今週末にもうウイーンを発つことになったけど、なんだか実感がない。 長いことここにいたような気がするし、またすぐ戻るような気がする。 逃げていってしまったみたいに、時間が過ぎるのが早い。 ずいぶん感傷的になっているのは、エバおばあちゃんが、最近ずっと「もうすぐあんたいなくなっちゃうのね〜」とことあるごとに言うからだ。 前日まであんまり考えないようにしようと思っているのに、感傷がうつってしまって、夜中にめそめそと泣いたりしている。 ウイーンの文句もたくさん言ったけど、住みやすい、いいところだった。
今のところ、ドイツ語で一番好きな単語はsympatischかもしれない。日本語にぴったりとおきかえられないが、やさしいニュアンスがあるような気がして、好きだ。 他人が自分のことをそういってくれると嬉しいし、たくさんの人をsympatischだと思った。
音楽留学で来ている18歳の日本人の男の子と友達になったが、音楽だけでなく文学にも詳しいので、話していてとても楽しかった。機微のわかる人。自分が18の頃って怒ったり泣いたり、鬱が長いこと続いたり人に迷惑かけたおしたりで、まったく不安定だった。きっとある程度の年になったら落ち着くんだろうと思っていたが、今も落ち着いていない。 落ち着いている人は18歳から落ち着いているのだな。 ということは私なんかは80歳くらいになっても、人に迷惑をかけて、怒ったり泣いたりするのだろう。
インフルエンザのエルビンに食べ物を届けにいって、はじめてシュピッテラウにあるフンダートバッサーデザインのごみ焼却場を間近でみた。毎日Uバーンからは見えているんだけど、至近距離で見ると圧巻。 こんなPOPなデザインのごみ焼却場があっていいんだな。フンダートバッサー万歳!!
悪魔つきのおばあちゃん、昨日は普通にベランダにでてしゃべっていたらしい。「いいお天気ね〜こちらにきてお茶でも飲まない」とエバおばあちゃんが声をかけると、「素敵だけど、また今度」とちゃんと応対もできるようで。あちらとこちらを行ったり来たりしているんだろうか?一度話してみたかったな。
おかんに電話して、こっちから土産送ろうと思うけどなにがいい?と聞いたら「ウイーンって書いてあるTシャツ」といわれた。恥をしのんで買いに行くよ。
地下鉄を待っていると、すごい格好のばあさんがいた。超ミニスカートにハートのベルト、ティーネージャーのど派手メイク、ぬいぐるみだっこに、タータンチェックのスーツケース。何かのカテゴリに分けるとすればパンクロリータ?そのばあさんが近付いてきて「あんたドイツ語喋る?エスカレータが壊れてて、下いけないの〜。ねえどうしたらいいの〜?あたし下行きたいの〜」と切々と訴える。 階段で下りたら?と言うしかないが、他の人も相手にしていないし、めんどくさかったので「ドイツ語わかりません。全然わかりません」と断るも「あたし下行きたいの〜下行きたいの〜」と延々繰り返していた。なんか妙におかしかった。
こういう変な人に出会うと、なんだかここも同じだな、と思う。妙に親近感が湧いて、オーストリアを離れたくないなあ、という気分になる。おかしい。 いや、ばあさんのせいではなくて、オーストリアにいるのは楽しい。少し友達がいて暇でバカな毎日を送っていて、暑くて、こんな生活がずっと続くと恐ろしいけど、まだまだぬるく生活していたい。 三ヶ月目になると、なにもかもにぐっとなじんでくる。店員の冷たい態度も、馬糞も、クラスメートも、近所の人も、ビラのヨーグルトも。人も。美術館も。公園も。ゆっくり毛穴に浸透してしまった感じがする。
ヨーロッパの夏は楽しい。
ロシアの激安テレカが切れたので、早速アラブ人の店に買いに行くと、その会社潰れそうだからこっちにしな、と言われて「タージマハルカード」というのを薦められた。7.5ユーロで85分も日本にかけられる。
