堀井On-Line
2010年09月30日(木)
この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態と見るべきである。 彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字を積み増している。それ以前に、この借金体質を作り上げてきた これまでの日本は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレうを警告してきたのではない。 多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、警告を発しつつけている。それでもハイパーについては大っぴらには 書けないようで、大新聞では殆ど論評されてない。 以下は、藤巻健史の前回の続きである! * 市場主義に背を向けてきた日本 円の価値は「健全なる金融システムにより保証されている」が、国の保有資産の価値も負債項目である紙幣の価値を 決めているといってよいが、国債の果てしない増額は、円の価値の下落を推し進めることになる。 一般的に百年に一度のガラガラポンが戦争でないことが、不幸中の幸い。日本破綻が「財政の破綻」を意味するだけである。 それがハイパーインフレであり、貨幣システムの不信任となり、我われに突きつけられる。預金の価値が果てしなくゼロになる。 * 自分の財産は自分で守る ここで藤巻は自分の財産は自分で守らないと、裸同然になってしまうと警告する。著者自らについて、 「今は、自己資金だけの運用ですが、昨年末に日本株投資からは手を引きました。日本破綻となれば、日本株は壊滅的だからです。 今は米国、特に金融関連株にシフトさせています。私は買ってはいませんが、どうしても日本株というなら輸出関連株でしょうね。 円が急落する結果、輸出は急増しますからね」 「日本円の現金・預金は一番のリスク資産。インフレの一番のポートフォーリオは、株・不動産・商品等である。 ハイパーの後には、円安になる。そのため円を他の通貨に変えておく必要がある」 ▽ これは、ある日突然起こるから、その対策を今からとる必要がある。それにしても、あまりに無知で無用心なのが 日本人である。他人のことを言っていられないが。目先、目先で政治が動く政治システムに問題があるが、 それを自ら変更出来ないときている。やはり、一度、ハイパーインフレで、燃え尽くさないとならないのか! ・・・・・・・・ 2009年09月30日(水) 3100,強請りの類 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。小さなのを入れれば毎年である。 何割かが、その手に乗ってしまうから流しが小遣い稼ぎに日本中の旅館、ホテルに回っているのだろう。 それでも暴対法が出来てから激減をしたが、今も後を絶たない。 ・仲間に外部から電話をさせて、手違いで切れてしまうというストーリーをつくり、「御蔭で商談が潰れてしまった。 数百万の損害を受けた、何とかしろ」というのが初めてのもの。警察に電話しても、「民事で手に負えない」という返事。 それに対して、「一切の弁償は出来ません」のイッテン張りで粘るしかない。もし支払えば、その筋に流れ甘いカモとみなされる。 それにしても、客商売の弱味を巧妙についてくる。このケースの場合は刃物を突きつけられ、それで逮捕に至ったが。 ・アベックで泊まった二人連れが、「女の方が風呂に入ったら肌が変になった、何とかしろ」と、どこまでも粘ってくる。 これでは警察も動くことも出来ない。刑事曰く、「最後は金をせびってくるから、それまで粘ってくれ」と。 そして、何処までも金を払わないのに痺れを切らした男が、「10万円で、手を打とう」と言った直後に警察に連絡、 刑事が二人の前に現われて「御前ら、駅前のヤクザに断ったのか?もし知れたら只事ではないぞ!」と言った直後、消えた。 ・直近で生々しいのがあったが、これは脅しの電話を録音をして警察に持ち込んで被害届を出して、問題を警察管轄に入れた。 これも、当初は刑事が「民事不介入が前提」というから、電話で「 これまで積極的に警察には協力してきたが、 それなら刑事事件(手配書をフロント裏に張って窃盗犯の宿泊の通報)不介入を取り入れますよ 」と言ったら、 態度がガラッと変わった?のは、当然のこと。 数年に一度のこととはいえ、現場の苦情処理の担当は大変。 それを職業にしている連中の脅しは、素人を恐怖のどん底に落とし込む迫力がある。 現在進行形のやつがある。 生々しいが、具体的には書くと万一ということがあるから今は書けないが、それはそれは、巧妙だが、クラシックな手口で、 素人?と思えるが。ホテルのフロントが警察直轄の十手持ちに近いのが分からないのは、そもそもチンピラ、素人、それも流し。 「強請ハンター・マニュアル」でも作らなければ。そろそろ、ロビーに監視カメラを考えなけらばならないというサインか?。 ・・・・・・・・ 2008年09月30日(火) 2735, 学校 山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。 それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。 その中で特に、?が良い。 横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は『冒険の旅に出る』 との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定である。 彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客にハラハラ させられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。 そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。 −− ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。 彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。 一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことになった大介は、 別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。『大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/ あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くことなん か目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露 /流れる雲/小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/ 日向国浪人 大庭登』。 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」 と、号泣する。 別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。 屋久島に行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。 その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。 険しい山道を真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。 その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は 真知子に勧められて家に電話を入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に母が毎日泣いていることを伝えてくれた。 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、 真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。 −−− 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。 少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。 自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。 何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。 ・・・・・・・・・ 2007年09月30日(日) 2371, え? なに! 何で? 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪ 新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい! 切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。 ところが先週になってソニーファイナンスの審査部から電話が入り、「年金を貰ってますか?」という問い合わせが 入ったので、貰ってませんと返事をした。ところが一昨日「審査で融資付のものは今回は申し込みを受理できません」 いう手紙が来た。今まで一度もなかったので、非常に不愉快な気分になってしまった。 年齢からみて年金を貰ってないのが問題なのか? 私がブラックというのか?満額貰えるのが一年数ヶ月後であるので、 今受給しないのは当然である。しかし何で私が不適応? カード会社に対して返済遅延もないし、キャッシングそのものを したことがない。カードは一回払いにすると現金払いより有利という理由だけで使っているだけである。 「何で?」という電話をソニーファイナンスにしたところ、「そういう質問には答えられません」という素っ気無い返事。 (字数の関係でカット08年09月30日) ・・・・・・・・ 006年09月30日(土) 2006, 私の酒の自主規制とは おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ たしか以前にも書いたことがあるが、 酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。 驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。 そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。 キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。 ・自宅で日本酒は飲まない ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・) ・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない) ・女性と二人で酒を飲まない ・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・ ・午前様でも、歩いて帰る ・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない ・午前様は避ける(最近になって加えた) ・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ ・地方名士様が集まる店には行かない ・客単価5000円以上の店には行かない ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない ・ボトルは絶対に置かない ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。 ・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、 イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・ ーー 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。 そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ!この程度の者かお前は! しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている! さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・ ・・・ 2002年06月12日(水) 435, 酒の話ー2 −酒飲みの作法ー (字数制限のためカット 2010年9月30日) ・・・・・・・ 2005年09月30日(金) 1641, 37年前の自分へ返信ー2 卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。 貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。 インナーチルドレンに対する心の癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。 ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。 ー1968年の私から、2005年の私への返信ー 手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと思います。夢と解っていても敢えて、 返信を書いてみます。 むしろその方が気楽です。何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いているような気持ち。 貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられたようでした。 現在の私は、とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄 というのが、日々の不安を大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか解りません。 卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が大きかったことに自信を失っているのです。 おそらく武澤ゼミの影響と、卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。 本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が吐露できないのです。 精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスをとることに精一杯なにです。それにしても、今という時はすごい瞬間ということも 理解しています。少しの判断が人生を大きく左右するからです。あなたの手紙から、60歳近くの貴方を窺い知ることはできませんが、 興味があります。しかし、知らない方が良いのかも知れません。多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトを してきているのですから、色いろあったのだと思います。ただ貴方のこと、こじんまりとした人生を送るとは思いません。 夢の中でも、37年後の世界は想像すらつきません。ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。 誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして成功させて、その事業に価値をつけた状態で売り抜ける プロセスでキャリアをつけていく事業家としての人生をおくりたいのです。 夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。 ー つづく ・・・・・・・・・ 2004年09月30日(木) 1276, 「元気の出る言葉」−1 検索をしていて、いつの間にかネットサーフィンをして、思わず面白いHPに出くわすことが多くなった。 ここにきて、時間が経ってそれぞれのHPが充実してきたこともあろう。 何か「元気の出る言葉」がないかと「プラスの言葉」で検索・サーフィンをしていたら、面白いHPに行き当たった。 切り口が単純で解りやすくてよい。 一言一言が、心に染みるものばかりである。 感想文も所々に入れた。 「たった一言の言葉」で元気も出てくるし、絶望もする。私など言葉の刃で、どれだけ人を傷付けてきたことだろう。 最近は、散歩の時「ありがとう」を500〜1000回、その他に「プラスの言葉」を10〜20を、それぞれ数十回も唱えているが、 それでも頭の中は何時の間にマイナスの言葉を繰り返している。まあ、普通は90?はマイナス用語の繰り返しというから、 その半分は、いや90?は消えているという実感がする。 ーー 「キッカケをくれた言葉」集より 一歩踏み出そうと思う言葉−1 ■どんなに青臭いと言われても、夢を捨てたら、手段に殺される。(by 藤原和博) 感想ー「夢を捨てたら、手段に殺される!」考えてみたら凄い言葉だ。 夢に挫折をした時、それまで準備してきたことが全て無意味と思った時の 辛さや、仲間割れや、云々が頭によぎる。 死ぬまで夢追い人でなくてはいけないのだろうか? ■時代はオセロのようなもの。 隅っこの一人が、全部をひっくり返す。(by 中谷彰宏) ■遅過ぎない。 早すぎない。 ちょうどいい。(by 中谷彰宏) ■アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。(by 相田みつを) ■たやすくなる前は、何もかも難しいものだ。 感想ー全くそのとおりだ! (by ゲーテ) ■夢は逃げない。 逃げるのはいつも自分。 感想ー逃げる場合もあるが、見えなくなる場合もある。(by 高橋歩) (字数の関係でカット09年09月30日) ・・・・・・・・ 2003年09月30日(火) 909, 巨人軍の原監督の更迭について 「巨人・大鵬・玉子焼き」の世代に生きてきたものにとって、 巨人は大きな存在であった。しかし、この数年は年々興味が薄れる一方だ。 (字数の関係でカット08年09月30日) ・・・・・・・・・ 535,同級会 - 2002年09月30日(月) この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。但し同窓会はでないようにしていた。 同窓会は高校と大学だけだが、知らない人間が年上というだけで気を使わなくてはならないのが嫌だからだ。 ・小学校が5年に一度、中学と高校は毎年開いていた。 ・中学は3年前仕切っていたマドンナが事故で大怪我をして休会状態だ。今年から復活する? ・大学はゼミの同窓会が毎年おこなわれていたが、5年前に教授が亡くなられて 今は出席していない。 大学は10年単位で学年ごとに学校が主催で会を開いている。 これが素晴らしい。 我を忘れて数十年前のことを思い出すのもよいものである。 中学高校を毎年開いている話を知人が聞いて、「毎年同級会を開くなんて変態だ!」と驚いていた。 知人は最近同級会を始めたが、それまでは殆んど開いてなかったという。 先日の法事で7歳年上の長岡に住む従妹が、年4回欠かさず開いていると聞いて吃驚仰天した。 世の中上には上があるもので、それも13人だという。 面白いもので、小、中、高、大学と物理的にも知識情報にも、上に行くほど明確に世界が広くなっている。 「学校をでたら、10〜20年は学校の友人とは付き合わない方がよい」と本で読んだ事がある。 人間として脱皮できなくなるという。大学を出て10年ぶりに友人の結婚式に出たとき、学生時代の知人のグループに 出くわして驚いてしまった。当時と何も変わってないのだ。 すぐに家業を継ぎ友人関係もそのまま、同じ地域にいて・・・。 それが良いかどうか解らないが、いやに奇妙な感じだった。地方には長男長女が多い。それ以下は外に出るケースが多い。 不景気になってくると、全体に暗い会になりがちである。高校の同級会は年毎に少なく暗くなる。地元じゃ 大手の会社に勤めているか社長だ。それまで胸を張っていたような人ほど元気がない。また出席は10年前の半数以下だ。 倒産、倒産直前、リストラ、早期退職など暗い話だけだ。日本で現在長岡が一番不景気だともいわれている。 毎月のように廃業、倒産がおきている。 次は何処が噂のネタになっている。同級会は40前後が一番良いといわれている。 社会的にも絶頂で、先生も定年近くで、女性も子供の手が離れる時期だ。50歳過ぎると、お互いに我侭が出てくるし 遠ざかる時期でもある。それと死亡が目立ってくる時期だ、5年ぶりの小学校で100人の同期で5~6人も亡くなっていた。 その年になったということだ! ・・・・・・ [166] 映画 2001/09/30 昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。何故いい年をしてアニメ映画? 動機は簡単TVで1700万人以上が、この二〜三ヶ月で見たといっていたからである。 なるほど面白い!三条まで行く価値があるかはさておき、広い範囲の客層が楽しめる内容であった。 軽くみれば軽くみれるし、深くみれば深くみれる内容であった。スターウオーズは神話が背後にある。 神話は[ある主人公が遠い旅をして、その先で大きい経験をして帰還する]のが骨子だ。 桃太郎、一寸法師もしかり、ギリシャ神話も全てそうだ。 このアニメの大筋はヒロインの少女と両親が道に迷い、魔界に迷い込んでしまう。 そこでいろいろな経験をして、最後に両親を助けだし目出度しのストリー。 ところで話が全く違うが、マイカルに帰りに入ったがみごと倒産直後の店であった。 食品売り場で生鮮売り場が閉鎖されていた。 この映画を見て、マイカルを覗き、ジャスコを覗き帰ってくるには丁度いい。
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2010年09月29日(水)
中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、 ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・ * 日本とギリシャは、どっちが健全か? 「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国保有している。 したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の95パーセントを保有するのは 日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と認識しておかなければ。」 △ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、日本の資産を確保するはず。 * 日本の財政再建は時すでに遅し 「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、毎年10兆円ずつ 返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円にしても捻出は難しい状況です」 △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。 「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。これに借金を重ね、さらに膿が体に回って、 敗血症になって死んでしまうか、おできを針で突いて膿を出すかしかありません」 「日本の財政不振から国債の売り出しがうまくいかず、日本国債の暴落が始まり、円も急落し、日本株もストップ安の、 いわゆる『トリプル安』が起きます」 −バブル崩壊以上?・・・ それは90年代後半のアジア危機、韓国経済崩壊、 ロシア危機以上のショックとなるでしょう。企業が相次いで倒産し、失業者があふれ、年金は実質ゼロになる。 同時に、非常事態ということで、日銀が国債を引き受け、その結果、紙幣が市中に満ちあふれ、“ハイパーインフレ”になります。 タクシーの初乗り料金が100万円という状況になれば、日本人の貯蓄はあっという間に紙切れになります。 一方、巨額の借金に苦しむ政府にとっては借金を微々たるものにでき、まさにハイパーインフレは“合法的な徳政令”になります」 〜 まだ、デフレで、インフレだが、来年後半からインフレの兆しが見えてきて、2012年辺りから円安、株・国債の暴落の後に ハイパーインフレが本格化する。怖いのは、これである。国家や体力のあるグローバル化している企業は何とか生き延びられる だろうが、多くの企業は存亡の瀬戸際に立たされる。これが日本だけでなく世界的に起こる可能性が強い。動乱の20年の三年目。 ・・・・・・・ 3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2 2009年09月29日(火) =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から ・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。 ・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。 ・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少) 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。 ・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。 〜以上だが、 「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは? オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。 *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。 * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。 *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。 何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。 しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」 ーつづく ・・・・・・・・・ 2734, 米国金融恐慌の深層 −2 2008年09月29日(月) 前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。 まずは、続きの部分から ーーー 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。 * 処方箋、どれも不完全* 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。 ーーー 評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている世界システムが アメリカ自身が自ら叩き壊してしまった。そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。 誰が一番困るか、日本と中国である。 10年、20年スパンで考えると、当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。 (字数制限のためカット2010年9月29日) ・・・・・・・・ 2007年09月29日(土) 2370, 喫茶店の話 先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種 そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。あったとしても、実体は定食屋だったり、年中休みなしで働くか、 趣味として採算度外視と割り切ったものだったりするのが実情である。チェーン店のそれは、中食ージャンクション食として、 コーヒーにスナックを軽く食べるのを目的としたものである。値段の高い、家では飲むことの出来ないコーヒーを 飲ませる外資系のチェーン店もある。ただし、個人店としては成り立ちにくく、年々店は減っている状態である。 (字数制限のためカット2010年9月29日) ・・・・・・・・ 2006年09月29日(金) 2005, 世界は精神病院!人間みな既知外! おはよ〜!(*^ワ^*)i 「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイが差別用語なら「既知外」といえばよい。 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。 一番さわりの部分を抜粋してみるー (字数の関係でカット09年09月29日) ・・・・・・・ 2005年09月29日(木) 1640, 個性について 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。 −−− ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります? ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。 ー今西 個性が浅いということですね。 ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。 (字数の関係でカット008年09月29日) ・・・・・・・・ 2004年09月29日(水) 1275, 書いてなかった旅行記ー3 ーハワイー ハワイが意外とよいのだ。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイといっているので、 そこの良さをあまり誰も言わない。オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。 観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。行くまでは、私もそう思っていた。 しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけでも思わない自然の宝庫が多くある。 ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。 火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。 波が荒く、サーファーが波乗りをしているのがロケーションにピッタシなのだ。 ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が 安いのは皮肉といえば皮肉である。日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。 今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。 実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、社員の半分近くの総員27名で行くことになった。 これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。どこに行ってもバス一台貸切である。その時の添乗員が、 後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さんであった。彼とは今でも付き合いがある。これで面白くないわけが無い、 6日間の祭り騒ぎの旅行になった。これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。 私も若かったし(当時32歳)、若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気がまた良かった。 ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。そこにいるだけで癒された。何処にいっても、 お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。今のラスベガスがそうだというが、全てがショーアップされていた。 世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。 ・・・・・・・ 2003年09月29日(月) 908, 医師?それとも技師? お医者様の話をしてみよう。 そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。 少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のようにモルモットにされて殺されてしまう。 こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解できない。あのエイズの血友病の放置と根は同じだ。 ーー ・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。 これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。 一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。 こういうのが医師としてまかり通っている。 (字数の関係でカット008年09月29日) ・・・・・・・・・・ 534,「少し早めな遺言」 2002年09月29日(日) 50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。 数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。殆んどというと、少しは書いていたのかというと、 会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、5年前に数行書き始めてそのままのものがある。 照れくさくって書けないのが実情である。図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。 作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。 実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、 ある程度フザケテしか書けないだろうが。でも半数はけっこう真剣に書いている。 ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!! 実感で書いてみる。 ・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。まあ大した事はないから、 その点は気にしないでいてよい。 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。 ・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」 「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」 ーこれ今即興で・・・ ・今度生まれてきたら、また同じ両親の元に生まれ、同じ家内?と一緒になりたい ー同じ条件で生まれる事はないから大丈夫だが! ー参考のために、家内は嫌だと20年前に宣言された! ・子供たちには怖い父親であったが、あなた方も優しい父親でなく怖い父親になってください。 ただ困っていたら、その時出来る範囲で優しく助けてやってください。 ・ー子供たちにー父親訓として 真面目な路線の上を、面白おかしく生きてください。性悪説の路線の上を、性善説で生きてください。 人生二度なし、燃焼した人生を送るように。クールヘッド、ウオームハートで。人と違う人生をプラスに前向きに生きること。 ・ー家内にはー 死ぬときは必ず傍にいるから安心していてください。お蔭様で明るく楽しい人生でした。 −何事も深刻にならず、鳥の羽毛のように軽く生きる事ができました。 ・ー家訓として残しておく言葉はー 他人との金銭の貸し借りはしない事 請け判ー特に保証人には絶対にならない事 小銭を大事にする事ーそうしないと大金が使えない。 生き金は使え、死に金は使わない 贅沢は敵、質素に、簡素に生きる 法事や墓参りは必ずする事ー坊主の布施は最小にーこれは私の意見 近所の人とは親しくしない事ー但し挨拶だけはしっかりと 商工会議所や町内会や青年会議所には要注意???!!! −業種によるが、同種の情報媒体は避ける事! −下記の参加は避ける事ー ロータークラブ、ライオンズ、商工会議所ー青年部とかの? 読書などの教養だけは身につける事 書いていて面白くなってきた。この随想日記そのものが遺言そのものだ! 更にー ・姉兄には お世話になりました。 皆様の分まで生きたようにも思います。 何か真剣に書いてしまった。 ・・・・・・・・・・・ [165] 創業の思い出-20年になるが 2001/09/29 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、 現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。あいた口が閉じなかった。 何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。 曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、値段を表示するのは可笑しい」 私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。その皆さんがこうして団体で来るのは どいう訳ですか」 自分たちは疾しい事をしている負い目が、彼らにあった。おどおどしていた。そこだけはしっかり見ていた。 次の日に垂れ幕を下ろした、そんなことどうでもよかった。一人の強さとはこういうものか、反面闘いのない世界とは こういうものかと。こんな程度か!地方は面白い!小手先の世界だと。馬鹿にされたのも、気きずいて?なかったみたいだ。 この連中のビジネスホテル協会とか。価格協定談合組合ということらしい。 いまでも残骸として残っているという。長野はその5年後実質解散したという。 5歳の頃、両親から全く同じ話を聞いていた。あの連中のあの感覚を! 20年前のその時期に、新?ビル管理?の馬鹿専務が、気の遠くなるような漫談を言っていた。 内容は可哀想で言えない。それぞれの視点がある。とりあえず楽だった。繊維の世界との差がありすぎた。
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2010年09月28日(火)
「幻滅論」北山修著 ーまずは背表紙より 【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与するべく、 人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に入って30年、著者は 臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識して、日本語による日本の臨床に 生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」 や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に夥しい数の母子像を発見して、その構図を分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人との つながりであり、つながりがありつづけているという幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが収められている。 『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。 子が母から切り離されるとき、抱える環境から自分が切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。 「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも現実と触れあうチャンスとなるのだ。類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】 〜〜 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。 幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると 【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、 兄妹・姉弟の対幻想に着目している。兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、 いくらでも無傷に空間的に拡大できる。兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な 一体感を共有し、幻想としての国家が成立するのである。逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に 禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している】とある。 ー幻想論は、ここで書いたことがある。 それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。 母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。 その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの自分を振り返ると 大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実のギャップなど経験があったが。 そ時の心理が幻滅とすると納得する。 勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、対象にはイメージ通りとしても、その背後には 自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻という データがある。 幻想が、幻滅に変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。 ・・・・・・・ 3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1 2009年09月28日(月) * ほんとうかいな? 最近の発刊の「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」三橋貴明著 を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー 「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、 有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」 と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番 余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと 経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが 真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、 あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を 押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし、現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。 なぜ{一つもない}と断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。 一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる国など、 本当に一つもありません。 ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。 ポイントを言うと ●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない ●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 ●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。 ●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家 〜〜 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされてしまって 紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。 しかし、だから如何した。 国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、 不動産資産の価値の暴落があっても、その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。 次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。 ー つづく ・・・・・・・・・・ 2733, 米国金融恐慌の深層 −1 2008年09月28日(日) 朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎氏が《金融危機の深層》として、 アメリカ発金融危機の本を評論していた。 内容が長いので二回に分けて掲載するが、 こと、ここに至って、冷静過ぎる内容と感じたのが私の感想である。 まずは、その内容の前半を・・・ −−− 今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。 山一証券の約125倍という巨額の負債だった。 公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。 翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手のAIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、 発行済み株式の約80%を取得して、管理下で再建を図ることとした。 AIGは住宅ローンの証券化商品の元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大鰍に販売しているため、 元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる恐れありと当局は認識したらしい。 昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、サププライムローンそのものの焦げ付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。 ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、「金融システム危機」が予感されている。 *真実味帯びる悲観論* こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、「実体経済の数字はそんなにひどくありません」 「アメリカが駄目だと言われているほどにドルは下がっていないのでは?なかなかに打たれ強いですよ」と述べている。 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募.増資できている」ことが拳げられているから、 悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。 ・「週刊ダイヤモンド」は悲観論の郵緬を分かりやすく図式化している。損失計上ー>貸し渋りー>景気悪化ー>焦げ付き増 ー>損失計上の「負のスパイラル」が始動、大手金融だけでなく地銀・住宅公社からノンバンク、モノライン (証券化商品や地方債の保証会杜)までがバランスシートを悪化させ、もはや公的資金注入は不可避とする。 ・水野和夫の推計によれぱ、米国の実質的な住宅価格はさらに34%は下落する。住宅ローン残高よりも安くなると金融資産を持たない 多くの家計で差額が不良債権となってしまう。その紛額を大手金融機関の自己資本に匹敵する1・27兆弗と見積もれは、 現在4千億Fルの処理進捗率はいまだ31%にすぎない。これからが危機の本番ということになる。 公的資金の注入は避けられず、しかしその原資を調達しようにも増税は無理だから、国債を外国人、なかでも中東諸国や 最大の貿易黒字国である中国に買ってもらうしかない。しかし国債に償還のあてがないとみなされれは、 国際通貨としてのドル離れさえ起きる可能性がある、と言う。 ・さらに野ロ悠紀雄は、こうしたドル危機の「原因」はサブプライムショックであるかに見えるが、 それはむしろ「結果」で真因はGDP(国内総生産)の5〜6%に膨れあがった米国の経常収支の赤字にあるとする。 物価および利子率の差が日米間で3%あり、両国間で同一財価格が同一に、どちらの通貨で運用しても利回りが同じになるには、 ドルが円に対し毎年3%減価(円高)しなけれはならない。ではなぜ経常収支赤字が減らなかったのか。 それは円安を持続させ対米輸出を維持するために日本が資本提供をしたからで、しかしドルがードル70円程度まで低下する圧力は かかっていたから、いずれ何かのきっかけに解消されたはずだと推測する。 −−− 評) アメリカ金融危機に対する多くの本が並んでいるが、今年に入り、その最右翼の悲観論者のいう通りになってきた。 ここでは最右翼の本は扱ってなかったため、迫力に欠けた内容になってしまった。 学者タイプの人のためか生々しさにかける。 初め取り上げている北野一は甘いのか、もし恐慌になっても、それさえ乗り越える国力がアメリカには有ると言うのか? (字数制限の関係でカット2010年9月28日) ・・・・・・・・・ 2007年09月28日(金) 2369, 大物の不在 産経新聞の、この日曜日の【論壇時評】10月号の中の「大物の不在」の論評の部分が面白い。 先日「ポスト・モダン主義」というテーマの内容で、{大きな物語=モダン主義の終焉により、大物が存在しにくくなってしまった。 存在したとしてもあまり脚光を浴びない時代になった}と、書いたばかり。そのことを宗教学者の山折哲雄は、宗教学者の視点から、 多くの闘いを勝ち抜いて大物になっていった本物が現代には存在しえなくなったと指摘していた。 そのプロセスで早々に寄って集って引き摺り下ろされてしまうのである。 ーまずは、その部分を抜粋してみるー 山折哲雄は、折しも「日本から『大物』が消えた」(月刊誌・諸君)と述べる。 大物を好まなくなった現代日本の文化状況と、大物と本物との違いなどについて語るのだ。 (字数の関係でカット2008年9月28日) ・・・・・・・・・ 2006年09月28日(木) 2004, 「私」のための現代思想 −4 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 社会は本来、我われがよりよく生きるためにつくられた筈だった。しかし社会そのものが私たちを束縛し、 苦しめている現実がある。そのような束縛から逃れ、「自由」を手に入れるために、<社会><言葉><価値> から一段上に立って見直す必要がある。この本では、その「もう一段上の視点」を <世界>と<物語>であると考える。 次の章では、その<世界>と<物語>について考えることによって、束縛から逃れる方法を模索しているが、 (字数の関係でカット2008年9月28日) ・・・・・・・・・ 2004年09月28日(火) 1274, シュリーマンの話−2 ーシュリーマンの「語学習得法の秘密」ー シュリーマンにとって、語学力が最大の武器であった。 語学力の方法として、「当時売れていた小説を、丸暗記をする方法」 を取っていた。ストーリーは解っているので、意味は敢えて考えなくてもよい。 更に一ヶ国さえマスターすれば、他の外国語も同じ小説で、同じプロセスを踏めばよい。(詳細は後記) 理に適っている。 若いときにこれに気づいていれば全く違った人生が踏み出せたのにと、今さら悔やんでも仕方がない。いや実をいうと、 高校に入学をしたときの英語の先生が、殆んど同じ方法を教えてくれていた。右の耳から入って、左に抜けていっただけなのだ。 バカの壁にしっかりと囲まれていたのだ。「全く、もう!」である。 以下は幾つかのHPから抜粋し、まとめてモノである ーー シュリーマンは、1820年にドイツの一寒村に牧師の子として生れ、貧困の中から商人として巨万の富を築き、 その富を使ってトロイアなどエーゲ文明の遺跡を発掘した人物である。 彼がどうして巨万の富を築くのを可能にできたのか。それは、彼の類まれなる「語学力」にあった。 10数カ国語を自由自在に駆使し、他の商人よりいち早く情報を把握してビジネス・チャンスを次々に掴んで富を築いていった。 彼は「多くの外国語を極めて短期間に習得した語学の達人」と言われているが、その「語学習得法の秘密」は どんなものであったのだろう。シュリーマンの学習法は、物語を丸暗記するという特徴的な方法を取っている。 英語では、当時よく読まれていたゴールドスミスの「ウェイクフィールドの牧師」とウォルター・スコットの 「アイバンホー」を丸々暗記している。物語を丸暗記する方法は、ストーリーがあるので記憶に残りやすく、 文章を丸々憶えるので熟語やコロケーションなどの言いまわしがそのまま身につく。 この方法で、彼は英語を僅か半年でマスターした。 更に以下の勉強方を工夫していた。 ・非常に多く音読すること。 ・決して翻訳しないこと。 ・毎日1時間あてること。 ・つねに興味ある対象について作文を書くこと。 ・これを教師の指導によって訂正すること。 ・前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦すること。 ・彼はさらに、会話をものにするために、その外国語が話されている 教会にかよって説教を聴き、一語一語を口真似する方法もとっていた。 以下は字数の関係でカット!(2007年09月28日) 同日のクリックをしてください) ・・・・・・・・ 533, 離婚事情 - 2002年09月28日(土) 現在は三組に一組が離婚するそうだ。先日ある会で年配の女性が面白いことを言っていた。「現代は少子化の為、嫌だったら いつでも帰ってきてもいいと娘を送り出す。更に子供を連れてくれば一緒に暮らせるからだ。一子、二子の結婚でお互いに希少価値がある。 だから平気ですぐ離婚をする」といっていた。数年ぶりに知人に会ったら同じような事をいっていた。息子が子供を連れて離婚をし、 裁判で息子の方が親権をとったという。息子1人では育てられないから、引き取って育だてているといっていた。でも新しい子供が 家庭に入り楽しそうであった。それにしても三組に一組は多い。わからない事は無いが、長く連れ添っていれば愛情がわくものを? 一家族に一人はいることになる。親子三〜四組うち一組になる。ということは、この文章を気をつけて書かなくてはならない事になる。 読んだほぼ全員傷つけかねない。実際のところ、そこまで多くない。以前TVで、離婚をした中年の女タレントと数人が口をそろえて 「離婚をして本当によかった!!」と言っていた。それを黙って聞いていた小沢昭一が「苦労を友にしてきた連れ添いと歳をとって、 昔の楽しい思い出や苦労話をお茶を飲みながら、しんみり話す味もいいもんだよ」と反論。気の強そうな女性たちにとってカウンターパンチ になってしまい、その場がシーンとシラケの場になってしまった。居ればうるさいし居なくては寂しいのが夫婦というものだ。 離婚をした独り者の飲み屋のママは連休が嫌だといっていた。どうにもならない気持ちになるという。 家族の基本はやはり夫婦である。現在の少子化もひどい、平均1・3人。人口維持の為には2,1人が必要という。 少子化が進めば更に離婚率が増すのだろうか。好きになる相手は自分の持ってない部分をある人に惹かれる。 うまくいっているうちはいいが、一つかみ合わくなると破綻しやすくなる。 昔、足入れ婚というのがあった。結婚の籍をいれず仮結婚をさせる。今も同棲があるが、 周囲も仮結婚と認めて合わない時はいつの間に別れさせてしまうという。 ・・・・・・・ [164] 目的と手段 2001/09/28 目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。 ‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。 営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、営業が反対に手段になってしまう。 何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。 手段を楽しむ事は大事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。 といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)その喩えがピッタシである。 目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。 至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。 どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、 真にうけて社長業を放棄・・・・・、いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって逆転も何もないのか! そのあたりが本当のところか?ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、 自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。 馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー ーーーーーーーー * H0609歩行とダンス 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。 “ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。 それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!? ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。 今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ” と一人笑った。 大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく “私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。 それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。 ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、 かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。 ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。そしてその反対に逆の人も。
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2010年09月27日(月)
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。 終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく 犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。 這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。 夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。 そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、 人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、 この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと 父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の 家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。 今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。 そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。 そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。 二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。 これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。 ・・・・・・・ 3097,返済猶予法案の成立から見えてくること! 2009年09月27日(日) ーまずは産経新聞の記事からー 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、 中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、 早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。 ■証券大会で怪気炎 「『少々行儀が悪い』といわれる亀井静香ですが、世の中を良くするには、場合によっては思いっきり行儀も悪くしながら 全力で頑張ります」17日に東京・大手町で開かれた全国証券大会であいさつに立った亀井氏はこう怪気炎をあげた。 就任直後に行われた17日未明の記者会見でも「反発が出るというのは、反省が足らない」と、銀行を痛烈に批判。 「金融機関が社会的使命を果たしていない。だから国が出ていかざるを得ない」と、法案の正当性を強調した。 亀井氏が成立を目指すモラトリアム法案は、民主、社民、国民新の与党3党が連立政権樹立の政策合意に盛り込んだ 「貸し渋り・貸しはがし防止法」だ。資金繰りが苦しい中小企業に借入金の返済を3年程度、猶予(モラトリアム)したり、 金利などの貸し付け条件を変更できる措置を盛り込むことを想定している。個人に対しても失業や所得の減少で 支払いが苦しくなった住宅ローンに同様の救済措置を盛り込む考えだ。 ■金融界に戸惑い 金融界は戸惑いと反発を隠さない。全国地方銀行協会の小川是会長は16日の会見で「貸し渋り、貸しはがしの状況はない」 と異議を唱えた。ある大手銀行幹部は「返済がストップすれば経営への影響が出かねない」と懸念を示す。 実際、法整備に向けたハードルは高い。金融庁幹部は「既存の貸し付け契約について、国が銀行に対し、強制的に猶予に 応じさせることが可能かどうか不明」と指摘する。返済猶予の対象企業をどう線引きするのかや、猶予後に倒産などで 回収不能となった場合の損失は誰が負うのかなど、制度を設計する上でも難題は山積している。 銀行に代わり、国が損失を補填(ほてん)する場合、新たな予算措置も必要になる。 〜〜 以上だが、冷静に考えてみれば当たり前のことだ。金融危機になると、大手銀行を先頭に資本注入を行うが、 中小零細企業には資金が回ってこないのが実情。 その銀行が、今さら、この法案に異議を唱えるなど言語道断。 これまでの自民党政権との甘さが露呈した典型的事例といえる。 亀井静香の近々の発言からして、強引に 通すことになるだろう。通ってしまえば、何で今まで銀行だけが救済されて、我われが冷遇されていた、 ことに気づくことになる。そうでもしないと、中小企業は倒産の嵐になるだろう。来年2月辺りと見ていたが。 ・・・・・・・・・ 2732, 恐慌前夜 −3 2008年09月27日(土) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」 と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。 「それでは我われ庶民は如何すればよいのか?」といわれても、どうにも答えられない。 せめて、銀行預金を金の現物に替えておくことしか考えられない。私の知人はケイマン諸島に5000万円の預金をしている。 この事態を見越して数年かけて準備をしていたのである。外国に金融関係の友人がいて、日本の危なさを知っていたのである。 ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。 −−− *恐慌前夜、何に投資すればよいかー アメリカ発の《世界恐慌》は、もう誰にも止められない。 銀行の預金は、下ろして現物資産に置き換えるべきである。 地金か、カナダドルか、オーストリアドルにすべきである。アメリカドルは止めておいた方がよい。 金は現在、グラム3000円だが、3〜5年以内に6000円になるだろう。 不動産は、換金性の高い優良物件以外はやめておくべし。 原油高騰は、現在100ドルまで下がっているが、これは再び高騰するだろう。 こんど高騰を始めたら、250ドルあたりまでいくだろう。 そのまま放置すると、ハイパーインフレになるだろう。 解)来年は間違いなく食品が暴騰しそうだ。暴騰をした時に、儲かる会社の株でもよいが、 それが何か分からない。アメリカの金融の瓦解も、ここまで激しいと恐ろしくもある。 −−− *中国も「一月危機」で崩れたー 今年の1月21,22日以来の世界株総崩れの時に、中国の株が崩れて以来、元に戻してない。 上海総合指数は最高値の6000元以来、2000元まで暴落している。2010年の上海万博までは何とか持つだろう?が、 それから5年間は最悪の状態になり、2015年あたりから再び上昇するだろう。 中国の20年来の驚異的な急成長は、実は保有する米ドルとアメリカ国債を、もとにした信用が土台にあった。 現在の中国が保有する外貨は200兆円。その殆どが米ドルである。しかし、現在中国は密かに分散を始めている。 その対象として日本国債と円である。 解)中国株も、底を確認した時が買いだろう。それより1年前の2014年辺りが買い時期だろう。 −−− *すべての金融商品は「保険」から始ったー ここまで時代が進んできて分かったことは、すべての複雑な金融商品(デリバティブ) は実は保険商品だ、ということである。保険は生命保険と傷害保険に分けられる。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・・・・ 2007年09月27日(木) 2368, 閑話小題 *安部居抜き内閣* 福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを 「居抜き」というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も 聞いたことがある。もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。 *時津風部屋一家殺人事件* この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。 親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。 今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。 相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。 殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。 リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、 復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。 それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。 恐らく、その実態が週間現代などから明らかになるだろうが、これで益々、大相撲は衰退するだろう。 これで朝青龍が復帰してきたら、それに拍車をかけることになる。この時期に、殺人事件として立件するのは、 朝青龍の一件が目先おさまったことと、本場所が終わったからだろう。 *漫画喫茶ーインターネット・カフェの昨今* 数年前に大型のインターネット・カフェが一時、郊外のバイパスやインター沿いにバタバタと出来た時期があった。 私も、これとホテルとの融合が面白いのでは? と一時期集中して調査したことがあったが、結果として、 一過性の業態という結論。東京などの大都心の駅周辺で、ビジネスホテル替わりに宿泊など絡めて24時間営業なら存続するが、 地方では商圏が狭すぎるというのもある。ところで、一時若い女性の間でもファッション的に好まれた時期もあったが、 この春より、ネット・カフェ難民という言葉が蔓延してイメージが低下。女性が入ることに躊躇しだしてきたという。 携帯電話でも多くのゲーム機能ができ、あえてネットカフェに入らなくても時間を潰せるようになったこともある。 ・・・・・・・・・・ 2006年09月27日(水) 2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・ 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。 その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。 ーBuymaー 誰もがバイヤー」になることで誕生した史上初の「お買い物代行コミニュティ」である。 会員は世界50ヶ国に広がっている。 (字数の関係でカット2008年09月27日) つづく (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月27日(火) 1638, 巨大スーパー販売前線の男達 一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。 デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。 業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。 流通グループの勝ち組のジャスコと、ヨーカ堂であるが、一方の雄のヨーカ堂の惨状をリアルにレポートした内容。 よくぞ、ヨーカ堂も、堂々と公開したものだ。まだグループとしての余力を見せたかったのだろか。 アメリカのスーパーを手本にスタートした日本のスーパーは、バブル期に進めた経営多角化の失敗や 崩壊後の収益悪化に苦しんでいる。さらに安売り戦略を武器にしたアメリカのウエルマートの市場参入もある。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・・ 2004年09月27日(月) 1273, 2000年前のポンペイ 先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、 ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。 ーまずはポンペイの概略を書いてみるー ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、 パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。 公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。 悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。 大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、 三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、 噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は 人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。 遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、 妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、 リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。 女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、 売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。 道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には 広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった事実を多くあった。 街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。 15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。 (字数制限の関係でカット09年09月27日) ・・・・・・ 2003年09月27日(土) 906, 金魚の話 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な 「黒いランチュウ」がいた。 仲間とは群れず、一匹水槽の中を泳ぎまわっているのだ。 指を水槽につけると、人懐こく指を動かした先をついて回ってきた。 事務所の水槽は丁度定員一杯だったが、 「凄い!二度と巡りあうことがない!」とポケットマネーで即座に買った。 少し高かったが。 事務所の水槽にはランチュウだけ12匹いるが、現在その中を一匹が我が物顔で泳ぎ回っている。 5倍もある一番大きいボス?と、顔をつけて餌を奪い合い食べている。大きいヤツは普通の数倍、 餌を食べなければならない。その為には水面に口をつけてバキュームのように,浮いている餌を吸い取っていく。 これと同じ食べ方を一匹だけ、この凄いヤツが早くも身につけた。餌をやろうとすると、水面を飛び上がる勢いで 餌にくいついてくる。 殆どが群れているが、一切群れないのがよい。まだ数週間しか経ってないが、日ごとに 大きくなっていくのが判る。 こういう奴が、鳥でもいた。 エネルギーが満ち満ち溢れているやつだ。 無毛性のインコのヒナで手を差し出すと、必死で身体を摺り寄せてきた。後で買っておけばよかったと後悔した。 金魚でも弱いやつは、入ってくると既存のヤツに水槽の片隅に追いやられ、1〜2週間で死んでしまう。 隅のほうを向いてジッとしている。動物社会と同じである、いや人間社会と同じだ! 所詮人間も金魚も同じだ。 結婚した頃に、ランチュウを数匹飼っていた。その一匹が水面を跳ねるのだ。 突如、水面に向かって泳ぎだすのだから、跳ねるのとは少し違う、遊んでいるようであった。 なるほど金魚にも遊びがあるんだとビックリしたことを憶えている。 ランチュウの愛好のホームページがある。 ・・・・・・・ 532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 - 2002年09月27日(金) 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。 お盆に下の息子が帰省した時に、居酒屋で彼等から聞いて思い出した話だ。 その時「一人娘とホモに気をつけろ!」と言ったという。「知っていれば、何処かで気をつけるだろう」と、 注意しておいたのだ。それにしても、変わった面白い注意をしたものだ。 せっかく育てた子供を、 他人の家の子供にしたくないという心配が、そう言わせたのだろう。あとは息子がホモもまずい。後では取り返しのきかない。 特に都会ではそういうのが多い。女姉妹だけの長女とか、一人娘は要注意だ。本能的に、よい獲?がいないかと 目を光らせて狙っている? これは注意をしておけば避けられる事だが、それでもよいなら問題ないが。 あと幾つか注意したと思うが、「本を読め、色いろなアルバイトをしろ、ゼミに入れ、クラブにも入れ、 大学でしか経験できない事を可能な限り経験しろ」等々、いったことを思い出した。 大学時の経験が一生の圧縮だ。 ・・・・・・・・・・ [163] ] チンドンヤー 2 2001/09/27 チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。チンドンヤの意味はその辺の英雄である。 鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。 そして悪役が必要になる。 そして本人-主役のチンドンが始まる。 自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。何回悪役にはまってしまったか。 次に観客も必要になり観客作りをやる。それを自身の利害をかけてやるか、にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。 私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局!この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・。 特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくりその糸の手繰りをやる。以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。 その手口をみていると自分でまずストーリーを書く。忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、しかし何度も 重ねればその筋書きは見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」と言うらしい。 ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。 ヤクザが1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりの因縁をつけてきた。迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが 解らないようだ。彼らのワンパターンの手口は「仲間から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。 そして数百万の商談が壊れた」という手口である。もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、警察に電話をかけるのが手順。 実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。 こうなると執念に近いが。これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。
