「ネットワーク」誌4月原稿執筆。今回は「都道府県ランキング5ゲーム」。追試である。子供たちは5段階で15人中11人が「5」。作業的ゲームのおもしろさと思考ゲームのおもしろさが、一つのゲームに同時に含まれている。このような楽しいオリジナルゲームを創作したくなった。
下閉伊地区社研の文書を管内小中学校、教育委員会等に郵送完了。重要文書だけに何度も文章を読み直した。かなりの手間がかかったがまずはホッとする。もちろん、これからが大事なのだけど。立ち上げでの研究授業のことはまだ考える余裕はなし。
今後の校内の総合、そして明日の校内研の準備。今日しようと思っていた原稿は明日に回す。
2002年01月29日(火) |
印刷・帳合に5時間半 |
教育センターのレポートを一気に印刷・帳合しようと思っていた日である。
かなり朝早く出勤。始業前に3分の1ほど印刷。25ページが250部+αである。7000ページほどの印刷帳合。お手伝いも申し込まれたが、一人でできることなのでお断りをする。
授業ももちろんあるので、あとは放課後仕事を一気にする。印刷は6時前に終了。今度は帳合。何とか8時すぎに終了。合計5時間半。
これで一息ではない。明日は地区社研の文書発送事務だ。
宮古にしては大雪。子供たちの登校が心配。学校に行き、すぐに歩道のない子供たちの様子を見にいく。案の定車道を歩くしかない。昨年だったか、他市での集団登校への自動車突入死亡事故を思い出す。とにかく安全第一で子供たちと一緒に歩く。朝は除雪車も狭い道は入らないので大変だ。
市内では電気がつかずに休校になった学校もあったとか。いやはや大雪も大変である。
学習ゲームの原稿のための構想を練る。
荒れ模様になるという天気予報を聞いて、いつもより早めに宮古に向かう。確かに遠野付近は吹雪。「同じ荒れるなら近道を」ということで、狭い峠の方を通ることにした。除雪もされており、ゆっくりと行く。大丈夫である。
ところが峠付近で何と10台ぐらいが立ち往生。除雪車と大型車が向き合い、動けない状態になっているのである。狭い道だから仕方がない。峠からUターン。そこから遠い峠の方へ。ふだん雪のない沿岸沿いも今日は吹雪。
合計200KMの雪道を5時間かけて帰った。さすがに体に堪えた。予定も仕事もパー。でも、何とか機関誌「学校づくり研究会」の到達度評価の原稿をしあげる。
2002年01月26日(土) |
絶対評価の文献を読む |
先週は学期初めや重要な会議で、学校の仕事が遅れ気味。その分を行う。原稿のために絶対評価の文献を読む。気にしていたテーマであったが、今までは改めて文献を読む機会がなかった。改めて重要なテーマと感じた。
2002年01月25日(金) |
下閉伊地区社研立ち上げ会議 |
15年度の県社研に向けての地区の立ち上げ会議をする。提案内容は冬休み中に作成。2月中に授業研究会(自分が授業、今年も社会科研究授業ができる!)&総会をセットで本校で行うことに決定。何とか今年度中に組織化ができそうである。
それにしても今日は皆さんから「知恵」をいただいた。会議での会場作りや接待で本校の先生方の助けも受ける。いろいろな方の援助で成り立つことをつくづく感じた。
昨日、今日と自分にとって重要な会議が連続。ホッと一息。
社会科副読本編集会議。この会議も5回目だ。今回は原稿の校正を出し合う。修正がけっこう出てきた。自分の気づかない視点もけっこう出てきて、「社会科教師の知恵の結集」である副読本ができそうだ。編集キャップとしての作業はまだあり、もう一がんばり。
今回の副読本作業で感心したのは、教育委員会の積極的な支援である。地区によってこの対応は違うのであろうが、「宮古の子供たちのためによりよいものを作る」という意気込みを担当の指導主事の先生から感じた。
