堀井On-Line
2013年10月31日(木)
ー 君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する ー 苫米地英人 (著) 初歩的金融に関する本だが、歯切れがよい。あらため原点に帰って「そもそもお金とは何か?」を考え直すにもってこい。 お金は、交換媒体機能、価値尺度機能、価値保存機能があるが、この裏には、お金の発行権を持った権力者の支配の道具機能。 これが絶対的権力の大元。それは、「信用を元に、無限にお金を創造できるというカラクリで、絶対的権利を得ることになる。 「信用創造」という錬金術である。その大元が、アメリカで世界を支配している。今のところだが・・ 〜アマゾンの内容紹介〜 * 世界経済を「洗脳」で支配する人々に勝て! 世界の富の95%を握る支配層によって、貨幣が操作されているとしたら? 気鋭の脳科学者が、貨幣による洗脳を暴き、解く。お金から自由になり、真の自由を獲得する! * 「貨幣のカラクリ」を知り、真の自由を手に入れる。「お金には絶対的な価値がある」と、多くの人が思い込んでいる。 それこそ、洗脳であり、民衆の奴隷化だ。現代社会を支配する「お金」とは何か? その正体と、貨幣を通した支配構造に気づいたとき、あなたは自分の人生を奪還する! * どんな仕事であっても、あなたの仕事はもともと、ただ自分のお金を稼ぐためだけにしているのではない。 人のために役立つ価値を、この世に生み出しているのです。その価値をもっと高めていけたのならば、 この世の中でさらに多くの人を幸せにすることができるのです。 (「あとがき」より) ▼ 世間を覆う「不安」の正体を、「お金に関する不安」と看破。その不安は、実は、経済支配者が人々に刷り込んだ最大の 洗脳であり、これこそが大部分の人たちの人生を「奴隷の人生」に貶める呪縛。この呪縛が徹底的に刷り込まれたため、 「何が、どのように問題か」を考えるより早く、反射的に不安に駆られてしまう。 お金の奴隷とは、お金は絶対的な価値が あると盲信し、その価値観に縛り付けられている人になる。現実は世の中の八割は金で解決できることは事実。 だが、追求する対象ではなく、あくまで、結果についてくる。 その結果としてのお金は、その瞬間から手段になる。 私の金銭哲学のベースに父親の教えが大きい。 父が亡くなる数ヶ月前、独り考え込んで呟いた、 「通帳に書き込まれた数字と、紙切れに書いた数字と何が違うのだろう?同じでないか」という、素朴な疑問。 ある程度の財をなしたが、人生の最期を悟り、死んでいく無念。「仕事を楽しみ、終の住まいを建て、何がしかの財産がある。 それが、どうした?」という少年のような戸惑い。口には出さないが、「蓄財とは何のため?それが通帳の数字への疑問となり、 人生を改て見直すことになる。その頃、あれだけ保守的で頭の固い父が、何を思ったか、共産党の「赤旗」新聞を読み始めた。 それまで信じていた日経新聞と逆の見方があり、それも正しいようだ、と気づいたようだ。死を前に、これまで思い込んでいた 社会そのものに疑問を感じ始めていた。 そこで父親から学んだのは、「時流をつかみ、その風で稼いで、ある量の資財を元に、 投資をし、それを趣味に使いきる。 その結果、自分が満足出来か否か」ということ。残す残さない、残る残らないかは、二の次。 結果を先に考えては自由を奪われる。人生は、ありのままに生きるしかない、ということ。 父親の成功話の中で、 「常に時流の先取りと、それへの変身の必要性と、そのため情報と、感じ取る直感と決断を磨くこと」を説いていた。 著者は、「お金とは、情報である。 情報ならば、無限に増やすことができる。経済支配者は、その供給量を自由に増やしたり 減らしたりできる。金は、その数値に過ぎない。大部分の国民の不安心理を利用し貯蓄をさせている。 だから自分の不安を 直視し、彼らの刷り込んだ洗脳に気づくこと」という。次回から、面白そうな部分を、抜粋し、考えていく。 ーつづく ・・・・・・ 2012年10月31日(水) 4236, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より ● 聖火リレーはヒトラーの軍事戦略から始まった オリンピックのハイライトといえば、聖火リレーである。だが、古代オリンピックでは、聖火の儀式は行われていなかった。 近代オリンピックでも当初は行われていなく、ナチ政権下で、ギリシャの末裔がドイツという印象を世界に植え付けようという 思惑があった。ナチスの狙いは、それだけでなく、軍事的目的があった。その道筋は3000キロ、計7ヶ国あり、その道筋を 詳しく下見をしたが、その時に、戦車が通れるか、どの位で走れるかを調査をした。実際にほとんどの国は、ナチに占領された。 戦後、廃止を検討されたが、やはり宣伝効果も含めて存続が決まった経緯がある。 = 結局は、右上がり経済の自国の宣伝材料として政治家は、これほど裏金を使える美味しい印籠はない。オリンピックを 純粋に目指している選手は、それでよいが、メダルを取れば、それで一生食べていける時代は終わったようだ。 ● 花見を広めたのは、八代将軍の徳川吉宗の粋な、計いから 日本人の春の恒例行事といえば、花見である。東京周辺だけでなく、全国津々浦々で、桜の名所が多い。 庶民でも、金をかけずに近所の公園や川辺で気楽な行事になっている。だが、庶民の娯楽として花見が確立されたのが、 江戸時代になってから。三代将軍の家光が、吉野から苗木を運ばせ、上野に多くの桜を植えさせた。また八代将軍の 吉宗が王子の飛鳥山、品川の御殿場、隅田川などの植えさせ、一般庶民に開放した。庶民の花見は、この吉宗の計らいが 大きかったという。もともとお祭り好きな江戸っ子、これを機会にドット繰り出すようになり、全国にも広がっていった。 = このような経緯で始まったとは知らなかったが、日本人のように右ならえ文化の典型といえる。他に盆踊りと秋祭り。 ・・・・・・ 2011年10月31日(月) 3871, ギリシャ危機の実態とは? * 曽野綾子の‘つぶやき’ 曽野綾子が、雑誌の手記で「ギリシャ危機の実態」を書いていたが、分かりやすい。 ーまずは、その要点の部分を書き出してみる。 【 外国メディアが原発にしか興味を示さないのは、彼ら自身の国からして蜂の巣をつついたようになっているからで、 日本も大変だが外国も大変なのである。もはや恒久化した観のある、高学歴の若年層の失業現象。イタリアでは「プレカーリオ」 (非正規)という言葉を聴かない日はなく、それがスペインでは、広場を埋める「怒れる若者」たちになる。 彼らは、独立もできず結婚もできず子も作れない。その一方で、不法にヨーロッパに入国したアフリカ人は、人道の名によって 保護され子供もたくさん産む。既成の労働組合は中高年の職場を守ることしか頭になく、その人々の職さえも不安になりつつ あるのは、経営者たちが海外に工場を移す一方であるからで、コールセンターまでが、アルバニアやルーマニアなまりの イタリア語でかけてくるようになった。 アイルランドもギリシアも破産直前。それでいて国民は、EUの命ずる緊縮生活は 断固反対。EUが援助するのも所詮はギリシアに融資している自国の銀行を助けるためなのがわかっているからだが、ドイツと フランスの銀行がつぶれたらEUもつぶれると言われても、怒れるギリシア人たちは、それとオレの職がどう関係するのかと 言い返すだけなのである。蜂の巣をつついたようになっているのはイスラム圏も同様で、自由を叫ぼうと、こちらも所詮は 「職」の問題。独立後に旧宗主国のヨーロッパに負けるなと教育を振興したのはよいが、その受けた教育にふさわしい 仕事を供給できる社会づくりが十分でなかったのだ。それで、軍人と公務員ばかりが増え、コネのない者は失業したのだった。 職を常時提供できる社会とは、生産する中産階級が健在な社会ではないかと思うが、イスラム教には、それをはばむ何かが あるのだろう。要するに世界中が大変で、ほんとうのところはオバマもサルコジもメルケルも何をしてよいのかわからない のではないかと思う。これが今の世界なのだから、日本は外国の評判など気にせず、災害の復興に専念していればよい。 今回の災難で唯一良いことは以前のように外国からカネをしぼり取られないで済むということだ。 何か言われても、 御存知のよううな状態で、その復輿だけで大変なのです、とでも言うて逃げればよいのである。 日本人も少しは、悪賢くなりましょう。(六月二十三日日記) 】 ▼ ギリシャ危機が、どのようなカタチで収まるのか見ものだが、恐らく、準参加国家として枠組みから、外されるしかないだろう。 ぎりぎりの交渉の中で、EUの銀行が保有するギリシャ国債の50%を「自主的に」減免することで合意に達したようだが、ギリシャが デフォルトをするより、ましということ。しかし、次にはイタリア、スペインが控えている。何処まで、火元を押さえることが 出来るのか。9月以降は、いつ株の大暴落が起きてもおかしくない状況だったが、当面、乗り越えたようだ。しかし、根本的解決を 少しも解決されていない。ぎりぎりの状況は、今後も連日、続く。 狼少年のようだが、彼女の言うとおり、これが現実である。 ・・・・・・・ 2010年10月31日(日) * この一年間、腰痛なし この一年三ヶ月の間、腰痛が殆ど出てない。殆どというのは軽いのは私の場合は敢えて腰痛といわない。 去年の春先から夏にかけてリズム・マッサージャーと、海老反り器械と、縦型バイブレーションの三点を買え揃え、 それを朝晩使っている。さらに去年の秋口からベッドに低反発枕と低反発マットを使用。その効果が実感できたので、 居間の座椅子の上に低反発クッションを置いている。それら全てが総合的に腰の負担を少なくしている。 これまで腰痛対策として、30年近くウォーキングを取り入れてきたが、中程度は年に二回(5月と11月)、 3年に一度は酷い腰痛になる。但し、病院には一度も行ったことはない。経験からして時間が解決することを知っている。 現在のところ、一年間にわたり取り入れた道具、習慣が有効に働いている。去年夏の腰痛は酷かった! * 最近のタブレットパソコン事情 ここにきて、TVや新聞でタブレット・パソコンを多く扱うようになってきた。 数年先には、世界中の街や居間や列車内で見入っている姿が日常の光景になる。これは居間か通勤途上のツール。 本や新聞、ゲーム、アルバムなど、多くの機能が入り込んで、多くの人にとって手放せないツールになる。 手軽に持ち運び可能の情報の出入れ口として携帯電話と同じような必需品になる。 その普及と同時に、本や雑誌、新聞、アルバムなど紙に印刷されたものは激減していきざるをえない これを筆頭とした端末はSF世界の作家すら想像できない進化をしていくことになる。 面白い時代である。 いま一つは居間のテレビもネット接続などのパソコン機能が入ってくる。これは、今度とり上げてみる。 iPadには興味があるが、一通り各メーカーが出揃ってから考えることにする。 ・・・・・・・・ 2009年10月31日(土) 3131,期待どおりの電動自転車 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗したきた。 自宅は長岡駅裏から歩いて10分ほどにあるが、長岡駅前から歩いて20分のところにある大手大橋まで12分で着いた。 信濃川を渡ったところにあるジャスコには15分、ユニ系のSCのアピタまでは20分かかった。そして、その先にある 長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが45分後であった。万歩計をみると、2500歩になっていた。 45分というと5500歩あるくから、半分近くこいだことになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらいである。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。 一日一万歩を目指して歩いているので、自転車には ほとんど乗ることはなかった。 だからスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの自転車を 乗った驚きは大きいのは当然のことである。一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると二倍の加速がかかるもの。 自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、その時に特にペダルに力が更に二倍加わるから、何か異様な感がする。 線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂とか、けっこう起伏がある。 そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽になる。 電動自転車は、法律でアシスト一対一から、一対二が認められたことで、爆発的に普及するような気がする。 ただ、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が忠告した「すぐに、盗まれるよ」 というのも分かる。小型のためボックスカーに、そのまま乗せる事が可能だからである。 一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。 まだ、珍しいからで、あと数年先がよいんじゃない」といって、買うのを止めた経緯もあった。 スーパーや、駅前などは、当分は置けないが、その時はその時ではあるが。 とにかく、驚いた! ・・・・・・・・・ 2766, こころと脳の対話 −2 2008年10月31日(金) 「 こころと脳の対話 」 潮出版社 河合隼雄 茂木健一郎 第二回 箱庭と夢と無意識 《箱庭のなかの「生」と「死」》の要点からー 京都にある河合隼雄の研究室で、「20数年ぶり」という箱庭づくりを終えた茂木健一朗。 ー茂木の箱庭を見ながらの二人の対話のポイントをまとめてみたー ーーー 河合隼雄はまず「意識と無意識の関係」を提示する。 箱庭で、ニワトリなりゴリラなどのアイテムを手に取る。 ここですでに、アイテム(意識)の背後にその人の無意識ーとば口ーが関わってくる。 「たとえば、ニワトリならニワトリが、心のなかに残っているわけですね。で、帰ろうと思ったら、本屋でニワトリの本が パッと目に映ったりするとか。必ず買って読もうと。 それが、ユングのいう「シンクロニシティ」です」(P・102~103)。 この時、箱庭で選んだニワトリと本屋で見つけたニワトリとは因果関係はないです。大切なのは、自分の無意識と外のものとが 呼応するというほうです。 なぜか知らないけれど、箱庭の前に立ったらニワトリというアイテムを手にしてしまった。 そして、帰りに本屋に寄ったら、ニワトリの本にパッと目がとまって買ってしまった。 私のなかになぜかニワトリというかたちで無意識が働き出して、それがニワトリの本と呼応した。これが「シンクロニシティ」。 「意味ある偶然の一致」です。 ここには科学的な因果関係はまったくありません。でもこころにとって「意味」があるんです。 「この非因果的ということがものすごく大事なんです」と。河合はこの無意識の非因果的連関のなかに、臨床の中でクライエント (患者)の生きる「意味」と「可能性」を探りだしてゆく。「とくに近代科学以後は、因果関係を知るというのはすごく 便利なことで、役に立つことでしょう。 因果関係がわかったら、こちらの意図で操作できるわけですから。 ー以下字数の関係でカット2010年10月31日ー ・・・・ 2007年10月31日(水) 2402, 独りでしていて唯一惨めでない行為 才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪ 以下は、林まり子の「読書はじめ」というエッセーであるプロは同じ文章でも、読んでいて読者を引きつける力が違う。 ここまで書けるには、この随想日記を一万は書かなければならないだろう。すなわち現在は2400であるから、差し引き 7600÷365日=21年以上はかかる。 いやあと10年、いや5年はかかる。文章力は何をさておき、まずは絶対量である。 ー以下字数の関係でカット2008年10月31日ー ・・・・・・・・ 2006年10月31日(火) 2037, 躁鬱病について −5 才八∋ウ_〆(∀`● 「夫はうつ、妻はがん」―夫婦で苦境を踏み越えて ー ? 小川 宏 著 ー主観をこめた概要であるー ・31年前に糖尿病になり、ストレスなどが重なり15年前の平成3年に「うつ病」になった。 癌と同様に、糖尿病は普通の人の三倍も「うつ病」になる可能性が高くなる。 その伏線がそれである。 ・当時、彼はモーニングショーなど活躍したアナウンサーだったが、自分の事務所を任せていた弟がお金を使い込んだ トラブルが「うつ病」の 直接のキッカケだったという。 ・うつ病になった直後の平成3年に電車へ投身自殺をしようとした一瞬、 「自殺は愚か者の結論なり」という言葉がよぎり自殺をとどまった。 ・その事情を知った妻に病院に連れて行かれて、本診の前の、問診で「親戚で神経系の病気をされた方はいますか?」いわれ、 「はい、その昔、叔父が神経衰弱と言われました」と答えた。 本診の結果、その場で入院を命じられる。 (帰りに自殺を決行の危険がありと診断) その 三ヶ月後に退院。 {うつ病に遺伝があるとはね〜} ー以下字数の関係でカット2007年10月31日ー (*^_^*)\ ー つづく ・・・・・・・・・ 2005年10月31日(月) 1672, 聖荊の奇跡 パスカルといえば、「パスカルの賭け」ー後記ーがよく知られているが、それと同じくらい有名なエピソードがある。 (日本ではあまり知られてないが) ー[聖荊の奇跡]である。この奇跡を見たパスカルが[パンセ]を書く大きな動機になる。 姉の娘マルグリットが、目の病気になってしまう。多くの医者をまわっても誰も治せない状態で、症状はますます悪くなる。 その間に、姉のジルベットは修道院に娘を寄宿させる。しかし目の腫れ物が肥大して、膿がでて、鼻骨も侵されてしまう。 ある日、修道院に展示されていた聖荊(キリストが磔にされたときに、頭につけていたとされる荊の冠) の一部がにマルグリッドの患部が触れると、たちまち腫れ物は消え、完全に病気が治ってしまう。 これは宗教裁判所からも、奇跡として公認されている。この出来事を身近に見ていたパスカルは、信仰が揺るぎないものになる。 ー以下字数の関係でカット2008年10月31日ー
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4610, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー2 |
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2013年10月30日(水)
「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著) * 雨がもたらす感動 《その時々の感情に合わせて》 〜 私がいったところはどこも 一人の詩人が私より先に立ち寄っていた。(シグムンド・フロイト)〜 この本には俳句が多く引用してある。イメージを簡潔に、生き生きと彷彿させるに俳句がピッタリだからという。 成るほど、雨の日に一人、部屋で読んでいると、どの俳句も身に染みてくる。 冒頭に、「その時の、感情に合わせて」と、以下の俳句などの一節が書かれていた。 ー慈悲 慈悲は強いられ 行なうものではない。 慈悲は天から降りそそぐ 恋みの雨のように大地を閏すもの。 シェークスピア(ヴェニスの商人) ー融和する愛 こんなふうに、夏の雨ぱ私たちの 心にしっかと棲みつく。 だれかの心と鼓動を合わせ打つ生まれ変わった心のように。 ミュリエル・バリュベル「優雅なハリネズミ」 ー孤独ー 秋雨や夕餉の箸の手くらがり 永井荷風 ー情熱 情熱とは感情的には朝露にとっての雨 水蒸気にとっては水のようなもの ジョセフ・ジュベール ー別れ 白露や 死んでゆく日も帯締めて 三橋鷹女 ー再会 夕立もやみたる頃の迎へ傘 高橋淡路女 ー辛さ 五月雨や上野の山も見飽きたり 正岡子規 ー優しさ 初時雨猿も小蓑をほしげなり 松尾芭蕉 ー存在の驚き はるさめの暮れなんとしてけふも有 与謝野蕪村 ー喜び タ立が洗っていった茄子をもぐ 種田山頭火 ー哀愁 タ時雨蚕ひそみ音に愁う哉 与謝野蕪村 ▼ 雨は、どちらかといえば陰鬱的な気持ちに私たちをさそう。 しかし、雨がもたさす憂鬱、退屈、孤独感の中から 何にもにも代え難い感情が湧き出てくる。そして静かにエネルギーが満ちてくる。 童謡《 あめあめふれふれ母さんが ジャノメでお迎えうれしいな、ピッチピッチ チャップチャップ ラン ランラン。》が、心の奥から聞こえてきた。 ・・・・・・ 4235, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー8 2012年10月30日(火) ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より ● グレルの語源 <グレルの語源は平安時代の「貝合わせ」という遊びからきている。ハマグリの貝殻を二つに分け、ピッタリ合うものを 探す遊びである。これが意外と難しくてナカナカあわない。ここから、しっくりこないことをハマグリの倒語、ハマ・グリ ー>グリ・ハマとなり、そのうちグレだけ残って動詞化し「グレル」になった。この言葉、江戸時代には一般に使われていた。> ▼ 最近、あまりグレルという言葉を聞かなくなった。ここで知るまでは、愚連隊のグレからきていると思っていたが、 愚連隊の愚連が、グレの当て語でったことになる。青少年期にグレタの者に、全うな?人生を過ごしたのは、少ない。 人生の基本が出来てないのは、その後で立て直すのは難しいということ。10歳で人生の限界が決まってしまう説がある。 〜〜 ● へべれけの語源はギリシャ神話から べろんべろんに酔った状態を「へべれけになる」というが、飲みすぎて正体を無くした状態にピッタシである。 一説によるが、ゼウスの娘にちなんだへーべ・エリュケーションからきている。エリュケーションは、お酌をすると いう意味になっている。オリンポスでは、へーベがお酌をするのが習わしで、若くて美しい美人。しかも、ゼウスの 娘なら、つい杯を重ねてしまう。 神々は前後の境なく酔いつぶれてしまう。「へーべ」「レリュケーション」すなわち 「へべれけ」という言葉が生まれた。他にも、「へ」と「べ」の区別がつかなくなり、へべれけが生まれたという説がある。 ▼ 「へ」と「べ」の見境がつかない説もよいが、女神へーべの酌で神々が泥酔した説も面白い。飲み屋のネタに丁度良い。 スナックに行くのは、へーべを求めて酔いたいためだ。へーべはいないが、へーべ風はいる。居酒屋で酔った後に 行くのは、幻想を求めるため。 ・・・・・・ 3870, 品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らねぇ! 2011年10月30日(日) 映画監督の山本晋也の、ある雑誌の手記にあった言葉だが、言い得て妙である。 まずは、その概略を書いてみる。 ≪ 小学校1、2年生の頃、友達と「鞍馬天狗」のかかっていた映画が見たくて、トイレの窓から友達4人と侵入したが、 支配人に捕まった。「先に入った友達がいるはずと、教えれば許す」という条件を出されたが、「友達はいません、僕一人です」と、 言い通した。そのため警察に突き出され、父親が引き取りにきた帰り道に、引っ叩かれた後に「ろくでもねえことをしやがって、 でも、お前さん、友達を売らなかったてぇのは、偉い。品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らなぇっていうからな。覚えてけ!」 「品行」という言葉の意味は、大人が使っていたので何となく分かったが、「品性」という言葉の意味は暫くわからなかった。 ただ、その中で、親父が友達を売らなかったことを褒めてくれた、雰囲気は伝わった。自分は成人映画を撮り続けて250本になる。 その上に、深夜番組で風俗レポーターを21年もやったが、一度として歌舞伎町で浮遊したことはない。それもこれも、親父の、 この江戸弁がきいている。 ≫ ▼ 事業を40年近く携わってきて最後は、この結果に終わった。色いろあったが、法律はスピード違反なら10キロオーバーまで。 綺麗ごとだけでは済まされないのが事業だが、その辺のことは守ってきた。 何事も契約は遵守。 自分の心にとってやましいことは、 やらない信念は持ってきた。この倒産劇で多く非難をされたと思うが、自分では結果に対し納得しているので、冷静でいられた。 確かに品行は良いとはいえないが、品性が悪いとは思ったことはない。 いや、酒癖が悪いから、第三者からみたら最低の品性か。 「国家の品格」、「女性の品格」とかいう類の本では、品性の部分では、ほぼカバーをしていた。 そこでは自己確立が出来ているかどうかが、問われている。 人を悪し様に言っている人たち、陰口しか言えない人たちの、 劣性などが羅列してある。 もっとも立場変われば、見方が全く違うもの。誰も自分にはあると思っているが、実はないのが品性。 大たい2ランク上の自己評価をするから、お笑いになる。 自嘲? それもこれも比較の問題になる・・ 今さら品性と言われても! ・・・・・・・・ 3505, フューチャリスト宣言 ー3 2010年10月30日(土) 「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著) * 楽しくてしょうがないというやつしか勝てない ー まずは、茂木の日米の教育の基本的考え方の違いから ー 茂木:日本の教育では基本的に「範囲」があって、『正しい範囲』を押さえた人が、最終的に大学入試に受かる。 ところがアメリカの高等教育は違う。・・・アメリカの教育は最初から偶有性(何が起こるか分からない)の海の中に生徒たちを 放り込むしかない。とにか「自分の好きなことを勝手にやりなさい」と。しかし個々人が好きな方向にとんがるとは言っても、 やはり何らかの基準がないと困るので、ナショナル.ミニマムとしてSAT(大学進学適性試験)がある。基本的に放し飼いなので、 最低限のベーシックな問題しか出さない。日本の大学入試みたいに、囲い込まれた世界で人工的な受験技術を磨く必要は まったくなくて、それぞれが勝手な方向に突き進んでいるので、共通項としてはミニマムにならざるをえない。 ともかく、僕は公式的な正しい範囲なんて本来ありえないと思っています。だから、日本の教育の本質は「談合」であると思う。 ・・(略)つまりアメリカでは、とんがらせる方向というのは人によって異なる。たとえば人によっては、それこそ高校の時から 量子力学まで進めるかもしれないし、歴史を深く掘り下げたいという人もいるかもしれない。それに対し、日本は、ここまでの 範囲しか勉強をしてはダメといって、人工的に競争をさせようとする。 どちらが良いかは、アメリカが良い。 ・・・(略)それでも「とんがっていいんだよ」ということが、最近では感覚としてみんなに受け容れられてきた気がしてきた。 ▼ アメリカの教育システムがベストという訳ではないが、私がミッション系の大学に入って感じたことは、小学校、中学校、 そして高校から一貫教育できた連中の自由闊達さに、まず驚かされた。他の都会育ちもいるが、地方の連中が、あてがわれた 受験勉強(大学進学適正試験)に多くのエネルギーを奪われているうちに、彼らはジャズバンドに、ゴルフに、服飾に、遊びに、 自由の空気を満喫していたのである。現在考えてみて、その差があまりに大きかった。当時は、それほど感じなかったが。 それで「とんがるように生きてきた」が、このザマ。 先が歪んでいたから?・・・でも、とんがると、娑婆は面白くなる。 その自由闊達が社会に出たとき、そのまま世渡りにプラスになっている。それぞれ一長一短はあるが、 グローバル化は、「とんがり」が求められるのである。 実は、心の奥は毎日が面白くて仕方がない? いや、そうでもない? 「面白くなき世を、面白く」の意味が、歳を重ねていく上でシミジミと分かりかけてきた、ということ! ・・・・・・・・ 3130, 閑話小題 ーつれづれにー 2009年10月30日(金) * PDP・TVとDVD購入から7年経過の感想 購入7年経過の感想といえば、50インチの大きさと画面の明るさと鮮明さが良かったことである。 特に映画と相撲やボクシングなどの迫力が圧倒的になる。それと海外各地の紹介番組も、現地に居るような錯覚にさせる。 ただし、長時間見ていると疲れる。 購入メーカーのパイオニアがPDP・TVより撤退をしたが、製品としては合格。 7年経っても、現在の薄型TVに見劣りをしていないところは、さすがに日本のメーカーである。 TVと録画機は8年を目安にしているので、TVはあと一年だが、三年位は持ちそうだ。 その時は、液晶の65インチのつもりだが、そろそろ液晶とは違う画期的なTVが出はじめている。 で、現在、薄型液晶を買おうと迷っているなら、50インチ以上をお勧めする。結局は画面の大きさだが、 部屋の広さもあるから一概にはいえない。メーカーは、どこも同じようなものだが、敢えていうならソニーか、シャープ。 * 経済の二番底が近くあるのか? 9月に入ってから、地場から聞こえてくる経済の様子が変のようだ。 しかし新潟駅周辺は9月下旬の国体と 身障者のスポーツ大会、5連休の観光客のために賑わっていたが、10月半ばから一挙に元に戻ってしまった。 このところ半年に一度は、こういう雰囲気にはなるが、銀行や会計事務所の話や取引先の話を聞くと、 今度は本当に追い詰められてしまったところが多いという。 年末年始は大荒れ、の予測が前からあったが、 その余震が9月から始ったということだ。 当方は、冷夏のマイナスを9月、10月で何とか取り戻したので、 何とか二月決算の数字は予定通りの目安はたっているが・・・。 年末・年始は二番底に?。 * 「足腰の痛み」か〜 NHKのクローズアップ現代の10月27日(火)放送「あなたの関節は大丈夫?」〜ロコモティブシンドロームの脅威〜 を食い入るように見てしまった。 その内容とは《(NHKのHPより) 手すりにつかまらなくては階段を上れない、 横断歩道を青の間に渡りきれない…。 足腰の痛みなど自覚症状がほとんどない人も含め、骨や関節に問題を抱えている人が、 全国でおよそ4700万人もいるということが、厚生労働省研究班の調査から明らかになった。原因は、ヒザや腰の関節を支える 軟骨がすり減っていたこと。こうした運動器の障害はロコモティブシンドロームと呼ばれ、"寝たきり予備軍"と受け止められている。 (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日 ・・・・・・・・・ 2765, こころと脳の対話 −1 2008年10月30日(木) 「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎 著 (潮出版社 ) ー概要ー 月刊誌上の3度の対談を再構成した本である。脳科学者・茂木健一郎が作る「箱庭」を ユング派分析家・河合隼雄が分析。脳科学と心理療法は現代人の苦悩を救えるなどを議論している。 第1回 こころと脳の不思議(ユングは人間の何を見ようとしたか ;学生時代の箱庭体験;安易に「言語化」することの怖さ ほか); 第2回 箱庭と夢と無意識(箱庭のなかの「生」と「死」 ;「わからない」ことを大事にする;ニワトリが牛耳る不思議な世界 ほか); 第3回 「魂」を救う対話(脳治療の倫理的課題;脳科学に限界はあるか ;夢のなかで「意味」がつながるとき ほか) −− まずは第一回「こころと脳の不思議」の《夢の意味を自分で考えてみる》から・・箱庭の解釈が印象的である。 私も時々、前夜みた夢を雑記帳に書きだすが、後で読み返すと非常に面白い。 これは箱庭の話だが、箱庭は意識と無意識の、少し意識よりの世界を表現するという。 私の事務所の部屋の横に、秘境ツアーで買って来た小さな人形がある。 それだけでなく、母が旅先で買ったものや、子供が小さな頃に買ったものもある。 考えてみたら、この棚そのものが、箱庭ではないか、脈絡は有って無いような。 母、私、そして息子の三代の小さな人形が百個位詰まっている。 そこで時々、気の向くまま7〜8個、白い用紙の上に並べてみようかと思っている。 そして、ジッと見ているうちに何か不思議な世界に、入り込んでしまうような気がする。 それはそうだろう、南アフリカの喜望峰で買ったサイの像と、ケニアのマサイ族と、子供が買ってきた ディズニーランドのミッキーマウスなどが、白紙の上で並べば、そこに深層の何かが見えてきて当然である。 ーP・19 茂木 僕がやった箱庭は、いまでも覚えてますけれど、やっばリ砂でした。僕はそのころ、内向的というか、 知らない人としゃべりがあまりできなくて。 あるとき、箱庭で、村でお祭りをやっていて、 山にサルが一匹いて、木の上からそのお祭りを見ている、というのをつくったんです。 茂木 どういうことか、と聞かれたので.「僕はこのサルで、そのお祭りのなかにまでは行きたくないんだけど、でも一人で、 こうやって楽しそうな様子を見ているのが好きなんだ」というようなことをいって。そのころの心象風景だったんですね。 河合 その、祭りを見ているサルですね。それは、客観的に祭リを観察している自分というのと、それからサルで典型的なのは 孫悟空ですね。将来、大活躍する可能性とか、あるいは仏道に入っていくような宗教性や精神性とか、そういうものを 全部もっている存在としてそこにいるんですよ。それで、いたたずらもするしね。それって、すごくおもしろいですね。 茂木 なるほど、その「サル」というところがポイントなんですね。 ーP・23 河合 わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。 それを無理しているだけではもたないかち、寝たときに調整するわけです、全体性のなかに。 その全体性のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思ってるんです. (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日 ・・・・・・・・・・ 2007年10月30日(火) 2401, こころの旅 ー5 ('-'*)オハヨ♪ ―カリール・ジブラン『預言者』 「子供について」 −読書日記 赤ん坊を抱いたひとりの女が言った どうぞ子どもたちの話をして下さい (それで予言者は言った) あなたがたの子どもたちは あなたがたのものではない 彼らは生命そのものの あこがれの息子や娘である 彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども あなたがたから生じたものではない あなたがたは彼らに愛情を与えうるが あなたがたの考えを与えることはできない なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。 あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが 彼らの魂を宿すことはできない なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。 あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが 彼らに自分のようにならせようとしてはならない なぜなら生命はうしろへ退くことはなく いつでも昨日のところに うろうろ ぐずぐずしてはいないのだ あなたがたは弓のようなもの その弓からあなたがたの子どもたちは 生きた矢のように射られて 前へ放たれる 射る者は永遠の道の上に的をみさだめて 力いっぱいあなたがたの身をしなわせ その矢が速く遠くとび行くように力をつくす 射る者の手によって 身をしなわせられることをよろこびなさい 射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓を愛しているのだから 解) この詩は味わい深い意味がある。 子供に対して全ての親が理解しておかなければならない基本の姿勢である。 (以下、字数の関係でカット、2011年10月30日)
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2013年10月29日(火)
* 金からの自由と解放感! 脳科学者・認知科学者の苫米地英人の『君は一万円札を破れるか』を図書館でみつけ借りてきた。 銀行に倒産させられた?バイオ企業の雄だった林原の専務の著書『破綻』と並列に読むにちょうど良い内容。 脳科学者が、金融、特にお金の本質を書くと、こうなるのか、と読むと尚の事、面白い。後日、ここで取り上げるが、 概要といえば、《お金は経済支配者の洗脳でしかなく、早めに呪縛を解いた方がよい》、と。森林(現実、経済社会)から、 サバンナ(隠居生活)に出てみると、森での思い込みの枠が明確に見えてくる。長年の間、恐れていた倒産に至って、 汚名をきて、曝し首になっても、「それが、どうした!」と開き直ってしまえば、何んてことはない。 地方の中小の三分の一が、今日明日の資金繰りに追われ、残りの大部分が、一歩手前。まともは1〜2割もあるかなしか。 事業整理をした結果、今までの心労はゼロ。事業をやり直す気持ちなど、さらさらない。独り4時起床、ブログを書き上げ、 6時にポタリングに出て・・と、一日のプログラムを淡々とこなす日々。 お金が無くて、不自由をするかといえば、 皆無といえば嘘?になるが、ほぼなし。全て、やりつくした感があるため、別に今さら。 酒もビールも、味などかまわなく、 美味いと思えば美味いと感じるから不思議。 リッツカールトン・ホテルのレストランが、偽装のネタの料理を出していた云々? そんなもの、業界の連中からみれば日常茶飯事で、何を今さら。 食通とかいう人が、能書きたれていても、それが、いかに 下らないことか、料理人が一番良く知っている。 とれたての魚や、野菜を産地で食べるのが一番美味しいし、それ以上の味が あろうはずはない! 一流シェフの料理が美味いなど錯覚。その錯覚も良いことは良いが・・ 目隠しをし、料理、酒の味見を すれば分かること。平べったい顔の若い女性に、整形をし、プロが化粧をし、ブランドの衣装を着せれば、誰でも絶世?の美女。 それと同じで、料理の味も集団催眠の一種。 そういう変身番組を土曜日の9時過ぎにTVで毎週、お笑いで放映している。 お金も、同じ。 紙切れを、あたかも価値があるように洗脳し、現物を騙し取る。米国の基軸通貨のドルが、そうである。 更にバラまいたドルを米国債で回収すればよい。ネズミ講と同じで、国家が倒れない限りは大丈夫。 世界はバカばかり、 欺し証文(お金)と、大事な時間を対価にした労働や資産を、紙切れと平気で交換する。それで、何かが買えるからだ。 その証文の価値は、一部の連中が紙切れに印刷をし、価値があると洗脳しただけの、詐欺そのもの。 それが、森林から出てみると、鮮明に浮かび上がって見えてくる。とはいえ「金から自由になるには、気にしないで済む、 何がしかの金が必要」という現実がある。地方では、年3百〜4百万の支出に耐えられる金額が目安。それさえ確保すれば? その生活に甘んじれば、金から自由になれる、それ以上は同じことになる。1千万以上の生活を20数年してきたが、充実感が あったが、現在と大して変わりはしない。いや、金の呪縛から解放された分、現在の方が良い。 以前、「会社を良い状態で、息子に引き渡した状態をベターなら、整理をし曝し首の現在がベストという実感がある」と書いた、 それである。 それもこれも、それぞれの成り行き。どうでも、よいこと。 「饅頭嫌い!」の落語の話かも? が、オチ。 ・・・・・・ 4234, プレイボーイの人生相談 ー2 2012年10月29日(月) 今東光の回答も面白いが、柴田錬三郎の回答も単調直入に切って捨てるところが面白い。 * 愛の本質とは? ● わたしは、18歳の女子学生です。愛の本質について悩んでいます。今まで3〜4人、肉体関係のあった人がいますが、 わたしの求める愛ではありませんでした。いまも一人の男性と、月に二〜三回あっているのてすが、彼と分かれたあとの 何ともいえない むなしさはいったい、なんなのしょうか? ー愛の本貿とは何んでしょうかー ◎ チンビう同志が裸体をくつつけ合つて愛の本質など判りはせん。魂というものについて、まず考えなくてはならないのだ。 君には、それを考える能力がないらしい。一八歳にしかならないのに、もう数人の関係を持つとは、驚くべきズベ公ぶりだ。 行為そのものが、どうせ、二〜三分の動物的なエンヤコラに相違ない。 だからキミは、セックスさえも知らないのだ。 まず、阿保らしいセックスを中止して、愛するということは何かを知るために、名作といわれる古今東西の恋愛小説を読みたまえ。 魂の美しさ、苦しさ、清らかさ、そして浄化を知るがよい。 * 惚れて、許して、妊娠し… ● 私は十八歳の女子学生です。今、市内のある喫茶店でアルバイトをしています。店のバーテンをどうしようもないほど好きに なってしまいました。相手も私を思っているようなんです。でもその人は結婚しているらしいのです。人の話を聞いたのだから ハッキリわからないんだけれど、聞く勇気もありません。でも時々、彼にがらかわれているようにも思えるのです。 相手は遊びのつもりなのでしようか。 ◎ 嬉れて、からだを許して、一度ぐらい妊娠して人工中絶して、やがて、すてられて、なかばヤケになって、新宿あたりの酒場の ホステスになって、だんだん美しくなって、野心を起して、酒場のマダムになる野心を起して、いろいろの男から、金をひき出して、 ついにその無理がたたって、ダマした男に殺されて、バラバラにされるかね。 ▼ いずれの世の中も、悩みは同じ。悩み、悶え苦しんで、その格闘の中から、人生は生まれてくる。いずれにしても、 人生は真正面からぶつかるしかない。とはいえ綺麗過ぎる人生も、つまらないが、汚いのも考えもの。「小汚い人生を 小奇麗にして生きることこそ、避けるべき??」か。それとも、そんなことを一切、無視すべきか。 どちらにしても同じ。 ・・・・・・ 3869, 地球の中心点からの声 2011年10月29日(土) * 瞑想のヒント? 二年前から、早朝のウォーキングをポタリング(ミニ・サイクリング)に切り替えたが、それ以前は、25年以上近くの土手を 歩いていた。1万から1万5千歩を目標にしていたこともあって、週末には2時間以上歩いてい時期もあった。しかし1時間も 歩き続けると腰が痛くなり、屈伸をしたり、何度かシャガミこむ。その内に、そこで深呼吸をするようになっていた。 屈伸は10回ぐらい繰り返すと不思議と腰痛が引く。ある時に思いついたのが、しゃがんだ時に地球の中心点まで気持ちを落としみ、 そこからエネルギーを汲みあげ、逆に立ち上がったときには、天に向けてエネルギーが宇宙の彼方に向かうイメージである。 呼吸法などの本から租借した呼吸法ということになる。その時に、何時の間にか擬人化した声と対話するようになっていた。 しかし最近になってウォーキングからポタリングに切り替えたため、殆ど、その呼吸法をすることはなかった。ところが、昨日の朝、 ポタリングの途中、信濃川の大手大橋の上を引きチャリをし歩いていると、地球の中心点が頭に浮かんできて、呼びかけてきた。 《 ワシ(中心点)をリアルにイメージしろ。そして、ワシと繋がったと思え。この一点の声を聞こえる奴は少ない。何時でもよい。 目を瞑り、そのイメージを持つのだ。 それで地球の中心に己を置くことができ、そのエネルギーを得ることが可能になる。 まずは、ここを歩いたときは必ず、この瞑想をしろ! 》と。 本当の話である。 地球の大元に繋がる?イメージは面白い! もしかして頭が変になってきたか。元もと変だから、何だろう。 内なる声なのか、はたまた妄想か。ただ、純粋にイメージを持てば、 これは内なるエネルギーの大元に繋がることになる?。 外に向かっていたエネルギーが内向きになった結果か、それとも鬱から躁への 切り替え時のイメージか、これは。 呼吸をしてくれという身体の叫びが正体か。 深呼吸は意識的にしていたが、まだ足りないようだ。 毒が溜まる状況下、エネルギーが枯渇ぎみ、ということ。 深呼吸が精神の大元そのもの。 中村天風の教えと同じである。 ・・・・・・・ 3504, 10−10−10 ー� 2010年10月29日(金) 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージー・ウェルチ (著) ここで多くの事例をあげて、3つのスパンで考える方法を教えている。そこで自分の日常の小さな判断の経過をあげてみる。 ▼(例)=今月は、どういう訳か飲む機会がなかった。そのためか帰りの新幹線車中で「さて今月は、外で飲んでいない。 酒の肴でも買って家に帰ろうか? 殿町にでも飲みに行こうか?」と誘惑の気持ちが出てきた、とする。 そこで、この3つのスパンで考える。≪ 店での二時間はストレス解消になる(短期)、しかし酔った勢いで下手をすると 数軒まわる可能性があり、明朝は後悔する(中期)、それも一週間後には全て忘れている(長期?)。 飲みに行けば明朝のウォーキングかサイクリングは中止になり、せっかくのゴールデンタイムが、二日酔いで帳消し。 さて、どうするか。朝か、夜か? 一週間後には全く記憶の彼方なら、帰るか ≫になる。 これは数ヶ月に一度はある。以前は三度に一度は誰かに電話をしたが、今は歳のせいか、ほぼ帰る。 要は考えるという間で、衝動を抑えることができる。 事例としては、人生とは違う内容だから相応しくないか。 しかし、この本、久しぶりに頭がスカッとさせられた本である。 再度、おさらいをすると、 【 紙とエンピツで、目の前の悩みや葛藤を自問形として書いてみる。<わたしは○○をすべきかどうか?>つまり、 人生の様々な節目に現われてくる問題をまず自分に問いかけてみる。大切なのは、その決断を下したら10分後、10ヶ月後、 10年後(別に10の数字にこだわらなくともよい。一週間、半年、数年後でもよい)の結果を予測することだ。 予測は、ただの想像とは違う。目下の問題の充分の情報を集め、分析し、客観的に見つめなおし初めて予測可能になる。 その過程で、「自分の本心」と「価値観」が浮き彫りになり、裸の自分と向き合うことになる。 そこで、さらに「よりよい決断」をしたかどうかを、その過程で知ることになる。もし、そうでなかったら、そこで修正する。 人間は誰も節目で同じように考えるのだろうが、これを習慣化すれば、より深く考えることが容易になり、判断と決断が早まる。 現在の恐慌?も、「100年、250年、500年に一度のスパン」で捉えたり、「500年、1万年、20万年に一度のスパン」で 捉えたりすることもできる。この視点で過去を振りかえると、自分を見つめ直すきっかけになる。 ・・・・・・・ 3129,電気自動車の時代 2009年10月29日(木) 先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」 という内容の特集を組んでいたが、地球温暖化防止のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車へ 向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて脱ガソリン車の開発・完成をした時にあらゆる妨害が入った。 それを「誰が電気自動車を殺したのか」というテーマのドキュメントも放送していた。 石油業界にとって脱ガソリンは大打撃になる。が、温暖化を考えたら、そうはいってはいられない。 ーNHK・HPのこの番組紹介からー 《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》 シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの動きと、電気自動車に社運をかける日本メーカー 日産の最前線の動きに密着する。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。町工場が雨後のタケノコのように生まれ、 今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいている。 新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、 自動車メーカーと市場争いを繰り広げるところも出てきた。一方アメリカでは「グリーンニューディール」を推進する オバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレーのIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを 握ろうという動きが進んでいる。これに対し、世界の自動車メーカーで初めて本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、 ガソリン車の購買層をターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電インフラ整備など様々な 課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。 ーー 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。 ー印象に残った部分を列記してみると、。 (字数制限のためカット 2011年10月29日) ・・・・・・・・・ 2764 ,ウォール街の魔女 2008年10月29日(水) 【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である! 関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。 ーまずは、そのコピーから 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーンという。 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する第六感のようなものを持っていた。 銀行の破綻(はたん)や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、稼ぎまくった。 さらに、大富豪にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。食事は安いレストランですまし、 安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。読んだ新聞は息子に売りにいかせ、その息子がケガをしたときは、 治療代をケチり片足を切断させられた。 (字数制限のためカット 2010年10月29日) ・・・・・・・・・ 2007年10月29日(月) 2400, こころの旅 ー4 (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu! *まわり道* 神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。同じようなことが、 立花隆の文章にあった。「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。 誰もが直線的な人生より、まわり道をする。 が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。 行ったきりの人生もあるが・・・ 精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な例。 一つや二つは、迷路の迷い込み七転八倒した経験は人知れず持つのが人生。お伽噺や神話は、その理想の物語として 我々に提示される。まわり道こそ、物語なのである。その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、真実と夢があった! 逆にまわり道のない人生はそこに何の味わいがないだろう。 中学校の担任が定年の祝いの同級会の二次会で、 「オレの人生はなかった!両親が先生で、今も90歳近いのに矍鑠としている。そして二人のコントロール下にある」 という言葉が重く聞こえた。 ーp.121ー ・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。 「運命」と当面のしごとが要求することを 忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口があらわれてくることもある。あるいはまったく思いがけない人が みていて、本道へとつれ出してくれることもある。けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間、見捨てられているわけではない。 いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、たとえもし青年期を病の中で すごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、 順調に行った人よりも多くの風景にせっし、多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。 そのためにやっと 「わが道」にたどりついたとき、すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事を することができるだろう。・・・」 ーー 人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感する。 それも順境の時より、逆境の時の方が有益だった。 「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」というが。佐藤優の文章が心を打つのは、 決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていたからである。 そこを「勉強の場」として、割り切ったからである。 まわり道の中でこそ、個性ができるのである。 honnja ヾ(・ω・`)ノバイ
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2013年10月28日(月)
朝日新聞の書評に、『孤立無業(SNEP)』 玄田有史〈著〉があった。 ネット検索で調べると、多くのレビューが出てきた。そこで、その幾つかをまとめてみた。 孤立無業から独居老人に、そして孤立死を迎えることになる。死ぬ時は、誰もが孤立死だが。 《 * 孤立が就労意欲を奪う 日本の若年無業者を「ニート」概念を用いて論じた 東大社会科学研究所の玄田有史が、新たな分析視角を提唱した。 ニートが15歳から34歳の無業者を指すのに対し、本書が取り上げる「孤立無業」は、20歳以上59歳以下の未婚で 無業者のうち(在学中を除く)、ふだんずっと一人でいるか、一緒にいる人が家族以外にいない人々を指す言葉。 孤立無業者は、家族と一緒にいる時間がふだんある「家族型孤立無業」と、ずっと一人の「一人型孤立無業」に分類される。 この春、ウォール・ストリート・ジャーナルの日本版ウェブサイト『JAPAN REALTIME』が「孤立無業者『SNEP』が急増中」 という記事を掲載したことで、ネット上で「SNEP」に注目が集まることとなった。玄田教授によると、「SNEP」の インターネット利用率は41.3%にとどまり、孤立していない無業者に比べると20ポイントも少ない(2006年のデータ)。 〜玄田教授への質問〜 ――孤立無業と聞いても新しい概念とは思えませんが。 玄田:孤立無業は、英語でいうSolitary Non―Employed Personsの頭文字を取ってSNEP。 Solitaryには「ひとりぼっちの」「他人とつきあいのない」「孤独な」「寂しい」といった意味があるように、 無業者の中でも、ふだんずっと 一人か、一緒にいる人が家族以外にはいない人々のことを指します。 ――ニートや引きこもりとどう違うのですか。 玄田:まず年齢の定義が違います。ニートは15〜34歳の若年無業者を指す一方、孤立無業は20歳以上59歳以下の 在学中を除く未婚無業者。仕事をしていない点ではニートと同じですが、ニートは仕事を探す活動や準備をしていない 無業者、SNEPは友人や知人との交流のない無業者で、約9割が6か月以上働いていません。 外出をめったにしない人もいますので、その意味では引きこもりはSNEPに含まれていると考えていい。 また、過去1年にスポーツや旅行、ボランティアなどの社交活動を一切行っていない割合が高いのが特徴です。 ――孤立無業者はどのくらいいるのですか。 玄田:総務省統計局の「社会生活基本調査」から導き出したところ、2006年に112万人いた孤立無業が2000年代に急増し、 2011年時点で162万人に達していることが分かりました。これは60歳未満の未婚無業者の実に約6割を占めています。 》 ▼ 老後にも「孤立無業」が待っている。特に男の場合、縦社会に慣らされてきたため、横社会では、孤立しやすい。 それでも160万以上は驚き。 何とか60歳に辿りついたが、それまでに一つ間違えれば『孤立無業』があった。 倒産は、ほぼ、孤立無業が待っている。事業は船底一枚下が地獄。だから必死に考え、力と知恵が湧き出る。 最後は挫折で、孤立無業である。特に大都会での「孤立無業」は厳しい。「独りは良い」というのは、独りでない からこそ 言えること。人の間にあってこそ、人は人間になる。先日、初老の独り暮らしの人が、アルバイトで 何とか生活している状況をリポートしていたが、鬼気(危機)迫る深刻なもの。 あの時、何もかも放り出し、 独り東京の郊外に身を隠し、年金暮しか、生活保護という道もあった。大部分が、それに近い。そこで寂しさと、 心の傷を癒すため、酒に溺れアル中、そして孤立死・・ としても、一歩も、かたい岩場の穴に閉じこもった 人生より遥かにまともに、思うのだが、当人は、凍りつく日々。緩んだ方々より凍死? 何か最近、緩んできた? ・・・・・・ 4233,プレイボーイの人生相談 ー1 2012年10月28日(日) 以前、この中の今東光の回答の幾つかを取り上げたことがあった。先日、図書館で再び借りて読んだが、 今東光の珍妙な味わいある内容に決して劣らないものが多くあった。回答者は、他に柴田錬三郎、吉本隆明、野坂昭如、 アントニオ猪木、開高健、赤塚不二夫、岡本太郎、武田鉄矢などなど。 その幾つかを取り上げるが、面白い! 若者向けの雑誌のためか、「性についての悩み」が多い。 『プレイボーイの人生相談』(集英社) ーまずは武田鉄也からー <愛につながる性の道> 相談:「彼女はいるのですが、どうしても風俗通いがやめられません。 風俗に行くと、彼女には要求できないことも要求できて、とにかくハマってしまうのです」。 回答:「実はセックスというのはお互いを汚しあうことなんです。だから、本当にキミが彼女のことを好きなら、彼女と一緒に 汚れる性を体験しなければ本当の性は完結しないんだ。(中略) お互いを汚し合い、互いを洗い合うところに本質があるんだ。 キミが風俗にハマっているのは、相手を洗ってあげる必要がないからなんだよね。例えばレストランと一緒で、自分が食べたものを 後片付けする必要がないから、気楽だし、好き勝手注文することができる。毎日レストランじゃ、飽きちゃうし、お金も続かなくなる。 そうすると、やっぱり自分の家で食べるご飯が中心になるし、いちばん落ち着ける場所になる。だから自炊をするんだけれども、 自炊をするために魚を買ってさばいてみれば、はらわたは出るし、生ゴミなんかたくさん出るわけだ。すると当然、部屋は汚れる。 実は本当の性、セックスというのはそういうことなんです。今のあなたは彼女とのセックスを汚さないように、散らかさないように、 後片付けがしやすいようにやってると思うんだ。でもさ、若いんだったらふたりで片付けないと片付けきれないぐらい汚したりして いいんじゃないかな。キミはもっと獣性や野生を出して彼女を汚すべきなんだ。そして、その汚れをふたりできれいに片付ける。 そんなところに、本当の愛につながる性の道、セックスの道というのがあると思うんです」。≫ <何のために生まれてきたか? と考えて> 相談:「最近、ボクはなんのために生まれてきたのかと考えることがあります。人間って一体なんのために生まれてくるんでしょうか」。 回答:「ただ、その問題を考えている人たちは、みんな悩みながら、なぜか突拍子もないことをやり始めているんです。 簡単な例を挙げてみましょう。桃太郎という昔話があります。よく考えてみてください。 桃太郎っていうのは実に変なヤツですよね。 桃から生まれたといわれて、ある日突然、鬼ヶ島へ鬼退治に行くわけです。だいたい桃から人間が生まれるわけがないと思っていますね。 そんなことは子供でもわかります。それに、自分にはおじいさんとおばあさんしかいない。村の友達と比べれば、なぜなんだろうと 不思議がるでしょう。そこで、桃太郎は鉢巻を締めて考えたんでしょうね。「オレはなんで生まれてきたんだろう?」。その結論は、 「オレは鬼退治をするために生まれてきたんじゃないだろうか?」だったと思うんです。オレはどうやらふつうのやつとは違う、 オレはなにか突拍子もないことをするために生まれてきたんだ。その突拍子もないことはなにかと考えたときに、それが 「誰もやらない鬼ヶ島を攻めること」だった。突拍子もないことをやることで桃太郎は、オレはなにか?という答えを見つけたんだ」。 ▼ 私なら、こう回答する。 ≪そんな人生の大問題の手軽な答えなどないよ。「何のため生まれてきたのだろうと頭の中で 繰り返しながら、本屋と図書館の書棚を見て回りなさい。必ずあるから。そしたら、まず、おわりと、最終章を読みなさい。 そこになかったら、序文を読めば、多くのヒントがあるよ。とにかく、自分で答えを探すこと、それが一番大事なことだよ!≫ ・・・・・・・ 3868, 嘘みたいな本当の話 ー5 2011年10月28日(金) * 祖母とロック 「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 祖母と歌番組を見ていた。 とあるロックバンドが演奏していた。 当時とすると若者に人気のバンドだった。 祖母がひとこと、「彼らは、ロックがわかっていない」と言った。 そして祖母は無言で演奏を見続けた。 ー奈良県 うさど * 彼女だけの階段 「あの階段、どこですのん?」 ターナル駅の地下街で呼び止められた。「ほら、あのいつも通る階段よ」 私は一瞬とまどったが、 困っているおばあさんを無視することもできず、「その階殴を上がると何が見えますか?」と聞いてみた。 しかしおばあさんは 私に聞いてもだめだと思ったらしく、「あの人に聞いてみたろ」とそそくさと行った。 ー大阪府 馬山鱒由紀 * もうひとりの私へ 研究室に入ると、先輩が詰め寄って来た。彼女は日本古代史専攻の学究の徒。 「あなたは、歴史を学ぶ者として恥ずかしくはないの〜」 はい〜 「なぜ、○○遺跡発掘を邪魔するのか?」を知りたい。 「私は、この目で見た。あなたが、その遺跡でしていることを。嘘はつけないよ。なぜ、そんなことをするのか」 何が何やら、さっぱりわからない。「私、その遺跡のことも発掘のことも、何も知りません」 「よく、そんな言い訳ができるね。私は、この目で見たんだから」 はい〜 四十年近く経ったいまでもわからない。 在学中、彼女はずっと糾弾の目で私を見つめていた。よく似た人がいるのだろうか。もうひとりの私は、そこで何をしていたのだろう。 どこの遺跡で何をしていたのだろうか。いまはそれが知りたい。 今日、知人に言われた。『○○スーパーでパート始めたの?』 『牛乳の補充してたでしょう』エーッ! もうひとりの私、頑張ってるね。 ▼ 「彼女だけの階段」を読んで、学生時代に住んでいた寮の近くでの出来事を思い出した。それも、いやに鮮明に憶えている。 5歳ぐらいの女児が、「私の家を知らないですか?」と、道を迷ったらしく私に聞いてきた。「町名は何というの?」と聞くと、 その子、「何を言ってんの。ほら私の家よ、私の家よ」という。 私、「 ・・・・ 」 不思議そうな顔をして、走っていった。 痴呆症の老婆と私の出会った少女の話と、実は同じような思い込みを我々はしている。 自分が知っていることを他の人まで 知っていると思い込む、一人合点。 それが長年、蓄積されているから問題。 それより、自分が何にも知らないことを、 知らない恐ろしさの方が悲惨である。 悲惨さえ自覚出来ない悲しい過去と、そして現在。 軽い話が重くなったか! ・・・・・・・ 3503, フューチャリスト宣言 ー2 2010年10月28日(木) *(ネット)システム一人勝ちの時代 「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著) 最近、ネットなどの通販がコンビニ業界と、百貨店業界の売り上げを超えた。10年前では考えられないこと。 我が家では半分近くがアマゾン、楽天などのネットによる宅配便の購入である。それも一回払いのカードで 割引ポイントを稼いでいる。 また楽天などネット商店街を提供する業者は売り上げの数パーセントを出店先からはねている。 これは流通だけでなく、情報に対してもいえること。情報というコンテンツをつくる方は、ネットをコントロール側からすると、 消費される≪素材≫でしかなくなっている。ネット商店は、実際に店に商品を並べ、販売するよりコストが 格段と安く済むため、経費が格段と安く済み、それでもネット・システムを利用する。それが、僅か10年もしないうちに、 百貨店やコンビニの売り上げを超える結果になったのである。そういえば「マトリックス」という映画を観たとき、 コンピューターが、それぞれのシステムと結びついて、エネルギーと情報を吸い取って生体システムが、人間をコントロール してしまう場面があった。 それは極端としても、ネット商店街などの売り上げが、現実の店の売り上げを超えてきたという 現実は、ネット一人勝ちを更に推し進めることになる。 当方にも楽天の営業がきて「現在の売価を1・5倍にして、 宿泊者に販売をして、ポイントを上乗せをして相手に付ける」という提案をしてきた。宿泊者は、領収書を貰えるので、 会社から、その金額が返金になるが、ポイントの差額が楽天で使えるので、優先的に選択をしますという。 何か、これは詐欺の推奨でないかと疑問を持っている。グーグルも、検索を無料提供し、その情報にヒットする 広告が自動的に調べ手に流すことで広告代が入るのだから、これは素晴らしい。ネット一人勝ちの典型である。 新聞広告だけを集めたネットが最近出来た。 それまで新聞に挟まれてきたのが、それを地域単位で まとめたネット。そこに出す商店が出すメリットは、広告の中の惣菜の何を大きくクリックするかで、 その商品に対して顧客が注目されているかを知ることができる。それ自体が、既にリサーチになっている。 システム一人勝ちは、今後ますます激しく時代を動かすことになる。 ・・・・・・・・ 3128,ジム・ロジャーズの経済見通し 2009年10月28日(水) 去年の9・15のリーマンショックは世界経済に大激震を与えた。 世界各国は、この一年間、その影響を最小限度に 抑えるために可能な限りの資金を投入。それで表面的には平静を保っているが、それは目先の応急処置でしかない。 日本の失われた10年、20年と同じような停滞をもたらす杞憂があるというのも、今更だが、どうも分かってないのが多い。 ジム・ロジャーズのインタビューを数ヶ月ぶりに目にした。 当たり前のこととはいえ、彼が言うから説得力になる。 ーまず、その内容をコピーしてみるー ◇「経済危機、再燃も」 −−金融危機から1年余りが経過し、世界経済は回復の動きも出ています。 ◆各国の政府が大量にお金を使ったおかげで改善しているように見えるだけだ。自律的な回復ではなく危機が去ったとは言えない。 米国経済は消費が低迷し、問題解決のために政府は借金を重ね、一時的な雇用対策などに重点を置いている。産業の競争力の 向上にはつながらず、問題を先送りしている。「失われた10年」、いや「20年」に突入したかもしれない。 一方、中国政府は競争力をつけるような分野に投資しており、米国との差が鮮明になっている。 −−日本の政権交代が経済に及ぼす影響をどう見ますか? ◆政府は「未来は明るい」と言うもの。ただ、私自身は投資について政府のアドバイスを受けないことにしている。 政権交代があれば、恩恵を受けるところとそうでないところが出る。日本の新政権は出生率を上げる政策に力を入れるので 子育て関連の企業は恩恵を受けるが、公共事業削減を目指しているため建設業のような企業は先行き厳しいのではないか。 −−日本に対する投資スタンスは? ◆次の10年を見通すとアメリカに比べると債権国の日本の方が期待できる。私も日本円は保有している。 最近は円高傾向にあり、円はまだ上昇するはず。ただ、日本は少子高齢化に直面しているうえ、巨額の財政赤字を抱えているため、 将来的に円を手放さなければならない時期が来るかもしれない。日本の国債は投資への意欲をなくすような低金利だから保有しない。 −−関心を持つ投資先は? ◆貴金属や農産物などの商品相場だ。商品は新興国を中心とした需要の増大に対する供給が追いついておらず、高騰している。 今後も堅調に価格が上昇すると見込まれるため、今後も商品に投資していく。 〜〜 サブプライム・ローンを混入した債権は世界中の金融機関や企業内の資金運用部門に秘かに眠っている。 それが何時、表面化するか、その時が大恐慌のキッカケになる。 ただ引き延ばしているだけでしかない。 だから世界の20ケ国が顔を突き合わせて、対策を考えているが、世界の金融機関の一せい閉鎖をする位の荒治療が必要だが、 それは無理である。だから、失われた10年~20年になるしかないのである。 以前なら世界戦争で、一度清算という手があった。 ・・・・・・・・・ 2763, 閑話小題 2008年10月28日(火) *金融危機が止まらない 9月半ばから始った金融危機、予想通り恐慌の様相を呈してきた。その時点で、この随想日記で「世界恐慌に入ったようだ」 と書いた。他の人は如何であれ、そう信じて状況をみると、恐慌の発火に思えたからである。 何人かの知人に、 「これは既に恐慌だ!と思い込んで世界の状況を見ると、見えないことが見えてくる」と、言ってきた。 そして、あれよあれよと、一万、9千、8千、そして5年半前の7607円割れを先週末にしたと思ったら、 昨日は7162円でひけた。この数字は、26年ぶりの最安値。 あと少しで7000円割れになるところだ。 大方の経済評論家は7000円が底値とみているが、近々に6000円前半もあるかもしれない。この上に円だけが独歩高。 輸出立国の日本はダブルパンチになる。年末から来年にかけて体力のない企業から倒産が始る。 不動産、建築関連、 そして中小金融機関辺りからか。それだけではない、大手銀行も痛んでいて、五千億〜一兆円の増資をするとか、 銀行保有の株式を政府が買取るとか、何でも有りになってきた。世界に目を転じれば、アイスランドに続き、フィリッピン、 ブラジル、そしてロシアと、株式市場の閉鎖などの金融危機が切羽詰ってきた。 世界の株式市場の時価が一年前の半額の三千兆円が消失、それがさらに実体経済を凍りつけている。 11月の15日に、G8と、中国・インドなど新興国が緊急に集まるというが、そこで何が決定されるのだろう? 最近、グリンスパンなどが、これは世界を覆う大津波といっていた。先月半ばの一連の金融危機は私の人生で一番の世界的な大事件と、 何度も書いてきた。この恐ろしさは、短期的に収まるような問題ではない。アメリカが世界中に毒をばら撒いてしまったのである。 それもタチの悪い、簡単に回収できない毒。 その中で、ただ生き抜くしかない時代になってしまった。 ーー *WBCの監督問題 面白いから、WBCの監督に誰がよいか頭の体操をしてみる。北京オリンピックで現役監督から遠ざかっていた星野は難しかったのは、 誰の目にも明らかだった。そのことを本人は自覚していると思いきや、どうも最近の彼の言動からして違うようだ。 (以下字数の関係でカット2009年10月28日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月28日(日) 2399, 世間に踊らされた「悪役」 荻野アンナが読売新聞に『亀田一家の問題』を軽妙に書いていた。彼女は現在、慶応の教授をしているが、 よくTVで見かける人。 (以下字数の関係でカット2008年10月28日)
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2013年10月27日(日)
