最尤推定でHausmanの方法をひぃひぃいいながら推定していたのですが,やっぱりうまくいかず,うまくいかないまま発表しました.「まあがんばってください」と指導教官はおっしゃっていましたが,まあ結果も出てないのでそれ以上いいようがないわな.そのあと,何の因果か英国大使館のひととランチを食べました.何とかタワーの上のほうにある非常に展望のいい和食のお店で,よくわからん英語で会話しました.使わないとだめですな英語は.もともとたいしたことないのに.しかしそれよりびっくりしたのは,けっこうな値段のするランチにもかかわらず,OLを思しき女性たち(と連れてこられたのではないかと推測される連れの男)でいっぱいだったことです.やっぱり都心に勤めるOLたちはけっこうな給料をもらっているのでしょうか,と自分の給料にかんがみて思いました.それともやっぱりワタシは薄給の…なのね.きっと.そのあと,指導教官のお引越しで本郷に黒塗りの車で移動し,後輩たちとだべり,会社に戻ってぼけぼけとし,研究会の打ち上げで中華料理を食べて帰りました.とりあえずやっぱりえらくならんとあかんなあ,と思いました.なれなさそうだけど.
タイトルのわりに山地には行ってないのですが.朝のろのろと起き出した後,ケヤキ公園をうろうろして,友人が非常に行きたがっていた「十八番」というラーメン屋に行きました.なんだかガンコ親父系の店らしいので,なんでそこまでしてラーメン食うねん,とおもいながら一緒に行きました.友人どもは非常に興奮して鼻息が荒く,塩・しょうゆ・味噌を「小で三つずつ」食べておりました.レモンのかけらやアーモンドの砕いたのなんかがはいっていておいしいのはおいしいのですが,やっぱりラーメンごとき(?)に行列するというのはよくわかりまへん.味覚が馬鹿なんでしょうかワタシ. さてそのあと.国道101号を能代から北上して,「白瀑」の酒蔵に行ってきました.若い常務さんがいろいろ案内してくれたのですが,「差別化を図るために,水は全部(洗い物からなにからなにまで)湧き水を利用し,手間暇をかけている」という説明を受けました.以前は大きな酒蔵だったようですが,炭鉱の関係でいまは小さくなってしまったそうで,使ってないタンクや精米機がどどーんとおいてありました.なんとかなればよいのですが.いやしかし,社長さんが酒粕を詰めていたりして,しみじみといいところでした.ああいうのを見ると買いたくなってしまうのはやっぱり人情派なんでしょうか.ちがうか.しかし買うなら「白神のめぐみ」か「白神の鼓動」に限りますねえ. そのあと,ポンポコ山公園とかいう怪しげなところで,「梨ソフトクリーム」を食べました.あやしげなわりに梨の味がちゃんとして,そこそこおいしいものでした.びっくり.天洋酒店に戻ってちょいちょいと日本酒を買い,おもむろに地下貯蔵研究所に向かいました.廃線になったトンネルを貯蔵庫にしているおもしろいところなのですが,確かにひんやりとしていました.なかなかのことを考える人がいるなあとおもいました.これを作った人も,案内してくれた酒店のご主人も白神や能代が好きなのであるなあとしみじみおもいました.ふむ. さて,そこから飛行機に乗って帰ることになるのですが,ちょっと時間があったので,北欧の杜公園に寄ってきました.どこらへんが「北欧」なのか半信半疑でしたが,木の植わり方と池の雰囲気はたしかに北欧っぽかったです.それよりなにより,間抜けに広くてびっくりしました.ショートインカレくらいだったら開けるんじゃないでしょうか.行くの大変だけど. というような話をして,東京に戻ると物価が高そう,ということで大館能代空港で馬そばを食べて帰りました.そばのうえに馬の煮物が乗っているものでしたが,あんまりあぶらっぽいこともなく,おいしかったです.同行の友人は比内鶏の親子丼を「こりゃ尋常じゃなくうまい」といいながらぱくぱく食べておりました.おそるべし.
