・ 4682, スマート革命 ー3 2014年01月08日(水) 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) * エッ 自動運転の車が近未来に販売? スマートカーの現時点の究極は自動運転。それが7〜8年内に発売予定の ニュースには驚いた。以下は著者の内容だが、この本が発刊されたのが 凡そ一年前。これほど早く自動運転の車が現実になるとは、誰も予測して なかった。如何に科学技術が進んでいるかの証である。それもあって、 何か、この内容がズレてさえいる。 ーその辺りを抜粋するー <ドラマ「ナイトライダー」の夢の実現> 1980年代に国内でもテレビ朝日が放映したドラマ「ナイトライダー」の夢 がスマート革命により実現されようとしています。人工知能の塊である ドリームカーの「キット」(あの開発用のキットを意味する)と運転手 マイケルとが楽しく会話しながら事件を解決すると言った筋書きでドラマは進む。 自動車がガソリンから電気自動車へと変化する端境期に当たって、スマートカー にもWiFiネットワークの根と茎が生えて、各種のサービスをクラウドから持って 来る時代になってます。車のナビゲーションや娯楽は外部からサービスとして 提供される。両手をハンドル操作に奪われた運転者は各種サービス操作を 音声で実施する時代が来ています。そうなればまるで車は人の友達のように 感じられます。日本家電が須らく負け組みに陥る中、センスの良いトヨタは 「トヨタフレンド」のサービスをPHVなどのプリウス向けに開始しています。 ドライバーが「プリ君」(プリウス)に友達申請して会話をする訳です。 「プリ君」は電池切れや最適な充電時間帯をドライバーに教えてくれます。 非常に残念なのは「プリ君」が話さない点ですが、早晩、「プリ君」には 会話力が付加されるでしょう。 <マウスやキーボード、ブラウザーが不要になる?> 音声処理やジェスチャー処理、顔認識などの擬人化インターフェースの時代 には、機器が人の友達として立ち現れます。(昔、筆者もIBMのオフィス コンピューターを大型汎用機のハネウエル機に苦労して接続した事がありました が、その時IBMのS32はハネウエル機を仮想IBM360として認識していました。 技術的に説明するとこうなります)擬人化インターフェースの時代は ナチュラルコンピューティングの時代とか「ソーシャルロボットの時代 (人が機器を人として認識する時代)」と呼ばれていますが、いよいよ機器が 「現代のピノキオ」に変身する時代がまた一歩深まった。 そうなればマウスやキーボード、ブラウザー、タッチすら時代遅れです。 ▼ Googleがメガネ式の情報端末のモニター向け販売を始めた。これが普及すると 更に世の中が一変する。その意味で、今年は本格的装着式スマート機器の新機種 が表立ってくる年になる。ワクワクする話だが、これが現実の流れになる。 その上に、想像を遥かに超えた知恵を絞ったアプリが次つぎと出現、情報格差が 更に大きくなってくる。こと情報端末に関して、未来予測は、不可能である。 まさかスマートカーが現実に? ・・・・・・ 4315, 考える力 2013年01月08日(火) 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、行蔵は大したことはない。 毎日2〜3時間の読書を50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに 我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを積む 機会が少なかったということか。現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、 タブレットでPCゲームを一日に1時間は遊んでいる。26歳からの事業人生、 何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。 ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。 点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。読書で心を集中し、 その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに 繋がっていたはず。それがマンネリとなると、考えも甘くなる。私の考える力が ついたのは、この随想日記を書くようになってから。常に何かテーマを探し出し、 小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。 また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくって しまうと、考えざるを得なくなる。それを習慣にしてしまえば、年月が経つに つれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が 面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、 己の底の浅さに呆れている。 ある哲学者によると、《人間の脳は ‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。 でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。 これに匹敵する震災レベルの大波は、これからも、次々と襲ってくる。 それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連の カオスより遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、 他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たるベースが無ければ、他人の 先読み装置の利用など不可能。情報化と、厳しい環境は、考えるにベスト。 カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。 手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、何と恐ろしく、面白いものと、 割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない! ・・・・・・・ 3940、新年にあたり ー4 2012年01月08日(日) * 御先祖・四四太郎様の警告 ー� 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。 子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、この津波は世界にとっても 日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。これは80年前の 1930年代の大恐慌と同じか、それより遥かに大きいから始末が悪い。 以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。しかし情報化社会では、 その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きて いた16世紀あたりから白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり 支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、 300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国 させたのがアメリカである。その後、日本は日清、日露戦争で勝って調子 づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされ てきた。そのアメリカが、経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のこと。 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、 覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を 失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の復讐を恐れたアメリカに 骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。 まあ、お前さんも66歳、今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器を フルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明 を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい仕掛けが隠されている のを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が 優位に立ってしまうことだ。これは、最優位のものが、情報により総取りが 可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。 これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も 同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしているグループが実際に存在していて、 情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界を どうとでも動かせる。まあ、この辺で話は止めておくが・・ 娑婆は御前さん の想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは 自分の地頭で考えるしかない。要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、 それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。 度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる 評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。 言葉狩りとかいうらしいが、 目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。 あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、 この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ! ・・・・・・・ 3575, 閑話小題 2011年01月08日(土) * 帰省中の次男の話 外資系に勤めて10年になる帰省中の次男に聞いてみた。「中国人は多いのか?」 これに対し「普通の存在のように居るよ」である。中国人が日本の外資系に勤める のだから信じられない位に優秀だろうが、 そこまでは聞かなかった。 彼らは一人っ子政策の中で、家族を背負っているから覚悟が違う。その彼らと 働くのだから大変だろう。 土曜、祭日は出勤で、週一しか休暇が取れないとか。 平日の帰宅は22時過ぎ、常に睡眠不足。顔はゲッソリ、30歳前半は誰もそうだが。 * バーチャル・ビュー BSで、最近みたのがズバリ「バーチャル・ビュー」という番組。その場に、 あたかもいるような目線で海岸や、街中を軽快な音楽をバックグランドにして 映し出している。何処かのリゾート地のビーチで自分が横たわったり、また 泳いでいるように画面が構成されている。特に自分が行った先は更にリアル感が 強くなる。 そういえば、以前から「世界街歩き」という番組がある。 自分があたかも旅先で歩いている目線で、店に入ったり、人に声をかけたり、 家に入れてもらったりする。地デジの切り替えで、各家庭のテレビを大型液晶に かえた為か、テレビ番組も、それに従い変わってきた。受信機だけでなく、撮影 機材も格段と良くなり、映し出される映像と内容が飛躍的にスケールアップ。 これまでBSで放送していた内容のものが、地デジの方に移行を始めている。 それにともない、BS放送の内容も、バーチャルビューのように、居間の空気を 和ませるような内容が出てきた。その一つがバーチャルビューということになる。 これは録画をして、早朝に聞くにベストである。そして現在、映像入りBGMで、 これを書いている。 * つれづれに 4日の15時半発の帰省列車の東京方面に乗ったが、殆どが若い親子連れ。 中高年の姿はほぼ見当たらない。(字数制限のためカット、2,011年01月8日) ・・・・・・・・ 3200, 年末・年始の「どうなる日本」の新聞論評は? 2010年01月08日(金) 正月の5大新聞の年末年始の社会、経済など「どうなる日本」の解説や、 対談を目を通してみた。石原慎太郎の「日本よ」の辛口の論ぐらいが、納得した ぐらいで、あとは殆んど見当たらなかった。あまりに悪いから、マイナス論調 のことを書けないのだろう。 当たり前のことだが、 ・現状は恐慌そのものであり、既に二番底にむかっている ・デフレ危機の瀬戸際。 デフレ・スパイラルは5,6月辺りが危ない ・アメリカから中国、インドなどに選手交代 ・電気自動車などの新しい分野への転換期 等等が、問題と指摘していた。 株価、為替は大きく揺れるのは必至である。私の商売の動きからすると、 デフレ・スパイラルに去年11月から始ったと思われる。社会的問題の、 ホームレスや、失業問題には、どの新聞も避けていた。新聞は取上げないが、 リーマンショック以来16ヶ月も、輸出入がマイナス40%を続けている。 輸出主導の経済のこの国では、この有り様では景気回復など考えられない。 藤井財務相が辞めたが、この国家予算と800兆の国債総額では、予算委員会の 答弁は無理。 なるほど百年に一度の恐慌とは、こういうものか!と実感する。 恐慌が二年目に入り、そのウネリがより大きく覆ってきている。 情報化、グローバル化は、世界を平準化する。その中でアメリカの従属国家 として平和を謳歌し、豊かさを享受してきた日本も、世界の普通の国家並みに なるプロセスの入ったということ。 今年は政界再編成を含め、大波が次から 次へと襲ってくる。 憂鬱な10年に入ったが、割切って身を委ねるしかないか? 高度成長期を味わったので、その段差の溝があまりに大きく感じる。 21世紀になって10年、その一端を経験しているが、成るほど断絶の世界である。 更に、ここにきて電気自動車と、ツイッターである。 ・・・・・・・・ 2835,夢の中に集中しすぎて、無呼吸に 2009年01月08日(木) 去年の暮れになるが、危ない夢をみた。何かの夢をみている中で、 空の上から下をみると砂粒位の人が数人が見える。それを神経を集中して 見ようとしたあまり、夢の中の世界に集中しすぎて、生きている生身の本体が 呼吸が出来なくなったのである。ハッとして夢から覚めたが、何分か息をして なかったようだ。必死に呼吸をして体に空気を入れるが、何ともいえない気分 の悪さに見舞われる。その時、「死ぬ時の感じがこんなものか? 友人はこんな 気分で死んだのか!?」という死の恐怖感に襲われる。そして数分の間、深呼吸 をした後に目をつむると、その画面が再び自動的に現れ、そこに集中してしまう。 その繰り返しである。そして呼吸が出来なくなる。よほど、集中したのであろう。 恐ろしくて目をつぶれないのである。30分ほど寝室の暗闇の中で目を見開いて いたが、恐ろしい不気味な時間であった。無呼吸症候群ではないのだろうが、 高齢現象なのだろうか。書いていて思い出したが、子供の頃、父がイビキを かいていて急に呼吸が数分止まることがあった。再び呼吸をしないのではと、 耳を済ませたことがあった。(字数制限のためカット、2,011年01月8日)
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2016年01月07日(木)
〜『残酷人生論』池田昌子著 * 情報と知識の違いについて 以下の文章は、哲学者の故池田晶子が20年前、Windows95が 世に出てきた頃に書かれた文章である。その後の激変したネット情報化社会 の現在でも、そのまま通用する内容。 高度をコードと捻っているところが 面白い。知識とは違った有効な生情報も、情報社会に生きるものにとって 重要な要素である。情報と知識の違いを簡潔に説いている。〜その辺りから〜 ≪ 前に、情報は「しょせん」情報だと言いました。高度情報化時代なんて のは、要するにコード情報化時代、コードを引っこ抜いちゃえば、タダの箱。 タダの箱を前にして、人はやっぱりタダの人だと。とはいえ、そのタダの人が、 タダの人のままに広くコミュニケーション可能になるということは、やはり 画期的なことで、オンライン・ショッピングなんぞには私はもとから興味が ないが、この点に関してならば、さしものコード情報化時代にも希望の光は 射している、と思える。 ヒラ社員がわからず屋の部長の頭越しに、いきなり社長と交渉できるとか、 無名の新人が、阿呆な編集者をパスして、堂々作品を発表できるとか、地位と 肩書なきゆえに虐げられてきたタダの人々に、その実力を発揮できる機会が 平等に開かれるということは、文句なく素晴らしいことだ。これはほんとに よいことだ。 それがほんとに可能になれば。 普通に人は、とくに日本は、地位と肩書が偉ければ偉いと思っているが、 情報優先のネットの上では、そんなの何の意味もない。すると、旧態依然の 権力機構は、やがて軒並み崩壊するだろう。年功序列、性差別、情実、根回し、 御挨拶、地位と肩書ゆえに威張っていた無能な人々が、地位も肩書もないが しかし有能な人々に、おいおとされてゆくことになるのだ、なんて愉快! これは革命! ところで、地位も肩書もないが有能な人というのは、タダの人であっても、 やはりタダの人ではない。したがって、情報ネットによって実現する平等社会 とは、裏を返せば、これまで以上に実力本位の競争社会である。 実力がなければ、たとえネットの上であれ、やっぱり何の意味もない。 競争の現場がネットの上に移り、余分な障害物が減っただけのことであって、 何のための競争か、ということを考えずに競争している人間社会の在り方と しては、以前と何ひとつ変わっていない。 それだから私は、やはりこう感じざるを得ないのだ。 情報化時代 それが、どうした__と。 人がまず理解していないのは、情報は知識ではないということだ。 情報は外から受け取ることによって流通する。しかし知識は、或るAがなぜ Aなのか、と立ち止まり考えることによってのみ知られ得る。情報は流通するが、 知識は決して流通しない。流通する知識は知識ではない。すでに情報だ。 なぜなら、考えて知る、とは、自ら考えて知ることしか意味しないからである。 したがって、そこに在る同じAであっても、情報と知識とでは、知られる仕方が 正反対を向いているわけで、その差がまさしく、無知と知との差だ。 さて、人は多くの情報を知ることによって、いったい「何を」知っていること になるのか。我々は「何のために」競争しているのか、それを知っているのか、 どうか。 私は思うのだが、今後しばらく押し寄せてくる情報ネット化の大波は、 折にふれ人類を訪(おとな)う大掃除としてのあの大洪水のようなものと。 洪水の引いたあと残っているのは当然、地上に広く流通していたあれこれの 情報群ではなく、もとより流通することのあり得ない、星のように高く光る あれら普遍的な知識だけであるはずだ。(一九九六年四月号)≫ ▼ この随想日記も、押寄せる情報群の中から、選んだエキスをパックにし、 知識化する有効な手段になっている。一度、パックすれば、毎年の同月同日 に読み返し知識の再認識が可能になる。それにしても、絶対的知識量の不足に 今さら驚いているが、それを自覚出来ているだけ、少しは、まし? <情報と知識とでは、知られる仕方が正反対を向いているわけで、その差が まさしく、無知と知との差だ>は、これを書き続けて実感すること。 