日記帳

2004年06月30日(水) 試験外泊その1

私は全然知らなかったんだけど、大きい病院てのは、主治医は一人に限定せずに複数名でグループを作るのですね。転院前も後も、娘に対する主治医「グループ」があり、3〜4名で構成されている。

これっていいことだなと思う。
この先生に言っても通じなかったけど、あの先生ならわかってくれるってことが多々あるから。

本日宿直で病棟にいらした先生は、人柄は問題ないとしてもあまりにシングルタスク。一度に二つ頼んじゃいけないよ。

途中で電話でも出ようものなら、それ以前の用事はどこかへ行ってしまうらしい。インスリン注射他必須アイテムを早く我々に渡してくれい。

ついでに看護婦さんたちにも周知徹底しておいてくれい。これは医師個人というより、病院の体質みたいなもんか。
※「試験外泊?いつまで?」って病院を出る直前に看護婦さんから確認されるのはちょっと恐怖。

午後4時前には病院を出るつもりが、5時近くなってしまい、おかげで月末のゴトウビの夕方なんて、どこもかしこも交通渋滞当たり前よね。

カーサン肝を冷やしたよ。実家じじが車を出して病院から自宅まで送ってくれたのだが、娘途中で「おうちかえれないよ」と連呼するほどの混雑っぷりでした。

だから午前中にあれもこれもやっておけばよかったのに>自分。

残りのおかずと冷凍ご飯、慌てて焼いてブサイクな卵焼きで娘のディナーを間に合わせた。頭の中ではもっと美しい食事を描いていたんだけどなあ。

ま、こんなもんだ。試験外泊一日目。



2004年06月29日(火) 予定

とりあえず抜歯が延期になった。
そしたら試験外泊が前倒しになった。

明日午後帰宅し、金曜日に病院に戻る。
カーサン記録を詳細にとらなくてはいけない。

何を何グラム何時に食べたか。何時に血糖値はいくつだったか。

やらなくてはいけないことだから、がんばるよ(やけくそ)。

さて、いかほど血糖値が上下してしまうのか、そして金曜日に娘は病院にすんなり戻るのか。

あんまり考えないことにしよう。



2004年06月27日(日) 当事者は誰だ

抜歯云々の話の流れで、抜歯が済んだらその週末に試験外泊し、経過がよければその翌週には退院なんてスケジュールを主治医が漏らした。

早ければあと2週間、いや10日?カーサン興奮。

退院後の生活を頭の中でシミュレーションしているうちに、段々気が重くなってきた。

今、病院の調理師さんがしてくれること、看護士さんがしてくれること、全部私ひとりでやるのか。

病院通いを言い訳に、家事をほとんど放棄しているこの頃のカーサン。病院で習慣づいた規則正しい生活リズムで帰ってくる娘。つ、ついていけるかしら。

折りしも夫、最近のなんだかだのしわ寄せで、自宅で夜鍋仕事。アータに頼れるとも限らないわけね。

ますます暗澹たる気分が盛り上がってしまう。いかーん。

一度布団に入ったものの、夜中の4時頃目が覚めてしまう。リビングでは夫が仕事中。ほとんど発作的にあらゆる気持ちをぶちまけ、頭痛薬を飲んで寝直した。・・・ぐっすり。まだまだいける>自分。

しかしなんだろねー、確かにちょっとくたびれてきてんのかもねー。
※まあ、くたびれてることを夫に理解してもらえばよしとしよう。

==========================

さて、今日は病室に、実家ばばではなくじじが来た。ばば風邪。

孫娘の抜歯について、ばばから情報が行っているらしく、なにやら憤慨に近い面持ちで抜かなくていい、抜くべきでないと鼻息が荒い。

抜歯については、先日夫と二人して、出来れば抜きたくないという希望や、小児科と歯科の連携に対する不信感を主治医にぶつけた。

私たちから不満をぶつけたことで、主治医グループはグループ内でも歯科とも話し合いをもってくれて、詳しくは明日月曜日に説明を聞く段取りになっている。

なんだかよくわかんないけど抜歯、とりあえず抜歯、流れとして抜歯、そういうことではなくなってきている、とカーサン捉えている。

なので実家じじがいくら鼻息荒く反対を唱えても、必要な処置であり娘にとって最善であるなら、抜歯も致し方ないかな、とすら考えている。

やはり当事者は娘なのであって、だれよりなにより優先されなくちゃいかん。

じじの孫可愛い、不憫という気持ちはわかるが、その熱さでかえってクールダウンしてしまうカーサンであった。あくまでもへそ曲がり。

でもねー、抜歯とか傷の深さとかその後のブリッジ(?)装着とか具体的なことを想像すると、やはり気が重い。痛いのは娘だけどさー。カーサンも小学生のとき歯列矯正したことあるから、口の中に針金がある痛みってのは想像できるんだよ。

