日々雑感
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2003年11月30日(日) 市が立つ

近所に住む夫妻と、洗礼時にふたりが代父母をつとめたという小さな女の子と、4人してクリスマス市へ。5時を過ぎるともう真っ暗なのだが、そんな中、広場に屋台の灯りが浮かぶ。

クリスマス・ツリーの飾りを売る店、匂いつきの蝋燭を売る店、リースを売る店、ソーセージの屋台、それに何といってもグリューワイン。グリューワインは、丁子などのスパイス類やオレンジなどで風味をつけたホット赤ワイン。これが飲みたかったのだと言うと、お父さんが皆の分をおごってくれる。女の子はアルコール抜きのもの(どういう仕組みになってるのかは謎)、大人はラム酒を加えたもの。美味。口当たりが良すぎて危険。

今日は特別に寒い。グリューワインのカップを手にしながら、焚き火の周りで暖を取る人多し。火がはぜる音を聞きながら、互いにお喋りなどしている。隣りの人が食べている見たことのないお菓子も美味しそう。


2003年11月28日(金) 心ここにあらず

かつては商人の館だったという古い建物の階段を下りながら、幅が狭いな、これは気をつけないと危ないなと思った瞬間、滑って数段分落ちた(近くにいた人びとに助け起こされる)。友人が、大事にしていたペンをなくしたり、時計を壊したりということが続いたとかで「きっと気持ちが落ち着いていないのだと思う」と言っていたが、自分も同じかもしれない。

小雨。雨よりは雪のほうがよいけれども、なかなか、そううまくは行かず。


2003年11月27日(木) クリスマスの匂い

街から30キロほど離れた郊外の家にて、クリスマスリース作りの手伝い。泉のほとりに広がった小さな集落である。

花や木の実など色のあるものは使わず、色んな種類の木の葉だけを使って束ねてゆく。中でも大事なのはモミの木だという。様々な緑色の組み合わせ方などなかなか難しく、作業も細かい。とても手先が器用とは言えない自分は、屋外にて、枝から葉っぱをちょうどよい大きさに切り取る仕事に専念。山と積まれた様々な種類の木々を相手に格闘。猫が一匹、足元にまとわりつきながら、つきあってくれた。

出来上がったリースからは深い森の匂いがする。これが、ここでのクリスマスの匂いなのだ。

昼はじゃがいもスープとプレッツェル。部屋の中では暖炉が燃えていた。


2003年11月26日(水) その日

近所に住む夫妻から「クリスマスの日はよかったら家に来なさい」と招待される。いわく、「クリスマスに一人きりで寮の部屋の中には居させられない」。他の友人も、もし何も予定がなかったら自分の家に来るようにと言ってくれた。「絶対に一人で過ごすようなことはあってはならない」と、「絶対に」という部分を何度も強調しながら。

クリスマス、街はいったいどんな様子になるのか。こんな調子だったら、一人で過ごさざるを得ない者はたまらないだろう。そして、その数はたぶん、決して少なくはないのだ。

友人から郵便物届く。頼んでいた物の他に「チーズ鱈」と「ほたて焼貝ひも」が出てくる。嬉しい。まさにツボを心得た選択。さっそくビールを買いに行こう。


2003年11月24日(月) 霧の日々

霧の日の朝は、目覚ましをかけておかないと寝過ごしてしまう。光が届かないせいか。今日もバスの時間ぎりぎりに目が覚め、あわてて準備する。朝食抜き。寒い。

霧は夕方には晴れることが多い。空が見え、日差しが届くと、外を歩き回りたくてうずうずしてくるが、その頃にはだいたい日の入り直前。川向こうに灯りがともり始める。何処へか鳥が群れて飛んでゆく。


2003年11月22日(土) 近づく

広場ではクリスマス市の準備中。オレンジと白のストライプ模様の屋根を持つ屋台がいくつも立ち並ぶ。一隅には移動式のメリーゴーランド。水色、黄色、淡い色をした小さな馬やミニチュア版の馬車。毛糸の帽子を被った男の子が、シートのすき間から覗き込んでいる。

毎日、雪の降りそうな匂いがしている。湿った空気のせいか。


2003年11月20日(木) 好青年

「絵に描いたような好青年」という決まり文句をそのまま使いたくなる人と会う。とある団体の代表者なのだが、とにかく面倒見がよく、話をするときには相手をしっかり見て、その目がまたキラキラしているのだ。聞くと、声変わりするまでは教会の聖歌隊に入っていたのだという。「聖歌隊」からイメージするものと、目の前の彼の好青年オーラとがあまりにもしっくりくるのに、関心。

