早朝に成田に着く便だったので,そこから成田線へ乗り継いでのろのろとうちに帰り,ちょと寝たり洗濯したりしてから会社に行きました.べつにそこまで仕事熱心ではないはずなので,これといってなにかをしたわけじゃないのですが,とりあえず6月末で異動になる若者たちと飲み会をしました.親元に帰ったらちゃんと働くんだろうなあとおもいます.
2004年06月28日(月) |
昆明,そしてバンコクへ |
朝早くに眉山から再び来るまで成都に移動し,成都空港から空路昆明に向かいました.昨年昆明に来たときには,もうこんなところには来ないだろうと思っていたのですが,あにはからんや,といったところです.昆明では雲南大学の経済学や人口学の先生たちにヒアリングをしました.本ももらっちゃいました.中央政府と雲南省との資金のやり取りなどについて興味深い話を聞くことができました.昆明でお昼ご飯をたべたあと,タイ航空でバンコクに飛びました.ただのトランジットなのと,ちょっと疲れていたので街中に出ることはしないで,バンコク空港をうろうろしてみました.マッサージされてみたりお土産を買ったり,ちょと仕事してみたりしておりました.ふー.
出張の本来の目的であるシンポジウムでした.発表は上司の先生方にお任せして,先方の発表などしみじみと聞いておりました.なんつーか,外国に隠したいことがあるのは分からんでもないのですが,しかしなあ.もごもご.終わったあとはホテルの広間みたいなところで夕食会があり,眉山市長や副市長や党書記(市長と党書記はどっちが偉いんだろう?)などもいらしていたので,酒を酌み交わし,辛い麻婆豆腐など食べ,眉山市の予算局の職員の女性たちと飲んだりしておりました.DRCの若者ともお話をしました.ふう.なぜか終わったあとに2次会があり,市長や副市長や局長やといっしょにカラオケにいきました.しかし眉山の女性は酒に非常に強くてびっくりです.なんかい乾杯してもけろっとしてるんですから.やられちゃいますね.
朝はちょっとゆっくりしてから,車で眉山へ移動しました.眉山市の役所の人が迎えに来てくれたのですが,パトカー先導だったのにはびっくりしました.乗った車自体はただのワゴン車だったのですが.成都から眉山までは蛾眉山に続く高速道路が通っていて,驚くほどまっすぐでした.成都は盆地の中にある町なので,眉山までそんなに山がないというのはたしかにそうなのですが,しかしあんなにまっすぐつくらなくても,と思いました.用地収容なんておそろしく簡単な(というかそんな概念がない)のだろうと推測されました.眉山に着いたらさっそく財政局の人とごはんを食べました.なんだかあんまり辛くはなくてほっとしたのですが,あやしげなフルーツジュースが出てきてちょっとどぎまぎしました.飲んだほうがいいのかなあとおもって飲んでみたのですが,そんなに甘いものでもなく,ジュースっぽくはなくてがっかりしました.さて,眉山は蘇東坡(蘇軾ともいう.東坡肉を思いついたひとらしい.)の出身地ということなので,彼の父蘇洵と弟蘇轍をともにまつった三蘇祠に行ってみました.眉山市としては蘇軾の出身地ということで売り出したいらしく,三蘇祠も補修工事の真っ最中のようでした.蘇軾についてはそんなによく知らなかったのでおもしろくておもしろくてしょうがない,というわけにはいかなかったのですが,とりあえずいろいろとみていると,蘇軾の手紙として展示されているもののほとんどが複製でした.本物は台湾の故宮にあるらしく,北京から運ばれていった貴重な文物のひとつだったことが分かるのですが,いやしかしそうはいってもなきゃしょうがないでしょう,というところです.とはいえ,達筆としてもしられた蘇軾の石碑は本物がずらずらとおいてあり,それはそれでおもしろかったです. 郵便局で記念切手を買ったのですが,やはり蘇軾の特集でした.中国人にとっては非常に知られた存在であるようです.日本でも漢文の授業で習ったような気がするのですが,なんせ宋の詩人なのでちょっと扱いが軽かったような気がします.違いましたっけ.「漢文唐詩宋詞元曲」っていうくらいですし(?).蘇軾といえば赤壁の賦らしいのですが部分的にも思い出せません.中国の皆さんスイマセン. 夜はあしたのコンファレンスの登録をして,眉山市の方々と四川料理を食べました.一部やっぱり辛くてびっくりしました.はあ.宿は銀鵬酒店というところだったのですが,中国基準の3つ星でしたので,まあそんなところかなあというところです.水が赤いくらいでさわいじゃいかんですよ.