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2010年09月26日(日)
* 呼び方 意地悪な伯爵夫人をブタと呼んで訴えられたミラノの家政婦。法廷でさんざん油を絞られたあげく、罰金刑に処せられたうえ、 原告のいるその場で謝罪を命じられた。家政婦は謝罪の言葉とともに、伯爵夫人に深々と頭を下げた。 儀式が終わったあと、 裁判長に向かって家政婦が尋ねた。「以後つつしみますが、ブタを伯爵夫人と呼んでも罪にならないでしょうか、裁判長? 」 裁判長は、それは法律上いっこうに構わないと明言した。そこで家政婦は伯爵夫人に向き直って言った。 「伯爵夫人、今日のこ機嫌はいかがですか?」 * 男女の差 「洞察力は男のほうが上だよ。それはおまえも認めるべきだ」 「ええ、認めます。だからこそ、あなたは結婚相手にわたしを選び、わたしの方はあなたを選んでしまったですからね」 * 動物愛護 母親が買ったばかりの毛皮を試着しているのを見てエコロジー派の娘 「お母さん、お母さんがそうして喜んでいる陰でかわいそうな動物が泣いているのよ」 母親、娘をキッとにらんで、「お父さんのことをそんなふうに言うもんじゃありません」 * 祈り チベットの盆地を一人行くラマ僧。遠くにオオカミの姿が見えたが、逃げるとかえって追われると思いそのまま歩き続けた。 オオカミは足が速く、あっという闇にラマ僧の自の前に来ていた。図体が大きくやせ細ったオオカミは、 よろよろとラマ僧の横に倒れこんだ。襲ってくる様子も見せないオオカミを見ていると、なんとオオカミは手を台わせて 祈りのポーズをとっているではないか。 ラマ僧は仏に感謝した。 「御仏のお情けで、こんな山奥のけだものにまで信仰心が目覚めております… 釈迦さまの徳の高さをお称えいたしますー…」 オオカミはラマ僧の方を振り向いてうなった。「ブツブツ、ブツブツうっせえな。おいらの食前の祈りの邪魔をするな 」 * 離婚の理由 「ぼくが結婚した理由を申し上げましょう。何を隠そう、自分でコインランドリーに行ったり、 テイクアウトの食事で夕食をすませたり、1人で食事をすることにあきあきしたからです。 離婚するに至った理由ですか? それもいま述べた理由とまったく同じです。はい」 ( 多くの旦那は、ただ離婚に至らないだけじゃない? 3割の離婚をのぞけば! ) ・・・・・・ 3096,久々にジョーク −4 2009年09月26日(土) * ジョークあれこれ ー2 ー復讐ー ある男が旅先で泥棒に遭い、旅行カバンと財布入りのバッグを盗まれてしまった。 帰りの航空チケットは運良く背広の内ポケットに 入っていたが、空港までタクシーに乗る金がなかった。 男はホテルの 前で客待ちをしていたタクシーに乗り込み、運転手に事情を話した。 「…というわけなんだ。自宅に戻ったら速達で倍の料金を送るから、空港まで乗せていってくれないか?」 「ふざけんな、こちとら商売なんだぜ。金がねぇんなら俺の車から 出ていきやがれ!」 男は何度も頼んだが、 運転手は頼みを聞いてくれなかった。 男は やむなくヒッチハイクをして、どうにか空港にたどり着いた。 一年後、男は同じ土地を訪れ、今度は無事に旅行を楽しんでから帰路に着いた。 ホテルの前で客待ちをしているタクシーの列を見つけ、先頭のタクシーに乗り込もうとした男は一年前の非情な運転手が 列の最後尾にいるのに気付いた。 男は、あの慈善の心を持たない運転手に仕返しをしてやろうと考えた。 男はまず、先頭のタクシーに乗って運転手に尋ねた。 「空港まではいくらかかる?」「15ドルくらいだね」 「じゃあ、50ドル払うから、途中で俺にケツを貸してくれないか?」 「なに!? ふざけるな! 俺はオカマじゃねぇ! とっとと車から降りろ!」 男は先頭のタクシーから降り、2台目のタクシーに乗って同じ質問をした。 2台目のタクシーの運転手も激昂し、男は車から降ろされた。男は同じ質問を 3台目、4台目…と、 次々に繰り返しては、車から降ろされた。 そして最後の、あの運転手のタクシーに乗り込み、男は言った。 「空港まではいくらかかる?」 「15ドルくらいだな」 「じゃあ、空港まで頼む」 運転手は何の疑問も持たずにタクシーを出した。前に並んでいるタクシーの 横を通り過ぎるとき、 男はそれぞれの運転手に笑顔を向けながら親指を立てた。 解) 実際にあった話のように聞こえてくる 〜〜 ー良いのか悪いのかー 医師「良いニュースがありますよ、ミセス・ボンド」 女性「失礼ですが、私はミス・ボンドです」 医師「でしたら、悪いニュースがあります」 解)「立場変われば、品変わる」か〜 ・・・・・・・・・ 2731, 恐慌前夜 −2 2008年09月26日(金) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば 750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。 人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、 「GSEはすでに実質超過(破綻している)である。政府による救済がどうしても必要となる」と発言した そのため・ファニーメイとフレディマックの株価は11日に、一気に一時10ドルを下回るまでに急落し た(フレディが3ドル、ファニーが6ドル、そして破綻が本当に危惧される状況に陥った。 6ドルというのは日本の株式で言えば「額面50円割れ」に等しい。この株価が今後大きく回復することはない。 二大住宅公社は、すでに死に体である。つい最近まで株価が100ドルを超していたアメリカの 「政府系金融機関の超優良会社」だったのに。 みんなの血の気が引いた。その次の日の7月13日に、 ヘンリー,ポールソン財務長官の開き直りにしか見えない突然の記者会見があった。 ここで、両社の5.2兆ドル(530兆円)もの巨額の不良な融資残高と債券発行残高の合計金額が公表され、 これらのすべてが信用毀損していることが判明した。これらの公社債券の担保となっているのは、 公社が買い取ってさらに別の証券に組み立て直した住宅ローン債権である。 そのほとんどが大きく不良債権(バッド・ローン)化している。 ーー *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。 ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)} ・・・・・・・・ 2007年09月26日(水) 2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3 ー読書日記 今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、 解りやすい記述があった。 具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、 哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。最近、哲学がますます面白くなってきたことも、 このギリシャ旅行への動機になった。世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。 少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくるのである。 ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー (以下、字数の関係でカット2009年9月26日) ・・・・・・・・・・ 2006年09月26日(火) 2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ 長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。 テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。 著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日) \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月26日(月) 1637, 37年前の私への手紙−1 ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。 ー37年前の私への手紙ー あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。 倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。 数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。 あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。 あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。 現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。 いや社会そのものに鍛えられたのだ。 その結果として、何か大きなものを失ってしまった。 あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方(37年前の自己)の悩みこそ大事である。 そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。膨大な未知の世界を前に好奇心と 期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかっただけか。 貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を 言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を 摘み食いをしていただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。 それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。 あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。 あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。 しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。 しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。 自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。 少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ! 他人をもっともっと大事にしなさい。 これが私の最後の言葉です。 ーつづく ーーーーー ー後記 人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。 当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。 当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。 過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。 それがよい。 旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。 一番思い出になるからだろう。 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。 ・・・・・・・ 2004年09月26日(日) 1272, シュリーマンの話−1 映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。 トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。 誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?である。 男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行って ヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で初めて纏めた「伊能忠敬」である。 それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が多い人物も珍しい。 また、膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスターをして、それを武器に莫大の資産を得た。 外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。 あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日) ・・・・・・・・・・ 2003年09月26日(金) 905, 物を置かない努力 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、 といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。 カラーは白と黒だけ、空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。 コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。 「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。 銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。 私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。 頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。 せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。 まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。 「孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。 これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。 圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。 そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。 サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。 生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。 しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。 さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう! ・・・・・・・・・ 531, 天皇制度について - 2002年09月26日(木) 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。 島国とか離れたスカンジナビア半島のように、あまり外部との入れ替わりの無い国では、 王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも王室が有効となる。 ユダヤ教やキリスト教やイスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。 アメリカの大統領の宣誓式でバイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で 国家への奉仕を約束をすることである。 旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には 必ず二人の対立したセカンドがでてくる。対立をする間に中央の神が存在して、真空ー中空としての役割を果たす。 変化の乏しい島国では丁度よい役割を果たす。良くいえば弾力的システム、悪くいえばいい加減なシステムになる。 今の日本の窮状はそのいい加減なシステムの弱点が出ている為である。 アメリカが日本を占拠した時にアフリカとか 東南アジアやインドの占拠方式をそのまま当てはめ、天皇制の維持で国家体制の維持に利用した。 明治維新で日本という国家をつくろうとして、京都の天皇に目をつけた。 天皇家をシャッポ−帽子にした。 ー国家のつくり方として ・先ずは帽子が必要である。警察の帽子といっしょである。 ・次に暴力装置として内向けに警察、外向けに軍隊が必要になる。 ・それと決め事としての憲法。 戦後はその決め事ー憲法をアメリカに押し付けられ、天皇も占領に都合がよい為、そのまま押し付けられた?! その名の下に戦争で死んでいった国民をこれほど馬鹿にした話はない。少なくとも昭和天皇は変えるべきであった。 (字数制限のためカット 2010年9月26日) ・・・・・・・・ [162] 手順 2001/09/26 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。 大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイント。 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。 そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、 それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。 創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。 それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。 「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。
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2010年09月25日(土)
母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容で、 夢から醒めても暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。 亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。 家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので溜まっており、その捌け口で 徘徊を始める。しかし、本人にとっては、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているようなもの。 それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったことか。 したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。 亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが) 50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になって死線を漂った後に、そのエネルギーを趣味に切り替え、 茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに向かって 全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。 まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をして、設定したライバル に対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の 末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在になって分かった。 冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場でもあり、天国である。 ・・・・・・・・ 3095,久々にジョーク −3 2009年09月25日(金) ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。 ージョークあれこれー * ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」 神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」 解)好きだね、こういうのは! *「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、 自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」 解)これも! * ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。 すると、また言い争いが始まる 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』 解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが! * 愛のVIP戦士 故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」 受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。 そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。 そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」 解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする ・・・・・・・・・・ 2730, 恐慌前夜 −1 2008年09月25日(木) 「恐慌前夜」副島 隆彦 (著) ー読書日記 再び副島隆彦の本である。 発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。 そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。 「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。 ーアマゾンの、この本の紹介文からー アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。 7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。 アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。 現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。 しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、 信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。 かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。 「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」 それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。 ーー 9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。 「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー 〜〜 この7月から新たな金融危機が始まった。7月13日にペンリー・ポールソン米財務長官の驚くべき記者会見があった。 私が前々作「ドル覇権の崩壊」と、そのあとの『連鎖する大暴落」(いずれも徳間書店刊)で主張してきたとおりである。 アメリカはいよいよ本格的な金融恐慌に突入しそうである。次の「連鎖する大暴落」が年末までに起きるだろう。 この7月危機を引き継いで、事態はさらに深刻になってゆく。大きな銀行と証券会社が世界はたんの中で次々に倒産してゆく。 この7月危機では日本の三つの大きな金融法人が相当の打撃を受けた。致命的と言ってもよい。 それは農林中金(5兆5千)と三菱UFJ銀行(3兆3千)とニッセイ(2兆6千)である。農林中金は実質的にすでに破綻しており、 やがて、みずほ銀行に救済合併されていくのではないか。しかし、みずほも同じく1・2兆円「やられている」。 この農林中金、三菱、ニッセイ三つの日本の大金融会社が今回受けた大損害(戻ってこないお金)は、7ぺージの表のとおり。 ーー ー次は、「あとがき」の出だしの部分になるー 〜〜 この本「恐慌前夜」で私が最後に言いたい(書きたい)ことは、アメリカはどうせ壊れるということだ。 アメリヵの株価が少しぐらい上がったり、ドル高(円安)になって、アメリカが景気(経済)回復したように見せかけても、 どうせ次の大暴落が襲ってくる。日本の金融機関は政府系を含めてアメリカの国債や住宅公社債、 地方債(ニューヨーク市債やカリフォルニァ州債など)を山ほど買い込まされている。 合計で600兆円(6兆ドル)ぐらいある。それらの投資資金(債券買いや資金の貸し付け)は、もう戻ってこない。 アメリヵ(人)はまったく返す気はない。アメリカ政府はこれらの返済の保証などしない。 このことが日本人には分からないようだ。日本はこれから大損をするのだ。多くの国民が年金をもらえなくなるだろう。 私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。 読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよサイキック(霊能者)になることを目指そうと思う。 −−− 次回は、印象に残った部分を、取り上げてみる。 ・・・・・・・・ 2007年09月25日(火) 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか ー読書日記ー ―弁護士が教える論理的な話し方の技術 谷原 誠 (著) 図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。 弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、対話の曖昧さを指摘。 いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。 考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。 この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ 「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。 同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。この質問に対する答えを考えてみると、 ・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。 ・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。 ・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。 その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、「収入が入らなくなったり、転職をしたら ゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。 長い年月の間に、こういうこともあるのが人生じゃないか」辺りになる。 6年半の間、毎日この随想日記を書いているためか、他人の論理の矛盾点や、甘さに気づかされる。 家内も、言葉の甘さや矛盾を直ぐについてくるので、普段の言葉使いから緊張感に包まれている。 反面、社会的に突っ張っている人の言葉に、苦笑してしまうことが度々であるが、 それが大よそ著者が指摘している内容と同一であり、著者のいうのは至極ごもっとも! 書き続けることからくる効果が、この内容の通り論理の甘さを重ねるごとにそぎ落としてくれる。 ある世間の権化のような男が何時も使う言葉。 自分の言いたいことを、「人は・・・と言っているぞ」 が恒?だった。 こんなことを言っていればフラストレーションが溜まり早死にするだろうが! ーーーーーー 内容の概要) (字数数限のため、カット09年09月25日) ・・・・・・・・ 2006年09月25日(月) 2001, 二千日の随想日記! おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・ この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。 千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。 といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。 千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。 あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。2009年6月某日になるが、どうなることか。 千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。 良寛の たくほどは 風がもて来る 落葉かな と同じで、習慣の流れにまかせて 書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな というところか! だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。 朝はそれでも一時間はかける。テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。 その三時間のプロセスは考える時間になる。そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。 アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。もう一つのプラスは五年分の 同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。 毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。 書いた文章を会社に行って読み返すと、数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。 自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。 これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月25日(日) 1636, ローズパレード 昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。 アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。 花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。 一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。 100チーム以上が参加している。アメリカ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。 参加するには厳しい審査のパスが必要という。リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で 心打つものが次々と出てくる。実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。このパレードを見るために全米から 100万人が集まってくるという。TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。前夜には、 道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。指定席もあり、かなり高い値段がする。そのローズパレードは、 毎年1月1日の朝8時から始まり、パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。 その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。またこのパレードが 終わると全米カレッジ・フットボール決勝戦のローズボールが行われる。ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。 今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ リーハントクラブがあって、クラブのメンバーが1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけて パレードしたのが始まり。ヨーロッパの<バラ>の祭りを手本にして、山車に沢山の花を飾って自然の美しい輝く 太陽を本当に楽しそうに行進している。この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、 また花の新鮮さや、参加者のコスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。 このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。 1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。 お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。 世界は広い、そして深い! ・・・・・・・・・ 2004年09月25日(土) 1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2 十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、 彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。そしてそのままホテルに泊まってもらった。 翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。 二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。 知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。 本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ 「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。 いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」 と断ってしまったのだ。こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、 本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。 それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。 話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は?? ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると 軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。 ・・・・・・・・・・ 2003年09月25日(木) 904, 讃岐うどんの店−2 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。 その後、新潟の郊外にある店に7〜8回通っている。何かヒントがあるようだからだ。 ・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。 平均15分で出ていく。 ・並んでからレジまで3~4分で済む。ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。 ・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。 (字数制限のためカット2010年9月25日) ・・・・・・・・・ [161] 自然体(自然態) 2001/09/25 07:01 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、 その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、 その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの 言葉であった。浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。 その後この言葉に生き方がかなり影響された。目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。 7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、出発前に成田で言った言葉が印象的であった。 「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。 無理せずそのままでいきましょう」「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。 その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。 自然体そのものであった。たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。 イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ているところが面白い。 もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。
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2010年09月24日(金)
人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、むしろ基本的不信の強い人である。 それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情が タップリ入っている人がいる。その過剰は、自分が特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。 乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱って くれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。 この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を得ることが出来る。 基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。 E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。 「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、 乳幼児は求めているのである。 片親の子供は就職に不利というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を 選択するのも、こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。 その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。 それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感が あるだけで充分に恵まれていたことになる。 過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。 今日は母の命日で亡くなって14年になる。
・・・・・・・・ 3094,久々にジョーク −2 2009年09月24日(木) * 三つの願い 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、 足もとにランプが落ちているのに気づいた。 それを拾い上げ、ほこりを払っていると、 ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。 魔法使いは老婆に向かって語りかけた。 「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。 「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、 老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。「大金持ちになりたい。 使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」 老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。 三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、 宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。 その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」 〜〜 「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。 《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。 「よろしい。あなたのたった一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。 「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」》 《 ハイキングに来ていた家族が山の中で道に迷った。歩き回っているうちにどんどん森の奥に入ってしまい、 とうとう夜になってしまった。 子供が泣きながら「神様、助けて」と言うと、森の神様が現れて言った。 「お前たちの望みを一つだけ叶えてやろう」すると父親がすぐに答えた。「私たち家族を、とても我慢強くしてください」 「わかった。その望み叶えよう」神様は杖をひとふりすると、闇の中へ消えていった。 神様が消えると、父親の意外な言葉にぽかんとしていた母親と子供たちが一斉に文句を言い出した。 「お父さん!どうして道を教えてって言わなかったの!?」「お父さん!ヘリコプターを出してって言えばよかった!」 「あなた!こんな森なんてどうせすぐに抜け出せるんだから、世界一のお金持ちにしてもらえばよかったのに!」 しかし3人はすぐ口を揃えて言った。「・・・って言いたいけど、我慢する」》 〜ジョークの世界は、捻りのあるミニ物語である。それも最後の一言の捻りの落ちで決まる。 その影響のためか? 私の文章も会話も、何時の間にか落ちをいれないと気がすまなくなっている。 で今日は・・・、ありません。 捻りのきいたジョークの後では無理! ・・・・・・・・・・・ 2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4 2008年09月24日(水) 「議論に絶対負けない法」 −4 ー読書日記 −物語の力- 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。 その筋たての準備に、可能な限りエネルギーを入れなければならない。 それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。 これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。 以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、 人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、 議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。 オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに 建てられたかにかかっている。すべての議論にとって最も強い骨組みは「ストーリー」である。 「さあ、お話をしましょう」 ストーリーを話すというのは、大昔から互いに教え合う大事な手段だ。 たとえば焚き火を囲む集まり。一族が皆、焚き火を囲み、目をまん丸にした子供たちが大人の後ろからのぞき込んで 一心に耳を傾けている。過ぎた日々の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。人々は物語から何かを学んだ。 サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、 そして長老がいかにして嵐を生さ抜いたか。愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語 隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。人間の知識はすべて、太古にはストーりーの形で伝えられてきた。 ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけだ。ストーリーを話し、それを聞くという行為は、 人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、 大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。 意識のなかにも無意識のなかにも永遠に植え付けられる。私たちが楽しむ映画やテレビドラマ・芝居・これらは高度に 進化した形のストーリーだ。一番効果的なテレピコマーシャルは、三十秒あまりの小さなストーリーだ。 ジョークも小さなストーリーだ。世に名を残たと偉大な教師はストーリーを使って教えた。キリストの讐え話もストーリーだ。 p−180 ストーリーの議論はなぜこんなに力強いのだろうか。それは人間本来の言語形態で語るからだ。その構造が自然だからだ。 話し手が「心の底」から、気楽に正直に力強く話せる。 興味をかき立てる。ストーリーは、どんな議論にも混入される 恐れのある「停滞」という名の最悪の毒に対する解毒剤なのだ。私たちはストーリーに心を動かされる。 ストーリーは、私たちが常に決断を下す、柔らかく無防備なところ、すなわち「感受性」に触れるからだ。 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月24日(月) 2365, ウィーン・コンサート、それが何! ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。 ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに 日本からの即席の「お嬢様」がアホづらをして参加しているとか、辛らつである。 (こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的な ハイソサエティーな雰囲気をもたらすからである。しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。 確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、何か音楽音痴は自分だけのように思うが、 現実は一部マニアの道楽でしかないと中島がいうから確かなのだろう。以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は 「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、 話を聞けば趣味の一つでしかないし、度々行くほどの事でもないことが解った。 (字数の関係で中間カット、2008年09月24日) ・・・・・・・・・ 2006年09月24日(日) 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで オシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、 その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。 心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。 亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。 両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。 第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の 森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。 20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。 その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。 (奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ 転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。 そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。 それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ! ーつづく ーー 書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー) 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月24日(土) 1635, 「イヴの七人の娘たち」 ーまずは、この本の概略を書いてみるー DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」 にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。 アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。 我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。 人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。 6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、この女性たちに名前をつけると、アースラ、 ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン。それぞれが「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たち。 ミトコンドリアDNAには、 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日) 「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン ・・・・・・・・・ 2004年09月24日(金) 1270, 母が亡くなって、まる八年! ー命日に, 母の魂に捧げる 今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。 今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、 母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。 そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。 真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。 キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー 母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、 前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、 直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。 子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。 それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。 私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。 (亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。 その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ! 23日 6時半ー ・・・・・・・・・ 2003年09月24日(水) 903, 「仏像の不思議!」 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。 20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。 お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で 仏像などを売っていた。多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。精巧な彫りでかなりのモノであった。 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。 「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。お金は後で送金しますから」」といって別れた。 買う気は全く無かったのだが少し惜しい気持ちになっていた。ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。 そこまで下げるとは驚きである。 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった! 何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。 たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、仏像を見て青くなった。「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」 と忠告をしてくれた。確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。しかし、今でも自宅にあり 「家内の守り本尊」?として大事にしている。 いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても 不思議な出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。商品価値は三分の一だろう。 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら家で不幸があったという。 「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。 気味が悪くなって、すぐ売ったという。 ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。 −しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。 仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。 不思議なことがおきても何も不思議ではない。若い時は、不思議ということは殆ど無かった。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、 不思議の経験を多く積むようになった。不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。 生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。 ・・・・・・・・・ 529、人の一生 - 2002年09月24日(火) 仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、 ・上からはその動物が覗?込んでいる。 ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。 ・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。 ・しがみついている紐を鼠が齧っている。 ・怪獣は現実。 ・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。 ・下の大蛇は死。 ・鼠は歳月ー死への。 ・紐は生命。 人間の一生を例えた仏教説話である。これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。また井戸は内面ー孤独。 ≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》 ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。 好みの美人もそこで酔っている。この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。あまりに美味いので 飲みすぎて泥酔してしまった。ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。 それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。 これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???! ・・・・・・・・・ [157] 自殺 2001/09/24 09:49 NoName ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。 (字数制限のためカット 2010年9月24日)
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2010年09月23日(木)
