日記帳

2003年12月27日(土) 私は鬼です、はい

更新、間が空きまして。

前の日記を書いたあと、小児科に連れていったら、どうやらわたしが見事にウィルスゲット。だるさがピーク。起きているのがやっと。

夜中に何度も目が覚めて、胃のむかつきやら節々の痛みやら、こりゃいかんと思っているうちに娘に叩き起こされる。

そして寒気がやってきた。まずい、日曜日には大阪に帰省だってのに。

年末の仕事でてんぱっている実家には申し訳ないが、迷惑かけますーと堂々と転がり込んだ。おりしも実家は風呂場の改装工事の真っ最中でもあり、実家母はくたびれむくんだ顔を隠しもせず、それでも実家に着いてから3時間ほど爆睡した>鬼娘とはわたしのこと。

娘は未だ体調がすっきりしないので、キカンボー全開。実家母へとへと。
すまんのう。有り難いのう。

結局土曜日の今日までお世話かけっぱなしで、夫に迎えにきてもらった。

体調は爆睡が効を奏して、おおかた回復。
咳の止まらない夫をほったらかしにした甲斐があったってもんだ>鬼妻とはわたしのこと。

そして明日から大阪に帰省。新幹線片道だけ乗りきれば、今度は大阪じじばばに丸投げだ>鬼嫁とは・・。

というわけで、本日が年内最後の更新となります。

ご訪問下さった皆様、本年はまことにありがとうございました。
来年も、よろしくおつきあいくださいませ。

よいお年を!



2003年12月24日(水) 早く治れ

昨夜はささやかに、ちょっとだけクリスマスな夕飯にした。
まだまだクリスマスディナーとは言い難い。

なにしろ夫がマスクをして咳き込み、娘は食欲不振。
夫、しゃべると咳が出るからって、黙っている一日。・・マスク熊?

健康第一だねえ。

風邪引いてから柚子湯にしたって、遅かったのだろうか。

クリスマスに柚子湯か。
娘が生まれてから、生活に季節感が出てきた気がする。
シーズンイベントの復権とでもいおうか。

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そして朝から機嫌悪い娘、今日もマーライオン。
もっと早く医者に診せるべきだったか。むむむ。

※マーライオン→こちらからお借りしました〜



2003年12月22日(月) 風邪っぴき

風邪で総崩れの我が家。

娘はいったん回復に向かったものの、連日の野暮用でぶり返した様子。

今朝も起きてからずっと機嫌が極悪と思ったら、咳き込んで泣きながら、よろよろと近付いてくるのは、小さいマーライオン。

ほんとに放物線を描くんですねえ。・・・失礼しました。

もう一度寝なおしたら、少しすっきりした顔になった。

私も風邪か?と疑わしいが、認めたらこっちの負けだ。風邪ではありません。
ただ、だるいだけっ。こちとら、ひっくりかえってらんないのよ。

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●最近の「勘弁してください」3題。

その1。

機嫌が悪くて要求ばかりしてくる娘。

「とっちいよ、とっちいよ、とっちいのよ〜〜」と冷蔵庫にすがりついたり、キッチンの奥の棚を指差して泣く。何が欲しいのか言ってくださいってば。

そのくせ、これか?それともこれか?と努力するオカーサンの提案を全て却下。
く、くぬやろ・・。

その2。

「できない、できない〜〜」とじれて暴れる。大の字ならぬすべりこみセーフ(アウト?)状態で横たわり、生協で知らないおばさんの押すカートに轢かれそうになった。
オカーサンぶぶちゃちゃになるところだった。

その3。

「眠い・具合が悪い」と、「食べたい」の区別がつかない娘。
オカーサンにもよくわかんないから、食べさせたあとでたいていマーライオン。
食べるなっていうのもかわいそうだし。もどすのもかわいそうだし。うーん。



2003年12月19日(金) 近況報告

今回の移転について、皆様から書きこみやメールをいただいて、ほんとに嬉しい〜。ほっとしました。

この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました(*^_^*)
そして、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

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さて、先週の日曜日に従姉妹の結婚式があって、それに合わせて大阪からじじばばが応援に駆け付けてきてくれた。

なんのことはありゃしない、夫はひとりで娘と一日過ごす自信がないというのだ。

人見知りな娘のこと、じじばばに慣れるのに一日はかかるということで、結婚式の3日前から来てくれることになった。

大人4人が8畳のリビングに鮨詰め状態。まあいいさ。

という経過を友人との電話で話していたところ、「自分はほんの数時間も娘と過ごせないのに、妻には義父母と3人で2日間以上過ごせっていうことね」と夫を評した。

そ、そうね、言われてみればそうね。

言われるまで考えもしなかったけど。

いい子ぶっちゃってなんだけど、わたくし義母とは気が合うのだ。同じAB型だから?

