日記帳

2004年07月31日(土) 長瀞

娘と顔を合わせることすらままならない平日の穴埋めを誓ったのか、夫今日は川に行こうという。先週は海で、今週は川ですか。

車で長瀞に到着したのが午後3時。怪しい雲行きを心配しつつ川べりに着くやいなや、降る降る。暗雲たちこめる空。

「すぐ止むよ」と夫、「まだ降る」とカーサン、いつものコントラストを見せ合っているうちに着ているものがびしょびしょ。

せっかく川に着いたのにね。少しは遊べてよかったか。と屋根のあるところに避難して娘を着替えさせる。着替えは娘の分しかないよ。

初めての川を怖がりもせず、5センチほどの深さの川底の石を拾うのに夢中だった娘。水が流れるって面白いよね。もっと遊びたかったよね。

すると気持ちが通じたか、雨が上がってまぶしくて目を細めるほどの陽射し。・・・夫の楽観が当たったな。

川べりに戻ると、さっき濡れた服がみるみる乾いていく。娘の脱いだ服も、岩の上に干してみる。いいかんじいいかんじ。

時折、川下りやラフティングのひとたちが川を下っていく。手を振ったり振られたり。

水は多くて濁っているけど、緑の濃いことよ、光の強いことよ。とんぼが数え切れないほど水面の上を飛び回り、隣の家族連れは水切りの競争で盛り上がっている。

夏だねえ。

5時近くまで遊んで引き上げる。高速道路の出口が渋滞、その後もなかなかファミレスが見つからず、夕飯にありついたのが7時半。

娘は車の中でリクエストしていたハンバーグとごはんにかぶりつく。もりもりと、そりゃもうもりもりと、お腹が減っているから食べっぷりも素晴らしい。

カーサン娘のもぐもぐと動く口元や頬を見ているうちに、涙が出てきた。
幸せだなあ。こんなに楽しくていいのかなあ。

しかも帰り道では花火大会に遭遇して、夜空に広がる花火に娘が歓声をあげる。素晴らしいおまけつき。

「おうちかえらないよ」「おとーちゃんもおかーちゃんもねないの」「ぶーぶ乗ってるの」と眠い目をこすりながら、体のあちこちをかゆがりながら、名残惜しくてたまらない娘。

カーサンだって今日という一日が名残惜しくてたまらない。たまらんよ。

またいっぱい遊ぼう。楽しいことは、まだたくさんたくさんあなたを待っている。



2004年07月28日(水) 夏空

ええ、心を入れ替えましたよ今日の私は。

結果、娘を無闇に脅迫することもなく、なかなか穏やかな一日を過ごすことが出来ました。

娘がニコニコ走り回っているのが、何より得難い貴重なものだということを、たまーにリアルに思い出さないと。ちょっとちくりと痛みを感じるとしても、私はそれをしたほうがいい。すぐ忘れるから。

ほんとに、なんてことないことなんだけどね。

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午後から天気が崩れると思っていたので、午前中に大汗かいて用事を済ませた。買い物と通帳記帳です、たったそれだけなんです。

ただ、記帳したい銀行のATMまでがちと遠い。最寄の駅前にあるあっちにしといてくれればなあ。隣の沿線になるTT線(あまり伏せた意味がない)まで行かねばならぬ。

いかにも台風が来る前の空模様ってかんじ。風が強くて空が青くて雲がでかい。

さるすべりが満開だったり、せみがじんじん鳴いてたり、捕虫網持って走り回る小学生がいたり(いたのよ、びっくり)、正しい夏休みの匂いがする。
しかもまだ始まったばかりの。まだ宿題はおいとこって思ってる。

しかし小中高と宿題って多かったよね。一番覚えているのが、中学か高校のときのペン習字。薄い紙、なんていうんですか、古い岩波文庫の表紙についてたような、ああいう紙の集合体で、書いても書いても減らないんだよ。

大人になってから、ふとそんなのをもう一度したいと思って探したけど見つけられなかった。もはや入手困難なブツなのだろうか。



2004年07月27日(火) 食べたい 痛い

わかっているのだ。わたしの気の持ちようなんだ、全部。
狭量なカーサンを許しておくれ、娘。

しかし、二歳児の食べたいという気持ちを利用して、痛いのを我慢させるっていうのはあれだ、なんか切ない。

痛いのはいやだよねえ。それはわかる。
後回しにしたい、できれば何もしないで食べたい。それもわかる。
あの手この手と必死な二歳児の知恵に、イライラしたカーサンの負けだ。それもわかる。

でもとにかくなにしろしなくちゃいけないんだ。あなたと長生きしたいんだ。がんばろう、娘。カーサンも明日こそ寛大な心持で臨むよ。と、寝る前には毎晩念じている気もしなくはない。明日こそ明日こそ。



