ある大学院生の日記

2006年02月26日(日) めでたい日

自筆の文書の真偽の鑑定だってややこしいのに、たかがプリントアウト1枚で何か言おうとするのを止めるやつはおらんのか、と思いますがそれはそれとして。今日はかつての同僚の結婚式で、この花嫁がまたびっくりするくらいの美人ということだったのですが、花嫁の同僚なる人物たちがまた見目麗しくてたいへんよろしかったとおもいます。仲良くしてくれるともっとよろしかったとおもうのですが、それは無理ですかそうですか。

ということで、引き出物にまた洋菓子が入っていたような気がするんですが、先々週のもまだ丸ごと残っているうえに、お誕生日ということで目の前のケーキ屋さんの石畳も買ってくれてあったので、2人世帯でケーキが3つですよ。どないせっちゅうねん、って、おいしくいただけばよろしいんですけどね。幸せのお裾分けですから。

しかしいつも思うのですが、「この人生最良の日を…」とかいうと、今後の人生でこれよりいい日は来ないと言ってるも同然で、せっかく「これから幸せになります」って言ってんだからそれでいいじゃん、と思うんですけど、ええまあ無粋ですよスイマセン。



2006年02月18日(土) ひさご。

平河町ひさごに出かけました。お任せコースで天ぷらをたくさんいただいたのですが、ご厚意でほかに一皿食べたので、食べすぎです。頭痛いや。



2006年02月17日(金) 東アジアの…

東アジアの高齢化っつうのがここ最近の流行りらしい、ということに遅ればせながら気がついて、ちょっと調べてみたりしたのですが、人口転換がもたらす人口配当(demographic change)をどう活かすか、という話をするときには、そもそもライフサイクル仮説(LCH)がどれほど成り立っているのかという話を押さえておかなければならないようです。開放経済で人口転換の段階が異なる国々があるときには貯蓄が移動するとか、労働力が移動するとか、そういう可能性を検討する必要があるらしいんですが、資本の移動ということについては、Feldstein-Horioka論文(1980、EJ)の話なども関係するんだそうですよ。あらあらこりゃまた大変なのねー。

しかし、ここへきて家族とか社会保護とかの話になる、というと、開発経済学もたいへんなんでありますなあ。



2006年02月11日(土) 結婚式3次会

高校の同級生が結婚式を挙げて披露宴をやるというので、広島まで行ってきました。呼んでいただいてありがとうございました。いい雰囲気でした。

高校の同級生の結婚披露宴、となると、集まるメンバーも固定化しがちなような気がするのですが、今回は何人か非常に久しぶりに会うことができました。会うたびにみんなえらくなっていってて、なかよくしとかんとあかんなあと思います。弁護士とか医者とか(←なんで?)。しかしついつい飲みすぎて3時ごろまでぐだぐだとしゃべっていたのはちょっとやりすぎだったかもー。



2006年02月08日(水) 来年度の

身の振り方がだいたい決定しました。ははあ。めでたいとばかりは言ってられないですけど。



2006年02月05日(日) 乳頭温泉郷

相方くんが寝込んでしまったので、国民休暇村田沢湖高原のみなさまの厚意に感謝してチェックアウト後も部屋をお借りするいっぽうで、長靴も借りて近くの温泉めぐりをしてみました。休暇村からはあるいて10分くらいで妙の湯と大釜温泉、さらに10分ほどで蟹場温泉、さらに20分ほどで孫六温泉、また違うルートで黒湯温泉が点在しています。長靴を借りただけなので、舗装道を通って妙の湯・大釜温泉の前を通過し、蟹場温泉に入ってみました。蟹場温泉はむかしからある露天風呂が有名で、よく写真でも見かけるのでとりあえず行ってみました。ここは混浴で、脱衣所もさっぱりとした作りなのでちょっとどきどきします。行ったときには一組が先にいたため、さらにどきどきしました。雪が舞っていたので、いちど湯に入ると出る気がしなくなるのですが、そこそこで抜け出して、内湯の秋田杉の湯に行ってみました。露天の人気に押されてるのか、たんに人がいないのか、まったく誰もいなくて爽快でした。ここは特徴的な湯の花がふらふらとしているので、いかにも効きそうな雰囲気もあってよろしいです。あったまるし。

