日々雑感
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手紙がきた。偶然、2通ともイタリアからの便りだ。
村上春樹のエッセイなどで「イタリアの郵便事情は最悪」とさんざん書かれているので不信感を持っていたのだが、日付を見るとちゃんと1週間ほどで届いている。疑って悪かった。
1通はイタリア旅行中の友人から。そしてもう1通は北部フリウリ地方のとある街に住む友人から。昨年の春、この友人のところを訪ねた。スロベニアとの国境の近く。遠くに見えるアルプスはまだ雪を頂いて白かった。
時計台を持つ広場も、柱廊も、丘の上の城も確かにきれいだったけれども、よく憶えているのは、いっしょに自転車で周った行き着けの本屋や美容院、街角で、どこから来た人だろう、褐色の髪の青年がひとり奏でていたバイオリンの調べ、それに彼女の部屋の窓からだんだんと日が暮れてゆく景色を眺めていたこと。隣の家の庭には洗濯物がずらりと干されて、草むらを猫が何匹もうろうろしていた。
消印に、なつかしいその街の名前がある。もう、今すぐにでも飛んで行きたい。でもとりあえずしばらくは、東京でしっかりがんばります。この三日坊主の自分がラジオ・イタリア語講座だけは根性で続けています。やっぱり大事なのはモチベーションか。
忘れないでいてくれて、ありがとう。
今日は喫茶店をはしごする。煮詰まっている。窓から遠くまで景色が見えるところで仕事したい。
窓際の席に、どこの国の人だろう、外国人の男の子と日本人の女の子がふたりして座っている。どうやら女の子のほうは英語があまり得意ではないらしく、わからない単語や表現が出てくるたびに、何だろうという表情をし、その度に彼が一生懸命に説明している。
悪いなあと思いつつ、すぐそばの席だったこともあって、ついつい気にしてしまっていたのだが、ああでもない、こうでもないとぐるぐるしていた言葉の意味がわかった瞬間、どちらもほんとうに嬉しそうな顔をするのだ。「そうそう!」と手を取り合わんばかりに喜び合う様子に、「伝わる」ことのうれしさとはこういうものかと、目の当たりにする思いになる。
言葉の数を覚えればよいという問題ではないだろう。同じ日本語を使う相手でも、言葉が通じないことはある。人によって、それぞれが持っている世界は皆違うけれども、お互いに伝えようとすること、わかりあおうとすること。
暗くなってからは、大通りに面した店に移動する。夜はまだ寒いというのに、仕事帰りらしいスーツ姿の男性二人連れは、外の席にてカフェラテを飲んでいる。こちらは暖かい店内にてその様子を眺めながら、コーンスープなど前にしている。
このところ眠れない。正確にいえば、眠るのがもったいなく、布団に入れない。かといって、何か作業をして有意義に過ごしているわけでも、またない。
夜もある時点を過ぎたあたり、不意にあらゆるものの気配が消えるような瞬間がある。大通りを時折走る車の音がずいぶんと近くに聞こえる。微かに鈴の音がして、たぶんあれは、近所の猫が夜歩きをしているのだろう。このあたりは猫が多いのだ。
そういえば少し前、明け方に家に戻ってきてアパートの階段をのぼろうとしたとき、一段目にあった大きな黒いかたまりを踏んづけそうになって思わずびくりとしたのだけれども、冬の夜明け前の暗闇に溶け込んでいたその物体が猫だと気づくまでに、少しかかった。それは年末年始の帰省から夜行バスで東京へ戻ってきた早朝のことで、年明け、東京での第一日目に特大の黒猫の出迎えを受けるというのは、果たして幸運を意味するのか、その逆なのかと、まだしんとした部屋の中で考えてしまった。
あの黒猫、向こうのほうは驚いた様子も見せずに、ゆっくりと起き上がってどこかへ消えていった。あの日もとても寒かった。
朝から雨。部屋の中にいて雨の音を聞いていると、ずいぶん前のことを不意に思い出したり、これから先のことを考えてぼんやりと不安になったり、忙しい。