娘、まだまだ二歳なんだよねえ。はー(ため息)。

娘に対するカーサンの不憫フィルター、また一段と厚くなってしまいそうな予感。やば。



2004年06月24日(木) 必要性

娘はご存知の方もいらっしゃると思うが、前歯が一本欠けている。
母乳添い寝を1歳5ヶ月近くまで続けた結果、上の前歯4本が虫歯、加えて階段落ちという荒業で見事に欠いたのだ。

その後フッ素を塗布したりして、見た目黒くていかにも虫歯っぽいのが難だとカーサンも思っていた。

入院してご飯を食べている娘を見た美人先生がそれに気付いた。「あら虫歯?」「いえ階段から落ちて欠けちゃったんです」「あらまー」で済んだと思っていたら。

紹介状を書くから隣の系列歯科に行ってこいというのだ。

そんなに気になるかしら、くらいの気持ちで行くと、そこは大学病院の歯科、待ち時間も段取りも世の開業歯科の百倍の負担であった。

しかもレントゲンの待ち行列を見た通りすがりの医師と患者らしき中年男性二人の会話「今混んでるから後にしましょう、午後いちにでも」「はあ混んでるねえ」「時間の無駄なんですよ」。時間の無駄とほざいたな、そこの医者。

問診→口の中拝見→レントゲン→別の医師が口の中拝見→お話、と進んだ頃には二時間経過、娘は泣き疲れてカーサンの膝でうとうと。

系列病院間で紹介状をやりとりし、事前に医師同士で連絡を取ったにもかかわらず、この段取りの悪さはなんなんだ。

そして二度目に娘を診た女性メガネ医師、専門用語の羅列で娘の欠けた歯の残っている土台部分を抜くしかない、と断言。

今までかかっていた歯医者さんでは、土台が残ってよかったね、フッ素塗ろうねレーザーで焼こうね、と出来うる処置をしてもらっていたはずなのに、これは糖尿発病ということで事情が変わったということなのか、と問うカーサンに、なんの新しい展開もない専門用語の羅列を繰り返すばかり。

話のわかんねー女だな。再度怒りを抑えて問うと、助手的立場の先生が是と答えてくれた。
※しかもこのメガネ、私たちが手続きを待っている間に昼ごはん食べに階段下りていったぞ。

カーサンの肩に熱い頭を乗せて娘は眠る。

そもそも事前に、糖尿だから感染症うんぬんという話を主治医グループの誰かがしてくれていたら、ここまでショックを受けなかったと思うんだよ。

医師には当然以前の常識でも、患者は無知なのだ。きちんと説明してくれ。

元の病室に戻って主治医グループのお頭U先生に尋ねると、あれほど通常となんら変わらないと熱弁をふるっていたその口で、やはり糖尿ですからねえ的発言。がーん。

遅かれ早かれ必要な処置なのかもしれない。入院している今なら、体調の管理も診てもらえていいタイミングなのかもしれない。

でも納得いかないのだ。明日、かかりつけだった歯科医に話を聞いて、それで納得がいったら抜いてもいい。でもそうでなかったら。

後にしてくれ、と私は要求するだろう。

あんまりカーサン怒らせるなよ。

これ以上娘に痛いとか怖いとかを経験させたくないのだ。



2004年06月23日(水) それぞれ

毎日病院ネタですみませんが、退院までもうしばらくおつきあいくださいましね。

娘が入院して数日後、小学一年生の女の子が入院してきた。目の大きい、とても愛らしい女の子で、病院という環境に怯えているように見えた。そりゃそうだ、きっとこんなところ初めてだものねえ。