* 検察の特捜主任検事を逮捕 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。 押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。 彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通る というのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた 所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界??。 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。 検察もたまったものでない。 情報化で国家権力を持った者でも、 以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが検察、末端が警察。 〜〜 * 尖閣漁船衝突問題について ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、「目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。 「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は「孔子は公を無視している」という。 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、 日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、 国際社会の秩序に従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、 日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝(どうかつ)しているのである。 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、 中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。 ▼だが容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思えない。 事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】 ―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。 「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。 中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 ・・・・・・・・ 3093,久々にジョーク −1 2009年09月23日(水) 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。 ところが、ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。 ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。 周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。 先日、借りてきた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。 最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 それにしても久々にニヤリとした。 * 神の思し召し 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。 出産の日がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、 女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、 神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」 「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に 「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。幸い赤ちゃんは元気です」 「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんですから、 間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、 結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。 それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。 「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」 「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。 「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」 「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」 〜〜〜 解)ジョークの批評も野暮だが・・。 医師の不倫と、神父への冒涜、更に神父同士の男色の捻りまで入っている。 最後の一言で、一瞬でブラックの笑いに誘い込む。 私のストックの中の「聖職もの」としては、次のものが面白い。 《 *旅たち* 修道院から、少女たちが旅立とうとしています。女性院長がはなむけの言葉を贈ります。 「いいですか。修道院の外には危険がいっぱいです。一番気をつけなければいけないのは、男という生き物です。 あなたたちにお酒や食事、お金をくれるのと引き換えに、あなたたちの服を脱がせ、とんでもないことをします」 「院長。男って、そういうときお酒や食事、お金をくれるんですか?」「そうですとも」 「でも院長。ここの司祭さまはクッキーだけでしたよ」 つづく ・・・・・・・ 2728, 議論に絶対負けない法 −3 2008年09月23日(火) 議論に絶対負けない法」−3 ー読書日記 物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。 以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、 いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。 好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。 Pー195 *私が百戦百勝している最大の秘訣 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。 彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。 本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。 準備とは、創造する喜びだ。 準備とは人生を苦労して前進すること、悩みながら生きていくこと、波にもまれながら生きていくこと、 人生を喜んで受け入れること、人生を自分自身に塗り付けること、人生を生きることだ。 モーツァルトに労働したことがあるかと尋ねてみたとしたら、おそらくノーと答えたのではないだろうか。 だが彼の人生、彼の呼吸が、彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを費やした 周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を 整えている普通の人になりたい。準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な 並び方を言うのではない。天才とは土ネルギー、単に何かに向けられたエネルギーにすぎない。天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、私は労働していない。この本を書く時も労働などしていない。遊んでいるのだ。 準備をする時の私は子供だ。子供だから遊びに飽きることは決してない。富あふれ・胸を躍らせる。ネズパーズ族の 酋長のスモーホール酋長が言ったように、「若者は決して労働してはならい。労働する者は夢を見ることができない、 そして知恵は夢の中で得られるものなのだ」あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、勝ちたいのだろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。陪審員に自分の主張は正しいことを納得させたいのだろうか。 それなら、よく調べ、勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から飛び出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなければならない ことは何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物tつまり、あなたについて知らなければならないことは 何かを発見した時の気分を味わいなさい。私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を 使うんですか」と聞かれる。私は暗審員に催眠術をかけたということで被告側のリーダー的な人物から訴えられた。 (字数制限のためカット 2010年9月23日) ・・・・・・・・・ 2007年09月23日(日) 2364, 哲学とは何か、考えてみようか? Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。 色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学である。 それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・ 私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして (空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。 それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。 ーーー 「狂人三歩手前」 ー中島義道著 ー夏には哲学がよく似合うー P-51 メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル思考が回っている。 この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか? このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。 他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。 ここにメルローーポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。カントの言う「経験を可能にする条件」とは、 「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ……。 哲学者とは、夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えているヘンな奴である。 メルローーポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。 「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。 この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。いや・もう一つの条件を加えておこう。 どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、 つまり、「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、ひとの驚くことを驚かず、 人が驚かないことに驚くといい換えてもいい。テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが (私は地下鉄サロン事件にもアメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、「見えることの」の不思議さに警き、 いつも「いま」であることの不思議さに驚く。思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。 少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した 女性にお目にかかったことがない。勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。 しかし、一通り社会生活をしこなしていて、しかも「いま、は何か」という問が絶えず脳髄の中で唸り声をあげている、 という女性に遇ったことはないのである。夏の浜辺で、ある女性が太陽に身を焼きなが、「いまとは何か?」と考えて いることを想像するのは難しい。それはいかなる文化にも共通の根源的な両性の差異であるように思われる。 女性たちは「世界の安定性」に対する懐疑を抱かない。ふっと抱くかもしれない。 しかし、それを執念深く追究しようとしないのだ。次の瞬間世界はガラガラ崩れるかもしれない、という不安感がない。 彼女たちの悩みは「世界の中」での悩みであり「世界の枠」そのものに関わる悩みでない。 それは、彼女たちが生物体として劣っているからではなく、優れているからである。 男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、性的倒錯者も、ひきこもりも・圧倒的に 女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。(哲学釣な)男たちよ 1真夏の海岸で身を焦がしたら、漆黒の蒸し暑い夜、反社会的行為に向かってまっしぐらに没落していこう……。 ーーー 評)「私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した女性にお目にかかったことがない。」 中島のこの部分は池田晶子の評価に対する、読者への間接的なメッセージとも受け取れるが。 池田晶子には不安定性が感じられないのは事実である。 反社会的な人間の匂いを、この中島には感じ取っても、 池田には感じない。社会的センスの問題もあるが。 ヽ(★>з<)バイバイ ・・・・・・・ 2006年09月23日(土) 1999, 「私」のための現代思想 −3 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ 第一章 「私」を縛るものは何か ー ー《価値》についてー <価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。良い・悪いの規範のことを「道徳」という。 道徳は私たちに本来セットされている「感じ方」や「考え方」ではありません。 私たちが社会から学ぶものです。 多くの場合、道徳は「規範の内在化」という過程を経過して私たちの中に形成される。 道徳そのものに本来は論理性は内在していない、と考える方が妥当です。ニーチェは『道徳の系譜』において、 キリスト教の価値観の問題点を指摘した。 その論理展開を箇条書きにすると ー、先ずは「力あるものは悪である」と考えた。 ー、その逆として、「弱いもの=善」と考えた。 ー、?により「力を自分のために使うこと=利己的な行為」は「悪」とされた。 ー、?により「利他的・非利己的な行為」が善とされるようになった。 ニーチェは、キリスト教においてこのような論理展開が行われたのは「ルサンチマン(怨恨・反感)」に求めている。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・ 2005年09月23日(金) 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集 今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、 生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、 個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。 対談者ー今西錦司ー創造とは何か? ー父性原理と母性原理ー ー今西 西洋では神を一番上において、次に人間を据える。そしてその間が切れている。そこからもう一つ切りよって、 その他の生き物は全部が人間の下に置かれている。デカルトですけど、「我思う、故に我あり」に当たらん。 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日) 分類のコーナーの検索に「父性原理と母性原理」と入れて下さい。 (2009年9月23日) ・・・・・・・・ 2004年09月23日(木) 1269, 否定的想念の恐怖 人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、反対に肯定的想念を持てば、 肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。 周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。肯定は意志を必要とするし、否定的想念は 感情のまま周囲と供に流されていればよい。教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を 持つからだろう。いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。 「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として「ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。 ーその内容とは、 ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に 協力してもらえないかと持ちかけられた。人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、 われわれは10パーセントを上回ると考えているので、ぜひそれを証明したいという。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日) ・・・・・・・・・ 2003年09月23日(火) 902, 「守護霊との対話 」 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」といっていた。 母の守護霊は、母が幼児の時に亡くなった実父といっていた。『幸せの宇宙構造』を書いた小林正観と 中川昌蔵氏の対談集が、図書館にあった。早速借りてきて読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 (字数制限のためカット 2010年9月23日) ーーーーーー 貧すれば鈍する 2002年09月23日(月) 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。 「何をしてもうまくいかない人」である。 20対80の法則からいうと、その20パーセントの人間に80パーセントの不幸が集中するたぐいの話である。 彼らの共通項とは ・甘さの塊である。そしてそれを周辺に押し付ける。人の甘さの隙を捜し続け、そこに擦り寄っていく。 ・その結果群れたがる!一人になりきれない要素が非常に強い。腐った納豆?のような人だ。お互い粘粘絡み合っている。 ・暴力団の事務所はそういう溜まり場だ。 ・言い訳だけを常に考え行動しようとする。 ・ある土地を買った時、隣地に挨拶に行った。 その奥さんが初対面にかかわらず、 買った土地の前のオーナーの悪口雑言である。その数年後旦那が脳梗塞になった。 ・一番身近な連れ添いとの信頼関係がまず壊れている!浮気とか、嘘ごまかし、裏切りをまず一番の身近から始めている。 最悪の場合、自殺とか、ストレスで早死にしている。その場合父親も本人も親子揃っての場合が多い。 2~3の事例ではない。そういうのを家系というのだ。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2010年09月22日(水)
* アフリカに魅せられて ー5
アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、 そしてイスラエルのコースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。 あとエチオピアか、マダカスカル島に行きたいと思っている。アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。 それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と何が違うのだろうか考えさせられる。 父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて、一族を束ねている。 その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。 現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、 未開発地域の人たちにも同じような文化が存在している事実に注目した。 戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した手紙などが記録で残っている。 それがアフリカのマサイ族の部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。 初めてアフリカに足を入れる前までは、恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかし、 サバンナで出会うマサイ族の衣装と野生動物から身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性の センスにひけをとらない。サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に 似合った柄の羽織?を買い求め着ている。それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 その視線で自分に流れている日常を見直すと、小さな自分の世界を見直すことができるのである。
・・・・・・・ 3092,つれづれに ー閑話小題ー 2009年09月22日(火) * 自民党総裁選挙だと! 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。 早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。 三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。 勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは河野太郎だけで、二人はボケ。 派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。 その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、 その方が日本にとってよい。 それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。 今のところ政権交代は、現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはずだ。 数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。 〜〜〜 * 図書館にて 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。 それも全員が立ち上がっていて氷突いている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。 何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを起こして追い出され悪態をついたのか? ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、強盗でもないので 無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。男の館員が受付の外で対応していたが、 ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。 それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作して トラブルの演技で金を強請にくる。 また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 〜〜〜 * 5連休か〜 秋の5連休とかで、高速道路の千円効果もあってか春のゴールデンウィーク並みのようである。 この不景気の中、観光地は思わぬ特需で息をついているという。私の方もだが。 高速道路の無料化は地方にとっては大きなインパクトになるだろう。さっそく「知人の奥さんが4名で東北まで 一泊で遊びに行ってガソリン代と往復2千円を加えて、割ったら一人当たり交通費が二千八百だった」とかいう 話題が入ってきた。そうこう考えると、高速無料化は日本全体にとって莫大な経済効果をもたらすだろう。 学生時代のゼミの後輩が、その火付け役である。さぞ、鼻が高いだろう。 ・・・・・・・・・・ 2727, ザ・オオズモウ 2008年09月22日(月) *大相撲が面白い! ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。 一場所を中止をする位の大事件なのに、それ以上は騒ぎ立てなかった。 ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。 これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。 歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。 柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。 それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。 外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。 一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。 もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、 尚のこと、徹底すべきである。 〜〜 *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退? 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。 この力士の特技が立ちあいの張り手である。下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して 張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、張り手がやりづらくなった。 これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには気力が衰えている。 しかし、ヒール役(悪役)としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、 引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、 新理事長の下では早々の引退だろう。 元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、 リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。 ・・・・・・・・・ 2007年09月22日(土) 2363, 郵便配達夫シュバルの理想宮 −2 シュヴァルの凄さは、理想宮が明らかに意味あるものなら解るが、今でいうテーマ・パークを、誰の理解もされずに ただ黙々と石を集め、自分の心の命じるまま理想宮をつくり続けたことである。ただ、そのプロセスの中で生甲斐を 感じていたはず、もし感じてなければ続くわけがない。他の人から見たら何ら意味もないことを、自分でも意味など 考えてなかったのだろう。あるのは、それに取り組んでいるときの何ともいえない喜びである。 続けているうちに、 評判を聞いた外部の人が見に来て褒めてくれたこと、認めてくれたことなどで、意味を見つけていったのである。 それは結果として、潜在意識の具現化につながっていく事になる。そのテーマ・パークはみる人の気持ちをうつのである。 もちろん、周囲の人は、その奇異な建物をみても理解などできようがない。むしろ外部の人は、それを冷静に客観視 できるから興味も加えて評価が可能になる。創造者は、まずは気違いにならないと新しいことは創造できない。 そして周囲は、その姿をみて、気違いという。 だから面白いのである。 ーその部分を抜粋したみるー ー村の気違いー シュヴァルは、村では最初から異端者であった。農地を持たない、という一事だけでも、村において、人を異端者と するに足りたであろう。そのうえ彼には、孤独癖、厭人癖があって、周囲の生活に決してなじむことができなかった。 パン屋をしながらの数年間の放浪は、そのことを示している。郵便配達という職業は、この異端を一時期 蔽い隠していたけれども、彼が宮殿を建設しはじめるに至って、この異端は露わになり、決定的なものとなる。 {近所の人たちは、私の毎日の石運びに気づきはじめました。彼らは最初、道路管理官に売るための資材を私が集めている のだと考えました。やがて私は、そうではないことを覚らせました。《じゃあ、どうするんだ》と彼らは訊ねました。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・・ 2006年09月22日(金) 1998, 「私」のための現代思想 −2 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 −読書日記 第一章 「私」を縛るものは何か ー ーまずは問題とはー まず「我われの世界は正しいのか」という問題をまず考えなくてはならない。 我われの世界には正しい部分と、腐った部分がある。《「世界」と「私」は、ともに腐っていく》という方が解りやすい。 この世界で自分が腐っていくのを実感することは、さらに腐敗にまみれないようにするためには、非常に重要である。 我われを拘束する要素として、<言葉><価値><社会>が考えられる。 ー言葉ー 私たちは<言葉>を使ってこの世界を認識し、他者に何かを伝えます。言葉は「思考の枠組み」であり、 便利な道具ではあるものの、逆にその「枠」の外には出られないという意味で束縛となる場合がある。 ー価値ー 私たちは何らかの、<価値>を求め、それに照らし合わせて自分の行動を決定したり選択したりします。 自分が重要だと考えている<価値>そのものが、私たちを束縛している場合がある。 ー社会ー この枠組みは、私たちがよりよく生きるために構築されてきたものですが、そこに窮屈感や閉塞感が出ることがある。 これらは「束縛」となる場合と、「自由になるための武器」になる場合がある。 この束縛から脱するには、 これらを得なくてはならない。 得るためには、まずは言葉・価値・社会とは何か知らなければならない。 まずはーー《言葉》についてーー 言葉の機能の中心には「分類」があります。これは、言葉は「私たちが知覚したものを分類する」ために 用いられるという意味である。私たちが「何かを学ぶ」ということは、 ー社会において重要とされている分類基準を自分のものとするー ということを意味しています。このとき私たちは、少しだけ「自分を殺す」ことになります。 それが「大人になる」ということであり、「社会化する」ということです。 フランスの精神分析家のピエール・ルジャンドルは =換言すれば、 「 自己と世界に対する関係は言葉のスクリーンを経由する 」ということです。 人間のアイデンティティには複数の水準がありますが、自己への同一化 (それが主観的なアイデンティティ形成です)と、世界の同定および世界への同一化ということです。 その全てにとって前提となるのが言葉のスクリーンなのです。 自由に「思考」するためには =「他人の考えるように考える」ということは、重要である反面、 「他の人が考えるようにしか考えられない」という状況を発生させてしまう。 そのときに人は「言葉による束縛」もしくは「言葉の専制」を実感します。 そうならないために‘社会の側の分類規準は便宜的なものでしかないことを、しっかりと把握しておかなくてはならない。 自分を殺さずに、社会の側の分類規準と上手くやっていかなければならないが、 そのとき重要なことは、「言葉の主人は自分である」という意識を持ち続けることである。 すなわち言葉は、自分を拘束するものではなく、認識の道具であり、意思伝達の道具であり、思考の道具である。 (以下、字数の関係でカット2009年09月22日) ー感想ー この随想日記を書き続けることの束縛が、反対に言葉の束縛を一つずつ開放してくれる。 一つの束縛が、一つの開放の獲得になる。要は、それぞれの束縛が物語としての基盤になっていれば、 それが人生の物語の完遂になっていく。まずは、言葉による自分の物語の構想を若いうちからしておくべきである。 それが、その人の価値観になるのである。 ヽ(●´ω`●)ノ。バイ! ・・・・・・・ 2005年09月22日(木) 1633, 閑話小題 ー雲を消すー 私が、雲を消すことができるというと、頭がおかしくなったと思うだろう。しかし消せるのである。 まずは雲の消し方を紹介しよう。晴れた日にたくさん浮かんでいる雲のうち、3センチくらいに見える雲を指さして 「消えろ、消えろ……」と念じると、だいたい三分ほどで雲が消えてしまう。 ぜひやってみると面白いはずだ。小さな雲は、常に発生したり消えたりを繰り返している。 指をさして念じなくとも、小さな雲は三分くらいで消えるもの。そうした現象の種明かしをしらないと、 実際に雲が消えたように見えて、念動の存在を信じてしまう。 実際、それを信じている人もいるから面白い。 ーあのビルの臭いー 爆破当時にニューヨークの9・11の貿易センタービルの下を通っていた地下鉄で 電車が通過する時に、ものすごい臭いがしたという。何千?人分の腐った人間の出汁の臭いとか。 思い出したくない地元の人は生ゴミの臭いと言っていたという。(マスコミにはあまり出てこないはなし) また、その翌年アフガンでは10万人以上が餓死したというが、そのことは殆んど新聞には報じられなかった。 ー晩婚化と高齢化ー 現在の晩婚化は高年齢化に深く関係しているという。もうかなり以前だが、『人生ゴムバンド』という説があった。 高齢化になったぶん、人生の節目と節目の期間が延びたという。なるほどと肯いた。私の知人数人が30代半ば結婚したが、 現在も子供が学生である。65歳までは収入は落とせないと言っているが、そう話しながらでも本人は嬉しそうである。 下の子供が大學を卒業した時にホッとしたと同時に、何か物足くなった。年金が満額出るのはあと三年だが、その時は・・・ ・・・・・・・・・・ 2004年09月22日(水) 1268, 大相撲に思うーつれづれに 大相撲が始まると、相撲について書くのが恒例になってしまった。場所ごとに刻々と、相撲の様相が変わっている。 最近は、朝鮮相撲、モンゴル相撲、レスリング、そして日本相撲の「国別異種格闘技」の様相に変ってきている。 外国人の出身地もハワイ、アメリカ大陸から、モンゴル・旧ソ連圏になってきた。彼等は、お金を稼ぐという目的が ハッキリしていて、ハングリーなのだ。それと骨格も違うのだから、日本人がどの面から見ても勝つ要素が少ない。 異種格闘技のK−1では、日本人がほぼ駆逐されてしまったが、相撲も、あと一年で大関・横綱は外人で独占されるだろう。 国別異種格闘技として割り切って大相撲を見ると、むしろ面白い。日本人も個性的な面白い力士が出始めてきている。 小さくて、その小ささを武器にしている力士や、気力を売りにして神がかり的相撲をとる高見盛などである。 一つ気になるのが、「一部屋に外国人一人の制限」である。ある新聞の冗談とも、本音ともいえる提言が書いてあった。 「外人枠を撤廃をして、東西それぞれを日本対外国人に分けて対抗戦にしたら!」なるほど、そのとおりにすべきである。 前半は外人対日本人、後半交流戦とかして。 これこそ、グローバル化である。 これに、今のプロ野球を重ねると、 面白い姿が見えてくる。このプロ野球の恩恵を受けていたのが、日本のトッププレーヤーである。グローバルに見れば 二流選手(大リーグからみた)でしかない。2Aか3Aクラスの選手が、二倍以上の年収を受けていた事実が判明した。 今回の騒動の中で、それが露出されるだろうから皮肉なものだ。相撲もプロ野球も大きな曲がり角にきている。 TVでは巨人戦を開幕来、殆どみていない。しかし大リーグは結構見ている。 一リーグ戦にすべし! 今、反対意見を言っているのは、目先しか見てないファンか、選手ごときと、それをネタにしているマスコミである。 大リーグと契約をして、公式の交流戦に参加すればよい。アメリカの方が断る可能性があるが、といって日本の市場が できるから彼等にもメリットがあるはずだ。 話はかなり逸れてしまった。 ー後記ー 書き終わって去年と一昨年の随想日記をコピーしていたら、三年続けて同日に相撲のことを書いてあった。 それにしても奇遇である。潜在意識が呼び寄せるのだろう。 年々、内容が変化しているのが面白い ・・・・・・・・・ 2003年09月22日(月) 901, 相撲を考える 大相撲が昨日で千秋楽、朝青龍が優勝をした。他の格闘技も多くできたこともあるが最近の大相撲はつまらなくなった。 つまらなくなったという点で、今のプロ野球に似ている。NHKのBSでメジャーリーグを見るようになってから、 全く見なくなった。以前、「過去の相撲の大一番」を特集していた。 子供の時から相撲が好きであった事もあって、ラジオやTVで大一番は殆ど見ていた。 ・私が見た中での大一番は「栃若の千秋楽の全勝の一番」である。 ・大鵬と柏戸の千秋楽の全勝同士の一番も素晴らしい一番であった。 ・生まれる前なので見てないが、歴史に残るのが双葉山が69連勝の後、安芸の海に負けた相撲も大一番といえる。 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日) ・・・・・・・ 2003年03月12日(水) 707, モンゴル大相撲 先場所の各段の優勝は序二段を除いて全て外人が取ってしまった。 今場所からは、両横綱とも外人である。外人力士が50数名いるうち8割がモンゴル出身である。 − 以下字数の関係でカットー2007年9月22日 ・・・・・・・ 2002年09月22日(日) 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸! まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。 もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、彼はそれを持っている。 (以下、字数の関係でカット2010年09月22日) ・・・・・・・・・ [154] 性善説と性悪説 2001/09/22 以前、身近に[おれは性善説だ]と口癖の男がいた。本当に性善なら‘それを売り言葉に使うのがおかしい’ という事も解らない。人間なんぞ性善も性悪もごちゃ混ぜになっているもの。 光のあて方でどうにもとれる。「性悪の路線の上を性善で走れ」あたりが少しもっともらしいのかもしれない。 善良は、ある状態ー苦労やぎりぎりのところに立ってない状態ーでいっている戯言でしかないというと、 言い過ぎか。善悪とは、多様にあり解釈の結果でしかない。詐欺師やその手合いはその事を熟知している。 従って善良という言葉の衣服を綺麗に着こなす。 本当に世の中、悪がいる!芯からの悪党がいる。 その人間が ‘俺こそは実は性善’だと信じていたら、手のつけられない悪党になれる。それか、政治家いや政治屋向きであろう。 自分中に隠れ住んでいる‘邪悪なるものと神聖なるもの’と、とことん付きあってみれば、性善説や性悪説は 見方の一片でしかない事にきずくはずだ。どうでもいいことだが、言葉の遊びレベルでいっているだけだが。
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2010年09月21日(火)
* アフリカに魅せられて ー4 ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見たような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、 遊牧民マサイ族の生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。 野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、 バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。 このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどはカルデラの外にでることはない。 (象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに 生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。 上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。 それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。実際に地球上に、 アフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。 ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。
・・・・・・・・ 3091,猫背の話 2009年09月21日(月) 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。 腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た猫背の 初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを一年ぐらい気を 抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる直前に布団の中で全身を 伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、これでかなり矯正はした。 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。 ・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。 ・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 ・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。 ・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。 ・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2010年09月21日)ー ・・・・・・・・・ 2726, 議論に絶対負けない法 −2 2008年09月21日(日) ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、 この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。 孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より) 1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。 -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。 2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。 3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。 4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。 5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー ―ただ一つ不正という苦しみを除いては― 6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。 相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。 相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。 7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」 8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。 絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。 9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい −自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。 それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。 10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。 だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。 −− 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか! 次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。 告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、 真実は二の次になってしまう。これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。 それだけ、物語の力があるということだ。 共同幻想は、物語から沸いてくる。 そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。 ・・・・・・・・ 2007年09月21日(金) 2362, コーヒーの由来 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー ・・・・・・・・ 2006年09月21日(木) 1997, 「私」のための現代思想 読書日記 \(^▽^*)おは! (光文社新書) 著者・高田 明典 「私」とは何か、「他人」とは何か、そして他人の集まった「世界」とは何か? を解りやすく書いてある本がないかと思っていた矢先に、図書館でこの本に行き当たった。 哲学、そして現代思想で、常に言及している問題である。 この本では、<言葉><価値><社会><世界><物語><私><身体><他者>という現代思想の 主要概念を検討する構成をとっている。 この著書の中で、凝縮されたポイントを抜粋してみよう。 まずは「はじめに」の中から、ポイントの部分を抜粋してみる。 ・フランスの哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、哲学の教師でありながら、一介の労働者として工場に入り込み、 そこで辛い体験を通して、自らの思想を研ぎ澄ました。そこで工場での体験で意志の発揮の機会はことごとく 奪われてしまいました。そこで私たちは「時間の流れ」にさからうことはできません。 しかし時間の流れの中で、次に到来する時点において何をしているかを思い描き、その通りに行動することはできます。 それを人は「意志」といいます。また、「精神」とも、「魂」ともいいます。すなわち「魂」とは、 人が「時間を支配すること」です。もしも「次の瞬間」、もしくは「次の時間単位」に発生することが、 自分の意志とは全く関係なく起こるものであれば、人は「瞬間的に生きる」ほかなくなります。その自由は失われます。 ・教養とは「自由になるための技術」です。そして哲学や現代思想は、その柱の一つです。私たちに与えられた武器は、 思考であり言語であり論理である。それ以外の武器を、私たちは持っていません。 自由になるための「技術の束縛」 から逃れるためには、「技術を所有する」ことです。「お金の束縛」から逃れるには、「お金を所有」するしかありません。 所有するとは権限を持つことと同義語である。 何に束縛を感じるか、その人によって違います。 その違いは、それぞれの個人の「物語」の違いによります。物語は「人が生きていく上での行動の道筋」です。 束縛は、外部に存在して人の行動を制限するものではありません。 その人が採用する「物語」が遂行していく途上に 存在する「壁」のことです。「金銭という束縛」を感じているとすれば、それは「金銭が壁となって邪魔をする」という 「物語」が遂行中であることを意味しています。「思考による束縛」の場合は、「思考を捨てる」ということは、 すなわち「何も考えない」ということなので、その実現はかなり難しいと思われる。 「思考の束縛」から逃れるためには、「思考を所有する」ほかはないようです。 おわりに (。^0^。)ノホンジャ、マタ! ・・・・・・・・ 2005年09月21日(水) 1632, 記憶する身体、飛翔する意識 ー 日野敬三 対談集 −3 柄谷と保坂の違って、三木は本人自身が生死の淵の大手術をしているので対談の内容は、よりリアルになっている。 ー手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。努め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよー のクダリなど、挫折を何度か繰り返してきた経験から、痛いほど解る。 現在、リストラにあった人の心象風景そのものである。 以下は、少し暗いが真実の声である。 ー記憶する身体、飛翔する意識ー 三木卓 ー三木 生死ぎりぎりの大手術をして、人生の荒治療を食らったという感じは大いにありますね。 突如として目の前に「シャッター」がダーンと落ちてきたときには、やはりかなり慌てた。 多少は死のことを考えていたつもりなのに、やはり本番の覚悟はできてなかったのですね。 ー日野 『2001年宇宙の旅』というSF映画の中に、モノリスという不思議な金属が出てくる。 ツルツルの黒っぽい。 三木さんは先ほど、シャッターとおっしゃいましたが、僕はあれが目の前にスーッと現れた気がしたの。 ー三木 モノリスが?怖いな! ー三木 病室の窓から、恵比寿の町の灯が見えるんです。そうすると街のどこかのバーで僕が一杯ひっかけていてもいいわけですよ。 ところがその風景が、何か、明治時代のガス灯の世界か何かに思えてくる。その間にあるガラスは厚いですね。 驚くほど厚いガラスなんです。そこに僕が行って飲むということは素晴らしいが、もう絶対できない。 ー日野 僕は、手術の前前日、夜に病院を抜け出して、信濃町の駅の向かいの喫茶店に一人座って茫然とコーヒーを飲んだのです。 ふと見たら駅の改札口が、ひどく明るく見えるのです。そこだけ輝いて見えるのです。勤め帰りの人たちがドンドン出てくる。 以前だったら、疲れて不幸そうな顔をしているなと思うんですけど、そのときは出てくる人たちの顔が、 みんな輝いているのですよ。僕はここにいて、10~20m先の改札口の皆が帰っていく姿が、この世のものならぬ光に包まれて、 そして自分とそこの間には絶対の隔たりがあった。その光景は忘れられません。 ー三木 日野さんも僕も、シャッターが落ちたときから、そういう時間が始まったんだと思う。 僕はときどき高校に講演に行くんですが、入試に絶対に受かる方法があると、冗談めいたことを言うんです。 君達には、まだ一年があると思って悠々としているだろう。しかし、入試一ヶ月前になったら必死に 勉強しないではいられない。それは一ヶ月という時間ならそれを実体として把握できるからだ。 その実感としての時間を一年前に見通して把握できるなら、つまり一ヶ月前の時間の質と 同じように一年前の時間を感じることができればいい。きっと優秀な人間はそういう能力を持っていると思うと。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2009年09月21日)ー ーー 死を直面する時に、だいたいこんな気持ちになるのだろう。そして、ひとり悶絶して諦念するしかないのだう。 そのときの準備のために、人類は宗教をつくりあげたのだ。最後の最後は、『神様助けてください、お願いします』 になるだから心に迫ってくる。しかし、この二人は神ではなく科学的に死を見つめている。 ・・・・・・・・ 2004年09月21日(火) 1267, 書いてなかった旅行記ー2 カナダ旅行紀ー2 バンフスプリングス・ホテルが一つの芸術作品のようである。重厚な石造りの建物に、豪華なロビーとレストラン。 もちろんホテルとして、世界的に有名なホテルである。その庭先にはレイク・ルイーズがある。 いや、レイク・ルイーズのほとりにホテルを建てたのだ。朝、昼、夜(白夜)とその湖の色が大きく変わって見える。 ロビーの窓が、あたかも絵の額縁のように作ってある。早朝、その窓から見た湖の美しさに息を呑んでしまった。 白夜の11時過ぎに、一人でレイク・ルイーズの畔のウォーキングコースを散歩をした。 よそ者は入ってくるなと脅しているように稲妻と雷の音が鳴り響く、自リスや、ラッコが威嚇の声を上げる。 それが、その背景とピッタリなのである。恐ろしくなり引き返そうとした。ふと人の気配するので、目をやると若い白人女性が 一人でハイキングから帰ってきたところだった。男でも恐ろしいところをよく一人で歩くものだと感心をした。 高台から見えたペイト・レイクの美しさも心に焼き付いている。コバルトブルーの色は、過って一度も見たことのない色。 右を見ても左を見ても、全てが絶景というのがカナデアン・ロッキーの特徴である。 旅行の都度、添乗員に必ず次の質問をしていた。「貴方の主観でよいから、一番良かったところは何処ですか?」 殆どの添乗員答えは「カナダのロッキー」であった。次がスペイン。そして、インドであった。 そういわせるだけのものは確かにあった。ところで現在の私に同じ質問をしたら、迷わず、「ケニア!」と答える。 ・・・・・・・ 2003年09月21日(日) 900,『 V・E ・フランクル』についてー2 彼の言わんとすることは ー「よく働き、よく遊び、よく学べ」ということだ。 「よく」あるためには、この3つのバランスがとれてなくてはならない。 よく働くためには、よく遊び、よく学ばなくてはならない。 よく遊ぶためには、よく学び、よく働かなくてはならない。 よく学ぶためには、よく働き、よく遊ばなくてはならない。 私の場合は、 ・よく働くは、現在の事業の発展・維持である。 バブルがはじけて大変だが、5年~10年先を読んで、事業構造の変換が当面の課題である。 ・よく遊ぶは、ウォーキングや、秘境旅行、映画・TV鑑賞。 ・よく学ぶは、読書や人間・社会観察である。 この3つはそれぞれ重なり合い、同じであったりする。この「随想日記」は私にとって3つが含まれている。 「何を」という目的・目標をハッキリさせ、そのプロセスを楽しみや遊びになるまで、徹底することだ。 フランクルは死と常に隣りあった異常な状態の中で、人間の可能性を見た。その「人間の可能性」を大学に 復帰して講義をするイメージが、彼を収容所から生還させたのだ。収容所で作業のため整列して歩いている時に、 数?上から見ている自分がいたと書いていた。これなど究極の体験から生じる脳の昇華であろう。 彼のコぺルニクス的大転換は「人生に何かを求めるのでなく、人生が何を求めているか」を常に問い続ける 重要性に気づいたことだ。 それも死の収容所の究極の状況の中でだ。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日) ・・・・・・ 526,社会の変化 - 2002年09月21日(土) 日本も社会の価値観が根本的に変わろうとしている。この失われた10年間で政治も企業も宗教も権威が失墜してしまった。 一昔前の一流企業といわれるところが、倒産や赤字や不祥事で全く権威を消滅してしまった。代議士や大臣を偉いと 思う人が全くいなくなってしまった。宗教もしかり、「集り」という姿がオウム教で露出してしまった。 「家」という制度も根こそぎ変わろうとしている。 江戸時代から続いてきた「日本的家制度」が、新しい年代の出現や 我々の意識の変化で根こそぎ変わってきている。家のオモヒの仏壇も仏教がまだ権威を保っていた時の文化だ。 法事も地味なものになるだろう。農家や商家が激減し始めきたことも「家制度」の崩壊の原因になっている。 家業としての商売や職業が成り立たなくなってきた。 周辺でも多い事例として、実家にUターンで帰ってきたが、 家業が成り立たなくなり再び都会に帰っていくケースが多い。「帰ってこないほうが良かった」といって。 初めから帰ってこないケースも多い。結婚式も最近、当人が会費制度でやる地味婚が増えてきている。 家どうしの顔ミセから、本人達のお祝いの会に変わっている。家単位の行事が一づつ消滅か縮小してきている。 葬式や法事もこれに近づいてくるだろう。何かの本に、「家業一代、家二代の時代」と書いてあった。 私の場合、この十年間で年で数回海外ツアーに出ているせいか、更にこのホームページを開いたせいか、 人間関係の感覚が変わった。趣味の同じ人と、側にいなくとも何かどこかで繋がっている感覚がある。 気持ちの距離感が変わってしまった。 やはり情報革命が背後にあるのだろうか。 ・・・・・・ 2001/09/21 9・11事件は、第三次世界大戦の開戦? 第三次世界大戦開戦!ーほんと!まだピンとこない。しかし一日一日とその重みを感じる。 長期になる宗教戦争だ。怖いのは北朝鮮が関ってきたかどうかである。30~40%の確率で関っていると見る。 あの男ー金正日なら可能性大だ。その場合もちろんアメリカは原爆を使う可能性がある。 そうすると日本海側の原発がまず狙われるだろう。 ー以下字数の関係で中間をカットしました。(2007年09月21日)ー また日本は世界恐慌を狙ったイスラム過激派に狙われて当然である。 パレスチナの?2が殺されたので必ず大事件がおきると思っていたが、まさかここまでのテロをやるとは! 企業はまず生存対策に全てのエネルギーを向けなければならなくなった。 競争対策、成長対策などいっていられなくなった。一年後の世界の経済環境は想像も出来ない。 この宗教戦争の中を生きていかなくてならないからだ。それも大きいツケを払いながら。 終身雇用が揺らぎ、ついてゆくべき上司に頼む風潮がなくなったこと、「家」と「家」から「個人」と「個人」 の結びつきに変化したためである。更に仲人を頼まれるのを嫌がる人も増えているのもある。 三年前には20?がまだ仲人をたてていたが、そのサラに4分の1に激減した」という。 そういえばこの数年来の結婚式で仲人をたてた結婚式はみたことがない。 非常に良いことだ。昔から、仲人が二人の経歴を長々述べて、ただ祭壇に黙って座っている姿が滑稽で、 気の毒でさえみえた。家という制度が確実に破壊していることもある。これは決して良いことではない、 少子化の時代の現象でもある。反面、気楽に結婚して子供をつくるのはよいが、家庭を維持できなくなり、 先日の「幼児殺人事件」に見られる現象が度々起こってくる。少し減ったというなら解るが、ほぼ消滅とは驚きである。
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2010年09月20日(月)
私が行った47回の旅行は、それぞれが今だ終わってない気がする。 それぞれが続いているから、旅先をTVで放送をみる時、その延長として見ることができる。 記憶の中で現在も鮮明に残っていて、TVの旅番組で再び見る新たな記憶がプラスされていく。それはロマンチックな感傷で 語るのでない。それぞれの旅が心の奥底に「純粋持続」している実感がある。その意味で「純粋持続」の意味がよく分かる。 初めての一ヶ月間の欧州旅行の同行の友人の二人と先日、東京で会い、43年前の思い出話になった。 そして、それが昨日の出来事のように思えてしまう。 この43年間で同じ旅行先に立ち寄ったり、旅番組の放送でみたりして、 その間も私の旅は続いていたのである。 ほぼ毎日、これまで47回の旅先をBS/TVで放送している。 それを見る度に純粋持続の純粋記憶に、それが重なっていく。 それらは空間化された日常時間とは別口の〈趣味の世界〉の 引き出しに加えられる。だから、ベルクソンのいう〈純粋持続〉が実感として受け止められるのである。 純粋記憶として鮮明に残すため、写真の整理と、感想文(感傷文)にして《随想日記》や、ブログに載せる。 それは記憶、記録というだけでなく、【魂に記録される純粋記憶】になる。 それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる 瞬間像の記憶である。 そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。 趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。 好きな仕事に没頭している時間も純粋持続になる。だから仕事を好きに なるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。 ・・・・・・・・ 3090,「官僚内閣制」が終焉 2009年09月20日(日) * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」 「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著 に刺激の強い内容が書かれている。 菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から民主党への政権交代と 官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めて の大改革。この実現に全力を挙げたい。」と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。 * 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を次のように述べている。 《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。 官僚政治は省の中の省である財務省に仕切られてきた。 財務省は各省予算の査定と国税の査察の権限を持つ、これに真っ向から歯向かえる政治家は一人もいなかったろう。 そこで民主党は予算の大枠を決める財務省のコアの部分を握ることになった。 主計局は戦略局の大方針に従うことになる。 国家戦略会議に加えて「行政刷新会議」が設けられ、仙谷由人氏が担当相になった。自民党政権では「行政改革推進審議会」 「地方分権推進委員会」などを作って識者を集めた。私も土光臨調での「国鉄分割民営化」のあと12年にわたって行革審に 参加させられた。この種の官僚が事務局を務める審議会は官僚にうまくごまかされ、全く無意味だった。 新設される「行政刷新会議」が役人抜きで、政治家の判断で、運営されれば、地方分権から地域主権に至る改革にも到達できる。 内閣に100人の政治家を入れるという。今までも60、70人入れていて効果がなかったから、意味がないという批判がある。 しかし、効果を発揮できなかったのは大臣と副大臣、政務官が各派閥への均衡人事で配置され、全く“一体感”がなかったからだ。 今回は大臣が自分の同志や盟友を集めてチームとして君臨する。秘書官がついて各個撃破されていた現状とは様変わりになる。 重要案件は「閣僚委員会」で火曜、金曜の閣議の前日に行われた事務次官会議は、翌日閣議に諮る案件をすべて決める。 閣議でそれ以外のことが議題になると即、閣僚懇談会に切り替えられ、正式の議題から外される。次官会議の決定は全会一致であり、 一省でも反対すれば決定されない。貿易交渉などで日本の回答が何カ月、何年も遅れるのは全会一致主義のせいなのだ。 この仕組みでは「農業で譲って他の分野で獲る」といった政治判断は不可能だ。この事務次官会議は明治19(1886)年 から始まっているが、法令上の規定はない。明治の元勲政治以来の伝統で、自民党はこの官僚絶対の「慣習」さえ破棄することは できなかった。民主党はまず、この官僚支配の元凶である事務次官会議を廃止する。 重要案件は関係閣僚を集めた「閣僚委員会」 で決するという。 民主党の「官僚内閣制」から「議会制民主主義」へ脱却するための仕掛けは実によく考えられている。 安倍晋三内閣でも同様の発想で国家公務員法改正が行われ、渡辺喜美行革担当相時代に公務員制度改革基本法が成立した。 これに基づいて麻生内閣で仕上げの法案が作られたが、最後の段階で谷公士(まさひと)人事院総裁が首相が招集した会議を ボイコットして法案は結局流れた。行政府の一機関にすぎない人事院総裁が首相の会議をボイコットするほど官僚は増長していた。 日本の民主主義は官僚にスポイルされていたのだ。(ややま たろう)》 麻生太郎は「官僚は使うもの」と官僚を弁護して最後まで官僚に使われていることに気付かぬほど暗愚と、矢山は指摘し、 民主党が政治主導の要として設計した「国家戦略局」が、それに取って替わるという。 先ほど取上げた菅直人氏が副総理、 国家戦略担当相に就任し、ここで予算の基本方針や外交、防衛などの国家基本戦略を仕切る。これは、日本にとって 革命的なことになる。 それを阻止しようと、自民党の悪霊と、検察官僚と大蔵官僚が組んで、国策捜査を仕掛けた?が、 もう流れは止めることは出来なかった。 戦略会議に、その宦官を取り締まるCIAみたいな部局も必要になるだろう。 ことと次第によっては、アメリカのCIAも乗り込んで、大仕掛けの謀略も参院選挙まで行われ可能性が大である。面白い。 ・・・・・・・・・ 2725, サブプライム・ローン販売の現場 2008年09月20日(土) 「金融偽装」ー米国発金融テクニックの崩壊 伊藤博敏著 以前にサブプライム・ローンを扱っていたNHKのドキュメントで、ローンを販売していた人の 証言を映していた。図書館で見つけた、この著書の以下の場面と、ほぼ同じ内容だった。 こうして、世界中に、証券会社の契約社員達によってバラマカレテいったのである。 −−− P−18 販売プロセスは、綿密に仕組まれた詐欺のようなものである。しかも米国の住宅ローンビジネスは分業化しているから責任者不在で、 詐欺を働いていても、誰も罪の意識を感じなくてすむ。例えば住宅ローンを組む際に、購入者が接するのは住宅ローンブローカー。 こうしたブローカーは歩合でセールスを雇い複数の住宅ローン会社の商品を斡旋、セールスにはローン残高のー%を報酬として支払う。 それだけにセールスは必死だ。審査が緩いのをいいことに、自己申告で収入と仕事を記載させ、借り手に不利な重要事項は教えず、 最初の金利は安くして支払い可能なローンと思わせて売りまくった。サブプライムローンが好調な時には、年収100万ドルのセールスが ざらにいたという。こうして、最初の2年は金利が6%で残り十数年が十数%といった無茶なローンを組ませた住宅ローン会社は証券化で 「貸し手責任」から解放され、証券化した金融機関は格付け会社や債券保証会社の信用供与で責任を逃れる。 この「負の連鎖」の特徴は、誰にも責任が及ばないことだった。 この実体経済を揺るがす金融商品は、住宅ブームを演出したい という金融当局の思惑によって生まれていた。そこには「マエストロ(名指揮者)」とまで呼ばれて尊敬を集めた 米国FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン前議長もいたという。 P−24 (字数の関係でカット2009年9月20日) ・・・・・・・・・ 2007年09月20日(木) 2361, 閑話小題 ー新潟駅にビック・カメラが出店ー 来年12月にオープンする新潟駅内のビルに「ビック・カメラ」がオープンと新聞に発表されていた。 現在「ヨドバシ・カメラ」がオープンしているので駅再開発の前に、このビルに移転するのではと予測をしていたが、 何とヨドバシの競合相手の「ビック・カメラ」になった。 現在のヨドバシ・カメラは1500〜2000坪あるかなしかで、 同じ商品構成では今度のビッグ・カメラの3500坪とでは闘いにならない。こういう場合、カメラとパソコンなど品種を絞り、 闘いを挑むしかない。秋葉原ではヨドバシ・カメラが超大型店を出店したら、多くの中小規模の量販店が撤退か廃業を 余儀なくされたばかりである。ヨドバシも闘いは無理と判断するかどうか? これで、新潟駅が俄然面白くなってきた。 (字数の関係でカット09年09月21日) ー阿部首相の退陣についてー あっさりと安部首相が退陣することになった。福田で決まりのようだが、その手腕は未知数である。 経歴、年齢からいっても短期内閣で終わるのは誰の目にも確か。しかし民主党も心もとないことも確かである。 小沢はアメリカの共和党が次の大統領選挙では民主党に取って代わることを読んで、 思い切った戦略を組んでくるだろう。そのため思いもよらない事態が起こるかもしれない。 その前に、政界の大編成が起こるのだろうか・・・。安部と小泉では、やはり力量が違ったということか。 それにしても、阿部は損な役回りをしたことになる。総選挙の敗戦時が辞め時だったが、その位のことも解らなかったと いうこと。一昨日のネット上で「阿部首相が自殺未遂!」という情報が飛び交ったというが、有りそうな話である。 彼も一年もすれば立ち直ってくるだろう。 それが政治家というものだ。 ・・・・・・・・ 2006年09月20日(水) 1996, 悪筆ー3 才八∋ウ_〆(∀`●) =もっと「きれいな字!」が書ける本= 読書日記 (字数の関係でカット2008年9月20日) ・・・・・・・・ 2005年09月20日(火) 1631, 愛か、夢か、それが望めないなら仕事を! この連休前に借りてきたDVDの『フライト オブ フェニックス』の一場面の、ある男のセリフである。 砂漠の真ん中で墜落した飛行機から一人絶望のうえに脱出しようとした男が、助けに行ったリーダーに向かって言うセリフである。 「この状況では愛など関係ない、ならばせめて夢を与えて欲しい。それも無理なら仕事を与えて欲しい! ただ死を待つのはもう耐えられない!」極限の言葉である。 それに対して、「あくまで援助隊を待つべし」という方針だったリーダーは、その考えを変える。 この言葉は人間のあるべき姿を全てを言いあらわしている。 ・人間の一番だいじなことは、「愛」 −暖かさ ・次に「夢」を持つこと −方向 ・そして、それを可能にするための「仕事」 −力ー愛と夢を支える力ー現前の気晴らし? である。 リーダーとしても、人間にとってもこの順位は変わらない。 どれも、決して侮れないことである。極限では、この一つも見出されないのが人間の姿である。 極限の中にこそ、これを見出せるかどうかが試されるのだろう。何気ない映画の一言にドキッとした。 ー検索で調べた荒すじをコピーしておきます。 閉鎖された石油採掘所のスタッフと廃材を運ぶ運搬機が、巨大な砂嵐に遭遇し砂漠の ど真ん中に不時着する。毎度お決まりの仕事を無難にこなすだけだった貨物機操縦士のフランク(デニス・クエイド)は、 自分たちの状況が最悪なのを察し、助けを待つしかないと悟る。しかし、コスト削減のため採掘所を閉鎖した本社が、 彼らの捜索部隊を出す予算など持っているわけがないことに気付き、彼らは絶望の淵に立たされる。 その中で正体不明だったエリオット(ジョヴァンニ・リビシ)が不時着した貨物機の 破損していない部分を見つけ、彼らはここから新しい飛行機を造ることを決意する・・・。 1965年製作の「飛べ!フェニックス」をリメイクした作品。 砂漠の真ん中で遭遇した事故により 過酷な状況に陥った生存者が、砂漠から脱出を試みようと飛行機造りに奮闘する姿を描く。 飛行機の残骸から新たな機体を造るという荒唐無稽なアイデアと軽快な音楽とが相まって、 過酷な状況である筈の生存者達の姿には、悲壮感や緊迫感があまり感じられない。 この点は賛否が分かれるだろうが、心理描写よりも飛行機造りをメインに据えて展開する ストーリーは思い切りが良く、映画ならではの面白みがある。 シンプルで解りやすいストーリーはテンポ良く進んでいき、すぐに作品の世界に入り込むことが出来る。 ラストは容易に想像できてしまうものの、冒頭の飛行機墜落のシーンや飛行機造りの過程で次々起こるトラブルは、 観ていて飽きることがなく最後まで観賞する事ができる。 気楽に楽しめる娯楽作である。 ・・・・・・・・・ 2004年09月20日(月) 1266, 仲人制度が消滅? 新聞に出ていたことだが、「結婚式で仲人を立てたカップルは4・6?と、前年より3?近くも減少。 20組に1組以下になった。 首都圏では、僅か1?しかなく、制度としてほぼ消滅した。 終身雇用が揺らぎ、ついてゆくべき上司に頼む風潮がなくなったこと、「家」と「家」から「個人」と 「個人」の結びつきに変化したためである。更に仲人を頼まれるのを嫌がる人も増えているのもある。 三年前には20?がまだ仲人をたてていたが、そのサラに4分の1に激減した」という。 そういえばこの数年来の結婚式で仲人をたてた結婚式はみたことがない。 非常に良いことだ。 (字数の関係でカット2010年9月20日) ・・・・・・・・ 2003年09月20日(土) 899, 《V・E・フランクル》について 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。 人生丁度まがり角であったためであろう。その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。 彼の「意味」発見のための3つの問い ・「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」 ・「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」 ・「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」 この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』『満たすべき意味』 を発見するための手がかりになると、フランク心理学では考えている。 特に以下の分析には深く納得をした。 ー自己超越のための3つの意味(価値)ー 1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術 ー力への意志 2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛 ー愛への意志 3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで 得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化 ※自身が何らかの喜びに満たされていること ー知への意志 人生には発見されるべき価値や意味がある (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる) (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である) (3)人生の意味 (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す) ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である ー私が読んだ本は以下であるー ー以下は、字数の関係でカットー2007年09月20日 ・・・・・・・ 525,光ファイバー - 2002年09月20日(金) 昨日から、会社のランが光ファイバーでネットされた。今までの電話線の10?安いネット料金で コストパフォーマンスはよくなったが、諸経費等が65万である。1~2年で元はとれるが、それで1000倍近い速度だ。 自宅では来月半ばに入る。長岡で導入の一号だそうだ、その証明書も出してくれるという。 何か営業に強引に加入されてしまったが、一号の証明書をもらって我慢だ。 月9000円で、来春5800円に下がる?そうだ。電話代が無料になるから、その辺が入り時という。 ブロードバンド ポルノと検索入力して、はじめは 定番から入るしかないか? 「ブロードバンドと何々」の何々をこれからキーワードに意識をしていくと、面白いものに行き当たるだろう。 愛犬家だったら犬と入れると犬の画像が出てくる。おしゃべり日記といれたら、何か話している人の画像が出てきたりする? 自宅ではADSLが一月前に入ったが、早速ブロードバンドとポルノと入れたら、リアルな映像が出てきた。 それから見ていないが、あれはこっそり見るもので、パソコンで見るのに適してない? 美術館とか博物館などが早速取り入れてくるだろう。 それとサービス関係のホームページも。 これに携帯が連動してくると、さらに面白い時代なってくる。 今まで写真中心の海外旅行のホームページが、 写真が出てくるまで時間がかかりすぎて、見るのに躊躇していた。その問題は軽くクリアーするだろう。 二紙とっている新聞を一紙にしようかと、今月中に結論を出す。トレードオフだ。 以前は3紙とっていたが、日経をまずやめた。この時はWOWOW に加入した時だった。 次は朝日か?新潟日報か?どちらを残すか。 会社に行けば見れるのだから。 今の若い人は新聞を見ない傾向にあるという。インターネットでネット新聞を見ているという、 もちろん無料だ。 死亡広告がなかったら日報もやめたいのだが、全くつまらない! 考えてみたら、とってないのもいいかもしれない??!新聞社の斜陽が更に進むだろう。 ヒカリファイバーで3年先には大きな社会的な変化が進むだろう。 ・・・・・・・ [151] 世間様 2001/09/20 「世間とは現実にドップリつかった馬鹿な4^5人のこと。」 浪人を重ねるうち悟ったことである。それは諦めと醒めた視点から感じたことだ。 現実とは世間とは「教養のない馬鹿な女と女みたいな男の現象世界」でしかないことを。 それが馬鹿な彼女・彼等にとって、現象が全てだからそうなのだろう。 世間の目、世間様とかは自分の(自己の範囲を自分というなら)日々の泡でしかないのに。 それが解ってないから前に書いたチンドンヤや子狐が出てくる。 その言葉に呪縛されて、一生終えてしまうのが95%いやもとっと多いのでは。 世間様に笑われないようにとか、世間様に迷惑をかけないように!これも大事だろう。 城下町街はこの世間様の世界に入る。彼らの情報(噂)は下ネタか夜逃げか不幸,それを皆で楽しんでいる。 社会と世間の言葉の違いを定義つけておかないと!こういう世界に迷い込んでしまう。 ーーーーーーー (10年近く前に書いた文章に似たような内容をコピーしておきます。) −H0407城下街小唄ー 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。 その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。 その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。 彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、 彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ” の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。 (字数の関係でカット2010年9月20日)
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2010年09月19日(日)
