Opportunity knocks
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2002年12月30日(月) 今年よく聴いたCD

今年よく聴いたCD

1.It’s like this        Rickie Lee Jones
2.Volume One           Paris Match
3.Eclectic            小沢 健二
4.Voices              Keiko Lee
5.三日月ロック           スピッツ
6.CONCERT BY THE SEA      ERROLL GARNER
7.HELEN MERRILL         HELEN MERRILL
8.BEST FLOWER          サニーデイ・サービス
9.BLUE SPEAKER          EGO-WRAPPIN'
10.LIFE              The Cardigans

音楽は本よりもさらに幅が狭いような気がする。
もうすこしいろんなものを聴かなきゃ、という気持はあるのだけど、気がつくといつもと同じようなのばかりを聴いている。
来年は新しいのを開拓することができるだろうか。


2002年12月29日(日) 今年観た映画

今年感銘を受けた映画ベスト10

1.Dolls          北野武
  人生の深淵を垣間見るような映画。とにかく刺激を受けた。

2.ユリイカ         青山真治
  日本映画でああいう雰囲気を持ったものが見られるとは思っていなかった。

3.シッピング・ニュース   ラッセ・ハルストレム
  吹雪の中、黙々と家をひいている人々の姿が今でも目に浮かぶ。

4.浮雲           アキ・カウリスマキ
  静かで落ちついた気分になれる映画。絵画的。間の取り方が絶妙。

5.All About My Mother  えっとえっと・・ペドロ・アルモドバル
  すべてをなくした時、人は何を求めるのかということを考えさせられた映画。

6.GO           行定勲
  映像の疾走感というかテンポの良さ、メッセージ性の強さが良かった。

7.I am Sam       ジェシー・ネルソン
  ショーン・ペンが素晴らしかった。人間って本当に奥深いものだなと思った。

8.ストレイト・ストーリー  デビッド・リンチ
  ロードムービーはあまり好きではないけど、これは特別。旅にでたくなった。

9.ヘドウィッグ・アンド・アングリー・インチ  ジョン・C・ミッチェル
  やはり「愛の起源」が最高だった。もう一度聴きたい。

10.ニューヨーク・ストーリー  W・アレン コッポラ M・スコセッシ
  ニューヨークに寄せる愛情をそれぞれの監督が形にしたオムニバス映画。特にW・アレンのものが良かった。



2002年12月28日(土) 今年読んだ本について

恒例の(といっても2回目だけど)今年感銘を受けた本ベスト10

1.「叶えられた祈り」       トルーマン・カポーティ
   文句なくいちばん。どうしようもなく惹かれた。

2.「悪童日記」          アゴタ・クリストフ
   研ぎ澄まされた文体と容赦ない言葉に思わず感動。

3.「誕生日の子どもたち」     トルーマン・カポーティ
   これを読むと、カポーティーという人は本当に特別な人だったんだなということがわかる。

4.「マーティン・ドレスラーの夢」 スティーブン・ミルハウザー
   緻密な物語世界。読んでいるうちにどんどんひきこまれて最後には息苦しくなるくらい入りこんでしまった。

5.「孤独の発明」         P・オースター
   自伝的な作品。そして作者であるオースターと同様に深い作品。

6.「大地の子と私」        山崎豊子
  「大地の子」についてのエピソードが書かれている。
   作家としても、一人の人間としてもかなり尊敬に値する人だと思う。

7.「フラニーとゾーイー」     J・D・サリンジャー
   思ったより入りこめた気がする。自分とは異質な世界だけど、妙に気になっている。

8.「未亡人の一年」        J・アーヴィング
   わたしはこの本を、一貫してルースの物語として読んだ。読後感がとても良かった。今でもこの小説の雰囲気がなんとなく残っている。

9.「日の名残り」         カズオ・イシグロ
   流れるような文体と、静かな語り口。すべてをあからさまに書くのではなくて、読み手に豊かな想像力を喚起させてくれる文章。

10.「海辺のカフカ」        村上春樹
   いまだはっきりしないけど、とにかくいちおう挙げておく。


2002年12月26日(木) 無題

やっとみみたぶの状態が良くなってきた。
一時は鏡開きのときの餅のように表面がガサガサしてかなりヒサンだったのだけど、今週になってようやく元の形状が戻ってきた。
とりあえず安心。