娘のいる部屋は一応5歳以下の患者が対象で、彼女は一日だけ同室だったけれど、翌日にはもう少しお姉さんの部屋に移っていった。

お姉さまがたは、高校生のKちゃんがお頭というかお局というか、とても姉御肌な気持ちのよい子で、どの子もすばらしく面倒見が良い。

小学一年生の彼女もすっかり気に入り気に入られ、金魚のなんとかのように連なって病院内を闊歩するようになった。

まだ予想もつかないけれど、娘もひょっとしたら将来、入院生活を送ることが再び三度あるかもしれない。

そのときには、年下の子にやさしく、不安を解きほぐしてあげられるような気遣いの出来るお姉さんであってほしい。

などと勝手なことをカーサンは思うのだ。

=============================

今夜病院から帰ろうとすると、小学一年生の彼女がエレベータホールの公衆電話で泣いていた。膝を抱え、大きく見える受話器を耳に当て、声を殺して泣いていた。

昼間、娘を明るくあやしてくれた。笑顔がとてもかわいかった。おばちゃんにはまぶしいくらいだったよ。

昨日は高校生Kちゃんが、やはり同じ公衆電話でお母さんを相手に話し込んでいた。仕事帰りに病院に寄るのは大変だから来なくていい、と聞き分けの良いことを受話器に向かってことさら明るく話していたけれど、私は夕方、彼女がお母さんが来ないことをこぼしていたのを聞いている。

それでも私の存在に気付けば、彼女にこりと笑って会釈してくれる。

ここの病院でも、最初の病院でも、小児病棟という場所は、私に大事なことを教えてくれる。

教わったことをけして忘れてはいけないな、と思う。



2004年06月22日(火) 変化

入院してから娘はちょっぴり変化した。成長というのか。

・拒否する言葉の種類が増えた
せいぜい「たちゅけてくりー」が関の山だったが、「おわりにちまちゅー」「もうおちまーい」「さわらないでー」(!)「もうけっこうでーちゅ」「やめてくだちゃーい」と豊富なボキャブラリーを手に入れたようだ。

そうね、検査は痛くてやなんだもんね。

同室の、娘より年下の患者さんのお見舞いに見えていた年配の女性が「丁寧に叫ぶわねえ」と笑っていた。「おわりにちまーちゅ」「おわりにちまーちゅ」と繰り返していた娘。いや、本人は必死なんですけどね。

・好き嫌いがなくなった
青菜のものが苦手だった娘、しかしそんな悠長なことは言っていられる身分ではないのだ。お腹が空いても、次の食事まではなにも食べられない。

ようやくわかってきたようだね・・・(悪人母)。

ここ2〜3日、食事は10割完食となっております。

なかなか家ではここまで厳しく出来ない。こればかりは入院のおかげかも。

・習慣
血糖測定「ぱっちん」注射「ちっくん」をしないと食べられないこともわかってきた。

看護士さんが食事を持ってきてくれても、注射しなければ食べられないのだ。タイミングの悪いときだと、生殺し状態。

娘、「めのどくでーしゅ」と叫んだぞ・・・ほんとよ。
※カーサンが呟いたのをそのまま真似た。コピー能力が向上したなあ。
うかつに娘の前で「ヤブ」とか囁かないようにしないと危ない危ない。

抱っこされておしりに注射していたのも、いまや自らベッドにうつぶせになり、「どうぞ」のスタイルをとる。脱力・・・。

思わず「プライドはどうした・・・((C)りつこさん)」とカーサン呟いたら、看護士さん吹き出した。

血糖測定では「ここ」と指を指定する。えらいなー、娘。ええ、親ばかですとも。

・ハスキーボイス
声が枯れたままだ。あの風邪のせいなのか、それともよく泣くせいなのか。

ある看護士さんが曰く、「明け方5時から「オカーチャーン」と泣き始めて、まあそのうち泣き疲れて寝るだろうと思ってたらお母さん、なんと6時半まで泣いてたんですよ、それから朝食までおんぶしてました」と。

