日々雑感
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2002年02月28日(木) 怖いものはたくさんあった

友人といっしょに髪を切りに行く。もう何年も通っているところなので、店内に入ったとたんに「お久しぶりですー」と声がかかる。

美容院でいちばん好きなのは洗髪だ。このお店では、髪を洗って、ついでに頭の指圧もしてくれる。そんなに長い時間ではないけれど、このためだけに美容院に来てもいいと思う。

子どもの頃は髪を洗うのが怖かった。まだほんとに小さな頃、いっしょにお風呂に入っている母親がいつ「髪洗うよ」と言い出すかと、いつもビクビクしていた。さ、洗うよと言って抱きかかえられると、もう頭にお湯がかけられただけで怖くて、泣き叫んでいたような気がする。それだけに、はじめて自分ひとりで髪を洗えたときのことはよく覚えている。

怖いものはたくさんあった。テレビのチャンネルをまわすのが怖かった(当時はリモコンではなく、ガチャガチャまわすタイプのやつだった)。窓の隙間から聞こえる風の音が怖かった。仏壇のある部屋が怖かった。一人でトイレに行くのが怖かった。橋を車でわたっていると、海中からキングコングが出てきて橋を折ってしまうのではないかと怖かった(テレビで映画を観たのだろう)。下りのエスカレーターに足を踏み出すのが怖かった。「なまはげ」は死ぬほど怖かった。近所に沼地があって、「底なし沼」という響きに怯えた。臆病な子どもだったのだろうか。今思えば何でそんなものがというようなことでも、真剣に怖かった。

髪を切ってもらったあとは、いつものように友人と飲み屋へ。友人はバイト先からの預かり物を届けてくれる。仕事といっしょにお菓子がたくさん入った袋もある。えびせんやクッキー、いちご味のトッポなど、どっさり入っていてうれしい。

ひとしきり食べて、飲んで、しゃべったあと、地下鉄に乗って帰る。一駅前で降りて歩く。夜もだいぶ暖かくなった。春の夜歩きは楽しい。アルコールも入って、いい気分で歩く。空気にいろんな匂いが混じっている。


2002年02月27日(水) 流れつづける

御茶ノ水を歩く。

神田川と並行してオレンジ色の中央線が走っている。反対側からは黄色の総武線。電車の音やホームの発着ベルが通りまで響いてくる。川の音は聞こえない。

橋の上から見下ろすと、鈍い色をした水は止まっているように見える。けれど、この川もやっぱり流れているのだろう。そして、やがては海へと向かってゆくのだ。

どんな川にも必ず流れがある。目には見えなくとも流れている。流れなければ川は死ぬのだ。夜になれば電車は止まるけれども、川は絶えず流れ続ける。静まりかえった街の中で、川の音は聞こえてくるのだろうか。

坂を下って神保町まで歩く。四月からのゼミで使う本を探して古本屋をまわる。何軒目かでやっと見つけると、品切れ中ということで定価より高い値がついている。「本との出会いも一期一会」という言葉が頭をよぎるが、何しろ高い。さんざん迷ったあげく、今回はやめておく。

帰りの地下鉄に乗ったとたん、失敗したかなあとちょっと後悔。後悔しつつ、うとうとと眠くなる。電車の流れに揺られながら。


2002年02月26日(火) 地下鉄にて

地下鉄に乗る。空いている席に座り、ふと顔を上げると、隣りの女の子が窓の外に向かって手をふっている。中学生くらいの、セーラー服姿の女の子。窓の外にいるのは、20になるかならないかといった男の人だ。発車ベルがなっている間中ずっと、女の子は手をふりつづけた。

電車が動き、やがて男の人の姿も見えなくなった。すると、女の子は手すりに顔をくっつけたかと思うと、いきなり泣き出したのだ。一生懸命に泣き声を殺しているが、ときどきしゃくりあげるのが聞こえてくる。

悲しみの波動というのは、こんなにもはっきりと伝わってくるのだ。女の子の泣き声といっしょに、それこそ「悲しい」としか言いようのない空気が押し寄せてくる。それがあまりにも強烈で、うろたえてしまう。

ひとりぽつんと残された小さな女の子みたいな泣き方。鞄には小さな人形のキーホルダーがくっついている。声をかけるのも変だし、どうしようと隣りでおろおろしていたら、だんだんとこっちも悲しくなってきた。強い感情は伝播するらしい。

数駅先で彼女は降りた。長い髪で顔を隠すようにして、小走りに改札のほうへと向かっていった。あれからひとりで、どこへ行っただろう。

夕方に帰宅。うとうとと寝入ってしまう。夕食をとるのも忘れて延々と寝続ける。目が覚めると、辺りは静まり返って、一瞬自分がどこで何をしているのかわからなくなる。日付が変わっている。

もそもそと起き出して、本屋で買っていた『猛スピードで母は』長嶋有(文藝春秋)をめくってみる。読み始めたらこれが面白い。結局「サイドカーに犬」のほうを読み終える。夏の空気とか、子どもの頃の感覚とか、生々しく蘇る。ずっと大事にして、何度も読み返したくなるような小説だ。表題作のほうは明日読むことにする。

明け方近くになるといろんな音が聞こえてくる。朝の気配。騒がしくなってきたカラスの声を聞きながら、もう一度眠る。


2002年02月25日(月) 五感と夢と

ここ数日まともに寝ていないせいか、断片的な夢ばかり見る。

その断片のひとつで、ある人が歌っていた。誰かが歌っている夢はよく見る。ふだんの夢では、声や音は聞こえていない、あるいは特に印象には残らないのだが、歌の場合は違う。声も響きもはっきりと聞こえてきて、それは決まって「すごくいい」歌声なのだ。目が覚めてからもはっきりと思い出せるくらいに。

友人は、言葉が出てくる夢をよく見るという。字幕スーパーのように言葉が流れてきて、それを読んでいるらしい(読んでいるのは夢の中の自分なのか、夢を見ているほうの自分なのか)。

人によってよく見る夢の傾向が違うのだとすれば、それは何に拠るのだろうと思う。視覚とか聴覚とか、日頃いちばんよく使っている部分が夢の中でも機能するのだろうか。それとも、その逆だろうか。夢の中で足りない部分を補っているとか。

