日々雑感
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2004年11月25日(木) 探しています

『アウステルリッツ』W.G.ゼーバルト(白水社)を読んでいる。主人公アウステルリッツが登場する場面がいい。アントワープ中央駅の待合室。やはりいつだったか、同じアントワープで訪れた動物園の夜行獣館の心象と(「ちっぽけなフェネック狐、跳び兎、ハムスター」)その待合室の心象とが、「冥界じみた闇に包まれて」、語り手である「私」の中で重なり合う。おたがいにひどく離れたまま、身じろぎもせずにじっと座っている旅行客が、「私」にはなぜか、まるで夜行獣館の小さな躯の動物のように、小さく縮んでいるように思われる。

「思うに、それ自体はナンセンスなある考えが、ふいに脳裡をよぎったせいだったのかもしれない。この人々は故郷を追われるか滅亡するかした民族の、数少ない最後の生き残りだったのだ、自分たちしか生き残らなかったがゆえに、動物園の動物とおなじ苦渋に満ちた表情を浮かべているのだ、と。――その待合室の客のひとりが、アウステルリッツであった。」

今日も今日とて夕方に散歩。電信柱に貼り紙を見つける。赤いくちばしを持つ、小さな鳥の絵が描かれ、その下にやはり手書きの文字で「文鳥を探しています」。飛び立ったはいいものの帰れなくなったのか、遮るものが何もなければ、空へ向かうのが鳥の本能か、それは人にはわからない。ただ、空っぽの鳥籠を前にした誰かの姿を思うとそれはつらい。


2004年11月24日(水) 晩秋

持ち帰りバイトの締め切りが毎水曜日ということで、火曜日の夜から翌朝にかけては部屋の中が修羅場と化していることが多い。夜型生活からなかなか脱け出せないのも、毎週必ず1回はやってくる徹夜のせいか。今日も気がつくと夜が明けていた。最近は秋晴れつづきだ。

ようやく仕上げてバイト先に届けに行ってしまうと、もう夕方である。今日の夕空もすごかった。うすいうろこ雲がいちめんに広がっていた。帰り道は線路沿いを歩く。帰宅ラッシュにはまだ早い電車の中は人もまばらで、線路をゆく規則正しいその音、点滅する踏み切りの信号の赤色、通り過ぎたどこかの家からは煮物の匂いがした。夕方に外を歩くのは好きである。

今晩はちゃんと夕食もとって、図書館から借りてきた本を読んで、好きに過ごそうと楽しみにしていたのに、コタツにてうたたね。日々朦朧と過ごしている。


2004年11月22日(月) いつか人がいなくなったとき

秋晴れ。街路樹を透かして光が届く。

夕方、空き地の前を通りかかった。以前は団地があった場所だ。何棟もあった建物が取り壊され、更地となってしばらく経つのに、フェンスで囲まれたまま、手つかずで放っておかれている。三輪車に乗る小さな子やその姿を見守るお母さん、学校帰りの小学生たち、井戸端会議、いろいろな光景をおぼえているけれども、今は何本かの桜の木だけ残して、あとは草が茫々とはえるばかり。フェンス越しには高いビルが見える。その向うに日が落ちてゆく。近くの学校から終業のチャイムの音が聞こえてくる。

いつか人がいなくなったとき、このあたりもすべて野に戻るだろうか。そして、そのとき響いているのは、どんな音だろうと思う。

夜、銭湯へ。祝日前のためか、時間が少し遅かったせいか、他にお客は誰もいず、貸し切り状態となる。なんという贅沢。落ち着かないけれども。


2004年11月20日(土) 新婚家庭訪問の記

結婚して半年となる友人の新居へ。もう一組の友人夫婦もいっしょである。春に行われた結婚式には出席できなかったので、相手の方とは初顔合わせだった。8歳下というのに年齢の差を感じさせない、しっかり者のお嫁さんで、案の定友人はすっかり尻の下にしかれているらしい。そして、それもまた満更でもない様子。

昼間からビール。夫婦二組のあいだにひとり挟まれつつ、夫婦喧嘩のはなしなど聞く。一組は片方がとりあえず折れる、もう一組は「とことんまでいく」。とことんまでいくほうの友人の「最後には物も飛ぶからね」という言葉が、あまりにもらしくて、笑ってしまった。それぞれの「らしさ」が自然ににじみ出て、大切にされて、のびのびと育ってゆく、どちらもよい結婚をしたと思う。

さんざん飲んで、食べて、大いにしゃべって、日も暮れた頃にお暇する。乗り換え駅までいっしょだった友人夫妻とも別れ、ひとりになった帰り道、何だか急に飲み足りない気がして、ワインを買って帰る。


2004年11月19日(金) 私の叔母さん

『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一(集英社新書)を買う。中沢新一が、叔父である歴史学者、故網野善彦について記した一冊。