「いやあ、根性ありますねー」って。

一時間半叫んでたのか。カーサンはそっちがやるせないがのう。

だからもう看護士さんの人数増やしてよ、と願うのは、親のエゴなんだろうか。もちろんおんぶには感謝しているけど。



2004年06月21日(月) 寝かしつけながら思うこと

入院し始めて2週間。今の病院に来てから11日目。

おかげさまで娘は大変安定している。これといった検査もない毎日。

ただ、3度の食事とおやつの前に血糖測定があり、インスリン注射があり、食後二時間で血糖測定をしている。

たぶん朝は7時頃起きて、朝ごはんやら入浴やらを看護婦さんに手伝ってもらい、柵の上がったベッドでひとりで遊び、昼ごはんを食べ、眠ければ昼寝し、おやつの頃にはオカーサンがやってくる、と病室の入り口をチラチラ見て過ごしているのだろう。

オカーサンの顔を見れば少し心が緩んで、つい涙のひとつも出て、よしよしと抱っこされ、それで娘は気が済む。ついでに「ちゃみちかったの(寂しかったの)」「ちゃんと待ってた」という殺し文句を並べてみたりする。ああ殺される。

おやつのあと18時の夕飯までの間に、可能なら実家のばばが来たりもする。夕ご飯を食べ終わる頃、ばば退散。以後は消灯までオカーサンとまったりする。

娘のいる病室は、20時消灯。年齢が低いためだ。同じ小児科でも他の部屋は21時が消灯なので、20時に部屋の電気が消えてもしんと静まり返ったりすることはない。むしろ看護婦さんの就寝前巡回が始まって、器具の触れ合う音やら、消灯前を一瞬でも惜しむようにはしゃぐ中高生の患者さんたちの声が響いてくる。

そんな中、私は娘にバスタオルを掛け、胸の辺りをとんとん叩く。前の病院のように、添い寝はできない。禁止されているから。
※転院初日に、うるさがたの年配看護婦さんに厳しい口調で咎められた。彼女は言いにくいことを微笑んで言わなくてはいけない仕事柄なんだろうが、正直あったまきた。添い寝して壊れるベッドなんか置くなよ>小児科。

娘はそれが病院での就寝スタイルと理解しているらしく、「とんとんちてくだちゃい」「おふとんかけてくだちゃい」と丁重だ。

転院してすぐは、面会も20時までという決まりなので、娘が寝ようが寝まいが20時に病室を出ていた。当然娘は泣く。数日後には看護婦さんに抱っこしてもらえれば、さほどカーサンを求めなくなり、ほっとするやらさびしいやら。

が、どうも看護婦さんとしても、どうせなら寝かしつけてからカーサンに帰ってほしいらしい。手が足りないのだ。

それがわかってからは、21時近くなろうがなんだろうが、カーサン娘が寝るまでとんとんし続けている。看護婦さんもなにも言わない。

完全看護をうたうなら、もっと人員を増やすべきだ、この病院。

近所の小児科で大きい病院に転送します、といって美人女医は3つ候補を挙げた。大学病院がふたつ、都立がひとつ。

自宅から近いほうがいいとか、知人がいるとか、かかったことがあるとか、ひとそれぞれ入院する病院を選ぶ条件はあるだろうが、カーサンあいにく何一つ材料を持っていなかった。

そのとおり女医に話すと、一番スタッフが揃っているのがここ、というのを3つの中から選んでくれ、カーサンそれに従った。

その病院にいるときにはたいして思わなかったけど、なるほどあそこはスタッフの数は膨大だった。患者数も桁違いだったが。

真夜中でもナースステーションに10人近く常駐している。あれならナースコールも呼びやすい。すぐ来てくれたし。

転院して、初めてそれがわかったよ。今いる病院、ナースステーション巡回のたびに空になってしまうのだ。点滴装置が鳴ったって、なかなか来てはくれないよ。

病院は入ってみないとわからない。とつくづく思うのだった。

=========================

おまけ:

病院を選ぶときに、新しくてきれいなら都立だな、なんせドラマにも使われたし、と思い、そんな皮相な条件を考えついた自分があさはかで嫌だったが、今になってそれは案外的を得た条件だったのかもしれない、と思う。

病院は新しい方がいいよ。

今いるところは築40年以上経っている。空調設備をはじめ、なかなかお粗末な、昔ながらの大学病院ってかんじがする。
※まあそれを「ひでえところだな」と義父に指摘されるのもオツなもんだが。