* そして、『私』の人生はつづく 「そして、人生はつづく」に、それぞれが、「そして、『私の』人生はつづく」と、想定するだろう。 私の場合、「51歳で母を亡くした時、還暦までに人生のやりたいことを燃焼する」と、決心、実践した。 到達時に心の底で「万歳!」。そして、人生がつづいて8年近くになる。 二年半前に会社整理せざるを得なり、本来は致命傷だが、軟着陸?もあって、立ちなおりは早い。。 既に燃焼した人生があったこともある。 20歳で事業創業の人生を決め、踏み出して45年スパンの事業人生。 その物語の終わりのピリオドが、会社整理。 誰にでも、何事にも挫折が必ず待っている。私にとって還暦が区切り。 還暦から新たなステージが始まって、第一の区切りが65歳時の事業精算。次は死期を覚悟する「余命半年」の宣言時か、 寝たきりになった時、そして最期は、プッツンの前日から数秒前辺り。その時、全てが夢幻と気づく・・ ところで、一昨日、タクシーに乗って早そう、50代後半の運転手が、身の上話を始めた。 「私の両親の仲が悪く、離婚。母親に引き取られ、母一人子一人の母子家庭。生活が厳しく、直ぐに働かざるを得なく、結局、 水商売の世界へ。職場のホステスと結婚したが、カミさんが客と浮気、離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、 母親ともに育て上げた。子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことはなかった・・」と、 数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、恥も何もないですよ。 以前、お客さんを乗せたことがあり、身の上話を少ししたことがあったんで・・」と。 タクシーに乗ると、必ず景気とか、 収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。 以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。 人生は一度、歯車が狂うと、孫子何代、その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に備え(シェルター) をつくっておくべきは、身をもって言える。助けてくれるのは自分しかない!「自分だけは、自分の会社だけは、大丈夫!」と、 つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変させている。その中、各人の「そして、人生がつづく」。 情報化、グローバル化、まさかの事態(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。 特に、グローバル化は、島国の日本にとっては大きなマイナスをもたらす。それぞれの『私』も、思い込みでしかない・・ ・・・・・・ 4232,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー7 2012年10月27日(土) ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より * 食べると危険 ートマトはもともと観賞用の植物 ≪ 生で食べてもおいしいし、ソースやケチャップの材料にもなるトマトだが、じつはヨーロッパでは長いあいだ、トマトは 観嘗用や薬用としてしか利用されていなかった。トマトの原産地は中南米である。メキシコでは「トマトル」という名で 煮込み料理などに使われていた一時代を経て一六〜一七世紀にヨーロッパのもたらされた。当時のトマトは品種改良も進んでおらず、 甘味もなく、美味しくなかたようだ。トマトが食べられるようになったのは、イタリアの貧しい農民が、二世紀を経た後に、飢え死にを するぐらいならと食べたのがキッカケ。≫ ▼ これも多くの野菜同様に、南米から持ち込まれたもの。当初は観賞用で、「黄金のリンゴ」「愛のリンゴ」などと呼ばれた。 * 冷使用人の嫌がらせが功を奏した? ー清酒誕生の裏話 ≪ 清く澄んだその見た目から、日本酒は清酒とも呼ばれる。日本酒が現在のような透明に澄んだ酒に変貌するのは、 江戸時代初期のこと。じつはそれまでの日本酒は濁り酒で、今でいうどぶろくだった。その濁り酒から澄んだ透明の酒ができたのは、 まったくの偶然からだった。江戸時代初期、兵庫県にあたる摂津の国に、鴻池新六という酒造業者がいた。ある時、新六が素行の悪い 使用人を叱ったところ、その男は蔵の酒桶に灰汁を投じて逃げてしまった。主人を困らせようというもの。ところが思わぬ効果を挙げた。 翌朝になって新六か桶の中を見ると、今まで白く濁っていた酒が清く澄みわたり、味も香りも驚くほど芳醇なものに変わっていたのだ。 まさに、偶然の産物だった。使用人の恵業かなければこの発見はなかった。新六は、この酒を江戸まで運んで売ることを思いつく。 運び賃をはじめとする流通の経費はかかったが、清酒を求め大名の間で、奪い合いになるほど大評判になり、売れた。 新六は江戸と摂津の国を何ども往復して莫大の利益をあげると、大阪に出て商売を広げた。こうして鴻池家は大阪を代表する 豪商になっていくのである。≫ ▼ 大阪の鴻池が、こういう経緯で大財閥をつくったとは知らなかったが、面白いものである。ただ、それを大々的に売り出した、 新六の才覚があったことも大きい。 ・・・・・ 3867, 三〜四年前の為替相場 2011年10月27日(木) 三年前の2008年10月25日(土)≪随想日記のテーマ「閑話小題ー毎日が薄氷の上」≫が、為替相場について書いていた。 ≪ 9月の半ばから恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も三ヶ月で40%も暴落、何と7600円まで下がってしまった。 ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニックに入っている。この結果どうなるのか? 倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。それで済めばよいが、数年以内に中小の 半分の事業所が倒産、廃業のだろう。考えただけで凍り付く思いになる。 経済大津波が世界中を押し流す勢いである。 ー 以下は、一年前との比較である。これからみると、まだ経済破壊は序盤ということが分かる。(2008年10月22日現在)≫ 【 そこで、現在2011年10月26日現在を、書き入れてみた。】 2007年10月24日 2008年10月22日 2011年10月25日 ドル円 114.10 97.70 76.~ ユーロドル 1.42 1.27 ユーロ円 162.80 124.70 103〜 NYダウ 13,675 8,519 11,913 米国債(10年もの) 4.3% 3.5% 2.23% 原油 87.10 67.48 80 金 757ドル 724ドル 1640ドル 日経 16000 8500 8800 ▼ 4年前と比べるとドルとユーロが大よそ三分の二になり、金価格が、2.2倍になってしまった。 それに対し、株価は一年後にはアメリカの株価は6割まで下がったのが、9割近くまで回復している。 日本の株価は、4年前から一年後に半分近くまで落下したが、その後の三年後の現在も、ほぼ同じである。 アメリカと欧州は、ドルとユーロを過剰に刷っただけ? 資源と金はふんだんに持っている。(欧州は属国を含めて) ・・・・・・・ 3502, 10−10−10 ー� 2010年10月27日(水) 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージー・ウェルチ (著) *「10−10−10」と「起承転結」 ここで、著者は、自分の直感を盲信すべきでないともいう。ことにあたって、冷静にあれという。 さらに三つ目の長期的視点も気をつけるべしと釘をさす。それが短期的、中期的より優れているとは限らないことが、 この「10・10・10」が教えている。長期的視点は重要だが、他の時間軸での見方も重要であると。 考えれば考えるほど奥行きが深くなる。 そこで文章作法、いや四コマ漫画の「起承転結」を、これに当てはめてみる。 < 起=現在、承=現時点で実感できる近い将来(1〜2年先等)、転=一時代先の将来、結=永遠、虚無 >という仮説である。 文章作法も、漫画からみると、転=が最も重要である。10年一昔ともいうし、転を基軸に起と承と結が決まってくる。 そうすると、哲学的に人生を俯瞰して考えると10年先の転に常に標準を合わせて現在、そして数年先を決めるべき、となる。 ある海外ツアーの添乗員が、面白いことを言っていた。「自分は、10年スパンで人生を括ってきた。 卒業をして10年は普通のサラリーマン、そして次の10年は世界を見て歩きたいため添乗員に、その10年に来年なってしまう。 次の10年を何をしたらよいか決断しなければならない。この10年は満足をしているが、次の10年も全く違う分野に 転進した方が良いのは分かっているが」成るほどと、考えさせられた。それは、決して職業とか職場を変えるべし、 ということでなく、職場配点でも、内面の変化でもよい。そうこう考えると、この(大小の)決断のための3つのスパンの視点を 身につけることは非常に重要である。 自分の過去に、あと理屈をつけて次の10−10−10を考えるのも方策である。 転に焦点をあてるために、起が重要になるのは言うまでもない。現在は結の永遠・虚無に垂直にたって通じているからだ。 そんな難しいことより、三つのスパンで考える習慣を、転、転、転で、いや、テン・テン・テンで考えることだ。 小さな節目、中くらいの節目、そして大きな節目を過去から見つけ、この先に当てはめることである。 まあ、何をしてきたのだろうか。それは100人中100人が当てはまるが、これを当てはめて10年先、?十年先を考えないと。 それより、もう先が無いか! ・・・・・・・・・ 3127,「法則」のトリセツ ー2 2009年10月27日(火) * エメットの法則 ー後回しは二倍のエネルギーが必要となるー 他人事にはよく分かるが、自分のこととなると全くみえないから恐ろしい。 仕事を頼むなら忙しい人に頼めとは、出来る人は仕事を後回しにしないで直ぐにやるからである。 ーウィキペディアによるとー ≪エメットの法則とは「仕事を先延ばしにすることは、片付けることよりも倍の時間とエネルギーを要する」 というリタ・エメットが提示した法則である。 我われはついつい仕事や判断を先延ばしにしがちである。 そのことは大きなマイナスになることを体験上知っている。だから如何に問題から逃げないようにするかである。 しかし「やりたくない」という気持ちが勝ってしまい「後で」という言葉が習性になっている。≫ ▲ これは、個人だけではない、現在の日本が直面している問題である。そのツケは、結局は我われの後の世代に回ってくるが、 その根は深く、後に回すしかしないのが現状である。これは、逆に考えれば「何事も先手を打った方が結果として、エネルギーは 半分で済む」ことになる。戦略的に先を読んで前もって準備をしておくと結果は半分のエネルギーで済むということ。 たったこれだけの法則、どこまで実行してきたのだろうか? 〜〜 * ハロー効果 ≪ ハロー効果とは心理的効果の一つで、ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が 歪められる現象のこと。 一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。 ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまう ケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにも かかわらず良いイメージを与える。それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 いっぽう、CMに起用された タレントが不祥事を起こしたりすると、商品自体に何の不満も覚えていなかったにもかかわらず購入意欲が削がれたりする ≫ ▼ 常に、何処かのバカタレが麻薬事件で問題を起こしているが、あれが実情の素顔でしかない。虚像を売るのが彼らの商売。 クレオパトラは、それほどの美人ではなく、常に男の視線を意識をして派手な演出効果をしていたとか。特に色と光に、そんなもの。 ・・・・・・・・・ 2762, 半歩遅れの読書術 2008年10月27日(月) 日経新聞に連載中の書評4年分をまとめたもの。新刊書ではなく、刊行後1-2年経た本を主な対象にしている。 30名が読書にまつわる思いを書いている中身の濃い本である。 冒頭に出てきた荒川洋治のー基本という「本」−僕のジャンル別の『書き方』−の次の一節が面白い。 ーP-22 M・j・アドラー、C・V・ドーレンの『入門本を読む本』(外山滋比占、一九九七)は本を読む人のための、本だ。 「文学書」を読むときの心得は、「文学の影響力に抵抗してはならない」。たとえぱバリが舞台の小説を読みながら、 ロンドンだったらいいのにね、などと思わないこと。流れに身をまかせよ。それが読者の経験となる。 「文学の中に名辞、命題、論証を求めてはならない」。いうにいわれぬ「何か」を求めることだ、と。 またテレビやラジオなど外側の情報源は「突っかい俸にすぎない」。だから本を手放してはならないと、 「自分の中に精神的貯えをもたなければ、知的にも、道徳的にも、精神的にも、われわれの成長は止まってしまう。 そのとき、われわれの死がはじまる」。現代人への、警告である。・・・(中略) さて、ぼくは読みかたではなく、書きかた、主に書くときの気持ちのもちかたをジャンル別に整理してみた。
・・・・・・・・・ 2007年10月27日(土) 2398, 20歳代 海外旅行離れのワケ オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 先日の日経流通新聞のトップ記事の見出しが「20歳代海外旅行離れのワケ」であった。 時代の流れが、その時々の若者の気持ちを決めてしまう一つの事例である。 逆にいえば、この不景気の中、国家存亡の時期に20歳代に6割も海外に行っていること事態がおかしい!のである。 それと、やはり情報化が、この10年間に進んだこともある。 TVで世界中の映像を、こと細かく放送をしていれば、 未知への憧れも薄れてしまう。 さらにインターネットや携帯やゲームなど、旅行より面白そうなものが 手軽に手に入るようになったのも大きい要因だろう。 ーまずは、その要旨をまとめてみるー ・二十代の海外旅行は過去最大であった10年前の6割に落ち込んだ。 ・20代の75?が過去一年間に海外旅行に出かけていない。また、一度も出かけてない人が40?であった。 その理由として、言葉が心配が14?、何となく心配が10?。 ・一回の旅行代が25万で、「高い料金を支払った上に想定外の嫌な思いをしたくない」のが心の奥にあるという。 また3割が学生時代に旅行に行った経験がある。 仕事が忙しいが3割になっている。 「リラックスをするのが目的なのに、海外旅行は長期の休みを取りにくく、せわしなく行きたくない」という。 ・それより「リムジンを借りて遊んだり、ホテルで仲間内でパーティーを開いたりして楽しんだ方がよい」という。 また沖縄や軽井沢などを何度も訪ねているうち、「見知らぬ海外より、身近な土地をより深く知りたい」という。 最近の若い人は知的好奇心が減少しているのが特徴。 特に男に海外より温泉と預金という人がふえていて、 海外旅行は一度行けば充分! という風潮もあるという。
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2013年10月26日(土)
* ジェネリック家電 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が一定期間を経過したことによって特許切れに なった薬品を、他社が格安で製造販売できるようになった薬」のこと。 ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、 初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち(一世代前)した製品の部品を集めて 半額から10分の1の価格に抑えた専門メーカーの商品である。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加 しているという。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、家電チェーンの店先に行ってみると、 何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。 何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。 半月前に5年間使ったデジカメが壊れ、新たに 買うことにした。当初からデジカメはカシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後だったが、 今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の 多機能付きか迷ったが、ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。 デジカメは、日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能になっている。 デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それにしても安い。 20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セットを買った。百万円以上はするような高級なものが、 30万円。そこで、社長に聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤから輸入したもの。 デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。 実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」の走りだろう。 考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。 型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、 使用目的に絞り込んでトレードオフをしている点では同じ。 5百、千円ならいらないが、百円なら・・ 韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、格安の製品開発をしていった背景がある。 中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 ・・・・・・ 4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6 2012年10月26日(金) ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった ≪1886年、アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、 頭痛薬「コカ・コーラ」として売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があったのである。 ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつものようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、 あいにく手近なところに水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客はすっかり元気になり、 効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、シュワッと泡の出るコカ・コーラがアメリカ中に広まっていった。 日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味だったのか、あまり売れず、いったんは発売が 中止になったという歴史がある。再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の兵士や、 その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に輸入が自由化されてからのことである。 ≫ * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ ≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。しかしルーツは一つなのである。 ではこれらのお茶は何が違うのかというと、製造方法が違うのだ。 製造過程で・葉の発酵具合を変えることで、まったく違う 種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸してもんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は 半発酵させた茶で、青茶ともいう。そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵させる過程で、 独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫ ▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔化すに適していたのだろう。 ・・・・・・・ 3866, 嘘みたいな本当の話 ー4 2011年10月26日(水) 「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 * 黒い瞳 新聞が配達される頃、たいがい目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。昼間でも家の外に人の気配がすると、 玄関に走り出し吠える。家を守ってでもいるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。 やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。父が入院している病院に向かっていた。 病室に入ると父は人工呼吸器につながれる瞬間であ.った。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、 得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、 微動だにせず機械と息を合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずるかのような音と共に 機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。 父の法要が済み、一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。茶色のトイプードルが 我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことをきかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、 思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、まさにその日であった。 これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登 ▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に映し出されていた。その時に居間の障子越しから 夕陽が仏像を照らした。それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は何の日か?、ハッとした。 父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。 ・・・・・・・ 3501, 10−10−10 ー� 2010年10月26日(火) 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージー・ウェルチ (著) 「何かが始るとき、そして終わるとき、人は立ちすくむ」。 その時、目先に捉われて、感情が乱れ、思考停止になり、絶望に陥ってしまう。 が、そんな節目にこそ、10-10-10は 未来に目を向けてくれる。そして未来から節目を見直す思考を促す。それも3つのスパンで問題に光を当てることになる。 そこで、自分の価値観は果たして何だろうか、自分のシガラミとは何かを気づかせてくれ、人生の優先順位を考えるきっかけになる。 また自分に必要なもの、必要なことは何かを見極めるチャンスを与えてくれる。それが自分の潜在意識の囁きに耳を澄ますことになる。 未来=10年後だけでなく、現在=10分後・10日後にどうなっている?の視線も重要である。目先、とにかく冷静沈着が必要とされる。 ここで「10・10・10」を、<バーチャル・コンサルタント>と擬人化して質問を発することを勧めている。 我が内なる「10・10・10」が、この緊急の事態(質問)の答えは何だろうか?と。その質問を明確にすれば、答えの何割かは 自然と内から出てくる。それはガイドでもある。そこで、「長期的視点で現在何を準備すべきか、中期的なら何を準備すべきか、 そのため現在の具体的行動は何か」を冷静に考えることが可能になる。 少なくとも問題に対して前向き思考になる。 彼女は、これを「人生管理ツール」という。 人は闇にいる時、そこに、そのまま留まってしまう傾向が非常に強くなっている。 問題に対して、この思考を繰り返しているうちに、人生の優先順位を並びかえる作業をしている。 経営は、それを年中考えることだが、慣れは、それを忘れさせる。 しかし10−10−10をツールとして使えれば、気楽に長期思考も 短期思考もしていることになる。 著者は女性の直感で、10−10−10と単純な三つのスパンで考える方法に気づいたこと、そのことが、 素晴らしい。そして3つのスパンで単純に、具体的に考えるほど、気づかなかったこと、漠然としていたことが姿を現してくる。 ここまで、シンプル化するには膨大のエネルギーを注ぎ込んでいる。間違いなく、これは卓越した決断の思考法である。 ・・・・・・・・ 3126、あいうえお言霊修行 2009年10月26日(月) 「あいうえお言霊修行 」 矢山 利彦 (著) ー読書日記 図書館で、何気なく手に取った本。さっそくポストイットに書き写して、パソコンの画面の下に貼り付けた。 「ありがとう」を何万、いや何十万回か言ったが、最近は言わなくなった。 今度は「あいうえお言霊修行 」として、せめて一万回をいって見ようか。 以下は、アマゾンの ー内容紹介ーと 「カスタマレビュー」 《 言葉には気のチカラがこもっています。そのチカラを脳が感じているのです。 言葉には意味だけではなく、本当にチカラがこもっているのです。「うれしい」「悲しい」・・・。 そうした言葉の一つ一つを脳の深い部分が感じ、プラスとマイナスの言葉に振り分け、そのチカラを身体に伝え、 心の文様をつくっているのです。気がつかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、 私たちの身体と心はつねに反応しているのです。》 ーカスタマレビューで、ホボ7割方を言い尽くしているので、そのままコピーしてみるー 魔法の言葉では、五日市剛さんの『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』がある。 本書では、魔法のプラス言葉 【あいうえお言霊修行】として、『言葉が心を変え』『身体を変え』『人生を変える』方法が紹介されている。 ●この言葉は、(声に出して)1万回間違わずに唱えれば、確実に変われる強さがある。 ●途中でマイナス言葉を言ったら、振り出しに戻って【0:ゼロ】から、始めること。 [魔法のプラス言葉] ・「あ」は、「ありがたい」 ・「い」は、「いつくしむ」 ・「う」は、「うれしく」 ・「え」は、「エンジョイ」 ・「お」は、「おおらか」 [病気になる人、ネガティブ]な人に多い、 「が・ぎ・ぐ・げ・ご」思考及び行動 ・「が」は、「がんばる」 ・「ぎ」は、「義理・義務」 ・「ぐ」は、「グチる」 ・「げ」は、「原理・原則」 ・「ご」は、「ごまかす」 1万回間違わずに唱える行動に動くことで、人生は、積極的なプラス思考となり、いい方向に変わると考えます。 魔法のプラス言葉の第2弾です。 行動に動いて、損をすることはないでしょう。 ーー 指回しをしながら、親指から、あいうえお順に回しながら言うのも良いだろう。 栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」というのがあった。 一時、中年の人が彼方此方でしているのを見かけたが。 良いと思ったら何でもともかくしてみることだ。 でも、一万回も、言えるかな? まあ、パソコンの下に貼り付けてあるから、それだけでも良いか? 「がごぎげご」か〜、社民党の女党首が、これ! いや他人事じゃないか〜 そのどこが悪い!とも言えるが。 世界は娑婆娑婆! だもの。 ・・・・・・・・・ 2761, 金融危機・中国からの視点 2008年10月26日(日) 産経新聞の【ちゃいな.com】という産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、面白い。 中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。更に米国の金融危機の余波を受けている。 やはり米国同様に、これから10年間は動乱になる可能性がある。 その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載されていた。まずは、その内容から・・・・ 【 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタートを切ったのは1978年12月。 この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)は翌1月、外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。 トウ氏は経済発展には対外開放が不可欠で、そのかぎは対米関係にあると考えていた。 トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の米国研究の権威、李慎之・元社会科学院副院長が、 なぜ対米関係が重要なのか問うと、トウ氏は明快に答えた。「米国についていった国はみな富強になったではないか」 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、トウ氏の頭にあったのは、 米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。 実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナーに、 対外貿易を振興、急成長を続けてきた。 中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。】 (字数の関係でカット、09年10月26日) ・・・・・・・・ 2007年10月26日(金) 2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4 (*´・ω・)ノはよー ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、 メスと子供を外敵から守る。これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる人間様は動物とは違う!というが、 その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、吾身や社会を省みて思わざるをえない。 それと歴史・・・ 父親は父性、母親は母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・これは世界の何処の社会でも同じことである。 一番おかしくなっているのがアメリカと日本! 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘している。 当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。 −−−−− *父性と母性* こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。 この形を維持すれば、子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る子供たちの家庭は例外なく父性が弱い。 酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、犯人の家庭では、父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。 役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、家庭で母親が父親並みの権力を持って何かいいことがありましたか、 と問うてみたい。 無論、何もいいことはないのである。 私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。 一つは、子供をつくること。 二つ目は、餌を取ってくること。 三つ目は家族を物理的に守ること。 四つ目は国を守ることだ。 いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと子供は不安になるのである。 自分の数々の経験からこれは間違いない。人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出すことがある。 これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、群れを守るためでもある。 群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。子供たちも己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。 漫画やテレビなどでもそういうヒーローものにひきつけられる。 男の子は本能的にそれを知っているのだ。いまの日本は、 男性が女性化して守ってもらう側になっていることも珍しくない。 群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。 戦後、男に与えられていた責任感が激減したから強くなれなくなってしまった。女は本能的に保護を求める性だが、男が頼りなければ、 女が強くなっていくしかない。しかし、母親はよほど自覚的にならない限り、子どもを強く育てることはできない。 たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足してしまう。それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。
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2013年10月25日(金)
* 「今回は、い〜かな!」 一昨日の夜のこと。家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。 その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい〜かな、とヤンワリと断った」と。 そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。 「『い』をつければ、いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして「あっ、そっか!」 それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、こういう言葉の彩の面白さに反応しない。 以前、何処かの居酒屋で、店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を飛ばしたが、 全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれ、何とか場は持ったが・・ ま、いいか! 「今回は、い〜かな!」は、巧い断り方だ。 営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。 * ぽっくりシューズ 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女 の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面にギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、 サドルの前に腰を出し、女またぎで両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく) だが、緊急停止の場合、 短身もあり、2〜3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れてはきたが、やはり不安で、厚底シューズを 検索で調べ、アマゾンから購入した。送料込で3900円。 早速、送られてきた現物は、何と、ぱっくり下駄にそっくりで、 ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズと変わらないし、踵部分が削られ、 中央が膨らんでいる。 失敗かなと思いつつ、履いて乗ってみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、姿勢を正して歩かないと不安定になる。 足元が三分の一しか接しないため、姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため、疲れが残るがウォーキングには最適。 自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。 踵から脚を踏み込み前に重心移動すると、楕円形のため勢いつき 身体が移動しやすい。よく考えたものだが、自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、転げ落ちそうになった。
・・・・・・ 4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5 2012年10月25日(木) ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より * 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、 やけに美味しかった。マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。 ≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズをかけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。 その起源をたどっていくと、18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。マヨネーズが誕生したのは、 イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。フランス軍を率いていた リシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれていたが、 一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎを求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。 戸惑う料理人に、リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品である オリーブオイルとレモン、ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が満足するか不安に思った料理人は、 少しでも料理をグレードアップさせたいとの思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 マヨネーズがこの世に 誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリューがレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫ ▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。 これとケチャップも、冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。 ・・・・・・・ 3865, 嘘みたいな本当の話 ー3 2011年10月25日(火) * 財布 「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。 そのうち6回は誰かが拾ってくれて、返ってきました。 日本はよい国だと思う。 東京都 マキ * 傘 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。 聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合ったのだという。 そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。 こんな東京でそんなことしている人見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。 地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、バイトに遅れるわけにもいかない。 覚悟を決めて人混みのなかを走りかけたとき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」 見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、バイト先まで走ってくれた。 ー 東京都 佳恵 〜〜 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。 家内の実家が建材店をしており、年に一回、取引先を招待して倉庫で、 展示会をしていた。そこには古物商、ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。 その古道具屋の仏像の中に、 20センチ位の大きさの象牙の阿弥陀仏が目に入った。 値段を聞くと45万円という。 買う気がないので冷やかしで、 「25万円なら買うけど・・」というと、ケンモホロロに断られた。 そこの娘婿とは知らなかったようだ。 で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書とともに、その仏像が直送されてきた。 何気なく、その仏像の台座の下をみると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。 もちろん新しく刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、亡くなった娘?のものかは、 分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、 顔を青ざめて忠言してくれた。 仏像は精巧に彫ってあり、数珠の玉まで細かく見えるほど。 中越大地震のおりに、 その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無いだけ」と、興味なし! ・・・・・・・・ 3500, 10−10−10 ー� 2010年10月25日(月) 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージー・ウェルチ (著) ーアマゾンの内容からー 仕事、夢、結婚、家族、友情。人生に迷ったとき、「決める力」が身につく本。 紙とペンさえあれば、10-10-10は今、この瞬間から試せます。 もしも、この選択をしたら…… □ その決断は、「10分後(今)はどうなっている ? 」 □ 「10ヶ月後(ちょっと先)は ? 」 □ 「10年後(未来)は ? 」 ・・・こう自問するだけでOKなのです! 短期、中期、長期と、3つの視点で選択肢を見つめれば、後悔しない決断ができます。 この本があればぐずぐず迷うクセ、優柔不断、チャンスを逃すパターンが変わります。 ●もう、うんざりの職場。辞めてしまえば10分後はスッキリ。でも、10ヶ月後に後悔しない? 10年後、お金は大丈夫? その選択が正しかったと、本当に言える?10-10-10で考えよう。 ●大事な取引先とのアポ当日、田舎の親が病気に!どう決断をすべきか、10-10-10で考えよう。たった3分集中するだけで、正解が見える。 ●結婚の見込みがなさそうな彼と、続ける? 別れる? 別れたとき、続けたときのメリット&デメリットは、10-10-10が教えてくれる。 ■ 経営の神様、ジャック・ウェルチの公私にわたるパートナーの人生とは? ■ 著者スージー・ウェルチは、ジャーナリストであり、四人の子供の母であり、40代で経営の神様、ジャック・ウェルチと運命を 変える出会いをした魅力あふれる女性。 アメリカでは、女性としての幸せを模索するアラフォーたち、働く女性の共感の声、続々! 10-10-10は発売まもなく『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』のベストセラーリストにランクインし、 テレビ番組でも特集が組まれるなど、大反響を巻き起こした。 〜解) 例の「20世紀最高の経営者」といわれたジャック・ウェルチの連れあいである。この本は発売されると同時に ベストセラーになりテレビ番組などで特番が組まれるなど大反響を及ぼした本とか。日本では今年の1月に発売されたばかりの本。 二日前に図書館で見つけて一読して驚いてしまった。10-10-10と分かりやすい。 短期、中期、長期の視点で、直面の問題を 直感で見定めるに有効である。 思いもよらない出来事に遭遇したとき、現在(10分〜10日後)、中期(10ヶ月〜2年後)、 長期(10年後)の対処を単純に考える習慣をつければ、その習慣がないのと比較すれば時間とともに膨大な差が出る。 金投資を考えると分かりやすい。現時点では、これからハイパーインフレは間違いなく起こるのは必定? しかし、2年スパンでは 大きく乱高下もあるから、目先のかく乱の動きに対し、10−10−10を予測すればよい。10日、10ヶ月は、乱高下するが、 10年後には三倍以上は間違いないと踏むかどうか。そう判断すれば、思い切って投資をすればよい。 東芝の株とすると、原子力発電に重点投資をしているので、10年後には株価は5倍と想定し、10ヶ月後は、まだ投資効果が 見込めないので、塩漬けが出来るかどうか。長期投資の資金の用意があれば長期投資すればよい。等々、見分けることができる。 つづく ・・・・・・・・・ 3125,「法則」のトリセツ ー1 2009年10月25日(日) ー 知っているようで知らない「法則」のトリセツ ー水野 俊哉著 書店や図書館などのビジネス書に記載されている「法則」がカジュアルに面白そうに編成してある本である。 分類が「職場の法則」「仕事の法則」「ビジネスの法則」「勉強の法則」「心の法則」「成功本の法則」と分かりやすい。 160冊以上の書籍からコンパクトにまとめた人生の取り扱い説明書にもなる。 40年以上かけて多くの原理原則の書物を読んできたが、ここで初めて知った法則が次から次と出てくるのには驚いた。 この年齢になって今さら原理原則の勉強でもないが、人生の節々で多くの「法則」で、救われたことは度々である。 また知ってはいたが、注意を払ってなかった法則がコンパクトに核心だけが書かれていると改めて納得する法則もある。 それが、この本の題名「知っているようで知らない「法則」ということ。ここで新たに面白そうな「法則」と、キーワードを考えてみる。 ーブルーオーシャンとレッドオーシャンー (字数制限のためカット 2010年10月25日) ・・・・・・・・・ 2760, 閑話小題 2008年10月25日(土) *毎日が薄氷の上 9月の半ばから、恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も、三ヶ月で40%以上も暴落、何と7600円まで下がってしまった。 ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニックに入っているのだろう。この結果どうなるのか? 倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。それで済めばよいが、数年以内に大小の半分以上の 事業所が倒産、廃業だろう。何か考えただけでゾッとする。それにしても、大津波、世界中を押し流しそうな勢いである。 ー以下は、一年前と現在の比較である。これからみると、まだまだ経済破壊は序盤ということが分かる。 (2008年 10月22日現在) 2007年10月24日 2008年10月22日 ドル円 114.10 97.70 ユーロドル 1.42 1.27 ユーロ円 162.80 124.70 NYダウ 13,675 8,519 米国債(10年もの) 4.3% 3.5% 原油 87.10 67.48 金 757ドル 724ドル 日経 16000 8500 ーーー *アクアラインが1000円に 私のゼミの一年後輩の松下さんが、《道路経済学》とかいう本を出版。その中で川崎市と木更津市を結ぶ、 アクアラインの通過費を1000円とか、2000円に値下げをする運動を起こしていた。 (字数制限のためカット 2010年10月25日) *台風の来ない年は珍しい (字数制限の関係でカット 09年10月25日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月25日(木) 2396, 白い壁とドア オハヨォ… 「生」と「死」のイメージを詩的に書いてみた。 −− 私の生のイメージ、それは白い四角の立方体の壁に囲まれている空間。十数年前に一度、そのイメージをリアルに持ったことがあった。 おそらくは、この白い箱の中の壁の何処かに見えないドアがあって、ある刹那に、その外に放り出されるのである。白い立方体は 生に囲まれた日常である。その意識下の見えない死へのドアがあって、一度出てしまったら、二度と箱の中には戻ることは出来ない。 白い箱の外は、無。 大きな黒い無限の中で、小さな箱はチリのような存在。いつか、その白い壁が開いて、その虚無の真っ只中に 放り出される。それがスグ明日かも知れない、それとも20年、30年先かもしれない。その一瞬、白い壁と黒い虚無の狭間で永遠を 見るのだろうか? それは歓喜だろうか、それともただ寝入る瞬間のようだろうか?そういえば寝入る瞬間を感じ取ったことがある。 「アッ!」という間の一瞬であった。それを言葉でいうと、数千秒の一のプツンという刹那のよう。 ▼ 以上だが、このイメージにピッタリの詩を見つけた。死の際にたった魂の叫びが詩の奥から聞こえてくる。 ドアの前に立つと、こんな声が聞こえてくるのだろか!それとも「おらは死んじまった」の歌声か。 中島義道ではないが、いずれ誰もが直ぐにドアの前に立たされる。 ーー 暗やみの中で一人枕をぬらす夜は 息をひそめて 私をよぶ無数の声に耳をすまそう その果てから空の彼方から 遠い過去からほのかな未来から 夜の闇にこだまする無言のさけび あれはみんなお前の仲間達 暗やみを一人さまよう者達の声 沈黙に一人耐える者達の声 声も出さずに涙する者達の声 ー ブッシュ 孝子 (30年前に28歳で逝った女性の詩である。) o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい
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4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1 |
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2013年10月24日(木)
「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著), このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分になりがちだが、日本列島は地勢的にみて、 雨量の多さが、豊かさをもたらしている。著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学を出て、 日本在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。彼女は、日本の多湿な雨に、 特性を見出している。この本は、雨読にはピッタリの内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に出会えるから良い。 ー内容紹介ーより 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか―― 生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方 雨が好きな人は少ない。 でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。 ある時は私たちをエネルギーで満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は希望、または静かな省察の時を与えてくれる。 雨は私たちの生活のリズムを減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかけてくれる。 雨には意味、そして存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。 雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流する境界に在るのだ。 雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと雨を好きになってみては? ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか [レビューより] { 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、 この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り始めた雨と土の匂い、雨は何処から降って くるのかを確かめるために雨天のなか、天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。 それは私にとっては両親に、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさへと導かれるものだ。 この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を 楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。 誰でも人生は自由なのだなと改めて思った。次回作を心待ちにしている。} ▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、不思議と一瞬一瞬をより深く、 存在意識を持ちながら味わえるようになる。」と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、 深くため息をつく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また「超越」というげ概念にも 気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、自然の制御できない性格なども分からせてくれる。 そう、自然をより美しく、そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、 雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。 ーつづく ・・・・・・ 4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4 2012年10月24日(水) 「ルーツ大全」インフォペディア編 より * 戦国時代の日本にティーバッグがあった! ≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、さまざまな種類が発売されている。ティーバッグの はじまりは一〇〇年ほど前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉のサンプルを絹の袋に入れておいた ところ、顧客の一人が誤ってそれにお湯を注いで飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。 一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じである。 戦乱の続く当時、刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。戦場ではのんびり薬を煎じている 暇などない。そこで金創医たちは、細かく刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が抽出できるように しておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時には産科医を している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点で共通していたからである。今でも、婦人病の漢方薬に 袋に入ったものがよくあるのは、金創医が処方していた名残である。≫ ▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンが あった。お湯を注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの 携帯食として大いに売れたという。彼らは戦場で、それをカジッテ食べていたという。学生時代の昼飯として、よく食べていた。 ・・・・・・ 3864, 嘘みたいな本当の話 −2 2011年10月24日(月) * さかさまな世界- 「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに踏み込む足裏が痛い。右手をそっと 後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。 大学に入学して初めてのバイト先。 苛立った僕はその後、事務員の女性たちに愚癒をこぼした。 「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと届かないんですもん。 ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、和式はたまらなくつらいんですよ」 僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは顔を見合わせる。ひとりの事務員が切り出した。 「あの……トイレヅトベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」 東京都 サトゲン * シンデレラ 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落としてしまった・・・ 拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。 同時に、私の足元でひざまずいていた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。 我に返り慌てて振り返ったが、無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。 岐阜県 横山奈津子 * 洗濯バサミ 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。 今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミがひとつ入っていた。 長崎県 トンビ ▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、一生に一回あるかないか。 こういう思いもかけない偶然は、誰も経験しているが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。 「洗濯バサミ」、これもあり得る話。 野生の鳥は思いもよらない頭脳を持っている。そうでなくては、 四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 こういう話は純真に聞き入れる方だ。 ・・・・・・・・ 3499, 経済予測脳で人生が変わる 2010年10月24日(日) ≪経済予測脳で人生が変わる!―仕事も投資も成功できる「起こりえる未来」の読み方 ≫ 中原 圭介 (著) ー内容紹介ー 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」の道半ば。 これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を予測して、事前に手を打っておくことが必要。 経済予測脳をもっていれば、誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。 自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が可能になる。 それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を送ることができるのか。 〜 大まかにいえば、 ≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。 特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、 変化をジックリと見極め、それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、 *「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けてどう進むべきかを考える力を養い *「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し予想することができるようにして、 *「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのかを捉えるようになる。 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、人と社会は非合理的な側面が含まれるため、 色いろな基礎教養をベースの上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。 ・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。 その背景には本格的情報化社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を持ちはじめた 20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネットなどの情報手段の革命がある。そのことを、明確に把握していないと、 現在の状況を見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが、 「この恐慌は過ってない歴史的世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマにしているが、 それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。 そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦、世界恐慌、 そして第二次世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 特に、茹で蛙の日本は、である。 ・・・・・・・ 3124,生きる幻想 死ぬ幻想 ー5 2009年10月24日(土) ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー 以下の部分で、その原理を説明している。 これでは多神教が敵うわけがない。 それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人だからだろう。 彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれていれば、どうもこうもない。 ー 終末論 ー P-29 岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し違うのですね。 終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて 律法を守ってきた自分たちを窮状から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから 出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれがそういう目に あわなければならないのかという不満を常に抱いている。 小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが降りてきて政治権力を握るということになる。 そもそもユダヤ人は、幾度も周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる願いは、 メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということなんです。ただし強力な国を作りたいという 願いはありますが、全世界をユダヤ教}色にしてやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教やイスラームより はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り立っているのです。 岸田 ▼ユダヤ教とキリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやってくるのは現世的な救いなのですが、 キリスト教では幻想的にというか、非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考えるところです。 Q ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。 小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的にはないのです。少なくとも旧約には書かれてない。 ーー ー イスラムの天国 ー p−35 小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。 その時にアッラーの前に引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。 で、死者たちは、それまでずっと眠ったような状態でいて、終末が来た時に生前の肉体で甦って、裁きを受けるのです。 だからイスラームでは火葬は御法度。裁きも具体的で、ちょっと御伽話みたいですが、それぞれの人の左右の両肩に天使がいて、 ちゃんと律法を守ったら、それが天使によって記帳され、さぼったら、これまた記帳されていくんです。 裁きのときはその双方の記帳が天秤に乗せられて、右肩が下がったら天国行きで皮対は地獄行きです。 裁きは一回かぎりで、地獄から天国に行くということはできません。そのときは現世はなくなってしまい、 天国と地獄になるのです。『コーラン』には天国の様子もちゃんと描写してあります。ただし男の天国しか書かれていない。 そこは緑のしたたるオアシスのようなところで、七十二人の処女が侍ってていて、いくら飲んでも酔っぱらわない 美味な酒がしこたま飲める。 それでは女性が天国に行った場合はどうなるかは書かれていない。 ただし、殉教者は最後の審番は免除なのです。血だらけの姿をアッラーに見せれば、それで天国行きという事になります。 ですから殉教者は葬式の際には、血だらけの生々しい埋葬をします。偉いウラマーでも、少しは律法を破ったことがあるから、 最後の審判は怖いのです。 でも、殉教者はストレートにパスなのです。だから殉教したい人が多くなる。 〜〜 これらを読んでいると、天国とは「幻想論」を絵に描いたようなもの。ニャロメの赤塚など、この程度の天国を十二分に味わったはず。 日本のプチブルも彼らのいう天国の門前にいるようなもの。と、思うのも多神教徒の浅はかさか! 天国はアラブの地の貧乏人の夢か! ・・・・・・・・ 2759, ソロスは警告する −3 2008年10月24日(金) ー要点をまとめると、以下の通りになるー この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。 * 「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかないと、 ソロス自身の哲学を築き上げるが、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』に影響されたとしている。 ポパーは"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の 平和共存を可能にする制度が必要であると認めているような社会」であると定義している。 * これからソロスは彼独自の哲学を育てた。 彼のキーワードは、「再帰性」と「可謬性」。 ・「再帰性」とは 【人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。 世界に対し操作を加えたとき、 観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。 さらに、究極の真理あるいは確実な情報は 人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで、「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。】 ・「可謬性」とは、【人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。 】 これを行動経済学の観点から解釈し応用していった。 彼は、誤謬の可能性ではなく、人間は間違うもの!と断定している。 * 現在の経済は1929年の大恐慌以来最悪の状態になりつつあり、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張時代が終焉を迎えている。(中略) ソロスの分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、人々が誤った投資行動を続ける原因になった 「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した、という。「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、 「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任と呼ばれた、市場には一切規制を加えるべきではないという市場原理主義である。 * ソロスは、サブプライムはトリガー(状態変化の引きがね、となる信号)に過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、 信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"が、そのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって 成長してきた超バブルがはじける、と警告している。 ーP-53 の以下の部分が再帰性について、解りやすく説明してあるー ●ー人間の誤解は社会に大きな影響を与えるー 「再帰性」は、参加者の見方と、事象そのもののありようとの間に成り立つ、一種の循環性、両者の間の双方向的なフィードバックが 生み出す円環だと見ることが可能である。 (字数の制限の関係でカット09年10月24日) ・・・・・・・・・ 2007年10月24日(水) 2395, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー3 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ… (以下、字数の関係でカット09年10月24日)
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2013年10月23日(水)