中学から高校あたり、熱心に海外文通をした時期があった。どんな話をしていたのかもう思い出せないけれども、おぼえたての英語を使って、遠い場所にいる誰かと言葉を交わせるということが、とにかくうれしかったのだろう。西ドイツ、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、フィンランド、ギリシャ。だんだんと手紙の間隔がまばらになり、やがて途絶えてしまった人ばかりだけれども、それから程なくして、ドイツはひとつになり、チェコとスロバキアは分離し、ユーゴスラビアは解体した。改めて、なんという十数年だったのかと思う。それぞれの国が激しく揺れ動いていた時期、彼らはいったいどんなふうに過ごしていただろう。
それにしても、節操なくいろんなことに興味をひかれているようで、根っこは全然変わっていないのだと、しみじみ思う。ずっと言葉と遠い国のことばかり考えてきた。
夜になっても雨の音は止まず。雪に変わるだろうか。コタツで足元は温かいけれども、部屋の中で吐く息は白い。
最近通うようになった喫茶店は、いくら長居をしても嫌な顔をされないのがいい。たいてい夕方に出かけていって、空いていれば隅っこの席に座り、読んだり書いたり、ぼうっとしたりしている。
早起きしたついでに、たまにはモーニングでも食べてみようかと、午前中からお店へ。しかし、入り口のドアを開けて驚いた。すでに店内はほぼ満員。そしてお客の9割はひとりでやって来た年配の男性。新聞を広げる人あり、書き物をする人あり、服装や年齢を見ると勤め人という風情ではない。
平日の午前10時。家に戻れば家族がいるのか、あるいはひとりで暮らしているのか、それはもう人それぞれだろうけれども、こんなふうに人の気配を感じながら、ひとりになれる場所があるのが、東京(または都会)のよさだと思う。
モーニングの時間帯が過ぎると、男性客は帰ってゆき、しばらく店内は静かになった。その後、お昼前になると、今度は女性客が次々とやって来る。こちらは何人かで連れ立ってる場合が多い。店内の音量が2割増になる。
2005年01月10日(月) |
『そこから青い闇がささやき』 |
帰省した地元は、この年末年始ずっと雪だった。故障したパソコンが使えないのをいいことに、ストーブの前に寝転がって、持ち帰った本をいろいろと読んだ。その中の一冊、『そこから青い闇がささやき』山崎佳代子(河出書房新社)が、自分にとって昨年度のベスト1である。
ユーゴ内戦について書かれた本を一時期読み漁ったのだが、中でも特に印象に残ったのが同じ著者の『解体ユーゴスラビア』(朝日選書)だった。詩人であり、また、ベオグラード大学の日本学科教官として現地に暮らす著者が、内戦下の人びとの声を聞き、書き留めた前書に対し、今回はより強く著者自身の生活と思いとが入り込んできている。内戦、経済制裁、NATO軍による空爆。避難勧告が出る中、山崎さんは家族とともに留まりつづける。そこが自分の生きてきた、そして生きてゆく場所だからだ。
ある日いきなり、当たり前だと思っていたことが崩れ、すべてが奪われることがある。彼らにとっては戦争だった。けれども、「それ」はいろんなかたちをとって現れる。事故であったり、病気であったり、自然災害であったり、あるいは人の心の行き違いかもしれない。
そんな中で、何が光となるか。光を信じる力となるか。ユーゴスラビアの画家レオニード・シェイカはいう。「地球に僕の力の及ばぬ裂け目が在ると知ったとき、絵を描くほかに術はなかった」。あるいは、言葉の力、詩の力。それぞれが、それぞれの答えを探しているのか。
あとがきに須賀敦子さんの名前が出てくる。「今は天国にすむ須賀敦子さん、本になるのが遅れてごめんなさい」。須賀さんの生前、ふたりにどのような親交があったのかはわからないけれども、言葉が光につながると信じた人同士の確かな絆がここにあったのだという気がして、胸が詰まる。
この本は図書館から借りていたのだが、自分用のものがほしくて、帰京するなり本屋にて購入。東京は快晴続き。冬なのにこんなに晴れていていいのかと、日本海側の町から上京してきて10年以上も経つのに、いまだに慣れない。
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