Opportunity knocks
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朝、てきとーに家事をやっつけた後、電車に乗って金山まで。 ボストン美術館で肖像画展を観る。 じつは風景画より静物画より抽象画より肖像画の方がすき。 じっとみていると、絵の向こう側の人の感情や息遣いや空気なんかが伝わって来る。 何百年も前に生きていた人の訴えかけるような視線に思いをはせたり。
美術館を出た後、明治屋でラヴァッツァのデカフェを買って、その後よくいくお店でチョコレート色(ビターよりのスイート)のブーツを買った。折り曲げるとショートブーツにもなる格好良い感じのブーツ。なかなか気に入ったものが買えた。小確幸。
そのあとキース・マンハッタンでお茶して、本屋でぶらぶらしてから帰ってきた。
駅からの帰り道。空が高くて青くて、思わず立ち止まって深呼吸。 刈りとったばかりの稲の匂いがした。そんな一日。
「ブロークバック・マウンテン」観た。 正直いって観るまでは男同士の愛っていうのがちょっとうまく想像できなかったのだけど・・、なんていうか、誰かを好きになるっていうのは、どんな時にも、どんな人に対しても起こり得ることなんだなあ、とごく自然に思えた。
いろんな場面にリアリティを感じたのだけど、特に印象に残ったのは、娘との面会日だからと言われて恋人に会うのを断られた男が運転中に涙ぐむシーン。かなり感情移入してしまった。 みっともないというか、そんなときにそんなとこで泣くなよーってなさけなくなるんだけど、誰かを心底好きになったらそういうみっともない自分も出さずにはいられないっていうか、誰かを好きになる、愛するって基本的にそういうことなんだろうなって。
思う気持ちは同じでもそれぞれの気持ちの方向性が違っていたために、結局すれ違ったままお互いがそれぞれの人生を生きていくのだけど、 それでもお互いを思う気持ちは変わらずに存在していて、なおかつそれはずっと報われないままで、そういうのがなんだか観ていて切なかった。 今年2番目に印象に残った映画。素晴らしかった。
2006年09月22日(金) |
despise oneself |
最近頭を使うことがあまりないせいか、格段に脳のしわがのびているような気がする。文章を書くにも一苦労でなかなかレポートも進まない。 こういうのって前から波があったのだけど、ここずっと似たような状態であまり調子がよくない。頭がぼんやりしている。そのくせどこかで焦燥感みたいなものもあって、こんなでいーのか、と思う自分もいて。憂鬱。
安倍晋三氏が自民党総裁に選出されたらしい。まあ予想通りといえばそうなのだけど。この人ってこれまでいろんな場面で顔をみせてきたけど、いまひとつ中身が見えないというか、具体的に何を考えているのかよくわからない。 わかることといえば、教育改革と憲法改正に関してなみなみならぬ意欲を持っていることくらい。強権的な政治家でないことを祈るばかり。
太平洋戦争後、戦争責任はどこにあったのかということはいろいろ論議されていることだけど、日本の場合ドイツのように独裁者がいたわけではなく、宗教的な熱狂があったわけでもなかったと思う。東京裁判で槍玉にあがった戦犯たちにはもちろん責任の一端はあったとはおもうけれど、その人達だけで牽引していったわけでもないと思う。だったら誰が、何がそうさせたのかといえば、何となくだけど法というもの、法的なもの、がキーになっていたんじゃないかなとおもう。治安維持法、国家総動員法など、有無を言わせず人を従わせるものが法であるとすれば、法律を改正したり制定したりすることは、慎重に慎重を重ねても過ぎることはないような気がする。 今は圧倒的な存在感がある人やカリスマ性がある人がもてはやされるような傾向があるけれど、ただそういう強さのみに傾倒するだけではなくて、自分個人の目で見て判断して考えを表明していくことが必要なんじゃないかな。
そんなことを今日のニュースを見ておもった。
今日は何があったかなあ、と画面に向かって思い返してみる。
保険点数の算定基準がまた変わったとかで、先月のレセプトを全部見なおして訂正しているうちに脳が溶け出してきた、とか
なんかおなかがしくしく痛むなあ、とか
硝子の破片(おとついグラスを割った)がかかとに刺さったとか
あんまりいいこと無かった
でもまあすずしくなって鈴虫の音もきこえるし暴走族は走ってないし、もらいもののどらやきもあるのでよしとしよう。
本はジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」読み始め。 昨日は読んでいて少しなきそうになった。 わたしだったら言っただろうか。 あの最後の言葉。
なんだかとてもかなしくなった。
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