さて、年末に向けて忙しさに拍車がかかっている感じ。
シンプルに生きているはずなのに、なぜこんなにやらなきゃいけないことがいっぱいあるんだろう、と思わずためいきがでる。

とりあえずがんばってやろう。
そしてやることやったあとは、好きなだけ好きなことをやってやるんだ。
がんばろ。


2002年12月24日(火) 聖夜

クリスマス・イブといえば笑うに笑えない思い出がある。
コドモがまだ6歳か7歳くらいの頃。
そのころ彼はサンタクロースの存在を固く信じていた。
サンタクロースは空を飛ぶ事ができて、無限に子供達へのプレゼントを作り出す事ができるのだと、心からそう信じていた。

そしてクリスマス・イブの夜。
コドモは枕もとに紙でつくった手作りの長靴を置き、サンタクロースがくるのを今か今かと待っていた。わたしと連れ合いはそのうちコドモが寝つくのを待ってその手製の長靴にプレゼントを入れればいいと思っていたのだけど、コドモは12時を過ぎても一向に眠らない。それどころか、(眠ったかどうか確かめるために)部屋に入ったら冷たい冷気が部屋中に満ちていた。えっ?と思ってみてみると窓が全開になっている。
「ねえ、なんで窓をあけっぱなしにしておくの?」とわたし。
「だってサンタさんがぼくの部屋がわからないと困ると思って・・」とコドモ。
やや呆然としながらも、「サンタさんはちゃんとわかってるから窓なんかあけなくてもいいの。いつまでも起きている子供のところにはサンタさんはこないよ。だからもう早く寝なさい。」と言い聞かせた。

結局コドモは3時過ぎまで起きていた。
途中、睡魔に襲われながらもようやくプレゼントを長靴の中にいれることができたのだけど、真夜中に窓を全開にしていたコドモは2,3日後にひどい風邪をひいてしまい、しばらく高熱にうなされることになった。そしていうまでもなくその風邪はわたしに伝染し、同じく高熱にうなされることになった。

口に出しては言わないが、コドモは今でも(来年は中学になるというのに!)サンタクロースの存在を信じている様子である。親がプレゼントを買ってくれない子には、何らかの形でサンタクロースがその子供にプレゼントを届けるのだとそう思っている。
確かにサンタクロースという人は物理的には存在しないけれど、形にはできない気持ちの中にひっそりと存在しているのかもしれない。


すべての人たちの心の中に、サンタクロース的なあたたかさが満ちていきますように。Merry Christmas!


2002年12月23日(月) 冬の京都

AM4:40。目覚ましの音でめがさめた。
外はまだまだ暗い。布団にもぐっていたいという欲求を、やっとのことで抑えつけて起きる。講義の資料、テキスト、受講許可書、学生証、新幹線の切符、財布、ウォークマンなど、必要なものがきちんと入っているかチェック。必要最低限の身支度をした後でかける。

欠けはじめの月が漆黒の空に光をなげかけている中、近くの駅までてくてく歩く。月の光をみているといつも静かな気持ちになる。太陽の光をうけることではじめてその存在を示す月。月がはなつ光は太陽のものだ。月自体は光る事もできなければ、なにかを生み出すこともない。月をみてしんとした気持ちになるのはそのせいなのかもしれないな、そんなことを考えながら駅まで歩いた。

始発の電車に乗って新幹線が発着するN駅まで。
京都行きの新幹線に乗車する。もうあたりはすっかり明るくなっている。空の青さが刻一刻と変っていくのをぼんやり眺める。
あっというまに京都。
京都の市バスの路線はもうすっかり頭に入っているので、いちばん時間のかからなさそうな路線を選んで乗車する。バスの窓から京都の街を眺める。夏にきたときに2日続けて食べにいった蕎麦屋が目に入る。なんだか懐かしく思う。たかだか数ヶ月しかたっていないのにな、と思う。