* 呆けも大変だけど、しっかりしているのも? 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた義母と三人暮らしという。 「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」という。その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。 { 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。亡くなる半年ぐらい前のこと、 元旅館の女将をしていた母の最も親しかった92歳の友人が、実娘に付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。 最期のお別れという空気が、そこに漂っていたが、呆けは全くなく元気そのもの。 家内が台所で、こっそりと、 「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、娘さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! むしろ・・} その時の一期一会の二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、される方も、するほうも、大変である。 「呆けは老いの苦痛を和らげるため神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむのも芸のうち、ということ。 * 米国のデフォルト危機 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。計画的世界恐慌、このタイミングがベストに思えたが? まずシリア爆撃に目先を向け、そのドサクサにデフォルトだったのでは? 国家戦略からして、オバマ二期目の二年目。 やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。日本と同じく国債増発しか予算が 組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル投入と同じで、死ぬまで続けるか、恐慌を起こし精算しかない。 そのプロセスを踏まない限り、米国債を出し続けるしかない。 水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。 更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。その上、世界恐慌が表立ってきたら、どうなるのか。 まずハイパーインフレとすると、年金生活者は? 今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。 「まさか!」は起こってからでは遅いが、備えは可能。「まさか!」が、危ない。私の「まさか!」は、リーマン。 備えてはいたが、現実に起こると「まさか」が、「まさか」でなくなる。その典型が、「まさか!東京電力が」・・ 一万円前後していた株価が、今では500円、これも国家管理になればゼロの可能性がある。安定株の筆頭だったのに。 ・・・・・・ 4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3 2012年10月23日(火) * 鮫子の形の由来 餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いものだ。 ≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起ものとして餃子を食べるしきたりがある。その理由は、 あの独特の形にある。鮫子の形は、清の時代まで中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形からきている。そのため鮫子は 「富貴」「多子」の縁起をかついだおめでたい食べものだと考えられてきた。中国では、年の初めに鮫子を食べると一年間お金に 困らずに暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。中国における鮫子は、まさに日本の「おせち料理」のような存在で あるといえるのだ。 それでは鮫子の発祥地はいったい中国のどの辺りなのだろう。 じつは比較的最近の一九六八年、 新彊ウイグル自治区のトルファンにあるアスタナ遺跡で、なんと唐の時代の鮫子の化石らしきものが発見された。 この発見により、このトルファンの地が餃子の起源と考えられている。この化石は、トルファンに展示されている≫ * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた ≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選したのが、食品加工業者アぺールの発案した瓶詰めという 方法だった。その作り方は、瓶に調理した食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。そのあと湯せん鍋で沸騰加熱して 殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま持ち運ぶことができる。この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、 アペールは莫大な賞金を手にした。ナポレオンの快進撃を支えた瓶詰めは、ほぼ同時期にイギリスで発明された缶話めとともに、 今でも人々の食卓を支え続けている。≫ ▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを、更に小さく個人用パッケーかに詰替えたことになる。 最近、コンビニが勢いづいているが、これも、スーパーの家族用の品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を中心にした ことが、消費者の支持を受けたことになる。 ・・・・・・・ 3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は 2011年10月23日(日) 「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。反対に、「なりたいものになるな。 なれるものになれ。」というのもある。脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」という。 日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授になりたいと は思わない。 何となくなりたいと思う理想のイメージの人にはなれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定をしているはず。 ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいものになりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。 翼を広げ羽ばたいていると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。「なりたい」と真に思わなければ、 なりたい自分になれる訳がない。 逆に「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのは、【某セミナー】の教え。 ≪ 「なりたくたってなれない。 でも、なりたいと思っているのがそもそも間違い。」 そもそも、なれないものに多大に努力をつぎ込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、 ネガティブなものの事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生きかたをいいます。 いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだからなれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」とか 「カラーコンタクトを入れれば」・・とかドンドン付け足して、自分がなくなっていく。≫ これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿とは違った「なりたいもの」の仮面を作り上げてしまう愚」 を説いている。これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、しっかりした指導者か見識が必要。 しかし真になりたいものを見つけ、それに向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行くのも道理。 「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が針を棒に変えてしまう。 なりたいと願うことは、エネルギーを そこに集中していることになる。やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたいものに、なっていく。 司法試験に多くの人が挑み、そして大多数の人が挫折していく。しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。 しかし、一生をかけても合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。 ・・・・・・・ 3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは 2010年10月23日(土) 先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。 ーまずはウキィペディアによると ≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験するようになり、その肉体の自分とは違う 霊体の自分を「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の自然科学を 修めつつ、探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、独自の探求を続けた ・・・≫ ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。 ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー *敗北の時代 ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブルの崩壊から嘘のように元気を失っている。 財政赤字は900兆以上にもなり、収入は日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。 *最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、新しい挑戦が出来なくなっているからだ。 *人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今までにない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は 本当に想像を絶するほどの違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。 *「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」 −>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、 星が終焉を迎えるとき、超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。その魂の方はどうかというと、 魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。 私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に通じています。 その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。 魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、 私たちを超えた無意識の膨大な経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を一つに 結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない 広がりと深さを抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を果たせる存在となる。 *魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、 世界とは特別なつながりはないと思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、みな「つながり」 によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。 〜〜 解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。 「魂とは、生前、死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、宗教的である。 ・・・・・・・・・ 3123, 生きる幻想 死ぬ幻想 ー4 2009年10月23日(金) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 宗教は「死に対する恐怖を軽減する役割」が大である。死がやがて訪れることを知ってしまったので、 その恐怖こそ、人類が長年にわたって個々人が乗り越えなければ壁であった。 一神教は、それを利用して神というラージXに対する恐怖を洗脳し、バラバラの人心を一つにしようとしたのである。 エジプトの奴隷が集団でイスラエルの地に逃げてきたのだから、その奴隷には恐怖心を植え付け煽るしかない。 −以下の部分は、その辺の事情を分かりやすく述べている。 * 恐怖の神 * P-24 岸田:一神教は、「対神恐怖」の宗教だと以前から言っている。唯一神を奉じる人々は、神という主人の奴隷であって、 戒律に違反すると、神から厳しい処分を受ける。この恐怖が一神教徒の行動の規範です。彼等はあまりにも神が恐ろしいので、 神以外のものが恐ろしくなくってしまい、平気で無関係な人間を軽んじてしまう。彼らが尊重するのは同じ神を信じる人間だけ。 そこから、キリスト教徒ではない先住民や、異教徒に対する虐殺が由来する。神は主人、人間は奴隷であって、奴隷は 主人の命に従わなくてはならないのです。そうしないと酷い目にあわされてしまうのです。自殺など、とんでもないことです。 一神教の文明圏で自殺が厳禁されている理由は、奴隷には自殺の権利などないのです。 自殺は神との契約を破棄することなので、最大の違反です。奴隷が主人の命である律法を守っていれば、 主人は『救い手』を遣わして、奴隷たちを窮状から救い、万人の主にしてくれる。 それが一神教の基本テーマです。 小滝:これに対して日本人は対人恐怖症なのです。社会で相手の信頼関係の中で「じゃあ、そうしましょう」 となるのです。約束を破らないのは、彼に悪いとか世間での自分の評価を気にするからです。 しかし一神教徒は神に叱られるから約束を守るのです。 岸田:対神恐怖と言うのは、それが共有されれば、人間の行動を規制するのに非常に役立つもの。 小滝:彼らにとって、異教徒というのは、同じ神に誓うという条件を満たせない者たちなので相互の信頼関係を結べないのです。 異教徒の契約は常に仮契約でしかない。 その辺に一神教徒の異教徒への非道の原因があるようです。 ▼ アメリカという一神教国が多神教国を冷酷な割り切りの視点でコントロールしている背景を上記からも知ることが出来る。 ・・・・・・・・ 2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと! 2008年10月23日(木) 仏文学者の鹿島茂が毎日新聞の文化欄に「株価暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して書いていた。 経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと、‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。 1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。 (字数制限のためカット 2010年10月23日) ・・・・・・・・・ 2007年10月23日(火) 2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。 もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。 そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。
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4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に! |
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2013年10月22日(火)
* 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい! エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手のファイナンシャル・プランナーの一言が印象的。 「セミナーで、まず言うことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。スーパーに千円だけを持っていき、買い物を 一週間続けることを勧めています。それが出来ないならカゴを持たないで買い物をしてください。カゴを持たないと沢山、 持てないから、どうしも買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものがわかってきます。 習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 シビアな話だが、体で憶える第一歩。 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回のランチと、週一のシネマと、 月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの小遣い。 元はといえば、出処は40年与えてきた 給与の一部?それで今や発言権は三分の一。この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、ジーンズ二本、電動アシスト 自転車、iPad、7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分? こんなもの? その都度、小言をいわれるが、さほど 欲しい物がないのは年齢のせい? 欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 財布には必ず、5万以上は入れている。 使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、安いもの。年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ そこで昨日、車に財布を置いて、千円だけ持ってスーパーで買物をしたが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。 財産を使い切り、まず楽しみ、そして貧乏を楽しむのも面白いのかも。他人事でない、自分のことか!それでも心はリッチ? 楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。 日々、是、好日、いや口実か。 年金暮しも、楽むしかない。
・・・・・・ 4227,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー2 2012年10月22日(月) * 饅頭は諸葛孔明のトッサの機転から生まれた ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より ≪ 饅頭の起源はなんと中国の三国志の時代にまで遡る。蜀の軍師であった諸葛亮孔明は、ある地域で人の頭を人身御供として捧げ、 川の神を鎮めるという風習を目にした。これをみかねた諸葛亮は、機転を利かして、小麦粉の皮に豚や羊の肉を入れたものを人頭に 見立てて神に捧げ、いけにえの代わりとした。これが饅頭のルーツである。それ以来、饅頭は料理として中国人の食卓にも浸透し、 主食の一つとして食べられるようになった。まんじゅうの「じゅう」の字を「頭」と書くのはここからきている。 当初は蛮人の頭の意味から「蛮頭」が用いられたが、のちに「饅」の字を使うようになり「饅頭」になったといわれている。 諸葛亮が機転を利かせて誕生した饅頭が、日本に伝わったのは一四世紀。1341年に宋から渡来した林浄因(のちに塩瀬姓を名乗る) が作った「奈良饅頭」が、日本で最初の饅頭とされている。中国の饅頭は中に肉や野菜を入れるのが普通だったが、 浄因は肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮詰め、甘葛の甘味を加えた館を入れた饅頭を考案した。≫ ▼ まさか饅頭に、こんな起源が隠されているとは思っていなかった。 * 海軍大将・東郷平八郎の注文で"誕生した肉じゃが ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より ≪東郷は、イギリスに七年間留学していたことがあり、日本に帰国してからも、かの地で食したビーフシチュウの味が忘れられなかった。 日本でもあの味を味わいたいと部下に調理を命じたが、明治時代の日本では、ビーフシチュウに欠かせないバターやワインがなかなか 手に入らない。そこで部下は、砂糖、醤油、ごま油を使い、牛肉とじゃがいも、玉ねぎを煮込んでみた。こうしてでき上がったのが、 今でいう「肉じゃが」だったのだ。ビーフシチューとは似ても似つかないが、これが意外と美味であった。しかも、当時の海軍の 船員たちは長い航海のうちにビタミンが不足に陥り、脚気や壊血病になる者が多かったが、じゃがいもや玉ねぎはビタミンが豊富なので、 その予防にもなる。当時は肉じゃがではなく、「甘煮」と呼ばれたこの料理は、まず海軍で人気の献立となった。一般家庭に 普及したのはずっとあとで、昭和五〇年代に入ってからのことだった。肉じゃがのル!ツは東郷風のピーフシチウだったのである。≫ ▼ 肉ジャガが和風シチューのつもりで作ったものとは、居酒屋ネタとして丁度よい。 ・・・・・・ 3862, 嘘みたいな本当の話 2011年10月22日(土) 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで取り上げたような気がして調べたら、 「H0505 小説のような本当の話!」というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、それでは私というと、 これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、それは自分自身のことだから言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、 150あまりのショートストーリーは、それぞれの味がある。 人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。 考えてみたら、自分が、いま、ここに存在していることが嘘みたいである。 両親の出会い、そして数億の精子と、卵子が出合うことも、 両親の両親、そして先祖の出会いの重なりの結果、はじめて現在の自分がある。 そういう難しい話は、この本の本題ではない。 何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような経験の披瀝である。 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、私の世間話的なそれを書いてみる。 ー かなりショートにまとめてみた。 * 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を眺めると、カラスの一群と鳩の一群が 入り乱れて闘っていた。見ていたのは数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、滅多にみれるものでない。 「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。 * その頃の話だが、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれていた身体はデカイが、幼さの残っている ゴールデンリトリバーと、偶然に目が合った。 思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、何と、その犬も 右手、いや右足をあげた。 オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ちになった。 * 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルにある燕の巣に、越冬の留守に雀が住んでいた。 そこに春先に燕が帰ってきて、その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に出くわした。 雀には、多くの仲間が遠くから ピーピーとけたたましく騒いでいる。 数分で、見届けないで散歩を続けたが、翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。 驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。とすると、初めての体験、経験は「嘘のような出会い」になる。 ・・・・・・・ 3497, お金の教養 −3 2010年10月22日(金) ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著 * 何が「浪費」で、何が「投資」か 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、お金の本来の価値を楽しむことはできない。 価値あるものにはしっかり使い、価値のないものは、使わないというルールが必要である。 著者は日常使う小さなお金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。 ・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」 ・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」 ・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5〜10倍の価値は充分にあった心底思っている。 飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零と思うことが多い。 これは浪費。 土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、 それぞれの意味が実感できる。 時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。 テレビ、パソコンは投資。 昼飯は消費。 本は大部分は投資。 週刊誌は消費で、月刊誌の文藝春秋は投資?消費? これは実際に買って読んでから分かること。去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーンは投資。 成るほど! 両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使えということ。 関西人は概ねこれに徹している。 マイホームは思い切って良い家を買うが、普段の生活は質実剛健にする。 金の使い方だけでなく、著者はこれを時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている時間や、 健康のためのスポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。 睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。一年を振り返って、あれは良かったと 思える時間が投資である。 そういう視点で「金と時間」の使い方をチェックしてみると、面白い。 長期的投資と短期投資にも分けられる。 浪費が入った三つが混合するから面白いもの。 浪費と思っていただけのことが 実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。これは時間がたってみないと分からない。 ・・・・・・・・・ 3122, 生きる幻想 死ぬ幻想 ー3 2009年10月22日(木) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、決して南米や東洋より優れているのではなく、 逆に劣っているのを知ることになる。 勝っているのは人殺しの技術だけ。 そこで西欧人は自分たちの方が優れていると、 信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか隣人愛を言うが、そこから外れた者については、 公然と差別をし、何をしてもよいことになる。人間扱いされなかった奴隷たちが救いの神として唯一絶対の神を信仰したが、 その神は復讐の神だったからである。現在、原理主義者が平気でテロを仕掛けるのも、この辺の事情による。 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P−13) Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたというお話ですが、その後、 大航海時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきますね。そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。 岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていったのですが、その結果、ヨーロッパ人はますます 劣等感と敗北感が募ったと思います。 誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、決してふるさとを捨てて遠い 外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人はヨーロッパに安住できないいろいろな事情がありました。 人口の四分の一から三分の一が死んだと言われる十四世紀半ばのペストの大流行、打ち続く飢饅、宗教的迫害など。 ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く世界へと進出したと思っているようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、 客観的には、命からがら逃げ出した難民でした。 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパよりインドや中国のほうがはるかに 文化的にも経済的にも上で、豊かな生活をしていたのですね。 ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、 ヨーロッパがいかに遅れていて劣っているかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感をひっくり返すというのが、 近代ヨーロッパ人の植民地主義を支えた情熱なんですよ。 われわれのほうが遅れている、劣っていると感じて、 それ以後のヨーロッパ人は、われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを証明しようと必死でした。それ以後、彼らが、 何かにつけて、ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。 小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。 当時は修道院があちこちにでき、 実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採をやったのです。 さらに森林伐採には宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、 キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、 それにペスト菌を持ったノミやダニが寄生したもので、大流行を引きおこしていった。 〜〜 現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、この辺の一神教が主導してきた文明の行き詰まり。 そして、これからは中国、インド、東南アジアの文明が必然的に世界をリードしていくしかない。 アメリカの属国として戦後の経済成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。 ・・・・・・・・・ 2757, 今後のノーベル賞の有力候補は? 2008年10月22日(水) 一昨日の産経新聞 【正論】の ー ノーベル賞で「銀メダル」の日本 ーが、面白い! その中で、今後の日本のノーベル賞の候補を何人か挙げていた。 アメリカの国力を感じるが、日本も満更ではないことが窺える。 ーーー ●≪政府の50年目標も有望≫ アカデミーが南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏の日本人に2008年のノーベル物理学賞を授与すると発表し、 翌日には同化学賞を下村脩氏に贈ると発表した。日本人がノーベル賞を受賞するのは、2002年の田中耕一氏(化学賞)と 小柴昌俊氏(物理学賞)以来6年ぶりで、同じ分野の賞を3人で共同受賞するのは初の快挙である。 この結果、自然科学系のノーベル賞を受賞した日本人は13人となった。 今回の快挙を含めて、最近ノーベル賞での日本人の進出が目立つ。 化学賞は2000年から白川英樹、野依良治、田中耕一 の3氏が3年連続で受賞しているから、下村脩氏で4人目となる。 物理学賞についても小柴昌俊氏と今回の3氏を合わせると4人が受賞。9年間で8人の日本人科学者が受賞したことになる。 1901年に創設されたノーベル賞を20世紀に受賞した日本人科学者は物理学賞が湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈の3氏、 化学賞は福井謙一氏と白川英樹氏、医学・生理学賞が利根川進氏の計6人だった。 それが21世紀に入ってわずか8年なのに、すでに7人が受賞した。100年分を8年で超えてしまったのだから驚異的といえる。 日本政府は科学技術基本計画で「50年間で30人以上の自然科学系のノーベル賞受賞者」という数値目標を掲げたが、 このペースでいくと可能性がある。 ●≪医学・生理学賞も圏内≫ これまでの自然科学系受賞者の国別ランキングをみると、トップは224人の米国、次いで75人の英国、68人のドイツ、 29人のフランス、16人のスウェーデン、15人のスイスが続き、13人の日本はロシア、オランダと並んで7位である。 ところが、今世紀に入ってのランキングは、30人の米国は別格であるが、7人の日本は何と英国と並んで2位を占める。 21世紀の自然科学系のノーベル賞争いで現在、日本は銀メダルという素晴らしい成績である。 さらに、今年の医学・生理学賞は日本人の日沼頼夫氏が受賞する可能性があった。 中略・・・ ●≪他分野でも世界が注目≫ これからもノーベル賞のラッシュが続く予感がする。物理学では青色発光ダイオードの中村修二氏、カーボンナノチューブの飯島澄男氏、 巨大磁気抵抗効果の十倉好紀氏、光ファイバーの中沢正隆氏、化学では鈴木・宮浦カップリングの鈴木章氏、炭素繊維の遠藤守信氏、 医学ではiPS細胞の山中伸弥氏、抗コレステロール剤スタチンの遠藤章氏、先天免疫の審良静男氏、ニューロサイエンスの菅乃武男氏 と多士済々である。・・・・・ 最近の日本人の活躍は自然科学者だけではない。2003年には宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞の長編アニメーション賞 を受賞し、漫画でも『ドラゴンボール』『ポケモン』『ナルト』が世界を席巻した。 日本の文化が国際的に認められているのだ。 戦前の日本は米国や英国と肩を並べる軍事大国となり、戦後は米国に次ぐ経済大国となった。 これからの日本が目指すべきは、 かつての軍事大国や経済大国への道ではなく、文化大国という新たな挑戦ではないかと思われる。 (なかはら ひでおみ) ーーー これとて文化勲章と同じワッペンでしかない、ワッペンはワッペンだが、一緒に喜ぶことが大事! ただ、それだけのこと。
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2013年10月21日(月)
「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集) * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝著 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を受講者自らが選び、直接、受講生同士が、 情報を交換させる方式。一長一短があるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りから 《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなか いい線まで来ている。読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の読書しない基準は、 一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も三十%を超える ほどになった。やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきてもらい、それを持って教室内を 自由に動き回り、学生同士で情報交換をしてもらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ 刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、自然に読書欲がかき立てられる。 おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくりにはもってこいだ。 「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切る ことにしている。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、知識に対する「あこがれ」の 熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい 影響を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに紹介する先生がいた。本を律疏むことが どれほど楽しいことであるかが、その話しぶりや表情から伝わってきた。 本は買って、線を引きながら読むもの。本は自分のものにすることが大事だ。全部読み切れなくても気にすることはない。 途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。 量が大事だ。人から借りた本は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。 本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせながら読んでいるものだ。...》 ▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、この直の方法を兼用すれば、更に良い。 その点、私たちの時代より、現在の方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを持たせ、 イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、 のと同じ。一二年間、このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、励ましてくれる 要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。それも、同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、 読み方、受け止め方、すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開して欲しいが。 何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。
・・・・・・ 4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1 2012年10月21日(日) このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、 習慣から衣食住の由来を面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。 * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章 ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。まあ、面白いものである。 ≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァと オスマン帝国(トルコ)の戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍がトルコ軍を退けた証である。 一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、 業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに 気づかなかったが、地下から聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを焼いていたパン職代たちだ。 パン職人の通報によりトルコの急襲を知ったオーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。喜んだ皇帝は、 パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちがその返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。 その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形がクロワッサンの定番となっていった。 ただし、そのころのクロワッサンはまだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、オーストリアの 皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行したパン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、 一九二〇年代のパリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ ▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄を パンの形にして、それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、歴史に触れることになる。 ・・・・・・ 3861, スポーツジムの景色 −4 2011年10月21日(金) * スポーツジムで見えてくること スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、 何気なく見ているだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えている人から、私のように健康を兼ねた レジャー目的の人など様々である。 少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午までの二時間、 滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、 男は60歳以上のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる女性仲間の社交界の場的要素もある。 といって、男の私が肩身が狭いことは全くない。 自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。 大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知っていたら、10年前から入っていたはず。 パソコン教室も、スポーツジムも、サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを人的気づかい なしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。 中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。 エアロビでは、プロのインストラクターが指導するプログラムが多く、 若い男のインストラクターの追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を仕事などでこなしているので、 こういう場では、一会員として群れることなく運動をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、 (本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。 3・11の影響が、大きいのは何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、一見華やかに見えるが、 給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。 ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 半年少したって、効果はといえば、大有り。 足腰が、この数年来衰えたと感じていたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。何事もまずは半年。 ・・・・・・・・ 3496, お金の教養 −2 2010年10月21日(木) ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著 * 一番の無駄は生命保険? ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から「月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。 年にすると36万になるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり終身保険は2千万の買い物になる。 それを、「月額3万円」の分割払いをしているだけのこと。 保険屋の甘い言葉につられて、深く考えないで印をおしてしまう。 30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は何と360万円になる。それを年利5パーで運用を すれが500万近くなる。 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、ずっとましである。 年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、 合計年間10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。 もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した悪徳商法ぐらい知っていたからである。 * マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? (以下の半分は私見が入っている) 一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生かけて購入しなくてはならない。 しかし、その購入に対して少しも考えない。 少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、 業者は土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。考えなければならないのは、これから。 それは売り手の論理。 買い手は、買ったと同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品になり、一年一年古くなる。 捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてるのと同じ? それでもマンションに住みたいなら、 中古マンションの掘り出し物を数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、駅から数分の、 競売物件とかである。中古の場合は、新興の業者だけは避けるべきだ。住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついて まわるから、年月に耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に多くみられた「穴吹工務店」 「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。 更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分の1か、5分の1である。(例外もあるが・・) 私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。 だから買うなら若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる矛盾が現れる。他人ごとでない? 娑婆は、幻想でなりたっているから、夢を買うのにケチをつけることはないが・・・ ・・・・・・・・ 3121,金(きん)について 2009年10月21日(水) -以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日) ・・・・・・・・・ 2756, 何か変な世界の空気! 2008年10月21日(火) *AIG、当初借り入れ8・4兆円の融資枠、ほぼ使う! 株は九千円を回復したが世界経済の実態は火が燃え盛っているようだ。 昨日の日経新聞に何気なく 「AIGが、FRBからの当初借入総額850億ドルのうち829億ドルをほぼ使い切って、残りはわずか 21億ドル。 ー 以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日)・ ・・・・・・・・・ 2007年10月21日(日) 2392, 人生で出会いしもの φ(* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]ヘ 10月02日(火) の {「2373, 人は60歳で何をしたか」−2} の読書日記で、作家の新井満が寄稿していた 「60歳以降に何をすべきか」について書いた。ところが、その中で彼の奥さんとの出会いの話が非常に印象的だった。 人の出会いの不思議さをつくづく感じる内容。 20歳代に何回かダブル・デートで、片方が結婚したケースがあった。 私は相性のあう相手がいなかったか?ためか、簡単に一生の伴侶を決めてしまう彼らを見て、「何でもっと色いろな人を 見てからの方が?」と、不思議でならなかった。「本当に決めなければならない時は、それなりの人と出会うもの」と、 信じて疑わなかった。更に常に4人の姉と比べて、それ以下?は妥協できない! あとは両親に対して自信を持って紹介できる人? という無意識の判断があった。 ところで姉と上さんドッチが?? それはそれで・・・ 色いろあって、新井満の、こういう出会いに驚いてしまった。もう少し、色いろな女性と付き合ってから という生き方もあろうに? というのも、相手次第ということか! それにしても幸せな人だ。 ーその一部を抜粋してみるー *人生最悪のコンディションで出会った運命の人は誰だったか 人にはそれぞれ、運命的な出会いというものがあります。 私にとっては妻との出会いがそうでした。 19歳の大学生のときに、郷里の新潟から上野行き特急の座席指定車に乗ったら、隣の席に座っていたのが、たまたま彼女だった。 以前から、おふくろには「東京の女には気をつけろ」とよくいわれていました。 見るともなしに見ると、どう考えても典型的な東京の女性。ベレー帽かぶって、その上にミニスカートです。 ・ 以下は字数の関係で中間カット(2007年10月21日)・ ーーーーー 最終の学校時代に出会った人が最適の人と出会う確率が高いというから、彼は彼なりに最高の人と出会ったのだろう。
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2013年10月20日(日)
「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集) * 教養を培う〜② ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを 受けたと受けなかったでは、学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、良い教授、 良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。 ーその辺りを抜粋する ≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。 【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。 授業時には、その本の内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、翌週の授業時に返却される。 ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの根性、 および文庫本を週一冊買うだけの財力。】 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、コンピューターによる抽選が行なわれる。 読書好きの学生が四分の一くらいで、残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生である。 読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生といえる。 読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か入れたが、よく知られた本でもがっかり するようなことがあり、今ではすでに読んで感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、 内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、 宮本常一『忘れられた日本人』、無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』などである。 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、それらがそこにあるのだから仕方ない。 良書を集める伝統をつくった、故郷の大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。 定番の一番バッターは、 決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしている のですか」と反問され、答えに窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の道徳水準は まったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが本書である。 テレビと受験勉強に追われ、 コクのある本をほとんど手にしたことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。 》 ▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の硬さを感じ取っている。 万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。 私は、ノートを纏めるのが苦手。で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、活用にあったようだ。 その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われるかもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、そのまま外に出るから恐ろしい! ・・・・・・ 4225, 閑話小題 ー青竹エアロ 2012年10月20日(土) * つれづれに ー青竹エアロ スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにあるステップ台をインストラクターの誘導で 12人が一同にするエアロを連続二回と、週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、 ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われているが、どうも30〜50人の合同でやるのは 苦手である。ところが、先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。 ヨガ用マット上に 青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。 これまで何度か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。 このプログラム、まだ始まって三回目だが、 30人の定員は満員。 「初めての人は挙手を」に対し、何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、 その両側に一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。その三箇所を交互に音楽に合わせて 乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間 経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのがよい。ジムも競争が激しいようで、チラシ 広告が目立つようになった。 常にエアロビックスなどのサービスを改善していないと、他のジムに客を取られてしまう。 私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は充分ある。私は二時間滞在しているので 一日につき千円、20日で二万円の価値の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。 会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 その割に軽い腰痛は治らないが、それでも 足腰が軽くなっている。 ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない? ・・・・・・ 3860, インコの芸 2011年10月20日(木) 我が家にやってきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。 小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けてあるが、時々、狂ったように攻撃する。 しかし錘で、その都度、棒を一回転し元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。 そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転するようになった。 また籠から離れようとすると、 回転を何度もし、傍にいて欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示が、棒を回転する 芸で注意を引くことが加わった。 一年前に飼っていた中型のコガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、 オウム科で最小(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。 幼鳥のうちは大人しかったが、最近になり、 その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。 最初はペットを毛嫌いしていた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。 コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。 それもあり冬に向かって、このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬する能力に驚いてしまう。 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、このインコの世界。 ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、 籠の中を狂ったように飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、私が車で帰ってくると、感知する。 駐車場を一台貸しているが、それには全く反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ。」という感じが面白い。 ・・・・・・・ 3495, お金の教養 2010年10月20日(水) ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著 図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。 学校では「学問教育」と「職業教育」は教えるが、 その取り扱い方は教えてくれない。日本は「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、 お金について教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮があるのが日本である。 学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」を受け取ることはない。 実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。 お金に対する能力とは、「貯め方」「(小さなお金の)使い方」 「(大きなお金の)使い方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、「与えること」。 ・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、これは以前から言われていること。 ・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・サービスかを考えよ。 ・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、 1、お金の管理する仕組みを作る 2、6:2:2の法則 3、領収書の分類 2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、そして最後に残りを使う法則をたてよ、である。 領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれをスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら良かった。 ▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、 「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に使わないと、それは通帳の数字でしかない。 そこで、40歳から60歳まで、年間に???万は使い切ることを決めた。 そうすると使えるのである。 贅沢できる金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、こういう時代になり、 また歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。 気力、体力、金力、時代背景、環境などが揃ってないと、そうそう 続けることは出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。 最近は、こういう類の本が書店に多く並んでいる。 しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか難しい! やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。 ・・・・・・・・・ 3120, 再び、読書について 2009年10月20日(火) * 書斎は未来の図書館 森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。 ≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて本棚に飾ることと確信している。 実際に本を読むのは、いつかでいいのだ。書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。 ≫ 全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で過ごしたはずである。 本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。 書斎を、そのように位置づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。 決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、充分に幸せのはずである。 開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところがある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく 歩いていても、たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」というが、そうして買った本を 書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 あまり本を読まない人にとって、読書をするのが 勉強をすることと勝手に思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、集めた本棚の本を、独りで早朝や深夜に 読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの安住の場、かつ別世界に浸る時間になるのである。 ショウペンハウェルは、彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、 量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理を ものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する必要があり、この手続きを経て初めて、 自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。」と語っているが、 それも独り、書斎の中で考えてこそ可能になる。 選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、その一連で読書は成り立っている。 旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。 その中でも、読書は必要欠くべからざることである。 ・・・・・・・・・ 2755, 閑話小題 2008年10月20日(月) *一昨日は高校の同級会 高校の同級会が一昨日あったが、25年間ほぼ毎年開かれている。大体、20人位があつまるが、この10年近くで4人が亡くなった。 他のクラスの人が参加をしたりの入れ替わりはあるが、7割は固定メンバーで、和気藹々と時間を忘れる一ときになる。 最近の話題は年金と、病気と、不景気と、孫と定年の話が中心になる。「今回は年末は金融恐慌のため深刻になるだろうから、 早く開いた」と冗談ともいえない幹事の挨拶があった。ギリギリまで出席しようか止めておこうか迷ったが、この年齢になれば 一年後に無事でいられるかどうか、目先のことは積極的に参加することと出席した。 まあ、面白かった! *今年の旅行は? さてと、今年の旅行と思った途端に、この金融恐慌である。何があっても一度は海外に行くと決めているが、 歴史的な重大な状況に気合が入らない。最後にとっておいたアメリカ西海岸の国立公園巡りか、英国辺りかの最終判断の段階。 この20年近く憑かれたように旅行に行ってきたが、今後10年の大不況を考えると良かった。 数年後からはロングステーも考えていたが、どうなることか! *我が家の庭 最近、早朝のウォーキングの帰宅後に我が家の庭で時間を過ごす習慣がついたが、そこで庭が生きていることに気づいた。 両親が魂を入れた庭が、二人とも亡くなっても、そのまま生きているのである。 それも時間とともに変化している。 父が石と木、母が花を入れたが、それが四季と共に変化をし、段々と深みを増しているのである。 それに気づきだしたのは両親が庭をつくった年頃に、私が到達したということか。 母が亡くなった時に、この家を処分をして新潟市に移動しようかと考えたが、決断できなかった。 このまま家にいて本当に良かったと思えるようになった。 春夏秋と、両親が植えた草木の花が、何処かで咲いている。 家には、それぞれ家霊がいるというが、庭をみていると合点がいく。 ・・・・・・・・ 2007年10月20日(土) 2391, 哲学と心の病 (っ´Ι`)っ { おはよう 図書館から度々、月刊誌「新潮45」を借りてくる。月刊誌としては人気があって最近の本は殆どが貸し出されているが、 時にタイミング良く借りることが出来ることもある。お目当ては中島義道「哲学者というならず者がいる」のコーナーと、 ご存知、中村うさぎ「セックスという教養」。 これに、あと一つ中味が濃い特集などの中に面白い記事が必ずある。 たまに読むには良いが、毎月というと毒が強すぎる。今回の中島義道のテーマ「哲学と心の病」が、これまた面白い! いま問題になっている「ひきこもり」の問題の根本を鋭く解いている。 ー面白そうな部分をコピーをしてみる 「哲学と心の病」というテーマで講演会の講師をしたおりのこと。・・・初老の紳士が手を挙げた。引きこもっている息子に対する 相談である。 「どうしたら生きがいを見つけてやれるのでしょうか?」という質問。 私は「生きがいなんて、みな嘘っぱちです。 人生は凄まじい修羅場ですし、そのあげく、どうせ死んでしまうんですから」と思わず叫んでいたが、こういう父親にこそ、 言いたいことが山のようにある。彼は知的で温厚そうな紳士であり、自分のごまかしを、汚さを、ずるさを微塵も恥じている 風には見えなかった。 そこが問題なのである。 その言いようもない鈍感さに、息子は全身で抗議しているのである。 ・社会のルールに従って、仕事において評価され、結婚して家庭を守ることが そんなに立派なことなのか? それがあんたの「生きがい」なのか? それに何の恥も覚えないのか! ・想像力をたくましくして、自分は極悪人かもしれない、と思うことが人生において一隣でもなかったのか! それほどあんたはおめでたいのか!そのえらい顔を引っさげてこの俺を「導きたい」のか!息子が思っているのはこのこと。 私は誤解しては困るが、こういう青年達が掛け値なしに「正しい」と、思っているわけではない。 哲学に身体の芯までボロボロに侵食された者が、単純きわまる人生観をもっているはずがない。 私は、そういう両親を攻撃している息子もまたずるいと思う。そんな、反吐が出るほど軽蔑する奴の庇護の下に ひきこもっているのだから、同じ穴の狢である。そう叫んで家を出、放浪の旅に出てこそ、彼の言葉は輝いてくる。 だが、ひきこもりの青年はそうしない。勇気がないのか? それだけではない。 ひきこもりとは両親に対する復讐に ほかならないからだ。両親がおろおろすればするほどおもしろい。 途方にくれるほど、喜びがくみ上げてくる。 彼は、じわじわと相手のの心身を滅ぼしていく復讐の喜びをもって、人間として最も卑怯な輩に転落したのだ。・・・ ーー 中島自身のことを書いているから、この辺の洞察は鋭い! 彼の文を読んでいると、決して家庭円満ではない。 (字数制限のためカット、2011年10月20日) ・・・・・・・・・ 2006年10月20日(金) 2026, 戦後生まれが 80パー弱に (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 「戦後生まれが80?」と新聞にあった。 私より年上は全体からみて二割弱しか存在してないことになる。 世界からみれば一割もいないということだ。 ・・・・・・・・・ 2005年10月20日(木) 1661, 腰痛ー3 過去に何回か腰痛について書いたことを思い出し、HP内の検索で調べたら一昨年と三年前に書いてあった。 (以下、字数制限の関係でカット) ・・・・・・・・ 2004年10月20日(水) 1296, 新潟市官製談合 ー以下字数の関係でカットー2009年10月20日ー
