言葉的遊戯
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2008年12月31日(水) 2008年総括をしておきましょう!

もうあと数時間で今年も終わりです。
あっという間か、長いのか、よく分からないままに今年が終わろうとしております。
ある意味では濃厚な一年であり、色んな意味でスタートの一年になったって感じですね。

<1月>
無職状態のぼくの就職活動も佳境、一気に最終面接を受け続け、
前職同様の派遣会社への就職を決意。無職状態6ヶ月でいささかお金に困り始めていたのもあり、
「また派遣やけど、大丈夫かな???」って不安を伴いながら、の就職決定です。
1月21日に内定を貰い、2月1日からの勤務開始になりました。

<2月>
月初よりサラリーマン生活がスタート。半年休業していたとはいえ、もともと10年間サラリーマンを
していたのもありましたから、難なく生活をスタートする事ができました。
ただ、勤務地が明石で毎朝5時45分に目覚めて、7時過ぎに家を出て、1時間半かけての出勤は
結構辛かったですね〜。仕事に関してでいうと、もともといた派遣会社のがんじがらめの体制とは違い、
どちらかと言うと、手作り感のある感じの会社、逆に言うと細かい事まできちんとした制度が無い。
まあ、そんな会社に入ったわけです。
2月14日はバレンタイン、彼女がチョコを届けようとするも、体調不良でそれが叶わず。
それをごめんねっていってくれたメールは結構ぼくの心に響きましたね〜。

<3月>
派遣会社に入って、新規のお客さんをゲット!、制度も何も無い地域をコツコツと
ローラーしての結果だったので、自分としてもかなり嬉しかったですね。
そして3月下旬、上司から大阪への営業所出店に伴う所長待遇での異動内示をいただく。
まあ、この辺りがぼくにとってのこの会社におけるピークだったのかもしれませんね〜。
3月31日、ぼくの誕生日、彼女は平日にもかかわらずケーキを持って我が家まで来てくれました。
そんなことしてもらった事無く、本当に嬉しかったですね。

<4月>
大阪営業所出店に関する業務にけっこうでてきて、現実味を帯び始める。
あわせて、定期的に新規のお客さんをゲットし始め、営業マンとしても順風そのもの。

<5月>
連休前に新営業所の開所も済ませ、臨戦態勢に。
連休中は風邪を引いて寝込んでしまい、毎日彼女に看病してもらいました。
一人暮らしの病気って本当に辛いんだけど、その中での幸福感を味わえましたね〜。
そして連休後より、大阪営業所での業務スタート。
はっきりいって何もない中でのスタート。地道な努力をしているつもりでも毎日毎日結果の出ない
そんな状況にいささか危機感と言うより限界を感じながらの毎日がスタート。
結構、そんな辛い状況の中、自分の唯一の部下として働いていた新入社員の女の子がいたことは、
自分自身を保たせるモチベーションにはなりましたね。さすがにこの子の前で崩れるわけには
行かないな〜って思ってましたからね。

<6月>
営業所長としての日々は空振りの連続でした。
全くの認知度の無い、そしてコネも何も無い、他所での稼動企業へのアプローチも
ことごとく袖にされる日々。会社からは危機感が無いとどやされ、
ここ数年に無いくらいに顔色が土色になり、吹き出物が増えてましたね。

<7月>
彼女の誕生日には手作り料理と絶品スイーツ店のケーキでお祝い。
結構仕事に振り回されながら、自分の時間を持つ事で自分を保ってましたね。
そして7月中旬、上司より結果が伴わないと言う理由での営業所長職更迭と、
明石営業所への返品を言い渡される。この人には信じてついていこうと思っていた上司から、
なんの心の温度も感じない言葉で「やめるならとめないけど」って前置きのもと、言い放たれた言葉は
ぼくにとってのこの仕事を続けるか?っていうモチベーションを完全に喪失するきっかけになりました。
そして明石に戻っての業務開始。5月にぼくがきっかけを作った大口案件のお客さんへの対応が
ぼくの明石に戻ってからの最初の仕事。この業務のスタート予定が8月1日。
5月から準備が出来ていたはずなのに、ほとんど準備が無く、準備期間が無いのに、
「ちゃんとやれ」「担当だろ」の連発を受け、堕ちたモチベーションが上がるはずも無く・・・。

