日々雑感
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喫茶店にて。カウンターに座った常連さんらしき女性が、マスターと話している。
今日は一年でいちばん昼が長い日なんだよね。夏至だものね。夏至って何か食べるっけ? 冬至にはカボチャだけど。おばあちゃんがよくカボチャでいろいろ作ってくれた。夏至ってあんまり聞かないよね。なんだろう。ウナギ? それは土用の丑の日か。お風呂に柚子入れるのも冬至だし。でも、どんどん日が短くなってゆくのってさびしいね。だんだん明るくなっていくほうがいいよね。
この話を耳にするまで、今日が夏至だということを忘れていた。一年のうちの頂点、あとはゆっくりと下ってゆくことになる、その境目の日、ぼんやりとしているうちにいつの間にか行き過ごし、あとから振り返って、あそこが折り返し地点だったのかと気づくところだった。
今年の夏は暑くなるかしら。ふたりの話はまだ続いている。今年は黒潮大蛇行だから、日中は暑いけど夜寒くなるんじゃないかな。今もそうでしょ。夜は必ず涼しくなるもんね。
19時すぎ、妙に気象に詳しいマスターのいる喫茶店を出ると、空にはまだ青みが残っている。一年でいちばん遅い夕暮れに間に合った。
いつも行く銭湯の帰り道は飲み屋街だ。それも、チェーンの居酒屋や洒落たお店はなく、半畳ほどのスペースの一杯飲み屋だとか、色あせた暖簾のかかった地元密着型居酒屋だとか、いつからそこにあるのだろうと思わせるスナックだとかが軒を連ねる通り。歩いている人の年齢層も高い。
少し遅い時間に通ると、戸口の隙間から店の中の様子がよく見える。ぼんやりとした灯りの中、会社帰りであろうスーツ姿のおじさんたちがテーブルに座ってビールを飲んでいる。そのあたりからサンダルのままやって来た地元の人たちがいる。カラオケが外まで響いてくることもあり、先日は「さーとこぉー」という絶唱が聞こえていた(何の歌だったろう)。カウンター越しにお店の主人と話したり、笑ったり、テレビのナイターを見て何か大声で言い合っていたり、誰も皆、肩の力を脱いて幸せそうな表情に見えるのは、ひょっとしたら、ガラス越しに眺めているからこそだろうか。
それでも、夜道に漏れてくる酒場の気配がとても好きだ。カウンターにでも座って、とりあえずビール飲んで、そのあと、さしつさされつ、日本酒とか焼酎とか、ちびちびとやりたい。いつも心惹かれながら、おとなしく家に戻って発泡酒で晩酌。
あじさいが咲いている。裏庭にはドクダミの花。もう梅雨入りしたと思うのだが、これまでのところ雨の降る気配なし。湿度ばかり高い。
大岡昇平の『成城だより』(講談社文芸文庫)再読する。当時70歳を越えていた大岡氏の好奇心、何より柔軟さ。アニメ「名犬ジョリー」を見ては亡くなった犬の姿を思い出して涙し、偶然見た映画「ネバーエンディングストーリー」を「拾い物」として絶賛、少女マンガに読み耽っては、5歳の孫に「おじいちゃん、そんなに少女マンガ読んでどうするの」ときかれる。文学界隈だけでなく、時事ニュースやスポーツ、映画、そして日々の暮らしの諸々、偏見なく向き合って、よいものはよい、詰まらないものは詰まらない、バサバサと言い切って、けれども決して声高に正論や主張を唱えない。
登場する顔ぶれもいい。盟友・埴谷雄高は「酔払って、中野(孝次)への小説作法講義繰返しとなること、ラヴェル『ボレロ』に近し」、富士山麓の別荘地において隣人だった武田百合子も何度も現れる。これが書かれたのは80年代、多くの人がすでに故人となっている。20年というのは、そういう時間なのだ。
夜、ゴキブリが出た。古いアパートなので覚悟はしていたが、ついに来た。以前ならば、完全装備したうえでおっかなびっくり対決していたところ、今回は不思議と冷静、窓の外へと追いやって出て行ってもらう。神経が太くなったかもしれない。
今住んでいるアパートには風呂がない。給湯器もない。エアコンもなかったのだが、「付けてあげるわよ」という大家さんの一声で、設置してもらえることになった。
午前中の早い時間から電気工事の人が二人やってくる。親方と修業中のその弟子という組み合わせで、弟子のほうはエアコン設置は初めてという。壁に穴を開けるためのドリルの扱い方から足場の組み方まで、ときには叱られ、あるいは諭され、この親方、なかなか厳しい。
「一を聞いて十を知れって言うだろ」「今やってる作業が、次に何につながるのか常にイメージしながら手を動かせ」「数字にとらわれないで、最後は自分の目で実際に見た感覚を信じろ」「後片付けは心をこめてやらなきゃダメだ」等々、人生訓の本にでも出てきそうな台詞が続々。それでいながら、手が空いているときは、こちらに向かって、最近手がけた工事の話だとか、自分が担当したお店の話だとか、いろいろと裏話を聞かせてくれる。
作業を待っている間、1階へと降りる階段の踊り場(というほど広くもないが)で外を眺めていた。高いビルや高架に囲まれ、そこだけぽっかりと古い家やアパート群が残る隙間だ。向かいに建つビルのずっと上の階では、小さな男の子がベランダに出て何かを見ている。布団が干されている階もある。2階の中華料理屋の裏口が見え、従業員がひっきりなしに出入りしている。自転車で、あるいは徒歩で、行き交う人がいる。建物だらけだけれども、意外に緑も多い。隣はトタン屋根の空家で、人の気配が消えた中、夾竹桃だけ鮮やかに咲いている。
ここに住んで8ヵ月、この場所をこんなふうにちゃんと見たのは、はじめてかもしれない。ずっと心ここにあらずで、他の場所のことばかり考えていたような気がする。ビルの谷間の穴ぐらのような部屋にいて、けれどもここがとりあえずの自分の居場所だ。「今、ここ」から目を逸らしても、きっと結局はどこへも行けない。
昼過ぎに作業が終わる。試運転も成功し、「いいでしょ。楽園みたいでしょ」と親方。この後、ふたりは以前工事を担当した「カフェ」にてランチをとるらしい。お金のない店長に頼み込まれて破格で工事を受け持った縁もあり、ランチをとったり、一服したり、今ではすっかり常連なのだとか。「男の感性とはちょっと違うけどね、いいんだよね」。マスターに話しといてあげるから今度行ってみてよ、電気屋のおやじの知り合いって言えばコーヒーくらい御馳走してくれるから、すかさず後ろから、店長、独身だよ、と、弟子の声もする。アルコール類の品揃えもよいというし、今度ぜひ行ってみます。
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