たまに××したり。
INDEXこれまで。それから。


2005年10月25日(火) 本末転倒。

ここ最近、今まで生きてきた中で一番活字を読んでいる気がする。
もともと本を読むのは好きだったけど、集中力がないのか、本を読むことを継続することができなかった。
まあ、今だって、ちょっとややこしい内容の本を読むと行きつ戻りつしては、結局またしばらくして前のページにもどる、などという読み方をしているのだけれど。

ゆっくりと本屋へ行き、自分の目で確かめてから読む、って言う時間はなかなか取れないものだから、ネットで人のレビューなんかを見て、気になった本を片っ端からメモしておき、図書館の蔵書検索で調べ、2週間に一度図書館へ行き、これまた片っ端から実際手にとって見て読みたいと思うものを借りてくる。
しかも今月から横浜市ではネットで本の貸し出し予約もできるようになり、便利なことこの上ない。

最初は純粋に読書を楽しんでいたのだが、ここ最近の傾向として、2週間でいかに読めるか、と言うタイムトライアル的な要素を楽しんでいる自分がいる。
現に今だって、京極夏彦の『魍魎の匣』と村上春樹訳の『心臓を貫かれて』カポーティー『冷血』と、とんでもなく分厚い本ばかりを借りてきてしまっている。
実際に読書にあてられる時間と言うのは、仕事の休憩時間と夜寝る前の数時間、と言う実に短い時間しかないので、本当に集中して読まないと2週間の期限内には読み終えることは不可能なのだ。

とりあえず、『魍魎の匣』は半分ほど読めました。

ああ、時間がほしい。



ちなみに今日は息子の誕生日です。
蟻んこみたいにちびっ子で甘えん坊の彼が、8歳になりました。
よきかな、よきかな。

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2005年10月19日(水) 最近の若いもん。

売り場にいた幼いきょうだいの、お兄ちゃんが弟を泣かせた。

「どうしたの?」

子供達の母親が尋ねたが、お兄ちゃんは答えない。
じっくり見てたわけではないので、察するに、泣かせるつもりはないけど、ちょっとちょっかいを出したら弟がアピールプレイのために大声で泣き出した、ってところが本当のところではないだろうか。

「どうしたの?!」

黙り込んでもじもじしているお兄ちゃんに、母親は、語気を荒げてなおも尋ねるが、もにょもにょと何か小声で言い募っているようだ。

「全くもう!だからダメだって言ってるでしょう?あんたも悪いのよ!」

というような感じで、泣いている弟も叱られ、親子は売り場を後にしたのだが、それを見ていたバンビちゃんが、

「最近のお母さんて、怖いですね」

心底怯えたように言う。

「はあ?どうしてですか?」

「あんな風に大きな声で怒って、ばちん!とか、ぶったりして」

どうやらあたしが見ていないときに母親がこどもをぶったらしいのだが、2児の母であるあたしには、特別先ほどの母親が過剰に怒っていたようには見えなかった。

「確かに、ピンポイントであんな風に怒ってる所だけ見たら、そうかもしれませんけど、多分、そこにたどり着くまでの経過って言うのがあるはずなんですよ。何回同じことを言ってもちっとも言うことを聞かない、とかそう言った伏線があっての結果、ああいった場面になると思うんですよね」

別に見知らない母親を弁護するわけではないが、一般的な見方として話してみた。

「なるほど・・・」

感心しているバンビちゃん、それでも、やはり怖い、と言う感情は消えていない様子に、

「もしかして、怒られたことないんでしょう?」

と言うと、

「ハァ・・・、3人きょうだいの末っ子なもので・・・」

なんだか、ガックリと力が抜けた。
ちなみにあたしはひとりっこだけど、そりゃ年がら年中がみがみと注意され、悪いことしたら竹の物差しでぶたれたこともある。
怒られ慣れてないから、仕事上でも注意されると、全人格を否定されたかのごとく落ち込んで凹む。注意しているこちらはなんだか虐めているみたいな気分になって、金輪際関わりたくない、と言う気持ちにまでなってしまう。