タージマハルか。タージマハル。
暑くてなんだか何もする気が起こらない。口を開けば的外れな馬鹿な言葉ばかり発してしまう。馬鹿なことを言っては自己嫌悪。自己嫌悪は醜いですが、避けられません。あ、少なくともここに書くのは避けられるか。
こういうときは一人でいるのがいいんだろうけど、それはそれで寂しい。 なんで寂しいんだろう?と考えた。太陽みたいに明るいシェリルがしばらく病気で休んでいるからかな?気が付くと、みんな帰ってしまって、随分友達が少なくなってしまった。
久しぶりにみちるさんにメールを送っておいたんだけど、ヤフーではなかったらしく「みちる違いですよ」と別の名字のみちるさんが丁寧に返事をかえしてくれた。恥ずかしい。
メールチェックすると、ドイツ語関連の仕事のオファーが来ていた。ビジネスレベルのドイツ語が要求されるらしくて、応募できないけど。メールアドレスどうやって調べているんだろう?謎。
ここ最近何をしたかといえば。 月、火はまたエルビンらとバッハウのなんとかという湖へ。脳みそが退化していて湖の名前も忘れてしまった。ボートを借りて水の上で何も考えずに浮かんでみた。もしもこういう生活がずっと続くと仮定したら、それもなんだか恐ろしい気がした。
水曜はエバおばあちゃんの誕生日と聞きつけたので、カレーを作って(私が唯一まともに作れる料理)小さなろうそくスタンドをプレゼントした。おばあちゃんは77歳。私もおばあちゃんみたいに世界中を旅行したい。ブエノスアイレスだって、なかなか良かったわよ、って言ってみたい。おばあちゃんみたいにオープンな人になりたい。
クラスが変わって、殆ど若い子ばかりになってしまった。ルーマニア人17歳のダニエルは9人兄弟。一家に密着同行してみたいなあ。 こっちに来てから大体「19歳」か「21歳」だと思った、と言われる。20歳前後ということかな。
トルコのトゥバは職安から許可が下りなかったようで、もう学校には来れないかもしれない、とわざわざ言いに学校に来てくれていた。チェコみやげの手作りせっけんをあげたら、トルコのお面みたいなのをもらった。田舎で鳥をよけるやつに似ていてかわいい。
それにしても。「結婚には興味がないし、結婚なんて最低でもあと5年はしたくないね〜」とか言っている男子に限って、結婚についてやたらと語りたがるのは何故か。したくないけど(相手もいないけど)意識はしてるんか。意図不明。
金曜、スタバから最初に見えた人物が女性ならプラハ、男性ならブラチスラバに行こうと思い立って、女性が見えたのでプラハに行くことに決めた。 ユーロバスの事務所に早速チケットを取りにいくと、パンフレットには往復46ユーロとなっているのに、実際は34ユーロだった。安い!!念のため確かめると、パンフレットの方が間違えているという。いいかげんだなあ。
土曜は朝4時半起きで、7時発のバスに乗った。片道バスで5時間。東京〜大阪がバスで8時間であることを考えると、たった5時間で着くのか、という印象。バスはエアコンがあまりきいておらず、トイレがないので、ドライバーがきまぐれにトイレ休憩をとり、不便といえば不便。しかしまあこの値段なら仕方あるまい。
土曜の朝は寝ている間に、あっという間にプラハに到着。一人で、右も左もわからない土地でうろうろするのは確かに不安だが、お腹の底がむずがゆいような興奮もおぼえる。プラハは特に安宿がすぐに満室になると聞いたので、早速ホテルだけは確保しようとインフォメーションに向かう。ユースはさすがにもうしんどい。一人でゆっくり眠りたい。