2004年07月26日(月) うす味

今日はうまいことだしが取れた。昆布とにぼし。

恥ずかしながら、結婚して初めて「だし」という文化を知ったカーサン。

新婚さんの頃、お好み焼きを作ってくれるという夫が台所から叫んだのだ。「昆布どこ?」と。

「?ないよ」と答えると「それくらい買っとけ」とがっかりされ、「なにその言い方」「もういいよ」「よくない」と泥沼の口論のきっかけにすらなっただし昆布。

娘のごはん、今までいい加減を極めていた私だが、数々の合併症を知るにつれ、そして入院中の食べっぷりを思い出し、微力ではありますがいささかなりとも予防に貢献せねばと。さすがにね>遅い遅すぎる。

薄味を支えるのはだしなのね、と大阪義母滞在中、彼女の台所仕事を見て学習しました。

しかもね、こないだの外来診察でまた「食事記録表」という厄介な紙をもらってきましてね>ええ、グラム単位で測るんですよ。

前回は試験外泊中に二回記入して、まあ短期間だし、病院食の記憶も鮮明だし、ものすごくがんばってしまったカーサン。ぐぐぐぐったり。

というわけで今回は果てしなく平常運転で行きます。

でも記入するのをあえて今日からにして、週末は外食もちゃっかりして自分を甘やかすことにはきっちり余念がないのであった。はっはっは。

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ところで、今後の我がサイトの行く末について考えた。

いや単にブログを借りてみたいと思ってるだけなんだけど。
※ほんのちょっと糖尿病についての場所を作るかもしれませんが、しょせんここは裏サイトぶっちゃけ場ですので、あまり高尚なものにはなりそうもありませんが。

世間の流れに乗っかりたいと申しましょうか、なんかかっこいいじゃないですか>ブログ。でも仕組みがいまいちわからん。

日記とさばつぶと携帯フォトとが一体になった感じなのかしらん。



2004年07月25日(日) おどろき

夫が枕を欲しがっている。あらいいじゃないの、買いましょうよ。
※寝心地は試させてもらうよ。ふっふっふ。

二十分ほどかけて、合う高さや素材を選ぶという。
じゃあその間、おもちゃ売り場でも行って娘と時間つぶすよ。

が、意外とおもちゃに熱が入らない娘。まだまだ時間があるんですが。

じゃあカーサンの服でも見るか、と同じフロアのジーンズショップへ入ると、そこにはオコサマ向けの電車の形の遊具が。そのお店らしいカジュアルーな格好のオコサマがうじゃうじゃたかっている。

行ってこい、娘。

放つと以前では想像もできなかった積極性で、オコサマの群れに飛び込んでいく。あーた、少しキャラが変わってきたわねえ。
※ここでまた、年齢的なものか、入院経験の賜物かとふと思ったりする。いろんな思考がどうしてもそっちに収斂されてしまうこの頃のカーサン。これも後遺症か。

お、同い年くらいの男の子を押しのけてハンドルを奪ったぞ。びっくり。
な、仲良く遊んでくださいねー。びくびく。

少し大きい男の子の激しい動きに目を見張り、彼らが去ったあとすかさずまたハンドルを握る。それもつかの間、また少年たちが戻ってくるとすっと引いて譲る。いいぞ、娘。泣くでなし、なんとなく指くわえてみてるかんじが大変年相応でよろしい。

その場に固執するわけでもなく、電車の中をまんべんなく動き回っては楽しんでいる。へー、そうですか。

そのうち娘に限らず、自分より小さい子をとにかく邪険に追い払う男の子出現。えらく感じ悪い。

余計なことをまたしてしまった。「みんなで仲良くね、意地悪するのおばちゃん見てるよ」と小声で少年に囁くカーサン。我ながら怖い。

すると彼ったら、「あ、あかちゃんがここに来たら、こんな風に落っこちてしまうので危険だ」と説明つき身振りでアピール。わはは。ごめんよ、びびらせて。目が泳いでいた>少年すまん。

娘の、そして自分の意外な行動にべっくらしてしまった本日。



2004年07月24日(土) 葛西へ

急に思いついて葛西の水族園へ行った。

都内から浦安方面、しかも夏休み最初の週末、混むんじゃないの。
相変わらず悲観的なカーサン。

しかしこの暑さのせいか、道はガラガラ駐車場はスンナリ。あらまあ。

水族園に入って娘の最初の一言は「骨あるの?」だった。
日頃魚を食べるたびに「骨気をつけてね」と注意しているせいか、こないだファミレスでもらったおままごとのお魚(二枚に分かれていて内側に骨が書いてある)で印象が強いせいか。