大家さんの庭に紫色の小さな花が咲く。スミレかと思ったが、ちょっと違う。風景の中に、だんだんと色のある花が増えてくる。



2002年02月24日(日) 「お帰り」の音楽

夕方、駅前を歩いていたら「夕焼けこやけ」のメロディーが聞こえてきた。17時だ。

「夕焼けこやけで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」とあるように、以前はお寺の鐘の音が時間を告げたのだろう。音はその場の空気に切り込んでくる。一瞬、足を止めさせる。

前に住んでいた街では「家路」だった。夕方に流れる音楽といえば、この「夕焼けこやけ」と「家路」以外に知らない。曲調のせいか、夕方という時間帯のせいか、外を歩いていてこれらの曲が聞こえてくると、妙にものさびしくなる。「そろそろお帰り」の音楽。

「お帰り」の音楽といえば、お店での定番は「蛍の光」。閉店間際の店内を歩いていてあの曲が流れてくると「今日も終わりだな」と何かしみじみとした思いになる。ああ、でも一つすごいのがあった。大学のそばにあった蕎麦屋(ほぼ定食屋)では、閉店時間になると「軍艦マーチ」が流れるのだ。いきなり「軍艦マーチ」が店内に流れたかと思うと、まだ食べている人がいるのも構わずに、どんどん椅子がテーブルの上に積み上げられてゆく。しみじみとするどころではなく、ラストスパートをせかされているような感じ。

夕方の街に「軍艦マーチ」とか鳴ったらちょっと嫌だ。それとも、今日ももうひと頑張りと元気が出てくるだろうか。


2002年02月23日(土) 航海中の信号、そして港

友人から手紙が届く。

彼女とは、中学生の頃からずっと手紙のやりとりをしている。彼女は東京、自分は秋田で、中学校、高校、上京して大学生活、ずっと手紙を書きあってきた。ほんとによく書いた。パソコンも電子メールもまだ普及しておらず、便箋に手書きで何枚も何枚も書いた。彼女は本好き・舞台好き・映画好きで、便箋からはいろんな世界が垣間見えた。私の手紙からは何が見えていたのだろう。

二人とも同じような道に進んだけれども、彼女は本を書き、非常勤講師を務め、結婚もして、自分の選んだものに確信と愛情を持って全力を尽くしている。その迷いのなさがまぶしく、うらやましかった。すべてにおいて自分とは正反対だったので。

けれども、手紙を読むとそこにはいろんな不安がつづられていて、ああ、同じだなあと思った。迷いのない人などいないのだ。周りからはどう見えようとも、本人の中ではいろんな思いが渦巻いているのだ。あとは、そうしたものに対して、どう自分で納得していくかなのだろう。必要なのは、選び取る覚悟とそれを持続する強さなのかもしれない。

彼女のことは勝手に「同志」だと思っている。これからも、それぞれの航路をゆくだろう。航海中の船が互いを確認するための信号を出すように、時折、手紙を書きあいながら。

夜、高校時代の友人たちと会う。今回は5人。居酒屋で鍋を囲みつつ、飲み、話す。牡蠣の雪見鍋。これもまた、旅の途中の港でたまたま落ち合い、ひととき停泊しているようなものか。


2002年02月22日(金) 「幸せ」の風景

電車の中で『文学交友録』庄野潤三(新潮文庫)を読む。交友のあった文学者やについて語ったもの。井伏鱒二、三好達治、佐藤春夫といった大先輩から、吉行淳之介や安岡章太郎、最近亡くなった近藤啓太郎などまで。

河上徹太郎についての記述がいい。庄野家と河上家は家族ぐるみのつきあいがあり、クリスマスにいっしょに過ごすのが年中行事になっていたらしい。みんなが一つの部屋に集まり、食事したり、おしゃべりしたり、歌をうたったり、ピアノをひいたりする。そうしたある日のことを、小さかった庄野の長女が書いたもの。

相当酔ったてっちゃん(河上徹太郎)が、お父さんに、
「おい! 庄野」
と怒鳴って、握手してから急に真面目な声になって、
「お互いにいいものを書きましょう」
とおっしゃったことがあります。お父さんが、それに対して、本当に是非お互いに元気でいい仕事を残したいという意味のことをいっていると、今度は私たちの方を向いて、
「何かもしょもしょいっているよ」
といわれ、おかしかったです。

庄野潤三が書き記す光景はどれもほんとうに幸せで、だからこそ読んでいて泣きそうになることがある。それが、どんなに奇跡的でかけがえのないものであるか。儚く、それでいて強いものであるか。「幸せ」というのは、何も欠けていない状態を指すのではないと思う。

夜、「ミュージックステーション」で奥田民生をボーカルに迎えた東京スカパラダイスオーケストラの新曲を聴く。ギターを手にしていない奥田民生を見るのは久々だが、お揃いのスーツ姿もなかなか似合って、いい感じだ。そしてボーカルがすばらしい。この人はやっぱり稀有な歌い手だと思う。どんな歌にでも生命を吹き込むことができる。CDがほしくなる。


2002年02月21日(木) リフレイン

なつかしい人の夢を見る。

その人が誰か知らない。顔は見えず、ぼんやりとしている。それでも「やっと会えた」と思った。うれしかった。夢の中で心の底からほっとした。目が覚めたあともしばらく「なつかしさ」の余韻が消えない。窓から陽射しが入ってくる。

いい天気だ。大家さんの庭では桜草が咲き始めている。ピンク色の小さな花。大家さんの猫モモちゃんは車の上で丸まって昼寝している。陽射しの暖かい日。

角の金魚屋の前を通る。通りに面して水槽がずらりと並び、小さいのや大きいのや、色とりどりの金魚がたくさん泳いでいる。水槽に移しかえる前の金魚が、大きなビニール袋に入ったまま道に無造作に置かれていることもある。野生の金魚というのはいるのだろうか。ふと考える。水槽の中の世界。水槽越しの眺め。水が太陽に反射してきらきら光る。金魚の体も光る。

夜、CDを聞きながら持ち帰りバイト。歌詞のないものをと思ってクラシックにする。パッヘルベルのカノンやG線上のアリアを聴きながら、リフレインについて考える。ひとつのものを繰り返しているようで、それは決して同じところに留まってはいない。変奏を重ねつつ、螺旋をえがくようにずっと続いてゆく。そして、自分もまたそんな螺旋の上にいる。

