日々雑感
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2004年01月28日(水) 北のひと

昨日は、本を貸してほしいということで、友人が一時間半かけて電車でやって来た。到着したのは九時過ぎ。終電は十時半。街中へ行くのはあきらめ、駅の中の小さなお店にてビールを二杯ずつ飲む。タバコの煙で霞んだ店内は、少し前の日本の地方都市の駅食堂を思わせる。テレビからはナイターが、ラジオからは演歌が聞こえてきそうな、なつかしい空気。店内には、なぜかひとりのお客ばかりが点々と座っている。

窓の外の雪を眺めながら、風土と人の話になる。星座、血液型といった各種占いから始まって、人を分類しようとする方法はいろいろあるけれども、「北のひと」「南のひと」、「西のひと」「東のひと」という捉え方も、やはりあり得ると思う。もっとも、それは必ずしも生まれた(あるいは育った)土地に起因するわけではないだろう。例えば、彼は生まれたときからずっと関東だが、自身は「北のひと」であるらしい。ちなみに、彼によると「北のひと」の定義は「あたりが柔らかい」。

明けて今日、除雪車の音で目が覚める。一晩でだいぶ積もったらしい。


2004年01月26日(月) 高確率

積もったばかりの雪の上に、新しく足跡をつけながら近所のスーパーまで歩く。レジのところで、知り合いとばったり。ご近所だったのかと、互いにじゃがいもの袋と束になった人参とを手にしながら立ち話をする。小さな街なので「ばったり」の確率はとても高い。悪いことはできないとも言う。

雪の夜の匂いが好きだ。氷点下の寒さもまたよし。


2004年01月24日(土) 達人

とあるお宅に招待される。この日、気温はマイナス9度。にもかかわらず、その家の猫は戸外にて走り回り、中へ入ろうとしない。ドイツの猫はたくましい。キジトラの大きな猫だ。

料理はすべてご主人が担当。いっしょに訪ねた人によると「料理の腕はプロ級」、毎日台所に立っているらしい。今日のメニューは、かぼちゃのスープとチコリのサラダ、それにいろんな種類のキノコが入ったリゾット。どれも美味。特にリゾットがすばらしい。しかし、本人は不満らしく、作るたびにコツはつかめてきたけれども、まだ20パーセントほど「何か」が足りないのだと言う。いわく、「外食するたびにリゾットを注文して研究する」。きっとこの姿勢が、ある道を究めるために必要なものなのだ。感心しつつ、80パーセントあれば上々と思ってしまう我が身を振り返る。

本日の料理人、食後には葉巻で一服。見ると、葉巻の先をグラスの赤ワインに軽くひたして、それから火をつけている。こうすると風味が増すらしい。五感の中でも、味覚が特に鋭い人なのかもしれない。

帰る頃には雪となる。さすがの猫も暖かい部屋の隅で丸くなっていた。


2004年01月23日(金) 待ち合わせ

待ち合わせに相手が遅れてきた場合、どのくらいの時間、待っていられるか。

こんな質問をよく聞くけれども、自分の場合、一時間はいけると判明。13時の待ち合わせのところ、友人が現れたのは14時。どちらも携帯電話は持っていないので、会えるか会えないかのすれすれのところだった。もっとも、今回はいろんな条件が重なった結果とも言える。遅刻常習犯であること(いつも時間通りに来る人ならば、事故でもあったのかと心配していただろう)。たとえ遅れても必ず来ると信じられる相手であること。待ち合わせ場所が本屋だったことも、よかった。本屋ならばきっと二時間でも大丈夫だ。待っている間に、ポルトガルの本を一冊買ってしまう。

友人と別れる頃には、外はもう真っ暗。灯りのともらない塔は、夜、黒々とした影となって街の上に浮かぶ。その傍らに、ひときわ明るい星がある。あれはたぶん木星だろう。星がよく見える夜は空気が冷たい。帰り道、息が白い。



2004年01月22日(木) 懐かしいあの場所

自転車に乗る夢を見る。海辺の道をひた走り、やがて、なつかしい場所に出た。ずっと前から知っているのに今ようやく辿り着いたような、そんな雨上がりの港町だ。白っぽい蛍光灯のともる土産物屋には干物や貝殻のネックレスなどが並ぶ。嵐のあとの青黒い海と、強い潮の匂い。夢で見たのか、実際に知っているのか、ひどく曖昧な場所の記憶がたくさんある。