昨日,露天風呂にはいることができなかったので,早起きして入ってきました.夕陽が見えたということはとりもなおさず朝陽は見えないのですが,しかし朝の日本海を見ながら入るアヤシイ色の露天風呂というのもなかなか風情があっていいものです.なんてったって誰もいないし.朝ごはんはバイキング形式だったので,バイトの高校生と思しき女の子が素朴にかわいいなあとおもいつつぱくぱくとたべ,出かけました.今日の目的は,二つ森に登ることと,酒を飲むことです.不老不死温泉から国道101号線をひたすら南下し,八森町から真瀬川沿いに青秋林道を登って二つ森登山口を目指しました.今日の道はうってかわってちゃんと舗装してあり,うねうねうねうねとかなり高いところまで登ることができました.ただ,雪の影響か,ガードレールが随所になく,運転するほうとしてはめちゃんこ緊張したんだそうです.しかし,乗っているほうとしては,高度がどんどんあがるにつれて白神山地の緩衝地帯が眼下に広がり,遠くに日本海が見える絶景をボーっと見ていればよいので,こんなに素敵なドライブはありませんでした.二つ森登山口からは,世界遺産白神山地の緩衝地帯を通って山頂を目指します(カウンタがあります).行程40分というお気軽登山でありながら,美しいブナ林をそこそこ堪能でき,晴れていたので世界遺産の核心地域や岩木山を遠くに眺めながら山道をたのしむことができました.あまりにお手軽なので,ご高齢の方が参加するツアーにも組み込まれているくらいで,おかげでちょっと登りにくかったですが.二つ森山頂は世界遺産の核心地域の端っこにあたるので,そこから白神の山々を展望することができます.360度非常に美しいです(写真.重いので注意).日本海や男鹿半島,岩木山,白神の山々を回りに見ていると,雄大でのんびりした気分になります.素敵です. で.お手軽に下山して,国道101号線をちょこっと北上し,青森県境を越えたすぐのドライブイン「福寿草」でイカ刺し丼を食べました.同行の友人の強い勧めだったのですが,これがまた.とろとろのイカに卵の黄身を乗せてご飯にのっけただけなのですが,なんともはや美味でした.むー.ぱくぱくと食べてしまいました. 今日は舗装道ばかりなので順調に進み,このまま能代市内に入って風の松原でぼけーっとしながらお菓子屋のセキトで買った銘菓「だまこ餅」をしみじみと食べました.ぼくはちょっと風邪を引いたのでホテルで寝ていたのですが,友人どもは市場などにいっていたようです.彼らが戻ってくると,天洋酒店によって試飲をいくつかし,そのままそこのお酒を持って,店の御主人に案内されて飲み屋に行きました.もうなべの季節だったのか,だまこ鍋が用意してありましたが,これとともにお通しででてきた馬の煮物が気になったので,馬刺しと馬ステーキをたべました.やわらかくて非常においしうございました.酒屋のご主人が持ってきてくれていた日本酒(白神のめぐみ,雪の茅舎・三石小仕込,田身の酒(後日飲んだ))もおいしかったです.ほくほくして寝ました.