<8月>
大口案件の業務が1日よりスタート。お盆までは家に帰れない日、8時から25時まで働く日、
そんな毎日を過ごし、ほとんど休暇を取れることも無く、毎日を過ごすといった日々。
疲労感前回の上に、上司からは直接の言葉は無く、メールであったり、人づてであったり出しか
言葉を聞くことがない日々。報告を求めているのに、その指示さえ人づてでしか出来ない、
そんなダメな上司に対する怒りだけが日々募り続け、8月の末に耐え切れずに
自分自身が人間として尊敬している父に相談。「嫌な仕事を続ける必要は無いと思う」という父の言葉に
大きな救済を感じて、本当にすくわれましたね。

<9月>
9月10日ごろ、出勤時のメールチェックで言葉で伝えればいいような些細なお小言を延々と
メールで連ねてメールで送ってくる上司にブチ切れてしまい、そのまま電話。
「時間いただけませんか?退職の件で」
かなり動揺する上司を押し切り、面談の時間を無理やり決めてしまい、電話をきる。
この日の夜、家で飲んだ晩酌のビールは本当に旨かったです。
こんな事いっていいのかどうか分からないけど、やっぱりやりたくないことを無理やり続ける事はない、
本当にそう思うわけですよね。そりゃ、仕事は楽しい事だけではないけど、
それでも無理矢理やるものでもない、仕事は金を稼ぐためでもあるけど、
自分自身のアイデンティティを形成する上での重要なファクターなのだ、と。
そうであるためには、自分を押し殺してまで、そこにいる必要なんて無いやんって感じで。
まあ、今思うと、昨今の派遣へのバッシングなんかもあるから、飛び出しておいて正解かな?と。
そして転職先も直ぐに決定。今までの業界とは全く違うディスプレイ業への転身。
9月末での退職、10月からの再出発が決定しました。
やめる直前、「最後まで格好付けてやれ」とかウザイ言葉を掛けられたり、
同僚間でしていたメールでの上司バッシングが元でぼくが退職後に携帯電話やパソコンのメールを
上司が逐一チェックし始めるって言うあほな事がいっぱいありました。
尊敬できるかもって思っていた上司ですが、本当にケツの穴の小さな人でしたね〜。

<10月>
新しい仕事をスタート。
仕事の中身としては営業を将来に見据えての、現場業務の習得。
というわけで今もそうですけど、毎日腰袋を付けて電動ドライバーを使ったり、
木工関係の業務に当たってます。
会社の規模も小さく総勢20名程度、ほとんどが職人肌の人たちばかり。
でも、本当に人間的には恵まれてます。現場チームのみんなも本当に裏がなく、
人間的に良い人ばかりでそういう点では今まで抱え続けていた無駄な人間関係でのストレスを
感じる事が少ない中での業務に入れているのでは?って思ってますね。

<11月>
日記ではあまり詳しく書いてませんでしたが、彼女との付き合いが丁度1年を迎えるにあたり、
彼女と将来を考えていくことを前提として歩んでいくってことで彼女にその旨伝えていたんです。
彼女からも前向きな返事も貰え、自分自身、今の仕事をもっともっと頑張って
彼女を支えてあげれるようにならねばって思っているわけですよね。
まあ、そうは言えど、これといって何かをしたわけではなく、1周年はサンマルクでディナー。
食後には車のラゲッジに隠していたバラの花束をプレゼントしたわけなんですけどね。
記念日が平日だったんだけど、たまたま休みをもらえたので、しっかりと準備できたんですよね。
これは結構素敵な、記憶に残る記念日になりましたね。

<12月>
仕事を始めて3ヶ月目、大きな仕事として、ホテルディナーショーの業務に入りました。
一応、大阪で一番大きな宴会場を抱えるホテルのディナーショーをやりきったという感覚は
気持ちよかったの一言に尽きますね。「あやや」もみましたよ。めっちゃ可愛かったわ〜。