リフレイン。遠くから響いてくる。遠くまで響いてゆく。


2002年02月20日(水) 春愁

大学へ行く。試験期間もほとんど終わりということで、人影はまばらだ。職員や院生ばかりなのか、歩いている人の平均年齢も高い気がする。大学にとっては、どっちつかずの半端な時期である。まだ葉のない木々も校舎も身をひそめている感じ。自分の足音がよく聞こえる。

研究室や教務課で用事を済ませる。ここでの生活もずいぶん長くなったと思いながら構内を歩く。春はいろんな物事が動く季節だ。周りの流れがはっきりと見えるだけに、今の自分の立ち位置も否応無しに思い知らされる。

夜、隣りのアパートに住む友人から電話。貸す約束をしていたマンガを持って遊びに行く。紅茶を飲みながら話したり、ドラマ「漂流教室」を観たりする。ドラマの中では窪塚洋介扮する高校教師が破傷風で危ない状態。友人は看護婦なので「O型ってほんとに誰にでも輸血できるのか」など、いろいろと聞きながら見入る。お風呂も借りる。新しくきれいな浴室で快適(さすが新築)。

外へ出ると三日月。ものすごく明るいなあと思いながら家に戻る、その間わずか30秒。自分の部屋に入ったら、友人愛用の入浴剤の匂いがした。


2002年02月19日(火) 坂の上から

横浜の友人の家を訪ねる。駅から友人の家までは坂道が続く。坂道を歩くのは好きだ。のぼってゆく先に何があるのか、そこからどんな眺めが広がるのか。

ここへ来るのは、年が明けてからははじめてだ。しばし歓談。友人が自分で漬けた梅酒を出してくれる。ちょうどいい色合いで、おいしい。味噌とマヨネーズを添えたキャベツをかじりつつ飲む。

窓からは富士山が見える。あまりにもはっきりと、大きく見えるので驚く。丹沢の向こうにのぞく富士山。夕日の色に染まっている。

富士山が見える窓というのはいいなあと思う。窓からの眺め。うちのアパートの窓からは大きなビルが見える。正午前の一時間ほどは太陽がちょうどその陰に隠れて薄暗くなるのだ。前に住んでいた部屋では、隣りのアパートの窓がすぐそこに見えた。実家の場合はニセアカシアと、海と、遠くに山。遠くまで見渡せる窓があるといい。

梅酒を飲んで、音楽を聴いて、とりとめもなく話をしているうちに、あっという間に時間が経つ。時計を見てびっくり。この家ではほんとに時間を忘れる。

帰り道。坂の上から見下ろす町には灯りがともっている。あの中に、家やお店や車や、いろんなものがあるのだ。けれども、遠くからは等しく灯りしか見えない。坂道をゆっくりと下る。自分も灯りの中へと入ってゆく。


2002年02月18日(月) 菜の花と吹雪

山手線に乗る。どっちが外回りでどっちが内回りなのか未だに区別できないが、渋谷から新宿方面へと向かう電車だ。

座席からぼんやりと車窓を眺めていると、黄色いものが目に入る。菜の花だ。桜も水仙もチューリップもあるけれど、春の花というと「菜の花」とか「たんぽぽ」とか、黄色い花が思い浮かぶ。線路脇の土手に一本だけの菜の花。

夜、地元の友人からメール。近所の野良猫の話が書いてある。「吹雪いてる中でけなげにしっかり眼を開けてがんばっていたよ。」北の方では2月がいちばん寒い時期なのだ。三郎(その野良猫の名前)、こっちはもう暖かいよ。梅の花が盛んに咲いて、野良たちはのんびり歩いてるよ。春待ち侘びる猫の姿を思う。


2002年02月17日(日) 東北のラテン系

午後から小雨。もう雨が冷たくない季節になった。

読売新聞・土曜日の夕刊に「人間列島」という連載がある。47都道府県のうちから一つ取り上げ、出身者のコメントを交えつつ2〜3週かけて紹介していくのだ。北海道、長崎ときて、今回からは秋田。地元である。

見出しに「東北のラテン」とある。作家の西木正明氏が「秋田人ラテン系説」をとなえていて、なるほどなあと思う。

東北というと「我慢強い」とか「耐えて忍ぶ」とか「寡黙」とか、ストイックなイメージで一括りにされるけれども、もちろん「東北」といっても色々だ。その土地の個性というのは確かに持ちつつ、でもそれは多様なのだと思う。秋田に共通するイメージを何かひとつ、あえてあげろと言われたら「ラテン系」というのはいいかもしれない。何といっても、東北の中の「着倒れ、食い倒れ」。秋田で全国トップクラスのものといえば「日本酒の消費量」「美容院の数(人口比)」「貯蓄の少なさ」「睡眠時間の長さ」。

耐えて忍ぶというより、むしろ「ま、いいか」と開き直る。とりあえず酒を飲みたがる(飲める人も飲めない人も)。先のことを考えて努力するというよりも、のほほんと漂いつつ、「そのとき」を楽しむ。大人物が出ないというのがわかる気がする。

例えば電車に乗っていて、秋田から青森に入っただけで、雰囲気が変わるのがわかる。とりあえず顔つきが違うのだ。秋田人の顔はアクがないというかクセがないというか、どこか抜けている。でもって、ええかっこしいで、面倒くさがりで、頑固。しょうがないなあと思いつつ、それもいいかなと思う(このへんが秋田人気質か)。

一方で、鬱病が多く、自殺率が全国トップという事実もある。のんびりした空気も、閉塞感も、どちらも現実。ラテンの国では、光も影も濃いのだろうか。

夜、吉祥寺で友人と夕食。「アジア食堂」というところに入って、グリーンカレーや生春巻きなど食べる。そのあと、本屋で立ち読み。ある雑誌の日本酒特集で安西水丸さんが秋田のお酒を紹介していた。甘いけれど飲み口がすっきりしている、ものすごくおいしいお酒と言う。これはいいなあ、今度帰ったら探してみようかなと思いつつ、本屋を出たら名前を忘れてしまった。ラテン系、記憶力のほうはどうなのか。