朝早くから起き出して,中国東方航空で成都へ向かいました.成田→上海と上海→成都はおなじく3時間くらいなので,中国は近いなあというか,広いなあというか,という感じでした.いちおうお勉強のために本を持ち込んでいたのですが,エコノミーの機内食にしてはなかなかおいしい上海料理を食べたら,本を読みながら熟睡してしまいました.さて,成都空港は,上海浦東空港と同じような感じの設計で,思ったよりも都会でした.日本の地方都市の空港よりよほどおしゃれな感じです.市内へ移動してホテルに荷物を置いて,ホテルの人に聞いた店にお昼ご飯に行きました.どうもこの店が,現地の人が行く典型的よりはちょっといい感じのお店,というくらいなものだったので,同行した皆さんは軒並み怖気づいてしまい,出てくるものを片っ端から拭いたりお湯をかけたりアルコールを(!)かけたりしてきれいにしてから使っていました.出てくる料理もちょっとでも冷めていたら温めなおしてもらって食べました.しかし.清潔度はともかく(となりがビル工事現場だったのでちょと粉塵が飛んでいたのもともかく)料理自体は非常においしいものでした.四川省の料理は唐辛子と同時に山椒が聞いていて,でもそんなに辛すぎることもなく,ぱくぱく食べてしまいました.そのあと,とりあえず武侯祠に行ってみました.武侯祠は,三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮孔明を祭る社で,蜀漢皇帝劉備の墓もあるというところなので,三国志を(演義であっても)知っているとなかなかおもしろいところでした.劉備の像のとなりの関羽と張飛の像(それぞれに息子を従えている)とか,その隣の武臣廊・文臣廊とか,聞いたことのあるひとたちがこちらの順序に従ってならんでいたり,前出師表があったり,なかなか僕としてはおもしろかったのですが,どうも同行の人たちには受けが悪かったみたいです.しかし,三国志なんかを知ってて成都まで来る人といえば中国人か日本人だということか,日本語併記もあったので,そこだけは便利でした.欧米人が三国志を読んでるとは思えないしなあ.日本人だって横山光輝くらいしか読んでいないのかも知れませんが. あと,杜甫草堂でまたしみじみと漢詩を聞いたりしてご飯を食べて寝ました.なんですが,このご飯が火鍋を食べました.唐辛子を大量に入れた口から火ぃ吹く感じの鍋でした.日本でも食べられるらしいんですが,どうなんでしょうか.泣きそうになっちゃったんですけど.