病院は弱ったひとが集うところだ。まして入院となったら、患者は病室が全世界になる。景色すら選べない。

自己治癒力が上がるような環境を整えた病院を、新しさという基準で選ぶのはけして間違いではないんじゃないかと私は思う。



2004年06月20日(日) ちょっと整理

自分で日記を読み返してみて、なんかわかりにくくてしかたないので少し整理させてくださいな。

娘は2歳6ヶ月、今まで大きな病気をしたこともなく、どちらかといえば健康を通り越して丈夫と形容されるオコサンだった。

先月くらいから大量に水を飲み、大量にオシッコするようになった。これは多飲多尿と呼ばれるもの、と後で知る。

6月初めから元気がなくなってきて、但し熱やら咳やらといった目立つ症状はなし。しかし「元気がない」というのが最大の症状であった、と後で知る。

近所の小児科に連れていくと、美人女医首を傾げながら血液検査と尿検査。尿からケトン体なるものが検出、血糖値も尋常でない高さで、糖尿病の疑いあり、ということで近くの大学病院に緊急入院。

3日間そこで検査・治療を受け、1型糖尿病と診断され、専門病院的な系列の他病院に転院する。またそこでも検査・治療。痛いねえ。怖いねえ。
※転院の際、救急車で医師同乗で搬送されたんだけど、反対車線をぶっちぎる、モーセの十戒の如く渋滞車両を割って進む、という貴重な体験をした。娘は車酔いして斜めになってた。

あいにく転院の日から夏風邪を引いて、五日間発熱、点滴を受けたりしてウィルスの通過を待つ。長かった。

今は風邪も治まって、平熱。血糖値も徐々に安定してきて、投与するインスリン量を探っている状態。

娘はVTRを見たり絵本を読んだり、お絵かきしたり、と気ままに遊んでいる。食事の間隔が長いので、これは辛抱が必要。食べ終わったそばから「たべたいよ」と呟く。
※それにしても、入院前の覇気の無さは消えました。あれは脱水症状もあり、インスリン欠乏もあり、娘にしてみりゃだるくて仕方ない状態でした。体内が酸性に傾いていたんだそうだ。

今後は私が糖尿病に必要な処置を覚え、それが済んだら退院。
通常と変わらない生活を送ることができる。
※来年からの幼稚園も、予定通り3年保育で通うつもり。

てなところですか。

===========================

しかし「糖尿病」って。
どう感じます?甘いものばっかり食べてたから、とか、肥満?というイメージが強くないですか?

詳しいことを初めて知ったのですが、糖尿病には二種類あるそうで。
ひとつはイメージしたものに近い、生活習慣病、成人病といえる2型糖尿病。

もうひとつが1型。これは食生活・肥満や遺伝とは無関係に発病し、主にオコサンに多い。娘はこれ。

発病の原因は不明らしいが、どうも免疫がどうこう、風邪なんかを引いたときに、間違って必要な大事なもの(インスリンを作るすい臓の中の細胞)までぶっ壊してしまったというのが有力。
※そのためすごくしつこく何度も聞かれた。「最近風邪を引きませんでしたか?」と。