2002年02月16日(土) 餃子彷徨

図書館に本を返しに行く。いつもの道を歩いていく。

「ぎょーざー」というスピーカー越しの声が聞こえてくる。角を曲がると「餃子」と書かれた赤い提灯をぶらさげたワゴン車が停まっている。餃子の移動販売車らしい(はじめて見た)。「カレー餃子、ごぼう餃子など、車内で焼いて販売しております。」おじさんとおばさんが、座席で暇そうにしている。そのうち、車を動かしてゆっくりと移動していった。

本を返却。いい天気なので遠回りして帰ることにする。知らない道を選んで進む。

坂道をゆっくりと下ってゆくと中学校らしい建物がある。サッカーボールを蹴りあう音。吹奏楽部なのか、サックスの音も聞こえる。記憶の連鎖。いつかの放課後を思い出す。

細い路地の奥に古い家があって、少し開いた戸の隙間から薄暗い勝手口がのぞいている。ひんやりとした空気。白梅が咲いている。どんどん進む。見たことのないお店が並んでいる。ゴルフ用品店、チーズケーキ屋、お茶の販売所。少し古びた店頭。ゆっくりと走ってきたバスとすれ違う。黒猫が一匹駆けてゆく。

初めて通る道なのに、なぜだかなつかしい。どこかに似ているというよりも、もっと漠然とした感覚だ。いったい私はどこを歩いているのだろう。これは「今」なのか、「いつか」なのか。過去も現在も未来も溶けた、ぼんやりとした空間をふらふら歩いているような気分になる。「いつか」の「どこか」へつながっている道。

やがて、小高い丘の上の木々の合間から大きな神社が見えてくる。その下には、ずっと向こうまで桜並木がつづいている。道幅いっぱいに広がった黒い枝。桜の咲く頃には、きっとすごい眺めになるだろう。春になったら見に来ようと決める。けれどそのとき、私はちゃんとここにたどり着けるのだろうか。

角をいくつも曲がる。だんだん日が暮れてくる。少しだけ不安になってきたとき、一軒のコンビニが見えた。図書館から少し離れた所にある、よく知っているコンビニ。途端に風景が馴染みのあるものに一変する。ぐるりと周って出発点に近い場所に戻ってきたのだ。ふと目をやると、何とあの餃子移動販売車が停まっていて、お客さんが何人も集まっている。できすぎている。まるで異界訪問譚の最後の場面みたいだ。

夕方の商店街は人出が多い。ちょうど切れていたシャンプーを買って帰る。


2002年02月15日(金) いつかの風船

表参道を歩く。よく晴れて、風景の輪郭がはっきりしている。

ふと見上げると、一本のケヤキに風船がひっかかっている。ハート型をしたガス風船。ひもが枝にからまっているらしい。

小さい頃、お祭りの露天で売られていたガス風船を思い出す。銀色に光るガス風船は、ゴム風船とは違って「特別」なものだった。お祭りに行く度に弟はガス風船をねだったが、買ってもらえたことは一度もなかった。

ある夏休み、弟と二人、泊まりに行った親戚の家のおじさんに連れられて宵宮に出かけた。金魚すくいや綿菓子などのお店に混じってガス風船のお店があり、アニメキャラクターのイラストが描かれたガス風船がいくつも揺れている。いつものように弟は立ち止まる。親戚のおじさんは、こういうとき気前がいい。「ほしいのか?」と尋ね、弟がうなずくと、すぐに一個買ってくれた。弟の手に握られ、人ごみの上をゆらゆらと移動していく銀色の風船。弟はもう大満足、ニコニコしっぱなしで、夜もしっかりと柱のところにくくりつけてから寝た。

次の日、父親が迎えにきた。買ってもらった風船を見せようと柱からほどいたそのとき、ひもが弟の手の中からするりと抜け、あっという間に舞い上がっていった。ガス風船が浮かび上がっていくスピードは速い。外は田んぼ。しばらく走って追いかけたが手は届かず、風船は高く高く上がっていって、やがて見えなくなった。消えてしまった。空だけになった。

風船というと、どうしてもあの光景が頭からはなれない。前日の嬉しそうな弟の笑顔と、だんだんと小さくなってゆく風船。「ああ、もう届かない」とわかった瞬間の気持ち。

ケヤキの上のハート型の風船。どこから飛んできたのか。誰の手を離れてきたのか。風にゆらゆらと揺れている。


2002年02月14日(木) 水の結晶

頼まれ事があって蒲田へ行く。通り過ぎたことは何度もあるが、下車するのははじめてだ。蒲田の駅では発車ベルのかわりに「蒲田行進曲」の音楽が流れる。テーマ曲を持つ駅。以前何人かで京浜東北線に乗ったとき、友人のひとりがこの「蒲田行進曲」を聞いて「葛飾では寅さんのテーマとか、いろいろやったらいいのに」と言っていたのを思い出す(その友人は葛飾在住)。

賑やかな駅前。活気のある町というのは、新陳代謝が活発で、ちゃんと「流れ」がある感じがする。おじちゃん、おばちゃんたちが元気だ。自転車をびゅんびゅん飛ばしてくる。

本屋で立ち読み。水の結晶についての本が平積みになっていたので手に取ってみる。何でも、ワープロで打った文字を見せたり、音楽を聞かせたりした水を凍らせると、その言葉や音楽の内容によって結晶化の具合が違ってくるのだという。例えば「愛・感謝」などの言葉を見せた水はきれいな結晶をつくるが、怒りや叱責など、否定的な言葉を見せた水は、歪んだり、結晶化できなかったりするらしい。

人間の身体もほとんどが水でできているのだから、こんなふうに言葉や音楽から影響を受けるはずと著者は述べている。パラパラとめくっただけなので詳しい理屈は知らないが、外側からのものに対して自分の内側の水が反応するという感覚はよくわかる気がする。凪いでいたり、それが途端に波立ったり、ざわざわしたり。

耳にする音楽から何らかの影響を受けるとすれば、毎日「蒲田行進曲」を聞いている蒲田駅利用者はどうなのだろう。体内蒲田濃度みたいなものが高まったりするのだろうか。無意識のうちに。