2004年01月21日(水) 何処かへ

誰にでもひとつは「苦にならないこと」があるだろう。細かい作業を何時間でも続けられる人、料理大好きな人、身体を動かしていないとすっきりしない人。自分の場合、その「苦にならないこと」は、「移動すること」だ。どこかへ向かっている最中がいちばん楽しい。単なる逃避か、やがては帰る場所があるはずという甘えか、それでも、その落ち着きのなさは事実なのだから、心ゆくまでまっとうしようと思う。

ということを、次に訪ねる場所のことを調べながら考えた。

久しぶりに晴れる。よく晴れた日の朝はひときわ寒い。


2004年01月19日(月) 正体はいかに

仕事でよく東京へ行く友人は、その度にお土産を持ってきてくれる。今回は、海鮮素材の「えび好み」。自分用にはインスタントの味噌汁を買い込んできたらしい。小さなお店にて、たくさんの野菜が入った、うどんでも蕎麦でもない麺を食べたとの話だが、それがいったい何なのか正体をつかめず。そういえば、温かい麺類をしばらく食べていない。


2004年01月18日(日) 南チロル点景

ブレンナー峠を越えて南チロルへ。いちおうイタリアではあるのだが、街の中の標示はすべてドイツ語とイタリア語の同時表記、学校でも両方の言葉を習うという地方である。

「チロル」という言葉から、アルプスの山並みとか、山の暮らしとか、牧歌的なイメージを勝手に抱いていたけれども、実際に訪れて、ひどく生々しい土地であるのに驚いた。もっと言うならば、血の匂いがするかのような。少なくとも「牧歌的」とは正反対の空気を持つ場所であることは確かである。

いたるところに磔のキリスト像がある。木製の磔像にはきまって傷跡が彫られ、そこから血がにじみ、流れている。白い身体と、その血の赤のコントラスト。

夜、墓場まで散歩。雪の中に、ほのかに赤いろうそくの灯りが点々と散らばっている。いっしょに歩いていた人が、これは神の永遠の光を表すのだと教えてくれた。山から流れてくる水の音がする。見上げると、ぞっとするほどにたくさんの星。村の奥へとつづく道の向こうに北極星が見えた。


2004年01月15日(木) 雨の日

雨が続いたせいか、川の水位が上がっている。流れが速い。よく散歩する中州の道も水の底だ。川沿いの店では土嚢を積んで簡易堤防にしているが、そこも直に越えてしまいそうな勢い。雪はもう、すっかり溶けた。

昨日訪ねた友人の部屋からも川が見えた。引越し間際ということで積み重ねられたダンボール箱を寄せてスペースをつくり、いろいろな種類の強いお酒を少しずつ飲んだ。名前のわからないシュナップス、グラッパ、シチリア土産というレモンのリキュール、リモンチェッロ。そして、ずらりと並んだ瓶の奥から、これはとっておきなのだと友人が取り出したのは、チョーヤの梅酒。

夜、依然として雨降りやまず。川の上に流されるように浮かんでいた白鳥はどうしただろうか。


2004年01月12日(月) 苦手分野

風が強い。今日は街中まで川の匂いが届く。塔の上を白い鳥の群れが渡っていった。鳴き声は聞こえなかった。

夜、友人宅にて「カタンの征服者たち」なるボードゲームをする。2回目となる今回、前回よりは慣れたけれども、集まった4人の中では相変わらず一番下手だった。あれこれ指導されながら進めるも、2回やって2回とも最下位。その後、夏の話になる。緑濃い季節、川沿いのビアガーデンでビールを飲むのがいかに素晴らしいかということについて。

外からは雨の音する。寒い季節は、もうしばらく続く。


2004年01月10日(土) 『ニシノユキヒコの恋と冒険』

友人が送ってくれた『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美(新潮社)読む。川上弘美さんの本を読むと、時折、ぞっとするほど深い淵の前にいるような気持ちになる。けれども、それを決して声高に訴えたりはせず、あくまでも日々は淡々と続いてゆくのだ。そして、「続いてゆく」ということこそが、そうした淵の前で自分たちを立ち止まらせてくれるのかとも思う。

小雨。道路の雪は溶けた。夜には凍るだろうか。


2004年01月08日(木) バナナチップの思い出

友だちの家、親戚の家、親に連れられて行く誰かの家。小さい頃に訪ねた家のことはよくおぼえている。黙って座りながら、そこいらにあるものを熱心に見つめ、触り、空気ごと自分の中に取り込んでいたのかもしれない。

父方の曽祖父のことは「どどのおじいちゃん」とよんでいた。「どど」とは「魚」のこと。縁側から見下ろせるところに鯉の泳ぐ小さな池があったのだ。縁側の板目は日の光で温かかった。隅っこに置かれていた鯉の餌の入った紙袋。大きな口を開けて水面に浮かんでくる鯉が面白く、でもどこか恐ろしく、いつも少し離れた場所から、弟とふたり、餌を投げ入れた。

