もんすん日記

2004年10月31日(日) 独りで

新潟中越地震、不安な生活をしている人たちに、私も何かできないかと色々考えていたが、やはり私はこっち方面で募金をしよう。
勿論人間が優先だ。でもペットだって不安な思いをしているよね。
すぐに駆けつける頼もしい人たちには、ほんと頭が下がる。
からだを動かせないなら、わずかながらもお金くらいはね。

独りで過ごす休みって、大事だし、贅沢。
この独り時間の過ごし方如何で、今後上手な年の取り方が出来るか決まってくるような気がする。
誰とつきあうにしても、生活のベースを「独りでちゃんとやっていける」というところにおいとくと、うまくいくのではないかと。
誰かのために作る料理、誰かに愛されるために着る服、てのもいいけど、自分が気持ちよく暮らしていけるための選択をしたい、と書いたら先日書いた内容と矛盾するかな。

そろそろお金を貯めたい、身体と頭を鍛えたいと思うのは、いつかストイックな生活に入るような予感がしているからだ。
人生の後半、動物や子供の世話をして暮らす、陽気で頼もしい尼さんになりたいなあ。
なんて思うのは、多分今日睡眠をたっぷりとって調子がいい証拠である。
一日尼僧体験ができるお寺発見!行きたい!

風邪の歌を聴けを何度か目に読んでいる。
右手にヒトラーの肖像画、左手で傘をさして、ビルから飛び降りた作家のことを少し考える。
この作品は秀逸。



2004年10月26日(火) さびしい女

ここ一週間で、自分でもびっくりするくらい洋服と靴にお金を使ってしまった。
持っている服のテイストを変えたいのもあったけど、心細かったのかな。
画家をしている友達が、自分の絵を15万円で売るのは「それより安くすると大事にしてもらえないからだ」と言っていた。
母親が、もういい年なんだからある程度高価で質のよいものを身に付けなさい、という。

高いものを身に付けたいと思うのは、自分を安く感じることを恐れているせいじゃないだろうか、とふと思った。
まわりの人に大切に思われたいからかな。
十代や二十代はじめの頃って、そんなことを心配に思わないで、好きなものを好きなだけ手に入れる勢いがある。
大学の頃は、全身黄色い服を着て幸せだった。
まあ、今でもそっちグループではあるんだけど、私も時々人並みに、誰かに好ましいと思われる格好をしたくなる。

お風呂の中で読書することは、マラソンに似ている。
吉田修一「最後の息子」読了。
最終篇"Water"に特に気に入ったくだりがあったので、引用。

「先生、ちょっと失礼なこと言うてもよか?」
「あら、珍しい。何よ?」
「先生を見とるとやろ、ほらプールサイドで酒なんか飲んどる先生を見とると、なんというか、寂しそうに・・・・いや、惨めに見える時がある」
「・・・・面と向かって、失礼ねえ」
「いつもじゃなくて、たまにですよ」
「惨めに見えるから何よ?」
「だけん・・・・そういう時には、どうすればいいのかって・・・・・」
「誰が?」
「だけん、俺が」


この後先生は笑い出すんだけど、水槽で飼ってる熱帯魚だって寂しい女には役に立つことがある、なんて言う。
なんか、妙に気に入ってしまった。

ブログに移行したいものの、使い勝手がいいので、やっぱりここに書いてしまうなー。



2004年10月25日(月) ひまわりのような

お客として用事があって、以前勤めていた会社に電話。
この会社には半年しかいなかったが、強烈な印象が残っていて、今でもここにいた頃のことをよく思い出す。
精神的にも肉体的にもシビアで、東京と富山で二ヶ月研修していたころはほぼ毎日泣いて帰っていた。
仕事の厳しさに加えて、付き合っていた人にも振られたばかりで、なんで生きてるんだろうと毎日考えていた。
思い出すと苦い。が、なんか自分の立ち位置を再確認するために、その苦さを味わっている感じ。

ノルマをクリアして研修を乗り切っただけでも自分を誉めたが、毎日毎日売上をなんとかしてあげなくちゃいけないので、数年も続いているひとはほんと尊敬する。
と、いうわけで、30名弱入った同期はいまや5〜6人しか残っていない。