2002年02月13日(水) 刷り込み

持ち帰りバイトが終わらず徹夜。昼前に何とか仕上げ、ふらふらしながら日暮里まで届けに行く。外に出ると光がまぶしい。

用事をすませ、帰りの電車に乗る。窓の外は夕空。ビルの上の部分だけ、夕日の色に染まって街のあちこちから浮かび上がっている。遠くに大きな木々の影。葉っぱが静かに揺れている。

小さい頃、ある本で「風の姿を探すようにすると目がよくなる」と読んだ。例えば木の葉のざわめきや、洗濯物がはためく様子。何の本だったかは忘れたが、ずいぶん真剣に読んでたらしく、「風を探す」という行為はすっかり刷り込まれてしまった。今でも気づくと無意識のうちに風の動きを探している。しかし、あの頃の自分は、どうしてそんなに目がよくなりたかったのだろうか。そのおかげだったのかどうか、実際に視力だけはずっとよかった(最近ちょっと落ちてきたが)。

一仕事終えたということで、ビール解禁。缶ビールの他に亀田製菓のひとくちせんべいシリーズも買ってみる。「ピリッとスパイシー」というカレー味にしてみたら、これが辛い。食べていると鼻のあたりから汗が出てくる。小さいのにあなどれない。


2002年02月12日(火) 猫のいる町

猫をたくさん見かけた日。

朝、部屋を出ると、いきなり足元から大家さんの猫モモちゃん。首の鈴をちりちり鳴らしながら隣りのマンションへするりと抜けてゆく。

モモちゃんの後姿を見送ると、今度は道の向こうからサバトラの野良。よく見る顔だ。こちらに視線も向けずにモモちゃんの後を追う。

少し行くと、これもこの辺でお馴染みの黒白の野良。植え込みの中からこっちをじっと見つめている。負けずに見つめ返す。後ろ足を片方上げて、何だか不自然な体勢してるなあと思ったら、後ろ足の陰からしーっと一筋(そのあいだ目そらさず)。「おまえ、あっち行けよ」という視線だったか。

誰もいない夜道を歩いていて猫とすれ違うと、同志にバッタリ会ったような気分になる。同じ時間、同じ道を、同じ歩調で歩いている。それぞれの道がふと交差する瞬間。彼/彼女の世界を、彼/彼女が見ているものを思う。人とすれ違ってもそんな気分にはならないのに、なぜだろう。

夕方、帰宅途中、今度は路地の真ん中を横切る猫の影。消えたあたりに近寄ってみると、バケツや鉢植えの陰からしっぽだけ見えた。長いしっぽ。自分にしっぽがついているというのは、なかなか大変かもしれないと考える。電車のドアに挟まれたりしそうで。


2002年02月11日(月) 夏みかんとタクシー

渋谷のスタジオで練習。今日は主に歌の練習をする。スペイン語の歌がほとんどなのだが、発音が難しい。どうしてもカタカナ発音になってしまう。難しいけれど、スペイン語の響きは好きだ。歌にしても映画などの台詞にしても、スペイン語を聞くとなぜだかしっくりきて耳に心地いい(意味はとれなくとも)。

夕方、スーパーで買い物。甘夏とはっさくと伊予柑が並んでいる。どれも同じくらいの大きさで、皮の色や匂いなどが微妙に違う。迷ったすえ、甘夏を一個買う。他の二つにくらべて、名前の通り少し甘い匂いがする。

そういえば、小学校の教科書に夏みかんの話があったと思い出す。確かタクシーの運転手が出てきて、車内に夏みかんがあってというような話だった。他の内容は全然思い出せない。気になって友人に電話で尋ねてみるが、覚えていないという。

パソコンに向かい「タクシー」「夏みかん」で検索をかけてみる。何と一発で出てきた。あまんきみこさんの『白いぼうし』という作品らしい。松井さんはタクシー運転手。ある日、小さな男の子が白い帽子の中に隠していたモンシロチョウをひょんなことから逃がしてしまう。代わりに実家から送られてきたもぎたての夏みかんを一個、帽子の中にしのばせる松井さん。車に戻ると、小さな女の子がお客さんとして乗ってきて。こんなお話。インターネットの威力を思い知る。あまりにも簡単にわかって、何だか物足りない気もする。

小さい頃に読んだ物語や目にした風景が、前後の脈絡をなくしても、こんなふうにしっかりと刻まれていたりする。それを手がかりにして、どこまでたどっていけるだろう。

甘夏を机の上に置くと、とたんに部屋中に匂いが広がる。夏みかんをいっぱいに積んで走っていた松井さんのタクシーにも、きっとこの匂いが満ちていたのだ。食べるのはもう少し待つことにする。


2002年02月10日(日) 人の時間、樹の時間

午後から外を歩く。今日は寒い。雪らしき白いものも舞っている。

空き地の横を通って行く。以前はここに団地が何棟も並んでいた。子どもたちが遊んだり、それをお母さんが眺めたりしていた光景を覚えている。ある日、ブルドーザーが入って取り壊しが始まり、コンクリートの塊ばかりになったと思ったら、それも片づけられて今はだだっ広い更地になっている。そして、がらんとした更地の中央にぽつんと残された三本の桜の木。人がいた痕跡は何もなくなり、ただ、木だけがそこに残っている。今度の春もその桜は咲くのだろう。周りで眺める家族たちはいなくとも。

ある春のことを思い出す。ちょうど実家への帰省と桜の時期が重なったので、母親の運転する車で桜並木まで出かけた。北の地方の桜は遅いのだ。遠くに見える山にはまだ雪が溶け残り、それを背景にしてまっすぐな道の両側に桜の木がつづいている。まだ若い桜だが、淡い白色をした花をいっぱいに咲かせている。「あと5年も経てば、もっと見事になるよ。」母が言う。

そのとき私は、どんな想いでその桜を見るのだろう。そして、今隣に座っている母親は、私の周りにいる人たちは皆どうしているだろう。

何十年と時間が経ち、この桜が大木になってトンネルのように車道を覆うとき、ひょっとしたら自分も、周りの人も、誰もこの世にいないかもしれない。それでも桜は変わらず咲くだろう。時間を養分にするように、ますます美しく咲くだろう。