また、お寺のそばにあった友だちの家。居間にガラス戸の付いた大きな棚があり、そこにはいつも袋入りのバナナチップが置かれていた。黄色い縁取りのされた袋にはバナナと猿の絵が描かれていて、それを眺めながら、あれはどんな味がするものなのかと、まだ一度も口にしたことのないお菓子に、ほとんど想い焦がれた。けれども、食べてみたいとはとても言い出せず。その後しばらくたって自分で買ったとき、どんなに嬉しかったことだろう。

友人から郵便でバナナチップが届き、思い出した次第。バナナチップはもうずいぶん長い間、好物、かつ、自分にとって特別なものなのだ。


2004年01月07日(水) 見極めるべし

クリスマス休暇が終わり、講義も再開。寮に人が戻ってきた。来週月曜日から映画館にて「ラスト・サムライ」が上映されるとの話題になる。皆興味があるらしく、結果5人して観に行くことになった。異国にて、異国の人に囲まれながら日本についての映画を観るのは、果たしてどんな思いがするものだろう。

今日買ったクレメンティーナは外れ。いつもより大きいサイズの袋を選んだら、中がパサパサだった。大きさに惑わされて失敗したという例。


2004年01月05日(月) 「王の帰還」

「ロード・オブ・ザ・リング」第三部、「王の帰還」観る。あの場面も、この場面も入れてほしかったなどと思いながら観ていたので、3時間でも短かった。

原作「指輪物語」に一貫して流れるのは「失う」ということだと思うけれども、その喪失感がしっかりと描かれている。だからこそ、たまらない。一度失われたものが、再び元のままに戻ることは決してないのだ。けれども、物語は続いてゆく。喪失感と向き合いながら、物語は続いてゆかなければならないのだ。

第一部を観たとき、何としても最後を見届けることができますようにと思ったけれども、念願叶う。とりあえず、そのことに感謝。そして、サムがとにかくすばらしい。今日は眠れないかもしれない。余韻が深すぎる。


2004年01月04日(日) ことばの力

短い文章なのに、読むたびに力がわいてくるような、風通しがよくなるような、そういったメールをくれる人がいる。今日、その人からメールが届いた。先日会ったときの話と新年のあいさつだったのだけれども、読みながら、おみくじで大吉をひいたときのように、今年がほんとうによい年になるような気がしてくる。「言霊」はあると思う。自分も、どうせならば、いつも心をこめた言葉を使いたい。

今日は一歩も外に出ず。部屋の中から雪を見る。


2004年01月03日(土) 抱負

一日部屋の中にいて心ゆくまで怠けようと思っていたのだけれども、結局、外へ。雪が降っている。コートの袖に落ちてきた雪に目をやると、結晶のかたちがはっきりと見えた。

スーパーにて食料買出し。そのあと本屋に寄り道。店内にはソファがあちこちに置かれており、分厚い本をめくるお父さんの隣りで、小さな男の子が絵本に見入っていたりする。すっかり暗くなった帰り道、教会の鐘が鳴る。この音を間近で聞けただけでも、外に出て来てよかった。

年が明けたばかりのこの時期、昨日の失敗のことなどもあって、歩きながら、今年の抱負などつらつらと考える。今年は正直にいこう。考えていることと、口にすること、実際に行動に移すこととが、バラバラにならないように。


2004年01月02日(金) トスカ

年明け早々の大仕事で失敗。さすがに落ち込んだ。そんな中、ラジオからマリア・カラスのトスカ。

数ヶ月前、はじめて舞台で「トスカ」を観た。とめどもなく流れてゆく時間の前では、つい途方に暮れそうになるけれども、それでも瞬間瞬間のきらめきというものがある。いつか流れ去って、やがては誰からも忘れられてしまうのかもしれない、そうした「瞬間」、辛いものであるにせよ、幸福なものであるにせよ、だからこその輝き。舞台を観ながらそんなことを考えていた。

番組が終わる頃には、すっかり元気になった。相変わらず立ち直りだけは早いけれども、果たして良いのか、悪いのか。


2004年01月01日(木) 年が明ける

大晦日は友人の家にいた。日付が変わろうとする少し前、部屋の中から皆いっせいに外へ。あちこちの建物から、同じようにシャンペンのボトルやら花火やらを手にした人びとが次々と現れる。新年。花火の音。爆竹の音。その瞬間だけ、街中が倍の明るさになったと思う。そこら中の人と「あけましておめでとう」と言いながら抱き合った。今年もよい年になりますように。


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