朝ごはんがついていなかったので,会議業者のひとたちとホテルの外に朝ご飯を食べに行きました.ちょっと歩いたところの店が開いていたので(隣にローソンがありました),そこでピータンお粥などを食べました.しかしなんだって鳥の足の煮込んだのなんかを食べる気になったのでしょうかね.意外とおいしいものですが,細かい骨が多いのでなんとなく食べにくいです.上海浦東地区の見学ということで,まずはテレビ塔に登ってみました.「こちらの方角のさきのほうになんとかがあります」という掲示はこの手の塔ではありがちなものなのですが,「台湾省台北市」と書いてあったのは印象的でした.降りてきてテレビ塔の根元にある上海の歴史館に行ってみました.北京の博物館と違って,戦争のことがあんまり大きく取り上げられていなかった代わりに,租界時代のことがけっこうしみじみと展示してありました.現在の国際都市上海のルーツにつながるのかもしれないので,怒るべきなのかどうなのか決めかねているのかもしれません.全般的には非常におもしろかったです. 移動して外灘近辺をさらっと見て,そのうらにあわやスラム街みたいなところがあるのをみて,あやしい客引きがうろうろする(偽ブランド品が2000円で買えそうな感じの地区をチラッと見て)南京西路の近くてお昼ご飯を食べました.高級ブランド品店(ブルガリとかなんとかそういうやつ)の店が軒を連ねていたのですが,どこも見た感じがらがらでした.聞いてみると,値段は日本よりも高いくらいなので,上海の普通の人々はあんまり買いに来ないんだそうです.そのかわり,上海の大金持ちがときどきやってきてどーんと買い物をするんだそうです.そんなもんなんでしょうか.お昼ごはんは上海料理を食べたのですが,鳥の酒漬けなどあってちょっとくらくらしました. 午後はカルフールなど見学して,夕食を上海氏の財政局関係の方々といただきました.地方からの人口流入や財政状況,上海市内部の財政移転などについてお話を伺いました.非常に興味深かったですが,さすがに税収が多そうで,そのために中央政府とは相対的に独立しているようでした. 上海市のかたがたと分かれたあとは新しい観光地である新天地を覗いてビールなど飲んでみました.オープンテラスな感じで,若者が大勢うろうろしていて,活気に溢れていて楽しいところでした.金を持ってる若者や外資系のおじさんなんか来そうな感じでした.ぼけーっとビールを飲んでいると,ちょっとかわいめの中国人の女の子2人組が欧米人のおじさんを逆ナンしているようすでした.成功したらしく,3人で肩を組んでディスコに入っていきました.聞くところによると,そういうために英語を必死で勉強する女性というのもちょくちょくいるようです.外資系の会社の秘書になれるかもしれませんしね.日本にもそういう方々が六本木あたりにいらっしゃるのでしょうか.そ,その方面にあんまり詳しくないのでよく分からないのですが.世の中って,ふ,深いですね.
中国の機関との共同研究の中間報告会と現地視察のために中国出張に出かけることになりました.昼ごろの飛行機だったので,会社にいっても何にもできないと思ったので家でちょっとゆっくりしてから出かけることにしました.まず上海に飛びました.東シナ海は青い海がきれいだったのですが,上海に近づくにつれて茶色になっていたのはなんだったのでしょうか.さて,上海浦東空港についてちょっとお茶した後,リニアモーターカーで浦東地区に向かいました.リニアモーターカーはドイツの技術で作られたもので,片道40元(500円くらい)なので,遊びに行って乗るには非常におもしろいと思います.時速400km以上を体感できるのですが,あんまり速くて30kmを8分ほどで飛んでいってしまうのでなにがなんだか,と思っているうちに終わってしまいます.そこらへんのテーマパークよりはかなりおもしろいと思うのですが.さて,上海市内に投宿してとりあえずご飯を食べて今後の予定を確認して寝ました.ご飯は,上海に事務所を構えようとしている会議業者さんの案内で,南京西路で上海料理を食べました.なぜかちんたおビールなどでていましたが,あんまり辛くなくておいしかったです.ふー.しかし意外と物価が高いようでした.タクシー代は安いんですけども.上海は市内に環状高速道路が走っていて,タクシーが安いのでその移動が楽チンなようですね.
BBSっていうんですか,ごはん食べながら識者の話を聞くという,考えようによってはえらく失礼なイベントが職場にはあって,むかしは1時間ちょいで終わっていたのであんまり興味がわかないような話であっても耐えられたのですが,最近なんだかだらだらと長引く傾向があって,長けりゃいいってもんじゃないとおもうのですが(セミナーだから長くなっちゃうのも分かりますが),かなり時間を取られるので事と次第によってはけっこういらいらします.今日の話は話自体はおもしろくもつまらなくもなかったのですが,オーディエンスで超越的な訳分からん質問(というかいちゃもんにちかい)を長々とつけるじじぃがいて発狂しそうになりました.仕事がちょっと溜まっていたけど身分的にその程度の理由では抜けられない立場としては殺意を覚えたのですがまあそれはそれでいいです.なんなんだあれ.M大学で授業をした後に,学生さんと話をしていたら,依然そこの大学に在籍していらした先生たちの学生側の評価を知ることができました.まじめに教えると単位を上げられない学生さんってたくさんいるんだけど,そこでacademically honestになると学生さんから嫌われるってどうなんでしょうね.や,嫌われてるわけじゃないみたいですけども. ぜんぜん関係ないのですが,溜池山王駅で,吹石一恵を見かけた気がするんですが気のせいでしょうか.
