日々雑感
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2004年07月28日(水) 明日に

先日、ある飲み会で隣の席になり、もっと話してみたいと思いつつ連絡先も聞かずに別れた人と、今日になって街中でばったりと会う。小さい街なのであり得ない話ではないとは言え、驚いた。ひととき交錯した人とは、もう二度と会えないかもしれないという可能性と同じだけ、また会える可能性もあるのだ。そして、こういう偶然があると、ほんとうに会いたいと望んだ人とは、きっとどこかで再会できるだろうという、根拠のない、けれども考えるとじんわりと幸せになるような自信を持ってしまう。次は東京あたりで、ばったり会うかもねと互いに笑ったけれども、そういうことがあり得ないと、どうして言えるだろう。

知り合いの家にもうすぐ3歳になる男の子が来ている。両親のもとを離れ、ひとりきりでおじいちゃん、おばあちゃんのところに泊まれるかどうかの「テスト」なのだという。送って来た両親が帰ったあと、急に口数が少なくなった男の子を抱いて、おばあちゃんが言う。「明日になれば、新しい素敵なことがいっぱいいっぱい待ってるよ」。

明日はまったく新しい日であり、きっと楽しいことがたくさんあるのだ。あの人にまた会えるかもしれない。まだ見ぬ誰かと会えるかもしれない。


2004年07月25日(日) まだまだ

日本語で書かれた手紙をドイツ語に訳す用事があったのだが、これが難しい。「何でこんな曖昧な言い方をするのか」などと八つ当たりに近い気持ちになりつつも、要は自分がドイツ語で扱える世界が極端に狭いということなのだ。言葉がわからなくとも生活はできるが、ある土地(あるいは文化圏というのか)にどれだけ深く広く入りこんでいけるかは、やはり言葉に拠っている。その意味でいけば、自分はまだまだなのだと、帰国も迫った時期になって改めて悟らされる。

久しぶりに夕立が来なかった今日、知り合いの家族の家にてバーベキュー。暗くなった頃、小さなハリネズミが庭を走り抜けていった。ハリネズミは、まるで人が咳をするときのように鳴くのだと、はじめて知った。


2004年07月19日(月) 酔っ払い散歩

友人がやって来る。飲み仲間である彼が同時期に留学していたのはほんとうによかった。格安切符があるのをいいことに、電車で1時間半の距離を互いに何度行き来したことか。

久々の蒸し暑さの中、ビアガーデンのはしごをしながら散歩する。旧市街の西側には11世紀にアイルランドの修道士が建てた教会がある。ここの門が面白い。人頭に動物、渦巻き、組み紐、明らかにケルト紋様だ(そもそもケルト人によって拓かれた土地ではあるのだが)。眺めながら、酔っ払いふたり、ああだこうだと好きなことを言う。

駅まで見送っての帰り道、ようやく日が傾いた夕空にゆっくりと飛行機雲がのびてゆく。ヒグラシの声が聞こえてきてもよいのに。


2004年07月18日(日) 荷物整理

久しぶりに上着なしで外を歩けるくらいに気温が上がった。外へ出たときの、空気の生ぬるさすら嬉しい。待ちかねたかのように、Tシャツやノースリーブ姿の人びとが闊歩している。

掃除がてら荷物の整理を始める。思ったよりも物が増えていないのに少し安心する。唯一かさばるのは本くらいだけれども、これは書籍用の郵便で安く送れるだろう。衣類はこちらへやって来たときと、ほとんど変わらず。冬物をしまいながら、これを着て歩いていた頃の空気の感じを思い出す。とたんに帰るのがさびしくなって、いけない。

イタリア旅行中に買ったラヴェンナのモザイクの本をまた読む。最近気になるふたつのトピックは「モザイク」と「ビザンツ」。


2004年07月16日(金) 嵐のあと

部屋の中で本など読んでいるうちに、あっという間に時間が過ぎる。今日もくもり。午後も2時を過ぎた頃、ようやく晴れ間が見えてきた。猛暑だった昨年とはうってかわって、気温が低く、雨も多く、「こんな夏は初めて」と周りの人が口々に言う。

先週の木曜日の夕立はすごかった。いきなり真っ暗になったかと思うと、ものすごい勢いで風が吹き始め、次いで豪雨となる。ちょうどバスの中にいたのだが、橋の上を通りかかったときには真面目に転落するのではないかと思った(車体もひどく揺れた)。大きな木が何本も幹の真ん中から折れている。枝が飛んできて道路をふさぎ、大通りは渋滞。何より雨と風の、その音。はじめはサファリパークにでもいるかのように窓の外を一生懸命眺めていたけれども、不意に恐ろしくなる。

30分ほどで嘘のように風も雨も止んだ。帰り道は川沿いを歩く。木の折れた部分の白い色が生々しい。それにしても、嵐のあとの空と川面のなんという色。橋の上から夕雲の写真をとる人あり。

