環境が変わったからか、生理がいつもより早く来た。からだ全体が熱を持っていて熱い。学校を休んだので、家で寝ていたかったけど、エバを心配させたくなかったので、ついつい支度して出てきてしまった。 今日は人と会わずに公園でぼーっとしていよう。
今思えば生理前で情緒不安定になっていたからか、昨日はまたどうしてもヒアリングがしんどくて、休憩時間に事務所でトーマスを捕まえて「どうしても聞き取れなくてついていけないの!クラスを変えて!」とぶちまけてしまった。感情的になっていのたで、ちょっと泣いてさえしまった。そんなつもりなかったんだけど。 トーマスには「テストが一番できていたのに、レベルを落とすなんておかしいよ」と言われたが、見に行きたかったら下のクラスを見てきてもいいよ、と言われた。彼はいい先生なのに申し訳ない。
授業中、あまりにわからないわからないと質問しすぎると、授業を中断して悪いなあと思ってしまうんだけど、ユウスケ君のクラスにはつわもののアメリカ人のおっさんがいたらしい。わかんないわかんないと中断しまくってあげく、「右の耳から入っても、左の耳から出ていっちゃうんだよね〜」などと、関係ない話を一人で1時間くらいしまくって、みな困っていたらしい。そのアメ人、うちのクラスにもほしいわ・・・。
そんなで悶々と考えながら、道を歩いていると、以前飲み会で会ったかなこちゃんにばったり出くわしたので、無理やりお茶に誘う。ユウスケ君も途中から参加。シェリル、ベドラナと映画に行く約束をしていたので、これにも無理やり連れて行った。CHICAGOを見たが、変な映画だった。ミュージカルものは、背中がこそばくなってしまう。
最近知らない人によく話し掛けられる。たぶんぼーっとしているからだろう。資生堂にいたというオーストリア人や、日本語で手紙を書こうとしているフランス人。見知らぬ人にも励まされる自分。
2003年04月28日(月) |
アルバニア テキーラ アルベルティーナ |
木曜から毎日夜遅くまで出歩いていた。家で色々考えたくなくて、寝ている以外は出歩いていた。
4/24 アルバニアとコソボの男の子達(18歳と21歳!)がシェーンブルグ宮殿に連れて行ってくれた。問題は彼らが英語もドイツ語もほんのちょっぴりしか話さないこと。もちろん私にアルバニア語がわかるわけはない。言いたいことが伝わらないと、3人で顔を見合わせて笑うしかなかった。でも言葉が通じなくてもなんとかなるもんだな。一生懸命案内してくれようとする、その気持ちがうれしかった。ただ、カールスプラッツでアルバニア人とはぐれて、結局出会えなかった。携帯持っているつもりで行動しているとだめだな。
4/25 やっとプリペイドの携帯を買った。VODAフォンはまったく使えなかった。回線が悪くて、つながった途端きれること多々なのに、一回受信するごとにローミング料が110円もかかる。夜クラスの人たちと飲む。テキーラなんてやめとけばよかった。道で寝てしまいそうになったが、なんとか自制心を呼びおこして?終電で家に帰った。
4/26 クロアチア人の女の子ベドラーナと、ウイーンの町のフェスティバルに出かけた。町の至る所で音楽やダンスやスポーツの催しがあって楽しい。人がたくさんいるところにいるほうが、今は落ち着く。べドラナとはずっと英語で話してしまうんだけど、これではいけない、と時折ドイツ語に切り替えると、話がえらいシンプルになるので笑える。アルバニアの男の子が彼女と同い年21歳というのもあって、紹介しようと思って待ち合わせしたが、現れなかった。なんだよ!もう!と思ったが、vodafoneに何度か着信が入っていたのに気づかなかった私が悪いのかな・・?人と連絡をとるのって、こんなに大変だったっけ?