まあどちらにしろ、娘らしくて大変よろしい。

しかしあれだ、水族園の暗さや水槽前の人だかりが娘はまだ苦手らしい。お魚は見たいがよく見えないじゃないか、ってなもんか。

炎天下のペンギンに同情しながら早々に退場。

園内のレストランで昼食を取る。

「お外で注射」は人目さえ気にしなければ家でするよりよっぽど楽だ。
娘も私に似て、ギャラリーがいると燃えるタイプなのらしい。

さてどうする。海辺で水遊びするには陽射しが厳しかないか>主に私。

するとちょっと下調べしてきた夫、船に乗ろうという。いいねいいね、水上は涼しそう。

娘は初めての船だけど、そもそも理解してるんだろうか。今乗ったの、船だよ。

案の定、二十分もすると「降りるよ」「おちまいちるよ」が始まった。抱っこ抱っこムシだし、こりゃ眠いのか。

「じゃあ」と夫がジュースを買い与える。途端に機嫌がよくなる娘。

こういうとき、カーサン悩む。

血糖値測ってないけど、もしかしたら低血糖で機嫌が悪かったのかもしれない。

それくらい、手の平を返したように元気になったのだ。

さっきはすぐ降りたがった二階のデッキに上がりたい、といい、デッキに出ればぐるぐる走り回ってはしゃいでいる。

単に機嫌が悪かったのか、それとも例の低血糖なのか。

測ればわかる単純なことだけど、あれはやっぱり娘にとっては痛いからさ、お約束以外のタイミングでなかなか測れない。よほど心配なとき以外、測りたくないのだ。正直。

試験外泊のときは測りまくりだったんだけどなあ。日常となると、なかなか・・・。

「低血糖ってことにしとくか」で片付けてしまうこと多々。むむむ。

ま、魚も海も楽しかったってことで、そんな悩んでるわけではないんですが。



2004年07月22日(木) 初めての外来診察

退院後、初の外来診察。

まず隣の歯科へ。「抜きたくない」と伝えるだけだ、と鼻息荒く乗り込んでいったら、あちらも「おやお父さんは?」と出鼻をくじかれた様子。

そう、納得しないお父さんとお話、という設定だったのだが、当のオトーサンどうにも仕事から抜けられず。

「それでまたお母さんとお話してもねえ、同じことだから」と鼻白んだかんじの歯科医二人。ごもっともでございます。

かかりつけの歯医者さんにケアしてもらいたい、ここでは抜かない、というこちらの希望を伝えると、あっさり「いいですよ」。
「隣(系列総合病院)から紹介状もらって診ただけですから」「判断するのはご両親だと思います」。

こないだの話のわからん女医ではなく、男性歯科医(たぶん立場が彼女より上)がこちらの意気込みをあっけなくスルーしてくれた。肩透かし。

やっぱりかかりつけに診てもらってよかったよ。彼に「このままで平気だよ」と笑顔で言われたことで、抜きたくないという私たちの意思も固まったし、今日ああして大学病院の歯科医に主張することができた。感謝感謝。

さて、五分で話が済んでしまった。

その後の小児科外来の予約まで一時間もある。近くの本屋で時間をつぶす。
※夫が来られなかったので実家ばば召集。助かった。こちらも感謝感謝。

外来で来るのが初めてだったのと、小児慢性疾患の医療証が発券されたことでどえらい要領の悪さ>私たちも病院側も。

小刻みに名前を呼ばれては身長体重測定(丸裸でよん)、血糖値他測定、採血、と診察室と待合室を何度も往復。

ようやくU先生の診察、と思ったら医療証があると手続き上初めからやり直しだという。がーん。なんじゃそりゃ。無知って無力だわ。

新患受付まで戻って、ついでに入院中のお会計まで待ち時間中に済ます。正確には事務のおねえちゃんが全部段取りしてくれたんだけど。

この間、娘は実家ばばと二人で待合室。すでにだいぶくたびれて、出来上がっちゃってるんじゃないか>娘。ただでさえ、また病院の雰囲気を味わったうえにカーサン不在。だいじょぶかだいじょぶか。気が気じゃない。

そしてやっと診察。U先生も説明がそつがないようでいて、指示が実はあいまいだ。次に私はどこに行ったらいいの。必要なものはどこでもらったらいいの。

看護婦さんが全部詳しく教えてくれた。U先生ね、看護婦さんたちへの態度、ちょっとぞんざいに私は感じるよ。口の利き方って(以下略)。

娘に必要な薬やら器具やらを揃えるには、病院内外3ヶ所を巡らなければならない。めんどくせ(以下略)。一括して受け取れないものなんでしょうか。

思いのほか時間が長くかかり、帰宅ラッシュの恐れあり。今日は残念だけど、入院してた病棟に顔を出せないなあ。看護婦さんたちに、元気にやってます、と娘を見せに行きたかった。