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2013年10月19日(土)
* 座りシッコの話 昔は無かったスタイルに、「洋式便器」での男の「座りオシッコ」がある。 二年ほど前になるが、TVのバラエティーで、 「男の洋式便器のオシッコの使用時に、周辺に撥ねちらす量が思いのほか多く汚い」ことを、テーマににしていた。 その飛び散るさまを色付きの水で、同じように放水し、周辺に飛び散った水滴先を実証してみせていた。それを見た家内が、 「今日から、あなたも始めて!」と強く言われて数回、試みたが、何かオカマ?みたいで、数回で止めた。 でも、注意をしてみると、やはり? 数ヶ月前にみたシネマで、老妻に先立たれ独り暮らしを始めた主人公が、一度、 座ったが、もういいや!と、立ちスタイルで始めた姿が印象的だった。 近くのスポーツジムに通い始めて二年半になるが、盆暮れと祭日を除いて週5日間の昼間、ほぼ休まず通っているが、 数ヶ月後に気づいたのが、男子更衣室の洋式トイレで、前の人が使ったあとの下蓋が下りたままが多いこと。 ところが、 日が経つにつれ、その頻度が多くなってきて、今では三分の一。これからすると使用後、上蓋を下げる人もあるから、 半分近くが、座りシッコをしていることになる。当初は、こんなところで、何?をすることもないのに!と思っていたところに、 例の映画をみて成るほど!と気づいた次第。 で、最近、家では心掛けることにしたが一週間もすると、当初の抵抗感が なくなるから不思議。 それも中性化の一つか? 最近の子供は自宅では殆ど?座りスタイル? で、私は自宅ではするが、SJで、しないのは、実際にジムでも実施している 半数の人と比べ、公共心が劣っていることになる。 でも、あそこで、座る気も起きないが。 * 二代目・電動アシスト自転車 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入してから、一ヶ月足らずになる。 これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの普及もあり、 全体的にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った中国製。やはり故障続きであった。 しかし、電動アシストの楽しさは十二分に味わうことができ、既に1万キロは走った。冬期を除いた毎朝、一時間、 年間200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。実感としての価値は、300円〜500円はある。 で、新しいクロスバイクは、値段が二倍、一日200円になるが、価値は充分にある。雨の日にスリップをして、転倒したが、 車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。毎朝、10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。 クラッチを最大の重さにして、電力を使うパワーにして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。少しオーバーに 表現すると、地上を走る車輪付きのグライダーか、水上を走るミニエンジン付きヨットという感覚である。 で、兼用して乗るつもりだったが、一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引き取って貰った。 ・・・・・・ 4224, 閑話小題 ー地軸様 2012年10月19日(金) * 地軸様 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。 大きく息を吐き出しながらシャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。そして、そこから大きな息を吸い上げながら 立ち上がり、今度は空に向かって気を吐き出すイメージで息を出す。 それを一回につき7〜8回、続けていたところ、擬人化した 地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、「よう、 昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いもよらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と 「即自」の、掛け合いになる。 ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な道路拡張工事が始まり通行止。 そこで違うコースを迂回して歩いているうち、 電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。 三年前のことである。それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。ところがチャリだけでは、 物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリをしながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。 「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時は360度のパノラマを味わえよ!」、 「もっと深い呼吸をしなさい!」、「わたしとせっかく出会えたのだから、私からエネルギーを、もっと吸い上げろよ!」、 「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ) とか、なかなか面白い。 スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら運動している時など イメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。 知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、私にとっては、20年以上の対話の過程がある。 自分の魂を擬人化した、「真魂様」でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。問題は意識して やるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。 ・・・・・・・ 3859, 釈迦でさえ非難される 2011年10月19日(水) 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐ったものを与えたとして、それを私が受け取らなかったら、 それは誰のものになるか考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。それが、私の答えである」と言ったという。 この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、 その人自身の問題を投影しているに過ぎない。 それをマトモに受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負ってしまう。 要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、他人の傷口から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。 釈迦の言葉には、納得できるものが多い。 この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。 老年になると、無知は老害となる。 ーーー * 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。 * 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいない。 * もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。 * 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。 * 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになります。 * 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来るのである。 * 他人の過失を見る必要はありません。 * 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにしなさい。 * 自分で自分を、励ましてあげなさい。 * まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。 *「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。 ▼ 《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 この言葉は、還暦を過ぎてからの生きる道しるべの言葉。 《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、 上から目線で、教養の無さの目盛りになる。 上記の一つずつが、日々の自分に対する戒めといっていよい。 ・・・・・・・ 3494, 金が高騰 2010年10月19日(火) ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス900ドル代だった金価格が、先日1380ドルをつけた。 何と二年で40パーセントの値上がり、年率で2割づつ上がっている。国内価格は円高のため27パーセント、それでも値上り幅は大きい。 ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドルまで値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。 8年前に金の上場投資信託(ETF)が出来て、そこを通して機関投資家や個人の投資資金が流入している。 その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。 リーマンショックによる世界金融危機が一番の値上がり要素。 各国は危機乗り切りのため通貨をばら撒いたため、投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。 「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に売りを浴びせられる」という説は、先日ここで書いた。 (字数の関係でカット2011年10月19日) ・・・・・・・ 3119、久々のジョーク ー6 2009年10月19日(月) ▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる? ひとつき ▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。「親方。この木、じゃまだから切ってしまいましょう」 「待て!50年前、わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。思い出の木じゃ。残しておいてくれ」 「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。じゃあ、あっちの木を切りましょうか」 「待て!その初めての体験のとき、あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。やはり思い出の木じゃ。残しておいてくれ」 「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手のお母さんにずっと見られてたんですか?」 「そうじゃ」「お母さん、黙ってなかったでしょう。何て言いました?」 「モー」 ▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子トニーが、突然母親に向かって「おしっこしたい」と 大声で叫んだ。息子の無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。「これからはおしっこをしたくなったら『歌を歌いたい』と 言ってごらん。そうすれば私はお前がおしっこをしたいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?うん、わかった。 これからはそう言うよ」 そして、その日の夜―― 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。 何も知らない父親はびっくりして言った。「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢しなさい」 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、どうしても今じゃないとだめと言う。 そこで父親は仕方なくこう言った。「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」 ▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に冒され、ひとり寂しく死の床についている男がいた。 突然、目の前に妖精が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたがかなえたい事を3つ言ってください」 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」そして、感激して男は続けた。「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」 「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」 ・・・・・・・・・ 2754, 世間とは、一人ひとりの人間の繋がり 2008年10月19日(日) 「世間」については何度も「身近な数人の縛り付けられた小さな常識の網でしかないと!」と、否定的な意味で扱ってきた。 それでは「世間」とはいったい何か?を、岸田国士が「恐怖なき生活について」で、次のように書いている。 【「社会」という概念とは一致しないが、その道徳と習慣と、特に群集心理によって支配される意志表示とを重くみた考え方で、 それはまた、自己保存のほかなんらの理想をもたず、非情ともいうべき形式的な掟の上にたち、 すぺての異分子的存在を 排撃する本能のきわめて目立つ、地域的、時代的に限られた一社会を指すものと思われる。】 と・・・、 簡潔で分かりやすい。≪世間=非自由≫と割り切って、沈み込まないように意識をしてきた。 しかし、次の 佐野洋子の「私の猫たち許してほしい」の文章に出会い衝撃を受けた。 【 ある時、通りの下から二人の女の声が聞こえた。一人は相手をたしなめているようだった。 もう一人はその人よりも若いらしく、 とぎれがちにいいわけをしているようだった。 ずいぶん長い間、ひそひそと立ち話をしているけれど、ことばは聞こえなかった。 あるいは二十歳の私には、水商売の女の人たちの話に興味がなかったのかもしれない。 「あなたそんなことをしていると、世間が狭くなるよ」ということばだけがはっきり聞こえた。そしてあとは静かになってしまった。 私は、「世間が狭くなる」ということばを初めて聞いた。「世間」ということばが、私の知っている「世間」ではない様子をして、 ありありと私に見えてきた。 私には、「世間」というものは、目に見えないものであった。漠然と私をとりまいているものであり、 少し古めかしい、少し私を束縛するものであり、とりはらいたいものであった。その時はじめて、私は‘世間というものが、 一人ひとりの生きている人間のつながりである’ということを理解した。】 が具体的で分かりやすい。 これからすると、世間を否定することは人間を否定することになる。 (字数の関係でカット2010年10月19日) ・・・・・・・・・ 2007年10月19日(金) 2390, インターネット社会の凄み オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 連日のようにインターネットを介在したサイト犯罪が話題になっている。 自殺サイトの自殺依頼による殺人、見知らずの男がサイトを介在して集まっての殺人事件、円天というネズミ講の 応用の詐欺もサイトを巧妙に利用したものである。「フラッシュ・モブ」という新しい現象も起きている。 インターネットを通じて広く呼びかけられた群集が公共の場に終結し、あらかじめ申し合わせた行動を取る即興の集会。 (字数の関係でカット2009年10月19日) ・・・・・・・・ 2006年10月19日(木) 2025, 「私」のための現代思想 −13 オッ(*^○^*)ハ〜 個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、最初の「超越確実言明」 を行うということです。簡単に言えばー「私}を認める者の存在ーを通して《私》になる。 その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。両親によってタップリ愛情を注がれた子は、 初めの出会いで、その存在基盤が強固になるのである。その基盤の上に「超越確実言明」が成立し、《私》は 強固になっていくのです。両親の愛、特に母親の愛は《私》の基盤を決定する。「ごうの虎」の年に生まれた人は気が強い! という言葉を聞かされて育った女性が、それが「超越確実言明」になってしまえば、気が強くなってしまうのも当然である。 代々婿取の家系での長女で、A型で、ごうの虎年生まれで、男子高校を卒業で、中途半端な短大卒で、両親にタップリ愛情を 注がれて育った、ときた分には、亭主としてたまったものでない。誰の話??何の話??強固の《私》の基盤の人の実例の話。 −−− 第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味−? *「共振」のエネルギー − 私たちにとって<他者>とは、私たちが<出会い>を経験したすべての人たちです。 私たちが出会い、その存在を知りえた相手は、 それがたとえ直接には顔を見たことのない人であっても、既に亡くなっている人であれ、「私」にとっての<他者>であり、 この「私」の存在を引き受ける者となりえます。出会いのあるところ、多かれ少なかれ、必ず共振が発生します。 そして、それによって《私》にエネルギーが与えられます。このエネルギーは、消費されない時は、「私」の内部に滞留し、 消費された時には、「外部への振動」となってあらわれます。人は、生きている限り、共振しつづける存在です。 *「私」が《私》となる瞬間 − 初めて母親の声を聞いたとき、「私」が個体としてこの世界に生まれてきて初めて「私」=《私》は 「私は私が母の声を聞いたことを知っている」という「超越確実言明」を行います。 これは、言明の正しさの基礎となる「超越確実言明」のうちで最初に発生するのが、 「私が存在する」ではなく、「ある他者が存在する」であることを意味しています。 そしてこのとき同時に、《私》の存在の基盤が与えられます。それは、「私」が《私》になる瞬間です。 個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」です。 個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、 最初の「超越確実言明」を行うということです。「超越確実言明」の強度は、論理的な正しさによるものではなく、 「《私》の存在」の強度に支えられています。そして「《私》の存在」の強度は「<他者>による引き受け」によって その力を増していきます。頑健な「超越確実言明」の上には、堅牢な「論理」を構築することができます。そのようなとき、 その論理によって構築される<言葉><価値><物語><世界>は、頑強な「個別の正しさ」を持つことになります。 * 弱い「超越確実性言明」− 逆に、<他者>によって「厚く引き受けられない」とき、「《私》の存在」は強度を弱め、 「超越確実言明」も弱いものとなっていきます。そうすると「超越確実言明」を基盤として、 その上に<価値>や物語>をつくり上げることが難しくなってしまいます。 前に書いた、「仮面」を思い出してみてください。仮面と、その下の顔の関係です。 「仮面」が役割であり、「その下の顔」が「私は〜である」という形式の「超越確実言明」です。 芝居を上手く演じるには、ある程度その「舞台」、つまりは<世界>に 没入しないと上手くいきません。「没入できる」ということは「戻ることができる」ということが前提です。 (字数の関係でカット2010年10月19日) ・・・・・・・・ 2005年10月19日(水) 1660, 「人生の実りの言葉」 読書日記 「中野孝次」著の「人生の実りの言葉」がよい。その冒頭の「愛」についての言葉が胸に突き刺さる。 愛について、これだけ解りやすくストレートに語っている言葉も珍しい。 ーまずは、その一説を書いてみる。 (字数の関係でカット2013年10月19日)
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2013年10月18日(金)
「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集) 読書を体験として捉えるところが面白い。それも色いろな分野の識者の体験談?だから惹きつけられる。 ーアマゾンの内容 よりー 【 熱い気持ちで読んだ本で経験したことの方が、実際に経験したことより今日の私にとっては何倍も大切な 思い出になっているのだ ―香山リカ「読書だって“人生経験”」(学者、作家、)ー ジャーナリスト、俳優など、三四人の多彩な筆者による、さまざまな読書という体験。】 まずは、読んだことのある著者から取り上げていくが、特に藤原正彦の内容が良い! * 教養を培う ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 《 NHKによる最近の読書調査を見ると、中学生.高校生がいかに本を読まないか、あらためて愕然とする。 平均読書時間は一日に数分である。一方、テレビに費やす時間は、平日が約二時間、休日が約四時間である。 高校生三人のうち二人は、一ヵ月に一冊も読まないという。読書以外に、文学、歴史、思想といった教養を身につける 方法はほとんどないから、このままでは早晩、日本は無教養な人々で埋めつくされることになる。 教養がなくとも、日常生活をつつがなく送り、幸せな人生をまっとうすることはできる。その意味で教養とは 個人的なものと言えよう。 教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。 「長期的視野や大局観を持つとは、時流に流されず、いったん自分を高みに置き、現象や物事を俯瞰しつつ考察する ということ」である。 このためには若いうちから、「現状」を離れ大きな枠の中で人間や社会の本質に迫ることに 慣れねばならない。そこで、時空を超える唯一の方法、すなわち読書により、古今東西の偉人賢人の声に耳を傾け、 庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要となる。このような読書の累積が教養である。 長期的視野や大局観は、リーダーとなる人の絶対条件である。我が国の政治や経済政策がいつまでたっても うまく機能せず、社会や教育が少しずつ荒廃していくのは、リーダー達の大局観の欠如による。 大局観がないと、常に時流に流され、右顧左眄し、対症療法に走るということになる。 大局観欠如の背景には、かつてあった教養主義の衰退、読書離れがある。 リーダーだけが教養を積んでいれば、国民一般はどうでもよいかというと、そうはならない。我が国が民主主義を とっているからである。国民の総意に基づいて物事を決めるのだから、その国民に判断力がないと大変なことになる。 民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》 ▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を対象とした週90分、半年間のこのゼミは、 以後毎年開いているという。この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。 事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能のものばかり。基礎教養が、人格をつくり、 それが問題を解決する。私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は二年目からの参加。 ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたび、 ジワジワ効いてくる。それまでの読書量の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミの、いや学生時代の最大の収穫。 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、 絶対量を読んでいる人が多い。 卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室を持つことができた。足の踏み場もないが・・ ・・・・・・ 4223, 神は妄想である ー4 2012年10月18日(木) 神は妄想である ー4 * パスカルの賭け ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得したことを憶えている。 と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方がお得」という、いかがわしさも感じとった。 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。 パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然である。 ーその辺の記述の箇所を抜粋ー ≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんなに小さくとも、神の有無について間違った推測を したときの報いには、かなり大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、なぜなら、もしあなたが 正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違っていたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、 もしあなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、 正しかったとしても、何の利得もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。けれども、この論証には、 はっきりとおかしいところがある。信じるというのは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。 少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定できるようなものではない。私は教会へ行くか どうかを決定できる。私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに書かれているすべての言葉を 信じると宣誓するという決定をすることができる。しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に 信じさせることはできない。 ‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための論証でしかありえない’。 そして、あなたが信じると主張する神は全知という類の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いて しまうだろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿げた考えは、ダグラス・アダムズの 『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、 それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 宣伝によれば、デラックス型は、 「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地]では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。 しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければならないのは彼を信じることだ」という考えを、 そんなに簡単に受け入れてしまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、寛容、あるいは謙遜、 あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのことではないだろうか。≫ ▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられるだけで、十分過ぎる」ことも確かである。 信仰は自分で自分の首を縛るだけか、長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに足りるか。 キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。 ・・・・・・ 3858, 幽霊を哲学してみる 2011年10月18日(火) 先日、ある人と食事をしていた時の話題。《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。 貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 最近、気晴らしにパワースポットに 行くのが趣味になっている。長岡には、そういうスポットは何処にあるのか? 》という内容。 それに対する私の返事は、 《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、シックス・センスが身についた時期があった。 実際に経験してみて、こういうものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔をしているのを聞いて、 他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡くなった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、 我に返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが 多く続くようになった。 これだけは、実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、何度も読み込むうち、 霊の正体が理屈で分かりかけてきた。 私はカレーを食べると汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり カレーの臭いさえしてくる。 これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 それと、あなたが見える幽霊に似ている。 そこに幽霊がいるのではなく、貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、シックス・センスは、 その入り口で遮断される。 人間の脳は、生物が20億年かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。 霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。 過去を振り返ると分かることだが、我々は共同幻想の中にある。 人生は幻想の中で浮遊していているだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。 その見えるも脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じこと。 たまたま、二年前の同月同日に「 生きる幻想 死ぬ幻想 −2」を書いていた。 ・・・・・・・ 3493, 人生、よもやま話 ‐2 2010年10月18日(月) 幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。 まだ憶えているのが、初めて海を見たときだった。 長岡から当時の列車で一時間足らずの柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に驚いた。 同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊り込みで遊びに行っていた。 実家では店のビル全部が遊び場であった。 また幼稚園に入ってから直ぐに何人かの友人が出来た。その一人が焼鳥屋の息子。 家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせてくれた白モツの味は今でも忘れられない。 その店(鳥梅)は、現在もある。 そのうちに、郊外にプールが出来て夏になると通っていた。 歳の離れた兄が5メートルの 飛び込み台の上から逆さまに足を持って 吊り下げられた恐怖心は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。 その幾つかに家族で行ったり、一人でも行っていた。 特に「チケンサマの祭り」が多くの屋台や、植木の店がたつ。 そこで一軒ずつを一日かけて見るのである。 その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質の人、 三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを買う楽しみではなかったが、普段には見れない 珍しいものを見るのを楽しみとしていた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しいと思わないのは、そのため。 新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから安上がり。骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと 思ったことはない。所詮は倉庫のゴミでしかないことを知っているから。 美術館で見れば充分である。 そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」というのは肯ける。人生は記憶で彩どられている。 ・・・・・・・ 3118, 生きる幻想 死ぬ幻想 ー2 2009年10月18日(日) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 * 一神教批判をめぐって 多神教の日本人と一神教徒の欧米・アラブ人とは肌の色だけでなく、根本的に考え方が違う。 一神教徒は多神教の多い黄色人種や黒人を元もと見くびっているのである。宗教そのものは、本来そういうもの。 だから、今さら、そういう異種の人と割り切り付き合うしかない。 外国旅行をしていると、辛らつな人種差別を 感じとることは度々である。 今さらのことだが。 アメリカは、中近東にサウジアラビア、東洋に日本という 赤色と黄色の属国があるとしか捉えていないのである。いざとなるとCIAが陰湿な謀略を属国日本に仕掛かける。 〜以下の文章を読むと、その辺のことが、よく見えてくる〜 Pー6 ユダヤ教・キリスト教・イスラームは、同じ「一神教の神」を奉じる兄弟宗派です。 一般に「旧約聖書」と呼ばれているのはユダヤ教の聖典で、これはキリスト教もイスラームも聖典として認めています。 キリスト教にとっては『旧約聖書』プラス『新約聖書』が聖典であり、イスラームは『旧約聖書』と『コーラン』が聖典です。 同し神様を奉じているのに、どういう角度で見るかによって、歴史的に分派しているわけです。ですから、この三つの宗教は 「セム系一神教」とか「アブラハムの宗教」と呼ばれている。このうちユダヤ教は、一応ユダヤ民族と呼ばれる人々の 「民族宗教」で、あまりほかに拡がっていかない、むしろ閉ざされていく傾向を持っていますが、キリスト教とイスラームは 「普遍宗教」として民族・文化を超えて拡がっていこうとする。 これが非常に問題を起こすのです。 一神教というのは基本的に自分たちの神だけが真実の神である、と主張しているわけですから、他の宗教には非寛容です。 実際、他の神々を否定し、殺していきます。そして極端に言えば、自分たちの神を信じない者は人間ではないと考える。 ところが一神教徒にとって最も大きな敵は、同じ一神教の他宗派なのです。多神教徒は、劣った連中、迷妄の徒だと思って 下に見ることができますが、同じ一神教の仲間だと、そうは行きません。これはちょうど左翼の中で一番敵視して闘ったのは、 むしろ国家権力やブルジョワ階級よりも、同じ活動をしている分派の方だったのと同じ心理です。 解釈を違えた者同士は、まったくの異教徒よりもっと敵となるんです。 P−50 僕の仮説では、人間はもともと黒人で豊かなアフリカに住んでいた。ところがそこに色の白いアルビノが 生まれて、それが差別されて、中東やヨーロッバに追いやられた。そういった差別された連中がまたエジプトでも差別されて 生み出したのが一神教であって、もともとユダヤ教は恨みがましい宗教だという説です。自分たちが差別され、 虐げられてきたから、他に対して攻撃的になり、他を差別する。ユダヤ教は、さきほども言ったように、エジプトで奴隷になって いた入々が、モーゼという英雄に一つにまとめられて、パレスチナに逃亡してきて、現地の神々を追い払ってつくった宗教ですし、 キリスト教も、ユダヤ教徒のなかで差別されていた人たちがつくり、ローマ帝国の中で差別された人々に広まった宗教です、 だから万軍の主という神や、復讐の神といった、自分たちを差別する連中をやっつけてくれる神を作り上げたのです。 キリスト教がヨーロッパに拡がったというのも、ヨーロッパの特に北部は、非常に自然が過酷で、そこに追いやられた白人たちは、 人類史的に見れば、ひどく悲惨な目に遭っています。だからこそ、ああいう磔になって死んだ人が教祖であるような宗教が、 ヨーロッパ人にとっていちばんフィットしたのではないかと思います。教祖は人々が同一視できるというか、自分を そこへ投げ入れることができるような存在である必要がありますから。 〜〜 多神教と一神教が戦えば、間違いなく後者が勝つことは、歴史が証明している。 多神教にとって、一神教もその一つだが、一神教は他の神を認めないのだから、心根が全く違う。 ・・・・・・・・・ 2753, ジム・ロジャーズの金融危機インタビュー 2008年10月18日(土) ライダーの投資家で知られてる、ジム・ロジャーズが、この金融危機についてインタビューしていた。 ー以下は字数の関係でカットー2010年10月18日 ・・・・・・・・・・ 2007年10月18日(木) 2389, こころの旅 −3 c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 第一章、人生の出発点の中の −人生の諸段階ーの説で、八段階の半分の四段階が11歳までに区分されている。 更にいえば、5歳までに三段階が終わっているのである。これからみると、小学校で既に勝負がついているのである。 いや、もっと厳密にいえば、小学校入学時に質として、もう範疇に分けられていたのである。以前、最終区分前の中学校の成績順が、 そのまま人生を決めていると書いたが、エリクソンによると小学校でホボついていることになる。そう小学校も中学校と同じことが言える。 一番、二番、三番、四番とその後の消息を聞くと、そのまま拡大した人生である。私は4番位であったが、男で7番以内で地元に 帰ってきたのは私だけである。といって兄弟でもえらく違うから、一概にはいえないのだろうが。 大學の時に当時の親友だった男に、 「お前は竹のようなヤツだ。遊ぶが、ある所までいくと元に戻って自分の姿勢は崩さない」と言われたが、それが子供の時からの親の 生きる姿勢を見てきたからである。それでも自分の殻を必死に破ろうとしてきたが、これでこのザマである。 以下は、その人生の諸段階の部分である。意味は深い! (以下、字数の関係でカット2008年10月18日) ・・・・・・・・・ 2006年10月18日(水) 2024, ある「煉獄」の中にて 才八∋ウ_〆(∀`●) これからの内容は本人の同意を得て書いている。 (もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。 本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてもよいです!」・・) (以下、字数の関係でカット2009年10月18日) ・・・・・・・・・ 2005年10月18日(火) 1659, 北イタリア旅行記−8 ー旅行雑感−1 旅行中に、色いろな思いや出来事に行き会うことが多い。ただ、文章にするには如何書いてよいものかと切り捨てている 場合が多い。 以下は字数の関係でカットー2013年10月18日 ・・・・・・ 2004年10月18日(月) 1294, 県知事選挙ーつれづれ 昨日は県知事選挙。 実のところ、ギリギリまで誰に入れたら良いか焦った。 以下は字数の関係でカットー2012年10月18日 ・・・・・・・ 2003年10月18日(土) 927, 「楽しく生きるには」−読書日記 学生時代の日記帳を見ていて気がついたことは、「人生楽しく」をそのまま実行していたことだ。 その点では今と変わりはない。 よく読むと、議論をしているか、本を読んでいるか、遊んでいるか、酒を飲んでいるかだ。 以下は字数の関係でカットー2008年10月18日 ・・・・・・ 553, 基調色 - 2002年10月18日(金) 私に着こなしの事を語る資格はない。しかし、実質的合理的な着方なら話せる。背広やブレザーは自分の基調色を決めておく。 (以下、次数制限のためカット2011年10月18日)
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4597, そして、人生はつづく ー6 (そして、ゲームはつづく) |
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2013年10月17日(木)
* そして、ゲームはつづく 川本三郎著の『そして、人生はつづく』にしろ、朝日新聞の「耕論」小田嶋隆のコラム『生き直すために』にしろ、 自由業の物書きが、連合いの死や、断酒による人間関係の喪失で、孤立した生活に入りざるを得なくなった中で、如何に、 耐えていくか。そこで「一人暮しになって静かな一日を送る困難と、それゆえ幸福を知るようになった」心情を書き連ねる。 一匹狼の良さと辛さこそ、人生の哀歓があるということ。 私も小さいながらの創業人生を45年かけ生きてきた。そして、三羽のブラックスワンの出現で、事業整理に至った。 そして、人生は続いている。「そして、」の「、」が、人生の節目の意味がある。 これを境に、森の人生から、 サバンナの人生に変化したことになる。 ところで、昨夜、C.Sファイナルステージの巨人・広島戦で、巨人の坂本と村田が、攻守でチームを救った。 自らの悪送球で2点の先行を許した村田が決定打を放ち、更に最終回にヒット性打球を二人連携のファインプレーで 劇的なゲームセットで汚名を返上した。 坂本は、9・10月は1割7分代と極端に低迷。それでも原監督は出し続けた。その後、村田の凡ミスで先制された直後の 勝機に、解説者の予測とおりの凡打。しかし、次の打席でHRを放った。「そして、人生はつづく」の『人生』を『ゲーム』に 置換えたようなドラマ。手痛い凡ミスと、勝機での凡打を全国注目している中だから、地獄から天国といった心境だろう。 こういう極限の中で、はね返すのが一流の証拠。 二人にとって、「そして、ゲームはつづく」で、劇的快打とプレー。 そして、お立ち台でインタビュー。 二人にとって、凡ブレーの後、「そして、」の気持ちの切替が出来るのだろう。 しかし、「そして、人生はつづく」には、孤独な平凡な日々で静かに己を律するしかない。 人生にも、勝負にも、「、」と「。」と、行(ぎょう)かえが必要ということになる。 「国敗れて山河あり」 そこは微粒子に満たない小さな小宇宙でしかない。 ・・・・・・ 4222, つれづれに ー国家危機! 2012年10月17日(水) * 生々しく聞こえてきた世情の話 「赤表紙本」といえば、経済状況を大げさに書きたて、不安を書きたて本を売る方法に使われる。「読むほうも、書くほうも、 割り切って読んでいる、」のが一般の見方。ところが、どんなにオーバーに書き立てても実際の現象になると、それを遥かに 超えるから恐ろしい。「欧州危機、恐慌と騒いでいるが、今だに起きてないじゃないか」というが、早いか遅いかの差で、 間違いなく起こるのは確か。一昨日も、BS/TVで、こんなことを放送してよいのかと思われるほどの過激なレポートだった。 そのゲストのブログで、現地の惨状の実態を読んではいたが、それをTVで流すのだから、一般の人は、驚くはず。 要は、日本円の預金をドル建てに替えて持つべきとか、日本も、PIIGS並みに数年内になる?とか・・ ギリシャやスペインの 街中で出会った人の生々しい窮状は、日本にいては分からない。まず一部勝ち組と、大部分の負け組みがいて、その負け組みも、 二分される。一年分の生活費の蓄えがある人と、数ヶ月以内に教会の食料配給の列に並ぶ人に分けられる、とか。 歯医者の開業医が、店を閉めたという、殆どの人が歯医者にかかる金が無いので、経営が成り立たなくなったという。PIIGSでも、 アイルランドのように国が一体になり再建を始めたところと、ギリシャのように国家がバラバラで、その意欲が全くない国がある。 それは日本でも同じこと。家内から聞く世情の話は、一部勝ち組と大部分の負け組みの段差の内容が、日常のリアルの内容になる。 家内の友人の勤め先の話。「顔が腫れているのに、そのまま。病院に行かないので変と思っていたが、その人、お金が無いため 行けないと、後で知った!でも、いつの間にか腫れが直ったみたい!」。 国内では預金ゼロ世帯が三割。それなら病院にいく 金も無いに等しい。 失われた20年で中流といわれる大衆は、本当に貧しくなった。 他人事ではない。 昨夜もNHKの 「クローズアップ現代」で、欧州危機を放送していた。実際に起こったら、どうなるのだろうか? 私の出来る範囲で恐慌の 備えの大方は終わったが、実際になると想像を遥かに超えるはず。まだ平和ボケの範囲でしかない。まだ火の手は上がってない。 ・・・・・・ 3857, Macの創業者のジョブス 2011年10月17日(月) Macの創業者のジョブスが先日、亡くなった。 iMacパソコンを二台、iPodを二つ、 iPhone(現在はドコモの携帯電話に逆戻り)、iPadと、最近買った端末は、ほぼMacである。 iPhoneは、小さすぎて指入力に戸惑い使い切れなかったが、他は及第である。 iPhoneには驚いたが、最近買ったiPadには感動もの。 デジタリアンと自認しているが、 実はジョブス・ファンだったようだ。 先日、NHKの「クローズアップ現代」で、ジョブスの死を悼んで 『世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔』として報道番組を組んでいた。 ここで孫正義が、《 彼は商品、製品を生み出すのではなく、ジョブスの作品を生み出している。デジタル端末などの人間化を テーマに、高度のマニアしか使えないデジタル機器を、普通の人が気楽に使える作品を作り上げてきた。iMacなどのiは、 愛に通じる。もし、彼が20年、30年生きて、最後に自分が作りたい作品は「iRobot]と、提示するのでは! 彼は、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才。数百年後の人々は、彼とダ・ヴィンチを並び称するだろう。》 とまで、賞賛している。今までのパソコンと比べると、マニアが使いこなしていたデジタル端末とネット世界を、ごく簡単に、 我々一般人が使えるようになっている。だから、何だと言われれば、それまでだが、知的好奇心が強いものにとって、これほど 有難いものはない。それにアプリが豊富にあることが、相乗効果になっている。ジョブスのように明確な形で(身近なモノ)で、 世界を変えてしまうのも、グローバル化の一つである。 本人自身、もっと生きたかったはず。 ー NHKのHPの紹介文から ー ≪ iPhoneやiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られた スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップでアップルを率いてきたジョブズ。 製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。番組では、 ジョブズを身近で知る人々の証言や、ジョブズの言葉、かつてクローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、 IT界の天才と言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。 ゲスト:孫 正義さん(ソフトバンク社長) ≫ ・・・・・・・ 3492, 実践・50歳からの少食長寿法 2010年10月17日(日) 「実践・50歳からの少食長寿法-粗食革命のすすめ 」幕内秀夫著 ーアマゾンの内容説明からー 50代から、量を減らして質を高めれば歪んだカラダもすべて治る。 朝食断食、一日一食法から食材、水、調味料の選び方まで、 食卓を「宝食」に変える知恵と工夫!!貧困から脱却していろいろなものを食べられるようになった「豊食」くらいで止めれば よかったはずです。ところが金にあかせて食を粗末にする「飽食」が当たり前となってしまったのです。しかもそれだけでは 済みませんでした。バブル期を迎えた日本人は、1人当たりの残飯量はアメリカを抜いて世界一ともいわれながら、中身を吟味しない 「泡食」に突き進みました。一方で「粗食」を放棄したために体調を崩してしまい、いわば「崩食」と呼ばれる食生活を送るように なりました。さらには、無意味な健康情報に惑わされふり回される「呆食」の時代を迎えています。 こうした愚かなホウショクを、真にぜいたくな「宝食」に変える。 これこそが天命を待つ50代にふさわしい食生活なのではないでしょうか。 ●みそ汁を飲むとがんは防げる? ●更年期障害になる人、ならない人 ●長寿日本一、岐阜県和良村の秘密 ●4ヵ月で7キロ減の4つの方法 ●朝食断食・一日一食のどちらかで ●沖縄長寿神話の崩壊 ●歩いて旅して3000キロ ●自己防衛の「食の10ヵ条」 ●フードマイレージという考え方 ●命を与える偉大な発酵食 〜以上だが、分かりやすく実行しやすいという内容である。最近、逆に昼飯をサンドイッチなどパン食に切かえたが。 この中で自己防衛の「食の10ヵ条」が分かりやすい。 1、食事は量より質にこだわる 2、主食は御飯 3、発酵食品を食べる 4、砂糖、油脂のとり過ぎに注意 5、パンを常食にしない 6、液体でカロリーをとらない 7、副食は季節の野菜を中心に 8、動物性食品は魚介類を中心に 9、未精白の御飯に挑戦する 10、食事はゆっくり、よく噛んで 要は昔ながらの日本食が健康食になる、ということになる。 御飯は玄米食で、納豆、味噌汁、季節の野菜を、量を少なめにし、ゆっくり噛んで、食べていれば良いということだが。 ・・・・・・・・ 3117, つれづれに 〜閑話小題〜 2009年10月17日(土) * 電動自転車を注文 小学校4年時に、父親に自転車を買ってもらって以来、自転車を個人として持ったことがない。 中高校時代には何処の家にも一台はあったが個人としては持てない時代であった。子供時代の記憶に、 あまり乗りまわした記憶がない。 成人になってからも乗った覚えがない。 この25年間はウォーキングで 一万歩以上歩くことを心がけてきたこともあり、チャリを乗る距離なら歩いてきた。 ところが最近になって 自転車ブームになった。 またUターンしてきた長男がスポーツタイプの自転車を乗り回しているのを見て 自分も自転車が欲しくなり、数ヶ月前から自転車の選定を始めた。しかし、いざ買うとなると、なかなか決心が定まらない。 ママチャリか、スポーツタイプか、車輪の小さい折り畳みか、電動自転車か、など結構迷う。思い切って決めれば良いのだが。 ところが10日ほど前の新聞記事に「スポーツ用品チェーンの《アルペン》が、59800円の電動自動車を発売」 の新聞記事をみて、HPから注文をした。納入が10月末の予定である。選定で、まず考えたのが使用目的。 あれこれ考えたが一番が休日のサイクリング。 他にも、休日の川崎のSC、図書館、公園。 電動ということで、川向こうのSC、遠出のサイクリングなど、結構ある。 ところで、ここで紹介した電動マッサージ、海老そり屈伸マシーンなど、その後どうか?というと、朝晩に数回使っている。 どれもこれも愛用品になっている。 もちろん、ベースに毎朝の一時間近いウォーキングをした上で、それらを補助にしている。 そして、次のマシーンが電動自転車である。iPodや、健康機器など自分に合うものが見つかると本当に良い。 あれば使う、無ければ使わない、ただそれだけだが、あっても、使わないものも結構あるが! 〜〜〜 * いわしの群れになるな!というけれど (次数制限のためカット 2011年10月17日) ・・・・・・・・・ 2752, サブプライム問題の6つの波とは 2008年10月17日(金) 株の相場に興味のない人でも、今回の金融危機のタダならぬことに気づき始めてきたようだ。 今年の年末から数年にわたり、過って経験したことのない現象に遭遇することになる。 恐らく半数近くの事業所が閉鎖され、失業者が10パーセント以上、ハイパーインフレが襲い、食糧危機が襲うなど、 想像外の事態にジワジワ追い込まれる。 既に秋葉原の無差別殺人や、親の子殺し、などの予兆はあったが・・・ リーマンブラザーズの倒産以来わずか一ヶ月で起きた一連の金融崩壊と、フォードとGMが倒産でもしたら アメリカ炎上といっても過言でない。 歴史的大事件を毎日、目撃していることになる。 この影響を一番被るのが、やはり日本。 それがハッキリするのが年末から来年の5月にかけてである。 まずは倒産ラッシュだろう。 この十数年で淘汰されるべきところはされたが、しかし、今度の津波は根こそぎ 私たちの生活を破壊するほど強烈になる。まずは衰弱の激しい地方の企業と地銀から問題が発生する。 銀行は金を貸さなくなり、売り上げは、平均30%は落ちる。 それで立ちいかなければ、消え去るしかない。 あれだけの思い切った資本注入を発表して、二日間しか相場が回復しなかった。 目先のカンフル剤になるはずだが? それさえもである。 GMが倒産した場面で6千円台をつける可能性がある。日本の生保・銀行の含み益が大きくマイナスに転じ体力を消耗する。 今回のサブプライム危機をステージとして、次の六段階になる。(参考ー日経、10月5日ーサブプライム危機ーより) 1、去年の8月のフランスのパリバショックである。 −金あまりを背景とした欧米での信用膨張が瓦解を始めた瞬間ともいえた。銀行間の取引こ疑心暗鬼が広がり、 中央銀行による多額の流動性供給など当局も緊急対策姿勢を強めた。 2、次に来たヤマ場は2008年2月、米証券大手ベアー・スターンズが資金繰りに行き詰まり実質的な破綻状態になったこと。 円相場は一時=95円台に上昇、日経平均株価は12000円を割った。 3、三つ目のヤマ場となったのは7月。今度は米国の連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)など、住宅公社二杜の経営悪化問題が浮上した。 金融不安は現実の金融危磯に発展、 4、9月15日に米証券大手リーマン・ブラザーズが破綻したのである。 米証券大手メリルリンチは米大手銀行パンク・オブ・アメリカへの身売りを決めた。 リーマンは救済されるとの観測が大勢だっただけに市場では大きなサプライズと受け止められた。 これを機に欧米の金融機関同士の疑心暗鬼は一段と強まり、各国中央銀行が大規模なドル資金供給を続けたものの、 銀行間金利は上昇を続けた。 (字数制限のためカット 2010年10月17日) ・・・・・・・・ 2007年10月17日(水) 2388, こころの旅 −2 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 第一章 人生の出発点 の心の琴線に触れた部分を取りあげて考えてみる。 ーー ーP.22 天井からぷらさがったガラガラの動きに赤ん坊がよろこんでさらに手足を勤かすと、ガラガラはいっそういきおいよく 動いて音をたてる。これを何度もくりかえしているうちに「条件づけ」ができて、赤ん坊には何となく自分の動きと ガラガラの動きとの間の因果関係がわかってくる。この感覚運動的知脳が発達してくると、今度は紐のついていない、 (字数の関係で中間カット2009年10月17日) 解) 両親の愛情の温もりが直に伝わってくる人がいる。特に幼児期に両親や周囲の愛情をシャワーのように受けた人である。 深い愛情を受けると、人は笑顔になり周囲に対して積極的になるものだ。そして、それが性格の基礎としてカタチつくられる。 如何に幼児期の愛情が大切か身近の人を見ていると実感する。人間は絶対量で既に一生は決まっているといって過言ではない。 簡単にいえば温かみのある人で人品が良いともいえる。こういう人は本当に強いし、弾力性があり、不幸の方が弾き飛ばされるようだ。 反対に全くそれを感じない人がいる。 そういう人は直に解る。貧すれば鈍するでないが、両親の不仲の環境に育った人である。 自意識過剰で、自分を過大に勝手に評価、直に手の裏を返す。自分の顔に責任を持て!というが、顔と目に出るから恐ろしい! ・・・・・・ 2006年10月17日(火) 2023, 「私」のための現代思想 −12 (字数の関係でカット2008年10月17日) ・・・・・・・・・ 2005年10月17日(月) 1658, 北イタリア旅行記−7 ツアーの楽しみの一つに、普段なら会えない人と会えることがある。一度会ったら二度と会わないから、気楽に何でも話せる。 共通点は旅行愛好家ということで互いの情報交換が気楽にできる。その中で色いろな人生が、それぞれ垣間見ることができる。 また私たちも彼らから同じ視点から見られているのだろう。今回は、北イタリアという場所ということもあり欧州派がそろった。 アフリカとか南米とかシルクロードなど殆ど誰もいったことがない。反面、欧州には隅々まで行っている人達ばかりで、 殆ど話がかみ合わなかった。特に、イタリア愛好家が何人かいて、イタリアへの深い愛情を感じた。 好きなものは好きなのだ。イタリアに行けば、その理由はよく解る。ローマ帝国から続いている長い文化が味わいがある。 どの街を見ても深い文化と歴史を感じることができる。イタリアとは関係ないが、面白い人がいた。趣味として、 デジタルビデオを番組風に編集してしまうのだ。元映像カメラマンの人で、編集には熟知しているから可能だという。 過去に30本以上も番組として完成してDVDに収めてあるという。5~6枚この旅行に持ってきてミニDVDデスクで見せてもらった。 奥さんが劇団にいた人で、ナレーターをして共同制作をしている。NHKなどで放映している海外ものの番組の内容と 同レベル?である。まず映像を編集して、ナレーションの内容を考え、バック音楽を選定し45分位にまとめ上げなくてはならない。 集中して三週間はかかるという。それにしても、旅行者として羨ましい限りである。そのテープを旅行代理店のツアー説明会に提供 しているようだ。代理店にとって、宣伝用の番組をつくるのには数百万円は最低かかるからそれを借りることができれば便利である。 「一人位、ツアーに半額位値引きしてでも?」と、考えるのは私の卑しい考えになる。何よりも、つくっている本人が 一番楽しいだろう。一度つくれば、コピーは簡単である。ボランティアとしても、誰からも喜ばれる。 今回も、希望者に送ると全員から住所を聞いていた。同行のツアー仲間にしてみれば、夫婦のビデオカメラマンを 引き連れていったと同じ。この夫妻にとって、最高のものを与えることで喜ばれ繋がりができる。 自分も楽しみ、そしてそれが因縁のある人達に最高に喜ばれる。人生の最高の楽しみになるはず。世の中は広いし、人生の達人がいる。 ・・・・・・・・ 2004年10月17日(日) 1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 −3 「今ここに」を、更に考えてみる。 ー前回では 「空」を時の上から解釈して、「即今」、 平たくいえば、ーただ いまーと解釈した。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。 (字数制限のためカット 2010年10月17日) ・・・・・・・・・ 2003年10月17日(金) 926, 180円ラーメン 新潟市内で目についた180円ラーメン店に入ってみた。180円のラーメンと、色いろなトッピングを付けたラーメンと、 餃子とチャーハンのセットがメニューの基本であった。 ー何処のラーメン屋もそうだが。 (字数制限のためカット 2013年10月17日) ・・・・・・ 552, 人生に目的はあるのだろうか? - 2002年10月17日(木) この年になると人生の仮決算期に入ってくる。「自分の人生はハタシテこれでよかったのだろうか?」 「人生に意味などがあるのだろうか? 有るとすればなんだろうか?」そういう話が最近面白くなってきた。 人生の目的とは漠然と考えてみるとー (字数制限のためカット 2012年10月17日) ・・・・・ 2001/10/17 「189」ツアーのプラスとマイナスを考えてみる ーマイナス面ー (字数制限のためカット 2012年10月17日)
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2013年10月16日(水)
第六章 宗教はゆっくりと後退する ーのまとめ ・地球上には約一万の宗教があると言われ、2000年の時点では、信者25万人以上の宗教は270を数えた。 ・世界人口に占めるイスラム教徒の比率も、1900年には12・3パーセントだったものが、一世紀後には 21・1パーセントへと大きく膨らんでいる。この原因はもっぱら、イスラム諸国の人口爆発に求められる。 ・キリスト教とイスラム教はこの一世紀、世界の各地にある民間信仰、土俗宗教の信者を奪って伸長してきた。 ・貧しければ貧しいほど宗教に帰依する割合が高くなり、豊かになればなるほど、宗教は相対化されていく。 ・数の上で、宗教に帰依する者の数が1970年代を境に増えているように見えるのは、中国政府が国民に宗教を認める ようになったからであり、それは、本来宗教を信じていた人たちが、顕在化し見えるようになっただけとも言える。 ・宗教性の高い国の出生率は高くなる。また同じ国内でも、信仰心に篤い人々のグループのほうが無宗教の人々の グループよりも多く子供を産む。先進国の中の無宗教の人々のグループはもっとも低い出生率である。 ・経済発展の遅れと宗教性の高さには、強い連関がある。貧困と宗教の強い結びつきは国内にも存在する。 ポスト産業経済に属する各国を見ると、最も貧しい階層の宗教性は、最も豊かな階層より約2倍も高い。 ・したがって、現在出生率が高く人口の配当を受け経済成長を続ける新興国も、先進国化するにしたがって、 宗教は相対化され、無宗教者の割合は増えていくことになる。 ▼ 宗教は共同幻想の最たるものだが、その共同幻想なくして生きられないのが人間。共同幻想は先進国化することで、 幻滅になっていき無宗教者の割合が増えていく。情報が行き交い知識を持った人が多くなった世界で、神様の存在は、 軽くなるのは当然の成り行き。しかし、「自分が、いま、ここに存在している不思議」を考えると、神の存在に 結びつけるのが手取り早い。そろそろ、いつ何時、死を宣言され、恐怖のどん底に突き落とされる年代になった。 余命半年を悟った時に慌てふためいても、時、既に遅しである。神のみもとに帰っていくと心から信じるには、 長い信心の時間が必要である。どの神を信じますか?は、どの共同幻想のイメージを選択しますか?と同じ。 金と神は共同幻想という面で、似ている部分が多い。で、金に余裕ができれば、両者の本質も見えてくる。 既存の宗教による刷り込みの力は、あまりに大きいが、それ以上に、情報化は、それら刷り込みを破壊する。 ー で、偶然だが、去年、一昨年の以下の文章が丁度良く続いていく。 ・・・・・・ 4221, 神は妄想である ー3 2012年10月16日(火) 新約聖書、旧約聖書は、生々しい逸話で満ちている。神仮説は、超人間的、超自然的な知性=‘ラージX’が存在している という仮説である。アブラハムがヤハウェという神をつくりあげた。その神に、現在も何億という民が、聖地に向けて祈っている。 初めてイスラム圏のカイロに泊まった早朝、異様な「アッラーの祈り」の声。丁度、ラマダンだったこともあり、目を据えた 人々が住む異世界に驚いてしまった。 その祈りは数百年も続いてきた生活の一部であり、アッラーの神が存在しているのである。 * 可愛げない神仮説 ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 ≪ 神がいるという仮説(神仮説)は、もっとも可愛げのない証拠事例である。 面白みのないキリスト教の顔である「おとなしくて優しい寛大なイエス」にも、その正否を委ねるべきではない・・・ 私は、ヤハウェの、あるいはイエスやアラー、あるいはゼウス、オーディンなどの他の特別な神の特定の性質を攻撃しているわけでない。 むしろ私は、神仮説をもっと弁護のしようがある形で定義したいと思う。すなわち、宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを 意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説である。本書でその代案として提唱される考え方は、何かを 設計できるだけの十分な複雑さを備えたいかなる創造的知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終産物にすぎないというものである。 進化によって生じた創造的知性は、当然のことながら、すでにできあがっている宇宙に後から生まれてくるのだから、その設計に責任を もつことは不可能である。このように定義された意味における神は妄想である。そして、それは有害な妄想なのだ。 神仮説は、証拠よりもむしろ個人的な啓示にもとづく地域的な伝統の上に築かれたものだから、さまざまな変形版があるとしても 驚くにあたらない。宗教史家は、未開部族のアニミズムから、ギリシア、ローマ、北欧神話の神々のような多神教を経て、ユダヤ教 およびそこから派生したキリスト教やイスラム教といった一神教にいたる発展過程を認めている。・・・ (中略) ・・われわれの文化の中心にあって、口に出すのがはぼかられる最大の悪が一神教である。『旧約聖書』と呼ばれる野蛮な青銅器時代の 教典から、三つの非人道的な宗教が進化してきたーユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。 これらは天空神をもつ宗教である。 文字通り家父長的 ー神は全能の父ー であるため、この天空神と現世におけるその代理人である男に苦しめられた国国では、 二千年にわたって女性蔑視がつづいている。・・・(中略) ・・三つのアブラハム宗教のうちでもっとも古く、他の二つの祖先と言ってまちがいないのがユダヤ教である。 もともとは、猛烈に不愉快な一つの神をもつ一部族のカルトにすぎなかった。この神は、性的規制、焼けこげた肉のにおい、 他の神々に対する自らの優越、そして、選ばれた砂漠の民の排他的権利というものに病的にとりつかれていた。 ローマ人がパレスティナを占領していた期間に、タルソスのパウロによって、ユダヤ教のそれほど無慈悲ではない一神教的宗派として キリスト教が興されたが、これは排他性も薄く、ユダヤ人の外の世界に目を向けたものだった。数世紀後にムハンマドとその弟子たちは、 もとのユダヤ教の断固とした一神教に回帰したが、その排他性は引き継がず、新しい聖典『コーラン』にもとつくイスラム教を興し、 信仰をひろめるために軍事的に征服するという強力なイデオロギーを付け加えた。・・・ ≫ ▼ 最近、宇宙が一つでなく10の50乗の気が遠くなるほどの数があるという説が現れた。その中で、アラブの蛮族から 発生した一神教の神は、アブクでしかないことが分かる。しかし、信心は、そんなもので揺らぐほど強いのである。 人間を人間たらしめている情報伝達手段の言葉が、イメージを作り上げるようになった。そのイメージは、大自然の神秘と力に 神をイメージしたのが、アニミズムになっていった。それが、部族間の争いを大きくしていき、現在に至っている。 ・・・・・・ 3856, 猿の惑星:創世記 2011年10月16日(日) 先日、「猿の惑星:創世記」を長岡シネマで見てきたが、極めてシリアスなストーリー。 「猿の惑星」をみたのが40年数前。 その時の衝撃は現在も残っているが、20歳代半ばの記憶が今でも鮮明に残っているのは、 猿が人間を支配している意外性である。 その後、何本か続編が続いていた。 今回の、猿が人間と逆転するキッカケの創生の物語は、 不気味で恐ろしい原点を私たちの前に展開している。 結果は初めから分かっているが、筋書きが初めから終わりまで重い。 猿とチンパンジーの差より、人間とチンパンジーの遺伝子の差は小さい。今世紀中に類人猿の人権擁護法も出来る可能性もあるという。 物語は、製薬会社がアルツハイマーの新薬の開発にチンパンジーを実験に使っていたが、その効果は上がっていたが、何かの切欠で 暴れてしまい射殺されてしまう。 しかし、そのお腹に赤ちゃんが宿っていて、それを秘密に持ち出した男が、育てあげる。 しかし母親に(実験のため)投与されていたアルツハイマーの新薬が、その子供に影響しており、育つにつれ飛躍的な能力を発揮する。 問題は、人間の能力より遥かに高くなっていたこと。 そして・・・、 と物語りは展開していく。 初めは、人間サイドから見ていた筋書きも、何時の間にか類人猿の創生の物語に転化され、チンパンジーの目からみた人間社会の 文化の非難へと引き込んでしまう。 チンパンジーの目から逆照射した人間社会への視線は痛いほど。 創生者?のチンパンジーの名前が、シーザーというのも良い。 ところで、アルツハイマーの新薬が、私の目には現代の携帯端末か タブレットPCに思えた。 誤解を恐れないでいえば、《 欧米の白人からみたら、チンパンジーが有色人種。 新薬が携帯電話と端末とPC、そしてネット。 これは後進国といわれている人たちの知識を飛躍的に進化させる劇薬に匹敵する。 一度与えてしまった劇薬は、世界中の底辺の人々に自由と平等の概念を植えつけてしまった。 欧米中心で世界が動いてきたが、 それが崩壊過程にあるのが、現在の世界の現状である。 20年、30年前には想像すら出来なかった事態が日々刻々進んでいる。 今度の福島原発事故は、それを世界に知らしめてくれた。 情報端末とネットだけでなく、人間が作り上げてきた文化、 文明の象徴が、アルツハイマーの新薬開発と、チンパンジー創生と考えると、現在が見えてくる。 ・・・・・・・ 3491, しあわせの法則 2010年10月16日(土) 先日、昼飯に入った店の週刊誌に「しあわせの法則」のタイトルの記事があった。 何かの本を要約し噛み砕いたもの。調査の統計はシビアな現実を表している。 その場で意識して記憶したが、9つ、一つ残らずに憶えていた。 1、男性より女性の方が幸福の人が多い。 2、都会の人は大よそ幸福と思っている。 3、学歴が高くなるほど、幸福の人が多い。 4、年収700万、資産合計2千万が幸福の臨界点(それ以上になってにあまり変わらない) 5、幸福の八割は遺伝する。 6、国による税率の大小は、幸福に関係ない。 7、失業の不安感は幸・不幸に大きく関係する。 8、年齢が高くなるほど幸福度は低くなる。 9、その人の経験は、大して幸不幸に関係しない。(連れ添いの死の傷は9ヶ月で消える) ー [幸せ]については何度か取り上げてきたが、現実はシニカルである。 見方によれば辛辣だが、実際に学歴を見ていると、中学校、高校、大学の友人の実例をみていると肯ける。 豊かで教養ある両親の元で、順調に育った人間は、その後の人生で、同じような生き方になっていく。 何度も書いているが、最終振り分け前の中学校の同級生の、その後の人生も、その格差が大きくなっているだけ。 家柄?が、運命そのものになっている。 とはいえ、それも目くそ鼻くそとは一概にいえない。実際は10歳までに決まっている。 そうこう考えると結婚相手の選別と決断は重要である。 特に女性にとっての伴侶は、男より大きく人生を左右するため、 ドライになって当然のこと。 相性の当たり外れは五分五分と言うから、結果は神のみぞ知るである。 またブルーカラーより、ホワイトカラーの方が、概ね幸せの人が多いという結果もあるという。 人間は不平等に生まれ不平等のまま死んでいく。「しあわせ」は、能力の一つか。 ーーーーーーー 3116, 久々のジョーク −5 2009年10月16日(金) * ある日夫が妻と夫婦喧嘩をした。夫は怒りのあまり誤って妻を殺してしまった。焦った夫はすぐさま死体を自分の家の庭に埋めた。 それから数週間が経った。夫は5歳になる一人息子に言いました。「なぁ、ママが家出したまま長いこと帰ってきてないけど お前は何にもいわないな」 そしたら子供が言った。「じゃ、パパは何でママをずっとおんぶしてるの?」 〜〜〜 * あるユダヤ人が交通事故にあって歩けなくなったとして多額の保険金を受け取った。 しかしながら保険会社としては保険金詐欺ではないか?との疑いを持っているようだった。 入院しているユダヤ人を友人が見舞った。「大金をもらったといっても一歩も動けないんじゃ仕方ないね」 「いやあ、そうでもないさ。」「でも歩けるとなったら詐欺罪でブタ箱行きじゃないか」 「大丈夫、とりあえず退院したらフランス行きの飛行機の切符買ってルルドへ行くから」 〜〜〜 Q1: すでに8人の子供があり、うち三人は耳が不自由で、二人は目が不自由、一人は精神面で成長阻害が見られ、 そして本人は梅毒を患っている妊婦の知り合いがいるとする。 あなたは、彼女に妊娠中絶を勧めるか? 解説は、次の問題を解いてから見てください。 (字数制限のためカット2011年10月16日) ・・・・・・・・・ 2751, 米国大統領は激戦区の白人の黒人観で決まる? 2008年10月16日(木) アメリカ大統領は、このままではオバマで決まりそうだが、実は結果を待たないと分らないという。 アメリカの黒人差別は根強いものがあると昨日の 毎日新聞の「記者の目」 の論説員のレポートは説得ある。 今回の正副大統領候補は、黒人、女、そして老人の組み合わせで、壮年の白人は一人もいない。 ーーまずは、その辺をコピーしてみたーー ずっと気になっている。これまで来国では白人男しか大統領にならなかった。さて、今年、黒人あるいは老人を大統領として、 そして女住を副大統領とて受け入れる用意が米国にあるだろうか。そうした個人の属性は人の意思では変えられい。 そこに優劣や価値をつけ、反対票の理由にする。そんな人がどれぐらい多いか、という問題だ。投票まで3週間を切った 大統領選挙の最大の政策課題はもちろん経済だ。しかし、票の争点にはならないので気づきにくいが、今年、米国人の投票行助を 左右する争点が三つあると思う。それがへ人種、年齢、男女の性差だ。米国は、この3点を根拠に、他人を差別してはならない。 (字数制限のためカット09年10月16日) ・・・・・・・・ 2007年10月16日(火) 2387, 新潟経済は今 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ 先週の金曜に取引先の地銀の担当が「判・仕事」で事務所に来た。 そこで最近の地元経済の状況を聞いてみたところ、担当が浮かぬ顔をして言うには、 ・地元は一部自動車部品メーカーを除いて中越沖地震を境に悪化 ・特にマンションや一般住宅が売れなくなり、露骨な値引きが始まっている さらに建設中や予定のマンションが十数棟もある ・風評のためホテルや飲食店の売り上げが減少、回復の兆しがない ・不動産の動きも芳しくないという。 中越沖地震が地元経済にとって甚大な影響を与えている。さらに手取り収入の減少、年金問題の不安感の増大、 農家の実質収入の激減など、多くのマイナス要素が重なっているためだという。先週の金曜日に長岡で飲んだが、 お客の数は少ない。客単価を上げようと店の方は必死。それはそれでよいが、健康も含めた対策として飲む回数を減らす。 地方は、特に新潟県は、ますます疲弊しているのが実情である。 しかし、地方の疲弊は前ぶれ、関東・東海地区にも遅かれ早かれ 波がくることは必定。3〜5年後を考えると何か恐ろしい雰囲気である。ただ当方は目先は大口の団体が半年にわたって入ったのと、 駅の再開発が始まったので、一応目途は立っているが。ただ全体の地盤沈下はいただけない。昨日、都銀の担当がやはり 「判・仕事」で事務所に来たおりに、同じく地場の景気の状況を聞いてみたが、内容はホボ地銀の担当と同じ。 ・中越沖地震が大きなキッカケで、デフレスパイラルの様相。 ・コストは上がるが、それを売価に転換できない矛盾が全ての業界に出ている。 ・地震が二つ続いたことで設備投資に対して、県内外の会社は及び腰で、その影響は大きい。 それらが複合的にジワジワ経済に影響して地域の地盤沈下を大きくしている。 今日で丁度柏崎沖地震から3ヶ月、その影響は地元にとって一過性の問題ではない。三年もたたないうちに二度起きたことは、 県内外の企業の設備投資に冷や水をかけた。さらに年金の不安も重なり、住宅の買い替えなどは躊躇するのは当然である。 さらに大きな問題がある、北陸新幹線の開通で環日本海都市が金沢になることだ。歴代の政治家に新幹線を日本海(飛行場)まで、 10キロ延ばさなかった重大な過失がある。延ばしておけば、そこに野球場や、サッカー場、物流基地、飛行場の拡張などが集積し、 環日本海の関東の拠点としての機能が集積していたはず。今更、開通しても遅いが・・これも県の民度といえば、それまでである。 駄目になるには訳がある! それにしても金沢は富山、福井県と能登半島、岐阜高山を至近に控え、 東京と大阪の距離のバランスも良い。どっちにしても新潟より金沢である。 ☆w(´・з・`)バァイ ・・・・・・・・ 2006年10月16日(月) 2022, 「ちょい悪」の一考察 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ 「ちょい悪親父」の「ちょい悪」 =不良= の意味を考えてみよう。 子供の頃「不良」という言葉には、不気味な響きがあった。ヤクザモノというか、前科者か、その予備軍という意味があった。 徒党を組んで同級生弱い者虐めや万引きをするゴミのような連中で、誰の目にも卑劣の負け犬ということが歴然としていた。 (字数制限のためカット09年10月16日) ・・・・・・・・・・ 2005年10月16日(日) 1657, 世界の絵画50 今回の北イタリア旅行でも、フィレンツェのウフィツ美術館で素晴らしい絵画を多く見ることができた。 実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには余程のキッカケがない限りできないものだ。 (字数制限のためカット13年10月16日)