* アフリカに魅せられて ー3 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が遅れていて、その分アフリカ的である。 まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと地続きであり、ケニア側をマサイマラ、タンザニア側をセレンゲッティという。 その広大な草原をヌーとシマウマが楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。 その群れにライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス領、タンザニアはフランス領だった。 ケニアもタンザニアも、サファリが大きな観光資源になっていて、国立公園内には現住民を除いて観光客以外に入ることができない。 サバンナで時おり現地の鮮やかな布をまとったマサイ族などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。 草原に彼方此方にいるのではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。 ヌーとシマウマの群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 群れがいないところで、ウサギや ジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。 大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。 そのサバンナに6メートル位の土の道路が何処までも続いている。走行中に他のサファリカーは、ほぼ見かけることがない。 そこを同行のジープ数台で激走するのである。車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に立って胸から上を外部に出せる。 そこで外を眺めていると、たった一人でサバンナで走っているような錯覚になる。 車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。自分より強いという認識があるという。 だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。しかし、時おり像のボスが襲うことがある。 ボツナワのサファリで、その現場を直接見たことがあるが、乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。 特に危ないのが、離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。ケニアで、早朝に10人位のマサイ族が 逃げてきたところに出くわしたことがある。我われのジープを間に入れて、クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人がライオンの群れを撮影をしていて、つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、 群れに生きたまま食べられている映像を見てしまった。何でもありである。 ・・・・・・・・ 3089,つれづれに-閑話小題 2009年09月19日(土) ・民主党政権が発足したが、問題は、公約が守られるかどうかだ。 100年以上の官僚内閣制度を打破できるかだ。 検察と国税と土建の国土省の狡猾な宦官をコントロール出きるかどうかだ。戦略局が次官会議に取って代えるところがミソ。 自民党も政権を下りてしまえば、官僚内閣の小間使いでしかなかったのが露出したことになった。 今度は、民主党が、彼等にどう取り込まれるのか、それとも首輪をはめられるのか? そのバトルが生々しく劇場化してくる。 国民による自民、官僚パージが、この選挙だったのである。 ・中小企業と個人の返済3年猶予というが、実際に行われるのかどうかだ見ものである。 徳政令ということだろうが、そうでもしないと、来年早々、日本経済は大きな転換期になる。 中小・零細企業の倒産ラッシュである。 せざるを得ないということだ。 銀行も、反対するが、 逆に政府も間接救済になる。 自民党政権も、大手銀行の使い走りだったので、このような発想そのものが 出ないのだろう。自民党よりの読売新聞が「自民党よ、堂々たる与党に」だと、更に破壊しないと無理。 ・一週間後の国体に向けて、新潟市も慌しくなってきた。 当方のホテルもである。 宿泊は、選手よりマスコミとか、運営関係の役員とかが中心のようだが、色いろ細かいようで現場は大変のようだ。 身障者の大会も含めると半月の間は新潟市は満杯になる。問題は、終了後のことだが、それは、その時に考えるしかない。 しかし、来年になると新潟にある火力発電の増設工事が始るようだ。柏崎刈羽の原発が当分フル稼働が出来ないので、 新潟の火力発電を増やすしかないとか。 景気の落ち込みで、柏崎刈羽のマイナスを吸収したと思っていたが、そうでもなさそうだ。 いずれにしても大変である。 どの程度か分からないしし、当てには出来ない話だが。 ・・・・・・・・・ 2724、世界恐慌の結果、どうなる? 2008年09月19日(金) 恐慌になると過去の事例から、30?売り上げが減り、それに耐えられないところから消滅を始めるという。 毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に一度の恐慌が始った。 アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて思え懐かしい。 アメリカで震度6強の大地震が起こったのである。 そして、大きなウネリが起こってしまった。 それは大津波になり日本のみならず世界中に押し寄せ始めた。 津波と違うのは何年にもわたることことである。 ところが日本は政治的空白の事態で、頭がないのが現状である。 これは2001年の9・11事件に匹敵するか、 それ以上の出来事。大津波を、現象としてイメージしてみると、数年以内に既存の会社の半分は倒産、いや、 そんなものではないか? 銀行、特に地銀以下の過半数が消滅、ハイパーインフレが発生、失業率が二倍、 国家非常事態宣言が出て、銀行口座の閉鎖? 現在考えられるのは、その辺だが実際は、この程度ではないだろう? 100年に一度の世界恐慌なのだから。 それも一番の直撃を受けるのは日本。どうすることも出来ないのが アメリカの隷属国家の運命である。次は、アメリカの証券会社二位のモルガン・スタンレー。 緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。そして、シティーバンクが次のターゲット。 数年前まで日本を買いあさっていたアメリカの金融機関の惨状、ザマ〜ミロと言えないのである。 そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、果たして会社はどうなるのだろうか? 逃げも隠れも出来ないが、生存に全てをかけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルになってきたということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。 そして、次に来るのは中間層が総下層になる。 社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時と同じような現象になる。 年末から100円以下の株価の会社は銀行のしめつけで、次々と倒産が始るだろう。 日本型社会主義の完全崩壊である。 第二の敗戦が表面化してきたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは思ってもいなかった。 私自身、2008年9月16日14時をもって、「世界恐慌」と判断した。そう判断すると震えるほど恐ろしい。みる目が全く違ってくる。 みる目が違うと判断も違ってくる。私の人生で、過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、まだ実感が少ない。 茹で蛙になってしまったのだろうか。現実に信じられような大混乱が直ぐに始るだろうから・・、 いや始ったのである。ゴールドや、資源を持っている国は、それを担保としてあるから、立ち直りが早い。 しかし、体力のない日本の行く末は・・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 ・・・・・・・・・・ 2007年09月19日(水) 2360, ギリシャとエーゲ海の旅 −6 ーギリシャ旅行の総括ー (1) この旅行で言いたかったことはホボ書きつくした。去年のケニアを除けば、北イタリア、オーストリア、 スイスと欧州が続いている。やはり何処にいっても、欧州は数千年の間に積み重ねられた豊かさと文化の深を実感する。 観光地の一部だけを見たにしても、アジア・アフリカとは根本的な格差が解る。 レジャーにしても、長年の間に洗練されたセンスが違う。人生を楽しむことに長けている。 またクルーズをするならカリブ海クルーズだろう。底抜けの明るさと太陽は、またギリシャとは違った味わいがあるだろう。 メキシコに行ったとき、一日だけメキシコのリゾート地のカンクンに泊まったが、カリブ海を臨む高級リゾート地の雰囲気は 何ともいえなかった。クルーズ船に乗ってカリブのバハマなどの諸島を巡ったら、思いもよらない景色に出会うだろう。 「求めよ!さらば与えられん」である。今回は殆ど無駄のない日程が組んであった。旅行は、続けてこそ当たりも外れもある。 当たってばかりでないのが、よい。外れがあるから当たりもあるのである。人生と同じである。 出発前にギリシャの各地で山火事のニュースが流れた。行く前に、誰かに「大丈夫ですか?」と聞かれたが、 「大丈夫! 九州の鹿児島辺りの一部で火事が起きているようなもの。イメージでしかないし、絶対に日程が狂ったりしない。」 と答えた。案の定、旅行の最後の方で地元のガイドが少し話しただけで、遠い遠い何処かの話でしかなかった。 そんなものだ。逆にいえば風評は恐ろしい。エジプトはギザのピラミッドと、エジプト考古博物館に行った。 二回目である。エジプトの遺跡はルクソールだけでも世界の遺跡の5〜6割以上ある? (現地ガイドの説明で真偽は解らないが)というが、その中でもこの二つは一番の見所であった。 良いものは見れば見るほど、その素晴らしさが見えてくる。前回は、この二箇所をじっくり見ることができなかった。 いま一度どうしても行ってみたかったので、丁度よいタイミングであった。特にカイロの考古博物館は、素晴らしい。 その中で圧巻は、ラムネス?などのミイラと、ツタンカーメンの「黄金のマスク」と、副葬品である。 それらは現在でも通用するものばかりである。今回旅行で解ったことだが、ナイル川クルーズがあるという。 今度チャンスがあったら、是非乗ってみたいクルーズである。もしエジプトを計画しているなら、これはお勧め。 ・・・・・・・・ 2006年09月19日(火) 1995, 世界の絵画50 −2 おはよ〜!(*^ワ^*)i 不安の正体 ームンクの「叫び」 不安感を絵で表現するとムンクの「叫び」になる。あれは恐怖の叫びとは違う!不安の叫びである。 人間がいきている限り、不安は常に付きまとうものである。生きていること自体が不安の原因となる。 これが 先日、ハイデッガーについて書いた中にある、「不安」の本質である。 「不安とは現存在として最も根本的な気分である」という。 彼によると現存在は世界内存在として理由もなく この世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。 とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての根源的開示がはじめて生起すると・・ 誰でも漠然とした不安が夢の中で熊の姿で現れたり、金縛りになったりする。 その根源が現実社会と思っていたが、「死」の可能性を前にしての不安というのも納得できる。 恐怖は具体的な恐れであるが、不安は漠然とした恐れである。 その正体が「死」である。 もう一つは変化そのものであるが・・・ 難しくなるので、「変化」のテーマで書くことにする。 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪ ところで、新聞にノルウェーのオスロのムンク美術館所蔵の強奪された「叫び」が発見された、と報じていた。 この「叫び」の男は、絵の中で表現された人物として、絵画の世界で有数な有名なキャラクターになっている。 ムンクは、この男の絵を通して不安を表現したかったようだ。彼は、この絵に対して、次のような言葉を残している。 ー友人ふたりと歩いていたムンクは、ひとり立ち止まって、太陽の沈んだあとの、血のように赤くなった雲を見た。 友人はそのまま行ってしまったが、ムンクはそのとき、恐怖と不安にふるえながら、自然の大きな叫び声を聞いた。 そして、この「叫び」を描いたーという。 彼は自分のその時の体験をそのまま描いた絵であり、 その男は、ムンク自身の姿である。この絵には中央の雲の部分に小さな字で、「こんな絵を描けるのは狂人だけである」 と書き込みがある。ムンクは1863年、ノルウェーのロイテンで軍医の子供として生まれている。 5歳にして母親を亡くし、その9年後、母親と同じ結核で姉を亡くし、32歳で、父親と弟が亡くなっている。 そして、妹も精神を患い、病院に入れられてしまう。彼は「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守ってくれた 黒い天使だった」という言葉を残している。 ー「世界の絵画50」より抜粋ー 正に「病と死と狂気への不安感」が大きく口を開いている。この絵は人間の不安感という黒い闇を鋭く描いた絵である。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月19日(月) 1630, タクシー業界の実態は! ホテル業をしていると、生々しいタクシー業界の話が入ってくる。 平均して週一割りで外で飲んでいるが、健康の為にタクシーに基本的には乗らない。年に数回?位だろう。 たまにタクシーに乗った時に運転手に実情を聞くと、信じられない内容が返ってくる。 「月の収入が、手取りで15万円で一家三人でギリギリくらしている。家内がパートに出ているから何とか生活している。 高校出の新卒の給与より安いのは惨めだ。直ぐにでも辞めたいが、同僚が辞めても直ぐに新しい運転手が入ってくる。 とにかくお客が乗ってくれない」等々である。ある新聞のコラムに、韓国・ソウルでタクシーに乗って景気の話ができないという。 その話になると、運転が急に荒っぽくなるという。タクシー業界は一番、景気の敏感である。韓国の景気もひどいらしい。 先日チラシに目を疑う内容があった。『成田まで10000円、羽田まで8000円ー全ての経費込み スーツケースも運びます。 (字数の関係でカット09年09月19日) ・・・・・・・・・ 2004年09月19日(日) 1265, 少し際どい、「とある話」 かなり危ない話は、実際のところ随想日記では書いてない? といって、「エッ!」という話は、よくあることである。??日位前のこと?、あるところで飲んでいた。 カウンターの隣で、人品の良さそうな二人連れが気持ちよく歌い、帰っていった。 その一時間後、帰ろうとしたところママさんが「あの人が、例の人なの!」 ただ「 」 その店で、何回か「??!!」の話をしていたと思うが?! 具体的には、もちろん書けないし、40年以上も前の封印された事件である。 少し際どい話になったが、今となっては殆どの人が知らないし、この文章だけでは、誰だか解らない「とある話」だ。 以下の詩の、その人である。 ・・・・・・・ こころにのこった詩ー2 2002/11/26 ビートたけし ー兄弟ー 兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた 初めて見た外国の映画は何か悲しかった ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ 兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に 殴られて、お金をとられた 帰りのバス代が一人分しかなく 兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした 僕はバスから飛び降りた 兄ちゃんと歩いて帰った 先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた 僕も泣きながら歩いた −−−− ーこれを読んで子供のころの出来事を思い出した 詩的に書いてみるー 小学校の低学年の頃、兄と歩いていた 兄が急に頭に手を当てた 帽子を取ると頭が血だらけだった 兄はそれを見て泣き出した 帽子に穴があいていた すぐに誰かが空気銃を撃ったのだと思った 近くに不良の中校生がいた 彼だろうと思った 兄の手をひいて帰った その問題は大きくはならなかった それから10年経ってその少年は??事件をおこした 「ざまみろ!」と思った ・・・・・・・・ 2003年09月19日(金) 898, 携帯TV電話を買った! ある飲み会で、ついに「携帯TV電話」を持っている人がいた。 数回飲んでいたが、携帯TV電話を持っているとは知らなかった。今年の4月に28000円で買ったという。 アニメ系ソフトや携帯電話などのソフトの開発の仕事をしている為、利用価値があるのだろう。 仕事仲間の殆どが携帯TV電話を持っており、仕事内容の打ち合わせに最適だといっていた。 東京の仲間内の事務所にカメラが据えてあり、よくアクセスするとか。 また音楽が大好きで幾つかの録画をダウンロードしてあり、フルに使っているという。 「普通のiモードの携帯の10倍の価値を感じる」といっていたのを聞いて私も買うことに決めた。 実際に手にとってみて、SFの世界にいるような気持ちになった。 その人がアクセスした事務所の照明をつけたり消したり、室内の音声まで聞こえてきたのには驚いた。 まずはアダルト系とか、出会い系サイトに利用されるだろう。まだ綺麗なTV放送は見られないが、 あと数年経つと今とは全く違った画面が見られるようになるという。 メーカーの研究所で次世代の液晶画面の開発がすすんでいるとか。 まだ買ったばかりで殆ど利用方法が解らないが、これは面白そうだ。カメラ付を来月にでも買おうとしていた矢先、 思わぬキッカケでTV付を買う羽目になってしまった。値段は1万9800円で半年で三分の二に下がっていた。 もちろんカメラ機能が併設してある。私の場合、周辺では誰も持っていないので、他人の公開している部屋や事 務所でも覗き見してみるつもりだ。そう、スナックや居酒屋の店内を覗くのも面白そうだが。もう少し使い込んだら 再び話題の取り上げてみるつもりだ。それより紹介してくれた相手とTV電話をして使いかたを教わるのが一番実用的だ。 これを持っている??でもいたら一番よいのだが、無理か。 ・・・・・・・・・ 524,北朝鮮を考える 2002年09月19日(木) 解りやすく北朝鮮を要約するとー 得体の知れないマフィアの親子が国家を乗っ取ってしまった。 そして?鹿息子が自分を「偉大なるドン様」と国民にいわせている。 ・やりたい放題、偽札は国家単位で生産する。 ・武器を狂信的国家に製造して売りつける。 (字数制限のためカット 2010年9月19日) ・・・・・・・・ 「再びホームページ‐5ヶ月 の実感」 2001/09/19 ・個人のサテライト・スタジオだ。 ・個人の応接間だ。-WEB上に開いた個人応接間。 ・個人のお店だ。 ・個人の自己実現の場だ。 ・個人の楽しい過去の行蔵、楽しい今の楽しみの場、 楽しみな未来の計画の場。 ・唯我独尊の独り言の場。 ・この5ヶ月間の全エネルギーを注ぎ込んだ。 ・自分がどんどん変化していくのが面白い。 ・過去の内面に溜まっていた何かが一挙に出てくる感じだ。 ・文章力が飛躍的についた。 ・なんといっても1日30分も触ってなかったパソコンを、5〜6時間以上触るようになった。 ・パソコン教室に通うようになった。 ・同時に多くのソフトを知った。 ・写真をメインにしたアルバムホームペイジから始めるのが一番の早道である。 以上であるが、これから1000項目のテーマを随想日記に書き込むのを目標にしようか。
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2010年09月18日(土)
リーマンショックから、二年経過し三年目に入った。100年とも、250年に一度の激震と言われる。 アメリカでは、証券大手の殆どが瞬時に消滅、シティーバンクなど幾つかが大手銀行も政府管理会社になり、 ビッグスリーのGM、クライスラーも政府管理の事態になっている。日本のバブル崩壊で、大手銀行が20社から 三社に集約されるまで10年も要したことからみれば、迅速である。日本では今のところ目だった大手では日本航空ぐらい なのは不思議と言えば不思議である。まだ表面化はしてないが、まずは関東・東海ベルトラインを除いた地域経済は惨憺たるもの。 悪いことに政権が民主党に移行し、人間に例えれば脳がマヒ状態で、この難局に国の方向が定まらない無政府状態。 このまま、この激震のクライマックスに入る2012年を迎えることになる。デフレから悪性のハイパーインフレへの転換である。 現在は円高だが、さらに恐ろしい円安が日本経済を襲うことになる。まだ表面化してないが、ある日、株と国債の暴落から 始る激しい恐慌の本番は、激しく我われの生活を襲ってくる。悲観的だが、それが事実なら認めざるをえない。 これに情報化社会の進展によるグローバル化が、世界をフラットにしていけば、これまで東西冷戦の狭間で、大きな 恩恵を受けてきた日本が、普通の国並みに豊かさが損なわれるのは当然である。それが、現在の日本の衰退である。 情報化、グローバル化、フラット化の流れは、もう止めることは不可能である。これまでの常識は根底から破壊され、 全く違った価値観が通用する時代に既に入ってしまった。情報、軍事、金融を支配しているアメリカは、当面は勢力を 保つだろうが、中期的にみれば衰退は免れない。それに対し、中国・インド・ブラジルなどに覇権の重心が移動するのは 避けれないこと。その中で、日本はアメリカの更なる植民地化が進むことになる。毒素が脳までやられてしまったのである。 その一つの現象が、現政権のトップ達に、そのまま現出しているとみると、ニヒルな笑いが出てきざるをえない。
・・・・・・・・ 3088,挫折を考えてみようか −3 2009年09月18日(金) ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。 そこで改めて考えてみた。 大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない? 金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという実感はあった。創業を目指して彷徨いながら 準備をしていたという明確な絵図があった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」という指摘も正しいことになる。 先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。そうこう考えると、挫折と軽々しく言わない方がよい!ということ。 ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」とあった。 挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンスになり、竹の節目に譬えることが出来る。 そこに大きな鍵が隠されている。 超越者の声に敏感になることもある。 それまでが横の時間なら挫折の時節は縦の時間。 「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 物語なら、そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の 「転」の時になる。挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。 「予定挫折」という言葉がある。 挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場にするのである。 そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、 それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は勘違い? しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と、何人かの知人から聞いて驚いたが一番傷つきやすい時期の、 それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でもなんでもない。 また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。 最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。 予定挫折ともいかないし。 幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化すこともないが・・・ 「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。 「日々是挫折」 =「日々是口実(好日)」 ・・・・・・・・・・ 2723, アメリカ発、金融危機の始まり! 2008年09月18日(木) AIGが一昨日、1ドル台まで下落したが、アメリカのFRBが昨日になって9兆円の融資を決めたことで、 当面の倒産を回避した。FRBがリーマンと同じスタンスをとれば、倒産になるところだった。 世界中が一瞬、息を呑んで見守っていた決定であった。NHK海外衛星TVで、ジョージ・ソロスに インタビューをしていた。「これで問題が解決をしたのではなく、小さな目先の問題が先送りをされただけ、 次から次へと同じような問題が出てくる!」と、大恐慌の到来を匂わせていた。 アメリカ政府が80?の株式を持ち、切り売りなどしてソフト・ランディングをさせる方針だ。 アメリカの上位数社の壊滅と、AIGの政府の倒産の危機は9・11事件に匹敵する金融の大事件。 一つ間違えれば世界の金融は崩壊の危機に立っている。これが序曲でしかないのは、誰の目にも明らか。 ボロボロ世界中から、大問題が次々と発生してくるのだろう。 恐慌が始ったようだ。ある日、手に負えないような ハイパーインフレが発生し、スタグフレーションになる。考えただけで恐ろしい日々になるのである。 メルリリンチが、もしBOAのリーマンを買収が決定すれば、次にターゲットが自社に来ることを察知。 恐らく財務関係者から救済がないことを知らされて、急遽BOAに売却を申し込んだのだろう。 メルリチンチの倒産の方が更に衝撃が大きかっただろう。 映画のような非常に緊迫したヤリトリがあったのだろう。 リーマンでも負債総額が64兆円というから。日本でも各金融機関は大きな損失を被るだろう。この混乱は、 今後大きな尾を引く。これまでとは全く違った金融環境になることは自明。 日本でもあったように、 資金の貸し渋り、貸し剥がしが、アメリカのみならず、世界中で起こる。 やはり世界恐慌が始ったのである。 欧米各紙は、「ブラック・サンデー」と命名したという。それか翌日の15日の荒れた月曜日ということで、 「ワイルド・マンデー」ともあったが、ドチラが定着をするだろうか?昨日の為替・株式、世界中の国家が、 その維持に必死だったのがうかがえる。日米欧、二日で36兆円、というが、そんなものではないだろう。 すざましい攻防があったはずである。2001年9月11日をもって時代が様変わりしたように、 この9月15日をもって経済が様変わりをしたのである。その意味で、歴史的な日になってしまった。 アメリカで大地震が起きれば、日本に大津波が押し寄せる。それも数年にわたって何波もである。 銀行と企業の倒産の嵐、円安、株の暴落、政情の不安定、失業率の増大、資産の海外への逃避。 考えただけでも恐ろしくなる。 その中で経営していくのもソラ恐ろしい! 大津波の場合、全てを捨てて高台に向けて逃避するのが助かる唯一の方法。 具体的に、如何いうことか走りながら考えようか? 日本人には「マレーシア沖地震の大津波を、 アメリカの大地震の津波と類推する」ことさえできない。そういう私も、そうかも知れない。 戦後最大の日本の危機であることを実感してないのでは?僅かな、貯金を直ぐに金に換え、AIGの預け金を何をして・・、 今更何をしても変わらないか!ソ連の崩壊時に、政府高官とか、マフィアは自分の資産を海外の口座にドル建ての預金を しておくとか、秘密金庫に貴金属に替えて預けておいたという。その人たちが、崩壊後に資本家として現在、君臨している。 ・・・・・・・・・ 2007年09月18日(火) 2359, ギリシャとエーゲ海の旅 −5 才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪ ーエーゲ海クルーズー クルーズといえば、過去に香港クルーズの経験がある。香港からフィリッピン周辺の海域をクルーズするのだが・・ 何社かの旅行代理店の共同企画だったが、{参加者が少ないため体裁を整えるため御得意に三分の一の値段でどうか} というので参加したことがあった。クルーズが、こんなに楽しいとは実際、参加して初めて知った。 朝から晩まで何かしら船内で企画があり、それ以外は甲板で日光浴かウォーキング。決して飽きさせないノウハウを 企画者は持っているのである。そこに日本の老女の未亡人が、ほぼエンドレスで参加していた。 日本で生活しているのと生活費は同額?なら、よほど国内より楽しいという。スタッフは親切にしてくれるし 解らないでもないが、それは人生の甘い辛いの全てを経験した後のこと。ところで、この実質三泊三日のクルーズ朝から 晩まで飽きることのない日程。むしろ、時間、いや体が足りないぐらい。三日間、午前・午後と分け4時間、 地中海の小島の遺跡や観光地に上陸する。それぞれが深い歴史と味わいを持っていて世界中からの観光客に親しまれている。 確かにエーゲ海をバックに見ごたえのあるものばかりで、バカンスの極致だろう。それをカジュアル?に組んであるのが、 欧州の欧州たる所以である。毎日午前と、午後か夕方に分けて、二回エーゲ海の島にある観光地に上陸。 移動は夜間か、昼飯から午後の暑い時間に船でするから合理的である。客船を移動ホテルと見立てれば、こ れほど便利な手段はない。それと、エーゲ海での甲板の日光浴が良い。今回のクルーズで立ち寄ったサントリーニ島や、 ミコノス島などは、珠玉の島という言葉がピッタリである。地中海、エーゲ海沿岸の豊かさは観光地とはいえ 目を見張るものがある。世界の大金持ちのお遊び場を垣間見た思いである。 ヾ(・ω・`)ノバイ ・・・・・・・・ 2006年09月18日(月) 1994, 悪筆ー2 (。^0^。)ノ オッ ーもっと「きれいな字!」が書ける本−2 (字数の関係でカット09年09月18日) ・・・・・・・ 2005年09月18日(日) 1629, 戦略的思考についてー3 戦略的思考としての「質問」を幾つかの本からランダムにとりあげてみた。(戦略的でないものも含まれるが) ・その意味は何だろうか? 何故?何故?何故?何故?何故?何故? 何?何?・・・・・ ・私が長期にわたって成し遂げたいことは何か?私にとっての価値あることとは何だろうか?自分を使って何をしたいのか? ・それが可能なことは解っている・・・しかし、やる必要があるだろうか? ・ここで新しく学んでいることは何ですか? その目的は? ・それを仕切るのがあなたなら、どんな手段をとりますか。 ・なぜ、ずっとこの方法でやってきたのですか? その方法で本当によいのですか? ・もっと前向きな方向に進めるために一つ決断を下せるとしたら、それは何ですか? ・お客にもっとも必要とされ、やりがいのあることは何でしょうか? お客に私たちが提供できるものは何でしょうか? ・顧客にどんなことを尋ねるべきでしょうか? ・自分のスキルを向上させるために、今日は何をしましたか? ・誰もが、果たすべき役割を持っている。その役割は何だか考えていますか? ・いま起きている変化は何ですか?そして、それに対する対応は如何しているのですか? ・あなたはどういう人生を送りたいのですか? 今日、その一日を過ごしたといえますか? ・・・・・・・・・ 2004年09月18日(土) 1264, 自己喪失感 10年から20年前のことだが、喪失感?に捉われたことが何度かあった。自信喪失というか、虚無感というのか。 このような心理状態を、誰からも直接は聞いたことがない。誰も黙って、こころの奥に閉まっているのだろうか。 「自分は全くの無能者で、何にも中味も蓄積もない。 今まで生きてきたが、全て上辺のことしか経験してこなかったし、 学んだ蓄積も何も無い。いや何も学んでこなかったのだ。ただ此処にいる自分は無能の抜け殻があるのみ」という凍りつくような 恐怖感である。 いや、真実の自己に気がついたということか!これが虚無感というのか、それとも一種のノイローゼの心理か? その無能感のためか、他の存在がいやに大きく感じる。多くの挫折感を味わってきたが、その虚脱感とは違う底を抜けたような 無能感だ。心のある状態なのだが、底知れない心の深遠を覗きみた。 「心に穴が空いて、その下を恐怖感で見たときに,虚無に取り付かれた心理状態」である。 失業をしたり、離婚をして、山手線の駅の雑踏の中で自己喪失感にとらわれた時に、 思わず電車に飛び込でしまう自殺が多いという。死を覚悟をした時に同じような感覚になるのかもしれない。 ・・・・・・・ 2003年09月18日(木) 897, イルカの話ー2 先日、NHKで「野性の発見ーイルカとロビン・ウイリアム」という内容のドキュメントを放送していた。 ロビン・ウイリアムは私の数少ない好きな性格俳優の一人だ。そういえば去年の今頃、イルカの話を書いた。 イルカの能力は底知れぬものがある。鏡を見て自分と認識できる動物は、一部の類人猿とイルカしかいない。 先日のTvで、イルカに鏡を見せている場面が何とも面白い。自分の顔を人間のように、いろいろの角度から見たり、 表情をつくっていた。そして笑っているようにさえ見えた。イルカは牛がそのご先祖様で、 進化して6000万年が過ぎている。イルカのひれと牛の蹄は同じものであるという。 ーイルカの特殊能力をあげてみると ・ハワイの研究所のイルカは60の手話と2000の文章を理解できる。 ・人間の動きをすばやく捉えて、そっくりの物まねをする。 ・一致協力して、ボラを陸に追い上げて捕る漁法を持っている。 ・セックスそのものを楽しむ数少ない動物の一つである。 ・イルカは心に傷を持っている人をすぐに見分ける。 その能力を取り入れたイルカ療法がある 去年、NHKスペシャルで「漁民とイルカが共同で漁をする」内容を特集していた−後記コピー 彼等は自分のサインのような個々の音を持っている。人間が違う知性と交流できるとしたら、イルカだろう。 人間の想像をはるかに超ている進化した動物の可能性がある。 二つのドキュメントとインターネットの検索で、ちょっとしたイルカ専門家きどりだ。これが情報化というものか。 ーーーーーー 523, 本屋と書籍出版社と問屋 - 2002年09月18日(水) 本屋の世界が特殊ということがあまり知られてない。書店の問屋に2大勢力がある、日販と東販だ。 ・荒利が20?、返品自由の世界。価格は再販制−定価販売で、値引いては売らない。 問屋への注文は本の間に挟まっている注文書を販売時点で抜いて、注文をするシステムである ー現在はバーコードがついている。 ・本屋の棚割とか在庫数は問屋の指導で決められている?問屋は情報システムを本屋に売っていることになる。 解かりやすくいえばいえば、本屋は不動産業そのものといえる。ある立地を確保して、本屋をやる! といえば問屋が飛びついてくる。そして棚割りと在庫数の決定をする。フランチャイズシステムに酷似している。 イトーヨカ堂の鈴木敏文社長は大手問屋の課長の転職者だ。 小売は情報システムの販売という事を熟知していたから、社長まで登りつめたのだろう。 ・20?の荒利の内訳はー人件費が40?、地代が7~8?、電気光熱費がなどの経費が30?、 万引きなどが3~4?のロスの世界だろう ーこれは私の推定だが。 ・本の価格は、初版でコストが回収されるように値付けされている。大体の話だが、価格の分岐点は単行本で, *初版1〜2万部で1700円あたりである。 *2000〜2500円だと初版は8000部あたり。 *3000円にしておけば、3000部あたりでよい。 ・単行本の中から、売れた本は文庫本に選ばれて書棚に残っていく。値段は半額から三分の一になる。 これからデジタルの時代といえ、本は残るといわれている。それもビジュアルの要素が多く入った解りやすい本が。 そういえば本屋ではそういう本が多くなった。文庫本にもカラー写真がたっぷり入った本も目に付くようになってきた。 かなり難しい哲学の本を3年前に買ったが、大きな絵入りと解りやすい解説が空間にたっぷり入った本であった。 居間のTVの横に置いてある。最近は左のページが原書になっていて、右に難しい英語の解釈や解説がしてある本もある。 これを読めば一応原書を読んだ事になるように、出版社もあの手この手で知恵を絞っている。普通の人でも原書が読める時代だ。 そういえば、街の小さな書店がどんどん姿を消している。大きなチェーン店にとって代わっているのは、どの業種も同じだ。 ーーーーーーー 148、アフガン国境 2001/09/18 カイバル峠ーアレキサンダー大王が通った峠ー ー昨日間違ってけしたため今日改めて載せる ー自宅のパソコンにコピーしてあったので助かった 中近東シリーズ、インド・パキスタン・シリーズとこの2年旅行して見てきたそのままが、1〜2年後大きいニュースに なるのが必然か。その前がペルーやケニアであった。異郷をキーワードに行っていたのが、こういう結果に なってしまったのだろう。しかしツアーレベル(観光客レベル)でしかないのもわかっているつもりだ。 もっとシビアに言えば旅行で帰ってきて、どうだった?ときかれてもベラベラ喋れない! というのが本当のところだ。かなりのお金を払ってなんで?とは一回思ったことはない。 しかしそこで見たものは、感じたものは、得たものはその数十倍もあるからだ。 したがってこう言う機会にしかいえないからあえて言う。 シルクロード!の昨年の旅行、考えられない社会の連続であった。 パキスタンが注目の世界に入る事を前提にシルクロードのバスの世界で垣間見た世界を書いてみよう。 表面的の話を! ーバスの中で現地添乗員ー 「ここの部落は自治区です!治外法権の世界です!排他的な民族です、外を見たら目を絶対にあわせないでください!」 「ここの部落は近親相姦の平気な部落です!従がってかなり民度と部族としてレベルの低い世界です!」 「ここは麻薬と銃器の世界に対する密輸基地です、あの大邸宅の内側はホワイトハウスの 中より物理的にはるかに豪華な世界があります!警備もその数倍の仕掛けがあります!」 「この街は麻薬と銃の暗黒街ーマフィアにむけた秘密基地です、あの店の名前が麻薬やと堂々と書いてあります」 「ここからアフガンまで2時間の街道の200メートルまではパキスタンの管理下、 その向こうの道路は密輸通り! みて見ぬふりです!」芥子の花はその辺に咲き放題!その辺で石に混ざっているヒスイをさがしていたら、 ある女性が上から落ちてきた小さな石に当たった、しかしその速度のため頭は血だらけ ーもちろん帽子の上でこうなるのだから! あちこちで落石事故!自分たちだけは絶対大丈夫という信念の中で、 まずパキスタン添乗員が疲労で倒れ、次に我われの添乗員が倒れ!気を張っていた自分が、最終のフライトの飛行機の中で、 死ぬほどの下痢!脱水!トイレの前の席で30分ごとの脱水状態!もちろん生まれて初めての経験 ーーーー 参考に為にシルクロードの旅をコピーしておきます。 ーH12・07 シルクロード15日間の旅ー =旅は人生の縮図!= (以下は、字数の関係でカット・・・2008年09月18日)
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2010年09月17日(金)
* 純粋持続と自由 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、選択の自由を意味する。 たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか 自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。 しかし、ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を 思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。 生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的に 創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての純粋自我による行為である。 他方、物質界は一瞬前の過去を惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを 破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 宇宙の万象は、この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開なのである。そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。 〜〜 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」である。 その時は空間時間は消え、没頭している時、そこに「したいことを、しているという自由」がある。 純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も空間も超越している。しかし我われは日常の煩わしい空間に縛られ、 日常の反復を繰り返すだけになっている。それらをカサブタと仮定すると、その奥に隠れている真の時間が「純粋持続」である。 哲学は、固定、静止、実在するもの、定着したものを探究するのが常であった。しかし、ベルクソンは「流動性」つまり 「流れ」に注目する。一人の人間存在について考えても、その細胞は日々刻々と変化しており、昨日と今日は、同じでない。 生命の場合、同一状態が永遠に続くことはありえず、流れの只中に「ある」ということが保証されているに過ぎない。 ベルクソンは、この「流れがある」こと、ならびに「流れの中で生きている」こと、この両者に「自由」を見出す。 あえて言えば、生命体が生きているだけで、どのような状態であっても、死んでいなければ「自由」である。 我われは、強力な束縛はないが、小さな細かい束縛の中で生きている。もう一つは、現在はある程度自由だが、もっと多量な、 もっと高貴な、深遠な自由に到達してないと考える場合である。どっちにしても、ある程度自由だが、自由でもない、 のが多くの人たちの現実だろう。 気の持ちようである。だが、この「気」こそ、ベルクソンの呈示したものである。 ・・・・・・ 3087,挫折を考えてみようか −2 2009年09月17日(木) 哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を 拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じスイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」 という考えが、色濃く反映している。『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、 悩み、歴史による規定などをいう。それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。 反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者) の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを 知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。 それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、 大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。 挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史 などの暗号を解いて、包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。 挫折は、自分の壁が破壊することでもある。 その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。 養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、人間にとって(特に若いときの) 挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・ 〜つづき ・・・・・・・・・ 2722, どうも世界恐慌に入ったようだ! 2008年09月17日(水) *アリコが危ない? 昨日の午後に初めて世界最大の保険会社のアリコが、倒産の危機に瀕しているのを知った。 一月の株価が59ドルが、今週に入って5ドルを割ったというから、倒産一歩手前と見てよいだろう。 ところが、他人事ではないのである。会社の節税の為に私に毎年保険をかけて経費で一度落とした後、 ある程度のボリュウムができた後に、それが返ってくるという保険に入っている。それがアリコジャパンなのである。 そのアリコが、こともあろうに住宅債権の保険をつくっていたのである。サブプライム・ローンの不良債権の保障をしていた というから、結果は知れたもの。世界一の保険会社であっても、倒産ということになる。アリコといえば、現在日本でも、 国内の保険会社を食い荒し、多くの資金を集めている。それが全てパーになる可能性がある。当社も1200万を入れてある。 (四割は節税になっているので700万は、最悪ロスになる!) たくもうである! まだ間に合うと言うから、今週中に、売却かどうかの判断はしないとならない。ということは、最悪の事態になったときに 世界は大パニックになるということだ。アリコに入っている人は世界中にいるし、多くの金融機関もアリコの債権を持っている。 それが不良債権化して、戻ってくるはずの保険金は戻らないとしたら、恐慌である。私のように世界中の人も金融機関も 同じ行動をとるだろう。そうこう考えると、恐慌のパニックは果てしない広がりを示していく。煽り立てているのではない!、 100年に一度のスケールの恐慌が始ったようだ。今回、払い下げの毒入りの米を、業者がそ知らぬ顔をして販売した事件が発覚。 これとサブプライム・ローンの事件と似ている。不良債権という少しの毒が入っただけで、幾つかの組み合わされた健全の 債権全体が毒入り債権になってしまうのである。それが世界の辻の裏まで行き届いている?から、ことは深刻である。 まさか、住宅バブルが弾けようとは思ってもいなかったのだろう。ブッシュ政権が好景気を維持するため、考え出したというから、 ブッシュという男、歴代最低の大統領の烙印を間違いなく押される。 哀れな末路だが、本人にはピッタリである。 奇数月の月半ばが、そういう決済日ということで、注目されていたが、案の定、リーマンの倒産である。 次の11月はAIG(アリコ)と言われているが、もっと早くなる可能性がある。 今週から来週にかけて、市場から目がはなせない。100年の一度の大恐慌の現象が、一つずつ姿を現してくる。 その結果、特に日本は甚大な被害を受けるというが、考えただけで凍りつくようだ。 銀行閉鎖とか、大手の金融機関が倒産とか、株価が現在は半分以下とか・・・これが10年〜20年スパンで続くのである。 その国家的な大危機に、日本もアメリカもトップが、レイム・ダック化しているから、深刻度は、より深い! ・・・・・・・・・ 2007年09月17日(月) 2358, ギリシャとエーゲ海の旅 −4 ギリシャに着いて、初めて行ったところが‘デルフィの遺跡’である。なるほど2500年前に欧州とペルシャ周辺から、 王侯貴族が宣託を聞きに行く雰囲気が、そこにはあった。遺跡の背景には大きな岩盤の山があり、その前に広大な平原があった。 そこに神々しい巫女が御宣託を恭しく述べれば、当時の情報過小の王様など信じて当然。今でいうと、新興宗教の洗脳演技の 舞台として充分な場がデルフィの地にあった。当時としては国家単位として、洗脳手法ー戦術を冷静に実行していたのだろうか? しかし、その手法?は、キリスト教的な思想が入ってきてから、衰退していった。現在でも越後の地元にも、狐を神様?とした 「??宗教」が岩塚という村落にある。あれが存在しえているだけ、地域民度の低さを物語っている。 イングランドの狐狩を、あそこでやればよい! 福沢諭吉の「学問のすすめ」ではないが? いや、それとも土着レベルの神様も必要である?というのか。 ーデルフィの遺跡ー アポロンの神託(神のお告げ)が行われた聖域として、また世界の中心「大地のへそ」として有名なデルフィの遺跡は、 パルナッソス連峰の南の傾斜面のプレイストス河の谷を前に、天然野外劇場のように広がっていた。 パルナス山の麓に築かれた「神託の地」であり、このアポロンの聖域は古代世界の命運を左右した古代史上で特異な聖地。 南欧やオリエントの王様が戦争や跡継ぎ、統治などの重要な問題について神託を受けるため、はるばる海を渡り、 山を越えて訪れてきた。 ・まず上っていくとローマ時代のアゴラ跡があり、 ・次にはBC6世紀の宝物殿、アテネ人のストア、アルゴス王たちの奉納像、アポロンの聖域、劇場、競技場がある。 ここでは多くのポリス(都市国家)をつなぐ宗教的な核として絶大な影響力を持ち、アポロンの神託が行われた聖域である。 その遺跡の背面には大きな岩盤のような山が背景にあった。そこの巫女は50歳位の農婦が神の代理として神託を下していたという。 しかし現代からみると、かなり好い加減な内容で、悪用の部分が多くみられるという。遠くから苦労をして、この地にたどり着き、 この雰囲気の中で、巫女の宣託を受ければ、頭から信じてしまうのも肯けるが・・その一番奥(上)にあった 観覧席付きの野外運動場には驚いた。幅40メートル、長さ200メートルの競技場は、現在でも何処にでもある学校の運動場のよう。 ここぞ、ギリシャの神殿の遺跡!という風である。その翌日いったのがメテオラ修道院である。 その岩山の麓に一泊したが、ホテルから修道院がよく見えたが、何とも言えない神々しさが漂っていた。 ーー ーメテオラの修道院ー (字数の関係でカット、2008年09月17日) ーー 以上が概略だが、今回、私達が行ったのは聖ニコラオス修道院と、尼僧の住む聖ステファノス修道院である。 過去には24あった修道院も現在は、6つしか修行僧はいないという。 ここは人気の世界遺産の上位に 常に占めているだけあって、その神聖さとパノラマは人気世界遺産の上位になるだけのことはある。。 何事もそうだが、現場に行って感じ取ったことは、自分の心の財産になる。 人類は、色いろな分野で営々と修養を重ねてきたのである。 ・・・・・・・・ 2006年09月17日(日) 1993, 悪筆 おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ { もっと「きれいな字!」が書ける本−1 } ー読書日記 (字数の関係でカット、2008年09月17日) ・・・・・・・ 2005年09月17日(土) 1628, ソウルの富士山ー日野敬三 対談集 −2 また、作家の保坂和志の対談 ーソウルの富士山ーも含蓄がある。 死に直面した日野の心理が二人の対談から、みごとに浮かび上がっている。 ー保坂和志 今日は日野さんが、脳の手術から回復される過程で体験されたことを、 闘病記というより旅行記のような感じでうかがいたいと思います。 ー日野ー 自分が脳を手術されて、術後に安静状態にあるんだとわりあい客観的に自覚したのは一ヶ月ほどあとでした。 なんとなく現実がわかるようになっても、まだうつらうつら夢を見ている状態がさらに一ヶ月続きました。 そこには、どうも完全な夢とは違う。 自分がソウルにいて窓の外がソウルの街がみえる。 (実際は東京だが) そして、富士山でなくてカイラス山がみえる。 もしかすると、この人生ではなくて、その前のいつか巡礼に 行ったことがあるのかも、と思い直しました。 だとすると、僕の中で辻褄が合うのです。 カイラス山はそれだけの格と威厳がある山ですからね。超意識の神話的空間内だったら、カイラス山も見える。 それだけのリアリティのエネルギーを持ってなかったら、何が聖山ですか。 ー日野ー 僕は実は世の中を楽しんでいる、あるいは生きていること、人間であることが好きなんじゃないかと思い当たったんです。 それを好きでないように思い込んでいきていたのが、いよいよ最後のところに来て、 その思い込みが剥がれ落ちて本当の地が出たんだと気がついた。 もう一つ考えたのは、人生はなにも正しく生きねばならいことはないと。楽しく明るければよい。 正しくありたいと思ってきたが、それは最も大切ではないとベッドの中で声に出して自分に言った覚えがあります。 ー保坂ー (字数の関係でカット、2009年09月17日) ーーーー 冷徹な記者あがりの作家が幽体離脱をして、チベットの霊山のカイラス山にいってきた。 それも夢ではないと言い切っている。 また、ー僕らは日ごろいとも簡単に現実と夢と言います、 全く別のように。でも本当は、そう分かれる以前のところに生きているんじゃないか。 「夢現のあいだ」ということを東洋の人たちは古くから知っていたように思います。 「夢現のあいだ」は「無現のあいだ」でもありましょう。 という、クダリは、生死の狭間での極限から生じた 魂の深い世界を垣間見た体験があるからこそ、言えることだ。人間の脳には、信じられない能力が隠されている。 死の瀬戸際を漂うと、その一部を垣間見ることができるのだろう。死ぬ時の楽しみでもある。 ー面白いことに、去年の今日老子と荘子のことが書いてあった。意味ある偶然の一致である。 ・・・・・・・ 2004年09月17日(金) 1263, 老子と孔子 本を読んでいて、時々ハッとする文章に出会うことがある。 以下を書き写してみるが、儒教と道教を対比させることによって、 それぞれの本質を、より解りやすく知ることができる。 (生き方の研究ー森本哲郎 P・302より) ー「孔子の教え」はあくまで「厳父の思想」であり、対する「老子の思想」は「慈母の思想」とみることができよう。 老子と目される人物が生きたのはー孔子もそうだがー春秋、それにつづく戦国時代の乱世であった。 誰もが真剣に生き方、というより生き抜くための知恵を求めていた。それに、応えて、孔子と老子に代表される 儒教と道教が生まれたのである。対立というより、対照というべきかもしれない。いずれが是で、いずれが非か、 などという問いは愚かである。我われは、ここに二通りの生き方を見、学べばよいのだ。考えてみれば、この世には 「人間なるものは存在しない。生きつづけてきたのは、男と女である」。人間とは、女と男の総合した抽象概念である。 だとすれば、その「人間」には、当然二通りの生き方が考えられよう。すなわち、男性原理による哲学と、女性原理に つらぬかれた思想である。中国は孔子、老子という祖によって、二元的に、つまり、全人的に生きてきたといってもよい。 私たちが学ぶべきことは、そのような二つの知恵なのだろうか。 中国の作家、林語同は、こう書いている。 ー功なれば儒教ー孔子ーの徒になり、失意の時は道教ー老子の徒に奉じるようになる。 道教の自然主義は、中国人の傷ついた魂を和らげる鎮痛剤なのである。 得意と失意で織りなされた人生、それを歩む人間の生き方ー それは何といっても「父」と「母」に従うことなのではないだろうか。 ーーーー 以上であるが、 道教と儒教を対比させ中国そのものを、いや人間の生き方の知恵を提示している。学生時代、「諸子百家」を読んだ時に、 孔子の教えは堅苦しく思い、むしろ老荘の思想に共鳴をした。老子の言わんとする要諦は ー小さな私心を捨て去れということだ。 人間存在なんぞは宇宙から見れば砂、いやチリのような存在。それを真に理解すれば、無為自然、母なる自然の道に従うのが 一番の近道ということが解ってくる。人間が生きていくからには、常に挫折と失意が波のように押し寄せては返していくものだ。 その時、宇宙的視点でその波を見つめる視線が道教の真髄である。 ー老子の思想の幾つかを書いてみるとー ・道を体得した人は、何事にもとらわれず、言葉を使わず教えを行なう。 ・もっとも理想的な生き方は、水のようなものである。 水は、万物に恵みを与え、相手と争そわず、衆人の嫌がる所へと流れていく。だから道に近いのである。 ・実在が意味をなすのは、無が作用しているからである。 ・道を体得した者は、行動した跡をのこさない。 ・・・・・・・・ 2003年09月17日(水) 896, 言いわけ読本 ー読書日記 塩田丸男 中央図書館ー2003・09・14日 (以下、字数の関係でカットー2007年09月17日) ・・・・・・・・ 522,勉強法ーノートのとりかた--3 - 2002年09月17日(火) 以前にも「鳩山家の勉強法」でも書いたが、レオナルド・ダビンチや モーツアルトなどの過去の天才のノートや メモの共通点があるという。・絵と図を中心として、そこに文章を書き込んでいる。 空間配置を中心にしてある。 知識としてより、創造のエネルギーが、それを共通項として必要としていたのか、直感的なのか? ・似た方法として、左か右に普通のノートをとり、反対側に絵や図や遊びなどの自由のコーナーにしてある。 考えてみれば、脳そのものが右脳・左脳と二重構造になっているいるから、そうする事が自然で効率が良くなる。 このような箇条書きも、してないよりはず〜とよいが、できたら空間配置のほうが良いのだろ。 空間配置の中でフルに○と→をフルに使ってそれぞれの関係を現しながら、解りやすく表現する事が重要だ。 (字数制限のためカット 2010年9月17日) ・・・・・・・・・・・・・・・・ 147 機動捜査隊 2001/09/17 7〜8年まえになろうか。当ホテルで年平均二〜三人の犯罪者を逮捕している。その協力の功績で、機動捜査隊が表彰状をやるから 私に来いとのこと。「何いってるのか!来るのはお前らの方だろう」と思ったが、「面白そう!」という誘惑に負け行くことにした。 まずは車で若い私服の機捜隊が迎えに来た。そして、機捜の新潟本部についた。10人ぐらいの機捜が玄関で整列をして出迎え。 「面白い!そして気分がいい!かっこいい!」だった。そして捜査隊長の部屋に! 暫くすると隊長が部下を連れてお出まし! 世間話をする間もなく写真班が2名きて、撮影バチバチとられた。そしてそれから表彰状と金一封の授与式と続く。 まあいいや、いい経験だ!と有難く戴いた。そしてまた会社まで送ってもらった! 彼等はまっさらな目で見ていて、 新選組みたいな一体感を感じとった。ウエットな親分子分という感じであった。それが異様であった。 こんな人間関係まだあるのか!という感じであった。‐さてこの内容が面白いのは、これからであるー その一年近く後に、機動隊の若い男と第三シングルインのマネージャーをしていたAさんが、 結婚するという。そうすると、あれは何だったのか?機捜に紹介された機動隊の人とか? ーこんなものか世間は! まあ人生面白い!であった。
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2010年09月16日(木)
ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。 * 粋持続と真の時間 【 たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、こま切れにしたりすることはできない。 このように概念や言葉から離れて内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。 その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、止めようなき自発、能動によるものである。 これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。 というのも、空間化とは数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、それはもはや 流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】 〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ時計や、手帳やカレンダーなど 空間に時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。 それを真の時間と勘違いしている。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も直感で知っている。 日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を忘れている。 人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を 剥がしてみると、そこには本当の時間が姿を現すかのようである。 その「本当の時間」を「眠った時間」の状態から 分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を 如何に確保できるかにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く確保できるからである。 空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。 人間は定期的季節の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、さらに三等分をして 一月、そして一日、という単位を作っていった。農耕にとって、それが大きく役立った。しかし、それは人間が作った 約束事でしかない。 人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。その時間こそ真の時間と看破したのである。 つづく ・・・・・・・・・ 3086, つれづれにー 閑話小題 2009年09月16日(水) * 9・11から8年が経った このHPを開いて4ヶ月後に9・11テロが起こった。 先日で丸8年になる。 昔といえば昔だが、8年で時代は大きく変わった。 アフガン戦争、イラク戦争、そしてインドネシア沖の地震、 ミャンマーのサイクロンに、中国・深釧の大地震、地元では中越地震、柏崎・刈羽地震、去年の9・15金融恐慌と、 世界は大きく変わってしまった。 直近では、衆院選挙での自民党の壊滅的敗北である。これが21世紀のようだ。 更に情報化の進展が我われの生活を根本から変えている。 5〜6年前からブログ(個人HP)が飛躍的に普及、 個人がそれぞれの情報を発信し始めた。 これに携帯電話にデジタルカメラやビデオが取り込まれ、 現場から瞬時に情報発信が可能になったのである。 地球上にネットという別世界が新たにできて、 それが現実世界に大きく影響を始めてきたのである。 この想像を絶した情報化はSF作家の小松左京をして、 「SF作家の我われさえ追いつけない事態」と言わせるほど。 日本は冷戦終了後、それまでの冷戦の恩寵と、 その結果としての世界第二位の経済大国の立場はもろくも瓦解してしまった。 人口の本格的縮小も重なり年々、経済などのダウンサイズが始ったのが、この不況である。 〜〜〜 * 民主党が政権を取るとどうなる? 民主党が鳩山政権として発足するが、どうなることか? 面白いといえば、面白い。 闘う相手は自民党ではなく官僚というから尚のこと。 検察を使おうにも、彼等こそ一番の悪巣。 ここで日本も大きく変化するのは間違いはないが危うさも出てくる。 民社党も批判しているうちはよいが、今度は責任政党に立場が変わってしまう。 二大政党は、交互に政権交代すること自体がよいのだから、目先を心配することはない。 〜〜〜 * 9・15リーマンショックから一年 昨日で、リーマンショックから一年が経った。見るところ三割の経済規模がダウン。 緊急輸血で何とか恐慌一歩手前で踏みとどまっているが、現場段階では上っ面な回復としか感じられない。 メーカー段階では、3分に1にダウンしたのが、2分の1になった位でしかない。これも、何時まで 続くか分からない。元に戻ることはないという上で、経営戦略を根本から練り直さなければなるまい。 超大型地震は起きてしまったのである。津波の本体がくるのは、これからである。 何か、それが分かってないのでは?というほど、日本は長期停滞で神経が麻痺してしまっている。 ・・・・・・・・ 2721, BOAが、メルリ・リンチを買収! 2008年09月16日(火) バンク・オブ・アメリカが、メリル・リンチを買収!というニュースが入ってきた。 シティバンクが倒産レべルのニュースより大きい。(シティは倒産してないが)それも、リーマン・ブラザーズと 天秤にかけて、メルリ・リンチを買い取ったというから驚きである。しかも選択されなかったリーマンの方が倒産というから、 なお衝撃が大きい。しかし、そのツケの支払いは日本国民にも覆いかぶさってくることは明白。 アメリカの、というより世界の金融の再編成に入ったということになる。1929年の大恐慌より、深刻な事態というが、 その大きなウネリが姿を現した。ニュースで、100年に一度の金融のニュースといっていたが、その通りである。 日本では、三菱・UFJ銀行が、野村證券を買収したような出来事である。 リーマン・ブラザーズは野村證券の2・6倍というから、世界に及ぼす影響は計り知れない。 サブ・プライム問題の深刻度からして、おこるべくして起こったことである。 5年から10数年前まで、日本を買い叩いていたアメリカ金融機関が、脳梗塞・脳血栓で半身不随になったと例えられる。 もちろん日本の十数年前よりも根は深い。崩壊という表現も過激ではない。 アメリカの三大自動車メーカーが、ほぼ死に体状態から考えて、世界的な混迷期に入ってしまったといってよい。 先週受けた経営セミナーの先生が言うとおりである。証券会社の一位・ゴールドマンサックス、二位・モルガン・スタンレー、 三位・メルリチンチ、四位・リーマンブラザーズ、五位のベアーズ・スターンズ(この春にモルガンに救済合併)。 この三位から五位が異変をきたしたのである。どうなっているのだろう。 今年に入って、三位から五位が消滅したということになる。ここにきてアメリカの航空会社、自動車、そして金融と、 異常事態に入ったということになる。アメリカ経済の崩壊というと、ドル安圧力が当面は強まるだろう。 その行き着く値段が60円。それが近日か3年先かは分からないが。そして、一度下げておいてから、再び回復するだろう。 何故なら、ドルはアメリカが輪転機で刷っただけの偽札もどき紙切れでしかないからだ。 一番影響を受けるのは、資源のない、紙切れを掴まされた日本、中国、インドである。いずれにしても、大恐慌へのテンポが 速すぎるようだ。世界中が震撼としていることは事実である。今日からの為替と株価がどうなるのだろうか。それにしても、 あの首相候補の5人の漫画的なパフォーマンス、何をしているのだろうか、この国は! そういえば私の学生時代の友人がBOAにいたが、どうしてだろうか。クールなハッタリの大きな男だったが。 ・・・・・・・・ 2007年09月16日(日) 2357, ギリシャとエーゲ海の旅 −3 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ー旅行の雑感ー *今回の旅行で、地中海と中近東一帯でイラン・イラクを除いて、エジプト、ギリシャ、ローマ、オスマントルコ、 メソポタミア、イスラエルの遺跡を巡ったことになる。 そうすると、数年以内にイラン・イラク(イラクは無理だが) に行くのが目標になる。更に、遺跡といえばビルマのアンコール・ワットになるが、まだ行ってない。 それでは、この外にあとは何処?といえば、中南米のマヤ文明と、インカ文明、中国の黄河文明、そしてタクマカラン・etc など挙げれば切りがない。旅行を続けていると、行き先の選定の意味が出てくる。 世界四大山脈、四大滝、有名氷河めぐり、飛び石世界一周とか・・・ *話は変わるが、前回(家内だけだが)に続き、ビジネス・クラスがあたった。 成田の飛行機の受付コーナーで、私達の航空券にトラブルが起きたようで、 受付にいた飛行機のパンサーらしき人と 何か相談をしていた。 何ごとが起きたのか心配したら、「お二人がダブル・ブッキングで、エコノミーが満席のため ビジネス・クラスに席変更をさせていただきます!」とのこと。ラッキーである。 前年も家内一人だけだが、やはりダブル・ブッキングでビジネス・クラスに座席変更した。 これまでの旅行で席がガラガラの時に、特別に無料でビジネス・クラスの変更してもらったことがあったが (添乗員が偶然スチュアーデスと知り合いだった)。 やはり快適である。席がエコノミーの1・5倍の広さがよい。 私の場合、エコノミーでも何の不自由を感じないが、タダであれば快適な方が良い。 ビジネス・クラスといっても、食事内容が少し良くて、1・5倍のスペースがある位。 私は、慣れたこともあるがエコノミー席で何のストレスも感じないのである。 帰りはエコノミーだったが、席が2・3・2のサイド側の2人席のためストレスは最小であった。 それにしても、 ついている時は、そういうことが重なるものである。その逆が前回であったが、 やはり代理店の選定段階のミスが大きい。 *秘境系の参加者は、癒しを求めている人が多い。その分、癖のある人が多い。 それに対して、クルーズや欧米ツアーの参加者はレジャーの楽しみを求めている。 実際は秘境系の素晴らしさを知らないだけだが。大自然が与える大迫力は魅力である。 *今回、エジプト航空を利用。 帰りは搭乗日が9・11の9月11日。 エジプト空港についてから実際の飛行機に 乗るまで5回のチェックを受けた。 まずは飛行場に入る時に、パスポートと荷物チェック。次に入国審査に入る直前の パスポートと荷物チェック。そして、搭乗の控え室に入る時の両方のチェック。控え室から搭乗券チェックの時の パスポート・チェック。そして飛行機の搭乗階段の前のチェックで、つごう五回である。それだけチェックは必要なのだろう。 そういえば、初日にギリシャへの乗り継ぎのためエジプトに深夜に入国、空港至近のホテルに一泊した時も、 旅行バックと手荷物のチェックを受けた。ホテルの入館のチェックを受けたのは、これが初めてである。 最終日にエジプトのギザのピラミッドに行ったときも、十年前に行った時と、様相が一変していた。 とにかく警官がアチコチ警戒しているのである。数前にルクソールのハトプシュトの遺跡で、観光客を狙った 原理主義者よる殺戮があってから、観光地の警戒が一変してしまったのである。エジプト考古博物館も同様であった。 (○´ω`○)ノ**SeeYou** ・・・・・・・ 2006年09月16日(土) 1992, デジタル一眼レフカメラ −3 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 一番肝心の「写真の具合は?」ということに言及していなかった。写真は見ての通り全く別物である。 例え話でいうと、ハイビジョン液晶TVと、今までのブラウン管の地上放送Tvの差と同じといってよい。 【字数制限のためカット2010年9月16日】 ・・・・・・・・ 2005年09月16日(金) 1627, 自分の死ー日野敬三 対談集 −1 先年、亡くなった日野敬三の対談集「創造する心」が深い内容である。 癌から脳出血まで、次々と死に至りかねない病の中で書いた文章は、一言一言が胸に刺さるようである。 秘境ツアーの代理店「ユーラシア旅行社」が毎月送ってくるパンフレットの冒頭の旅行のエッセーを彼が書いていた。 これを編集した一冊の本が出ている。それぞれの旅行先のエッセイが深く対象と一体になっている。。 「創造する心」を読んで、生と死の狭間の中で今生の地球を見つめていたのが解った。著者心の奥行きの深さには敬意を払う。 言葉は、意識化をするはたらきがある。そして、言語にすることによって第三者に引き継ぐことが可能になる。 (字数の関係でカット 09年09月16日) ーつづく ・・・・・・・・ 2004年09月16日(木) 1262, 書いてなかった旅行記 −1 ーカナダ旅行記− 過去の旅行記は殆んど書いてきた。しかし先日、地域別ごとに旅行記を纏め直していて、カナダと、ハワイと、中国(桂林・香港) の旅行記が書いてなかった事に気づいた。 そこで早速、書くことにする。まずはカナダである。 カナダは二回行っている。 一回目を書いてみる。 この旅行は、トロントと、その近くにあるナイアガラと、ロッキー山脈と、バンクーバーと、 その近郊のブッチャーガーデンを巡るコース。ナイアガラはNHKの特集を見ていたが、実際見てみて「こんなものか!」と 少し失望したのが実感であった。しかし、ボートで近くの滝のカーテンの迫力は実物ならではの迫力があった。 しかし、この旅行のハイライトはロッキー山脈のジャスパー国立公園である。飛行機の乗り継ぎなど、かなりの強行軍で、 バスでジャスパーについた時には疲れのため熟睡をしていた。ふと目が覚めると今まで見たことのない裸の大きい山が展開していた。 変な夢を見ていると思いつつ、再び目を開けると、どうも夢でない。そこは私の知らない別世界であった。 それからは、 次から次へと見える光景に目が釘付けになってしまった。これまでの自然のパノラマを見るのは生まれて初めてであった。 日本でも黒部渓谷や立山など、多くのパノラマを見てきたが、そこで見たものは全く違うものであった。 「なんだ?!こりゃ!」と息を呑む景色が次々展開しているのだ。「こんなところが、地球にあったんだ?知らなかった!」 「これを見るまでの人生と、この後の人生は全く違う。 家を叩き売ってでも見るべき価値はある!」等々の感激が、 ロッキーにいる最中次々と出てくるのだ。この時から、旅行は大自然派になってしまった。 自然の美しさを、 これだけ数日に渡って味わって見たのは初めて。自然が自然と、こういう神々しい姿を創りあげたのだ。 山々の神々しさ、 そして空の青さ、湖のエメラルドグリーンの美しさ。そこに住む地リスの愛らしさ。あちこちで見ることができた熊とヘラ鹿。 はじめて見るものにとって、そこは違う惑星の景色である。 ーーーーーーー 2003年09月16日(火) 895, 超一流選手の共通項 ー世界柔道選手権とプロボクシング世界タイトル戦- この五日間の世界柔道選手権が面白かった。昨日まで5日続けて男女の八階級と団体戦の試合があった。 2年に一度おこなわれるもので、オリンピックと同じ位の権威のあるものだ。何といっても井上康生の強さが目立った。 背の低い棟田と大柄の外人との勝負も面白い内容であった。 二日目と三日目は、殆ど目に付く内容は無かった。 個人戦の最終日は、無差別級の鈴木桂治の強さと、女子の田村亮子の安定感が印象的であった。 また一昨日は、ボクシングのスーパーウエルター級の世界タイトルマッチがあった。 5階級を制覇したオスカー・デラ・ホーヤと、3年前に負けているシェーン・モズリーの因縁の試合であった。 デラ・ホーヤは前人未踏の6連覇を目指しており、デラ・ホーヤの有利といわれていた。 しかし結果としてモズリーが僅差で勝った。二人とも、スピードと高度のテクニックが売りの選手。 見ていても、玄人好みのする稀にみる好試合で、最後の最後の瞬間まで息の抜けない試合であった。 ここまでお互いの技が磨かれていると、芸術の域に達しているといってよい位だ。 柔道にしても、ボクシングも世界の一流選手には共通項がある。野球のイチローもそうだが、身体が相手の動きに 自動的に反応するまで、練習を積み上げてあるのだ。間一髪で、お互いの技を外すことができ、攻撃もできるのだ。 見ていると、優勝をするのが、いかに至難であるかがわかってくる。一つの技に反応するのに頭で考えていては勝てない。 特に優勝候補の場合、弱点を徹底的についてくるし、得意技に対する防御に全てをかけてくる。 それでも、その得意技で勝つのだから、普通の練習では不可能。科学的に徹底して鍛え抜かれている。 この二試合に、メジャーリーグの試合と、大相撲に、『お笑い』にと、一日TVの前に釘付け。これに3時間の散歩に、 スーパーに、図書館に、パソコンに、居酒屋(あかちょうちん)にと、根を詰めた、しかし充実した一日であった。 ・・・・・・ 521,「世の中を良くする為には」 - 2002年09月16日(月) 昨日の昼、何げなくみた映画のなかで、薬中のホームレスが橋から飛び降りようとする見しらずの女性を助ける時の言葉がよい。 「なぜ助けようとするのか?」という瞬間の問いに、「自分を助けてほしい、貴女を助ける事でしか今の自分を救われない! たった今まで薬のことしか頭になかったが、いま気づいた!貴女を救う事が自分を救う事だということを! 頼む私を助けてくれ! 死ななでくれ!」この男の哀願に女性が自殺をとどまる。 中学の初めての授業で先生が出した自分への課題。ーこの一年間で、世界を変える方法を考え実行してみよう!− ある少年の考えた課題ー「3人の人に役立つ事をする誓い。 それをして貰った人は他の3人に役立ちをわたす、 それが鼠算に伸びれば世の中が良くなる」という自分の創った課題を実践しようとした。しかしことごとく失敗した。 その一つが薬中のホームレスを自宅のガレージで立ち直らせる事であった。しかしその期待に答えられなかった男が、 元の生活に戻って失敗した。しかし人を救う何かをしなくてはというのが残っていたのだ。それがその女性を救った。 その少年がいうー日々の生活に慣れきってしまい、良くないことが変えられないんだ! 怖いんだ、変化する事が。良いことをしたら、次に渡せ!ー耳が痛いが、なかなか味のある内容であった。 広がっていくのだが??シックスセンスの子供役がその男の子を演じていたが、素晴らしい心理描写を演じていた。 「可能の王国」という題であった。 最近TVの内容が面白い! ・・・・・・・ [146] チンドンヤ 2001/09/16 社会学をやっててほんとうによかった! これは‘個人とその集合体の社会’の学問である。 それを解っていたから(反社会的でなく?)超社会的に社会的とかを全く気にとめないで?済んだからだ。 チンドンヤー(自分の仮面)ーペルソナーを演じないで済んだからだ。 仮面を演じている‘こっけいな姿’を嘲笑しながら? チンドンヤ(その姿が自身でもある?)になりざるを得ない。必死になってチンドンヤをやっている男は何処にもいる。 俺は英雄ー正義の味方、−ここからが面白い。「俺のやることは特別の自分(英雄を演じているチンドンヤ) のやることだから正しい!」「だから俺様のやることに、皆従え!」 その必死さがかわいいが。 それ(仮面)を利用してせいいぱい背伸びしているところが哀れである。身近な親戚にも、この論法の男?がいた。
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2010年09月15日(水)
* 管首相の大勝利 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。これは日本経済にとって深刻な問題。 ある意味で致命的である。目先は分裂することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。 この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、彼が経済、外交音痴であることが判明。 当分の間、政権を担うとなると考えただけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底に向けて 容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。我われに商売は直接、景気が直接反映するから敏感になる。 結果からみれば小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか分からないし、次の選挙の資金確保という 大問題に直面する。 この歴史的危機でも国家天下より、御身大事を優先するしかないのか。地方議員や、サポーターなどの 票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに 自分の出番が来ることを彼が一番知っている。二人の演説を聞いていて、管首相の内容が国家のトップとして内容が乏しいのが 渦中にいると分からないようだ。過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れないのだから、 民主党の議員レベルの質を問われて然るべきである。 無政府状態が当分続く。そして景気はますます悪化する。 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる?