義父も悪気もまったくない人なので、せいぜいテレビの音が普段の倍になることだけ我慢すれば、たいがい問題ない。悪気はないのだ、と念仏のように唱えることは何回かあったが。

それでもやはり来ていただく立場としては、知らず知らず気を使っていたのかもしれない。

加えて問題アリアリの義姉と顔を合わせ、久しぶりに会う親戚のオバサマたち相手になけなしの愛想を振りまいて、くたくたになって帰宅すると鮨詰めのリビング。
※でも買い物も夕飯の仕度も全て義母任せ。おほほ、ダメ嫁ですの。

月曜日の朝、義父母を見送ったあと、娘とふたりっきり。魂が抜ける母。

そして娘が早速風邪を引いた。・・あなたも少しは気を使っていたのね?

月曜日の晩、「じじばばとおつかれさんでした」と夫にねぎらわれて、魚心あれば水心、「ぜんぜん〜、楽しかった〜」と少々虚勢を張る見栄っ張りな私であった。



2003年12月18日(木) 腹黒いわたし

ええと、私が書いた日記がどんなものだったのかという説明が抜けていましたね。

日記自体は削除してしまったので残っていないのですが、兄の息子・娘が食事時に父親である兄の顔色を伺うのが気詰りだ、というようなことでした。

兄とはいえ、自分以外の所帯の躾方針についてとやかく文句をつけた私が悪かった、と心底思います。

好き嫌い、と表明していいこと悪いこと、常識で考えて私がルール違反。

その晩、もともと仲の悪い兄に、私の娘についてうんぬん言われてカチンときたのがそもそも。で、結局はなーんだ似たもの兄妹だなあ、というオチにしたつもりだったのですが、ここはネット上、もう少し私に分別があったらと後悔しても後の祭。

覆水盆に還らず。

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そしてジオシティーのサイトをお休みしました。

サイトを続けるか止めるか考え、たどりついたのは親戚用のアルバム的サイトと、こちらのような本音トークサイトを分けるという、実に腹黒いもの。

腹黒いけど、これで丸く収まるなら、と悪魔が囁いてしかたない。

ので、こういう形で再開することになりました。

今までも粗忽な私のことですから、読んだ方が不愉快になるようなことを書いてきたかもしれません。ここでお詫びしておきたいと思います。

そして、懲りずにおつきあいいただけるなら、また遊びにきていただけませんか。

ご指摘ご批判、お待ちしております。



2003年12月17日(水) もうちょっと詳しく

怒りのメールをもらい、謝罪のメールを送り、謝罪の手紙をポストに投函した。
義姉とのやりとりはそれだけで、直接電話をして話したりすることもなく、先週の日曜日、従姉妹の結婚式で義姉と会った。

日記のことについて、顔を合わせた直後に謝ったが、またその話は今度ゆっくり、という返事。その後はまあ、ごく普通に話もするし、笑顔を見ることもできた。

義姉との仲は、今までそう悪い方ではなく、人見知りがちとか、お酒に弱いとか、冴えない共通項でお互い連帯感があったくらいだ。

特に私が出産してからは、浮かない顔の私を心配してくれてもいた。

それだけに、私の書いた日記を読んで、裏切られた、と思ったのだろう。無理もない。

こんなことを思うのも図々しいのだろうが、私もまた、そんな義姉のメールに落胆していた。世間でいう逆ギレですね、これでは。

私がまず先に、棚に上がって、差し伸べられた手をはらいのけるような真似をしたのだから。

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ここから先は、さらに愚痴はいります。お見苦しい点、ご容赦を。

義姉の怒りのメールの中で、何が一番こたえたって、兄の言葉をそのまま伝えてきたところだ。

あーー、引用なんてしちゃっていいのかな。

>以前、パパに相談したことがあるんです。
>「なんか悩んでるみたいだけど、なんとかしてあげられないかな?」って。
>そしたら「それはおせっかいだろ。それにあいつは自分より下だと思っている人の言うこと>なんか聞かないよ」って言われました。

しちゃいました。

あいたたた。

兄とはもともと仲が悪いので、兄の言葉自体は屁でもないのだが、これをそのまま私に言ってくるってことは、・・・。

この他にも、私の両親への不満や、いつ離婚するかわからない、のような捨て台詞が散りばめられた感情的な文面に、私は本当にびびってしまった。

そして同時に、義姉から自分がすうーっと遠ざかっていくのがわかった。
今後も、きっと溝は埋まらない気がする。お互いに。

しかしなんにせよ、私が日記に書いたことで、くすぶっていた義姉の気持ちに油を注いだわけで。

つくづく自分が粗忽な人間で、嫌になりました。



2003年12月16日(火) ぶっちゃけていいかしら

ジオシティーのサイトをしばらくお休みしていたのは、私が書いた日記を読んだ義姉から、怒りのメールを受け取ったからだった。

兄のこういうところが好きじゃない、という表現が、兄一家の、と取れるとは、つくづくわたくし配慮も神経も想像力も、まったくまったく足りませんでした。

反省し、謝罪のメールも手紙も書き、義姉の育児を否定したわけではない、と理解を求めたが、果たしてどこまで伝わったか。

止せばいいのに、私もついアクセス解析を見て、彼女が毎日来ていることを知ってしまった。あああ。書けない〜。何も書けません〜。

だからといって、義姉非公開の日記をここで始めるのも反則なのでは・・。
あああ。考えても考えても、どうにもすっきりしません。


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