白神山地を見て能代で日本酒を飲む旅に出かけました.ちょっと時間が足りないのと,セットにすると安いということで,全日空で羽田空港から大館能代空港に朝の便で飛びました.大館能代空港は,見た感じ,羽田行きが朝晩2便,伊丹行きが昼ごろ1便にしか使われていないようでした.その間の職員さんはとてもひまなのではないかと心配になります.まあしかし,空港の建物自体が6時半に閉まる(最終の飛行機が離陸してしまう)のだから,いい職場なのかもしれません.さて,ということでえらく朝早起きしてでかけたので1時間弱の飛行でもぐっすり寝てしまいました.大館能代空港でレンタカーを借りて,まずは藤里町の白神山地世界遺産センターにでかけました.実はあんまり白神山地の位置などを把握していなかったので,そこから巡るところを確認しました.ここらへんまではきわめて順調でした.センターから岳岱へ向かうために,県道317号線を使ったところからが大変でした.県道317号線は,未舗装の部分が随所にあると分かっていた(青森側から・釣瓶トンネルから秋田側)のですが,なんというか,思ったよりも未舗装砂利道地帯が多くてびっくりしました.がたがたがたがた車が揺れてしんどいので,とりあえず一通滝のところで車を止めて,山に入ってみることにしました.風がさわやかで,涼しくて,山に入るのは久しぶりだったのですが,こりゃええなあ,としみじみと歩きました.滝には近づけなかったし,そんなに大きなところではなかったのですが,人は誰もいなくて,落ち着いてうろうろできました. 車に戻ってふたたび未舗装の道をがたごとがたごと走り,岳岱自然観察教育林に向かいました.かなりがたごとがたごととした道だったので,よほど誰もいるまいとおもいましたが,あにはからんや,小さいバスまできていました.岳岱のブナ林は,道など整備の手がはいっているものの,自然の林が広がっていて,眼に優しい緑の広がる気持ちのいい林でした.保護のために立ち入り禁止区域が多いのですが,それもまた仕方のないところでしょう.ここには日本百巨木だかなんだかのぶなもありました.しかし紅葉もきっときれいなことでしょう. バスが細い未舗装道を通ってきたことにびっくりしつつ,釣瓶トンネルを越えて白神ラインから暗門の滝に向かうことにしました.当初は田苗代湿原へ行こうということになっていたのですが,あまりの道の悪さに断念しました.さて,釣瓶トンネルまでの道もあいかわらず未舗装だったのですが,県境を越えたあたりから舗装道に変わりました.おおこりゃすごいや,と思っていたのですが,なんのことはなくてしばらくたつとまた未舗装道にかわってしまいました.なんなんでしょあれは.あそこらへんだけ舗装するのもたいへんだとおもうのですが.さて,無事に青森側に抜け,暗門の滝遊歩道の入り口に向かいました.ここから白神ラインをつたって日本海側の岩崎村に抜けようと思ったからです.西目屋村のビジターセンターでそばアイスなんぞ食べ,県道317号線の悪路ふりを振り返りつつ,ゆっくりしてさあでかけようとおもったところ,看板には「岩崎村まで未舗装道40キロ以上」とありました.卒倒するかと思いました. レンタカーはそんなに小さなものではなかったのですが,かといってオフロードでもないので,がたがたとヘアピンの続く道をしみじみと走りました.たしかに周りの山並みは雄大で,ブナ林の緑も鮮やかで景色は最高に素晴らしいのですが,なぜか大型車の対向車がしばしばとやってくるので,ほこりがもうもうと立ち,結構大変でした.フラットなダート道は岩崎村に入ってからも続き,けっきょくかなり日本海に近づくまで続きました.しかしわれわれは急がなくてはなりませんでした. 黄金崎不老不死温泉の日本海に面した露天風呂に入りながら夕日の沈むのを見る,という具体的かつ崇高な目的があったからです.ドライバーをせかし,ドライバーもあせり,運転してチェックインもそこそこにあたふたとタオルを抱え,よしよし間に合うかもね,といいつつ露天風呂に行ってみると,芋の子を洗うがごとき混み具合でした.JR東日本の写真などではかなり広そうに見えるのですが,意外とそうでもないです.なので,温泉に入るのはあきらめ,しみじみと日本海に沈む夕日を眺めました.ちょっと寒かったけど,水平線に沈む夕日はしみじみとよいものでした.で,屋内の温泉に入って,ちょっと期待はずれな夕ご飯を食べ,ビールを飲んで寝ました.朝早かった上に,昼間興奮していたためでしょう.就寝時刻午後9時でした.
なんでそんなに覇気がないんですか.髪をつんつんに立ててしゃきっと歩いてみてください,と職場のねえちゃんに言われてしまいました.「髪をつんつんに立てて」というあたりがよくわからんのですが,そりゃ,机に向かっているときに元気は使い果たしてますがな.