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2013年10月15日(火)
* アフォノミックス ーアフォが、三本の矢のミックスといっても! 安倍内閣の経済政策に否定的で、先行き悲観論の経済学者・浜規子が、久々にTVに出演、アベノミクスを批判。 こんなバブルは直ぐに崩壊するのは自明のこと。 アベノミクスに対する街のインタビューで、20、30歳代の 17%に対し、40歳以上の74%がバブルを望んでいる結果であった。バブル経験者の多くが、 その恩恵の味が分かって期待するが、未経験の年代層はいずれ弾けるバブルに期待していない、と冷け気味。 浜規子は、「1980年後半のバブルは4年数ヶ月つづいたが、今度は、そこまで続かない。 前のバブルは、 中産階級の風船が膨んだが、今回は、その萎んだ風船に再びガスを入れるのでなく、別の風船を膨らませ、 萎んだ風船に紐を加え、空に上げようという代物。全くの見当違い!」と、一刀両断。これも、当たり前。 元女子アスリートが、「周囲が家を買いたいという人が多いので、家を買うか、迷っている」に対し、 「周りが浮かれ始めた時に何を馬鹿なことを! 家は投資の一つ。直ぐに弾けるのが目に見えている。 『周りが買うから自分も』という考えが、バブル犠牲者の発想。止めなさい!」と、ハギレはよい。 安倍内閣が発足、現在の日銀総裁が立候補をした時、「日銀総裁になりたいポチが尾っぽを振っているだけ」 と切って捨てた。 FRBのバーナンキンが無制限に札を刷って、目先のアメリカ経済の崩壊を引き延ばしたのと、 日本とは違う。彼らは世界の制空権を持ち、海軍力も世界一、言語も世界共通語の英語。その上、基軸通貨の発行国。 ドルを幾らでも刷って、それを米国債で回収するか、暴落に誘導すれば借金はチャラ。それと、デフォルトの手がある。 その米国を真似れば、待っているのは破滅。 米国予算が議会で否決、デフォルトをすれば、世界経済は大混乱になる。 『ひょっとすると、隠れた世界戦略』で、やってくる可能性が充分ある。リーマンショックで、世界の金融機関に隠された 不良債権ともども、焼き払うために? 金融の世界大戦と割切ってくる可能性は充分にある。無いと思うが・・ 火の海? 日本は米国債を4〜500兆円も持っている? ・・ 世界が火の海になろうという時、東京オリンピック誘致に成功! と、浮かれている。景気浮揚より、国民の目を逸らすため? 阿部の横で、麻生が「アフォ違うねん、パーなんで」という フザけているパロディのイメージが、浮かんできた。悲しいかなA・B層の質の低下、特にB層が国を滅ぼすことになる。 ーーー 2013/06/19 アベノミクスへの疑問 アベノミクスの危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ取っていた。 再び、とんでもない誤りを犯そうとしている。 「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は真逆。 それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。何人かの経済学者が、アベノミクスに批判をしているが、 円安、株高の現象の前に表立ってない。 先日、図書館で借りてきた文藝春秋4月号に、ー神谷秀樹のレポートー アベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。 ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。 ★ 〜ブログにゃんとま〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』文藝春秋4月号の一部を抜粋ー ≪◎ アベノミクスを冷静に分析し、「A=アセット(資産)、B=バブル、E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、 彼らのほうが正しいことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って一儲けしたい投機家ばかり。 「持続可能な経済基盤」を構築するものには、人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな要因のうち、何一つとしてコントロールできない。 ◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。だが、これは完璧に間違った認識であり、市場にはお金が あり余っている。企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い切れない「ブタ積」が山ほどある。 ◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が 上がっているだけの話だ。 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、国際通貨の バスケットで見れば価値が目減りしていることになる。 ◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、 *「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、 *「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。しかし、この政策は完璧に破綻。 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くの妄想で、「国際的に価格競争力を失ったのは 円高のせいだ」というのもの妄想。 競争力を失った理由は、同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、 製品の質の面でも優位に立っていないことだ。 ◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは「失われた二十年」で学んだ筈だったが、 実際には学んでいなかったようだ。ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど、大きな破綻を日本にもたらし、 その時はもう復活不可能な致命傷となるだろう。≫ ▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来ようはずがない。アベノミクスは、 一部の輸出産業と大手の金融機関が目先のプラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。 二ヶ月前の地元の高校の同級会で、当初からのメンバー12〜3名のうち、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、 廃業、経営責任の辞任、自殺に追い込まれた。過半数近くである。 そう遠くないある日、中国かアメリカの投機筋から、 売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 ーーー 013/04/01 閑話小題 ー要は、アベノミクスとは? * 要は、アベノミクスとは! アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。 その二人が偶発的に首相と副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗したところで、 政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの付けは、国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、 銀行を通して国債を買わせることで周りまわって戻ってくる。 一度、ハイパーインフレにし、銀行閉鎖するなどの 荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。 世界は通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、 一より出直しすべし 」ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。そして、責任を取って辞任。 そのパターンが繰り返される。 ーーー 2013/03/07 閑話小題 ーアフォノミックスとは * アベノミクスは、アフォノミックスか アベノミクスを揶揄して、「アフォノミックス」とは、よくいったもの。経済評論家の浜規子が先日、アベノミクスの 内容を問われ、「アフォ(ノミックス)そのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようで気持ちが悪い。 今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、 「日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、当を得たりと納得をした。 この事態を招いた戦犯達の主犯格の安部と麻生が、首相、副首相とは漫画の世界。殆どが、それを知っているから恐ろしい。 7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界か。しかし見渡す限り阿部しかいないのが現実である。 一度、チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも手か。この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。 ところで韓国経済が特に変のようだ。 円安も効いて、あの元気にみえていた経済も崩壊過程。 輸出依存度を見ると、 日本 14% 、中国26%、アメリカ10%に対し、韓国は50%。 日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。 それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響を直撃し、急激に悪化している。 世界的動乱は、国力がある方が有利。資源があり、海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードするしかない。 体力を疲弊をした日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、TPPの参加は当然のこと。 明治維新も、太平洋戦争敗戦も、今回も、アメリカに屈した更なる開国。アメリカにとって、どれも世界戦略の 一つでしかない。韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。中国も北朝鮮を庭先の番犬で 飼っている。ここにロシアが絡んでくると、1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流の 安部と麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」である。
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2013年10月14日(月)
* 生き直すために ー2 ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆 ー 前回の『生き直すために』の続きから 《 ・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。 酒をやめることで仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 AAで、最初に「私は、自分では 何もできない人間であることを認めます」と言わされる。これは一理あった。「自分で人生を立て直せる」と思い込んでいると、 依存症から逃れられない。 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある限り、人生のやり直しは できない。 就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。 自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。 捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。会社を辞めたことも、酒と一緒に それまでの生活を捨てたことで多くを失いましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。あそこで やめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、 何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》 ▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、ガンなどで余命が見えて、その克服や 人生を改めて見つめ直すために来ている人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、 極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは 「前向きに目をつぶって倒れこむ」しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。これも一期一会。 捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。 最期は、「そして、人生は終わり」! 「プツン!」になる。 ・・・・・・ 4219, 神は妄想である ー2 2012年10月14日(日) * 有神論と理神論と汎神論 ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す代わりに、この理論を、 答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 ただ、「今ここにある自分の存在」が 不思議でたまらない。「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した『神』をイメージした」と 一言でかたずけられない。 神という言葉の解釈がいくらでも可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー ≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な仕事に加えて、 自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしているような超自然的知性の存在を信じている。 多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。罪を赦し、 あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを知っている。 理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を支配する法則を設定することに限定される。 理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者は、 超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは 宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔に関心をもたず、 私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって干渉したりしないという点で有神論者と異なる。 理神論者は、彼らの神が、汎神論者の神のように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、ある種の宇宙的な 知性である点で汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論であり、理神論は薄めた有神論なのである。 「神は老獪なれど、悪意はない」や「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に選択肢があったのか」 といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく汎神論であり、まちがっても有神論ではない。 「神はサイコロを振らない」は「すべての事柄の核心に蓋然性が横たわっているわけではない」と翻訳されるべきである。 「宇宙を創造するときに神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外のやり方で始まることができただろうか?」 という意味である。アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫ ▼ 読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。日本人からみれば、何を今さらだが。 「神がいるかどうかでない、存在しなくてはならないのだ!」という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。 ・・・・・・・ 3854, 50歳代が勝負時? 2011年10月14日(金) 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、「さて、これから如何しようか?」と考えた時に、 曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という言葉に出会った。そうすると9年しかない。 そこで考えついたのが、 「残りの人生を、50歳代の9年間の中に押し込んで生きる」ことであった。 想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に 圧縮して生きることである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思いついたのが秘境・異郷ツアー。 行きたいところをピックアップし、何はともあれ行くことにした。 年に4回も行った年もあった。 更に10年前の55歳の時に、 個人HPを作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。 これを書き始めた5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。 毎年10パーセントの売上減が3年続いた。 そして4年目に入って中越地震が起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は長期借り入れの返済原資を 三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上である。 その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。 その結果、60歳辺りから心に大きな余裕が出てきていた。「何だろう、これは?」という感覚である。 人生の元を取った実感は、 心に大きな安心感を持たせてくれる。 その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上げ減の中でも、 そして今回の事態でも、何とか精神のバランスを保させてくれている。準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、 この結果としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、人生のページの余白を埋めた為である。 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めてしまうと、他人との比較も、自分が達成できなかった夢も、余裕を持って諦められる。 それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めることが残された人生の課題ということが分かる。 70歳まで、四年少ししか残されてない。不摂生だったこともあり人生の余白も残されてない。60歳前半は、リーマンショックで エネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖になってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、 捨て身で後片付けをする時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変の 真っ只中、それへの適応時期になる。 時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、周囲も同時に回っているため、 それを自覚できない。時流も激しく変化しているが、見ても見えずが、我々。 人間は現象との情死?しかないのか。 自然と、芸術とに触れ、感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 さて、信濃川のポタリングに出るか。 ・・・・・・ 3489、金は暴落する! 2011年の衝撃 2010年10月14日(木) 「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」鬼塚 英昭の最近の著書である。 要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を共有するために、金を値上がりをさせ、2011年か2012年の早い時期に 金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。 わずか3年前の2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。わずか3年で二倍近い値段である。 これを著者はロスチャイルドと金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 来年から再来年に金価格の暴落をはかり、 逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁るという。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、 大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。 バブル崩壊後に狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、 ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中に ばら蒔いてしまったから始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ罠という。 ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、 次にバブル崩壊を狙っている。それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。 そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。 大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、おかしく書いてある。 ー つづく ・・・・・・・・・ 3114, つれづれに ー閑話小題 2009年10月14日(水) * 低反発マクラ 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。 (次数制限のためカット 2012年10月14日) * 最近の万歩計 20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて年間1万5千歩を数年の間歩いていた。 (次数制限のためカット 2011年10月14日) ・・・・・・・・・ 2749, ソロスは警告する −2 2008年10月14日(火) 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著 講談社 ー読書日記ー 『アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、 欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、 エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に 大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、 このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。 歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、 ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、 ー松藤民輔(解説文)よりー (次数制限のためカット 2011年10月14日) ・・・・・・・・・ 2007年10月14日(日) 2385, 私の嫌いな10の人びと −3 「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著) ー読書日記 2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する日本人の感覚に 疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。この人の本を何冊も何度も読んだが、 一度ひいてみれば、所詮は「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」でしかない。 英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。 営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ 2006年10月14日(土) 2020, 13日の金曜日恐怖症 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 昨日は「13日の金曜日」であった。日本では、あまり騒がれないが、西欧社会では「13日の金曜日恐怖症」がある位、 この重なりの日は自重をしている人が多いようだ。 (以下、字数制限の関係上、カット13年10月14日) ・・・・・・・・・ 2005年10月14日(金) 1655, 北イタリア旅行記−6 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエロー このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。 この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」 ・ミケランジェロの「聖家族」 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」 ・ラッファエロの「ヒワの聖母」 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。 特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、 「モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。 「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で観ることができた。 地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエローの 三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。 それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。 きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。 「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときにおこなう否定もまた、 肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。− 全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。 憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。 疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。 ーつづく ・・・・・・・ 2004年10月14日(木) 1290, ダイエーが再生機構活用! 一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。売り場に商品が、あまりに少ない。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ 2003年10月14日(火) 923, アイスランド旅行記ー3 ーオーロラハントー 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」 という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。 だだ行きの飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。 夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をしていたより 遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。 これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に 壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「・・・」である。 取材できていた共同通信社のカメラマンが、「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と 私に話しかけてきた。「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。 その時、涙が出そうになっていた。以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。 「もういつ死んでもよいと思った!」「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」 それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。しかし、この言葉の意味が実際見て 初めて解った気がした。 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう! ・・・・・・・ 549,「宣戦布告」 2002年10月14日(月) 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。 北朝鮮の拉致事件の帰国も迫っていることもあり、 迫力と現実味のある面白い内容だった。「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ [186] 野村と円楽 2001/10/14 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。 メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、野村も面白いのではと期待していった。 まず野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよい と思っているんしょう。円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、ザワツイテイタ会場は シーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに聞き手をのせてしまった。 ー要点はー ・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され ・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた ・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた ・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた ・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある ・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー 等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため説得力があった。 また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。 今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、 野村だけは底から這い上げって来たためか、ずば抜けた内容があった。 その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、しらけた会場の空気が漂っていた 。 さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと憶えている。 キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。
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2013年10月13日(日)
* 生き直すために! 朝日新聞のオピニオン「耕論」の『生き直すために』小田嶋隆 ーのコラムが面白い! 先回の「そして、人生はつづく」は、「生き直し」でもある。この年齢になると、一年ごとが生き直しの日々。 筆者は、生き直しは、「やめる」ことから始まるという。 やめることは捨てること。最近、断捨離という言葉を聞くが、 その捨てることが難しい。 捨てて捨てて捨て去ることは悲しく辛い。が、それを前向きにすることで、辛さを軽減出来る。 ーまず内容の前半の要約をすると・・ 《 「人生やり直し」を二度経験している。1980年に大学を卒業して、新卒で入った会社を8ヶ月で辞めた。 何をするわけでなく、ただ不愉快なことがあったから逃げただけ。当時、上場企業の正社員というコースから一度 外れると再チャレンジが難しく、3〜4年アルバイトをしていたが、バンド仲間の知人からパソコン入門ライターを 勧められ、パソコンバブルもあって、それが当たった。しかし30歳前後から、アル中になり、酒浸り。 酒が切れるとウツ状態になる。自殺をしないためにも酒を飲み続けた。 それもあり、仕事が減った39歳の時に断酒をしたが、5日間、断酒をしたら、眠れず、幻聴まで出てきた。そこで、 心療内科に行くとアルコール依存症と診断され、「このままだと、40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール性痴呆。 もう一生飲まないしかないよ」と宣言された。それまで人と会うのも、音楽を聴くのも、野球を見るのも、酒を飲みながら。 医者に「酒をやめるということは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と言われ、慣れ親しんでいたことを次々やめた。 断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス(AA)で、「棚卸し」というが、いわば人生のリセットをする。 酒をやめてみると、膨大の時間が余る。何をしていいのか分からない。サッカー観戦だったり、自転車を乗り回したり、 イグアナを飼ったりして時間を潰した。・・・》 ーつづく ▼ 何かを捨てるということは、「空即是色」の現象面の一つ。「空にしてこそ新たな色が現れてくる」。 筆者は、上場企業を8ヶ月で辞め、犬に例えると宅上犬から野良犬になった。そこで、彷徨い歩いているうちアル中になり、 39歳で断酒。そこで得たのは膨大の時間。自分の能力、弱さを認めることから出発しないと、アル中から脱出できない。 物書きと、創業を目指した私とは大きな違いがある。目標がハッキリすれば、選択することが見えて、自然と、 「やめる」ことが見えてくる。20歳の頃、創業を決心した時から、私が捨てたのは「世間体」と世間の常識。 そうとはいえ、やはり本当に捨ててきたかというと、捨てきれる訳がない。決断、決心をする時にまず意識してきた。 これを捨てるには、まず全てを根こそぎ疑うこと。ここでは「やめる」と言っているが、まず自分の常識を破壊する。 人生にやり直しなど出来ようがない。天を信じて、捨てるべき時に、捨てるべきことを、捨てないと・・・ 捨てることを決断することで、自ずと節目が出来る。「脱皮できない蛇は死ぬ」 脱皮出来ないゾンビが街を徘徊している。 ・・・・・・ 4218, 神は妄想である ー1 2012年10月13日(土) ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。 欧米のように、生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で育ってない日本人は、神様目線が 殆どない。殆んどは、「神は妄想」と思っているし、神の話など家庭内では皆無だろう。しかし欧米では無神論者は同性愛と同様か 変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者などの狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。 まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより ≪ 人はなぜ神という、ありそうもないものを信じるのか? 物事は、宗教が絡むとフリーパスになることがままあるが、 なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会の あり方は、おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に携わっている著者は、かねてから宗教への 違和感を公言していたが、9・11の「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられなくなった。 「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについて あらゆる方向から鋭い批判を加えていく。 宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。 神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインを自称する、進化論を 学校で教えることに反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。あえて反迷信、反・非合理主義の 立場を貫き通す著者の、畳みかけるような舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫ ▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、 注目された内容。 9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉に対し、知人から 注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。 とはいえ、知識を持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。自然以外に、まず、それに アブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは 至極当然で、その対立は激しさを増している。そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる視点も、よく分かる。 「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの 猿が進化した生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、自然世界の時間をかけた 進化などをさせてきた、自然法則を神として理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく ・・・・・・ 3853, シリアスでストイック 2011年10月13日(木) 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。 シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。 コミックでは、「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。 ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という場合は自分に厳しい人という意味になる。 「今回のヒロインはシリアスでストイックなキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、 「ヒロインは極めて真剣で、自分に厳しいキャラなので・・・・」という意味になる。 プロの選手や兵士、そして原稿などの締め切りに追われている作家などは、シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。 漫画でいえば、「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。 そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイックに過ごさなければならない」ことになる。 まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。いや、「ファニー」の一日かもしれない。 その対義語ではないが、正反対のキャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風 変わった。」という意味。 お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。サンマ、タモリなどが、このキャラになる。 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスでストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を変えれば、違って見えて当然だが。 人生を振り返ると、この3つが混在している。 私の場合、「リアル」で、 かつ「コミック」も加わる。 まともに生きればシリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれていなくては、とすると?・・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ? ・・・・・・・ 3488, インコのクシャミ 2010年10月13日(水) ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。 籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣になっている。しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場で ジッとしている。呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸。 母が亡くなる直前も、そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで椅子に座り、みていた。 時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。 そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。 小さくクショッと人間のようにするのである。 そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、 クシャミまでするとは思ってもいなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲っているのをみて、何だろうと思い、 8〜9分は死ぬと思い込んだが。 寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。 インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。 クシャミをし、全身の毛が逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。 ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコをしている」が、そのまま全身から伝わってくる。 全身で苦しみ、全身で喜びを表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は「ありのまま」で生きている。 だから、ペットとして人間に好かれるのである。 衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。
・・・・・ 3113,イチロウの言葉 2009年10月13日(火) 以前もイチロウの言葉について書いたことがあった。その後も、これだけの記録を打ち立て続けている。 それに対して的確な自己分析を理路整然と話せるのスポーツ選手も珍しい。 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日) ・・・・・ 2748, ソロスは警告する −1 2008年10月13日(月) 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著 講談社 ー読書日記ー まずは、この本の背裏のジョージ・ソロスの紹介文からして面白い! 生き馬の目を抜く世界でトップのクラスの利益を出しているのだから、余程の知識と哲学がなければ勝ち抜けない。 10年前から哲学に興味を持って継続して学んできたが? つくづく今まで何をしてきたか考えさせられる。 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月13日(土) 2384, こころの旅 −1 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、 もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。 一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を 感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。 (以下、字数の関係上カット、 09年10月13日) ・・・・・・・・・ 2006年10月13日(金) 2019, 「私」のための現代思想 −11 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。 「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。 「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。 《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。 <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。 そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の 存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。 第四章「私」にとって「他者」とは何か −? =「ともに生きる」ということ= −なぜ人は顔を露出するのかー <他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。 実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。 つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。 そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に 「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、 顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。 「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。 (字数の関係上カット2008ねん10月13日) ・・・・・・・・ 2005年10月13日(木) 1654, 北イタリア旅行記−5 ーチンクエテッレー この意味は、「5つの島」という。海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように 家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように 好みの色を塗りつけてあり、それが何ともいえない風情がある。 その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、 ウォーキングができるようになっている。 その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。 (字数の関係上カット2008ねん10月13日)
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2013年10月12日(土)
* 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく』 5月の連休明けにシネマでみた、「アバウト・シュミット」が、まさに、「そして、人生はつづく」をテーマにした内容。 ーその概略をHPでみるとー 《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアとペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。 人生の終盤を迎えて大きな転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソンが見事に表現。 監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭アレクサンダー・ペイン。 アメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。 彼はこれまで妻ヘレンと今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。 そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、シュミットは会社中心の生活リズムが 染みついていたせいか手持ち無沙汰になる日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死する。そして葬儀の準備に 追われるシュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくるのだった…。》 ▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でもそれなりの人生を送っていると思っていたが、 定年をむかえた直後、妻が急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む娘を 車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで接したことのない世界の人たち。 その旅の中で、これまでと違った様々な経験をする。それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。 職場と連れ添いの喪失で、なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。 妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。 5月の連休明けに、この映画を見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しに見える部分がある。 また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて 知人に拾われ、働き出し、営業で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は老けていた。 数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越していった。 現在も、「そして、人生は続いている」のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうかだが・・ ・・・・・・ 4217, 開国という強迫観念 ー4 2012年10月12日(金) * 「開国」とは何だろう ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに不利になるため、従うしかない。 属国から離脱など出来ないように囲い込まれてしまっているのが日本である。 ーその辺りからー ≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」 だといってきました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。 「開国」とは異質なものに出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。「開国」とは、何よりまず、異質な文化、 社会、宗教などに出会うことです。そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。独自性です。自国の、 自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることこそが 「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということではない。世界には、西洋もあれば、中国も、 インドもイスラム諸国もあるのです。しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、決して イスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。 いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」といった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。 「世界標準」とはアメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことなのです。「世界に乗り遅れる」というのは 実は「アメリカに見捨てられる」ということなのでした。 ≫ ▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を 覆ってしまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人がポケットに持ち歩けるようになった。それで、 個人情報の受発信が気楽に、しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し進めることになる。 それは、情報をコントロールでき、利用できるものと、出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが アメリカの一部の人たちである。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の 日本の水準から見れば下流になる。総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流ということになる。 預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を入れれば、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、 日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。 ・・・・・・ 3852, ツレがうつになりまして ー3 2011年10月12日(水) 鬱病のタレントは、音無美紀子、小山明子、萩原流行、千葉麗子、生田悦子、岸部四郎。 音無美紀子、高島忠男、小川宏、 木の実ナナなど多くいる。作家では夏目漱石、北杜夫がいる。 タレントの何人かが手記を出しているが、本当に辛そうだ。 老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常になる。 長生きの人生の利子。 私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、 長年、その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小? で済んでいる。 対策として、直後から、 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 =合計三時間の運動で身体を動かす。 * 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 * 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。 その為に、哲学書を一歩踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。 しかし、この結果に対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。当然のことだが。 欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなること。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大な エネルギーを要する。そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、ますます辛さが積もっていく。 私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、その崩壊は最小で済んでいる。 所詮は、娑婆娑婆! もしインサイダー人間だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。 地域社会を象の皮膚の隙間とすると、 そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。 経験からして、心の傷は癒えるのに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。 時間が全てを解決すると腰を据えるしかない。 結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 見渡してみると重い経験者は一割。 軽いのを入れると三分の二あたり。 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。 それが出来ないから欝になるから、これ愚答。 そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を変える、趣味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 書店か図書館に行くと、 (神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。 これは神様の情け。 気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。 ・・・・・・・ 3487, ジョハリの窓 2010年10月12日(火) 「ジョハリの窓」という原則がある。 ーネットによると 【ジョハリの窓とは、1955年にJoseph Luft とHarry Inghamが考案した自己理解のメカニズムを指す。 対人関係における自己理解について、4つの窓の視点を提示し、自己理解がどのようになされるのかを分かりやすく説明した。 コミュニケーション心理学の分野で認知されており、研修や能力開発の場面で使用されることが多い。 <4つの窓> A.自分も他人もよく知っている自由な行動領域「開放の窓」 : B.他人は知っているが、自分は気づいていない領域「盲点の窓」 C.自分は知っているが、他人には隠している領域「秘密の窓」 : D.自分にも他人にもまだわからない領域「未知の窓」 ・いつも失敗する人は、「盲点の窓」が大きい。自分の悪いところも、いい部分も気づいていない。 ・「秘密の窓」が大きい人も、表と裏の顔が違うもう1人の自分を隠していて、いざというときに、その自分が顔を出して 「こんな人じゃないのに・・・」と言われることもある。その、もう1人の自分をできるだけオープンにすること。 その窓を広げるためには、自分の気持ちを率直に話すこと。自分を開示していくのは難しい。横にA→Bへと窓を広げるためには 友達や周りの人からの率直な感想を謙虚に聞く姿勢が必要です。そして友達も気づいたことや感じたことを率直に伝えることが大切。 このよう知らなかった自分に気づくことで、人は成長し、「未知の窓」を広げていく。】とあった。 〜〜 私のHPは、ジョハリの窓そのもの。10年近くも頭の中と私生活をオープンし「C・B」から「A」へ移行してきた。 そして自分で自分が書いた内容を読み返している時に、「D」領域が垣間見ることがある。過去を思いやった時に、鳥瞰の視線で BとCに気づくと同時に、Dの影?も見え隠れする。 その時点で気づかない未知の窓の気づきがある。そこには、戦略、夢、目標、 神の視線、純粋なギブ&ギブ、血筋、教養、等々色いろある。未知の窓こそ人間に進化?するプロセスの生命、動物の進化の プロセスが遺伝子に書き込まれている潜在意識の世界が隠されている。 開放の窓・Aと未知の窓は対角線・Dの位置にある。 自分を開放し、自由な行動をすればするほど、自他ともが窺い知れない未知の世界に飛び出す確率が高くなる。 驚き、感動が人間にとって最も重要な受容能力だが、それこそ未知の窓へ通路。驚き、感動の周辺に知識・知恵が豊富に存在する。 外は、広い、内は、深い! そして人間には限界があり、それぞれの外は狭く、内は浅いのである。それをソクラテスが・・・ ・・・・・・・・・ 3112,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー5 2009年10月12日(月) 初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、あれよあれよのうちに成立しそうである。 ( 字数の関係上、カットします−2011年10月12日) ・・・・・・・・ 2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して 2008年10月12日(日) 商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。 ( 字数の関係上、カットします−2012年10月12日) ・・・・・・・・・ 2007年10月12日(金) 2383, 私の嫌いな10の人びと −2 中島 義道 (著) ー読書日記 まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。 ( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日) ・・・・・・・・・ 2006年10月12日(木) 2018、「私」のための現代思想 −10 「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。 ( 字数の関係上、カットします−2009年10月12日) ・・・・・・ 2005年10月12日(水) 1653, 北イタリア旅行記−4 字数の関係上、カットします−2007年10月12日 ・・・・・・・ 2004年10月12日(火) 1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2 11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。 ーー ・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。 ・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。 鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカやエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。 −−− 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。 ーーー ー「閑」のある生き方ー 著者 中野孝次 発行元 新潮社 2004年10月3日長岡中央図書館 ・・・・・・ 003年10月12日(日) 921, アイスランド旅行記−1 ー2003年 10月4日〜10日 ーアイスランドという国とは ー 直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。 行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。 その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、 合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。 もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。 乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。 大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに 18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。 ・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。 ・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。 ・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテンが 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 人口の50パーが漁業関係に従事している。 また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。 家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。 ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。 ・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。 ー何処かの国に似ている。 ・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。 ・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。 ・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。 ・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。 −続くー ・・・・・・・・ 547, 人生で一番よい時 - 2002年10月12日(土) 母から聞いた話である。 母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の 祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。 祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。 「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。 人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。 そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。 「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?