地下鉄から5分のはずのインフォメーションが、どれだけ歩いても見つからない。道で人に聞くと、通りをあるいていた初老の男性が、「知っているから案内してあげよう」と言ってくれたのでついていってみる。ところがこの男性が曲者で、30分歩いてもインフォメーションにつかないどころか、自分の孤独な人生について長々と語って、手をつなごうとしたり、家に強引に誘ってきたりする。しまった、この手の人物か。彼は「絶対何もしないから家でコーヒーを飲まないか」「家に来てくれるならキャッシュで払うから」と矛盾したことを言いつつ、いつまでもついてくる。結局まくまでに2時間もかかった。あああああ、たった1泊2日の旅で時間の無駄をしてしまった。
ただ本当に孤独な人生のようだったので、少しかわいそうにも思った。
インフォメーションで宿を確保し、さて、ようやく観光!!と張り切ったとたん、運悪く雨が降り出してきた。雨の中それでも頑張ってカルレ橋、旧市庁舎付近を観光する。確かに映画のセットのように美しいが、生理で腹が痛いのもあって、ブダペストのときのような感動はおこらなかった。夕方には雨も上がって、俄然はりきってあちこち歩いた。カルレ橋の上にはたくさんのアマチュア芸術家が絵やアクセサリーを売っていて、エバおばあちゃんと母の為に、小さなブローチを購入した。
問題はその後。カルレ橋から市電にそって歩いていると、だんだん道が狭くなってきた。ありゃ?これは危険だから戻ろう、と思っていると、警官が二人近付いてきた。そこを歩くのは違反だから罰金を支払わないといけないという。「サインもなかったし、そんな話きいたことない」と反論するも、「ツーリストだから罰金が安くてラッキーだ。市民なら2000払うこともある」と言われる。結局確かに危なかったし・・・と思ってしぶしぶ300(だいたい10ユーロほど)支払ったが、なんだかふに落ちない。私の後ろを歩いていた白人カップルもとられていた。 後で思うと、あれは偽警官ではなかったか?随分立派な制服を着ていたので、そのときは疑わなかったが、やたらフレンドリーでなんかおかしかった。 偽警官ならくやしい!!
夜、インフォメーションでとったなめた名前のホテル「ホテルツーリスト」をめざすも、インフォのお姉さんが教えてくれた駅付近にそんなホテルはないと道で聞いた皆に言われる。ホテルに電話して聞くと、なんと全然別の駅。んもうーーー!と起こりながら移動してバスに乗る。 ホテルツーリストは、もともとは団体向けのホテルのようで、客はほとんどヨーロッパ内の別の国からのパック旅行者っぽかった。エアコンはなし、バスルームは共同で20ユーロ強。まあ、こんなもんか。朝食の部屋がだだっぴろかった。
日曜は2時のバスでウイーンに帰る予定だったので、これでは見所を全部見れない!!と焦って、10ユーロくらいの2時間ツアーに申し込んだ。いってみるとドイツやスコットランドのおじちゃんおばちゃんが10人くらい参加していた。バスで主要な場所はすべてまわってくれて、プラハ城は解説付きで案内してくれた。解説は英語とドイツ語なのでよい勉強になった。一応英語で申し込んだが、ドイツ語にもなにげに耳をかたむけていると「ドイツ語勉強しているの?」と添乗員の人やおばちゃんが話し掛けてくれた。 スコットランドのおばちゃんは、ボランティアグループの会議でスコットランドからプラハに来ているそう。一応見所は押さえられたので、ツアーに参加して良かった。
のろまの私は、また帰りのバスに遅れそうになって全力疾走でバスに到着。ついてみるとほぼ満席で、1、2席しかあいていなかった。そうか、日曜だったか〜。なんとか間に合ってウイーンに帰ることができた。
それにしても。地球の歩きかたには一泊で充分、と書いてあったが、プラハは最低3日は滞在すべき。走り回りながらそれを実感した週末であった。どうせ普段さぼったりしているんだし、ドイツ語のクラスのことなんて考えずにもう一日伸ばせばよかったんだけど、お金まで足りなかった。ああ、やはりちゃんと計画は立てるものですな。
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