少し気落ちしていたら、たまたまそこに小児病棟の看護婦さんが通りがかった。おおー、なんか通じたか。

「ゆかちゃん!」と嬉しそうに名前を呼んでくれて、娘も彼女の膝に乗ったままなにやらはにかんでいる様子。いつまででも看護婦さんの膝から降りようとしない。

そうだよね、会いたかったよね。カーサンも会いたかった。

次回は午前中に予約入れたから、ゆっくり病棟にごあいさつに行こう。

くたびれまくったカーサンと娘に、これまたくたびれきった実家ばばが夕ご飯を作ってくれた。う、美味しい。

すっかり頼りにしてしまって、ばばったらほんとすまないね。
・・・次回もよろしく頼みます(鬼娘)。



2004年07月21日(水) 新居拝見

元ご近所さん、Hさん。不思議な魅力を持つ女性だ。

引越す前のメゾネットアパートのご近所で、娘よりふたつ上のお嬢ちゃんMちゃんがいる。くりくりおめめのかわいこちゃん。美人母子だね。

思えば、出産してから友人になった、初めての人じゃないかしら(除ネット上)。
公園ママたちとも顔見知りにはなったけど、家の行き来をすることは無かったものねえ。

私たちが引越してから1ヶ月以上ご無沙汰してしまったのに、その後ぽつりぽつりと携帯メールのやりとりがあって、Mちゃんが通っている幼稚園に見学に連れていってもらったり、細ーくつきあいが続いている。

娘が入院したことも、たまたまもらったメールに返信してお知らせしていた。ごく短いが心のこもった励ましメールを頂き、その後退院したことをこちらからお知らせした。

イマドキの幼稚園児はなにかと忙しそうで、のびのびになっていた新居(図々しくも我が家のことだ)拝見、Mちゃんの夏休み突入を機に実現した。

会うのは何ヶ月ぶりかね。でもまるでずっと以前からの知り合いのような、気楽な雰囲気でいられる。周波数が合うっていうのはこういうことかな。

お昼ごはんの前の血糖測定と皮下注射、「させてね」と断って彼女たちの目前でした。Mちゃんはオカーサンに事前に言い含められていたのか、痛そうと顔をしかめることもなく、何してるのと質問してくることもなく、目の前に並んだご飯に手も出さず、娘のもろもろが終わるのをただ黙ってじっと待っていたくれた。カーサンどれだけ有難かったか。

またこういうときに限ってインスリンのカートリッジが空になり、カーサン初めてのカートリッジ交換であたふた。大汗かいちゃったよ。

以前ご近所さんとして交流していたときは、娘同士を遊ばせていても背を向けて別々に世界を築いていたのだが、今日は娘、Mちゃんにくっついて離れない。

入院生活で年上のおねえちゃんにいじられる快感を覚えたのか、それとも単に年齢的に通過したのか。どちらにしても、4歳児と2歳児が顔をくっつけるようにしておままごとなどしている図は、大層愛らしかったぞ。

娘の入院以前を考えると、祖母の入院以外では自分の出産でしか病院にお世話になったことがないので、私自身そっち方面(どっちだよ)に関する知識も想像力も乏しい限りだったんだけど、Hさんには「完全看護」「付き添い入院」という言葉が説明なしで通じて、しかも私の実経験とかなりシンクロして理解してもらえたようでびっくりした。←しかし長い文だ。

もしかしたら彼女にはそういった経験が過去にあるのかな、という気がした。聞かなかったけど。

自宅からちょっと遠いけど知り合いがいるから安心、と電車で通う幼稚園を選んだ彼女に、小学校はどうする心積もりなのか尋ねた。

するとやはり近所の公立小学校ではなく、Mちゃんパパが通っていた私立の小学校に入れたいと思っているという。ほほう。

Mちゃんパパのみならず、そのまた上のご母堂様も通われたのだという。
そりゃ筋金入りだわ。

今通っている幼稚園よりもさらに遠いから大変だろうけど、そんなご家族の流れといおうか伝統といおうか、そういう環境があるなんて、すごいなー、そしてちょっとうらやましいなー。

よりよい環境を娘のために、と無理するわけでなくごく自然に選択肢が決まっていくとは。そういうのもあるのね。

ちなみに小学校の名前を教えてもらったがまったく初耳。いや私もとことん無知だからなんともいえないわよ。

「全然有名じゃない」という彼女の言葉をどこまで真に受けていいものやら、しかしその名前でネット検索しても一件もヒットしなかった。

知る人ぞ知るってかんじなんだなきっと。とても彼女らしいわ。

そんな彼女に「さばさんって早稲田(大学出身)のひとっぽい」と形容された。第一印象と全然違う、とも。

念のため、わたくし早稲田大学出身ではございません。とんでもございません。その亜流とでも申しましょうか、「早稲田行きたかったぜ」という学生があふれているガッコでした。