・・・・・・・・ 3085,時間リッチと時間貧乏 2009年09月15日(火) 新聞広告の雑誌の見出しに「時間リッチと時間貧乏」があった。 図書館で立ち読みをしたら、「TodoリストよりNotTodoリスト」つくりとあった。 「何をするかより、何をしないかをリストアップして実行せよ 云々」である。 私事になるが、時間リッチを自認している。 月に数回の飲み会以外は一切の付き合いが無いに等しい。 自分を育ててくれた学校の同級会、同期会以外は、商工会、町内会、ライオンズなど、誘いもないし、行く気も無い。 都合の良いことに、職場と住宅が新潟と長岡に分かれているので新幹線の乗れば、そこで遮断できる。 おまけに事業が装置産業ときているので、目先の判断は人任せでも大きな支障がない。 そのために20年あまりで、40回近い秘境ツアーに参加することも出来た。 おまけに早朝5時に起床、散歩や、読書、そして、この随想日記を書いたりもできた。 「戦略とは、何々をすることを決めるのではない! 何々をしないかを決めること」という言葉を 著名なコンサルタントの先生の講義で、30歳そこそこで聴いたこともあり、時間に関してはリッチであった。 「で、時間リッチというわりに全然、人間的にリッチじゃないじゃないかい」と言われれば、返す言葉が無い。 しかし可能な限り世界の果てを見てきたという満足感はある。 そこで検索に「時間リッチ」と入れたら面白いリストがあった。 その幾つかを抜粋してみた。 〜 時間リッチになる 〜 ・一週間は金曜日から。 金曜日に翌週の準備、月火水でmustを済ませ、木に検証反省。 ・やる気が出ないときはとりあえず動く! 動くからやる気が出る! ・楽する方法を考える ・自分の時間価値を意識する。「2735円」 ・スタートから完璧を目指さない。走りながら完璧を目指す。挑戦すると案外簡単、成果が出るもの。 ・失敗しても経験が残る。「武器を手に入れてから走るのでは遅い。走りながら武器を拾え」 ・今動かないとそのチャンスを他の人に持って行かれると考える。 ・時間はお金で買える。(セミナーは有料を) ・お金を殖やすため、モチベーションを維持するための先行投資を恐れるな ・時間をケチらない。「ながら作業」は「ケチ」。 一つの行為に2つ以上の意味を見いだす、 一つの行為をいくつかの目的のために利用するのが時間密度を濃くするということ。 ・忙しいときこそ勉強する。自分のために時間を使うという行為が安心感を生む。 ・仕事のできる人は仕事に遊びを取り入れ余裕がある。 ・そうねではなく魅力的ねと言われるように。 ・かきくけこ(簡単・興味・グレー時間・決断・行動) ・嫌なことは朝一で片付ける ・隙間時間にやることリスト ・捜し物は時間の無駄 ・携帯時計よりアナログ腕時計。時間の量的感覚を身につける。 ・日々のルーティンは決めてしまう。食事、洋服等。 ・スランプのときは無理にでもポジティブに。まずは言葉一つから。鏡の前で笑顔。得意な仕事だけして自信を取り戻す。 ・何かに頑張るとき、一週間に半日は自分の好きなことをする。 ・頭だけじゃなくバランス良く体も疲れさせる(プール) ・午前中は思考、午後はコミュニケーション ・締め切りは自分で前倒し ・確実にこなせるスケジュールを立て満足感を得る ・ボーっとする日を確保する ・寝る前に翌日の服、バッグを準備。同時に明日をシミュレーションする。 〜 以上だが、「時間が無い」という言葉は、「自分が無い」という言葉に等しい。 ・・・・・・・・・ 2720,議論に絶対負けない法 −1 2008年09月15日(月) 「議論に絶対負けない法」 ―全米ナンバーワン弁護士が書いた人生勝ち抜きのセオリー ゲーリー スペンス 著 ある知人が訪ねてきて話しをしていたら、現在、トラブルに巻き込まれて裁判中という。 「500万〜1000万規模か、それとも億単位なのか?」と聞くと、「億単位」という。 その人は30年来の付き合いがあって、地元では大手クラスのトップ。 大きな分岐点の経営判断のときは必ず相談に来て、何気ない応答にヒントを得るようだ。 その場では、ヒントを得たふりを見せないが、後年になってからヒントになったという。 今回は、裁判の係争の真っ只中、具体的な生々しい相談。「議論に絶対負けない法」という本を紹介した。 アメリカのナンバーワンの弁護士が書いた本で、拗れたトラブルであるほど、彼の一言一言が全て、 問題をヒント与えてくれるはずと、助言をした。私が、この本を読んだのは十年以上前。 問題を抱えていた時で、本そのものがコンサルタントの先生のような役割を与えてくれ、非常に参考になった。 詳細は憶えてなかったが、スラスラ出てきた言葉は ・準備、準備、準備、それが全てである。 準備以外の秘訣など何もない。 ・それと構えである。 構えの構築を一つずつしていくこと。それが準備。 ・問題の中心点に向かって、自分の心を無にして集中すること。 そのためには、心の底から正しい!と信念が持てるかどうか自分の心に問うこと、そこが一番重要。 ・戦いを始めたからには、絶対に強気、攻撃的で攻めること。等々、それを言えるのは、10年前に貪り読んだため。 「その知人の相談は、再び目を通せ」というメッセージだろうと本を探したが無い、誰かに貸したのだ。 そこで早速アマゾンで中古本を買った。 10円+送料340円=350円。新書なら750円である。 そして再び目を通すと、なかなか内容があり、味がある。著者が魂を込めて書いてあるのが解る。 ー 次回から、面白そうな所を書いてみる。ー 十年前は、どうなった?かですか。構えを知ってか、相手が手を引いてきました! −つづく ・・・・・・・ 2007年09月15日(土) 2356, ギリシャとエーゲ海の旅 −2 o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ この旅行では、?天候、?実際の対象の内容の良し悪し、?スケジュール内容の質、 ?添乗員の当たり外れ、?同行のツアー仲間の質、?体調(食あたり など)?行き帰りの飛行機の席の順など、 すべてが90点以上であった。この一つでも外れると、だいなしになることがある。 前回のケニアでは、過半数が外れたが・・代理店の選定ミスがあったが。 それも御愛嬌と割り切らないと 旅行など続けることは出来ない。「アフリカ・南米などの零細専門業者、地元の中小の旅行代理店」は ‘外れる可能性が非常に高い’ことは経験からいえることだが・・・外れた場合は金をドブに捨てたと割り切らないと! 中小の場合などでは、「劣悪の添乗員ー素人の遊び気分の夏休み代わりの添乗員」を平気で組んでくる。 二度、いや三度当たったことがある。 でも、そんなものと割り切らないと・・・ ある規模以上の代理店は、質の高いマニュアルのしっかり入っている添乗員が揃っている。 同じ代理店の、ほぼ同じ少し商品の違うパックのグループとクルーズで一緒だった。 ところが、そのグループの添乗員への不平不満が、食事時に耳に入ってきた。 そのグループは外れの添乗員だったのである。間違えれば、当方の担当になる可能性もあった。 今回の旅行を印象に深い順にランダムに書き出してみた。 ・まずはクルーズ船の最上階にある甲板の先頭で、長いすに横たわりエーゲ海の風に当たりながらの日光浴。 三日間、毎日90分間、一人で小島を左右に見ながらの甲板の瞑想?は至高であった。夢の中にいるような気分であった。 ・次は、サントリーニ島の断崖の上からみたエーゲ海ブルーの広大な景色。 そして、傾斜面の街の建物が全て白に統一された光景・・広角に広がる湾とエーゲ海の光。これも眼に印象的であった。 ・小さな珠玉のようなミコス島のリトル・ベニスといわれる海岸線からみたエーゲ海に沈む夕景と、その街。 ・デルフィの遺跡の神々しい雰囲気。 2500年以上昔に、そのままタイムトリップしたようであった。 ・奇岩の上にそびえ立つメテオラ修道院の神聖な雰囲気と それを取り囲む広大な原野と、山々。 ・アテネのパルテノン神殿と、そこを取り囲んでいるアテネ市内の風景。 ・二度目だが、ギザにある三つのピラミッドとスフィンクス。そして前回は時間の関係で見なかったピラミット群の遠景。 ・カイロ市内にある「エジプト古代博物館」特に、見れば見るほど驚かされるツタンカーメン王のマスクなどの財宝群。 そして、多くのピラミッドなどから発見された像や財宝などなど・・ 以上、指が動くまま、頭に浮かんだまま、キーボードを打って書いてみた。 この旅行はギリシャ本土とエーゲ海と、そして、そこにある遺跡を見て歩く少し趣向の変わった旅行であった。 そして三日間はクルーズとはいえ、午前、午後と二つの島を数時間かけて見てまわる強行なスケジュールであった。 しかし、その間は移動が船のため、ストレスの少ない旅であった。 ヾ(´Д`、)マタネ ーつづく ・・・・・・・・ 2006年09月15日(金) 1991, 仲人・高橋与三八氏を偲ぶ ( −」)φ~~ 兄と私の仲人をしてもらった高橋与三八さんが亡くなられた。 私の10指に入る恩人である。 柏崎の出身で、元銀行マン。 大手銀行の再編成の中で、苦労した人である。 日本相互銀行に入行、合併で太陽銀行になり、太陽神戸銀行になり、さくら銀行になるプロセスで定年を迎えた。 多くの仲人をしたようで、多くの人に慕われていた。 私の名前が八郎で、兄が三郎。 その仲人をしたので、名前どおり 「嫁を与・三・八」をした。 面白い因縁である。家内の父親と何かの因縁で親しくなり、それが私との因縁になった。 夕飯近くになるとフラッと来て、一杯飲んで帰る人。それが家内子供の頃の印象だったという・・ あの厳しい都銀の合併の中で多くの嫌な思いをしたのだろう。酒でウサを晴らすしかなかったのも解るような気がする。 人生は甘いわけがない、当たり前のことだが。入行の時からコツコツと勤めていた銀行の株を買い集め、 7万株も持っていたというから、?億の時価の流動資産である。目先の数字をあげることに汲々としている 阿修羅のごとき支店長の姿をみて、馬鹿にしきっていた気持ちが垣間見ることができた。 また一人、私の世界から因縁が消えた。ただ、特に先立つ恩ある人には、『ありがとうございました』 という言葉しか出てこない。「お前には、そういってもらえる人が何人いたというのか?」と自分の心の奥から声がする。 そして、更に次の声が聞こえてくる。「人生で何を得たというのか、何を失ってしまったのか?」 最後に残るのは人徳と、誠意と、愛だけだ・・・ 「ところでお前には、あるというのか?」 さようなら! 与三八さん ・・・・・・・・・ 2005年09月15日(木) 1626, 頭脳の果て−2 以前にも書いたが、この本をヒントに「三つの部屋」のイメージ空間を創ってみた。 一見バカバカしいが、イメージ空間から真実が語りかけてくる。 ・縁者/故人の部屋 ・10年 20年後の自分の部屋 ・もう一人の自分がいる惑星(前回書いた)である。 通勤の列車の中とか、寝つきが悪い細きれ時間とか、ウオーキングの時などに、このイメージ空間に入り自己対話をする。 これも習慣にすると面白い。 さらに二つが加わった。以前行ったネパールの、カトマンズ近くにある山の中空の突き出た 岩場で、座禅をしている男(王)が、現在の自分をイメージをする。現在の自分が透けて見えるような感覚になる。 −荘子の「胡蝶の夢」ーからヒントを得たが。また、毎日パソコンの壁紙を張り替えて、その場から自分を見ている イメージをつくる。子供じみているが「思考にイメージの世界の空間」を持って、具体的な自己対話が気軽にできる。 この本の「ポータブルメモリーバンク・テクニック」 も誰でもできるテクニックである。 ー以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日) ・・・・・・・・ 2004年09月15日(水) 1261, 幼児虐待殺人事件 −字数の関係でカット2008年09月15日ー ・・・・・・・・・・・ 2003年09月15日(月) 894, 「バカの壁」読書日記ー2 「バカの壁」を常に感じ取っている。過去を振り返ってみれば、よくわかるはずである。 子供に遡るほど小さな視界の世界ー壁が立ち塞がっている。その壁を一つずつ乗り越えるのが人生でもあり成長である。 学生時代、ある友人に「大爺」といわれたことがある。「地方の固定観念の塊」と「両親からの価値観の殻」 を感じ取って批判したのだ。学生時代の一番の収穫は、この壁‐殻を可能な限り叩きこわしたことである。 そのためか、地方にいると全く価値観が合いあわない。壁は乗り越えれば乗り越えるほど、多くの壁が立ち塞がってくる。 「バカの壁に気がついてくる」といってもよい。 メジャーにはメジャーの壁、マイナーにはマイナーの壁がそれぞれある。 この随想日記も、バカの壁の提示でもある。自分の壁を認識するのに、過去の喜怒哀楽の極みを内省してみるのがよい。 一番、喜んだこと、怒ったこと、悲しかったこと、楽しかったことを書き出してみることだ。それと好きなことや人、 嫌いなことや人を考えてみることだ。感動・感激・感謝の極みもそうだ。それが、その人の限界でありプラスの意味の壁である。 その壁の上に立って、その向こう側を眺めると、自分が何をすべきかが見えてくる。 バカの壁を一番乗り越えるヒントが見えてくる。私のバカの壁を乗り越える方法を幾つか書いてみる ー新しい習慣をプラスしていくことである。 ・ウオーキング ・お経ー般若心経 ・読書 ・本屋と図書館通い ・パソコンー随想日記 ・頭の固い人との接触を避ける ・常に新しいこと現象に興味をもつ ・意識して感激・感動の場面に近づく ・秘境旅行に行き続ける 等々を時間をかけて習慣化していくことだ。 チャレンジ・コンペテション・チェンジの繰り返しのサイクルを維持すること、中村天風の「積極一貫」である。 バカほど、こういう本は読まないものだが!バカとは頭の固い人ーバカの壁がびっしり囲んでいる人のことだ。 そう貴方、いや自分のことだ。 ーこの本の感想を書いてみるとー 「内容を理解もせずに、うわべだけを見ただけで知っただけで、わかっているという思いこんでしまう恐ろしさ」を提示している。 「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は違うとして「二元、論」 の考え方で主張している。現代世界の三分の二が「一元論」者の中で限界がきているとしている。 (字数の関係でカット09年09月15日) −−−『バカの壁』 著者 養老孟司 出版社: 新潮社 ・・・・・・・・・・・・ 2002年09月15日(日) 520, 宇宙について - 宇宙についての知識がこの10~20年で、飛躍的に観測等で伸びた。 以前事業百訓で書いた内容をコピーしておこう。これを書いてから数年後の7~8年前に、 NHKスペシャルで数回にわたり放送した内容がよかった。あまりの壮大な内容に驚いた。 地球の特異点はビックバン、ビッククランチ、ブラックホールの3つある。 宇宙は130億年前あたりに大爆発があり時空をつくっていて、今も膨張している。最後には限界点まで行くと、 収縮をはじめて消滅する。宇宙にブラックホールが存在して周辺の星などの物質を飲み込んでいる。 それがある一点にむかっていくポイントがビッグクランチという。あるところまでいくと、反転してビッグバンになる。 この宇宙は、その大きなブラックホールでもあり、数億のブラックホールを抱えている。 それぞれのブラックホールもその中に宇宙を抱えており、それぞれがビッグバンとビッグクランチをくり返している。 ある説によるとブラックホール内のビッグクランチが限界に達すると、違う宇宙に管のようなトンネルを通って つながっているといわれている。当時3~4回この再放送を見た為、しっかりと頭に入っている。 当時感じたことは「何だこれは人間の生死と同じではないか」という妙な気持ちであった。 15年前の文章に比べると、飛躍的な宇宙知識の飛躍でもあった。あれから7年もっと科学知識は飛躍したはずだ。 TVだからこそ、その高度の内容を理解することが出来たのであって、本でこれだけの内容の理解は、今の自分では無理だ −字数の関係でカット2008年09月15日ー ・・・・・・・ 2001年9月15日 [145] 宗教戦争ー4 大事件を当然の上で私の主観を書く! 恐らくアフガン、イラクや??は国の壊滅に近い状態、そしてイスラエルの過激派の幹部のかなり数が年内に抹殺されるだろう! いやそれが必然の世界にはいった。虐殺がその連中になされる。これが宗教戦争だ。その反面今のようなテロが行われるだろう。 しかし、アメリカの全体の力を考えた時、今回の事件は微弱の損害でしかない。別にアメリカの力の過大評価でない、大儀名分を 与えたからには力と力の戦いだ。気の毒なのはイスラム教徒だ。宗教は民族の魂であると同時に自我でしかないのに。 自我と自我の戦いが始まる。神という名のもとで虐殺が始まる。う簡単に済む問題でない。 4000(旧約)年対1300年(コーラン)の戦いでもあるからだ。宗教全面戦争になるのか。 アメリカにとってアラブのメッカが破壊されたようなもの。驚天動地だろう。何をやりだすかわからない。 旧約はかなり生々しい、生きた補虜を尻から杭を打ち込むのだ。最近その遺体がかなりの数発見されたという。 それだけ残酷になれるのだ。 宗教戦争は恐ろしい。今回はイスラム圏にとってあまりにも不利だ。
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2010年09月14日(火)
昨日のヤフーの私のブログに 《 小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話である。 真っ当でないのが、衆院選で当選している可能性があるから、外れるかもしれないが・・ そこまで程度が低くないはず。 政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか我われの身を守ってくれない。だから恐慌の現在、 特に注目せざるを得ない。 小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。 短命でも良いから、 政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、むしろ負けた方が良い。その方が首相の立場で再編するより、 やりやすいはず。 だから党首選に立候補して、接戦をすること自体が目的だろう。その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。 そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に勝負があったことになる。 それより民主党の代議士が 真っ当かどうかの方に興味がある。 何でマスコミが、その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。 アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。ネットでは8割が小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 とはいえマスコミの記者が、その乖離の原因を見逃さないはずがない。 無政府主義(社会主義の真髄)のお二人が、 無政府状態を作っている?という、笑うに笑えない事態と言われそう現在、やはり現状にみあった保守本流に再編すべきである。 現在の政治のシステムが、この国難にそぐわないのは周知だが、それを自力で変えることも不可能なら、大同連合しかない。 どちらになっても、漂流という事態は変わらない。頭と尻尾から腐るというが、お寒い限りである。もう、戻らないのか、 9・11以前の状態に? それまでが、豊かすぎたということ。現在でも、国民が年1700万も海外に行っていることが問題か? それにしても、小沢を除いて政治家らしいのが、見当たらないのは、どういうこと? 情報化で、利権による金集めで、 ボロが出てしまうからか。 で、金があるのは政治を家業にして貯めこんだ資金のある二代、三代目しかお大臣になれない、 現在の日本。そこで、たまたま政権をとったのが、労働運動上がりの二人。しかし、舵取りは素人ときたら最悪か。 今日の午後が楽しみである。 どっちらにしても、今日を境に政治がまともに作用してもらわないと! ・・・・・・・・ 3084,挫折を考えてみようか 2009年09月14日(月) 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。 ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。 人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることにはならない。 なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。 ところが、それを真正直に守ると最後には挫折が待っている。 人は最期は死ぬのである。 それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、身近な死が我われに教えてくれる。 しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える 「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。 本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。 その超越が促すのが「暗号解読」である。それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。 芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。》 と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。人間が生まれ存在しているから挫折をする。 そして最後の挫折としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。人間は誰かに人生を 代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、 自分の実存を他者に開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。 実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると、挫折から多くのことを得た。 その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われていたのである。40,50歳代の峠越えは 秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている 意味が隠されている。挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・感動こそ超越状態である。 ・・・・・・・・ 2719, 嘘について 2008年09月14日(日) 社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。 その場その場で、ころころ変化する人物は直ぐに見抜かれて信用を失う。 「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が鮮明に出やすい。 後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 その共通点が嘘が多い人である。開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。 ある人を例に取ると「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。 三歩ほど歩いたら全てを忘れる、嘘など更々言っていない」 のが真実。「私を信じて下さい」が、ある人物の口癖だが、そのことさえ自覚をしてない。 話を都合のよいように変えるのも、嘘の一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに嘘の構築のプロセスを 踏んでいることになる。考えてみたら、誰もが大同小異ではないか。他人のウソは見えても自分のウソは気づかいないだけだ。 所詮、世の中は全てが幻想、ウソも真実も大して変わらないではないか?と嘯くこともできる。嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように 気遣う場面も必要である。鮮明に憶えていることがある。父親が、末期癌になり、あと一年と宣告され一年間実家で同居をしたとき、 そ知らぬ顔をして、父親の葬式のための喪服をつくりに行ったことがあった。 嘘も必要悪と己に言い聞かせ。 「末期かどうかは自分は聞かされてない!」という前提で、全ての言動をしなければならなかったのも辛い。 この時に、綺麗ごとだけでは生きれないことを、つくづくと知らされた。普段からウソの訓練も必要ということ? 私の場合は、後味の悪い他者への裏切りや、嘘は避けてきた。 結局は周り回って帰ってくる。 動機が純粋かどうかを、最終の判断基準にしている。 ただ、人間の窮したときの露骨な嘘こそ忌み嫌う。 自分の利益行為のために、綺麗ごとを当然のごとく並び立て、結果として尻尾を出している男かいる。 営業という仕事自体が綺麗ごとを並べ業績に結びつける要素が含まれる。全てを営業成績を上げるため、生きるため、 の手段にしなければならないのがプロと思わないと、やれない。嘘をつかないで、相手をグサリと刺しまわっている「私」も 大問題である。嘘を言う前に、まず真実を知らなければ! 真実も嘘も知らない手合いが多いから困ったもの。そうこう考えてみると、 親の資質や、本人の教養度合いの低い人が、ウソが多い人、ということになる。まあ娑婆は適当なウソで持っているところがあるが・・ 後記)書いた後に気づいたが、ほぼ同じ文章を書いたことがある。 ・・・・・・・・ 2007年09月14日(金) 2355, ギリシャとエーゲ海の旅 −1 この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、秘境・異境派は一組もいなかった。 23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、6名が女性づれ、1人参加が1名。 平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって 丁度良いバランスの連れ合いであった。少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、食事時の会話が大変であった。 (その辺は家内の得意とする分野!私は寡黙の人に変身した日々。)内容的には、クルーズではトルコのクシャダズと、 また乗り継ぎ拠点のエジプトでは、ピラミッドとエジプト考古博物館のオマケつき。盛りだくさんのスケジュールが 組まれていて10日間としては、内容が豊富であった。点数でいうと、100点満点といってよい。まずは今回のツアーの 「スケジュールと主な内容」を旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表をコピーしてみた。 ーーー (字数の関係でカット09年9月14日) ■空路、エジプト航空直行便にて帰国の途に 宿泊:(機中泊) 10日目 成田着 12:55 ーーー 以上である。次回は、その感想を書きます。 たまたま、数年前の今日、同じエジプトの旅行記が書いてあった。 面白い偶然である。 つづく ・・・・・・・・・ 2006年09月14日(木) 1990, 9・11から5年が経過 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ 9・11同時テロから先日で丸5年が経った。 その日を境に世界が一変してしまった。 その認識度が、その人の時代感覚の度合いとみてよい。ユダヤ対アラブ戦争が発生、これが今後延々と続く 図式ができてしまった。アメリカはアフガンとイラクにアメリカが侵攻、政権を覆してしまった。 あの事件以来、国家としても個人としても弱肉強食がハッキリしてきた。 丁度その頃からインターネットが一般社会に根付いて、世界がさらにグローバル化した。 (字数制限のためカット2010年9月14日) ・・・・・・・・・ 2005年09月14日(水) 1625, 戦略的思考について−2 アインシュタインは、質問の力について、「もし自分が殺されそうになって、助かる方法を考えるのに 一時間だけ与えられるとしたら、最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」と述べている。 それだけ最適な質問には、莫大なエネルギーと力が秘められている。 その事態に対する『隠された質問』 を探しだしさえすれば、問題の殆どを解決したことになる。 それは思考についても同じことがいえる。 問答による思考発展として2500年前のギリシャで、ソクラテスの対話による教育手法が生まれた。 現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育方法になっている。 18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを破壊してしまった。 これは高等教育を普及させるのに役にたったが、個人の教育の立場ではギリシャ以前に立ち戻ってしまった。 その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと考えてしまうようになったが、 教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す’という意味がある。 古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す方法で、ソクラテスによって名が 知れるようになったテクニックである。先生が鋭い質問を生徒に投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、 説明するように仕掛けることである。これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。 はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。 私が学生時代に武澤ゼミで訓練された「ケースメソッドーケーススタディ」は正にこれであった。 多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生とゼミ仲間同士が問答形式 (ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法である。 与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、 最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。 その効果は ・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる ・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、論理を引き出し問題を明確にしていくプロセスの学習 ・ロジック構築のプロセスの学習 である。 内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。 戦略は鳥瞰としての絵図である。 その絵図の構図を練ることが戦略思考である。 それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。 戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。 その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。 わたしが最近ゲンキがないのは、デフレのすざましさを読み違えたことだ。 インフレ脳でしか考えてなかったことか!戦略思考など偉そうなことは書けない立場のはずだが! 冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。 ・・・・・・・・・ 2004年09月14日(火) 1260, 人生の基礎は10歳までに作られる! 人生は10歳での環境によって、ほぼ既に決まっている。中学校は選抜される前の最後の場である。 その時の成績が、その後の人生を殆んど決めてしまっている。以前にも書いたことがあるが、私の中学の同級では、 一番が慶応大学の教授、 二番が日本レコード協会の専務理事、 三番が自衛隊の幹部である。 反対に、成績が悪い方を見ると、具体的に??書かないほうが良い。それをより突き詰めてみると、 10歳の成績と環境まで遡ることができる。好奇心と向上心が潜在意識の中に如何育まれていたかである。 子供のころは「退屈をする時間」が有り余っていた。その時間の中ありあまる好奇心で大人の世界を見たり、 子供同士の世界の中で多くの試行錯誤を繰りかえしていた。初恋や、新しい遊びの発見、人間関係の駆け引き等々。 また大人の世界を子供の純粋な目でチャンと捉えていた。 ここで親が、その自由な時間を奪い取ったり、口出しをしたら、無気力な指示待ちの基礎が出来てしまう。 もう一つのチャンスは、大学時代である。 嫌になるほどの、自由な退屈な時間と、有り余った時間の中で、 自分の人生の「予行練習」と、「人生計画」を練り上げる。多くの分野の本を読んだり、多くの人と出会い議論するのは、 その知識を得る為である。クラブ、寮、ゼミの先輩、教授から、その準備期間に如何に多く教え頂くかで決まってくる。 その時に、如何に準備に集中したかで長い人生が決まってしまう。 「べき時に、べき事を、べくすべき」ということだ。10歳までは親の責任である。好奇心と、自主性と、 やる気を壊さないように導き出してやれるかだ。しかし,それだけでないのが人生だからこそ面白い。 反面教師として、それをのりこえる場合も往々にしてあるから。 いや無いか! ・・・・・・・・ 2003年09月14日(日) 893, 「バカの壁」ー読書日記−1 以前から気になっていた本だが、ついに買った。この人の本を多く読んでいたので立ち読み程度でよいと思っていた。 しかし金を出して、手にとって読むと真剣度と理解度が全く違う。人間は、本気になって知ったこと以外「バカの壁」 に囲まれている存在である。教養とはその「バカの壁」をいかに多く取り除いた状態の程度といってよい。 といってその壁は取り除けば取り除くほど、更に自分を取り囲んでいる多くの壁に気がつく。 この本では、「詳細を知らず、かつ知ろうともせずに上辺だけを見みて、わかっていると思いこんでしまう ことの恐ろしさ」を指摘している。「わかっている」という思い込みの怖さである。「人間は全てそんなものだが」 と書いた後、そこで「人間を解っているつもりの自分の壁」に気付いて驚くことが度々ある。 小さい世界から一歩も外に出たことのない住人は、この壁が頑強に取り囲んでいる世界が全てである。 その壁に囲まれている自覚すらないから更に恐ろしい。そういう壁が全ての人に存在している。 「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は、 違うものであるという「二元論」の重要性を説いている。「ものごとには良い面と悪い面があるということを認識しよう。 それには実際に経験するのがいい」というのがテーマでもある。 一般に良いこととされる言葉-- たとえば「個性重視」,「効率化」,「景気回復」「人間性」なども,考えるとそうである。 「個性重視」...これは最近あまりいわなくなったが、我がままの人間とどこで線を引くのか 「効率化」..... 仲良しクラブも良いところがある?のではないか 「景気回復」... ハイパーインフレになっても良いから目先の阿波踊りが良いのかー景気回復が本当に良いのか 「人間性」..... いい訳に使う言葉に最適である 「物事は全面的に良いものではなく,良い面と悪い面があるものだ」と、「一元論」を否定し, 「二元論」を示唆している。 話せば分かる,という世の中にするためには,多くの人が「一元論」の考え 方から脱却し,「二元論」を受け入れることが必要としている。 以下は字数の関係でカット(2007年09月14日) −続く ・・・・・ 2002/09/14 眠れない夜に 眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。 ・仰向けになり全身の力を抜く。 ・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と気持ちを その都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。 ・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目のあたりで睡眠に入る。 それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間。 ・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。 それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。 ・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。 何かの本に面白い内容があった。 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンのイメージで、騎兵隊の待ち受けている。 彼らは狭い渓谷に入ってきた。 その一人一人を狙い撃ちをする。一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。 彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、幾らでもいるのだ。それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」 これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。 寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか? その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。 ・・・・・・・・・ 2001/09/14 宗教戦争−3 [姉のメールに是非見てみろとホームページのアドレスが載ってました。 今回の事件の写真が載ってます。 http://www.tch.org/~russb/wtc/ ] 初めてエジプトに行った時の事を忘れられない。深夜にカイロに着き、ホテルで寝入った瞬間妙な音で目が覚めた。 丁度ラマダンの期間で早朝より街中コーランの祈りの声が流されるのだ。 何か異様な世界にきてしまったと感じた、強行軍で数時間の眠りの後直ぐ朝食。 レストランに行くと、ボーイ意がラマダンの為か苛苛していて皿を投げつけるように置くのだ。 バスに乗ったと同時に若い女性の日本の現地ガイドが曰く「この国に来たら、キリスト文明の感覚を全部すてて下さい。 (字数の関係上、カット08年09月14日)
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2010年09月13日(月)
あれから9年になる。こと自社からみたら、この日をもって右下がりになり、現在も続いている。 2004年から少し持ち直してきた矢先に今度は2008年9月15日のリーマンショックを契機にした100年、250年に一度の世界恐慌。 あの日から世界も日本も変わってしまった。まことしやかなアメリカ陰謀説がある。時間の経過と同時に信じるようになってきている。 為替と株式で大儲けをした輩がいた現実がある。更に、この事件をキッカケに兵器業界は大儲けをした。 アメリカでは戦争は公共事業といわれ、不況にとって手っ取り早い毒薬と同時に、回復剤になる。 第二次世界大戦は、 1929年から世界恐慌から立ち直る大きな契機になった。 アメリカの誘導によって日本がハワイ急襲をしてしまった。 そうこう考えると、アメリカは恐ろしい国。イラクの攻撃のキッカケとなった大量破壊武器所持疑惑も、実際には存在してなかった。 戦争を仕掛けるためにCIAが捏造したことが後になって判明した。日本のバブルもアメリカによる日本国内の内需拡大の強制による。 その結果の日本のバブルのピークを待って株式の暴落を誘導を図った。そして下がりきった株と不動産を買い捲ったファンドが、 大儲けをした。 好き放題に日本の資産をいじくりまわし、収奪を繰り返しているアメリカに日本は成す術がない。 歴史的にみて、その後の2008年9月15日のリーマンショックと同じレベルで、2001年9月11日の事件は語られるはず。 アメリカ崩壊への二つの大事件として。 これを必然的事件とみると、何か底知れない深いウネリを垣間見れる。 20世紀的なものの崩壊の必然の事件としてである。そして、この火の手が10年20年かけて世界を焼き尽くす。 日本のバブル崩壊後、山一證券が倒産したのが、7年後。大手銀行が3つになったのが10年後である。 この世界恐慌も、10年20年の時間で世界を大きく変えていく。現在はデフレ、そしてハイパーインフレが襲ってくる。 グローバル化は、世界をフラット化する。日米欧は、その他の国と変わらないレベルになりざるを得なくなる。 9年で、インターネットも、携帯電話も、テレビも、劇的進化をしてきた。それが、世界をフラット化を進めている。 これから10年、世界は、その動きを更に大きくするだろう。 面白いと同時に、恐ろしい10年になる。 ・・・・・・・・ 3083, 哲学人 −1 2009年09月13日(日) * 小説の作り方 哲学研究者の、ブライアン・マギー著『哲学人』を、半年がかりで読んでいる。 なかなか難しいが、時どき解りやすい部分もある。分野の違う人の「小説の作り方」も、 小説作法の全くの素人からみると新鮮で解りやすい。 自分の欠けていた部分を満たす作業としての小説も、 読んでいる方も、書いている方も、リアルに感じるだろう。 自分の体験を補充するなら事実に近い 深みのある内容になって当然である。 まずは、その内容から〜 ーーー 《 私の希望は、相思相愛の果てしない追求だったが、そうした愛を経験したことは一度もなかった。 経験できなかった理由は、私が愛されなかったからではなく、愛さなかったからである。行き場のない強烈な感情の内海は 私のなかでせき止められ、誰かが愛してくれたときでさえ、表に現れることはかなわず、自由に流れることもできなかった。 そのため大きな不満が募り、激しい感情に支えられた衝動が蓄積され、私はそのはけ口を求めた。 そこで思いついたのが、 小説を書いてこの衝動をつぎこむことだった。その小説のなかでは、大海のごとき感情があふれ出ると同時に癒され、 私に欠けていたことが、ある意味で達成される。それも想像のなかだけではなく、現実のもの、自分の外に存在するもののなかで、 である。私はこれを『ラブ.ストーリー』と名づけようと思った。驚くべきことに、このタイトルはその時点では まだ使われたことがなく、少なくとも私の知りあいに過去の例を覚えている者はひとりもいなかったのである。 私の構想では、中心人物は最低でもふたり必要だった。 女と男がひとりずつ、これは当然である。 では、このふたりをどうするか? 単純に、彼らは恋愛中という設定にして、その愛を表現してみるのか? それだけを二、三百ページにわたって情熱的に語っていくのか? これをうまくやってのけることが想像できなかった わけではない。 私が、本来の私とは違う作家になれば、それも可能だったろう。壮大な散文詩、淡々とした、それでいて、 たゆまぬ愛の賛歌というわけである。ただし作品自体がだれることなく飛翔しつづけるためには、その勢いは単に力強いだけでなく、 本質的に詩的でなければならない。そしてこの場合、私の勢いに力はあるが、詩情はないとわかっていた。 この本の背後にある衝動は、何よりもまず心理的、感情的なものだった。私が探していたのはリピドーのはけ口だったのである。 それに、私にとって自然なはけ口とは、叙情的であるよりむしろ劇的であるべきだろうと感じてもいた。 波乱に富んでいて、望むらくは力強いものでなければいけないのだと。 しかし、だとすれば本のなかで何かたいへんなことが 起こらなくてはならない。 そして、このたいへんなことが本の内容に大きくかかわるのだとしたら、恋愛関係に影響を 及ぼすものでなければならないだろう。 さらに、それがささいなことでないとしたら、重要なことでなくてはなるまい。 いずれにしても、劇的な効果をあげるにはそうである必要がある。考えれば考えるほど主人公たちの恋路を邪魔するもの、 なんらかの障害でなければならないという思いが強くなっていった。いわゆる三角関係についても、思いつくかぎりの可能性を検討 してみた。だが、そのうちのどれかが読者の心をつかんだとしても、本来無条件であるはずの主感情に制限を設けることになってしまう。 それは避けたかったので、別の登場入物を巻きこまずとも、彼らの恋愛にとって大きな現実の脅威となるものを考えてみた。 浮かんできたのは、重大な病気や事故というアイデアだった。 》 ーーー ここで、著者は「相思相愛」の経験が無かったと正直に告白している。そのリピドーのはけ口を『ラブ・ストーリー』にしたのだと。 相思相愛?の恋愛結婚をした人は、そのまま、脚色をすれば小説になる。 が、本当に面白いのは、著者の方だろう。 所詮は共同幻想、いや自己幻想、いや他幻想だから、『達成したことに何かを付け加えるより、達成できなかった幻想の方が、 むしろ新鮮味がある』と言える。 哲学人の書いた小説作用の切口もリアルである。 ・・・・・・・・・ 2008年09月13日(土) 一昨日、「清水洋の経済セミナー・全3講ー有事に勝ち残る」を受講してきた。 4年前からのシリーズで、これで三回目である。30数名の参加者だが、行くたびに、講師の言うとおり、 経済が世界的にも国内的にも深刻度を増している。何時も暗い気持ちになって帰ってくる。 *印象に残っている順に書くと、 ・この5年間で中小・個人を含めた30?の事業所が閉鎖。ここに来て更に悪化している。(周りを見ていると、その通りになっている) ・ハイパーインフレは、もう間ちかに来ている。来年は食品がインフレになる。 5年〜10年先を想定して、金とか財政が 優良な国家の債権などに、ヘッジをしておくこと。 国家破綻とは、ハイパーインフレになり、庶民の資産価値が激減すること。 ヘッジをしてあれば、六分の一になったら、逆に六倍の価値が上がることになる。金は現在二千八百円だが、六千〜七千が目安。 他のヘッジとして、 カナダドルを持って、ケイマン諸島に預けておくとか、 ・不動産のビッグバンがおきている。地方銀行の隠れた不良債権が膨大にあり、これから表面化してくる。 ・変化は、ある日、一挙に起こる。 ・10年後のイメージとして、国家予算が370兆円、70兆円が国債の発行。(ハイパーインフレのため) ガソリン千円。 首都圏移転が本格化。 ・現在の夕張市の実情が、10年後の日本の姿。公共事業はゼロ。公務員の三分の一カット、給料の三分の一カット。 ・道州制は、早く導入されるだろう。そうしなければ、日本は持たない。官僚を解体するのに一番手っ取り早いからだ。 ・日本政府は、隠れ資産が膨大にある。まずは東京の霞ヶ関の土地と建物。 首都移転で、数百兆円など軽く捻出できるし、 ガソリン税などの特別目的税などの余剰の資金が国民の目から隠されている。道路公団を民営化すれば膨大の株価から金が入るし、 郵貯の株式も膨大な金額になる。それもこれも、道州制と首都移転から派生する。 まだまだ、国家は多くを隠蔽している。 要は、これまでの固定観念を根本から変えること。グローバル、フラット化、情報が誰にでも手軽に入る時代になった。 それは根こそぎ社会を変えようとしている、ということ。 −−− 大まかに言えば、こんなものだ。 税務署が来て、明らかに理不尽なことをいう。 こと細かくメモを取っている。 もちろん、ここで後日に一連のヤリトリを公表するが、彼らは、そういう官僚機構の末端である。 この国は狂っているとしか思えない。取れる相手が3割しかないから、そこで理不尽なことをするしかない。 というより、 世界的な混迷期に入ってしまったのだ。 知れば知るほど、この10年の変化がタダゴトではない。特に日本は一番マイナスに働くであろう。 明治維新の動乱など足元にも及ばない混乱が始ったのである。 ・・・・・・・・・ 2007年09月13日(木) 2354, 閑話小題 ーギリシャ旅行より帰ってー 明日からギリシャ旅行についての感想を書くが、大まかの感想をそのまま書いてみる。エーゲ海は想像していたとおり素晴らしい! エーゲ海ブルーとは成る程言いえて妙の言葉である。旅行をして感じるのは、その対象の背後にある広大な景色である。 ただ対象を見るのではなく、それを支えている背景が対象を光らせている。ギリシャ本土は緑豊かな南欧?といった雰囲気であり、 トルコとイタリアに挟まれた微妙な立地がギリシャ文明の色合いをつくっている。8千年から一万年前の知られてない文明もあった。 ー安部辞任ー 18時過ぎに家に帰ってTVをつけると、阿部首相の辞任のニュースが流れてきた。 遅かれ早かれ辞任は避けられない事態であったが、最悪の時点の辞任である。 小泉・安部政権の末路ということか。 ここにいたって、小泉チルドレンが小泉の再登場を画策しているようだが、 (字数制限のためカット 2010年9月13日) ・・・・・・・・・ 2006年09月13日(水) 1989, 地元・中堅企業が二社倒産 ー石橋組の倒産ー 一昨日の朝の新聞を見ると、柏崎のゼネコンの石橋組の倒産を報じていた。 公共事業の軸足をアパートの建売建設に移動しようとしていた矢先という。 新潟駅前に更地があるので、何回も営業から電話があった。「アパートを一括借りをするので建設をしないか?」 という話である。「この厳しい環境で20年~30年会社が存在するの?」とも聞けなかったが・・ 家内が柏崎出身ということもあり、石橋組のことはよく知っていた。 「字数の関係でカット09年9月13日」 ーボン・オオハシの倒産ー 「字数の関係でカット09年9月13日」 ・・・・・・・・ 2005年09月13日(火) 1624, あるラーメン屋での、とある話 十年ほど前に家内が友人から聞いた内容だが、今でも鮮明に記憶している。どこでもあるような何げない話だが印象深い。 ー家内の友人がラーメン屋に入ってすぐに、貧乏学生風の男が一人入ってきて、ライスの大盛りだけを注文した。 ライスだけなので、すぐに運ばれてきた。すると、やおらラー油と醤油をライスの上に振りかけて無我夢中で 美味しそうに食べ始めたという。11そして食べ終えてお金を払って無言のまま出て行った。 その間、食堂にいた総ての人が一切食べていたものを口にせず、呆気にとられて見ていたというー たったこれだけの話だ。が、どういう訳か?その場面が目に浮かぶように憶えている。 さすがに学生時代に、その経験はなかったが。しかし何処でもありそうな内容である。 本人も、これだけ美味しいご飯は一生に一度?ではなかったのではないか。どんなご馳走より、美味かったはずだ! そういえば下の子供が、ご飯そのものが大好きで、新米の時期にオカズも無しに「美味い美味い!」 と食べていていたが。去年のこと、駅前でホームレスがベンチで駅弁を一人で食べていた。 その隣のベンチでひとり座っていたやはりホームレスが生唾を飲んで羨ましそうに見ていた。 それを横目に見ながらワザト勝ち誇ったように食べている姿が、人間の原点を見るようであった。 ・・・・・・・・ 2004年09月13日(月) 1259, 「裏帳簿のススメ」ー読書日記 ー 岡本 吏郎 (著) 出版社: アスコム この裏帳簿の意味は、けっして危ない脱税の裏帳簿ということでなく、 「役員賞与を目いっぱい取って、生活費の差額を別通帳にプールしておく、戦略的予備費のつくり方」、 要するに「副帳簿を作っておくべし!」という内容である。 我々中小企業の経営者は、こういう戦略的予備費を 持つという考え方は持っていないで、日々の資金繰りに追われているのが大部分である。 前書の「会社にお金が残らない本当の理由」では、 ・裏帳簿は絶対必要!その理由と作り方 ・決算書の数字はまったく意味がない理由 ・経営をするうえで知らない人が多い、たった一つの数字ー本当の数字 (字数の関係でカット2009年09月13日) ・・・・・・・・ 2003年09月13日(土) 892, 危険物取扱主任者講習会 先日の午前中「危険物取扱主任者」の3年に一度の法定で義務付けられた講習会に出席してきた。 主に、ガソリンスタンドやタンクローリーや、大型ビルや、ホテルなどの軽油や重油を扱う設備をおく事業所に 一人は必要な資格である。 この資格を取るには結構、試験が難しい? 一日4時間、2週間は集中しなくてはならない。 参考のために、宅建は夜間の講習会に5ヶ月通って、更に家で3時間平均 集中して勉強して、合否確率は50?である。 この講習会の参加は7回目になる。これに宅建の講習会が数年に一度あるから、大変といえば大変だ。 今回の場所は三条の地場産業振興会館であった。第三セクターの豪華な、しかし有っても無くてもどうでもよい箱物である。 5百人は入る大会議場で、空気と温度は最適に保たれていた。そのせいか、ほとんどの人が講師の話を真剣に聞いていた。 いつもは三分の一は寝ている人がいるのだが。帝国ホテルやパレスホテルの会場より快適なのだ。 こんなものは、新潟県に一つや二つでよいはずだ。どうなっているのか?これも補助金ばら撒きの箱物の典型だろう。 ホテルの場合は、全くといってよいほど注意することが無いので寝ていてよいのだが、 ガソリンスタンドの従事者の場合そうはいかない。何事もそうだが、関係ない話でも真剣に聞いていると結構面白い。 あれだけ硬い内容にかかわらずでだ。「何事も楽しんでやれ」と、思って聞いたからだろう。 危険物を扱っている事業所は年々減っているようだ。ガソリンスタンドの廃業が増えているためだ。 それに比べて事故は年々増えているという。何処も経費節減のため、人手が足りず事故につながっているという。 「何処も同じ秋の空」ということだ。 〜〜 硬い内容だったので、駄洒落を一つ ー空から鳥が落ちてきた・・・コトリ これじゃつまらないなら、私の創作連想駄洒落 ー空から人が落ちてきた ひとい つまらない?それじゃ ー空からストーカーが落ちてきた ー人〜か もっとつまらない? いい歳をして! 朝っぱらから ・・・・・・・ 2002年09月13日 勉強方ー速読法−2 10年近く前までは、構造やキーワードなど二の次にして、初めのページから読んでいた。 そして本は汚さないようにして、古本屋に売る気もないのに!本棚は途中で投げ出した本の山であった。 月に2〜3冊を買ってきて、半分ぐらい読んで投げ出し、ただ読んだという満足感で終わっていた。 読み返しも大してしなかった。 大きい転機は近くに地方にしては大型の図書館が出来たことだ。 読みたい本が山ほどあった。借りてきて少し読んで1〜2週間で返した。そして再び借りる。 通って借りているうちにとりあえず目次と前書き、後書きを読むようになった。 そして2年前より借りられる量が5冊から10冊に増えた。ポイントはギリギリ借りて、居間のTVの横に 積み上げておく事である。2年前に速読法に興味を持った、必然である。丁度図書館に5〜6冊あったのだ。 それが前回書いた概容である。10年前からみれば10倍以上の速度と量になっている。 随想日記を含めたホームページを開いてからは、書き出す量が10倍いや20倍以上になった。 やはり、第三者にさらけ出すということ大事だ。アウトプットがあればインプットの力も強くなる。 そういう意味で物書きは、長い時間の中で膨大の循環がなされている。 生活とプライドをかけて書いているから、当然に違うわけだ!インプットとアウトプット力は数十倍になった。 といっても、あくまで10年前の自分との比較だが、ブラックボックスとしての自身の処理能力の革新である。 ・・・・ 2001/09/13 [143] 宗教戦争ー2 この事件はキューバ危機・ケネデ−暗殺・ソ連崩壊に位置ずけられるとんでもないテロである。 元大蔵省の榊原某と寺島実郎が言っていたのが一番本当だろう。 「恐慌とか株価が云云とかのレベルでない、とんでもない広がりの宗教戦争の本格的な始まりといってよい。」 世界中が今かたずをのんで、成り行きを見ている。株価の相場にしてみると、2000円の下げに値する出来事だ。 そうなると!もう違う頭の切り替えをしなくては。‘9月11日の前と後’というくらいの段差が出てくるだろう。 「彼らは世界恐慌を狙った!」と寺島実郎が言っていたが、戦略的に見るとふかい狙いだ。 我々の日常に関係ないといっていられない事態でもある。日本ももちろん巻き込まれるだろう。 ハイジャックの飛行機を4機同時に突っ込むなんて、考えられない事をするのが宗教の恐ろしさだ。 旧約聖書の世界に入りつつある。 「イスラム対ユダヤ・キリスト宗教の宗教戦争の参考の為、以前書いた文をコピーしていく」 ーーーーー ーH1105 イスラエル聖なる旅 この旅行は四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に数えきれないほどの ドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。 その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。 関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。 人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何も むずかしくない、ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。 また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。印象の強い順に列記してみると、まずは何といってもエレサレム。 イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。 四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。 そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。 イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。 磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。 (2008年09月13日字数の関係上カット) [1999.4.14〜4.24 -ryokou ]
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2010年09月12日(日)
* アフリカに魅せられて ー2 以前にも書いたが、ケニアのマサイマラにあるマラ川のヌー河渡りが圧巻だった。 「ヌーの河渡りツアー」に参加したのだが、10人のツアー仲間とサファリのプロの日本人がつく。 サファリカー二台に分譲して、マラ川の近くで、ヌーとシマウマの群れが集結するのを待つ。そして、遥か彼方に 集結するのを発見すると、気づかれないように近づき渡る瞬間を待つ。30分、一時間は待たされる。そして次の瞬間、 地響きをあげて川に飛び込む。 それを隠れ潜んでいるワニが力強いあごでヌーやシマウマに襲いかかり、水の中に引きずり込む。 そこは生と死のドラマが繰り広げられる。それが緊張に満ちており、感動的である。それまでTVで何度か死闘を見たことがあるが、 生(なま)の現場でみると迫力が全く違う。 河渡りの途中に襲われ、一度水中に引っ張り込まれたシマウマが最後に、 ワニを振り切って生還する場面が圧巻であった。 また、渡りきった後に、水辺から上に登ろうとするが、 力尽きて河に流されていくヌーと、力を振り絞って何とか登りきるヌー。 それを近くの藪の中から見るのである。 正に生と死のドラマの真っ只中で見る。 アフリカのサファリに魅せられるのは、生と死の狭間で動物が大自然の中で生きている エネルギーが直に感じることが出来るからである。 動物園内のライオンやシマウマと、野生のそれとは全く違うのである。 最近、Youtubeで、ライオンなどの狩りの撮影が投稿されているのを見るが、これも迫力がある。 私が参加したチームの6割がリピーターで、ヌー・クラブをつくって東京で会合を開いているという。 都会生活に疲れ、癒しを求めているという。 「オンリー・ユー」をかけて「オンリー・ヌー・クラブ」とか。 ここで、驚くべき場面に出くわした。 現地のジープのドライバーが60歳近いシングルの女性に、自分を買わないか?と、 人が居ないところで言っていたのである。 本人は断っていたが。 更に金持ちそうな人にドライバーが家を買ってくれと提案された。 一軒が30万で買えるので、年に一度来たときは、家賃とサファリを差っ引きに出来るし、別荘をケニアに持つことが出来るからと、 真剣に考えていた。マサイマラに30万の別荘といえば、面白いといえば面白いが、トラブルの元になるのは火を見るより明らかだが。 ヌーの川渡りも一度で充分だが、それでも強烈なサファリである。 ・・・・・・・・・ 3082,対話とは何か 2009年09月12日(土) 以前から新入社員教育でST訓練を取り入れていた。 会話しか経験のない20歳前後の新人に、 基本としての対話を教えるもの。 この元となる書を四十年近く探していたが、先日、偶然ネットで見つけたのである。 「ダイアローグ 対立から共生へー議論から対話へ 」デヴィッド・ボーム (著), 金井真弓 (訳) ーである。 さっそく注文をしたが、前の会社を含めると30回前後の訓練をしてきた。 これは訓練をされる方より、指導するほうが勉強になる。 驚くのは若い人が、この訓練をすると見ちがえるほど変化する。 相手が何を言わんとしているかを把握して、今度は自分の考えを言葉にして相手に伝える基本中の基本である。 学生時代に武澤ゼミで一年間、15人位のグループでみっちり鍛えられ、更に金沢の新人教育で罵声の中で鍛えられた 経験から、見よう見まねで指導してきた。 そして30年近く、自分が一番得るところがあった。 相手の話の筋道を聞き取るのは当たり前と思うが、私の知るところ3割もいない?。 一度、自分の脳の中に言葉としてインプットして、こんどは相手に向けてアウトプットするのは、厳しい訓練か、 ハードな上司に鍛えられないと出来ないのだろうか? 哲学者の池田晶子が、その著書で 「対話とは、普遍の理性によって、個別の事柄について、その理非曲直を論じ合うことである。 それは相手が誰とかは関係なく、原則に貫かれるべきことである。」と述べている。 −そこでネット検索で「対話」を入れて調べてみるとー 対話(ダイアローグ)とは、「ダイア」(通る・流れる)と「ロゴス」(意味・言葉) を語源とするギリシャ語からきている。 そのため対話の基本姿勢としてつぎのようなことが大事となる。 ・徹底して言語化する。 言葉にして初めて存在する ・知識と経験を共有する。 言語化された意見・知識・経験は共有される (ただし、それ を持っているから優位な立場になるわけではない。言葉を個人から切り離すことが重要) ・「目的を持たずに話す」「一切の前提を排除する」など実践的なガイドを織り交ぜながら、チームや組織、 家庭や国家など、あらゆる共同体を協調に導く、奥深いコミュニケーションの技法。 ー以上だが、地頭が良いということは、自分の地言葉?(私の造語)を持って、真剣に現象と対話することである。 現象の背後にある構造を読み取ることである。これは難しいことだが、最後の最後は、これしかない。 それを対話の中から互いに引き出すのが目的である。 神との対話、本を通した著者との対話、 販売データーを通した顧客との対話、コンサルタントとの対話、知人との対話、等々、色いろある。 対話が出来ないじゃなくて、対話段差の違い? ということか? 人の話を聞こうとしない人、知ろうとも思わない人が多いが、それは「程度」ということ? この随想日記も、考えようによっては、対話をしているのだろう。 自分と、読んでくれている人と! ・・・・・・・・ 2717, iPhoneその後 2008年09月12日(金) 購入をして45日になる。自宅と会社の事務所の机に上には、オールイン型のiMacのパソコンが置いてある。 また、8GのiPodもあるので、必要ないといえば必要は無いのである。 しかし、新しいもの好きな者にとって、これは身近に手を取ってみたいもの。 実際、現在も携帯電話に戸惑っている。 もちろん携帯電話機能は、既存の方が使いやすい。 デジカメ機能もデジカメの方が良い。じゃあ、何が良いのか?といえば、 携帯電話と、デジカメの多くの機能が付いた小さいパソコンを腰ベルトに付けておくことが良いのである。 ただ、それだけ。 携帯電話のように、時間の経過とともに身体の一部になるのだろう。 マスコミでは、思ったより、これが売れてないといわれ始めた。しかし時間がかかるだろうが、これは売れる。 多くのメーカーが、携帯電話を、このカタチに近づけてくるだろう。 これはハシリのマシーンで、これを出発点として進化を始めるだろう。 この欠点を並び立てることは幾らでもできる。 ・何であるが、中途半端である。 ・電池が、みるみる減る。 ・携帯電話としてはでか過ぎる。 等々。 恐らく、私のように携帯電話を使いこなせなかった中高年が興味を持つだろう。 現在、何でいま一つヒットしないのは、女・子供に行き渡ってないからだ。 彼らは、あまりに現在の携帯に適応しているのである。で、お勧め出来るかって?と言われると、 私のように趣味として割り切ればよいが、携帯電話を使いこなしている人は、1〜2年は様子をみても良いんじゃないですか、 である。でも、昨日のように東京にセミナーに出席した時に、小さなパソコンが腰についていると 何か奇妙な感じのことは事実である。 未来が現出しているオモチャ、と思えばよい。 それでは、携帯電話に戻しますかというと、いや、これがよい、ということ。 それが現時点の感想である。 使い出した初めは、携帯電話の方で良かったのに! と思うだろう。 ・・・・・・・・・・ 2007年09月12日(水) 2353.ベナレス・・・9 12、母なる河ガンジス 日本の文化や精神性を象徴するのが富士山であるとすれば、インドのそれは間違いなくガンジス河である。 ヒマーラヤの山間部ガンゴーツトリー氷河に源を持ち、勢いよく南下して平地に達成するかがわかる。 日本では英語のガンジスの名で親しまれているが、インドではガンガーと呼ばれ、女神そのものもと考えられている。 神話によれば、バギーラタという王が先祖の犯した罪を浄めるため、神々に懇願し苦行を重ねた結果、罪障を洗い浄める 力を持つたガンガー女神が天界から地上に流れ下つたのだとされる。 それ以来、ガンガーはあらゆる人びとの罪障を浄め、 より良い再生をかなえてくれる聖なる河として崇められるようになったという。ガンジス流域から離れた場所で 儀礼を行う際も、その土地の水を入れた壺にガンジスの聖水(ガンガー・ジヤル)を一滴でも注げは浄められるというほど、 この水は霊力を持つと信じられている。ヒンドゥー教徒はこの河で沐浴するときには母なるガンガーに身をゆだねる 安堵感にひたリ、また、死んだときには母に抱かれてヒマーラヤに帰っていくことを願って、ガンガー女神に篤い信仰を捧げる。 ーー 解)死体を流す川での沐浴。そして、その近くで骨の中から指輪などの貴金属を川の中からあさっている人たちの姿。 なんともいえない悠久の流れがそれらを全て包み込んでいるようであった。 インド、特にベナレスは一度日本人は行ってみるべきである。 死はサシたる事ではないと思えるようになるから・・ (字数制限のためカット 2010年9月12日) ・・・・・・・・・ 2006年9月12日 1988, デジタル一眼レフカメラ −2 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 今回、「初心者用のデジタル一眼レフ」を買うについて、色いろ調べたが、結論として、 ・キャノンのEOSKissデジタルNと、 ・ニコンD200と、 ・ソニーのα100と、 ・パナソニック一眼L-1ーLUMIX に絞られた。 何ということはない、「ヨドバシカメラの売れ筋コーナーのエンド」に並んである順である。 さらに値段と、メーカーと、売れ筋を、インターネットで調べた結果、最後の選択はソニーというブランドと、千二十画素と、 手ぶれ補正機能と、CCDにゴミがつきにくいアンチダスト機能など、全て採り入れてあったソニーのα100に決めた。 パソコンやTVなどソニーの商品を買ったときに、記億媒体やソフトの共用の可能性も判断材料であった。 「ソニーが、デジタル一眼レフに参入する為の機種が悪いわけがない。 私のお勧めはソニーです。 そして現在は当店で一番売れてます!」これが、ヨドバシカメラの担当のお勧めの殺し文句である。 今回のケニア旅行で使って後悔をしなかったのだから、良かったのだろう。 コンパクトデジタルなら買え替えも気楽にできるが、一眼レフは少なくとも10年は付き合わなくてはならない。 望遠や広角レンズを徐々に買い揃える?ことなど考えると、慎重になりざるをえない。 型落ちの4〜5万円の5〜6百万ガソの一眼レフとも考えたが、ローンにすることで、思い切ってこれにした。 いつも安いものを買ってしまって後悔しているので・・・ 最近、冷蔵庫、コンポのステレオ、このカメラにしろ、買い替えをする時に、「冷蔵庫として最後の買い物かもしれない」と、 その度に思うようになった。 そうみるとシビアな感覚になるが、60歳過ぎの心象であろう。 洗濯機と、電子レンジが寿命間近かだが、その時も同じことになる。そう思いながら楽しんでいるだけだが・・ しかし、やはり・・・ ・・・・・・・・ 2005年09月12日(月) 1623, 自民党大勝 予測どおり自民党が歴史的大勝をした。 反面、民主党が惨敗である。 これで自民・公明で三分の二を占め、郵政改革案は確実に成立することになった。 自民党の郵政反対派が34人のうち18人も当選したのが意外である。三分の一になると思っていた。 綿貫と亀井が当選したのも、地方の民度の低さをそのまま現していた。 この二人は落とさなくてはならなかったが。 これで、参院が法案を否決をすると面白くなってくる。参院の存在そのものが、無用になっているのは誰の目にも明らか。 (字数制限のためカット 2010年9月12日) ・・・・・・・・ 2004年09月12日(日) 1258, 人生のセイムスケールとは? 最近、個人のホームページが、注目を始めているという。趣味を写真や文章で、個人のホームページに表現し始めてきた。 このHPもそうだ。10年も経てば、(あくまでも私にとってだが)膨大な資料館になる。 自分の情報基地を個々人が持ち始めて、ここにきて時間と供にカタチになり始めてきた。 ネットウエーブをしていると、最近思わず唸るようなものに多く行き会う。ほぼ毎日、新聞の死亡欄を見ているが、 自分の年齢の前後から下を見て、その数を数えている。今日は一人もいないとか、5人とか。大体15?である。 歳を重ねると間違いなく、その比率がドンドンあがっていく。山田風太郎の『人間臨終図鑑』に、 年齢別に亡くなった有名人と行蔵が分類してある。山田風太郎が既に先陣をつけていたことを知らないで、 2001年7月9日から実行していた人がいた。途中で風太郎の『人間臨終図鑑』に気がついて、その時から勝手に 二代目・風太郎として、その遺志を継いで、その後、こつこつと書き溜めて1200人以上になろうとしている。 この人の趣味のようだが、そのプロセスで多くの人の行蔵と魂を知ることが可能になる。実際始めたら病みつきになるだろう。 サロンに、このホームページのアドレスをコピーしておきます。とにかく面白い。自分と同じ年齢をクリックすると、その歳で 亡くなった人が出てくる。何か自分が情けなくなる感がしないでもないが。この作業は、膨大な時間とエネルギーを使う作業。 好きでないと出来ない。 この人の最後の文章がよい ー「大きな物語」の喪失した現在、「小さな物語」の集積とネットワークによる「終わりのない人生の森の物語」は、 どこへ向かうのだろうか。ボクにはわからない。ただ言えることは、この「おつとめ」をするためにボクは今生きている。 (以下、字数制限のためカット 09年09月12日) http://www009.upp.so-net.ne.jp/artrandom/samescale/index.html ・・・・・・・・・・ 2003年09月12日(金) 891, 9・11に思う アメリカの9.11テロから2年が経つ。この日を境に世界が変わった。アメリカにとって、テロとの全面戦争に入った。 無条件に「テロ容認国家とテロ集団を破綻させる戦い」に全てのエネルギーを注ぎ込む決意をしたのだ。 100年戦争の突入である。まずはアフガニスタン、そしてイラクである。いまイラクの戦後処理に手こずっているというが、 そんなもの当初からの予定の範囲でしかない。 次は北朝鮮、そして中国。ロシア?とは取引済みのことは当然。 表面はポーズで和平交渉をしているが、戦争をするための一里塚でしかない。まずは、兵糧攻めを徹底的し、戦争をせざるを得ない 状態まで追い込む。そして、戦争は至極当然に始まるだろう。その間にある日本は一番の標的になることは間違いはない。 私の9.11の出来事があった。丁度その時、私が居間のTVの前でうたた寝をして、寝室に行こうとしていた時であった。 就職をしたばかりの下の子供が帰省中であった。寝室のTVで二人はその事件があったことを知っていたが、居間で私と交代のタイミング、 歴史的事件と解っていながら無視をして黙っていた。寝室から開放されて、居間にきたのに今更呼ぶことがないと。 翌日、初めてその事件を知ったが、二人はそんなことは全く知らぬ顔。たまに帰ってきた子供と家内に怒ることも出来ない。 これが私の9.11であり、家内の私に対する可愛いテロ?である! テロの後の一ヶ月はライブで見たか見ないかが話題の中心。 ライブで見たという話を聞くたび腹がたった。多くの人が見ていたのには驚ろいた。 今でも9.11になると腹が立つ。 昨夜その話をすると、「『ありがとう』を回数いっている割に くだらない事に拘っているのね」と軽くいなされてしまった。 まあいいか。 --今日から、一年前と二年前の同日の随想日記をコピーします。 暇だったら、読んでください。 三年日記帳のつもりで読み返す習慣をつけるためです。 ・・・・・・・・・・ 2002/09/12 勉強方ー速読法 昨年から今年の前半は、ホームページ立ち上げとその為のパソコンの勉強であった。 今年の前半からは、「読書法と文章作法を中心とした勉強法」に集中した。 特に読書法の方法論が目から鱗という内容が多く、じっくり 身に付けるというより、いろいろな方法論の知識に気がいった。 しかし読めば読むほど、それだけ吸収力が確実につく!更に集中力とポイントの把握が飛躍的に付いた。 空の上から下の動物の群れをみる鷲のような感覚が強くなった。 共通の内容は大体がこんなものだ まずは前書き、後書き、目次を集中して読んで骨格を把握。−これは10年以上前から実施していたが。 ・キーワードをさがす。 ・図や箇条書きや太字のところを読む。 ・それが終わったら最後の章からポイントを探しながら、一とおり流し読みをする。 ・常に目次をベース基地にして各論を読む。 ・旅としての読書か、旅行としての読書かハッキリ分ける。 (読書そのものを楽しむのかーA、 知識を多く得たいのかーB) 両者の速読の仕方がまったく違う。前者ープロセスを楽しむにも早読法がある。 次がこの1年間に仕入れたポイントである ・目をスキャンに例えて、 一ページをなぞる、そして半ページをなぞる、 4~5行の段落でなぞってから2~3行ずつ飛ばし読みをする。ーー A、B両方可能 ・とにかくページをパラパラと何回も目を通す。 ーーB 目から脳に多くの情報が無意識で取り込まれるという。 ・間違っても、初めから終わりまでまともに読もうとしない。 ・段落の初めの2~3行を読んだあとは、流し読みをする。 ー大体が10~20行で段落になっており、一目で塊りは分かる。 その一割の2〜3行に大部分の情報が載っていることが多い。−−B 自分で発見した方法は ・折込をいれる。ー前書き、目次、後書き、項目、図、まとめ箇条書きに。大項目ほど折込を大きくする。 ・マーカーを引くより、ポストイットを縦に半分にきり、その部分の上に 貼り込む。 ・とにかく繰り返して読む。 一冊に重要なポイントは少ないと 割り切ってしまう。 −本より3~4つの最重要の部分のつまみ食いで十分と割り切る。 実際のところ本はまだまだ情報化とはいえ、まだまだ一番の情報の宝庫だ。 また合理的手段である。 ・・・・・・ 2001/09/12 [142] 宗教戦争 今朝おきて初めてアメリカのテロのニュースを知る。 ・株を持っていなくってよかった! ・次に全面宗教戦争の可能性! ・そして恐慌の引き金にならなければよいが! まずそう思った。 3日前の日曜日TV映画で、イスラム系アラブ人によるニューヨークのある地区の無差別テロの 「マーシャル・ロー」というのを見たばかり。 さすがアメリカ映画と思ってみていた。 それは劇場公共の場を狙った無差別テロで、今回のテロに酷似していた。かなり迫力のある内容であった。 その桁違いの内容が現実に起きようとは思っていなかった。 21C最大のニュースと解説が言っていた。 厳重な警戒態勢の中で行われたのが重大だ。 今日から、戦争・恐慌も含め何が起こっても不思議でない。 数万でなく、数百万単位の死者の起きる戦争になる可能性がある。 恐ろしい事件だ。