娘の場合思い起こせるのは3月下旬の嘔吐と発熱。でも一日で収まったんだけどなあ。しかし怪しいのはこれらしい。

==========================

尿に糖が出るから「糖尿病」。
なぜかというと、インスリンというホルモンによって糖が分解されないから。まんま尿に、血液に糖が出る。

分解されないとどうなるか。糖がエネルギーとして活用されない→元気がない。ひどくすれば昏睡。他合併症。

2型はインスリンがはたらきにくい状態、対して1型はインスリンが体内でいっこも作られない状態。インスリンゼロ。

なので1型は必ずインスリンを補う必要がある。それが皮下注射。
※インスリンは飲んでもだめ。胃で壊れてしまうから。

==========================

1型糖尿病は0〜14歳の小児人口の10万人に1.5人という稀な病気。
稀ではあるが、難ではない。何故なら治療法が確立されているから。

治ることはないけれど、管理さえすれば健康なオコサンと同じ生活を送ることができる。食事も運動もこれといって制限はない。

==========================

以上、主治医からの受け売りで、ざっと説明してみました。
もちろん素人のカーサンが書いた文章ですから、きちんと知りたい方は「1型糖尿病」で調べてみてくださいね。

というわけで、今日も娘は血糖値を測り→インスリン注射→ご飯→二時間後血糖値を測る、という入院生活を送っています。

私はオベンキョ中です。なんでも覚えようと思います。大丈夫、娘に負けないくらい、がんばるよ。



2004年06月19日(土) 罰当たり

義父が木曜日に、義母が今日大阪に戻った。それぞれ実に一週間と10日の滞在。

死ぬかと思った。

すみません、罰当たりな嫁で。

でも、最後の何日かは義父と食卓を囲んでいると動悸がしてきたし、あれ以上一緒にいたら本気で倒れていたと思う。

義母は私が留守の間、家のこと一切を引き受けてくれ、洗濯から食事まで丸投げで面倒をかけた。ありがたいことだと思う。

娘の入院を知った彼らは私の実家に電話をかけ、迷惑じゃないかと念を押したという。実家の父は無論迷惑と答えるはずもなく、よろしくお願いしますと言うしかなかっただろう。それが通行手形になってしまった。私に聞いてくれ。

善意で差し伸べられた手を煩わしいという理由でふりほどくのは、予想以上にエネルギーの要ることで、まあ私が彼等にどう思われるかを覚悟さえ出来れば避けられた事態なんだから、非は私にあるんだけどね。

夫と二人で囲む食卓は今夜が初めてで、隣に娘がいないことがとても寂しくてつい涙ぐんでしまったけれど、そんなことも今まで出来なかったのだ。

義母は来月頭にはまた来るから、と意気込んでいたが、今度は丁重に、でもはっきりお断りしようと思っている。



2004年06月18日(金) 密室

娘の体から、針やらチューブやらが全て取れた。うれしい。

病院に入院する中で、たぶん娘にとってつらいのは、検査という痛い怖い体験と、ひとりで過ごす時間が長いという二点だと思う。

検査はほんとにかわいそうだった。治療のために必要だとわかっていても、娘の泣き声を聞くと涙がこぼれた。

どんなに呼んでも叫んでも、オカーサンは助けにきてくれないし、白衣の人たちは止めてくれない。二歳にして娘は絶望というものを味わったかもしれない、と大袈裟に思う。

最初は「オカーチャーン」と呼んでいた声が、徐々にただ痛いだけ、怖いだけの叫びに変わっていくのを何度も聞いた。

患者が小さい場合、親の姿が見えると助けを求めて暴れたりするから、或いは親にとって残酷な場面を見せないように、という配慮からなんだろうが、処置するたんびに密室に連行するのは納得がいかない。

見たっていいじゃないか。大事な娘の体になにしてるのか、カーサンは知りたかった。

目の前でシャッと音を立ててカーテンを閉めた、あの看護婦さんの表情を私は忘れない。



2004年06月16日(水) 近況?

娘は先週の月曜日、近所の小児科からN大I病院に救急扱いで入院し、3日間急性期の治療をした。痛い怖いの連続だったはず。

木曜日にN大S病院という、小児糖尿を多く診察する系列の病院に転院、この日の朝から発熱し、どうやら娘、夏風邪を引いたらしい。

熱は38度から39度で医師の診立て通り5日間続き、昨日から平熱に戻った。

熱があっても食欲だけは衰えない娘だが、肝心の血糖値は変動が激しく、従って投与するインスリン量も増減してちっとも一定しない。

普通(夏風邪を引かなければ)急性期を過ぎた最初の一週間程度でインスリンの必要な数値が決まり、次の一週間で皮下注射等処置の仕方を親が覚え、最後の一週間で実際親が皮下注射をするのに慣れる、というのが糖尿病の入院スケジュールであるらしい。

娘は風邪を引いたので何日かロスしたが、明日明後日あたりには皮下注射を始める。今はお腹に皮下注射の針が入ったまま(痛みはない)、インスリンの箱をお腰に下げた桃太郎状態なのだ。
※この箱をカンゴクサンがいじるとご飯、と娘は覚え始めている。お腹が空くと「おなかちょこちょこってちてくだちゃーい」と叫ぶ。空腹に身を捩る娘を見るのがカーサン切ない。