4/27 アルベルティーナが無料開放日?だったので、べドラナと出かける。ムンク展をやっていて、人でいっぱい!息も苦しくなるくらいの込み具合だった。ムンク展は思った以上の作品数で、ぜひもう1度行ってゆっくり見て回りたい。Die Stimmeという白黒の作品にこころ惹かれた。 べドラナは若いけど、私よりずっとずっとしっかりしている。これが食べたい、と言っても「いやこっちのほうがお勧めよ!」といって、私の分もオーダーしてしまうのがなんだか笑える。クロアチアでは10年前まで戦争があったなんて信じられない。
昨日はなんだか眠れなかった。授業をよそごとにように聞いてしまって、当てられた質問全部間違えていた。先生に申し訳ない。
私のステイしている家には、以前マウロというイタリア人がステイしていて、家に帰ったら部屋に直行してすぐにパジャマに着替えていたらしい。そして油だけですばらしくおいしいスパゲッティを作れたらしい。
J君が亡くなったという知らせがメールで届いた。 それを聞いた昨日から、何もかもがむなしくてたまらない。何もする気が起こらない。 こうしてウイーンにいることも、歩いて食べて話しているときも、虚しくて虚しくてしょうがない。 なんで私はウイーンなんかにいてお葬式に出られないでいるのだ!と思うと、自分にむかついてしょうがない。
彼の最後がどれだけ孤独だったろうと思うと、胸が張り裂けそうにつらい。 彼の死を悼んでいる人たちのことを思うと、何も出来なくても自分も同じ気持ちを少しでも共有しているのだということを、そばに行って伝えたい。必要なときに、どうして彼女の近くにいてあげられないのかと思うと、腹が立って仕方がない。悲しくてしょうがない。 電話ではどうしても伝えきれない。
身近な人が亡くなったときに、後悔することがない人間なんていない、っていうのは本当だとやっとわかった。 せめてもう1回だけでいいから、話をしたかった。
あんなにいい子なのに、何で死ななきゃいけないんだよ。短かったけど幸せな人生だったなんてうそは死んでもつけない。 ただどうしても、どうしても、もう1回でいいから話をしたかった。 それをしなかった自分を絶対に許さないだろう。
3日ぶりにネットカフェに来た。やっぱり自分のモバイルが使えないって不便だな〜。家で電話につながせてもらったけど、やっぱりつながらない。まあそのうちなんとかなるか。
週末は一人でブダペストを旅行した。なかなか楽しい旅だったので、私のジョルナダにすでに日記をしたためたんだけど、今日持ってくるのを忘れた。まったく意味がない。(といっても、ネットカフェでもつなげないんだけど)というわけで、もう一度。 ブダペストへはユーロバスで片道3時間。費用も往復39ユーロというお手軽な金額。宿泊もユースにしたので、全部で100ユーロで収まった。 土曜は朝10時過ぎに到着して、夜の9時くらいまでブダエリアを中心に精力的に歩き回った。すばらしい景色。漁夫の砦?ブダ城からの眺め、ドナウに隔てられた、霧の煙った対岸の幻想的な風景に、どっぷり酔うことができた。ここで思い出すのは、宮本輝「ドナウの旅人」随分前に読んだので、詳しい内容は忘れてしまったが、ブダペストの描写も多くあったように思う。私は博物館が好きで、館内を一人でゆっくり歩き回っていると、幸福感で満たされてくる。この日は歴史博物館しかいけなかったけど、「スチューデント!」と言ってみたら料金がただになった。うそついてごめんなさい。でも、地下鉄のチケット間違えて1週間券買っちゃったし、自販機からジュースが出てこなかったのでとんとんだろう。
夜はユースにとまった。ユースなんて久しぶり!!同室は日本人2人、アメリカ人2人、ドイツ人一人だった。マールブルク大学に通っているというドイツ人の女の子はとってもフレンドリー。大学で神道についてのビデオを見たといっていて、神道のことやドイツ語についていろいろ話した。やっぱりオーストリア人よりもドイツ人のドイツ語のほうが、私には聞きやすい。そして一番聞きにくいのはウクライナ人のドイツ語(しつこい) アメリカ人はたいがいアメ人同士でかたまっているので、話し掛けにくいけど、いったん話してみると彼らもフレンドリーだった。彼女らのうち1人はベルリンで大学院3年目、もう一人はザルツブルグで英語を教えていると言っていた。日本人のうち1人は、結婚してサンフランシスコに住んでいて、一ヶ月ヨーロッパを1人でまわっているそう。ユースにとまるといろいろ話ができて楽しいけど、なんか寝た気がしない。できればやっぱりシングルルームで1人ゆっくりしたいなあ。いつもDo you have a vacancy?とユースに電話するとき、思い出すのはthe smithのhalf a person。