疲れちゃったんですかね,という気がしたので,お休みをとって家のレイアウト変更に挑戦しました.しかしいかんせんモノが多すぎるのでなんともなりません.しかも,ちょっと本を読み始めたらそのまま寝ちゃったりするし.結局何時間寝たんでしょうか.ぐぅ.
学会のコメントを活かしつつ修正をしようと思っていたのですが,バイトくんが来てみたり,書類作らないといけなかったり,なんのかんのであんまり進みませんでした.あう.埼玉大学の授業もあったし.新橋から京浜東北線に乗って行くのですが,座れたので本を読んでいたらそのまま熟睡してしまい,座席の途中にあるつかまる棒にしたたかに頭をぶつけてしまい,非常にはずかしかったです.やっぱり疲れちゃったんですかね.
2004年06月15日(火) |
London week 2nd day |
昨日に引き続いて市村先生の講義を聞きに行きました.ノンパラ・セミパラとプログラム評価の話のつながりを理解したような気がしたのですが,思い返すとよくわかりません.計量経済学者っていろんなことを考えるのですなあとおもいます.夕方まであったのに会社に戻ってマクロの勉強会に出ました.貨幣的景気循環論についてもっとちゃんと勉強しとけばよかった,と思います.
2004年06月14日(月) |
London Week 1st day |
市村英彦先生が一橋大学で連続集中講義をなさる,ということなので,国立まででかけていきました.考えてみると,先週の月曜日にも国立に来ていたので,なんだか中央線づいていてなつかしいところです.一橋の院生のMさんやYくんにも1日ぶりにお会いできました.お話はprogram evaluationの話で,非常に興味深く聞きました.ふむ.そこから会社に帰ってちょこっと作業して,あ,バイトさんの歓迎飲み会に行きました.なんだかビミョ〜.
2004年06月13日(日) |
日本経済学会春季大会2日目 |
よくよく考えると今日は招待セッションで発表するというかなりの重責を負っていたので,明治学院大学へさっさとでかけて共著者や討論者の先生が登場するのを待っていました.じつのところ,共著者の先生にはいちどしか会ってないので顔をうろ覚えで,じつは近くをうろうろなさっていたのですが気がつきませんでした.というわけで,白金のキャンパスのまんなかでぼけーっとし,発表資料をチェックしたりしてすごしました.結局OHPは使わずにすみそうなので,PCから投影することになりました.さて,招待セッションの1本目は公共財の話だったのですが,じつのところ,公共経済学の理論的な基礎の授業を受けたことがないので,中立性といわれてもなんとなくぴんとこなかったのですが,みんな興味深そうに聞いていたので有名な話なのでしょう.あ,モデルはモデルとしておもしろかったです.Literatureがわかんなかっただけで.自分の発表には,笑いを取る余裕などぜんぜんなく,20分の割り当て時間をちょっと超過してしゃべってしまいました.やろうとしていること自体はそんなに難しくないのですが,わかってもらえたかどうかちょっと不安です.セミナーなどありましたら喜んで出かけていきます.討論者の先生は,招待セッションということでかなり気合を入れて準備なさったらしく,相当時間を使ってコメントしていただけました.座長の先生がややイラダチ気味でしたが,まあそんなことはどうでも…(よくないとおもうけど).リプライの時間がなかったのと,緊張して訳わかんなかったので,ちゃんとしたリプライができなくて,job seminarにしようかと思っていたほうとしては痛恨の限りなんですが,まあしょうがないです.しかし,リプライしながらしげしげと会場を見ていたら,かのR大学のK先生が来ていてびっくりしました.目立ちますな. 終わったあとは,討論者の先生たちと寿司を食べ,共著者の先生と神田でコーヒー飲んで帰ってきました.招待セッションにいらした方々からは非常に慰めのことばをいただいて(ここらへんから発表と討論の状況が察せられるというものです),本人としてはそんなに凹んでいるわけじゃないのでなんだか微妙な心境でした.というわけなんで,どなたか発表する機会をください.公共経済学分野のみならず,労働経済学の方々のコメントもいただきたいところです.