高校の同級生の結婚式がインターコンチネンタル東京ベイであるというのでのこのこ出かけていきました.広島からも親友が来ていて,それも楽しみだったところです.結婚する同級生というのは昔から流行りに弱いというか現代的というかな人物だったので,会場選定あたりから「むむむ」なところでした.新郎新婦入場は普通で,主賓の挨拶が新郎側・新婦側各1名・乾杯の音頭,といたって普通にものごとは流れていたのですが,乾杯,となったときに,部屋の周りのカーテンがずずずっと開き,一気にレインボーブリッジが真正面で東京湾がどどーんと,太陽も燦燦と眼に飛び込んできたのにはびっくりしました.立地条件としてはこの光景を使わないわけはないのにカーテンが閉まっているなあとおもったらそういうことでした.で,この瞬間から新郎新婦はシャンパングラスを持ったまま停止し,撮影の対象となっておりました.いやそこまでせんでも.そのあとは,ケーキは切るは,キャンドルは点けて回るは,というなんつーかある意味正統的な結婚披露宴でございましたよ.で,新婚旅行はフランスとギリシャなんだろうですよ.隣の友人とかなり笑っていたのですが,新郎が「こういうのがいいのだ」とおもっている信念に近いものには負けましたね.やっぱり宗教は偉大ですな.ついていけないし,自分でやろうとは金輪際思いませんが.しかし,この同級生のご母堂様に「あーら分かりませんでしたわ太りましたか?」といわれたのには軽くショックを受けました.まあいいんですが.で,そのあと2次会でこれまた軽いノリのパーティがあって,3次会で高校の同級生たちどうでもいいような話をして帰ってきました.こんなんじゃいくらお金があっても足りませんて.
職場の同僚+大学院の授業の知り合い+本の一部を書いたときの編集者,というこれまた微妙に互いに縁があったりなかったりな4人組でビールを飲みに行きました.新橋にあるお店なのですが,昨日いっしょに洋食屋にいった友人が教えてくれたところであります.昨日とはうって変わって,騒々しい店でした.店の伯父さんと伯母さんがいて,常連さんが「がはははは」とビールを飲み,メンチカツ(うまいんだこれが)をばくばくと食べているようなところでした.初対面の編集者さんにはどうなのであろうかと危惧していたのですが,ビールがなんといってもおいしく注がれていて,食事がほくほくとおいしくて,職場の友人が大笑いな話をしてくれたおかげで,おもしろかったです.コロッケもおいしかったし,ほかのものをもっと食べに行かなくてはなりませんね.安いし.
医療経済学研究会→S先生と打ち合わせ→銀座で洋食.某中央銀行でバイトをしていたときの知り合いが留学からいつの間にか(会社を辞めずに!)帰ってきていたのと,ここのサイトを見てメールをくれた奇特な方が同じところで現在バイトをしているという偶然を祝して食事会をすることになったのでした.4人がまったく共通の何かをもっているわけではないのですが,しかしそれなりに縁があるということで,食事がおいしかったこともあってなかなかおもしろい会になりました.しかし,店の入り口が妙に狭かったのでどうなることかとおもいましたが,そこはなんとか.しかしわかりにくいっすよ.おいしかったけど.でもやっぱりちょと高め.土地柄かしらん.
北千住のバードコートへ焼き鳥を食べに行きました.お任せセットみたいなものを食べたのですが,やわらかくて非常においしかったです.おいてある日本酒もなかなかものでやんした.これは北千住ながら予約でいっぱいになるだけのことはあります.最後にたべた親子丼がまた,とろとろほくほくとおいしかったです.ちょっと高かったけど.
だいたいがマクロデータは政府機関によって作られるもので,SNAの基準改定からもわかるように,ときどき大きな変更が加わったり,そうでなくとも速報が確報になり,確確報になる,といったような修正が加えられていくものです.このような修正がマクロ経済学の実証分析にどれほど影響しているのか,という論文がありました(Croushore, Dean and Tom Stark. 2002. Is macroeconomic research robust to alternative data sets? Philadelphia Fed Working Paper 02-3, forthcoming in Review of Economics and Statistics).Kydland and Prescottの結果には影響を与えないが,量的に影響を与えるケースもあるよん,という結論でした.ま,たしかに,マクロのデータはそもそも観測誤差が大きいですし.難しいところなんでしょうなあ.えーとところで相変わらず弾力性など測ってみているのですが,労働供給の賃金弾力性は-1だ,という論文もあるのですなあ(Camerer, Colin, Linda Babcock, George Lowenstein and Richard Thaler. 1997. Labor supply of New York City cabdrivers: One day at a Time. Quarterly Journal of Economics 112(2), 407-441).お話はそんなに難しくないみたいで,賃金率と労働時間の積である収入を一定に保とうとすれば,給料が上がれば時間は減りますよね,ということのようです.夏休みのバイトで目標金額を定めて働くようなものです.なるほどねー. しかしおそるべし,Boyan Jovanovic.