それにしても握手をすることが増えた。毎日、誰かしらと握手している。今まで日本で暮らしてきた月日における握手の合計数は、ドイツにやって来てからの3ヶ月で軽く越えたと思う。


2003年11月19日(水) 北の街へ

寒くなるにつれて、北の方の街へ行きたくなってきた。もうずいぶん前に一度だけドイツに来たことがあるのだが、そのときは、時折雪も舞うような寒い時期に北の方ばかり周ったのだ。正確にいえば、「北」というより海に近い街の空気がなつかしいのかもしれない。潮の匂いや、雑多さや、明るさと湿った暗さとが同居している、港町の空気。

今日もスーパーにて、みかん補充。十個入ったネットで約百円。どうにも止まらない。


2003年11月18日(火) 道程

夕方から外国人学生向けの語学の授業。

「国民性」と言ってしまってよいのかはわからないが、各国ごとのカラーはやはりある。ボケとツッコミでいけば、フィンランドは明らかに「ボケ」、チェコは「ツッコミ」(とにかくよく笑う)、それを横目で見ながら我が道を行くのがイギリス。そして、ポーランドの女の子たちは、なぜに揃ってあんなにきれいなのだろうか。

新学期が始まってようやく一ヶ月というのに、皆の上達ぶりはすごい。はじめこそ何とか同じようなペースで話していたけれども、今ではすっかり置いていかれている。その言葉で夢を見るのが語学修得が近づいている「しるし」というが、「日本語を話すドイツ人」なる中途半端な夢ばかり見ているからには、まだまだか。道程はたぶん険しい。


2003年11月16日(日) 線路の上

今月三人目の来客にして、その中でいちばん古くからの友人と遠出する。朝早く、電車に乗り込んだときには深い霧だったが、目的地に着く頃には晴れた。久しぶりに見る青空だ。

川の流れる街。小さな橋をいくつも渡った。さんざん歩き回ったあと、日があるうちから飲むビールもまたよし。地元の人ばかりが集まっているような店の片隅の席で、共通の友人の話など聞くのは不思議な感じがする。

帰りの電車、友人は終点の駅まで向かい、自分はその手前で降りる。その友人、乗り込んだとたんに熟睡。少なくとも一年はもう会えないのだから、もっと別れを惜しんでくれてもよいのにと思いつつ、逆の立場ならば自分もきっと同じような感じだったろう。別れ際はあっさりがいい。併走する人生。時折の交差。


2003年11月15日(土) 危機一髪

夜、友人と飲み屋。きちんとしたテーブル席とは別に通路部分にも簡易テーブルとベンチが並べられ、街の人びとが集まってきてはビールを飲んでいる。土曜の夜ということで店内は満員。テレビでは女子サッカーのドイツ対ポルトガル中継中。先日のワールドカップでも優勝したドイツ女子チームはさすがに強く、13対0というサッカーとは思えないスコアで圧勝。相手チームが気の毒になるくらいだったが、お客は大喜び。ベンチの隅っこで、小さな女の子がふたり、肩寄せあいながら画面に見入っている。

つづけて男子チームの親善試合、ドイツ対フランスが中継されるということで、その後、ますます人が増える。お店の人が運んでくるビールの量も増える。どんな騒ぎになるのかと名残惜しく思いつつも、外へ。隣りに座っていた女の人が「よい週末を」と笑いながら道をあけてくれた。

バスにて帰宅。ニュースを見ると、0対3で男子チームのほうは完敗していた。その場にいたら大変だったかもと半分安心、怖いもの見たさで半分残念。


2003年11月14日(金) 冬の友

スーパーにて、みかん発見。スペイン産で「クレメンティーナ」という名前なのだが、色といい、大きさといい「みかん」そのもの。手で簡単に皮がむけ、小袋ごと食べることができ、味はオレンジとみかんの中間といったところ。しかも、美味しいうえに安い。ごっそりと買ってきたのだが、さっそく際限なく食べ続けている。冬を過ごす友ができた。

今日も霧。寒い。


2003年11月13日(木) ふたり歩き

今月は来客多し。汽車で1時間半ほどの街に住む友人がやって来る。東京では同僚にして飲み友達。

良い音楽に対する嗅覚の鋭い人で、街を歩きながら、コンサートのお知らせやら、掘り出しものをごっそり隠した楽譜屋やら、次々と発見する。すごい。今までさんざん歩き回っていたというのに、自分は見つけられなかった。ひとり歩きがとても好きだけれども、誰かと歩く楽しさというのはまた特別だ。