夜、休日出勤だった友人と待ち合わせて夕食。そのあとお茶。友人はかぼちゃのプリンをたのむ(味見させてもらったら美味しかった)。駅で別れ、歩きながらの帰り道、夜空にはまだ冬の星座がある。6つの一等星が遠いところで光っている。人をまばらに乗せた終バスが行く。

気づくと、ガラス店だったはずの建物が煙草屋に変わっている。夜に通りかかると、よく仕事を終えた店員さんたちが食べ物や飲み物を持ち寄って一杯やっていて、その光景をいいなあと思いながら眺めていたのだ。いつの間に煙草屋になったのだろう。ほんとに街の風景はあっという間に変わってゆく。家路を急ぐ。


2002年02月09日(土) 物をもって語る

人形町に公開講座を聴きに行く。

水天宮前の駅で降りて歩く。半蔵門線はよく使っているのに、終点のこの駅に降りるのは初めてだ。よく晴れていたせいもあったのだろうが、開けていて明るい感じのする街。広い道路(人形通り)の両側にお店が並び、その様子がどこかの街に似ているような気がする。どこだろう。

今日の講座のタイトルは「考古学から見た東北」。東北芸術工科大学と京都造形芸術大学が合同で人形町に東京サテライトキャンパスを置いているのだが、そこを会場に時々一般公開講座を開催しているのだ。東北芸術工科大学には赤坂憲雄さんが所長を務める「東北文化研究センター」があって「東北学」を提唱・展開している。この「東北学」にずっと興味を持っている。

今日は赤坂憲雄(民俗学)・岡村道雄(考古学)・宮本長二郎(建築史)の三者による対談形式。考古学の発掘をもとに「考古学と建築史との対話のなかで」縄文時代の暮らしについて探っていくというもの。考古学についてはまったくの素人だが「物をもって語る」ことによって思いがけぬ視点が現れてくるというのは面白い。

縄文時代の風景を想像しつつ、また水天宮前の駅まで歩く。お弁当屋の前に野良猫がいる。ちょうど自動ドアが開く場所の真ん前。前足を身体の中に折り込むようにうずくまって、マットの上でじっとしている。猫では自動ドアも開かないのだろうか。ちょっと毛がすすけたキジトラの猫。

夜、テレビをつけたらちょうどオリンピックのモーグル競技をやっていた。モーグルにはそんなに興味を持っていなかったのだが、見始めたら面白く、結局決勝まで見てしまう。雪の上を滑り降りるスピードや身体の動きなど、とてもきれいだ。特に決勝に進出した選手たちの演技は圧巻。大舞台で力を出し切る人を見ると気持ちいい。放映が終わったのは明け方。新聞配達のバイクの音がする。


2002年02月08日(金) 汽車

「小山さんの部屋には本があつた。決して多くはなかつたけれども、一冊一冊に小山さんの愛情がこもつてゐるやうな感じを受けた。つまり、余計な飾りものの本なぞ無いと云ふことである。この感じは悪くない。」という小沼丹の文章を読んで、確かにその感じは悪くないと思い、本の整理を始める。本棚からはみ出した分はそのあたりに積み上げているので、底のほうから思わぬ本が発掘されたりする。こんなとこにあったのかとか、こんな本も買っていたなとか、手にとって眺め始めると止まらない。

同じ本でも読む時期によって印象が違うし、ピンとこなかったり難しかったりで途中で止まってたものに、ある日思いがけず感動したりする。飾りものの本も確かにあるが、それがいつか愛情のこもった一冊に変わるかもしれないのだ。そういうことを考え始めると、一向に整理は進まない。途中で挫折。

夜、汽車の夢を見る。長距離を走るボックス席タイプの古い汽車だ。窓の外は霧。大きな川を過ぎてゆく。規則正しい汽車の音を聞きながらうとうととしていたら、いつの間にか駅に停まっていた。外に目をやると、一面の砂漠だ。右を向いても左を向いても、地平線までずっと砂漠。「銀河鉄道999」で、砂ばかりの惑星に停車してしまったような感じである。

繰り返し見る夢があるとすれば、自分の場合は汽車の夢がそうかもしれない。もちろん、走っている場所や車両や状況などは違うが、汽車が夢の中の頻出モチーフであることには変わりない。

汽車の持つイメージ。「千と千尋」に出てくる夕暮れの浅瀬を走ってゆく電車。銀河鉄道。映画でも汽車や駅が出てくるものをよく見かける。ならば、そのイメージって何だと言われるとうまく答えられないが、こちらと向こうとを繋ぎ、行き来するものかと漠然と思う(そのままだが)。まだ汽車がない頃は、何がそのイメージを担っていたのだろう。船だろうか。

銀河鉄道999に乗っていたのは、鉄郎とメーテルと車掌さんだけだったか。他には誰もいなかったか。目が覚めたばかりの頭でぼんやり考えるが思い出せず。


2002年02月07日(木) 風の音を聞く

朝から風が強い。窓の外の洗濯紐がバタバタと揺れている。少しだけ開けた窓の隙間から吹き込んでくる風の音。

風の音って何だろうと考える。「風の音がする」というとき、それは風そのものの音なのだろうか。それとも、何か別のものがあって、はじめて風の音と知るのだろうか。木々のざわめきや、建物がガタガタいう音や、自分の耳元を通り過ぎるときの響きで。

例えば、嵐のときの風のとどろき。あれはどうなのだろう。世界全体が低くうなっているかのような音。風の音というのは何か別のものの響きなのだろうか。

けれどもひとつだけ、風の音を聞くというのは、森羅万象に対して耳をすますということだと思う。そして、そのとき自分自身は空っぽになる(ただ耳をすまし、風の音を感じるために)。風の句を詠みつづけた山頭火を思う。風を聞く彼の心象。あるいは、風の音を鮮やかに言葉で示してみせた宮沢賢治。「どっどど どどうど どどうど どどう…」

そういえば、村上春樹の『風の歌を聴け』もある。

『日記をつける』荒川洋治(岩波アクティブ新書)を読む。自分で日記を書いていながらこういう本を読むのは怖いなあと思ったが、著者が荒川洋治なので購入。ものすごく面白い。ハウツー物を装った、日記をめぐるエッセイという感じだ。読みながら何度も笑ってしまう。『日記をつける』を読んで笑っているというのも、傍から見たら変な人かもしれない。