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2010年09月11日(土)
一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。 7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。知人に聞くと日経新聞に小さく載っていたという。 氏の業績から言えば、より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 所詮はスーパーの神様でしかないのか。 早くいえば、流通先進国アメリカをウォッチング、そっくり真似をし、日本の遅れている流通経路に新しいバイパスを創りなさい、 ということである。「大量生産、大量消費の間に、大量流通の仕組みつくりを、それぞれの立場で、新業態をつくること、 それをロマンとして志すべし」は、高度成長期には正しいことであった。その時期、ジャスコや、いとはん(その後、北陸ジャスコ) に勤めていたので、濁流の渦で色いろな現象を目の当たりに見てきた。そしてバブル崩壊。以降、今度は激しい生存競争に晒される。 その中で、長崎屋、マイカル、ダイエー、西武流通グループなどが次々と姿を消していった。 大手で残ったのがジャスコ=イオン、 ヨーカ堂だけになってしまった。 その二社も最近、変調をきたしてきている。ジャスコは、大型の郊外型SCの過大投資が重荷に なって経営を圧迫。 ヨーカ堂も旧態のGMSの整理が遅れている。コンビニのセブン・イレブンが親会社のアメリカ本社を逆買収、 それで何とか、息をついている始末。 悪いことに西武百貨店・ソゴウをグループで買収したことも、大きな問題に発展するだろう。 そうこうあり、ペガサスの会員企業も三分の二に減ってしまっていた。 今後5年〜10年スパンで、情報化の浸透で、ネットが 流通業の根底からの破壊が劇的に進むと見られる。中抜きの一番のターゲットが、大型店舗になるからだ。 その一つの事例がアマゾンである。私自身の書籍の購買の三分の二がアマゾンになっている。音楽も、ネット販売が主流になっている。 それらの変化を、氏は理解できなかっただろう。 ネット販売が、コンビニや、百貨店の売り上げ総額を上回った事実を氏は、 如何のように見ていたのだろうか。 それにしてもセミナーでの、あの熱気ある言葉は迫力があった。
・・・・・・・ 3081, 第三の場所 2009年09月11日(金) 我われは家と職場だけでは息がつけないので、行きつけの居酒屋やスナックをつくり、学生時代の校友会や、 気の合った飲み友達の会などの自分の世界を広げる。その他にもスポーツクラブやゴルフの会にも参加したりする。 それがレイ・オルデンバーグがいう「サードプレイス(第三の場所)」である。 「サードプレイス」とは 家(必要不可欠な第一の場所)と 職場(必要不可欠な第二の場所)に加え、 都市に暮らす人々にとっての「必要不可欠な第三の場所」を意味する。 オルデンバーグは「サードプレイス」の代表例として、 イギリスのパブ、フランスのカフェ等を挙げ、それらが自由でリラックスした雰囲気の対話を促進し、都市生活における良好な 人間関係を産み出す重要な空間であるとする。 その特徴を「インフォーマルでパブリックな営み」を促進する場としている。 インフォーマルとは社会的立場を脇に置くことであり、パブリックとは仲間がいて協調する場をいう。 第三の場は、年齢とか趣味で個々の組み合わせが変わってくる。 私のベースは、居酒屋・スナック+秘・異郷旅行+図書館・読書+早朝のウォーキング+新幹線通勤の車中などである。 誰もそうだろうが、私も学生時代から現在まで、第三の場所を直ぐに創る習性があった。 家が商売をしていて 大家族だったこともあり、自分の世界を創るしかなかったのである。但し中・高校時は、その余裕は全く無かったが、 その分、大学時代に一挙に爆発したようだ。 ところで8年前にパソコンを始めて、HPを開いてからネットが 第三の場所の一つに加えられた。 もしかしたら第四の場所? いや、第三の場所か??。 サルトルは、その一つとしてパリのカフェの一角で多くの友人とサークルを作り、オープンな議論をした。 そうこう考えていたら、人生でみると学生時代が第三の場所だったような気がする。第一の場が両親の影響下の家庭、 第二の場が自立後、そして第三の場が中間の学生時代である。だから現在でも学生時代の友人と会いたくなるのである。 学生という身分でスポーツやゼミなどで日本中から集まった人たちと、酒を飲み、議論をし、旅行などをした。 第三の場所に父親に頭を押さえつけられた二世・三世が逃避しているケースが多く見られる。青年会議所、ライオンズなどである。 こういう時期に人間関係を形成する機会という見方もあるから否定は出来ないが、要は第一・第二・第三のバランス。 場所といえば、時間にも「第三の時間」という言葉が成り立つ。「第三の場所で過ごす時間」である。 時間と空間と具体的な内容ーTPOの問題と、それを受け止める心(立場)の問題が出てくる。 で、「第四の場所」を想定すると? 「絶対孤独の場」それとも「何かに夢中になっている場」か「忘我の読書」? ・・・・・・・・・ 2716, 東京について 2008年09月11日(木) 家内は東京大好き人間。 私は好きではないが、少なくとも住みたいとは思わない。 大都会は確かに情報が集まり、面白いかもしれないが、何か豊かさの方向を間違ってしまったように思える。 私は日本の中央の東京の反対側の日本海の都市で、職は新潟市、住いが長岡市である。 のんびりしているが四季の変化が激しく、地方特有の時間がユックリ流れている。そこには色いろな人生を、 活き活きと生きている人が多い。また夜になれば、そそくさと家に帰り、家人とノンビリと過ごせる。 私が千葉で事業を始めて二年後、家の事情で実家のある長岡に帰ろうと決意した時のこと、 仕事上で知り合った友人がいった一言「何で、その歳で都落ちをするの?」である。 その人は、やはり私の故郷の近くの出身者である。 Uターンを都落ちという言葉に驚いた。 あの雑踏の、ビルや車だらけの無機物の塊の、何処がよいのか? という見方は地方から見た感想になる。 それぞれの生きてきた過程もあるから一概には±を軽々しくは言えないが。長男が、半年前に帰省してきて最近勤め始めた。 そして、Uターンの人を評して曰く、「あの人は○○という会社の落ち武者」 自分を落ち武者と思っているから、 いうのだろうが、落ち武者とはそれなりの仕事を成し遂げた武士だろう?と。都会礼賛が何処かにあるからだろう。 確かに、お金と能力があり、長年住み慣れれば、大都会も良いのかもしれない。学生時代を含めると首都圏に8年居たが、 都会だから良いというより、青年期に都会に居たのが良かっただけ。 (字数制限のためカット 2010年9月11日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月11日(火) 2352.ベナレス・・・8 6、輪廻と解脱の思想 輪廻と解脱という考えは、ウパニシヤッド聖典(奥義書)の中に最初に現れた思想である。 過去の善悪の業(もともとの意味は行為)が現在の果報を生じ、現在の業が未来の果報を招くというように、 われわれの生死は繰り返し続いていく。古代の思想家の大半は、このような輪廻の世界に存在すること自体を 苦であると考え、いかにして輪廻の束縛から解放されるか、すなわち解脱できるかを最大の問題とした。 彼らにとつて解脱とは、自我の本質とされるアートマン(我)が宇宙を成り立たせている 根本原理、すなわち万有に遍在する力であるブラフマン(梵)に合一することである。 しかし、庶民一般にとつてはこのような思想はいささか難しく、普通は死後天界におもむくことと考えられている。 現在の生が過去の生の結果であるという考え方は一見宿命論的に思えるが、輪廻の大海で生死を繰り返すのも、 またその連鎖を断ち切つて解脱を獲得するのもすべては自己の行為にもとついている。 いわば執看を離れた努力主義精進主義こそが、ヒンドゥー教徒にとっての理想的な行動原理となつている。 解脱は日々の正しい行いの蓄積によつてこそ達成さる。 ーー 輪廻と解脱。まあ、解りやすい因果応報の内容である。この位の制約をつけておかないと、 征服者の支配はインド大陸の中では不可能なのだろう。宗教による縛りとは考えたものである。 これで3000年支配してきたのだから、奇跡といえば奇跡である。 ・・・・・・・ 2006年09月11日(月) 1987, デジタル一眼レフカメラ−1 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ー字数制限のためカット09年09月11日ー ・・・・・・・・ 2005年09月11日(日) 1622, 戦略的思考について
「戦略」については、書いたことがあったが・・。不況の真っ只中に、それに対して戦略的な手をうってきたのか というと、問題がある現在?あまり偉そうなことも書けないが。まあ、いいだろう!理屈は理屈である。 戦略的思考とは、「自分に対する質問と、その答え」であり、その飽くなき繰り返しの中での練り上げのプロセスをいう。 質問に、その大きな要素が含まれている。 ー私の手帳に「戦略的質問」がポストイットに書いて貼ってある。(どの本から書き抜いたか憶えていないがドラッガー?) ・現在おかれている事態は何だろうか? -What ・それは何故そうなったのですか? −Why ・現在うっている手は、本当によいのだろうか? ・そのためには何故を何回質問しましたか? ー最低5回繰り返しまたか? ・それは、『自分の強み』を生かしたものですか? −その自分の強みとは何ですか? ・今後、どうなっていくのですか? 以上であるが、なかなか良い含蓄のある内容である。貼ってから、自分で自問自答したかといえば、ほぼしていないが。 「自分のおかれている事態は何だろう?」という質問を考えてみると、全てに、根本問題が噴出してくる。 この歳になれば、誰も似たりよったりだろうが。そして、この問題の答えがそう簡単に見つかるわけがない。 問題に対して『正中心一点無』なって自問自答を、し続けるしかない。 ーつづく 以前書いた『戦略について』をコピーしておきます。 ーーー 「戦略について 」 ー少し難しい問題を定義してみる しかし一番大事な問題である。 ・時代の流れを認識して ・限定された資源を ・自己の強みを認識して ・集中して投下を決めるー選択 その為に ・戦略を良質な情報に触れて、じっくり考える事。 決済、権限を委譲する事。 ・戦略を考える基本は他人と違う事,自己の強みに集中する事。。 ・旧習を壊す事 ・戦略を考えることに集中する事。 ・ひたすら、1人で考える事。 戦略とは −キーワード ・長期的ー継続し続ける ・革新的−革新の継続 ・集中的ー革新ポイントへ集中し ・統合的ー集中のために要素を揃える ペガサスクラブの4C主義も同じ チャンス ー機会の開発 チャレンジ ー挑戦 コンペテテーションー闘い チェンジ −変化し続ける その為には 4S主義をとる スペシャリゼーション −特殊化 シンプリフィケーション −単純化 スタンダデゼーション ー標準化 セグメンテーション ー限定化 人生もまったく同じである。 ・自分の持っている材料から、自分の課題とチャンスをさがす。 ・その中から課題と最重要な重点課題を見つける ・そこより戦略を構築ー自動的に戦術を具体的に見つける ・実施をするー習慣化をする。 ・継続して執拗に この結果がライフワークの構築となる。 今朝家内から聞いた話、 −自分の知人の知り合いが定年になり、家にいるが何もしないという。 犬の散歩とTVゲーム以外に。 私の答えーその人実は何もできないんじゃないか? 家内ー実は私も同じ意見なの。私ー指示待ちで、誰も指示してくれないだけじゃないか? 私ならー年単位、月単位、週単位、日単位で日程を立てる。中心は週単位を最重要にする。 その計画に考えて考えて考え抜く。これが戦略である。その為に本屋と図書館に通う。 時には東京の神田の本屋を回る。そしてパソコン教室に行き、インターネットのやり方と ホームページの作り方を勉強する。幾らでもあるが。まあいいか、人は人の生き方があるだろうから。 理屈の割りに大した人生でなかった?そういえばそうだ! ・・・・・・・ 2004年09月11日(土) 1257, オーストリア旅行記ー4 ーパプスブルク家の人たちのことを書いてみる。 パプルブルク家は、オーストリアを統治した640年の間、多くの人たちで 時代時代を彩った。日本の徳川幕府の二倍の間、よく続いたものだ。 主な名前をあげてみると ・パプスブルク家の基礎を固めた「ルドルフ1世」−13世紀 ・プラハの王城で閉塞して芸術を愛でた「ルドルフ2世」−16世紀半ば ・近代オーストリアの基礎を作った辣腕女帝の「マリア・テレジア」−18世半ば ・実質最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」 ・ヨーゼフ皇帝の皇后で、悲劇と美貌の伝説をうんだ「エリザベート」 などをあげる事ができるが、 マリー・アントワネットの母のマリア・テレジアと、エリザベートをあげてみる。 ーまずは、エリザべート。 19世紀の欧州で最も美しいと称えられ、「シシィ」の愛称でも知られた。 彼女のことをロシアの提督は「すべての士官は老いも若きも皆、エリザベートに恋をしてしまった。 比類なき美しさと、近寄りがたい品格を持ち、いかなる時も皇妃としての威厳を備えている」と述べたという。 彼女はたとえ礼儀作法を習わなくとも、品格を生まれつきもっていた。 エリーザ・ベトは子供の頃から、芸術に関心を持ち、絵画や語学、作詞などに才能をしめした。 しかし誰もが羨むような皇妃として生活は、幸せではなかった。愛する子供達は、生まれると同時に姑である 大公妃ゾフィに取りあがられ、一日に一時間、監視付にしか会わせてもらえなかった。 そして、その姑の溝はますます大きくなり、自分の中に閉じこもるようになり、乗馬や作詞などにのめり込んでいった。 その中で、彼女がとりわけ愛したのは旅であった。彼女は自分の美をも深く愛し時には栄養失調になるほど食事制限をした。 そのような生活の中に、突然不幸がおこった。息子の皇太子のルドルフが若き男爵令嬢と心中事件をおこして、 自らの命を絶ってしまった。この時から、彼女は公式の時だけでなく、常に喪服を着るようになる。 そして、あてども無い旅がより頻繁になる。しかし62歳になった年に、彼女はあっさり暗殺されて劇的な生涯が閉じられてしまう。 王宮には二人のヨーゼフ1世とエリザベートの肖像画が大サロンに飾られてあった。そこは永遠な二人の魂が漂っているようであった。 ・・・・・・・ 2003年09月11日(木) 890, バックナンバー 4 最近の傾向として、読書日記と映画日記が多く占めるようになっている。 ネタがなくなると、図書館や本屋で「何か読書日記として書くに適当な本」を探している自分に気が付くことが度々。 一瞬で消え去る考えや気持ちを( ..)φメモにする習慣を身に付けた効果も大きい。 旅行先で撮る写真に似ている。またバックナンバーのテーマを見ているだけで、内容の80?を思い出す。 ー字数制限のためカット09年09月11日ー ・・・・・・・ 2002年09月11日(水) 516,デフレと流通大乱 夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。店内を3〜40分歩いて帰ってくると、1時間の散歩コースに丁度よい。 クーラーもきいているし面白いし。それにしてもお客が少ない。商品はそんなに悪くはない。 ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、ホット商品が少ない。 でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーとヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。 それにしても消費物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。 これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。 誰もわかっていることだ。 「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた中華料理屋も、ここに来てやっと本物になり始めてきた。 イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。 とにかく安い、味はまあまあだが価値は充分感じる。 チェーン店評論家?として、この2つと、マクドナルド、家具のニトリ、ユニクロ、無印良品、100円ショップ、 しまむら、吉野屋、居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。デフレに強い業態で、 ロアーポピュラープライス専門店グループだ。それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。 ・西武流通、ダイエーグループの実質解体。 ・長崎屋、マイカルーニチイ、ヤオハン、九州最大の寿やの倒産。 ・百貨店だが,そごうの倒産。 総合店が苦戦している構造になっている。本来GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア) は専門部門を束ねたものであるはずだが、組織がそれについていけないのだろう。 アメリカでは、10年前の雄であったK−マートが倒産。今はウオールマートの時代だ。西武流通グループから 西友を買い取って日本に乗り込んでくる。ジャスコとイトーヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない相手だ。 ジャスコは、この3年間荒利をこのままにして人件費を20?減らすという。 正社員は3年間殆んど入れないという。それも可能かどうか???実際は不可のはずだが?? ところが下げたとしても、20?以上人件費の比率がウォールマートより高いという。 創業者の元会長が「あと3年で準備ができないときはジャスコも危ない」と、警告を発している。 流通は渦中でなく、横でウオッチングしていると面白いが、渦中で働く人は阿修羅の世界だろう。 デフレが更にこれに拍車をかけているからだ。 時代の変わり目だ!! ・・・・・・・・ 2001年09月11日(火) [141] (日本的)カースト制度−3 まず地方のカースト制をさらに書く! 地方の平均的なプチブルをみてみると、資産が大体5億が目安。 老舗が10億が上クラスの老舗企業。個人の年収が2000〜3000万。会社も3000〜一億あたり。 この辺りが地方カーストの上部になる。それも7〜8年つづけているかが基準となるそこに地銀の頭取を 頂点としているのが面白い。お医者さんに、坊主に校長先生。会計士に弁護士、後はどうでもいい。 母が面白い話を聞いた。嫁に来た時に父に聞いたそうだ。母「この家は金持ちなの?」 父「う〜ん’7万ある。」 その時代の長岡の基準で5万が金持ちだったそうだ。72年前の話だ。1万倍か5000倍かというところか。 そうするとやはりそんなとこか。話を元に戻す。日本の官僚とその体制の官僚社会主義者の崩壊の話。 その大本が大蔵省、その次が外務省その次が通産とか。大蔵官僚が今までの日本的社会主義体制の大要。 先日書いた長期国策銀行ー日本勧業銀行、潰れた長期信用銀行を頂点とした銀行ピラミッドができている。 都銀、地方銀行、第二地銀、あとは信金ーとつずく。テリー伊藤が革命的な本書いた。 「大蔵に検察は手を入れることができない。予算を減らされるから。」検察はカースト制度を当然と信じていた。 しかしよくみたら犯罪の巣窟であった。それが先年のの大蔵官僚の大量逮捕になった。 そして今外務官僚に対象が移った。ほとんどが内部告発である。さすが外務、キャリアは捕まってない。 いまは情報機器が発達している。精巧なカメラやパソコンで直ぐに検察マスコミに送られてしまう。 ソ連の社会主義崩壊と一緒だ。あれは情報手段を一般大衆が手に入れたため始まった。これからますます混乱は当分続く。
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2010年09月10日(金)
ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が亡くなった。 チャーンストアの時代の大きな転換期の目安になる。 そこには、桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、 彼女がペガサスを支えることができるかどうか? 昭和30年半ば、大手スーパーや専門チェーンの創業経営者のほとんどが 渥美先生の元に終結、成長・拡大し、そして消えていった。 現在でも流通界におけるカリスマ的指導者で、亡くなる直前まで 講義を続けていた。氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。日本の高度成長を流通面から 支えた貢献は多大である。 バブル崩壊後は、ダイエー・マイカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、 チェーンストア理論が必ずしも有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢い失っていった。 最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初から属さない成長チェーンも出現してきている。 学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新」を手に取り、渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立ち上げ、ダイエー、 ヨーカ堂などのチェーン店のコンサルタントをしていることを知った。そして、「チェーンストアへの道」という 10巻シリーズのチェーンストアつくりの戦略、手法が書かれている理論を貪り読んだ。そして、それをベースに卒論 「流通革命」を書いた。 それもあってジャスコの創業一期生として入社をした。 そうこうあって渥美先生には、 大きな影響を受けた。そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的背景にチェーン理論があった。 セミナーだけで、50〜60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の二つの土地転がしで直ぐに元は取れた。 立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益を得て、その理論の正しさを確認した。 しかし20年前にバブルが弾けた瞬間、彼の理論は、時代とはかけ離れたものとなってしまった。 「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を増やしなさい。それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、 自店舗を建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店を続けなさい」という理屈である。 またアメリカの流通事例を見せるため、店舗見学ツアーを組んで、200人、300人と連れて行くのである。 私も二度、参加したことがある。 大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、新しいバイパスとして、 スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。 彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、 やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。 ご冥福を! ・・・・・・・ 3080,再び死について考えてみる 2009年09月10日(木) 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。 地元の米屋に嫁に行ったが、小姑が多くいて難儀をしていると聞いていた。 「この世に、今時にこんな厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。 その10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に亡くなったと死亡広告にあった。 一度、当方の事務所に来たことがあったが、創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。 暗い顔をした気難しそうな人だった。 「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしているのを知らないね」と言われ、 それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、 子供たちに一棟ずつ与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。 ところで、身近な知り合いと、第三者の中間の立ち位置の「二・五人称の人」が死を考えるに最適という。 第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死から多くのことが見えてくる。知っている程度の人である。 「死ぬ=無になる」、という論理の矛盾(無になる〜無には成りようがないー無いものに何故なる?)という 池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち位置にあるのが2・5人称の人である。 10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に思った、「何で人は周囲の眼を気にして好き放題生きないのだろうか?」と。 子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、次の疑問は父親の死に接した時である。 死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。 死に際で、「あと、せめて三年、生きたい」という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。 その時に「人間は生きているそのことだけでベストである」ことを肌で感じ取った。 そのためか、父親が亡くなってから全く人生観が変わってしまった。「一日一日を生ききること」が 人生から与えられた責務と思うようになった。 知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教えてくれる。 生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! ・・・・・・・・・・ 2715, 「要素還元論」と「二元論」 2008年09月10日(水) 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で 松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。 ーまずは、その箇所である。 〜〜 【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに細かくとっていかないと、 解くべき問題を設定することすらできない。 それがわれわれの脳の仕組みと合っているのかもしれない。 だから、時代とともに、より細かく対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。 それが要素還元論です。 しかも自然と人間とを分ける。考える主体と認識される客体を、とりあえず分けなければ思考はスタートしないわけで、 それが二元論でしょう。 現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的にたたきこまれているわけ。 「わかる」とは何なのかについて、それ以外の「わかる」ということは考えられないわけです。 ぼくは今、地球学とかアストロバイオロジーとかで、二元論と要素還元主義の枠を超えて、 昔のようにとりあえず現代の知の体系のすべてを認識しましょうということを主張しています。 何か新しい方法論が出てこないと、「生命の起源と進化」という問題は解けないと思うからです。 そういう過激な認識を持っているわけです。 とりあえず、二元論と要素還元主義に対抗する方法論として、「システムと歴史」 という見方で、もう一回すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も人類も文明も全部一緒に論じようとしています。 数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。 そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。 そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう。】 〜〜以上である。 なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。 「帰納法、演繹法」発想法として「KJ法」、「テーゼ、アンチ・テーゼ、ジンテーゼ」とか、 情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、「要素還元法」「二元法」も、上記の中でしていたことである。 この年齢になって初めて初歩的な知識を得ることの、何か恥ずかしいような、無知の再確認をさせられているようである。 それに加えて、松井教授は、「システムと歴史」という考え方を提示している。これは宇宙、地球システム、人間の歴史、 個人の歴史、全てに当てはめて考えることができる。要素還元法、二元法の限界を、一度「システムと歴史」という 視座に入れて考えると、限界を超えることができるという。「システムと歴史」の意味が理解できなかったが、 人間の歴史、個人の歴史に置き換えて考えてみたら理解できた。「システムと、これまでの始まりとプロセス」ということ。 「数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。 そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。 そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう」など、非常に新鮮に驚かされたことばである。 そうこう考えると、中学校時代の教科書の内容は、全ての基礎であった。 昨日、図書館で「やりなおし教養講座」-村上陽一郎著 を借りてきた。学校を卒業して、平均2〜3時間は、 本を読んできたが、これで、この様だ。カントがいうに、「犬は犬の理解しか出来ないように、人間も人間レベルしか理解できない」 というと、私は私レベルしか、理解できない!ということ。 悲しいかな・・・やはり、よい大学に入り、よい会社、機関に入り、 レベルの高い人に接し続けないと、駄目?か。 本が呼びかけてきても、気づかないのも、そういうこと? 今更か〜 ・・・・・・・・ 2007年09月10日 べナレスー7 3、 多くの化身を持つヴィシュヌ神 インドには石造りの壮大な寺院から路傍の祠にいたるまで、様々な神様が祀られている。 それらの中で現在最も信仰を集めているのが、ヴィシュヌ神とシヴァ神である。 (字数の関係でカット08年09月10日) ーーー 解)ユダヤ教とキリスト教の関係と、ヒンドゥー教の関係が似ている。 何でもそうだが、必ずその母体があるものである。特に、厳格なものから、弱者の立場に立ったものが・・・ ーー 4、破壊と再生をもたらすシヴァ紳 ヴイシュヌ神と勢力を二分するシヴァ神は、もともと暴風の神であったものが民間信仰と融合し、 次第に破壊と再生を司どる最高神となつた。 (字数の関係でカット08年09月10日) ・・・・・・・ 2006年09月10日(日) 1986, 事業百訓・・・? H0901 事業百訓 480 準備!そこから魔法がはじまる。 準備とは創造する喜びだ!。 準備とは人生を苦労して前進する事、悩みながら生きていく事。 ...並はずれたIQを持っているが、準備をするほど賢明ではない人よりも、 力強い議論の準備をととのえている普通の人になりたい。準備とはあくまで“心の底”の栄養だ!。 (ゲ−リ−・スペンス=議論に負けない法) 481 楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ!。(ロ−マの詩人=プルデンチウス) 482 集中する為には自分なりの結論が出るまで誰にも相談しない。 自分の中で決めてから相談するのはいいのですが、迷っている時に相談すると、集中力が半減する。 徹底して1人で考える、思いついたら考えを書きためて、それをファイルしておき、それをよみかえして 書き足して事業のデザインをしていく。 その間ある結論が出るまで人には一切相談しない。(セコム・飯田会長) 483 経営者の条件(成果を上げる事) ?自分自身を管理する。 ?その為に“自分の仕事”は何か?問うてみる。 ?問題設定が本当に正しいか?。 ?重要な資源は“時間”である。 ?優先順位をつけて“努力”を集中する。 ?仕事のアクセント“強み”の上におく。 ?問題より“機会”を追求する。 ?地平線のかなたを常にみる。(長期視点) (P・F ドラッガ−) H0903 事業百訓 484 道中は宿屋よりも、いつもよい 485 それぞれが一番苦しいのです。としたら自分に与えられた神からの苦しみの形が 一番相応(ふさわ)しいのだと受諾するほかないでしょうね。私はきっと反抗するでしょうが。(曽我綾子) 486 完全という言葉が不完全なのだ。(ホロビッツ) 487 私たちに課せられているのは、肉体を持って生きている事に感謝し、 その範囲で毎日の生活を楽しみながら創造的に生きていく事。あの世からの魂のメッセージを見ること (字数の関係でカット10年09月10日) H0903 只今・戦闘中! 母が痴呆症になり丸三年が過ぎた。 安っぽいヒューマニズムや一時的な情愛など “今の現実・現状の前に吹き飛ばされる!。家庭内は子どもを含めて毎日、毎晩が戦闘である。 週に一度は一晩に十数回起こされる。朝起きると寝る前より疲労している状態である。 親と子といえども正常人と異常人の戦いである。異常と正常が蛍光灯のように混合するから更に問題が深く複雑になる。 母自身も正常なときに“今の私の齢になりこの経験をしてみなくては、この辛さをわかってもらえない!” というのも身にしみるから歯がゆい。遠くにいる姉達が時々きて、忠告、助言をしてくれる、 それが一面しかとらえてもらえず心臓を貫く位、一言一言が痛い! でも口先介入だけの甘さが“中途半端な傍観者”として“怒りの嵐の対象になる。 でもこの行き違いは痴呆看護の大部分に生ずるトラブルで、ごく普遍的な事という! 年齢的風景の為か知人、取引先の人にも七人も同体験者がいる。”母を十年介護・見送った。 近親者のトラブルは当然あった。……そして娘が介護士になった。この苦痛は同居介護した人間でなくては絶対わからない。 “実父を十年介護。自分の中にこんな優しさがあるとは…自分がうれしかった。” “自分の近くに住む実姉が姑を完璧に看ておくった! 今自分の家庭に来て、看護について口を出す! おそらく貴方の場合よりつらいのでは?” 等等、まだまだあるが書けない位すざましい! こんな事表現していいのか憚るが、心の中である姉に対してナイフを突き刺すイメージを持ったり、 妻に対しても“絶対に亡くなったら離婚してやる?”等・思ってしまう。 それだけ追いつめられてしまうものだ。今まで帰宅拒否症候群というのが私には理解できなかった。 本当はうれしいはずの金曜日の夜、帰宅するのが本当につらい!月曜日は朝、会社に飛び出ていけるのが救いである。 妻にはそれがないだけ辛いはずだ! でも、すばらしい事も当然ある!家の中が暖かい! 赤ちゃん、幼児がいる家のそれである。 本人は天使そのものである。家より火が吹き出しているようだ。 それと子供達が何も言わずに私達以上に母の介護をしてくれる!子供に教えられるとはこの事である。 (ボツにしていた原稿だが母が亡くなり半年、供養も含めてあえてだしてみた)
H0903 図書館の効用 (字数の関係でカット08年09月10日) −−− H0905 事業百訓 491 人間はすでに「なにものか」(本質)として存在しているのではなく、 常に「なにものかになろう」として自己を世界に投げ出す自由な存在(実存)である。−サルトル− 492 本当の敵というものから際限ない勇気がおまえの中に流れこむ。 −カフカ− 493 昨日の自分は許しても、今日の自分は許すな!。 494 私の落語は噺を聴いてもらうのではのうて、自分の楽しいな、 うれしいなという気持ちを伝えるものだと思います。 −桂 枝雀− 495 心は天と自分をつなぐパイプだ。 この結び目がしっかりしている限り、宇宙からの無限のエネルギ−が 注ぎこまれ弱気になることはない。 496 我々は単数の生を生きずに、複数の借りものの生を生きている。 それに気づいて“しまった”と思った時にはもう遅い。−高橋 義孝− 497 “自分がいいと思うように真面目にやって、お客がアクビをして帰ったら仕方がない。 家へ帰ってカミサンの前で一席やってごらん。カミサンも聞いてくれなければロウソクの前でやってごらん” と教えたそうだ。信じた通りやり、お客の喝采を気にするなという円朝の信念のあらわれだ。 ーーー H0905 魂が万代橋の上を彷った話 第2新館の役所の検査の直前の話である。 担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、“今回の検査はパスしない!...” 一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。 “それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...”パニック状態である。 それも夕方の飲み会の直前である。まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、 そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。 恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と、酔いを含めて妙な夢になってしまった。 魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで、目線が5m位の高さでプカプカ浮遊しているのである。 “ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か! でもあの話は本当である!それも夢であってほしい!”と念じた事を今でもはっきり覚えている。 その2〜3日後に設計士の思いこみでしかない事がはっきりしたが、本当に長い氷つくような時間だった。 ーーー H0905 私を生かして下さい! <H8.7.24の日記より> 今朝、病院に日課どおり母の様子を見にいくと、母が私の事を担当医と勘違いをしたらしく “先生、私を生かして下さい!”と両手で拝まれた。本能的な生への執着の言葉である。 何とも言えない気持ちになってしまうと同時に、その言葉の重みに圧倒されてしまった。 死の間際にあっても、“生”への執着のことば、そして死の不安を自覚している事実である。 “これでよい、いやこれだ!”生きる事への執着こそ人生で一番大事の事と思い知らされた。 それにしても、あの担当の若い医師には呆れる思いだ。人間の生き死にを扱っているのに何もわかってない! 目の前の病気をなおそうとして母体そのもののことを考えていない!。 薬は反面、毒である事を!。 これが今の医療の大問題の一面なのだろう。彼等は技術者であって医師・医者ではない。 それが若いから許されていいのだろうか?。自分は判ったつもりでいるから始末が悪い!。 これから何年もの経験を重ねるうち今の誤りを気づくのだろうか? ーーー H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々 (字数の関係でカット09年10日) ーーー H0909 ギアナ旅行記 (字数の関係でカット08年09月10日)
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2010年09月09日(木)
* 民主党党首選挙について 前にも書いたが中長期的にみたら、やはり小沢がなるしかない。 管首相は選挙管理内閣で終わるべきである。 まず、その器でない。それが役割以上のことをすれば、それは国害になる。左翼運動家上がりが、さらに過激派だった 男を官房長官に据えれば、舵取りを間違えることは誰の目に見ても明らか。 実質オーナーの小沢を首班指名をされた途端に 手の裏を返すとは、あまりに露骨で稚拙である。まだしも愚衆の目を欺く演劇なら分かるが、本気でやるとは思いもよらないこと。 それが、あの官房長官と財務長官の指名である。 それにしても、あの世論調査ってのは何だろう。 現在の政治と内閣は「世論調査内閣」といってよい。 世論調査で政治の行方を左右するなど、亡国の極まりである。 100・250・500年スパンの世界的激変の時代に世論に動かされる舵取りなど、とんでもないこと。 タイタニックの船内の連中に海原の向こうの大波が見えるわけがない。 それを彼等の顔色に従って舵取りをするなど、最悪。 船内で揚げ足を取りの経験しかない彼らに船の舵取りを任せた国民も問題あり。 間違いに気づいたなら、早く政界再編をして、 体制を作り変えないと国家破滅になる。それはアメリカにとっても、中国にとっても望ましいこと?自民も駄目、民主党も駄目なら、 それを解体して新しい枠決めをしなければならない。また政治家の二代目、三代目しか、政治の表舞台に出れないシステムも、 変である。明治維新後、学歴を自力で上り詰めれば、誰でも出世のチャンスが、日本を短時間に飛躍的に国力アップにつながった。 どうも、こうも、日本は気がつけば戦後65年で、頭から尻尾まで、腑抜けにさせられてしまった。 それでもネットでは小沢の支持が八割という。世論調査とかいうのは、どうも誘導されたマヤカシでしかないと考えた方がよい。 蓋をあければ、小沢が間違いなく勝つだろうが、それでも、この国の民度が異常な低下からみると、管首相の続投も有りえる。 その時は、間違いなく政界再編成しかない。いずれにしても、あと数日で大きく政治も動き出す。
・・・・・・・・ 3079,不況景色 −12 2009年09月09日(水) この御題目で書くのは、6月1日以来で3ヶ月あまりになる。その前に「世界恐慌に入って、まる7ヶ月」というテーマ名で 二回書いている。「不況景気などを今さら書くことでもないだろう」だが、そこが生き物、ジワジワときている。 9月に入って落ち込みが始った。 こういう先ぶれが居酒屋とホテルに最初に来る。 現場段階は十数兆のバラマキで何とか小康を保っているが、何が起きても不思議でない。 重体患者を緊急の大量輸血で持たせているようなもので、集中治療室にいる事態は変わりない。 衆院選挙が8月末まで延びたため、株の暴落や経済の大混乱が来年2月まで延期しただけのこと。 まだ東海地区の輸出産業は、この数年間の好況の蓄積があるが、他の地方は体力を使い果たし、大きく弱体化している。 これに悪質のパンデミックでもなれば、大きな波乱が起きるのは必定である。 週に数回は、通勤の帰りや、家内のお供に スーパーや、駅の専門店街によるが、実際に売れてない。TVのワイド・ショーで、「はしっこ食品」や「訳あり商品」 の特売などを特集をしていた。 ハムや、カステラ、魚などのスミの切り落としが半額から三分の一になるのだから客は殺到する。 そういえば最近、生ハムや鳥肉の燻製の『切り落とし』を、安さにつられて買ってしまうことが多い。 新潟駅前周辺の飲食街では、潰れた店の後に出来るのは「ホルモン焼き肉屋」が目立つ。 「安く、小じゃれて、腹が一杯になる」のが必要条件だが、時代が変わったものである。 当社も、長期のミニ団体が何組かが途切れずに入っていたが、それが少なくなっている。 夏場の稼ぎ時は別腹と期待していたが、この冷夏で結果は芳しくはない。 それでも9月下旬から 10月にかけて国体があるので、数字は何とか例年に近い数字は作れそうだが、甘くないことは事実。 町内会の役員の人から聞いた話だが、新潟市内の町内連合会が、急激な売り上げの悪化に、 駅再開発計画を改めて説明会を開いて聞いたという。 今さらであるが。(10年遅れである) これに北陸新幹線開通という2014年問題がある。新潟県にとって大打撃になるが、それを誰も真剣に考えない。 20年前に既に新幹線を新潟空港まで延長し、その沿線に環日本海都市としての機能をコツコツと造っておくべきだった ことすら、誰も気づいていない。 飛行場の直接乗り入れも大きい要素だが、「日本海に東京駅直結の新幹線の乗り入れ」 が良いのである。 僅か5〜10キロの延長で済むのにである。 そこに新幹線駅沿線のサッカー場と野球場をつくり、 野外スポーツなどのレジャー施設を長年かけて造るべきべきだったのである。 更に夢のある高齢者向けの施設と、 本格的な中国人街もである。 金沢が関西と関東を後背にした新日本海都市創りを始めるのは目にみえている。 不況景色から少し話が逸れたが。 ・・・・・・・・ 2714, 大相撲が面白い! −2 2008年09月09日(火) ぉは(σ。ゝω・)σYO!! せっかく、面白くなってきたところで、北の湖は辞任。三重の海の武蔵川が理事長に選ばれた。 そして、ロシア人二人は解雇。 当然のことである。起訴猶予になった若の鵬を含めた三人をロシア政府は急遽 帰国させるであろう。立場は外国人労働者でしかないから、場所が始る前に大使館員に付き添われて国外退去ということか。 ロシアにとって、三人の言動はロシアにとって国辱ものである。これは世界的なニュースになるからだ。 この事件発覚以来、北の湖と貴闘力の二人の親方の言動は最悪であった。ウヤムヤにして責任回避をしようとしたのが見え見え。 本人達に否定をさせたままロシアに帰ってしまえば、それで済むと思ったのであろう。これで、二人とも今まで築きあげてきた 社会的基盤は無くなったに等しい。事件として、角界から二人を追放すべきレベルの事件、これで終わらないだろう。 次は、今場所の開催の問題である。理事長が辞めましただけでは済まない大問題。それもこれも、見るものからしたら面白い ストーリーが続く。 身の潔白をはらすための突然の検査、北の湖理事長も、自分の弟子が!と夢にだに思ってなかったのだろう。 理事長と一部理事は検査を知っていたというから、まさか自分の弟子がやっていたとは・・・ TV映像でみるロシアの兄弟は明らかに確信犯の顔になっていたが。これで当分、皇室も大相撲観覧は当分の間は無理だろう。 (以下、字数制限のためカット09年9月9日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月09日(日) 2350.ベナレス・・・6 2,ヒンドゥー教とは ヒンドゥー教は紀元前一五〇〇年頃に西方からインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人が 信仰していた祭祀中心の宗教を核にして、先住民のもつさまざまな民間信仰を融合して発展してきた。 それ故・この宗教には開祖が存在しないが、そのかわり『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)など、 人びとを宗教的な道に導く数多くの聖典が編纂された。 ヒンドゥー教は基本的には多神教であるが、 それらのうち主要な神のどれもが最高神と考えられるという独特な神観念を持っている。 (以下、字数制限のためカット09年9月9日) ーーー 解)むげに否定することは出来ないが、それにしても酷いものである。 当時のアーリア人の何とも嫌らしい意図が露骨といえば露骨である。 支配のための宗教などが、このように露骨なカタチで残っている不思議。 それが地球上にあるのだから、何とも言いようがないのである。 明治憲法も、似たようなものだが。それと、葬式で食べている現在の坊主! ・・・・・・・ 2006年09月09日(土) 1985, ハイデッガー (。^0^。)ノオッ*^○^*)ハ〜 ヨウ 10年来、トイレに常に哲学書が置いてある。そして一年に一度位の間隔で、入れ替えをする。 そして、普段も必ず哲学書のいずれかは私の鞄か机の横にある。歳を重ねた経験の裏づけが哲学の言葉を噛み砕いて くれるようになった。哲学的大問題の「死」に向き合わなくてはならない歳になったこともある・・・ 「首切り役人の日記」とか、このHPの随想日記で辛辣に死について書いている。哲学にしても宗教にしても結局は、 ー人間いかに生きるべきか? そして最後の最後は、いかに死ぬべきか?ー ということだ。あと何があるのか? もし知っていたら教えて欲しいもの! 『面白がって死ぬことだ!』という黒鉄ヒロシの言葉位か、面白かったのは! 「ヒーヒー悲鳴を上げてジタバタしている最後の自分の姿をみるのが何で悲しいの? こんな面白いことが何で?」彼ならでの言葉だ。冷静に自分を見ていなくては笑えない! ハイデッガーは、「その死を意識的に見ないようにして日常をすごしている我われの姿を、そのまま直視。 見ないようにしている死が、我われにマトワリついていて、それが不安という漠然とした心理になっている」と看破している。 彼は不安とは現存在として最も根本的な気分であるとし、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、 そのつど、何らかの気分に規定されていると・・ 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、 本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安であると・・ とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての根源的開示がはじめて生起する。 我われはいつか死ななくてはならない。 「この私」の死を誰も変わってはくれない。 その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し、自分自身と対面せざるを得ない。 その死を見つめることによって、その可能性に「先駆」することによって、初めて本来の自分を取り戻すことができる。 おのれの実存をたえず知覚させてくれる気分として「不安」を考察した。恐怖と不安は違う。恐怖は対象を持つが不安は対象を持たない。 ハイデッガーは「私は何が一体不安なのか?」という問いをする。「私が存在そのものが不安なのである。」という。 「私がある」こと自体が不安の発生現場で、私の存在は「無」の中に沈みこんでいくのである。それが不安の時である。 不安は人間そのものの根源的な性格なのである。 彼は「人間は、日常性の中に存在の本来性を忘れている」という。 われに現存するのは「他人の死」のみである。 「死、それはまだまだ自分の番ではない!」と思っているから、生きていけるのだろう。 私が死を度々とりあげるのは、その死を直視することで、生とは何か考えるためであり、 現存している自分を見つめるためである。夕陽をみて人は、その太陽を自分に投影する。 一日の死である。 そして、朝陽をみる、今日の生誕を感じる。そして、その夕陽のように沈んでいく。 しかし、夕陽のように沈んでいく死だけでないのが、人生の妙味であるから面白いのである。 (。^0^。)ノホンジャ、マタ! あの世で!いや明日! そういえば、明日とあの世は似ている。あると言えば在るし、無いと言えばないし! ・・・・・・・・ 2005年09月09日(金) 1620, 「仮想と虚妄の時代」 月刊誌の文藝春秋5月号の石原慎太郎の「仮想と虚妄の時代」ー援助交際と純愛ー が、現在の日本の現状と病巣をそのまま書きあらわしていた。 若者、いや現代人の携帯電話やインターネットの仮想と虚妄の実体と病理をえぐっていた。 ITは確かに便利で効率は良くなったが、人間の情緒などの一番大事な部分を失ってしまったと看破。 ITは情報を無限に提供してくれるが、人間本来の情念やエネルギーまでも伝えない。 そのため、リアリティと虚構の差が解らなくなってしまう。私の知人に、何かあると友人に携帯電話で相談する男がいる。 それも、いい歳をした大人?である。自分の頭の中で、「あれやこれやを考えること」ができない。 思索を何度か繰り返した上で相談するなら解るが、それを一切しない。いや出来ないのだ。 本人を観察すると、彼は本を読んでいない。読書は、著者との無言の対話でもある。 それを普段の生活の中でしてないから、内面の対話が出来ない。だから、何かあるとすぐ携帯電話で相談するしかない。 事態を多角的に見ることや深く掘り下げることなど、彼の世界には存在していない。 携帯は会話しか成り立たない。内面の対話をした上で、それを相手に投げかけをしあうのが対話である。 ー石原はここで以下のように述べていているー ー最近、問題になっているエンコーなどの新しい風俗の正当化(?) のために作られる言葉の醸し出すヴァーチャルなイメージは、ことの本質を外れた価値判断を容易に導き出す。 内質の空疎化とは想像力の枯渇であり、無個性化による自己喪失画一化であり、 人間としての尊厳の喪失の繋がり社会そのものの活力を失わしてしまうーと警告している。 現在、中高等学校の生徒の間で人気のある生徒の評価の指標が勉強やスポーツの能力ではなく、ただ携帯電話が鳴る頻度と、 いかに多くの連絡相手が登録されているかにかかっている現象は、人間関係における本質の変化を暗示している。 こうした浅はかな人間関係が何ももたらさないことを、彼等は解っていない。 そんな交流の中では本気にお互いを預けあい頼り合うことができるだろうか。 ーー そういう私も一日数時間もパソコンに向かい、家ではTVを3時間は見ている。情報の多くは、ITから得ている。 それから入ってくる情報は、実際のところ生の人間からも質も量も格段に上である。 だから困ったものである。この随想日記で書いている内容は、私の脳の多くの部分を占めている。 実際に会って話すより、より自分の言いたいことが顕わに書いてある。 といって、それが私の全てではないし、 誤魔化しも、虚構もある。やはり、情けの報せとして直接会わなければ伝わらないことがある。 −− また、この中で触れられているホーキング博士の発言の部分が面白い。 石原慎太郎がホーキング博士の講演に行った時「地球ほどの文明を持った惑星は、どのくらいあるだろうか」という質問に 「二百万ほど」という答えがあった。それに対して、「それほどの数があるのに、どうして他の惑星の生命体を目にすることが ないのだろう」と質問があった。 その答えが、「現在の地球ほどの文明を保有してしまうと、そうした惑星は自ら正当な 循環を狂わせ環境を破壊しつくし、文明の主体者たる生物は内面的にも極めて不安定な状況をきたして、彼らの惑星は宇宙の 時間の総体に比べればほとんど瞬間的に自滅してしまう」というという答えであった。終末論や環境論として興味深いものである。 ーー 以上が概要だが、情報化は基礎教養の蓄積があってこそ、 仮想と虚妄の世界に漂う現代人は、自分という存在さえ仮想と現実の境が無くなっている。 ・・・・・・・・・ 2004年09月09日(木) 1255, ダイエットに100万円賭ける ー2 本人に「どうして、そのダイエット方法を知ったのか」の問いに、「インターネットの検索で調べた」という。 そこで早速、インターネットで「グレープフルーツ・ダイエット」で検索を入れてみた。 色いろのHPがでてきた。 (以下、字数制限のためカット09年9月9日) ・・・・・・・ 2003年09月09日(火) 888, バックナンバー 2 バックナンバーを見ながら、今まで書いてきた随想日記を総括してみる。まずは読書日記や映画日記の感想文。 あの時、あの本を読んでこんなことを考えていたのかがリアルにわかる。日記は未来の自分に対して書くものだ ということが、一番わかりやすい事例といえる。 映画もそうである。感想文を書いてないと、単なる娯楽で終わってしまうものが多い。 それはそれでよいが、文章化をきっちりしていると、自分のメルクマールとなる。 また映画日記を書き続けていると、映画の見方が変わってくるのが解る。その世界に意識的に飛び込みと同時に、 冷静な目が養われているのだ。日記としての追悼文も姉と両親には書いていたが、親戚や友人の場合も 書いた方がよいことに気がついた。故人に対して一番の供養になる。 こうして書いていると、いかに毎日つまらないことに振り回されている自分に気がつく。 それをいつの間にか鳥瞰してしまう作用が書いていて解る。人が見ていたら、こんな面白いものはないのではないか。 他人の内面の棚卸と陳列変えと改築を傍観しているようなものだ。また誤字なども冷静に見れるからだ。 一番面白いのは実は自分だが。 ・・・・・・・ 2002年09月09日(月) 514,大相撲−貴乃花のこと 昨日は貴乃花が8場所ぶりの出場で館内が異常な雰囲気であった。 土俵に上がった瞬間、これは闘える身体ではないと感じた。 昨日は辛うじてかったが、今場所乗り切れる確立は5分かそれ以下だろう。 元横綱が2場所休むと土俵に上がるのが恐ろしくなるといっていた。 かなりの緊張感が館内に漂っており、他の力士まで異様な盛り上がりをみせていた。 兄弟子の貴ノ浪まで次の対戦で武蔵丸に勝ってしまった。前回の優勝の時の怪我で、引退の状態であった。 協会の一人横綱では都合が悪いという状態で、ここまで引き伸ばしてきたのは誰の目にも明らかであった。 館内にはいる待合では、凄い気合の入れようであった。 アフリカで100メートルのバンジージャンプの飛び降りる直前の10分前は、丁度あの状態であった。 あの極限状態が見ているものの心を打つのだ。勝負審判をしている父親が勝った瞬間、泣きそうな顔に見えた。 そういえば、貴乃花が千代の富士に勝った時の事を思いだした。 今の彼の頭に、その時のことが去来するのはいつの事か!相撲取りは現役がすべてだ。 ・・・・・・・・・ 2001年09月09日(日) [139] カースト制度−1 インドに行ったときそのカースト制の現状かいま見た。4つの階級、その中に500以上の更なる階級があるという。 白、赤、黄色、黒色とみれば、直ぐ階級がそのままわかる。3000年前、侵略してきたアーリア人(白)が その維持のため、宗教を創った。そして人種が混ざらないカースト制度をつくり、その階級を3000年維持してきた。 彼らはその理屈はわかっている。ただ3000年かかった、その積み重ねからくる体質はどうにもならない、 人種の差を作ったしまった。 日本にもそのカースト制があるという。今崩壊しつつある、体制がカースト制そのもの。 学生の時、すぐそれを感じ取った。そのカースト制だ。但し学生は大学の優劣だけで済んだ。都会ではそれが露骨だった。 1、どこの大学を出て、 2、家柄はどの程度で、 3、収入はいくらか、 4、地方出か都会か。 大体これで決まる。それでまずその連中が友達友人になっていく。 ガールフレンドももちろんその範囲。金持ちの友人が、カースト制度者であった。 こういう考えがこの世にあると初めて知った。学校でまず露骨の差別、次に家柄、 そして能力、地方かどうか、女性なら容姿と、その一つでも80以下は眼中にない。
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2010年09月08日(水)
夕飯でいったフランス料理、ベトナム料理、中華料理が、それぞれ美味しい。フランス領のためだろう。 特に天使の贈りものといわれる「海老」が美味い。 ベトナム料理、中華料理は日本的味付け。 それより新鮮な貝魚がふんだんに入っているからである。値段も、日本の居酒屋に少しプラスした程度である。 ところで、オプションツアーで行った「天国にもっとも近い島」のニックネームで親しまれているイル・デ・バン島が良かった。 日本では、その称号は森村桂の著『天国にいちばん近い島』から、ロワイヨテ諸島のウベア島がそう呼ばれているが、実際はここ。 数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い海水の中に見ることができた。この島は南北15キロ、東西13キロの大きさで、 島人口は約2,000人である。 珠玉のような島で、ニューカレドニアで是非とも行ってみたかったところ。 双発のプロペラ機で首都ヌメアから30分ほどのところにある。 行く先々の小さな湾の海岸線と海と空が美しい。 いまだ観光づれしてないハワイと考えればよい。ここに宿泊するツアーもあるが、値段は非常に高くなる。 ニューカレドニアは日本人に特に好まれているようで、親しみやすい。 中国、韓国人の姿は、ここで一人も見かけなかった。 まずはハワイ、東京、欧州、オーストラリアなのだろう。この島を通して、日本の現状を現地のポリネシア人を通してみてしまう。 小さな島国で、フランスの占領に甘んじているが、日本も同じ被占領国。ドルとアメリカ国債という紙切れと小麦・大豆と、 汗水たらして作った商品と交換。 その紙切れは、20年〜30年単位で価値を数分の一に一方的に下げさせられている。 アメリカ、オーストラリアも、欧州人が現地人を虐殺して建国したところ。 現在も、その構図は同じである。 マスコミを背後で操り、教育システムで骨抜きにし、官僚を洗脳、コントロールすることで、間接占領をしている。 フランス領の観光地で、気楽に避暑。それだけで、深く考えることもないが・・・・
・・・・・・・・ 3078,富豪と金の使い道 2009年09月08日(火) 一昨日の日経新聞の最後の紙面(「私の履歴書」の隣コーナー)に「富豪と世捨て」というテーマで、 作家で法大教授の島田雅彦が書いていた。昔の富豪の身の処し方と使い方で、西行や千利休などを取上げていた。 井原西鶴の作品の中の‘世之介’は、現在では500億円位の資産で、生涯をかけて色事に追求し、 花魁を次々に身請けをしたが、それでも使い切ることが出来なかった。 また日本人の昔の粋な生き方として、世捨てを紹介している。死を前にして身軽になることが含意されているが、 不祥事で失脚した時のリセットで、政治家などが清貧を気取る場合がある。その辺が人間の面白さである。 富豪は、その富のために悩みが多いが、人のためにそれを使うのが、一番の悩みを消す効果があるとする。 資本主義の覇者は資本主義によって滅びた物を復活させて、その罪を償う義務がある。失われた神仏を買い戻し、 廃れた神社仏閣を復活させたことなどである。 それが「歴史からの使命」と結論づける。 何代か続いてきた金持ちは、その使い道さえ無頓着で淡々としている人が多い。 金を使っての快楽など知れたもの? 金を気にしないで済む生活こそ豊かさである。 で、金を気にしないで済む生活は、幾らか。 そう考えると、人様々である。 平均すると、家一軒があって、 蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万ぐらい? ところで、直接、両親の生き方をみてきて、合理的散在?を学んだ。 定額を見定めて、平均して使うことである。 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。 私の親戚に「清貧を自認した生きかた」をした人がいた。 90歳後半で亡くなった時には、3千万近くの蓄財があった。その人の収入からみたら奇跡的ですらある。 もし、年間300万を65〜75歳の10年間を使っていたら、面白かっただろうに思うのだが。 私は、それを40〜50歳代後半の二十年間で使ったから、わかる。 といって、年間、150万なら散在ではない? 貯めるのも難しいが、それを後悔しないで散在するのは、もっと難しい。貯めるは努力、使うは芸術というが。 ところで、100億を10年で浪費で必ず使うことを約束して神様から貰ったと仮定して考えると面白い。 浪費というところがポイントだが、50億の船を買って世界中をまわったとして、 年間5億×10年=50億のコストとみると、大したことではない。 それなら世界の豪華クルージングの 最高級クラスの部屋でサービスを受けた方が良いか? まあ、それも2〜3年で飽きる。 でも、面白そうだ。 しかし「それが如何した」という内なる声も湧く。 そうこう考えると、一日を真剣に遊ぶ能力こそ重要ということか。 問題が山積みの中、ストレス解消のために遊びに使う散在こそ、価値があるということ? しかし、富豪はそれを超えた世界があるのだろう。 経験しないものには分からないだけ? ・・・・・・・・ 2008年09月08日(月) 2713, コピペ 先週のNHKの「クローズアップ日本」で、コピペを取り上げていた。「コピペ」とは パソコンのコピーと、ペースト(貼り付け)の略語である。 なかなか考えさせられる内容であった。 ーまずはNHKの番組紹介を、コピペしてみよう。 * コピペ 〜 「ネットの知」とどう向き合うか〜 インターネットで見つけた文章をコピー&ペーストして、自分の文章にしてしまう"コピペ"。 ある大学では提出されたレポートの半数近くがコピペで作成されていたという事実が明らかになった。 夏休みには小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトがアクセス数を伸ばし、 大人の世界でも、役所が募集したパブリックコメントに大量のコピペの「組織票」が提出されるなど、 コピペは今、社会全体に広がりつつある。 「コピペは人間の考える力を弱める」と批判の声が上がる一方、 「新たな知の技法」として肯定的に捉えるべきだとの意見もある中、私たちはネット上に広がる膨大な情報と どう向き合っていくべきか考える。 (NO.2623) スタジオゲスト : 茂木 健一郎さん (脳科学者) 〜〜 以上が概要だが、コピーと、貼り付けは、デジタル社会では当たり前になっている。 私も、随想日記で書くネタがないときは、キーワードの検索で情報を集め、要点をコピーして、張りあわせもする。 そのプロセスで思い浮かんだことを書き込み文章の体裁を作り上げることもある。 学生時代のゼミの論文も振り返ってみれば、彼方此方の本から抜書きをしたものを繋ぎあわせたものだった。 それだけで精一杯だった。随想日記を毎日書く目的は、自分の日々の情報を第三者に公開することで、 まとめ上げることだから、それでよい。せっかくだから、自分の脳を通して情報を濾過して公開をするようにしている。 そうしないと、何年後に自分の文章を振り返って読んでも面白くない。最大の読み手は明日(将来)の自分である。 自分の情念と苦労が見て取れる内容にしないと、後年に字数の関係でカッの対称になる。 実際に、毎日、(字数の制限がレポート用紙15枚分しかなく)カットしているが、自分を切り裂くようつらい。 それだけ、汗水を流しているのである。 この番組で、コピペの反対派と、賛成派が出てきて話していた。 賛成派の野口悠紀雄は、情報化の時代に、どんどんコピペをして、そのプロセスで考えればよい。 時間節約になるし、効率よく情報を吸収すべき、という。反対派の人は、自分で考えることを放棄している。 自分でジックリと考えることで、情報は身に付く。安易に情報を集め、張り合わせるのは、いかがか?という。 両方とも分かるが、それぞれの人によるだろう。私は野口悠紀雄の説で、どんどん情報を吸収すべきである派である。 使い分けをすればよい。ネット上の日記のほかにもアナログの日記帳も書いている。自分の手で字を書くことも重要である。 これはコピペではないが、結構、レシートとか貼り付けている。 ・・・・・・・・・・ 2007年09月08日(土) 2349.ベナレス・・・5 ー多様なるインド世界ー インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。 これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。 多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。 古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀頃に相次いで生まれた。 紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。 またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も十五世紀に興起する。 ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のようなものである。兄たるヒンドゥー教は 古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。 一方、弟の仏教はそういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは十三世紀にイスラーム教徒の 仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では 現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。庶民は心の底から平和を祈っているのである。 解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民との混血が、自分達の存在を脅かすと 考え創った物語が三千年の時間をかけて白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれが交わることなく 現在に至っている。今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。人間は平等です? そんなことは有りえない! それはあくまで奇麗事という、インドの社会が正直に露出している。 考えてみれば平等などあるわけがない。それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。 優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。 ・・・・・・・ 2006年09月08日(金) 1984, バイアグラ おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ 6年前に、ある人からバイアグラ(精力剤)を飲んだ話を聞いた。 グァム島に行ったおりに現地で買ってきて飲んだところ効果てき面という。 当時は必要を感じなかったので聞き流していたが、この数年来、精力減退を実感するようになった。 精力減退の為か女性に興味がなくなってきたのには驚いた。この歳で感じすぎも困るが、何とも感じないのも・・ このHPを開いてから、朝方に気持ちが随想日記に集中!精力減退の一番の原因と思われる。それだけエネルギーをとられるが、 やはり歳からくる衰えだろう。知人に聞くと、結構その悩みを持っている人が多い。ある友人が数年来、常用していて 「効果が絶大」という。そこで一年前に、彼から10錠ほど調達してもらった。(一錠1500円・・)しかし何か不自然な気がして 一年間、一錠も飲まなかった。先日、そのバイアグラを思い切って飲んでみた。効果は? 飲んでから5時間ほどしてから 効果が出てきた。なるほど、こういうものか納得をした。「10年前の状態に戻った」というのが実感である。 飲んだ時間から24時間、その効果は持続した。その結果「一年前買ったときに飲んでおけばよかったのに」と後悔?をしている。 あるスナックのアルバイト・ホステスにバイアグラの話をしたところ、「お客に一錠もらい飲んでみたが、 欲情がでるとかの現象は起きなかった。 男と女は違うのでは?それと、女性用のものもあるみたい」と言っていた。 精力が溢れているようだから、同じということか。二年ほど前に、マカという精力剤を通販で買って飲んだことがある。 毎日、二錠ほど4日ほど飲むと、効果があるようだが・・・私の場合は殆ど効き目が無かった。 ただ、身体全体に精力が溢れるという感じはあったが・・バイアグラは、泌尿器科に行けば貰える上に、保険が利くという。 それを貰いに泌尿科に行く気力もない。これは、ネット上に書く内容?ではないが・・・ 品位の問題だろうが、今さらである! 精力減退は年齢を感じる! そして虚無的になる。 まあ、助かった! もう40数年前のことになるが、父親が、私と同じ年齢の頃、「九竜虫」という小さな虫を菓子箱の中に飼っていて、 生きたまま飲むと精力がつくと一年ほど飲んでいた。 あれは効いていたのだろうか? ヽ(●´ω`●)ノ。バイ! ・・・・・・・・・ 2005年09月08日(木) 1619, 閑話小題 ー書くとはー この随想日記で、 書くということは「自分に向かって語りかけている」ことである。第三者の目を利用して自分を駆り立てて書いている。 公開することは、日記を続けるためと、内容を落とさない手段である。日記の読者を巻き込んで自分に語ることである。 第三者の目を通して自分に納得しようとしている。第三者を意識しなくては、毎日これだけ書けるわけがないし、 意識すればこそエネルギーも出てくる。 ・毎日書くこと、 ・第三者の目に曝した文章こそエネルギーがでる、 ・一年~数年後の自分の目に対して恥ずかしくない文章にする、 ・新しい発見を自分に課せる、 ・私自身の言葉で人生を彩ることが書くことである、 ・何のために書くというのではなく、書くために書くのである。 ー電波歯ブラシー (字数の関係でカット 09年9月08日) ・・・・・・・・ 2004年09月08日(水) 1254, 自信喪失症に悩む韓国人 日経新聞の「地球回覧」の「自信喪失症に悩む韓国人」が考えさせられた。 日経新聞のソウル支局長の手記だが、なかなか鋭く現在の韓国事情を書いていた。 少しキーワードを変えると、現在の日本の地方の現状に酷似している。 ー概略を書いてみるとー 「景気や庶民の暮らしや考えを聞くにはタクシーの運転手が一番」。 駆け出し記者時代にそう教えられたが、 最近では、話をしないようにしている。景気やニュースの話になると「こんな酷い状態は初めてだ」と興奮状態になる。 「スリル満点の運転で悪名高いタクシーが暴走しかねない。 ー現在の韓国は以下の状態である。 ・韓国経済は今年も5?の成長率を見込むが、牽引役はサムスンなど一握りの輸出関連企業だけ。 内需不振が長引いて、景気は1990年代後半におきたIMF危機の時より悪い。 ・イラクで「死にたくない」と絶叫しながら、韓国人人質が殺されたり、 ・中国の政府系機関が古代国家「高句麗」を、中国地方民族政権と主張したり、 ・アテネオリンピックで、サッカーやマラソンで期待のメダルが取れなかった。 (字数の関係でカット 09年9月08日) ・・・・・・・・ 2003年09月08日(月) 887, バックナンバー -1 今まで書いてきた、テーマ随想日記のバックナンバーである。バックナンバーをクリックして内容を読めるソフトもあるが、 手間がかかるため今のソフトを使っている。書初めの頃は、サロンのコーナーと混同して空のものが幾つかあるが、 「宗親日記」が別にあるから、総数はこんなものだろう。それにしても、よく書いたものだ。 「間違い字」が所々見られるが、殆ど内容を忘れているので再度読んでも新鮮に思える。 それだけエネルギーを入れてきたのも事実である。とりあえず1千項目の目標は年内で達成する。 「自分史」であると同時に、「遺書」にもなる。まだ見ぬ子孫の眼も意識して書いている。 書いていて、初めの頃は戸惑っていたが、今は面白くさえある?習慣化が一番の要点である。 言葉にまとめることの重要性が書き続ければ続けるほど解ってくる。 (字数の関係でカット 09年9月08日) ・・・・・・・・・ 2002年09月08日(日) 513, 入試はクイズゲーム? 「入試にしても、資格試験にしても、暗記とか理解を捨ててしまえ! ーゲーム、パズルゲームゲーム、クイズゲームと割り切ってしまえ!」というある文章を見て固まってしまった。 「ゲームや遊びの類と割り切ってしまったら、真っ当に受験勉強をしないはずだ。 クイズゲームの能力のレベルを上げたいなら、過去のクイズゲーム(問題)の質問と答えを徹底的に調べて、 その傾向とか癖の調査を楽しめ!その為の準備を遊べ!」要するにゲーマーになってしまえということだ。 何事も遊びに昇華した時に能力が飛躍する、入験がそうだと。自分で試合を創れる男をゲーマーという。 ゲームとは「目標を決め途中に難関を置き、それを乗り越えながら達成するプロセスを第三者か、 自分自身と競う事を楽しむ事」という。 あるレベルを超えると、これが一番重要になる。 自分が事業を始めたとき、そうだった。自分の練り上げた計画を実行というプロセスを楽しむゲームと いう要素があった。そこまで計画を自分で内省した。 「計画お宅」といってよかった。 評論家がそれを非難した文を読んだことがある。「遊びで事業をしている馬鹿がいる!」とか、これは第三者の目。 そこまで練り上げると遊びになっているのが解らないのだ。いやそのはるか下のレベルの人を言っているのか? その差も解らないレベルの批評というと、その批評に対しても、同じレベルの目線という理屈になる。 高校時代に不思議に思っていた「同じ勉強をしてどうして全く違うのだ?」 それが40年経ったいま初めて気づいた浅はかさである。でも実際社会にでた時から、 実践でそれをやってきたから後悔はないが。あの受験の時の優秀?の人はゲーマーだったのだ。 まあ、それだけではないと思うが。本当にしたい事、なりたい仕事があったから必至に勉強したとかが本当のところだろうが。 パズルゲームか、あれは!!?クイズ??馬鹿馬鹿しいともおもえない。誰も教えてくれなかった、その事実を。 愚直に挫折をしながら、独り知恵を絞った事も事実である。それが力を創ったことも確かだ。 でも事業で両親から、その遊びかたを教わっていた!遊びになるまで集中しろ、継続しろ、努力しろという事だ。 彼らはそれを受験勉強で知っていたのだ・・・??人間はその人の範囲のレベルしか力はつかないものだ。のっけから、 真剣に望めば逆に能力が湧き出る。秘境旅行も「旅行道?というものがあるならば地球の何処を埋めていこうか?」 というゲームになっている?!!ところでこの随想日記はじつは危ないゲームになっている。毎日のネタさがしと、 その内容の構築がゲームでもある。全くの無の状態から探し、材料の構築はスリルでもある。 ・・・・・・・・ 2001年09月08日(土) [138] 夢についてー10 ー今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみるー ・海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい ・谷の間を飛行している夢ー最高の気分 ・お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ ・白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ ・長岡の大手通の店ー子供のころの3階の部屋の夢 ・どこかの町でトイレを探している夢 ・大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢 ・5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢 ・母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿を、亡くなった不運の一生だった 叔母が見ている夢ー母の生前の10年前の頃 ・あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢 ・お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、その池が幻想的である夢