読みっぱなしで、忘却の彼方に消えていく内容の読書感の記録が無かったら、 「無知と知」の差ぐらいは軽く出来てしまう。無知の人間は、考えるしかない。 『世間』という、あの群れの特徴は、身近な情報を、考えないで横流しをして いる輩たちをいう。それが、彼らの現実だからである。 で、絡めとられ ゾンビの一員になった粗末な人生が、巷に溢れている。考えないのは罪である。 ・・・・・・ 5046,修羅場の極意 −1 2015年01月07日(水) 『修羅場の極意』 〜まずはアマゾンの内容紹介〜 面白い本である。 人生には、それぞれの人の修羅場がある。今では、 結婚し、甘いハネムーンの後、修羅場を経験した後、4割が離婚に至り、 その過半数以上が貧困に陥っていく。 何度か修羅場に出あい、乗越えて 生きていくのが人生。 地獄は彼岸にあるのではなく、現世にある。 −アマゾンの内容紹介と、目次であるー ≪ 敵を作り、嵐に巻き込まれた時、 うろたえるな! 「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ! 修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法と技法がある。 イエス、宇野弘蔵、西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べる? ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは? 外交と政治の修羅場を駆け抜け、 獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。 ○目次 ーはじめに――東京拘置所での谷底生活から I 偉人たちのサバイバル術 1章 助言者は絞り込め【マキアベリ】 2章 逆説的発想で事態を打開せよ【イエス・キリスト】 3章 「偽装」というテクニック【ドストエフスキー】 II 反面教師たちの失敗学 4章 破壊的影響力の秘密【ヒトラー】 5章 悪知恵にだまされるな【オットー・ケルロイター】 6章 “正義漢"の勘違い【スノーデン】 III 「獄中」の教訓は役に立つ 7章 独房で筆者の精神を救ってくれた教え【内村剛介】 8章 経済学と小説の力【宇野弘蔵】 IV ヴァーチャルな修羅場、リアルな修羅場 9章 人間関係に役立つ神学者の言葉【ディートリヒ・ボンヘッファー】 10章 ノマド的〝処世術〟【安藤美冬】 11章 不作為は悪【小説『インフェルノ』のラングドン】 対談 「最悪」のシミュレーションだけすればいい【西原理恵子】 おわりに――「時」を見極めるということ ≫ ▼ 人生は、いずれにしろ甘くはない! 修羅場の修羅は、阿修羅が語源。 辞書によると、【阿修羅のもともとはインド神話における「アスラ」 という名の魔神であり、インドラ神と戦いを繰り広げた鬼神であった。 一般的には戦いの神としてのイメージをもたれており、そのため激しい 争いの場を、その名をとって修羅場と呼んだりもする。】とある。 身近な修羅場といえば、夫婦間の争い。 夫側の酒癖、女癖の悪さや、 互いの粗探し、金が無いことからくる争いが、修羅場の起因となる。 そこで、〜うろたえるな!「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ!〜になる。 ・・・・・・ 4681,閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3 2014年01月07日(火) * この現象から考えさせられたこと ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっている ケースが多いことから、これはユングの「意味ある偶然の一致」ではないかと 思い立った。その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見た事もある。 静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブルで 多くの人が、事故や病気になっているはず? か?というと、そうでない! また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けている ので、私は、今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。 事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。それを避けての 創業など無理。この仮説から演繹法と帰納法が具体的ケースとみると解りやすい。 演繹法は、まず仮説を立て、その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に 因縁のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3〜4年以内に事故か 病気が生じる現象。そこから、これユングのシンクロニシティでは?と行き着く。 これを書いていて、「バカくさ!」と思える部分と「偶然にしては出来すぎ!」 が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が奇跡。さらに生物が存在し、 知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。このテーマ 自体が無知蒙昧丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、 さも不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、私自身が信じて いたのだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。 その思いを書き出すことで、如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に 気づかされる。それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ?? ここで、気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけ でなく、むしろ感謝する対象である。怒りと感謝が相まっていることに気づく。 夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ! 以前から怒りなどマイナーの念に囚われた枠外に出る鍵として、10回、目を つぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。そうすると、そこから一歩、 外に出ることが出来る。 感謝を間違いなく、互いに忘れている。 この人生の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!』 / _ノ \ | ( ●)(● <おっと、それ以上は言うなよ…ったく!> . | (__人__)____ | ` ⌒/ ─' 'ー\ | /( ○) (○)\ . ヽ / ⌒(n_人__)⌒ \ ヽ |、 ( ヨ)Ωチーンi~ / `ー─− 厂 / | 、 _ __,,/ \ ・・・・・・ 4314, 閑話小題 ー若者たちの悲哀 2013年01月07日(月) * 若者たちの悲哀 現在、日本の若者の36%が離婚しているという。アメリカでは50%、 ベルギーにいたっては70%というから、驚き。元もと結婚しない人25% を加えると、一生涯を通して一人の相手と添え遂げる人は半分以下になる。 この不況下では、私たち世代の生活レベルに比べ遥かに劣り、現代の中枢を なす人たちの生活形態そのものが変化している。姉兄6人の甥姪が息子二人を 含め12名いるが、独身者が4人いる。これが身近な実態である。 離婚率は、この10年、同じ曲線で上がり続けているので、5割も遅くない 将来に到達する。少子高齢化に加え、非婚、離婚の異常な増加は日本的 家族制度を解体しつつある。それは日本という国の基礎を揺るがすことになる。 * 現代の進学事情 隣の韓国の大学進学率は、OECD加盟国の中でも高い水準にあるが、最近 少しずつ低下している。2008年に84%で頂点に達した進学率はそれ以降下がり 続け、2010年には79%まで低下しているが、OECD加盟国の平均(2008年、57%)を 大きく上回っている 。では、日本はどうか。2010年における日本の進学率は 57%で韓国を大きく下回っているが、詳細を見ると、韓国とほぼ変わらない。 日本の進学率57%は大学や短大への進学率だけで、ここに専門学校等を含めた 高等教育機関への進学率23%をプラスすると日本の進学率は80%。 これは韓国の進学率79.0%を上回る数値。韓国には日本の専門学校のような 教育機関が少なく、専門学校の代わりに短大に進学している学生が多い。 OECD加盟国の平均は57%というから、こんなもの。高卒就職者が二割とは 時代が変わったもの。私の時代は八割だった。右上がりと右下がりの時代では 様相が激変するのは当然としても、ここまで変化するとは! そして、右下がりは更に続く。 ・・・・・・ 3939, iPad その後 2012年01月07日(土) 現在でもiPadに驚きの毎日である。というより、ネット、ブログ、 アプリ、パソコンを組み合わせたタブレットPCの威力に驚き!が正しい。 PC世代が当り前に使っていたパソコン機能を更に進化させ、我われ世代が 気楽に使えるようタブレット式PCで可能にさせてくれたのである。 こんなアプリもある、こんなゲームも出来ると水を得た魚のような気持ちに させてくれている。起動から数秒で使えることと、何処でも使えるのが良い。 先日、ネット上のアップル・ショップで、「Fotopedia国立公園」 という北アメリカの国立公園の写真集を85円で購入した。さっそく開くと、 2000枚の、素晴らしい写真が次々と出てくる。何で、これが85円と不思議。 が、直ぐに電子本を手元のパソコンにダウンロードしたのではなく、ネット上の 書籍にアクセスをして見るシステムだった。ネット辞書のウィキペディアを ネットを有料でみるようなもの。ネット環境さえあれば、パソコンに全てを ダウンロードなどする必要はない。 もう一つビューンというのもある。 月に450円を払うと、数十種類の週刊誌、月刊誌を読むことが可能になる。 更に数種類の週刊誌の数ヶ月分がダウンロードが出来、それはネット環境下で なくとも読むことが出来る。他にも版権の切れた文庫本などの小説集を80円 で購入したが、これはダウンロードをし、ネット環境外で見ることが可能。 したがって少しの時間でも退屈する事はない。私のような暇人にとって、 理想的IT端末といえる。購入前に、iPadにするか、ドコモの携帯電話機能 のついた7インチのタブレットか迷ったが、ドコモはネット環境下でなくとも 見れる利点がある。何を選択するかである。 去年はスマートフォンが爆発的 ブームになったが、今年はタブレット式パソコンだろう。TVにしろ、パソコン にしろ、スマートフォンにしろ、これだけ膨大の情報が隅々まで流れ出ると、 既存ののシステムは対応できなくなって当然。これが、この大混迷の原因に なっている。 誰もが数年前の自分が他人(馬鹿)に思える時代が面白い! ・・・・・・・ 3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1 2011年01月07日(金) 時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から ー10分ルールー 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えると、 その環境や行動に脳が順応することをいう。弱点だと思い込んでいた性質が、 この10分ルールで変えることも可能になる。最近、テレビのバラエティーでよく あるのは、最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、 オープニングが始る場面に多く行き当たる。 これは10分間、視聴者に予告を 含め馴染ませれば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。 このルールを知っているといないのとでは大きな違い。既に亡くなったが、 ある知人に「とにかく一晩寝てから、怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は 消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。 これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐える ことをルールと捉えた法則。これまで決断するまでに、計画が固まった後に 時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、 目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを 知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、逆の立場で、その辺の 人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。 だから、ある時間耐えれば良い。 次は、ー90分ルールー 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、 大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、90分を過ぎると 実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。 テレビの特集なども90分もの。人間の身体は一日24時間のサイクルに合わせて 出来ている。その中に、90分のサイクルがある。分かりやすいのが睡眠で、 90分周期で浅い眠りがくる。それが一晩に4〜5回繰り返している。 大学の授業時間も、会議も90分が通り相場。休日など終日、読書をする時は、 90分で休憩を入れ、違った分野の本に切り替えると良い。 ・・・・・・・・・ 3199, 閑話小題 2010年01月07日(木) * 善は悪より生まれた! 誰が言ったか忘れたが、「善は、悪より生まれた」が、妙に気になった。 「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。キリスト教倫理からすれば、 イエスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。人間が社会を 形成する時に、一つの規範が必要になる。国家創りにまずは憲法、そして法律、 それを守らせる内の警察という暴力装置、そして外に対しては軍隊。 それを、統治する象徴としての日本なら天皇、欧米なら大統領の存在である。 孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、民を内側からコントロールする教え。 古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。 それらの法律や規範を守ることを善というなら、それに反することを悪という。 ということは、それができる前は、(その規範の視点で振り返るから)悪が まかり通っていたことになる。 で、「善は悪より生まれた」ということになる。 しかしキリスト教倫理からみて、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』 という疑問が生じる。 女性の哲学者『シモーヌ・ヴェイユ』は 『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。 悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』 彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を裂くものとみた。 神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教 倫理的な見方でしかない。悪党ほど善の価値を知っているのだろうか。 悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもできる。 親鸞の悪人の方が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。 * 呉服の衰退 TVのレポートで、呉服チェーン店の「さが美」が、ポリエステルだが 一万円の和服セットを紹介していた。普通、呉服のセットは30万というから、 30分の1である。 若い人が呉服を着なくなり、不景気も重なり、5年間で 呉服の売り上げが業界全体で半分に減ったという。 何処も同じである。 「さが美」は高度成長期より呉服チェーン店として飛ぶ鳥落とす勢いで急成長、 現在300店舗あるが、必需品以外は、こんなものだろう。先日、静岡のトヨタ 関連の部品メーカー関連の仕事をしている友人に景気状況を電話で聞いたところ、 「エコカー補助金のお陰で何とか息をついているが、二輪車を扱っている 「ヤマハ」の関連企業は、回復の兆しはない」と言っていた。オートバイは、 呉服と同じで嗜好品?だからである。
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2016年01月06日(水)
