嫉妬しているような気がします。 これって、時々襲われる病気のようなもの。 自分より恵まれた環境にいるひとや、すぐれた能力を持つひとに、焦げ付いてどうしようもない嫉妬心を持つことがある。 根拠のない自信をもつときもあるけど、自信って過剰に多いか過剰に少ないかどっちかで、どうもうまくバランスが取れない。 過剰に少ないのがほとんどだけど、これは性格だから仕方がないわねえ。 ビジネス書やなんかで、自信が力になることは知っているけど、出ないものはしょうがない。
だからこそ、日常の小さなことで、小さな自信を作り上げていくことが大事だな、と思う。 たとえば、数ヶ月もペンディングにしている、洋服の整理。 面倒なことを後回しにする自分が、好きになれないのだと思う。
誰かと比較をしないで、自分を好きになること。 簡単なようで、私には、これがけっこう難しい。
仕事中にmixi里親コミュにUPされた子猫の写真を見て、ハートをわしづかみにされたせいか、マイケル・ギルモアの本が読みたくなり、即購入。 (タイトル以外関連性全くナシ)
「心臓を貫かれて」
どうも最近活字に飢えていて、一切の解釈を拒むような作品を読みたい。
同じく春樹訳の「本当の戦争の話をしよう」では、兵士が牛を虐待して、ゆっくりと死んでいくのを笑いながら眺めている場面があったのだけど、普段動物モノに過剰反応する私も、黙るよりない力があった。 それは、経験したわけでもないのに、暗い原風景として残ってしまいました。
それにしても"The Things They Carried"を「本当の戦争の話をしよう」とつける春樹は憎らしい。
うちのチビタが15日後にやっと帰ってまいりました。 メールで励ましてくださった方、ほんとにありがとうございます。 お騒がせしました!
どす黒く汚れていたので、のみとりシャンプー(取れないけど)の後、シーブリーズでダブルシャンプー。 発情期の犬みたいに、狂ったように甘えるチビタは、2週間もの間、どこで何をやっていたんやろう? この姿を見るに「お金持ちに拾われて、幸せに暮らしている」という想像は、あまりに非現実的だったことを知る。 こんなきったない子は拾われんやろう。
「自分以外の人間は悪人か盗人と思え」が信条の父親が、向かいの意地悪なオバサンの仕業だと言うので、てっきり信じてしまうところだったけど、大方遠くに遊びに行って帰り道がわかんなくなったんだろう。
今日からチョコレートも解禁! 思いがけない幸運は、あきらめかけた頃にやってくるものだな。
2005年10月18日(火) |
お姉ちゃんというものは |
一応引っ越したことになってますが、実質週に3日は実家に帰っている。 それは、猫が心配なのもあるけど、やっぱりお姉ちゃんがいないと家族は大変だろうと思うからです。
とうちゃんが頭痛い、歯が痛い、っていう話を聞かないといけないし、 かあちゃんが近所の人の悪口いうのも聞かないといけないし、 妹がゴミの日にゴミ捨てできるか心配だし、 みんながケンカしてないか心配だし、 それぞれ悩みとかお姉ちゃんに相談したいかもしれないし、 まあ、何より、みんなお姉ちゃんが帰らないと寂しいだろうと。 猫らなんて、お姉ちゃんを探し回ってるかもしれないぞ、と。
そんなわけで、夕方になると家に電話を入れて「今日は帰ったほうがいいか」と、確認するんだけど、「どっちでもいい」「別にこなくていい」なんて返事がかえってくるのはなんでやろう。
わかった! みんな本音をいうのが恥ずかしいんだな・・・。 お姉ちゃんがいないと、うちはまわっていかないはずだもんなー。
もともとが妄想タイプの人間なので、時間が経つにつれて、非現実的なことを考えている。
溝から宇宙にするりと滑り抜けたチビタは、ライカ犬みたいに宇宙服を着ている。
どうにか入り込んだ小部屋に鍵がかかって、ひとりでしょんぼりしている。