「叔父‐甥」のあいだの関係について述べられている箇所がある。「この関係の中からは、権威の押し付けや義務や強制は発生しにくいというのが、人類学の法則であり」「精神の自由なつながりの中から、重要な価値の伝達されることがしばしばおこる。」この関係を地でいくように、中沢少年は叔父・網野善彦から、知らず知らずのうちに歴史の見方、思考の仕方の手ほどきを受けてゆく。

これが男性のあいだにだけおこることなのか否かは、人類学に詳しくないので何とも言えないが、祖父母や親とは決定的に違う風通しのよさを、自分の場合は母方の叔母に感じていたのは確かだ。

自分が小さかった頃、まだ学生だった叔母は、祖父母の家の2階に暮らしていた。木枠の窓から草が茫々としげった庭らしきものが見下ろせる部屋には、当時凝っていた油絵の道具が置かれ、画集やLPレコードがあり、漫画があり、本があった。入り浸っては、真似事で油絵をかかせてもらったり、音楽を聞いたり、ただ漫画を読んだり(手塚治虫をはじめとした少年漫画系の充実した蔵書があった)、そして、そんなとき、部屋の中に母親が入ってきたことは一度もなかった。面白いカードを見つけたといっては買ってきてくれたのも、バレンタインデーのチョコレートをいっしょに選んでくれたのも、叔母だった。ただいっしょにいるだけで楽しかった。彼女を通したからこそ知った世界というものが確実にある。

その叔母の娘である従姉妹は、逆にこちらの家が好きらしく、小さい頃から何かあると泊まりに来たがる。「ここに来るとなんとなく落ち着く」という彼女が、伯父、伯母であるところのうちの両親から、何を感じているのかはわからない。けれども、ある日、こっそりと教えてくれたところによると、「今の彼氏は雰囲気が伯父さんに似ている」ということだ。


2004年11月18日(木) 『デルスウ・ウザーラ』

終日、雨。雨もだいぶ冷たくなってきた。

『デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行』アルセーニエフ(平凡社東洋文庫)をゆっくり読んでいる。1907年、ロシアの若き軍人アルセーニエフは、ゴリド族の老猟師デルスウ・ウザーラを道案内に、極東ロシア・ウスリー地区の調査旅行に出発する。奥深い森林、大洪水、動物たち、鳥たち、その中に点在する中国人やロシア正教の旧信徒の住まい、圧倒的な自然と人間の痕跡、それらの描写が何といってもいい。それに、一行を導き、ときに助ける、デルスウという人物像。

あるとき、夜明け前の空に彗星が現れた。<尾のある星>を見て、少し前に遭遇したひどい洪水はあの彗星のおかげだとか、彗星の向うには戦争がおこるのだとか、一行が口々に言い合う中、意見を求められたデルスウはつまらなさそうに答える。「あれはいつも空をいく、人のじゃまはしない」。この本、長谷川四郎の訳もすばらしい。

夜、仕事帰りのおじさんたちに混じって、居酒屋にて飲む。若い店員さんに「ボジョレーが入ってますよ」と笑顔で言われたが、はじめから日本酒。勧めがいのない客で、少しだけ申し訳ない気分になる。




2004年11月09日(火) 受話器越しに

昨日切った髪にまだ慣れない。目が覚めて、鏡にうつる姿が何かに似ていると思ったら、ゲゲゲの鬼太郎だった。

母親から電話。そんなに久しぶりなわけでもないのに、何だか声の印象が違うのに驚いた。

人の声も年をとるのだ。ゆっくり、ゆっくりと変わってゆくのだ(そして、あるとき不意に、その変化に気がついたりする)。木々ならば葉を落としても、来年また芽吹くけれども、人の場合は、過ぎてゆく瞬間瞬間がすべて一回切りなのだと、忘れそうになっていることを思い出す。


2004年11月08日(月) ホーム

髪を切る。もう何年も通っている美容院だ。今回一年ぶりに予約の電話をしたところ、受話器の向こうから興奮した声で「お帰りなさい」と言われた。

お店の内装は変わっていたけれども、美容師さんたちの顔ぶれは同じである。仕上げに指圧をしつつ、担当の美容師さんが「相変わらず肩こってますね」と笑う。この「相変わらず」という感覚。家族や友人たちだけとは限らない。自分のことを知っている人たちが其処此処にいる、それが「ホーム」ということか。

少しだけ切るつもりが、結局かなり短くなる。ちょうど一年前と同じ長さに戻ったかもしれない。レジにてお金を払うと、ちょっと待ってといって、折り目のない新札でお釣りをくれた。ついに野口英世と対面。


2004年11月06日(土) 噂に注意

部屋の中では気がつくと寝てしまう。仕事道具一式を持って、日が暮れてから近所の喫茶店へ。隅っこの席に座っていると、入っては出て行く、いろんな人たちの様子がよく見える。ひとりスポーツ新聞を読む男性あり。ぼんやりと煙草をふかす女性あり。向こうでは、20代前半と思われる女性陣が「笑点」について白熱中。「うちの母親は、むかし、山田くんのことが超好きだった」らしい。

路地でトラ猫に会う。立ち止まって目を合わせると、じっとこちらを見てから、くしゃみした。


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