河南中にビデオを届ける。高浜小に赴任して最初に受け持った6年生が現在中3の受験真っ只中。その子たちの卒業を祝う会で「小学校の担任の先生から」ということでメッセージビデオを送るのである。「からくりビデオレター風」に録画。それにしても、早いものだ。あの子たちも高校生になるのか。転任したてで思い通りいかなかったことが多かったが、そのことが今の自分のエネルギーになっている。
その子たちと、卒業式で2006・8・15に校庭で会う約束をした。20歳の夏にタイムカプセルを開けるのだ。今回のビデオでもそのことをPR。
2日目。すぐに通常通りのペースで授業をする。しかしながら、子供たちはまだエンジン全開という感じではない。かくいう、自分も仕事にダッシュがかからない。
教育センターのレポート、社会科の副読本の手引き、完成。あとはチェックのみ。
子供が来る学校。いいものである。朝元気な声が玄関から聞こえてくるだけでうれしくなってしまう。5年生15名、全員元気に登校。冬休みのあれこれを話す。
スピーチ、始業式、作品発表。さらに「体験!メディアのABC」を見せ、アンケート(レポート用)をとって今日は終了の予定だったが、早めに進み漢字スキルに取り組む。子供たちも集中。明日から通常通りの授業がスタートできる。
仕事を終えてダッシュで歯医者へ。1時間半の格闘。神経を取ってもらい、痛みから解放。やれやれ。7年ぶりの歯医者さん。機器が進歩しており興味を持つ。
2002年01月20日(日) |
冬休み最後&40代突入 |
朝、家本芳郎先生から依頼されていたメールマガジンの原稿を仕上げる。テーマは学級開きである。一昨年家本先生のメールマガジンを取り出した時に、自分のことを記憶していただいていたことに驚いた。10年も前に家本先生編集の全集に寄稿したことがあり、その内容を覚えてくださっていたのである。もうこれだけで、家本先生からの依頼は常に引き受けなければ!と思っている。
さて、冬休みは今日で終了。「これだけ冬休みにできればすごい」という期待量に比べたら6割程度の出来。ふだん家族と一緒にいれない分、そちらを優先してしまうのは仕方ないなあ。しなければいけない原稿とレポートは順調。3学期の教材研究と読書は不足。野口悠紀雄氏「ホームページにオフィスを作る」はこれからのホームページ作りの大いなるヒントとなった。この日記もその一つ。
今日が40歳の誕生日。30歳の時を思い出す。この10年で本当にいろいろな経験ができた。充実した10年。これからの10年、さらに充実した年月にしたい。
2002年01月19日(土) |
教育研究ネットワークシンポジウム |
仁王小で行われた教育研究ネットワーク第2回大会に参加。「地域素材の教材化・学び方」のシンポジウムを拝聴。そんなに人数が多いわけではなく、アットホーム的な雰囲気でよかった。県の社会科教育をリードする方々のお話、そして話し合い。このような人々と今まで関わりがあまりなかった。年一回の理事会に参加程度であった。でも、今回のシンポジウムで身近な存在となったことは確かである。
夜、一日早い誕生日会。娘たちが学級集会のように進行。明日は宮古ということで冬休み最後の家族一緒の夜を過ごす。また、単身だ。歯痛もあり苦痛。
2002年01月18日(金) |
スパート!スパート! |
冬休みもあと今日を入れあと3日。今日は市社会科副読本の校正と小学メールマガジンの連載原稿を書く。どうしても予定の時間よりオーバーをしてしまう。
2月号雑誌を斜め読み。「国語教育」の市毛勝雄氏の「研究授業の価値はどこで決まるか」が面白かった。特に「公開授業の必要条件」。「理念先行のテーマではなく、行き詰まっている問題を」「単純明快な指導案に基づいている」「授業の構成がはっきりとしている」等、もっともなことばかり。公開だけではなく、各種発表会も同様である。同じ雑誌の野口芳宏氏の「結果に責任を問われない職業」の例えはその通り。一流の人の文章は違う。引き込まれる。
市の研究所の発表会。昨年は発表当事者であったが、今年はまったくの聞き手。気楽なものである。印象的だったのが教育委員長さんと最後の運営委員長のお話。運営委員長の「思いは叶う(プロジェクトXの言葉)」のまとめに隣の同僚が思わず「うまい!」と呟いた。短時間でも印象に残る話ができる達人はいるものなのだ。