* 貧乏の性分 〜『貧乏の神様』柳美里著 芥川賞の売れっ子作家の柳美里の本を、図書館や書店でみかけていた ため、その印税たるや常識的にみて数千万は軽く超えていると思っていた。 ところが、預金ゼロ、電気光熱代の支払いも窮しているという内容である。 私を鑑みると、幼児の頃から商売で苦労していた両親をみていたことと、 その両親から子守唄のように「金の重要性」について、聞かされていた。 特に節約と、万一の備えとしての長期的預金の必要性が、人生の基本と インプットされてきた。その割りに、最後は、この様だが、総額の15%前後 を家内名義の給与として40年近く積立をしていた。(残りの85%は、使う ことにしてきた)。それが、5年前の節目時の命綱になったいた。 「貧乏の性分」の逆を考えると、「節約、長期預金、小銭を大事に扱う」 になる。金を敵のように扱えば、返り討は至極当然。 〜その辺りから〜 ≪ 2012年3月16日からは南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬 ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という番組の パーソナリティを務めています。3月6日現在で第143回まで放送されました。 この仕事は、無報酬です。これからは、交通費も宿泊費も食費も支給 されません。その経費が年間いくらに上るのかを計算したことはありません。 自宅に1万円だけ置いて、5万円を持って南相馬に1週間滞在する、という ような生活を続けているのです。 非常識だと思います。 けれども、 書くことを仕事に選んだ18歳の時から金銭的や時間的には無理はしても、 自分の性分や生き方には無理ない仕事をしようと決めたのです。・・(略) この15年間、貯金をしたことはありませんでした。 お金の使い方、金銭感覚は、両親から受け継ぐものの一つかもしれません。 わたしの父と母は、ほぼ年子で4人の子どもを拵えましたが、ただの一度も 貯金をしませんでした。父はパチンコ屋の釘師で高給取りでしたが、競馬や ポーカーや将棋などの博打で給料を摩って、家にはお金を入れませんでした。 生活費を稼ぐために母はキャバレーのホステスとして夜の勤めを始めた のですが、給料日前には困窮を極め、白飯に緑茶や麦茶をぶっかけただけの お茶漬けやパン屋からタダでもらってきたパンの耳などで食い繋ぎました。 わたしの父母の両親も貧乏人でした。それこそ親の敵のように父と母が 散財を繰り返していたのは、収入が支出を上回ることに罪悪感のような ものを抱いているのではないかと思わざるを得ないのです。 倹約や貯金は、お金持ちの習慣なのではないかという気すらします。 つまり、そういう家庭内の習慣を子孫や社員に文化として伝授したから、 お金持ちになったのではないか、とー。 父親に刺身の小皿に醤油が残っているのを見餐められて、「自分の使う分を 見越して醤油を出せないような奴はまともな経営者になれん!」と殴られた、 というある大会社の社長の幼少時のエピソードを思い出したりもします・・≫ ▼ ネット検索によると、柳美里は「無頼派の系譜の作家」と評されていて、 小説ネタには、この性分があればこそ。としても、これは、つらい性分。 在日朝鮮人の大陸的気質もあるのか? 三代続いた家族の金銭感覚は、 一般人とは少し違うようだ。病気、事故とか、寝たきりになった時に、 如何するのだろう。他人事ではないか? 事業を立ち上げる度に、 「もし、失敗したら、如何する?」の内語も一緒に立ち上がる。30年、40年 かけてきた万一の備えも、この不安、恐怖から出てきた知恵。一般的にいえば、 「消費社会は、収入の2割増しの欲望を掻き立てる。しかし、日本人は、 2割を預金か、投資にまわす性向がある」。 固定社会の島国の知恵だろう。 ・・・・・・ 5045,生と死をめぐる断想 ー2 2015年01月06日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 頼藤和寛 〜にもかかわらず、生きる 『人みな骨になるならば』頼藤和寛著 の書評を数年前、ここで取上げた。 底しれないニヒリズムと、「にもかかわらず、真摯に生きる」頼藤の姿に 心が動かされた。ここで岸本は、「だから」「しかるがゆえに」の換わりに、 「にもかかわらず」の頼藤の生き様、言葉に励まされる。ーその辺りよりー ≪ 願望に基づく世界観の構築を、彼は拒む。自らの避けられない死際にしても その立場を徹底する。その姿は、認識の鬼とでも形容したくなるような、ある種 の凄みを持っている。医師を続けてきた頼藤は患者から「何も悪いことをして いないのにどうしてこんな病になったのか」という抗議を幾度も聞いてきた。 彼は述べる。科学的に研究をすれば、善人と悪人とで罹患率や平均余命などに 有劣の差はないと、証明されてしまう。心理学は善悪に関して死後の因果応報を 信じがちな人ほど願望充足的な推論や希望的観測を多用するという実験結果を つきつけてくるかもしれないと。「自然現象に人間的な道理は通用せず、 来世で辻褄を合わせようとする世界観は心理的な自慰にすぎないことを強く 示唆している」。(頼藤和寛『人みな骨になるならば』) ・おそらく世界の実相は、人間の都合とは無関係にある。 「このことを、実は、何千年もおんちょうのあいだ人類は怖れてきた。 われわれは幸福がなにかの恩寵によるもので、耐え難い災厄ですら なんらかの意味をもつと信じたがった」。 ・「世界には、ニヒリズムを突き崩せるような物証は何もない。なぜなら われわれは、自分が信じたいように世界を観たのではなく、人間に可能な かぎり禁欲的に宇宙のありのままを見据えてきたからである」 しかし、前向きに生きれば治癒につながる、「だから」前向きに生きるとする なら、その基盤は脆弱だ。「前向き」でいたのに亡くなっていった人は、周囲を 見渡しただけでもどれほどいることか。治癒を期待し前向きに自分を保つなら、 それでも再発進行した場合、「ならばどう生きても同じだ」と投げ出すことに なりかねない。「だから」「ならば」「しかるがゆえに」の論理の危うさを 感じていた私に、「にもかかわらず」の哲学は頼もしく思えた。世界には 説明のつかないことがたくさんある。説明不可能性に耐えよ。そう著者に 言われている気がした。「何千年ものあいだ人類は怖れてきた」と彼が言う 世界の実相。人間が受け入れやすいようその上をおおっていたべールを、 近代科学がはぎとって暴いてみせたところでなお、人々が怖れているならば、 世界の実相がやはり「怖れるに足る」ものだからだろう。何千年も怖れられ 続けてきたものに、たまたま近代以降に生れたからといって、人間がひとり 丸腰で対峙することが、果たしてできるものだろうか。自分がニヒリズムを どこまで貫けるだろうかという疑問もある。・・≫ ▼ 死の淵から生還した人にとって、「にもかかわらず、生きる」より、 「にもかかわらず、生きている」ことになる。死は、特に己の死は、 直視できない永遠の課題。だから、宗教が必要になる。神の御国に 帰っていくイメージである。生くさい恐ろしい死のイメージを、長年かけ、 優しい神様がいる天国のイメージへの転換が必要になる。死んでしまえば、 それまでよ。にも関わらず、彼岸には、あの世が待っているイメージ。 で、以下の三年前の内容に繋がっていく! 丁度、あの修羅場?の最中 ーー。 2011/03/18 3279, 人みな骨になるならば −1 「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。 初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の 後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、 本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され 亡くなった。そのプロセスを書きのこした本『わたし、ガンです ある精神科医 の耐病記』も出されている。「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、 この本のテーマである。そして次から次へと繰り返される虚無思想。 ・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ一人一人の 人生が一種の無駄である。」とか。 ・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」 ・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと、人は生きて いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。 ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。 【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に 不愉快な現実である。たぶん、宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の 松が生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるために 人間は実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、そのような酷薄な 現実に堪えられないようだ。それに堪えるため人間は自分の意味を膨らませる ため、自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、 に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、 「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを エゴ・トリップという。自分を膨張させようとする、あえない試みである。 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがきに 至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい という目論見が透けて見える。 】 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、 このエゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れ、感動した経験を多く 持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろうか。 特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが 良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップ でしかないのか? そう思うと気が楽になるが! ・・・・・・ 4680, 偶然からチャンスを見つけだす能力 2014年01月06日(月) ー偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方 ー沢泉 重一(著) * 人生は偶然を織りこむ絨毯づくり! 人生を振返ると、出会った人、出会った出来事が果たして偶然だったか、 必然だったのか、考えさせられる。偶然に機会を見出すためには、目指す夢と 目的が必要になる。そこに機会を見出すには素養と準備が前提だから。 その偶然からチャンスを見出す能力「セレンディピティ」は、イスラムの寓話 「セレンディップの三人の王子」が語源。ドラゴンを退治する巻物を探すため、 自慢の王子が送り出される旅の途中で、多くの危険と苦労を味わうが、 そのつど判断力を働かせ、それぞれ理想的な姫と知りあい、幸せに暮らした という神話の原型が、そこにみてとれる。英和辞典には「当てにしなかった ものを偶然うまく発見する才能」とある。 ー内容紹介とレビューからー 【 偶然のチャンスをいかに生かすか、見出す秘訣がここにある。 世界的発見の多くは、"偶然の所産"であった。 古い寓話に由来する言葉 <セレンディピティ>は、偶然のチャンスを生かす力を指すキーワードとして、 科学者や先端的ビジネスマンの間で高い関心をよびつつある。】 ー読者プレビュー ●【「セレンディピティ」は、狭い意味では「探していたものを、他を探して いるときに偶然に見つける能力」。この本ではより広く「偶然を見逃さずに 成功につなげる能力」という意味で使っている。 著者が編み出した 「偶察力(偶然を察知する能力)」という言葉は、しっくりくる。 面白いのは、セレンディピティを高める方法論。世界的革命をもたらした 発見の共通点をあげたり、トマス・クーンの唱えるパラダイムシフトの関係や、 シンクロニシティとのちがいなどを述べている。さすがセレンディピティ研究 の先駆者が書いたものだけあり、これは発想に役立つと思うところが多かった。 とくに「7 セレンディピティの向上」の章では、意図的にセレンディピティを 高めるための一連のシステムを紹介している。偶然という現象について述べた本 はアーサー・ケストラーなどがあるが、この『偶然からものを見つけだす能力』 はその偶然を人間の力によってうまく引き出して利用しようというもの。 「自分にできるかも」という期待感をもたせてくれる。また、偶然がともなう ブレークスルーは、ともなわないよりも大きな成果をもたらしうるというから、 セレンディピティを高めたい気持ちは高まる。】 ●【「偶察力」という言葉に置き換えて、これを一種の「能力」とし、仕事に、 日常生活に、趣味に言葉遊びに、知的仕掛けとして使っていこう、という話。 驚嘆すべきは、著者の博覧強記ぶり。セレンディピティを巡って、起源、歴史、 古典、映画、科学論、科学史、書籍、新聞、雑誌、ネットなど、おおよそ あらゆる情報ソースを駆使し、ちょっとした日常の場面で、どんな場合にどう 適用していくのがおもしろいのか、を、わかりやすく書いた文章です。】 ▼ 必死に捨身で何かを目指していると、その何かより、プロセスでプラス・ マイナスの機会に出くわす。そこが、分かれ目で信念が試される。人生の節目 には思いもよらない機会が隠されている。 そこで、運命を恨むか、他者の 中傷に汚れるか、自分の信念を見つめ直し、新しい一歩にするか、その人次第。 その意味で、この言葉は人生を振り返るに、考える糸口になる。 節目は、 順境のアップスケール(脱皮)より、逆境の破壊の状態の方が多い。その時、 思いもよらない学び、チャンスが現れる。私にとって、現在の節目はベスト? それが「セレンディビティ」の一言に凝縮。遇察力が飛躍的に向上、御陰で 様々な見えてなかったことが鮮明に見えてきた。 人生は短し!より濃厚に日々を生きろ!ということ。 ・・・・・・ 4313, 幸せはいつうもちょっと先にある −3 2013年01月06日(日) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 人間の脳は、過去の失敗に対して無意識に自動的免疫をするように出来て いるようだ。私の事業が、大津波(金融恐慌)で儚く流されても、後悔も、 未練も少ない。万一の手立てをしていたことがあるが、経済的震災に遭遇した 事に、後悔も愚痴も無駄、を知っているからだ。しかし、そこには、心理的 免疫システムが働いていたようだ。 ーその辺りを抜粋してみる * 前向きに過去をみる ー心理的免疫システム ≪ 我々は、過去に手痛い大失敗や、失恋を、「これまでの人生で最良の 出来事か」か、「人生最悪の出来事か」と表現するかと尋ねたら、最悪より 最良を支持する人のほうが多いだろう。逆に、その経験をしてない人に、この 質問をしたら誰一人として失敗や失恋を上げない。失敗や、失恋は過去の出来事 として見るとき、実際よりバラ色にみえる。人間の脳は、それほど酷くない 理由を探し始めるように出来ている。これを心理的免疫システムという。 我々は自分の脳の変化の過程を自覚しないため、見方が変わるなど考えない。 そのため未来の感情の予測が難しくなる。これを知らなかったために将来にも 同じことを繰り返す。ところで人は、行為より不行為を強く後悔するのだろう。 それは心理的免疫システムは、行動しなかったことには働きようがないからだ。 プロポーズして振られても、そこから多くを学ぶことが出来たとしても、何も しないと、学んだり出来ない。心理システムにとって行き過ぎた勇気の方が、 行き過ぎた臆病さより正当化しやすいからだ。それを我々は分かってない。 その時、つまずきながら前に進むべきときに、両面作戦に出てしまう。 ≫ ▼ 天風の積極一貫の信念で何事にも前向きに立ち向かうべきということ。 手痛い失敗も、しない失敗より良い。事業についても同じ。 ‘ああ、面白かった!’ただ、それだけ。 その辺りが、傍で不幸と 決めつけている人との違い。ところで、日本人は幸せなど正面だって使って なかった。明治以降に、ハピネスあたりの当て語として使われた。 それらしき言葉で、「良いめぐりあわせ」といった程度のもの。 幸福とは個人的な心情だが、儒教的考えでは、そういう考え方とあわない。 それに対し欧米人は、個人主義が強いこともあり、臆面なく「幸福」を論じる。 幸せも、妄想でしかないという視点でみると、分かりやすい。 幸せだったと思えば幸せ、不幸だったと思えば不幸である。それなら幸せ だったと思えばよい。所詮、全てが妄想。それでも、幸せと思えない? それこそが貴方のバイアスである。 ・・・・・・ 3938, 閑話小題 2012年01月06日(金) * 車修理 去年の暮れ車庫のブロック塀に車の後部をぶつけてしまった。 経験からみて最悪の場合10万円以上、少なくとも7〜8万はするはず?だが、 あくまで業者が判断すること。そこで三ヶ所の見積もりをとったが、5万4千、 8万5千、20万円と出た。よくぞ、これだけの差が出たものと驚いた。 20万円のところは、「修理不能で、その部分のパネル全体を取り替えないと 無理」というが、他はそんなことを言ってない。当然、5万4千円のところに 決めたが、20万とは、いい加減なもの。そこで思い出したのが以前も 見積もってもらったこと。 高いので他にしたことを思い出した。 高くなる算段で修理を考えるのと、安くなるように算段して何とか注文を 取ろうというでは4倍近くも違うということ。そこはバイパス近くにある 車社会では一等地。高くなるように見積もっても、客は絶えないのだろう。 今回決めたところは川崎のカーコンビニ、高いところは?ネット上では書けない。 家電でも何でも最低、三軒の見積もりは必要である。ところで、年末年始で修理 工場が忙しいということもあり、三週間も、そのままの状態で車を走らせていた ことあり、他の車の傷が気になり見ていたが、本当に少ない。そういえば、 街で車が凹んんだまま走っているのを殆どみかけない。 これまでも、たまに 見かけると振り返る程だった。無傷が当たり前と思っていたが、外国では平均的に 見ても多く見かけられる。考えてみると、その国の豊かさに比例している。 服装と同じ感覚である。 まだ修理待ちでヘコンダ車に乗っているが、 あまり気にならないのは? いや、やはり気になる? * 男はつらいよ 以前も、ここで何度か「男はつらいよ」について書いたことがあった。 年末年始は必ずといってよいほど、48シリーズの幾つかを再放送するが、 今年は全シリーズの放送をしていた。その何本かを見たが、家内が大嫌いで、 私が見るのも嫌がる。しかし何度見ても、その都度、考えさせられる。 (字数制限のためカット 2016年01月06日)
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5409,新年に ー「過去」は過ぎ去らることはない |
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2016年01月05日(火)