8:20大学に到着。売店でお握りひとつとドーナツと熱いお茶を買ったあと講義の行われる教室へ向かう。午前の講義は共通科目の1つで、世界の様々な教育の実践について学ぶというもの。
講師は京都大学の比較教育科で教鞭をとっているS先生。
「教育における国境の意味を考える」というところから講義がはじまる。
自分は日本人であり日本人による教育を今までうけてきたわけだけど、世界ではいろんな人種、民族が国境を越えて一緒に教育を受けている。つまりわたしたちは今まで受けてきた教育を当たり前のものと感じているけれど、世界的にみればそれは例外的な部類にはいることなのだ。日本の教育は自己完結性が高いため、世界の中からみて互換性、比較可能性が低いということ、外部から刺激を受けることが少ないということなど、いろいろ勉強になった。午前だけで10ページくらいノートをとる。普段使われていない頭の部分がリズミカルに動き始めている感じ。悪くない。

お昼になったので学食を食べに行く。一緒にご飯をたべようと約束した友達から講義が大幅に時間変更されたためお昼を一緒にできそうもない、とメールが入る。来月の講義のときにまた連絡する、と返事を送る。しかたないのでひとりでさっさとお昼をすませ、午後からの講義がある教室へ向かう。残りのお昼休憩の時間、クリスマスカードを書いたり、年賀状を書いたりして過ごす。
午後からの講義は、情報と社会の関わり、マスメディアについての講義。
「では今から講義をはじめます」の声で顔をあげると、そこにはちょっと先生の雰囲気とはかけはなれたタイプの人がいた。坊主頭で不精髭、黒ぶちのセルフレームのメガネに虹色のタイ、顔には満面の笑みを浮かべている。午前の講義の先生がいかにもプロフェッサーという感じの人だったので、すごくギャップを感じる。いろんな先生がいて面白いな、と思う。
午後の講義もかなり面白かった。先生運がいいというか、今まで退屈だと思った講義があまりというかまったくない。よく黒板に書く先生だったので、午後の講義も10ページ近くノートをとる。右の手と指が異常に痛い。普段キーボードに頼りすぎてるから、手と指がやわになっているのかもしれない(ちなみに今はレポートもPCに打ちこんでプリントアウトしたものを提出しているので、手でものを書くということがとみに少なくなっている。)
5:40。午後の講義が終わる。
先に帰るね、と、講義が大幅にずれこんでいる友達にメールを送り、バスに乗って京都駅に向かう。京都駅について新幹線乗り場の方へ歩いていくと、巨大なクリスマスツリーが目に入った。そのツリーのそばにぴったり寄り添いながらツリーを眺めている恋人たちが数十組。駅のホームにも、今から別方向へ帰ろうとしている恋人達が結構いて、名残惜しそうにお互いの顔をみつめあっている。何となくほほえましくて、いいなと思った。恋をするのって、辛くて悲しいときもあるけど、やっぱり素敵なことなんじゃないかなと思う。

新幹線、ローカル線とのりついでようやく帰宅。手を洗って服を着替えたあと、連れ合いが作った夕食の残りをぱくつく。なんだかすごくおいしい。連れ合いにそういうと連れ合いはふふん、と鼻をならしながら得意そうに笑った。

少し講義の内容を復習しておこうかなと思ったのだけど、後片付けしてお風呂に入ったらもう起きていられないくらい眠たくなってしまったので、そのまま布団に直行した。
冬のスクーリングの1日目はこんな感じで終わった。


2002年12月22日(日) 冬至

今日は1日中忙しかった。
大掃除をしたり、新幹線の切符をとったり、年末のための買い物をしたり。
冬至ということでゆずとかぼちゃも買う。かぼちゃは去年の日記にも書いたトンガ産のかぼちゃ。シンプルに煮て食べたのだけどとてもおいしかった。

夕食後、明日の講義の予習のために本を1冊読む。
「多文化教育の世界的潮流」という本。各国の環境教育、国際理解や異文化理解教育など、様々な文化に囲まれたなかでどのような教育が実践されているかということがおもに書かれてある。このところ読んでいた本とずいぶん趣が違うので、読んでてすごく疲れる。こんなことじゃ明日の講義が思いやられるなぁ・・頭の中を勉強モードに切り替えなきゃ。