そんなことを考えてトナー交換をするから、意味もなくトナーを振って、残粉を頭からかぶったり、料理していると、みそ汁に、半カップの酒をどぼどぼと注いでしまったりする。
会社のキャンディーボックスには、毎朝食べまくっていたチョコがぎっしり詰まっているが、今日は手を出さない。 チビタ君が帰ってくるまで、チョコレート断ちをすることにしました。
随分とバカな失敗を繰り返してきたが、こればっかりは言い訳できそうもない。 外に出すなと家族に口を酸っぱくして言ってきたものの、しっかりした対策を講じていなかった。 内部に小さなドアを二重に据え付けるとか、掃除の間はケージにいれるとか、外に出る危険性がある以上、もっと対策を練るんだった。 何より、首輪に名前をかかなかったことが悔やまれる。 触るといやがったからなんだけど、自由にしてやることは、みすみす危険にさらしていることと同じなんやな。 警察も保健所も親切だったけど、見つけてくれる可能性は薄い。
先週の金曜は、靴がほしいと思って、靴のことばかり考えていた。 2万円のパンプスが高いかな〜、と延々悩んでいたけど、そういうことが随分ばかばかしく思える。
自分がおかれている状況が、ほぼ奇跡、とは言いすぎだが、恵まれているということ、何かが欠けただけで簡単にバランスが崩れてしまうもろいものだということが、ずっしりと響いた。
猫1匹で大げさかと思われるかもしれないけど、どこかで辛い目にあっているかと思うと、そわそわしていつまでも安心できない。 比べるのも不謹慎だけど、北朝鮮拉致被害者の家族とか、毎日想像もできないほどつらいんやろうなあ、と思う。 何年たっても、家族がいなくなった辛さは埋められようがないだろうから。
なんで世の中というのはつらい出来事がたくさんあるんやろうか。 なんで災害とかでたくさんの人が苦しんで死んでいかなあかんのやろうか。
わたし達だって毎回箱舟に乗っていられるとは限らないんだよなあ。
ちびた猫が行方不明。 三日も帰ってこない。こんな長い家出は初めて。 パンダの病気で頭が一杯だったから、不意打ちを食らわされた。 気が動転して、仕事も手につかない。
悪い人に拉致されて虐待されているかも、車に轢かれたかも、お腹をすかせて動けないのかも、遠くに行って帰り道がわからないかも、猫獲りに三味線にされたかも、と、悪いことばかり考えてしまう。 とうちゃんも「(仲の悪い)向かいのおばはんに違いない」と、あらぬ(?)疑いをかけている。
ちびた君。 どこかで遊んでいると信じているので、早く帰っておいで。 もうアホとかデブとか言わないから、頼むから帰ってきておくれ。 君がいないと、我が家は火が消えたように寂しいのです。
クリニックで待ち時間にどんぐりの家という漫画を読み始めたらこれがもう5Pに一回は泣き所があるという作品で、待合室にもかかわらず、ごぼごぼ泣いてしまった。 障害者とその家族らが共同作業所を設立する物語なんだけど、障害者を抱えた家族は「大変だなあ」「えらいなあ」という漠然とした思いを覆す「壮絶」さ。
良いクリニックかどうかを判断する目安は、待合室の本棚でもわかると思う。 先生んとこは、でっかい本棚に、軋みそうなほど、本と漫画がぎっしり詰まっているので、待たされても全然退屈しない。(良くも悪くも?)スピリチュアル系の本が多くて、その隣に美味しんぼ全巻が並んでいるのも好感が持てる。 いけすかない、と思うこともあるが、やっぱり「いい先生」なんだと思う。
前一回だけ行ったクリニックの先生んとこは、待合室どころか、診察室にも本はなかった。 あ、あった、と思ったら関西ウオーカーだったくらい。
自分の仕事と少しでも関わりがある、と思ったら、読みたい本は果てしなく出てくる。はずなんだけどな。
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