*「過去」はわたしを忘れない 〜『貧乏の神様』柳美里著 芥川賞作家の柳美里の『貧乏の神様』の中にあった言葉。 現役時代の「森の生活」の時節は、過去は遠い彼方のように思っていたが、 還暦を過ぎる「サバンナの生活」に移行したころから、以下のように 過去への心象風景がチョイと変わってきた。 〜その一節より ≪ ・・「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、 わたしは、「過去」は決して過ぎ去らない、と思うのです。 自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、 精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去) が露出する―― 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、 過去の落とし穴に足をとられそうになりました。 わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。 過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま 更新されるのです。未来は全て過去にある、という言葉の意味を、 40歳を過ぎて噛み締めています。≫ ▼ <過去を忘れても、過去はわたしを忘れない!> <未来は全て過去にある> の言葉が先の少ない時節の胸に刺さる。 秘・異郷を中心に50回のツアーに行った先のどこかが、TVの旅番組で、 毎日のように現地レポートされる。その度に、それぞれの記憶が露出し、 その体験した記憶に、新たな現地の映像が加わっていく。この随想日記も、 早朝に15年分を読み返していると、過去からの声が、それぞれの同月同日の 「いま、ここ、わたし」の声が、ざわめきのように「いま、ここ、わたし」 に語りかけてくる。 葬式で、故人の決して後味が良いだけでない思い出が、 心の足元を揺らがすことがある。サバンナ(御隠居)の生活では、有り余る 時間の中で、過去の堆積物から思いもよらないフラッシュが沸いて出る。 あの暗い老人は、その暗黒の堆積物の暗部に引き込まれた結果である。 「因果応報」「因縁」というが、隠れている過去は、何かをキッカケに 表立ってくる。それが現在か、近い将来になるかでしかない。 人生とは、過去という荷物を担いで、一歩一歩を独りいく道のりである。 ・・・・・・ 5044,生と死をめぐる断想 ー1 2015年01月05日(月) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 死をそばに感じて生きる 〜団十郎の辞世 ー 色は空 空は色との 時なき世へ ー 以下は、序文の冒頭の内容。日本人の2人に1人の割合でガンになり、 3人に1人の割合で亡くなるという。高齢化で、ガンになるまで、死ななく なった結果、死を意識する時間が長くなったこともある。今では死に関する 知識を、一般の人が、ネットなどから死生観を収集したり、表現できる機会が 増えている。 ー まずは序文の冒頭からー ≪ 2013年2月に亡くなった歌舞伎俳優の市川團十郎の辞世の句だ。 葬儀の場で長男の團十郎のパソコンに残されていたという。 詠まれたのは前年の十二月、亡くなる数ヶ月前である。 色は空(そら)、空は色(いろ)との 時なき世へ、と海老蔵は読んでいた。 この句に接し、『般若心経』の中のあの一節を思い浮かべる方は多いだろう。 色即是空 空即是色。それに寄せて読むならば、冒頭の句は、 色は色(しき)空 空(くう)色(しき) との時なき世へ、となる。 色はかたちあるものと、ひらたくは言われる。空は空っぽ、何もない、という ことか。空しい、ということか。かたちあるものは実は何もない、空しい、と 教えているのか。そうではない。(略)・・ このことは追々深めたい。 時なき世とは。時間のない世。時間を超えた世。超時間性は永遠と言換えられる。 それは、この世に対するあの世なのか。この「時なき世」が團十郎の句では 「色は空空は色」と「との」でつながる。「との」は、と言われる、とか、と 聞いている、の意だ。色即是空、空即是色とかねてより聞いている時なき世。 「へ」は方向を示す助詞である。色即是空、空即是色とかねてより聞いている ところの 時なき世へ、自分はこれから行くのである。團十郎の死生観を 表す句と言える。(略)・・ 團十郎が、死を前に遺した五七五が、芸についての 教えでなく死生観の表出だったのは、私には少し意外、けれどもすぐに理解できた。 團汁郎は長く血液のがんを患っている。治療の副作用による絶え間ないめまいと 吐き気を無間地獄と、あるインタビューでは曝えていた。何度も再発入院し、 骨髄移植をしていた。・・・≫ ▼ 色を「しき」と「いろ」、空を「くう」と「そら」と、息子が間違えて 言ってしまった可能性もあるが、真偽はわからない。栄華を極めたあと、 とたんの苦しみの死際の言葉であればこそ、心に響く。 即興の辞世! 《 色即是空 死んでしまえば それまでよ 空即是色 》 ・・・・・・ 4679, スマート革命 ー2 2014年01月05日(日) * スマート革命とは? 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。 これは「スマート革命」を象徴したもので、ジョブスは、まずは企業向けの 大型コンピューターを個人・家庭用の宅上型に作り変えたパソコンをiMac として世に出した。次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、 iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTVを世に 出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始めしばらく経つが、 今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。その書籍も紙に印字する 形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。 私の命名だが、これスマートショップ。この動きは、スマート自動車、 スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが 劇的に普及している。携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式 のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」。テレビ操作、パソコン入力も、 電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも会話式 アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。 ーアマゾンの読者レビューからー 《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を 使い分けるようになると予測。 それに合わせて1)新しいイノベーション の形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。 まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース 従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力で パソコンと会話」していた。しかしスマート革命時代には機器と生活者の インターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。 米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、 ユーザーインターフェースのあり方を「ソーシャルロボット」と呼びました。》
・・・・・・ 4312, 幸せはいつうもちょっと先にある −2 2013年01月05日(土) 「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著 幸せの意味についての切り口が、分かりやすい。ーまずは、その箇所から * 3つの幸せ ≪「幸せ」という言葉には少なくとも3つの関連することがらを表すのに 使われる。「感情の幸せ」「道徳の幸せ」「判断の幸せ」である。 ○ 感情の幸せとは、気持ち、経験、主観的な心理状態の表現であり、 物理的の具体的何かを指すものでない。幸せはこの時代に生きる人が 暗黙的了解で通じる気持といえる。 ○ 道徳の幸せとは、「○○だから幸せだ」になる。感情の幸せなら、 排便への幸せに少し似ていると考える人が多い。それは低俗で安っぽい、 意義ある人生の基盤になりえない空虚な牛の充足状態でしかない。 哲学者のミルがいう「満足した豚であるより不満足の人間のほうが良い。 満足した愚か者より、不満足のソクラテスである方が良い。もし、愚か者や 豚がこれに異を唱えても、このことを自分たちの側しか知らないからだ。」 哲学者のロバート・ノージックは、この安っぽい感情の幸せの信念が間違い と、架空の仮想現実装置を使って説明した。「この装置があれば、誰もが 思い通りの経験ができるし、自分が都合よく装置につながっていることを 忘れることができる。彼は、以後の人生につながって生きていていいと思う 人間は誰もいないと結論づけた。こんな装置で得た感情はちっとも幸せで ないからだ。ようするに豚ならいざ知らず、洗練された有能な生き物には 相応しくない目標ということ。 ○ 判断の幸せとは、「○○について幸せだ」である。我々はものごとに ついての価値判断について幸せという言葉を使う。妻がタヒチに半年の 赴任で、自分が子供達の面倒を見るとき、「自分は幸せでないけど、 君が幸せなら僕も幸せだよ」という場合である。ここには、自分は幸せで ないけど、妻が幸せなら、仕方がないという判断が入っている。≫ ▼ この3つの幸せが、混同してしまうから問題が生じる。ただヒタスラ 仕事に打ち込み、別荘をたて、そこで茶道具を買い集め、茶会を開き 楽しんでも、最期に何か物足りない感情が残ったという類の話は、日常見渡せば 幾らでもある。この3つが混同している典型的事例である。感情の幸せを 追うあまり、太った豚が、その辺の豚たちいへの面子で、本来の質素倹約を 忘れ、何処か判断を間違ってしまった?のでは?いう後悔の念が纏わりつく。 しかし感情、道徳、判断の幸せを分けて道楽をしていれば後悔はないはず。 フランクルの、「良く遊び、良く学び、良く働く」の3つを、特に「良く」 を意識して、バランスよく追求すれば、空虚な気持ちはないはず。 「つねに面白いこと、ためになることを思っていれば、それで幸せになれる」 ということか。 ・・・・・・ 3937, 閑話小題 2012年01月05日(木) * 年末年始 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月 になるが気持ちは何も変りない。ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に 反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。 まだ事業を 続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 事業から一歩退いてみると、この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。 TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。正月で特別なことと言えば、 蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。 * 元旦の殿町で 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、 合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。次男夫婦は地元の同級生と 二次会とかで別行動。今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が 元旦でも営業をしているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。 その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、 危なそうな客。一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、 ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩を して飛び出してきたという。暫くして「マスター、一軒回ってまた来るね!」と 出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」 と言ってしまった。ところが、「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。 御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、 慣れたもので「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。 そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。 長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。ようは、呼吸。 押しても引いてもダメで、「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか 言っていれば良い。危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。 で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、 「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。初めての店で、 「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、 飲み逃げの手助けをしたことになる。 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。 それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。 ・・・・・・・ 3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか? 2011年01月05日(水) 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。 また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も 弱者肯定の見本のようなもの。ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス 思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、 ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。 楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が人間にはあるようだ。 それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、 野獣に襲われ食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さない ように、その記憶を長く残した。逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに 忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。 その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪い ことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。 だいたい、良いこと悪いことが同量 が起こっていると考えればよい。しかし良いことを思い出す訓練をしていると、 どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と 勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、自然、その方に自分から 擦り寄っていく。例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアー の経験は、週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを 放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、再び訪ねている 感覚で見ることができる。自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくる。 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似した TVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。その繰り返しの中から怒り、 憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。 だから、嫌なことは、意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。言葉を持ってしまった 人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。 これが、マイナス思考を更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身を つくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。 ・・・・・・・・ 3197,つれづれに ー 閑話小題 2010年01月05日(火) * 人生味わえば、8割は良いことになる 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性 が語った言葉が良い。「人生、生きてきて、良いこと2割。辛いこと8割だった。 しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」が、印象 に残った。「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。 その話し相手に行っていたが、彼らが終戦の一月前に出撃していった。 彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。そのお陰で、 疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、 味わえば、良いことが8割に変わる!」と、しみじみと語っていた。 そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが! * 面白いものである! 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。書いていると自己嫌悪に 陥るのである。自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマが なくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、どうもこうも、 ならなくなる。お手上げである。しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。 その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚 である。だから続けることができる。これは人生と同じじゃないか? そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じ。 その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。 その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 * 婚活ブームの後は、離活ブームだと! 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞 の社会面トップで取上げていた。20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所 にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、 呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な 気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。以前なら親が説得する程度のことを、 親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、 分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、 連れ添ったものなら分かっているはず。 後記)去年に、偶然に同じような テーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。 ―― 2832, 1秒でも早く・結婚したい女たち -2 2009年01月05日(月) ー前回に続いての、まとめである。 ・雇用機会均等法の中で育った40歳前後のアラフォー世代の女性たちは、 キャリア志向が強く「仕事をする女はカッコイイーッ!」という価値観。 彼女たちが20代のときは「結婚して家庭に入るよりも仕事に生きたい」 と願い考える女性が多かった。その結果で晩婚化していった。 その盛りが過ぎたキャリアウーマンが、40歳に近づいて焦り始めている ケースを取り上げていた。 ・しかし、その下の若い世代(20代)になると、女の幸せを考えたとき 「仕事で輝いたとしてそれが何ぼのもの?」「それが本当にカッコイイーッ のか?幸せなのか?」と考えるようになり、結婚も仕事もこなす女性の方が カッコイイーッという価値観が生まれてくる。 妻となり母となり、 キャリアウーマンをこなす「キャリア・マザー」がカッコイイーッと捉える 女性が多くなっている。 全体として結婚して人生のパートナーをつかみ、 仕事もバリバリこなすライフスタイルの賛同者が多かった。 ・その女性の反面、男子たちは女性化している。 かつてクリスマスの夜の 予約に執念を燃やしていた男達は少なくなっている。肉食系動物より草食系 動物系に男が変化しているという。 別に結婚に執着しない男が増えている。 「現在の20歳の女性4人に1人が一生結婚が出来なくなる」というデーターも。 女性週刊誌は、いかに男を見つけ口説き落とすかの特集が多いという。 一時代前の男の週刊誌と同じになってきた。何か気持ちが悪くなってきた。 36年間、結婚生活を過ごしてきて結婚生活は、そう甘いものではないと実感。 慣れるに10年、諦めるに10年はかかる。そのあと10年かけて同じ方向を見る ようになる。そして最後は「同居の貴女」になっていく。それでも結婚 しないよりは良い。人生の半分(いや、三分の二)は、結婚相手によって 良くも悪くも決まってくる。私生活の大部分を一緒に過ごすのだから当然。 選り好みをしていたらチャンスを逸するし、焦れば「化け猫」を掴んで しまう可能性がある。どう見ても「化け猫と、ボケ犬」の組み合わせと しか思えないカップルが多い。もしかして結婚とは、こんなものかも。 (字数制限のため、カット 2016年01月05日)