それにしても、ようやく、ようやく少しずつ先が見えてきたよ。
熱が引かない数日は、さすがに焦れた。

これからカーサン覚えることがいっぱいだ。

皮下注射も、血糖値の測定も、栄養管理もみーんなカーサンの仕事だ。
ががががんばるよ。カーサン風邪引いてる場合じゃないんだがなあ。



2004年06月15日(火) ぱつぱつ

糖尿病というのは、小児慢性特定疾患という扱いになって医療費のほとんどを公的に援助してもらえる病気だ。

申請に必要な書類が揃ったので、自転車かっとばして管轄の保健所へ手続きしに行ってきた。

保健所の職員の女性がひととおり記載事項をチェックしたあと、保健士の女性とごく簡単な面接。

とてもかんじのよい女性で、娘の発病・入院に同情を寄せてくれ、母である私の身体・精神的状態も気にかけてくれた。

が、そのかんじのよささえ、今の私にはキビシイ。
やさしくしないでほしい。と身構えてしまうのだ。

何故だろう。
自分で思っているよりも、まだまだ状況を受け入れきれていないせいだろうか。

深刻そうにしたくない。いたわらないでほしい。

気を張っていないと、まだまだやっていけないのらしい。

義父母がいる生活というのは、案外気を張るという点では役立っているのかもしれない。

なんだか自分の家じゃないみたい。



2004年06月14日(月) 久々更新

何から書こうかなあ。

折々さばつぶでつぶやいてきたとおり、娘は今も入院している。
私は午後3時から8時まで付き添って帰宅。病院に通い始めて5日目。

たくさんご心配や励ましの書き込みをいただいて、ほんとに嬉しかった。心強かったです。どうもありがとう。

義父母が大阪から来ていて、義母が家事全般を引き受けてくれている。
とてもありがたいのだが、いや、ありがたいんですよ、ほんとに。

それが付き添いの始まった初日からのことだったので、タイミングが悪すぎというか、私が不安定すぎてきつかった。

娘のことだけで精一杯、病院を出て駅に向かって一歩足を出すにも力を振り絞って歩いているのに、どうして中華屋で酢豚、どうしてビール二本目、帰宅しても普段の音量の二倍で野球中継やバラエティを見なくてはいけないのか、夫とふたりで過ごす時間すらない、と、わたしのひりひり剥き出しになった神経はそんなアラサガシみたいなことばかりしてしまって。

夫に全部ぶちまけて、それでも義父母の気持ちも汲んでほしい、と言われたとき、「甘えてほしい」と義父母が言うなら、遠くからでも見守ってくれるだけでいい、そういう甘え方しかできない。

それもわかる、と夫が受け入れてくれ、「帰宅してもらうようはっきり言おうか」と言ってくれたことでわたしは胸のつかえがとれたような気がして、大丈夫、やっていけると思った。

いや、今リビングに義父母がいるんですけどね。そこで日記書いてるんですけどね。どきどき。

病院もののドラマを見て涙ぐむ姿を見て、善良なひとたち、と冷めた目で見てしまうしょうもない嫁です。はい。

久々に書いてこんな愚痴炸裂で大変申し訳ない。



2004年06月04日(金) まだ心配

娘は今日も元気がない。
遊ぼうという意欲も見えないし、第一笑わない。

眠そうな目をして、そのまんまうっかりするとウトウトしてしまう。

昨日も夕方までそんな調子。食事もたいして摂らず水分ばかり。
こないだの暑さでばてたか、ばてて食欲減退で元気がないのか。

夕飯に納豆ご飯を4回おかわりしてから俄然元気になったのでちょっと安心していたら、また今朝は覇気がない。

公園に行ってもうつむいてブランコに乗ったきり、にこりともせず「おうちかえるよ」とカーサンの手をひく。

娘が昼寝している間に気になる症状で検索すると、重大そうな病気にヒットヒットヒット。これもあてはまる、これも、これも、とカーサンちと青ざめてくる。

娘の寝顔を見に行き、ほんとに大変な病気だったらどうしよう、と不安で胸がいっぱいになる。ドアの開いた気配を感じた娘が小動物のような声を出すので、添い寝したらカーサンぐっすり。おいおい。相変わらず無敵。