しばらくゆくと、藪の中から猫が現れた。キジトラの猫だ。雨宿りしながら、風や木が裂ける音をどんな思いで聞いていたか。そのまま、一目散に通りの向こうの家へと駆け込んでいった。


2004年07月09日(金) そのひとの色

友人と長電話する。共通の知人について「あの人は緑という感じだ」と意見が一致したところから、人にはそれぞれイメージさせる色があるという話になる。例えば、共通の知人であるその彼は草花が豊かに茂る居心地のよい庭の緑だ。古い時代に高貴な人がまとっていた衣のような紫を連想させる人もいる。

電話の相手である友人のイメージは水の色である。森の奥、誰も知らない場所にひっそりとあるような深い湖の水面近く、日の光でいろいろに変わる、青みを帯びた透明さだ。そして彼女にとっての自分は、だだっ広い草原であるらしい。地平線までつづく草原では、空が大きな青い丸天井のように見える。ときおり風が吹く。草を食んでいたインパラがふと顔を上げる。その草の色と広がり。ずいぶんときれいなイメージだと互いに笑ったけれども、ほんとうに合っているかどうかは別にして、自分自身がそうした風景であると想いながら暮らすのは悪くない。

鳥の声が聞こえてきた頃に眠る。明日が土曜日でうれしい。


2004年07月07日(水) 夜空の下で

目が覚めて、昨日酔っ払ったまま眠ったことに気がついた。パソコンを開けると、メールを何通か送信している。日記まで書いている。おまけに、寝る直前にゆで卵を二個つくって食べていた(電熱の調理器でほんとによかった)。起きぬけの体調はすこぶるよいけれども、反省。それにしても、ずいぶんとよい気分だったらしく、幸せな夢をたくさん見た。

いろいろな国籍の人が集まって「小さい頃何になりたかったか」という話をしたことがあった。ずっと天文学者に憧れていたのだけれども、それを言うと「自分もそうだった」という人が多いのに驚いた。どこにいても、小さい子が星空を眺めるときの気持ちは似ているのかもしれない。七夕。よく晴れているので、今晩はきっと星が見えるだろう。


2004年07月06日(火) 虹の向こう

最近、にわか雨が多い。夕方頃ものすごい勢いで降り始め、雷も鳴ったかと思うと、あっという間に青空が広がる。数日前、知り合いの人と車に乗っていたときもそうだった。雨雲が通り過ぎた道路を走りながら、ふと目をやると、前方に大きな二重の虹が出ていた。あの虹の立ちのぼる場所に、今、自分は住んでいるのだ。

夜、ずっと冷蔵庫で冷していた白ワインを開ける。南の町に住む友人からのお土産である。もしも、お酒に酔ったときに現れるのが、そのときのほんとうの自分だとするならば、どうやら今はとてもよい気分らしい。何もかもうまくいくような気がしてくる。

時間がゆっくりと、ゆっくりと、過ぎるといいのに。空けたワインは2002年のものだった。ひとりで飲むお酒も誰かと飲むお酒も、どちらも好きだ。


2004年07月03日(土) 祭りの灯り

週末は街のお祭り。夕方、友人たちとビールを飲んで別れ、ひとりになったあと、帰りがたくてもう一度街の中へ戻る。外はまだまだ明るい。

ここにこんなに大勢の人が住んでいたのかと驚くくらいの人出だ。教会ではゴスペル、広場の特設ステージではロック、そして橋の上では鮮やかな緑色の衣装を着た人たちが太鼓や鳴り物を手にサンバ。サンバのグループの周りには一際大きな輪ができており、小さな男の子を肩車した父親からそろって白髪の御夫妻まで、リズムに合わせて踊る人あり、叫ぶ人あり、大喜びだ。

橋の上にて日が暮れてゆく。ぎっしりと並んだ屋台の灯りが川面に映る。屋台からもれるオレンジ色の灯りの中を、親しい人たちといっしょに、ビールやワインをひっかけながら行き交う人びとの無数の影。ざわめき。いずれ終わってしまうことを何処かで予感しながらも、お祭りの空気の中で、誰も彼も幸せそうな表情をする。ひとり歩きながら、今、自分はほんとうにきれいなものを見ていると、しみじみと思った。それともあれは、サンバの熱気の余韻だったか。

帰り道、前には腕を組んで家路につく老夫婦の姿あり。もう片方の手には屋台で買ったのであろうお菓子の紙袋が握られている。お祭りからの帰り道は苦手だ。綿菓子と金魚の入った袋を大事に持ち、満足そうな、それでいて神妙な顔をして家へと向かう小さい頃の弟の姿を決まって思い出してしまうのだ。思い出して、そして今でもかなしくなる。七月は地元の町でもお祭りの季節である。


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