ゆずを浮かべたバスにつかってしばしリラックス。
明日はいつものように始発の電車に乗っていくので、
早めに寝ることにする。



2002年12月20日(金) 今日もまた

連れ合いは宴会続きの毎日。
今日もついさっき、帰れないとのメールが入った。
終電を逃してしまったらしい。

連れ合いの前の仕事のせいでコドモとふたりきりで過ごすのは慣れているけど、
それでも何となく落ちつかない。ちょっとした物音にも敏感になる。


さっきまで「悪童日記」の続編の続編「第三の嘘」を読んでいた。
来週は大学のスクーリングだというのに、
予習もせずに本ばかり読んでいる。
困ったものだと思いつつどうにもとまらない。
とりあえず読んでしまおう。
それから考えよう。

ということで本持って布団に入ります。

おやすみなさい。


2002年12月19日(木) コラボレーションの妙

最近、佐内正史という人の写真が気になっている。
雑誌か何かで見て以来なのだけど、何故だかひかれている。
今日も本屋へいって本を物色していたら、その人の写真が目にとまった。
「だれかのことを強く思ってみたかった」という題名の本で、角田光代という人が文章を書き、それに佐内正史さんが写真をつけている。
角田光代さんの文章は今までまったく読んだことがなかったのだけど、その本を見て何となく好感を持った。抑制のきいた文章でありながら伝えたいことが真直ぐに伝わってくるようなそんな感じ。わたし好みの文章だと思う。そんな文章の雰囲気に、佐内さんの写真がとてもよく合っている。奈良美智さんと吉本ばななさんとのコラボレーションもよかったけど、この本もまたそれとは違う雰囲気を持っていて、とても良い。

その場で買おうか、次回にするか、かなり迷ったあげく結局買わずに帰ってきた(ちなみに買ったのはカフカの「城」)のだけど、こうやって書いているうちに、やっぱり買えばよかったという思いがむくむくもたげてきた。明日、買いにいってこようかな。しかしこのところ散財(いやべつに無駄遣いしてるわけじゃないけど)が続いてるしなぁ。また悩みそう。


2002年12月18日(水) 読者と本とのあいだで密やかに交わされるプライベートな語らい

アゴタ・クリストフの「悪童日記」の続編、「ふたりの証拠」読了。
この読了後の虚脱感。
読んだ人にしかわかってもらえないだろう、たぶん。

誰かと話がしたい、と強く思う。
だけど、そういう相手がわたしの周りには存在しない。
だから自分と対話する。
自分が何にそんなにひかれたのか、
その物語の中にいったい何があったのか、
ぼんやり考える。
台所でホウレンソウを茹でながら、
洗濯物をたたみながら、
NHKのニュースを聴きながら、
考える。

物語という器の中に入った小さな世界。
それを高みから、一歩離れた場所から、眺める。
その至福。



2002年12月17日(火) 無題

軟弱なみみたぶのせいで、今日も気分がすぐれない。
いいかげん病院へいけばいいのだけど、どうしても行く気がおきない。
仕方ないので友達にすすめられた塗り薬をぬって様子をみている。
これで治らなかったら降参して病院へいくつもり。
憂鬱。


2002年12月15日(日) 厄日

朝10時。遠くまで行く用事があって、(連れ合いの)車に乗って出かけた。
のはいいのだけど、高速道路にのる手前でいきなり右の前輪がパンクした。
自慢じゃないけど、車のタイヤ交換なんてやったことない。
トランクからスペアタイヤとジャッキをとりだして、なんとかやってみようと試みたのだけど、ジャッキの取りつける場所もうろおぼえで要領良くいかない。
時間もおしていたので連れ合いの携帯電話に電話した。すると予想もつかないような返答が返って来た。
「えー、おれ行かなきゃなんないの?自分で変えれるだろ?それくらい。」
「・・・・・」
愛する妻が窮地にたたされているときに、普通そんな無情な言葉をかけられるものだろうかっ。しかもわたしは用事があって出かける途中で、耳たぶだって大仏のようにはれてて気が変になりそうなくらいカユイのを我慢して、それでも一生懸命自分で交換しようとがんばって、なおかつうまくいかなくて、それで何とか手伝ってもらえないだろうかと思って、半ばパニックになりながら電話したのだ。
「もういいよ、薄情者ッ」と語気も荒く電話を切る。