それにしても、うーん。よくわからない。バンカラってこと?それって・・・?
いいや、ほめられていると受け止めておこう。

第一印象か。もっと真面目な人かと思った、と言われたことはこれまでにも何度かある。
・・・失礼ね。私これでも真面目なのよ(遠吠え)。



2004年07月20日(火) 普通であること 連続していること

昨日アップした分を読み返したら、まるでストレスフルな12日間のような書き方。いやいや、そんなことはないのですよ。

義母とは同じAB型のせいか(かなり薄い根拠)、とても気が合う。
彼女に対しては、実母には出来ない甘え方が出来る。
うまく距離感が取れるといおうか、とてもよい感じなのだ。

彼女と出会えたことで、夫との結婚を幸運と思えるくらいだ。

また次回会えるのを楽しみにしている。娘も私以上に楽しみにしているだろう。

ただ今年の夏は夫が多忙を極めるらしいので、休みらしい休みが取れるかどうか。大阪に帰省するのも遅くなりそうだ。

ま、辛抱切れればあちらからやってきてくれるので大丈夫・・・ってなにが大丈夫なんだ。誰の辛抱が切れるのか。わはは。

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残念ながら行くことが出来なかったオーキャンの日が過ぎて、娘と二人の平日の生活が再び始まって、また私はスガシカオを聴き始めた。

入院中も、病院への往復やらなんやら、ひとりの時間はたっぷりあって、それこそ聴き放題だったはずなんだけど、どういうわけだか聴く気になれないことが多かった。

どちらかというと、頭の中で同じ曲を何度もリピート再生しているかんじ。

耳から直接入ってくるのが少し辛かったのかもしれない。

退院直前の日、これでひとりの時間はおしまいだな、とちょっと名残惜しく思ったりもしたけど、やはりあれは特別な時間だった。

ひとりでアルデンテの辛いパスタを食べることが出来ても、ゆっくり本屋を徘徊することが出来ても、心底楽しめるわけでもなく。

娘の入院というのはある意味非常事態なわけだけど、それを「非常事態だ」と私は認めたがらない。日常の続きだ、普通のことなんだ、とことさら普通を装っていた。

通常運転としてでなければ、やってられない。

我ながらどういう心理なのかわからないんだけど、確かにそう思っていた。

連続している、切り離されていない。それがとてもポイントだった。

初めて付き添い入院した翌朝、病院からいつもの巡回サイトのつぶやきを見ては、変わらず通勤したり在宅でお仕事したりしている様子に激しくほっとした。

唯一外界とつながっている気がした。

ふと出産後の入院生活を思い出し、当時はサイト巡りも今ほど活発でなかったなあ、これがあったらもっと楽だったのに、と当時の自分を慰めてやりたくなった。

・・・変?依存症?中毒?

なんと言われても、私はいろんな形で力をもらった。今も、確実にもらっている。



2004年07月19日(月) 近況など(長くなりました)

またまた一週間ぶりです。ご無沙汰しております。

たくさんつぶやいた通り、本日オーキャン。こちらからお誘いしたのに、結局ぎりぎりまで迷って行かないことにしてしまった。
ごめんね、りつこさん。本当にありがとう。

来年はリベンジ(?)。その前に是非お会いしたいです。

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実は日曜日まで義母が滞在しておりました。なんと今回は12日間。

娘が時間によってちょっと不安定になる、カーサンもなんだか今頃になって疲れが出たのか頭痛や胃痛に見舞われたりして、すっかり義母さまさま。

大阪と東京という距離から今まであまり機会がなかったが、娘が誕生してから義母はもっと東京のお世話をやきたいのに、と思っているから甘えちゃえ、と夫。

ほんとに甘えちゃいましたよ。家事丸投げ。

ついでに娘の食事について知っておいてほしい、というカーサンの思惑も実はあった。大阪の食卓はなにしろ量が多い。娘には一応目安となるカロリー数や食べ物の種類が指示されているのでね・・・。

そして娘不安定かつカーサン余力なし夫残業という状況で、義母にほんとに助けられた。

娘の相手をしてくれる、という直接的な効果もさることながら、義母の目があるからこそ、カーサン切れずに済んだ、という監視効果も大。

娘の不安定さは、「どこにもいかない」から徐々に「おこってない」に変化していった。ものすごくカーサンの顔色に敏感だ。

ちょっと注意しただけで雲行きが怪しくなり、めそめそしたりすねたり。

12日間、カーサンとしては怒りレベルを3段階くらい下げて娘に接した。

それが必要な12日間だったと心から思う。傷口をさらにえぐるようなことは避けたかった。・・・でも危なかったよ。何度も何度も切れそうになったもの。

台所に立ち買い物をし洗濯物を干す義母を見て、育児や家事に専心するってこういうことだ、と感じた。
カーサンのそれらに対する関心が、いかに彼女に比べて低いか、改めて思い知らされた。