2003年09月08日(月) |
積立金シミュレーション |
週末の新聞を見ていたら,坂口力厚生労働大臣が年金改革についての試案を作ったというのがありました(ネット上にあるといいのに).年金積立金をとりくずしてどうのこうの,ということだったので,最近共著で使ったモデルで年金積立金を取り崩すシミュレーションをしてみました.もちろん,将来になればなるほど,積み立てないほうが年金保険料は上がる(積立金の利子収入がなくなるので)のですが,生涯効用で比べてみると,積み立てたほうが効用が上がるようです.マクロで見て動学的非効率だったのかもしれません.技術進歩率の仮定でここら辺で効いてくるんでしょうか.やる気がわいたら整理してみようかなあ.
たぶん自分のほうが悪いんだろうけどどこが悪いのかよく分からないとき、または、どこが悪いのかは分かっていてもそれを変えようとできないのが分かっているとき、非常な悲しみと疲れが体を襲う。目が泳いで空ろな顔になっているんだろうとおもう。無性に叫びたいような黙りこくっていたいような、暴れたいようなじっとしていたいような気分になり、発狂する直前ってきっとこうなんだろうと感じる。地下鉄へ下りていく階段の途中で、このままここに座り込んでしまったとしても、きっと誰にも迷惑じゃないだろうし、誰も心配もしないだろうし、と考えながらふらふらし、降りていったプラットホームからも下りたくなる。ありとあらゆる種類の負の感情に体が押し流される。「もうどうでもいいじゃん。もっと大切なことはないの?」「だからなんだっていうんだ」「なんでこんなところでこんなことをしてるんだろう。なんでこうなっちゃったんだろう?」でもお弁当を買って家に帰り着いていたところを見ると、破滅型ではないようです。疲れていたのかもしれませんが。
水曜日の続き.もと阪大社研の先生の薫陶を受けてしまったせいか,とりあえず他人と違ったことを言ってみないと,という気になったりならなかったりなんですが.えーと,実行するのは意外と簡単です.勉強会やミーティングで,まず手を挙げましょう.日本では真っ先に手を挙げる人というのはあんまりいないので,発言の機会を得ることは簡単です.発言の機会を得たら,「えぇとそれはちょっと違うと思うんですけど…」と言ってみましょう.ここまで言ってしまえば,引っ込みがつかなくなってしまうので,ありとあらゆる知識・記憶が総動員されて,意外とそれっぽいことが言えてしまうものです.「それは違う」という表現がキツイなあと思う向きには,「私が理解していないせいかもしれませんが…」などという表現もあります.ぜひご活用ください.「中身のない樽ほどうるさい」などと言われるかもしれませんが,そんなことを気にしてはいけません.「雄弁は銀」というではありませんか.なお,いまは競争社会が好まれる御時世なので,所得再分配賛成・累進課税万歳といった感じの文献を読んでおくとよいでしょう.心配要りません,数年後にはケインズが復活します.と,総研時代の尊敬する上司がおっしゃっていたので間違いありません.ええとまあそんなことはどうでもいいのですが,水曜日には,地方財政制度について「地方交付税廃止・ナショナルミニマム確保」という話が盛り上がっておりました.公的年金制度と結びつければ要するに,「都市部の若者から地方の老人へ」という所得再分配が多く行われており,政治制度がそれを補強している,という話です.ECONOCLASMの筆者くんはこれについて政治学専攻の院生が書いた文章に共感しているようですが,ちょっと違うんでねえの,ということをつれづれなるままに. まず,若い方が激動の時代に対応しやすいということですが,老人のほうが経験があるので対応はしやすいかもしれません.