しばらく思考錯誤してようやく少しだけ前輪が持ちあがったのだが、ホイールキャップががしっと嵌ったままびくともしない。
あー、神様、なんとかしてください・・と泣きが入りそうな状態にさしかかったとき、連れ合いがもう一台の車に乗ってやってきた。
そして、腹が立つくらいにやにやした顔をして言った。
「やっぱりおまえって、おれがいないとだめなんだねぇ。やれやれ。」
そして、「しょうがないなぁ、まったく」などとぶつぶつつぶやきながら、いとも簡単にホイールキャップをひっぺがした。
そのあと、あれだけ苦労したのがうそみたいに10分もかからずにタイヤの交換が終わった。
そこで、可愛い顔して、やっぱりわたしはあなたがいなきゃだめなのね、くらいのことを言えばいいのだろうが、非常におもしろくないわたしは仏頂面でひとこと言った「ありがとう」

次はタイヤ交換くらいで泣きつくことのないようにしよう。
なんでもひとりでできるようにがんばろう。
もう「おれがいなきゃ・・」なんてことは言わせないんだから。

あー、でもそうやってわたしはどんどんどんどんかわいくない女になっていくんだろうな。(身も心も)溜息。

タイヤ交換を終えて高速道路に乗ったら、何があったのかわからないけど大渋滞していた。10kmもないところを通りぬけるのに40分もかかってしまう。
大幅に遅れて目的地に到着。遅れたせいで今日1日の予定がすべて狂ってしまった。
みみたぶはいちだんと悲惨な状態になってるし、もう最悪。
明日は今日よりはましな1日でありますように。





2002年12月14日(土) 無題

耳たぶの容体が思わしくない。

1.色が異常に赤い
2.固い。こちこちにかたまっている。
3.かゆい。しもやけになったみたいな痒さ。
4.熱をもってる感じでさわると熱い。
5.昨日は2倍だったけど、今日は3倍近くはれている。

・・・医者にいくべきか。
でも。
じゃあ、切開しましょうか、なんて軽くメスをとりだされたらどうする。
たぶん。
抗生物質飲んで様子みてみましょう、って言われるだけなんじゃ。
なら行けば?

うー。
心の中で葛藤状態。
とりあえず休み明けまで様子をみることにする。
どうか自然に治ってくれますように。



2002年12月13日(金) 耳たぶはれた

朝起きたら片方の耳たぶが2倍の大きさになっていた。
異常にかゆい。
どうも新しく買ったピアスが良くなかったらしい。

もともと金属アレルギーの気があって、体に合うものと合わないものがある。たとえば金とはあんまり相性が良くない。金のネックレスとかを長時間していると首のまわりがだんだん赤くなってきて、最後にはかゆくなってくる。銀とかプラチナは比較的平気みたいなのだけど。
ちなみについさっきまでつけていたピアスはホワイトゴールド。

あわててピアスをはずしたのだけど、たまらなくかゆい。耳たぶだけにとどまらず
顔半分、首筋までかゆみが広がっている。いちおうマキロンをぬって様子をみることにする。しかしなぜ片方だけなんだろう。まあ、両方かゆくなるよりは明らかにましなのだけど。

アクセサリーは、体に合わないというのもあってあまり好きじゃない。
指輪も結婚指輪と婚約指輪しか持ってないし、ネックレスも買わないし、ブレスレットもアンクレットも持ってない。でもピアスは例外的に好きで、結構いろんなものを持っている。体に合わないのは知っているのだけど、それでも好きなものは好きなのだ。

でも今の耳たぶの状態だと、当分ピアスはできないだろうな、と思う
唯一女らしさをアピールできる部分だったのに。
しばらく耳たぶは大事をとって安静することにする。

早く治りますように。。


2002年12月09日(月)

すごく寒い1日。
東京は雪が降っているらしい。
こちらは、糸のように細い雨が朝から降り続いている。

友達から何通かメールをもらう。
東京の友達、北国の友達。
雪についての思いがつづられている。
それを読んで少し、
一緒に雪を見ている気分になれた。

寒いけど、あたたかな気持ちになれた午後だった。


2002年12月08日(日) 久々、二日酔い

うーん。まだアルコールが残っているような気がする。
頭の中がむくんで膨張しているような感じ。

昨日は仲良くしている友達約8名と飲みに行っていた。
何軒ハシゴしたかよく覚えていない。
家に帰ったのは3時近かった。
連れ合いがまだ起きていてびっくりした。
たまに(3ヶ月に1回程度)友達とでかけることがあるのだけど、帰宅時間が12時過ぎるようなことは滅多になかったので、連れ合いも少し(いやかなり)心配だったのだろう。
テーブルに座ってぼんやりしていたら、「もー!おそい!!」と一言。
わたしは「そっか、もうこんな時間なんだ。ごめんごめん」と軽く返す。
しかしですね、わたしはいつもそうやってあなたの帰りを待っているんだよ、これでよくわかったでしょう。待つ者の気持というものが。