多分、いまどきの若い子達は親から怒られることが少なかったんじゃないだろうか。
友達親子、とか言って、フレンドリーな親子関係を結ぶために、親はあんまり子供を叱ったりしない。親も子も疲れるのが嫌なんだろうね。
子供を叱るのって確かにものすごくエネルギーが要るし、自分が悪者みたいな気分になるからあまり楽しくはないけども。
怒られてばかりだと萎縮する、とも言うけど、実際の所、ほどほどがいいなんじゃないかと思う。

でも、そんなこんなで、これから入ってくる新人達は多かれ少なかれそんな感じなのかもしれないなあ、と思うと、ちと憂うつだ。

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2005年10月15日(土) A DAY。

mixi始めて2ヶ月ほど。ほどほどの所でうまく気分転換になっている。
ヒマな専業主婦時代のあたしなら、きっと朝な夕なにPC三昧だったことだろう。
見るもの聞くものすべてが真新しくて、狭い世界に閉じこもってる自分が、まるで無限の広がりを見せたかのような錯覚に陥っていた。今思えば、本当にこっぱずかしくなるくらいに、厚顔無恥のきわみだった。
現実の世界ならまず関わりを持つこともない異なる世界で生きているような人たちと、年齢も性別も職業も越えて話すことの不思議と、その面白さにすっかり虜になっていた。
反面、驕りも出ていたんだろう。そのことでなくした大切な関係もある。
その経験がある種トラウマになって、ネットで半ば隠居生活を送ってきた。
できるだけ目立たない。
できるだけ人と交流を持たない。

でも、そんなに難しく考えることもないかな、と思い始めた。

結局あたしは淋しがりなんだろう。






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2005年10月13日(木) 不惑。

嫌な響きだよぅ・・・。
己の成熟度を量る物差しとして、年齢ほどふさわしくないものはないと思い知らされる今日この頃。
20歳の頃には40なんて言うのは不惑って言うくらいだし、さぞかし悟りも開けて大人なんだろう、と世をはかなむ気持ちになっていたものですが、そんなこたぁない。(世をはかなむって言うのは、要は、若い頃はいろいろムチャしちゃったけど、今じゃすっかり落ち着いて、って言うイメージです、念のため。)

さて、ネット上であたしが年齢とか家族構成とかあまり触れないようにしているのは、まあ、個人情報をできるだけ曝さない、って言うのはあるにしても、あまりイメージを限定されたくないって言うのが実は一番の原因だと思います。
40代主婦、こどもふたり、って言う情報は、ものすごく限られたカテゴリーに括られてしまうわけで、国勢調査ではないので、自分自身をあまり型にはめたくないなって言うのがあります。
いろんな人と交流することがネットでの楽しみのひとつだと思っているので、そのためには自分の属するカテゴリーは捨ててしまいたいと思うのです。
いや、だからといって、現実の自分に不満があるとか、そういうことでもないですけど。

でも、もう少し大人になりたいなあ。

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2005年10月08日(土) 私のいいところはどこですか?

バンビちゃんは根本のところで何かあたし達と感覚がずれている。
本人は、一生懸命なのかもしれないが、それがこちらには伝わってこない。
本人は、悪意はないのだろうが、やることがいちいち気に触る。
新人は初めてのことは慎重に、もしもミスしたら次は同じミスをしないように気を付ける、わからないことはきちんと聞く、一度聞いたらきちんと憶えるように努力する、と言うのが当たり前だと思うのだが。
バンビちゃんはわからないことはすぐ聞いてくる。でも、もう入社して半年も過ぎ、そろそろ自分で物事を考えないといけない時期だと思うのだが、とりあえず人に頼ろうとする他力本願な姿勢は、見ていてあまり気持ちのいいものではない。
失敗して素直に謝るのはいいことだと思うが、なんでもかんでも「すみませんでした」と言えば済むと思っているのなら大間違いで、次回に活かす姿勢が見られない。
一度教えたことも、ついうっかり忘れた、くらいなら忘れっぽいんだなぁ、しっかりがんばろうね、とこちらも温かく見守れるのだが、

「はじめて聞きました!」

などとのたまわれては、教えているこちらがバカみたいで情けない。
挙句の果てに、

「私のいいところってどこですか?」

聞かれた方が返答に困る質問を真顔でするのは人としてどうなの?