もともとの性質なのだろうか。努力で向上するものなのだろうか。それとも重ねた年月からか。

とにかく義母には足を向けて寝られないなあと考えながら、意気揚々とPCに向かう嫁であった。こんな嫁です。

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さて娘、ここにきて皮下注射を嫌がるようになった。

「ご飯の前にちっくん」と物分りのよい文句を唱えるわりには、いざそのときになると「今○○してるの」と他のことに専念してみせたり、自分でしたかった、と抗議したり、間接的に表現することが多くなり、「痛い」「いやだ」と今日ははっきり口にした。

いよいよきなすったか。

食事前っていうのは、実にせわしない。カーサン台所でふうふう言ってようやく作り終え、すぐ食べられるよう配膳し、それからやおら血糖測定と皮下注射だ。

その間に食卓はどんどん冷めるし、カーサンもお腹減ってるから短気に拍車がかかる。

そう、私はもともと短気なのだ。あーだこーだ時間を稼ごうとする娘に、いらいらっときてしまう。

カーサンも好きこのんで注射してるわけじゃない。しなければいけないのだ。しなかったら具合が悪くなる。食べられない。

そんなときに娘が注射後「痛かった」とちょっと泣き、義母が「もっと打つ部位を選ばなくちゃ、今のでは痛いだろう」とつぶやいた。

12日間で、このときと、「数字ばっかりではなく娘の様子を見なくちゃ」と注意されたとき、この二回だけ義母に対して嫌な気持ちを持った。

娘の病気で怖いのは、高血糖が続いて合併症を招くことと、低血糖から起こる意識障害やけいれんだ。娘の年齢では低血糖の方が可能性が高い。

食前に打ったインスリン量に見合う食事を摂らなければインスリンが効きすぎるし、いつもより多く運動したりしても糖が不足する。

自分でそれを自覚できる年齢ではない。不機嫌、冷や汗、手が冷たい、それが低血糖の初期症状だ。これを見逃さないようにしなくてはいけない。

二度の試験外泊でも、退院してからも、娘は何回か低いときがあった。カーサンがいつでも最初に気付いた。

怪しいと思ったら測る。そうしないとわからないからだ。
もちろん医師からもそう指示されている。

それを・・・という気持ちは、どうしようもなかった。
さんざん世話になっておきながら、「あなたに何がわかる」などと内心毒づくような嫁。まったく困ったちゃんだ>自分。

でも思うのだ。
きっとこれからも、義母に限らず何回も同じようなことがあるだろう。
案じた誰かが私をそっと諌めることがあるだろう。

そのたびに私はスガシカオの「八月のセレナーデ」の一節を頭の中で歌ってやり過ごす。こんな歌われ方、スガさんは不本意だろうけど。

すっかりひねくれて腹黒い。自分はそんな奴だと自覚していかなくちゃ。



2004年07月12日(月) 「まだちんぱい(心配)なの」と娘が切ない目で

間が空いてしまいました。退院して一週間、娘も私も元気です。ありがとう。

娘も義母が徹底的に優しくしてくれているせいか、精神的にも(血糖値的にも)とても安定してきた。

どちらかというとカーサンは娘をコントロールしたいという気持ちが勝ってしまって、遊んでいてもどこか説教くさい。

対して義母、娘へのアプローチはまず「どうしたいの?」から始まる。そして可能な限りそれに応える。

甘いといえば甘いのかもしれないが、「子には添うてやれ」という言葉を義母の姿から教わっている気がする。

退院後の2〜3日、娘は夕飯の終了が見えてくると、いつまででもご飯を食べず、かといって「じゃあご馳走様は?」と促すと「たべるの」と強情で、カーサンいらいらしてしまった。

食べるんならさっさと食べなさい。ほら、早く早く。

という言葉をぐっと呑み込み、それは義母の視線を感じてのことだったりするのが情けないが、辛抱強くつきあってみた。ここはどうもカーサンのツボらしく、いらいらが徐々に頭痛に変わってきてしまいそうなくらいだった。

どうして食べないんだろう。入院している間にこんなことはなかった。

と我ながら冷たい視線で食卓にへばりつく娘を見ていると、義母が言った。「食べ終わってもおかあさんどこにも行かないよ」。

娘号泣。

抱きしめながらカーサンも目頭がツーンとした。

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同様なのが寝かしつけ。

なんとかして布団の部屋から脱走しようと試みる娘に、カーサンあんまり頭にきて(頭痛がしていたのよ)「じゃあバイバイね」とことさら入院中の別れ際を思い出させるような意地悪をしてしまったりもした。