同時に研究所発行の「総合Q&A」の冊子をいただく。これはなかなかの出来である。編集者たちの執念である。私の6ページ分も掲載。 パラパラと見て、花輪小の英語学習の方法「グローブ・インターナショナル・ティーチャーズ・サークル」に興味を持つ。
教育雑誌の2月号分が学校に届いていた。「授業研究」グラビア、「社会科教育」国際協力のネタ、機関誌「TOSS向山型社会」社会科作文に拙稿が掲載。明日、雑誌をゆっくりと読もう。
市の副読本手引き作りに専念。何度も学習指導要領の解説書にあたる。
読むたびに、「ほー、そうだったのか」という点が出てくる。このような機会でなれければ解説書を目的を持って読むことはないから、その点では自分の蓄えとなる。
午後、宮古へ。3月並の気温とか。道路も雪がなく、快調。峠付近だけであった。冬はどうしても移動に、敏感にならざるを得ない。テレビに入る交通事故が人ごとに思われない。用心、用心である。
2002年01月14日(月) |
公的研究会を作ること |
下閉伊地区社会科教育研究会発足のための文書作りに励む。
「一回世話人で会議をすればすぐにできる」と考えていた。しかし、改めて会則やら当面の事業計画やら会計などについて文書づくりをしていたら、相談しなければいけないことがどんどん出てくる。限られた地域の小さな研究会でも、公的なものになるといろいろと大変なものだということがわかる。
一週間後には始業式。冬休みの仕事、ピッチを上げなければ。
総合のメールマガジンの編集。1月は一回のみの発行なので、情報量が多く結局、原稿の分と情報の分の2号を同時発行することに。今年からリニューアル化することにしている。メールマガジンでどんなことができるか。その可能性を探るつもり。
メールマガジンへの紹介のために一冊の本を読む。「骨太の子育て」(すばる舎)。夢を持って生きる著者に共感。別の目的のための強制的な読書だが、だからこそ真剣に読めるという点は事実。
午後小旅行より帰る。賢治記念館による。何度寄ってもよい。娘たちはスライドの童話に夢中。
20年近く、年賀状のやりとりしかしていなかった大学の先輩からメールが入った。年賀状を見てとのこと。教育の話を大学時代にできた有難い先輩であった。飲みにいけば奢ってもらってばかり。これからメールで交流ができるとなれば、嬉しいことである。年賀状効果は大きい。
HPでアインソワーズ小のサイト更新。3ヶ月、ずっとNHK番組関連の更新ばかりだったような気がする。今年も新しいサイトを増やすつもり。
家族で小旅行。温泉。次々と出てくる食事と雪降る露天風呂。極楽、極楽。
今日も日直。市内社会科副読本の手引きを作成する。その様式を考えるところからスタート。失敗したと思ったのが、副読本の手引きにどんなことを求めているかというニーズを聞いておけばよかったという点である。しかも「社会科がイヤ」という教師のニーズ。
2ページに1単元をまとめるので、コンパクトという点も求められる。結局「単元の目標・構成・重点」で1ページ。これはその単元の理解を意図したもの。「活用ミニアイデア・資料」で1ページ。これは誰でも使えるもの。いずれ初めての試みというのは、頭を使う。これで1単元を作るのに、実に多くの時間を費やしてしまった。
2002年01月09日(水) |
日直もあっという間に |
今日は日直。明日も。学校のパソコンを利用して、センター原稿のための調べごとをする。特に欲しいのは、情報教育のオーソドックなもの。文部科学省で検索すると、あったあった。10年前だったら、こんなふうにはいかない。その他いろいろと情報教育関連サイトをみる。「全国には実に多くの先生方がいるんだ!」と改めて実感。あっという間に時間が過ぎてしまう。 2日連続の日直を利用して、副読本の手引き、下閉伊地区社研の立ち上げ構想をしようと思っていたが、明日まわし。