彼女は絶対残っている、と予想したFさんに突然電話して、久しぶりに話した。
やっぱり残ってた。
彼女は昔からひまわりのような人だ、と思っていたけど、声を聞いただけでさんさんと光が降ってくるようなひまわりだった。今でも。
仕事中心で生きているような人だったので、「母になったのよー」という一言に驚く。
たわいない近況報告でひとしきり盛り上がって、商品のことを聞いて切っただけなのだけど、すごく嬉しくて仕方なくなった。
なんだろうなー、彼女自身が持つ透明で明るい空気と、あれから数年たったのね、という感慨と。
彼女のこどもさんは幸せだ。

Japan Timesをつらつら眺めていて、Fewer unwanted pets perish as lab fodderという記事を見てしまった。
Unwantedて。
The smithsの曲に確かUnlovableというのがあったが、言葉だけでも哀しい。
何十万匹もの生き物が飼い主によって保健所に持ち込まれている。
繰り返し書いているが、こういうことをする人らって、どうやって殺処分されるか知らないんだろうか?
決して安楽死でなく拷問であることを知っても、面倒だから保健所に持っていくんだろうか?
こういう残酷で無知な人たちは啓蒙されなくちゃいけないんだろうけど、性格の悪い私は、捨てられた犬猫が苦しんだよりも、もっともっと辛い目にあいますようにー、と願ってしまう。

こういう努力を全国の保健所がやってくれるといいなあ。



2004年10月21日(木) 鍵なくす

台風23号に、なんと家の鍵と車、原付のキーを全て吹っ飛ばされてしまい、家に入れなかった大ばか者です。
しかも家の前にて気付く。
窓が開くんじゃないかと思ってガタガタ揺らしていたら、近所の人に見つかって「お姉ちゃんなにしてんのー」と不審がられてしまった。
まあ、台風の中仕事してたから私のせいじゃないともいえるけど、台風のど真ん中を歩いてしまった自分が悪い。
鞄の中身を飛ばされたときに、何故か必死でスーパーカーとモーツアルトのMDを拾っていたけど、その間に鍵が飛んでいったのだな。
職場に電話したら、早速スペアを作って帰ってきてくれた母親に、親のありがたみというものを感じた。

そんなわけで今週は遅刻2回。
来週からこころを入れかえよう。

最近いろんなことをちゃんとしたい。
今更ながら、ちゃんと約束の時間を守って、ちゃんと料理をして、ちゃんと話したいことを伝えて、ちゃんと眠りたい。
自分の中にずっとある渇望感は、そういった日々の生活をちゃんとしていくことで、満たされていくんだと思う。
特別な約束とか、すっごく楽しいイベントがなくても、日常を味わい深く生きていけるのが幸せかなと。



2004年10月16日(土) ジミージメリーノ

普段は3Eの靴でも痛いくせに、ついつい誘惑に負けて華奢なヒールを履いてしまうと、夕方には偏頭痛とめまいがする。

まだまだ不安定だ。
こんなときはナインストーリーズ
泣き所はいつも「コネティカットのひょこひょこおじさん」。
鈍感な人間というのは、犯罪を犯しているに等しいと思う。

自分の欲しいものが何か分かっていない奴はその欲しいものを手に入れることができない
結局、ほしいものは昔から変わっていない。
人の持っているものをほしいかな、と思ってみて手に入れても、やっぱり何か違う。

偉い人というのはうまいことをいう。
結婚するときはこう自問せよ。



2004年10月12日(火) Ask

こんなときに抑鬱剤が切れている。
普段はプラシーボなんだから、今やっと役にたつのにさー、と部屋を探すも見つからない。
いらないときはそこらじゅうに落ちているのにね。

薬の変わりに、と思って、ずっと歌を歌ってみている。
こういう気分のときはあれだ、Smithsのask!
あなたが大切に思うことに、Noなんて絶対言わない。
ライ麦畑から落っこちたら、わたしが受けとめてあげる。

一回でも、ちゃんとわたしは受けとめられたかな。

ブラウスに全部アイロンをかけた。
夏と冬の衣替えをした。
母親と図書館へ行って、ドラッグストアでブルーベリーを買った。
モリッシーが歌っている。
猫が見ている。

お休みの日が終わる。
からだの中にゆっくり夜が沁みていく。



2004年10月11日(月) ゆるり

衣替えというか服の整理をしているが、全然着ないで箪笥の肥やしになってる服の多いこと!
でも捨てられないんだよね〜。変なプリントの古着のシャツとか、いつかライブとかクラブに行くとき使うかなーと思ってしまう。
そんなのここ何年もいってないのにさ。