2002年02月06日(水) 何でもないことも大事に見る

図書館からの帰り道。今日はわき道にそれてみる。

建設中の家の横を通る。のこぎりの音。新しい材木の匂い。家を建てている様子はなぜだか春の光景という気がする。もう思い出せないほど奥深く沈んでいる自分の記憶の中で、家を建てることと春とが結びついているのだろうか。陽射しがあたたかい。

そのまま歩いてゆくと、蔦がからまって朽ちかけた家が何軒もある。壊れた木の柵を補強したらしいスキー板がそのまま残って、家といっしょに朽ちようとしている。かつてそこに人がいた名残りだ。新しく建てられる家と朽ちかけた家。

緑道を抜けると家が立ち並ぶ街の中に入っていく。玄関前でおばあさんが白いムクムクした犬にブラシをかけている。犬は陽にあたって、目を細めてじっとしている。耳のところに水色のリボン。

いつの間にか黄色い壁の創作にんにく料理屋もできている。なかなかよい雰囲気。梅の木のある古い家から三味線の音が聞こえる。見ると木製の看板があって「長唄教室」らしい(こんなところにあったとは知らなかった)。ぼんやりと暖かな午後の町に三味線の音が響いている。梅の匂い。

家に戻る前に喫茶店に寄り、図書館から借りた本などつまみ読み。『福寿草』小沼丹(みすず書房)の中の庄野潤三について書いた部分に目がとまる。

「庄野は詩人である。この詩人と云ふ意味は、詩を書くから詩人だと云ふことではない。(中略)詩を書かない詩人も澤山ゐる。庄野が詩人だと云ふのは、詩心を持つてゐると云ふことである。」

「庄野は生活を大切にして、何でもないことも大事に見る、だからをかしみを見出す、と最初に云つたが、それは詩心があるからと云ふことに他ならない。」

何でもないことも大事に見る。簡単そうで難しいことだと思う。いろんなものを見過ごしてはいないか。眼差しが大ざっぱになってはいないか。

帰り、ケーキ屋の前を通る。苺ののったショートケーキがおいしそうで、心惹かれる。こういうところだけはちゃんと見えるのだ。買って帰ろうかと思ったが我慢する。



2002年02月05日(火) 街を読む

バイト先に届け物をする。ここに来ると、いつも「これ持っていきなさい」といって、みかんやらお菓子やらもたせてくれる。人が多いところなので、お土産などのお菓子類が集まるのだ。今日も、週末にディズニー・シーに行った人のお土産があり、チョコレートやクッキーなど、いろいろ包んでくれる。「これだけでいい? 好きなのもっと持ってって」。小さい頃のおつかいを思い出す。

電車の中で『月島物語』四方田犬彦(集英社文庫)を読む。面白い。ある街を魅力的に書くということについて考える。その街の空気だとか色だとか、そういうものを浮かび上がらせる方法。掘り当てる方法。この本は月島に暮らした著者の日々の描写と、街の歴史などの記述のバランスがいい。月島の陰影。こうした書き手を得た街は幸せだと思う。

以前、大学の教官に「街を読むということを覚えたほうがいい」と言われた。当時はピンとこなかったのだが、最近になってこの言葉をよく思い出す。

夜、NHKでドラマ「喪服のランデブー」の再放送を観る。5回シリーズの最終回。作品全体に漂う叙情、映像も音楽も美しく、役者さんたちも皆はまり役でとてもよかった。見終わったあとに、しばらく余韻が残るようなドラマ。ずっと記憶に残るドラマというのは、作品の筋うんぬんよりも、そのドラマ自体の世界をちゃんと持っているものであるような気がする。そこに流れている空気だとか匂いだとかが忘れられなくなるのだ。

外は雨。最近の雨はどこかあたたかく、春の気配がする。雨の音をぼんやり聞いていたら、いつの間にか寝入ってしまう。朝目が覚めたら電気つけっぱなしでコタツの中。またやってしまった。


2002年02月04日(月) BGMの力

朝からいい天気。団地のそばを通ると、昨日の雨の分を取り返すかのように布団がずらりと干されている。立春。心なしか空気もぬるく、春の気配だ。黒白の野良猫が水たまりの水を飲んでいる。

九州に行った友人から絵葉書が届く。大宰府の紅梅の絵葉書。旅先からの絵葉書はうれしい。わくわくする。電車の振動に合わせて字も揺れていたり、感嘆符がやけにたくさん出てきたり、絵葉書の臨場感が好きだ。この紅梅の絵葉書からも、久々の一人旅の解放感が伝わってくる。

夜、地元の友人からメール。最近写真に凝っているらしく、毎日自分で撮ったいろんな写真を送ってくれるのだ。地元の様々な風景、木、花、ときには犬や猫など。そうした写真に、ときどきBGMがついてくる。はじめは気づかずに写真だけ眺めていたのだが、指摘されて音量をあげてみると、確かに音楽が流れてくる。

BGMがついたとたん、写真の印象ががらりと変わるのに驚いた。例えば、深い森の雪景色に「アメイジング・グレース」が重なると厳かな雰囲気になり、単線の線路が山の向こうへと消えてゆく風景に「ある愛の詩」が重なると、郷愁を感じるといったように。音楽が添えられることで、風景にある方向付けがなされ、物語が生まれる。BGMの力。

今日届いた写真は、お正月の新年会のときのもの。メールを開くと、テーブルにつっぷして寝ている自分の写真が現れ、さらに「五木の子守唄」が。物悲しい旋律が「いい年してまったく」といったやるせなさを醸し出し、自分のことながら絶妙のBGMと感心。


2002年02月03日(日) 言葉の断片を抱えてゆく

朝から雨。雨の朝はなぜだかよく眠れる。窓から陽射しが入ってこないせいか、雨の音がちょうどいいのか。

昨日早稲田の古本屋で見つけた『100杯目の水割り』東君平(講談社文庫)を読む。東君平さんが、さまざまな人々についての思い出を書いているもの。中に君平さんが一番大切にしている本について語った章がある。その本というのは外村繁の『阿佐ヶ谷日記』なのだが、君平さんはこの本からある詩を引用している。引用の引用ということで、これは孫引き(原文は旧字体)。