2004年06月12日(土) |
日本経済学会春季大会1日目 |
明治学院大学で日本経済学会があったのででかけていきました.白金高輪の駅でDS先生を見つけてあいさつをしたら,後ろに齊藤くんとMK先生がいたのでなんとなく4人で移動したのですが,何を話していいのかよくわかんなかったです.初手から緊張するとは予想外でした.最初のセッションで討論者だったので,ちょっと早めにうろうろしていたら,若くて美人な先輩に遭遇しました.朝から縁起がいいんではないだろうか,とおもいました.きれいな編集者さんにもばったりあって,当初の目的はほぼ達せられたも同然だったのですが,それはそれとして,最初のセッションで討論者デビューを果たしました.おもしろい論文なのですが,操作変数の選び方がヘンなんじゃないかなあとおもってそのことをしゃべったら,「注意深く選んでいます」といっていたのでやっぱり僕の勘違いかもしれません.いやしかし.変だと思うんだけどな.だれかその場にいた人で理解できた人がいたら教えてください.だって誤差項と相関しちゃうじゃないですか.そのあと,市村英彦先生の特別講演を聴きに行きました.目の前に久しぶりに会う大御所の先生がいらしたので,こそっと名刺を渡したりしつつ聞いていたのですが,なんだかゆっくり話が進んでいて時間が足りない様子でした.そのあとは,出家したのかと見紛うような変身を遂げた大学院の同期と清正公前の中華料理屋で久闊を叙し,戻ってうろうろしていくつかセッションを見ました.噂のM氏の発表を聞いてみたりしました.なんとなくもっと爽やかなセイネンだとおもっていたのですが…(極秘).かのTくんと同窓というあたりで気がつくべきだったのかもしれません(さらに極秘).あと,H大学へ移られたE先生を遠めに見たりしつつ,公共経済学飲み会とかいうのに出かけて,編集者さんの話を聞いて「こりゃ勉強せんとあかんなあ」と思って帰ってきました.ふ〜.
OHPシートをつくろうかどうか迷った挙句,職場にあることが発覚したので分けてもらってコピー機でがっちゃんがっちゃんと印刷しました.その前に自腹で買ったやつに縦横間違えて印刷してしまったなんて恥ずかしくていえません.夕方からは授業だったのですが,中立命題の話をしました.消費の異時点間代替の話をしなきゃいけないので分かってもらえたかどうかかなり不安です.くう.学会の討論者の先生と共著者の先生の間でメールが飛び交っているのですが,やや頭が混乱してきてよく分からなくなってしまいました.は〜.
学会発表の資料を作ったりしてました.