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2010年09月07日(火)
* ホェール・ウォッチング オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。 家内はヨットに12時間も無理ということで、私一人の参加。 20人乗りの2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、 日本人が私の他に中年ペアー。 他は白人系が15人を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが意外と小さい。 外海に出たと同時に、船は二メートルの波で大ゆれ。 案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。 乗員も分っていて海水を入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。そして胃を空にした。その直後に睡魔が襲ってくる。 ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら気分は元に戻る。 船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていたが、 何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に三時間後に到着。そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、 鯨が空気を吸うために海面に出てくる姿をウォッチングすることができた。そこでテレビの撮影を過って見たことを思い出した。 今回は10匹近く見ることができた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて7〜8秒しか浮いてないので、 目を凝らしてないと見逃してしまう。 海も天気で大きく左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。 また12時間も小型ヨットに乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能することができた。 甲板から海に向かって足を突き出して座って海を眺めボットするのも、気分は爽快である。 また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、ボートと同じスピードで泳いでいったのも印象的であった。 さらに帰港前の20分ほど、タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、 赤い色合いのマッチが印象に残った。 一期一会、迷ったら直感を信じ躊躇をしないことだ。
・・・・・・・ 3077,SCが工期半年で完成とは、驚き 2009年09月07日(月) 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日に着工、来年の3月8日にオープンと 現場の立て看板にあった。 それにしても半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。 新造成地の更地で全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。先月、近くで説明会があった。 折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、三菱東京銀行系が資金調達とあった。 住宅地も数ヶ所売り出されているが、 坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から直線道路一キロほど、自宅からは5分の場所。 自宅の100m先にSCがある上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街があるので生活環境は、ますます良くなる。 そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ、家電のジョウシン、ホームセンターのコメリ、ディスカウント、 紳士服のアオキなど20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。店舗構成をみるとバッテングをさけて補完してあるのが分かる。 店舗が重なるのは、原信と、蔦や。業種では中古ショップである。 二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成になっている。 これまでは長岡の信濃川の向こうに比べて、川崎のSCだけでは、魅力が薄かったが、この二つを合わせて対抗拠点として、 周辺に店舗が自然発生的に出来ていく過程をみることになる。 長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、 駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 ・・・・・・・・ 2712, 大相撲が面白い! 2008年09月07日(日) 若貴あたりから、違う面で大相撲が面白くなってきている。マスコミを巻き込んで、北朝鮮のような瀬戸際の ブラックジョーク的な展開を示してきた。グローバルの流れと、人材不足をカバーするため、いち早く外国人に開放をした。 しかし国技とかいうが、法的に全く根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を払わない宗教法人と同じような扱いを受けている。 相撲部屋は、ヤクザの世界に酷似、縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムのように独立し、 それが集まって大相撲協会をつくっている。 だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、個々の選手の薬物まで 責任はないのと同じである。 そんなことは、どうでもよいが。 今回の土俵外の物語は、ロシアの三人の麻薬事件である。 一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人がトラブルメーカーだった。 それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。朝青龍かたなしである。 今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。今回は、もう無理だろう?しかし・・・・ 昨日のニュースでは、期待をしていたとおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが 天皇家への尻尾振りで、政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。 しかし、幾ら程度が低い彼らも、世界的にも注目を浴びているので、腰が引けたのだろう。 日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い!「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」の質問をすればよい。 もし、「もちろん、します!」と答えたら、帰国をして数ヶ月以内に行方不明になるだろう。 大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、東欧の国家戦略として日本バッシング戦略的対象になる。 大相撲協会は、あまりに、軽く甘い。 私が敵対国の政治家なら、対日の攻撃対象にする。 自国の強い力士に女とか薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士を徹底的に怪我をさせるようにもって行く。 それかモンゴルのように、三役力士を自国の力士で占有する。 その意味で、外国人に開放をしたと同時に、 旧来の国技という名を返上すればよかった。せめて日本の相撲のルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに限定すべきだったろう。 それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 国技とかいう名を返上、払うべき税金は払い、 横綱審議会など解散することだ。 天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして一般席に座るべきだ。 こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。 ・・・・・・・・・・ 2007年09月07日(金) 2348.ベナレス・・・4 この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、 痛烈な批判なのかもしれない。朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。 そこには路地に暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の言葉を聞き、その後に繰り返し唱える。 集まってくる人びとの中には、たくさんの子供たちの姿もあった。かつてスワループさんがそうであったように、 聖地ベナレスに受け継がれてきた伝統が、また次の時代へと伝えられて行くことを感じさせる光景であった。 街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。こうしてペナレスは聖地としての歴史を刻んできたのである。 スワループさんは月に数回僧院を離れ、寺院やほかの僧院の儀式などに呼ばれ、祈りをささげに行くことがあるという。 多くの場合、その交通手段はボートである。数千年間続いてきた伝統の道に身を投じようとしているスワループさんは、 この街をどう見ているのだろうか。ここで両親を茶毘に付し、また二年前から現世での生活を捨てるという視点から この街を見つめ続けてきた彼は、ベナレスの街並みが見えるガンジス河の上で、こたえてくれた。「私にとって、この街は 特別なところです。この街はすべてが本物なのです。私は『死』のあり方だけを言っているわけではありません。 この街で暮らす人びとは、とても生き生きと活力に満ちて生きています。それがベナレスの力だと思うのです。 みんな対岸から朝日が昇る光景が好きだと言いますが、私は日暮れ時のべナレスがいちばん好きです。 太陽が街の中心に沈んで、この街にエネルギーが注がれる気がするのです」 「すべてが本物である街」ベナレス。スワループさんが言うように、この街に太陽が沈む光景は、 確かに陽の力が街に与えられるような荘厳なものであった。人生の最期を家族と過ごす館「ムクティ・バワン」 に通い出してから二十日が経っていた。その間四人の人が亡くなられ、希望通りマニカルニカマトへと運ばれて行った。 ------ 解)ベナレスも、現地のあの雰囲気を実際に味わってみないと、その意味は理解できないだろう。それだけの迫力と、 深さを感じ取ることはできる。あれだけ、あの地で死ぬことを欲していれば、死そのものの恐怖は逆に消滅してしまうだろう。 その意味では、宗教の力を直接的に感じる場所と言える ・・・・・・・ 2006年09月07日(木) 1983, 閑話小題 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ーウォーキングの道でー 先日の土曜日の9時過ぎに土手でウォーキングをしていると、小学校の運動場で運動会が開かれようとしていた。 開会式のようで、マイクの声が聞こえてきた。 ところが中学生の声で、「何々中学応援団団長何某!」その後に、 小学生の女の子の声で「何々小学校応援団長何某!」と、宣誓の最後に締めくくった。 今どき、中学校と小学校の合同の運動会か?と、思いつつ通り過ぎながら見ると小学生しかいない。 中学校の応援団が、運動会の高学年の応援指導をしていたのである。 学生服を着て、頭に長い鉢巻をした10人ぐらいの中学生が大声で、高学年の生徒の前で応援の手ふりをしていた。 何とも微笑ましいが、生徒のほうはピリピリしているのが伝わってきた。 運動会全体がしまっていたようだ。 小さな集団に小1のグループがあった。幼稚園の集団と間違ってしまうほど、幼さが残っていた。 ー紀子様、男子出産の意味ー 「朝生TV]のテーマではないが、紀子妃の男児出産で、次の次の天皇継承問題が更に複雑になってきた。 過去の女系天皇の場合、結婚をしてない女性が天皇になっていた。 (字数制限のためカット 2010年9月8日) ・・・・・・・ 2005年09月07日(水) 1618, 楽しく生きるー3 「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を追い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、 いう意味で言っているのではない。目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。何ごともバランスである。 前回書いた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。 ー人生の「動」と「静」を楽しむー 私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」。それは無限のエネルギーを生み出したりして人生の全体を創造している。 欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。すると、次の欲求が生まれ、 新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。 ただ私がそこに「いる」だけの場所である。欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。 「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した「意識」はその動きに巻き込まれることなく、 いつも欲求から離れている。この「欲求」と「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない「静」で、欲求は動きまわる「動」。 楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを 動かしているのを忘れないように。 いつも変わらない「静」があるからこそ、 「動」を楽しむことができる。 「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。 楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。 ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。 このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている「思い込み」である。 この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。 「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。 この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。 思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。 この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の自分に出会うことが、 「もう1人の自分に出会う」ことである。あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。 素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。 ー以上が、この本の概要である。 <自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である> 秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、思い込みに気がつき、真の「自分探し」の人を多く見かける。 そのタイプを要約すると、ー親と世間の常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。 ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。このままでは、死ぬに死に切れない。 そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。 もう少し早く気がつけばよかった。 余白はあまりにも短い! 等々である。「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。 その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。 魂が入っていれば、それでもよいか? ・・・・・・・ 2004年09月07日(火) 1253, 死について再び考える 過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて死について考えてみる。 毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、深い長い夢をみながら死んだとしたら、 その夢と現実とはさほど変わりはしないのではないか。 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、 灰に帰す。骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。 人生とは何なのだろうか?ー意味 その行蔵の中味は何か?ー経験 何を成しえたのか?ー達成 何を成しえなかったのか?ー挫折 それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか? 答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。 ー生死の格言ー ・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。 byレーントン・ワイルダー ・墓場は、一番安上がりの宿屋である。 byラングストン・ヒューズ ・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ byマルロー ・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。 by吉行淳之介 ・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。 byレオナルド・ダ・ビンチ ・命とは、セックスで感染した病気である。 byガイ・べラミイ ・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。 byウィリアム・サローヤン ・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。 by映画『無防備都市』 ・人間、死ぬときは死ぬのがよい。 by白隠 ・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。 by梅崎春生 ・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。 by村上春樹 ・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん by蜀山人 ・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。 byトルストイ ・不幸な人間にとって、死とは無期懲役の減刑である。 byアレクサンダー・チェイス ・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。 byエリック・ホッファー (字数の関係でカット08年09月07日) ・・・・・・・・・ 2003年09月07日(日) 886, 「ありがとうの言葉」ー8 昨日の散歩で何回『ありがとう』をいえるか試してみた。8500回であった。 今日は1万回に挑戦をしてきたところだ。1万回は2時間以上ふるに言い続けて初めて可能になる。 言い続けるにしたがって、忘我の境に入っていくのがわかる。7000~8000回が、その入り口であった。 回りが全く遮断され「ありがとう』の言葉に一体化してしまう。カウントを間違わないように指先に集中するのがポイント。 そうしないと、すぐに何かを考えてしまうからだ。右指を十単位、左指を百単位で折ってカウントをする。 カウントも、時間で計る方法と、距離で計る方法がある。今の私には指折りが最適のようだ。 慣れてきたら時間か距離の計測に変るつもりだ。散歩の歩数は、初めは万歩計であったが、今は時間で計っている。 散歩に「ありがとう」を言い続けるのが一番良いようだ。 この随想日記を読んで一番初めに反応してきた、ある社長は一日平均6000回言っているという。 また彼が紹介した知人の数人が、「幸せの宇宙構造」を10~20冊買って周囲に配っているという。 ありがたいことだ。反対に一週間の約束で貸して、2ヶ月以上経った今も返してこない人もいる。 「ありがたい」と思えば約束を守っているはずなのに。読んでないのか、馬鹿なのか。 「貸したら帰ってこない」と思わなくてはならないのは解っているが。 「幸せの宇宙構造」を読んで、『ありがとう』を言い始めて3ヶ月が経つ。気持ちが安定をしたことが何よりの成果である。 それと、人に対して寛容になったようだ??? ミニ瞑想を繰り返しているようでもある。 否定語は相変わらず使っているが、すぐに「ありがとう」という言葉で消してしまうのが良い。 ・・・・・・・ 2002年09月07日(土) 512,パンプローナの牛追い祭り 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。 もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。 今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、 毎年放映される中でも特に迫力があった。 初めから最後まで手に汗を握る内容であった。 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、赤いネッカチーフをつける。 パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に 向かう街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。 4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。 19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中からその祭りに加わった。 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋からファイナルギャザリングと牛追いが見れる。 4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ーの内容をコピーしておきます。 ーーーーー (以下、字数の関係でカット、09年09月07日)
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2010年09月06日(月)
去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを急遽キャンセルをした。 その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入りこませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの扇動と後になって気づいたが後の祭り。 恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた海外旅行が途切れてしまった。 そして今年は恐慌三年目、経済的状況は 二番底に向け動き出した。 さて、どうするか迷った。毎年9月以降に大きな事件が起こる傾向があるので、 最終タイムリミットは9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを絞って盆明けになって探した。 グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 オーストラリアはイマイチ。そうこう調べてると南太平洋の中で、 7日間で8万弱のニューカレドニアを探しあてた。 ワンフライト8時間で、滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。 しかしホテルの一ランク上に上げたり、現地で4回のオプションツアーに参加したりで、二倍近くになってしまった。 それでも15万である。 振り返ってみて、オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しをしたりして、 のんびりするのが正解。 二度と来ないと思うと可能な限り動きたい気持ちに勝てなかったのである。 私の基準の採点では80点。 フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の過ごし方になれてなかったこともある。 フィジーと違って、ここはフランス領ニューカレドニア。 四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、小さな多くの島が 点在している。 ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。 フィジー、タヒチなど年中、常夏な気候に対し、5度ほど寒い冬がある。 この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏である。 大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの移民が3割の比率で、フランス支配感が強い国で、 地中海のフランス領の小島にいるようである。 その点、フィジーは小さいながらもポリネシアの独立国でありポリネシアの 人間的特性が前面に出ている。パック代はフィジーが1・5倍ほど高くなる。 南太平洋に行くなら、何処の国の領か、それとも独立国か調べた方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。 現在、世界は一部の白人が支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、三千年かけたアーリア人による身分制度で、 裏づけにヒンズー教で心まで支配するシステムになっている。一神教のユダヤ、キリスト教も、ほぼ同じ手法で、侵略の尖兵として、 キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。 そして世界を牛耳っている。 ここで、日本がアメリカの金融被支配国が表面化してきた。 それだけでない、軍事も支配されている現実がある。 バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。 ・・・・・・・・ 3076,120年の物指し 2009年09月06日(日) 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。 ーまずは民主党の大勝の長短の4つの物指しを要約 一、麻生の一年足らず政権、永田町の政治記者レベルの内容。今後、民主党が、 そのレベルとして参院選挙まで、いかに実績を積み重ねることができるか。 二、次は、四年前の小泉劇場の大勝で、今度の選挙のように逆ぶれで民主党に政権が転がり込んできた。 4年後の衆院選挙も同じ道をたどることになるかどうか。 三、小選挙区制度ができて15年で、ここでようやく政権交代が実現した。1993年の国会は、「政治改革国会」と呼ばれ、 翌年には小選挙区比例代表制を含む政治改革関連4法が成立。今後15年で二大政党の交代システムが出来るかどうか。 四、120年という物指しで、これが最も本質的な物ざし。明治憲法ができて120年になるが、 この間の政治は実は官僚に従属してきた。 今度の政権は120年の「中央集権国家」を廃絶して新たに「地域主権国家」を 樹立しようというのである。 自民党も「地方分権」といい、その具体策として「道州制度」を導入しようとしているが、 あくまで「中央集権国家」が今後とも続くという前提である。その官僚主導体制とその中核である財務省による 徴税・国債管理・予算分配の「財政中央集権」も続くということであり分権といっても、うやむやにされることは目に見えている。 これに対して、民主党のものは、国民生活に密接な権限と財源を基礎自治体に渡してしまうもの。 ーー 以上だが、その15年間、延命を繰りかいした自民政権があまりに狡猾であった。それも120年続いた流れで、国民が 騙されていたことが露出してしまったのである。二度とあの威信は戻ることはない。 あとは民主党の自滅を待つしかない。 ・・・・・・・・・ 2711, 臨死体験を経験できるヘルメット 2008年09月06日(土) 何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きを今でもリアルに憶えている。 それを契機に、キュープラ・ロスや、立花隆の臨死体験などの本を読み、その経験の意味を知った。 ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発したゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、これ装着すると万人が 体外離脱できるという。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上やっていて、その手術の際に側頭葉の シルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激すると、体外離脱がおこることを発見した。これで体外離脱した意識が、 遠くのものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体をジャックしたイメージも起こるという。 これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気で脳を刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。 体外離脱とは、脳の中の幻覚ではなく、アストラル体のような意識が、抜け出している状態ともいわれる。 実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。それまで一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか 経験できなかったことを、科学者は誰にでも体験できるようにする。 何年もしないうちに、家電の店頭で並ぶかもしれない。 これを被って気が向いたら幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー波を発生させる器械を買ったことがあった。 またマリファナを吸ったと同じ気分になるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分の状態になる。 私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを被っても、私の経験した幽体離脱の緊迫した 感覚とは違うだろう。色いろな状況の中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから神秘的なのであって、ヘッドギアの器械で 幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。前に書いたことがあるが、欧州の帰りの飛行機の中での夢。 「自分の身体が突然にフワフワ空に向かって上昇していく、電信柱が下に見えてきた辺りで恐怖心が出てくる。 夢から早く覚めて布団に身体を戻さないと、我に返った。 ところが、そこは飛行機の中で、身体が地上に在るはずなのに逆に、 その遥か上を猛スピードで移動している。 そこには、飛行機も、シートも、周囲の人たち消えて、独り宙を移動している」 身体が凍りつくとは、このことだろう。 恐らく、死ぬ瞬間とは、あの感覚になるのでは? 絶叫をしそうになったが、ギリギリ 抑えることができた。人間は大地の上で生きているのである。 死ぬと、大地から離れるのである。 幽体離脱で元の身体に戻ってこれないで、狂ってしまうケースもあるというし、自分が外に出ている間に、 動物か彷徨っている霊が入り込む場合が往々にあるという。 オウム教が騒がれていた頃、ニュースなどの映像で、 ヘッドギアをしている信者の姿を見かけたが、あれがゴッドヘッドだったのか? 集団維持の手法や典型的カルトの教えは 否定されるべきだが、宇宙からの視点とか、こういう幽体離脱の手法は、なるほどと感心する。 脳はまだまだ未知の世界である。脳は3?しか使われておらず、10?も使えば天才になれるという。神様(自然)は何を脳にさせよと したのだろうか。我われ凡人は、パソコンなど、道具を有効に使ってせめて5〜6?を使えるようにすればよい筈だが? ・・・・・・・・・・ 2007年09月06日(木) 2347.ベナレス・・・3 出家した兄に対する妹の思いがそのまま伝わってくる。 出家をした目線がなかなか興味をそそられる。 ーーー P-126 兄の品々を懐かしそうに見せてくれるサルラーさんの振る舞いは、まるで、亡くなってしまった兄弟の遺品を 大切に保管する遺族のようであった。実際、出家遊行僧とはすでに死んだ存在であるとされている。 サンニャーシーとなる際に、ガンジス河の岸辺で白い団子を流すという一つの儀式が行われる。白い団子は通常、 先祖の供養に流すものであるが、それを自らのために流すのである。つまり、死者となる自分を自分で弔い、 世俗の生活に別れを告げるのである。出家を志した今、スワループさんの生活の場は限られたものになった。 (字数制限のためカット 2010年9月6日) ・・・・・・・ 2006年09月06日(水) 1982, ある首斬り役人の日記 −3 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning −読書日記 215、1602年9月14日 ゲオルク・ブラウン、マンスフェルト出身。 彼は蜂蜜・胡椒入りケーキ職人で、流れ者の剣客であった。 旅の道連れだった青年から13ターラを盗み、その代わりに石を入れておいた。 その後、コペンハーゲンでも同じ青年からまたしても8グルデンを盗んだ。その他にもある車夫から車を盗んだ。 229、1604年10月13日 字数制限のためカット (+>∀<+)ノ ホンジャ! ・・・・・・・・ 2005年09月06日(火) 1617, 楽しく生きる−2 大不況の中、毎日を楽しく生きることができれば、これにこしたことがない。 図書館で借りた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著が、なかなか含蓄のある内容であった。 ー概要をまとめてみた。 (時間をかけて書き写すだけの価値は充分にあった) ーー 人の欲求が新たな希望へと向かう心の軌道とは? 欲求の生起ー>否定ー>欲求不満ー>絶望(対象喪失ー>茫然自失ー>否認ー>怒りー>自失−>怒りー>自責) −>抑うつー>悲しみー>孤独の自覚ー>諦めー>新たな希望の獲得ー この過程のどこに「私」はいるのか考えてみようと提起している。望みが叶わないといって絶望や諦めを恐れる必要はない。 人の心は絶望や諦めを超えることで、孤独の中の本当の自分と出合い、自分が何を望んでいたのか、欲求の全体構造を明らかにする。 そして、その先にある新たな希望へと導く。挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、新たな希望を創っていく 中から、真の楽しみ方を見出していくのである。何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。 そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、 濁流や、澱みや流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。そこで、もう一人の自分に自分に出会う。 我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、それは時間が止まったときだけだ。 時間は二つの場合に止まる。 絶望の中と、満足の中で。欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる <諦めて得た楽しみ> 追いつめられて見つけたもの、孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。 それは、世間的な色・金・名誉を断念することで初めて可能になった心の安らぎ。その引き換えに諦めを得たのである。 諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く慣れ親しんできた自分の外界の世界への固執も解く。 もう、表象の欲に振り回されることもなく、静かに居られる場所を持ったのである。 人の精神が新しい世界に飛躍する時は、静粛に一度立ち戻らなくてはならない。 静粛の中で起こることは、古い欲求構造の破壊と新しい欲求の誕生である。 ー 雅ー欲を楽しむという意味 (以下、字数の関係でカット08年9月6日) ・・・・・・・・ 2004年09月06日(月) 1252, オーストリア旅行記ー3 ーシェーンブルン宮殿ー シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。 その名を持つこの宮殿は、女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、 皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。 そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。 その幾つかを書いてみると、 ・ナポレオンの部屋 1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に居室として使用していた部屋である。 18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。 ・マリー・アントワネットの部屋 マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで 殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。 ・鏡の間 1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージアの前で初の御前演奏を行なった場所。 そこで演奏後、けつまずいたモーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。 ・漆の間 マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに金で描かれた花鳥や東洋的な 風景が壁一面に覆っていた。そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの肖像画が飾られていた。 そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。 ー聖シュテファン寺院 Stephansdom 市内中心部にある大きな教会。塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。 エレベーターで、その屋根の上まで昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。 その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から国立オペラ座あたりまでを ぶらぶらと歩いてみた。 ・・・・・・・ 2003年09月06日(土) 885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の2時間番組を放送していた。 昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており 丁度よいタイミングであった。 (感想文は後にコピー) 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた内容の濃いものであった。 アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と愛を歌い続けてきた。 バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど中心としたタンゴオーケストラもある。 ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。その隅々までタンゴの一部になっているようである。 パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。 その時パリにやってきていたカシミール・アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。 それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話がある。 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。 南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに世界中の踊りや歌を携えて船乗りたちがながれてきた。 そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い 出来上がっていった。執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。 変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。男女が身体を離して踊るのではない。 二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。 ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。 音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、 それがアルゼンチンタンゴである。 ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。スペインのフラメンコは一人踊りか、 集団で踊るかだ。それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。 ・・・・・・・・・・・・・ ータンゴの歴史 (以下、字数の関係でカット08年9月6日) ・・・・・・・ 2002年09月06日(金) 511,こころの添削 「文章を添削することは心を添削することだ。 その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」 ー藤村藤村の「初学者のために」より なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが自分自身である。 思っていることを書き出して、添削を続けていると心を書き出し、こころを添削しているような気になる。 小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。そして、他人に見られていることを意識して書き直す。 その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。文章の上達は「量を書くことと添削しかない」 と立花隆が書いていたが、そのとおりである!添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提に なっている自分の視線・視点を治す事だ。言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが! ・・・・・・・ 人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。 ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。 「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、 面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。 ・・・・・・・・・ 「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。 なるほど、そのとおりである。 毎日書き続けていてそう実感する。「こんなことを知っているぞ」とか「こんな経験したことがあるぞ」 とかだ。それでは外に何を書けといえばいいのか?やはりその類のことしか実際のところない。勝手に書いて、公開しているんだからと 開き直るしかない。何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」 いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」 ・・・・・・・・ 2001年09月06日(木) [135] 熊 「熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、その向こうに家がある」 さあ貴方はどうする。「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」 木は理想。 池はセックス。 家は-実家ー昔の思い出ー ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。これが人間の姿だ。 熊は何かーもちろん現実そのものだが、自分の影か父親か。この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。 この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。「何処かの家の外に熊がいる、いつのまにか家の一階にいる、 そのうちドアの外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。
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2010年09月05日(日)
* アフリカに魅せられて 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校時代の友人がケニアのサファリから帰ってきて、 その写真を見せてもらったことに始る。100枚以上の、ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。 それだけの写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。 そこには、バルーンから動物を撮った写真もあった。 なんで一回のツアーで、これだけ多くの写真が撮れるのだろか? 実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない活き活きした 野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。丁度、カナダのロッキーに行って、大自然に魅せられたばかり。 なら、アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。 とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。そして、初めてケニアのマサイマラの平原にサファリカーで 乗り入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に、動物が走っているのが見えてきた。事前知識は全くないので、 期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを見れれば儲けもので、テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、 信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。そして、その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。 現地のドライバーが、無線とか、行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れがいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。 そして、夕刻に像の20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。 夕陽の中に、黙々と隊列を組んで進む姿が 何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝サファリである。この時の参加者が4名に添乗員が一人。我われ夫婦に、 40歳ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になってしまう。 これほど、都合の良いサファリのツアーは 今だかってない。どの場面をとっても、強烈な印象が残っている。 最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。 ・・・・・・・・ 075, 父は疲れてしまったのです! 2009年09月05日(土) * 民主308議席の衝撃 ー朝日新聞ーオピニオン高橋源一郎 9月4日 朝日新聞のオピニオンのコーナーの高橋源一郎の「父は疲れてしまった」の例えが言い得て妙。 ー概略とは 《 今回の政権交代は、自民党が古いタイプの家父長で、国民がその「妻」、民主党が自民党から生まれた「子」 と考えとわかりやすい。 要するに「熟年離婚」なんですね。「妻」である国民は、「夫」の自民党に何度も裏切られても、 なかなか別れることができない。 離婚など出来ないと思い込んでいたからです。「夫」も、浮気をしても喧嘩をしても 「妻」は自分のいうことを聞く、過半数は取れると思い込んでいた。両者とも「離婚」という発想がなかった。 でも、05年の選挙で、投票で政治が変えられると気づいてしまった。それなのに定年に近づいた「夫」がまだ威張っている。 そこで「妻」は離婚届を突きつけた。 一方で自民党も、実は離婚を無意識で望んでいた?。 一種の自殺願望。 小泉が自民をぶっ壊すといい、安部、福田の二代の総理が政権を投げ出した。 もう死にたいという自殺願望である。 半世紀以上も政権にいたことで金属疲労を起こし、当人たちは、もうやめたいと思うようになった。 国民は「戦後」的な関心を失っているのに、自民党だけが旧言語で話している。 彼等はそのことを体感としてわかっていても、あまりにずれていて、自分ではどうしようもない。 「子」である民主党は、自民党から脱皮した形で生まれた政党。だから、いち早く「戦後」から脱皮できたのです。 自民党の大物議員に「小沢チルドレン」の女性をぶつけたのは、「家父長的な老人と若い自立した女性の戦い」 という構図を見せつけたかったからです。 民主党は、この選挙が過去と現在の戦いということを知っていた。 「いま」や「変化」を掲げて、「現在」という時空間に適応したからこそ、大勝できたのです。 自民と民主党は、いわば違う時空間に存在している、だから、「現在」の中での価値の争いとはなりにくい。 恐らく、自民はこのまま自壊していくんじゃないか。 民主党は、自民党という「父」を敵にすることで結束してきた。 一度「父殺し」が成功してしまえば、兄弟げんかが始まり、分裂しかけない。それをどう防ぐかが大きな課題になる。》 = 作家とはいえ、全く上手い例えを思いつくもの。ギリシャ神話のオディプスの父殺しを、持ち出すとは。 このように一度、殺されてしまえば、父への思いは何だったのか?、ということになる。 森、安部、福田、山崎拓などの権威が元に戻ることは無い。 「自民党パージ」である。 社会党の残党が隠れ住んでいるが、これらも森、山崎拓と同じ穴の狢。 一度、分裂した後に再編成のプロセスが必定だが、少し勝ちすぎたのが時期を遅らせてしまう。 自民党という父は疲れただけでない、殺されてしまったのである。困ったのは、本人たちが解ってないこと。
・・・・・・・・・・ 2710, 今東光の話題 2008年09月05日(金) 以前に、今東光の毒舌の味と凄みについて書いてある本を紹介したが、インターネット上の検索で見つけた 「極道辻説法」の一部抜粋してみる。自分の年齢が、この人物の年齢に近づき、若い人に対する視点が似てきたのに 驚いているが、今東光の足元すら届いていない己との距離も見えてくる。 今の時代が、この馬鹿な質問者よりもレベルが下になっているのか?。 彼が現代の日本に対して曰うとしたら、こんなものだろう! 「この馬鹿野郎!手前ら、ここまで成り下がったのか、エエ〜! アメ公の毒饅頭をまだ食べてんのかよ〜! ブチ殺すぞ、この野郎。 頭と尻尾から腐るというが、あのパンダのようなキャスター上がりのようなオナゴが 次の首相に立候補だと、何をぬかしあがるか。馬鹿野郎! 面を見な、面構えがなってないじゃねえかよ、わかんねえのか! 程度の低い二代目が続けて首相だと、あいつらに国家が任せるしかない、日本がよ哀れでしか思えね〜よ。たくも〜! どれもこれも腑抜けた奴ばかりじゃねえかよ、あの中曽根も、まだ生きてやがる!それもしたり顔をしてよう。 今度は、吉田茂の孫かよ、そして何をするかとみたら、またバラマキかよ。なんなもの。 一度な〜、明治維新のことを考えてみなよ。 今の日本の危機は、あんなものじゃねえんだ。解ってんか!」 大体こんなものか。 今度、今東光を私の脳に呼び寄せて娑婆批判をしてみる。「今東光語る」とかいうシリーズで! 〜〜〜 ー「極道辻説法」etc よりー (以下字数の関係で中間カット2009年9月05) (相談者)「親友はどのようにしたら出来ますか?」 (回答) 「そういうことを質問するテメエぐらいバカはいねえんだよ。 なぜテメエがだよ、テメエ自身がいい友達になってやるっていう覚悟をしないんだよ。」 〜〜〜 (相談者)「男の生きがいとはなんですか?」 (回答) 「男の生きがいってもんはな、生きてて満足だっていうのが生きがいだよ。 なにとぼけたこと言ってんだコノヤロウ」 〜〜〜 (相談者)「人間はなぜ人を好きになるんですか?」 (回答) 「じゃあ、なぜ嫌いになるんだい? オレなんかやっぱり人間好きだもんな。 人間が好きだからこう文学も絵も書けるんで、嫌いだったら出来ないよ。しかし、人間には欠点がある。 逆にこの欠点があるからこそ愛せるんだよ。欠点がなかったら神様や仏様みたいなもんで、これは彼岸の人だ」 〜〜〜 (相談者)「人生とは何ですか?」 (回答) 「いい言葉を教えてやろう。それは「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という言葉だ。 遊んで遊んで遊び尽くせば何かに突き当たって掴むものがある。何もやらない戯無よりも、 たとえ失敗しても傷心の方がはるかに貴いものなんだ。空々寂々たる人生なんて糞食らえと思うべし」 〜〜〜 (相談者)「仕事が忙しくて友達ができない」という悩みを抱えた22歳の左官に (回答) 「オレはおめえの言うこと聞いてて、もっとも情けなくなるのは、どうしてそんなに友達が欲しいのかっていうことだ。 友達なんて要りゃあしないよ。自分が立派になりゃあ、向こうが友達になってくれと来るんで、友達なんてものは、 いくらたくさん持っていたところで、いざとなって役に立つっていったら、一人もいないもんだ。 友達なんてものはそんなもんでね。バカこくな! (中略) 何もつまらん女をひっかけたり、友達作ってストリップを見に行ったりせずとも、ひたすら壁を塗りまくれ! 金を使うひまがないんならなお結構な話じゃないか。 塗りまくって金を貯めまくりゃあ、 いくらでもいい嫁をもらえるじゃねえか。 何をぐだぐだ言いやがる。しっかりせえ! 〜〜〜 (女に嫉妬する男に対して) (回答) その女、オレに紹介せい。なかなか面白そうな女じゃないか。 結婚なんてさせちゃあいかん。てめえもヤキモチ焼くようじゃ、そんないい女とする資格なんかありゃあしねえ(中略) 糞ったれ野郎!彼女が美しければ美しいほど、ボーイフレンドはいるだろうし、 てめえなんぞはもう脈ねえよ。 ・・・・・・・・・・ 2007年09月05日(水) 2346.エーゲ 永遠回帰の海ー2 この本を読むまでエーゲ海の周辺に無数の遺跡があることを全く知らなかった。 ギリシャ本土はもとより、エーゲ海に点在する島々に、そして対岸のトルコのアナトリア地方に数知れないほどの遺跡がある。 素晴らしい神殿があっても、その由来が全く解らないために、神殿A,B,C,Dなど記号で呼ばれているものもある。 序章の中で、シチリアのセリヌンテ神殿群を訪れた時のことを、以下のように書いている。「なぜそんなにまでして 遺跡を見て歩いたのかと問われると答えるのは簡単でない。ほんものの遺跡と自分自身で出会った事のない人に その理由を説明するのは、ほとんど不可能に近い。」 「遺跡=滅びた跡。そこに必ず、繁栄と栄華ののち、その時代の大戦に敗北して破壊され滅亡した都市の歴史が刻まれてる」 「知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。 歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に遺されている歴史。 それらはすべてフェイクである。最も正統な歴史は、記録されざる歴史、 語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。」 「いま自分の前にあるこれらの神殿。これだけの見事な神殿が、これだけ立派に保存されているのに、 この神殿がいかなる神殿であったか、誰も知らないのだ。記録された歴史などというものは、記録されなかった 現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。 宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑みこまれてある。」 「時間は一つの方向に不可逆的に流れるものではない。円環をなしているのだ。 時が円環であるなら、初めもなければ終わりもない。過去は同時に未来で、未来は同時に過去である。 現在は永遠に過ぎ去りゆく一瞬ではなく、永遠そのものである。 現在はすでに過去に無限回くり返されたことがあり、未来においても無限回くり返される。 人はまさにこの現在の一瞬において、過ぎ去りゆく時を生きているのではなく、永遠を生きている。」 人気(ひとけ)のない海岸にある遺跡で、黙ってしばらく海を眺めていると、 これが永遠なのだということが疑問の余地なく見えてくるような気がするという。 他にも、シチリアのセリアンテ神殿群、トルコのペルガモンの大劇場、ディディマのアポロン神殿、 エフェソスの大劇場・アルテミス像、聖山アトス、リキアのサルコファガス、ヒエラポリスのネクロポスなどがある。 ・・・・・・・ 2006年09月05日(火) 1981, 歩行とダンスー2 「歩行とダンス」というて、テーマで文章を書いて、はや12年も経つ。12年ぶりに引き継いでの文章化も面白い! と思い立ち書いている。 当時、転勤で大手商社の新潟支店に来ていた大学時代の友人と、この話を酒のツマミにして 酒を飲んだことを思い出す。 その友人が、ダンスをフォーク・ダンスと喩えたのは面白かった。 その後「一人踊りでドアに行くとしたら何だろう?」と誰かにいったら、「鼻歌を歌いながらスキップすることじゃないか」 と答えた。なるほど、そのとおりである。 この話、よく酒のツマミにするが、けっこう受ける。 「ドアはドアでも、どの部屋のドア?まさかベッドルームじゃ、話が落ちるか?」と、言った人もいた。 ダンスの相手も色いろ考えられる。「困難」と考えると面白い。困難を嫌がらず、むしろ踊りの相手として一緒に楽しむ? まあ、かなり難しいが、それがゲーム化ということになる。事業の立ち上げも、ダンスの相手と思うとよい。 人生の全てを賭けてのダンスだからスリルとサスペンスがあり命がけである。人生、ストリッパーの裸踊りのようなもの と言うと、例えが悪いか? 隠すべきところは隠しておかなくては、色気も面白みも無いところが同じ。 手段の目的化と、目的の手段化、そしてその融合化と言ってしまえば話はつまらなくなる。 たまたま去年の同月同日に『楽しく生きる』というテーマが書いてあった。この文章を引き継ぐのに丁度よいテーマである。 12年前の文章である。 ーー H0609 歩行とダンス-1 丸山圭一郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。 “ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。 それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか! ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容である。 人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、 “よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”と、一人笑った。 私の学生時代の大手商社に勤めている友人と、酒をのみながら右の話をした。 本人いわく “私はさしずめ、それはホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。 それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!” 当意即妙であった。 ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、 かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。 ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。 ・・・・・・・ 2005年09月05日(月) 1616, 楽しく生きる−1 「楽しく生きる」を、私流に「面白おかしく生きる」というコンセプトにして自分に課してきた。 それも20歳代の頃からである。むしろ「楽しみを見つけだす」という生き方であった。 私の行蔵の中の「楽しい時間」の中には、溢れんばかりの行蔵が詰まっている。 (他人からみたらガラクタだろうが、私にとってお宝である) 楽しいときは、どういうときであろうか。 ・自分のしたいことをしているとき ・何かを期待してワクワクしているとき ・感動をしているとき ・自分の望んでいたことが実現しているとき ・人に褒めてもらえたとき ・自分の生き方に自信を持ってるとき等々、上げられる。 いずれも肯定的な感情に包まれ、自分の欲求が満たされたときである。 一度だけの人生、肯定的な感情で、かつ自分の欲求を満たさなかったら、人生を浪費していることになる。 特に人生の後半は前半ほど単純ではない。多くの過去を背負っているからである。 ならばこそ、その中で「楽しく生きる」喜びも深くなる。 文筆家(哲学者)池田晶子 の 「楽しく生きるためにどうすべきか」という文章がよい。彼女は、哲学することの意味を平易な言葉で語ることに定評がある。 ーまずは、彼女の文章をそのまま書き写してみる。 人生は短い。と、どうしてもやはり思いますよね。 平均寿命は80とは言われますが、歳をとってからできることは 当然若い頃より制限されますし、ましてやその歳まで生きるかどうかの保証はどこにもないわけです。 ひょっとしたら、明日、心臓発作で死ぬかもしれない。縁起でもないと、普通はやはり思いますよね。 しかし、よく考えてみると、いやよく考えるなどしなくても、生きている限り人が死ぬのは当たり前で、この当たり前を 当たり前として認識しているかどうかで、人の人生観は全然違ったものになるようです。 今のここに死はあるからこそ今のここの生はあるのだと思えば、人生は長いとか短いとか言いようもなくなるはずだからです。 (以下字数の関係でカット2008年9月05日) ーつづく −−−−
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2010年09月04日(土)
*初めて経験した大自然の懐
広大な大自然に初めて唖然としたのが、カナダのロッキーの懐に入って時である。 トロントと、ナイアガラの滝をみた後にロッキーを巡るコースのため、その途上のバスの中で寝入ってしまった。 そして目を開けると、何かこれまで見たことのない山々と渓谷が続いている。「これは、まだ夢の中。それにしても、 リアルな夢じゃないか」と思っていた。しばらくして、これが夢ではない現実に気づいた。 これは何処かの星の異次元の世界としか考えられなった。(その後、これと同じような異次元の世界を数多く見ることになった) そして、次から次へと、想像を遥かに超えた光景が、これでもか、というほど現われてきたのである。 「これまでの人生と、これからの人生という境になるほど、この感動は大きい」という言葉が、溢れ出てきた。 これをキッカケに大自然に魅せられ、世界の秘境・異郷の大自然の世界に引き寄せられるようになった。 大自然には、 ・「山脈」「湖」「滝」「川」「氷河」「密林」といった山脈系 ・「海・海岸線・島」「クルージング」という海系 ・そして「平原・草原」「サファリ」「砂漠」の平原系がある。 目的別に分けると、リゾート、探検、遺跡探索などの知識収集、そして祭りなど、分かれる。 どれが一番というのは一概にはいえない。どれもこれも、素晴らしいとしかいえない。