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5408,2016年 新年に ー③ 日本衰退は1985年から始まった ーB |
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2016年01月04日(月)
『グローバリズムという病』平川克美著 * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーB バブル崩壊は、第二次大戦以来の敗戦であり、以来、衰退が続いたまま。 アメリカのいうがまま、バブルを引起し、その結果のバブル崩壊である。 欧米系の金融機関は、これをチャンスに、株式などで大儲けをした。 経済支配下にある属国の手を捻っただけだが、日本にとって塗炭の 苦しみが待っていた。 ≪ アメリカ側は日本企業の競争力の原泉である、日本の銀行の融資力を殺ぎ, つぎに日本の産業全般に行きわたっている構造、とりわけ関税障壁をターゲット にした構造改革を日本側に迫った。「貿易の不均衡をなくし、日本が経済発展 するため」という表向きの形容とは違って、このときのアメリカにとっては 日本の産業力はまさに「死活的脅威」であり、この脅威を取り除くための 「経済戦争」を仕掛けようとしていた。 ルール変更であった。 日本は当時空前のバブルに沸いていた。銀行もまた多額の不動産を抱え込んで おり、それを資産計上していた。それゆえに前記の世界の銀行ベストテンに 六行も入るという状況がうまれていたわけである。 1988年、スイスのバーゼルにおいて、銀行の健全化に向けての国際基準が 策定されてた。それがBIS規制である。国際業務を行うためには、8%を超える 自己資本比率が必要であるということが定められた。 表向きは、金融システムの健全化ということであった。 1991年2月には、日本のバブルが崩壊する。そうなると、含み資産を自己資本 に計上していた日本の銀行は、時価会計の適用によって自己資本率を一気に 悪化させる。 日本の銀行が採りうる措置は二つしかない。 ひとつは、総資産を減ずること。 ひとつは、複数の銀行を合併・統合させることで自己資本比率を上げること。 実際に何が起きたのか。それを時系列に眺めてみよう。 盤石だった日本の銀行は、BIS規制と、それに続く金融ビッグバンによって合併 統合・倒産を繰り返し、さらには株式を持ち合っていた生保会社の大型倒産が 続いた。銀行、保険会社、政府が三位一体となって落伍者を出さない日本の金融 システム、つまり護送船団方式は、このとき完全に分断され、崩壊していった。 普通は、こんなことは起こらない。ましてや短期間のうちに、これほどの規模 で銀行システムが変容するなんていうことが、市場の原理だけで起きることは ありえない。 一九九六年四月、三菱銀行と東京銀行が合併 一九九九年四月、国民銀行破綻 六月、東京相和銀行破綻 八月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が、事業統合を発表 八月、なみはや銀行破綻 一〇月、新潟中央銀行破綻、 一〇月、住友銀行とさくら銀行が合併を発表 ≫ ーー ▼ 1991年のバブル崩壊より7〜8年後に証券会社の倒産、大手銀行の倒産、 大統合になった。とすると、リーマンショックを大地震に例えると、今年辺りが 津波が到達する時節になる。それが、世界株式市場の暴落として日本か、欧州、 中国発になるのか、津波と違い予測不能。私は、その二年半後に、自然災害の 東北大地震と共に沈んでしまった。ISのテロをカタチを変えた格差間の戦争と すると、既に始まってしまった? 戦争は、超保守で体制を固めないと、国の 維持が難しいためか、怪しげな風が先進国に吹き出してきた。
・・・・・・ 5043,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー6 2015年01月04日(日) 『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著) * 捕食されてきた人間 人間は肉食や草食もする雑食だが、猛獣の餌として捕食されてきた。 そこには食うか食われるかの長年かけた弱肉強食の熾烈な闘いがあり、 仲間同士の知恵を駆使をして生抜くしかなかった。当然、人間どうしの肉食 もあった。ボルネオや、南米など未開の地では、ごく最近まであった習慣。 人は狩猟をするか、されるかの瀬戸際で、集団で知恵を身につけ、言葉と 道具を身につけ、生き延びてきた。 ーその辺りから抜粋ーエェー(◎-ω-)♪~ ≪ 有史以前、ヒトはみな食人をしていたというのもショックだが、同時に、 ヒトはヒトならぬ肉食獣にエサとして食われてきたという話もショックだ。 しかし、ドナ・ハート・ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』 は、ヒトは捕食される動物であったから、かくのごとく進化することができた。 「かくのごとく」というのは、ヒトが二足歩行で大きな脳を持ち、ことばを 使うことで複雑な内容を持つ情報伝達ができるようになったこと。 集団で社会生活を営むようになり、単体ではできない大きなプロジェクトを 力を合わせてやりとげるようになったということ、つまりヒトが文明を作る ことができた唯一の動物になったという意味である。 ヒトは肉体的には あまりにもひ弱な存在であった。捕食者の恐怖から逃れようとするなら、 そのような生き方(社会を作り文明集団として生きる)を選択せざるをえなかった ということなのだ。かつて、人類進化はヒトが狩りをすることを覚えたところ からはじまったとする、「マン・ザ・ハンター」説が一世を風靡した。 しかし、自然人類学者の著者は、その説は客観的証拠にてらして誤りだという。 多数の原始時代の人骨を調べていくと、原始人たちが野獣に噛み殺され、 食われていたということがはっきりわかる。噛み砕かれた頭蓋に残る歯型と、 野獣の牙がピッタリ一致するのだ。ヒトがどれほど捕食されてきたか、 疑う余地のない証拠が次から次に出てくる。・・・≫ (。・´ω`・。)オォ怖〜 ▼ 私たちが爬虫類や、蛇などに直感的嫌悪感を持つのは、原始的記憶が脳に インプットされているため。根強い悲観的傾向があるのは、捕食されてきた 生存危機の記憶がなせる業。だから、人間には本能に悲観的傾向がある。 しかし、悲観主義は、人間自身の行動範囲を狭める要素になる。それを カバーするのが知識と能力で、悲観1に対し、3倍の楽観主義が必要となる。 ・・・・・・ 4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1 2013年01月04日(金) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の 時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた期待が妄想でしかなかった とかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 人間にとって想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから一歩も出ることが 出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。 ≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデン ゲートを思い出したり、宇宙ステーションを想像したりするのは、そのどれを 建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、 この三つの中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で 経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で経験することだが、 「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという 姿で経験することに他ならない。人間の脳の最大の業績は、現実の領域には 存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、 われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、 人聞の脳は‘先読みする装置’で‘未来を作る’ことがもっとも重要な仕事だ。 ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると 言える場合が少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、 もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジーの脳も、 餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を 予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)と過去の出来事(「前にこの においがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、 つぎに起こる可能性がもっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに 食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは 人間だけの特有の予測。前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。 それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。 ≫ ▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを 考えるのが好き。旅行を例にすると、行き先を探し、決め、決まったら、 その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、 それも旅行の楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。 その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。そして嫌のことは 帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、 間違った予測が多いのは、経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、 相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか? ・・・・・ 3936, 新年にあたり ー3 2012年01月04日(水) * 御先祖・四四太郎様の警告 最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。 聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。 御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、 ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。それを分かっていたと思って いたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと 決めたとき、何を思った? 事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、 全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、 自分の世界を大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、 30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も微温湯に 浸かっていた当然の報いじゃ。とはいえ、これも事業人生の一場面。 調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・ ワシも御前によって、 400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きて いるのを知り吃驚じゃ。それにしても面白い時代じゃないか。現時点をみると、 ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。 戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。 しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。 現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、 これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。その中にあって日本は 刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘い ことを忠告する。地勢的にみて、そのメリットを受けたのが戦後の経済成長 であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し 現在に至っている。そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全て アメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。 それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。いいか、お主自身、現状に 危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。 ならどうするかを、ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。 大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。 そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを 言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、ワシの今の言葉が 身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。 どう身を処するか、より考えろ! お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と 思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。 悲観とか楽観とかいう問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて 迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。 ・・・・・・・・・ 3571, ダイヤモンドは 何故美しい? 2011年01月04日(火) ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の 超新星爆発で出来たものとされている。この太陽系は、宇宙がビッグバンで 出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない 高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、ダイヤモンドができるという。 だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー 《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近 知り、世界観が少し変わるほど驚いた。テッキリ地球上の物質は地球上で 出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた 物質が衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、 当時の物質が地球上にあって不思議ではない。超新星爆発という「恒星の死」 の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質が ダイヤモンド、といえば見方も変わってくる。地球生成以前から、ダイヤモンド は宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、他の物質を 加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、 物質に対する見方も変えなくては。この歳になって、知らないことだらけ。 いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし 知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。人間が持つ、 それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年。それに対し、ダイヤモンドは 50億以上の宇宙の旅をしてきた。その「私」など、それに比べると宇宙の チリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を 知ることである。人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。 ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。 石か〜 森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、 これが人間の理想的な生活というが・・・。 ・・・・・・・・ 3196, 100年前の世界一周 2010年01月04日(月) 「100年前の世界一周〜ある青年の撮った日本と世界」ワルデマール著 =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に 出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを 1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。) とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、 すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した 社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 *ベグ,ワルデマール=【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。 大学で法律を学び、卒業後公務員となる。ナチズムに反感を抱いており、第二次 世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。1961年没】。 〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集 といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。2009年11月30日発刊とある から、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。 写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。 写真も、 その記録も本書で初めて出版になった本という。アベクの趣味が写真撮影のため シャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山 などを撮っている。公務員として33歳になった時、研修旅行の名目で休暇を取る。 17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから流行した青春の締めくくり の旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。 現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの 英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。1905年4月、青春時代から 親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちと ともに大西洋を渡り、ニューヨークに上陸。当時の米国は経済・産業が発展 を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、地下鉄の 高架路線が走る。半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから日本に到着。 ニューヨークで知り合ったガイドのナカノの案内で旅を始めた。 撮影した 銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮から インド、エジプトを経て故郷に帰った。カラー写真が半分を占め、当時の写真 としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 ・・・・・・・・ 2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1 2009年01月04日(日) 一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2 “1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。 ーまずはHPの番組説明からー ◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、 女性たちの結婚観を探る。自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法など ライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、結婚相談所主催の見合いパーティー、 20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。さらに20代 女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかに 形成されてきたかを解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生 たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。 *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・ ・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K) 高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。 (字数制限のためカット 11年1月4日)
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2016年01月03日(日)
* 日本衰退のすべては1985年から始まった ーA 昨日、とりあげた「すべては1979年から始まった」を、日本経済の20数年 にわたる長期凋落は、プラザ合意によるバブルと、崩壊の上に、BIS基準 の策定があった。それはアメリカの戦略的経済政策の結果であることは周知 の事実。『グローバリズムという病』に、その辺りを簡明に述べている。 「すべては1979年から始まった」を世界規模の視点なら、日本の視点と すると、「日本衰退のすべては1985年から始まった」ことになる。 バブルと、バブル崩壊はアメリカが仕組んだ経済戦争の結果であった。 〜その辺りから〜 ≪ 東西の争いの敵がソ連と中国なら、西の内側の脅威が日本と、 1981年に就任したレーガンが、戦略として打ちたてた。 1985年9月22日、G5(先進五か国蔵相・中央銀行総裁会議)がニューヨーク市 のプラザホテルで行われた。日本からこの会議に出席したのは竹下登(当時) 大蔵大臣だった。この会議により、それまで1ドル235円程度であった円ドル 為替レートは、一年後にはドル150円台にまで円高に誘導される結果になった。 ロナルド・レーガンは、それまでの民主党の政策を転換し、市場原理と民間 活力の重視、社会保障費と軍事費の拡大、減税という企業寄りの政策を打ち出し、 経済拡大戦略をとった。いわゆるレーガノミクスで、小さな政府、市場原理 主義・軍事的大国主義である。この結果、アメリカ経済は拡大し、アメリカ企業 は大いに潤ったが、貿易赤字と財政赤字の増大という双子の赤字がアメリカ 経済に重くのしかかっていった。この双子の赤字の一方である貿易赤字を解消 するためにアメリカへの最大の輸出国である日本が標的とされたのである。 そのひとつが戦略上のプラザ合意である。プラザム合意は、ドルの安定が 名目ではあったが、直接的には日本の経済力という脅威を取り除くための戦略的 な目的に沿って行われたわけである。しかし、トヨタをはじめとする日本企業は 驚異的な改善努力によって競争力を維持し続け、アメリカの貿易赤字は解消 には向かわなかった。・・ 〜つづく ≫ ▼ 改めて考えると、アメリカの植民地の締め付けになる、TPPは、上記の 流れに沿う経済戦略の一環になる。とはいえ、軍事的に、経済的に、従うしか ないのが日本の地政学的な運命である。東京オリンピックも、アメリカの 後押しがあればこそ、TPPの条約を推し進めるための、国民への目くらまし に丁度よいイベントである。なに故、この状況下で、オリンピック? というより、その後である。韓国か、中国の生活レベルになるだけだが。 としても、せめて心はポジティブであらねば! ・・・・・・ 5042,ポジティブ・サイコロジー ー⑧ 2015年01月03日(土) 『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著) * つれづれに ー危機に瀕したときこそ最高の状態が湧出る ・ 節目時(危機)の―危機を乗越えようとした時ーこそ「人生で何が本当に 大切なのか」という新たな認識と、これに従って行動する心構えが形成される。 その真っ暗闇の時が一番、良いときであった。最も辛く、苦悩の底にこそ、 ベストの何かが湧き出てくる。 母親が嫁いできた頃、重なる小姑の虐めに 耐え切れず、実家に帰った時のこと、実母に「一番辛いとき(いま現在) が、実は人生の一番良いときなのよ!」と諭された、と聞いていたが、人生を 振返ってみて、成るほどと実感する。凝視をすると、最も辛い中に、最も楽しい ことが、裏腹に張り付いていた。その辛さの中から、心構えのベースの変換が 進んでいた。反対に、一番面白く脂の乗っていた時に、重い状況、苦しいこと、 辛いことが背景にあった。勢いが、それを感じさせなかっただけ。 幸・不幸は裏腹!だから、面白いのである。 ・「必要なものはルックスとたくさんのお金だけ」という信念に、私たちは 深く取り込まれている? たしかに文化は良い人生の条件について熟知して いるのだろうが。その高低だけで決まるものでない。人生でネガティブな 出来事に出あい、それに順応する期間を経た後にこそ、人生の満足度が安定 することが多い。何ごとも、ポジティブ3に、ネガティブ1が必要である。 ポジティブな人が否定する唯一のものは絶望だが、一度、絶望まで陥った にもかかわらず、そこから立直ったポジティブこそ光輝く。ネガティブな世 にかかわらず、ポジティブに生きる!それも、危機に瀕すれば瀕した時こそ、 『それゆえに・・』でなく『にもかかわらず』、のベースが必要になる・・ ・・・・・・ 4675, 閑話小題 ー何だろう?この現象は ー2 2014年01月03日(金) * では、なぜ事故や大病になるのだろうか? ー私も、あなたも自業自得! 痛々しい包帯だったが「私も手伝うから」とタイヤも交換しながら本人確認。 80過ぎの好々爺の黄門様の勧善懲悪レベル! にぎやかな見送りを受けたの 飛行機で、心の内で静かに激怒をした結果「直ぐに病気か事故になる-人-;)! それまでのこと」と怒りを収めた。そして「復讐するは我(自然・神)にあり」 の骨折。除雪作業中の骨折直後に、私の自転車がパンクの修理で骨折の確認とは、 奇妙な偶然の巡り合わせ。で、その半年以上も経った現在になって、これは
シンクロ二シティ?「私の静かに充満した怒りは、対象者を重症の病気か、 交通事故、転倒事故で一生モノの深手になっている?」ことに気づいた。 そこで、次の筋書き『まずは骨折だったが、80過ぎの年齢から、あと 2〜3年で Ωチーンi~ 気の毒?だが・・』が思い立つ。こういう視点でみると、 この節目だけでも、あるある!更に40〜50年スパンでみた人生の節目なら 数知れず。逆の立場で「私も静かな怒りの対象になって、色いろ危ない目に あっている。が、自分では気づかなった?」とすると、これも山ほどある? 「この奇妙な現象は、その解釈、受けとめ方の一つでしかない!」が正論。 「静かな怒りで、対象を破壊する力?は、私だけでなく、エネルギーの特に 強い何割かに備わっていて、破壊された私が、ここにいる」という事にもなる。 『他人を恨めば穴二つ』この呪文を解くには周囲への感謝の念しかない? この偶然はシンクロニシティの「節目の怒りバージョン」か? 願ってなるのでなく、本人の因果応報。アフリカの市場で、呪いグッズだけの 市場があった。町が沈んでいくと、こうなるのか。仕事として自主独立の事業が 通せたのが私の人生の最大の幸運。こういう人たちと距離が置けたからである。 「当人が怒っているのは、本人自身の毒!それに、私の何かが反応した!」が、 私の解釈。私への毒が少ない?のは、それを経験と知識で最小にしているため? シンクロニシティに関する知識のない人は、それに遭遇しても自覚できない。 オカルトめいているが、自転車屋の主は発病か事故で +_@)!の時期が早まると 思えば怒りが消える。 人生の節目で、思い当たる人が10数人はいる。 3年前の節目からして・・ 40年以上も事業をすれば、トラブルや怒りが 山ほどあって当然。 その対象の人たちの不幸な事故や病を因果付ければ、 こんな筋書が幾らで出来る。対象者の共通点が幾つかあるが書くのは止めた! 万人が持っている? この現象は、以前から気づいていたが、同じようなことを聞いて、「偶然を、 自分勝手の思い込み、解釈じゃないか!」と感じ取り、その思いを打ち消した。 で、今回の節目の様々な現象。来年にかけ、私の目で危ない人が4〜5名いる! といえば、どうだろう? しかし、これまでの現象を凝視すると、それも当人の 自業自得。それを都合の良い解釈、物語にしているに過ぎない? 数ヶ月前に リメイク版の『キャリー』という映画をみた。苛め抜かれた少女が『超能力』 で、苛めた人たちを根こそぎ破壊する物語。 さて、この物語は、どうなる? それが、そのまま私自身へ向かう可能性もある。前回のオチ「こういう話題が 山ほどある私は何? ハ?σ・Д・)お前バカ?」がやはり結論! で、どうした? 正月から毒を吐き散らしただけ ⌒ ⌒) ぺこ<(_ _)>m(-_-)m コノトオリ それにしても我ながら酷い思い込み、内容である! ・・・・・・⌒ ⌒) 4310, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー14 2013年01月03日(木) * 正露丸はロシア征伐の征露から由来している ≪ 出征兵たちが水を飲んで赤痢や下痢を起こすのを防ぐために、陸軍省が 開発した薬が正露丸だったのである。戦争中は、陸海軍の御用薬として、 欠かせない薬となった。薬の名前も日露戦争当時らしく、ロシアを征伐する という意味で「征露丸」と名づけられた。ラッパのマークも進軍ラッパを イメージしたもので、まさに戦争色を前面に押し出した薬だった。 その効き目がよかったのか、征露丸は庶民のあいだにも広まった。 ただし第二次大戦後、ロシア征伐をもとにした名前は都合が悪いということ になり、「征」の字を「正」に改めた「正露丸」となって、現在に至っている。 開発から約一世紀たった現在、正露丸の勢いはとどまるところを知らず、 モンゴル、中国などのアジア地域を中心に11の国と地域に進出している。 それでも今のところ、ロシアには進出の予定はないようだ。 ≫ △ 日露戦争の余韻が下痢止薬の名前で残っているのが面白い。仁丹の名前の 由来も面白い。これは孔子の論語の中で最高の徳=仁の心を忘れないという ところから「仁」に想到し、丸薬を 意味する「丹」とを組み合わせた造語の 「仁丹」を合わせ商品名と社名にした。これも正露丸と同じ頃のもの。 * サラリーマンのサラリーは、塩のこと ≪ サラリーマンは、和製英語だが、そのサラリーの意味は、塩から由来。 古代ローマ時代の兵隊の支払いに塩が使われており、それが貨幣代わりに 流通していた。ラテン語で「サラリウム」がサラリーになり、交換手段として、 和製英語として、サラリーをもらう人という意味でサラリーマンになった。≫ △ オーストリアに、モーツァルトの生まれた町ザウスブルグがある。 これも、塩(サウス)の取引が行われた場所として、その名がつけられたと、 当地で聞いたことがある。日本では江戸時代に、米が貨幣として配られていた・・ ・・・・・・ 3935, 驚きの脳力に呆然 2012年01月03日(火) * 天才学生、二人の対決 年末に見た「日本1の頭脳王!大決定戦!」日本一の頭脳は誰だ? にショック。 東大医学部の天才、京大医学部の神童、高校生クイズ最強王、8ヶ国語の達人、 数学五輪金メダル、東大法学部トップ弁護士、全国模試1位、などが参戦して 超難問に挑戦! 最後は東大医学部の天才と、京大医学部の神童の対決となり、 最後の一問で東大医学部の亀谷航平が勝利を収めた。 亀谷は、一度見たイメージは、そのまま脳にコピーされるとか。 やはり天性 というのがあるようだ。私のような凡人が見ていて、彼らの脳力は想像を絶する。 と同時に、凡人にiPadを自由自在に使えるようにして対抗させたら、 ある程度までは対抗出来るのでは?と思いながら見ていた。それから考えると パソコンとネットを自在に使えるか、否かでは雲泥の差が生じるということ。 ーネット上にあった問題を幾つかコピーしてみるー ◎ 共和党出身の歴代アメリカ大統領を5人書く ◎ 1822年9月7日に当時、ポルトガル皇太子であったその他一般人が 「独立か、死か」と叫び、ブラジルの独立を宣言した事を起こった地名から 「何の叫び」という?というクイズが出題。 正解は「イピランガの叫び」。 ◎ 穴の直径は通る砂の6倍以上ある砂時計の中央にあるくびれた部分を何という 正解は「オリフィス」。 ◎ イギリスの植民地戦争やその他を批判した為、1号で発禁処分となったその他 一般人が発行したアメリカ最古の新聞は?正解「パブリック・オカレンセズ」。 ◎ 枕草子に出てくる「はづかしき人」を現代語に訳するクイズが出題。 正解は「立派な人」。 ◎ 複利で金利2%の銀行預金に100万円を預けて200万円以上になって帰って くるに最低何年かかる。正解は「36年」 ◎ 逆立ちすると1.5倍に増える物は何でしょう? 正解 6 ◎ 東京ドームと同じ大きさのダイヤモンドは何円の価値でしょう? ●条件・東京ドームの体積=124万㎥・1カラットのダイヤモンドの値段=50万円 ・ダイヤモンドの密度=3.5g/㎤ ※値段は重さに比例するものと仮定 ※答えは有効数字4桁 正解 1.085×10の19乗円(1085京円) ◎ 次の漢字の読みを答えなさい 「萵苣」 正解 ちしゃ 亀谷○ ※廣海は「らっきょう」と誤答 ーネットで二人の概略を調べてみた。 ▼ 東大医学部・亀谷航平 = 子供の頃から、教師もあきれる程の天才ぶり を発揮。学力のみならず、その知識量はスポーツから漢字まで、まさに桁外。 日本最高偏差値を誇る、東大医学部の中でも群を抜く!ドクターブレイン 亀谷が初代頭脳王の座を狙う! ▼「京大医学部・廣海渉」= 幼い頃から神童と呼ばれ、余裕で京大医学部 に合格した異色の天才。その知識量は文学から歴史まで、まさに無限大。 全知全能の考察力は、他の追随を許さない。奇跡のIQ戦士、廣海が強豪 たちを驚異の頭脳でねじ伏せる!ー この問題をスタジオのTVカメラの前で、 一瞬で答えるのだから驚き。私たちの知らない世界があるのだろう。 ・・・・・・・ 3570, チョットした小話 ー2 2011年01月03日(月) ー 初笑いー * 臨月に入った、ある奥さんが電車に乗った時の出来事。上品な紳士に席を 譲られ、お礼を言って座りました。その紳士が下車する一瞬、紳士の着るスーツ の襟に付いた、見覚えのある社章に気付きました。「主人と同じ会社だ」。 帰宅したご主人に事の顛末を話しました。奥さんから聞いた背格好から推定し 調べた結果、顔見知りの、別の課の課長さんである事が判りました。 課長さんは「ああ、君の奥さんだったのか。こんな事もあるんだねぇ」と言い、 この偶然について驚いていたそうです。3ヶ月後。課長さんの自宅に、奥さん の名前で一通のハガキが届きました。赤ちゃんの写真が印刷され、その横には こう書き添えられていました。「その節は、ありがとうございました。 この子は、あの時の子供です」その日、課長の家は、大変な修羅場と化した。 * 小さな島国の小さな人間がだ。 10年で国を根こそぎひっくり返し、20年で 中国と戦争し、40年でロシアと戦争し、80年で太平洋全域で戦争し、コテンパン にのされたのに世界二位の経済国になり、アメリカの横面を札束でひっぱたき そうになった。 そんな国が平和を唱えたとして、信じるバカがどこにいる。 * るるちゃんはいつも、ママとおふろに入っています。ある日の夜、るるちゃん がテレビを見ていると、おふろあがりのパパが素っ裸で出てきました。 全裸のパパを真正面から見たるるちゃんは、驚いて声をあげました。 「ねえママ!!パパのあれ、なあに?まんなかについてる、ほら、あれ!」 「るるちゃんたら。指差したりしないの。 あれは大事なものなのよ。 もしあれがなかったら、るるちゃんは今、ここにいないのよ」「へえ。 そうなんだぁ」「・・・まあその前に、ママもここにはいないでしょうけどね」 ・・・・・・・・ 3195, 三が日、つれづれに 2010年01月03日(日) 今年も明けた。久々に雪は積もり、風が吹き荒れる冬らしい正月である。 腰痛も今のところ治まっているし、少し鼻風邪気味以外は体調は良い。 そろそろTVや新聞で、今年の予測が始るが、金融恐慌からくる世界不況は 収まる気配はない。恐慌とはいえ、戦後からの60余年のインフラ整備がある ので、一見穏やかに見えるが、普段の生活に不況感と、周辺環境から聞こえて くる話しは厳しいものが多い。これまでは、2対6対2の割で、裕福、普通、 余裕なし層というイメージが、1対4対5の割りになってきた。更にいうと 平均年収の半分以下(日本では200万円以下)の層が6人に1人の割りであり、 母子家庭の過半数が、その層になっている。最近の貧しさの背景は、グローバル 化と、情報化、ハイテク化がある。経験でしか得られなかった個々人の能力の 大部分が、ハイテク器械とか、システム化で単純労働に置き換えられた。 更に海外から安いものや人が入ってきており、グローバル化による労働賃金や 物価の平準化は抑えようもない。問題の先送りも、いつか数倍になり返る。 21世紀は決してばら色ではない。しかし、情報は誰にでも劇的に安く手に 入る時代でもあり、チャンスも無限に広がる。 我われは、生涯を全うする ために生きる。その大きな位置を占めるのが「知ること」である。 その意味で、人類にとって非常に良いインフラが劇的に整備される時代である。 携帯でミニブログ「ツイッター」を瞬時書き込み、その場で発信できるように なってきた。先日、地震があった時に、ツイッターに「地震」と入れたら、 「今、地震の揺れで目がサメタ。まだゆれている」という生々しい書き込みが、 次から次へと出ていた。ツイッターにビデオを貼り付けるソフトもあるから、 キーワードを入れると、いつでも現場の臨場感のある情報が行きかうことになる。 鳩山首相も、今年からツイッターを公開するとか。 去年のオバマも選挙で ツイッターを、最大限使って勝利した。時代は厳しさを増しているが、 無制限に近い状態で情報が入手可能である。 想像を遥かに超えた時代を、 我われは経験を始めた。 誰も、数年先のことは想像すらつかない。