激動だからこそ「基本に戻って温故知新」は有力な対処方法でしょう.年功賃金にしても,かつてはインセンティブ付けのために有益だといって持ち上げられていたのではなかったですか?あのころのほうが今よりも激動でない,と誰が言えるでしょうか?だいたい,それが有効でないような企業は市場で淘汰されるはずでは? 結果としての高齢者層への所得再分配や,都市部から地方への所得再分配ですが,保険としての所得税,という古典的な議論を思い起こせば,これは非常にまっとうな政策だということができます.経済成長の存在を認めるならば,若い世代のほうが老いた世代よりも成長の果実を得られることは自明です.生まれる時点は選ぶことができませんから,世代を基本とした所得再分配を原因とするモラルハザードもありえません.たまたま早く生まれたからという理由で経済成長の果実を得られないのは不公平でしょうし,それを是正する手段があるのなら,使わないほうが変です.かの稲田献一先生が『季刊社会保障研究』でこのような話を年金についてしておられました.都市部から地方への所得再分配ですが,ティブーの議論にもあるように,引越しが可能である以上,所得再分配がいやなら,地方に引っ越せばいいだけの話です.引っ越さないということは都市部にいるほうが,再分配後でも効用が高いということでしょう.引越しにコストがかかる場合,地方部にいるほうが効用が低いにもかかわらず,引っ越さないという人が出てくる可能性があります.効用の比較ができるとするならば,再分配後でも(現状でも)地方のほうが効用が低いというのは十分考えられます.さて,たまたま地方部に生まれ育ったために愛着があり,引越しにそのコスト(望郷の念)があるばあい,生まれた土地は変更しようがないのですから,やはりモラルハザードの可能性を考えずに所得再分配を行うことができるでしょう.さらに,里村の社会的効用などを考慮すれば,都市部からの所得移転が過度に過ぎるなどとどうやって判定できるでしょうか? また,都市部の人間が地方に行って遊ぶ可能性や,老人から若者(孫など)への家庭内での所得再分配(お年玉など)を考えれば,実質的な所得再分配がどれほどになっているかだってそんなに定かではないでしょう. 若者が選挙に行かないので意思が反映されないということですが,行かないということは白紙委任をしているのですから,それこそが若者の意思なのです.ほんとうにまずい状態になったら若者だって選挙に行くでしょう.だいたい,自分の1票が政治をかえるだなんて,本気で思っている人間が何人いるというのでしょう?若手政治家が若者を代表していないのは,定義上,明らかです.比例選挙区はどうかしれいませんが,彼らは地域で区切られた選挙区の代表に過ぎません.若者を代表する議員を送り込む方法は非常に簡単です.ぼくの師匠が昔から提案しているように,世代別選挙区にすればよいのです.そうすれば,たとえば20歳代選挙区の立候補者が,老人たちのかわいい孫を演じる必要はありません.その選挙区では老人に選挙権はないのですから. 老人は若者にはなれませんが,若者はいつか老人になります(なれずに死んでしまう場合もあります).このような制約条件の下でできあがった「年上を敬う」システムは,インセンティブシステムとして有効でしょう(体育会のシゴキの伝統みたいですが).孔子以来の(?)このような美しい伝統的な価値規範が失われていくことは悲しむべきことです.これもまた,「敬えない年上」が増えたせいかもしれません. いやしかし,たまにまじめなことを書くと疲れますなあ.『ブラウン神父』シリーズでも読むことにしましょう.