・・・・・・・ 3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」 2009年09月04日(金) 週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が面白そうなので買って読んでみた。 特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」に興味があった。 副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党119議席の結果について書いている。 ーその概要といえばー 「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい政治文化の国になってしまったのか。 ぶっ壊されたつつあるのは自民党だけでない。日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。 小選挙区制度にしたことと、派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ政治家のスケールが小さくなってしまう。 小選挙区制度になってから出てくる国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、 国政を安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。 これまでの中選挙区制度では、派閥があり、 そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。 そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家として の日常のふるまい方を学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多くいると自慢できた。 それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。 自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく総理大臣になったのに、その職責を 充分に果たせずに任期途中で政権を放り出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。 こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。 両党とも、これをどうするか、 一回も真剣な議論が聞こえてこない。 小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。 選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、 あとはTVを通じてプロパガンスを並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙が示した。 今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる形で、 「日本のぶっこわれ過程」がはじまってしまったのではないか、ということだ。 民主党を含む日本の野党には、口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担ったことはない。 その経験が無いことを自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いでいかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。 −− 以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば、「何で、こんな党に政権を預けていた愚かさ」に国民は心底から 気づくことになった。そうこう考えると、政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。 民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、借金が増えるのではなかろうか! ・・・・・・・・・ 2709, アメリカのコーヒー戦争 2008年09月04日(木) 不景気が外食産業を直撃している。アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。 数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、最近は格段と美味しくなった。 スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、マクドナルドが1ドルと4倍も違う。 そのため不景気とガソリンの高騰で、コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。 二年前の株価を見ると両者とも35ドルと拮抗していたが、現在ではスターバックスは、その半値、 Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。 皮肉なことに、売価が逆の倍率になってしまった。 4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れるのは当然のこと。 そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。日本国内でも、不況の煽りで、 スターバックスとドトールも売り上げが前年割れをしており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。 通勤途中の長岡駅周辺にスターバックス、Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、 最近、Mcとドトールには客が多く、 コーヒーの値段が400円以上のUccと、スターバックスは客が少ない。 また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスがあるが、両者とも好調。 この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前にコーヒー専門店が二年前にできた。 それ以来、週に1〜2度はランチを食べに行くが、基本に忠実なコーヒーを出してくれる。 コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。その維持がなかなか難しい。 この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約をするもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。 自動のコーヒー販売機のコーヒーがプロ並みに美味しいのに行き当たった。 コインを入れてから、コーヒーを炒って出す?ので、時間が4分ほどかかる。 月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下のイオン内にある、カフェテラスの自動販売のカプチーノが美味い。 月に一度は行ってパンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノである。Sサイズで150円、 Lサイズで200円だが、充分満足できる昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると報じていた。 何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・ ・・・・・・・・ 2007年09月04日 「エーゲ 永遠回帰の海」 −1 −読書日記 * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社 ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅はギリシャ・エーゲ海の旅を思いたった。 (次男が「ギリシャに行って良かった」と言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、写真も文章が 違ってみえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、また違って見えてくるが、 それもまた楽しみである。世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な感覚になる。 数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。 初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と驚きの連続であった。 遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わってくる。生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没した イタリアのポンペイの遺跡。火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がそのまま残っていた。 また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。 そこに立っていると、タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。 この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、トルコ取材をもとに出来た本である。 (出版までに20年以上を要した理由については本書にその経緯が記載されている。)写真家の須田氏の美しい写真と、 立花氏の紀行文がなかなかよい。ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの復活神話や 「一粒の麦もし死なば」という教えとの相似性。 アジアの地母神信仰がギリシアのアルテミス信仰に変容し、それが さらにキリスト教のマリア信仰に姿を変えたこと。新約聖書「ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。 言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。」 というくだりが、新プラトン主義哲学のロゴス論を下敷きに書かれたことなど・・。ギリシアの神々は、一神教である キリスト教の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、この本を読むとよく分かる。 ・・・・・ 2006年09月04日(月) 1980, ある首斬り役人の日記 −2 \(^▽^*)おはよう −読書日記 HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきたのには驚いた。 さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。 ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。 罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。この男は最後の最後まで抵抗し、 たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやると罵った。 首切り役人は、「そう思うのなら切り落とされた首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」 と言った。 刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッとくわえた。 その形相の凄まじいこと、 この世のものとも思えなかったという。 周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。 事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って「そんなことがあるわけがない」と気にしなかった。 あまりの自信に何故怖くないのかと尋ねると、「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに使い切った。 だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」日本では「首切り浅右衛門」が有名である。事実は、小説より奇なり!である。 ーー 298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。 38、1579年8月6日 ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。 ゲオルク・ガーブラー、ー シェーンフェルト出身。 ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。 哀れなのは辺境伯の妻。 哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。 彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、そのような一味であったのを知らなかったのだ。 ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かんでくる。大悪人の処刑を見ようとしたら、 まさか自分の夫とは!立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。 82、1584年7月7日 バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、 別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の父親や息子といかがわしい行為に耽った。 そのほか同じように妻ある男や若い職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。 その件で立ったまま打ち首の刑に処した。 その夫はムチ打ちの刑を受けた。 彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。 相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にもそうしてやれ。 あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われないよう訴えてやる。 私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。 さらば、お休み。 ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何かドラマ仕立てである。 女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。 87、11月17日 フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する 刀鍛冶職人との間に子供を生んだ。この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、 この子を投げ込み、溺死させた。その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首の刑に処された。 ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。 つづく (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年09月04日(日) 1615, アメリカインディアンの教え −3 「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた方」 ー著者・加藤諦三 加藤諦三とは懐かしい名前である。 20歳代の頃、よく彼の本を読んだ。 心が休まる内容だったことを憶えている。現在は「心の癒し」系の本は多いが、当時は殆ど見当たらなかった。 癒し系の日本の先がけだった。 心理学系の先生で、理づめであったためか、解りやすく納得のいく内容であった。 彼の本を手に取るのは三十数年ぶりだが、履歴をみるとその後も多くの著書を出しつづけていた。 彼はこれまでも、「インディアンの教え」のシリーズも何冊か書いている。 (このHPでも、過去に二回インディアンの教えについて書いている。) この本の構成は、アメリカインディアンにとっての ・生きるということ、 ・死ぬということ、 ・自然という存在 の3章になっていて、それぞれアメリカインディアンの根底に流れる哲学に関して記述されている。 冒頭に「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた7か条の教え」が書かれていたが、心に沁みてくる。 ーword 1 変化は必要です。もしあなたが不幸なら、何があなたを幸せにするかゆっくり考えて、必要な変化を受け入れなさい。 -word 2 あなたの喜びは私の喜びである。だから、あなたにすることは私の負担になるはずはありません。 -word3 誰かに判断をくだす前に、その人のモカシン(インディアンの革靴)を二週間は履いて歩いてみましょう。 -word4 あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りは笑っていたでしょう。 だから、あなたが死ぬときは周りが泣いていてあなたが笑っているような人生を歩みなさい。 -word5 魚は水のことを考えません。インディアンは死のことを考えません。 (字数の関係でカット09年09月04) ー以前に書いたインディアンの教え」をコピーしておきますー 2005/02/27 −1426, アメリカインディアンの教え−2 (字数の関係でカット08年09月04) ーー 租借と熟慮をしていない分だけ、アメリカのドローシー・ロー・ノルトの「子供が育つ魔法の言葉」の方がよいが、 数時間かけて考えれば近いのは作れる?! インディアンの教えと、ノルトの言葉を声を出しながら何回か読んで 頭に何か浮かぶのを待てばよいのだが。 この位で止めておく。 ・・・・・・・・ 2004年09月04日(土) 1250, 巨人がパに行けばよい! 「巨人がパに行けばよい!」 昨日の毎日新聞の一面トップ記事で、読売新聞の渡辺恒雄前巨人オーナーが、インタビューに答えていた。 「一リーグ制に反対なら、パをもう一つ合併させて4チームにして、巨人が移動すればよい」と思っていたら、 前オーナーも同じ腹案を持っていた。面白いものだ。自社の読売新聞で書けば問題になるから、毎日新聞で 書くところが何とも面白いが。 一リーグ制への揺さぶりだろうが、それにしても現実化すれば面白い。 マンネリのセリーグの試合より、巨人がパに移動しての試合はエキサイティングになる。 その後2〜3年してから、セを救済という意味で一リーグ制にすればよい。 大リーグを見てしまった現在、日本のプロ野球は二軍の試合を見ているようで殆んど見なくなってしまった。 渡辺恒雄オーナーがいう、千五百万の給料しかもらってないオーナーが、数億のプロ野球選手と交渉すること自体 おかしいというのも、肯ける。日本のプロ野球選手が、手前勝手な論理をかざしているのは自明である。 巨人大鵬玉子焼きの時代がまだ続いているなら、解らないでもないが。 サッカーや大リーグの放映などにより、プロ野球などアナザーワンになってしまった。 もし不満なら、大リーグに行けばよい。それ以下のマイナーの選手だから利権を守りたいのだろうが。 大リーガーになれない2流選手が自分の権益を守る為のエゴ行為に過ぎない。野球もグローバル化の時代に入った。 ・・・・・・・・ 2003年09月04日(木) 883, 脅しの手口 こういう(ホテル)客商売をしていると、低脳ヤクザやチンピラの因縁付けの脅しが付きものである。 対処する一番厳しい場面になる。そこがマネジャーや支配人の仕事でもある。 何かに因縁をつけて脅し取ろうというのだから、 手が込んでいる。しかし、ホテルを脅して金にしようとするのは、非常にリスクが高い。ホテルによるだろうが、ヤクザなどの プロはそのことを知り抜いているから、あまり脅しには来ない。ホテルは警察の派出所に近いことを体験上知っているからだ。 それでも脅しの素人?が1~2年に一度位、「無知の涙」という感覚でくる。 ー今回の顛末を書いてみる やくざ風のアベック客の女が湿疹が出たと騒いだ。 深夜に支配人や副支配人やマネジャーまで呼び出されて、病院まで連れて行って、そこでさらに大騒ぎ。 翌日20万で手をうとうと本音を出してきたという。 警察に連絡したが、こういう微妙なクレーマーを装った 脅しには彼ら警察の方法・技術があるようだ。 ホテルの外で、そっと近づき 「ここの縄張りの組事務所に挨拶をして仕事をしているのか!これ以上騒げば、しょっ引くぞ!」と囁いたら、 二人は2度と顔を現さなくなった。刑事曰く「20年前の手口でしかない!」 この位の騒ぎは、大体が2年に一度ぐらいある。電話の取次ぎミスを演出をして、「数百万の取引の損を出してしまった、 どうしてくれる!」と凄んで暗に金をせびる手口が数回あった。彼等は責任者を外に呼び出して、決着を付けようとする。 外の呼びだしに出てくるかどうかが「金になるかならないか」の分岐点だ。 常に得体の知れないヤクザ?が泊まっており、現場は緊張状態にあるのがホテル業である。 因縁など如何でも付けられる因果な商売である。それでも暴対法ができて、殆ど目にはつかなくなったが。。 ・・・・・・・・
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2010年09月03日(金)
* ツアーあれこれ ー4
・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の目的をいい、行程を組んで、 ホテルや飛行機の手配をしてもらうか。 ・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。 ・それらをネット上で、全て予約を組むか。・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、 ホテルとか行き先を決めるとか、旅行にも色いろな方法がある。 人見知りをする私にとって、パック旅行は 最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。 全国から同じ目的を持った者が チームを組んで旅の目的を達成する。その最適パッケージを代理店が企画販売するのがパックツアー。 激しい競争の中で、パッケージの商品は年々、改良されていく。その進化したシステムを如何に合理的に使うかである。 インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に出くわすが、彼等はそのシステムの合理性を知らない。 これがなければ、「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティーの草原で、チーターの狩りなど見れる訳がない。 それを可能にするには、10倍近い金額と期間が必要になる。 それ以前に、そんな気持ちになれない。 南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導するボートに乗って奥地までいき、キャンプをして、 飛行機で上空を旋回し、エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を見上げることなど出来るわけがない。 南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から100mの高さからのバンジージャンプなど、出きようがない。 代理店は、普通のパック商品では生き残れないから、各種のパッケージを開発する。特に中小は、自社の強みが何かを 探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、イスラエルだったり、南米のアマゾンだったり。 それをパッケージにして、可能な限り格安に売りに出してくる。面白いところでは、ツアーのベテランを狙って、 秘境・異郷のツアーに、かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた一ランク値段の高いパッケージを 売っている代理店もある。それも、ランクがあって特Aの客層狙いだったり、A狙いだったりする。特Aの団体を 時どき見かけるが、人相からして違う? 一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、成程である。 ・・・・・・・・・ 3073,飲み屋横丁考 2009年09月03日(木) このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・ 飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。 飲食街そのものは50年〜60年の長年の歴史の上に成り立っている。 その飲食街も、この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。 東京は銀座、新橋、六本木、新宿など地区で、客層が分けられているが、一般的には、 年齢、客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに分かれている。 この数年は地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある3メートル通路両側に8軒が並んでいる 横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに入ってみた。 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。 ・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。 (そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で分かれているのに気づいた) ・私が通っている店は、50代後半から60代後半のカラオケを売りにしていた名物店。 ・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 ・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。知らない人が入ったら驚く。 ・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。 ・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。 自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は行かないので少し離れた横丁である。 そこだけで店を替えていれば十年間は持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、 店の中より、最寄駅から周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。 大きな飲食店ビルは、オーナーが意識的にテンポ構成をするのだろう。 そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 この御時勢、そうだろう。 ・・・・・・・・・ 2708, 政局の話 2008年09月03日(水) 福田首相の辞任表明で、政局が動き出した。私は政治に対しては関心が薄く、なるようにしかならないというスタンス。 どれもこれも、大した人物はいない。 ただし、ここまで国が行き詰まると、無関心ではいられない。 これまでの日本人は、どういう訳か自民党の仕掛けに弱い。麻生を目先立て、何とか政権を維持しようとするが、 負けるだろう。 もしそう判断すれば、小池百合子を首班に立て、小泉を行政改革大臣担当副首相として、 捨て身の作戦の可能性がある。しかし参院との捩れを解消するためにも、一度は野党に政権を譲って国民の声を聞くのが筋。 民主党も、直ぐにボロが出て、政界の再編成になること必定。本来は、アメリカ大統領選挙の結果を待って、 アメリカが民主党なら日本も民主党、共和党なら自民党にすべき。 現状は自民党政権が政権を持ち続けること自体に問題。 見ている分には面白いが、日本の置かれた現状があまりに厳しい状態。民主党が政権をとって、日本を一度解体して 日本合衆国を作り変える位の改革が必要である。日本に巣くっている官僚を解体して、権限を8州に委譲することだ。 ?北海道、?東北6県、?新潟、群馬、長野、石川、富山、福井の中部州、?東京、埼玉、千葉、神奈川の関東州 ?静岡、愛知、山梨、紀州の何県かに飛騨と、岐阜県など名古屋州、?大阪、京都、兵庫の関西州、四国と広島、岡山などの 中国・四国州、そして?九州・沖縄州である。そして政治形態はアメリカをソックリに真似ればよい。 現在の日本には無理だろうが・・しかし、待ったなしのところまで来ているのに、日本人そのものが アメリカの実質統治の戦略で、骨抜き。日本の政治家で気骨のある男がいないものか。小泉は批判はあるとしても 世界のグローバル化に対応する方向づけをした。現在は「アメリカ一極から、中国・インド・ロシアと 多極化する世界に対応する方向付け」をしなければならない。 その意味では日本は歴史的に見ても大きな転換期にある。 その点で麻生は選挙管理内閣レベルの繋ぎ役。 阿部、福田と、麻生と、二代目である。 それも、一人として選挙で洗礼されてない。麻生は衆院解散後に否認されるのは当然の成り行きである。 「御前に何が出来るのか?前任者と比べてみればドングリか、それ以下!」の、一言で終わり。 「御前様、直ぐにバラマキを始めただろう! 哀れなものだ。」は追加。 政治談議を、このように書いてみると面白いものだ。 それにしても危ない! ・・・・・・・・・・ 2007年09月03日(月) 2344, 糖尿病について オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ踊♪ 昨日の朝日新聞の朝刊のトップページに「糖尿病は万病のもとーアルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍」が出ていた。 アルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍、脳梗塞と心筋梗塞が約二倍というから、本当に恐ろしい病である。 年一度の検査の際で、インシュリンの点滴を受けている部屋を覗くことがあったが、いつも多くの人がいるのに驚かされる。 そこで、どの位の人がなっているのか早速、検索ー キーワード「糖尿病患者の人口比」で調べてみた。 日本の人口比では6%(ちなみに肥満の多いアメリカでも6・6%)。 5年前の調査になるが、糖尿病が強く疑われる人の数は740万人、その可能性がある(糖尿病予備軍の数は 880万人といわれている。40歳から74歳の中高年男性の32.2%、女性の31.5%が糖尿病有病者か予備群と推定される。 その割りに、周辺ではあまり持病の人は少ないが、敢えて自分から名乗らないからか。 糖尿は親からの遺伝が多いと聞いていたが、今回の検索で「両親が糖尿病だと子供は50?が遺伝し、 片方が糖尿だと25?が遺伝する」という。私も家内も、両親とも糖尿の系ではない。 また親戚が糖尿病という話は聞いたことはない。酒好きなため糖尿に関しては気にかけている。 殆ど砂糖とか、甘い菓子は口にしないし、酒のツマミは肉類はさけて、魚類や酢のものを注文するようにしている。 それと、とにかくウォーキングも欠かさない。「糖尿になりかけたが、通勤の片道30分を徒歩通勤に切りかえたら直った」 という話を聞いたことがあるが、糖尿病になると直ることは絶望的ともいう。 糖尿になってしまうと10年以上は寿命が短くなるということか。死亡原因の間接的な病であるため目立たないが、 しかし恐ろしい病である。 糖尿病治療は食事療法・運動療法・薬物療法の三本柱という。 その大きな要因である生活習慣の改善には食事療法と運動療法が特に重要という。 そのために、医師の診療・指導を受け、正しい食事と運動を生活に定着させることだ。 その糖尿病予防には一にもニにも肥満解消が大きな比重を占める。 最近、ストレスのためか? 急に太ったあの人、大丈夫か? 私も実はってなことはないのか?? これだけ酒を飲んできたんじゃ・・ ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю 気をつけて! ・・・・・・・・・ 2006年09月03日(日) 1979, 冷蔵庫を20年ぶりに買い換える (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪ 昨日は、20年使った冷蔵庫が寿命に近づいたので新しい冷蔵庫を買いに行く。あと10~20年使うと思うと慎重になる。 確か20年前に買ったときの値段が13万円。そして今回買ったのが同じ値段の13万円であった。 買ってきて見比べると比べようもないほど良くなった。 色いろあって、三回も(往復30分以上かかる)家電に通う。買うのも楽しみのうちの一つだが・・・ 100台近くある冷蔵庫の展示品の売れ筋ナンバー3に気持ちを集中して、一番高い商品群と比べると、 自ずとヒントが見えてくる。当然のことだが、機能や外見に手が加ったぶんだけ値段が高い。 要は値段に比例しているだけだ・・・家電の白物(冷蔵庫・洗濯機・レンジ)は頻繁に使うので、 メーカーも神経をつかっているのが解る。結局買ったのは、その店の売れ筋?・2 のものだった。 二十年前に冷蔵庫を買い換えた時に感じたことは ・それまでと段違いに大型になったことと、・ドアが両開きになったこと、・冷凍庫が大きくなったことである。 今回は、 ・一番上にあった冷凍庫が一番下に移動していたこと、・ドアの半開きの防止の機能がついたこと、 ・独立の多くの引き出し増えて分類コーナーが増えたこと、・冷蔵庫が出すノイズがホボなくなったこと、 ・電気消費量が段違いに少なくなったこと、 ・ステンレスなど、カラフルになりデザインが良くなったこと、 ・ドアがワンタッチで開くものもあった。 等である。 20年前の、ほぼ同じ機能の冷蔵庫が半額でしかないが、電気消費量と、ノイズが少なくなったこと等をみると 4分の1のダウン?まあ、どうでもよいか? 帰ってきて、他の家電のチラシと、パソコンで価格ドットコムで 値段をチェックした。価格ドットコムは約5~7パーセント安いが、説明料と配送料金を加味すると、それも納得できる。 余談になるが、ついでにパソコン売り場に行ってみたが、パソコンが更に進化?していた。 液晶TVにパソコンが付いているという感覚になった。 更に、驚いたのが、ソニーのVAIOの前に立ったら、 勝手にカメラ機能が自分の顔を写して、大きなテロップで流れ出した。 一瞬なにが起きたのか、目を疑ってしまった。恐らくインターネット上でも可能なのだろう。 稼ぎさえあれば、結婚など別にすることもないという、若い人たちの気持ちが解らないでもない! こと家電売り場を歩いていると。 家電売リ場は夢があって好きなのだが・・・ まあ、モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~ ・・・・・・・・・ 2005年09月03日(土) 1614, 「やりたいことは全部やれ!」 ー 読書日記 51歳の年に私が決意した内容と、著者の考え方が非常に似ている。著者とはスケールが違うが、 考え方・生き方の面で共通点が重なっている。大前 研一は何も特別な事を言っているのではない。 この年齢になれば、誰もが思うことで、その準備をしてきたかどうがである。 ー著者の言いたいポイントは ・人生、楽しめるうちに楽しみなさい。 ・寄り道、回り道もおおいに結構。 ・他人を気にせずマイペースを貫け。 ・会社や仕事に振り回されるな。 ・やりたいことは先延ばしするな。 ・いつ死んでもいいように悔いのない生活を! ・将来を再設計し、見つめなおす勧め。 である。日本人は生きている間にあらゆる我慢をし、やりたいこともやらない。 そして悔いを残しながら、「自由な生き方ができる今の若い人がうらやましい!」 と思いながらあの世に行く。これをやめよう、というのが大前研一の提唱である。 我々が「人生を楽しむ」という一点において価値観を変えれば、世界の景色も全く変わってくる。 この価値観の転換ができないのが、日本人の悲しい習性ではないだろうか。 著者の、人生のバランスシート的見方も面白い。「日本人は死ぬときに生命保険、貯金、 ローンの終わった家などを残していく。金融資産だけでも3500万円近くになり、その他に家があれば、 少なくとも土地だけで数千万円ということにだってある。そして、それを誇っている。 これでは子孫に残すのは美田ではなく、係争の種かもしれない。理想的な生き方は、死ぬときにちょうど蓄えがゼロとなり、 ありがとうございました、と成仏できることである」と。死ぬときにゼロにするには、65歳の平均的蓄えの2500万円と、 その後の定期的預金の1000万を足した3500万円をゼロにする生き方である。65歳から80歳までの180ヶ月として、毎月の 生活費プラス20万円生き方である。それも遊びにである。夫婦で一回50万としても、海外に年5回以上はいけることになる。 そうすると70回以上は軽くいけるのだ。また、「私は相当周到な人間である。 だいたい飯が食える程度の芸は若い頃からいくつか身につけていた。いざとなれば家族くらいは食わしていける自信があった。 クラリネットを職業にしようと思ったこともある。電子力でも工学博士号を取っているから、どこかの大学の先生か 安全委員などを歴任していたかもしれない」とも書いている。まあ、勝ち組だから、こう言えるのだろうが。 ーーーー 「やりたいことは全部やれ!」 著者:大前 研一 ・・・・・・・・ 2004年09月03日(金) 1249, これこれ詐欺 一昨日、我家にも俺俺詐欺の電話が来た。 たまたま、銀行でお金をおろそうと銀行の自動キャッシャーの画面を見たところ、 「俺俺詐欺に気をつけてください」という画面を見た、その日であった。家内が電話に出ると、小さな男の声で 「事故をおこしてしまった!」という。友人から同じような電話があったと聞いていて、詐欺と直感したので、 「あら、あら、あら〜」と答えたら、直ぐに電話が切れたという。電話をする方は名簿を片手に電話をしているのだろうが、 ここまで日常的になっているとは驚き。バブル期の證券会社も詐欺会社そのもので、「これこれ詐欺」だ。 自分の安く仕入れた銘柄を「これこれ」と言って、ゴミとしょうする素人に高く売り抜ける集団詐欺をしていた。 いや、今もしているか?!天下?の野村證券が先頭になってやっていたのだから、それも自民党と組んでいたのだから 悪質を超えていた。今でも、週に数回は商品取引の会社から電話がかかる。彼等からみれば素人は赤子を捻るほど可愛い詐欺対象。 他人事ではない、あるファーストフードのFCに引っかかり、あわや数億の投資をしようとしてしまった。 その社長は元トヨタ商事の社員、説明会では巧妙な言葉で勧誘する。自己責任とはいうが、世の中も甘くはない。 特に情報化の時代、何が真実で何が虚実かの目を持ってないと全てを失う可能性が高い恐ろしい時代だ。 ・・・・・・・ 2003年09月03日(水) 882, 競売物件 以前から、裁判所が差し押さえを売り出す「競売物件」に興味があった。 不動産業者で、競売物件専門の業者もいるという話も聞いていた。先日、最近の競売物件を数軒見て回った。 それなりのリスクがあるが、抵当等を奇麗にして改装して売れば結構面白い商売になる。 調べたら相場の半額から六割のあたりに値がついていた。やはり古い好感の持てるような物件は少ないが、 値段からみたら価値はある。 この時代は競売物件専門を扱う仕事も面白い事業になるのではないだろうか。 恐慌により、競売の割安物件が出てくるからだ。もっとも買いが少ないから、リスクも多くなる。 その為には充分な資金量が必要なことが絶対条件である。カタチを変えたハゲタカファンド?とも言える。 ある不動産業の人の話だと、最近は素人が手を出すという。近くの土地を知り尽くしている人が狙って買い取って、 改築をして売り抜る。お金と感覚が研ぎ澄まされていれば可能である。プロも驚いてしまうという。 アメリカでは、家を買い、日曜大工で時間をかけて改築・改装をして、より高く売り抜けて、 また新しい家を買って同じことを繰り返すという。一般の人は家を利殖対象の物件と割り切って、 引越しをするのが当たり前になっている。そのために、ホームセンターが早くからできたという。 日本もこれからは、そういう時代になるだろう。 しかし、競売物件は扱うのは、よほどの知識がないと難しいのも事実である。 ・・・・・・・・
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2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。 カルチャーショックである。今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が 根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たことである。 これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。 それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。 その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖と スイスの渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない光景を、これでもか、 これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が多いと聞いた。 現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。 私のように、 中高校の白黒の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、 当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、全く違うが、 それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。 ・・・・・・・・・ 3072,コカコーラのビン 2009年09月02日(水) 最近、歴代のコカコーラのコマーシャルをまとめたDVDが発売され話題をよんでいる。 それぞれのCMに出演しているタレントと、その時代背景が織成すミニ物語が、そこにある。 目隠しをして、ファンタとコークの飲み比べをすると、ファンタのほうが美味しいと答える人が多い という実験結果がある。 CMと、ビンのカタチのイメージの洗脳が、そうさせているのだ。 「コークのビンはグラマー女性の全身を模ったもので、理想的なスタイル」という。 ーその創製の逸話を偶然ネットで見つけた 【 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がガラスビンを作っていた。 かっこよく、しかも中身が多く入っているように見えるビンはないものかと考えていたある日、 恋人がふらり、仕事場へ入ってきた。 いつもより色気がある。 タイトスカートをはいていた。 このスカートは膝のところが細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。 彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、社長のところに出かけていった。 「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」社長は気に入ったが素知らぬ顔をした。 3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。 「社長さん、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」 「そりゃ、ビンに決まっているさ」 青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。 コップの水が入りきらないうちに、ビンは、いっぱいになった。(う〜ん) 契約は即座に成立した。 ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。】 以上だが、米国でグラマー女性がコーラと供に看板に書かれた絵を見たことがある。 「何でグラマーな女性にセクシーさを感じるか?」というと、 「騎馬で攻めた男が片手で女を持ち上げやすいのが、腰が括れていた女」だから、という。 本当のような嘘のような話だが。 コーラも、括れていて持ちやすい。 ところでコーラの原料のコークは麻薬のコークじゃないのか? 薄けりゃ害にならない? 何か飲みたくなるのは、そのせいか? それに刷り込みでもされれば・・・ 水に麻薬を混ぜて数十倍の利益をだしているのだから、ドエリャイ儲けになる。 あの地元の超大物(故人)がコーラの日本の販売許可の見返りに数パーセントの利権を得ていた、とかいう 噂があったが、本当かウソか? 「ありゃ、コークを原料とするから駄目」と言われりゃ、出すしかないのは分かる。
・・・・・・・・・ 2707, うつ病について 2008年09月02日(火) 精神病や精神症について、何度か書いてきた。 誰もが、何らかの精神症は持っているし、その一歩手前の経験をしているはずだ。 (まともであればだが)言うか言わないかの差だろうが、家系や、性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。青年期と、 老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、それぞれある。私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、 それを気にしなくなったのは、50歳過ぎた頃だろうか。私を知っている人は想像すらできない神経症を一人静かに?乗り越えてきた。 青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。 誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。 60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触りかもしれない。 しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。 まあ、明日のことは分からないが。 北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。その冬の時期に起こるうつ病が深刻と旅先で聞いた。 「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。 治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。 元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。 日本で最も自殺の多いのは秋田県。北欧と同じく冬の時期が長いのが自殺を誘発するというのも肯ける。 ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。 私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、 コタツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。 しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。無線のチューニングのように、周囲のマイナス、 過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、 その海に溺れ、もがくようになる。そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。 その数歩手前の精神状況が殆どの老齢者の心のうちというから恐ろしい。そういう連中が寄り沿うと、人間は後退をしていくのが リアルに見えてくる。他人事ではない、まったく。とにもかくも、腹から笑える場所を幾つか持てるかである。 私が鬱にならないという自信があるのは、毎朝の散歩があるからだ。これを始めて25年ほどになるが、朝の陽光と、新鮮な空気と、 鳥と虫の鳴き声と、川のセセラギが身体にも精神に良いからである。さらに土日の笑いの時間の設定である。 それと毎日一度の仏前の祈りと、般若心経である。それを実行していても、どうも少し欝っぽいのは、そういう時期のためだろうか? 過去のマイナーの記憶がフラッシュのように飛び出してくる。 それが、歳をとったということか? 欝的気分も日常の塩味として、必要であるが。 -ω-)..。oо○(゜+。鬱々゜+。) ・・・・・・・・・・ 2007年09月02日(日) 2343, ポスト・モダン主義とは (o゜▽゜)o オハョ〜 ゴザマス!
最近は、あまり以前のような大物?が、居なくなった。 これは時代の変遷のためである。 高度成長期の、田中角栄とか、小佐野賢二とか、堤義明とかいうのは、存在しえなくなったのである。 存在したところで、「それが何じゃい!」と誰も仰ぎ見たりはしない時代になったのである。 解りやすい事例として、イチローが大リーグで超一流の選手として認められたところで、 「ああ、そういう人がいる、凄いな~」で、それはそれはご立派なことで!と、頭に過ぎってお終い。 それより、それぞれが自分の好きなことを見つけ、それぞれの楽しみを求める時代になったのである。 それは考えてみれば当たり前。それだけ、社会が成熟したということだ。第二次大戦後、マッカーサーが 日本を占領したとき言ったのが、「日本人は10歳の子供」である。欧州から見れば、そんなものかも知れない。 といって、西欧が未開の原始人より文化が進んでいるということではない。 モダン=大きな成功とやらを求めた時代は終わったのである。これを解りやすく書いたある本があった。 『世界をよくする現代思想入門』高田明典著である。 情報化社会は、ポスト・モダン主義をますます加速させる。 日本は、いや世界は、9・11が現象として大転換期と日となる。その意味で、あの男ービンラディンは歴史に残る。 アメリカ現大統領は、「アメリカの凡庸・親子大統領の息子」として歴史に留める。 私が生きた戦後のアメリカ大統領では、その意味ではカーターと肩を並べる??の人物。 その程度ということだ。 この本の一部を抜粋してみるー P-158 ーーーーーーー 20世紀を特徴づける概念として「大きな物語」があります。 私だちの社会は、二十世紀前半(モダン)の社会において、「大きな物語」を信じて突き進んできました。 その大きな物語とは ・「理性・知性によって社会は必ず理想郷へと近づいていく」、 ・「科学は、私たちを幸福にしてくれる」というものであり、 ・「勉強すれば社会的に成功して幸福になれる」であり、 ・「お金持ちになることが、人間の幸せである」などなどの「物語」であった。 二十世紀前半においては、多くの人たちがそれを「信じて」いたが、 一九七〇年代以降、そのような「大きな物語」を信じられなくなるような出来事が多く発生し、私たちの心の中に 「不信」が発生しました。科学は私たちの社会を「幸福にする」どころか、むしろ「不幸にする」ものでもある。 知性や理性によっては「理想郷の実現」はできそうもない、ということです。 そのような状態を「ポスト・モダニティ(ポストモダン状況)」と呼ぴます。 そのような「大きな物語への不信」の中で、芸術表現はいったい「何ができるのか」ということを考えたのが、 ポスト・モダニズムのそもそもの端緒でした。 なぜなら、それまでの「表現制作物」の多くは、 「その社会や文化が信じている価値の表現を行う」ということを、その駆動原理としててきたという側面があるからです。 「大きな物語」が崩壊した今、「何を表現すればいいというのでしょう。 もちろん、「次の時代を担うような価値観の提示」さえ、忌避されます。 もはやそのような「大きな価値」「支配的な価値」さえ信じられなくなっているのが、現代の私たちです。 この二十世紀末から二十一世紀にかけての表現分野は、すでに「ポスト・モダニズム」のような様相を呈しています。 (字数の関係で中間カット2008年9月2日) ーーー 面白い時代である。ただし、それぞれが自分で考え、決断しなければならない厳しさを要求されるのである。 それぞれが自由を見出し、そこに価値=意味をつくらなければならない。 (○´ω`○)ノ**SeeYou Again! dato ・・・・・・・・・ 2006年09月02日(土) 1978, クルマが売れない! Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ある新聞の経済欄で「クルマが売れない!という記事が出ていた。景気回復に比例して車が売れ出すという業界常識が崩れてしまった。 車そのものの魅力が低下、車が日用品化してきたからだ。これまでの車は30年から40年前までの時計みたいなもの。 ロンジンとか、ローレックスとか、持っているだけで偉そうな錯覚をさせるイメージを加えて売っていた。 ステータスシンボルの要素が大きかった。ところが現在は、どんなよい車に乗っていても何の価値も感じなくなった。 むしろ頭の軽さが目立つだけだ。この情報化でモノ、コトへの価値が見え始めてきたのだ。 7月の新車販売台数が(軽自動車を除いて)13ヶ月連続で前年実績を下回ったという。 軽自動車を除くと、13ヶ月も前年を下回ったのは1968年以来という。 (軽自動車を含めると4ヶ月連続の下落) あれだけ騒がれて登場したトヨタのセルシオの国内販売が、当初予定していた計画を遥かに下回ったという。 この背景には日用品化した以外に、消費の多様化がある。車に振り向けられた消費者のお金が、 デジタル携帯音楽プレーヤーや、薄型TVなどの家電製品や、携帯電話の通話料に向けられているためだ。 確実に消費者の欲しいものの中の、順位が下がっている。かって本田宗一郎が「ライバルは同業者だけではない!」 といって言葉が、さらにシビアに聞こえてくる。車購入の中心だった団塊の世代の、車への興味も確実に下がってきている。 年功序列の賃金制度がホボ崩壊し、「いつかはクラウン」という購入パターンは過去のものになったこともある上に、 その年代が実質定年を迎えつつある。「クルマが売れない」というキーワードで検索をかけたら、 日産と三菱自動車の販売不振の内容が出てきた。かなり深刻のようだ。日産のゴーンの戦略も尽きてきたようだし、 鼻持ちのならない「三菱のブランド」が大衆に嫌悪感を持たれてしまった。 フルラインのトヨタ、若者・スポーツ感のあるホンダと、軽自動車のメーカーと、それぞれの特化が顕著になってきている。 ところで私自身14年近くトヨタのソアラに乗っている。前の型のソアラに4年半乗った後、新中古のソアラに乗り換えた。 現在もエンジンもしっかりしているし、車自体14年以上乗った車という古さを全く感じない。 まだ8万キロしか乗ってないが・・・ また十年前より、高速自動車の長いトンネルに入ると、閉所恐怖症みたいな 感覚になってから遠乗りをしなくなった。そのため「近くの移動の手段であれば何でもよい!」という気分になった。 おまけに前の型のソアラがあまり出回ってないので、古車を乗っている感じがない。 60歳になったら最後の車を買おうと思ったが、そんな気分にもなれない。 それなら海外旅行に、もっと行ったほうがよい。その気持ちは、一般の団塊の世代と同じなのだろう。 売れない理由は、流行語でいうと、社会の比重が中流社会から下流社会へと変化していることもある。 それが一番の理由だろう。 バイヾ( ̄ー ̄ヾ)))) ・・・・・・・・ 2005年09月02日(金) 1613, 愛とはなにかー2 愛、それも「無条件の愛」こそ世界が必要としている。無条件の愛とは、期待も要求も制約を持たないで愛すること。 過去を振り返ってみると、自分が受けた愛情で深く残っているのは両親の愛情である。 これは無条件?の愛情だからこそ深く残るのだろう。それでは「条件付きの愛情」の、「条件」とはどういうものか? ある本(*)にキッチリと箇条書きであった。その共通点は、自分の利益・欲を満たしてくれる前提条件である。 そして、その中に自己認知も含まれているが、人間なら当然のことである。その「条件」を細かく当たると愛など、 自己愛の延長でしかないし、キリストも「自ら愛するように、汝の隣人を愛しなさい」と、自己愛を認めている。 ーその「条件」を、幾つか抜粋してみる。『わたしは、あなたが・・ の条件をもし満たすなら、あなたを愛します。』 ・あなたが、私をあるがままに受け入れ、尊重するなら。 ・私を認め、勇気づけ、理解してくれるなら。 ・私を楽しませ、喜ばせ、飽きさせないなら。 ・私に対して誠実で、善良で、忠実で、正直であるなら。 ・私と共通点を持っていたり、信念や興味が共通なら。 ・私を責めたり、批判したり、裁いたりしないなら。 ・私のことを大人として、対等に扱ってくれるなら。 ・私のことを最優先にしてくれるなら。等々、いくらでもある。 これを読むかぎり、恋愛など「条件付のエゴの塊」である。 成田離婚は、まさにその条件をお互いに知り、誤解して結婚して、理解して離婚する集約した姿である。 「バカな女」が男を渡り歩くのは、この条件付愛を真の愛と信じているからだ。 他人事ではないか。無条件の愛とは、我われの深奥にある神的自己の表れでもある。 汲み続けていないと直に濁るか、水が枯れてしまうが。 *「愛することを選ぶ」 誠選書房 E.キャディ著 ・・・・・・・・・ 2004年09月02日(木) 1248, ダイエットに100万賭ける−1 二年ぶりに、契約更新で柏崎の保険代理店の社長が来社した。 スリムになってスッキリした様子なので、どうしたのか聞いたところ、ダイエットに成功したという。 彼の知人の保険屋さんから賭けを持ち込まれたそうだ「お互いのダイエットで、失敗したら百万を払う」 期間は4ヶ月で、体重の12?、本人にとって10?である。賭けた仲間は7人。まだ全員の結果は判明はしていない。 但し、二人は成功をしたという。彼のとったダイエットの方法は、三食の食前にグレープフルーツを一個食べつづけて2週間、 7キロも痩せたそうだ。それと家族が百万という金額に驚いて、食事に対してコトゴトク口出しをしたというのが、 さらに効果を高めた。そして4ヶ月にかなり余裕を持って達成することができたとか。 金額が1万や10万では、真剣にならなかっただろうが、百万円の金額が、真剣さを増したのだ。 一生に一回あるかないかのこと、必死になりざるをえない。私のダイエットといえば、朝の散歩と、 肉食と揚げ物をなるべくさけること。それと、甘味もの(缶ジュース・砂糖・お菓子)を口に入れないことである。 それと週に2〜3回は体重計に乗って、少しでも増えたら食べ物に注意する。 この十年間はほぼ理想的な範囲であるが、これに酒量を控えれば理想的なのだが。 崖っぷちに自らを追い詰めるこの方法、大きなノウハウである。考えてみれば、事業も人生も同じことがいえる。 −つづく ・・・・・・・・ 2003年09月02日(火) 881, 讃岐うどんの店 最近ブームになっている讃岐うどんのチェーン店に行ってきた。100円から讃岐うどんを食べられる客単価400円の店だ。 揚げ物などを皿に取り、うどんを注文して勘定をする方式をとっている。 社員食堂のセルフ式をそのまま讃岐うどん屋に取り入れた業態である。 ・一回目に食べたのが「肉コロッケと、掻き揚げと、普通の讃岐かけうどん」で約500円であった。 ・2回目は、「100円の小のかけうどんにオニギリとハンペンと天ぷら」で400円であった。 客層は家族ずれからサラリーマン風とOL とばらついていた。 (字数の関係でカット 09年9月2日) ・・・・・・・
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2010年09月01日(水)
*初めての21歳の欧州旅行 ー2 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。 それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。 その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。 それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、そしてロンドン市内には、 シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。 パブに入って飲んだビールの美味さ。 重厚なパブの雰囲気も異次元の世界へ タイムスリップをしたような感覚であった。 そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験をした。 こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。 これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさという面で非常に豊かにしてくれた。 元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた 回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった? パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。 そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。その中で、 東洋人の自分に違和感を始めて覚えたということ。
・・・・・・・・・ 3071,衆院選挙の各新聞の論評から 2009年09月01日(火) 各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。 ーまずは印象に残った箇所から ・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、 「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞) ・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞) ・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞) ・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞) 以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。 自民党は「腐ってもタイ」から「腐ったタイ」に変わっていたのである。 民主党も実際の政権の維持の経験がない上に、寄り合い所帯の危うさがある。 それから考えて自民党が自己改革をして受け皿になる体質に変更すれば再起の可能性は残されている。 しかし戦犯というべき残党が比例代表で(小選挙区で敗れたに関わらずに)当選し居残っている。 彼等こそ、まずは整理されるべき人たちに関わらずである。 今回は、あくまでも自民党が自滅した結果であり、国民は元社会党の残党には疑念を持っている。 それが、いずれにしても露出して1〜2年で政界再編になるのが目に見えている。 自民党から民主党に替わったところで、恐慌が収まらないし、財政破綻が帳消しになるわけではない。 まずは法務大臣に、鈴木宗男か亀井静香に、外務大臣は小沢一郎にすればよい。 そうこうみると、民主党にも人材がいないように見えるが、実際どうだろう?! ・・・・・・・・ 2706, 現代とはいかなる時代か 2008年09月01日(月) 人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、 インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。 著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。 4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。 我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。 ー以下、要点を抜粋したー 〜〜〜 「地球システムの崩壊」 松井孝典著 −読書日記 −2 *現代とはいかなるじだいか
1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。 人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、 次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。 この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。 「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。 今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。 それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、一般の人にも、画像としてはっきりと 確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体であることも認識させてくれる。 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは生物圏の存在を示唆し、 地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態にあることを語っている。 専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、 灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、 「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。 それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、 その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた 時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から 向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を 確認しておかなくてはならない。 〜〜 何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。 月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。 それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。 それが自滅とわかっていても自分自身どうすることも出来ない事態に入ってしまっている。 この知的生物とやらは、知を得たがゆえに消滅していくのである。 正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。 ・・・・・・・・・ 2007年09月01日(土) 2342, 「ある」ことと「あった」こと お|* ̄O ̄|は 『狂人三歩手前』 ー中島義道著 ー「ある」ことと「あった」ことー 理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるからあるから「ある」のである。 「あった」があるから、その想起で現在が「ある」のである。「私」も現在から過去を振り返ったとき、 「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれているのである。かって旅先で暴漢に襲われて 記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことがある。 これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。 それは「あった」があるから「ある」という説明に、解りやすい物語であった。 その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」ということで成り立っており、 その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。 ー以下は『狂人三歩手前』から・・・ 世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、われわれは 現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。 (以下、字数の関係でカット09年9月1日) ーー 非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。 遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。 (その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、私が世界を生きている! これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。 バ━━ヾ(′ω`●)ノ━━イ ・・・・・・・・・ 2006年09月01日(金) 1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス! 10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。 以前はケニアに行ってきたといえば珍しい存在であったが・・また首都のナイロビから マサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。 話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。 ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に 車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。 初めてみるシーンである。自然動物に対して絶対してはならない行為と、ただ驚いてしまった。 後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、それをみて突然泣き出してしまった。 彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど野良猫のようなもの。 もし抗議したとしたら「御前ら観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き散らして、 奇麗事を言うんじゃない!」というのが本音だろう。ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーは お互いに危害を加えない暗黙の了解を作ってきた。その意味でやはり問題だろう。 今回の旅行でアフリカが遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた! それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あまりにも強烈過ぎた。 野生のライオンや、豹を見ても感激しなくなった!もうサファリは最後か!いやタンザニアがある。 まだまだ、深いアフリカは!添乗員から、マリが面白い!と聞いた。 地方経済がもっと回復してくれば大手を振ってもっと出かけるのだが・・絶望的か!もう年一で充分だが・・ (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? バイバイ! ・・・・・・・・・ 2005年09月01日(木) 1612, ハワード・ヒューズ ー字数の関係でカット(08年9月01日) ・・・・・・・・・ 2004年09月01日(水) 1247, さよなら!五十嵐恭一さん −五十嵐恭一さんへの弔文 友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。 その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、 その事実を知った。朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、公私の付き合いがあり、 私の弟分であった。かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。支局長までなったが、 その病のため平社員に降格された。それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。 盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。 アポ無しで事務所で直接来ても、 抵抗感を持たせないキャラクターがあった。気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。 三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。 この5月に自宅に見舞いに行ったところ、 苦痛に呻いていたのをみて、末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。 (躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。 そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、 先に亡くなった人の名をあげて「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。 ところが、「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。 死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。苦痛は想像を超えていたようで「24時間の拷問にあっているようだ」 といっていた。奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。 私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、 彼のそれは悲惨で見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。 オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。 そして、バスに乗ると雨が止む。 それが三度目に、虹が出たとき、「ああ、五十嵐恭一は亡くなった?!」と、 思ったのが事実と知った時、なるほど、彼らしく自分でお知らせをしてきたのだと思ってしまった。 知人縁者の死は、自分の死でもある。しかし自分の中では、より身近になって何時までも生き続けることを実感する。 さようなら、五十嵐恭一!そして、ありがとうございました! ご冥福を! ・・・・・・・ 2003年09月01日(月) 880, 敗戦の時 ー有事の時代に突入 −2 彼が新宿のビルの上から東京を見ると、「大震災の後の無残な街の姿に見えてくる」という。 このセミナーを聞いていて、その無残な国の真っ只中に置かれて、何も手をうってこなかった自分の鈍さに、 背筋が凍る思いであった。 99?の人や会社が手をうってないとしても、大震災から疎開する1%で なくてはならないのが経営であり、時代を生き抜くということだ。 この内容を一ヶ月かけて熟慮して、 手順に一つずつ落としていくつもりだ。 去年からの対策を含めて戦略は進行中だが、装置産業はこの有事では 大きいハンデになる。返済能力が10~15年以内なら「良い借金」の範疇というから、一応大丈夫だ。 四棟のホテルのうち2棟が新潟駅再開発の道路拡張にかかる。 ついているのだろうが、しかし有事である。 ある日売り上げが半分ということもあり得る。 今は返済能力が100年や500年はざらというが、 その仲間内に入ってしまう可能性も無いとはいえない。 逆に考えれば、大チャンスである。 その為には、自宅などの全ての資産を売払い、その全てを金ーゴールドに 換えておく位の覚悟がいる。 頭の固まった私に果たして、それができるだろうか。できれば今の大震災を軽く乗り切ることができるはずである。 どこまで決断できるかであろうが。 全てを賭けたゲームとして割り切っていけば面白いだろう。 このセミナを再度聴きに来ている人が数人いた。 何かわかるような気がした。凄い時代なのに、 普段の生活の中では実感がわかない。多くの資料を貰ってきて、何度も何度も読み返しているが、考えれば考えるほど 日本の惨状に驚きざるを得ない。『今は有事なのだ!!』 「今頃わかったのか?」という声が聞こえてきそうだが、 実をいうと実感として、正直そうである。 有事の意味の捉え方もあるが。 ー以前に書いた読書日記をコピーしておきます。 ・・・・・・ 「財産を無くす人、財産を残せる人 」ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術- ー読書日記ー 清水洋/著
ー私のマトメタ内容ですー 時代を見極めよ、そして早く決断を! その為に日本の現在をどういう時代かを整理してみると ・「デフレ基調」に変わった。 ・官僚型社会主義システムの崩壊過程にある。 ・市場原理が支配する自由競争になるー競争の激化。 ・レース型競争社会からゲーム型競争社会になる。 ・圧倒的な「勝ち組」とその他大勢の「負け組」と分けられる。 ・これから5年間は「最悪期」に入る。 ・国債の暴落とハイパーインフレの可能性が大である。 その結果 ・不動産価格は5分の〜10分の1 ・株式は5分の1から20分の1 ・ゴルフ会員権は5分の1から1000分の1 ・失業率は15~20? ・消費税は15~20? になる。 以上はITなどの情報化や、それに伴うグローバル化が起因としている。 更にこの動きは拍車がかかるだろう。 企業としては、この流れに対して ・総資産の圧縮と借入金の圧縮 ・知的集約の企業形態に変身 ・固定資産を手持ち流動資金への変換 ー手元キャッシュフローの流動性を高める。 ・不良部門を徹底的に切り捨て、優良部門に集中する ・公的部門の民営化時代に先手を打つ 等への変身への決断をしなくてはならない。 以上であるが、以前この人の経営セミナーのパンフレットをみてさっそく取り寄せて読んだ本である。 これを元に会社を変身しないと遅かれ早かれ消滅してしまう運命にある。 以前書いた随想日記をコピーしておきます。 ・・・・・・・・・ 2003年01月17日(金) 649, 損切り ー字数の関係でカット(08年9月01日) ・・・・・・・・ 2002年09月01日(日) 506, 孤独について 人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。本質は孤独である。 学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?] の私の問いに「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに気づくこと」と答えられた。 全くそのとおりである。 若い時に大都会に出る必要性は、大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくこと。 圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。 じっくりと孤独の厳しさを知ると ・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが! ・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。 ・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。 ・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。 ・孤独の賑やかを知る。 それを若い時にじっくり経験してないと、「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、 どのようにしてよいか解らないで、そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。 それか濡れ落ち葉になるしかない。失敗の人生である。地方にはこういう人が大部分だ。仕方ないことだが? ・・・・・・・・
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