翌日は、市民広場の近くでサーカスがあったので入ってみた。料金は500円くらいで、お客のほとんどが子供だったのでなんだか恥ずかしかったけど、サーカスは非常に面白かった。新体操とシンクロを組み合わせたようなダンスがけっこうあったんだけどその衣装がなんとも珍妙。「竹元ピアノ」のあの宇宙人のようなレオタードにちょっと似ていた。色の組み合わせがこれまた奇妙。イタリア人なんかは、奇抜な色の組み合わせをしても、バランスが取れていてさすがだな〜と思うけど、ハンガリー人は変なままだった。途中、聴衆から3人男性が選ばれて、彼らがいきなり舞台の上でパンツ一枚になって水の中で浮き輪をもって、おにごっこしていたのはなんだったんだろう?異様に盛り上がっていて、かなり笑えた。 そんなこんなで、ウイーンに戻ったのは夜の9時。
昨日の日記。 起きたらすでに9時半だったので(エバおばあちゃんに起こしてもらった)学校に行く気がせず、さぼってしまった。前に飲み会で会ったピアノを勉強しているというY君を誘ってLandstrasseのAMADEUSでランチ。彼がすんごい面白い人で、高校を中退して16歳からピアノをはじめて、大学では首席にまでなって(登録ミスで実際はなれなかったらしいが)今年はハンガリーの音楽院に留学するらしい。自信家で前向きなうらやましい性格。ちょっとは影響されたい。12ユーロで日本の一般電話なら200分しゃべれるというカードを譲ってもらった。 その後、ギリシャ人の友達に会うが、最近ちょっと強引な性格にちょっと辟易している。話すと面白いんだけど、何もかも自分のペースにあわせさせようとするので、ぶつかりそうになる。 あとオーストリア人もだけど、たばこのポい捨てだけはどうしても理解できない。
昨日はあんなに暑かったのに、今日はまた寒くなって雨さえ降ってきた。気分がよくなるので、晴れてほしい!
ヒアリングがほんとにだめ。 今日はいつもよりさらに授業の内容が聞き取れなくて、最後はほとんど半泣き状態。だめだだめだと思うと、余計に耳がシャットアウトするからだろうけど。授業が終わってから、トーマスに「全然聞き取れないので、クラスを変わりたい」と申し出ると、別のクラスに移ってもグラマーが簡単になるだけでヒアリングができないのは同じだ、あせらずに時間をかけたらそのうち聞こえるようになる、と言われた。うーん・・・ 授業で使った教材の30%くらいしか理解できないと言っても、それで十分と言われる。そんなもんかなあ。。。。 今日は特に件の気の強いウクライナ美女とずっとペアを組まされて、疲れたからかもしれない。彼女は休み時間になると、好奇心旺盛な感じでかわいいんだけど、授業中はぜんぜん相手のペースに合わせてくれない。 一人だけすごくドイツ語ができるので、もんのすごいペースで進んでいってしまう。はあ、疲れた。正直別の人とペアを組ませてほしい・・・
ちゃんとチケットが取れたら、明日からブダペスト一人旅。 旅に出られると思うと、なんだかほっとする。移動したくてたまらない。
学校の人たちとカラオケパーティがあったので(また!)参加する予定だったが、エバがスロバキアのオペレッタコンサートに誘ってくれたので、そちらに行くことにした。ご近所のエリザベスさんも一緒。 オペラとオペレッタの違いも知らない私に、「あんたそんなことも知らないの?」といってあれこれ教えてくれた。 歌手はスロバキアではかなり有名な人達らしく、スロバキア語なので何を歌っているのか話しているのかまったくわからなかったが、すばらしい声だった。こんな小さなホールで聞いちゃってもいいのーーー?というか、もうちょっと大きなホールで聞いたほうが断然いいだろう。 それにしても、何を言っているのかわからないくせに、みんなが笑うといっしょにつられて笑っている自分がいた。