私はどこから来たのやら
 私はどこから来たのやら
 いつまたどこへ帰るやら
 咲いてはしぼむ花ぢややら
 鳴いてはかえる小鳥やら……

こんなふうに、ある本の一節が忘れられなくなることがあると思う。文脈とか全体の筋とか関係なく一文や節回しだけが残って、だんだん、どこにあった文章なのかもあやふやになってくる。自分なりに言い回しを変えてしまっていたり。

「なんでこんなにさびしい風吹く」

山頭火のこの句がとても好きで、何かというと浮かんでくるのだが、どの句集を読んでも見つけられない。風を詠んだ句はたくさんあるのに、この一句がない。ほんとうに山頭火なのか。ひょっとしたら、山頭火について語った誰か他の人の文章中にあったくだりなのか。ずっと疑問に思いつつ、この句だけはしっかりと覚えている。

もちろん本に限らない。映画やドラマの台詞から、誰かに言われた言葉や誰かが発した言葉まで。いろんな言葉の断片を抱えている。

節分だが豆も太巻きも食べなかった。夕食は餃子。「節目」気分盛り上がらず。


2002年02月02日(土) 早稲田散歩

古本屋を周るという友人にくっついて早稲田へ行く。駅前の新刊書店で待ち合わせ。

学生や穴八幡へ向かう人たちが入り混じって、人が多い。何の日なのか、穴八幡の参道の両側にはぎっしりとお店が並んでいる。飴、お好み焼き、占い、くじ引き、カツラ、などなど。お祭りともなると、どこかからやってくる人たち。

穴八幡を抜けて大通りへ。早稲田から高田馬場までの通りには古本屋が多い。ちゃんと周るのは初めてだ。学生街のせいか、品揃えがいろいろで面白い。友人の目当てのお店では、着物姿のおかみさんがレジに座っており、買った本をていねいに包んでくれる。棚に並んだ本は、どれもパラフィン紙できれいに包まれており、本自身もこんなふうに扱われたら本望だろうと思う。一冊ずつに生命や時間が宿っているみたいだ。

大通りの脇に目をやると、細い坂道が何本も延びている。歩いていったら楽しそうな道ばかり。くねくねと曲がり、それにそって建物が並んでいる。このあたりは窓が木枠でできているような古い建物も多い。

一通り眺めたあと、もう一度早稲田まで戻り「メーヤウ」というカレー屋で遅い昼ご飯をとる。半端な時間帯だが人は多い。「ここ、辛いよ」と言うので、メニューの中でいちばん辛くないインド野菜カレーを選ぶ。同行の友人はインドポークカレー。インド野菜カレーは辛さ度数を表す星0.5だが十分辛い。鼻の頭に汗をかきながら食べる。友人のインドポークカレー(星3つ)を味見させてもらうと、言葉にならない辛さ。隣りのテーブルで激辛(星5つ)をたのんでいた学生四人組は、顔を真っ赤にして汗を流している。でも、味はいい。とてもおいしい。次に来たらタイ風グリーンカレー(星2つ)にしようと心の中で誓う。

高田馬場までぶらぶら歩き、電車に乗ろうとしたら、今度は駅前ビルで古本市開催中。いちおう眺めてやはり一冊購入。ここまできたら「今日は本を買う日」ということだろう。覚悟を決め、渋谷に出てブックファーストへ行く。ほしかったが古本屋になかった本など買って、散財。今月はもう、あんまり本屋に近づかないことにしよう。

もうすっかり暗くなった渋谷で、居酒屋に入り刺身と瓶ビールをたのむ。おいしい。いい気分になって「酔鯨」という高知のお酒も飲む。

電車で帰宅。少し開いた窓から入ってくる風が気持ちいい。帰り道、梅の匂いがする。春の夜みたいだ。暗いのに、梅のピンク色がはっきりと見える。いい一日だった。本で重くなった鞄を抱えつつ、しみじみと思う。


2002年02月01日(金) こんなお父さんは好きですか

午後から図書館へ行こうかと思っていたが、日和って近所の喫茶店に変更。本や資料など持って出かける。最近改装したばかりなのだが、近所に住む友人が「なかなかいい」と言っていた。1階で飲み物を受け取って2階へあがると、窓が大きくて通りが見えるし、明るいし、空いているし、たしかにいい。隅っこの席に座る。

本屋でもらってきた新潮社のPR誌「波」を読む。「怒る父、騒ぐ父、嘆く娘」というタイトルの対談が載っている。阿川佐和子はわかるが、もう一人の斎藤由香さんというのは誰だろうと思ったら、北杜夫の娘さん。阿川弘之と北杜夫の対談集『酔生夢死か、起死回生か。』(新潮社)発売に際しての企画らしい。阿川さんいわく「今日は、父親同士の対談集が出るというので、宣伝のために娘同士で対談せよと我々が駆り出されたわけですね。」写真を見ると、斎藤由香さん、北杜夫にそっくりである。

阿川弘之、北杜夫、どちらも強烈。食道楽で、香港旅行の際、往きの飛行機の中で全部で何食食べられるか、何を食べるかの表を作っていたという阿川弘之。かと思えば、とにかく怒りっぱなしで「とめどなき怒りを抑えることができないという、幼児からの性格を直そうという気はまったくないらしい。」北杜夫はといえば、躁病時のエピソードがすごい。躁病になったとたん株に手を出そうとするのを止めるべく、雨戸まで閉めて外出させないようにしていたら、北杜夫、応接間からお隣りの宮脇俊三宅に向かって「宮脇さーん、ぼくは閉じ込められているんです!近所のみなさーん、ぼくを助けてください!」と叫んだり。

父親の奇行(?)を語りつつ「しょうがないなあ」という愛情も感じられて面白い。日本の親子作家(物書き)には父・娘というパターンが多い。森鴎外と森茉莉、幸田露伴と幸田文、太宰治と津島佑子、壇一雄と壇ふみ、吉本隆明と吉本ばなな、江國滋と江國香織などなど。最近では中上健次と中上紀か。父と息子、母と娘、同性同士の場合は距離のとり方などが難しいのだろうか。

夕方、商店街を通り抜けると、道の真ん中で立ち話をしていたおばあさん同士の会話が耳に入る。「だって、ほうれん草の何十倍だもんね。」何の何がほうれん草の何十倍なのか。気になるけれども、確かめる術なし。





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