最初の妻と54回目の結婚
こういう運命もあるのかも。

ほんとに美女の私の友が集った「ドイツ語美女の会」。
ドイツで暮らしていてなかなか会えないJちゃん、長野勤務のNに加えて、レギュラーメンバー?のKちゃんとKるも揃って、骨をもらった犬のようにわたしは興奮気味。(でもやっぱり遅刻)
芦屋ゆるりでやさしい味のランチをいただき、菓一條 榮久堂吉宗にてモンブランを愉しむ。
この2店もすっごく良かったけど、更に気に入ったのがKちゃん御用達のLe−LUXEという紅茶のお店。
レモングラスの入ったイブニングというお茶でほんとに癒される。
一人で来てもゆっくり出来るだろうなあ、というお店。
芦屋、苦楽園、夙川あたりはほんとあくせくしてなくていいね。

一人で家でやることはたくさんあるんだけど、本当はどうしても一人になりたくなかったので、彼女たちと会えてすっごく嬉しかった。
大学で出会って十年、みんなますます魅力的になっていく。
(明らかに私ひとりが幼い、そして全然痩せないので、やばいなあと思う。)
いつまでたっても地に足のつかないわたしは、彼女らのようにいつか落ち着いた女性になれるんだろうか、とよく心配になる。
でも「flamingogoには好きなようにやってもらいたい」と言われると、そう言ってもらえるそれでいいかなあーと思ったりもする。
ドイツ語はいつまでたってもコンプレックスだけど、ドイツ語科でほんとによかった。

福嗣君てもう17歳なんだあ。

久しぶりに三島が読みたくなって愛の渇きを読んでいる。
文章だけで酔える。簡単に使う言葉じゃないけど、やっぱ三島って天才。



2004年10月05日(火) 夢や希望やその類

怪我だらけでおなかに穴があいて、その大きな穴に虫がわいたままじっとしている猫が夢に出てきた。
多分死ぬんだろうなあ、死ぬのをじっと待ってるのはどんな気持ちかなあ、と思って見ていた。
ゆっくり蝕まれていく。
そのへんの通りでも、死ぬのは時間の問題っていうボロボロの猫を見ると、「仏様」って言葉を思い出す。
仏様ってそういうところにいるんだと思う。

春樹「アフターダーク」を眠りに落ちる前に読み終わった。
あー全然だめだったよ。次作はハードカバーでは買わないかも。
村上春樹に影響を受けた大学生の書いた初めての小説みたい、なんて言ったら言い過ぎ?
予感だけが散りばめられていて、何も見つけられなかった。
ミドリも直子もいないし、登場人物も好きになれない。
本当は書くことなんてないんじゃない?と疑いたくなる。
せめて、一行でも胸をしめつけられる言葉が欲しかったなあ。
抜け出せないような空気感とか。
そういうのがあればそれだけで許してしまうのに。
答えは求めていないから、居場所だけはちょうだいよ、って感じ?

色々考えている。
けど、考えて考えすぎると、「考えるってどういうことだっけ?」とまたゼロに戻っていく。
誰かのため、って思うとするのが、わたしの最大に卑怯なところ。

花と猫のことを考えていたら、Debraめくりが最終回で、愕然としてしまった。
病気だったなんて想像もしなかったから、ぼろぼろ泣いてしまいました。
naoさんの愛情がたっぷり伝わってくる写真がとても好きでした。
ご冥福をお祈りします。



2004年10月04日(月) 花と蜜

うちのぱんちゃんは、わたしがパソコン使ってる間、必ずディスプレイとキーボードの狭いスペースにきゅうきゅう体を押し込んで寝てる。
猫のわけわからん、こういうとこが好きなんだよね。

吉野朔美の「いたいけな瞳」、なくした巻だけ買いなおそうと思い立って、今日は3巻が届く。

花に色があるのは
鳥や虫に識別能力があるからだ
花自身に何の意味があるだろう
花は虫を
誘っているのだ
好むと好まざるとに関わらず
花と生まれたからには


じぶんはアブラムシかな。

カマキリみたいな女の先生の、つまらない国語の授業で、引用文の「哀しさの理由」を問われて、ついつい
「鳥が鳥として生まれてしまったこと」
と、言ってしまった。
カマキリには鼻で笑われたけど、授業が終わって、わたしがきれいだなと思っていた女の子に「あれをきいて、あなたらしいと思った」と言われて嬉しかったことがあった。

という小さい出来事をぽつぽつと思い出す。
この作品読んでると。


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