蟹場温泉を出た後、大釜温泉から孫六温泉に行ってみることにしましたが、これが意外と距離があって、迷子になったのではないかとおびえました。20分ほど歩くと奥まったところに人情の宿孫六温泉がありました。ここはいかにも秘湯な湯治場といった雰囲気で、テレビもなにもなさそうなところです。けっこう興味はありましたが、温泉にはいることもなかろうとおもってそのまま引き返しました。地図によると孫六温泉から黒湯温泉へ抜ける散策路だかテープ誘導だかがあるそうですが、見当たりませんでした。スノーシューで黒湯に行こうと思わなくてほんとによかったです。

そのまま来た道を引き返して休暇村に戻り、ごはんを食べてバスに乗って田沢湖駅まで戻り、こまちにのって帰ってきました。あ、田沢湖駅前で「雪の茅舎」と「喜三郎の酒」を発見しました。両方とも買いたかったのですが、先日も日本酒買ったばっかりなので、小さなビンのあった「雪の茅舎」だけ買って帰りました。そうか、秋田だもんなー、とおもっていたら、こまちのなかでとなりのご夫婦がまんさくの花を召し上がっておられました。そうかー。



2006年02月04日(土) スノーシュー

むかーし遊びに行ったことのある乳頭温泉郷でスノーシューツアーがあるというので、JRのパックを使っていってみました。朝からこまちに乗って田沢湖で降り、路線バスに乗り換えて50分ほどいくと、国民休暇村田沢湖高原に着きます。バスを降りるとさらさらの雪が積もっていて、足で蹴るとさらさらと吹き飛んでいくようです。そこでガイドさんをお願いして、3時間ばかりスノーシューをやってみました。西洋ガンジキ、というやつですが、たしかにそのままだとずるずると埋もれてしまう雪の中ではなかなか協力です。とはいっても、さすがに雪質がふわふわとすばらしいので、やっぱり埋もれてしまい、スノーシューを使ってもそんなにらくらくというわけでもありませんでした。なにもないよりはよほどらくらくですが。かつてのスキー場を横切り、小さな尾根沢をうろうろし、簡単な雪除け・ベンチを作って休息しつつ、ブナや桜の林を散歩しました。タラの芽の蕾などがついていて、極寒ながらも芽生えの兆しがあちこちにありました。柔らかな雪の表面にブナの林の影がさす光景はすばらしいものでした。

帰ってから一眠りして食事ですが、ここの食事はバイキング形式ながらなかなか手が込んでいて、山の芋鍋などはたいへんおいしうございました。あきたこまちもよろしいようで。ご飯の後は温泉ですが、この露天風呂から雪のブナ林をみることができて、えらく寒いのですがなかなかよい光景でした。秘湯っぽさがそんなに強調されていなくてよろしかったのではないかとおもいますです。

写真はこちら。



2006年02月01日(水) セミナ

富山大学に御呼ばれしたのでセミナーに行ってきました。話す内容はこの前といっしょなので、おんなじようなコメントを受けたり、新たなコメントを受けたりして、なかなか刺激的でした。懇親会でいただいた「勝駒」もよかったですが(どういう比較だ)。富山といえば銀盤立山も有名ですけど。

さて、富山には東京から上越新幹線に乗って越後湯沢で降り、金沢行きの特急に乗り換えて行くのですが、高崎を過ぎた辺りまではそれほどでもなかった窓外の雪が、トンネルを抜けるとどーんと増えます。これが「国境の長いトンネルを抜けると雪国」ってやつか……、とおもったところで、「国境のトンネルを抜けると雪国であった」だっけ、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」だっけ、どっちだっけー、というのを新幹線の中でちょと考えてしまいました。確かこのトンネルは清水トンネルのことなのよね、とかいうどうでもいい名前は思い出すんですけども。ついでに2文目はなんだったっけ、「夜の底が白くなった」だっけ、光るんだっけ、なんだっけ、というのも気にかかりだしました。なんだっけ。

ま、「雪国」自体を読んだことがないのでわかんないのも当然ですけど。調べようにも手許にないし。こうやって日本人の教養は失われていくんでしょうか(なんのこっちゃ)?

軽く検索してみたら、この冒頭の一文の読み方をめぐって論争(?)があるんですなあ。ははあ。


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