そして来年を迎えるわけですよね。
来年をどういった一年にするかってことですけどね。
仕事に関していうと、まずはしっかりと仕事を任してもらえるように業務に習得を確実にする、
そして会社の内情にもしっかりと目をむけていけるようになるということですね。
今、考えているのは小さな会社なので、営業部門や製作部門は充実していても、
バックヤード部門である、総務や経理に精通する人がいない現状を見ていて、ぼくの出来ることをと
考えると知識を得ることも大事だろうと思い、2009年は簿記の勉強を始めようと思ってます。
3級、2級と知識を高める予定。どうなるかは分からないけど、2010年待つまでに2級の知識を
しっかりともてるようにしておこうかな?って思っております。
会社の数字を作るのは営業の仕事です。その数字も大事ですけど、バックヤードがしっかりと
していないと、それは垂れ流しになる恐れもあるわけですからね。
もともと、ぼくは縁の下の力持ちになれることを希望しているわけですから、1つの可能性として
いいことなんだろうって勝手に思ってるわけですよね。

あとは私生活で言うと、将来に向けて、一歩でも前に進めるようなことができたらなって感じですかね。
まあ、その辺はあわてず急がず、でも留まらず、の気持ちでやっていけたらな〜って感じですね。

てなわけで、2008年勝手に総括、これにて終了!
ちなみに今日まで仕事で今日が仕事納め、明日から仕事だから明日が仕事始めで〜す!


2008年12月12日(金) すっかりご無沙汰しております。

添書をしてから2ヶ月半が過ぎました。
毎日が、超本気の工作をしているような、そんな毎日です。
いってみれば、仕事の中身は職人さん全開な訳です。
今までネクタイを締めて会社に行っていた日々だったのが、
今は毎日仕事着を着ての出勤です。

よくよく考えてみると、僕自身、大きな会社の中で会社の意向にあわせて
仕事をしていくというのは、無理な話だったのだなって勝手に思ってます。
結局のところ、コンビニの時はオーナーさんの利益を最優先に考えれば、考えるだけ、
会社の売り上げ至上主義には追いつけないっていうジレンマに駆られ、
派遣会社の時は、長期配属長期稼働を考えるあまり、会社の意向には添えなかったり、
まあ、自分のやり方を曲げることがないために、会社の求めるところと反目するっていうのが
続いておりましたからね、そういうのからすると、職人的な仕事になると、
身につけたもの勝負ですので、いいわけが聞かないわけですからね。

今になって、ご時世を見てみると派遣業界なんて大変なことになってますよね〜。
派遣切りなんていう言葉が飛び交うほどですものね。
でも、今になって思うのが、製造業で派遣なんてやっていちゃダメなんでしょうね。
派遣の会社2社にいましたけど、両方製造業派遣メインの会社でしたけどね・・・。
でも、そういう会社にいたものからいわせるとですね、
製造業派遣の業界の派遣社員さんってのは結構な問題児も多いわけでして・・・。
いきなりクビを言い渡されたとかで物言いをつけているわけだけど、
逆に勝手に辞める場合はどうよ?ってのもあるわけですよね。
そりゃ、会社側も経営上の問題で契約期間の中途解約を言い出すわけなんだけど、
派遣社員さん側の場合でも、昨日までご機嫌に仕事に来ていたのに、
翌日から突然来なくなった派遣社員も結構多いけど、会社は「しゃあないね」で我慢してくれていたりする。
まあ、全ての人が、というわけではないので言い方にも語弊があってはいけないんだけど、
やっぱり、ダーティなイメージがあるのも事実なんですよね。
ごく一部の人のせいでも、イメージは総じて見られちゃうわけですからね・・・。
でも、今、政府がいってる見たいな全てを正社員かなんてしたら、絶対に日本の企業風土は
ろくでもない方向へいってしまうんでしょうけどね・・・。
できる奴はしっかりとやって、できない奴はとことんまで落ちぶれたらええねんってのが
私企業の基本ですからね〜。それに何とかして生きていこうとすれば生きれるものですから・・・。

てなわけで、今は職人さん的に仕事をしております。
大阪の老舗大手ホテルの宴会場などで仕事をしております。
これから、ディナーショーとかで、忙しいんですけどね、大阪で一番の宴会場持つホテルのディナーショーを
やり遂げた達成感を勝ち得るために、来週から2週間、頑張らないとね!






↑ただのミーハーですね、これじゃ・・・
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