ひょっとしてこれも「おかーさんどこか行っちゃう」怖さからか、と思い至り、さっきの私の意地悪は娘の傷に塩を塗りこむようなものだったか、と今度はそっちが怖くなる。

今夜は娘が何を言っても「どこにも行かない」「ずっと一緒」と答え続け、娘は「ねんねちないよ」と呟いて目をつむった。

一週間かかってしまった。ドンくさいカーサンを許せ、娘よ。

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この一週間で、娘の口から「おかーさんバイバイって行っちゃう」「おやつの前におかーさんくるから」「おかーさんおうち帰っちゃう」という言葉を一日に何回聞いただろう。

やはり娘にとって辛かったのは治療そのものよりも、病院にひとり残されることだったんだな。

「こうやっておかーさんバイバイちるの」と入院中使っていた大きなトートバッグを肩にかける仕草を再現されたときには、ほんとにカーサンも辛かった。

一緒に泣けばいいか。それしかできないし。



2004年07月07日(水) 退院

おかげさまで、昨日娘が退院しました。

次は二週間後に外来で診察を受けます。その後は一ヶ月に一度。

新生児ちゃんの患者さんを除けば、娘は最年少のおちびさんだった。まだ憎まれ口も叩かない年齢ゆえ、とても可愛がられたように思う。

看護士の皆さんには本当にお世話になった。状態が安定してから、特に退院前の数日は、カーサン安心して預けることが出来るようになり、ひとりでとるランチをたぶん楽しんですらいた。現金なもんだ、つくづく>自分。

全然ちがうよ、という突っ込みを覚悟で書くけど、保育園に預けてお仕事するオカーサン方の気持ちがほんの少しわかったような気がした。やっぱり違うか。

さて当の娘、まるで黄昏泣きのように夕方激しく泣いた。ぐっすり昼寝しすぎて、寝ている間に自宅に着いたのが納得できないのか。

「おうちかえらないよ」「びょーいんいくよ」といわれましても。

どうやら前回の試験外泊の際、実家じじばば宅に寄ったのが楽しかったらしく、今日もそうなるはず、と娘の中で段取りされていたようだ。期待はずれに自宅だったわけか。すまん。・・・何故謝る>自分。

ひと騒ぎした娘はすっきりしたのか、寝るまでたいそう穏やかだった。
「どこにもいかない」のがカーサンの素振りからわかるのだろうか。

娘を寝かしつけたあと、散らばったおもちゃを集めながら、じーんと胸が熱くなってくる。これが感無量というやつか。

退院の喜びをいざ日記に、とPCに向かったカーサン、何故か糖尿病に関するサイトをぐるぐるしてしまった。あっというまに二時間。

ディープで生な情報にがつんとやられ、退院の喜びどころか娘の将来に不安がよぎる。しょせんまだ一ヶ月の初心者。

カーサンが出来る間は、きちんと管理してやりたいなあ。

最近、娘の血糖値の増減に対して、ゲーム感覚で一喜一憂していたことに気付く。そんなライトな感覚だけじゃだめなんじゃないか。大変な合併症の可能性を認識したうえで、それでも明るく管理する、そういうのでなくちゃ。

とにかくやれることをやる。あとは笑っていこう。



2004年07月05日(月) どこにもいかない

どうやら予定通り、娘は明日退院できる見込みです。
6月7日に入院して7月6日に退院。妙にきっちり一ヶ月の入院生活でした。

書き込みやメール、ほんとにどうもありがとうございました。とても嬉しかったです。

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さて、退院が決まったって、娘はまた今夜もひとりで病院泊まり。

消灯時間が近づくにつれ、「どこにもいかない」「どこにもいかない」と何度も念を押すように呟き或いはカーサンに尋ね、カーサンも「いかないよ」と答える。

頭の中では「あなたが寝るまではね」と限定的な言い訳をくっつけているのだが、娘は知る由もない。

「どこにもいかない」わけないのだ。そう、娘はほんとは知っている。
ふと目が覚めるとそこは病院のベッドで、柵があがっていて、カーサンはいつのまにかいなくなっている。そんなこと、もうとっくに何度も何度も身をもって経験しているのだ。

だから本気で、ものすごく真剣な切羽詰った眼差しでカーサンに確かめるのだ。「どこにもいかない」。

今夜で最後だから、叱られてもいいやと思って小さいベッドに添い寝した。お昼前に暑い中を地下鉄で移動してくたびれたのか、今朝に限ってきっちり8時に起きられたせいなのか、ほんとは眠くてたまらない娘。

まぶたがくっつきそうになると、「おうちかえりたい」「汗かいちゃった」「ここがかうい(かゆい)」「ばーばとこ行きたいよ」「おうちにかえりたい」以下エンドレスで繰り返し文句をつけては目を覚まそうと必死。

