日々雑感
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2005年10月29日(土)

渋谷にて井の頭線へと向かうエスカレーターに乗りながら、通り沿いの看板に大きく「博」という字が書かれているのが目に入る。「博」というのは父親の名前だ。

父方の祖父母に会ったことはない。祖母は、父がまだ小さい頃に亡くなった。間もなく再婚した祖父は、父を親戚のもとに置いて遠いところへ行ってしまった。

けれども、「博」という名前をつけたのは、そのふたりである。何を願ってその名を選んだのか。写真でしか知らない祖母は、物心つかない父に向かって、どんな声でその名前を呼んだのだろう。彼女と同窓だったという母方の祖母は言っていた。「とても静かで、やさしい人だった。」

ぼんやりとした祖父母の姿だけれども、「博」という父親の名前に込められた思いだけは、今でも確かに残っている。父も名前で呼ばれることは、もうそんなに多くないが、その度に、今は揃ってこの世にはいない、祖父母の思いが、そこにあるのがわかる。

そんなふうに、つながっている。

夜、冬から海外赴任する友人の壮行会。久々にたくさん飲んで、盛大に気分よく酔っ払った。参加していた友人夫妻は、来春に子どもが産まれる予定という。

こんなふうに、つながってゆくのだろう。


2005年10月10日(月)

ご無沙汰しています。私は元気にやっています。


この夏は長く帰省していた。通りに面した窓辺の机で、読んだり書いたり調べたりしながら過ごした(それに毎夜の晩酌)。

ときおり、顔を上げて窓の外を見る。毎日、決まった時間に家の前を通るおじさんたちがいる。ひとりは黒い大きなラブラドールレトリバー、もうひとりはゴールデンレトリバー、揃って犬を連れ、特に何を話すわけでもなく、けれども決まって肩を並べて、ゆっくりと歩いてゆく。

あるいは、海辺の小さな公園、背の低い柵に腰掛けて話し込む、ふたりの(やはり)おじさんたちがいる。聞くと、仲の良い3人組のうちのふたりで、残りのひとりは身体を悪くして入院中だという。いつもは3人して、昼下がり、この同じ場所に集まっては何だかんだと話していたのだろうか。

誰かの気配をそばに感じながら、日々を過ごすということ。そして、ある日いきなり、そこが空白になるかもしれないということ。

夕方、網を沖に置くために船が出てゆく。やがて遠くに漁火がともる。お盆が過ぎ、水路に流される灯篭が向かうのもあの場所だ。自分も最期のときにはまた海辺の町で暮らしていたいと、そんなことをぼんやりと思いながら、ぶらぶらと歩いた夏だった。


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