帰りに暗い通りにあるホテルを指差して、エリザベスさんが「あれはStunde Hotelと呼ばれていて、男が奥さん以外の女の連れ込むところ。2,3時間だけでもステイできるのよ〜」と教えてくれた。 なるほど。こっちにはラブホテルなんてないと思っていたら、やっぱりあるのだな。
毎日のように、学校帰りにZARAとMANGOをのぞいてしまう。パンツの形がすんごくいい。そして安くてかわいい。 帰りは荷物が多くなりそう。
今日のウイーンは快晴。 週末にもうブダペストにいこうかと考えていて、またネットカフェで情報収集。もう移動したい熱が高まってきた。 ウイーンもまだまだ見るところがあるし、オペラや美術館や劇もいいんだけど、ちょっと景色を変えてみたい。
少しずつ生活のペースができてきた。午前中授業、それから誰かとお昼を食べて、午後は一人で歩き回り、夜はおばあちゃんやおばあちゃんの友達とあれこれ話す。一人の時間があるのがいい。自分は一人でいるのがけっこうすきなんだな、と改めて思った。
それにしても、今自分のドイツ語も英語も日本語も変。なんとかしたい。
昨日vodafoneに電話があって、某賞の最終選考に落ちたとの連絡が入った。 授業中だったので、一応先生にもこれこれこういう理由で電話が入るから、携帯なったらすいませんね、と言っておいてあった。戻ってくると、結果を聞かれて少し励まされた。期待するなと思っていてもしてしまうもの。 今日晴れでよかった! なんだかけろっとしている。
今週はクラスの友達とプールに行くので、水着を買いにいかなきゃ。
最近新聞を読んでいない。学校のネットでちょっと英語ニュースを読むくらいだ。世界では何が起こっているんだろう?
4/10 シェリルと昼食を食べた後、Museum Moderner Kunstに出かける。ここが想像以上にすばらしかった。気に入った作品がたくさんあるが、とくにHOW TO BE POLITICALLY INCORRECTというタイトルの、男が食事中の女の服に顔をつっこんでいる絵とInsomnia眠れない男がテーブルの下に疲れた顔で横たわっている絵が印象的。さらにフィルム類がどれも最高。鳩1羽1羽の動きを追っている複数のTV,ぴちぴちの体操着を着てバーベルを持ち上げてはあはあ言っている男、裸の男性二人、<一人は片足がない>が横たわって計3本の足をぶらぶら動かしている映像、どれもこれもナンセンスで大いに気に入った。閉館までいて学芸員に「もう閉めますから」といわれたくらい。私はオペラでなくてこちらに通いそう。
夕方はギリシャ人とお茶する約束をしていたが、「駅で」という簡単な待ち合わせしかしなかったので結局会えなかった。もっと詳しく決めないと絶対無理だって言ったのに!
そんなこんなで飲みにいかなかった日も、帰るといつも9時ごろ。それから宿題やら勉強をしようと思うんだけど、Landladyのエバがよく家に友達を呼んでいて、私も家にいるときはワインを飲みながらの語らいに参加させてもらう(はっきりいって会話はほとんど理解できない)。 今日はドイツ人でギムナジウムの先生、エルンスト54歳がミュンヘンから来ていた。エバが眠いというので、彼と2人で30分ほど歩いたところにあるこじんまりしたホイリゲへ出かけた。さすがドイツ人だけあって、彼はよく語る。私が解しない言葉は(ほとんど全部やけど)全部英語に訳してくれたので、難なくコミュニケーションをとれた。54歳の彼は、50年以上生きてきてやっと「大切なのは今この瞬間であって、未来のことを悩んでいても仕方がない」と悟ったのだそう。彼の人生に起こった出来事を聞いていると、確かにそう思うであろうと納得した。 人間ここではないどこかを考えるほうが楽なのだよね。 彼とエバの関係もすばらしく、人生は苦しいがなんと味わい深いものよ、としみじみ思った。彼女が、昔娘の婚約者だった彼を今息子のように受け入れているのは、私の想像も及ばないような理由からだったが、孤独に耐えてきた人は変わりに必ず何か手に入れるのだなと確信した。振り返ってみれば、孤独に耐えきれずに手放す人のなんと多いことか。自分も含めてだけど。 午前2時まで飲んでゆっくり帰った。先生のようなお父さんのような人だ。