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2013年10月11日(金)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきている。大地震、津波、異常気象なども、地球温暖化と関連した現象。 これまでの後進国が経済発展で、国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、 それが地球温暖化に拍車をかけることになる。しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。 第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ ・気候変動については現時点で正確に予想する方法は確立されていない。エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、 経済成長がどうなるのか、さらに気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が多すぎるためである。 ・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、温暖化に結びつくということはコンセンサスとしてあり、 だからこそ、これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。 ・一九九二年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約。 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明した。 ・第二の進展は、一九九七年の同条約の会議で合意された京都議定書。富裕諸国はこの議定書のもと、二〇三年の 二酸化炭素排出量について、それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし、各国の数値目標にはほとんど 強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られずに不参加となってしまった ・二〇〇九年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書よりもっと野心的な数値目標を、 富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせるはずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を 達成するためには、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。 ・そうした中、二〇一〇年のメキシコのカンクン会議で中国が、二〇二〇年までに経済の炭素集約度を四〇〜四五パーセント 削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。 中国では、福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい原子力発電所を増設していく。 風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増える。 ・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増えることにより、海洋地下資源開発の促進、 あるいは新たな漁獲域の出現など大きな変化があるだろう。 ・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することに よって温暖化を防ぐという案があるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため実現はしないだろう。 ▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。その結果、温暖化問題が、より深刻化していく 悪魔の循環が、日々、大きくなっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題になっていた。 「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、このままでは、現実問題になってくる。 ・・・・・・ 4216, 開国という強迫観念 ー3 2012年10月11日(木) * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的城下町の世界だった。 とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れることだった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。 新潟市でさえ外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国だった。 住居を長岡、 事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。それも首都圏から見れば似たようなもの。 それを逆照射してみると、世界というより欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。 5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、その文化の高さに驚いてしまった。 当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼすほどの近代化された軍隊であった。 世界>東京>地方の図式は、 こと日本において、決して当てはまらないのである。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。 東京へ行くことは、また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいることは内向きで閉鎖的な部族民に 甘んじることなのです。そして、この場合、「東京」が普遍的な「世界」を象徴するとすれば、「地方」や「田舎」は特異な「日本」 そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で 連想するのは、田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりするのです。だから、確かにここにはかなり 「複雑」な事情があります。このことを突きつめてゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。それはこういうことなのです。 「開国の論理」とは、まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の近代化とはまさしく「田舎」を捨てて 「都会」をとろうとしたのでした。「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのものといってもよい。 日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。 この同じ論理をもう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、「日本」=「田舎」と見なせば、 ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、 自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫ ▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と 蔑んでみている。当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方出身者に向ける。地方の人も、自然と 固定観念に染み付き、自虐の念になる。しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。大方が気がつくには死期が迫った時。 ・・・・・・・ 3851, ツレがうつになりまして −2 2011年10月11日(火) この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。 学生時代の友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になってきて、それ幸いと古町などで15年ほど隔月ごとに 飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の聞き役。 支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に向いてしまう。 それも数値責任を達成した上だから、たまったものではない。トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の 辛らつな虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。 主人公も、外資系の会社で、リストラ、効率化、顧客主義、徹底した コスト削減、顧客のクレーム処理で神経を磨り潰す。 几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、鬱病が表立つ。 そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を打ち止めになった出版会社の担当に 「ツレがうつになりまして、お願いします、仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、 欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。 その必死さにうたれた担当が、その人を紹介し、それが、この 「ツレがうつになりまして」を書くキッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、ウツに追い込まれる人が 多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。 他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しくない。 事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も 当然起きてくる。 その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を冷笑している心の奥の視線もある。 当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、あれこれの思いが巡る。 それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。 それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は言葉で言い難い。 事業を興し、上手くいっている時は、 この世の春。しかし、ある時点から転げ落ちるように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 それでも手元資金が完全枯渇する 半年前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。 ≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、 できることからやるの「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく ・・・・・・・ 3486, つれづれに ー閑話小題 2010年10月11日(月) * ガラパゴスに戻って 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモの携帯に切り替えて7日が経つ。 二年前にiPhoneに切り替えたドコモの携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になったこと、画面が大きくなったこと、 カメラが810万画素になり、タッチ式になったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。 他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、ということで今の機種を選定した。 しかし他の機種で4〜5万を出したものなら、その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。 * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、 1994年のピークの664万円に比べ2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり続けている。 世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働きに出たり労働時間を延長したこと、などがある。 増税などを含めると、世帯の収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の世代の大量の 定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行とともに日本経済はますますダウンしていく。 おそらく10年で、更に2〜3割以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円になると、 勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。反面、それほどの貧困感は出ることはないだろう。 中古市場や、フリー(不用品の無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあうシステムが ネットを通して働くからだ。貧乏だけど、最低限のモノや情報には不自由しない時代になっていく。 ・・・・・・・・・ 3111,つれづれにー閑話小題 2009年10月11日(日) *「正座が趣味」は、言い得て妙である ある随想を読んでいたら「セイザが趣味」とあった。「セイザというと星座と思われるかも知れないが、 私のは正座である」という書き出しが良い。正座をしている人を見て、格好がよかったと思ったので、 正座に挑戦してみたところ、良かったので続けているうちに趣味と思えるようになったという。 海外旅行などで長時間、飛行機のエコノミーの席に座ってきた経験から言うと、座席にあわせ深く座り、 腰骨を立てて姿勢を正していた方が結局は疲れが少ない。 まあ人生の姿勢も同じであるが。 私は学生時代に合気道を経験したことと、両親が茶道を趣味としていたため、いつも自宅で茶道の会など、 両親の隣に座らされていたこともある。 もちろん、背骨を立て正座である。 葬式とか、法事で公式の席で座る機会が多いが、最近は途中から正座を崩すようになった。今度は、 どこまで正座に耐えられるかこころみることにしようか。 で、何年後かに「正座が趣味」と言ってみたいが。 〜〜 * 自民党総裁選の結果を総括する! 今さら自民党を取上げることもないが、谷垣を談合もどきで選出した愚を書いてみる。 恐らく、当たり前のことを当たり前に述べるのだから、ほぼ同じ内容が、よりシビアに政治評論家が切り捨てているはず。 しかし新聞にしろマスコミでバッサリと斬った内容を見てない。 ところで、その選挙、当て馬の何某は谷垣の反対票を 分散するための、「あの連中(自民党壊滅の戦犯)」が仕立てた役割以外の何ものでもない。 要は、河野太郎と谷垣との選択選挙だった。 そこで主張している内容は、河野太郎の方が一方的に筋が通っていた。 「森元首相など戦犯を追放し、民主党の大きな政府の対立軸として、小さな政府を目指す党にしなければ自民党は再生できない」 全く、そのとおりである。 それに対して、谷垣は「これまでの派閥の領袖や、森元首相など首相経験者の後ろ盾を背景に、 これまでの体制を維持しながら立て直そう」という。 誰の目にも真っ当なのはどちらかは判断できる。 小泉のアメリカ追随の新自由主義は行き過ぎだったが、といって自由競争はグローバルになった世界経済社会では 必要である。 また、アメリカと協調していくこともである。従って、民主党の方針をそのまま実行していけば 必ずや行き詰り、自滅するのは目に見えている。 その時を期して、今までの悪しき体質のヘドロ体質を思い切って 保守本流の自由主義を目指すのが筋である。 いずれにしても、二大政党としての対立軸は必要なのだから。 これで、官僚と自民党の守旧派は陰湿な手段で陰謀を仕掛けるだろうが、その辺の匂いは、自然と見えてくるもの。 そうこう考えると来年の参院で、更に惨敗の可能性がある。 その方が当面は良いのだろうが。
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2013年10月10日(木)
このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVのニュースで報道されている。 そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。 土下座は江戸時代の大名行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため武士がやらせた慣習。 謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。映画で、記者会見などの頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど 効果があると・・ さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より) 空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画 『謝罪の王様』でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が気になってしまうのか。 専門家は、 2000年以降、謝罪会見などで経営者の土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、 相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。 (NHK説明より) 早速、プレビューを見てきました。 ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマとして今世紀最高を記録したこともあり、 多くの方がご覧になったと思います。その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。企業の不祥事などで、 社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目にするようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という 意味が加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 中には、土下座するまでもない場面で、 土下座を強要させられることもあるようです。私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。 土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たようなそんな居心地の悪い気分になることも事実。 番組を通して分かってくるのは、ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座することで、 それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに 向かうべきではないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんのこんな言葉です。 「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いはありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください! ▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の 被害者のように怒り、呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も変だが、見ている方も、 明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。 大場面なのに、 殆ど悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。 元もと罪の意識もないのだから救いようがない。選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い! ・・・・・・ 4215, 開国という強迫観念 ー2 2012年10月10日(水) ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か? 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では首都圏の大學か、地方大學に分けられる。 一般的に都心の大学進学は、進歩的文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識と 教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地をつくるため。自由の立場で、世界を、社会を、 人間を見つめるための猶予期間である。しかし、最も重要なことである。 ーその部分からー ≪ 「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、 まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは事実でしょう。 彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全く そんなことはありません。・・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点にやってき、その後は 「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉されていった。 知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、彼らは、彼らに都合のよい西洋の思想や学問を取り入れて、それを「科学」 といい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=「専門的」=「先進的」であり、これに対し、 「日本的思考」=「非科学的」=「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」「専門家」「先進的」 の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と同じ。 この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という 特権的立場を手に入れたのです。・・(中略) ・・ この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を開かないと、世界の 潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、 「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式 だったのではないか。この「世界」を「東京」に、そして「日本」を「田舎」に置きかえてみましょう。 ・・・ ≫ ▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が果たしては特異で後進的か?を、問うている。 それまでの欧米は、自分たちは文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させるという建前で、 世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、 という刷り込みではないかと、著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。 真の支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! ・・・・・・・ 3850, ツレがうつになりまして −1 2011年10月10日(月) 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。 TVでも放映され話題になったストーリー。 ところで、 もう亡くなってしまったが、前の会社の取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に 暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。 ところが20数年前のバブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。 その症状のまま営業や知人先に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 躁の時は、 晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、 再発の報告と相談に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や精神科学の本の言葉で、何とか 危機を乗り越えてきた体験があるので、痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは ≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいことではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人は いないのと同じ。 上司に正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりにすれば、それ以上悪くなる ことはないし回復は最短になる。とにかく拗らせないで治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度ぐらいは来ていたが、その都度、初めに飛び込んでくるのは私のところ。 欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが山ほどある。 しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時入院をするようになっていた。 会社は管理職からヒラになったが、 最後まで病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、他人に危害を加えるかどうか。 その辺はギリギリでセーブをしていた。彼の場合、多くの友人がいて、その失敗を見守って許してくれる人間性があった。 営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。 その人も7年前に癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。 欝による失態も、決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 そういう経験があるので、この映画に 感情移入をし、涙をしながら見入ってしまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 足腰の関節が痛くなり、 何らかの成人病が出てくる。 欝になるな! という方が無理な話。 その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、 割り切りきった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた方が良いことになる。 私は子供の頃から仏壇前のお経だった。 次回は、映画の感想文・・ ・・・・・・・ 3485, エッセイ脳 ー2 2010年10月10日(日) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー ・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、 「どのように」にあたる部分がBになる。単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは読み手(公共) の納得の方が優先されなければならない。そのため、「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先され なくてはならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる題材を探さなければならない。 ・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていてもよい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。 テーマに合わせて題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、抽象的だが題材は個別、具体的になる。 ・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。 「ある=起、ある=承、へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして、「へえっ〜=転」が、書きたいことの中心にある。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを 考えればよい。他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。したがって「転、起、承、結」の順に なってくる。それはテーマが与えられてない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。 ・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみの文、セリフ「 」に括られるもの、などある。 これは小説でも同じである。もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。 ・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイ こそ、エッセイのエッセイの由縁である。 セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、さらに再現性がある。 ・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」) を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。 ・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。 ・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。 ・・・・・・・・・ 3110,生きる幻想 死ぬ幻想 2009年10月10日(土) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を 世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、 といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。 「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。 現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。 ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。 本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、 そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、 人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。 自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう 世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、 現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を 形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。 この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略) ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、 多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると 言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな 形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。 ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。 一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、 差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、 信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。 (以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
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2013年10月09日(水)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ ・第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。 それは、冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたからである。 ・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって劇減できると考えたが、 9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、それは誤っていたことがわかった。 ・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争をしかけられるだけの力を持ってきている。 インターネットを基盤とする既成の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が持ち運びできる 新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を搭載できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。 ・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。 ・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期においては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は 管理され実際には起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。 ・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずのアラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に 頼らず、独自に核を持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリアなどが核を保有しようとする ・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく 専門家もいる。彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。 ・無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。 ・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算を回せなくなる。 ▼ そうこう考えると、40年の間、核戦争が起きない方が不思議で、必ず起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が 犠牲になったが、再び億単位の人たちの犠牲も有りうる。今のところ国家間の核攻撃の問題だが、他の科学兵器を含めた 個人の意思による攻撃も充分あり得る。 狂った猿の兵器が、ますます強大になった結果、人類そのものの存在さえ 危うくなる。細菌テロなどの科学兵器が、一国を滅亡させる可能性さえある。追い詰められた弱者の暴動を押さえ込む シリアの科学兵器攻撃でオバマが激怒したのではなく、それ自体が国家による反乱への弾圧の手段として使用したことに 対する歴史的行為であるからだ。その意味で、中国と、ロシアも、米国の攻撃を阻止した行為は、歴史に残る愚行として 間違いなく残る。そう、細菌などの化学兵器がテロで日常的に使用される時代が、近い将来の姿である。 ・・・・・・ 4214, 開国という強迫観念 ー1 2012年10月09日(火) ある雑誌にー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思 のレポートがあった。 TPPの反対論だろうと読んでみたが、なかなか面白い。 私自身、地域社会に埋没しないことと、両親などの刷り込みによる 思い込みなどからの脱却が人生のテーマにしてきた。自分を開き違った世界を受け入れ、同化することが人間の成長と信じ、生きてきた。 しかし、反面、知らない世界に常に怯え、同化を拒否していた。これは人間として当然でもある。 ここで著者は、 「開国は、突き詰めればアメリカに対する不利な条件をつけられた開城ではないか?」と、問題提起をしている。 その辺の論拠を何回かに分け取り上げてみる。 ーまずは、その抜粋からー ≪ 丸山真男は、戦国から安土時代へかけてが「第一の開国」、明治維新が「第二の開国」、そして終戦後が「第三の開国」といいました。 また松本健一は、明治維新が「第一の開国」、終戦後が「第二の開国」、そして1990年代のグローバリズムを「第三の開国」と呼んでいる。 両者を足し合わせれば、すでに日本は四回開国しており、今回は五回目の「開国」なのです。「開国」の大安売りで、「開国」、「続開国」、 「続々開国」…と、いったいどこまで開けばよいのでしょう。気になるのは、明らかにここにはあるバイアス、もしくは先入見があり、 それは国を閉ざすことは悪、開くことこそが善、という強力な思い込みがあるということです。閉所恐怖症ならぬ「閉国恐怖]と 「開国強迫観念」がある。「開国」すなわち「国を開く」ことは国際化を意味し、それは無条件に歓迎すべきだ、という思い込みです。 TPP賛成の「開国論」は、しばしば、「TPP反対派は外国に対していわれなき怯えと恐怖をもっている」といいます。 しかし逆にいえば、「TPP推進の開国論は、国を開かなければ世界からは取り残されるという強迫観念です。・・・(中略) ・・その一大典型が、先ほどの「開国論」を唱える丸山真男をはじめとする戦後進歩的文化人でした。彼らの主張は、何よりまず、 戦後日本を民主化し近代化する、ということでした。ではどうして彼らはそのような主張ができたのか。それは民主的な近代市民社会を 成立させた先進国の立場に自らを同一化したからです。その上で、民主主義が根付かない後進国である日本を批判したわけです。 日本人部族の大半は閉鎖的で西洋のような先進世界を知らない。知らないから、自己中心的で、世界には通用しない自分たちの流儀に 得々としている、というわけです。いわば「部族社会の原理」で生きている、というのです。このようにいってしまえば、彼らだけ主義が 根付き、個人の自由や人権が保障され、合理的精神が行窟収ったいわゆる市民社会だとことあるごとに強調しました。しかし、現実は 大きく違います。アメリカには今でも根深い差別意識があり、ヨーロッパには強烈なエリート主義や隠然たる階級意識があります。 古代ローマやギリシャへの敬意は未だに強く(だから、あの「だらしない」ギリシャをわざわざEUに入れたのです) ≫ ▼ 日本周辺の地勢から考えると、強迫観念を持つのは当然。アメリカとロシアと中国に囲まれた現実世界が存在している。 もし、開国してなかったら、アメリカか中国の一部になっている可能性もある。 戦国から安土の開国は、蒙古襲来があったため。 明治維新は、アメリカの開国要求に対して近代国家樹立が生きる道であった。終戦はアメリカに敗戦したため。 グローバリズムは 共産圏が消滅し、世界各国の壁が低くなったためである。しかし著者はここで、「開国という強迫観念」があった、と主張する。−つづく ・・・・・・ 3849, あれから半年か −2 2011年10月09日(日) * 9・11、9・15、3・15 の直撃後、日本は、どうなるのか? 歴史的テロとリーマンショックで経済的に直撃を受けた日本は、今後どうなるのだろうか。 その三連発の直撃で私も儚くも破綻に至った。 商売上、ストレートの影響を受けてしまったが、では日本全体は大丈夫か? というと、そうではない。 これから始る欧米の混乱が日本の政治経済に更に大打撃を与える。 地震・原発事故の影響は、 大きく現実として我々に覆いかぶさる。 アメリカ経済会議前委員長のサマーズは、事故後の講演で 「残念だが、日本は貧しい国になる」と断言。 私も、その先端で直撃をうけたので、その指摘は痛いほど感じている。 国家収入の三倍近い予算を立てざるを得ない日本。それに対し、増税は反対という国民の愚鈍さ。ギリシャのダラシナサより、 日本人の方が劣っているとしか私には思えない。 この惨状を自覚できない恐ろしさ。 先日見たNHKスペシャルの東北大震災の録画を再びみた。 大震災に直面しても、正常性バイアス、同調バイアス、他愛行動で、 逃げ遅れる人の状況を。 「10年前の9・11、三年前の9・15以来、私も、この三つの判断と行動しかしてなかったのでは?」 という反省もあり、再び見て、その事実を確認した。ただし、装置産業のため、手の打ちようが無かったことも事実。 そこで3.11の大震災で、直ぐに決断した! というより、最後の迷いが無くなった。 この判断を、大部分の人たちが 冷ややかな視線で見ているのを、逆照射すると、逃げ送れた死者たちの顔が浮かんで見えてくる。 この大震災の中で、「危ない、逃げろ!」と喚いても、殆どの人が「変な人が訳も分からないことを言っている」としか、 受け止められないで亡くなった人たち。 それとほぼ同じことが、近未来のリーマンショックの大津波の襲来に対する認識である。 大震災でタバコをふかし車に寄りかかって、海を見ていた鈍い人たち(もちろん、その人の立ち居地によるが)。 轟音が聞こても分からないのである。 一年もしないうちに、それが身に染みて分かるはず。立ち居地が違い影響の少ない人もいるが、 国家そのものが破綻の瀬戸際だから、そうも言っていられない! この9月から、リーマンと東北大震災の大波の姿が見え始めてきた。 見ても見えず、今さら遅い! が、現実か・・ これは自分への警告でもある。 まだ逃げ方が甘いのか ・・・・・・・ 3484, エッセイ脳 ー1 2010年10月09日(土) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー内容ー(アマゾン) 言葉の選び方、書き出しの心得、起承転結の「転」を利かし書き手の「ええーっ」を読み手の「へえーっ」に 換える極意とは?しなやかに感じて、したたかに描く、奥義を伝授。人気エッセイストが初めて明かす文章術。 第1章 テーマは連想の始動装置―「私」と「公共」の往復運動 (何を、どのように書くか―エッセイの基本要件;学習で高められるもの―他者が読みたくなる要件 ほか); 第2章 頭にはたらきかける文、感覚にはたらきかける文―無意識を意識する (文章のはたらきに着眼―三種類の役割;枠組の文でアウトラインを―「描写」を「枠組」で引き締める ほか); 第3章 リスク回避と情報開示―「自分は他者でない」宿命を超えて (読みにくさは個性か―読みやすさの必要性;自分≠他者の宿命を超えて―読み手はヤマ場が見えていない ほか); 第4章 文を制御するマインド―「筆に随う」はエッセイにあらず (言葉を選ぶ三つの側面―検討すべきこと/正確さ/主述、並列、呼応;クリエイティビティに先立つもの― (字数制限のためカット2012年10月9日) ・・・・・・・・ 3109,サエゼリア 2009年10月09日(金) * 村上龍のカンブリア宮殿 以前にサエゼリアについて書いたことがあるが、大不況の中で最近、再び注目を浴びている。 テレビ東京に「カンブリア宮殿」という村上龍がメインナビゲーターの番組がある。それぞれの会社のトップを インタビューをしながら、成功の秘密を探る番組である。先日、珍しく家内が自主的に録画をしてくれた番組を見た。 私たちは「サエゼリア」のファンである。 家から100mにあるのが最大の魅力だが、兎に角安い。 同じSC内にあるスーパー原信の惣菜よりやすい感がする。それと、高校生からファミリーや私たちの年代まで 気楽に入れる雰囲気が良い。 しかし、そのサエゼリアを褒めると、次男や会社の副支配人は顔をしかめてしまう。 「あんな女、子供の屯している煩い店。それに料理は美味くも不味くもない味。イタ飯なら個人店の少し高い店がよい」云々。 (字数制限のためカット2010年10月9日) ・・・・・・・・・ 2744, 劇的な毎日が刺激的だが、凄惨な日々が待つ? 2008年10月09日(木) *東証が1万円割れ、NY株も一万ドル割れ 株式がジワジワ下げてきたが、二日前に日米ともに一万割れになり、現在は9200円近くに下がり続けている。 次は前回の下げの7600円が目安になる。 状況からいえば4000円でも不思議でない。10月中は一万台は持つだろうと 思っていたので、驚きである。9月15日から始った金融恐慌の波は日ごと大きくなってきている。 東証株価は去年の同時期からみると45%の株価の下げになる。企業も、個人投資家にとっても大きな痛手になる。 ホテルは景気に直接影響を受ける商売。小団体が何組か入っているので現在のところは数字は出来ているが、 それを除くとマイナスである。駅前の飲食街も、このところ立て続けに長岡の飲み屋街に行っているが、 どこもホボ客は皆無。深刻をとおりこした状態である。 事業所のある新潟駅周辺の飲食街も殆ど歩いていない状態! なるほど、これが恐慌前夜の状況かと・・心の底ではアメリカの金融崩壊に拍手を送りたいが他人事でないのが米国属国の悲哀。 まずは欧州に飛び火をして大きな影響を出ているようだが本格的な危機は、これからである。 あのGMの倒産確率が95%、そして次の金融機関のターゲットはシティー・バンクだが、最近のニュースでは バンカメの株が26%暴落し$23になっており、一気に経営危機が表面化し、近々に$20を割り込み、$10をも 割り込む暴落状態の可能性があるという。もし、シティーとバンカメが消滅したら、世界は最大級のパニックになる。 ソ連の崩壊を目の当たりにして驚いたが、今度はアメリカの崩壊過程を連日目にしているのである。 色いろのブログの中の生々しいレポートによると、アメリカはパニックで金融恐慌の話題一色という。 一ヶ月も経ってないのに、連日飽きもせず金融危機のニュースが飛び込んでくる。 それが日ごと深刻な内容になる。十月から十一月にかけて、更に大荒れになるだろうが、金融危機は、我われの生活に 直接に影響してくるから深刻である。現在進行中の一連の出来事は、私が生を受けて最大の事件である。 家内がTVで誰かが『日本は破滅だ〜』と言っていたとか、NHKのニュースで急遽上場を延期した会社社長が、 「台風と、サイクロンと、大地震が一度に襲ってきたような状況の中で不安で延期するのが当然のこと」 と言っていたが・・・・ 恐ろしいことは、アメリカの大統領選挙でアメリカの頭脳が麻痺していることだ。 大統領の交代時期が来年の一月というから、一番重要な時期に手を打つべきことが最小になることだ。 現在の日本にも同じことがいえる。 それでも十数年間にわたり金融に関しては合理化をしてきたので 金融バブルは最小だったようだが? 恐慌は数年間で大小の会社の半分は消滅するというから、 せめて自分のところだけは生き延びないと! サバイバルの世界に入ったということだ。 イラクは早々にアメリカ軍は撤退だろうし、北朝鮮も金が回らなくなって政変間近になったし、中国も荒れるだろう。 恐慌は国際間の緊張を呼び込み世界戦争への道を作っていく作用がある。 恐ろしい状況である。
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2013年10月08日(火)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ ・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。 ・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。 ・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブなどを使って反政府活動をする共通の キャッチフレーズになりうる。 ・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、 政治家との癒着腐敗、政府の巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。 ・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、 複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。 ・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずるさまざまな形のバイアスのかかり方である。 ・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、規制当局に圧力をかけるということだ。 ・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。ウェーブの力はそうは言っても限定的で、 マスコミはさまざまな形で情報操作を受けている。 ・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。 ・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。 ・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える「経済第一主義」と、 この「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を揺るがしていくことになる。 ▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も 必要になる。特に、この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの権力者で支配されているというが、 実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数に 存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。自由には制限があるが、各々違うため問題が 次々と派生し、世界を混乱に陥れる。しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると信じたい。 自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。。 その辺のバランスは、人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。それが、現在の自民党、民主党の対立軸である。 ・・・・・・ 4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は? 2012年10月08日(月) * 去年は凄い年だった! で、今年は? 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、 タイの大洪水、ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死などなど。私自身も30年間たずさわった 事業を整理をせざるを得なくなった。 しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し中国国内の 日本企業が焼き討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュはないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。 去年に発生した問題は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。しかし、ひと月で、中国の トップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごすことになる。それと、スマートフォンの普及が、 世の中の変化を、より推し進める。これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまったということ。 これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、 再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? * 多人数兄姉の末っ子として 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の 一番上の長女なら親分肌になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての 立ち位置に生まれ育った。下から二番目の直ぐ上の兄は、 一番下の私の影になり、その虐めは陰湿そのもの。しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で 緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読んで、 必要のないことは見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。 大家族のためか、自分の 主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。 両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、 時代と、家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。 それ以上に面白かった。 これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。 ・・・・・・・ 3848, 料理はメディア 2011年10月08日(土) * 料理はメディア、コミュニケーションのツール ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫ 【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。 それはしかし、自分の中で考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは「よく味わう」こと。 それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。- 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物をメディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。 昔は、人を招いてご馳走することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。つまり、主人が つくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持っていないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、 その板前さんに委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。 つまり、なぜ、この店に招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味なんかそっちのけで、 つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーションのための手段、つまりメディアなんです。 プロの料理人は料理に命を賭けている人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長になっていく。 そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。 薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】 ▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。 美味しいものを食べつくしてきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す雰囲気を が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の 部下の女性に得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。 家内も私も、美味しい料理の場合は、 小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構えの店で、 売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。 食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。 ・・・・・・・ 3483, フューチャリスト宣言 2010年10月08日(金) 「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著) ー内容(アマゾンより) インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。 過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬はないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。 未来創造の意志をもって疾走しよう。フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。 〜〜 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を 明るい視点で見つめる「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸とした社会の変化や 人間の存在のあり方の変化を語り合っている。「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。 1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目がアップル社のリンゴ、そして4つ目が 「フューチャリスト宣言」。肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、それを可能としたツールが日ごと進化し、 身近に新しい可能性が次々と出来ている。「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」 と茂木は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に 捉えなければ、生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や一匹狼たちにやさしいと 語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力である。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで 新しい何かを創りあげる可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは「学ぶ」という 最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、 ここで二人は、「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性をその特質としている」と語る。 「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが 機能する可能性がネットにはあることだ。 茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験という システムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。 今更いうまでもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。 ・・・・・・・・ 3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3 2009年10月08日(木) 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著 ー読書日記 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。 国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、 利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、 為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、 1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。 しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない限りは 大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債の発行は 無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。 郵政自由化を日本に迫り、強引に 小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。 現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが 親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》 2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。 *資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、 家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円 資産合計 5515兆 *負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、 家計=375兆、民間非営利団体=17兆円 負債合計 5272兆 *純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、 家計の純資産=1058兆、民間非=35兆 純資産合計243兆 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。 それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、 これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。 しかし純資産は200万しかない。 世界の一時期の株価の総額に近いとみると、少し多いように感じる。 そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、 アメリカの属国という事態から脱却しなければならない時期に来ている。 これをもって、日本は豊かで国家の力量が あるとは言えない。 中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。 アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という世界共通言語がある。永久国債しかないのか?