しばらくそんな風にふたりでお茶を飲んだあと、コドモのための朝ご飯をテーブルの上に用意してようやく就寝した。
目が覚めたのは朝の10時過ぎ。
いつまでも起きてこないわたしと連れ合いに痺れを切らしてコドモが起こしにきた。今日は二人で「ハリー・ポッター秘密の部屋」を見に行く約束をしていたので、コドモはコドモなりにあせっていたらしい。

ぼんやりした頭(正確にいうとかなりの二日酔い)を無理やり働かせて出掛ける準備をする。熱めのオフロに入って頭をすっきりさせる。

軽く昼ご飯をたべた後映画館へ。
映画館はかなりの混み具合であやうく立ち見になるところだった。
ひといきれで気分が悪くなる(というか、もろ二日酔いの症状)

映画はもちろん面白かった。忠実にあの世界を再現してくれたところにも感動。
クディッチのシーンが少なかったのが少し不満(次こそはリー・ジョーダンの実況のシーンが入りますように)だったけど、でもつかのま二日酔いのことも忘れて小さな子供に戻ったような気分をあじわうことができた。

映画のことをいろいろ話しながら家路をたどる。
コドモは屋敷しもべのドビーがかなり気に入ったらしい。時々くすくすと思い出し笑いをする。来年はこんなふうに一緒に映画をみにいくことなんてできないだろうな、きっと・・・そんなことを考えながら帰宅した。

家に帰って二日酔いが再び悪化。
早めに寝る事にする。
うーん。少し反省。


2002年12月06日(金) 鯛の御作り

友達に鯛をもらった。(実家のおとうさんが釣ってきたものなのだそう)
おまけにおろしてもらって御作りにしてもらった。
友達はわたしと違って器用なのだ、すごく。

自分にないものを補おうとする本能が働いてるのかわからないが、
わたしの友達は器用な人が多い。みんな器用で賢くて明るくて優しい。
わたしは友達にいろんなものをもらっている。
元気、知恵、優しさ、前向きになる気持、そして鯛の御作り。
わたしははたして同じように何かを友達に対して与えているだろうか。
そんなことを考えながら鯛の御作りをたべた。
海の匂いがした。


2002年12月04日(水) 夢のなか (前回の創作の続き)

薄暗い部屋の中に小さな女の子がいる。
それが誰であるか、わたしにはすぐわかる。
7歳の頃のわたしだ。
時計の針は夜中の1時をさしている。外は雨が降っていて、時々窓ガラスに雨粒が激しくあたる音がきこえる。そして部屋の中はじっとりとした湿気と冷気にみちている。

こどものわたしはテーブルに向かって無心に何かを書いている。
机の上にオレンジ色のお絵描き帳。
そうだ。唐突にわたしは思い出す。
大事にしていたお絵描き帳。わたしはそのお絵描き帳をとても大事にしていた。
何かのときに母親ではなく誰かが買ってくれたものだ。母親はそういうものをこどもに買い与えてくれる人ではなかった。わたしはそのお絵描き帳の中にいろんなことを描いていた。近所でみた猫、綺麗な花、木、虫、空、そして実際にはありえないものも描いた。たとえばにっこり笑った母親の顔、そして空想上の父親、あたたかな家庭団欒の図。
 
いつも何かに憑かれたように描いていた。熱心に描けばそれが本当になるとでも思っているかのように。もちろん本当にはならなかった。でもそれでもよかった。描いている間はその世界を信じる事ができた。描いているときだけに訪れる甘美な喜びをわたしはとても大切にしていたのだ。だから、そのお絵描き帳は誰にも見せなかった。自分だけのものにしておきたかった。誰にも邪魔されたくなかった。