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2016年01月02日(土)
* 新年に 〜「新潟県活性」について 去年の二日のテーマの内容を、改めて読み返してみて、 この実行は、今さら遅かった、「20年、30年前に、こうすべきだった!」 という「べき論」で、今さらの内容。乗換えの在来線を延長すら出来ない 政治家と住民に、現在進行中の新潟駅再開発の延長としての新幹線の 延長など出来ようはずがない。計画案作成で下りたのが、正解である。 せめて、廃線になった貨物線路跡に、モノレールをつけるべきだった、 これも「べき論」でしかない。「せっかくの新幹線も、宝の持ち腐れ」。 江戸時代の「天領」だった地勢上の有利さに市民が気づいていなかった。 それにしても、踊らされても、面白い経験だった。
多分にもれず、家族の新年会が元旦の行事になっている。 二人ともアラフォーで、わが身の高齢を実感する。そう遠くない先に、 私が欠け、そしてと・・と、家族が、消滅していき、中心が新しい 家族に移動していく。現在、グローバル化で、「国民経済」が、破壊され つつある。家族制度も、戦後、長子相続から、権利は皆、平等の時代に 変わっていった。その上に、パソコン、タブレット、スマートフォンの ネットの時代。ますます、家族制度が、根こそぎ変わろうとしている。 その中で、やはり、国家としての保護政策も必要である。 世界も、日本も、未踏の世界に入り込んだようだ。
・・・・・・ 5041,新年にあたり −2 2015年01月02日(金) * 8年前の「新潟県活性化の会」の案件 昨日の「新年にあたり」で取上げた「新潟県活性化案」を、再認識のため、 当時の随想日記をHP内検索をして、読み返してみた。 今からみると、 時すでに遅しであり、決して不可能ではないが、動き出せば地権者の利権など、 思惑が働いて、大きな難問が立ち塞がることになる。 さらにバブル崩壊後、 地方は、ますます弱体化。30〜40年前なら可能性があったが、今では無理? むしろ石川県の方が、関東、関西、中部地区をカバーできるため拠点基地として、 最適のようだ。 活性化案までなら良いが、これ以上は、一歩踏み込むと、 後にひけなくなる。それを前提と、そのキーマンに当初、釘をさしていたが、 本人は、私を見くびっていたようだ。 あとは、政治家に利用されて、ポイと されるのが落ち。で、計画案が出来上がったと同時に、一切の関与を止めた。 当然の判断だが、実行段階で誰も手をあげる人はいない。しかし一年近くの 壮大?な絵図の計画を想像し、練り上げている自分が、面白くなっていた。 あと、考えられるのが、整備場まである線路を可能な限り延長して、第二 ターミナル駅にして、廃線になっている線路あとを利用した専用バス道路か、 新交通システムで空港までアクセスすれがよい。しかし、それをするには、 新潟県の経済的体力が、あまりに消耗している。面白い、変な世界を、その間、 垣間見ただけでも、無駄ではなかった。で、どう活性化する? いずれ 関東大震災が起こるから、そのための受入れを予め宣言して、そのための 都市づくりに徹した方が良いのでは? 決して冗談でない。 新幹線は大動脈を充分に理解していれば、空港駅までの沿線に、 交通の便の悪い、サッカー場、野球場、そして、元もと近くにある、 競馬場などに県内外の観客を誘導可能になっていた! 地元にいると、 それが見えないのである。新幹線最終駅、飛行場、港、高速道路が絡まって いるのは東京と、新潟だけ。その表日本と裏?日本が直結していることを 開通以来30年近くも気づかない政治家と地元民。で、石川が、とって変わる。 〜以下は、それを過って書いた「活性化案」と、文章。 時、既に遅し? これでも、膨大の時間とエネルギーが入っている。何度か東京まで行ったり、 地元の社長や識者?を集め、議論をしたり、現地を見たり、レジャー感覚で 動いていたので、それなりに面白く、無駄足という後悔は一切なかった。 絶対無理と思えても、手をつけるのが政治家だが・・ それでも、無理? 一年弱でも、こんなことにエネルギーを取られるから、このザマ?*ノωノ)ゥッ ・・・・・・ 2006/11/10 提案書(案) 新潟県知事 殿へ
我々は仮称「5年〜10年後の新潟を元気にしよう会」を結成し、 別紙(会議議事録×2通)の通り協議を重ねまして、 以下のような意見を纏めましたので、提出いたします。 実現へ向けた強力なご支援を一同より、お願いいたします。 <提案> 1 (新幹線の空港へ伸延) 数年後新幹線が富山・金沢へ分岐すると新潟はさらなる地盤低下に 見舞われるのではないかと危惧しています。 我々は真剣に議論し、その対策の切り札として、 新幹線を新潟駅から新潟港・新潟空港構内まで約10KMを伸延すべき。 という結論に到りました。 これにより、新潟は極東アジアの表玄関=世界へ向けた情報発信都市 としてのインフラが有機的に連結し効果を高めることが出来て、 多用なビジネスチャンスが発生します。 冷戦の終了により、ロシア、中国が激変し、環日本海都市としての位置づけを にするためにも東京駅から「新潟空港への新幹線の構内直接乗り入れ」を 打ち出す絶好の機会です。それも新潟駅再開発事業と共同事業として 相乗効果を最大限に生かす必要があり、この機会を逃すことはできません。 2 (低コストによる建設費を極限まで追求) 現在の厳しい財政を考えると、従来の建設方法にとらわれないで、 低コストで5年以内に建設する智恵を絞るべきです。 ー北陸新幹線の進捗に遅れをとらないことが、まず求められますー その具体的な事例として、 東京―横浜間の京浜臨海線計画を参考に、 既に新潟空港至近まで敷かれている廃線を利用するとか、 現在空港まで3分の一ほど引き込まれている新幹線引き込み線の延長を 最大限利用するとかし、駅舎等は市民民間企業の協力を得て、 100億円程度で(一まるまる作戦)で建設する方法を検討すべきです。 3 (より市民の意見を聞いてほしいのです) 上空から眺めれば、新潟は信濃川・阿賀野川という二つの大河に囲まれた 「山紫水明の水の都」です。 市民と行政が力をあわせ、豊かで誇りの持てる街を作りたいものですが、 そのために、計画の決定権を持つ行政はもっと市民やユーザーの 生の意見を聞いてクイックレスポンスで実施して欲しいと思います。 例えばイギリスのTCM(タウンセンターマネージメント)を導入し、 あるいは市民の生の意見を聞く「インターネットすぐやる課」などを 作り、日々の行政や計画に反映させてください。
これまでの4回の議論の中で感じたことは、地元の人たちの視点の確かさ。 「新幹線の空港乗り入れは、10年いや、20年前に開通しておくべき」 ということは、誰もが自明なことと受け止めています。 誰も解っていながら、新潟市、いや県全体に利益になるが、 目先の利益や票にのみに目を奪われている政治家や企業家に、 諦めを持っていることです。 新幹線を新潟空港まで延長するのは、 一部ゼネコンの利益誘導ではありません。新潟県を真に活性化するための 起爆になるのです。
新幹線の延長という僅かな工事で、イメージと機能が全く変わるのです。 新潟駅再開発事業そのものも、この延長工事で数倍の価値が上がるのです。 新潟県は、江戸時代の天領でした。 江戸と直接結びついた開けた明るい水の都でした。 決して、延長工事だけを見ないで、 上越新幹線、北陸自動車道、関越自動車道、磐越自動車道、 新潟空港、新潟東港、新潟西港を括りあげる事業として、 新潟発展のため即自計画を進めることを願います。 2006年11月9日 (仮称)5年後の新潟を元気にする会メンバー � 住所・氏名 � 住所・氏名 以上 まとめ文責 松下文洋 ・・・・・ 第四回新潟県活性化の会 ー概要 2006年8月5日 ー 文責 堀井八郎 7月の28日に行われた 「新潟県活性化の会」の概要を、主観でマトメてみた。 ーー *「環日本海拠点都市宣言」をする。 ー冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。 これからは環日本海の時代である。 首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。 それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。 このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井 (北陸地区)が環日本海の拠点都市になる。
*日本海時代の象徴として、 首都東京から新幹線の 新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。
*新潟空港までの新幹線延長工事が、 55億?の投資で延長工事が可能かどうか? それを可能にする構想案を一般募集をする。 採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。
*まず公共事業ありきではなく、 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能 ー流通情報基地などーの充実をはかる。
*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。 (高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、朝鮮特区・・・) 高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、 二倍〜三倍の値段で売りぬけ、工事代金に振り向ける。 *新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。 ーーーー 以上であるが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって 知恵を出し合って議論するのも、面白いものである。 それぞれの個性が意見として出てくるのと、 「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。
・・・・・・・ 2006/10/06 2012, 裸の王様を、「裸!」と言った少年が私? (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 去年の暮れに学生時代のゼミの後輩からの 「新潟を活性化するには、如何したらよいでしょうか?」という一本の電話 から始まった数回の「新潟県活性化の会」の効果?が、表立ってきたようだ? (私の一方的な解釈だが) 昨日の地元紙・新潟日報の二面のトップに、新潟商工会議所会頭の何某が 県知事に「新幹線の新潟空港への乗り入れの要望書」を手渡している写真と 記事が載っていた。「活性化の会」の議事録を県知事も見ていたようだから? 手順もあるのだろう。 しかし、「今頃、何をノンビリしたことを!」 「2015年までに、新潟駅再開発工事に便乗して、新幹線を空港まで 開通させなければならないの!!」というのが、みた率直の実感である。 「まずは、在来線を新潟空港まで通して、その様子見をしてから」 と、馬鹿も休み休みに言いなさい!である。でも、このノンビリした 茹で蛙の地方柄から見て、大いなる進歩ともいえようが・・ 私のHPを見続けている人は解るだろうが、表面化した瞬間に私たちの 「新潟県活性化の会」の存在は消されてしまうのは、娑婆経験から 当初から解っている。「裸の王様」に対して「裸だ!」と言って誰もが 認めれば、それで少年の役は終わりである。当たり前のことに誰も 声を出さなかっただけだから・・
「新潟空港への新幹線の乗り入れ」は、「真っ当な人」なら誰も解っている。 その真っ当な人間が、政治家や地元の商工業者には皆無であった!! という事実は現状からみれば解ること。 裸の王様は誰だ?そう、 目先のことしか見えない県会議員と市会議員と、地元の代議士と、 新潟財界人である。金と票にならなかったのだろうか!!?? だから私が呼びかけた地元商工業者の人たちは、新潟空港への 新幹線乗り入れを当たり前のことと受けとめ、諸手をあげ賛同してくれた。 「政治家も、大物?商工業者も、目先のことしか見えなかった」と、 さすがに言ってはいないが、しかし・・ 環日本海時代の到来に無頓着で あった!のは間違いのない事実である。北越新幹線の開通を目前にして、 新潟県の置かれている危機の重大さに気づいた。 * 何ゆえに、冷静にみることが出来るのか?といえば ・新潟駅前でホテル業を25年間、営業していることと、 ・全国を渡り歩いていること、 ・25年間にわたり長岡〜新潟間を新幹線通勤していること、 ・私が地元財界からみれば「アウトサイダー」で利害関係がないこと、 ・20年間以上、成田と羽田を年二回通い続け、 飛行場と駅(特に首都)へののアクセスの重要性を実感していること、 もあり「新幹線の飛行場駅の乗り入れ」を客観視できたこと、などである。 25年前に、新幹線を飛行場まで通していたら、新潟は今や「環日本海都市」 として、全く違う都市になっていた!飛行場周辺にサッカー場・野球場や、 佐渡汽船の乗り場を移動するとか・・ 新潟駅周辺の商業集積の機能と 結びつき、「独特の面白い都市」になったはずである。 何もしなくとも、それが特区になっていたのだ。 一本、新潟島への橋かトンネルの投資を新幹線に向ければ良かったのだ。 ただ大手ゼネコンの利益にならなかっただけだ。 改めて新潟県をみると、環日本海時代に本当に恵まれた立地にある。 「あと僅かの投資で、東京駅から飛行場の登場口まで直結でき、 それが首都圏からみたら、非常に魅力があるに決まっている!」 ということが何故解らないのでしょうか ?? 「地元住民にとって、本当にプラスでしょうか?」だと? 「ボケ!」と言ってしまえばお終いだが・・ 「新潟経済が発展して、初めて地元住民もプラスになるの!」
・・・・・・・ 今日は「新潟活性化の会」 2006年7月28日 ー文責 堀井八郎 これで4回目になる。 あと一回で私の役割は終了。 地域活性のデザインつくりに加わってみて、 なるほどプロセスに筋が通っているのが理解できる。 本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。 転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。
アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っているようだ。 ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・
このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない! 日本が危ない!ということと同じだが。
金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、 これに関東が直結する。金沢が環日本海の玄関として拠点都市 になって至極当然である。森元首相も、まだ当分隠然たる政治力 もあるし、それに引き換え真紀ちゃん、 あまりにも・・・?ここでは、まあいいや。
手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・ でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか? よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。 高速道路、 新幹線、 飛行場、 港・・・
無いのは戦略構想が無いというから・・・ 頭の足りない巨人と同じである。
・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、 知事と市長が馬鹿みたいに言い続けなくてはならないの! そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの! ・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの! ・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて!
これをゼロからやれ!といっているじゃないの!ホボあるんじゃないか。 無いのはグランドデザインでしょう!
・あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの! ・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ! ・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ! ・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ! ・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも 新潟になっていたでしょ! ・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう! ・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!
新潟は東京の天領だったの! それを生かさなくては! 北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ! これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば?
お客、お客、お客の立場で見てみたら・・ いくらでもネタはあるじゃない? 小手先のイベントを持ってくるとか、 野球場とか、サッカー場だってどうだか?
要は新幹線なの!もう一度言う! 「かなめ」は、新幹線なの!