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2013年10月07日(月)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか ーのまとめ ・世界的な高齢化によって、年金と健康医療費の増大は、国家財政にとって大きな負担になる。 ・社会保障費の増大は、防衛費や教育費など国家にとって欠くべからざる分野の予算を圧迫してきている。 ・先進国のみならず、新興国もインドを除いては、社会保障費の増大にともなう国家財政の悪化の懸念がある。 ・しかし、そうした国家財政の悪化は、改革によって防ぐことができるものである。 ・年金については、雇用期間の延長、あるいは、富裕層には選択的に支払わないなどの措置がすでにとられつつある。 ・健康医療費については、オランダのように、貧困層や弱者には、政府が援助をし、そうではない部分で、 民間の医療保険に市場を開放するなどして、費用削減の効果をすでにあげている。 ・ベビーブーム世代の年金の受取額は一人ひとりは大幅に減ることになる。 しかし、それによって、一回きりの費用増大のショックをやわらげることができる。 ・開発途上国では、将来の高齢化を見こして余裕のあるうちに、年金の賦課方式から積立方式への転換が比較的容易に 行なわれるだろうし、そうした措置をした国家は、将来に備えることができる。 ・政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つ、戦略的な財政備蓄の確保の必要性がある。未来の国庫は、 例えば気候変動に伴う極端な気象現象による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。 ▼ 高齢化と少子化が景気を冷やし国家財政を悪化させる。この問題が日本の将来の最大のネック。いや既になっている。 富裕層と、有能な若者は、日本を見限り移住を始めている。日本を含めた世界は一部の富裕層が富を独占する歪な 構造が、社会を不安定にする。5〜10年内に国家財政の破綻と非常事態宣言が出される可能性が非常に高い。 その時どきの政権は問題を先送りするしかない分、深刻度を増していく。20世紀は、冷戦を含めた三つの世界大戦で、 そのガス抜きをしてきたが、今では暴力装置を使う戦いは局地戦以外は不可能。 それでは、どうしてガス抜きをするか? その答えは必ずあるはず。その一つにG20がある。年に一度、世界の主要国のトップが集まり直接話合う。 国連があるが、現在の状況は緊急事態。一同に集まり、その場で決定するしかない。高齢化の問題というより、 高齢者に資産が集中して若者に金がまわらないこと。それが世界に先駆けて日本で起こっている。 ・・・・・・ 4212, 閑話小題 ー旅行仲間の便り 2012年10月07日(日) * 旅行仲間から便り 先日、7年前に北イタリアのツアーでご一緒した神戸の夫妻からアイスランドのビデオ(DVD)が送られてきた。 ご主人は元NHKのカメラマン。リタイア後に、ご夫婦で世界各国を旅行している。当時、私たちがアイスランドに 行った直後で、「そこを勧められたことを思い出して送ることにした」と、手紙に添えてあった。その直後に手紙で、 イングランド南部のツアーに誘われたが、既にギリシャに決めていたこともあり、次の機会にと、お断りをさせてもらった いきさつがあった。それもあり、その次の旅行先にイギリス一周コースを選んだが、ウェールズなど片田舎は何ともいえない 歴史の深さの趣きがあり、「あのツアーも良かったはず」と思ったもの。 ビデオは、ご主人が元プロでカメラ視線が決まっており、 奥さんがナレーターをした本格的な内容で、「撮影と編集を旅行代理店に依頼されているのでは?」と思われるほどの出来栄え。 羨ましい趣味である。ご夫婦は旅行先は欧州が中心だったようだ。ツアーのキャリア組みには、価値共有の仲間意識が出来ている。 自慢するでなく、互いの行ったところを披瀝し、情報交換の楽しみが共有できる。イスラエル、パタゴニアも、新羅ウィグル地区 からカラコルム・ハイウェーを抜けアフガン国境のツアーなど、現に行ってきた人の「生の話」を聞いたからこそ行けたもの。 財産として、金か、土地として残すか、「こと=行蔵」として残すか、その人の考え方による。私は、感動、感激を求める「こと」 の方を選択してきたが、それで良かったと思っている。 秘境ツアーなど贅沢の極みだが、本気になり探すと信じられないほど格安で、 内容のあるツアーは、幾らでもある。また、それを探すのが面白く楽しい。現在、隔日ごとに、行った先の世界の旅番組を見ているが、 それぞれの旅行の延長を、そのまましている気持ちになれる。ツアーとしても、それぞれの旅は、帰ってきてからも続いている。 先も短いこともあり、来年から年一度の旅行を再開したいが、世相が悪くなる中、いざとなると迷いが出るだろうが? ・・・・・ 3847, 創造的破壊 2011年10月07日(金) 「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、古いものの破壊が、そこにある。 新しく創造されたものも、時間と共に古くなり破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、 創造のベースとして捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれかわるための破壊になる。 但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。 竹の節は、これがあるから大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。 予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、 人生の前半に、多くの節目があったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。 創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、 【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な 新しいものによって駆逐されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスをそう呼んだ。 不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げるものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いものを打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。 「脱皮できない蛇 は死ぬ」も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、そこまでいくと、 退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなしているといってよい。・・・ 】 ▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、 創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが生き残るシステムも決して否定できない。 現在の世界の政治、経済の大混乱も、ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている創造的破壊。 この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ)が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ? ・・・・・・・ 3482, ライフログのすすめ −2 2010年10月07日(木) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。デジタル機器の進歩と、値段の劇的な 安さの実現と、その記録も無限大に可能になり、その分析も可能になってきた背景がある。 モバイル携帯など、 それらを可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集しネットに記録保存をすればよい。 それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。 これに近いのがモバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、ついている。それが記録される サイトに自動送信すればよい。 モバイル携帯の一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、 これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、 誰と会ったとか、何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、どんな写真を撮ったとか、自動的に 記録保存して、牽引をつけ整理し、パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャルネット ワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、 バラバラだ。共通のツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられていない。 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、著者は公開を否定している。 公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。自分の全てを電子記憶にして、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。 公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。 「僕たちはいつか、自分の目にしたものや耳にしたもの すべてを記録できるようになる」と。その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているからだ。 その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという理由はないという考えに夢中になったのである。 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。 この本を読んで自分のWeb上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」 になってしまった。 したがって、私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタルに記録する! 」であり、 私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。 著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、 毎日の読書や日常をデジタル化してファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、「ライフログ」のシステム化 されたものが、あるはず。これを読んでいてデジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 二度とない人生の記録か!
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4586, 閑話小題 ー謝るとき、人は誰でも主人公 |
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2013年10月06日(日)
* 謝るとき、人は誰でも主人公 先日、シネマで『謝罪の王様』をみてきた。この映画は、謝りのコンサルタントを仕事をする人たちの姿がテーマ。 このところTVで不祥事を起こした会社のトップが記者会見で、深々と頭を下げる姿が放映されている。 今夏、ドラマ「半沢直樹」ブームが吹き荒れ平均視聴率は28.7%、9月22日最終は42.2%を記録。それは平成ドラマでトップ。 ここで、何度か土下座をする姿があった。謝る時は、人は誰でも主人公なのである。二人の男の対立で、時間をおいてだが、 土下座を互いにする場面がハイライト。土下座される方も、その時は主役なのである。 人生を振り返ると、二度、何かで土下座をしたことがある。そして、両手を合わせて頼みごとをしたことも数回ある。 泣いて詫びたこともある。ある意味で、人生の究極の場面であった。土下座、拝み倒しなど、普通では、やらない。 恥も外聞もなくし、謝り、感謝しなければならない場面が人生には何度かある。それが振り返ると、実は人生のハイライト。 会社整理の時、一番大口の金融機関の担当に、弁護事務所で、ふとした場面で二人きりになった時、深々と頭を下げ 「申し訳ありません」と両手を膝について謝罪をした。悪かったという思いが、そうさせたが、気持ちは通じたようだった。 4億前後の金額で、謝って済む問題ではないが・・ 謝っている私も決して悪い気持ちでなかった。 「謝る」には、射るに言ベンが付いている。言葉、態度で謝罪することで迷惑をかけた相手の心を射ることになる。 人生で土下座をする場面も、される場面も、そうあるものでない。謝罪すべき時は、割り切って、土下座をしてでも 詫びることが必要である。 大学を卒業して半年の頃、配属された神戸店でのこと。「男子社員は屋上に集まって下さい」という店内放送で、 何だろうと駆けつけると、自店の数人と、テナントに入っていた電器店チェーンの数人が、何かの切っ掛けで、 乱闘直前の場面。 そこで、スっと間に入り、深々と「私が代表で謝ります」と頭を下げたところ、両者とも呆気にとられて、 スっと引き上げたことがあった。タイミングが良かっただけだが、合気道で、気をのむコツを知っていた効用である。 それから半年、非常に居心地がよい職場に変身した。営業のプロは、謝り方が決めて。土下座する場面を常に探し、 それを果敢に実行するという。「土下座など、そうされることはない。なら、してしまえ!」というのが、理由のようだ。 そういえば、したことはあっても、されたことはない。 ところで、土下座の練習を、今度しておこうか。 それもカミさん相手に!? 昔、きつい家内と母の間で、どうしようか悩んだ結果、深夜、寝ている後ろ姿に、 両手を合わせて拝んだところ、気持ちが何故か、収まった。 まあ、いろいろある。いや、あった。 ・・・・・・ 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力 2012年10月06日(土) * ライオンの魂 「異郷日記」西江雅之著 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく惹きつけられるものばかり。 アフリカでは、今でも魔術が信じられているところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つであるー ≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで生活をしていた頃のことだった。村人の話によると、 雄のライオンのなかには、死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の姿勢を保っている状態では、 ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。 ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間にライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは 弾丸並みであった。そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。まことしやかに話すというのではない。 本気で語っているのである。東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。それを家に置いておいたり、携帯して いたりすれば、戦争に行っても弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・などなど、如何なる 災害からも身を護ってくれると信じられている。ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。 直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それはどうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで 結石のようになったもののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって近所の人にそのことを話したら、 なんということか、その後の何日か、わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを手に入れた途端に、 それまでは一度もなかった害の恐しさを経験することになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める人心を 惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫ ▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、購入して所有したことがあったが、何故か不幸が 続いて気持ちが悪くなり、売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に残っている。私の高校の 知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。 それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、信じないかだけである。現在、「神は妄想である」 という遺伝学者の本を読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、信じる者は救われるか! 逆か? ・・・・・・ 3846,‘よい写真を撮る’コツは ? 2011年10月06日(木) 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。 私もスナップ写真を中心に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになったのが、デジカメで 写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。 写すというより、その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」と、指示された目線で撮るとよい。 その為には対象の景色に、まず感動し、その感動をカメラに収める気持ちが必要である。 また小さな花をアップにし、その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると、 比較的良いのが撮れる。それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の女性などの撮影現場をTVでみたが、 徹底的に相手をリラックスさせ、その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること自体を忘れさせてしまう。 動物も人間も見られると緊張する生き物。 電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。 人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。 今まで、デジカメは少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、構えて良い写真を撮ろうと、 構図の選択に構えが出てしまうからである。 対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想である。 その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。 ・・・・・・・・ 3481, ライフログのすすめ 2010年10月06日(水) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー 人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、そして普段は気にかけない自分の位置情報や 生体情報まで、人生の「すべて」をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。 仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャルな分身に人生を語らせることも可能だ。 いいことずくめの「ライフログ」の時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター科学の重鎮が、 その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。(ビル・ゲイツ) ▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている 70歳を超えたゴードン・ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として利用することの可能性や 実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」を ほぼ保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。 10年近く前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、 書きっぱなしだった読書感や、毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ休むことなく続けてきた。 ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要している。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで 生きようと考え実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば 私にとって黄金の習慣になる、と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」と思い知った。 10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも 深さも違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも事実である。 「ライフログ化」という コンセプトのブログや商品も出てくるはず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 私も10年のキャリアがあるから、 経験を生かせる筈だが。面倒か! 夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、 それもライフログの一つになる。高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を木目細かく書き続けてきたという。 ・・・・・・・ 3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4 2009年10月06日(火) 昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、以下は、それをメールで教えたくれた 林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、 自民党から民主党に変わると、政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。 * 堀井 様 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、テレビにもよく出てくる 山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足を債務者に」と題して書いていました。 ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」 と手のひらを返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられていた10月3日の読者の声欄の投稿です (これは立派な投稿でした)。 あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは 「日銀統計によると全国145銀行の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。 実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」 としていた点です。「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」でした。 (これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も確かめずに書くのか、につながってきます。) この「記者の視点」はこちらの指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。 このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁明、先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」 と言ってくること、「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところでしょう。) そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に対しての私の一番の批判点です (朝日新聞お前もか、というところ)。それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえなってきます。 最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に 入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に電話する気になったのですが…)。 ではまた ー林 * To: 林様 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。これは、 マスコミのマイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が早いですね。と同時に、やはり良識が残って いるということで、林さんの電話が大きく影響したようです。今日も、フジTV系が扱っていた以外は、何かいずこも避けていたようです。 ますます面白くなってきましたね。再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと思っています。 手前味噌になったら、ご勘弁を! 堀井 ―― 朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」 と常日頃から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、少しタイミングが遅い? 「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で!目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目か?
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2013年10月05日(土)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十一章 新興市場の時代 ーのまとめ、 ・四十年前、新興国市場は存在していなかった。鄧 小平はまだ追放の身。インドの首相インディラ・ガンジーは、 銀行を国有化し、大企業を押さえ込み、社会主義に転向。チリは社会主義政権で、アジェンデ大統領はコンピューターで 計画経済ができると信じていた。 先進国にとって開発途上国という言葉は、政府の腐敗を意味しており、 途上国にとって投資は、海外資本による纂奪を意味していた。 ・それが変わったのは、開発途上国が資本主義と和解し、その技術、資本、インフラをとりいれ、世界の資本市場で、 安い労働力をつかって製造工場の役割を果たすようになったからだ。 ・ゴールドマン・サックスが、BRICsという言葉を使って新興国市場の成長に世界の目を向けさせたのは 二〇〇三年のことだが、実際はその予測を二倍くらい上回る規模にブラジル、ロシア、中国は成長した。 ・これは、経済成長が指数関数的に、すなわち規模が増えた分を利用してさらに増えるからで、現在の先進国のうち、 二〇五〇年までに、経済の世界規模で上位七ヶ国に残るのはアメリカのみ。 あとは、中国、インド、ブラジル、 マレーシア、インドネシア、メキシコにも抜かれると予想される。 ・ある国の工業化の時期が遅れれば遅れるほど、その速度は速くなる。しかし、その速度は、他の要因にも左右される。 そのなかでもっとも大きなファクターは、教育である。生産性を向上させるさまざまな手法や技能は、教育程度の高い 労働人口を持つ国で速く広まる。 ・フィリピン、エジプト、メキシコ、インドネシア、バングラデシュ、パキスタン、ナイジェリアなどの新興国で、 教育年数が二〇五〇年までに著しく延びて、生産性の高い労働力をその国に生み出し、経済成長をあと押しする。 ・中国は二〇二五年を境に急速に高齢化が進み、人々はそれまでに海外にため込んだ海外純資産をとりくずし始める。 そして中国は労働力不足 におちいる。 ・今中国は、六五歳以上の人ひとりに対して、就労可能年齢の労働者(二○歳から六四歳までの人)が七・九人いる。 二〇五〇年には、わずか二・二人になる。日本は現在の時点で、退職者ひとりを労働者二・六人が支えている。 ▼ 現在の日本が、このまま衰退していくとは思えないが、極東の陸の孤島の日本が、その地政学的な有利さの中で、 教育に熱心だったことも含めて世界第二位の経済立国に上り詰めたが、これまで。 これからはネットが世界を覆う時代、インドの貧民窟街の少女にもネット上では大きくチャンスがある。 そういうハンデを背負った人たちと競って太刀打ちするには、余程のことがないと難しい。 やはり、ネット社会が新興市場を劇的に変化させる大きな要因になる。先進国は、それに従い豊かさが減り、 新興国家は、底上げされる流れはとどまる事はない。どう考えても、日本の将来に明るさは見えてこない! ・・・・・・ 4210, 異郷日記 ーサンジバル 2012年10月05日(金) 「異郷日記」西江雅之著 * サンジバルの逸話 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い続けないと人生の自殺者になってしまう。 硬い殻に閉じこもり、しがみつくしかない人生こそ避けなければならない。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、 多くの村が散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物のすべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは 史実虚構が入り交じる物語に埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、アジビア数字が消えかけている 大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、奴隷、征服者、 イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、 高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、 道行く人の内部にすべり込んでくる。 (・・・中略) わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。 ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻ったばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。 「アッ・サラーム・アライクム(汝の身に安らぎあれ!)」。若者は老人に言った。 「アッ・サラーム.アライクム」。老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? お前のおじいさんは、 海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」 若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、 よくまあ恐ろしがらずに平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしはザンジバルで、何人もの知人に スワヒリ語で何度も同じ話をした。「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が恐ろしいことなんだ」と、 わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫ ▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。 何処の道理も同じである。著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、すべて異郷と感じている。」 と述べている。そうでなくては、流れ者のように世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の外側を、 異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。 それ以外は職場は新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。 と同時に、しがみつき、安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている感がする。それでも、まだまだ 楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。 ・・・・・・・ 3845, 地獄への道は善意で舗装されている 2011年10月05日(水) 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。 『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだ ことを記憶している。 特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、それを知らない人が多い。 善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。しかし一つ歯車が狂うと、「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。 営業を生業とするものは善意をノウハウとする。それが相手にとってのニーズであり、対象の懐に入る手段。 善意、好意を示され喜ばない人間はいない。 この格言は昔から言われいる基本である。 ー ウィキペディアによると ー ≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた当時までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」 (地獄への道は善意で舗装されている について) ー ユリウス・カエサル *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」(地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、「地獄への道は善意で、天国への道は階級闘争と 俺の濃い髭で舗装されている」などと語ったと言う。 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。 その結果、十字軍や宗教戦争、魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。 つまり、犯罪と知らずに 窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた 全ての惨劇や、人間同士の軋轢は、全ては善意が引き金になっていると言っても過言ではない。 しかし、ウィキペディアでも コミュニティの円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとることが推奨されているように、人間同士の意思疎通や、社会の構築と その円滑な運営には「善意」が必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶してきたことは言うまでも無い。 哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、地獄への道である善意をよすがとしなければ生きていけない人間、 保てない社会を悲しみ、「救いはないね!救いはないんですか?」と絶叫したことは、あまりにも有名である。 ≫ ▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、恨まない範囲で示すと割り切ることだ。 善意も捨石として、直接の見返りを求めないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないからこそ福が来る。 ・・・・・・・ 3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー13 2010年10月05日(火) * 旅行代理店の選定は? 旅行代理店の選定は、金に糸目をつけないなら別だが、如何に良くて安いパッケージを探し出すかは他の商品選定と同じである。。 ・まずは趣味の問題になるが、地方の代理店は避けるべきである。地方名士様ならチヤホヤしてくれるので、それが目的なら問題がない。 同じような目的の人が来ているから、同レベルの人なら良いが・・とにかく、添乗員の場数が少ない人が多い。地方同士のなれあい客 しか相手にしてないので全国区の質の差が歴然としている。 ・初心者なら、JTBとか日本旅行辺りで良いだろう。「ビールばかり飲んでいたが、今度から日本酒を飲んでみたいが・・」 という人は、全国区の灘の酒辺りのブランド品で、そのイメージで味わえばよい。同じ外国に行くなら同行の人は異質の全国区がよい。 ・初心者としてアフリカや、南米など異郷に行くなら、秘境・異郷専門のワンランク上の客を狙っている「ユーラシア」とか、 「旅のデザインルーム」などが良い。JTBや日本旅行でもワンランク上のブランド名でツアー募集をしている。 アフリカ専門とか、南米専門とか、特定の地域に絞った代理店もあるが、添乗員の質のムラが非常に大きい。これも外れると、 場所が場所だけに、客にとっては大きな問題。 名前の通った代理店は必ず御客のチェックリストがあり封書に密閉して送られ厳しく 審査されるので、外れは少ない。 旅行は添乗員の質で半分近くは決まってくる。 何度か、添乗員で旅行そのものが台無しになった 経験がある。しかし怒りを会社にぶつけるのも大人気ないので、二度と行かないという消極的手段しかない。 ブランドなどで高いのは外れが少ないし、安いのは外れの危険が多い。 安いものに、シーズンの終わり間じかのものがある。 これは経験からして外れの方が多い。しかし安さの誘惑で負けて何度か失敗をした。 反対に少し高いと思ったが、他にないので 仕方ないので、という大当たりというケースが何度かあった。 行っている人達の人品が良いと心が洗われる。 南アフリカ、南米のマケドニア、北スペイン、新羅ウィグル地区・カラコルムハイウェー、などは同行客の人品の御かげで、 厳しい日程でも楽しく過ごすことが出来た。行き先を決めて、それにあった代理店のコースの選定に集中すれば自ずと見えてくる。 旅行先で、良かった旅行先の情報を聞いたら、代理店と、その時期まで聞いて、その通りに選定するのがベスト。 何ごとも同じ。
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2013年10月04日(金)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) * 第十二章 グローバリゼーションとアジアの世紀 ーのまとめ ・『エコノミスト』誌グループのシンクタンクであるエコノミスト・インテリジェンス。ユニットは、今後の世界経済を おおまかにいって三つのシナリオに分けており、そのうちのひとつ、コントロールされたグローバリゼーションの状態で 進むと考えている。リーマンショックや欧州危機などによって、市場主義に対する警戒から政府は一定の規制を グローバル化に対して課してくるが、市場は開かれている状態だ。 ・"後戻りするグローバリゼーション"というシナリオでは、不穏な空気の中で保護主義の気運が高まると見ている。 先進世界の大半で、経済の弱体化と高失業率が不安を生み、保護主義をあおる。これにより、"コントロールされた グローバリゼーション"という基本予想と比べると、2010年から2030年の世界の年間成長率は数パーセント削られ、 この期間全体では世界の生産高が大きく落ち込むことになる。 ・シナリオの三つ目、"凋落したグローバリゼーション"は、1914年から1945年の縮小の時代に似ている (グローバリゼーションに背を向ける)。もしこれがふたたび起こると、成長に悲惨な結果をもたらすだろう。 世界の成長率は年率約1%にまで低下し、ひいては世界全体のひとりあたりの所得も減少する。 最も大きな打撃を被るのは新興市場、なかでも最貧国だろう。 ・一番蓋然性の高い最初のシナリオで考えると、最も重要な地位を世界経済で占めでくるようになるのはアジアの経済で、 2050年には、世界の半分がアジア経済となる。 ・しかし、その中で日本は相対的に、急速にプレゼンスを失っていく。2010年には、世界経済の5・8パーセントを 占めていた日本のGDPは、2030年には、3・4パーセントになり、2050年には、1・9パーセントになる。 経済成長のスピードも西ヨーロッパを下回り、今後40年を通して、1・1から1・2パーセントで推移する。 その結果、2010年には、アメリカの七割あった日本のGDPは、2050年には相対的に58・3パーセントまで低下する。 ・今後40年間にひとりあたり実質GDPが最も大きく成長するのはアジアの発展途上国(4・7パーセント)で、サハラ以南の アフリカ諸国(4・4パーセント)、中東と北アフリカ(3・9パーセント)がこれに続く。ラテンアメリカ(3・3パーセント)と 東ヨーロッパ(3・2パーセント)は、新興市場地域の中で最も速く成長する国々に後れをとる。 ▼ 「アジアの人口は現在6割を占めているので、半分というと、平均に近づくだけ」である。それにしても、日本の 見通しは悪い。2010年には、世界経済の5・8パーセントの日本のGDPが、2030年、3・4パーセント、2050年には、 1・9パーセントというから、惨憺たるもの。若者が将来に夢がもてないのも理解できる。「今までが良すぎた」と 割り切れない問題である。 アジア開発銀行のアジア経済を展望する報告では、中国やインドが順調に成長を続けた場合、 GDPに占めるアジアの割合は現在の27%から52%へ。中国は20%、インドは16%。日本は現在の約9%から3%程度に 低下するが、アジアの需要を取り込み、1人あたりGDPは3万ドルから8万ドルに増えると予測するが、あくまで予測。 3万ドルの半分の想定は悲観的すぎない!阿部と麻生は敗残日本の止めの張本人として名が残る!東京オリンピック音頭か〜 ・・・・・・ 4209, アラン 幸福論 2012年10月04日(木) 『アラン 幸福論』 合田正人著 アランといえば幸福論で、まず思いつく人。幸福論と言えば、スイスのヒルティ、イギリスのラッセル、アランの幸福論など 「世界三大幸福論」があげられる。アランのそれは93の断章からなっていて、かみくだいた、「幸福小咄」「幸福のコラム」 といった軽いもの。とはいえ、ちゃんとした哲学に関するもの。かれの幸福論は、観念論というより、あくまで日常生活に立脚して 幸福への指標を導き出した文学的にも優れたものとして読まれてきた。アランは、「人は誰にでも幸福になれる」そして 「人生の主役になれ」、そのために「ダンスのように人と付き合え」、最後に「幸福になることは義務である」と断言している。 ーここで紹介されている断章の一部よりー 〔 解)は、私の主観 〕 ・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。という言葉のとおり、「哲学は、生についての省察である」 という立場から、幸福は誰かに与えられるものではなく、「自らの意志と行動によってつくりだすもの」であると説いた。 ・不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていればいいのだ。 人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。」 解)王子のようにただ待っているだけの人が何と多いことか。 待つだけでなく、不平不満を言い、人のせいにする大多数のように。 ・自分で自分を不幸にし、その不幸を伝染、増大させていく人々こそが本物の不幸をもっと不幸にしていく」 解)正反対もいえる。 ・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。 解)だから人生は意思の格闘技である。 ・快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから快楽を抑制することができる。 解)金持ち、喧嘩せず。 ・喜びは行動とともにやってくる。 解)行動の行は決心、判断の意味がある。自分の勘を信じて行動をし続けよ、ということ。 ・幸福は、自分の手作りである。 解)時間をかけ、ライフワークを続けることか。 ・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。 解)自嘲も笑いか? ・未来に幸福が見えているなら、すでに幸福である。 解)おもしろそう!楽しそう!と思うことから何事も始まる。 ・悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。 解)意志が濁ると意地になる。楽観6の悲観4の割合が丁度よい? ▼ アレンではないが、「幸福になる五ヶ条」が目前のパソコンに貼ってある。 「一、今日一日、親切にしようと思う」「一、今日一日、明るく朗らかにいようと思う」 「一、今日一日、謙虚にしようと思う」「一、今日一日、素直になろうと思う」 「一、今日一日、感謝をしよと思う」である。 これがいざ実行となると難しい。 ・・・・・・ 3844, 正常性バイアスと同調バイアス 2011年10月04日(火) この日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。 その内容は、≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。 ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまったケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると 【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。 当然、日常性を保護するために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて収まるだろう」とか 「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、 緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で 被害が甚大化している。】とある。また同調バイアスは、【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】 ▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにしている。 そこで気づいたことは、この千年に一度の 大地震と津波を察知して直ぐに逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。 この大津波から連想されるのが、リーマンショック。 これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的大津波=大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。 その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。 日本の大多数の中小企業と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波(ハイパーインフレ)が目先の 来ているのに現実として受けとめることが出来ない。 何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。 その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動に唖然とすることしばしば。 「御前のところは低地だが、自分のところは上にある(業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった大津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」 という単純な視線が冴えてくる。 色いろなシェルターや近くに裏山があるから、大丈夫のようだが・・人は人の智慧がある? 轟音をたてて、そこに来ている事実を、「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、動物的直感を狂わしている。 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 株式の暴落も始まっている。 本格的が始まるのは、今月中か、遅くとも来年三月。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 この費用は増税で賄うしかない。 その各家庭の預金は、回りまわって、アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 ギリシャ国民の、 あの鈍感さは察知しても、自国になると! 偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。 韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、隣はカルト国家がある。 ・・・・・・・・ 3479, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! −2 2010年10月04日(月) 昨日の「韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートの続きである。 日本も「失われた20年」と言われているが、その間に韓国では「国家財政破綻」の中で 国家リストラが断行されていた。 日本も小泉・竹中コンビが金融再編成で大鉈を振るい、また自民党を破壊。しかし政権与党の民主党には政策理念が見えてこない。 ―まずは、昨日の続きの要点であるー ・IMFの改革を通してそれまでの古い柵が消え、経済が自由化されアメリカナイズされたことで、韓国は大きく変わった。 それまであった終身雇用が崩壊し、年齢よりも能力が重視されるようになリ、社長でも経営がうまくいかないと株主にクビにされる。 現在、韓国では四十五歳定年が定着しているが、これも経済破綻が起点となっている。ベンチャービジネスも盛んになり、 三十代、四十代の社長が数多く出てきている。 国全体が破壊から再生に立ち上がろうとしている。 ・国が経済破綻すると、庶民の資産はどうなるのだろうか。 破綻と同時に起きたのが、金利の急上昇。破綻前は13%だった 住宅ローン金利が、いきなり二倍以上の27パーセントまで上がった。このため、マイホーム購入の契約が次々と破棄され、 新築社宅の売れ行きが急激に落ち、同時に価格も下がった。すでにローンを組んでマイホームを購入していた人は、支払い額が 急激に増えた。当時、韓国ではほとんどの人が住宅ローンを変動金利で借りていたので、金利が二倍になった途端に払えなくなり、 延滞者も急増。この延滞利息が、なんと六〇%。とても払えず家を手放し、親元などに身を寄せる人が激増した。 ・株価は四分の一。預金金利が暴騰し31パーセントになった。ちなみに物価は経済破綻をしても、それほど上がらなかった。 ▼ 以上だが、日本の失われた20年も異常だったが、国家破綻の韓国の惨状には驚きである。現在はアメリカナイズされた国に 変身しているが、その間、日本は長期不況でただ、立ちすくんでいるだけ。 今後10年、韓国に近い惨状は覚悟すべきである。 日本の地方は既に恐慌の様相を示している。残る関東と東海地区も、リーマンショックで、それぞれ原爆が落とされた状態。 今のところエコ・ポイント制度などのカンフル剤で持たせているが、これも今年の暮あたりで終了。既に暗雲が漂い始めてきた。 金利が暴騰したら日本経済は即死になる。とはいえ、ハイパーインフレとは、そういうものである。 ・・・・・・・・ 3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3 2009年10月04日(日) 昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。 亀井節で、この評論家を根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。 都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、あまりに酷い。亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、 されて当然。 何を言っても議論にならないレベル。最後は、「この程度のしかコメンテーターはいないのか、この局は」と 適切な御言葉で切り捨てていた。まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 生の現実に接してないからである。 参考のために、そのコメンテーターは、岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター) 高橋進(日本総合研究所 副理事長) 森本敏(拓殖大学 海外事情研究所所長)である。 (字数制限のためカット10年10月4日) ・・・・・・・・ 2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか? 2008年10月04日(土) 「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1 竹森 俊平 (著) この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って読んだが、成るほど面白い! 世界恐慌の様相を示してきている米国発の金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。 ーまずは、その部分からー なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。 その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、経済システムの「自動制御装置」が 働いた結果であった。高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や政府が、さまざまな手段を動員して 高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。あまりにも単純なルールに従って動く「自動制御装置」 は、システムの安定をもたらさないこともある。特定の要因だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、 かえってシステムの安定が乱される可能性があるからだ。今回のサブプライム危機も、「自動制御装置」が「高い経済成長率」という 一つの要因にあまりに重点を置いてきた結果といえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、今後は「自動制御装置」も 根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。 その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが結論。 −−−− 解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。 (字数制限のためカット09年10月4日) ・・・・・・・・・ 2007年10月04日(木) 2375, コシヒカリが売れない! (* ̄0 ̄)ノ[才八∃一] 先日のニュースで{最近になって「コシヒカリ」が売れない}と、ミニ特集をしていた。 去年だけでも、県内で3万トンの余剰米が出たという。事態はかなり深刻のようである。 ーーーーーーー 2006年10月04日(水) 2010, 「私」のための現代思想 −7 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ・・さむ ここのー「私」とは何かーという文は非常に難解であるが、一番の触りでもある。 「独我論」-唯我独尊の独りよがりの論法ーで生きている人は何処の世界にもいる。 究極的には全ての人にいえるだろうが(<特に私は強い!>・・と、思ったほうがよい) しかし、それ(独我論)では、長い時間の中で自然と淘汰されていく。 言葉は「言語という制度」に従わなければならないが、その「言語という制度」に従って使用することが思考である。 そして思考する主体が「私」である。 言葉の意味とは、その使用であり、「言語制度に従って言葉を使用すること」が 「言葉に命を与えている原因」であるならば、思考の「主体」は「言語制度」ということになる。 つまり私たちは「自我」「私個人」で思考しているのではなく、言語制度に従って言葉を使用している状態を 「私の思考」と呼んでいるだけ、ということになってしまいます。 しかし、それだけでないと誰でも考えます。 それでは・・・それが以下に述べられている。 話すにしても、文章を書くにしても、まず「私」がある。 その私とは何かが明確になっていない。ここで、その私の正体が解剖されている。 随想日記を2,000書いてきたが、それは独我論の「私」に気づくプロセスだった。 《私》という「私」の芯は、歪んだ過去の残物でしかなかったということ??・・ 過去の感動・感激・感謝の倉庫? 夢で溢れた夢倉庫? その総体ということ?? −−−−− 第三章 「私」とは何か −? ーウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」− 私たちの脳裏に発生している思考は、言語によって表現されます。言語以外の方法で表現された自分の思考を、 認識することはできません。原稿を書いている私は、キーボードの打ちすぎで右手が少ししびれてきたが、 それもしびれてきた」と言葉にしてみるまでは気づかなかったことです。 「眠いかも知れない」と感じたことも、言葉にするまで気づかなかったことです。 脳裏で言葉になった瞬間に「感じた」であり、それまでは「思っても見なかった」ことだと言えます。 そういう私は、本当に主体者なのだろうか?「私」の営みは、純粋な意味で全て「私」に帰属しているといえるだろうか。 (字数の関係でカット2008年10月04日) \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年10月04日(火) 1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4 4、超一流の人 宗親 どうしてもこういう商売をしているとね、人間の悪い面だけが見えてしまってね。 でもいいことも多いよ。絶対にこういう仕事でないと会えない人と直接話ができる事だね。 芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。やはり普通じゃないよ。一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。 「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。一生を一つの事にかけている奴は違うよ。 ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。教わる事は、「真剣に」ということさ。その人の周囲はピーンと 張り詰め空気が漂ってるんだよな。 あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。 自分の仕事と何も違うところはないよ。ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。人間こういう人は、 1000人に一人いるんだよ。まず50人に1人、別格のがいるんだ。その50人のなかから20分の一選ばれるんだよな〜。 そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。 50人に1人は物真似レベル。そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。 これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。