寝たらオカーサン帰っちゃうから。

添い寝したカーサンの腕をぎゅっと握り締めていたけど、さすが添い寝、いつものとんとん胸を叩くよりもずっと早く、ものの30分で娘はことりと深い眠りに落ちた。

明日っからカーサンほんとにどこにも行かないよ。



2004年07月04日(日) 二度目の試験外泊中です

金曜日一晩病院に泊まり、土曜日採血検査を済ませた。

血液中のHbA1C(ヘモグロビンエーワンシー)とかいうのを調べると、過去の血糖値がいかほどに保たれていたかがわかるらしい。

結果は良好とのことで、土曜晩から試験外泊第二弾。

前回の試験外泊で、病院食の再現に躍起になったカーサンだが、あれは無茶だった。つい力が入ってしまってくたびれた、と看護婦さんにこぼしたら、お母さんノイローゼになっちゃうからほどほどにね、と助言を頂いた。ほんとだ、思いつめると危ないぞ。

なにしろこの一ヶ月、家事ゼロ状態だったからね。余計に負担だったらしい。どの口で言うか>自分。

今回は迎えに行く前の時間で部屋の掃除をしたり洗濯をしたり、体を動かしたおかげで家事リハビリが多少できたらしい。さほど苦にならなかった。

しかし私にとって家事ってのは、家族がいてこそ価値があるようだ。

たぶん一人暮らししたら、大学生男子並みに部屋も生活も荒れる気がする(きちんとした大学生男子に失礼な発言)。
タンスからではなく、洗濯後のピンチから乾いたパンツを調達しかねない。

娘が家にいる。

あなたが家にいないと、カーサンの周りは色あせてたよ、まじで。
今日娘と夫とテラスでシャボン玉して、つくづくそう思った。

明日、もう一度病院に行きます。また一晩、娘には寂しい思いをさせるけど、火曜日には退院できるかもしれないからね。がんばろう>娘。



2004年07月02日(金) 試験外泊その3

昼ごはんに間に合うように病院に行った。

明日採血・検査をして、その後はまた帰宅してよいとのお達し。火曜日には退院かなという朗報だが、娘には通じない。

今晩が全てなのよね。今カーサンが帰ることが耐え難いのよね。

外泊から病院に戻ったオコサンというのは大概荒れるらしく(道理だ)、看護婦さんも「ええ覚悟できてます」と潔い。

新患の入院準備に追われながらも、娘をおんぶひもでがっちりキープしてくれた。その背中で「たちゅけて〜」と号泣する娘。

やはり母としては「申し訳ありませんがよろしく」と頭を下げる。

でも待てよ、あの状況で二歳児が泣くのは当然だとも思う。謝る必要なんてないのかな、とも考えた。

その次に、いやいや、仕事とはいえ、10キロの二歳児をおんぶしてくれる看護婦さんが少しでも快く引き受けてくれるなら、頭なんていくらだって下げるよ、とも考えた。

お腹が減って考えのまとまらない、病院から駅までの道。

今夜は満月ですか。



2004年07月01日(木) 試験外泊その2

看護婦さんの間で、娘は眠りが浅くしかも寝つきが悪いと悪評をとどろかせている。さすがカーサンの娘だ(実はカーサン耳栓が安眠の必須アイテム)。

ベッドの柱に貼られた一枚の紙に、毎日看護婦さんからのメッセージがあり、こちらも一言ふたこと書き残す交換日記めいたやりとりがあるのだが、夜勤だった看護婦さんたちからのメッセージには夜どれくらい泣いたか、どのように寝かしつけたかがけっこう詳細に記されている。

たとえば「ママ達帰ってからは途中2〜3回ほど泣いて起きましたが、そばにいると安心して眠ってしまいました」みたいな。

或いは「入院のストレス、血糖測定での恐怖心からか夜中は眠り浅いようです。看護婦の手を握り、安心したように眠りについています。「お散歩行く」と夜中に言いましたが、「朝になったらネ!」と約束しました。「うん」とお返事してくれました。早く慣れてくれるよう努力します。」とか。

なんでこんなに覚えているかというと、全部ノートに書き写しているから。こんな人怖い?いや記念にもとい記録としてね、なんだか大事に思えて。

娘は保育園とか幼稚園未経験なので、カーサン親族友人以外の人と娘のお世話を共有したことがないのだ。とても新鮮(おいおい)。

娘の性質をプラスに受け止めてくれる看護婦さんもいれば、そうでない方もいる。
※二つ目のコメントの彼女は、娘に「かわいい〜」を連発してくれる有森也美似のお若い看護婦さん(語尾の「ネ!」がカーサン的にはツボ)。娘もそれを感じ取るのか、彼女には比較的懐いている。うーん、動物的。

ちなみにそうでない看護婦さんには、年配の方が多いような。自分に子育ての経験があると、「あたしゃそんなの許さなかったけどね」みたいな厳しさが加わってるような気がする。なんとなくそういう匂いがする。

おっと話がそれまくった。

昨晩、娘は爆睡だったと、そう書きたかったのでした。


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