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5405,2016年 新年に 〜すべては1979年から始まった |
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2016年01月01日(金)
:『21世紀を方向づけた反逆者たち 』クリスチャン・カリル(著) 新年明けましておめでとうございます 今年もよろしく! * アラブ人の欧州への民族大移動 「21世紀は、重苦しい世紀になるだろう」という予測どうりに、テロと 恐慌前夜の黒闇が世界を覆ってきた。ここで、「現在おかれている問題の全て が1979年を基点としている」と説いていう。グローバル化と、オゾン層破壊に よる天候不順などによる不安定な状況下で、狂信的イスラム教のISなどの テロと内戦から逃れてきたシリア難民問題。100万規模の欧州への流入問題は、 イスラム教徒のキリスト教徒圏への民族大移動の様相になっている。 この起因のすべては、1979年から始ったという説。一考に値する内容である。 第一次・第二次大戦、冷戦下で、数百万、数千万人が虐殺されたが、 情報化社会では、それが白日に曝されるため、不可能。 〜その辺りから〜 ★ すべては1979年から始まった ≪ 21世紀に入って、世界は年をおうごとに混乱をしてきた。第一次・第二次 大戦と、東西冷戦の後の20世紀から、新たな世界の移行期の混乱である。 現在の世界の混乱は、『すべては1979年から始まった』という切り口が良い。 イスラム対キリスト教の対立は7Cから始っていたし、自由主義と社会主義 の対立は20世紀早々に始っていた。しかし二つの大戦後からみれば、1979年を 基点とするのもよい。 〜まずは、アマゾンの内容紹介〜 【 なぜ、イスラム主義者や中国、市場原理主義は、ここまで台頭したのか? 「市場」と「宗教」が支配する21 世紀を運命づけた時代の転換点と主役たち を丹念にたどったリアルで刺激的な実録・現代史! 1979 年は、サッチャーが首相に就任、鄧小平が経済改革を開始、 ホメイニーがイラン・イスラム共和国を樹立、ヨハネ・パウロ二世が 祖国ポーランドを訪問、ソ連の軍事侵攻によってアフガン紛争が始まった年。 本書ではこれらの出来事とその背景が詳細に描かれ、市場と宗教が社会主義 に替わって社会を再び動かし始めた1979年が歴史の転換点であり21 世紀の命運 を決めたと論じる。一見、無関係に見えるそれぞれが、実は「社会主義」が 大きな影響力を持った60年代にピリオドを打つ点で共通していたことが浮き 彫りになり、現代史に深く切り込んだドキュメンタリー映画のような作品。】 ーネットビューアー の評論よりー 《 21世紀の世界に大きな影響を与えた人物たちが登場したのは1979年である という著者の考えを、数多くの証拠ともいえる事例を通して明らかにして いく著作。こうして本書を通読してみると、この時代の出来事がお互いに 絡み合いながら、現代に繋がっていることがよくわかる。 ・ホメイニによるイスラム革命が隣国アフガニスタンへ共産主義勢力への反乱 を引き起こし、これがソ連を弱体化につながるアフガニスタン侵攻になる。 ・また、共産主義体制のポーランド出身のヨハネパウロ2世という教皇の 誕生も、東欧の共産主義体制崩壊への道筋を開くものとなった。 ・中国では、鄧小平が実権を掌握し、79年に中国の急激な経済発展の きっかけとなる改革が始まった。 ・イギリスではサッチャーが登場。新自由主義を標榜し停滞していた イギリス経済を見事に復活させる。 ――― ☆ 印象に残った文章は次の通り。 :「ホメイニはマルクス主義のレトリックを盗用し植民地支配主義や 不平等を非難するイスラム過激派のブランドを作り出した。」 :「ヨハネパウロ2世がいなければ、連帯運動はなかっただろう。 連帯がなければゴルバチョフもいなかっただろう。ゴルバチョフが いなければ1989年はなかった。」 :「サッチャーと鄧小平の二人とも業績を上げるための適切なインセン ティブの重要性を強調し、一定の不平等は許容されるべきと考えた。」 ◎イスラム過激派によるテロの脅威。市場経済を導入した一党独裁国家 ◎中国の経済的台頭。新自由主義による格差の拡大。などなど現代の 世界の多くがこの時期に形作られて行ったというのは実に興味深い。 それにしても、これらの反逆者たちが登場しなかったら世界はどのような 姿となっていたのだろうか。少なくとも、本書で描かれているアフガンの 賑わいは続いていたのかもしれない。 ――― ▼ 第一次、第二次大戦、冷戦は、国対国、あるいは世界を二分にした 戦いだった。しかし、現在のテロを戦法にした戦いは、数人で、いや 一人でも実行できるため、防ぎようがない。ネットで、情報網が隅々まで 張リめぐらされている。そこには当然、狂信的思想も自由にいきかう。 その上に、ドローンというミニヘリで爆弾の宅配便が可能ときている。 人類は21世紀で終わってしまう可能性があるという。これが徐々に現実味 をおびてきた。「世界は既に恐慌とテロ戦争に入っている!」は、大袈裟? ・・・・・・ 5040,2015年の新年にあたり ー1 2015年01月01日(木) 新年明けましておめでとうございます 今年もよろしく!○┓ まずは身近な話題から。 北陸新幹線が3月にオープン予定だが、この開業 が新潟にどのように影響するか。 金沢の衣料チェーンに20歳代半ばに、 一年半ほど修行を兼ねて勤めていたこともあり、その辺りの土地感が少しある。 観光資源が非常に恵まれており、名古屋など中部圏、京都、大阪などの関西圏 からも近いことや、加賀百万石の歴史があり、能登半島、白山連邦、若狭湾など、 観光資源の雲泥の差がある。そのため、新潟県には、マイナス効果が甚大になる 心配がある。オープンすれば、日本海側の拠点基地としての本幹が北陸新幹線に なってしまい、上越新幹線は袋小路の枝になる。現在の日本と中国との関係に 似てる。10年スパンで一度の割りで、車で遊びに行くが、数年前に行って驚い たのが、着々と進んでいるオープンに合わせた道路網などの整備。 北陸三県に とって、この開通は、大きなインパクトを持つことになるが、新潟にとって? 8年ほど前に、新潟県の活性化対策案を学生時代の友人に頼まれて、 知人の経営者を集めて知恵を借り、共同で半年がかりで作成したが、その対策を ほぼ実行してないのが実状。次回に、当時の活性化案について、取り上げるが、 要は、新幹線を新潟駅の先にある整備線路を延長した新潟新空港駅をつくって、 日本で始めての飛行場・新幹線乗り入れをし、新駅までの沿線に、アジア大陸に 向けた拠点にすべきという案である。としても、時すでに遅しだったかも? この時点から、新潟県の中越地区の地震が立て続けに起き、リーマンショックに 至り、トドメが、東北大震災となり、あっ気なく事業がダウン。活性化案の作成で、 私たちの役割は終了したが、今から考えてみて、もう新潟県には、それを推進する 力が無くなっていた。実感したことは、角栄が残した高速道路、新幹線などの インフラの遺産に対し、その価値が全く見えてなかったことである。 新潟市は、江戸時代の天領で、幕府直轄の飛地の意味が庶民には分からなかった ということ。新潟にとって、いやアジア大陸からみたら、世界地図は、ひっくり 返してみれば、この飛地の価値が分かるはず。しかし、その価値は石川が遥かに あることも事実である。 としても、飛行場、港湾基地、新幹線終着駅、高速道 などが、重なっている日本海に向けた天領という要素を含め、政治家があまりに 小物しか出てこなかったということになる。私の学生時代の交通アクセスの 専門家の友人が曰く、「何をしてきたのでしょうかね!」という言葉が残った。 達磨つくって、目玉入れず! ということ。この数年、ここで書いたことが 大問題となる?いや「見て見ぬふり、見ても見えず」。あの首長のア??二人! 実は、これ少なくとも30,40年スパンの政治課題、あの二人様に関係ない? ・・・・・・ 4673,2050年の世界 ー24 2014年01月01日(水) * 人口の配当を受ける成長地区 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』」 第一章のまとめ 人口の配当を受ける成長地区はここだー の要点から ・人口動態はある程度確実に未来が予測ができる指標であり、すべての予測の基礎。 世界的趨勢として高齢化が進み、世界の平均年齢は、二〇一〇年から二〇五〇年 までに九歳上がって三八歳となる。富裕国では、百歳まで生きることが普通になる。 ・その中でアフリカは人口が増大化し、労働年齢人口も増え続けるという入口の配当 を受ける可能性が高い。二〇五〇年までに予想される人口増加分二三億人の半分は アフリカで増える分だ。 ・中国の人口は、二〇二五年に一四億人でピークを迎え、その後減少に転じる。 ・人口の都市化も大きく進む。二〇一〇年には、世界人ロの半数が都市部に 居住していたが、二〇五〇年には七〇パーセントに近づくと予想される。 ・人ロ増大にともなう、地域紛争の激化はない。 ・今後四十年間、世界人口の増加のほとんどは、温室効果ガスの排出が最小水準 の国々で生じると予想されるため、二酸化炭素や化学物質が激増する結果には 必ずしもつながらない。しかし、増えた人々がどう生活するかで結果は変わる。 ・出生率は世界的に低下し、二〇五〇年には二・一になると予測される。 その結果・世界の人口増のスピードは減速し、やがて人口増加はとまる。 ・出生率の低下は、ある世代のみが突出して多いという現象を生み出し、 その世代が年齢層のどこにいるかで、その国の経済が変わってくる。 この出っ張り世代が子供から労働年齢に達したとき、その国は急成長する。 これを「人口の配当」という。さらにその世代がリタイヤし、 被扶養世代になると、その配当は負に変わる。 ・これから人口の配当を受ける地域は、インドとアフリカと中東である。 しかし、若年層の膨らみは政治的な不安定要因になる。 ・これから人口の負の配当を受けるのは、日本と欧州、中国である。 ほかとは比較にならないほど人口動態の負の配当を受けるのは中国だ。 安い労働力による世界の製造工場の役割を中国は終える。 日本は世界史上未踏の高齢社会になる。 ▼ 日本と欧州は大きく衰退、中国は、当分の間「人口の配当」を受けた後、 衰退する。その間に、日、米、韓国と、中国との戦争も充分に有り得る。 「地球上の繁栄の重心地域は地球を左手回りに移動する」という説がある。 中国からモンゴル、欧州、そして現在はアメリカである。これから中国・ インドに当分の間(30年)、重心が移動。その後、インド、アフリカに移動 していく。消費人口の増大が、年月をかけて質に転化していく、ということ。 情報化による知識の均質化が、その後押しになる。「37年先の2050年の逆、 1977年に遡り、現在を予測できたか?」というと、遥かに想像を絶した世界 になっている。情報機器や、科学技術の進化の加速からみて、予測不能。 その証明の目安として、この予測が使われるとしたら、少し物足りない内容。 ・・・・・ 4308, 新年明けましておめでとうございます! 2013年01月01日(火) * 新年、つれづれに 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします! 新年の文章を書くにあたって、これまで書いた元旦の文章を読み返してみた。 それぞれの時代背景にした紛れのない自分と出会っているようで懐かしいが、 この感覚こそ書き残す秘儀(意味)がある。読み返してみると年々、時代背景 が厳しくなっているのが分かる。一昨年から一線を退いたため、どうであれ、 直接的リスクは無いが、その厳しさは尋常でない。 悪い悪いと騒いでも、 一線に立っていればこその問題。恐慌という名の大津波が来ようが来まいが、 今のところ今日明日の生活に変わりはしない。不安も期待も妄想でしかないが、 現実の大津波(恐慌)は現に足元に浸水してきているようだ。 去年は数年来の中で比較的安定?した年だった分、今年に持ち越された。 恐慌で直接的に影響を受けるのは、年金生活者と零細・個人事業者の弱者。 その辺りの悲鳴が聞こえ始めているが、実際のところ、本格的恐慌は起こって みないと、具体的事態か分からない。 やたら狼少年みたいに「大変だ大変だ」 と、ことさら騒ぐこともない。 騒いでいるのは、最初に直撃を受けた私ぐらい? 頭が切り替わってない以前の感覚で、この事態をみているため、新年早々から、 こうして書いているだけか。暗い話は、そのぐらいとして、昨日、談志の 「芝浜」を再放送でみた。今まで5〜6回はみているが、何度みても良い。 行商をしている、魚屋の主人公に談志が乗り移った演技が鬼気迫る。 本人が何かの座談で、「魚屋のオヤジが、自分を支配し話をさせている」と言った のを思い出しながら聞いていた。形相は、芝浜世界の魚屋行商の勝そのもの。 TVの罪悪について、ことさら言うが、こういう名人芸を茶の間で横になって 聞くことができる良さもある。独り、部屋で、本を通し芝浜世界の落語を読む のも良いが、魂の全てを投げ打った名人芸を居間で聞くのも悪くない。 ということで、今年も、さらに独り遊びを切り開いていきたい。 平日二時間、図書館での長編小説世界の沈殿? ・・・・・・・ 568、年始、つれづれに 2011年01月01日(土) 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします! ー 現在は、20万年、200万年に一度の変革期か?ー 「20〜200万年に一度の変革期というのは、果たして本当か? もし本当なら世界に何が起き始め、更に何が起ころうとしているのか」を、 このところ何度も独り考えている。20万年前は人間が道具を使い出した時期、 200万年前は言語を使い始めた時期。以来、人間の脳と行動が他の動物と変わった。 そして気候等の大変動があった1万年前、その事態を乗り越えるため牧農を始めた。 それまで自然の恵みを採取していた生活から、人間自らの手で牧農をすることで、 その変動を乗りこえた。それが村落をつくり、都市をつくり、5千年前の5大文明 になっていった。数百、数千年先からみたら、現在がその時になる。以来の大発明 がネットとデジタル機器であり、大変革の開始になる。 まず、これが「言語と道具以来の人類にとってのツールか?どうか」である。 ネットが世界中に張りめぐらされて、キーワードを介して瞬時に情報がやりとりが 可能になったことは、世界が電脳化したことになる。これは、世界を根底から変化 する力を持つことになる。 人間が言語の使用を始めてから、脳の言語脳の機能が 永年かけ進化してきた。それが他の動物との絶対的な差異になっている。 その脳が、電子脳として世界中にネットで結ばれ、それが人間の意識、生活を 根本から変えている。それからみて、20万年、200万年の境目と認めてよいのでは? こう考えると、世界が行き詰っている原因は、20万、200万年に一度の人間社会 を根底から変え始める境目であると見てよいのでは? このIT化社会の到来が、 この数百年、数千年かけてつくり上げてきた在り方を根底から変えている、 とみてよいだろう。 この仮説?は、20世紀末から21世紀にかけて始った 情報化社会が始り、それをキッカケにして世界が激動を始っていたのである。 それと環境問題も含めて、20万、200万年のスパンで、人間の進化と、ありかたを 考える時期に来ているのである。 現代に生きている私たちは、これを地球の 有り方を考える、ツールにし、これまでの価値観を見直すに丁度よいテーマになる。 時代は、100、500年スパンでなく、数十万、数百万単位の変化の中に入ったようだ。 それが地球の環境問題であり、頻発する地震などの天変地異も関連している。 ・・・・・・・・ 3193, 新年にあたり 2010年01月01日(金) * 「日本は、既に恐慌に入っている!」 まず、これを前提にしないと! これまでの、「新年にあたり」を読み返すと、一年一年、経済の悪化が 身に迫っているのが分かる。今年も経済悪化の進行の中で年が明けた。 経済はデフレスパイラルに入ってしまい、企業も売上減が更に深刻になる。 緊急対策で何処まで持ちこたえられるかである。 失業率は10%に向け アップを始め、社会的にも不安定度が増す。これまでと全く違った時代に なったと割り切るしかない。 自民党は、政治一家の三代目を立て続けに 首相につけ、更に、民主党も三代目の鳩山、乱世トップには相応しくない。 このウネリからみて、2〜3年以内にデフレからハイパーインフレに転じて、 円と株と日本の国債が暴落は避けられない。その事態が現実になるまで日本の トップはなす術がない。アメリカは、まだまだ政治も、経済も悪化、日本は 既に世界に先駆けて恐慌に入ってしまった。それを、まず認めることである。 その辺のことをハッキリしておかないと判断を誤る。 何で恐慌の中で株価が 1万円なのか?これは緊急対策などでカンフル剤をうっているからで、 これも目先の対策でしかない。いずれカンフル剤も続けられなくなる。 兎にも角にも、目先を、どのように乗り切るかである。世界恐慌に入った? 今年も大変な年である。 恐慌も、何も、生きていればこそである。 * 今年は「閑吟集」のチロリチロリチンチロリ がピッタリか? 「一期は夢よ ただ狂へ」か〜! よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49) 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50) 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり (51) ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や(52) 夢幻や 南無三宝 (53) くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54) 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
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