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2013年10月03日(木)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十三章 貧富の差は収斂していく ーのまとめーより ・格差は二つの格差を考える必要がある。すなわち、各国間の格差と、それぞれの国の中での格差だ。 ・各国間の格差は、一九九〇年代まで開く一方だった。一九世紀の最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の 六倍にすぎなかったが、二〇世紀の最後になると、最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の四〇倍を 超えるようになった。これは、北米と欧州の経済成長がこの間急激で、他の地域が停滞していたからである。 ・一九七八年の中国、そして一九九〇年代初期のインドの経済改革の開始が、各国間の所得格差解消への転機となった。 一九九〇年以降、新興経済国の大多数がアメリカより急速に成長し、キャッチアップのペースが上がってきている。 ・そして今後も、欧米や日本などの国々が高齢化による財政の悪化に苦しみ、低成長を余儀なくされることを考えれば、 出生率が高く人口の配当が大きいアフリカを含む新興経済国との差はますます縮小し、世界的な規模での貧富の差は縮小する。 ・しかし、一九九〇年代から先進国を中心に起こったのが、国内における格差の拡大。アメリカのジ二係数は一九七〇年代 中期の○・三一から、現在○・三八まで上昇している。ドイツやスウェーデンでも国内の格差は広がっている。 その理由に共通しているのは富裕層がかってない規模の収入を得るようになってきていることだ。 ・富裕層の所得が爆発的に増大した理由に、トップ層の職業の収入がグローバル化による市場の拡大で増えたこと、 そして金融業の異常ともいえる肥大化があげられる。 ・ただし、こうした国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の途上国の経済拡大が起こり、それらの国々に住む人々の 所得が増大するので、全体としては、世界的な規模で貧富の格差が縮小する。 ・全世界の中流階級集団は、現在の五億人未満(世界人口の七%)から、二〇三〇年には一一億人超(世界人口の一七%)に膨らみ、 二〇五〇年の時点でさらに増えているだろう。 ▼ 欧米に、それ以外の地域の人々が近づくのはグローバル化のプラス面である。 現在の先進国のような 「上層・3%、中流・30%、その他」に世界の階層は、変化していく。しかし、問題は、その他の67%の人たちが、 三分の一の生活実態が情報化で見えること。3%の上層は、それを和らげる政策を取りざるを得なって、下流から中流への 移動を計るしかないので、世界は徐々に良くなっていく? それは楽観的見方だが、どうだろう。移住が比較的簡単になり、 豊かな地域に貧しい人たちが移住するため、国家内格差は大きくなっていく。 国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、 世界の途上国の経済拡大が激しくなっていく。それは40年後ではなく、現在、起きている問題である。ドバイの都市建設の 労働者がインド、バングラデシュからの臨時雇用で、現地人との差は大きい。また、北朝鮮の政治体制が、その典型。 弱肉強食が社会の発展の原動力なら、貧富の差の収斂は、人類の永遠の課題になる。 ・・・・・・ 4208, 異郷日記 ー三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈 2012年10月03日(水) * 三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈 「異郷日記」西江雅之著 何処にでもありそうな話だが、フィールドワークの言語学者が書くと、これほど面白い物語になる。私の去年春の見切りに対する 尾ひれ羽ひれの話も大方、想像できる。だから城下町の地元に帰って来てからは徹底的なアウトサイダーを決め込んだのは、 そのためだ。 片田舎の城下町‘蝦蟇屋敷’界隈の話の縮小版が、そのまま以下である。 ーその辺からー ≪ その後、わたしは"なごみ"の常連のようになった。掘っ立て小屋といってもよいような雑な造りの店内には、粗末な木製の椅子が わずか七つ、いつも下駄ばきの大塩さんがカウンターの内で、ガス台の傍に置いた小さな椅子に俯き加減の姿勢で座っているだけで 満杯といった極く小さな店である。客層は平均年齢五〇歳。なかには口の悪い強烈な酔っ払いも多かったが、誰もが一国一城の主を 自負しているような人物で、政治や文学、演劇などについて、相手構わず勝手なことを話していた。 ・・・(中略) その"なごみ"の大塩さんが店からブイと姿を消したのは、わたしが蝦墓屋敷に住みついてから数年経ってのこと。 常連の一人から聞いた話では、ある夏の日の夕方、一杯飲みに行こうと思い立って店に行くと、入り口が閉まったままになっている。 しばらく時間をおいて再び店に行っても、入り口は閉まったままである。休業の張り紙もなく妙だと思ったという。 その数日後、 大塩さんは幾駅か離れた町の病院で発見された。彼はそこで亡くなったのである。身元が分からないまま亡くなったので警察沙汰になり、 やっと身元が判明したということだ。この出来事を巡って、近隣の飲み屋では当然のことながら盛りだくさんの噂が出た。 真相を知っている者、真相を知りたいと思う者。好奇心に駆られた連中が、一時的に増えた。それだけで売上げがあがったと言われた 店もあるらしい。自殺説も多い。不治の病に悩んでいたという説、発作的な行為だったという説、皆が知らない所で何者かに脅かされて いたという説、陰で巨額の借金があって悩んでいたという説、およそ皆が思いつく説が出揃ったころ、話題は自然に消えた。 わたしは彼の死の原因はまったく知らない。しかし、巷の隅で彼の死が話題となったころ、引越しの初日に。なごみを紹介してくれた "稲穂"の女主人に路上でバヅタリ出会った。「あら!」と言うなり、「あなたも大変だったでしょう。数十万円の借金が、一瞬のうちに パーになってったんですものね」と切り出した。 わたしには話の脈絡がまるで掴めない。だが、話を聞いていると、‘なごみ’の 主人は人知れずかなり多額の借金を何人もの常連からしていたらしかった。そして、わたしもその被害者の一人とされたのだった。 「借金のことなど、あの店で聞いたことは一度もありませんが」と、わたしは言った。「そうですか、あの方、やはりお金を借りられ そうな人を選んでいたんですね」と、"稲穂"の女主人は、なんだか私が金のない人物であることを確認したかのように言った。 それは事実だが、とにかく大塩さんからは借金の話など聞いたことがないのも確かだ。しかし、もし噂が本当だとしたならば、 いつ見ても同じような質素な服を身につけ、今にも壊れそうな粗末な丸椅子に腰を下ろし、無口に客に応対していただけの人物が、 何百万円という金を如何なる目的で、誰のために手にしていたのかは不思議である。その後、ほどなくして、同じ路上で出会った 飲み仲間から「知ってますか?"稲穂"のママが亡くなったんです」と、話しかけられた。わたしは彼女の死因も知らない。 どうやら持病が元で、病で亡くなったらしい。 ≫ ▼ 地元から車で一時間半に高田城下町や、新発田城下町がある。そこでは昔からの生活があり、土着の人間関係が長い町の歴史とし 脈々と続いている。そして私の住む町の長岡城下町も同じである。 新発田出身者がUターンで帰り地元に住み、新潟で仕事を するとしたら、当然、地元の人間関係に深入しないのが生活の知恵。それと同じパターンを私も新潟で仕事、住むのは長岡にと、 当然とってきた。しかし、仕事を終え、長岡だけの住処になると、そこは、江戸時代からの血筋とか何とかの暇人の小さな人間関係が 続いている、がんじがらめの蝦蟇屋敷界隈。 上記のような魔女狩りの噂話の丼池。そこは地元民の全世界、象の皮膚のヒダ世界の中。 ・・・・・・・ 3843, 閑話小題 2011年10月03日(月) * つれづれに ー老後とは 母親が38歳、父親が42歳の時に生まれたため、子供の時から二人の壮年から老年への移行期の姿を見てきた。 家は商売をしていたので、まず生存をしていくベースを確保する必死さが幼児の頃から生で伝わっていた。 生まれた時から毎日が戦争の真っ只中のような日々。 サラリーマン家庭からみたら異状の生活環境である。 ある意味、60年たった現在、やっと緊迫した日々から開放された日々になった。 逆に生涯殆ど勤め経験がなく、 独立独歩で生きてきたため、緊迫感が少し薄れただけで、勤め人が定年後に感じる「自由の不自由さ」は全くないのも事実。 家に一日中居ても、家内の視線以外には、何の抵抗感も、何をして良いのかの戸惑うことも、皆無である。 元もと、商売上の付き合いも最小にしてきた上、肩書きを持ったら誘いがくるような慈善団体に入ったこともないし、 その中で威張ったり、競う相手の存在も殆ど居ない。 自分が自分であるために妨害するものは初めから振り捨ててきた。 それが多くの人たちに誤解を与えてきたが、自分が自分であることの方が良いのは、長年の読書で分かっていた。 そのためか、この生活の変化に大した違和感は少ない日々になっている。 元もと老後というだけか! * ゴッドファザー ゴッドファーザー を一昨日、WoWoWで日本見た。 30数年前の封切りを映画館で見てから、TVで何度か見ているが、 その年齢ごとに受けとめ方違ってくる。 内容はギャング映画だが、権力の集中と決断をテーマにしたマネジメントそのもの。 封切当初は、そのギャング世界の迫力と殺しあいの生々しさに世界中が驚きに沸きかえった。 人生経験を積んだ後にみる、 二代に続くマフィアのボスの物語は、また違って見えてくる。 事業の立ち上げと、その盛衰を経験してみると、あの緊迫感は 事業とて同じこと。 現在では家具とか、装飾にも目がいくが、ファミリーの人間模様が面白い。 映画そのものは、やはり名作中の名作。7〜8年に一度は再放送されるが、名作は何度見ても、その都度、新鮮に感じる。 ・・・・・・・ 3478, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! ー1 2010年10月03日(日) ある月刊誌の「15年前の韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートを読んで愕然とした。 「今すぐ取り組め生活防衛のための五箇条ー韓国に学ぶ国家破綻の恐ろしさー」 15年前にIMFの管理下の置かれた韓国の姿は、日本の近将来図とみるべきだろうか。まずは、その一部から・・・ ・韓国経済は、急成長していて1995年にはGDPの実質成長率が9%。だが、アジア通貨危機の波をモロにかぷり、 98年には一ドル700ウォンだった通貨が、97年夏には900ウォンまで下落、11月には1000ウォンを突破し、 98年には2000ウォンにまで下落した。三分の一である。 ・この時、韓国には30ほどの財閥があったが、韓宝、起亜、三美など名だたる財閥が次々と破綻。 さらに、銀行も次々と破綻して約半分になり、残った銀行でも、従業員の半分をリストラする過酷な再建策を断行。 ・企業も、約半数が破綻し、何とか残った企業でも大幅なリストラが行われたので、たちまち失業者は150万人を超えた。 ・混迷した状況にさらに拍車をかけたのが、IMF(国際通貨基金)の財政再建策。 破碇した韓国経済はIMFの管理下に置かれ、 IMFから金を貸じてもらい、その代わりに緊縮財政を迫られた。IMFが財政赤字を減らして為替を安定させるため金利を上昇させたので、 韓薗経済は大不況に突入した。健康保険などの社会保障は機能していたが、健康保険対象外の病気が多くあったため、収入が激減し 家庭では病院に行くのをあきらめる人が急増。病院は患者が激減し、背に腹は代えられないと24時間診療する病院も出てきた。 ・通貨が下落したことで、輸入に頼るガソリン・軽油などが暴騰したため、車に乗らない人が増えて道路は閑散とした。 寒い中、灯油価格も高騰したので、人々は寒さに震えた。 ・大学を卒業しても就職先がないので、そのまま大学院に進んでキャリアアッアする学生が急増したために、 それまでガラガラだった大学院の入学競争率が二倍に跳ね上がった。 ・いっぼうで、会社をクビになり、再就職もできず犯罪に手を染めるサラリーマンも急増。治安は極端に悪化し、詐欺も横行。 混乱と不安が増す中で、テレビからは娯楽番組が消えた。こんな大変な時に不謹慎だという投書がテレビ局に殺到したからだ。 破綻から一年間は、先が見えない中で、庶民の顔からも笑みが消えた。 ▼ この続きは次回として現在の円安で300円になるというと、まさかと誰もが思うが、韓国では既に起こってしまった現実である。 失業者も日本の人口の半分として、日本で300万人というと、これまた信じられない数になる。 日本の政治も経済も自己コントロール不能となれば、韓国と似た道を歩くしかない。金利も今のところ1〜2パーセントだが、 これも何時どうなるか分からない。隣国と臨戦状態の韓国と海に囲まれノンビリ構えている日本と、あまりに違う。 ーつづく ・・・・・・・ 3103, 終わりなき旅 2009年10月03日(土)
「心に残るとっておきの話ー第九集」 ー終わりなき旅ーより これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。 ≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に乗ることになった。殆どの同行の人の顔も知らないまま 飛行機の席に座ったところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が赤ちゃんの世話をしていた。孫にしては両親がいないのでオカシイ とは気になりだした。スチュワーデスが声を掛けたが、赤ちゃんを見て変な顔をして行ってしまう。周りの人も何か変な雰囲気。 そして飛行機を降りたところで、その赤ちゃんをみたら、何と人形だった。そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、 誰も近くに寄らない。ところが食事のおりに同席したところ、その初老の人が「変だと思うんでしょうね」と、事情を話し始めた。 「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで授かった。ところが直ぐに亡くなってしまい、 そのショックで妻は自殺を図ったりした上に、精神を病んでしまった。 その精神治療のために医師と相談した上に、せめての 慰みにと人形を身代わりにして10年、衣服を替えたり、食事をしているふりをしたり、生きているように扱ってきました。 何で、 こういう話をするかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。それを聞き返す言葉がなかった。≫ ▼ 大筋は、こういう内容である。何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で旅行しているのだろうか。 ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、あの世に行く前に チョッコラ世界の果てでも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな人生を背負ってくる人が多い。 この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、何とも悲しみが直に伝わってくる話である。 ・・・・・・・ 2738, フォードが4ドル、GMが9ドル! 2008年10月03日(金) アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。この影響で世界中の株価が暴落を始めている。 それにしても、火の手のまわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は1〜2年で収束するほど生易しくない。 火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか分からなくなる。アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転すしかない。 その結果、金融破綻というハイパーインフレが待っている。欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、 取り付けが静かに進んでいる。金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。 身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらいのことしか思いつかない。 情報化社会は以前のような情報コントロールが不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、資産防衛セミナーで 知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、劇的な世界の銀行の破綻と、再編成が生じている。 これは既に金融恐慌である。世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、現在の動きをみると、一連の動 (字数制限のためカット2010年10月3日) ・・・・・・・・ 2007年10月03日(水) 2374, 人は60歳で何をしたか −3 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 ー読書日記 著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、 本人が一番勉強になったはずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。 (字数制限のためカット2012年10月3日) ブログーバードウォッチの転載 ・・・・・・・ 2006年10月03日(火) 2009, ドイツ病に学べ (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 「毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、ー本と出会う=批評と評論ー の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。 「日本に次いでGDP世界第三位を誇ったドイツが、EUのお荷物となっている」 というニュースは何度か目にしてきた。その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。 *その惨状といえば、19パーの消費税、実質16パーという高失業率、リストラ、旧東独の苦闘、 高い給料と強すぎる労働組合、 旧東欧諸国に逃げ出す企業、年金制度、等々 問題が山積みである。「まだまだ日本は、ドイツに比べたら恵まれている?」とさえ思える。 しかし、現在の日本に酷似しているから驚きである。それにしても、東西冷戦時代の優等生だったドイツと日本の凋落は激しい! (以下は字数の関係でカット08年10月3日)
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2013年10月02日(水)
『そして、人生はつづく』 川本三郎著 ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文) 《 「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に、この間のエッセイを編んでいる。 書名はイラン映画、アッバス・キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。1990年、イラン北部を襲った大地震の後、 監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメンタリー風作品。 どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、 昨日と同じように今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられている。 家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。 なんとかいままでどおりに暮してゆくと。3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹さんは、「やむにやまれ思い」で、 俳句ではなく歌を詠み、『震災歌集』(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。 「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」。 悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである私にとっては、一人で暮らすことに平安を 見出していくことになろうか。頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。静かな生活を心がけること。 そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。もとより60代も半ばを過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。 いまのところ健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。 3・11後、「生存罪責感」という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に申し訳ないという気持が 強くなることをさしている。生き残ったからにはなんとか生きてゆかなければならない。そう思う一方で、死んでしまった者に 負い目を感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。 もともと旅が好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空けるわけにはゆかないのでせいぜい 一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。 列車の窓から流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。人間の営みが 感じられる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。 食堂やそば屋があれば有難い。 夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる元気を与える。 旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。好きな町に 出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。函館、盛岡、小田原、湯河原、松江、長崎など、 町を歩きながら、このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》 ▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探しになってきている」というのも良い。 私も、この大きな住宅に何時までも住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。 それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が 次々と出てくる時節に、「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは致し方ない。 その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、ただ 惰性と安逸の中で、過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、行った先の旅行先を放送している。 ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため世の中を見ると、 知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。 そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。 ・・・・・・ 4207, 親子年表 2012年10月02日(火) * 自分目線の100年世界 還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねてみている。更に最近では、「二人の息子の年齢に 自分は何をしていたか」も重ねみるようになった。先日、こういう見方を「親子年表」として存在していることを知った。 考えることは皆、同じである。父が66歳時に、私は22歳。 父が亡くなった71歳時に27歳。 1973年であった。 父の享年まで私は、あと5年になる。そろそろ最期の身辺整理の時期に入っている。父は最期の仕事に自分の財産を生前贈与をして 亡くなっていった。それが私の人生を大きく支えてくれた。両親の愛情を物心とも直接、間接的に受けたことが最大の財産である。 その意味で家内も私と同じように恵まれた両親だった。その相性が良かった悪かったで人生が大きく変わる。これこそ最大のツキの 善し悪しになる。それに甘んじて一生、親の世界から抜けられなく過ごし、死の間際に慌てて生き急いでいる人を秘境ツアーで 何人も出会ってきた。 「ハッとしたら、既に老境。親のいうとおり生きてきたが、自分の人生が何も無かった。死に病になり、 何時死ぬか分からないが、このままでは死ねない。その何かが世界の果てにくれば少しで分かると思い立ち、参加した! 帰国すれば大きな問題が山積み」という一身上の話を偶然、山道で隣り合わせになった60過ぎの一人参加の女性から打ち明けられた。 死に直面した時に大きく動揺するのは、「やりたいことを、してなかったため」という。結果がどうあれ、現在、心が安定しているのは、 60歳までに、前倒しにして遣り尽くした感があるためだが、これは大きい。これがないと、周囲のマイナス探しで自分を肯定するしか ない晩年になる。ほぼ九割の人のそれは周囲の誰かを具体的に特定すれば見て取れる。団塊世代と、その子供の世代の特徴を親子年表にし、 時代背景から見ると、その特徴が浮かび上がってくる。その世代間格差が、あまりに大きい。逆に団塊世代の親の世代をみると、 太平洋戦争に大きく翻弄された最も困難な時代である。 それからして終戦直後の団塊世代前後の人が奇跡的に恵まれた時代に 生きたことになる。自分の親と子供を重ねると、100年、150年の視界が鳥瞰できる。 ・・・・・・・ 3842,iPadと、アプリ、あれこれ ー3 2011年10月02日(日) どうも不思議なことがある。マスコミが、タブレットPCを殆ど報道しないことである。恐らくマスコミがタブレットPCに 脅威を感じているため、ニュースの素材として避けているのでは?と思うのは私だけでないはず。先日も中学校の同期会に持って 行こうか迷った位である。 同年代の彼らなら、このアプリを見たら腰を抜かさんばかり驚くはずだが、嫌味とも受けとめられる 可能性もあるので止めたが・・ それだけ、これは私にとっては大きなインパクトになっている。モバイル携帯が出回っているので、 それほどでもないかも知れない?。 しかし、モバイル携帯と、タブレットとは違う。 ・アマゾンが読書専用のタブレットとは別に、多機能タブレットPCの分野に進出すると報道された。現在、他のメーカーで iPadに対抗できるところはないが、対抗できるとしたらアマゾンしかないと言われてきた。対抗馬としての本命のお出ましである。 ・シャープも社運をかけてタブレットPCに打ち込んでいるが、売れているふうではない。 ・先日、大型家電のタブレットPCコーナーに行ったところ、各メーカーの、それぞれ特性のあるタブレットが並んでいた。 その一つにソニーが、近くに売り出し予定のメガネケースにソックリな二つ折りで、見開きのものがあった。 モバイル携帯二個分が折りたたみになったようなもの。 これなら落としても壊れにくいし、持ち物として小物の範疇になる。 ・富士通は、小型ノートパソコンの画面が取り外せるタブレット式。 これも便利で抵抗なくタブレットに移行できる。 ー話しをiPadに戻す。 これを使いこなすポイントはアプリとの出会いになる。 それとブログとツイッターも、いま一度、探してみる必要がある。 パソコンとの接点が飛躍的に増えるからだ。 忙しい人ほど、タブレットは有効になる。特にビジネスには間違いなく効果的になる。 暇な私など、机上PCと並べて交互に使っている。 そして疲れて寝室で仮眠するときも枕元に置いているほど。 IPAdバカか! ・・・・・・・ 3477, ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 2010年10月02日(土) 「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」 鬼塚 英昭 著 ー内容紹介ー 読者よ、知るべし。この八百長恐慌は、第一にアメリカの解体を目標として遂行されたものであることを。そして金融マフィアの 世界支配の第一歩がほぼ達成されたことを。私たちは微力である。しかし、このまま、この八百長恐慌をただ黙殺していても よいものなのか。ヨーロッパもアメリカ同様に解体される。恐慌の津波は太平洋を越えて日本に襲いかかろうとしているのだ。 ▼ この本によると「ロスチャイルド」が世界を牛耳っており、ロックフェラーさえ配下にしているという。 東南アジアを、日本を、そしてアメリカを破壊し、今度は「中国」に目を向け、新しい世界マネーの覇権を共有しようと図っており、 その鎧が出るのが2012年という。 そのため中国は金(ゴールド)を買い増し、世界中の資源を買い漁っている。 ロスチャイルドを軸に、2012年に中国と仕掛ける新世界秩序を明確にしている。(中国に仕掛けた上で、結果として主導権を握る) この世界恐慌も、仕組まれた八百長恐慌であり、アメリカ解体を目指し遂行されたものと知るべしという。 (字数制限のためカット 2011年10月2日) ・・・・・・・・・ 3102, かなしみの詩 2009年10月02日(金) かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー 上條さなえ著 たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。 今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。 図書館の天使が導いたのだ。「10歳の放浪記」では、 その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の「非情な虐めがあった」と書かれていた。 学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。 11歳といえば自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。 不幸な子供たちほど仲間への虐めも辛らつになる。 その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。 そこで、自然と本を手に取るようになる。 そして、そこで先生に手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ いのちなき砂のかなしさよ という言葉が、さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。 かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。 そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。 山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」 「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し 山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。食べ物にはね、 うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると思っているんだ」 「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。とっても大切な味なんだ。 早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」私は俯いたまま涙をこぼした。 わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。 〜以下は、この本の紹介文〜 昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。 愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、 そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。 養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公・早苗は、意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。 それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから 読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに児童文学作家として立つ原点となる。 《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたしは山下先生との出会い により、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたしの励みになったことでしょう。 友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。また、わたしはホームレスの日々を経て、 強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》 後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに! ーーーーー 2283, 10歳の放浪記 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。 ーその大筋を書いてみるー (字数制限のためカット 2010年10月2日) ・・・・・・・・・・ 2737, 1929年の世界恐慌とは? 2008年10月02日(木) 昨日の毎日新聞の「なるほどドリ」質問、というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機を対比して説明している。 これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、三年で失業者が4人に1人の割合になり、 これが世界第二次大戦につながっていった。この「世界恐慌」に酷似している、というから恐ろしい。ともにバブル崩壊が引き金! という。29年の世界恐慌に詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が大きく性質が悪い」とコメント。 〜〜〜〜 なるほどドリ 株価が大変なことになっているね。 記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、 史上最大の下げ幅でした。 グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は 「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に状況が似てきたとの懸念も出ています。 Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。 A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした世界の金融危機と、 その後の長期的な不況を指しています。 Q 今と似てるの? A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後の特需や工業化による空前の好景気で ダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。今回もダウ平均は過去3年で2割以上、住宅価格は5年で倍に上昇しています。 「株と住宅は上がり続ける」と過剰な投資を膨らませた金融機関が、急落によって巨額の損失を抱えたのです。 Q 恐慌でどうなったの? A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展して銀行が相次いで破綻し、米国内の銀行の数は約半分に減りました。 融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の全労働者の4分のーが失業しました。 影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安はドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。 Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの? A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、29日に35兆円の追加資金供給をしました。 金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の枠組みも不十分だった29年当時とは違い危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。 「暗黒の月曜日(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は大量の資金供給で危機を抑え込みました。 Q 安心していいのかな。 A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。 「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。 〜〜〜 現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。朝起きると、欧米発のニュースで「マサカ」 の事件が待っている。出来ることなら、楽観的なレベルで終わって欲しいが、そうはいかないだろう。 まずは、弱いところから大きな影響が出る。 ・・・・・・・・ 2007年10月02日(火) 2373, 人は60歳で何をしたか −2 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 ー読書日記 (字数制限のためカット2012年10月02日) ヤフーのブログ「バードウォッチに転載! ・・・・・・・・ 2006年10月02日(月) 2008, 「私」のための現代思想 ー 先に概要を説明しておくと、 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。 ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」 という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。 現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、 それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。 各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。 ーーー 第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2 (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日) ・・・・・・・・・・ 2005年10月02日(日) 1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2 (字数制限のためカット2009年10月02日) ・・・・・・・・ 2004年10月02日(土) 1278, 人生(時間)のセイムスケール−2 (以下、字数の関係上カット08年10月2日) ・・・・・・・ 2003年10月02日(木) 911, 恥ずかしい話 ・・・・・・・ 537, 緩慢なる自殺 - 2002年10月02日(水) 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今でもその忠告を守っている。 ーその内容は ・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。 (以下、字数の関係上カット13年10月2日) ・・・・・・・ [168] 忘れられないあのお店−1 2001/10/02 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店。 (以下、字数の関係上カット13年10月2日)
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2013年10月01日(火)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十四章 経済とビジネス ーのまとめ ・一九五〇年代の統制資本主義の時代にはマイナーな理論とみられたシュンペータの理論は、その後の現実の歴史によって、 最も影響力のある経済理論に押し上げらた。 ・一九五六〜八一年までは、『フォーチュン』誌が選ぶ五〇〇社のリストのうち、年平均で二四社が脱落していた。 一九八二〜二〇〇六年には脱落組が四〇社に増えいる。 ・ことにインターネットの発明・普及によるグローバリゼーションはシュンペータの言う創造的破壊のスピードを高めている。 想像もできない技術革新により、これまでのビジネスのやり方が陳腐化し、固執していた企業は淘汰され、新企業が生まれる。 ・製造業では、大量生産の方法が開発された一九二〇年代以来の、大きな技術革新よってその現場は変貌をとげるであろう。 可能性があるひとつの技術として 3D印刷技術があげられる。 ・他にも、あらゆる物がネットと常時接続するようになり、、そのネットワークがわたしたちの生活を変える。 ロボットの技術革新によってこれまで人間にできなかった作業ができるようになる。あるいは電子秘書の機能を持つ 自律型のソフトウェアができることで、仕事の効率化が起きるなど、様々な技術革新による経済の変化が予想される。 ・先進国にいちはやく追いつきたいという新興国経済の要求も様々な技術革新を生むだろう。一気に九〇パーセントもの コストを削減するような工程の開発によって、先進国の商品市場もがらりと変わる。 ・契約型の雇用者が、複数の企業にみずからの技能を売るようになるなど、会社の形態もより複雑化することになる。 ・様々な技術革新にともない、グローバル市場においては、知識階級に富が偏在するようになり、労働者の勤務は グローバル化によってより過酷化する。 ・しかし総じて言えば、「資本家の功績というのは、女王にもっと絹の靴下を供給することではなく、それを女子工員たちの 手が届く場所に持ち込んだことにある」とのシュンベーターの言葉どおりに、人々は創造的破壊の荒波のなか恩恵を受ける。 ▼ 工程といえば、隣家のプレハブ住宅工事。まず3〜4Mの杭打ち工事。ビルや工場建設などの基礎工事を住宅に応用。 ミニ杭の打ち込みから三週間、一切の工事がなく、その後、床底の部分を小さな重機で二日間で掘り込み、そこに プレハブの床と杭を結び始めた。ビル工事の小型版である。 パソコンを手の平に押し込んだスマートフォンの普及で、 世界は創造的破壊で大きく変化を始めた。「まさか、一番かたいビジネスと思っていた事業が、この結果になるとは!」が、 全てのビジネスで生じてくる。情報化は創造と破壊のサイクルを短くするが、消費者にとってはプラスになる。 ・・・・・・ 4206, 閑話小題 ーキモカワキャラ 2012年10月01日(月) * キモカワキャラ TVで石破幹事長を評して「キモカワキャラ」と言っていた。的確な一言フレーズを作るもの。顔はコワモテだが、 一度話し始めると、ソフトで、そのギャップが可愛らしく見える辺りを凝縮した言葉。本人が聞いたら傷つくだろう。 考えてみれば中年から熟年の何割かのベビーフェイス顔は、この言葉に当てはまる。この言葉から連想できるのは、「キモバカキャラ」 「イモカワキャラ」「キモカマキャラ」「キモマジキャラ」「キモギャルキャラ」などある。 角栄は、ギタギタしていて汚職の 利権漁りのイメージが強いので「キモギタキャラ」。 ネット社会のB層には、的確な「一言フレーズ」で如何に発信するかだが、 虐めに使われるから問題になる。 この一言フレーズで切り捨てられ、切り捨てるのが現代である。 * ギリシャ、イタリアは近未来の日本? ギリシャ、スペイン、そしてイタリアで起こっている恐慌に近い事態は、近将来の日本? 5〜6年先の日本の事態。南欧の近未来には、 何かのキッカケで凄惨な国家破綻になる可能性がある。それでも、国民は国家に頼るしかなく、急激な締めつけに反発、事態は悪化を辿る。 それは日本も同じ。スペインの25歳までの若年労働者の失業率が過半数を超えているというが、現に日本の高卒、大卒の三分の一が 正規社員の就職が出来ず、就職したとしても三年もしないうちに三分の一は辞めてしまうため、若者の半分はフリーター状態。 将来の日本が思いやられる。60才以上が預金総額の6割を持ち、40才以下が、その10分の1の6%しか預金がないため、消費は減る一方。 適齢期の女性の結婚相手の収入希望が6百万。そんな相手は少ないため未婚が増加している。厳しい時代になったもの。互いに自己限界の 設定をシビアにすればよいものを、と思っても「たった一度の人生に誰かが何処かで待っている」という洗脳がなされて抜け出せない。 隣国に中国、韓国があり、競争相手は韓国男性、中国女性になりつつある。2ランク上なら、私なら考える。 * つれづれに 血圧が、毎日通っているスポーツジムにあるため計る習慣がついている。毎日、大きくブレルため、高血圧かどうか戸惑っている。 また運動する前と後と、食事の直後では20は違ってくる。120〜160前半、平均すると135で、高血圧かどうか微妙である。 中高年の八割が高血圧というから、一般からすれば平均だろう。 冬時期を除けば一日三時間も運動をして、この数値。 晩酌を減らせば、直ぐに下がるのは分かっているが・・ これも以前に書いたことだが、今、自然に頭に浮かぶことは、こんなこと。 ・・・・・・・ 3841, 閑話小題 2011年10月01日(土) * まず、50冊の本を業者に送付 iPadなどのタブレットPCの普及と同時に、手持ちの本をデジタル化をする動きが出てきている。本の裁断機と 自動スキャン機を買って、手持ちの本を一万冊をiPadに入力した人の「iPadバカ」という本をネットで購入し、読んだが、 その手間など自分には無理と諦めていた。ところが、最近、マスコミで、「スキャンの代行業者が出現、出版元や作家からクレーム」 という報道を知り調べたら、業者は溢れるほどあった。裁断機とスキャンを準備し、ネットで誘導すれば誰でも何時でも参入できるからだ。 半月前に思い切って、まず50冊を選定し、いざ業者に送ろうかとしたが、何かが引っかかって、箱につめたままにしていた。 ともかく50冊をと思い切って業者に送付した。一週間後には完成するが、送ってしまった本は、二度と戻らない。 それが正しい判断かどうかは、一年後にならないと分からないこと。とはいえ本棚に並んでいても、それが図書館にある本と、 何処が違うのかというと、あまり違わないことも事実。金を出して読んだ本は本気で読むから買うのである。本棚に置いておくのは、 それと時を共にした愛着と、再読するため。それがパソコンに入っただけと、割り切ってしまえば良いだけだが・・・ 考えあぐねて、とにもかくにも送付することにした。 * つれづれに 一昨日は、中学校の同期会 中学校の同級会が開かれ出席してきたが、今年に入って二回目である。出席は11名。この数年は、年に二回は開かれている。 春から私の生活圏が小さくなった分、それはそれで有難い。 あいも変わらず女性は元気が良い。 帰ってみれば午前様。 店は何処もガラガラで、よくやっていると老婆心が出るほど。 男5人の出席のうち、中小企業の社長は3人。背中の重しが取れた分、 天使のように気持ちが軽くなった。 そのため現役の人と接すると、何かエネルギー負けを感じるのは仕方がない。プラマイ、ゼロ。 一線で働くということは、それ自体が歪みの増大になっていることに、最近になって気づいた次第。 それが個性でもある。 ところで高校の同級会、去年も、今年も開かれてない。一昨年、私とM君が幹事で、恒例でその年の幹事が次の幹事を指名して 持ちまわるシステムになっているが、任命責任がないでない。この時期は、むしろ行われないほうが良い。娑婆はシャバシャバか! ・・・・・・・ 3476, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー12 2010年10月01日(金) * 次のツアーの選定の仕方 ツアーの選定を、どのようにして決めるのか? その都度に選定のプロセスがある。 多いのが直近に行ったツアー仲間の情報と、自分が、その時点で行きたいところを数ヶ所あげて、 その資料を集め情報を得るところから始る。 まず直近に行って良かった周辺を探すことが多い。 エジプト・トルコが良かった直後にイスラエルが面白い!と聞いて資料を集めて決断。 そして、次はシリア・ヨルダン・レバノンのコースを決めるとか。 インドに行って、ネパールに行き、その後、中国のウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを通ってパキスタンに抜け、 アフガンの国境の麻薬通りに行くコースの順に行ったりとか。一ヶ所から周辺の二ヶ所を選ぶケースが多い。 それを結んで行くと、それが世界一周コースになったりする。スペインも中央、南、北スペインの三ヶ所だったり、 オーストリア、スイス、北イタリアも、そうだ。 南米も、同じ理由で行き先を決めていった。 情報は、その都度行ったツアー仲間と添乗員が、その最大の情報源になる。他の人も同じこと。従って聞くほうも 聞かれる方もオープンになる。 国内では単に自慢話になるが、旅行先では情報交換クラブ仲間になる。 インド派、アフリカ派、欧州派、南米派、遺跡派、シルクロード派など、その人により違ってくる。 万遍なく行っている人は、「旅行道派」ということになる。 私の経験からすると、一度行って良かった処に 通い詰めるのも良いが、やはり万遍なく色いろな世界を見ておいたほうが良い。TPOSが良いこともある。 ある人が、これから世界中を10回行くとしたら、どのような場所を選ぶとしたら、 《 南米三ヶ所、アフリカ三ヶ所、カナダ、ウィグル・カラコルム、北スペイン、スイス》と答える。 それか、船旅で100日間世界一周のコースがあるが、あれでも良い。そこに行ってから付け足しをするのも 合理的である。 一人150万が高いか、安いかを如何に判断するかだが。集中の妙である。 ・・・・・・・ 3101,返済猶予法案の成立から見えてくること! −2 2009年10月01日(木) 返済猶予法案の成立が現実味を帯びてきた。無理だろうという一般的な見方だったが、面白くなってきた。 実際のところ、こうでもしないと中小企業はもたない、と前回書いたとおりである。 新聞やマスコミの論説などからして実態の厳しさが分かってない。「昭和初期の恐慌ほどではない」とか、 藤井財務大臣が言っているが、その数倍の津波が来ているのが理解できない?のである。 (字数制限のためカット2011年10月1日) ・・・・・・・・・ 2736, 正直こそ、最大の正当防衛 2008年10月01日(水) 議論に絶対負けない法 −4 読書日記 学生時代に、「青雲寮」(25人)という名の寮に4年間いた。 三日前にも40年ぶりに訪ねた夢をみた。 夢の中の寮は部屋も40年前のままだったが、古くて瓦解する寸前の汚い風景。そこで初めて知ったのが、自分の見たことのない世界。 今回は夢がテーマではないので詳細は書かないが、北は秋田から南は福岡までの人種を知った。こでまず驚いたのがウソを平気で言う 何人かの人である。8人兄姉の末っ子のため、ウソなど必ず見抜かれることを体験上知っていた。しかし、それは私だけの話し大体、 15%の割りでいた。(もちろん、ウソを付く程度のレベルで言っている。人を陥れるために付くウソを平然と言うと人種のことである) 正直であること、それが一番の自然体ということは、特に母から常日頃いい聞かされてきた。 だから、それが当たり前ということは、 圧縮された異種の人間の集合体ではベースではないことを、そこで知った。しかし長い人生を歩いて、正直こそ一番の力になることを知った。 反面、正直とウソさえ知らない人種がいる。 それは無知の人間である。 ただ親の価値観を引き継いで、その価値観の中で生きていて、 その価値を疑ったこともない人たちが大部分だろう。 自分もそうなのだろう。 その価値観に従うことが正直なのだろうから何がなんだか分からなくなる。 −次の箇所が、そのあたりの人間の歪みを、言い表している。 p−93 私たちは子供のころから本当のことを言いなさいと諭され、人生のさまざまな場面において「正直は最良の策」だと 確信するようになった。 だが、一生のあいだに、真実を語る事に、ほとんど上達しない。 おかしなことに、私たちの社会は正直であることを奨励しない。 大学に「真実を語る法」と題する講座はない。 「うそつき自主治療協会」など、というものもない。 真実を語る人だと自称する人には一度もお目にかかったことはないし、 もし自分の言うことは全部本当のことだという人がいたら、私はくるりと向きを変えて逃げ出すだろう。 私たちは幼いころの経験から本当のことを言うとたいていは罰を受けると学んだ。 本当のこと書うと、負けるか、拒否されるか、追い出されるかだ。 悪いことをして、それを正直に告白すると、 たとえ悪気がなく些細なことでも、たいがいは罰を受ける。自分が怖いと思ってることを正直に言うと、馬鹿にされる。 (字数制限のためカット2010年10月1日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月01日(月) 2372, 人は60歳で何をしたか ー読書日記 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 文芸春秋 何度もここで書いたことだが、50歳になった時、はたと今後如何に生きようか? 一年考えた末に、「この十年で、60歳以降も含めた全ての人生を生きよう」という結論に達した。そして、そのつもりで生きてきた。 現在に至って、このコンセプトは正解だったと自己満足をしている。これは他人が評価する問題ではない、自分自身のことである。 昨年の一月に還暦を迎えた時に「この10年間の生き方は満足できたが、次の10年をどのように生きようか? そのコンセプトを一年間考えよう」と決めた。 正直にいうと、その満足できる結論は出ていない。 しかし大よそ考えたのは 「この十年生きてきた中で、やり残したことが幾らでもあったはず、それを追求だけで幾らでもあるはず、それを探せばよいだけ」である。 「やり残しを探し、一つずつ潰していく」しかし50代のコンセプトからみると、何か攻撃的ではない。50代のそれは好きな 世界秘境ツアーを可能な限り行けばよいし、嫌なこと、嫌な人間のいるところに、一切顔を出さなければよかった。 秘境・異郷旅行を徹した?上に、このHPの文章を遺言と思いを書き足せば良かった。他に身体に害にならない程度に美味い酒を 楽しめばよかった。これまで読みたかった本は幾らでもあったが、それを読めばよかった。その結果、60歳になった現在、 何か張りが無くなってしまった。この10年の間、少し無理してきたこともあり、唯我独尊の生き方でもあった。 50歳で人生の元は取った実感があったし、60歳で人生の余白も埋めた実感を持てた。そこで、他の同じような年代の人は如何なのか、 気になりだした??(いや、それより60歳代のコンセプトを満足してなかった!からだ)ところが面白いもので、丁度良い本を 図書館で見つけたのが、これである。それを読むと、60歳の地点で色いろな人生の立ち向かい方があるのに驚かされた。 意外に老成している内容が多いのには驚いたが、えり抜かれた人は当然ながら、それぞれの人生に最大限の努力をしている。 この本を読んでみて、小さな世界に満足していた自分の卑小さが合わせ鏡のように見えてくる。 生きてきたようにしか、その後も生きられない。それでも真摯に生きてきた人は、その後の人生でも枯れるのではなく、 むしろ成長しているのが解る。次回からは、その印象的なところを抜粋しながら考えてみる。、 同じ歳とはいえ、比べようもない相手ではあるが、自分が情けないような、悲しいような気がする。これは生まれた天分だから、 仕方ないとしてもである。二度とない人生、一日一生の思いを更に深くすれば良いのだが! ーーーーーーー 2006年10月01日(日) 2007、「私」のための現代思想 −5 おはよ〜!(*^ワ^*)i 第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか (字数の関係でカット12」年10月01日) ー バードウォッチに転載! ・・・・・・・ 2005年10月01日(土) 1642.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・1 1, 人生を見せてもらいました! 宗親 居酒屋を二十数年も経営をしていると、社会の裏表が見える。 人生を人の数十倍、いや数百倍も見たように思える。 ・数年前まで羽振りの良かった人が、今は乞食をしているとか。 ・あのお客が会社の金を使い込んでいたとか。 ・がんで亡くなったとか。 ・かけ落ちをしたとか。 ・実の娘に手を出し、子供ができたとか。 ・遠くの親戚から、思わず数億の遺産が転がり込んだとか。 ここで書けないような犯罪の話の内容を聞いた。それらを中心にボチボチ書いていくつもりだ。 まあ人間は酒が入ると、人間性が丸出しになるし、幼稚になるからね! ・・・・・・・ 2004年10月01日(金) 1277, [人生の目的]ー五木寛之著ー読書録 数年前に話題になった本だが、当時あまり興味を示さなかった。先日、たまたま図書館にあったので借りてきて読んでみた。 幼児期のころから、かなり厳しい生活体験をしている為、書いてあることは暗いが、しかし重い。 彼のーあとがきにかえてーの一文が、全てこの本を伝えている。 ーー「人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。寂しいだけでなくて、むなしい。 むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。 自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言いかたになるが、 「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってよい。そのためには、生きなくてはならない。 生きつづけてこそ、目的も明らかになるのである。「我あり、ゆえにわれ求む」というのがわたしの立場だ。 (字数の関係でカット08年10月01日) ・・・・・・・・・ 2003年10月01日(水) 910, 人生の縮図 先日、ある世界を垣間見た。といって書くには、あまりにシビアな世界であった。しかし、それを書くのが随想日記の真骨頂である。 (字数の関係でカット08年10月01日) ・・・・・・・ デフレと対策 2002/10/01 現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの業態の店である。 それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。自転車も、半値か四分の一だ。 電気商品もしかりだ。
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