昨日だったか一昨日だったか,職場にいつもどおり9時10分ごろ着いてみたら,部屋の鍵が開いていませんでした.ここの職場は9時半出社の人たちが多いので,ありえないことではないのですが,いやしかしありえないでしょう,と思いながら守衛さんから鍵をもらってきました.PCを立ち上げてメールの処理などしていたのですが,9時20分を過ぎても誰も来ません.「ひょっとして,今日は朝からどこかでコンファレンスかなんかがあって,そっちに行かなければならなかったのだろうか?」とおどおどしながら待っていたら,しばらくして庶務の方がいらっしゃいました.あーよかった.しかし呑気な職場であることよ(詠嘆).きょうもあんまり人がいなかったし.ワタシの職場がどこかご存じの方も多いかもしれませんが,これをもって批判などなさらないように. RatsやExcelをいじってデータ加工やらなんやらで時間が過ぎていってしまうので,ここは,とおもって気になっていた論文を読むことにしました.Blundell, Richard and Ian Walker. 1986. A life-cycle consistent empirical model of family labour supply using cross-section data. Review of Economic Studies 53(4), 539-558. です.クロスセクションデータを使って,ライフサイクル仮説に整合的な労働供給モデルを推定するには,不確実性が存在しないもとでは,各期間の(intertemporalな)資源配分を決めたのちに,各期内の(intratemporalな)資源配分を決めるという想定をおいてあげれば,消費データがあれば推定することができないことはありません.しかし,あんまり安直にやると,非明示的にいろいろな仮定を置くことになるので,あーだこーだといじる必要があるのですよ,という論文です(たぶん).しかしなにがおどろいたかって,1986年時点でマイクロデータを使ってFORTRANで推定をやってるってことですかね.夜まで読んでいたのによくわからなかった自分の能力の低さにも驚きましたが.はあ. あ,英語の要約を作るんだった〜.しまった〜.
夕方から研究会があったので、午前中はデータをいじってみたりしていたのですが、研究会での発表予定者の一人が忙しいとかで来れなくなってしまったらしく、主催している先生から「代わりを求む」というメールが来ていました。で、関係ありそうな雑誌の目次をじろじろ見ていたら、Askildsen, Jan Erik, Badi H. Baltagi and Tor Helge Holmas. 2003. Wage policy in the health care sector: a panel data analyis of nurses' labour supply. Health Economics 12, 705-719. というのを見つけたので読むことにしました。慌てて読んでみたのですが、労働供給というタイトルにひっかかったのがウカツでした。Baltagiが入っていたことを見落としておりました。パネルのサンプルセレクションという高度な手法を使っていて、なにがなんだかよくわかりませんでした。道理で先生が「これやりますかすごいですね」と言ってたわけです。なんですが、研究会のほうは一人目の発表で薬価差益のはなしや鬱病のはなしで盛り上がって時間を使ってしまい、けっきょく僕の順まで回ってきませんでした。はあ。まあいいけど。そのあとはお約束の飲み会でした。某C大の院生は、研究会のあいだは寝てたくせに、飲み会では元気でした。あれは躁鬱の一種なんでしょうか? ところで、コンパクトな英語キーボードを使っているですが、これでは円マークは打てないんでしょうか?バックスラッシュでもいいのですが。
Ratsへのデータ変換をしていたら午前中がつぶれてしまい,昼食時のミーティングというか勉強会というかは長引いてしまい,終わったら内閣府で研究会,でもう夕方でした.帰ろうと思ったらひどい雷雨で(山手線や京浜東北線がとまっていたらしいですな),しばらく会社で上司に相談したり本をネットで注文していたら疲れてしまいました.なんだかなあ,という一日でした.むう.そういえば,先週の昼食のときの勉強会でわけわからん質問をしていたおじさんはかなり地位の高い人だったことが判明.きょうも来ていたのですが,ま,やっぱりそれなりに頭のきれるひとのようでした.むむー.しかし,やっぱり学者は視野が狭いといわれてもしょうがないんだろうなあ,と,今日の勉強会のときの自分の心の動きを振り返って思いました.しかし,と,自己弁護しておけば,細かい実証の積み重ねなしには,やっぱり実効ある政策の議論なんてできないと思うんですがね.どうなんでしょうかね.
日曜日にテレビを見ながらぼけぼけと脚をさわっていて気がついたので,綾瀬まで歩くことにしました.いま僕の住んでいるあたりに住んでいた,総研時代の先輩はやはり北綾瀬ではなくて綾瀬を使っていたらしいので,できないことはないだろうと思いまして.で,朝,のろのろと歩いていったのですが,あまり暑くない日だったにもかかわらず,電車に乗ってからもカラダが暑くて参っちゃいました.まあけっこうなことなんですが.駅でもうちょと冷やしてから乗ったほうがいいんでしょうか?
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