4/11 マレーシア人のシェリルがカラオケパーティに招待してくれたので参加した。 彼女はとても積極的な人で、あれこれ誘ってくれるのでとてもありがたい存在。だんなさんがオーストリア人。パーティには日本人、オーストリア人、マレーシア人、クロアチア人、中国人、等々参加していて。国際色豊か。カラオケソフトはブリトニースピアーずとか若い人のしかなかったので、私はしょうがなくビートルズを歌う。クロアチアの女の子の低い声が気に入った。 そのあと、イギリスから交換留学で来ているK君、フルートと歌を勉強しているHちゃんと朝4時まで飲んだ。 こっちはこんな時間でも深夜バスがあるからかなり便利。始発を待たなくていいのでほんと助かる。
音楽を勉強している人たちの話はすごく面白い。そしてなんとなく変わった人が多いような。おまえがいうな、と言われるかもしれないけど、なんとなく接したときに独特の感覚をもっているな、と思った。 それにしても。 毎日何時間も練習して音楽を心から愛している人たちでも、オーケストラに入ったりプロとして音楽を続けていくいく道は狭く、門戸はそれほど開かれていない。それでもどうしても音楽を勉強したいという思いで、まったく言葉もわからない状態で情熱だけでやってくるのはすごいな、とため息が出る。 私はしたいと思うことはすべて、少なくとも門は開かれていて、あとはどうやって自分がそこへ到達できるかだけだ。
◆私が住んでいる町はベートーベンゆかりの地であることに、昨日ようやく気づいた。駅前に日本食のスタンドがあって、てんぷら定食、と書いてある横に、エビフライが3本並んだ写真がはってある。
◆オーストリア人は概してあんまり笑わない。たまに愛想のいい店員にあたると、妙にうれしい。
◆クラスのトルコ人17歳がイルハンの切抜きをくれた。 ノートにイルハン写真がびっしり張ってある。コカコーラが大好き。
◆むしろ日本人の女の子たちとつるみたかったんだけど、彼女らは楽器の練習でとにかく忙しそう。なぜかなぞのギリシャ人とつるむことに。
◆授業はせいいっぱいがんばっているが、ヒアリング力が足りず 口ぽかん状態。隣の席のウクライナの女の子が怖い。(私は家事を全部させることのできる男を見つけたい)という例文を作っていた。
◆家にいると下宿のおばあちゃんの友達がたくさん出入りして、私もいっしょにワインをご馳走になっている。イラクの話になると、おばあちゃんはすぐかんかんに怒りだす。
ウイーンに到着! 着いたらいきなり雪が降っていたので驚いた。今朝はマイナス何度とかいう寒さ。
昨日空港からは語学学校がトランスファーを手配してくれていたので問題なし。難なく下宿先まで着いた。 下宿先は、スロヴァキア出身のおばあさんで、とにかくよくしゃべるしゃべる。ちんぷんかんぷんで、改めて自分のドイツ語のできなさを痛感した。アメリカが嫌いらしくて、ほとんどアメリカの悪口だった。 部屋はかなり広くて快適。なぜか前の留学生がおいていった週間朝日が10冊ほど山積みだった。
PCは電話線を借りてつなぐだけかと思っていたら、どうも特別なサービスに加入している電話でないとアナログでつなげないらしい。がっくり。 というわけで、学校近くのインターネットカフェから書き込み。 まあ、しばらくネットから離れた生活もいいかもしらん。
学校は日本の人も多いが、やはり音楽留学がほとんどみたいで、毎日楽器の練習で大変だと言っていた。今日いっしょにご飯を食べた人は、ウイーンフィルで演奏していた人にプライベートでついてもらっていて、授業料は1回100ユーロとのこと。
先々月ドイツ語をはじめたばかり、なんていう人もドイツ語をけっこう話せていて四年やってましたっていうのが、心底恥ずかしかった。てか言うんじゃなかった。
天気は陰鬱だけど、がんばって勉強しようっと。