これは若さゆえなのか、彼女独特のものなのか、周りにいる人間はその無邪気さゆえの毒気にすっかりやられてしまっている。


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2005年10月04日(火) いのち。

我が家にはミドリフグがいる。2年前のクリスマス、息子にねだられて飼うことになったものだ。あたしは世話は一切しない、と言う約束で。
汽水で飼わなければならないこの子達を、本当は、塩の濃度やらなにやらをきちんと管理して飼わなければならなかったのだろうが、そこはズボラな我が家のこと、テキトーに塩を入れ、水で薄め、といった実に乱暴な飼い方をしている。
最初の頃はフグたちのエサを食べる様がかわいらしくて、嬉々としてエサやりをしていた息子だったが、いつしか段々とエサをやり忘れたり、結局あたしがえさを与えることになる。
水槽の水替えも、夫がやることになっていたのだが、仕事が忙しい、とか、疲れたからまた来週、とか言って、2週間に1度の水替えが1ヶ月になり、2ヶ月になり、いつ替えたんだっけ?状態。最初の方は水槽がやたらと濁ったのだが、近頃は全く濁らず、綺麗な状態を保っているので、まあ、そのままでも不都合はないので良いのだが。

それにしても、ここ最近、息子は友達と遊ぶのに忙しくて、エサをちっともやらず、あたしにしたって慌しくて、ついうっかり、なんてこともあり、気が付くと、ぷっくりしていたはずのお腹がぺったんこになっているくらいげっそりとやせたフグたちが。
慌ててエサやりを忘れないように気をつけていたのだが、ここ数日、自分自身が体調が悪くて、それどころではなかったので、息子にエサをやっているか確認するだけにとどめておいたのだが、今朝、何気なく水槽を見ると、1匹が水槽の底で動かなくなっている。死んだら金魚のように浮いてくるのかと思っていたから、寝ているのか、と思ってじっと見つめてみたのだが、呼吸している様子が全くない。
水槽から取り出すと、やっぱり死んでおり、3センチほどの身体はたったそれだけの大きさなのに、ずいぶんとずっしりと重さを感じた。あたしはフグ1匹の命がなくなってしまったことで、とても重い気持ちになってしまった。
学校から帰った息子はがっかりするだろうか。
カブトムシやクワガタムシも飼っているのだが、死ぬたびに庭に埋めていく。生き物はいつか死んでいく、と言うことをごくごく当たり前に思っているところがあって、その重さまで思いが至ってないのでは、と少し心配になるのだが。


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2005年10月01日(土) 曖昧な記憶。

12年前の今日に、あたしは母親になりました。
初めてのことに対する不安と期待で胸がいっぱいで、育児書や、育児雑誌を読み漁り、頭でっかちな状態で母親になったわけですが。
実際の育児はやはり、見ると聞くでは大違い、ってなもんで、知識がないよりはあった方がいいけれど、本に書いてあることがすべてではない、と言うことを再認識させられた12年です。
まあ、親はなくとも子は育つ、であるとか、親の背中を見て子供は育つ、であるとか、昔の人はいろいろ言っておりますが、絶対言われたくないのは、

「親の顔が見てみたい」

これだけは言われたくないですYO!

さて、おばばが今朝、

「今日はいい天気だねえ。あーちゃんが生まれた日もこんな風にいい天気だったけど」

といっているのを聞き。

あたしの中では12年前の今日という日は、どんよりと曇った、今にも雨が降りそうな、しかも、産み落とした頃には雨が降り、それはそれは憂うつな金曜日だった、と記憶しているのですが。

正解はどっち?

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うらら |あばら家足跡恋文

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