午後に宮古に戻る。久々である。通常は快適な道も、冬になると雪で長距離運転は怖い以外の何物でもない。でも今日は暖かく、雪も融けてホッとした。
たまった年賀状に目を通す。教え子からのものには申し訳ない気持ちである。単身赴任の不便さ。急いで書き、すぐに本局へ。 それにしても宮古は暖かい。同じ岩手県とは思われない。
最低気温が氷点下10度の日。外に出るのもいやになる。 今日まで実家でのんびりとできるので、子供たちと一緒に遊びながら教育センターレポートに取り組む。およそ7割ほど完成。ここまでやっておけばあとは、3学期になってから行っても大丈夫である。
2002年01月06日(日) |
教育センター発表レポート |
今日から県教育センターの発表レポートに取り掛かる。実践部分はすでに原稿やHPで文書化ができているので、それを編集するだけでよい。主題設定の理由・仮説・考察といった実践の前段と後段を主として書くものである。 「メディアリテラシーは21世紀の基礎基本の一つとなる」ことを主張できればと思う。
2002年01月05日(土) |
有田和正先生の研修会 |
有田和正先生の講座に参加をする。場所は山形市。ここ数年は、正月の有田先生の講座から一年がスタートする。だからか、その一年はいつも好調。縁起がいいのである。 今回は「講座」「模擬授業」「QA」の3本立て。「講座」では、教材開発の楽しさを改めて感じる。有田先生のライフワークなのであるが、その開発裏話をする時の表情は本当に楽しそうだった。「模擬授業」では、「教師の出番」について考えさせられた。考えてみれば自分は突っ込みがいつの間にか少なくなっていたのではないか。
「QA」では私も質問をした。「有田先生は、40歳の時に何に夢中になっていましたか」。自分がまもなく40になるのを意識しての質問である。聞くと激変の年」であったということ。筑波大附小に転勤し、今までの授業観では通用しなくなり授業をどんどん変えていったとのこと。しかも、その時の授業について子供たちが追究したことを詳しく記憶している。そうなのだ。すごい実践というのはいつまでも教師の記憶に残るのだ。果たして自分にそのような記憶がある実践がいくつあるか。
そうそう、「お山の大将」の話もされた。「38歳が一番危ない」とのこと。確かに有田先生でさえ、50代半ばでも授業者としてまだまだと話されていたのだ!峰は高い。
満足感を持って、今回も帰ってきた。今年も縁起のよいスタートだ。有田先生に感謝である。
雑誌「ネットワーク」3月号、楽しい実践の原稿に取り組む。「宮古自慢CM」 の実践である。 二十数時間の実践を3ページにまとめるのは難しい。思いきった取捨選択をしなければいけないのであるが、それがなかなかできない。一応書いたが再考である。
午前中、子供たちの宿題につきあう。何ということはない風景なのであるが、単身赴任の身にとってこのような何げないことはささやかな幸せである。つきあいながら来年度の総合の提案をまとめたり、原稿の構想を練ったりする。
午後は家内の親戚で集まり宴会。「大きくなったね」と何人にも子供たちは言われる。
子供たちと一日中ゆったりと過ごす。 合間を見て総合メールマガジンの企画を練る。並行して、学校の総合の来年度の方向性を考える。企画を考えるだけで、わくわくしてくる。(ちなみに我が校の総合的な学習の時間は「ワクワクタイム」) 総合は新しい教育の起爆剤。昨年は本当にそうだった。
年始。気分も引き締まる。
総合メールマガジンの企画のため、総合雑誌を斜め読み。つくづく編集者という仕事の眼力の鋭さに感心する。よくぞこれだけ現場の者の実感を知っているものである。 年賀状他をとるために水沢と宮古を往復。夜、年賀状のみのやりとりだった高校時代の親友からメールがあった。年賀状に記されていたURLを見てのこと。交流復活である。インターネットのすごい点である。
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