相変わらず幼いわたしはお絵描き帳に向かって無心に何かを書いている。描き尽くして真っ黒になったお絵かき帳のわずかな余白を見つけて小さく細かく書いている。そのときわたしはいったい何を書いていたのだろう。少し考えてふと思い出す。古くて大きな家に住んでいる妖精の話。わたしは自分が作り出したその話を気に入って、繰り返し何度もそれを描いた。妖精が住んでいる家、家のそばに立っている大きな楡の木、妖精たちの部屋、小さなテーブル、椅子、ベッド、そんなものを次から次へと描いた。

幼いわたしは笑みを浮かべ、時々何か独り言を言いながら描いている。そしてわたしはそんな幼かった自分自身を、ただ呆然と眺めている。
しばらくすると、部屋のドアノブをがちゃがちゃ回す音が聞こえてくる。幼いわたしはすばやくお絵描き帳をタンスの後に隠す。母親が帰ってきたのだ。
幼いわたしの顔にはさっきまでの恍惚とした喜びの表情はあとかたもなくなっている。かわりに何かに追い詰められたような緊張感が小さな顔を覆っている。
「まだ起きてたのかい」
母親はそう言って幼いわたしを一瞥したきり、目を向けない。
化粧もおとさず、着ていた服を脱ぎ捨て布団の中にもぐりこむ。
幼いわたしはじっとすわったまま母親の布団を(布団のもりあがった部分を)眺めている。
膝を抱え、片方の手をもう一方の手でぎゅっと握りながら、部屋のすみに座っている。

ふと彼女は顔をあげてわたしを見る。その目にはなんの感情も感じられない。わたしは自分自身に見つめられて、息もできないくらい動揺する。彼女の目にわたしが映っている。
吸い込まれそうな目。彼女はまっすぐにわたしを見る。その一直線の視線はわたしをとらえる。わたしはどんどんその目に吸い寄せられていく。
「見ないで」とありったけの力をこめてわたしは叫ぶ。
暗い部屋の中、わたしの声はこだまのように響き渡っていく。






2002年12月01日(日) 日曜日のおでかけ

久しぶりに3人とも予定がない日曜日、ということで朝早めに家をでて県美術館へ創画展を見にいく。創画展というのは、日本画を自由に創造力豊かに書こうとする会の展覧会で、連れ合いの知っている人(同じ大学の出身の人など)も何人か出品している。日本画は最近とても流行しているらしく、作品も素晴らしいものがいくつか展示してあった。
日本画=岩絵の具ということであっさりした感じのものを想像していたのだけど、中には油絵のように厚く塗られたものもあった。連れ合いにきくと、岩絵の具に膠(にかわ)というものをまぜて描くのだそう。
結構いろんなものをモチーフにしていて、描かれているのは花鳥風月、といった先入観がひっくりかえされてしまった。意外と面白かった。

美術館をでて、最近名古屋にあたらしくできた新名所、オアシス21というのを見にいく。これは実際みてみないとなんとも形容しがたいものなのだけど、いちおう空中庭園のようなものである。ビル7,8階分くらい登ると上は見晴らしの良い庭園になっている。かなりの広さ(陸上競技上の内側のトラックくらいの広さくらいあるような気がする)がある。中央は水が一面に流れていて、そこに昇った人はそのまわりをぶらぶらと散歩したりする(歩いていて水族館の回遊魚になったような気持ちになった)わかりにくいかな・・・感じとしては空中に少し広めの池みたいなものが浮かんでて、そのまわりの水辺を人々が散策するといった感じなのだけど。。(もしこんな説明で納得できるか!という方がいたらネットで検索してみてください。ヒットすると思います、たぶん)

連れ合いは、こんなものに税金つかうなんて無駄遣いだとぶつぶついっていたが、公共事業が冷えこんでいる今、新しいものを作るというのは別に悪い事じゃないような気がする。わたしなんかはのんびりとホットドックをかじったり、本を読んだりするスペースができるのは結構うれしい。名古屋ってそういう公営の場所、少ないんだよなぁ。

お昼は飲茶のおいしいお店で小龍包をいっぱいたべた。黒酢と醤油を自分でまぜて
それをからめながら食べるのだけど、すごくおいしかった。

結構有意義な日曜日のお出かけだった。


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