カナダのクイーンズ大学に留学している知り合いが、職場の上司なる人物を尋ねにきのう挨拶にきました。学部出てすぐくらいのときはえらいうるさいひとだったのですが、なんだか落ち着いておりました。上司の前だったからかもしれません。しかし博士課程まで入ってからまたコアマクロとかコアマイクロとかをちゃんとうけるのってえらいなあと思います。大学からのろのろと武蔵野線にのって帰っていたら、とつぜん蒼いあせくさーい集団がわらっと乗り込んできました。なにがなんだか一瞬よく分からなかったのですが、ちょっと考えてみると、さいたまスタジアムでサッカーの試合があったのでした。ワールドカップ1次予選でしたっけ。なんでも大勝したそうで。よかったですね。
2004年06月08日(火) |
信頼できる仮説は成立たない |
マクロの勉強会を欠席したのですが、そういえば、「効率市場仮説は信頼されると成立たない」という話を最近どこかで読みました。効率市場仮説が成立っていると、裁定の余地がないので、裁定行動を取るインセンティブがなくなってしまい、裁定行動がなくなるので市場は効率的にならない、という話なんだそうです。逆に、効率市場仮説が成立っていないと、裁定の余地があるので市場は効率的になっちゃう、と。なかなかパラドキシカルでおもしろいなあと思いますが、どうなんでしょうか。ぜんぜん話は変わるのですが、just-identifiedのIV(2SLS)の場合は、係数推定値の期待値が存在しない、という話があるんだそうです。IV推定による係数推定値のモーメントの存在条件、というやつで、Kinal, Terrence. 1980. The existence of moments of k-class estimators. Econometrica 48(1), 241-250. という短い論文に載っています。もちろん、F. HayashiのEconometricsの542ページや、Wooldridgeの101ページにも載ってるんですが(今日調べた)。係数推定値にモーメントが存在しないと検定とかできないんですけど、なにがどうなってんだかさっぱりわかりません。事情のわかる方はぜひ教えてください〜。(だから漸近分布で議論するのだ、という話だとは思うんですけどね、モーメントがないって分かってるのを近似するってのも。) ちなみに、Kinal論文の証明はなにがなんだかさっぱりわかりません。モーメントの存在証明って、竹村先生の数理統計学でちょろっとやった気はするんですが。読む気がなくなっちゃいますね。
久しぶりに国立くんだりまで出かけて、一橋大学で共著者の先生が論文を発表するのを聞いてきました。学生さんの反応はどうもあんまりよろしくない、というか、ぴんときてなかったみたいで残念です。終わった後、国立駅前で食事をして、声の大きな先生と話をして帰ってきました。ふー。
続けてダイニングボードなんぞ買いに行ってみたのですが、そちらは適当なものがなかった関係上、バランスチェアを買いました。普通の椅子に座っているとおしりが前へずりずりと出てきて姿勢が悪くなってしまうので、かなり前から気にはなっていたのですが、本場(?)のものを買うと数万円するため迷っていたところでした。しかーし、中国製の安もん(?)だと5千円くらいで買えてしまうので、さっそく購入して組み立ててみました。そんなに姿勢がよくなるものでもなさそうですが、悪くはならなさそうです。しかしちゃんと使わないとただの背もたれのない椅子になってしまうのが難点。か?
お台場に家具を見に行きました。広くてびっくり。お値段も高くてびっくり。上を見るときりがないのであるなあと思いつつ、しかしその差がどこにあるのかよくわからず、費用は逓増するわりに効用は逓減するのかしらん、とヘンなところにうなづいたりしておりました。しかし職人さんの言うことはどんな分野でもおもしろいものです。
非常勤をやってる授業でときどき学生さんに質問を書いてもらっているのですが、国債・公債の話をしてから書いてもらうと、判で押したように「このままで大丈夫なのでしょうか」と書く人が多くておもしろいです。「質問項目によっては加点するよ」といっているので、興味があることをアピールしつつ思いつく質問ということでちょうどいいのであろうなあと思います。ま、でも、ぼくが学生だったころはそんな質問すら浮かばなかっただろうなあと思うと今回の受講生さんたちはえらいなあと感心することしきりです。
学会の討論者と座長の先生に論文を送った後で誤植に気がつきました。文章は直ってるんですが、図表が直ってなかったなんて。あまりのソコツさに我ながらがっかりすることこのうえありません。
授業が終わって帰る途中で、去年の受講生のかたとお話をする機会があったのですが、「責めてるわけじゃないんですけど、最後の授業をお休みになりましたよね?」といわれてしまいました。たしかに昨年度の最後の授業は風邪で寝込んで休講にしたのですが、大学の教務に電話をかけて休講通知をだしてもらったはずなんだけどなあ、と不審に思わずにはいられませんでした。
はっはー.論文がもうちょっとで形になりそうだったんですが,定義の勘違いによる計算ミスなど発見.共著者の先生がいてよかったなあとおもいます.
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