明日からウイーン。 やっと荷物が20キロでおさまった。よく考えてみればたった3ヶ月であるのに、なんだか荷物が多い。ハンドヘルドPC、携帯、MD等電子機器とアダプタの数々を保護カバーにくるみながら、私はあほじゃないか、という気がしてきた。とくに携帯は、数回しか使わなそうだ。 あとは本。読まないだろうなあ、と半分わかっていても、スーツケースに入れずにはおれない。「ドイツ人が日本人にする100の質問」なんて本も買っちゃったし・・・(行く前に読んどけや!と自分でつっこんだ)
留守中の一番の懸念事項は、やっぱり猫のこと。主に父親に頼んで、えさ代などの費用も払っておいたが、やっぱり心配なので「猫の世話マニュアル」をワードで作って両親に渡した。3匹それぞれ性格や好みが違うし、親はわかのわからん叱り方をするので、これはまずいと。 以前ビートたけしが何かの雑誌で、"家に電話して一所懸命犬猫に話し掛けている人"のことを笑っていたけど、私はやりますとも。 あ、そうか。携帯の使い道あったわ(しかし1分175円)
フライトを変えて少し時間ができたので、昨日はSちゃんと駅前でご飯を食べた。小学校の先生になった同級生2人の話になったが、小学校の先生ってほんと大変みたいだ。Fさんは小学生の頃からもう教師を目指していたけど、それでも夢をかなえた今、ねを上げそうという。親が「うちの子がこんな問題もできないのは先生の責任です」などと、夜中でも平気で呼び出すのだそう。そしてさんざん手を煩わせて、Fさんが帰るときに捨て台詞。「私は先生のこと嫌いですけどね」と。かえって教育ママやヤンママにこういうタイプは少なく、また別種の、無知ですべてを学校のせいにする母親がけっこういるらしい。
結局、また部屋が汚いまま出かけるのが心残り。 今日は猫らと眠ろう。
とうとうWHOから渡航延期勧告まで出たので、さすがに私も心配になって(いいかげん遅いけど)代理店さんに電話すると、彼らもちょうど週末キャセイ便で出発する人達に、便の変更を勧めているところだった。 担当の人と相談して、迷った末にオーストリア航空に変更することにした。直行便で便利だけど、3ヶ月FIXなので、帰国を少し早めなくてはいけなくなった。 滞在を延ばすために、帰りのチケットを捨てて現地で片道購入、ってことも不可らしい。(見つかったら正規料金の罰金とか) キャセイなら1年オープンなので、気分によっては1ヶ月くらいも延ばせるかと思っていたので、かなり残念だけど、こういう状況下では致し方ない。 空気感染の可能性が残る以上、自分がオーストリアや日本に病気を媒介してはたまらない(´・ω・`)。1万強足が出たけど、安全料と思うことにしよう。「成功する留学」の担当の人は、とても丁寧で親切だった!!今たくさんの人の変更作業で大変だろうなあ。
しかしまあ、悪い時期に悪いことは重なるものだな。
ayacomsタンは無事パリに到着したようで良かった!!4人がけ独り占めとはうらやましい。今キャセイは全員マスク着用させられるって聞いたけど、まだだいじょぶだったんだね。
昨日は妹と話題のスーパー銭湯へ行った。600円ほどで、数種類の室内風呂、サウナ、明石大橋が見える露天風呂を楽しめる。こんな手軽で安価な娯楽はないんじゃないか!って思うほど気持ちよかった。
露天風呂につかりながら、妹と「じろじろ見られることの不快さ」について話した。 アエラか何かの記事で読んだんだけど、顔に障害のあるひとが子供に不躾にじろじろ見られて「何故見るの?」と聞いたら、子供の親がしゃしゃり出てきて「うちの子があなたを見ちゃいけない理由(だか法律だか)でもあるの?」と言い放ったそう。 こんなバカウンコな親に育てられる子供も不幸だな。
妹も、少し前顔に小さな傷ができて、ばんそうこうそこをはっていた。妹は気にせずに出かけたらしいが、どこへ行っても人がちらちら見てくることに気づいたのだそう。 自分で気にせずに出かけても、帰る頃にはもう家からでたくない、と思うくらいの視線だったとか。確かに、あれ?と見てしまうことは誰しもあるけど、同じ人に何度も何度も見られたり、じろじろ見つづけられたりすると、相当不快になると思う。 妹は「禿げた人の気持ちがやっとわかった」と言っていた。
人の視線って、受ける側にとっては、底意地が悪い暴力だと思う。
|