目が覚めると、不安はちょっと落ち着いていて、熱もないし、吐くでも下痢でもないし、もうちょっと様子を見ようという気になった。

土曜の午前中でも、こないだの小児科は診察してくれるしね。

いかん、冷静にならなくては。ネガティブにひとりで盛り上がってる場合じゃない。



2004年06月02日(水) 謝らない

今日は娘、元気がない。風邪でも引いたんだろうか。
リビングにおもちゃが散らからないくらい、元気がなかった。

さすがのカーチャンも心配だよ。

=====================−

昨夜、娘10時前くらいに寝た。とてもとても寝つきが悪く、部屋を出ようとすると「オカーチャン・・」と恨めしそうに呼ぶ。布団→ドア→布団、と5回くらい繰り返した(ため息)。

カーサン12時頃寝たんだが、それまでにも3回起き、そのたびに念のため紙オムツを替え、娘の要求に抗えず水を飲ませた。
飲ませるたびに「これでおしまいにしようね」とつい言い聞かせ、我ながらうんざり。いくら言っても飲みたいものは飲みたいのだ。飲んで困るというのは私の感覚的理屈(なんじゃそりゃ)であって、娘には娘の代謝があるのだろう。

その後2時頃また娘が起きた。今思えば少々体調が悪いせいだったのかもしれないが、「4回目かよ!」という思いの方が圧倒的で、しかもまた水水と泣いて要求。いい加減飲まずに寝てくれんか、と粘ったが勝ち目はない。

水を汲みにキッチンに向かうと、夫が深夜のリビングにいた。あー、何時に帰ってきたの。しかし私が取った行動は、目も合わさず、「おかえり」も言わず、大きな音を立ててドアを閉め、娘の布団に戻るという感情的な、いやそりゃもうヒステリックなもの。

娘を寝かしつつ、自分もまどろみつつ、どうにも気分が悪い。
※それでもちゃんと寝た。無敵の睡眠欲。

何度も起きる娘にも、2時なんて時間にソファに座ってこっちを黙って見ていた夫にも、無性にいらいらしている自分自身にも嫌気がさす。

朝起きて、外は爽やか。カーサンいくらか持ち直したものの、すっきりはしない。

いつものパターンだと、夫に謝罪メールを送ったりするんだけど、今日はしたくない。

私がこうありたいと思う自分っていうのは、ひょっとしたら仙人みたいなひとなんじゃないか。

そんなのまだ50年くらい先でいいや。

なりたくない自分、望まない自分でいることに、少し寛容にならなければ、カーチャンなんてやってられんぞ。

怖いオカーサンで結構。わけもなく開き直ってしまったのだった。はっはっは。



2004年06月01日(火) 危機?

私のラジオ好きはいつからだったかなあ。

中学生くらいのとき、三宅裕二のAMのやつ、番組名なんだったっけ。「ドカーンクイズ〜」とかやってたの。あれが最初だったかなあ。

FMも聴き始めて、「KOSE歌謡ベストテン」これは邦楽だったよね(コーセー、コーセー♪)、洋楽の番組がそのあと続いてて。懐かしい。
赤坂泰彦のミリオンナイツもその頃かな?

大学受験の頃は東京FMかけっぱなしで、城達也ジェットストリームが終わって、そのまま放っとくと試験電波が突然ピヨーーーと聞こえてきて、びっくりして飛び上がってた。

どこかのロックフェスのダイジェスト版の放送をたまたま録音、スライダースとかシナロケとか初めて知って、かっこよくて何度も聴いたっけ。
友達に貸したまま戻ってこなかったカセットテープ。

先週の木曜日、そのラジオ好きの血が騒いだ。
※すみません、結局またスガネタで。

番組中のクイズを解こうと、中学生並みに真剣に取り組んでしまったよ。
しかも見当違いな回答をFAXまでしたよ(恥)。

実はMDに録音してまで聴いています>木曜日。ちょうど娘が夜泣きする時間帯だから、落ち着いて聴いていられないのだ。

しかし、音楽にしろラジオにしろ、私の中では基本的に「ひとりで」楽しむものだから、つい夫に素っ気無くしてしまうんだよねえ。

今まで「大人と話すチャンスはあーただけなのよ」と帰宅後の夫を捕まえてはしゃべくり倒していたのに、手の平を返したような妻の態度。

夫はTV、妻はMD(イヤホン耳状態)、これってやっぱりまずいですか。


 <<  index  >>


さば [TOP]