そのあとはもちろん飲み屋へ。作り立てのビールを出してくれる街外れの居酒屋にて、3種類あるビールを一杯ずつ飲む。それにソーセージ。飲みながら、食材や本など交換する。こちらからは乾燥ワカメ。斉藤茂吉の随筆集。彼からは「サッポロ一番」しょうゆ味とレトルト・カレー。嬉しい。大事に食べよう。

すっかり夜も更けた駅にて見送ったあと、歩いて帰る。霧の夜。その向こうに霞む月。


2003年11月09日(日) 旅の途中

大きなリュックを背負って、友人がやって来た。国境をいくつも越える旅の途中。ふたりして落葉に埋もれた川ぞいの道を歩き、ひたすら細い石畳の路地をめぐり、夜には小さな店でビールを飲んだ。テーブルの上には蝋燭がひとつ。その灯りを見ながら、ギリシャやイギリスやポルトガルの話を聞いた。

翌朝、次の街へと向かう友人を中央駅まで送りに行く。見送られるのは苦手だけれども、見送るのは好きだ。線路の向こうに小さくなる汽車を見送っての帰り道、時刻を告げる教会の鐘の音が聞こえてくる。

鐘の音、遠くまで響け。


2003年11月05日(水) 流れる

ここにいると、砂時計が目の前に置かれているかのように「時間の流れ」を強く感じる。ひとりひとりに与えられた時間の量はあらかじめ決められていて、それが尽きてしまうとき自分もいなくなる。古い写真、子どもの頃クリスマスにもらったプレゼント。そうしたものを大事に大事に仕舞っていた老夫妻。あるいは、今まで暮らしてきた様々な国や街の物を家中に置き「ここは『思い出の家』なんだ」と言っていたおじいさん。過ぎ去っていった時間、残された時間、直視するのは怖い気がするけれども、それを受け止め、そのうえで過ごしているような印象を受ける。かといって、悲壮な感じだというわけではない。もっと静かに、いずれ尽きてしまう時間を慈しんでいる。

時間に対してそんなふうに感じたことは、あまりなかった。「流れ去る」というよりは、もっとゆるゆるとしたもののように思っていた。例えば、古い街並を残したり、壊れた部分は何故そこまでと思うくらいに修復したり、それは「古い物を大切にする」というだけではなく、時間に対する感覚そのものがきっと違うのだろう。それとも、帰る期限が決まっている自分の今の状況がそんなふうに思わせているだけか。

夜、なつかしい人からメール届く。不意に届く便りはいつも嬉しい。


2003年11月03日(月) 禁断の味

ついにヌテッラを買ってしまった。元々はイタリア産らしいが、ドイツ人も大好きなヌテッラ。子どもの頃は家族中で奪い合いをしたものだよと、皆が遠い目をして語るヌテッラ。一見チョコレートクリームに似ているが、実はへーゼルナッツが主成分、それとカカオを使ったスプレッドである。へーゼルナッツの香ばしさが何ともいえず、ヌテッラさえあれば、もう何枚でも際限なくパンを食べてしまうらしい。このヌテッラ、スーパーでは棚を何段も使って並べられている。カロリーと脂肪分が半端ではなく高いということで見て見ぬふりをしていたが、今日、とうとう手を出した。台所の片隅にヌテッラ。禁断の味。でも幸せ。


2003年11月01日(土) 万聖節

万聖節。祝日。近所に住むドイツ人夫妻は「亡くなった人たちのことを思い出す日」と教えてくれた。この日には家族が集まり、花などを手に、そろってお墓へ行くのだという。

万聖節もハロウィンもケルト起源である。古代ケルトでは、11月1日が新しい年が始まるという元旦にあたり、その前夜(つまりハロウィン)は、あの世とこの世の境が開き、死者たちが帰ってくる日とされていた。収穫の秋が終り、冬へと本格的に向かってゆく季節の変わり目の一夜、あらゆるものの境界線が溶けて混ざり合い、精霊たちが跋扈する。

死者が親族のもとに帰るあたりはお盆を思わせるけれども、仮装し、お菓子を求めて家々を訪れる子どもたちはやっぱり「なまはげ」に似ている。なまはげが山から下りて来るのも大晦日の夜だ。「移行」するときには必ず境い目が開き、そこから何かがやって来るのか。あるいは過ぎ去ろうとする古い季節の象徴か。

「万聖節」が祝日となるのはカトリックが強い地域だけである。カトリックが多いこの州では祝日だったけれども、プロテスタントが多い北ドイツのほうではしっかり「平日」らしい。そういえば、大学の職員の人は「ここはドイツでいちばん祝日が多い州だ」と嬉しそうに言っていた。


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